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2009年11月16日月曜日

新型インフルエンザについて

 今年のユーキャンが主催する流行語対象の候補が先日発表されましたが、私の目からするとそのどれもが流行したと言えるのか、ちょっと微妙なものばかりだったような気がしました。この前に見た音楽CDの売上げが十年前の何十分の一になっているというニュースを紹介していた掲示板にて、塾講師をしている人が最近の小学生の間で流行歌がないと言っていましたが、なにか一つのものに全体が食いつくというものがこの流行語においても年々なくなっているような気がします。

 それはともかくその流行語の候補の中に、「パンデミック」という一語も混ざっておりました。この言葉の意味する所は言うまでもなく新型インフルエンザの大量感染のことで、毎年のインフルエンザ感染者数のピークは12月から1月にかけてに現れるところ、今年は10月の時点で例年のピーク時の感染者数を超えているそうです。あまり周りで観戦したという話は聞かないけど、それだけ流行っているのかなと私は思っていたら……

感染してました( ;´Д`)

 一昨日から発熱して昨日はそれこそブログもかけないくらいに衰弱し、熱が大分下がった今日に病院に行ってみたら案の定A型だと医師に診断されました。今日なんか咳が出るくらいでまだ元気ですけど、昨日は38度後半まで熱が出た上に文字通り布団から起き上がることもままなりませんでした。
 人生、他人事だと思っていたら自分の身に降りかかってくるとはこういうことだと思い知らされました。なお周りからは自宅謹慎を言い渡されましたが、多分家にいる分には元気なのでブログは明日からも書き綴っていくと思います。

2009年11月14日土曜日

エキサイトステージ95について

 現代のサッカーゲームとくれば「ウイニングイレブンシリーズ」が来るでしょうが、私の中では未だに今回のお題となっている「エキサイトステージ95」が挙がってきます。

 このエキサイトステージシリーズはスーパーファミコン発売されていたサッカーゲームなのですが、具体的に何がよかったのかといえばあまりにも大味なゲームシステムにあったと私は思います。どのくらい大味かって言えば、まず真っ先に上がってくるのがボールカットです。

 通常のサッカーゲームではショルダータックルに対してスライディングタックルを用いるとファウルを取られる可能性が高いのですが、それがこのエキサイトステージでは何故か逆で、よっぽど真後ろからやらない限りはファウルを取られないスライディングタックルに対してショルダータックルだとどこからでも容赦なく取られます。
 しかもそのショルダータックル、見た目はまるで格闘ゲームにてよく使われる「鉄山靠」そっくりで、使われた相手選手の方も鈍い殴打音と共に文字通り吹っ飛びます。吹っ飛んだ選手は倒れてしばらく動かなくなるので、威力もばっちりです。

 またスライディングタックルの方も癖があるといえば癖があり、基本的にこのゲームはボールを持っていない選手だろうが味方だろうかいくらでもタックルをかけることが出来、よく二人協力プレイの時はボールを持っていない片方が相手チームの選手にスライディングタックルをかけることで足止めを図っていました。なおその協力プレイ時に一番悲惨なのは、間違えてボタンを押す事によって味方にショルダータックルをかけることです。味方だといくらやってもファウルは取られませんが、後々その友人との争いの種になることは間違いありません。

 そんな大味なシステムゆえに初心者でも入りやすかったゆえか、私はこのゲームをよく友人と一緒にいつも遊んでいました。一応このゲームもサッカーゲームらしくフォーメーションなどもいじくれるのですが、無駄にゴール前に一人だけスイーパーを置いて、残り九人を真ん中一箇所に集めて正方形を作るというフォーメーションを取った所、ボールを持った相手選手へこの九人がぞろぞろと駆け寄ってくるので無駄に恐かったです。

