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2010年4月21日水曜日

賤ヶ岳の合戦の価値

 戦国時代における決戦とくれば何が来るか。恐らく大半の方は徳川家の繁栄を決定付けた関ヶ原の戦いか、信長亡き後に秀吉が主導権を握るきっかけとなったうえに山場の代名詞である「天王山」という言葉の始まりともなった山崎の戦いを挙げると思いますが、私はこれらの合戦よりも賤ヶ岳の合戦の方が決戦としては意義深いのではないかと見ております。

賤ヶ岳の戦い(Wikipedia)

 賤ヶ岳の合戦というのは後の太閤秀吉(当時はまだ羽柴秀吉)と、織田家中でも年季の古さといい実力といいナンバー1だった柴田勝家が、織田家残党の主導権を奪い合った戦いです。詳しいくだりは省きますがこの合戦、詳細に経過を眺めると双方が実に複雑な駆け引きをしており、またその駆け引きが裏目に出たり逆に思わぬところで効果を発揮したりなど、短い時間で大きく形勢が動きあう戦争で実に興味深い内容です。

 最終的には、恐らくこの合戦を実質取り仕切っていた黒田官兵衛を要する秀吉側が勝利を得ますが、結果論からだと柴田勝家側が勝っていても全然おかしくない戦闘内容でした。言い切ってしまえば、前田利家さえ裏切らなければ多分勝っていたような気もします。
 同じく関ヶ原の重要な局面で裏切った小早川秀秋は批判的に語られていても、前田家はその後も江戸時代に残り続けたせいかこの時の裏切りが激しく批判されることはないように見えます。ただ前田家のチキンぶりはその後も健在だったようで、明治維新の際は賤ヶ岳での利家の行動を見習って、幕府側にも薩長側にもつかず、全国最大の雄藩だったにもかかわらず後の時代で主導権を握る事はありませんでした。

2010年4月20日火曜日

何回言えばわかるんだ?

 我ながら今日は随分と挑発的なタイトルになりましたが、最近また友人に薦められた本でブログのアクセスはタイトルで決まる部分が多いと書かれていたので、たまにはこういう風なタイトルも悪くないかと思ってつけてみました。内容はいつもどおりにくどくどしたものだけど。

 もう随分と前、確か私が中学生だった頃、実時間にして十年以上も前の話ですが、ある日授業中に国語の先生が気分転換とばかりに雑談を始めました。なんでもどっかの雑誌かなんかに載っていた話だそうですが、当時「声に出して読みたい日本語」を出版して名が売れ始めていた斉藤孝明治大学教授がある日、自分ところの学生を使って暗記に関するあるテストを行ったそうです。
 テスト方法は完全に脈絡のない座席順を学生に一旦見せて、それを隠した状態でどれだけ覚えているかを調べるというものだったそうですが、テストを終えて結果を分析すると、平均にして約七回、「覚える」と「忘れる」を繰り返すことで初めて記憶がしっかりと固定されるようになることが分かったそうです。

 この話を聞いた当初、なんとなくですが私もその通りなんじゃないかと思いました。というのも私自身、「覚える」と「忘れる」を何度も繰り返す事で記憶というものは強化されるものだと考えており、特にこの実験で使われたような席順といった何かと関連して覚えるわけでもない独立している暗記物などはそうした繰り返しが重要だと思っていたからです。

 斉藤孝氏が実験を行った明治大学は日本中の誰もが認める名門大学で、そこの学生は一般的な日本人よりも頭脳が優秀であると考えられます。その明治大学生ですら約七回も、「覚える」と「忘れる」を繰り返さなければ記憶を固定化できないのであれば、よっぽど記憶力のいい人でも五回程度、逆に普通の人ならそれこそ十回程度はこの繰り返しを経なければ記憶が固定化できないと私は推測しております。少なくとも、一回言ってパッと覚えられる人間は超稀少と言っていいでしょう。

