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2011年2月19日土曜日

必要な苦労、余計な苦労

 自分にしては珍しくここ三日間更新がありませんでした。理由は単純に飲み会が昨日一昨日とあって帰宅がどちらも11時を過ぎてただけで、ネタ不足とかそういうわけではありません。

 そういうわけで今日は久々の更新となりますが、まず一つの話から紹介します。その話が載っているのは文芸春秋の1月号で、料亭の京都吉兆で料理長をしている徳岡邦夫氏のコラムです。
 そのコラムによると老舗料亭である京都吉兆もバブル崩壊後は経営が悪化し、料理長である徳岡氏は再建のために様々な改革に取り組んだそうです。まず取り組んだのは「人」こと人材採用で、それまで縁故採用が多かった料理人の採用に当たってなけなしの予算五万円をかけて外部に求人広告による募集をかけ、そうして集めた新人三人の教育に当たり以下のようなことをしたそうです。

「その施策の中には、かつての料亭文化ではありえないようなものも多かった。たとえば、「料理は見て盗め」といわれていた厨房の世界だが、新人にもどんどんレシピを教えてしまうようにした。また、料理経験のある人ならば、包丁もすぐに持たせてしまうこともある。これも、従来では考えられなかったことだ。
 こうした料亭の常識は、実は百害あって一利なし、先輩料理人が後輩に追いつかれないために存在している悪習でしかないと私は考えて、それらを一掃してしまったのだ。」

(文芸春秋2011年1月号より引用)

 正直に言って私は、こういうことを現役の料理人の方が口にするということに非常に驚きました。私は実際にそういう調理の世界に入ったことはないものの新人は皿洗いなど雑用を数年間経て初めて包丁を握らせてもらうものだと聞いていただけに、入ってすぐにレシピから包丁まで、しかも老舗料亭でそういうことが実施されてたなんて思いもよりませんでした。
 ただ言われて見ると徳岡氏の言う通りに料理人というのは包丁持ってなんぼのもんだし、雑用を誰かがこなさなければならないとはしても新人料理人の教育に際して早くにそういった直接的な技術は教えた方がいいに決まってます。それにもかかわらず「新人は皿洗い」というイメージが私の中にあったのは、これもまた徳岡氏の言うように先輩料理人による悪習としか言いようがないでしょう。

 この京都吉兆は直接関係はないものの例の船場吉兆の事件の際にはとばっちりを受けたそうでいろいろと大変だったそうですが、その後もこうした徳岡氏の改革が功を奏したかミシュランガイドにて三ツ星の評価を得たそうです。この話一つとってもなかなか含蓄があって面白いのですが、ちょっと気にかかったというか先ほどの新人料理人にすぐに包丁を握らせるという話から別に思い当たったエピソードがありました。

 そのエピソードというのはほかならぬ田中角栄の生前のエピソードで、以前に鳩山邦夫氏が言っていた話です。兄に鳩山由紀夫元首相がいるのでこれから邦夫氏と表記しますが、邦夫氏は大学卒業後に政治家を志してすぐに田中角栄氏の秘書を始めたのですが、その秘書時代に田中角栄は邦夫氏に対しこんなことを言ったそうです。

「君も将来立派な政治家になろうとするのであれば、今の自分を見てよく反面教師としておきなさい」

 当時の田中角栄は絶頂期であったために邦夫氏は一体先生のどこを反面教師とするところがあるのだと聞き返したところ、続けてこう話したそうです。

「確かに俺は今調子はいいが、ここに至るまで相当無理をやってきている。若いうちの苦労は買ってでもしろとは言うが、余計な苦労はしないに越したことはないんだ」

 後に田中角栄はロッキード事件など金銭に絡む事件で特捜に逮捕されることになりますが、その時に至って邦夫氏はあの時の田中角栄の言葉はこういうことだったのか、つまり金策のために脱法行為も行っていたということを理解したそうです。
 今でこそこういうことは常識はずれですが、当時の政界は工作に当たって何につけても金が必要だったそうですから私はこの点で極端に田中角栄を批判する気はありません。むしろこうした金策に対して田中角栄本人もある程度気にしていたというか、やらずに済むならやらない方がいいと考えていたということが少し驚きで、やっぱり人の子だったんだなとちょっと親近感が湧きました。まぁ逆を言えば邦夫氏の実家が金持ちなんだから無理に金策するなと言っていたんでしょうけど、邦夫氏の兄のことを思うといろいろ複雑です。

 すでに大分長いですが久々の更新でテンションがやけに高いのでこのまま一本の記事にまとめてしまいますが、私が上記二つのエピソードからこのところよく思い耽っているのは「余計な苦労」という言葉です。京都吉兆、というよりそれまで料亭の暗黙の文化だった「新人は初め数年間は皿洗い」といい、田中角栄など当時の政治家による「脱法行為による金策」、どちらもやらずに済むのならそれに越したことはありません。

 上記の田中角栄の台詞の中にあるように世の中には「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉が流布していますが、一応まだこの言葉をかけられる若者身分の私からするとあまり反抗的では良くないと思いつつも、この言葉は上の連中からすると随分都合のいい言葉だなと生意気にも大体中学生くらいの頃から感じていました。そんな性格ゆえによくパソコンに対して八つ当たりするくらい今でも忍耐力がないままなのですがそれでも敢えて続けて言わせてもらうと、苦労とは言っても『必要な苦労』と『余計な苦労』とではっきりと別れるのではないかと思います。

 たとえば大学受験に合格するために長時間の勉強をしたり、体を鍛えるために走り込みを行うなどそれぞれ目的に合致した必要な苦労というものがあると思います。こういった必要な苦労に対してよく運動部などにある上級生の下級生に対するしごき、たとえば野球部における球拾いとか下級生は更衣室を使えないとか(私の実体験)、それぞれのスポーツ技術の向上には全く関係ないと言える余計な苦労も、というかこっちの方が世の中ごくごく溢れかえっております。こういったしごきについてよく指導者や上級生は上下関係を教えたり忍耐力をつけさせるために必要だと主張しますが、では目的に合った苦労では忍耐力はつかないのかと私は逆に問いたいです。

 大学の受験勉強然り、長時間の走りこみ然り、言うは簡単ですがこれらをこなすとなるとなかなか大変な苦労で、実行にあたりそこそこの忍耐力が要求されます。しかも先ほどの運動部によるしごきと比べてこれらの必要な苦労はそれぞれの目的に対して学力の向上、体力の向上といった付帯効果があり、その上で私はちゃんと続けることで忍耐力も共に鍛えられるのではないかと思います。忍耐力がどちらでも鍛えられるのであれば、しごきといった余計な苦労はせずに必要な苦労を率先してやっていった方がずっと効率的ではないでしょうか。

 私は何も、なんでも苦労を避けて楽な道を選ぶべきだと言うつもりはさらさらありません。きちんと目的を持ち、その目的を達成するために必要な苦労はどんどんとやるべきである一方、その目的達成に対して何の関係もない苦労はやらないに越したことはない、むしろ時間の無駄となるのでそういった余計な苦労は避けた方がいいと私は主張したいのです。
 そうは言っても世の中理不尽なことが多いのでそういったことに耐性をつけるためにもある程度は余計な苦労もしておく必要があるのではないかと言われる方もいるかもしれませんが、私はそのような理不尽に対する耐性は必要な苦労でも得られると思いますし、そもそも理不尽に対して何でもかんでも黙っているのもまた問題な気がします。その理不尽を甘受せずに環境を変えるなり対策を行う方がずっと前進的でしょう。ま、多少の我慢はもちろん必要ですが。

 私はこのところ自分を取り巻く環境に対し、今自分が負担に感じている苦労は必要な苦労なのか余計な苦労なのかとよく考えています。もちろん必要な苦労だと思えば心情的にも軽くなるし頑張ろうという気持ちも持てますが、余計な苦労だと一体何のために我慢しているのかと考えれば考えるほど余計に辛くなってきます。ただ単に自分が未熟で必要な苦労か余計な苦労か判別も出来ないのかもと思う一方、先ほどの「新人料理人は数年間は皿洗い」など、世の中では一般化されていたとしても明らかに余計だとわかるものははっきりわかる気がします。
 何でもかんでも人生思い通りに行くわけではないので多少のことはもちろん我慢するべきです。しかしあまりにも余計過ぎる苦労は周囲から非難を受けるとしてもやはり避けるべきで、きちんと目的を持って必要な苦労を求めていくことが我慢強いとされる日本人に必要なのではないかというのが、今日の結論です。

  おまけ
 今回の記事内容について先に友人と相談をしたのですが、その友人とはある苦労を共有しておりました。我々が通った大学の一、二回生時キャンパスは辺鄙な田舎にあり、我々二人はそのキャンパス近くに下宿を借りて住んでいたものの本当にシャレにならないくらいの場所の上に中途半端に都会に近いもんだから精神病を起こす学生もいるほどで、ご多分に洩れず我々二人も入学当初にすぐ五月病をリアルに発祥するなど苦労をしたのですがその時の体験について、

花園「あそこでの生活は確かに辛かったけど、今となれば『必要な苦労』だったかな( ´ー`)」
友人「いや、僕にとっては『余計な苦労』以外の何者でもなかった(´д`)」

 と、見事に意見が割れました。この後もお互いに『必要な苦労』と『余計な苦労』とこの二つの言葉を使い分けてあれこれ愚痴を言い合いましたが、「社内のお局対応は『余計な苦労』だ」、「あの上司の指導は厳しいが、『必要な苦労』だった」など、使ってて意外に便利な言葉だと思いました。

  おまけ2
 三日ぶりの更新ですが見事四千字を越える長文、書いててものすごく気持ちよかったです。やっぱり定期的に文章書かないと自分は駄目ですね( ´Д`)

2011年2月15日火曜日

小沢氏の党員資格停止について

「党員資格停止」を議決=反対論押し切る―民主常任幹事会(時事通信)

 昨日一昨日と力の入った記事を連日投下したので、今日はさらりと流せるニュース解説です。
 ようやくこの問題に一つの目処がついたというべきか、上記リンク先のニュースで書かれている通りに強制起訴された民主党の小沢氏に対して本日民主党幹事会は裁判が確定するまで党員資格停止するという決議を行いました。この決定に対する私の意見は、まぁ当然といえば当然だけどこれまでの対処期間を考えるとやや決断が遅かったかなといったところです。

 小沢氏に対する評価は色々ありますが、先日産経のニュースにてやや高所ぶった目線で書かれていましたがこんな記事がありました。その記者がタクシーに乗った際に政治ついて運転手と会話したというのですが、そのタクシー運転手はこんな世の中だからこそ豪腕の小沢氏が政治を主導した方が何か変わるのではというものの、その記者は小沢氏は豪腕とよく言われるもののこれまでの日本の政治史において何か政策を主導したことはなく、また具体的な政策目標を何も持ってないとしてそのタクシー運転手の意見を否定したというないようです。

 この記事の内容が、小沢氏についてよく言い表していると私は思います。小沢氏は確かに細川連立内閣を作って55年体制に終止符を打つのを主導したことは間違いなく、またその後の小選挙区比例代表制制への以降も彼の強い希望で行われました。この二つを功績と取るならば確かに功績ですが、しかしその後の彼の政治キャリアはというとただ政党を作っては壊し、無駄に日本の政権を不安定にさせてきただけとしか私には思えません。しかも何故政党を何度も壊し続けたのかというとこれも、どう見ても彼が主導して実現した政党交付金制度を悪用して私服を肥やすためでしかないでしょう。
 特に一番罪業が重いというか、公明党とともに連立を組んでいた小渕政権時に自民党の立場が苦しい時期を見計らって無理難題を吹っかけ、要求が通らないとわかるや連立を離脱したことです。実質このときのショックが引き金となって小渕元首相は脳梗塞を起こして死去しており、政治に駆け引きは必要だとは思いますが不必要な要求のために無駄に権力を不安定化させた小沢氏の行動には疑問を持ちます。

 とはいえ今回のこの民主党の決議にてようやく小沢騒動もひと段落しそうです。民主党内の小沢派が反旗を翻して分裂するとも言われておりますが、マルチ商法の親玉である山岡氏はともかく日教組のドンである輿石氏は意外にも早くに見限って菅首相や岡田幹事長側に寄って行っていますので、小沢派の動きはそれほど大きな影響は及ぼさないと思います。どうせすでに参院で過半数割ってるんだし。
 本来ならば小沢氏の強制起訴が決まった段階ですぐにこれくらいの処分は行うべきといえばそうなのですが、曲がりなりにもシンパが多い人なので時間がかかったのはしょうがないのかもしれません。願うことならこれに続いて、勝手にしゃしゃり出ては北方領土などに関して問題発言を繰り返している鳩山前首相も処分してもらいたいのですが。

 あと本件と関係のないニュースですが、ちょっと驚いたというか思うところがあるニュースがあります。

中国の米10%がカドミウム汚染、イタイイタイ病発生(サーチナ)

 内容は中国のお米の10%はあの四台公害病の一つであるイタイイタイ病を引き起こすカドミウムに汚染されているという、実際に中国で生活している私からするとちょっと気が気でないニュースなのですが、実はこのニュースは昨日の中国版Yahooにて載っていたニュースです。たまたま自分も読んでて翻訳してブログで取り上げて見ようかとも思っていたのですが、先を越されたというかまるまんま翻訳しただけのニュース記事に、あまりケチをつけるべきではないと思うもののなにやら釈然としないものをちょっと感じました。
 ちなみに元記事では「イタイイタイ病」のことをそのまま「痛痛病」と書かれており、多くの患者から聞かれる悲鳴から当時の医師が名づけたという由来もきちんと紹介されてます。またその中国の村の土壌が何故カドミウムに汚染されているのかというと、近くに鉱山があってその発掘の際に出る泥などが川を経由して汚染されているのではと書かれていました。よその村から来た女性が言うには、昔からその村にはあまり嫁に来たがる人はいなかったと言うほど曰く付きの土地だそうで、収穫物を国が徴収していた時代(人民公社時代?)もその村は免除されていたとまでいうほどブラックな土地だそうです。

2011年2月14日月曜日

TPPに日本は加盟すべきか 後編

 昨日の前編に引き続きTPP関連の記事です。昨日は主にTPP加盟反対派が強く主張する日本の農業保護を中心に解説した上で私はTPPと農業はこの際一緒に考えるべきではなく、むしろTPPに限らずもっと攻めの農業を考えていかねばならないと主張しました。しかしだからといってTPPに加盟をするべきというわけではなく、現段階ではもっと多方面に渡って議論を行ってTPPに加盟する価値について全体で考えていくべきだという立場だと説明しました。今日は何故私がTPPに対してこのような慎重な立場を取るのかということについて書いていきます。

 まず単純に、何故TPPに加盟する必要があるのかという点でいくらか疑問を感じます。菅首相を始めとして肯定派の人々が決まって主張する理由は、「今加盟しなければ日本は取り残される」という、どちらかといえば消極的な理由ばかりです。もう少し具体的に書くと日本はリーマンショックから未だに不況が続いていますが隣国韓国は自由貿易を推進して目覚しく躍進しているとして、今ここでTPPに加盟して日本も自由貿易化を進めなければ中国の躍進といい、グローバル化に遅れてずるずると衰退を続けてしまうというシナリオをこの手の議論でよく見かけます。

 しかしこうした肯定派の意見に対して反対派の代表的論客である中野剛志氏を始めとした方々からは、TPPに加盟しなければ日本が取り残されるという意見は間違いだという意見が出されており私もこれに同感します。まず先ほどの韓国との比較ではさも日本が自由貿易化に遅れているような印象を与えますが、実際のところ日本は農業を除くと世界的にも関税が低い国で、EUなどと比べるとよっぽど自由貿易国家であります。私も貿易事務をしていた時代に何度か経験しましたがヨーロッパから物を輸入する際には消費税にやられ、輸出する際は関税にやられて商品価格がけたたましく上がるのには面食らいました。
 また韓国は自由貿易を行っているから景気がいいというわけでなく、これも私に限らず多数の方々が指摘しておりますが今の韓国の好景気はウォン安という為替効果以外の何者でもなく、それは逆に日本の不景気は円高以外の何者でもないということです。TPPに加盟しなければ経済は停滞したままと肯定派は主張しますが、仮に加盟したところで現在の円高が解消されない限りは何も変わらないと私も断言します。ではTPPに加盟すれば為替は動くのかといえばこれも結びつく理由は見当たらず、何かすれば都合よく物事が動くなんて信じるのは馬鹿の妄想に尽きるでしょう。

 さらに外交上の観点からも今加盟しておかねば東南アジア諸国の中で孤立する恐れがあるという意見もあり、私の見たところ菅首相はこの意見に一番ほだかされてやけにTPPを推進していると思えますが、これも正直なところ疑問です。現時点において東南アジア地域で影響力が強いのは言うまでもなく日中韓の三カ国ですが日本を除く中国や韓国は今のところTPPに加盟するそぶりは見せておらず、この論法で行くのなら中国や韓国は東南アジアの中で孤立していくはずです。また自由貿易によって東南アジア地域との結びつきを強くして経済的連携を強めるべきだという意見も見えますがすでにTPPに加盟している四カ国は経済規模もそれほど大きくなく、さすがに中国やインドみたいに馬鹿でかい人口を抱えていれば話は別ですが、経済的連携を強めたところで得られるメリットというものはほとんど見えてきません。
 もちろん現在ベトナムやオーストラリアなどの国々も参加を議論しており将来的にはまだわかりませんが、ほかの国がやっているから日本もというのは昔からの悪い癖で、よそはよそでうちはうちなのですからしっかりとメリットとデメリットを計算した上で参加は決めるべきでしょう。少なくとも、「ほかの国が入るから……」という理由だけで参加を考えるというのは大きな間違いです。日独伊三国軍事同盟もそんな感じだったし。

 そして一番肝心な点が、TPPに加盟して日本は輸出を増やすことが出来るかです。これに関しては現時点で私はほとんど増えないと考えております。
 前回の記事でも書いたようにもしTPPに日本とアメリカが加盟した場合はこの二カ国で生産高の九割を占めることになるため、この輸出について考える場合もやはりアメリカを相手に見なければなりません。これはいろんなところで引用されているので試しに私も引用して見ますが、日米間の関税で大きなものといったら日本の農作物に対する関税とアメリカのトラック車に対する関税です。アメリカは海外からのトラック車の輸入に対して25%の関税をかけており普通乗用車の5%と比べると確かに高い印象がありますが、それ以外となると自由の国というだけあってアメリカの関税は日本以上にどれも低いです。また件のトラック車においても日本の自動車会社はどこも米国工場を持っており、現地生産してしまえば関税どころか輸送費用もいらないためトラック車の25%という関税がなくなるからといって何か日本の自動車会社に影響があるかといったらはなはだ疑問です。

 このように私は現時点でTPPに対するメリットをあまり感じません。逆にデメリットについて言えば関税がなくなることでいくつかの部門で安い商品が入り、さらにデフレが悪化する可能性が挙げられます。
 だからといって私はTPPをすべて否定するわけでなく長期的な視点で考えれば大きな経済圏を作り、発展途上国の成長も織り込んで自由貿易は徐々に進めていくべきだと考えています。ただ現時点で日本は円高不況の上にデフレも抱えているため、もう少し体調を整えた上で目指すべき方向をしっかりと定めてからこういったものに参加するべきだと考えており、議論を深めないままほかの国に乗り遅れるなとばかりに急いで参加しようとするのはたとえ鈍亀と罵られるようとも反対です。

 本音を言えば私はTPPよりもEUに参加し、アジアの中のヨーロッパの尖兵として周りから集中砲火を食らおうとも独自性の強い国として日本はやっていく方が面白いんじゃないかと考えています。ただどうもEUは日本を目の敵にしているところがあるのかこうした議論に対して一蹴に付すところがあり、血は水より濃いわけじゃないですが腐ってもEUはアジアを受け入れないかと見ていて実現性は低いと思っています。
 そんなEUもリーマンショック前はユーロの導入など割と順調にやって来れていましたが、リーマンショック後のアイスランドやギリシャの金融危機を受けてでかけりゃなんでもいいというわけじゃないんだなという証明をしてくれました。TPPもこういう点で、うかつに参加したばかりに余計な荷物を抱えないよう、日本はしっかりと議論を深めて考えていくべきでしょう。

  参考サイト
慶応大学教授・竹中平蔵 TPP参加で政権公約も見直せ(産経新聞)
中野剛志:TPPはトロイの木馬──関税自主権を失った日本は内側から滅びる(ニュース・スパイラル)

2011年2月13日日曜日

TPPに日本は加盟すべきか 前編

 先日に来た友人からのメールに今の日本は大相撲の八百長問題とTPPのことばかりと書かれてあったので、ちょっと今日は調べる時間もあったのでTPPについて私の意見を紹介しようと思います。

環太平洋戦略的経済連携協定(Wikipedia)

 このTPPの正式名称は「Trans-Pacific Partnership」で、日本語だと「環太平洋戦略的経済連携協定」になります。この協定は2006年にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドで結ばれたもので、協定締結国内同士では原則関税をすべて撤廃して自由貿易を行うという内容です。一体何故このTPPが急に日本で取りざたされるようになったのかというと去年頃からこのTPPの締結国拡大議論にアメリカが参加するようになり、それに対して日本の菅首相が十月の会見にて参加を目指す方針を述べたことから各業界入り乱れての議論となったようです。すでにあちこちのサイトやニュースにても報道されておりますが、仮に日本やアメリカが参加するとなるとTPP内の総生産高はこの二カ国が九割を占めることになるため、この議論は実質日米のFTA(自由貿易協定)議論であると指摘されております。

 そういうわけでTPPとはアメリカと自由貿易協定を結ぶかどうかという話になるのですが、結論から言うと私はまだ時期尚早で、将来的にはともかく今急いで加盟するべきではなくもっと多方面で議論を重ねた上で決断するべきだという立場を取ります。

 まずこのTPPで一番槍玉に上がっているのは農業です。自由貿易をするとなるとアメリカ産を始めとした安価の農作物が日本に大量に入り込んで日本の農業は衰退を超えて絶滅すると農林水産省を始めとした各団体が主張していますが、率直に言ってこの意見は逆にどうかと私は思います。
 一体何故そう思うのかというとそもそも高い関税障壁の上に税金の保護を行っている現時点でも日本の農業は年々衰退しており、TPPに参加しなくてもこのまま行けば結局駄目になるのがはっきり目に見えているからです。簡単に調べたところ米には700%もの関税がかけられていますがそれでも農家は減少の一途を辿っており、さらに国は減反政策まで取って自ら減らそうとしている始末です。

