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2010年5月15日土曜日

最強の指揮官と最強の兵士

 中学生くらいの頃、よく私は将来の自分の育成方針を決めるに当たり、最強の指揮官を目指すのか、それとも最強の兵士とならんとするのかを考えていました。はっきり言って誇大妄想も激しいと言えばそうなのですが、三国志に熱中していた時期もあって自分をどのようなタイプの人材として訓練を積んで行くのかをこの時期にいろいろと考えていました。

 最強の指揮官というのは言うまでもなく組織の指揮、運営を管理するタイプの人材で、三国志で言うなら諸葛亮のようなタイプで、このタイプの人材は手持ちの部下をどのように配置して動かし、また全体の動きの把握に務める事が主な仕事となります。翻って最強の兵士というのは、三国志で極端なものを挙げると張飛みたいなタイプで何も考えず猪突猛進に与えられた仕事を確実にこなすような人材で、それぞれの担当分野の能力をひたすら磨く事が主眼となってきます。

 もちろんどちらか片一方に特化する必要はなく、それこそこれまた三国志で言うなら関羽みたいに両方の役割をある程度兼任できるような人材を目指してもよいのですが、指揮官か兵士のどっちにより比重を加えて自らを磨くとすればどっちだろうかと考えたわけです。私はすでに当時から何かしら文章を書く事で、それもジャーナリズム関係で生計を立てて生きたいと考えており、その業界で指揮官となると編集者、もしくは企業運営者こと社長になり、兵士となるとそのまんま記者か作家になって来ます。

 本音で言えば前線でひたすら戦うだけの記者を目指すだけで十分だろうと考えたのですが、現時点でもそうですが日本の教育は全体的にスペシャリストばかりを育成したがっており、周りを見ても全体を見渡せるだけのジェネラリストとなれるような同世代の人間が見当たらず将来的にこの方面の人材が不足して行くことが目に見えていました。そこで当時はまだ愛国心も強かったがゆえに私は、「国の穴を埋めるのだ!ヽ( ゚д゚)ノ」とばかりに、本音とは逆にジェネラリストたらんと自分の育成方針を定める事にしました。

 といっても特別に何かをするというわけではなく何事に関しても自分とは関係ないと言って切り捨てたりせずに何にでも手を出して勉強していこうと決めただけでしたが、その後の進学先も社会学という専門のしばりが緩い学部で、前にも書きましたが文系学問なら法学以外はそこそこ手を出してやっていたので方針通りのコースを歩んできたと思います。あいにく出版業界には就職は適いませんでしたがこうしていまいち専門範囲のわからないブログを三年近く運営できている辺り、自分を意図した育成方針通りに育てられたという自負があります。

 しかしそんな風に育った今においても、未だに私は最強の兵士への思いを捨てきれているわけではありません。またまた三国志で言うなら諸葛亮を目指すのも満更ではないのですが、やっぱり前線の将軍ながらも臨機応変に対応できてひょっとしたら指揮官でも十分にやれたんじゃないかという趙雲のような人材が私にとっては理想です。

2010年5月14日金曜日

少数精鋭は成り立つのか?

 よく事業に行き詰って人員の少なくなっていく企業ほど、「うちは少数精鋭だからな」などと強がりますが、果たして本当に少数精鋭というのは成り立つのでしょうか。精鋭というと確かに聞こえは良いのですが、戦争などをするに当たってやはり数は多いに越したことがなく、シミュレーションゲームの「信長の野望シリーズ」などでも兵数は質が低かろうが多い方がやはり優位に事を運べることが多いです。
 しかし私が知る中で、この少数精鋭主義を実際に実行して大きな成功を納めた人物が一人おります。その人物は誰かというと、ほかならぬ秦の始皇帝です。

