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2009年1月13日火曜日

どうすれば出版界を救えるのか

 以前に私は「出版不況について思うこと」の記事の中で、質が下がる一方で値段は上がっていくという出版業界の経営努力の足らなさを主張しましたが、じゃあ一体どうすれば出版界を救えるのかという具体的な話を今日はしてみようと思います。

 単純な話、やっぱり質を上げていくほかないと私は思っています。情報が氾濫している上にネットが発達して本が売りづらくなっているというのはよくわかるのですが、それでもベストセラーとなる本はやっぱり私も読んでいて面白い本が多く、「国家の品格」とか「鈍感力」は新品で買っても全然損したとは思いませんでした。やっぱりそういう風に考えると、いい本はなんだかんだ言って売れるので出版社側もいい本を出す努力をやるべきだと思います。

 とはいえ、そんな具合でいい本が片っ端から作れて行けば苦労はないわけで、それ以外の方法をいくつか検討してみたいと思います。
 まずこれは以前に立花隆氏が言っていたことですが、この際本の値段を今の三倍くらいに引き上げて、本の所有それ自体が教養を持っていることを強く示す高級(ブランド)品のようなものにしてはどうかと提言していました。もちろん広く知識を共有するためにこの方法は立花氏もあまりいいものではないとしながらも、出版界が生き残るための一つの手段として挙げていました。

 そうした立花氏の意見に対し、私が考える手段というのは情報の制限、独占というやり方です。
 実は出版不況の中でゲームの攻略本というのは確実に利益の出せる非常においしいジャンルとして今もあり続けているそうです。普通に考えるのならばゲームの攻略情報こそネットで氾濫していて本として売る必要があるのか疑問符がつきそうなものですが、実態はと言うと「パワプロ」や「スパロボ」の攻略本に至っては複数社から販売されながらもきっかり利益を出すほどで、現実にどこの本屋でもこの攻略本コーナーというのは大きな一角を占めていることが多いです。

 それで何故攻略本が売れるかですが、この理由は恐らく情報の制限が行われているからだと私は考えています。昔はともかく今のゲームの攻略本には設定資料やオリジナルイラスト、製作者からの裏情報などただゲームをプレイしているだけでは手に入らない情報が盛り込まれていることが多く、実際に購入する側もそうした情報を目当てに買っていることが多いように見えます。特にシナリオが難解な、私が昔やってた「バロック」とか今やってる「サイレン」なんてそうした攻略本のシナリオ解説がないととてもじゃないけど消化不良でシナリオが理解できずに終わってしまう可能性が高いです。

 この攻略本のように、流通する情報を制限する、もとい「その本を買わなければその情報が絶対に得られない」という状況を意図的に作り出すことが、出版不況を脱す一つの手段ではないかと私は考えます。それこそ一番エグいやり方を使ってもいいのなら本に載せている情報をネット上なり他の雑誌なりで公開された場合、片っ端から訴訟を起こすのもこの手段の一つです。そのほかある分野の情報に対して徹底的に競合他社を排除して、談合なりで一部の本や雑誌でしか公開できないようにするのもありかもしれません。

 ここまで自分で書いてて暴論だとは思いますが、この情報の制限についてはこのところよく考えてしまいます。私自身このブログで書いてて、果たしてこれだけ加工した情報をただで公開していいものなのかとか、逆にマイナーな情報をネットで見かけた時、こんな情報をただで得ていいものかと思ってしまいます。
 ある本の作者が、現代人は情報に対してお金を払って得るという意識がほとんどなくなってしまっていると言っていましたが、これはこれで私も問題な気もします。特にこれは若い世代に強く言いたいのですが、やっぱりいい情報を得ようと思うのならそれだけお金をかけねばいけません。お金をかければ必ずいい情報が得られると言うわけではありませんが、現代人はもうすこし個々の情報に対して価値を持つべきではないかと強く感じます。