 確かにTPPで関税がなくなることで大豆(自給率6%)を始めとしたいくつかの品種については国産農家はさら苦しむことになるかもしれませんが、現在農業が衰退している一番大きな原因は現金収入が少なく生計が立て辛いからです。何故収入が少ないのかといえば米が作りすぎてあまってしまうほどそれを食べる人間がいない、つまりは販路がないということや、日本産の作物だと価格が高すぎて市場で売れないなどありますが、その一方できちんと黒字を出している農業法人なども確かに存在します。そういった黒字を出している農業法人からすれば自由貿易による国内価格低下で痛手を被る可能性もありますがその一方でTPPは世界に販路を持つチャンスにもなり、どうせ失うものなどほとんどないのだから挑戦するだけしてみた方がかえって日本の農業振興にはよいのではないかという気がします。

 また外国産の流入によって自給率が下がって大変になるという意見もよく聞きますが、これついても以前に書いた「書評:日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率」の記事の中でも引用しているように、そもそもの日本の自給率の捉え方、対策が問題で、このTPPの議論以前の問題でしょう。
 さらに穀物に限れば仮に安い外国産が入ってきたとしても私はあまり影響はないのではないかと見ています。そう思うのもかつて冷害でミニマムアクセスとしてタイ米が一時出回った時の体験で、やはりお米については高かろうとも国産を食べ続けたいと小学生ながら当時は心底思いました。またこうして海外で生活していてもやはり日本産の米が欲しいといつも思え、多分10キロ5000円であろうとも売っていたら私は間違いなく買います。特にいろいろと問題が起こっている中国にいるだけに……。

 元々、日本人は食にはやけにうるさい民族です。かつての米国でのBSE騒動の際も同じ日本人でありながらどうしてここまで拘るのだろうかと思うくらいの反発を見せましたし、食料ナショナリストとでも言うべきか、穀物に限らなくとも安いからといってそうそう外国産を信用することがなく簡単に乗り換えるようなことはないんじゃないかと思います。
 ただ唯一の懸念としては価格の安さから外食産業が外国産を仕入れるようになるというケースが考えられますが、これの対抗策として前もって「全国産使用販売店」などといったお墨付きや臨検を行うことで国産食材使用店のブランドイメージを意図的に高めるような手を使うのもありなんじゃないかと思います。まぁ吉野家は米国産牛肉使用しているから、関税がなくなればますます価格が下がるだろうけど。

 その上で日本は水や南北に長く伸びた国土といった農業上の利点がありますが、耕作可能面積が狭いという難点があります。それゆえに無理にどの作物についても何でもかんでも無理に自給しようとするのではなく、工業についても最近はこの流れですが農業は少量高品質生産を中心に行い、世界で購買力のある層へ販売していくという戦略をとる方が現実的です。元々日本一国で今の人口を全員食べさせるだけ耕地はないのだし、それならば農業を如何に産業として育てていくかという視点でこのTPPを考えていくべきでしょう。
 幸いにも近年の日本食ブームで日本でしかほとんど消費されない食材を世界で販売するチャンスは増えてきております。また今の日本人もそうですが食というものは一回おいしいものを食べてしまうとなかなかそれより味の劣る同じ食材を選びづらくなる所があるので、日本の高品質で味のよい食材を日本食ブームに乗って口にさせて二度とほかの食材を口に出来なくさせてしまえば日本の農業としてはしめたものです。なんか麻薬の売り方みたいだけど。

 こんな具合で私はこのTPPを考える上では農業保護はあまり考えなくともよいのではないかと考えています。むしろTPPによって日本の農業は発展する可能性もあるので、こと農業については私は加盟を検討すべきだと思います。
 現在農業保護を理由にTPP加盟に反対しているのは農水省と全農ことJAですが、私はこれまでこの二組織が日本の農業に対して何をやってきたのかという点で疑問を持っており、特にJAについてその運営から世界的にもあまりに高い日本の農作物流通コストを考えると日本の農業を駄目にしている張本人ではないかとすら疑っています。なんか聞くところによると、市場価格の十分の一程度しか生産者の手元には来ないというくらいだし。

落選させようTPP反対派議員-関税で農業は救えない!!(アゴラ)

 中には上記リンク先の北村氏のように結構激しい意見を言う方もいますが、農業についてはもっといろいろな意見を議論させて見る必要があるものの現時点では農水省の言い分を私は信用しません。

 ではそれにもかかわらず何故今回のTPPについて慎重にするべきだと最初に言ったのは、実はTPPによって好影響があるといわれている工業方面において疑問があるからです。すでに大分長いので、続きはまた次回にて。
 それにしても狙ったわけじゃありませんが、リンク相手のリュウマの独り言さんと見事に記事内容がTPPでかぶってしまいました。なんていうか街中で同じTシャツを着た人に会ってしまったような気まずさですが、これはこれで参考になったりお互いに意見を見比べあったり出来るので歓迎しようと思います。リュウマの独り言さんのところでもTPPについていろいろ書かれているので、もしよければこちらも一緒にご閲覧をお願いします。


  参考サイト
のらくり

2011年2月12日土曜日

戦争における殺人

 通常、どの社会においても殺人行為は処罰の対象となります。これは法律とかそういうもので決められているからではなく生物は基本的にメスの奪い合いなどといった例外事態を除くと同属を殺害する際には強いストレスを感じるように出来ているので、いわば本能に根ざした禁止、自然法的な概念だと私は考えております。しかし人間社会において唯一殺人が奨励され、処罰がなされないのが戦争です。

 国際法やら戦争法で決まっているのかどうかまではわかりませんが、基本的に戦争中における兵卒同士の殺人は処罰がなされないこととなっております。もちろん軍属が民間人を殺害した場合は軍法会議などで処罰対象となりますが、双方戦争を行うという合意に基づいての殺人は責任を問われないということになっているそうです。もっとも実際のところは太平洋戦争後のB、C級戦犯などのように戦勝国側に敗戦国側の兵士や仕官が一方的に裁かれることが多く、近年もイラク戦争でもあのアブグレイブ刑務所の捕虜虐待事件とかを見ているとやはりこういったことが行われているのではないかという気がします。

 さてこの戦争における殺人ですが、どのように捉えるかは非常に難しいものです。上記のように捕虜や民間人を殺さないという戦争のルールに則っていれば許されるものなのか、それともいくら戦争とはいえ殺人は殺人として許すべきではないのか、人によって意見は様々です。中には日本の自衛隊が影響しているのか自衛戦争において侵略者を殺害するのであれば許されるという意見もたまに見受けられますが、これは戦争には正しい側と正しくない側が存在するという前提があっての意見になり、そうなると戦争に正義はあるのかという議論にまで色々と発展していきそうです。

 先日元ライブドア社長の堀江氏がツイッターか何かで、「殺人は犯罪、しかし戦争で人を殺すのは無罪。両者にどんな違いがあるのか?」と書いたそうでなんか一部で議論となっていましたが、この意見を聞いて少し思い出した本があります。その本は加藤尚武氏による「戦争倫理学」という本で、よく人から「戦争に倫理もクソもあるかよ」とタイトルを教えるたびに言われるのですが、戦争という倫理が最も吐き捨てられる場所において最低限どのような概念を持つべきかという内容が書かれているのですが、読んではみたもののいかんせん個々の話がそれぞれ脈絡が少なく覚えている部分が少ないのが正直な感想です。

 ただこの本の中で名指しで批判されていたのが「ゴーマニズム宣言」の小林よしのり氏で、小林氏が自著の「戦争論」において、「戦争とは一種のカーニバルみたいなもので、平時は抑えられている欲望とかそういうものを一挙に開放する場所だ」というように描いた内容についてまさに上記の堀江氏のように加藤氏が、「そうだとすると戦争で殺された人間は平時に殺された人間と比べて運がなかったと言うしかないのか」と、同じ殺人として区分すべきというように批判をしていました。

 実際のところ、この辺をどのように考えるかは非常に難しいです。戦争における殺人を平時における殺人のように個々に裁いていたらとてもじゃないですが裁判や補償が追いつくわけもなく、かといってそれを戦争だからで全部無視していいのか、また戦争を指示した国家が賠償なりに責任を持てばいいのか、考えてたらはっきり言ってこちらも切りがないです。
 実際に「戦争」ということで殺人罪を許された例として、ここで挙げるべきかどうか少し悩みますが小野田寛郎氏の例があります。小野田市は終戦後も29年にわたってフィリピンにてゲリラ戦を行い、この間に現地の警察、米兵を殺害しておりますが、戦争中における行為としてフィリピン政府から特赦を受け帰国しております。

 もちろん小野田氏は上官から命令された行為を行っていただけで今現在の日本でも起きている通り魔や強盗といった自己本位による殺人とは動機や目的において一線を画しますし、彼の過酷な潜伏体験を考えると私もとても責任を求める気にはなりません。ですが戦争での殺人ということで何でもかんでも特別視をすることは本当に正しいのか、それともこういうことを考えること自体が馬鹿馬鹿しいのかという点で悩みは尽きません。

 名前は出しませんがこれは誰かが言っていた台詞で、国家に対して個人というものは非常に弱く、運命なぞ簡単に翻弄されてしまうといって特攻隊やインパール作戦の犠牲者の悲劇を語る人がいますが、戦争における殺人は個人単位ではなくやはり主体となる国家単位で考えるべきなのかもしれません。国家の殺人となると私の中で真っ先に思い浮かぶのはミドリ十字の薬害エイズ事件ですが、そのミドリ十字の設立者たちには731部隊の面々が関わっていることを考えると同じ殺人をする人間はまた同じ殺人をするのかと考えさせられます。

2011年2月9日水曜日

財政再建には増税が必要なのか

 今日もまたネットニュースにて国の借金が増え、国民一人当たりどれくらいの借金を担っているかというニュースが配信されていました。私が小学生の頃の日本の国債発行高は確か400兆円くらいでしたがあれよあれよという間に現在はすでにその時の額から二倍以上にまで膨れ上がり、現今においてこの借金をどう返すかという財政姿勢が主要な政治課題となりつつあります。
 そんな財政再建議論において最前面にいる政治家を挙げるとするなら、それはほかでもなく与党民主党の代表である菅首相が挙がって来ます。菅首相は総理就任後の参議院選挙において消費税の増税を掲げ(批判されるやすぐ引っ込めたけど)て財政再建を強く訴えたことから、それ以前からもなかったわけではないですが俄然この問題が前面に出てきた感があり、そこで今日は財政再建に増税が必要かどうかを含め現況を整理するとともに問題提起を行おうかと思います。

 まず菅首相の増税論については現状で数多くの批判がなされているのは事実です。理由はいくつかありますが主に財界からの批判としては増税を行うと消費が冷え込み、余計に経済が悪化して税収が落ちるというような批判がされておりますが、実際に97年に当時の橋本政権が消費税率を従来の3%から現在の5%に増税した際は増税したその年こそ税収は増加したもののすぐに景気が悪化し、二年後にはそれ以前より少ない税収となって「失われた十年」の最悪期を引き起こしたと現在でも指摘されております。
 では財政再建のためには増税は行うべきではないのかということになってしまいますが、実は私は増税に対しては肯定派の立場を取ります。その理由としては現状でも予算が足らず国債を発行し続けているのに税収を増やさずしてどうしてプライマリーバランスを回復できるのかという考えと、日本の景気を回復させるためにもこうした財政再建を行うという強い姿勢を見せることが必要だと感じるからです。

 そもそも何故現在の日本が不況なのかといえば、一つの大きな理由としてはやはり消費が低い水準のまま維持してデフレが続いているからです。では何故消費が少ないのかといえばいろいろ理由はありますが、その中でも将来の社会保障があまりにも不透明ゆえお金を使おうにも使えないということが特に大きな原因ではないかと私は考えております。
 将来の社会保障というのは単純に年金や医療保障のことで、若い時分であればまだ働くことが出来るけれども老齢時にはただでさえ就職口がないだけに、自分の身は自分で守れとばかりに現在四十代から五十代の方々はうちの両親同様に老後の蓄えを一定度確保するのに執心しているかと思います。

 もし仮に年金など将来の社会保障がしっかりとしていて国民も安心できるのであれば、壮年層もそこまでお金を貯めようとせずに使える時、まだ元気なうちに使ってしまおうと消費に回ってくる可能性があるとかねてから評論家などに言われております。私自身もこの意見に同感なのですが、現在そういった社会保障に何故信頼が置かれないのかといえば杜撰な年金管理はもとより将来基金が枯渇することが確実な欠陥制度に加え、それを担保する国の財政が借金漬けにあることなどが原因でしょう。
 そのため確かに97年度の増税時には景気は悪化したものの現時点の増税は国民の側も多少は理解を示すようになっており、こうした将来への不安を多少なりとも和らげる効果があるのであれば私は当時ほどの景気悪化は招かずに税収は増加するのではないかと見ております。

 しかし、だからといって私は現時点の菅首相の増税論については真っ向から反対です。先ほども述べた通りに私は増税には賛成ではありますが、菅首相の増税論は日本の借金を返すためというよりはマニフェストに掲げた子供手当てなどといった新たな政策を実行するための資金稼ぎにしかなっておらず、プライマリーバランスの回復にはほとんど寄与しないと断言してもいいです。また仮に増税を行って得た税収をすべて社会保障に回すとしても膨大な借金が残ったままでは福祉がいくら充実したところで国民はやはり安心感が持てず、壮年層の貯蓄傾向と若年層の年金離れは変わらないままでしょう。

 ではどうすればいいかですが、ごくごく単純に増税しつつ支出を減らしていくという、徳川吉宗の享保の改革以来の方法を踏襲するよりほかはないでしょう。
 これまでの財政再建議論は90年代においてはもっと国債を発行してお金を集め、そのお金で公共事業などを行って景気を回復させれば税収が増えて円満解決だという、まるでばくちで作った借金をばくちで取り返すというようなやり方でしたが、こんなの通用するわけもなく結局景気は回復しないまま余計に借金を増やしただけに終わりました。その後小泉政権において積極財政政策は否定され、「聖域を設けない」という言葉通りに社会保障費などドラスティックに削減した緊縮財政政策が行われましたが、恐らく最低限の支持率を確保するためでしょうがとうとう小泉政権は増税には踏み切りませんでした。

 そして今度の菅政権では社会保障+αを増額する代わりに増税を行って財政再建をすると主張していますが、はっきり言いますが論理破綻もよいところです。本気で財政再建を行うというのであれば小泉元首相同様に聖域を設けずに支出を削減した上で増税しなければいけませんが、菅政権、というより民主党には下記のような聖域が明らかに存在します。

・議員定数
・公務員の人件費
・子供手当て
・外国人
・道路

 小泉政権の頃も全く聖域がなかったわけではありませんが、それでも国土交通省関連の予算を大幅に削減するなど従来の常識では考えられない領域に手をつけたのは評価に値します。また小泉政権は社会保障を削減して復旧不可能な水準まで破壊したと私も当時に批判を行いましたが、今思うと本当にそれくらいのことをしなければ財政再建なんて夢のまた夢なのではないかと、たとえ現在が破壊されようとも未来に芽を残せるのであれば耐えなければならないのではとやや考え方が変わってきました。

 ややもするとこの財政議論は増税か、支出削減かの二択で争われる傾向がありますが、私は最早待ったなしで増税もしつつ支出削減もしなければ財政再建など出来ないところまで来ているのではと考えています。もちろんこんなことしたら享保の改革時同様に不況がさらに悪化するかもしれませんが、私はもともとの不況の原因はデフレで、デフレを克服するためにはプライマリーバランスの回復が何よりも重要だと考えており、財政再建政策を執ることは一時的には大きなダメージを日本に残すかもしれませんが長期的な視野に立てば日本にとって最もよい道ではないかと見ております。

 享保の改革時、巷にて一連の改革は確かに厳しいけれども後で効果が出てくるお灸のようなものだと思って我慢するしかない落首が流行ったそうです。人間誰しも痛い目や苦しい思いはしたくはありませんが、それが本当に将来につながるのであれば私は我慢をしてみようという覚悟があります。ほかの人まではわかりませんが。

  追伸
 つい以前まで増税はせずに緊縮財政、景気回復によって財政再建を主張する竹中平蔵氏を始めとした小泉改革のメンバーのことを「上げ潮派」と読んでましたが、なんだかいつの間にかこの言葉は死語になっていたような気がします。リーマンショック以降は景気回復なんて現実味がなくなったからかな。

  追伸2
 このところ自分でもしょうもないと思う記事ばかり書いてて悶々としてましたが、敢えて久々にややこしいテーマを選んで書いたところなかなか気持ちよかったです。人間、高いところ目指してそこに立ってないと駄目になりますね。

漫画家の北条司氏について思うこと

 私が現役の漫画家の中で個人的に最も高く評価をしているのは、「シティーハンター」を代表作として持つ北条司氏です。

 「シティーハンター」自体がもう大分昔の作品なのでもしかしたらどんな作品かわからない方もいるかもしれませんが、多分私と同い年くらいの人間なら夕方五時半からよくやっていたアニメの再放送などで見ていた経験があるかと思います。内容については主題ではないのここではあまり解説しませんが、一回このブログにて「男がかっこいいと思う男性キャラクター」というテーマで記事を書こうとした際にまず真っ先に思い浮かんだのがこのマンガの主人公である冴羽獠でした。結局この企画はほかに出てくるのが「ルパン三世」のルパンくらいだったので企画倒れとなってしまいましたが。

 私はこの「シティハンター」を幼児ながら当時同じジャンプで連載されていた「ドラゴンボール」を読む傍ら、放映されていたアニメとともによく読んでいました。とはいってもさすがに幼児の時分で後年になると大まかなあらすじは知っているものの内容についてはほとんど覚えてなかったのですが、大学生時代にブックオフ内で古本が売られているのを見つけ、思うところがあって改めて単行本を買い集めて改めて読んでみたところ、あの「もっこり」という表現を始めとして暗殺などを生業とする主人公が出るなど、よくこんな大人向けのマンガがジャンプで連載されていたなと感心するとともに、そんなマンガを幼児であった自分も楽しんで読んでいたという事実に驚きました。
 その上である程度年齢の乗った状態で読み返してみると、子供の頃にはわからなかった部分がわかるようになってか当時とは違った感覚で読み返すことが出来ました。また買い集めた単行本を部屋に置いていたところ私の部屋に遊びにくる友人らがことごとく見つけては、「シティーハンターや!Σ(゚∀゚ノ)ノ」といっては勝手に読み出し、私の部屋の漫画本の中では「鬼切丸」を越えて貸し出し回数No.1でした。

 北条氏のマンガの特徴を挙げると、何を置いてもまず描かれるキャラクター絵の秀麗さに尽きます。デビュー作の「キャッツアイ」を始めとして女性キャラクターを描かせたら天下一品だとよく言われていますが、私は女性キャラクターももちろんのこと男性キャラクターにおいてもそれぞれの特徴がしっかりと現れているので注目に値するかと思います。
 その上で私なりの着目点を述べると、北条氏のマンガは写実的な背景など現代世界を舞台にしていることが多く、頭身が高くデフォルメの少ないキャラクター絵とあいまってほかのマンガと比べてテレビドラマや映画のような観点で読めるものが多いです。このような現実感の強いマンガは北条氏に始まるわけでなく、それ以前にこちらも私が大好きな池上遼一氏のマンガでも展開されていますが、少年漫画においてこれほどまでスタンダードを作ったという意味では北条氏の功績は高いかと思います。

 さらに言うと、これは私も最近知ったのですが北条氏のアシスタント経験者には「スラムダンク」の井上雄彦氏、「BØY」の梅澤春人氏がいたらしく、二人とも北条氏同様に現代世界を舞台に頭身の高いキャラクターが出る作品を多く書いているだけにそれぞれの初期の作品には北条氏のマンガの匂いがします。両者ともに90年代中盤のジャンプを引っ張る連載作品を出しているだけに良将は良兵を生むといったところですが、どっちももう大御所といっていいくらいの大物なのでこの言い方は失礼かもしれません。

 これは漫画家に限るわけじゃないですが、後藤新平ではないですが人を評価する上でその人物がどれだけの仕事を成し遂げたということよりも、どれだけ後世への影響を与えたかで見るべきだと私は考えています。90年代最大、というより日本のマンガが始まって以来の最大のヒット作は間違いなく「ドラゴンボール」ですが、良くも悪くも「ドラゴンボール」はあらゆる点で突き抜けていたためにその表現技法などを引き継いだ漫画家はほとんどいないのではないかと見ています(しいて挙げれば尾田栄一郎)。
 それに対して北条氏ですが、私は現代の少年漫画は多かれ少なかれ彼の影響を受けているのではないかと考えています。北条氏の後進の漫画家が活躍していることもそうですが、マンガの技法やストーリー展開などで地味に強い影響力を残しているのではないかと思います。

 もちろん厳密にみればもっと影響力の強い漫画家がほかにもいるでしょうが、北条氏を「シティーハンターの漫画家」ではなく、「少年漫画に一石を投じた漫画家」として見てはいかがかと思ってこうして記事にまとめました。

病苦自殺の一般化について

 最近中国語をまたしっかり勉強しなおそうとmsnやYahooの中国サイトにあるニュースをよく読んでます。中国のニュースは日本みたいにこざっぱりまとめることは少なくどれも全力力一杯の長文ばかりで読んでて嫌になることが多いのですが、自分が習ってきた中国語とはまた異なる記事用の中国語が使われるので勉強のしがいがあります。
 また読む際に大概の単語は読み取れますが一部はっきり理解できないのも少なくなく、「フランスの日々」のSophieさんが紹介している「Goggle Chroma」のアドオンを使い、マウスオーバーによって手軽に単語の意味を確認したりしています。私は普段使うブラウザは「Opera」なのですが、Operaだとなんか使っているOSの相性やバージョンの違いによって簡体字が表示されないことがあり、私のパソコンも自宅用は表示しないくせに会社用は表示したりします。そういう対処も含めてChromaと併用というのもまた妙な話です。