 始皇帝がまだ中国を統一しておらず秦王だった頃、ある日自国の将軍に対して今いる60万の兵を三分の一の20万にまで減らせと命令しました。この命令を受けた将軍は戸惑い、どうして兵力をわざわざ減らすようなことをするのかと始皇帝に聞き返した所、秦国は土地が痩せているため常に兵糧の確保が難しく、役にも立たない雑兵を多く飼っておくよりは精鋭を選り抜いて兵力を削減した方がいいと始皇帝は答えました。
 それでしぶしぶこの将軍も兵力の削減、今風に言うならリストラを推し進めた所、なんと新たに編成された精鋭部隊はそれまでいくら攻めても全く落ちなかった隣国の城を次々と落とすようになり、編成を行った将軍も驚くほどの成果を直ちに挙げるようになったのです。

 この始皇帝のリストラがどこでも通用するというわけではないですが、秦の土地が痩せていた、元々の兵隊がそこそこ強かった、などという当時の秦の状況を鑑みるなら実に的を得た決断だったと私も思えます。ただこの急激なリストラ策は多くの反発者も生み、異を唱えたがために始皇帝に処刑されかけた秦のある将軍は燕国に逃亡して後にあの有名な始皇帝暗殺計画に加担するようになるなど、円満にこのリストラが進められたというわけではありません。それだけ始皇帝の改革や決断がドラスティックだったというわけで、あの広い中国(今の中国に比べりゃ狭いけど)を始めて統一しただけはあります。

 余談ですが私は高校時代に文化祭で出し物をやろうと企画して賛同者を広く募ったのですが、今思いだすと頭数を無理に揃える位ならしっかりと信頼の出来る人間数人とだけ組んでやっとけばよかったと思うほど、引っ張っていく途中で散々な目に遭いました。恐らく私の生まれ育った年代も関係しているでしょうが、やはり私は組織というものはフットワークの軽い小さな少数精鋭組織の方が上手く回るんじゃないかと思います。公務員が嫌いってのも影響しているでしょうが。

 なお今日取り上げた始皇帝ですが、現在ヤングジャンプで連載中の「キングダム」という漫画がまさにこの時代の秦を描いており、中国史好きもあって面白く読ませてもらっております。この漫画は登場人物が着る衣装から時代背景、戦闘の描写などが細かく、どうしてこんな漫画家が今まで日の目を浴びてこなかったと思うほどなのですが、唯一欠点だと思うのは、「男かと思っていたら実は女だった!Σ(・Д・ノ)ノ」、という展開がやけに多い事です。作者の趣味なのかと疑うくらいに多いのですが、それにしても同じヤングジャンプでは「ノノノノ」という、これまた性別を男性だと偽っている女性スキージャンパーが活躍する漫画があるなど、何かとユニセックスの激しい連載陣が続いております。

2010年5月13日木曜日

ひきこもりやニートは救うべきなのか

 なんか時代ゆえかもしれませんが、この所ネットの掲示板を見ているとかなり昔の「こち亀」のあるシーンの画像がよく貼られているのを見かけます。それはどのシーンかというと、それまで不良だった若者が改心して警察署に来るのですが、主人公の両津はこれまで好き勝手していた人間がようやくまともになっただけで、誉める必要もなければ就職の世話とかいちいちしてやる必要もないと言うシーンです。
 これとは別で私が覚えているのだと、恐らく作者も明確に社会風刺をしようとする意思を持って描かれたと思うのですが、不良学生の更正をはかるために自治体が球場を借りて野球大会を開くことに対し、真面目に野球をやり続けている少年らにこそそのようなお金を使うべきだと発言する回が、確か96年くらいにあったような気がします。

 正直な所、私もこれら漫画の中の両津の発言の方が正しいと思います。後者の不良少年更正のための野球大会は当時実際に開かれていて、確か借りた球場というのも東京ドームだったように記憶しております。それまで野球と縁のゆかりもなかったろうな不良にはそんな厚待遇がなされるのを比べると真面目に野球をやっている高校球児が馬鹿を見ているみたいで、当時私はまだ小学生でしたが見ていて嫌な思いをしたのを未だに覚えています。