二年後の消費税増税の背景にあるもの

 既に皆さん知っての通りに、去年の十一月あたりに現在もなお続く麻生政権が何を思ったのか、「三年後に消費税を増税する」と発表しました。年が明けたので今では二年後となりましたが、どちらにしろ2011年に消費税を増税することを別にこんな不況の真っ只中の今に言わなくともいいのに、麻生首相は明言したばかりかその後税制調査会に対して実施時期を明確にするよう再三要求しました(結局曖昧なまま流しましたが)。

 もしこれが常日頃から財政再建を主張してきた与謝野氏が言うのなら別におかしくはないのですが、何故この段階で麻生首相が明言したのか私はずっと不思議に思っていました。麻生首相は別に財政再建派でもないし、むしろ積極財政を主張してきたのだからこうした消費者の意識にマイナスに響くような政策意見は遠いものだと思っていましたし、衆議院選挙を前に明らかに足を引っ張るような増税の意見なんて普通の感覚なら出来ないはずです。

 そんなかんじであれこれ考えながらもう大分時間が経つのですが、三日前くらいに突然ピコーンと、ある事実が閃きました。もったいぶらずに言うと、2011年7月にはテレビの地デジ移行があるのです。
 要するに話はこうです、2011年のテレビの地上波デジタル移行が待ち受けているために、必然的に2011年はテレビの購入が増加することが予想されます。その大量購入に合わせて消費税を増税するとどうなるかですが、まぁ簡単に言うと国の税収取り分が増えてくるんじゃないでしょうか。

 もちろんこれがすべての理由だとは私も本気で信じているわけじゃないですが、あれほど増税時期を明確にすることにこだわったのがこれも一因なのではないかとちょっと思いました。どちらにしろこの消費税増税の明言にはまだまだ背後関係がありそうなので、またなにか気がついたらご紹介します。

渡辺喜美氏の離党について

 本日自民党が二次補正予算案を強行採決したのと同時に、かねてより離党も辞さないと主張していた渡辺喜美議員がとうとう正式に離党しました。
 この離党について私の感想から言うと、このような行動に渡辺氏が出るのもしょうがないと渡辺氏に対して理解する気持ちの方が大きいです。というのも今回の麻生政権において、渡辺氏がかつて記者たちの目の前で涙を流すほどまで力を入れてきた行政改革案をすべて丸潰しにされているからです。

 渡辺氏は福田政権内にて行革担当大臣をやっている際、今に始まったものではありませんが「私のしごと館」などを含む、明らかに必要性とコストがかけ離れた箱物に代表される行政の無駄の温床となっている特別法人の廃止や天下りの規制を含む行革案を出したものの、各省庁からはこれらの見直しに対してゼロ回答を喰らうなど総スカンを受け、挙句には福田政権内ですら厄介者扱いされる始末でした。挙句にその後行われた内閣改造では行革大臣の職から外され、福田政権が倒れた後の麻生政権に至っては渡辺氏がまとめた見直し法案はほぼすべて握りつぶされたに等しく、特に公務員の天下り規正においては根本から崩されてしまう有様でした。

 渡辺氏も自分で言っていますが命を懸けて行ってきた内容なだけに、その忸怩たる思いも相当のものでしょう。まして渡辺氏のやろうとしていた行革案は私の目から見ても今すぐにでも必要な改革案で、無駄な行政法人の廃止はもとより天下りの禁止などやれるものなら明日からでもやっていいというくらいのこの国の悪習です。事実国民もこれらの政策の問題性を認識しており、今何が一番必要かといったらやっぱりこれらの政策が国民の意見としても当てはまるでしょうし、政治評論家たちの意見もどれもその通りと一致しております。

 こういったことを踏まえ、今回渡辺氏が離党したことについてたとえ無謀だとしても、私一人はその行動を理解していようと思います。まぁきな臭い事を言うと、前の記事にも書いたように恐らく民主党とはある程度話がついていて、恐らく次の選挙では民主党に合流するにしても無所属でいるにしても民主党から公認や応援が得られる約束がついているのだと思います。別に汚いことだとは思いませんが。

