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2009年3月24日火曜日

WBC、日本代表優勝

 もはや何も言う必要ないでしょう。本日の決勝戦を優勝し、ついにWBC日本代表は優勝を勝ち取りました。MVPは前回の私の予想とは違って岩隈選手ではなく松阪選手でしたが、今日の岩隈選手は本当にいい働きを見せてくれました。

 以前に朝日新聞に載っていたある記事で、野球というのは数時間の試合の中で面白いところはほんの数分しかない特殊なスポーツで、観戦を楽しむのに本当に忍耐を強いられるスポーツだとある評論家が書いていました。近年、日本の野球中継の視聴率は下がる一方で、巨人戦の視聴率低下が日テレの凋落(これまでフジテレビと激しい首位争いをしていたが、このところは下がる一方で万年二位)の最大原因とまで言われ、私の目にも野球を見る日本人は随分と減ったと思っていたのですが、この前の休日の午前に放送された試合での平均視聴率はなんと48.1%と実に日本人の二人に一人が見ていたという恐ろしい視聴率をたたき出し、やはりいい試合をすれば野球をみんな見るのだと実感させられました。

 そして昨日にも書きましたが、暗いニュースばかりのこのごろの日本で、こうした明るいニュースこそ本当に必要なニュースだと改めて思えてきます。今日対戦した韓国も九回に追いつくなどすばらしい健闘を見せ、まさに世紀の一戦と呼ぶにふさわしい試合内容でした。
 個人的には最後に阪神の藤川選手に締めてもらいたかったのが本音ですが、すばらしい試合を見せてくれた選手一同と原監督に対し、心からおめでとうとこの場で言わせてもらいます。

2009年3月23日月曜日

私選、WBC日本代表MVP選手

WBC準決勝 日本、米国に快勝 韓国との決勝戦へ(YAHOOニュース)

 あんまり期待しすぎるとよくないとは言いつつもやっぱり気になってテレビ放送は欠かさず見ていたWBCですが、日本代表は優勝候補のキューバとアメリカを打ち破り、とうとう明日の決勝戦出場を決めました。まずは健闘した日本代表と就任当初は日本シリーズで西武に負けちゃっていろいろ叩かれていた原監督に対し、心からお祝いを申し上げたいと思います。

 それにしても、前回の北京五輪での星野JAPANがあまり振るわなかったのもあったので始まる前は正直不安でしたが、きちんと原監督の構想通りに「つないで点を取る」チームに仕上げて(ホームラン数が極端に少ない)ここまで勝ち進めてくるとは立派なものです。唯一残念だったのは村田選手が前回の韓国戦で足を負傷してしまったことで、これまでの試合でも活躍されてきたのでぜひとも最終戦まで残っていてもらいたかったです。

 そこで今日はやや気が早い気もしますが、今大会での日本代表の最高殊勲選手ことMVP候補を、私の観点から独自に選んで見ようかと思います。
 まず野手で言えば、文句なしにヤクルトの青木選手が最大候補でしょう。今大会の打率は日本人選手の中では群を抜いており、しかもチャンスの場面に必ず答えては外野方面の守備でもミスがなく、勝利への貢献という意味では現時点で私が最も評価している選手です。
 次に同じ野手とくれば、守りの中心こと城島選手です。打撃面での活躍もさることながらいろんなチームから集まってきた投手たちを見事切り盛りし、守り勝つという日本の勝利パターンの最大の立役者でしょう。特に私がこの城島選手に感心させられたのは、アメリカでの試合が始まる前のインタビューにて、

リポーター「なんか試合が始まる前に、審判によく話しかけていますよね」
城島選手「試合が始まる前の一瞬に、審判の国の言葉で一言二言話しかけています。その時に審判がどういう態度を見せるかで、この審判は(日本と対戦国に対して)どっち寄りかというのを判断するんですよ。それを考慮に入れて、ストライクゾーンや投手の配球を組み立てています」