 ここですこし話は変わりますが、現代の大きな社会問題として「ひきこもり、ニート問題」があります。どうでもいいですが、ちょっと前までは「フリーター、ひきこもり問題」だったような気がするのですが、バージョンアップはいつなされたのだろうか。
 内容はわざわざ説明するまでもないので省きますが、現在国や自治体はこの問題を解消するためにひきこもりやニートの若者への就職支援、社会復帰支援政策に予算を割いております。これらの支援策として具体的にどのような政策がなされてどれほど効果を上げているかはあいにくデータを見ていないのでわからないのですが、今日片道二時間の通勤途中にあるバスの中でふと考えていると、果たしてこれら支援策は現代において優先度の高い政策なのかと少し疑問を感じました。

 私は何もひきこもり、ニート問題は放っておいてもいい問題だとは思っていませんし、これらへの支援策が全く無駄だとも考えていません。ですが現代の若者はひきこもりやニートではなく、学校をきちんと出て社会でもまともにやっていける人ですら不況ゆえに就職口はほとんどなく、地方によってはアルバイトの口捜しすら大変で生活を成り立たせることの出来ない者が数多くおります。そんな状況下で、ひきこもりやニートの支援に割けるだけの予算があるのであれば、その予算をまだやる気もあって社会でやっていける若者への就職支援、訓練などに使う方がまだ効率的なのではないかと思ったわけです。
 仮に普通の若者が普通の生活を送れる世の中であれば、ひきこもりやニートといった弱者への支援はどんどんとなされるべきでしょう。しかし現代はひきこもりやニートでなくとも社会的に弱者となる若者が数多く、同じ弱者であるのに片一方、厳しい言い方をすれば手間のかかる方にだけあれこれ支援策が使われるのはどうにも釈然としないものがあります。

 この私の意見は見方によっては冷酷だと批判されるかもしれません。確かに最底辺の弱者を支援する事は社会的にも意義ある事ですが、その一方でなんとか立ち直ろうと頑張っている若者を放置していれば、生活保護給付が最低賃金額を上回っているのと同様に社会全体で頑張ること、努力する事の価値を下げてしまうのではないかという懸念があります。そしてなにより、リアリスティックに考えるのであれば今いる若者すべてをただでさえ厳しさを増す今の日本の予算で救えるはずなどなく、ある程度の排除と淘汰と、予算の選択と集中が今だからこそ必要だと私は考えます。

 あくまでこれは私の思いつきから来る一意見であって、詳しくデータなどを比較した上での違憲ではありません。しかし最後の選択と集中というのは今の時代、強く社会に求められている事だと見ているので、敢えて現代の若者問題を取り上げて引っ張り出す事にしました。

2010年5月12日水曜日

ポスト鳩山は誰なのか?

 この所の各報道機関の政治系記事は普天間問題が全く進展しないなどといった事から民主党に対して批判的で、この与党民主党に対して野党はどうすれば次の参議院選挙で過半数割れに追い込む事ができるのかという視点で書かれているものばかりが目に入ります。そこで今日は、別に私は今の民主党を支持しているわけではないのですが敢えて逆の視点で、民主党は何をすれば支持率を挙げて次回参議院選を勝ちぬけるのかを考えてみようと思います。

 まず結論から言えば、民主党が支持率を回復するのに最も良い手段というのは小沢一郎氏の幹事長職を解任する事です。タイムリーに今日、検察が先月の審査会の議決を受けて小沢氏に聴取を要請しましたが、普天間問題に次いで民主党の支持率を下げる要因は間違いなく小沢氏の資金問題でしょう。
 渡部恒三氏などは長い付き合いもある事から堂々とテレビカメラの前でも小沢氏に辞任要求をしては鳩山首相に決断を求めているのですが、肝心の鳩山首相も小沢氏同様に自身の資金管理団体の問題、しかもその責任をすべて元秘書に擦り付けたことから事実上解任する事は不可能だと見ております。仮に鳩山首相が小沢氏を解任すれば自分のことを棚にあげておきながらと、野党や国民のみならず民主党内からも批判される可能性もあり、そうなった場合はよっぽど鷹の爪を隠していない限りは政権の維持は完全に不可能となるでしょう。