 さてそんなわけで今日もまたニュースを読んでたわけですが、ちょっと気になるというか思うところがあるニュースとしてこんなのがありました。

长沙77岁患病老太不愿给家人添负担投江自杀(红网)

 例によって記事を書いている私のOperaのブラウザ上だと嫌味な位に簡体字部分は空白となっておりますがそれはまぁ置いといて記事の内容を簡単に翻訳して説明すると、中国の長沙という場所で77歳のおばあさんが河に身を投げて投身自殺を図るも警察らによって救出されて自殺理由を尋ねたところ、おばあさんは病気となったものの治療するお金がなく、家族に負担をかけられないとして自殺を図ったと証言したと報じられております。

 これは私の造語ですが、病を苦にした安楽死を含む自殺をそのまま「病苦自殺」として表題に掲げましたが、この中国のおばあさんの自殺も典型的な病苦自殺の一種です。日本で病の治療費や家族の負担を気にする原因とした自殺ときたら森鴎外が「高瀬舟」に書いた話が代表的ですが、現実の話として今現在の日本でもこのような自殺は少なからずあると思います。ただでさえ少子高齢化で医療費の負担が大きく響く時代で、きちんと知識があれば保険適用範囲内の治療であれば年間約十万円の負担で日本は済みますが保険適用外の治療や、こういった医療費還付の法令を知らないあまり、自殺を行う老人の話を日本でもたまに耳にしたりします。

 私が今回何が言いたいのかというと、この中国の病苦自殺未遂のニュースを見て、日本だったらもしかしたらニュースにならないかもと思ったわけです。2009年の年末に、年の瀬ということもあって毎朝東京都内の列車が人身事故で遅延が発生しているもにもかかわらずどの報道機関も何も取り上げず、何か日本は知らないところで感覚がおかしくなっていないかということを記事に書きましたが、総じて日本では自殺関係だとちょっとやそっとの内容ではもう注目されないために件数は増えているにもかかわらずニュースとして取り上げられる数は減ってきているように思えます。一時は大きく取り上げられた硫化水素自殺も、自分が言うのもなんですがもうなんか一般化してしまっている気がしますし。

 病苦自殺も同様で、それ自体は不幸なケースとして見られるかもしれませんがニュースとしての価値は日本ではもうほとんどないかもしれない、中国とは違ってニュースとして報じられていない裏で相当な件数が起きているのではないかと思ったわけです。
 人間何が一番怖いかって、無意識にとんでもないものに感覚が慣れてしまうことほど怖いものはないです。そういう意味で海外ニュースというものは自国人が気づかない一面を気づかせる一助となることが多く、和む外国人の話とか見ていて色々と飽きないものです。

2011年2月8日火曜日

80年代生まれと70年代生まれのお金の価値観の違い

 中国は二月に入ってから旧正月休暇のためどこの企業も休みで、大体明日くらいからまた業務再開のところが多いです。私のいる会社はメーカーのため休暇前と休暇後の土日を出勤日とする代わりにまとまって休日を作っており、私自身も休暇は明日までで明後日からまた出社する予定となっております。

 あまりプライベートなことを書いても仕方がないですが、先ほどネットで見た「日本の嫌な慣習」というテーマの掲示板内にて日本企業における「飲みニュケーション」を挙げている方がいましたが、こういったことは日本に限らずというか中国は日本以上にアルコールの強制が多く、私の親父の知り合いであるレクサスのハイブリッドエンジン搭載車を乗り回している(ちょっとうらやましい)社長も中国に商談で訪れた際に無理やり酒を飲まされ、なんでも入院までしたそうです。となるともちろん中国で働いている私も例外ではなく、休暇に入る前に何度もあった忘年会の度に紹興酒やワインの一気飲みを何杯も強制され、元々アルコールに弱いのもあって幾度となく吐かされては肺気胸を起こすくらいの痩せ型なのにさらに体重を大きく落としたため、この休暇中はともかく体重を増やすために出来るだけ多く食べてはよく眠ることに努めました。
 体重計が家にないために具体的に測定することは出来ませんが鏡で見る限りは一時は大きくこけた頬が大分戻り、食欲も一食にご飯二合を食べた上に夜食にインスタントラーメンやらおやつもバリバリ食えるくらいに順調で、健康状態は現在すこぶる良好です。ただ早朝にランニングを行ったところ、息が切れるより早く足が痛んで走れなくなるというのが我ながらちょっと不思議でした。足腰は自転車でそこそこ鍛えているのに。

 話は本題に入りますが、体調がいいということもあって久々に挑戦的な内容を記事にまとめようと思います。
 このブログで何度か書いておりますが、私は80年代の生まれです。この世代の特徴を挙げるとすれば物心ついたときから日本は不況であったため、割と世の中を斜めにというか悲観的に見る人間が多いと一部で言われております。これについては私の在学中、リーマンショック直前の日本の景気がやや持ち直して好況だと言われた時期にある授業で講師が、「最近好況だと言われているもののどうも君たち学生の反応が薄いように前々から感じてましたが、考えてみたら君たちは生まれてこのかた好況というものを一度も経験していなかったですね」と授業中に話したことがありますが、私はこの講師の発言こそが我々の世代と別の世代を比較する上で重要なファクターだと考え、よく周りにも話しております。

 私の専門は社会学だったために学生時代はこのような世代間の認識の違いことジェネレーションギャップについていろいろと友人と議論したり自分で勉強していましたが、同じ80年代生まれでもこの世代の青春期に当たる90年代後半から2000年代前半において携帯電話など小型通信機器が異常に発達したため、一年や二年の差でポケベルとかPHSを見た、触ったなどといった経験が変わってくるために一緒くたにすべきではないのですが、敢えて十年タームで区切ってその一つ前の70年代生まれの世代と比較すると、あくまで私自身の感覚でですがお金に関する価値観が真逆とも言っていいくらい違いがある気がします。

 具体的にどのようにお金に対する価値観が違うのかというと、どちらの世代も月給でいくら稼いでいるのかはもちろん気にはするのですが、私を含む80年代生まれはその上でどれだけお金を貯蓄しているかに価値を重く置いているように感じます。実際に私と周囲の友人も、さすがに中国みたいに「月給いくら?」とストレートに聞くことはしませんが(中国人はすぐ聞くし教えてくれる。これはこれでいいんだけど)、毎月どれくらい貯蓄に回して一年間でどれくらい貯金を貯めたかについては割合によく尋ね合い、節約方法や支出の抑え方についてよく話し合っています。

 それに対して70年代生まれですが、あくまで私の実感としてよくこの世代の人からは、「旅行に三十万使ったんだ」、「一晩で十万使った」などと、自分の感覚からすると何かと消費した金額を周囲にやや自慢げに話すことが多く、80年代生まれと比べてどれだけお金を消費したのか、貯蓄に対して消費することに強く価値を置いているように感じます。
 そのため学生時代からケチで鳴らした私はこの世代からよく、「もっとお金は使わなきゃ駄目だ」、「そんなに貯めてどうする」などと言われるのですが、ちょっと不思議というか同じ年長の世代でも60年代生まれの人からはあまりこういうことは言われることがありません。接点が少ないというのが一番大きいでしょうが。

 恐らくほかの世代とも比べると、我々80年代生まれは明らかに貯蓄傾向が強く物事に対して慎重な人間が多いように思います。何故そうなったのか仮説を挙げるとすればやはり生まれ育った環境というか、生活は物質上豊かでも世の中は不況一色で中高年のリストラや就職氷河期を見ているだけに、人生何が起こるかわからない(+レールから外れたらもう戻れない)というのを強いレベルで意識しているのではないかと私は考えます。

 それに対して70年代生まれは、こちらは私自身がその世代に属していないためにはっきりと言い切る自信はありませんが、やはりバブル期を見た、経験したというのが一番大きいかと思います。また自分の実感で話させてもらえば、自分は一度失ったお金は二度と返ってこないと思うのに対して70年代生まれの人の話を聞いていると、使ったお金はまたすぐに自分に帰ってくる、すぐに稼ぎなおせばいいというような考えを持っている方が多いように感じます。

 くれぐれも言っておきますが、私は80年代生まれの貯蓄傾向と70年代生まれの消費傾向のどちらが正しくてどちらが悪いと区別するつもりはなく、どっちもどっちでいい面もあれば悪い面もあると考えていますし、またそれぞれの世代の中には反対の傾向を持つ人間も少なからずいると思います。ただ今回の記事で私が言いたいのは、世代別で見ると全体としてこのような傾向があるのではということと、バブル時代を見ているかいないかは日本の世代別傾向を探る上で非常に大きなファクターであるということを強く主張しておきたく思います。

2011年2月7日月曜日

昨日の過ごし方

 昨日はまた友人に会うため、朝早くから家を出て上海中心部まで出かけました。すでに上海には何度も行っているし去年は一ヶ月も滞在したのでめぼしい場所はほとんど観光し終わっているのですが、改めて調べて見たところ「新天地」と呼ばれる、外国人向け観光街周辺にある共産党関係の旧跡に行ってなかったことに気がついたので今回その辺を歩いて見ました。

 まず最初に行ったのは新天地のすぐそば、ってか新天地と呼ばれる一画の中にある、陳独秀らが中心となって中国共産党が始めて会合を行った建物でした。入場料はタダで素晴らしいことこの上ないのですが入り口ではX線による手荷物検査が行われるなど通常の博物館として見たらやはり党の建物だということを意識させられるものの、展示内容は初期の中国共産党の動きと上海市の関わりについてパネルで説明されており、展示されている写真には若い頃の毛沢東や周恩来の写真もあってなかなか新鮮でした。
 館内の売店では例の赤い旗やらバッジやらが売っていたのですが、その中には私も以前にほかの土産物屋で購入して日本で見せびらかしては好評を得ていたこんな時計も売っていました。



 通称「毛沢東ウォッチ」と呼ばれるこの代物ですが何がすごいかというと秒針に合わせて左右に手を振るところで、しょうもないと思いつつも意外な発想が受けてか私の友人らにはぜひ譲ってほしいという声が多いものの未だ譲らずに持ち続けております。画像は時計表面が赤いですが、青いバージョンと合わせて私は二つも持っております。
 それにしてもこの時計はこういう共産党関係の施設内で売られているということは、てっきり商魂たくましい連中が勝手に造って売っていると思っていましたがどうやら党公認の代物だったようです。あとこの画像は楽天のサイトから取ってきましたが、楽天もこんなもんまでいちいち輸入して販売するなよとちょっと思います。

 話は戻って昨日の話です。そうして博物館を見終わると中国人の友人と合流し、今度は新天地からやや離れた孫文と周恩来の、それぞれの旧宅跡を尋ねました。このうち孫文の旧宅は入場料がいたので外から見ただけですが、周恩来の方は入場無料でした。両方とも思念路という通り沿いにあるのですが友人曰く、この地域は旧フランス租界で別荘が多い高級住宅地だそうで、言うだけあってレンガや石造りの洋館などおしゃれな建物が立ち並んでいました。
 ちなみに友人は上海に子供の頃からずっと住み続けておりますが、この日に私と来るまで周恩来の邸宅跡が上海にあるとは知らなかったそうです。この邸宅は日中戦争後に国民党と共産党が今後について協議を行った際に周恩来が拠点として使っていた邸宅だそうですが、京都市民もよく京都にこんな史跡があったとは知らなかったとは言うことがありますが、案外世界中どの都市でも似たようなことがあるのかもしれません。

 そんな風にして最後はジーパン一枚買って家路に着いたわけですが、上海に来る際の列車のチケットを買う際にこんなことがありました。
 私が上海に赴く際は高速鉄道に乗っていつも行っているのですが、ほかのチケットと違って高速鉄道においては一部区間で児童券売機が設置されているものの、まだこのような券売機に慣れていない中国人が多いために駅員の販売するチケット売り場に乗客が集中して大混雑しているにもかかわらず、自動券売機の前に列が作られることはほぼありません。私としてはこっちの方がすぐ買えるので重宝しているのですが、昨日私がチケットを買うや後ろから老夫婦が私に話しかけ、同じ上海行きの列車のチケットをどのようにして買えばいいのかと尋ねてきました。

 比較的聞き取りやすい中国語だったのでもしかしたらその老夫婦は北方から来ている旅行者だったかもしれませんが、話が通じやすいのもあって券売機の操作方法を教えて夫婦二枚分のチケットを購入させてあげたところ、発券前に指定座席を見てみると二枚のチケットで座席の位置が大きく離れておりました。
 座席位置は購入時に券売機が自動で決めるのですが、ほかに二人並んで空いている席が少なかったのかばらばらで席が決められていたようです。そこで直前に買った私のチケットを見てみると、やはりというか夫婦の持っているチケットの片方と隣り合った席番号だったので、内容を説明して隣り合って座れるように私のチケットと夫婦の持っている離れている席のチケットを交換してあげました。

 夫婦からはもちろんお礼を言われて、「聞き慣れない発音だけどどこの出身?」と聞かれて「日本人だよ」といって別れましたが、大したことではないもののやらないよりは矢っていいことをしたと思えてなかなか気分よく出発することが出来ました。
 多分どの人間も、自分が他人に対してよいと思われる行動を取った際は多少なりともこの時の私のように気分がよくなったり得意になったりするかと思います。これは子供においてもそうであるために後天的な教育によるものというよりは人間は先天的に他人への協力を喜んで行う面があると私は考えており、そういう意味では性善説を多少は信じていいかなという気がします。

2011年2月5日土曜日

大相撲の八百長問題について

 今日の記事は書こうかどうか少し迷いましたが、書いておくべきだろうと考え書くことにしました。

大相撲 春場所が中止へ 65年ぶり(産経新聞)

 恐らく日本ではこのところのワイドショーはこの相撲界の八百長問題で持ちきりかと思います。前回の野球賭博問題で膿を出し切るといった言っていた傍からまだこのような問題を相撲協会は放置していたなどと考えると、一相撲ファンとしては悲しい限りです。

 さてこの八百長問題ですが現時点では幕内、十両の一部の力士に限って行われていたと報じられているようですが、私個人の意見を述べさせてもらうとこの八百長はとてもそんな小さい身内の話ではなく、もっと広範囲で行われていたように感じます。そう思うのもかねてから相撲の中継を見ていて、場所中の千秋楽を七勝七敗で迎えた力士が最後の取組みで勝ち越しを決めるというパターンが異様に多いように感じていたからです。実際にアメリカの学者がこの件に関して統計を取っていたようで、七勝七敗で迎えた力士が勝ちやすいという有意な勝率結果が出ているそうです

八百長驚かない 7勝7敗力士勝率80%(日刊スポーツ)

 この記事によると過去の対戦成績から出した通常の対戦勝率が48・7%であるのに対し、実際に七勝七敗で迎えた際の取組みの勝率はなんと79・6%に跳ね上がるとして八百長が行われているのではないかと著者は疑義を呈しているそうです。今回の問題を受けてかこの統計が紹介されている本は問い合わせが相次いで早くも増刷がかけられることとなっているそうですが、実際によく調べているもんだという気がします。

 私個人の意見を言わせてもらうと、あらかじめシナリオが立てられているプロレスならともかく見ている観客は真剣勝負をしているものだと思っていた大相撲で八百長が行われていたなど言語道断で、しかも金銭が動いていたとなれば決して許される行為ではありません。これは野球賭博の問題と比べても問題性は劣らず、関わっていた力士はどのような理由があれ全員角界から追放されても仕方がないかと思います。
 その上でこの問題が発覚後、野球賭博のようにヤクザの間では相撲賭博も行われており、その相撲賭博と今回の八百長が何らかの形で関わっていたのではないのかという疑義が一部で呈されておりますが、全く懲りることのなく不祥事の芽を摘み取らなかった今の相撲協会を見ていると私としてもそのようなものがあるのではないかという気がしてきます。どちらにしろ、恐らく今回の不祥事で相撲協会は公益法人資格剥奪はやむを得ないでしょう。

 くれぐれも言っておきますが、私は相撲を愛しております。しかしこう何度も問題を起こして形ばかりの対応策を取ってうやむやにしているようでは、とてもこれ以上応援する気にはなれません。もちろん真面目に取組みを行っている力士らには今後もがんばってもらいたいのですが、こういった通常の感覚では考えられない行為をいつまでも野放しにしている体質では見ている我々としても非常に複雑な気分にさせられます。

 さてここからが今日の記事の本番ですが、私の視点から見て率直に八百長が疑われる力士とそうでない力士をいくつか挙げることにします。
 まずは横綱白鵬ですが、この人は間違いなく八百長はしていないと思います。どの取組みを見ても正攻法とも言うべき勝ち方をしており、去年は歴代二位の63連勝を達成していることから一部で「話題づくりのための出来レース」ではとも囁かれましたが、皮肉にも連勝記録更新を目の前にして稀勢之里に阻まれたあたり、彼自身の不断の努力によってこの偉大な記録が作られたのだということに真実味を持たせる結果となりました。また白鵬についてもう少し付け加えるとテレビで見ていてもあっと言わせるような恐るべき反応速度で取組みで相手を負かしており、とてもじゃないですがあれが八百長による相撲だとは思えない内容です。

 同様に去年引退した朝青龍についても、この人の持ち味も桁違いの反応速度で、特に出足に失敗して相手に一時押し込まれてから巻き返す際の動きの俊敏さは人間離れしており、彼自身の荒々しい取組みぶり(土俵を割っている力士に平気で駄目押しする)などから八百長らしさは全く感じられませんでした。

 朝青龍については現役時、週刊現代に八百長を行っていると報じられ裁判にまでなりましたが、最終的に裁判で記事には信用性がないと判決が下され、発行元の講談社に取り上げられた力士らへ損害賠償が課されました。今こうして八百長が取りざたされてみるとこの週刊現代の記事は方向性はともかくとして取り上げる力士を間違えており、私自身としても朝青龍叩きに便乗していたようなおかしな記事だったなという気がします。ただこの記事が出た際に私は、「取り上げる力士が違うだろ」と周りに言い回っていたのですが、今回の八百長騒ぎが起きる前から私が八百長を強く疑っていた力士がおります。

 その力士についてはまだしっかりとした証拠も出ていないので実名は挙げませんが日本人大関で、これまでに何度も負け越して何度も角番を迎えているものの何故か角番の場所だけは毎回のように勝ち越しを続けて現在もなお大関の地位に就いております。ではその取組みはどうかというとはっきり言って明らかに不自然な動きをしており、対戦相手を含めて見ていて「あれっ?」と思うような動きでいつも勝ち星を得ております。
 さらに場所ごとの勝敗も見て見ると明らかに不自然だと思えるくらいに「八勝七敗」で終えることが多く、同じ大関でも琴欧州などは十勝を上げないとしょっちゅうNHKのアナウンサーや解説者に、「二桁勝利は大関としての義務」だなどと毎場所ではないものの二桁勝利をあげることもあるにもかかわらず批判されるのですが、その日本人大関は実に三年間も二桁勝利をあげていなかったにも関わらず誰にも咎められることはありませんでした。

 実際にある掲示板でここ数年間、ほかの力士を含む七勝七敗で千秋楽を迎えた数人の日本人大関の対戦成績がまとめられておりましたが、見事といっていいくらいに皆勝ち星を挙げて最後の最後で勝ち越しを決めております。ただ二例ほど例外があり、その例外時の対戦相手がどちらも朝青龍で相手となった日本人大関に負け越しを決めさせているのを見ると、先ほどの琴欧州の話といい相撲会は未だに外国人差別を行っているのではないのか、朝青龍叩きはこの八百長問題の延長上にあったのではないかと疑わざるを得ません。それは同時にこの八百長問題は日本人力士の間で広く行われているのではないかという疑念にもつながります。

 ここで書いたことはあくまで私個人の意見で、データ面などはともかくとして推論については各自でご判断ください。
 それにしても野球賭博問題で後がないと言われていただけに、もう相撲界は駄目かもしれません。これは記事にしていませんが先の野球賭博問題では元琴光喜の追放は仕方がないと私も当初は主張しましたが、後になって詳しく調べて見るとどうも追放になった元琴光喜と元大嶽親方は先の理事選で慣例に反して貴乃花親方に投票を行ったことからかねてから目をつけられており、ほかにも野球賭博に関与し、発覚後も関与を隠していた力士がいたにもかかわらずこの二人のみ始めからこの問題にかこつけて追放するという算段があったようです。

 相撲界は何が悪かったのか、何を正せばよかったのかですが、今となってはそれすらも考えることが馬鹿馬鹿しいほどです。

2011年2月4日金曜日

K先生の授業

 昨日書いた「発言に対する制裁」の記事の中で私は、よく日本人は没個性的であまり独自の意見を持たないという風にも言われますがそうではなく、個々人でそれぞれ意見を持っていながらも発言や主張をすると制裁を受けやすい日本の社会性ゆえに日本人はそれをあまり出そうとしないのではという意見を主張しました。私が何故このような考え方を持つに至ったかについて、今日はその理由となったK先生の授業について思い出話をしようと思います。

 K先生というのは私の大学に来ていた外部講師で、関西の私大を中心に結構いろんなところで現在も講義を行っております。詳しい来歴についてはここでは書きませんがとにもかくにも顔が広い人間で、関西の経済学系の教授名を出せば大抵はどんな人物で業績があるかすぐに答えられるほどでした。
 私がK先生の授業を初めて受けたのは二回生の頃でしたが、そのK先生の授業は二コマ続きの計180分授業で、授業時間の長さが嫌われてか私の周りではそれほど一緒に受けようという学生はいませんでした。

 そんなK先生の授業ですが、具体的にどのようなことをしたのかというとまず最初の一コマ目の授業では教科書として指定されている本をいくつかに分割し、担当の学生が割り当てられた箇所をレジメなどを利用して内容を解説します。そしてその解説に対してK先生がいくらかの補足をして一コマ目を終え、続く二コマ目においては解説された箇所に対して授業に参加している学生それぞれが持った感想を発表するというような具合で毎週進行していました。
 この授業で肝心だったのは言うまでもなく二コマ目で、通常意見や感想発表ともなると挙手による指名制なのですがこの授業ではなんと端っこの学生から順番に一人ずつ、完全に強制で何かしら意見を言わされていました。あらかじめ全員発表されるとわかっているのでそれほど熱心でない学生も何かしら言おうと、ほかの人が意見を言っている間に自分の意見を考えさせられて主張させられるような授業でした。