 と、こっちが見ていて気づかないところで如何に勝利に結びつけるかと、城島選手が常に試合を考えて行動していたという事実には素直に驚かされました。

 こうした野手たちに対して投手陣での最高殊勲者と言えば、もし私が挙げるとしたら明日先発予定の岩隈選手を迷わず挙げます。岩隈選手については楽天入団の際のエピソードから大した人だと思っていましたが、試合中継にて改めてその投球内容を見ると、こんな恐ろしい投手が日本にいたのかと、敵ではなくて心底ホッとする様なすばらしい投球ぶりでした。韓国との第二戦では敗戦投手となったものの取られた点数はたった一点で、しかも失点直後は確か1アウトで二、三塁残塁かだったのに、取られた点数を気にせず後続をきちんと打ち取って追加点を許さなかったというのは見ていて血の気が引きました。まぁそれを言えば、しょっぱなにいきなりホームランを打たれたにもかかわらずその後は失点を許さなかった、今日の松坂選手もすばらしかったのですが。

 ただこうした試合中に活躍した選手が評価されるのはもちろんのことですが、どうも報道や試合関係者たちの話を聞くと、私も大好きなソフトバンクのムネリンこと川崎選手の貢献も見逃すことが出来ません。なんでも原監督やコーチ陣によると、ベンチで一番声を挙げて応援しているのはこの川崎選手で、彼の応援する姿勢を受けてベンチメンバーもスタメンとともにチーム一丸になれていると、皆が皆で川崎選手の姿勢を口を揃えて褒め称えています。
 そんな川崎選手ですが今日の試合ではスタメン出場して見事活躍するだけでなく、試合後のインタビューにて「ベンチですべて試合に出てました」と答えるなど、あのおすぎが贔屓にしてするのもよくわかる選手です。自分もパワプロで川崎選手を贔屓にしてますが、別に私はオカマというわけじゃありませんからね。

 そういうわけで、泣いても笑ってもとうとう明日が決勝戦です。ここまで勝ち上がってこれただけでも十分に日本人として誇りに思えるチームですが、是非明日も奮起し、優勝を勝ち取ることを心から願っております。

2009年3月22日日曜日

議員の世襲は是か非か

 今日の記事は前回の「国会議員の世襲比率」についての記事にて公開した、私と友人が私的に作成した国会議員の世襲比率データについて解説を行いますので、必要に応じて前回の記事をご参照ください。まず結論から言うと、国会議員の世襲について私は世襲政治家の資質が整っているのならともかく、現状においては必ずしもそうは言い切れないことからあまりよいものとは思っていません。

【選挙 ウワサの真相】「民主も世襲が多い…らしい」苦しい言い訳、そして沈黙(MSN産経ニュース)

 上記にリンクを張ったニュースのように、総選挙が近いということから国会議員の世襲について各所より厳しい意見や批判が行われているのをこのところよく見ます。私自身も以前の記事で取り扱ったこともあり、そこで実態的にはどんなものなのだろうか、以前と比べて本当に世襲議員の割合が上がっているのだろうかという疑問を解くために今回調査を行いましたが、前回の記事でも言い訳してますが1986年の総選挙時のデータでは野党の議員を中心にネット上にほとんど情報がない議員が97名いたため、大きく結果が変化することはないと思ってはいますが厳密なデータとは言えません。しかし現役議員の結果については細かく個人ごとにネット上で公開されている情報を精査したので、誤差の範囲はあったとしても十人以下ほどの、厳密なデータであると自負しています。
 ちなみに、いろいろ調べていて一番面白かったのは山中貞則氏でした。

 こうして前回の記事のデータを出したわけではありますが、どっかのニュース記事に「世襲の割合は自民で四割、民主で二割」という事が書かれており、私の調査でもほぼそれに沿う結果となりました。こうしてみると確かに衆議院で議席の三分の二を占める自民党内の半分近く、最大野党の民主党内の五分の一の議員が世襲議員という、確率論から考えると議員になるには世襲という条件が大きいということがはっきりと言えます。
 ただこうした世襲の議員以上に、実態的には総理大臣の近年の世襲率の増加の方が問題的には大きいと見るべきかもしれません。戦後の吉田茂から昭和最後の首相の竹下登まで、地方議員を含めた世襲議員の割合は15人中5人の33.3%であるのに対し、平成に入ってからの宇野宗佑から現在の麻生首相までではこれが13人中10人、宇野宗佑、海部俊樹、村山富市をのぞくすべての首相が世襲出身で率にしてなんと76.9%と、もはやこれでは世襲がなければ総理にはなれないような恐ろしい数字となっています。しかも次の総理候補として名前の挙がっている中でも、与謝野馨氏は世襲議員ではありませんが、石原伸晃氏や石破茂氏、そして民主党の小沢一郎代表はすべて世襲議員です。