 このように、支持率を回復するには小沢氏の解任が必要、しかし鳩山首相は解任が出来ないという、小沢―鳩山の相互補完構造が成り立っているとします。となると民主党としてこの際、小沢氏と一緒に鳩山首相を退陣させるしかないように思えます。
 先月までは各評論家らからこのような案、いわゆる五月政局こと普天間問題の決着と引き換えに鳩山首相は退陣するのではという声がささやかれましたが、五月も三分の一が過ぎた今になっても鳩山首相は一切退陣する素振りを見せないどころか、米国に対して約束した五月決着も反古にするかのような発言もこのところ目立ちます。

 こういった背景から私が気になっているのが、民主党内の議員は倒閣を考えないのかという事です。小沢氏に対する辞任要求は確かに少数ながらも、先ほどの渡辺氏や副幹事長の生方氏など何名か声を上げているものの、さすがに鳩山首相に退陣を要求する民主党議員はまだ出てきていません。自民党ではかつての安部、福田、麻生政権、そして現在の谷垣体制に対して公然と退陣要求する議員がごろごろいますが、民主党は結束力が強いと言うべきか、議員一人一人の後ろ盾が弱いのか上層部批判がやはり少ない気がします。

 ではこれまた仮の話で、鳩山首相が自ら辞任した場合は誰が民主党の党首、ひいては首相となるのがベストかとなると、これまた結構悩ませられる話です。
 もし支持率回復だけを目指すのであれば最有力なのは、政権からやや遠ざかった位置にいて小沢氏を度々批判している仙石良人氏なように思えますが、どうもこの人は組織を引っ張る人間としてはいまいち頼りない気がします。ではかつて党首を務めた経験のある菅直人氏ではというと、かつての「イラ菅」から「アホ菅」とこのところは揶揄されるほど人気も低迷しており、周囲の民主党議員からもどうもあまり支持されていないように見えます。

 では外務大臣の岡田克也氏はというと、なんかこのところ急激に老けてしまってテレビ映りの悪さが私は気になります。能力的にも真面目なんだけどそれだけという感じで、党首時代の郵政選挙の大敗もあってイメージ的には非常に苦しい気がします。それならばその岡田氏の後を継いだ国土交通大臣の前原誠司氏ならばどうかですが、顔もイケメンということもあってイメージ的には今の民主党内で最も力を発揮するでしょうが、多分なったらなったで小沢氏を初めとする現上層部から物凄い嫌がらせを受けて党内を維持する事が出来ない可能性があります。更に言えば、かつての偽メール騒動もあるからイメージが良くても支持率には必ずしも結びつかないとも考えられます

 いちおう他にもポスト鳩山としては枝野幸男氏もいますが、どれも選挙で戦っていけるかとなるとどれも一癖足りない面子ばかりです。まして自民党時代に散々党首の代替わりがあって民主党が行っても今じゃあまり効果も見込めないでしょう。
 となると政策で挽回するより他がないのですが、子供手当ても第二次仕分けもすでに終わり、残った普天間問題はまだまだ支持率を下げる要因としかならないため、もう大分手遅れな感があります。何でもやっていいというのであれば残るはネガティブキャンペーンしかなく、ちょっと前に「あいつは部落だから首相には出来ない」と麻生が言っていた野中広務氏が官房機密費の使途(与野党問わず議員に配り、評論家らにも渡していた)を口にしていましたが、あれを洗いざらい公開すれば少しは効果があるかもしれません。

2010年5月11日火曜日

次回参院選の有名人候補擁立について

谷亮子氏:参院選に民主から出馬表明 「五輪は金目指す」(毎日jp)

 すでに各所で報道されているので皆さんも知っての事だと思いますが、上記リンク先のニュースの通りに柔道金メダリストの谷亮子氏が次回の参議院選挙にて民主党から出馬すると発表されました。このニュースに対する私の感想はというと、いつまでもこんな事をやっているから駄目なんだということと、恐らく谷氏のこの出馬は大勢に何も影響を与えないかと思います。