 この意見発表を行う二コマ目ですが、実は当初は私も警戒をしていました。別に何かしら意見を作って発表するのは苦手でもなんでもないのですが教科書を指定してきているのはK先生だし、下手に本に書かれた内容を否定したらあまりいい感情を持たれないだろうと思い、わざわざ喧嘩してまで意見を言う場所ではないと思って当初は当たり障りのない意見をお飾り程度に発表してました。しかしこの授業を二度三度受け続けているうちに、学生が発表する意見に対してK先生が何も言わないことに気づきました。
 学生の意見に対して意見の中に出てきた事項の周辺情報を補足することはあっても、学生の意見それ自身に対しては否定も肯定もK先生は一切していませんでした。授業を受けているうちにこのことに気がついた私は、案外この先生なら何言ったところで許してもらえるかもしれないと思ってその日から本当に思ったこととして、解説の終わった後に下記のような発言を行いました。

「言っては何ですがこの本の作者は悪い人じゃないんだろうけど、なんか考え方に偏りがあるというか主張に現実味がないような気がします」

 もちろんこの日も、K先生は私に対して何も言いませんでした。

 するとこのようなK先生の態度にほかの学生も徐々に気がついてきたのか、私以外にも結構激しい主張をしたりほかの人の意見に対して鋭い質問を行ったりと、段々と授業内で活発な議論が起こるようになって来ました。それこそ最初の授業の方ではせいぜい単位をとるくらいにしかやる気が見えず遅刻も多かったほかの学生も、終盤になってくると「この人はこんな意見を持っていたのか」と思うような面白い意見を出してくるようになったりして、授業後も親交を持つ仲になった学生も何人かおります。

 そんな具合で学期最後の授業を終えて記述式のテスト日、ほかの先生にはしたことはありませんがこのK先生に対しては答案提出後に深々と頭を下げて授業のお礼まで言いました。あとどうでもいいですがこの日このテスト前に教室前で待ってたところ、教室番号の確認のために声をかけてきたのが今も親交が続く一学年下の友人です。あまりに顔が老けてるから最初は年下だと思わなかったし。
 こうしてK先生の最初の授業は終えたのですが、その後単位にはならないとわかりつつも三回生、四回生時にも同じK先生の授業を受け続け、都合三年間もK先生からいろいろ教えを乞いて現在においても時折メールを交換する程度に親交を続けております。授業内容は二回生、三回生時はほとんど同じで四回生時には教科書も変わった事からそれまでと大幅に内容が代わりましたが、授業に参加する学生は私を除いてどれも別々で意見もまた人によって変わるためにそれほど退屈することはありせんでした。

 確か三回生の終わり頃、直接K先生に対してどうしてこのような授業方法を行うのか聞いてみたことがあります。するとK先生は中にはやっぱり生意気だと思う学生の意見もあるそうですがそれを敢えて何も言わずに好きに発言させ続けていると、自然と学生自身が問題に対していろいろ考えるようになって面白い意見を言い出すようになるのだと答えてくれました。このK先生の意見を聞いて私自身も深く納得するとともに、学生から意見を引き出すには沈黙は金なのだななどと考えました。
 それ以降、私もK先生を見習って後輩を指導する際には後輩の出す意見に対してそれが明らかに間違っているとわかっている意見だとしても、最初の段階では強く否定することは控えるようになりました。そうは言っても私はよく人から、「プレッシャーが半端じゃない」、「意見を求められるのが恐い」などと言われてしまいますが。

 ちなみに前ブログの「陽月秘話」における労働関係の話のほとんどはこの時に受けたK先生の授業内容がベースとなっております。今回このK先生の授業のことを書こうと思ったのは日本人が意見を発言することについて思うのを解説するのと同時に、たまたま中国に来る前に四回生時のK先生の授業で一緒だった友人と久しぶりに会話したことがきっかけでした。その友人は控えめに言っても頭の回る友人で、高い志を持てばそれに見合う環境を得、それに見合う友人も得られるのだと考えております。

2011年2月3日木曜日

発言に対する制裁

 私と会った方の私に対する第一印象は十中八九、「大人しそうで真面目そう」という印象でしょう。その一方、私と親しくしている友人に私の人物像を尋ねるとこちらも十中八九、「考え方が突飛でやや過激」というような内容に終始するかと思います。
 私の地の性格はともかく、私の見かけは人に聞くとやはり「大人しそう」に見えるそうです。それだけに知り合ったばかりの人間とは徐々に話をしていく中で、「こんな人だとは思わなかった」と、褒められてるのか貶されているのかよくわからない感想が度々聞かされ、挙句の果てにはインド旅行の際にインド人占い師に、「あなたは見かけで誤解されることが非常に多い」などとお墨付きまでもらう始末です。

 そのため集団の中にいると最初はよく黙ってただ従っているような人間に私は思われるのですが、面従腹背のつもりは始めからないものの空気を敢えて読まずしょっちゅう文句や意見を言うので人によっては次第に煙たがられていきます。ただそれでも日本人は意見をあまりにも言わな過ぎてその価値を落としているとかねてから信じているのもあり、自分が正しいと思ったことについては敢えて発言するように日ごろから心がけています。

 そんな自分と比して、一般の日本人はあまり公に強く意見を主張しない民族だと自分たちでも自認している様に見えます。そういう中で言えば文句の多い私は異端といえば異端でしょうが、ほかの日本人は意見を主張しないものの内心ではきちんと人それぞれ意見を持っているのではないかと私は考えており、意見を言う言わないはその人を取り囲む環境が左右しているだけなのではないかと見ています。
 たまに日本人は意見をあまり主張しないために朱に交われば赤くなる、大きな意見に迎合しやすいなどという意見を聞きますが、私はこれは率直に言って間違いだと思います。あまり引っ張らずに結論を述べると日本人が意見をあまり主張しないのは本人らが意見を持っていないのではなく、意見を主張した際に待ち受ける制裁を強く意識しているからだと私は考えており、これを私は勝手に「二重の暗黙の掟」と読んでおります。

 通常の意味での「暗黙の掟」というのは皆言わずとも認識されている規定やルールのことを指しますが、私の主張する「二重の暗黙の掟」にはこれに加え、何があっても意見を主張せずに暗黙を突き通さねばならないというルール内容を含んでおります。
 一体これはどういうことかというと、今に始まるわけじゃありませんが日本社会は今の自民、民主の政治ともども何事も結論ありきで行動や指針が決められることが多いです。そのため日本で行われる会議は割とあらかじめ決められた結論に対して承認するだけというのが多いのですが、そういった場面で意見を主張するのは基本的に決められた結論に対して反対ということになり、当然結論を考えた人からするとあまり楽しくはなく主張者は目をつけられることになるのが既定でしょう。

 自分がこの日本の会議における問題が相当根が深いなと感じるのは、こういったことが中学高校レベル、場合によっては小学校の学級会レベルでも行われており、新意見を提案すること自体が身の危険を招くと考え、内心では別意見を持っていてもそれが賛同されるか反対されるかは別としても結局その意見を主張せずに押し黙っていたという経験は日本人なら誰もがあると思います。文句言いの私ですらさすがにここはまずいと思って何も言わないことだってあるんだし。

 これは逆を言えば、意見を主張したところで何も制裁が起こらないという安心感さえもてれば日本人は意見を主張するようになるということになります。そんなことが実際に起こるのかと思う方もいるかもしれませんが、私自身も驚きましたがある大学の授業にてそのような場面を目撃した経験があります。その授業については次回から詳しく紹介しようと思いますが、意見を募集する会議などで何も意見が集まらない場合、その会議では発言に対する制裁への恐怖感をほぼ間違いなく会議参加者が持っていると考えていいと思います。その場合会議主催者は意見が集まらないことを会議参加者が何も意見を持っていないと考えるのではなく、サクラでもなんでも使うなりして会議主催者はまずその制裁への恐怖感を取ることを第一に考えるべきでしょう。

残飯について

 先日日本の自給率について記事を書きましたがその中で日本は食べ残しこと食品の廃棄率が高いことに触れ、仮に日本人がすべて食べ残しをなくしたら現時点で自給率は15%ほど上昇し、農水省の目標とする自給率を達成すると記述しました。この食品廃棄こと食品ロスについてですが、聞くところによると日本で一番多くの食べ残しを生んでいるのはほかでもなく結婚式だそうです。

 記憶が曖昧ですが昔テレビか何かで見た統計だと食べ残し量の一位に結婚式が来て、確かその次位に公立学校での給食があったような気がします。何故結婚式が一番食べ残しを生むのかといえばあまり深く考えることではない気もしますがやはりイベントごとであり、足りないよりも余る方がいいということで実際必要量よりも多めに作るのが通常だそうです。また結婚披露宴に限らずこういった催事が行われるホテルは通常でも食品廃棄が多いとも聞きます。

 この残飯について、いい機会なので前に読んだ本で書かれていた内容を一つ紹介します。この話が書かれているのは佐野眞一氏の「新忘れ去られた日本人」で、この本は毎日新聞で佐野氏が連載していた一人一話形式のコラムを集めた本でいろいろと興味深い人物らが載っており、消え行く業界紙の中でただ一人の人間によって編集が続けられていた蒟蒻新聞の話など佐野氏らしい微に入り細に入りな取材が各ルポごとに行われております。その中で私の興味を引いたというか読み終わった後もなんとなく覚え続けた話というのが今日の残飯に関する話で、佐野氏が東京都内の残飯回収業者の方を取材した話です。

 生憎手元に原書もなくその残飯回収業者の方の名前は失念してしまったのですが、佐野氏の取材に対してその業者の方は、

「残飯と一口で言ってもいい残飯と悪い残飯がある。肉類や野菜類まできちんと分けられて捨てられる残飯もあれば宴会で出されていたまま紙などほかのごみと混ぜ合わされて出される残飯もあり、同じ扱いをすることは出来ない」

 基本的に集められた残飯は牛や豚といった家畜の餌として販売されるのですが残飯の種類によってはそうそう満足売ることも出来ず、そういった上でその業者の方は佐野氏によると「皮肉たっぷり」に、ホテルの宴会で騒ぐ若い女性らの裏ではこういった残飯が数多く生まれているなどと話したそうです。

 私は何も残飯をすべて根絶しろとまでは言いませんが、出るものは仕方がないとしてそれを再利用するためには最善を尽くすべきだと思います。それこそちょっとした工夫で家畜用の餌や農場の肥料として使えるのなら、そういった廃棄方法ももう少し検討して見るのも手かもしれません。

2011年2月2日水曜日

中国の歴史参考書に出てくる日本人

 今日は中国の大晦日に当たる日で、先ほどから戦地かと思うくらいあちこちで爆竹の音が鳴り響いております。一応住んでいるのは都市部で規制があるからあまり派手なことは出来ないと中国人らからは聞いてはいるのですが、それでも結構驚くような音が聞こえてきたりして、農村とかだととんでもない量の爆竹を鳴らすそうですから日本人の静かな正月の感覚からすると隔世の感があります。

 すでに私の会社は昨日から正月休みに入っており、昨日はちょっと都市中心部に出かけてバーガーキングで昼食取ったりと優雅に過ごしました。昼食の最中に先日お袋から送ってもらった文芸春秋を読んでいたら隣にいた中国人男女二人組が私を日本人だと思い声をかけてきてしばらく雑談をしましたが、これに限るわけじゃないですが本当に中国語は相手によって通じる通じないがはっきり別れる言語だと感じます。
 その時に話をした相手は私と比較的年も近くしっかりと教育を受けていそうな感じがしてそれほど会話に苦労はしなかったのですが、現在いる会社内だと地方から来ている人もいて、場合によっては私の発音だと全く通じない(聞いてるこっちは多少はわかるが、それでもほとんど聞き取れない)人もおり、特に私は北京で中国語を学んだこともあって南方に属する現在の居住地域だとしょっちゅう、「ごめん、北方語で聞き取り辛い」と言われたりします。こっちに来る前から恐らくこういう事態になるだろうなという気はしてましたが、めげずに南方の発音もしゃべれるようにとまでは行かずとも聞き取れるようになれればとこのところ願ってます。

 そうした個人的な中国事情はさておき、昨日そうやって街中を歩いた際に寄った本屋にて、中国の高校生向け歴史参考書を購入しました。前から中国の歴史教育はどのような内容なのか興味があったのですが、なんかどこいってもおいてある参考書は問題集ばかりで、日本の「日本史 一目でわかる○○解説」見たいな予備校講師が出版しているような項目ごとの解説本をなかなか見つけられずにいたのですが、昨日行った本屋(新華書店)ではうまい具合にさらっとまとめていてくれる解説本を見つけることが出来ました。
 もちろん文芸春秋も読み終わっていない昨日今日で中国語のこの本を読みきることは出来ていないのですが、ちょっと今日紹介がてらにこの参考書に出てくる日本人名だけをちょっと調べて見ました。

 結論を述べるとこの参考書に出てくる日本人名は明治天皇と田中角栄の二人だけでした。明治天皇については明治維新を指導し日本を資本主義、軍事封建的帝国主義の国に変えたと人物だとして、田中角栄については日中国交正常化を実現させた人物で世界とアジアの平和と発展に貢献したと書かれております。
 中国人の明治天皇の評価については以前の陽月秘話の記事でも取り上げましたが、日本人からすれば「神輿の上の人物」であって、ちょっとこの評価は違うんじゃないかなぁとという気はしますが無理もないところで、田中角栄は外交史的には中国にとって出てきてもおかしくはない人物です。逆にこの二人以外でほかに中国が取り上げるべき人物といったら後は昭和天皇とくらいですし、まぁ無難なチョイスなんじゃないかと思います。

 それにしてもこの参考書、教科書は違うのかもしれませんがざらっと見る限りですと日本みたいに昔から現代へ編年体のようにして徐々に教えていくのではなく、なんか時代順序ばらばらでトピックごとに解説がされています。社会主義の発展の順番とか現代の科学技術の進歩、世界情勢の成り立ちなど、出来ることなら歴史の授業風景も直接見て見たいものです。
 あと読んでて気になる点として、西欧人の名前も全部漢字に変えられててなかなか判読し辛いです。折角だからこれも一部紹介すると、

・馬克思=マルクス
・甘地ーガンディー
・猛徳斯鳩=モンテスキュー
・亜力士多徳=アリストテレス
・斯大林=スターリン

 スターリンについては一行目にて、「偉大なマルクス・レーニン主義者」と書かれております。レーニンはスターリンを後継者にしてはならないと遺言していたのを知っての記述なのか編集者に聞いてみたいものです。

2011年2月1日火曜日

書評:日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率

 私は以前のブログの陽月秘話にて度々日本の農業問題を取り上げては現在の自給率をどうにかして向上させなければならないと主張してきましたが、実はそうやって主張をする一方で日本の自給率は本当に問題なのかという疑問が常にもたげていました。一体何故そんな疑問を持ち続けたのかというと一つの原因は堺屋太一氏の主張で、戦後初期に日本は土地という土地でサツマイモを植えていたにもかかわらず食料に不足したのだから国内の作物だけで時給がまかなえるはずもなくどの道輸出に頼らなければならないという主張と、そもそもの自給率の根拠となるカロリーベースという計算方法が信用性を持つのかという疑問があったからです。日本の自給率はカロリーベースで計算されていると聞いていたのですが、詳しい計算方法は知らなかったまでもカロリーで計算するのであれば諸々の条件ですぐ結果は変わるのでは、たとえば野菜などはカロリーが低いですがサツマイモや米だと比較的カロリーが高く、作る作物の種類によって容易に変動しうるのではないかと前々から感じていました。

 こうした疑問にすべて答えてくれたのが、今日紹介する「日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率」という本です。

・日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率(講談社プラスアルファ新書)

 この本は中国に来る前に買って読んできたのですが、なかなかに衝撃的な内容で農業行政に対する価値観を一変させられました。
 まず先ほどの自給率についてですが、著者の浅川氏によると先ほどのカロリーベースで自給率を算出しているのは実は日本だけだそうで、他国は生産額ベースというやり方で自給率を算出しているのですがそれぞれの計算方法をWikipediaから引用すると、

・カロリーベース総合食料自給率
国民1人1日当たりの国内生産カロリー÷国民1人1日当たりの供給カロリー
※なお、国民1人1日当たりの供給カロリーとは国産供給カロリー+輸入供給カロリー+ロス廃棄カロリーの合計である。

・生産額ベース総合食料自給率
国内の食料総生産額÷国内で消費する食料の総生産額
※生産額=価格×生産量で個別の品目の生産額を算出し、足し上げて一国の食料生産額を求める。


 両者を大まかに説明すると、カロリーベースは国内で生産されるカロリーを国民一人が一日に必要なカロリーで割って算出します。生産額ベースは国内で生産される作物の金銭的価値の合計に対し消費される作物の金銭的価値で割るという、いうなれば食料の輸入割合を調べるようなやり方です。
 浅川氏によると、そもそもカロリーベースで自給率を算出する価値はほとんどないそうです。その理由をいくつか挙げると、

・仮に食糧の輸入をすべてストップすれば国内でいくら餓死者が出ようとも自給率は100%になってしまう
・現時点で日本の食料廃棄率は高く、仮に残さず余さず食べて廃棄率を0にすれば日本の自給率は15%前後上昇する(40%→55%)

 上記のような理由に加え、私が懸念したように作る作物の種類によってもカロリーベース自給率は大きく変動するそうです。それこそ現在野菜を作っている土地で米を作れば野菜と米のそもそものカロリー数の違いによって自給率は向上するのですが、農水省は片方では自給率の低さを問題視し対策を主張する一方、自給率を下げかねない減反政策を取っていることを浅川氏は激しく批判しております。その上で浅川氏は農水省が何故日本が世界で唯一カロリーベースで自給率を計算しているかという理由について、敢えて低く見せることで国民を煽り、自給率対策の予算を獲得するためではないかと指摘しています。

 こうした自給率の問題に加えこの本では今話題となっている民主党の農家への個別補償政策も批判しており、日本の農家の大部分は自産自消、つまり自分で作った作物を家族や近所間で消費するだけで市場に出さない農家ばかりでこうした農家に所得を補償しても生産量の向上につながらないばかりか、非効率な経営で所得補償を受ける農家が続出すると市場に流入する作物が増えて価格が下がり、現在利益を上げている経営効率のよい農家や農業法人が赤字化する可能性があるとも述べて批判しています。
 実際に私もこれには思い当たる節があり、私の友人は家が畑と田んぼを持っているのですが米は買うものじゃなくて作るものだと豪語しており、市場へ販売こそしていないもののいろいろ自分ところで作っているそうで、個別所得保障精度が出来るとそうした農家が形ばかり市場に作物を流して補償金を受け取るケースが続出するのではと指摘しております。

 このほか日本の農業についていろいろ書かれていますが全体を通して浅川氏が主張しているのは、農水省は日本の農業のためといいながら無駄な事業に予算を獲得して使用していることへの批判と、日本の農業は一見すると弱い産業と思われがちだが決してそうではないというこの二点にあると私は判断しました。浅川氏によると日本の農業生産額は世界五位で、輸入制限などで保護しようとすればするほど歪んだ構造となるばかりかすでに効率的な経営で利益を上げている農家の所得が今後は増えず、農水省は自給率100%を目指していますが真の食料行政は100%を越えた後に如何に輸出して外貨を稼ぐかで、守ることよりも攻める重要性を何度も説いています。
 また日本は土地が狭く農業には不向きな土地だと思われがちですが浅川氏は日本は南北に長く伸びた国で、南はサトウキビなど熱帯の作物が作れる一方で北はさくらんぼなど寒冷な土地の作物が作れるという利点があるとし、これに私から付け加えると他国と比して日本は圧倒的な水資源があり、耕作地面積では劣るものの決して農業に恵まれていないわけじゃないとも主張しており、真に農業を産業として育てるつもりであれば農作物の輸入開放が必要であるとも述べられております。

 全般的に読んでてなるほどと思うことが多く読んでて非常にためになった一冊ですが、残念というべきか私にはこの本に書かれている事実が本当かどうか確認する術がありません。実際の農家の声を聞いているわけもなく、また他国の農業政策がどのように行われているのか、日本の実態はどうなのかとすべての面において情報が不足しており、この本のほかの人のレビューを見ていても果たしてどちらが正しいものか判断はしかねます。
 ただこうした農業の実態については工業などと比べて日本はどうも議論が一部の間だけで行われているような印象が以前からあり、この本のように曲がりなりにも一つの主張、根拠が外に向けて発信されたという意味では価値が高いと思います。そういう意味では今後農業を考えるためにもいろんな方がこの方面に情報を発信し、公で議論し合う必要性が高いでしょう。その叩き台にする上で浅川氏のこの本は個人的にはお勧めです。

 中途半端な昼寝に加え真冬なのにダニが出てきてかゆくなったため、なんか筆の悪い記事になりました。


2011年1月31日月曜日

中国のスーパーで見かける食材

 中国の物価は安いため、決して忙しくて自炊する時間が全くないわけではありませんがついつい普段の食事は近くの飲食店で済ましてしまうことが多いです。ちなみに予算はどれくらいかというと私が最も通ってて店員に、「あんた旧正月は日本に帰るの?」って聞かれるくらいに顔まで覚えられた店では大体10~20元(120~240円)位でチャーハンなりラーメンなり一食食べられます。日本食レストランでも、30元も払えばまともな定食が食べられるくらいです。

 とはいえせめて休日くらいは何かしら自分で食事作らないと栄養が偏ると思い一通りの調理道具は買ってはいるのですが、案外一人分を作るとなると食材があまりがちになるのと、借りている部屋はガスコンロではなく電気コンロで火加減が調整し辛い上に備え付けの中華なべがどうすればこれだけ焦がせるんだというくらいにことごとく料理を焦がしてくるので未だまともな調理はしておりません。あまりにも焦げるから別のフライパンを買ったところ、電気コンロに対応(通電しない)してなくて無駄金使ったのもショックだったし。