 もともと選挙という制度というのは一人の人間、一つの一族に権力を固定せず、その時々で民意を政治に反映させるための選抜制度として作られました。しかし日本に限るわけではありませんが選挙には非常に大量のお金がかかるため、支援者たちなどの応援が必要となってくるため、いわゆる「三バン」こと「地盤」、「カバン」、「看板」が不可欠となってきます。
 この三つの要素を世襲議員の場合は親から受け継ぐことで始めから持っており、非世襲議員と比べて非常に優位な立場から政治家生活をスタートできます。しかしそれゆえに本来は民意を強く反映させ、かつ候補者の中から最も優秀な人間を送り出すべき選挙において、必ずしもそうでもないとしか言えない様な議員を当選させてしまっているという現状が以前から指摘されており、特に安倍、福田と、二人とも世襲出身の総理大臣(福田氏については父親も総理大臣)が二人揃って政権を投げ出すなど、あくまで政権放棄は個人の問題ではありますが、現実に資質を疑うような政治家が総理にまでなってしまうところまでこの問題は深刻化しています。

 とはいえ、世襲出身だからといって必ずしも優秀でないかとは言い切れないところもあり、小泉元首相や石破茂農水大臣など私が高く評価している政治家もおり、また叩き上げでも武部勉氏みたいにあまり頼りにならないのもおり、世襲だからといって政治家になるなとは言い切るべきではないと思います。

「世襲禁止、マニフェストにしたい」 民主・鳩山氏(asahi.com)

 そういう意味で、世襲の完全禁止ではなく上記のリンクに貼ったニュースに書かれているような、民主党の鳩山幹事長が提唱しているような政治家の子弟に対して出馬への年数制限や同一選挙区の禁止などを盛り込むなど、一定の出馬制限をかけることが現状で最も理想的ではないかと考えております。
 あくまで選挙というのは、その時々で最も民意を反映し、かつ能力の優れた人間を議会へ送ることに意義があります。また一人の人間が政治上の問題すべてに対応できるわけなどありえなく、農業漁業ならその方面、内政外交ならその方面の出身や専門家が集まり、それぞれの立場からそれぞれの意見を議論することこそが政治です。それが世襲出身で占められるような、純度の高過ぎる議場で果たして対応できるのかということにもなり、言ってしまえば私は雑多な種類、出身の人間が集まって議論するカオスな議会こそが、議場の形としては一番望ましいのではないかと考えています。そういう意味で、世襲出身の議員が三人にひとりとなっている現状はどうにかすべきでしょうという結論に至るわけです。

2009年3月21日土曜日

国会議員の世襲比率

 昨日は久しぶりにブログの更新をサボってしまいましたが、それには実は深いわけがあり、今日のこの記事を書くための準備をひそかに友人と二人で進めておりました。その準備というのも、現役国会世襲議員の世襲割合を調べるという調査です。

 以前に私も行った田原総一朗氏の講演会で田原氏も、「現実に世襲出身の国会議員がこうも情けないんだから、議員の世襲について日本は考える必要がある」と言っていただけあり、このところニュースとか政治家の発言を見ているとこの国会議員の世襲が話題になることが増えているように思えます。
 特にここ最近のニュースだと、民主党の鳩山幹事長が世襲議員が続くことによって国会議員の役職が固定的になるとして、父親などがすでに国会議員に就いている人間が国政選挙に出馬する際、自分のように父親とは違う地盤からしか出馬できないように法律で制限すべきだという意見を出したことに、ネット上でも賛否が別れました。
 鳩山家は弟の邦夫氏は父親の地盤に近い東京から現在も選挙に出馬していますが、兄の鳩山由紀夫氏は前述の通りに、父親の地盤とは関係ない北海道の選挙区から初出馬して現在も続けております。