 基本的にその友人とプレイするときに操作するチームは決まってヴェルディ川崎で、相手チームには何故か柏レイソルを選んでいました。当時のレイソルには「カレカ」という選手がおり、毎回の如く彼にゴールを決められて負けていたので未だにレイソルには素直な気持ちになれません。逆にヴェルディはいっつも選んでいたのもあり、例え弱くなった今でもその愛着は変わりません。
 ただこのヴェルディでプレイしてるとき、ビスマルクが放ったシュートがゴールキーパーを抜けてゴールに入るかと思いきや、何故かゴール前に中澤が立っていてボールにちょんと触れることで自分のゴールとした珍プレイが起こりました。しかも一試合で二度も。

 それ以来我々のプレイ時には中澤の事を「デビル中澤」と呼び、彼がファウルをするたびに「さすがデビル、一味違うなぁ」などと言っては盛り上がっておりました。

  おまけ
 以前に同じアパートの友人が、上の階の後輩達が夜中中ウイニングイレブンを遊んでいたために注意しに言ったと話したので、後日その後輩らを読んで軽く注意したときがありましたが、何でも前日から朝六時まで延々と盛り上がっていたらしく、しかもそのまま一限の授業に行った奴までいたと聞いて、つくづくウィニングイレブンは危険なほどハマるという噂は本当だったと確認したことがありました。

犯人逮捕におけるテレビの貢献度

 以前に北野武氏の番組内にて、こんな発言がありました。

「昔は誰もがみんな銭湯に通っていて、そこで貼られている指名手配写真を毎日見ていた。それだからこそ犯人を見つけるのに効果があったが、今の時代では銭湯にそんな写真貼ってもしょうがない。それだったら時間を決めてテレビで一日一回でも、指名手配の人間を映したらどうだ?」

 確か犯罪に関する議論でこういう話が出てきたのだったと思いますが、図らずも今回のイギリス人女性死体遺棄容疑の市橋達也容疑者の逮捕の経過を見るとまさにその通りだと思わせられる発言です。今回の市橋容疑者の逮捕の決め手はなんだったかというと、市橋容疑者が顔を整形した整形病院から提出された整形後の写真がテレビにて報道されたことで、この報道にて公開された写真を見てかつて市橋容疑者が働いていた土木事務所の同僚らが通報した事に尽きます。何も今に始まった話ではありませんが、今回も改めてテレビが持つ力のすごさを思い知らされました。

 それこそ今後、毎日十一時半くらいに現在指名手配されている容疑者の写真とその事件を紹介する時間を五分程度設けて詳細をネット上で解説すれば、指名手配容疑者の検挙率は上がっていくのではないでしょうか。確かアメリカだったと思いますが実際にそういう番組があるらしく、そこでは容疑者に掛けられた懸賞金と共に紹介されているそうです。

 最後に、今回市橋容疑者にかけられた懸賞金額は上限が300万円の所を特例として1000万円に設定されていました。これについてはリンク相手のアングラ王子さんの記事に詳しいですが、事件がイギリス人女性の殺人事件であったがゆえの特例だと私も思います。東電OL殺人事件といい、日本もあながち人種差別を笑ってられない国だとつくづく感じます。

2009年11月13日金曜日

凋落する野党自民党

 今日時事通信が発表した調査結果によると、現鳩山内閣の支持率がこれまでの高い水準が落ちて未だ過半数は得ているものの54.4%であったそうです。この急落の原因として挙げられたのは普天間基地移転問題といったかねてより懸案とされていた防衛、外交の分野において腰の据わらない態度を見せたほか、マニフェストにて即刻廃止するとしていた案件に対してすぐに廃止が出来ず曖昧な対応を見せていることが指摘されていましたが、私もこの指摘の通りに国民が厳しい目を持ってきたがゆえの結果だと見ています。政権発足から二ヶ月後には下手すれば過半数を下回るかもしれないとも考えていたので、少なくともそこまで事態を悪化させなかった点は民主党の努力の結果と見てもいいかもしれません。

 政権発足当時、これは各評論家らが口並み揃えて言っていた事でしたが、民主党は選挙期間中にあれだけ大盤振る舞いのマニフェストを掲げたのだから全部を実現するのは不可能だとしても、何かしら目玉の政策を確実に実現させなければ政権を維持できないと言われていました。そんな選挙から二ヶ月以上経った現在の所、最も選挙期間中に目玉政策として挙げられていた子育て支援や学費無料化、派遣法の改正から高速無料化は実現どころが全く見通しが立っておりません。