 最後にこの渡辺氏の離党が自民党に与える影響ですが、さきほどNHKの解説員がそれほど大きな影響を与えることにはならないと言っていましたが、私としても同じ意見です。しかしもしこのまま次の選挙にていわゆる小泉チルドレンを冷遇するような選挙態勢をしくとしたら、武部元幹事長以下が一気に自民党から離れるという可能性があるのではないかと思い、その際に渡辺氏と行動を共にするか、もしくは別々でいるかなどと、後々大きな変動を生む種になる可能性はあると思っております。

2009年1月12日月曜日

ゲームの「サイレン」について

「おかーさーん、おかーさーんあけてよー」

 このフレーズを覚えている方はいるでしょうか。このフレーズは、もう大分古いですがPS2のホラーゲーム「サイレン」の、あの恐すぎて放送中止となったCMで使われたものです。さてなんでそんな昔の話を突然するかと言うと、ちょうど今まさに私がこのゲームを遊んでいるからです。

 もともとこのサイレンは三年前に購入したものの、あまりの難しさに音を上げてプレイを中断してしまったままでいました。それがこの前久しぶりに思い出し、ネットにて情報をいろいろ見ていたら攻略情報サイトに行き着き、せっかく買ったのだからこの情報を元にやってみるかと再び立ち上げた次第であります。
 で、改めてやってみた感想はと言うと、「こんなの攻略情報なしでクリアできるかっ(゚Д゚)ゴルァ!!」といったところです。どこのサイトでも私の後輩も、このゲームはあまりにも難易度が高すぎるために一般受けしないと聞いてはいましたが、攻略情報を見てみるとただステージをクリアするだけでなく、普通にプレイしていたらまず気づくはずもない細かい隠し条件を攻略しないと後々ゲームが進まなくなるなんて正気の沙汰じゃありません。後輩も攻略情報に沿って遊んでいたと言っていましたが、逆を言えば沿わないと遊べないくらいの尋常じゃない難易度です。

 それでゲームの恐さですが、私はこれ以前にテクモの「零」というホラーゲームをプレイしておりこちらは海外からもものすごい恐いと評価されながら、私自身はそれほど恐いとは思わないままクリアしました。ですがこちらのサイレンはと言うと、はっきり言って滅茶苦茶恐いですヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ
 あまりにも恐くて、二時間連続でプレイすることはまだできずにいます。おまけにやってるのもこんなクソ寒い冬の間ということもあり、文字通りプレイ中は身体の震えが止まりません。よく怪談は夏にやるものだと言いますが、冬にやるものではないというのはよくわかりました。

 とまぁこんな感じでまだプレイ途中なので、またおいおい細かい感想はこの後も続けていきます。最後に現段階でちょっと気になっている箇所として、作品の舞台が昭和78年となっている点があります。というのもこれは平成年間初頭に多かったのですが、いわゆる「終わらない昭和」というジャンルがまさかまだ使われていたということに好感を持ちました。
 その「終わらない昭和」というジャンルは平成5年くらいまで一部のマンガやSF小説などで使われた設定で、米ソの冷戦構造が続いていたりなどと一部で昭和の世界観が引き伸ばされたまま、技術などは現代や近未来のものというような話がよく展開されていました。何故こういったジャンルが存在したかというと私見を言わせてもらえば、基本的に日本人は過去にノスタルジックな感傷を抱くのでその感傷を残したり、現代とは違った一つの未来を提示する設定として好都合だったからだと思います。