 以上にように、本来身分を固定させないために選挙という制度を設けてはいるものの、選挙運動の費用かかったり、政党内での候補指名過程などで徐々に日本の国会議員は世襲色が強まっているのではないかという意見が私見から言って徐々に一般世論の中でも高まっているのではないかと思います。そこで、じゃあ本当のところどうなんだということで、一つ世襲議員の実数を私が数えてみようじゃないかと調査を始めることにしました。

 基本的な調査概要は以下の通りです。

調査対象:現役衆議院議員、1986年時第38回衆議院銀選挙当選者
情報源:ネット上で主にWikipediaなどで公開されている議員情報
世襲議員の対象範囲:その議員と配偶者の三親等以内に国会議員、地方議員、地方首長のいずれかを経験した者がいる


 細かい調査内容を解説すると、調査対象に現役議員はともかくとして、1986年時の衆議院議員選挙当選者を比較対照に選んだのは、55年体制時と現在を比べるためです。
 次に情報源ですが、これはネット上で公開されている情報を元に判断しました。先に断っておくと、現役議員に関してはWikipediaに全員の個人ページがありましたが、1986年時の当選者については主に野党の議員を中心に97名の当選議員については全く情報がありませんでした。しかし親族に議員がいる場合は何かしら関連ページが作られている可能性があり、また世襲議員の多い与党の自民党ならともかく少ない野党に不明議員が多いということも考慮し、情報不明議員についてはすべて非世襲扱いにしました。

 そして肝心要の世襲議員の対象範囲ですが、これは祖父や叔父を含める範囲にするために三親等以内とし、また大物政治家の娘婿となって地盤を引き継いでいる例も数多いことから議員本人とその配偶者からと設定しました。なのでたとえば自民党の永岡桂子議員のように、世襲議員でなかった夫の後を継いで当選した方は世襲にはカウントせず、また大叔父が有名な後藤田正晴氏を大叔父に持つ後藤田正純氏もカウントしていません。そして前述の鳩山由紀夫氏も、地盤を変えているとはいえ国会議員であった父を持つことから世襲議員にカウントをしています。

 今回の調査は可能な限り実数に近づけるものの、「最低限、これだけ世襲議員がいる」というのを測るのを目的にしているために情報不明の議員はカウントしませんでした。また親戚に地方議員経験者がいるかどうかも詳細に調べればもっといるかもしれませんが、その点もあえて見逃すことにします。
 以上の点を踏まえ、早速結果をどうぞご覧ください。

・現役衆議院議員

    全議員数 世襲議員数 世襲率
自民党 304人 124人 40.8%  
公明党  31人  2人  6.5%
民主党 113人  26人 23.0%
共産党  9人  1人 11.1%
社民党  7人  0人  0.0%
その他  16人  9人 56.3%
総合計 480人 162人 33.8%


 まず全体結果から見ると、世襲率が33.8%なので国会議員の三人に一人は世襲議員だということになります。そして政党別で見るとやはり圧倒的に自民党の割合が高く、次いで民主党が高くてほかの政党にはほとんどいないということになります。。
 なお「その他」の属性には無所属議員や国民新党といった、自民党から出て行った渡辺喜美議員のような議員が多く入っているので、少ないながらも世襲議員が多くなるという結果となっています。

 これに対して、1986年時の当選議員の世襲割合はどんなものでしょう。

・第38回衆議院議員選挙当選議員

    全議員数 世襲議員数 世襲率
自民党 302人 128人 42.1%
社会党  89人  6人  6.7%
民社党  26人  6人 15.4%
公明党  56人  0人  0.0%
共産党  26人  0人  0.0%
その他  13人  6人 46.2%
総合計 512人 144人 28.1%

 
 こうして比べてみると、与党自民党内だけの世襲割合は以前の42.1%から現在の40.8%で、増えるどころか減っているということがわかります。ただ現在の衆議院議員は2005年の9.11郵政選挙で主に選出されていることもあり、当時に大量に当選した一年生議員こと小泉チルドレンの影響も考慮し、現役自民党議員の中から一年生議員を差っ引いて改めて世襲率を計測したところ42.5%と、思った以上に世襲率は伸びたりしませんでした。いちおう一年生自民党議員の中でも世襲率を測ると36.1%でしたので、さもありなんです。