 しかしこれら目玉政策の実現の目処を立たせることこそ出来なかったまでも、前原国交相が思っていた以上に活躍してくれたと言うべきか、八ツ場ダム事業の停止や空港行政の転換などはっきりと政権が変わったと、国民が実感させるような発言や主張を行ったことが支持率の過半数割れを防いだのではないかと見ています。逆に前評判が最も高かった長妻厚労相はインフルエンザ対策などによって本業の年金問題に手をつけられなかったのが響いたのか、むしろ批判の対象となってしまいました。

 このような民主党に対し、野党となった自民党の方はより深刻な状況になってきていると言わざるを得ません。先月に臨時国会が開かれて国会での応酬も行われるようになったにもかかわらず、メディアにて自民党が取り上げられる回数はほとんどなく、その存在感の低下はいくら野党転落といっても目に余るほどです。
 それこそ同じ野党であっても、野党時代の民主党はまだ議員らがテレビ番組などで意見を主張したりすれば政策に対する党首のコメントなどがまだ報道されていましたが、目下の所自民党党首の谷垣氏のコメントがメディアに取り上げられ場面を目にするなんて皆無に等しいです。

 では民主党に突っ込みどころがないのかというと、そういうわけでもなく今回支持率低下の原因となった政策のブレなど、現在開会中の国会で追及する材料には事欠きません。特に私が問題視しているのは選挙前に約束しておきながら全然実現できないどころか、むしろ逆の立場を取り始めた「官房機密費の使途公開」と「記者クラブ制度の廃止」です。どちらも詳しく内容を説明しませんが、意見をひっくり返すとは何事だなどと何故自民党は批判しないのかと思いますが、これの答えというのは簡単で、そういった問題のある政治的行為をこれまで行ってきたのがほかならぬ自民党だったからです。

 先月の予算に対する自民党の谷垣氏の鳩山首相への質問でもそうでしたが、こんな借金まみれの予算を作ってどうするのだと問う谷垣氏に対して鳩山首相は、これまで自民党が借金を積み重ねてきたせいでこんな予算を作らざるを得なくなったのだと言い返しましたが、この応酬では私は鳩山氏に分があると見ました。
 このように自民党はこれまで政権を握って政策を行っていたがゆえと言うべきか、与党となった民主党の政策や方針転換を批判しようものならすぐさまその批判が自分に帰って来てしまう状況にあると言っていいでしょう。現在の普天間問題もこれまで沖縄にある米軍基地移転を先延ばしにし続けてきた自民党に原因があると私は考えており、むしろ民主党になってアメリカ側が譲歩する姿勢を見せるようになった点は評価していいと思います。

 結論をまとめると、今の自民党は与党を批判するにも批判する事が出来ず、メディアに取り上げられないばかりか世間の注目も日に日に薄れているという非常に危険な状態にあるというのが私の意見です。それこそ民主党が自分で大ポカをしない限りはどんどんと先細っていく一方で、何かしら独自の立場や論争を起こさなければますます党員離れを起こすかと思われます。中川秀直氏も不穏な動きを見せているし。

 最後に与党民主党について、この前から始まった無駄な予算かどうかを見極める「事業仕分け」という公開討論はメディアを見る限りなかなか好感を持って受け入れられているように私は見えます。私から見てもどうしてその予算が必要で、逆に必要でないのかを意見を出し合うというのは見ているが分からして分かりやすく、審議時間が一時間で少なすぎるという身内からの批判もありますがこれまで長く話し合っても結論がまとまらなかったことを考えるとかえってこの一時間という区切りはよいのかと思え、目下の所高く評価しております。

 またこれは今日出たニュースですが、自動車税と自動車重量税を一つの税にしてまとめるという案が審議に入ったようです。前者は地方で後者は国と税金の納付先が異なりますが、わざわざ二つに分けるのも手続きが面倒になるだけなのでこの一本化も私は支持します。
 それにしても、車といったら未だにダイハツのコペンを買おうかどうか悩んでいます。むしろ私より広島に左遷された親父の方が欲しがっており、しきりに「祐、買わへんのか?」と聞いてくるのでひとしおです。