 ちなみにこちらは「終わらない昭和」とは違うかもしれませんが、私もマンガ版で楽しく読ませてもらっている「ひぐらしのなく頃に」も、メインの舞台を昭和58年に据えており、この作品でも「昭和」という一つの時代が使われています。個人的にはこういうジャンルは平成も大分過ぎた今では通用しないものと思っていただけに、こうして元気に使われているのを見るとこっちまでうれしくなってきます。ま、さすがに鉄人28号で使われたような、「旧日本軍の秘密兵器が……」って設定はもう見ないけど。

2009年1月9日金曜日

失われた十年とは~その十九、終末思想~

 失われた十年における事実整理とそれに対する私の見方だけだったこれまでの記事に対し、今回は後半のポイントとなる社会心理の話を完全私独自の考えで披露します。結論から言えば私は90年代には薄く、幅広い終末思想のようなものが存在し、それがいろいろなものと結びついて当時の独特な社会空気を作ったのではないかと考えています。

 さて終末思想とくれば恐らくもう読んでいる方は察しがついているでしょうが、あの「ノストラダムスの大予言」です。これ自体については本の著者の五島勉氏の眉唾本ですが、本が出た当初は売れに売れて私が子供だった90年代初頭でも1999年には世界が滅亡するという話には相当な影響力がありました。さすがに99年を過ぎた現在ではノストラダムス自体が死語になりつつあるのですが、私がこのところ失われた十年の大部分に当たる90年代を思い起こすにつけ、このノストラダムスの予言が幅広く浸透し、意識してかしてないか当時の人たちの行動や思想に少なからず影響を与えていたのではないかと思うようになりました。

 まず実際にノストラダムスの与太話が大きな行動、事件に繋がった例として、前回に解説したオウム真理教による地下鉄サリン事件です。というのもこのオウム真理教は教団内で終末思想を持っており、それに向けてあれこれ準備すると言う名目でいろんな武器や化学兵器の開発といった非合法な活動を行っており、このオウムの終末思想に影響を与えたのが前述のノストラダムスの予言だと言われております。
 現実に当時、一部(大槻教授とか)から批判されだしてきた五島勉氏が1999年の世界滅亡について、「目には見えない何かによって人類は滅亡する」等と言い出し、オウムの起こしたサリン事件によって化学兵器などが俄かに一部(オカルトマニア)で注目されました。

 またこのオウム事件に限らなくとも、前々回に解説した阪神大震災やバブル崩壊による戦後初めての長期不況によって日本人全体で言いようのない不安を持ち合っていたと思います。こうしたバックグラウンドの元で、日本人は「見えない不安」というものを全体で薄いながらも抱えだし、その結果改めて思うと当時限定の独特な文化が生まれていったというのが大まかな概略です。

 そうして生まれた当時独特の文化、風習の一例として、私がにらんでいる一つの候補は心理学です。それまで哲学とかと並んでマイナーな学問だった心理学が俄かに脚光を浴びて、現在はどうだか知りませんが当時は絶大な偏差値を誇るほど入学希望者が殺到したブームのきっかけはハリウッド映画の「羊たちの沈黙」からですが、その映画だけでなく先ほどの終末思想に端を発するオカルト分野の盛り上がりもこのブームを後押ししていたのではないかと私は考えます。なおこの心理学ブームと並んで90年代初頭より勃興したものとして、今も続く「名探偵コナン」を代表とする推理マンガも、こうした背景の元だからこそ成立したのではないかと思います。

 勘のいい人ならわかるでしょうが、心理学と推理マンガ、つまり人の心理などといった曖昧でよくわからなく、理解しづらいものが不思議と当時に流行っています。今度はこの「よくわからない」と言うものがキーワードになりますが、やっぱこっちも改めて考え直してみるとよくわからない、わかりづらい、曖昧模糊としたものほど当時は何故かいろいろ流行ってる気がします。
 その方面での代表格はアニメの「エヴァンゲリオン」ですが、これなんかユング心理学、聖書(オカルト方面の)、難解なストーリーと、今私が挙げた三拍子を全部備えている優等生で、案の定90年代後半には爆発的なヒットを博して現在に至るまで製作したアニメ会社が関連商品で儲けていられるという大傑作となりました。なおこのエヴァンゲリオンがヒットした当時に発売したファイナルファンタジー7の主人公のクラウドがややメンヘラなキャラクターとなったのは、このエヴァンゲリオンのストーリーが影響したと言われています。まぁ当時はクラウドに限らなくとも、メンヘラなゲームやアニメのキャラクターが非常に多く、恥ずかしい話だけど当時の私の小説もそんなんばっかだったし。