 とはいえ全議員の割合で見ると28.1%から33.8%と有意に増えており、この増加分は野党民主党の世襲率が増加しているということが原因でしょう。ただ1986年時の野党はほぼすべて左派であるのに対し、民主党が右派であることを考えたら一概に野党の中で増えたとは言い切れないところもあり、このデータ上ではっきりといえるのは左派政党は世襲の割合が低いということくらいでしょう。また何度も言いますが、1986年のデータは情報不明議員が97名もいることからこの世襲率の割合は実態より幾分低くなっている傾向があります。まぁ変動するとしても3%以上も増減することはありえないと思えますが。

 という感じで、全体では増えているものの自民党内ではそれほど世襲議員は増えていないというのが私の今回の調査の結論です。さすがにいろいろとやって疲れたので、細かい解説などはまた明日に書きます。

2009年3月19日木曜日

外国人への間違ったイメージ像について

 現在ではインターネットが発達し、たとえ現地に行かなくとも海外の事情や情報も簡単に入手できる時代となりましたが、ほんの十数年前はそうした外国の情報というのはやはり限られており、そのため外国人に対して実態とは異なったイメージを日本人全体で持つことも少なくなかったと思います。
 特にこれは外国人のイメージに限るわけじゃないですが、人間というのは「複雑だけど真実に近い情報」よりも「簡単だけど真実に必ずしも近くない情報」の二つを与えられると、やっぱり簡単そうな後者の情報を受け取りやすい傾向が多く、とっつきやすい情報から自己の中で物事を組み立てていってしまいます。

 そんなもんだから昭和末期から平成初期に至るまで、特に子供たちの間では国によってはとんでもないイメージを持っていたところも少なくなかったように思えます。そしてそれらのとんでもないイメージというのは彼らにとってとっつきやすいところこと、漫画やゲームから作られていました。そこで今日は、そうしたとんでもないイメージを作ってしまったのではないかと私が考えるキャラクターたちをいくつかここで紹介しようと思います。

1、ラーメンマン(筋肉マン)
「中国人って言ったら、辮髪だろ」

 すいません、本当にこんなことを小学四年生くらいまで私は信じていました。
 さてラーメンマンといったら漫画「筋肉マン」の正義超人たちの中でも随一の技巧派で、その人気ゆえに「闘えラーメンマン」という独立した連載まで作られた人気キャラです。そんなラーメンマンの特徴ですが、まず第一にその辮髪。長い髪をお下げにして垂らす満州人独特の髪型ですが、中国なんて当時はそんなに行き来する人も今ほど多くなかったから普通にこういう人たちはまだいるんだと私も子供の頃は信じていました。

 この辮髪もさることながら、ラーメンマンが強烈な印象を残したゆえに日本人のイメージに焼きついているのはその顔の特徴の「糸目」、「ちょび髭」でしょう。実際の中国人、それも北方の人は日本人並に目の大きな人もいるのですが、やっぱり今でも漫画とかで描かれる中国人は細目にかかれてしまっています。まぁ地域によっては決してはずれじゃないんだけど。
 そしてこちらは逆に廃れてしまって今じゃジャンプで連載中の「銀魂」の神楽しか言いませんが、セリフの語尾に「~アル」とつくように中国人が描かれたのも、このラーメンマンのせいでしょう。なんで作者のゆでたまご氏がこんな口癖をつけたのかはわかりませんが、昔に友人が言っていたこの「~アル」の語源は、戦後日本に不法入国してきた中国人は大抵が麻薬の密売人で、慣れない日本語で「麻薬アルヨ」と言っていたことからだという、ちょっと信じたくなるような冗談みたいな説を紹介してくれました。

2、ダルシム(ストリートファイター2)
「ヨガをすれば、手足が伸びて火を吹ける」

 何をどう解釈してカプコンはこんなキャラクターを作ったのかまではわかりませんが、さすがにこんな奴はいないだろうと思いつつも、ヨガというのは底知れぬ修行をするのだろうと子供心に畏怖していました。
 インドも私は言ったことがありますが、まだあまり日本人が行かない国ということでとにかくインド人は不思議人たちなんだと、大人はわかりませんが当時の日本の子供たちはみんな信じていたと思います。どうでもいいですが、初期のシリーズでヨガテレポート中に気絶させたら画面からダルシムが消えるという現象がありました。