 そのためか、今ではすっかり機会が減ってしまいましたが数年前まで私はよく後輩を指導する事が多く、その際によくこんなことを言っていました。

「今言った事をちゃんと覚えてね。覚えたら出来る限り早く忘れて、もう一回自分の所に聞きに来るように」

 聞いてる方からすると何を言っているのかと思われていたかもしれませんが、私の方からすると大真面目で、人間ってのは一回聞いて何でもかんでも覚えられるわけじゃなく少しずつ覚えては忘れるもので、忘れた後にまた繰り返し教えることで初めて相手に理解させることができると考えての指導でした。

 このように私は基本的に一回教えた所で相手は絶対に暗記、理解は出来ないという前提を持っているのですが、この前提があることで何がプラスかといえば、教えていてイライラしなくなることです。あらかじめ相手には噛んで含めるように何度も言わなければならないと前提しているので相手が二回、三回と教えたことを忘れても、これが普通なんだと割り切れます。周りを見ていると、怒りっぽい人なんかは一回言って分からない人に対しても怒鳴りつける人もいますが、私自身用具の置き場所などは一回教えてもらったくらいじゃなかなか覚えられないので、あまりこういう人が社会に多いというのは望ましくありません。

 そういうもんだから、よく先輩や上司から覚えの悪い事を注意された場合、こんな風に言い返せればいいのではないかと思います。

「何回言えばわかるんだ (`A´)!?」
「平均にして、約七回であります(#゚Д゚)!!」
「……………(゚Д゚;)」

 いや、実際には私もこうは言い返さないですけどね。

 逆にこの話を個人単位で考えるのならば、試験前や語学の勉強において何か暗記するべき内容があるとしたら、七回は覚えて忘れてを繰り返す必要があるという風にも考える事が出来ます。もっとも、関連した内容や語呂合わせなどを組み合わせる事でこの回数はいくらでも減少させる事が出来ますが、一回や二回で覚えられないからって自分は記憶力が悪いなどと考えず、繰り返し覚えて忘れることが勉強には必要だと肝に銘じておくとストレスが溜まらずに済むかもしれません。

 うちのお袋なんかパソコンの操作をなかなか覚えられないことを歳のせいだと言い訳しますが、私が見ていてそれほど歳の影響は大きくないと思います。私とてパソコンの各機能を今より若い時分に覚える際には何度も覚えては忘れていたので、単純に何度繰り返してでも覚えようとする忍耐力の低下こそが年寄りの記憶力低下の原因ではないかと見ております。忍耐がないと、よく言われる私が言う事ではないのですが。

2010年4月19日月曜日

高齢者層は本当に金融資産を蓄えているのか?

 もう二年も前の「日経ヴェリタス」の記事ですが、今でもよく引用され続けているデータとして日本人の世代別総金融資産のデータがあります。具体的にそれはどのようなデータなのかというと、下記サイトにて大まかに内容がまとめられております。

FP寺井のマネー雑感

 なんかそのままの引用になってしまいますが、こだわっていると話が進まないのでとっととデータの法をコピー&ペーストさせてもらい、生年を十年で区切った各世代が保有する当時の金融資産の総額は下記の通りとなります。

29歳以下     10兆円
30~39歳     86兆円
40~49歳     172兆円
50~59歳     330兆円
60~69歳     494兆円
70歳以上     452兆円


 見て分かるとおりに、世代年齢が上昇するとともに金融資産額は大きくなり、60~69歳の間でピークを迎えます。もちろんこういう金融資産云々以前に収入というのは基本的に年齢とともに挙がっていくものなので年齢に比例して金融資産額が上がるのも自然といえば自然なのですが、それにしたって50歳以上の金融資産額が全体の80%を占めるというのは素人目的には大き過ぎる気がします。

 そんなわけでこのデータは年寄りらは最近の若者はお金を全然使おうとしないと言うが、一番消費をしないで溜め込んで、言い方を変えると経済に不効率な役割を果たしているのはほかならぬ年寄り達だという意見に用いられております。確かに額面どおりにこのデータの内容を見ればその通りとしか言いようがなく、いくら老後に不安があるから、世代別人口が多いからといってもこの数字はあんまりじゃないかと若者の立場からすると思ってしまうのですが、実は私は内心このデータは実態をきちんと反映しているのかとかねてより疑問に感じておりました。