 ただこの自炊を試行錯誤している間、こっちの食材でどんなものが作れるのかとスーパー内をくまなく回っていろいろとこっちの食材状況については見てきました。まずスーパー内を回ってて気になるというか日本と違うなぁとつくづく感じるのは、そこらかしこで量り売りがなされている点です。野菜、果物屋に行けば日本みたいに各野菜ごとに値札が貼ってあるわけでなく、置いてある中で好きなものを選んで店員に渡し、重量を測ってもらった上で値段が告げられます。普段の私の生活では毎朝一本食べるバナナを購入する際にこの量り売りを利用しますが、一房のバナナから五本だけもぎ取って買う人もいたりして、この辺は案外理に叶ってて日本でやってもいいんじゃないかなという気もしたりします。
 こうした量り売りは野菜だけに限らず、お米などの穀物でも行われております。日本みたいに5kgの袋詰めももちろん売っていますが、私がスーパーで見る限りですとみんなビニールの小袋に必要な分をつめて店員に渡し、重さを測ってもらってバーコードつき値札シールを袋に張ってもらい、レジにて精算をして買っております。ただ所詮はビニールなので、レジによってはやけにお米が床に散乱しているところがあったりするのが中国らしいです。

 あとほかに中国のスーパーで気になる点を挙げると、私が通っているのは比較的大きいショッピングストアのようなスーパーなのですが、食材売り場に行くと何故か水槽がたくさんあります。まだ川魚とかならわからなくもないのですが中を見てみると亀とか金魚とかが入っている水槽もあり、これを買って食べる人がいるのかと思うとちょっと不思議な気分にさせられます。まさかペットとして買うわけじゃなかろうし。

 このほか見ていていろいろ気になるというか鼻につくもので、薫蒸された鴨がまとまってぶら下げられてたり、大まかに切り分けられた豚肉が部位ごとに並べられてたり、日本の感覚だとちょっと目を向け辛い食材が平然と並べられてもいます。またこうした食用肉について日本と大きく異なっていると感じた点として、どうもこっちは日本みたいに骨を切り分けずに骨付きで売ることが一般なようです。
 これは普通にレストランに行って鶏肉の入った料理などを頼んでも、鶏肉自体は一口サイズに切り分けられているものの噛んでてガリガリするというか、細かい骨が必ずといっていいほど入っています。中国人なんかはそういった骨を口に含むと平気で床に吐き捨てますが(私は皿の上に吐く)、日本みたいに骨が一片たりとも入ってない鶏肉はほとんどなく、スーパーで切り分けられている肉も骨付きカルビなんて言わず骨に肉がくっついてるような状態で売られていることが多いです。

 それでは骨なしはないのかと思っていろいろ探して見たのですが、ちょうどとんかつ用サイズで切り分けられた豚肉があったのでこれでステーキでも作ってみようかと思って買ってみたら、骨は確かに混ざってはいなかったものの皮付きで、切り捨てるのもなんかイヤだから結局普通に焼いて皮ごと食べました。感想はやっぱりステーキにするなら骨も皮もいらないやってとこです。

 そのほかで気になった点を羅列すると、

・コンソメの素が売ってない
・スパゲッティは売ってるがスパゲッティ用ソースが見当たらない
・ニチレイの冷凍餃子が売ってる(買って食べた)
・ニコニコのりの味付け海苔が売ってる(買って今度食べる)
・コアラのマーチ、プリッツもある
・カップ焼きそばのUFOはあるが、日本と味が違う
・インスタントコーヒーはたくさんあるが、何故かドリップパック式が見当たらない
・チョコレート類がやけに高い(日本と同じかそれ以上の価格)
・生めんで「京都とんこつラーメン」というものが売られてる

 最後に野菜コーナーで気になったこととして、もしかしたら同じ中国でもほかの地域は違うかもしれませんが、こっちで見かけるたまねぎはみんな紫たまねぎです。紫たまねぎ自体は日本でも見かけていたし一回だけ味噌汁の具材として私も使用しましたが、味噌汁とは色的にかなりミスマッチだと思って結局その一回こっきりとなってしまいました。
 この紫たまねぎのことを先日世間知らずで大学一回生になるまで洋梨を知らず、私が洋梨を剥いてあげたらあの洋梨のくびれを見て、「(洋梨と知らずりんごだと思って)ああ、花園君は皮剥きが苦手なんだな(・∀・)ニヤニヤ」などと失礼なことを想像した友人に話したところ、「紫色したたまねぎなんて、僕は絶対にそんな存在信じない!!( ゚Д゚)」とまで言われたので、ちょっと気合入れて画像を用意しました。



 まぁ確かに茶色に慣れていると少々見た目がアレですが、味自体は一緒だし今度何かの機会に使ってみようかなと考え中です。
 もうひとつ野菜コーナーで気になったというか目についた点として長ねぎが置いてあったので手にとって見てみると、「新鮮やさい」と、このまんま日本語で書かれたテープが巻かれていました。多分ではなく間違いなくあの長ねぎは日本から輸入されたもので、あのテープは農家の出荷時に巻かれたのでしょう。というのも日本は何気にねぎ類の世界生産量第一位で、日本の農業について書く次回の記事へのつなぎとして最後にこのネタを持ってきたわけです。

2011年1月29日土曜日

猛将列伝~鈴木貫太郎

 私は現在中国メーカー製のシャンプーを使っているのですが、使い心地は悪くはないものの今ある分を使い切ったら日本にいた頃から使っているLUXに切り替えようと思っていたところ、旧正月前ということで会社から社員全員へ今私が使っているのと全く同じシャンプーが配られました。ありがとう、総務部長よ。

 この猛将列伝は陽月秘話時代からずっと続く企画記事ですが、当初は中国古代史の武将を取り上げるだけ取り上げてすぐ終わりかと思っていたところ現在に至るまで続いてて書いてる本人もビックリな企画記事です。内容にもそこそこ自信があり、陽月秘話時代ではあまりよそでは取り上げられない宮崎繁三郎などの記事を取り上げたことからアクセスゲッターとして十二分に活躍し、名実ともに私のブログのキラーコンテンツでありました。そんな猛将列伝ですが先日はちょっと珍しく中世ドイツのヴァレンシュタインを取り上げましたが、今日も今日でちょっと異色というか、終戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎を取り上げます。

 鈴木貫太郎と聞けばその名前を知っている方からすれば恐らく終戦時、つまりポツダム宣言受諾時の総理大臣として記憶しているかと思います。総理大臣と言えば軍人もなったりはしましたが名目は文官職、それがどうして猛将になるのかですが、実は鈴木貫太郎は元々は海軍軍人でした。

 彼は関宿藩士の家に生まれて海軍軍人となり、日露戦争にはあの日本海海戦にも駆逐隊を率いて従軍しております。この日本海海戦の折、これは鈴木の部隊に限るわけではないですが日本海軍は司令長官の東郷平八郎自身が晩年に至るまでも、「一撃必殺の砲よりも威力は小さくとも百発百中の砲がよい」と言ってただけあって狙撃精度の向上のため決戦を前に猛訓練を重ねていました。この訓練では確か前に読んだ本によるとあらかじめ決戦用に取っておいた弾薬を訓練で三回くらい使い切り、その度に本土から補給を受けたほどだったそうです。
 その訓練時、鈴木は自身が率いる部隊に対して特別厳しい訓練を課してそれゆえに「鬼貫」という異名までついたそうなのですが、いざ決戦が始まるや鈴木の部隊は目覚しい活躍を見せ、戦艦三隻、巡洋艦二隻を撃沈するという大戦果を上げ、参謀の秋山真之から一隻はほかの艦隊の手柄にしてやってくれとまで言われたほどだったそうです。

 海軍では最終的に最高位の軍令部長にまで出世しますが、その後鈴木は昭和天皇の要請に応える形で天皇の側近中の側近こと侍従長に転任します。一般的にはこの侍従長時代の姿が鈴木の姿として認知されていますが、この頃の昭和天皇の鈴木への信頼は絶大で、元々鈴木の妻のたかが幼少時の昭和天皇の教育係をしていたこともあって何事に付けても相談を受けるほどの間柄だったそうです。

 ただこの侍従長就任は鈴木に対して厄災も引き寄せ、鈴木は天皇を惑わす君側の奸として右翼軍人らに見られたことから二・二六事件の際には決起軍人らによって自宅にて襲撃を受けました。その襲撃の際に鈴木は銃弾三発を受け、そのうち二発は左頭部と左胸に命中しているのですが、なんとこれほどの大怪我を負いながらも鈴木は何とか一命を取り留めております。
 聞けば鈴木が撃たれた直後、決起軍人らは当初鈴木に止めを刺そうと一旦は軍刀を抜いたのですがその際に妻のたかが咄嗟に、「もうこれほどの怪我を負っているので夫は助からないでしょうに。それでも止めを刺そうというのならば私が致します」と軍人らに訴えかけ、これを聞いた軍人らは軍刀を鞘に納めて引き上げていったのですが、彼らが引き上げるやたかは鈴木を急いで病院へ運びその命を見事救いました。この時に鈴木は心臓も一旦停止したとのことで賢妻のたかの機転がなければまず間違いなく生き残ることは出来なかったでしょうが、銃弾三発を受けながらも生き残るというバイオハザードのゾンビも真っ青な鈴木の不死身ぶりには目を見張ります。

 これ以前にも鈴木は子供の頃に暴れ馬に蹴られかけたり釣りをしてたら川に落ちたり、海軍時代も夜の航海中に海に落ちるなど何度も死にかける経験をしているのですが、日本版ダイ・ハードとも言ってもよい驚異的な生存力と奇跡的な幸運によってどれも無事に生還しております。
 またこの二・二六事件の際に昭和天皇は鈴木が襲撃を受けたという報告を受けるや憤慨し、即座に決起軍人らを反乱軍と認定して自ら出陣して鎮圧するとまで意気込んだそうです。私が知る限り感情表現を常に抑えていた昭和天皇がこれほど強い感情をほかに見せたのは張作霖爆殺事件後の報告を行った田中義一に叱責を行った時くらいで、それだけ昭和天皇と鈴木の関係が密接だったことが伺えます。

 この二・二六事件後に鈴木は枢密院議長などの役職を経て、1945年4月から終戦時まで総理大臣の役職に就きます。この鈴木の総理就任は昭和天皇の強い意向と、木戸幸一を始めとする終戦工作派の根回しがあって実現したとされ、これが事実だとするとこの時点で昭和天皇は終戦を希望していたと考えられます。総理就任時の鈴木の年齢は77歳。これは現時点においても総理大臣としては最高齢の主任年齢で当時の時局を考えると明らかに異例な人事です。だが鈴木は老齢ながらも昭和天皇の希望の通りに終戦工作を行い、最終的に御前会議を持ち出すことで見事日本を終戦に導くことに成功しました。

 生前に松本清張は、たとえ東条英機がいなくとも誰かが代わりとなって太平洋戦争は起こった(その代わりヒトラーの代わりはいなかったとも述べている)だろうと述べており、私も当時の日本陸軍を見るにつけこの松本清張の意見に賛同します。その一方、では鈴木の代わりとなって日本を終戦に導けた人間は当時ほかにいたのかとなると、こちらは少し思い当たる人間が出てきません。敢えて挙げるとしたら鈴木同様に昭和天皇からの信頼も厚くそれ以前に総理大臣を経験している米内光政がおりますが、果たして米内であれほどスムーズに終戦にまで至れたかとなるとなかなか考え物です。一部で玉音レコードを奪取しようと襲撃こそ起こりましたが、はっきり言えば出来過ぎなくらいに日本は八月十五日を終えています。
 それだけに仮に鈴木が二・二六事件の際に死去していたら、私は日本の終戦の形は大きく違っていた可能性があると思います。私も一応日本人ですから、よくあの時に生き残り終戦という大仕事を成し遂げてくれたと鈴木貫太郎に対しては強い尊敬の念を持っております。


  おまけ
 鈴木の出身地は現在の千葉県野田市関宿町なのですが、去年の夏に実家から近いことからうちの親父と久しぶりに関宿城を見に行こうとドライブに行った際、たまたまこの地域にある鈴木貫太郎記念館を見つけて訪れました。右手指と両足の指がしもやけになるくらいこのところ寒くて去年の馬鹿みたいに暑い夏のことを思い出してたらこの時のことを思い出し、今回の記事を書くきっかけとなりました。
 これに限るわけじゃありませんが私の記憶は突拍子もなく何かを思い出すことが多く、そもそもこの時に関宿城に行こうと思ったのも私が中学三年生くらいの頃にその時もまた親父と車で行ったのを思い出したのがきっかけでした。

2011年1月28日金曜日

デフレと過重労働 後編

 ようやく金曜日で明日は休めるーって思ってたら、2/1から十日間も旧正月休暇に入るので今週は土日も出勤だと今日になって言われてややブルーです。中国の長期休暇前は大体こんなもんだって前から噂で聞いてたけど、まさか自分もその渦中に加わるとは夢にも思わなかった……。

 そういうプライベートでどうでもいいことは置いといて、前回に引き続きデフレと過重労働の関係性についてまとめます。
 前回の記事ではデフレという現象の説明に終始しましたが基本的にデフレというのはモノやサービスの値段が下がる現象を指しており、デフレ下では大体どれもこれもそれ以前より値段が下がります。ただ値段が下がるといっても下がりやすい物もあれば下がりにくい物もあって経済が混乱するのですが、その下がりにくいものの中で非常に扱いの難しいものが給料こと人件費です。

 現在、大体どこの日本企業でも不況ゆえに役員クラスはみんな本来受け取る報酬額を減らしているでしょうし企業によっては課長クラスまでもが給料カットがされている状態ですが、圧倒的大多数の一般従業員はボーナス額が一部カットされることはあっても毎月の給料まではまだそれほど手をつけられてはいないと思います。管理職となる役職付きの従業員に対して一般従業員は労働法の保護や最低賃金の条例などがあるため会社側も定期給与には手をつけづらいのですが、それ以前に人間のモチベーションというか感情的にも、定期給与は一度もらってしまうとそれより少ない金額へ下げられることに強い抵抗感が生じます。
 たとえばの話でそれまで時給1000円のバイトで働いていたら不況だから来週から900円に下げるねと雇い主に言われたとすると、恐らく大抵の方はその晩に友人か家族に対して延々と愚痴を綴るか別のバイト先を探し始めるかと思います。

 これはなにもデフレ下に限るわけではないのですが人件費というのは一度上げてしまうと非常に下げ辛いと一般にも強く認識されており、このことを経済学用語では「人件費の下方硬直性」と呼ばれ、以前と比べて成果主義が大分一般化した現代においてもよほどのことがない限りは下げることが出来ません。また下げようったって先ほど挙げた最低賃金などの法規則の壁もあり、実際のところは残業代は支払わないのが当たり前だしこの最低賃金も無視して違法で働かせている企業はうんさかありますが、どれだけ状況が悪いとしても賃金を減らすという方法には限界があります。

 これがデフレとどのように関係するかですが、デフレというのは何度も言うように同じ金額が以前以上の価値を持つ状態です。デフレ下とデフレ前では同じ1000円でもデフレ下の方がより多くの買い物が出来るようになるわけですが、これを給料に置き換えてみるとずっと月収20万円をもらっている人はデフレになると同じ給料でそれ以前よりたくさん物が買えるようになって消費生活上は得をします。
 しかしこれが給料を支払う会社側からすると、ただでさえデフレでは物の値段が下がって売り上げが落ち込む中、従業員に対してはそれ以前と同じ金額の給料を支払い続けなければなりません。言ってしまえば同じ20万円でもデフレ以前では25万円くらいの価値を会社は支払っているような状態で、昇給も何もしていないの給与額を増額して支払っているような状態となって自然と経営は圧迫されるようになります。だからといって、「デフレで貨幣価値は上がっているから、前と同じくらい買い物のできる給料だよ」として、給与額をいきなり16万円に下げようものなら石くらい投げつけられるかもしれません。

 理屈では同じ価値だとわかってもいざ実際に額面が下がろうものなら結構心に堪えるため、会社側は売り上げや利益が減っているとしても人件費を減らすことは出来ません。仮にそのままの状態を放置するのであれば経営は悪化する一方なのですが、ならばどうするかといったら一般的な企業が取る方法としては給与を減らすのではなく給与を支払う人員を減らすこと、社員のクビを切るのが大体常です。
 そのためデフレ下というのは企業に残って以前と同じ額面でも価値の上がっている給料を受け取り続ける人と、クビを切られて収入が急減少する人とで二極化が起こります。言えば早いですがこれが今の日本で起こっている状況で、ただ失業者が増えるだけでなく給料をもらい続ける人の収入は同じ額面でも増え続けるというのがミソです。

 ただ収入価値が増えるからといって、給料をもらって働き続ける正社員が必ずしも幸福かといえばそれはまた別問題です。何故なら企業側が人件費を減らすために人員を減らした分、普通に考えれば残った社員にはその分の仕事が回ってくるのが当たり前です。そのため定期給与の収入価値は確かに上がっているかも知れませんが増えた仕事によってサービス残業が増え、変な話ですが時給に換算すると価値上でも前より給与が下がってしまうということも十分に起こりうるわけです。実際に私が人伝にあちこちから話を聞いているとどこの企業でも多かれ少なかれこういったことが起こっているようで、給料下がってもいいから人員増やして欲しいというようなことを言っている人もたまに見ます。

 これが私の主張する、デフレと過重労働の関係性です。流れとしては

 デフレで企業の売上や利益が減る
→ほかの経費は減らせても一人ひとりの給与額は減らせない
→給与額を減らせないため、給与を支払う人員の数を減らす
→残った人に仕事が集中してしまう


 このようにして片一方では仕事を失い困る人が現れ、もう片一方では仕事が増えすぎて困る人が出てくるのがデフレです。はっきり言えばこれは不幸でありナンセンスです。
 ではどうすればいいかですが、感情的に納得できるかどうかは別として単純に給与額をみんなで減らすことで人員の削減をせず、むしろ仕事を分け合うように増やしたりすればよいのではという意見を言うことは出来ますが、これはやはり疑問です。それこそ最低賃金額を減らしたところで企業は人員を増やすとは限らず、残って働く方が同じ仕事量でより給料を下げられたりするのに悪用される可能性が高いからです。

 ここでは具体的に対策案についてはそれほど煮詰めませんがこの問題については賃金だけに拘らず、労働法や解雇規則、果てには社会慣習など多方面に渡って対策を考えるべきでしょう。ただ今回の記事で私が強く言いたいのは、最低賃金というのはただ高ければ高いほど労働者を助けるということにはならず、状況によっては給与をもらう側も追い詰める可能性もあるということがあるということです。

2011年1月26日水曜日

デフレと過重労働 前編

 リーマンショック直後の日本はいわゆる「派遣切り」という派遣社員や期間従業員の解雇が各企業で行われ、現在においても失業率はそれ以前と比べて高水準を維持しております。また高校、大学卒業生の就職状況(高卒内定率は今年やや改善)も悪いまま、特に大卒においてはかつての失われた十年における就職氷河期を越す過去最悪の内定率を記録するなど、お世辞にも現在の日本は仕事があるとは言い切れない状態です。

 その一方ですでに職を得ていて働いている側の人たちから話を聞くと、どこもかしこも人手が足りなくて忙しい、サービス残業が増えているという話ばかり聞きます。友人なんか、「なんで不況やのに前より忙しいねん……」といって、先週にとうとう過労で倒れたそうです。その友人の激務ぶりは以前から聞いていたので、倒れたと聞いた際は不謹慎ながらなんで今まで倒れなかったんだろうという疑問が最初によぎりました。ただ前にも野球の投手で言うならスタミナだけがやけに抜群で敗戦処理ならお手の物と評したほどその友人のタフさは尋常でないだけに、過労で倒れたその日だけ休んで次の日からまた出社しているようです。

 そんな凄い友人の話はおいといて、なかなか皮肉といえば皮肉ですが実際どこの企業もこんな感じだそうです。そりゃ派遣を切って新卒採用も狭めているのですから当然といえば当然なのですが、片一方では職を求める人が大量にいる一方ですでに職を持っている人が仕事に追われるというのはワークライフバランス的に言うとアンバランスな状況です。ある意味このような状況こそが不況の醍醐味といえばそうなのですが、私は今の状況は不況というよりデフレの影響の方が強いのではないかと考えています。
 
 デフレというとインフレの反対で、インフレは一次大戦後のドイツみたいに貨幣価値が下がって経済が混乱するというのだからデフレは貨幣価値が上がって経済が混乱するのでは、という風に考えている人が多いのではないかと思います。このような解釈でももちろん間違っていないのですが、経済の中心となる貨幣の価値が変動するだけにインフレ、デフレはともに多方面に渡って影響を与える問題で、私自身もしっかり全体を理解しているわけではないのですがインフレとデフレはそれぞれのケースに立って考えた方が理解しやすいと考えており、ちょっと今日は現在の過重労働とデフレがどう関係しているのかを書いてみようと思います。

 単純に言ってデフレというのは物価に対して貨幣価値が上がる現象を指しております。貨幣価値が上がるというのは具体的にどんな意味かというと以前と同じ金額で以前以上の物が買えるようになるということで、具体例を出すと以前は500円で買えた牛丼が300円で買えるようになります。これだけ見るとなんてデフレはいい現象なんだと思ってしまいますが、確かに物やサービスを買う買い手側にはよくても物やサービスを売る売り手側からすると、以前は牛丼一杯売って500円もらえたのが300円になってしまい、売り上げが五分の三になってしまいます。
 そのため牛丼屋側は売り上げが減った分儲けが減ってしまい、従業員らに支払う給料も減らさざるを得ません。そうなると給料をもらう従業員らは以前のようにお金を使うことが出来ず、自然と財布の紐を締めて普段の出費を抑えるためにより安い物やサービスを求めるようになり、牛丼屋に限らずほかのお店でも値段を安くしないと物が売れなくなるのでどんどんと値段が下げていき、牛丼屋同様に従業員らの給料を下げざるを得なくなるというのがエンドレスで続いていきます。こういった現象が延々と続くことを一時期流行ったデフレスパイラルというわけです。

 仮に物価の下落がストレートに給料に反映されるとしたら、それこそさきほどの牛丼屋の例ですと牛丼の価格が五分の三になったのに合わせてそれまで月20万円もらっていた人の給料が五分の三の12万円になるのであれば、結局は金額は下がったとしてもその金額でそれ以前に買えていたものと同じ価値を買えるので極論を言えば消費者生活には影響はありません。ただ世の中、そうなんでもかんでも杓子定規的に一斉に価値が変動するわけでなく、価値が下がりやすいものもあれば下がりにくいのもあって経済が混乱するのです。
 今回例に挙げた牛丼なんかは物価価値が下がりやすいものの代表格でまさにデフレを代表する商品ですが、近年は牛丼とともに家電の値下げ競争も激しく、パソコンなんて昔は10万円以上が当たり前だったとは自分でも信じられなくなってきました。