3、マザーのキャラたち
「アメリカはこんな国なのか……」

 任天堂の名作「MOTHER」シリーズですが、言わずもがなでこのゲームはアメリカの田舎町を舞台にしていますが、小さい頃にこれをやった私は非常にアメリカは恐い国なんだなと思いました。
 というのも主人公の初期の武器が「ボロのバット」で、出てくる敵は「おにいさん」とか、「おじさん」、果てには「ゾンビ」などと、身近過ぎてかえって不気味だと思えるような敵キャラをバットで次々と撲殺する光景を想像してはアメリカは恐いところだと思い、絶対に行くもんかと心に誓っていました。

4、シャーロックホームズ(ファミコンのゲーム)
「イギリス人は地下に入ったり、蹴ったりするのか」

 これも子供の頃に遊んだファミコンのゲームですが、主人公のシャーロックホームズがいきなりノーヒントでロンドン中を走り回り、通行人へ脈絡なく蹴り攻撃を放っては金を奪うという破天荒な内容でした。ちなみにプレイステーションの伝説的なクソゲーの「ノットトレジャーハンター」でも主人公のイギリス人は蹴り攻撃がメインでした。イギリス人紳士は手を振り上げないのだろうか。

WBCの日本代表と原監督について

 現在行われている野球の国際対抗戦ことWBCにて、本日のキューバ対日本の試合は見事日本は勝利を飾ることが出来ました。前回の韓国戦で敗北したことで、「さすがに二度もキューバには勝てないだろう」というあきらめムードの中でさすがは仙台の「理想のお父さんランキング」で一位を取った岩隈投手、ここぞというところで完璧な投球を見せていただき、あの強打のキューバ打線を見事交代した杉内投手とで完封に抑えてくれました。
 実際の試合を私はリアルタイムで見たわけでなくニュースでのVTRだけですが、本人も言うだけあって今日の岩隈投手のフォークは恐ろしくキレていて、怪我さえしなければという評判通りの大エースぶりでした。

 さてそんなWBCですが、今日はようやくヒットが出ましたがここ数試合のイチロー選手の不調ぶりに原監督はともかく周囲は厳しく見ていたようで、なんでも「イチローを使うな」という手紙や意見があちこちから寄せられていたそうです。
 私が思うに、ここ一週間ほど原監督にとってはそうした周囲の声との板ばさみで相当大変だったんじゃないかと考えています。というのも明らかにイチロー選手は不調ではありましたが、ここでスタメンから外してもしその試合で負けようものなら、「イチローを使わなかったから負けたんだ」と言われ、逆に今日の試合みたいにスタメンで使ってまたもノーヒットで負けてもいたら、「あんだけ不調のイチローをなんで代えなかったんだ」と、こっちでもあれこれ文句を言われていたと思います。

 そういった状況の中で、あくまでイチローを固定し続けた原監督の胸中はいろいろ複雑であったのではないかと想像し、それだけに今日の勝利は日本人として喜ぶ一方、原監督に対して「本当によかったね」と、ほっとした気持ちを強く覚えました。前回の北京五輪での星野監督もそうでしたが、チームの全責任を担う立場ゆえにいろいろと気苦労が見ていて多いのではないかと心配しています。
 思えばこのWBCが開催される以前も、選出されたメンバー中に巨人の選手が最多であったことからある週刊誌などは「自チームへのえこ贔屓だ!」などと強く批判していましたが、この点も私は致し方なかった決断だと考えています。というのもプロ野球チームは今はどこもキャンプのシーズンで、この時期に主力選手がチームを離れてWBCに参加するというのは選手個人の調整はもとより、チーム全体でも相当な悪影響を及ぼすことはまず確実です。おまけに前回のWBCでソフトバンクの川崎選手に起こったように、もしも試合中に選手が怪我などしたら所属チームはたまったもんじゃないでしょう。

 これがまだ非現役の監督であるのならまだしも、今回の原監督のように現役監督であればそのような問題が起きれば陰謀論とか責任論が大きくなるのは目に見えています。そのため選手離脱による他チームからの批判を受けないためにも、手本とする形で巨人の選手を一番多く招集したのではないかと私は思い、またもしこのような決断であれば見事な決断だとも思います。