 これまでの参議院選挙でも各政党は比例代表枠での票数をかき集めるためにとにかく目立つ候補、知名度のある人間を擁立してきて、現在でこそ人気の高い桝添要一氏などもこのいわば「有名人枠」から初出馬しております。
 しかし当時の有名人候補は曲がりなりにも学者なり知識人なり活動家なりと、桝添氏を初めとして未だ衰えを知らない田嶋陽子女子などまだ政治や社会に関わる生業の方達でした。しかし近年の参議院選挙はお世辞にもそれまで全く政治とは縁がないとしか思えない候補ばかりが、名指しこそ避けますがただ有名というだけで元スポーツ選手などがスポーツの振興を掲げて取っ替え引っかえ出ているだけで、彼らが当選後に何か立派な政治的活動をしたとも思えません。スポーツの振興ったって、選手の身分でも十分出来るはずなのだし。

 しかも今回の谷選手に至ってはまだ現役の選手で、本人も次回のオリンピックで金メダルを取ると息巻いていますがそれならなおのこと政治活動なんかしないでトレーニングに従事するべきなのではないかと思えます。それと比べるなら自民党は、ただでさえ巨人ファンからも人気がなくて果たして花形候補となるか非常に疑問ですが、前巨人監督の堀内氏を擁立するようなので、まだこちらの方が引退した人間という事からマシなように見えます。

 あくまで私の所感ではありますが、どうも他の日本人もこうした有名人候補擁立に対して疑問を感じ初めているように思えます。先月にも自民党が「美人過ぎる市議」として有名となった藤川優里氏を擁立しようとした矢先に本人が先に辞退したと報じられましたが、この時の反応も一体自民党は何をやろうとしているのかという、冷めたような声ばかりだった気がします。
 それでも有名人候補がいないよりはマシと各政党選対は考えているのかもしれませんが、返ってこういった軟派な候補を出すくらいならこれまできちんと活動していたり実績のある地方議員などを擁立して前に押し出す政党の方を、少なくとも私は評価します。

 こう言いながらも、また広島県尾道市の衆院選でホリエモンが出馬したら、私も亀井静香憎さで多分ホリエモンに票を入れると思います。ホリエモンも決して好きな人間じゃないのですが。

2010年5月10日月曜日

大化の改新とは一体なんだったのか

 確実に証明できる範囲での日本史の始まりはいつからだというと、それは間違いなく壬申の乱後に皇位についた天武天皇の時代からです。事実この天武朝から「日本」という国号の使用、我が国初の貨幣の「富本銭」の発行、そして「天皇」という呼び名が使われるようになったといわれており、その後の系譜においても天武系が奈良時代では主要な皇族となるなど古代史、ひいては日本史全体に天武天皇が与えた影響は非常に大きいといえます。
 しかしこの天武天皇は確実に存在していてその施策などもはっきりしている一方で、有名なのにどうにもよく分からない存在、一体何がしたかったのかがはっきりしないのが天武天皇の兄の、中大兄皇子こと天智天皇です。

 中大兄皇子とくると、「おかしいですよ」の後には必ず「カテジナさん」とVガンダム好きなら続くように、日本史では大化の改新が基本的にセットで必ず付きまとってきます。この大家の改新ははっきりいってこれまでの日本史研究では日本書紀などできちんとかかれているのだからといってほぼ自明の事実として取り上げられて来ましたが、平成に入った辺りから天皇史研究のタブーが薄れてきたのもあって徐々にその内容に疑問符が出てくるようになりました。

 まず一般的に伝えられている大化の改新ですが、聖徳太子、推古天皇亡き後の大和朝廷では蘇我馬子に始まる蘇我氏が徐々に専横を振るうようになり、馬子の子である蘇我蝦夷とその息子の入鹿の代では聖徳太子の一族を滅ぼすなど天皇家すら脅かすようになり、これを憂えた中大兄皇子と中臣鎌足によって暗殺された(乙巳の変)とされています。