 日経ヴェリタスの記者の取材を疑っているわけではないのですが、どうも私が近くで見聞きするような年寄りたちの実相と比べるとこのデータはどうにもしっくりきません。私が話を聞いたりする年寄りは生活が苦しい方が多く、とてもじゃないですがこれほど金融資産を持っているようには見えません。
 そういうわけで私はこのデータに対し、全体でまとめて統計を取ればこうなるかもしれないが、このデータはごく一部の超富裕層とも言うべき年寄りが全体の数値を押し上げてできたデータであり、平均的な老人の資産実態を表していないのではないかと思ったわけです。

 じゃあ実態はどんなものだろうかと改めて調べてみた所、更に現在より遡る事四年前の読売新聞の記事に目を引く内容がありました。

「世代が上がるほど資産保有額が高く、資産運用に積極的。情報源は主に新聞から」
—— 団塊世代調査⑦ 資産運用
(読売新聞)

 この記事では50歳から65歳までの各世代別の金融資産をわざわざ金額ごとに区分してまとめております。このデータで無回答者を除外してみると、団塊世代以上は意外にも全体的に裕福な人間が多くてちょっと驚きました。60~65歳では約半数が1000万円以上の資産を保有しており、一番集中している金額層も「2000万円~5000万円」でした。
 さすがにこの記事はアンケート調査だからなにかデータをいじくっているんじゃないかと人口数と平均資産額などを私の方で計算することで検証してみたのですが、こちらも意外や意外に、一番最初の日経ヴェリタスの記事に出てた世代別保有資産額のデータに通ずる結果となってしまいました。

 そういうことで、少なくとも私が見立てた、一部の超富裕層が世代別総資産額のデータを押し上げているというのは間違っている可能性が高いようです。だからといって保有資産額の少ない老人がほとんどいないというわけではなく、若者の側も年寄り全員が金持ちだと食って掛かるのではなく、ばらつきがあることを認識した上で年寄りに金持ちが多いと踏まえるべきなのかもしれません。

2010年4月18日日曜日

私の自転車のこだわり

 このところのこのブログの検索ワードを調べてみると、朝ドラの影響か「水木布枝」が上位に食い込んできております。これまで人物名に関するワードだと「宮崎繁三郎」、「竹中平蔵」がポイントゲッターとして活躍してきていたのですが、「水木布枝」とともに「広瀬健一」もこのところ急上昇中です。どちらもアクセス数アップを狙って書いた記事ではなかったのですが。

 その一方、根強いというかなんというか、自転車関連の検索ワードもやはり上位に食い込んできております。対象となる記事はあの房総半島一周と琵琶湖一周の顛末記の記事ですが、あんな無計画な自転車旅の記事を見て何の参考になるのか、自分で書いておきながらもアクセスがあるのがかえって不安に感じてしまいます。
 とはいえ、自転車はやはり私の唯一の真っ当な趣味であるため(他の趣味はあまり口外できない)、今日もそれほど長距離ではありませんが休日と言うこともあって適当に漕いできました。

 走ってきたのは市街地と河原沿いのサイクリングロードで往復でわずか20キロ程度でしたが、その間に五軒の古本屋に寄っては「GANTZ」を安くまとめ買い出来ないかと見回ってきたので出発から一時間半で家に帰ってきました。結局「GANTZ」はどこも高くてあきらめたけど。
 私はサイクリングにおいてあまりトップスピードにこだわるよりも周りの風景を眺めながら走るのが好きなので、いつも乗る自転車は六段変速ギアではありますが普通のシティサイクルです。このところうちの親父が自転車に凝っていて競技仕様のロードバイクも部品から組み立ててもらったのですが、今でも初対面の人にびびられるくらい姿勢が良すぎるためリアルに猫背になれない私が乗るとすぐに腰が痛くなるのでこれにはほとんど乗りません。因みに高校時代、猫背になれないのに授業中に居眠りをしようとすると、背中はびしっと直立なのに首だけ大きく前に曲げていて傍目にも苦しそうに私は居眠りしていたそうです(実際苦しかった)。