 とはいえ今日の勝利といい、今大会の模様は不況で暗いニュースばかりの今の日本にとって数少ない明るいニュースで、今日もネット速報で日本の勝利が伝えられるや私と私の周囲にいた人間もみんなで大喜びしました。社会というのは、特に現代のように情報伝達が早い時代において流通するニュースが明るいか暗いかで大きく性格を変え、私も連載で紹介した「失われた十年」においては暗いニュースが蔓延したことが経済的にも社会的にも目に見える形で日本人は余計な損失を出してしまったような側面もありました。
 そういう意味で、今大会は久々に日本人を元気付けるいい契機となっており、一日本人として明日の勧告線を含めて強く応援して行きたいと考えています。とはいえあんまりにも期待をかけ過ぎて負けてしまった場合に強く批判するのはよくないので、冷静さと落ち着きを持って日本人には熱烈に応援してもらいたいと思います。

2009年3月18日水曜日

満州帝国とは~その六、満州事変

 本当は昨日に腹をくくって書こうと思っていたのですが、件のFC2の件(まだ解決していない)で書く時間がなくなり今日になってしまいました。
 そういうわけで、本連載の折り返し地点でありながら前半の最後を飾る、満州帝国の発足に至らせるために起こされた、近代日本史上でも非常に重要な事件である満州事変を今日は解説します。

 既にこれまでの連載で説明しているように、日本は日露戦争後に帝政ロシアが中国から許可を得て経営していた東清鉄道とその鉄道周囲の付属地の権利をそのままを譲り受け、中国東北部において他の列強を排して満州鉄道を大動脈とするほぼ独占的な権益を確保しました。しかし中国東北部こと満州にて大きな権益を握ってはいたもののあくまで保有していた領地は鉄道付属地のみで、世界恐慌の影響を受けて国内でも大きな経済的混乱状態にあった日本政府や日本陸軍はかねてより、この際鉄道付属地だけとは言わずに満州全土を占領するべきという野心を持っていました。

 そうした野心はこの満州事変以前にもあり、日本政府や軍は大陸浪人や清朝の再興を願う旧臣などと同床異夢ではありながら協力して満州全土の支配を画策したり、満州地域で力を持った軍閥を応援することで自身の権益の拡大を図ってきました。そんな中で日本陸軍、というよりも満州鉄道の守備隊として設置され、その後対ソ国境部隊としての役割を持ったことから軍備の増強を受け、当時の日本国内で最強との呼び声の高かった関東軍の中では、より強行的に軍事力で持ってねじ伏せて満州支配を実行に移すべきとの意見が支配的になってゆき、そのような考えが初めて目立つ形で実行されたのが前回に取り上げた張作霖爆殺事件でした。

 これまで応援してきた仲とはいえ、徐々に関東軍の意向に従わなくなってきていた軍閥の長である張作霖を爆殺してより日本に協力的な人間を担ぎ出そうと実行したこの策でしたが、事態は皮肉にも張作霖の後を継いだ息子の張学良は日本に対して一層態度を硬化させただけでなく、当時北伐中の蒋介石に降伏したことで混乱の続いてきた中国が徐々に安定していく兆しを見せる事態とまでなりました。

 恐らく当時の関東軍においてはそうして中国が安定を取り戻すことで、日本が満州に進出する機会が徐々に失われていくのではないかという焦燥感があったように私は思えます。そんな状況下で、1928年に満州事変の主役とも言うべき石原莞爾が関東軍に赴任してきたのはある意味皮肉な運命だといえるでしょう。
 かねてより自説である最終戦総論にて将来日本がアメリカと戦うために、中国全土の占領と統治が必要だと考えていた石原は上司である板垣征四郎らと密談を重ね、意図的に満州地域を攻撃、占領する口実を作り出した後に清朝最後の皇帝である溥儀を担ぎ出し、満州を中国から切り離す形で傀儡政権を独立させるという計画を編み出しました。