 では値段が下がらないものはどんなものかですが庶民生活において代表的なのはよく卵だと言われており、不況だろうが好況だろうが使用量があまり変わらない醤油などとともにほとんど変動がありません。ただこうした日用品以外にも値段が下がらないものとして一番に考えなくてはならないものはほかでもなく、人件費こと給料です。人件費の下げづらさのことを下方硬直性と経済学用語にもありますが、これこそがデフレ下において過重労働を生み出す最大の要因であり、今の日本において考えなくてはならないトピックなのではないかと私は見ております。

 話が長くなったので、続きはまた次回にて。

2011年1月25日火曜日

何故中国がレアアース大国なのか

 また聞きかじりの内容で記事を書いてしまいますが書かないよりはマシなので一応紹介することにします。一応自分で加工した情報とかも用意してはいるのですが、一気にまとめて書きたいから今度の週末かなぁ。

 さて昨年は日中間で尖閣諸島沖漁船衝突事故が起こりましたが、この事件における日中の応酬過程で突如として現れたのが今日の表題のレアアースです。はっきり言って露骨とも言っていいくらいに中国は突如として日本向けレアアースの輸出を差し止めてプレッシャーをかけてきたわけですが、この輸出停止によって大多数の日本人がレアアースの貴重性と中国への過剰なまでの依存に気づくきっかけとなりました。もっとも中国は一昨年辺りからそろそろこういった掘削材料から電球のフィラメントに用いるタングステンなどを含む貴重な鉱物の輸出量を減らすと宣言しており、去年のあのレアアース輸出停止は突然ではありましたが日本に限らず欧米向けも一気に減らしましたら来るべき時が来ただけとも見ることは出来ます。

 そんなレアアースですが、そもそもなんで世界の市場を中国が握っているのでしょうか。確かに中国国内にレアアースに属する鉱物がある鉱床がたくさんあるのは事実ですがこういった鉱床は中国に限らず、アメリカ大陸にも結構ちらほらあるそうです。それにもかかわらず世界中で今なおレアアースは中国に頼りきっているわけなのですが、実はこれにはわかりやすい裏があったそうです。レアアースというのはその産出量が希少であるだけでなく発掘にあたり一つ大きな問題を含んでいるのです。その大きな問題というのは発掘に伴い出てくる廃棄物のことで、レアアースを発掘するとほぼ必ずといっていいほどウランやトリウムといった放射性廃棄物も一緒に出してしまうそうです。

 トリウムなどはそれほど放射能被害は大きくないそうですがそれでも普通に発掘を続けていたら自然と放射能汚染を受けてしまいます。そのため米国などではレアアースを昔に発掘していた際には鉱床で大きな塊を切り出した上で専門の施設へ運び、作業員が放射能汚染を受けないようにレアアースを抽出するという方法で発掘を続けていたそうです。
 もちろんこんな七面倒なことをしていたらたくさん費用がかさみます。それをどうも中国は労働災害なんて全く無視して鉱床で発掘から抽出までガンガンと低コストで掘っていき、そうして掘り出したレアアースを破格の安さでばら撒くことで一挙に世界市場を独占するに至ったそうです。ちなみに、初期にレアアースの抽出方法を教えたのは日本人技術者だったそうです。

 現代の日本にはもう炭鉱労働に従事する人はほとんどいませんが中国にはそこらかしこに炭鉱があり、また少なからず労働災害や事故の話を耳にします。去年にチリの炭鉱での救出劇が大きなニュースとなりましたが、中国では二桁の人間が炭鉱で事故にあって生き埋めになるというニュースは日常茶飯事とまではいきませんが決して珍しくはありません。そういう意味ではこれまでの中国のレアアースはやや人道を無視して発掘されてきたと取ることも出来ますが、そうして発掘されたレアアースを世界で一番買っていたのは日本人ということも忘れてはならないでしょう。

 目下、中国のこの急な輸出引き締めに対して各国でレアアース対策が話し合われております。中国が輸出量を減らしたことによって値段が高騰し、一度閉山した鉱山でもう一度発掘を再開しようという動きや代替材料の研究などが行われておりますが、もし実現できるとして一番手っ取り早い方法はというと、発掘の際に出てきてしまうトリウムを原発燃料として使うことではないかと私は見ています。現在この方面も研究は進められているようですがまだトリウムを原発燃料としての実用化は目処が立っておらず、あまり期待ばかりしていてもしょうがないでしょう。また代替材料についても生成に成功したなどというニュースをたまに見ますが、コストなどの面でほとんどどれも産業ベースとしては使えるレベルにまでは至っていないそうです。

 望むと望まざるを得ず、まだ数年はレアアースについては中国に頼らざるを得ないでしょう。ただ個人的にちょっと思うこととして、レアアース材料が必須なパソコンに使うハードディスクなどの値段はもうちょっと高くたっていい気がします。大体二年位前に1TBの外付けハードディスクを15,000円くらいで買いましたが、その後値段が下がりまくってすでに市場価では1万円を割っているのが普通です。
 わかっちゃいたけど、ここまで下がっちゃうとなぁ。

2011年1月23日日曜日

適切なエリート教育とは 後編

 これまでのあらすじを簡単に書くと、

・日本の組織は伝統的に中間層、下位層といった実行部隊は優秀
  ↓↓↓
・しかしそれを動かす上位管理層のレベルが低い
  ↓↓↓
・日本にはエリート教育が必要なのでは
  ↓↓↓
・今のところ、日本でエリート教育を行っている機関はあまり見当たらない

 大雑把なところ、こんなもんでしょうか。

 前回の記事に続き、エリート教育について思うことを書いていきます。
 上記のような流れで今の日本にはエリート教育が必要だと思うものの、具体的にどのような教育がエリートを養成できるのかということについて現実のエリート養成機関を探して見るところから始めましたが、現在の日本においてははっきりとエリートを養成する教育機関が見つからないところまできました。今現在それらしいエリート養成機関がないことこそがまさにが現状の日本のエリート不足の原因でしょうが、では過去はどうだったのかと言うと一応その役割を期待された陸大などの教育機関があったものの、成功したとは言いがたい結果に終わっております。唯一日本が誇れるようなエリートを数多く輩出した教育機関となると吉田松陰の松下村塾が挙がって来るのですが、ここでは具体的にどんな教育が行われたのかが私にはわからないため、エリート養成のノウハウはまだわからずじまいです。

 そういうわけで今日こそ本題であるどんな教育がエリートを作るのかという中身に移って行きたいのですがその前に、今日たまたま友人と話す機会があったのでもののついでに今の日本にエリート教育を行う教育機関はあるかと尋ねたところ、真っ先にICUこと国際基督教大学を挙げてきました。
 この大学についてはほかのサイトでもいろいろ紹介されているので詳しく知りたい方はいろいろと見てもらいたいのですがここでも簡単に説明すると、国際基督教大学は他の大学と比較して入学試験からカリキュラムまでかなり特徴的というか独特のものを用意しており、特にカリキュラムについては少人数教育の徹底が行われていると聞きます。実際に私の大学時代の恩師もほかの大学ならいざ知らずこの国際基督教大学のカリキュラムには一目置くと述べており、それがエリート教育かとなるとはっきりと断定は出来ませんが他と一線を画す特殊な教育を行っているという意味ではこの大学のカリキュラムが当てはまると言えるでしょう。

 話は横道にそれましたが、では具体的なエリート教育の中身です。前の記事でも書きましたが今現在においてもエリートの養成方法はきちっと定型化されていないためにここからは私の主観において話を進めていきますが、まず必要なのはさっき書いたICUのような少人数教育において他ならないでしょう。
 基本的に、エリートを作るためにはお金と手間が必要です。安価で大量に作れるというのなら今の日本のようなエリート不足なんか起こるわけでなく、一人の教員や指導員に対して一度には数人程度しか養成することが出来ないでしょう。そしてその指導においても付きっ切りで長時間指導する必要であることから、これは友人からの入れ知恵ですが教員と被指導者の間には相応の信頼関係が必要不可欠でしょう。

 それではそのようなマンツーマンに近い環境下で一体何を教えてどのような能力を鍛えればいいのかですが、これは人によって意見は変わるでしょうが私の意見を言わせてもらうと、一にエリートとしての心構え、二に観察眼です。

 エリートとしての心構えが何故必要なのかと言うと、単純にエリートを社会が作って社会が使うためです。何度も言いますがエリートを自然発生的に生まれて出てくるのを待つのであればその限りではありませんが、意図的に作ろうというのであれば相応の時間とお金が必要になります。それだけのコストをその社会が負担して作った後で出来上がったエリートが、「俺、知らないよ」とばかりにその社会へ自分の実力を還元しないのであれば丸損もいいところです。そうはさせないように、これはエリートのみならずその当該社会の構成員からのエリートへの期待など双方構成的な要素も含みますが、エリートはその社会(国家でもいいけど)に対して第一線に立って貢献しなければならないという意識を何よりもまず最初に強く持たせなければいけません。逆を言えばこの意識を持たせることが出来ないのであれば、その人物には後々のことも考えてあまりこのような教育を施すべきではないでしょう。

 次に観察眼ですが、前の記事でも書いたようにエリートに一番求められる能力とは先見性こと未来を予測して対策を立てる能力です。では未来を予測するにはどうすればいいかですが、極論を述べれば過去、現在の状況を理解しよく把握することを材料とするよりほかがありません。今現在では小さな問題が後々大きな禍根となったり、誰も注目していない小さな発見が後に大きな可能性となるなど歴史を見ればこのような例はいくらでもあり、そういったものを早期に発見してモノにするにはよく身の回りを見極めることの出来る観察眼こそが一番必要なのではないかと私は考えます。
 もっとも、こう書いておきながら私は観察眼というのは先天的な才能にかなり由来する能力だと思っており、私自身も意図的に訓練することが出来ないかと何度か試みた経験がありますがどれも確信を得るような結果は残しておりません。それでもまぁやっておいて損はないと思うのは過去のベース作りとばかりに歴史や古典の勉強、その上で諸パターンの解析を常日頃から自然と行う癖を作るために複数人での議論の実践が効果的かもしれません。

 最後にかなり根源的なことに触れますが、もしかしたら日本は人口が多いだけに、エリート教育が行われていないにもかかわらずエリートとして十二分に必要な才能を持った人材がすでに存在しているかもしれません。それにもかかわらず上位管理層のレベルが低いのは、単純にエリートとしての実力を持った人間がその相応しい地位についていないだけかもしれません。
 私がその可能性があると思ういくつかの要因に、昨日の記事でも書いた戦時中における東大生とオックスフォードの学生の徴兵に対する反応の違いがありますがそれともう一つ、こういった例に本来出すべきではないかもしれませんが気にかかって頭から離れないので書いてしまいますが、藤田田が唯一、「頭のいい奴だった」と評した光クラブ事件の山崎晃嗣の例があります。時代も大分昔ですし現代と比較するべきではないのですが、とてつもない能力者を社会が理解してその相応しい地位につけとかないと変になると思う一例です。

2011年1月22日土曜日

適切なエリート教育とは 前編

 一つ前の「日本人の管理能力、および管理層について」の記事で質問を受けたので、今日は求められるエリート教育の中身について思うことを書いてみようと思います。

 一概にエリート教育といっても、一体どんな教育をさすのかはそれこそ人によって千差万別です。教育学なんかだとこういうのをどういう風に扱っているのか興味は湧くのですが、どのような教育法がエリートの育成に効果があるのか、はっきりと定型化されていない日本の現状を見る限りだとそんなにまだ手垢がついていない領域なのかもしれません。

 そういうわけでどんな教育ならエリートが作れるのかですが、そもそもまずエリートとはどんな人間かを最初に定義しなければなりません。こっちは本題ではないのでさらりと流しますが、私はエリートと言うのは基本的には将来起こりうる問題に対する対策や、将来予見しうる事態に対して優位に立てるように行動指針を作る人間、つまり先見性を強く持っている人間を指すと考えています。本来エリートが勤めるべき役職の例を出すとそれはやはり政治家や企業経営者で、数年後の未来にどのようなことが起こりうるのかを予想して手を打つのが本来の仕事です。今の日本の政治家を見てると、年金を始めとして昔ほっぽって大事になってしまった問題の対処に追われているようにしか見えませんが。
 このほかエリートに求められる資質としたら未知の分野に取り組む率先力、集団を把握する統率力などがありますが、単純に頼れるリーダーとして求められる能力だと考えてください。そんなリーダーことエリートを作るにはどうすればいいかですが、社会学出身なだけにアプローチの方法としては過去にエリートを輩出した実績のある教育法、教育機関の例を辿るのが適当だと思い昨日辺りからいくつかピックアップを始めてました。

 まず現今の日本においてエリート養成機関とされるのは間違いなく東大です。同じ国立大でも京大は、あくまで私の印象ですが個人としての研究者育成機関としての側面が強いように思え、社会的な評価、官公庁や政財界への出身者の進出を鑑みても東大が一応は日本最大のエリート育成機関と見るべきかと思います。
 ではそんな東大のエリート教育ですが入って教育受けたわけじゃないからはっきり言えないものの、話に聞く限りですとほかの大学と比べてカリキュラムが極端に異なっているわけではないようで特別なエリート教育を行っているかは疑問です。確かに官僚や政治家を多く排出している実績こそありますが、昔ならいざ知らず現在において日本の官僚や政治家が他国と比して優秀かといわれるとこれまた疑問です。官僚についてはまだ他国と比べて不正が少ない分だけまともですが、政治家となると一つ前の首相を筆頭に目も当てられません。

 しかし現代ならともかく高度経済成長期の日本の官僚は優秀だったのではないかという意見を言われる方もいるかもしれません。生憎私が高度経済成長期はまだ生まれていないので実際どうだったのかは想像しづらいのですが、年代から逆算するとこの時代の官僚は戦前の東大教育を受けてきているのではないかと思います。同じ東大といっても戦前と戦後では教育法から入学手段まで大きく異なっているので一緒に考えるべきではないのですが、戦前の東大は当時のお国柄もあって今以上にエリート養成機関としての側面が強かったはずでしょう。
 そんな戦前の東大からは立派なエリートが作られたのかについてですが、はっきりと検証できるわけではないものの戦時中の話でこんな話があります。なんでも戦時中のイギリスでは開戦するや名門オックスフォード大学の学生がこぞって空軍に志願していったそうなのですが、日本の東大生を始めとする学生らは徴兵から逃れるために徴兵対象からはずされる理系へと続々と進学していったそうです(手塚治虫も認めている)。欧米と比べてノブレス・オブリージュの気風が日本には少ないということもあるでしょうが、平時は優遇されるとしても非常時となったら率先して前に立たなければならないというエリートは日本には少なかったとよく言われますし、事実私もその通りだと思います。

 また同じく戦前のエリート養成機関としては、恐らく東大以上に陸大こと陸軍大学校の方がその色合いは強かったでしょう。陸大というのは数年間の勤務経験のある三十歳以下の陸軍仕官のみしか受験できない戦前の陸軍内における幹部養成機関のことで、陸軍内で枢要な地位につくためには陸大の卒業資格が必要であること、一組織としては陸軍が戦前で最大であることから当時のエリート養成機関としては最上級のものと私は見ています。同じ軍学校でも海軍大学校は海軍自体が陸軍より人員規模は低く、なおかつ昔陽月秘話に取り上げたキスカ撤退作戦の木村晶福を始めとして海軍内の昇進にあたり必ずしも海大卒業資格が必要なかったことからその役割は一段低いものと見ています。

 ではそんな戦前最大のエリート養成機関の陸大はどうだったかのですが、結論を言えば陸大以前に陸軍が内部で派閥抗争を繰り広げたたために途中からは長州閥嫌いの東条英機らによって長州出身の軍人が入学できなくなるなど、かなり問題の多い機関でした。またWikipediaのページを参照してもらえればわかりますが指導内容も補給こと兵站について指導することがほとんどなく、そうやって卒業したメンバーらも一概にエリートとして優秀だったかとなるとかなりあやしい人物も多いためにむしろ問題ある教育機関の好例といえるかも知れません。まぁ27期首席卒業者の今村均を始めとして人格的にも能力的にも優れた人物を排出しているのは事実ですが、同じ27期には東条英機もいるからなぁ。

 じゃあ一体どんな教育機関がエリート養成として優れているのかですが、日本において最もエリートを輩出した教育機関と呼べるのは文句なしに松下村塾だと私は考えています。高杉晋作、伊藤博文を始めとしてその後明治の維新志士として活躍する人材を数多く輩出しており、ただ単に優秀な人材が集まっていただけというよりは松下村塾の教育の賜物と言えるでしょう。そんな松下村塾はどんな教育は行っていたかですが、実はこれにはあまり研究したことがないので具体的なところはわからないのですが一つ知っていることとしては、松下村塾は当時としては珍しく身分を問わずに誰でも入塾することが出来、農民以下といっても差し支えない身分だった伊藤博文や山県有朋も入塾しております。

 もう少しこの松下村塾、並びにエリート教育について書いて見たい内容がありますがいかんせんすでに長文化しているので、続きはまた次回にて。

2011年1月20日木曜日

日本人の管理能力、及び管理層について

 去年の夏はすでに死んでいたにもかかわらず死亡届が出されず、遺族が年金を搾取していたという事件が日本の全国各地で多発しました。多発とは言っても実際のところは最初の東京での一件が明るみに出たことから各地で調査が行われ芋づる式にばれただけですが、このニュースは各方面に驚きをもって受け入れられ、記者の屋山太郎氏などは、「いくら腐ったとはいえ日本人には武士道があると思っていたが、ここまで退廃していたとは……」などと述べており、ほかの評論家の方々も日本人の倫理の低下を嘆くような言葉でこれらの事件について言及しておりました。

 しかし実のところというか、こういった死亡を隠すという行為はなにも最近に始まったことではなかったようです。文芸春秋で読んだコラムによると江戸時代の武士らは一家の大黒柱である主人が亡くなった際はお上に休暇届を出し、しばらくはその死を隠して主人の俸禄をもらい続けるのが当たり前だったそうです。無論お上側もこういった事実は把握していたそうですが葬式などでお金がかかることからほぼ黙認し、武士社会ではこうした行為は半ば慣例化していたそうです。となると逆説的ですが、年金搾取の事件を見る限り日本人の武士道はまだ失われてなかったということになります。

 とはいえこの事件は日本のみならずほかの国でもいろいろと注目されたことからお隣韓国でも報道されたようで、私がテレビのインタビューで見た韓国人は、「日本人は戸籍などの管理がしっかりしている国だと思ってたのに」などと言及していました。その韓国人の言う通り、確かに日本人は細かい性格していていろいろな管理に細かいような印象を持たれているし日本人らもそういう認識を一部自分たちに持っているような気がしますが、実際のところは少し事情が違うのではないかと私は睨んでいます。

 管理と一言で言ってもこの事件のように戸籍や住民票を初めとして様々なものがありますが、私が日本人がいい加減この上ないと感じる第一のものは統計です。現今の内定率や失業率を初め、日本はこれで本当に参考になるのかというくらいに状況を正確に反映していない曖昧でいい加減なデータに満ち溢れています。日本人、というより中国や韓国を含むアジア人は数字に対してシビアな西欧人と比べてなにかと数字に感情を込めたがる傾向があり、誇張やごまかしは当たり前で、こんだけ頭使えるならもっと別方面に使えよといいたくなるくらいの計算方法まで編み出したりして何かと統計数字を弄くるのに長けております。
 実際にこうした日本人の統計下手は今に始まったことでなく、戦後日本で餓死者が大量に出そうだということでアメリカが大盤振る舞いして食料を送ってくれましたが、蓋を開けて見ると全くでなかったというわけじゃありませんが予想に反して餓死者は少なく、マッカーサーがどういうことだと詰め寄ると、「うちの統計がしっかりしてればあんたの国に負けたりはしてないよ」と吉田茂は言い返したそうです。

 こうした統計を初めとして、私は日本人は管理というものが実際には非常に下手なのではないかという気がこのところします。意識しないと気づきませんが今時タイムカードのある会社の方が珍しいくらい勤怠管理はいい加減で、道路の自動車制限速度も標識の数字プラス10~20km/時で走るのが当たり前ですし、厳格であるべき法律についても解釈が多過ぎるというか。そんな管理に疎い日本人ですがまたここで逆説的な考えをすると、一体どうしてこれほど管理に疎いにもかかわらずそこそこ繁栄して他国からも管理が細かそうな印象をもたれるようになったのでしょうか。

 これがこの問いに対するすべての答えだとは言いませんが、私は戦時中のアメリカ軍の、「日本の兵隊と下士官は優秀だが、トップが馬鹿で助かる」という言葉が最も適格な回答ではないかと思っています。
 私が何を言いたいのかというと、日本は管理を行う組織の上層層はいい加減で現実を無視した指示や決断を行いうものの、それを実行する組織の中間層、下位層があまりにも優秀過ぎるためにそういった無茶な指示を本当に実現、実行してしまっているのではないかと言いたいわけです。

 いくつか例を出すと、なんかこの前も引用しましたが日露戦争の東郷平八郎がドイツで食べたビーフシチューが食べたいと言ってジャガイモとにんじんと牛肉が材料だから今すぐ作れと日本で調理師に無茶な要求を出したところ、やけになった調理師が日本風のしょうゆテイストで作って出したのが今や和食を代表する肉じゃがの始まりだそうです。
 またこうした歴史的な逸話に限らず比較的新しい事例ですと、

「リッター30キロのエンジン作れよ、わかったな!!( ゚Д゚)」
「三ヶ月でマスターアップしろよ、わかったな!!( ゚Д゚)」
「マエケン一人で20勝しろよ、わかったな!!( ゚Д゚)」