 しかし一つ一つ疑問を挙げると、まず第一に聖徳太子自体が本当に存在したのか怪しい存在です。私の友人などは、「十人の人間の訴えを聞き分けたとされる」という逸話から、当時の複数の人物を一つの人物としてまとめ上げられた存在なのではないかと言っていますが、私もこの説を採っていて、太子一族が蘇我氏に滅ぼされたというのはむしろ後付けで、蘇我氏が如何に悪者かということを宣伝するために作られた話ではないかと見ております。

 第二に、中大兄皇子と蘇我氏の政策的対立点が見当たらない事です。
 蘇我氏も中大兄皇子も、当時の豪族たちの連合政権だった大和朝廷を天皇を頂点とする中央集権体制に持って行こうと画策しており、目指すべき方向ははっきり言って全く同じものでした。しかも当時の天皇は中大兄皇子の母である皇極天皇で、何もいきなり暗殺を仕掛けるほど天皇家が危うい立場だったとは思えません。

 そして何よりおかしいのが、このクーデター劇の主導者である中大兄皇子がその後、頑なに天皇の地位に就任していない事です。大化の改新後は孝徳天皇を初め次々と天皇が就任する傍から変わって行き、最終的には適当な人間がいなくなる事態にまで陥っているにもかかわらず中大兄皇子は「称制」といって、実質天皇と変わらないのですが皇太子の立場で政治を運営しており、最終的にはポケモンの進化じゃないけど天智天皇になりますがその過程には怪しい紆余曲折があります。

 この天智天皇の行動については諸説あってWikipedia中でも一項が設けられていますが、やはり私が一番それらしいと思う説は彼の女癖です。なんでも近親相姦が割と盛んだった当時でもタブーであった実妹にも手を付けていたらしく、この妹の死後直後に天皇に就任していることから彼の女癖に対する周囲の批判から天皇になかなか就任できなかったという説があります。また天智天皇はその実妹との話の他に、元々弟の大海人皇子(天武天皇)の妻だった万葉歌人最高峰の額田王を無理矢理奪ったとも言われており、どうもこういうエピソードとかを聞いていると強引で、攻撃的な性格の持ち主というイメージが私の中では湧いて来ます。

 そんな天智天皇の性格を考えると、大化の改新自体が自分が政治の主導権を握るための、いわば天智側から蘇我家への一方的なクーデターだったのではないかとも思えますし、検証できるかどうかは別として、そのような考えから蘇我氏こそが本当の天皇(豪族立ちの首領)だったという「蘇我氏天皇論」というのもあります。
 こういったいろいろと怪しい所があることから、どうも私は日本書紀における天智天皇の記述も曖昧なものとなっているのではないかと思います。日本書紀はまさに天武天皇の正当性を強く出すために作られたような歴史書ですが、今回の大化の改新から壬申の乱のくだりまでがどうもちぐはぐな印象がぬぐえず、想像力を膨らませる内容となっております。

 もっとも天武天皇自体も天智天皇の息子の大友皇子を壬申の乱で破って皇位についているので、クーデターを起こしたという点では天智天皇と一緒です。むしろ逆に、クーデターを起こした事に正当性を持たせるために敢えて、「天智天皇はクーデターを起こして実験を得たからクーデターによってその子孫は追われたのだ」という筋書きにしたのかもしれませんが。

2010年5月8日土曜日

記憶に残る外国人野球選手

 ちょっと思うところがあるので、日本にやってきた外国人プロ野球選手の中から記録よりも記憶に残る選手をここで一部紹介しようと思います。因みに選ぶ範囲は私が知っている中なので、年代としては90年代から00年代が主で、紹介する情報は基本的にWikipediaからの引用です。