 このようにはっきりと意識しないながらも終末思想を日本人は全体で広く抱え、その影響で終末思想とやや系統の近いオカルトや心理学が人気になり、現実でも阪神大震災やオウム事件など社会を揺るがし不安に陥れる事件が連続したために、日本人の行動や思想が刹那的、自暴自棄なもの(クラウドっぽい?)へとなっていった……といったところでしょうか。この辺は後でもっと詳しく解説します。
 そんでもってこうした傾向に最後の一手を入れたのが、私は97年に起きた酒鬼薔薇事件だと考えています。この事件が発生した当初、そして犯人が中学生だったということがわかった際の社会の混乱振りは私もはっきりと覚えているほどで、この混乱がどのようにその後に繋がったか一言で言うとすれば、私はやっぱりこの事件によって日本社会がそれまで持ってきた様々な規定概念のようなものすべてが崩れ落ちたのではないかと考えています。折も折で私が経済的に転換点だと述べた97年で、長らくエリートコースとされてきたいい大学に入っていい企業に就職すれば将来安泰とか、子供は社会の宝だとか、親父狩り事件に代表される子供から大人への尊敬意識といった、それまでは社会上で当たり前とされてきた規範や規定のほとんどが否定されるかなくなっていったように思えます。

 その結果は、その後続く私から見れば退廃的な文化の勃興や刹那的な意識を持つ若者の増加、延々と続く自分探しといった現象の発生に繋がったのではないかと思います。今の後ろ向きな世の中も、言うなればこの97年から始まったのではないかと、私なりの提言です。次回からはこの記事で展開した話を個々に分けて解説して行き、この失われた十年の以前と以後で転換した日本の社会意識や風習を紹介していきます。
 それにしても、今日は思いっきり飛ばして書いたなぁ(ノ∀`) アチャー

2009年1月8日木曜日

広瀬健一氏の手紙について

 たった今これより一つ前の地下鉄サリン事件の記事を書き終えたばかりですが、なんというかやっぱり凄い疲労感を感じます。予想していたことですが、内容が重いものなだけに書く側もしんどいです。読む側も大変だろうけど。
 そんな風に疲労していてぶっちゃけ風呂入ってすぐに寝たいのですが、さすがにこれは先の記事と離すことの出来ない内容なだけに、伸ばし伸ばしに温めていたネタをついに今日書くことにします。その内容というのも地下鉄サリン事件の実行犯の一人、広瀬健一死刑囚(上告中)の獄中からの手紙についてです。

 実は昨年末の週刊文春にて、この広瀬氏の手紙が記事にされて紹介されていました。元々はどこかの大学でカルトに引き込まれないにはどうすればいいのかを話し合う授業にて、広瀬氏の意見を聞こうと授業担当者が手紙を出したことに広瀬氏が応じたというもので、それを文春が記事にしたというわけです。
 まずこの広瀬健一氏ですがオウム真理教内では科学技術省の次官という地位にあり、地下鉄サリン事件では丸の内線の電車内でサリンを放出させた実行犯で、オウム関係者の中では確か最も早く地裁で死刑判決が下され、その後の高裁でも同じ死刑で現在判決を不服として上告している最中です。
 教祖の麻原死刑囚に対しては獄中にて信仰をやめ、これは上告理由にしていますが当時は麻原死刑囚のマインドコントロールを受けていたために正常な判断が出来なかったとし、現在では教団とは決別した態度を見せています。