 などといった上からの無理難題を中間層、下位層といった実行部隊がマジで実行してしまったという話を本当にあちこちで聞きます。まぁ三番目は今シーズンかもしれないけど。
 よく企業家などが途方もない偉業や無理だといわれた難題をやりぬいたことについて、「やろうと思えば出来るんです!!」などと自慢げに言ってたりするのを聞きますが、実際頑張って達成したのは現場の人間だろうにと冷ややかな気持ちを感じずにはいられません。優勝しても選手が本当に頑張ってくれたと言う原監督のような人は恐らく珍しいのではないでしょうか。

 今日は逆方向からのアプローチがやけに多いですが、仮に私の言っている通りに日本は中間層、下位層が優秀にもかかわらず上位管理層の質が悪いとすると、問題な上位層が優秀になったら日本はどうなるのでしょうか。その一つのモデルケースと言えるのはやはり明治維新で、見方によれば戦国時代以上の実力主義による下克上が行われただけあってトップ層は伊藤博文を初めとして文句なく最上の人材が揃い踏み、世界史上でも稀な急速な発展を実現しています。

 さすがにもう長いので今日は書きませんが、最近の日本は上位層に続いて実行と管理を兼ね備えるべきの中間層の質も急激に落ちてきているのではないかという気がして、それが日本の活力低下の大きな原因なのではないかと見ております。そのため近頃強く必要性を感じるものとして、私もかつては否定していましたがエリート教育が挙がってきます。この辺についてはまた今度、詳しく書こうと思います。

2011年1月18日火曜日

私の陶器集めについて

 このところ真面目な話題ばかり取り上げていたのでたまにはくだけた話題を書こうと思います。

 自分の密かな趣味として、陶器集めがあります。もちろん専門の方と比べたら屁でもない程度ですがそれでもほかの人と比べると茶碗やら湯飲みやらマグカップを購入する量は明らかに多く、金がなくて一食の食事代もケチっていた学生時代ですら平気で1500円くらいの湯のみをぽんと買うのに友人も不思議がっていました。
 自分のこの陶器趣味は恐らく、うちのお袋の影響によるところが大きいです。うちのお袋もこちらは主にティーカップですがよく集めており、実家には自分がもらったものを含めてそんなに大きくはないガラス棚ですがウェッジウッドなどが所狭しと並んでます。

 それでは一体どんなものを私が買うかですが、基本的に買うのは日本製の茶碗です。ティーカップも嫌いではありませんがおふくろの持っているもので十分なので、新たに買い足したりはせず買うのは決まって茶碗です。お気に入りの茶碗は伊賀焼と信楽焼で、どちらも薄くて軽いのが特徴ですが安土時代の武士ではないですが柄は無骨な茶碗が好きなので大抵単色でざらざらした質感の茶碗を買ってたりします。両者とも手に持って見ると驚くほど軽く感じるのですが、その分熱伝導率も半端じゃなくお茶を入れて飲むとたまに手がやけどしかけるというデメリットがありますが。

 そんな伊賀焼と信楽焼に対し、一時期ハマったのは山口県の萩焼です。これは広島に左遷されっぱなしのうちの親父と中国地方を回った際にたまたま立ち寄った土産物屋で値段は2000円程度でしたがいい茶碗が見つかり、買って帰って使ってみると使い心地もよくしばらくはその茶碗で毎日三杯はお茶を飲んでました。
 ところが、それだけ愛用していた萩焼の茶碗ですがある日帰省していたうちの親父がその茶碗を取ろうとして滑り落とし、割ってしまいました。まだ買って一ヶ月もしない新婚ほやほやの期間だっただけに今思うとちょっと怒り過ぎだと思うくらいの勢いで当時は親父を激しく責め立て、そのあまりの剣幕を見てか後日うちのお袋が私に内緒で3000円くらいの別の萩焼の茶碗を通販で購入してくれました。使い心地は、やっぱり前の割った奴のがよかったけど。またその後、今度はお袋が広島の親父を尋ねていってそのときにもまた別の萩焼の茶碗を買ってきてくれました。こっちは通販のよりはまだよかったけども、それでも最初のあの茶碗を越えることはありませんでした。といっても、受けられる水の量がちょうどいいからその後一年くらいは日常用として使ったと思いますが。

 私は基本的に茶碗というのは飾るものではなく使ってなんぼだと思うので、買ってくそばからローテーションを決めて日ごとに茶碗を変えたりして次々と飲み変えていきます。それでも毎回変えていたらお袋に怒られるので日常用は固定して使いますが、確か日本を出る前までは去年の正月に友人と浅草で会った際に購入した信楽焼の茶碗だった気がします。京都にしばらく住んでたくせに、なぜか清水焼には手を出さなかったなぁ。

 こうした茶碗に対し、マグカップ類は単純に絵柄で決めます。容量は大体300ml以上が入るのが条件で気に入った柄があればどんどん買います。ただこういったものはやっぱり値段がきちんと反映されると言うか気に入る柄は1000円位したりして、100円ショップの柄は大抵は気に入りません。唯一100円ショップで購入した中で気に入っているのはアルミ製のマグカップで容量も大きく、アルミという一風変わった材質がやけに気に入って愛用していました。
 ただマグカップ類は茶碗と比べて買いやすいため、大学在学中でも一人暮らしの癖して常に7個とか8個くらいはマグカップを保有していました。これだけ多いと置き場所にも困るし新たに買い足せないため、何度も家に来る友人らに気に入ったマグカップがあれば彼らにそのまま譲渡していました。基本的に男子学生なので私みたいに年がら年中お茶を飲む習慣はおろか急須すら持っていないのが普通なので、マグカップも大抵の友人は持ってないのでみんなそれなりに喜んで持っていってくれました。私自身もあまり使わないで置いておくよりも、それぞれ気に入ってくれた人に使ってもらった方がいいだろうと考えて渡していました。

 ただ唯一、「俺、これが欲しいっ!」と言われても手放さなかったマグカップがあります。別に高いわけではないのですが私がイギリスに行った際に買った、リーマンショックで廃業してしまったウィッタードというコーヒーとお茶を売っていたところのマグカップですが、イギリスらしく愛らしいウサギの漫画が書かれた小さいマグカップで使用機会はそれほど多くなくとも非常に気に入ってたので人気抜群の中、とうとうこれだけは手元に置き続けました。
 その後ウィッタードは私が大学を卒業した後に前述の通り廃業したわけですが、Googleに検索をかけると前に陽月秘話で書いた私の記事が出てきたりしますが、案外こういうちょこっとしたものほど検索に引っかかったりするんだなとしみじみ感じたりします。思い出というのも、こういうものなのかもしれませんが。

2011年1月15日土曜日

成功体験と失敗体験

 世の中、人生を生きていく上で役に立つという様々な教訓で溢れております。特にビジネス関係で言うと俗に言うビジネス書などといった経営者の自叙伝やコンサルタントらの「必勝、○○法」などといった書籍が本屋にいけばたくさん並んでおり、私も暇な時などは手に取って読んで見たりしてました。
 ではそこで語られている教訓は一体どのようにして得られたものなのでしょうか。これははっきりいってしまえば教訓と呼ばれるものは何がしかの成功体験、もしくは失敗体験が背景にあり、古典から一例を出すと毛利元就の「三本の矢」のエピソードは、実際はどうだったかわかりかねますがあの一件で兄弟が仲良くなることに成功したという成功体験から得られた教訓と言えます。

 この成功体験と失敗体験ですが、果たしてどちらの方が価値があるのでしょうか。今日はささっと結論を述べさせてもらうと私は成功体験には益もあるが害も多く、参考にするのであれば失敗体験の方が価値が高いと考えております。
 一体どうしてこのような結論に至ったのか理由を説明させてもらうと、まず成功体験からは確かにうまくいくノウハウを抽出させることが出来ますが、その一方で成功に至ったのに全く因果関係のない行動や決断を正しいやりかただと誤認してしまう可能性も多分に含んでいるからです。

 いくつか実例で言うと、近代日本において最大の成功体験と呼べるものの一つに日露戦争があります。この日露戦争で最終的に勝敗を決しさせたのは東郷平八郎指揮による有名な日本海海戦でありますが、この日本海海戦のあまりの成功体験によってその後の日本海軍においてはいわゆる「決戦主義」というものが生まれてしまったそうです。
 この決戦主義というのはゲリラ戦のように小規模の戦闘を地道に繰り返して相手側の戦力を徐々に減らすのではなく相手側の戦力を出来る限り集中させたところを自軍も大兵力を当て、一回の大規模戦闘によって一挙に勝利を決めるという考え方なのですが、太平洋戦争においてはハワイ真珠湾攻撃やミッドウェー海戦など、このような決戦思想的な作戦が度々取られています。

 前に読んだ本によると東郷平八郎としては日本海海戦を決戦としたのは相手になるロシアのバルチック艦隊が長距離を移動してきていること、日本が長期間に渡って戦争を続ける余裕がなかったこと、その決戦に対して日本側が十分な訓練を積んでいたという条件があり、いわば与えられた条件の中で最も適格な作戦だったがゆえに実行したと言われております。にもかかわらず太平洋戦争では必然性もなくなにかと決戦行動を取っており、極めつけともいえるのは全く勝利する見込みもなく撃沈されることがわかっているのに戦艦武蔵と大和を戦場に放り込んで無駄に戦力を消耗させております。海上移動砲台と考えれば、使い道はまだあったろうに。

 逆に失敗体験で言えば、近年の日本の例だと日本式経営ことJALの破綻が一番好例かもしれません。日本式経営については大分昔にもまとめたことがありますが基本要素は、

・終身雇用
・年功序列
・労使協調

 この三要素であり、バブル崩壊後の90年代における「失われた十年」においては日本が駄目になった最大原因として激しいバッシングに遭い、その後各企業において成果主義や中途採用などが導入される原因となりました。
 私としては年代ゆえに実体験としてあまりなじみがないのですが三番目の労使協調についてはちょっと聞いてて驚くことが多く、なんでも本来対立関係にあるはずの経営陣と労働組合は実際はべったりで労働組合内で幹部職を経験したものはその後みんな役員に昇進しており、事実上経営陣の下部組織となっていたようです。

 この労使協調が行き過ぎて破綻してしまった会社としては現在で言えば航空会社のJALでしょうが、最近になって調べていろいろ驚いたのは旧カネボウこと現在のトリニティ・インベストメントで、旧カネボウはバブル期に経営の多角化を図ったところ新規事業はほとんどどれも失敗して赤字を垂れ流す結果になったにもかかわらず、労使の関係があまりにも強すぎて不採算事業から撤退、廃止、リストラを一切行わず赤字を垂れ流し続けた挙句粉飾決算を行い、一時は日本最大の企業とまでなったにもかかわらずとうとう会社名自体が消えてしまう結果になってしまいました。(唯一収益を上げていたカネボウ化粧品は花王に買収され、ブランド名のみ存続)

 私も子供の頃にかすかに「ペンタゴン経営」という言葉を聞いておりましたが、実際の内実はひどいもんだったんだなぁと調べてみてつくづく感じました。
 一体何故カネボウについて急に調べようと思ったかですが、実は映画の「沈まぬ太陽」を見てJAL機御巣鷹山墜落事故の後にカネボウで元社長だった人が再建を任されて会長に就任したものの、映画ではいい風に書かれていたものの実際はこの人の在任中もJALが破綻する要因が生まれたという評論を読んだことがきっかけでした。話に聞くとそれ以前からもやけに強気なJALの労組がさらに強気になり、経営陣はその後再建策が何も実行できなくなったそうですが、カネボウの破綻までの話を聞いていると無理もないような話です。

 現在の日本においてはこの労使協調はほとんど消え失せ、「羹に懲りて膾を吹く」じゃありませんが労働組合が弱くなりすぎて過重労働などの問題を生むなど別の問題を生んではいますが、少なくとも過剰な労使協調によるカネボウの破綻がJALの破綻にもつながっていることを考えると失敗の原因と言うか対処すべき教訓ははっきりしております。この「羹に懲りて膾を吹く」ということわざのように失敗体験も成功体験同様に、本来正しいやり方を間違えて失敗原因として排除してしまう可能性もないわけではありませんが、それでも成功体験のように余計なやりかたを正攻法と勘違いする可能性やその害の大きさより低いと私は見ています。

 失敗体験は成功体験に勝ると私が感じる大きな原因として思い当たる人物が二人おり、一人はダイエー創業者の中内功と、もう一人はフランチャイズの帝王と呼ばれた日本マクドナルド創業者の藤田田です。
 二人とも業績好調時はカリスマ経営者と呼ばれましたが晩年は誤った決断から会社の業績を大きく低迷させ、友人曰く「カリスマ経営者というのは紙一重」という言葉の通りに過去のあまりの成功体験からシフトすることが出来ずに終わってしまったと感じさせられる人物です。

 現在、一般にビジネス書と呼ばれる経営者の自叙伝などは基本的に自身の成功体験場仮が書かれているように思えます。しかし私はそういった成功体験よりも失敗体験をの方が教訓を探す上では価値は高いと見ており、こういった本が本当に参考になるんかいなとよく思います。成功、失敗するのは誰にでもあります。しかしそこからそれぞれの要因を見極め分析するのはいささか玄人仕事で安易に行うべきではないというのが、今日の私の意見です。

2011年1月14日金曜日

菅改造内閣について

 さて政治ニュースがこのところなくて日干し気味でしたが、今日になってようやく菅直人政権が内閣改造を行ったというニュースが入ってきました。

菅再改造内閣が発足=枝野官房長官ら新任4人―首相、社会保障・税改革を推進(時事通信)

 今回の改造内閣の顔ぶれですが注目すべきは退任となった官房長官の仙谷氏、国土交通相の馬淵氏、国家公安委員長の岡崎氏の三人で、岡崎氏はともかくよく仙石氏をスパッと切ったもんだなというのが私の正直な感想です。岡崎氏については公安のテロ対策情報データが流出した際の記者会見で、本来なら何が何でも流出したデータはテロ対策のデータだったと認めてはならないところをすぐに暗に認めてしまい、その失敗といい資質の問題といい退任は妥当だと思いましたが、仙石氏と馬渕氏については留任、もしくは横滑りがあるかと思っていただけにちょっと意外でした。

 二人とも今回の退任原因は尖閣諸島沖漁船衝突事故の対応が原因で野党に不信任を突きつけられたことからでしょうが、不信任決議を原因に退任するとしたらあの事件での対応は問題だったと民主党自ら認めてしまうことになりかねないために何が何でも突っぱねるだろうと私は見ていました。特に仙石氏については「仙石内閣」と呼ばれるまでに影響力を行使していただけに菅氏も切りづらいのではないかと考えていました。
 私自身は仙石氏は公務員改革を見事に叩き潰したなどといった点でそれほどいい印象を持ってはいなかったものの、近年の政治家並びに官房長官としては異様なくらいに打たれ強さがあり下手な人物に変わるくらいならまだ一つの姿勢を維持する人間がこういう職についているべきだろうと評価していました。ただ方々でも言われていますが代わった所で菅政権への影響力はまだ残すでしょうし、また野党対策を考えるなら案外ここで切った菅首相の決断の方が正しいかもしれません。

 そんな仙石氏に代わって官房長官に就任したのは枝野幸男氏ですが、枝野氏はかつてより菅首相とは昵懇の仲でこれ以前からも入閣予想が出ていたにもかかわらずなかなか入閣しなかったことを考えるとようやくかという就任です。官房長官は首相との相性あっての職ですからこの枝野氏の官房長官就任にそれほど悪い印象は覚えてはいませんが、仙石氏も官房長官になる前となった後で物凄い発言内容が変わってますし、枝野氏もこれからダークサイドに落ちたりするのかなと要らない心配をしております。
 ちなみに枝野氏については産経新聞が、中国メディアは対中強硬派が官房長官に就任したと報じていると紹介してますが、試しに本当かどうかソースを調べて見たら人民網のこの記事を引用しているのがわかりました。中国語ページですが書いてあることはまんま産経の記事そのままで、ただ翻訳するだけのこんな作業で金もらえると思ったらちょっとうらやましいです。人の事いえないかもしれないけど。

 ただこうした官房長官の交代に並び今回の改造の目玉となったのはやはり、立ち上がれ日本を離党してまで参画してきた与謝野氏でしょう。与謝野氏についてはいちいち書くまでもないですが昨年に、「このまま民主党政権が続いたら日本は終わる」と言って自民党を離党して平沼氏と一緒に立ち上がれ日本を立ち上げましたが(いちいち書き辛い政党名だなぁ)、去年末の民主党との連立騒動が冷めやらぬこの最中に急転直下の離党+内閣入りです。与謝野氏についてはその政策知識は私も高く評価している上に菅首相同様に消費税増税論者であり、経済財政担当相への今回の就任は道義性を除けばそれほど悪くないんじゃないかと思います。

 最後に留任した閣僚についても一言書いておこうと思うのが、元鳥取県知事で民間からの起用になる片山総務相です。片山氏の発言は以前から聞いててなるほどと思うことも多く、最小人口県とはいえ鳥取県での実務経験、実績もあることから前回改造時からのこの起用は高く評価しているのですが、残念なことと言えばそうですがその総務相としての実績よりも片山氏についてはこのニュースが一番私の目を引きました。

片山総務相が再婚 お相手は鳥取知事時代の秘書役県職員(朝日新聞)

 このニュースを初めて見た時はリアルに、「(;゚Д゚)エエー」って顔になりました。
 だって再婚と言ったって相手は鳥取県庁の職員だった女性で、ってことは県知事時代からそういう仲だったの? という感じでいろいろと疑問が次々に湧き出してくるニュースなんですが、鳥取とは自動車の教習合宿で訪れてから私とやけに縁が続く県で、鳥取在住の友人に早速この件を確かめてみるとやはりお膝元なだけに友人の家族間でも大きな話題になったそうです。ちなみにそいつの親父が言うには、「俺はこのニュースを見たときあの人(別の女性県庁職員)と再婚したかと思ったんだけど、違ったなぁ」と洩らしているだけに、片山氏は知事時代に県庁内で相当浮名を馳せていたのかもしれません。

2011年1月11日火曜日

今年の景気について

 一応政治系ブログなんだから何かしら政治ニュースについて書かなければとこのごろ思うものの、一体何を書けばいいのかと思うくらい最近は政治ニュースが不振です。通常国会前なので仕方のないことでしょうが、ネットで見る限りこのところ報道されていることといったら民主党の小沢氏か仙石氏が辞めるか辞めないかといった人事の去就ばかりで、あまり政治議題に関する報道は目に入りません。こういうのを見ていると、まだまだ日本はどうでもいいことしか話題にならなくて余裕あるなという気がします。
 そんなわけで今日は、ある程度適当な事いうのが許されると勝手に思っている経済こと今年の景気について書いてこうと思います。

 こと株価に関しては年が明けてからは割と好調でこのところ日経平均は一万円台で推移しています。この株価の上昇要因はアメリカの株価が上がり失業率にも改善が見られて来たことが原因だと言われていますが、日本の株価というのは日本人投資家の力ではなく海外投資家の力で変わるものなのでアメリカの好影響が反映されているという見方に同感です。ただ日本経済自体がある意味地面を這いつくしたというか、切るところまで切ったのでこれ以上悪くなりようがないという逆説的な評価も出来るので去年よりはまだ今年の景気はマシになる可能性が高いように思えます。

 とは言うものの、依然として新卒の就職率は悪いままですし社会保障にかかる国家支出も今後増大することを考えるとまだまだ先行きは明るいとはいえません。特に若者の立場から言わせてもらうと自分たちの世代は二世帯住宅ローンのように上の世代のツケを払わされているだけでなく(自分は今一切日本に税金払ってないが)、やれ草食系だとかゆとりだとか言われたりしてむかっ腹が立って仕方がありません。この前もどう反応していいかわからないニュースで、最近のゲームセンターは若者より時間と金をもてあましている中高年が多く集まり、ゲームセンター側も彼らを顧客ターゲットにした営業を行い始めたというものがありましたが、実際に日本にいた頃にゲームセンター行くと中高年が多いように私も思っており、ちょっと言いすぎな気もしますが、若者の居場所がここまでなくなったのかという気が少しします。

 業種別の話をすると、まず言えるのは2000年代中盤に栄華を誇った自動車業界は今後はあまり先行きがよくないと言わざるを得ません。エコカー減税が終了したこともありますし、何よりも今後ますます電気自動車が増えていくことを考えるとエンジン、マフラー、ギア、ラジエーターといった主要部品はすべて必要なくなり、裾野の広い業界なだけに、今年一年ではともかく十年スパンで考えるとこの方面に従事してきた人にとってはビッグバンに近い影響を被る可能性が高いでしょう。
 では今後はどこの業界がよくなるかですが向こう一年で間違いなく強盛を誇るのは家電小売業界で、前の陽月秘話時代にも書きましたが家電メーカーの社員を新装開店時に呼んで働かせたり、家電以外に店舗内のテナントで服飾店や飲食店を入れたりなど、あれだけ値下げ競争が激しいのによくもまぁここまでやれるもんだなと思うくらい羽振りがいいです。働いている従業員は大変でしょうが、実際に家電屋で働いている小学校時代の同級生は何度も辞めようとしては思いとどまって続けてます。

 今日はあまりやる気がないのもあって適当に文字数を埋めるような記事を現在書いていますが、経済の話を行うつもりであれば本来ならこういった枝葉末節の内容は書かないに越したことはありません。株価がどうとかこうとか、どの業界がいいかと言うのは全体の経済を考える上ではほとんど意味がなく、大局的な見地で物を見ないと大きな手の上で踊るだけです。
 では大局的な見地で言えば何が言えるかですが、現時点で私が言えるとしたら今の日本経済の最大の問題点は高級中華料理屋よりも「餃子の王将」が流行っているということに尽きます。別に「餃子の王将」に恨みを持っているわけでなくもののたとえですが、要するに高い価格には客が全く寄り付かずに安い価格に客が押し寄せるデフレ状況が一番問題というわけです。

 前に友人にも簡単に講義しましたがそもそもの不況、ひいては自殺や鬱などといった社会問題もひっくるめて根本的な原因はデフレにあって、このデフレをどうにかしない限りはいくら金をばら撒いても意味がないように私は思います。最近は低い価格が定着してしまったためかデフレという言葉も以前ほど聞かれなくなりましたが、日本の経済を考える上で一瞬たりとも忘れてはならないとのが、今日の私の意見です。