 その計画は奉天(現在の瀋陽)近郊の柳条湖にて、1932年9月についに実行されました。この柳条湖を通る満州鉄道を関東軍が自ら爆破し、これを張学良軍の仕業と断定して自衛行動として張学良軍を攻撃し、そのまま各都市の占領を一挙に推し進めていきました。これらの行動を関東軍は「自衛行為」という主張で行いましたが実際には一方的な攻撃に過ぎず、本来このような軍事行動は政府、ひいては天皇の認可を受けねば実行してはならないために当時としても明らかな法令違反ではありました。
 事実、事件勃発直後に政府は戦線の不拡大方針を取り、後に総理にもなる幣原喜十郎外務大臣も方々に事態の鎮静化を図るも、当時朝鮮に駐屯していた林銑十郎に至っては部隊を勝手に動かして満州へと越境行動を起こすなど、関東軍らは政府らの命令を全く無視したまま軍事行動を拡大していきました。

 では何故当時の政府はこうした関東軍の行動を食い止められなかったのかですが、私が一つに考える背景として当時のテロリズムの風潮が政府首脳に二の足を踏ませたからではないかと思います。
 五一五事件や二二六事件はこの後の話ですが、満州事変の一年前には浜口雄幸が銃撃されており、さらには満州事変の約半年前には陸軍の橋本欣五郎が三月事件という事件を未遂には終わりましたが計画していました。この三月事件の概要はウィキペディアをみてもらえばわかりますが、陸軍が各政党本部を始め政治家を襲撃した上で軍主導によるクーデターを起こすという内容で、決行直前に陸軍首脳へと計画が漏れたことで計画者らが説得を受ける形で取りやめとなった事件です。

 しかしこの三月事件の最大の問題点だったのはなんといっても、クーデターを計画していた橋本欣五郎を始めとした人物らが全く処分されなかったことです。そのため彼らは満州事変に呼応する形で日本国内で首相らを暗殺した上でクーデターを起こすという十月事件を、こちらも決行直前に計画が漏れて今度は憲兵隊によって首謀者らが捕まるなどして中止されはしましたが、同じようなクーデター計画を作られる事態を引き起こしてしまいました。

 こうした、政府が意に沿わぬものならテロやクーデターによる強硬手段によって引っくり返してしまえと言わんばかりの強行的な軍の動きが、政府首脳らに満州事変での軍の暴走を抑えるのに二の足を踏ませたのではないかと個人的には思います。どうも十月事件に至っては首謀者たちは元から実行するつもりはさらさらなく、そうした意識を政府首脳に植え付けさせるのが目的だったという説もあったようですし、だとすれば既にこの時点で日本の統治や運営は日本軍に握られかけていたといっても過言ではないでしょう。

 こうした日本の動きに対し中国側はどんな対応を取っていたかですが、当初張学良軍は下手に反撃をすればより日本に侵略する口実を与えると考えて一切の対抗手段を取らずにいました。この時の決断について後に張学良氏は、まさか関東軍がその攻撃を満州全土にまで広げるとは考えていなかったと述懐していますが、張学良氏がこう考えるのも無理ではないと私は思えます。それだけこの時の関東軍の行動は一切の法律、果てには当時の世界情勢を無視した暴挙であったからです。

 またこの満州事変時、かつて歴史の闇に葬られた男が再び歴史の表舞台に現れております。何を隠そうあの甘粕事件の犯人で、後に満州の夜の帝王と呼ばれることとなる甘粕正彦です。
 彼は甘粕事件後に陸軍によって表世界から遠ざけるようにフランスへと留学させられ、事変の前には満州にて陸軍関係者らと関係を作っておりました。そして最初の柳条湖事件が起こるや甘粕正彦は奉天から遠く離れたハルビンにある日本総領事館へ自らの手下を率いて爆弾を投下し、これをまた中国人の仕業として当初南満州のみであった騒動を北満州まで、つまり満州全土に対して関東軍が行動を起こす口実を作っており、日本国内にいた軍人もこの時の甘粕の活躍を高く評価しておりました。
 その甘粕は事変が拡大していく中、満州にある湯崗子という地へと1931年11月に訪れます。そしてこの地にて、既に天津を脱出してきていた清朝最後の皇帝の溥儀を迎えることで、中国の歴史上にも大きく名前を残すこととなりました。

 続きは次回にて、満州国建国へ過程とともに解説します。