 それで広瀬氏からの手紙の中身ですが、まず最初に語られたのは人生に疑問を持ったことについてでした。なんでも広瀬氏が高校生だったある日に家電屋の前を通った時、店頭で売られている家電が安く値下げされたのを見て、この世の中のものの価値というのはどれだけ希薄なのだろう、少し時間が経ってしまえばたちどころに失われてしまうと考え、それ以降人生そのものに価値が見出せなくなったそうです。そのため大学ではなるべく価値が不変である物理学を専攻するようになり、早稲田大学の大学院にて当時の指導者に、「あのまま研究で残っていれば世界に大きな功績を残した」といわれるほどの成果をだすなど、その秀才ぶりは当時から郡を抜いていたそうです。

 その広瀬氏がどのようにオウムと関わるようになったかというと、書店にてオウムの出版している本をある日手にとり読み終えたその晩、広瀬氏が言うには体内で火山が噴火、爆発するような神秘的体験を体験したそうです。これについては広瀬氏も他人にうまく表現して伝えられないといっており、恐らく自己暗示的な急激な気分の高揚か何かがあったのだと思います。その体験を経て広瀬氏はオウムの言っている事は本当だと信じ、教団に入信するに至ったそうです。
 なお広瀬氏を診察した精神科医によると広瀬氏は暗示にかかりやすい体質の人間であるらしく、この入信への過程はそうしたことも影響したのではないかと言われております。

 その後広瀬氏は持ち前の物理知識を武器に教団内で地位を向上して行き、サリンの製造などオウムの非合法な活動にも手を染めて行きます。そうしてあの地下鉄サリン事件にも実行犯として関わることとなりました。
 この地下鉄サリン事件に対して広瀬氏は被害者の方には本当に申し訳ないことをしたと思っていると手紙にて訴え、実行前にためらいがあったかについてはあったと肯定をしています。しかしそれでも何故実行したかというと、これは他の事件でも同様ですがオウムで人を殺害することを「ポア」すると言い、これは現世で悪業を重ねるようになってしまった人間がそのまま生き続けると死後もその業を解消するために苦しまねばならなくなるため、罪が軽いうちにこの世からあの世へ送ることでその殺害相手を救ってやるのだというように殺害を正当化していました。事件当時の広瀬氏は教団、もとい麻原死刑囚の言うことすべてが真理だと信じ、そのためこのサリンによる大量殺人も必然ある行動と受け取り実行したそうです。
 もっともそうした救済のための殺害でも罪業(カルマ)を重ねる行為に当たるとされ、事件実行後に広瀬氏が自らもサリンの影響を受けてひざを崩した際、自らへの罰だと感じたそうです。

 その後逮捕によってオウムから離れ、現在では前述の通りに過去の自分の過ちを大いに悔いていると手紙にはつづられています。そしてカルトに取り込まれないためにはどうすればいいかということで広瀬氏は、個人の考えを根本から否定してひたすら教祖に従えというような集団を信じてはいけないと答えています。たとえどんな人間にも人権もあれば思考もあり、それをすべて否定するのは絶対的に間違っているといい、そうした集団に入って自分のようなことだけは絶対にしてはいけないと伝えています。

 こうした広瀬氏の手紙を受けてその授業の学生は、これまでカルトというのは自分とは遠い存在だと思っていたが、新ためて身近に潜んでいるものなのだということを再認識したなどといった反応が返ってきたそうで、こうした学生の反応を広瀬氏に伝えると、今の学生は地下鉄サリン事件当時は小学生のような子供たちで事件への実感も薄いだろうから自分の声も一笑に付されると思っていただけに、きちんと受け止められたことに驚いたとまた答えています。