2009年11月12日木曜日

○○が嫌いな○○ランキング

 毎年週刊文春では「女が嫌いな女ランキング」という特集記事を組んでおり、今年はお騒がせ女優として名を馳せた沢尻エリカがぶっちぎりで一位の栄冠に輝いたそうです。かつてのこのランキングでは佐藤玉緒がいつも一位で、2005年くらいの二位には私も大好きな井上和香も入っていたのですが、嫌われていながらもまだ話題に上げられるだけよかったのだなと今になって影が薄くなった子の二人を見るにつけ思います。ちなみに井上和香の嫌いな理由として、「あの唇がマクドナルドのキャラクターにそっくり」というのには私も深く納得させられました。

 さて今日はそんなこのランキングについて思いにふけっていると、案外身内のランキングというのはいろいろ面白いのかもという気がしてきました。以前にロンドンブーツの番組でも、出演するお笑い芸人たちに共演者の中から好きな芸人と嫌いな芸人をアンケートで書き、本人らの了解を取らずにいきなり実名で公表する企画があってなかなか笑わせてもらったのですが、やはり芸人達だと自分ら視聴者と見方が違うのだと話を聞くたびにいろいろと思わせられました。
 確かそのときに「好きな芸人」として複数票が入ったサンドウィッチマンのツッコミの投票理由というのも、「芸に対する態度が常に真剣」、「いつも向上心を持って芸を磨いていながら、周りへの気配りがすごい」などと、内輪ネタではありますがなかなか見直させられました。

 ではもしこういうランキングをやるとしたら他にどんなものがあるのか、そう考えたときに私の中で真っ先に出てきたのが何故か「力士が嫌いな力士のランキング」でした。仮にやるとしたら嫌いな理由に、

「土俵際の粘りがしつこい」
「張り手ばかりで痛い」
「立会いの変化が多すぎる」

 などと言った理由がいろいろと出てくるのではないかと思って独りでに悦に入ってしまいました。でももしこれを実際にやるとしても、きっとトップは間違いなく朝青龍なんだろうなぁ。嫌いな理由には沢尻エリカ同様に、

「実力はあるけど態度がふてぶてしい」
「しょっちゅう問題を起こす」
「取り組みでよく怪我をさせられる」

 なんて書かれるんじゃないかと思います。

2009年11月11日水曜日

新聞業界における拡張について

 随分と久しぶりにこの「新聞メディアを考える」のカテゴリーを用いますが、今日は私が新聞業界において最も問題性があると感じられる「拡張」について、私の知っている内容を紹介しようと思います。

 拡張と書くと新聞社が一体何を拡張するのかと感じられるかもしれませんが、これは言うなれば新聞購読の勧誘のことで、よく一人暮らしとかしていると夜中にやってくるあれです。こうした新聞の新規購読を促す営業の事を新聞業界では「拡張」と呼ばれ、この営業を行う人員たちも「拡張員」と周囲から呼ばれております。
 こうした拡張が何故行われるのかといえばそれはやはり新規契約を得る事によって購読者数、ひいては新聞の販売収入を増やす事が目的とされているのですが、現在に至ってはそのような目的はほぼ有名無実と化しており、新聞業界のチキンゲームのような様相を為しているのが実態です。 

 具体的にこの拡張で何が問題なのかといえば、新規購読契約者に対する見返りです。こうした新聞の勧誘を受けた方なら分かると思いますが、大抵どこの新聞社も契約を条件に洗剤やら野球のチケットを新規契約者に見返り品としてくれます。こうした見返り品は通常「拡張材」と呼ばれて拡張員が申請することで新聞社本社やその支部が購入して拡張員へと配布されて使用されるのですが、一体それらの見返り品がどれだけ購入されてどれだけ部数の増加につながっているかという具体的なデータは新聞各社からは公開されておりません。