 私がサイクリングをする際に気をつけていることとしては、まずは信号をきちんと守る事です。このところサイクリングブームで普通っぽい女の子でもやけにいい自転車に乗っているのを見かけるのですが、それとともにマナーの悪い自転車乗りもよく見かけるようになってきております。具体的にどのようにマナーが悪いかというと、ちょっとくらいの信号すら守らない、歩道を速度を上げて走る、無理な追越をする、道を譲らないといったところです。

 私も意識しない所でこのようなマナー違反をやっているかもしれないのですが、自分としては出来る限りこのようなことはせず、歩道では速度を落とし(上げる時は車道に出て、最低30km/時を維持する)、小学生くらいの子供がいたらほぼ停止に近いくらいまでブレーキをかけます。そして歩道が狭いところで前方に人や別の自転車がいたら、速度を落とすとともになるべく自分から道を譲るようにしております。

 ただ唯一マナーが悪いというか、そこまでこだわらなくてもいいのにやってしまうこととして、信号待ちの間でも地面に足をつけようとしないことがあります。時間にして一分程度なら確実に自転車を静止させたままバランスを維持し続ける事が出来るので、信号待ちのほかの歩行者と一緒になって自転車に乗ったまま信号が青に変わるのをいつも待っています。別に足をつけたっていいのですが、なんか気がついたらいつのまにかこういうことが出来るようになってしまっていたので今では意識することなく自然と乗ったまま、それこそいつも自宅を出発して目的地に着くまで一度も足を地面につかずにサドルに乗り続けております。

 こういうのもなんですが、私は自転車に乗る技術というのは最速ではなく最遅にあると考えております。自転車は二輪という特性上、高い速度でいるよりも低い速度でいる方が左右にふらついて不安定になります。その不安定な状態でもバランスを保って走り続ける事が出来る、言い換えるならどこまで低い速度で走行し続けられるかにその人の技術が現れるのではないかと思ってるわけです。
 そうは言っても乗る自転車によってバランス性は変わってきますし(ママチャリは非常に安定性が高い)、ロードレーサーのように高い速度で走る事を前提とした自転車ではこの分野は圧倒的に不利になります。

 ただ「頭文字D」の高橋涼介ではないですが、「公道には公道の、サーキットとは違うテクニックがある」と私は信じており、市街地用自転車で如何に技術のある走り方ができるのあと常に走りながら探求しており、さすがにドリフトには手を出しませんが、カーブでの体の傾き、入り口速度と出口速度のどっちに重きを置くか、ペダルワークをどうするかなどよく考えながら走っております。

 理想を言えば市販のママチャリでどこまで労力が少なく、かつ速い移動が出来るのかを突きつめてみたいものです。なお前述の通りに私は背筋がやけにまっすぐ伸びているので、風の抵抗を受けるものの、サドルに乗車時に背筋を直立に伸ばせる自転車の方が体に合っています。もちろんかがんで座るロードレーサーの方が出せる速度は高く、自動車はペーパードライバーなので40km/時を出すと恐くなるのですが、自転車だと平気で走り続ける事が出来ます。

近頃の異常気象、自然災害、及び国際情勢の変化について

 このところあちこちで自然の猛威とも言うべき災害のニュースが入ってきております。昨日今日の二日間だけでも、アイスランドの火山噴火で出てきた噴煙によるヨーロッパ各地の空港封鎖、四月としては観測史上最も遅い関東地方での降雪があり、またもう少し範囲を広げて今年に入ってからのニュースですと、中国青海省での地震、地理での地震と日本にまで来た津波、鹿児島県桜島火山の噴火活動の活発化と、まるで世紀末を連想させるかのような自然災害がすでに何度も起こっております。

 さすがにこれだけいっぺんに色々起こるとちょっと前まであれだけ騒がれていた地球温暖化もどこ吹く風か、特に今年は冬から春への季節以降が特に不気味で、昨日の関東地方の降雪に限らず三寒四温というにはあまりにも寒暖の落差が激しい初春ぶりで、傍目にも温暖化は説得力が日に日に落ちてきているように思えます。
 この日本国内の異常気象は農作物にもすでに大きな影響を及ぼしており、報道されている内容ですとキャベツやレタスといった高原野菜が特にひどくやられたために国内の仕入れ価格も例年を大きく上回っており、スーパーなどの小売において価格が上昇してきております。