 私自身の感想としては広瀬氏が最初に述べている、「この世の希薄さ」という話に深く考えさせられました。友人などはこの世のものすべてに価値などないとはっきりと割り切っていますが、私自身はそれでも人間が生きていく上で追い求めるべき価値はあると信じていますが、時折広瀬氏のように何もすべて意味がないのではとやる気が急激に失われていくようなことが起こります。そうした虚無感とも言うべき緩衝にカルトはつけ込んでくるのだろうと、改めて広瀬氏の手紙で認識するようになりました。

失われた十年とは~その十八、地下鉄サリン事件~

 前回では95年に起きた阪神大震災について解説しましたが、今回は同年に起こった日本史上最大の犯罪事件であり世界初のバイオテロ事件である地下鉄サリン事件についていろいろ書きます。書く前から武者震いがしてきますが、以前に書いた紅衛兵の記事以来で久しぶりな感覚です。

 95年3月、都内の各地下鉄路線上にてオウム真理教の教徒たちによって有機リン系猛毒ガスのサリンがばら撒かれました。この事件をオウムが起こした原因として現在挙げられているのは、この事件の直前に別の事件によって警察の教団への強制捜査が行われることが予定されており、その捜査に抵抗する形で警察や権力層の混乱をはかろうとしたのが動機だったそうです。事実、この事件の十日後には当時の警察庁長官の国松氏が狙撃され、これもオウムによる犯行と近年断定されたことから警察機関のかく乱という先ほどの動機には私も非常に納得できます。

 そうして行われたこの地下鉄サリン事件ですが、実行方法は液状のサリンが入った袋を電車を脱出する直前に傘でつついて穴を空けて脱出するという方法が取られ、各路線内でお茶の水や霞ヶ関といった主要駅で実行されました。この方法の特徴として、走る電車内で毒ガスをばら撒くといった手法がまず目に付きます。この方法だとサリンが放出された当初は何も知らないまま電車は走り続けることにより、サリンの毒が駅から駅へと運搬されていくだけでなく車内に残された人たちも満員電車の中で脱出することも出来なく、更にはどこでサリンが封切られたのか実行犯の特定を難しくさせるという特徴もあり、非常によく練られた計画だと言わざるを得ません。

 最終的にこの事件での被害者は12人が死亡し、5510人の方が重軽傷を負われたとのことで、生き残った方も今でも様々な障害に悩まされる方が数多くおられるそうです。これはつい最近になって法案が通った話ですが、こうしたオウム事件での被害者に対してオウム(現アレフ)が弁済額を支払う資金がないために事実上放置されてきた被害者救済に国の資金を充てるように、確か先月になって本当にやっと決まりました。逆を言うとこれまでは障害をおって入院しててもその費用は自己負担で、この点について国は事件の重大さや深刻さからもっと早くに救済に動くべきだったでしょう。定額給付金も、こうした犯罪被害者にもっと使えばいいのに。

 さてこの地下鉄サリン事件ですが、冒頭でも述べたようにこの事件は世界で初の化学兵器が使用されたバイオテロ事件で、しかも都市部の中枢部、更に言えば地下鉄といった公共機関で使用されるというこれ以上ない程の最悪の条件で起きております。そのためこの事件は世界各国でテロ対策における重要な事実例として使われ、恐らくどの国でもこの地下鉄サリン事件を材料にしてテロ対策を作っているでしょう。なおこの後に確認されているバイオテロの実例というと9.11後にアメリカで起こった炭素菌事件が挙げられますが、実はオウムもこれ以前に炭素菌の生成、使用を試みていますがこれには失敗に終わっております。それにしても炭素菌の生成を行おうとしていたという点を鑑みれば、当時のオウムがどれだけ効力のある毒物に熟知していたかが窺えてきます。ついでに書くと、この炭素菌については事件後に世間を騒がせた上祐現ひかりの輪代表も関わっていたそうです。