 というのも基本的に拡張員は各新聞販売店の従業員が兼ねる事が多いのですが、そうした拡張員が見返り品を本来の目的である販売拡張には使わずに、そのまま金券ショップなどに持っていって自分の懐に入れてしまうといった問題のあるケースが非常に多いからです。これはこの前に友人に貸してもらった「メディアの支配者」(中川一徳著)にて紹介されている事件ですが、以前にそうした見返り品の申請を拡張員から受けて発注を行っていた支部の責任者が、自らの権限を使用する事で新聞社(産経)に金券を大量に購入させる傍から換金し、なんと数千万円にも及ぶ金額を横領していたという事件もあったそうです。無論それらの経費は新聞社が最終的に引き受けることとなったのですが、そうした経費は経営維持のために周りまわって購読者への新聞販売価格に影響することになります。

 このようなとんでもない額とまでいかなくとも、関係者などから話を聞くとみんな多かれ少なかれこのような横領をやっているそうです。またこうした横領に留まらず、見返り品が配られる対象にも大きな問題が潜んでおります。
 新聞は基本的にどこも三ヶ月契約から行えるのですが、契約の度に見返り品がもらえるという事もあって中には見返り品をもらう為だけに意図的に契約を三ヶ月ごとに更新する方も少なくありません。それに対して以前からずっと同じ新聞を購読している人間はというと毎月購読料を払っているにもかかわらずそうした見返り品をもらえることは一切なく、この構図は言い換えるとずっと購読している人間の払う購読料によって得た収入で、新聞社はころころと契約を変える人間に対して見返り品を購入してあげているという構図になります。

 業種こそ違えど、携帯電話会社の契約争奪合戦が激しかった数年前には「0円携帯」という、新規契約者に対して新型携帯電話機の購入費用を携帯電話会社が実質的に負担することで契約を得るという販売方法をどこも行っていました。しかしこの販売方法だと同じ契約料でも既存の契約者層に対して、携帯電話機目当てに契約を度々変える人間がもらえる電話機代の分だけ得していることになるとして、公正取引委員会からの指摘を受けることによって現在ではすでに廃止されておりますが、現在も続いている新聞の拡張の構図はこれ全く同じと言っていいでしょう。

 またこうした費用面の問題に留まらず、確か数年前に拡張員が強引な勧誘を行って暴行を加えたというヤクザまがいの事件も起こっており、夜中に突然押しかけしつこく勧誘するなどといった拡張員のモラルについてもよく取りざたされます。彼ら拡張員からすると取って来た新規購読契約の数だけ報酬が得られるので、報酬目当てにひどいものになると購読料は三ヶ月は無料だなどとありもしないでまかせを言って契約させるという例まであります。またそういった拡張員に対して、三ヶ月ごとにころころ契約を変える購読者は上客になってしまう事実もあります。

 このように費用がかかるだけかかってそのくせ購読者が定着しないのに、一体何故新聞社がこのような拡張にお金をかけるのかといえば、一言で言えば目先の部数が目当てだからといわれております。この拡張に負けず劣らず問題性のある「押し紙」についてもそうですが、新聞社は発行している部数が多くあると言えば言うほど広告費を得られる構図となっており、それこそ水増ししてでも部数を多く見せようとします。そのため定着しないとは言え少しでも部数を上積みしてくれるのであれば湯水のようにお金をかけて得ようとするそうです。そうした少ない部数を奪い合う形で、新聞各社はチキンゲームのようにお金をかけて拡張合戦を繰り返しているというのが現在の状況です。

 私に言わせると、そもそも紙面を充実させて購読者を得ようとするのではなくこのような拡張に大金をかけること自体が新聞社として間違っているように思え、また営業もするならするで契約を次々と変える人間ばかり相手して既存の購読者を大事にしないというのも非常に卑怯だと感じます。そして広告費の算定についても、何故未だに発行部数ではなく購読契約者数(どこも公表していない)を用いないのか、もっとスポンサーは怒ったっていいでしょう。