 ただこうした農作物への影響ですが、どうも報道を見ていると日本国内だけではないようです。昨日の朝日新聞において北朝鮮の金正日総書記が当初の予定を数ヶ月繰り上げて来月に北京を訪問する事となったと報じられていましたが、その背景には昨年に実施したデノミによって北朝鮮経済が大きく混乱しているのと、このところの異常気象によって農作物の生産量が大きく減少し、大飢饉が近いうちに予想されていることが原因だそうです。
 実際にこのところの天気図を見ていると寒気がいつまでも東アジアに居座り続けており、暑気との激しい攻防が繰り広げられている日本とより北にある朝鮮半島では一向に春の気配が見えてこない状態なのではないかと思います。

 現在の北朝鮮はすでに述べたようにデノミによって経済が大きく混乱しており、また金正日の健康も明らかに悪化して後継者問題も控えている事から、これに飢饉が加わると考えるとこれまでにないほど不安定な状態になるのではないかと思います。もちろんこのような環境は北朝鮮を六カ国会議に復帰させるには望ましい状態で、日本としても間隙をつかず北朝鮮へ交渉を行う事が望ましいでしょう。

 それにしてもアイスランドの火山噴火のニュースを見ていると、ヨーロッパへ帰る予定だった外国人の方々が不憫で仕方ありません。ヨーロッパから輸出される予定だった農作物も全部駄目になるそうで、ひょっとしたら思いもつかぬ意外なところにも更なる悪影響を及ぼすかもしれません。

2010年4月17日土曜日

日本人の労働力としての価値

 よく日本人労働者は賃金が高過ぎると言われますが、必ずしもそうなのかこのところ少し疑問に感じております。というのも欧米やアジアの労働管理の話を聞いていると、やはり日本人労働者は優秀なように思えるからです。
 ではどのような点で日本人労働者が他国の労働者が優れているのかというと、私が思いつくのを挙げると下記の通りになります。

・遅刻、欠勤が少ない(無断でのを含む)
・ストライキを滅多に起さない
・異動、転勤の際に不服申し立てをしない
・超過勤務に文句言わないし、耐えられる
・実力をつけてもなかなか転職しない
・日本国内において読み書き計算はなんの問題もない


 上記項目についてもうすこし詳しく解説すると、まずはなんと言っても遅刻や欠勤が少ない点が挙げられます。欧米などでは家族が病気になったり、下手すりゃペットが体調不良になるたびに休みを取るとまで言われていますが、日本でもさすがに冠婚葬祭に関することでは何も言いませんが、家族の看護や介護で一回ならともかく何度も休みを取るとなると早く辞めてくれと解雇宣告が飛んで来ます。またそうした正当な理由での休日取得に限らず時間にルーズな国だと、始業時刻にみんな平気で遅刻してきたり、作業中に勝手に休憩を取る労働者も珍しくありません。まぁ日本も最近は大分減ったけど煙草休憩がありますが。

 そして二番目の項目のストライキについてですが、これは主にフランスを初めとしたヨーロッパ諸国では非常に盛んです。ヨーロッパの企業では何か企業側が新しい規定や就業規則の改定を行うたびにストライキが行われるのに対し、日本ではかなり無茶苦茶な要求や超過勤務が強制されたとしても今となってはストライキを起こす社員なんてほとんどいません。ましてや三番目の異動や転勤についても、事前通告なしに配置転換されたとしてもほぼ確実に文句も言わず行ってくれます。

 残りの項目については言わずもがなで、韓国を除くとこれだけ企業側に従順な労働者なのは日本くらいな気がします。同じアジアでも韓国の労働環境の劣悪さは今も進行中の「東方神起」の契約問題などのように相当ひどいものらしいですが、中国については従業員側も雇われる傍から独立したり転職したりするので日本よりはマシなような気がします。