 話は戻りそんな最悪の状況下かつ、よく練られた計画の上で行われたこの地下鉄サリン事件ですが、その被害は最初に挙げた膨大な数の被害者を出すなど非常に甚大でありました。しかしこの被害者数は事件の実態と比べると驚くべきほど小さい被害で済んでいると言われており、その陰には現場の方々の様々な努力があったとされています。この辺はウィキペディアの項目を私の言葉でなぞるだけなので、興味がおありの方は是非そちらもご参照ください。
 まず特筆すべきは医療機関の聖路加国際病院で、事件が発生するや直ちに外来の診察を取りやめて当時医院長で今もなお現役の日野原重明氏の指示により無制限の被害者受け入れを行い、医療救助活動の拠点となりました。ちなみにこの聖路加国際病院が何故あれほど大量の被害者を受け入れられたかというと、日野原氏が戦前の東京大空襲時の経験からいつでも大量の急患を受け入れられるよう常日頃から対策を行っており、果てにはチャペルまで状況に応じて病棟に変えられる設計を行っていたそうで、一部では老人の心配性とまで揶揄されていたそうですがこの事件時には日野原氏のそれらの対策が大いに生きました。

 また治療に使うPAMという薬品は常備数が当時は非常に少ない薬品であったため、使用ガスがサリンと特定されるや製薬会社の方たちが他地域で直ちに集め、新幹線にて片っ端から運んでは駅で同じ会社員が待ちうけどんどんと病院へ運んでいったそうです。さらに使用ガスの特定については、信州大学の柳沢信夫教授がテレビの報道を見て松本サリン事件の被害者の症状が酷似していることから治療法や対策を直ちに東京の各病院にファックスしたことにより、先ほどの薬品の確保、輸送へとつながったそうです。
 そして汚染された現場に対しては、先の阪神大震災でも活躍した自衛隊の、それも一番不必要だといわれ続けた化学系の専門部隊がなんと事件発生から29分後という素早さで出動し、現場の除染と被害者の救助活動を行っております。
 しかし救助面で唯一悲劇だったのは、こうした毒物への対策のない最も現場に近い警察官や駅員の方たちの犠牲です。彼らは防護服はもちろん対策すら知らない中で被害者の救助活動を勤め、幾人かの被害者は彼ら救助活動者の中から出ております。彼らの勇気と行動に私は今でも敬意の念を忘れてはいません。

 こうした各分野の方々の努力もあり、実際の現場では数多くの人たちが命を救われていったそうです。それでもこの事件の傷跡は深く、障害の残った方やPTSDを発症した方たちが今も残り、十年以上たった今でも私自身がこの事件を鮮明に記憶に残しております。
 この事件の帰結としてはかねてより関与の疑いのあったオウムへの強制捜査が事件二日後に行われ、関係者の自供などもあって詳細が明らかになり、教祖の麻原死刑確定囚の逮捕へとつながっていきます。また捜査が始まって以降は猛烈な報道合戦が行われ、これ以前の松本サリン事件と合わせて様々な問題が明らかにされていきました。特にこうしたカルト宗教に何故サリンの製造が行えるまでのトップクラスな秀才らが集まったのかが当時の若者の思想や生き方と合わせて様々に議論されましたが、私はこの点について今だからこそ再び議論を始めるべきだと思っております。ちょっとこの次の記事でその辺について書きますが。

 この事件が与えた日本全体への影響はすさまじく、刑法や死刑問題などこれ以前と以後で一気にひっくり返ったのではないかと私は思い、事実これ以降刑法は厳罰化の一途を辿っております。
 私としては社会全体の意識に与えた影響を大きく捉えており、前回の阪神大震災といい、次回にて解説する「90年代の終末思想」に強く影響を与えた事件だと考えております。この連載の最初の方に書いたように経済や政治的には97年が大きな転換点に当たる年だとすると、社会面ではこの95年が一つの転換点にあたる年に当たると思います。何が具体的に転換したかというと、それはやっぱり「平和」でしょうか。