 なお新聞の集金を行っているうちのお袋のよると、ずっと同じ新聞を購読している人はみんな人当たりがよくて集金に行っても金払いよく払ってくれるのに対して、契約を何度も変える人は金払いも悪いだけでなくあれこれ難癖をつけてくる人が多いそうです。さもありなんな話です。

2009年11月10日火曜日

読書感想文は必要なのか

 以前に見たテレビ番組にて、小中学生への夏休みの宿題である読書感想文をなくせと主張している人を見る事がありました。その人によると読書感想文は大人が本来子供が読みたがらないような本を課題図書にして無理やり読ませるためかえって本嫌いの子供を増やしており、また最近はインターネットの発達によって作品ごとに読書感想文のテンプレートがネット上にあり、横着な子供はそのようなサイトを丸写しするために最早なんの教育にもなっていないという主張でした。
 この人の主張を全面的に肯定するわけではありませんが、私も現行の読書感想文というものはやはり問題が多いように思え、やるかやらないかといえば私もやらない方がかえって良いのではないかと考えております。

 元々私は読書感想文は本を読まない子供でも一応は活字を読む一つのきっかけになるとこれまでは肯定的に見てきていたのですが、この手の議論を見ている中で注目した意見の一つに、読書感想文は大人の意に沿う形で書かないといけないから問題だ、という意見を見てからは見事に立場がひっくり返りました。
 それこそまず課題図書自体が大人の目から選ばれているために子供の本を選ぶ自由を奪っていますし、またそうして決められた課題図書の内容も私の子供時代を思い起こすと、もっと他に選ぶ本はなかったのかと思うくらいにどれもつまらない本にばかりだった気がします。

 そしてそうやって大人によって選ばれた本に対して書く感想文についても、これまた大人の意に沿う形で基本的には本の内容に肯定する形で書かなければならず、たとえ読んでつまらなかったと思ったとしてもどこが面白かったのか、どういったところが印象に残ったのかを無理やりにでも見つけ出して書かなければなりません。まかり間違ってその本を批判しようものなら、たとえどれだけその批判が的を突いた批判だとしても賞を取る事はおろか、場合によっては真面目に書けなどと怒られて書き直させられるかもしれません。

 では実際に読書感想文で本の内容を批判的に書くとしたらどんなものになるのか、ちょっと自分で適当に考えて見ました。

「実にくだらない内容の本である。内容は陳腐でお粗末極まりないもので、こんなくだらない本を課題図書に選んだ選者たちは自らは裸の王様であることをすべからく自覚すべきである」

 やっぱり書いてみると分かりますが、こんな内容の感想文なんて今までに見た事ないです。

 私自身も文章を書くのは割と昔から好きでしたが、この読書感想文はやっぱり書かされているという感じが強くてどうしても好きになれませんでした。言ってしまえば書きたくない感想を無理やり書かされているようなもので、こんなことをしたら子供はますます文章を書きたがらなくなるのではないかと私も思います。
 それならばいっそ、子供がまだ書きたくなる本を漫画やジュニア小説でもいいから自由に選ばせて書かせたほうがずっといい気がします。感想文と来たら文豪の小説でないと駄目などといろいろくくりがありますが、それら文豪の小説も二葉亭四迷の時代では、「そんなものばかり読むな!」と大人たちに怒られていたそうで、そう考えると今の漫画も大差ない気もします。

 一番大事なのは子供たちの意見を無視して強制的に文章を書かせず、本人らがある程度の自発性を持って書ける文章を書かせることにあると思います。枚数もこの際自由にして、つまらないというのならその理由をきちんと長々と書いたら評価するようにした方がいろいろと幅も広がって面白くなってくる気がします。

 最後に、自由に本を選べといってもこれを選んだらいろいろと変な目で見られそうな本をいくつかリストアップしておきます。

・「我が闘争」 ヒトラー著
・「資本論」 マルクス著
・「毛沢東語録」 毛沢東著
・「三島由紀夫全集」 三島由紀夫著

 ついでに書いておくと、現在も評価の高い三島由紀夫の作品は例の事件のせいで国語の教科書に載せると検定に落ちてしまうので、学校教育の場で扱われることは今も全くないそうです。