 このように日本人労働者は他国と比べて優位な点が多く、唯一英語が話せない点を除くと優秀な労働群のように私は思えます。確かに日本人の賃金は円高の今だとドル換算で比較すれば他国よりもそれなりに高いですが、それでもそのポテンシャルを考慮するならば今の平均賃金、特に若年労働者層の収入はいくらなんでも低過ぎるような気がします。

 それだけに、私は今の日本企業の経営者達がどうして利益を上げられないのか疑問に感じます。そのポテンシャルに対して低い賃金でそれこそ死ぬまで働いてくれる労働者達を行使できるにも関わらず必ずしも儲けられない、厳しい見方をすると経営者達の資質を疑います。

 もっとも今日友人にも指摘された通りに、日本企業の大半は国内にしか市場を持たないがゆえにこの利点を生かせないというのも一理あるのですが、少なくとも大企業の幹部が不振の理由を日本人賃金の高さのせいにするのは間違いなように感じるので、こうして一筆したためる事にしました。

2010年4月15日木曜日

ダブルスクールについて

 以前商学部出身の友人に、こんな事を聞いてみました。

「あのさ、もし仮に俺が君に会社の設立から登記を今ここで頼んだらすぐできるかい?」
「いや、無理だって」
「でもさ、君の専門って商学部だろ。会社の設立手続きが大変なのは分るしこういったことは本来行政書士の担当範囲だから法学部のものかもしれないが、商学部を卒業した人間が会社の設立法を知らないってなんだかおかしな話じゃないか?」
「じゃあ逆に君だって社会学科の出身だけど、何か社会調査をすぐにやれる?」
「いい加減なものならともかく、SPSSを駆使した立派な調査報告書を作れって言われても無理だね」

 友人の名誉のために言っておきますが、この友人は非常に勉強熱心で多方面の知識に富んでいる立派な人間です。それにもかかわらず商学部で学んでいながら会社の設立法が分からないというのは、彼の個人的な資質以前に大学がきちんと教えるべきことを教えないゆえだと私は考えております。

 普通に考えるならば、企業の運営法を学ぶ商学からすると会社の設立の仕方は基礎的に学ぶべきものだと思うし、商学部の人間でないなら一体誰がそういったことを勉強するのかと思います。しかし私の友人に限らず、商学部を卒業する大半の人間は会社の設立の仕方なんて全く知らないどころか下手すりゃ基本的な会社法の知識すら危うい人間も数多くいるかと思います。

悲しい事に、これは商学や社会学に限らずどの文系学部学科においても言える内容です。一応それぞれの学科ごとに専門性は分けられているものの、その分野の勉強において必要とされる基礎的な内容は置き去りにされたまま、結構枝葉末節な部分をそれぞれで研究する事になったりします。私もあまり他人のこといえないけど。

 どうも大学の講師陣たちから話を聞いていると、学部生にそんなところまで求めたらにっちもさっちも行かないので、まともに教えるのは大学院生からだという風に割り切っている人が多いように思えます。確かに講師陣がそう思いたくなるほど大半の日本の学生が無気力であるのは私もまだ理解できてしまうのですが、これだと可哀想な事になるのは真面目に勉強したいと思っている学生達です。

 そんな状況を反映してか、このところすっかり珍しくなくなったのは大学に通いながら予備校に通うという、大学生のダブルスクールという行為です。近年の大学生は資格取得を目指して大学入学とともにそうした資格専門の予備校に通う人間が多く、私の友人らも就職を意識し始める三回生頃から急に公務員資格の予備校に通い出していました。
 もちろん大学は資格取得のための場ではないし専門分野だけ学ぶ場所でもありません。しかしあまりにも空辣なことばかりを教え過ぎて、社会に必要とされる人材を送り出す教育がないがしろにされているのも事実だと思います。

 これを話すと非常に長くなるのでやめますが、そもそも資格という言葉と権威が大氾濫し過ぎている今の社会も問題があると感じます。とはいえ大学に通いながら別に予備校に通うというのも無駄にしか思えず、もう少し大学もそれぞれの専門分野ごとに実学的な知識を教育してくれればと感じます。

 もっとも、こんなこといいながら一回生の頃は調査法ばかり教えられて、もっと理論を教えやがれと講師に楯突いたことがあるのですが。