1、マイク・グリーンウェル(阪神)
 メジャーでも活躍した実績があるということで当時不振にあえいでいた阪神タイガースが破格の年俸にて契約したものの、シーズン前のキャンプ中に突然一時帰国し、チームに合流したのもシーズンも一ヶ月が過ぎた5/3でした。しかもその八日後の5/11には自打球で骨折し、これを「野球を辞めろとの神のお告げだ」として、なんとそのまま引退宣言を行うという問題児振りを見せ、十年以上経った今を以ってしても「最悪の外国人助っ人」とまで呼ばれております。

2、マイク・キンケード(阪神
 この人はほんの少し前(2004年)にいた人なので覚えている方もおられるかもしれませんが、2003年の阪神優勝時の功労者であるジョージ・アリアス選手に代わる後釜として阪神が獲得したもののわずか26試合の出場で退団となってしまいました。しかもその26試合でなんと12個もデットボールを受けており、当時は「当たり屋」とも言われ、あのまま行けばシーズン最多デットボール記録を間違いなく塗り替えられたでしょう。
 何気に上のグリーンウェル選手同様に名前が「マイク」で、阪神と「マイク」にはなにか良くないジンクスでもあるのかと疑いたくなります。

3、郭源治(中日)
 私が子供の頃によく遊んだファミコンゲームに「ファミリースタジアム」という野球ソフトがあり、友人らと遊ぶ中で人気のあった投手は「のも」こと野茂英雄選手と、「かく」ことこの郭源治選手でした。
 この郭選手は台湾出身の選手で、かっこいい容姿から女性からの人気も高い選手でした。よく日本にやって来る外国人スポーツ選手は主に行きつけの飲み屋の女性から日本語を学ぶために話し言葉が女性っぽくなると言われており、郭選手もそうであったかまではわかりませんしそれが悪いわけではないのですが、インタビューの際は女性っぽい優しい口調で話すことも彼の人気を大きく押し上げた要因となっていたようです。
 今思うと、ヨン様ブームの走りのような気もしないでもありません。

4、郭泰源(西武)
 もうひとりの「かく」こと、郭泰源選手も私の子供時代は人気投手でした。
 こっちの郭選手の何がすごいかって言うと、「オリエンタルエクスプレス」と称された最高時速156km/hの剛速球に加え、これまた異常に速度のある高速スライダーで、当時の動画を見ても惚れ惚れする投球振りです。

5、ダン・ミセリ(巨人)
 巨人がクローザーとして獲得したこのミセリ選手ですが、彼がマウンドに立った際の安心感は絶大でした、巨人ファン以外は。
 鳴り物入りで日本にやってきたもののオープン戦での成績はとても目も当てられず、開幕後も立ち直ることなくことごとく救援に失敗しては相手チームに勝利をもたらし、同点時には相手チームから「ミセリコール」が起こるほどでした。そのため一時期の防御率は天文学的数字にまで上り詰め、結局一ヶ月と経たずに退団する事になりましたが個人的にはパワプロに彼のデータが入っていなかったのが残念でした。

6、バルビーノ・ガルベス(巨人)
 恐らく私くらいの世代の人間であれば、ガルベスと聞けばパッと思い出すことが出来ると思います。
 このガルベス選手は巨人の外国人投手としては初めて開幕投手を務めたほど長くチームに貢献し、実力も最多勝を取るほどの折り紙つきでした。ただそういった成績面での彼の活躍よりも、苛立つと度々マウンドを蹴ったり、しょっちゅう乱闘を起こしたりするというプレイ外での彼の活躍の方が私の記憶に残っております。
 特に一番すごかったのはWikipedia中にも書かれている98年の阪神戦での乱闘で、判定に不服を持った審判目掛けてボールを投げつける(当たらなかったけど)という暴挙を行い、子供ながらに外国人は怒らせたら恐いと私の心に深く刻み込む事件となりました。

 先日に会った友人が、「夢の中でガルベスとキャッチボールをしてたんだけど」と言った事からこの記事を書こうと思ったのですが、いざ実際に書いてみるとなんか中途半端な文章になりやすく、短い紹介、批評文というのは以外に難しいものだということを痛感しました。またやる気があれば、続きを書くかもしれません。