寿命の尽きない時代に向けて その二

 昨日の記事に続き、技術が発達して不老不死が実現する世界について考察を行います。

 昨日は不老不死のうち不老のみ実現したらという仮想のもと、人体のサイボーク、クローン化が行われる世界について考えてみましたが、これとは逆に老化はありうるけれども不死である世界についてはあまり考察する必要がないかと思います。何故かと言うと不老ではないけれども不死になるということに魅力を感じる人間が多いとは思えず、よっぽど酔狂な人か脳味噌単体となってでも知識を集めたがる人でない限りはこんなことしようと思わないでしょう。
 それでは今日はどんな場合を想定するかですが、いよいよ本番というべきか不老不死が完全に実現する世界についてです。

 昨日の記事でも書きましたが人間は恐らく文明を持つ以前からこの不老不死というテーマについてその思考をめぐらしてきたことだと思います。不老不死が当たり前なギリシャ神話の神々はもとより日本においては人魚伝説と組み合わさった不老不死の八百比丘尼の話や、古事記において食べると不死身になれる常世の実を探しに行くスクナビコナ(都市伝説の小さいおっさんとは彼のことだろうか?)の話など不老不死に関する話は枚挙に暇がありません。

 そういった不老不死が出てくる話で最近に私が読んだというかはまったのに、漫画家の弐瓶勉氏による「BIOMEGA」があります。現代漫画家の中ではハードSFを描かせると恐らく右に出る人はいない弐瓶氏ですが、基本的にこの人の漫画の主人公や登場人物は不老不死であるのが当たり前で最新作の「シドニアの騎士」でも数百歳の人物がごろごろ出てきますが、今回取り上げたい「BIOMEGA」では最高で600歳、次点で300歳の人物が出てきます。どちらも医療技術の発達を受け延命手術を行いつつ生き続けているのですが、作中ではさらに効率的で無限に生き続けられる可能性を持つ技術が見つかったことからいろいろと抗争が激しくなっていき、その技術に対して対立する二人が以下のような会話を行う場面があります。

「無限に人が生き続けても、星が人で溢れ返るだけだ」
「人口抑制こそが、人類の理想形だ」

 ちょっと原作が手元になく上記の台詞は私の記憶によるもので不確かですが、不老不死が実現する世の中について実に的確な一言だと思って最近あちこちに聞かせまわっております。
 不老不死が実現するとなると単純に人口が爆発することとなります。現時点ですら医療技術の発達、防疫の普及によって地球が持つ資源以上に人間が溢れてしまって(先進国並みの生活が世界中で行われたら資源が持たない)いますが、不老不死が確立されるのであればそういった資源がどうとかと言っている場合じゃ済まないでしょう。そのため不老不死が実現するとなれば必然的に、その不老不死の処置を受けられる人間を限定するか人間の生殖を厳しく制限して人口を抑制せざるを得ません。

 可能性としてありうるのは前者の不老不死処置者の限定の方で、先ほどちょこっと書いた「シドニアの騎士」では特別にそのような処置を受け続けられる「不死の船員会」というメンバーが出てきますが(っていうか、そいつら以外はほぼクローンで光合成するし)、社会的に重要な地位や役割を果たすもののみ、場合によってはその処置を受けられるだけのお金を持っている人間に不老不死技術が独占される可能性が高いと私は見ています。私自身はそれほど魅力を感じないので気にしませんがこれだと中には反感を持つ人も出てきて、不老不死者に対してむやみやたらな攻撃が加えられたりするかもしれません。
 また単純に適者生存というわけじゃありませんが、そのような不老不死処置者の選定において恐らく重要視されると思われる要素として遺伝子が挙げられて来ます。サラブレッドじゃありませんがより優秀な遺伝子を残すことで人類の質を向上させようという考えが浸透するかもしれません。これは不老不死までは行かずとも、世界人口が深刻なほど膨張した際にも生殖の限定方法として使われる可能性があります。

 ただもし人類がそれこそ宇宙内でも活動できるようになったり、無尽蔵なエネルギーを得られた場合は案外簡単に人類全体が不老不死化するかもしれません。それはそれで結構かもしれませんがもしそうなった場合に私が想像することとしては、殺人や事故死といったものへの忌避感が極端に高まるのではないかと思います。
 それこそ脳味噌吹っ飛ばされても蘇生が可能になるまで技術が高まるのであれば話は違いますが、不老不死者が死ぬとしたら殺人など外部的要因に限定されるようになればその死への恐怖は今以上に劇的に高まることでしょう。となるとどうなるかですが、やはり起こるとしたらそういった殺人をやらかしそうな人間を徹底的に淘汰するのではないでしょうか。それこそちょっとした行動や発言、もしくは過去の殺人者の傾向と一致する人間を見つける傍から徹底的に隔離、排除する密告社会化していくような気がします。それがいいかどうかは別として。

 私自身は人生は細く長くよりも太く短くを信条としており、二十歳くらいまでで生きれれば御の字だと思うほどだったのでこの不老不死にはまだそれほど歳がいっていないのもあるでしょうがあまり魅力は感じません。ただ興味があろうとなかろうと現実に人間の平均寿命は伸び続けており、今後もさらに伸びることを考えるとこうしたテーマについて何かしら準備というか考える必要があるだろうと思ってこうして書いてみることにしました。見る人にとってはほかの記事よりもつまらないと感じられるかもしれませんが、たまにはこういうのを書かないと思考が現実側に偏ってしまうので……。

2011年1月10日月曜日

寿命の尽きない時代に向けて その一

 アメリカのブッシュ政権ときたら先の見えない泥沼化したイラク戦争を始めるなどその評価はアメリカ本国でもあまり高くはありませんが、真偽は不確かですが以前に聞いた話で、唯一アンチエイジング治療の研究に予算を割いたことは評価されているといううわさを耳にしたことがあります。
 このアンチエイジングという言葉ですが五年くらい前であれば多分誰も知らない言葉だったと思いますが、みんながみんな知っているわけではないもののこの数年間で随分と普及はした感があります。この言葉の意味は英訳そのままで反老化、つまり老化を防いだり寿命を延ばしたりする治療や研究の事を指しております。

 近頃は日本においてもアンチエイジングを謳ったクリニックや医院なども現れるなど急速に普及しており、またこの方面の研究で大きな可能性を持つips細胞を京大の山中教授のチームが発見するなどあながち根拠なく広まっているわけではありません。元々日本人自体が世界的にも長寿の民族で本人らも寿命にやけにこだわるところがあり、滅茶苦茶な制度にもかかわらず生涯受け取る年金の額を若いうちからあれこれ計算するなど長生きに対して考える下地があるのかも知れません。

 さてこのアンチエイジングですが、私の私見を述べさせてもらえば今後の研究によって人間の寿命が劇的に伸びる可能性は高いと見ております。ips細胞一つとっても慢性病の根治治療に大きな可能性を秘めており、また各種の薬剤の発達によって現時点でも見た目を若くする技術は以前とは比べ物にならないほどの進歩を遂げており、さすがに私が生きている間に不老不死までは行かないでしょうが、それこそ平均寿命が百歳を越えるのが当たり前の時代がやってくるかもしれません。
 もちろんこうした技術の発達は歓迎すべきなのでしょうが、私は現時点でいささか、技術の発達に対してその技術を用いる器というか哲学的議論が遅れているような気がします。基本的に技術が思想や想定を超えると、たとえるなら三国時代にビームを撃てる人がいたりすると物事がちょっとおかしくなってしまうように、ある程度哲学的議論は技術に対して専攻しておく必要があると考えています。そこでちょっと気が早いような気もしますが、「不老不死が成立する時代」についていくつか考えを述べようと思います。

 不老不死について考えるといった矢先ですが、まず不老と不死は分けて考える必要があるでしょう。たとえば不老ではあるものの寿命があって不死ではないという場合か、限りなく寿命が長くて不死に近いものの不老ではない場合かですが、両者ともにSF小説はもとより神話においてすらも題材に取られて描かれたりします。そういった空想のお話は大抵悲劇的結末で終わるのがオチで後者なんかは強欲な金持ちがよく妙な延命手術とかしてあーだこーだする展開ですが、今現在で近いうちに実現するとしたら前者の方でしょう。要するに見かけはある程度若さを保っていられるものの、寿命自体は多少は伸びるとしても大体現在の平均寿命で死んでしまうというような話です。
 現実のアンチエイジング治療研究も大体はこっちを想定しており、寿命自体を伸ばすことよりも如何に若さを保つかという技術の開発が行われております。恐らくほかの方もそうでしょうがいくら長生きできるからといって体が弱って寝たきりのままでは意味がなく、それよりも八十歳や九十歳でも元気で走れ回れる方が生きている価値が高いと感じるでしょう。

 私自身はこのような未来が実現するとしたら、それはきっと肉体の半機械化ことサイボーグ化が実現する未来だろうと見ています。すでに盲目の人の視神経とカメラを繋ぐことで視覚を一部回復する技術は実現していますし、今後も漫画の「攻殻機動隊」や「鋼の錬金術師」などのように肉体の一部を無機機械化する技術は高まっていくと予想されるのですが、その際に引っかかるというかどうしても代替出来ないだろうと思う組織として脳が挙げられます。思考や記憶を司っており、いわば魂に最も近い肉体組織の脳はさすがに機械化することは現時点では想像もつかず(漫画の「銃夢」ではコンピューターチップ化してたが)、肉体自体は機械化、もしくはクローンに脳を換装することで半永久的に保つことは出来るとしても脳だけは取替えが利きません。もちろん脳自体もたんぱく質で出来ているので細胞として寿命があり、最近は治療法も進んできてアルツハイマーなどについては現時点で根治治療は出来ないものの病状の進行はほぼ止められるレベルまで来ておりますが加齢による衰えはまだ克服しておらず、肉体は不老不死を保てるとしても結局は脳の寿命がその人の寿命(ほぼ現時点の寿命)に落ち着くのではないかと考えています。

 多分近い未来に起こるとしたら上記のような事態でしょうが、このような事態で想定される問題としては果たして人間は死を受け入れられるか否かです。普通は寿命とともに徐々に肉体が弱っていって周囲も本人も死を徐々に実感していくものですが、肉体が不老不死では果たしてそうやすやすと受け入れられるものなのか私には疑問です。本人自身も脳の衰えを受けてやや整合の取れない行動を繰り返すようになっても肉体は元気なままですし、自分が近いうちに死ぬということを認知できるのか、場合によってはそれが認知できないまま元気に動き回り続けるということも考えられます。
 こう言葉で表現するのは難しいですが、それが幸せなのか不幸なのかというよりそれでいいのかという風に私は思います。

 多分こうなるだろうとは思ってましたがまだまだ書ききれておりませんので、続きはまた明日以降に書きます。平日にこんなややこしい記事に取り組むべきじゃなかったな。

 あと余談ですが、やはり体力のある方が脳の痴呆症状を起こすと世話をする方の負担は凄まじいそうです。うちのおふくろの友人も生前に父親が痴呆を起こしたそうなのですが、戦時中に片腕を失ったにもかかわらず夜中に自転車でどこかへ行ってしまうなど大変だったそうです。この話に限るわけじゃないですが、おふくろの故郷の阿久根は自分の想像を超える話に満ち溢れている気がします。

2011年1月9日日曜日

猛将列伝~ヴァレンシュタイン

 先日ネットのニュースにて、すでに二十年以上も連載が続いているファンタジー漫画の金字塔と呼ばれる「ベルセルク」が映画にて映像化されるという話を聞きました。ベルセルクとくれば昔の知り合いがすごい好きでそいつに紹介される形で私も読み出し、現在も新刊が出ていれば必ずチェックする漫画の一つなだけに映画化と聞いて素直に喜ぶ一方、私だけじゃないだろうけどストーリーがめちゃ長い漫画なだけに本当にできるのかという不安がこのニュースを見てよぎりました。
 さてベルセルクとくれば中世ヨーロッパ、それも神聖ローマ帝国時代のドイツを模したような世界が舞台の漫画で、物語序盤までは主人公も所属している「傭兵団」の存在が非常に大きなキーワードとなっております。このヨーロッパにおける傭兵についてですが、大体十字軍の時代ごろから定着したようで14世紀には名高いスイス人傭兵が各国の戦争で使われるようになり、国民軍がこれに取って代わるフランス革命期までは事実上戦争の主役だったそうです。そんな傭兵団において最大規模の勢力を率いたのが、今日紹介しようと思うヴァレンシュタインです。

アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン(Wikipedia)

 高校にて世界史を勉強していた方なら名前だけ覚えているかもしれません。彼は国家という概念で初めて行われたというドイツ三十年戦争において活躍した傭兵隊長で、教科書によってはワレンシュタインという名前で紹介されています。

 ヴァレンシュタインはボヘミアの小貴族の家に生まれ、元々はプロテスタントでありましたが早くにカトリックに改宗して総本山のイタリアに留学しております。そのイタリアでの留学帰国後から傭兵業を営むようになったのですが、当時のドイツ、というよりヨーロッパはアウグスブルクの和議を経てピークこそ過ぎていたものの未だに新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)の対立が激しく、ドイツにおいては各地域を支配する領主によってその信仰が決められておりました。これはつまりその地域の領主がカトリックなら領民以下はカトリックを信仰せねばならず、逆にプロテスタントならプロテスタントにならなければならなかったというわけです。向こうの価値観ではいちおうこれでも名目上は信仰の自由は持たれたと解釈していたようですが言うまでもなくこれだと領主のみしか自由はなく、領民らについては信仰の自由は未だにありませんでした。

 そこでやはりというか起きたのが、三十年戦争の発端となったボヘミア反乱です。当時のボヘミアを支配していたのは後のマリー・アントワネットをも連ねるハプスブルグ家なのですが、この一族は代々熱烈なカトリック一家で当時支配していたボヘミアにおいて新教徒の弾圧を行ったそうです。これに対してボヘミアにおける新教徒の貴族らは反発して領主であるハプスブルグ家に反乱を起こしたわけなのですが、この騒動に目をつけた周辺諸国は同じプロテスタントの同志を救うという名目の元、本心は勢力を拡大するハプスブルグ家を叩く為に続々と戦争に参加して泥沼化したのがこの三十年戦争の大まかな姿です。こんな具合で起こった戦争だったので、中にはハプスブルグ家と同じカトリックの癖にフランスはプロテスタント側で戦っております。

 当初、この戦争は新教側が優勢だったのですが苦戦するハプスブルグ家に対して助力を自ら申し出てきたのがヴァレンシュタインでした。彼は自身が募集し、訓練した傭兵団二万を率いて颯爽と現れるとドイツに押し寄せていたデンマーク軍を次々と撃破して逆にデンマーク領を侵すまでに進軍を行ったのですが、彼のあまりの活躍ぶりと彼が取った免奪税などの軍税に対してドイツ諸侯から批判が起こり、功績に対する褒賞として領土を得たものの軍指揮官職を罷免されてしまいました。

 ここで彼の取った軍税について説明を行いますが、当時の傭兵団は傭兵を派遣する領主や貴族は派遣先から派遣費を受け取るものの、派遣される傭兵自身は活動期間中に雇い主から給金を支払ってもらうことはなかったそうです。そのため領主らの命令とはいえ戦地で戦ったとしても何も得るものがなく、その代わりの対価とばかりに占領地で略奪を行うのが常で、この三十年戦争によってドイツ内の諸都市が大いに荒廃する一因となったそうです。
 その中でも一際有名でプロテスタント側を勢いづかせるきっかけとなったのがマグデブルクの戦いで、新教勢力が立てこもるマグデブルクという都市をを旧教勢力が陥落させたものの、陥落後は傭兵の統制が利かず大いに略奪が行われたために当時三万人いたマグデブルクの人口が陥落後はわずか五千人にまで減少し、しかもその生き残りのほとんどは成人の女性だったそうです。

 こうした傭兵の略奪は当時としてはよくあることだったのですが、ヴァレンシュタインは自分の傭兵団においては傭兵一人一人に対して給金を支払う代わり、一切略奪を禁じていました。この給金の出所は自分の領地から来る収入を充てていたのですがこれだけではもちろん足りるわけがなく、そのために彼が創設したのが占領地において軍隊が市民に課す免奪税でした。この免奪税はその言葉の通りに「略奪を行わない代わりに取る税」で、彼は戦闘期間中に占領した各都市から勝手にこのような税金を取って傭兵らへの給金に充て、その後似た手法が他でも採用されるなどその後の軍政史に影響を与えています。西郷札も広義で軍税に入るかな。
 この給金を支払って傭兵を率いるやり方は当初はうまくいっていたようです。しかし戦争が続くにしれそのうわさを聞きつけた他の傭兵らが続々と参加したことでヴァレンシュタインの軍は徐々に肥大化し、最盛期には十万を越す大軍団にもなってしまったようです。もちろんこれだけの人数の軍隊は当時のヨーロッパにはなく軍勢だけならヴァレンシュタインはナンバー1となったのですが、逆にこれだけの人数となると維持をするのも大変で恐らくその軍税の取り立ても人数に比例して激しくなっていき、それが諸侯らの反感を買って罷免される原因となったのでしょう。

 こうしてヴァレンシュタインは一時罷免されたのですが、彼が降ろされるやデンマーク軍に変わり今度はグスタフ・アドルフ率いるスウェーデン軍がドイツに侵入してきました。友人曰くこの時が、「スウェーデンが一番輝いた時期」というだけあってスウェーデン軍は連戦連勝し、これにうろたえたハプスブルグ家は罷免していたヴァレンシュタインを再び指揮官に任命することを決めました。この再登板の際、ヴァレンシュタインは前の一件で相当懲りたのかハプスブルグ家に対してかなり交渉で粘り、軍指揮権全権や外交権を認めさせ、そしてわからない人はいいですが皇帝選帝侯位まで求めたといわれております。

 こうして復職したヴァレンシュタインですが再任後に任された部隊は自分子飼いの軍隊でなかったため当初は苦戦するも徐々に戦線を押し返し、最終的にはグスタフ・アドルフ自身の不注意(霧の中一人で敵軍に突っ込んだらしい)もありますが彼を戦死せしめることに成功します。ただこのグスタフ・アドルフ撃破は彼自身の命取りにもつながり、最早脅威はないと判断したハプスブルグ家は用済みとばかりにヴァレンシュタインを暗殺しました。ヴァレンシュタインは元々成り上がりということで嫌われていましたし、また彼の豊富な軍事的才能が恐れられたというのもあるでしょうがこの暗殺により旧教側は足並みが乱れ、その後フランスの参戦によって再び劣勢に立たされる事になります。この時ヴァレンシュタインを暗殺したハプスブルグ家当主、というより神聖ローマ皇帝はフェルディナント二世ですが、少しは反省位すればいいのに。

 ヴァレンシュタインについては以上のような人物なのですが、大規模の軍隊を長期に維持するなど戦略家としてみるなら稀有な才能の持ち主と言えるでしょう。それだけに強過ぎるゆえに警戒され同じく暗殺された前漢の韓信と重なって見えます。
 最後に話は戻って漫画の「ベルセルク」についてですが、この漫画における主人公の宿敵ことグリフィスも傭兵団を率いて活躍するもその後彼自身のヘマもありますが投獄、拷問を受けることとなります。グリフィスは結局ベヘリット使ってゴッドハンドになったけど、ヴァレンシュタインはそうはならなかったのかな。

昨日の上海周遊

 私は現在上海近郊に住んでいるのですが、昨日は中心部に行き「京橋のキムタク」と自称する上海人の友人と会ってきました。

 待ち合わせは上海氏地下鉄駅の水城路で、昼前に合流した私たちはまずは近くのDVD屋に行きました。この水城路を含む上海市西部は日本領事館を初めとして各国の外交使節がたくさんあることから外国人居住者も比較的多い地域で、特に日本人については留学生などもこの辺りによく住んでいるとのことです。そのため駅から出てしばらく歩くだけですぐに何軒もの日本食レストランを発見することが出来、以前に来た際にはイタリアンレストランのサイゼリヤまであったのには驚かされました。
 ちなみにそのような日本料理屋ですが、調理を行う人間ならともかく給仕は大体どこも中国人スタッフです。中には留学生らしき日本人もアルバイトしていますが、値段の設定や宣伝などを見ているとどうも端から中国人客を相手にせず日本人客だけをターゲットにして商売しているような印象を覚えるのですが、それで商売が成り立ってしまうのかもしれません。

 今回、我々は興味本位でDVD屋にどんなもんがあるのかを調査するために訪れました。中国でDVDというと基本的にどれも違法コピー版で、むしろどこに行けば正規版が買えるのかというくらいに偽者で溢れ返ってます。もちろんこんなのに手は出さないとして、では一体どういうものが流通しているのかをちょっと見に行こうかということで来たわけなのですが、看板文字まで日本語で「DVDの販売してます」と書いてあるだけあり訪れた店は本当にあるわあるわで、よくこんなものまでコピーしたなというものまでありました。特に友人が強い反応しを示したのは、この一枚です。


 
 こんなDVD、日本にあったことすら知らないぞ私は。

 そうやって一通り眺めた後はちょっと移動して同じく地下鉄で新天地駅へと向かい、スープがメインの飲茶屋でしたの写真のような昼食を取りました。



 別に昼食内容まで公開せずともと思ったのですが、友人が写真撮っとけと言ったので挙げときます。
 そんな具合で昼食後、この日のメインとして取ってあったユニクロへと赴きました。すでに日本でも大々的に報じられていますし去年は新入社員の三割が中国人だったというだけあり、ユニクロは現在中国各地に店舗の展開を行っております。特にここ上海においては一店どころの騒ぎじゃなくちょっとしたデパートなりビルなりに入ると結構簡単に見つけることが出来ます。



 それぞれ店の外観と内部の写真ですが、この日は土曜ということもあって人が多くにぎやかでした。耳をそばだてるとやっぱりあちこちで日本語も聞こえ、さらにはゲームの「モンスターハンター」とのコラボレーションTシャツが売られているのも発見しました。友人いわくユニクロはブランド品としては値段も安く、最低限品質は保証されるから買いやすいとのことなのですが、日本にいると品質なんて保証されてて当たり前ですからあまり気にならなかったものの中国だと値段は確かに安いもののすぐに型が崩れたろ破れたりする衣類も珍しくありません。私も吸盤で壁に貼り付けるタオル掛けを買ってきたら買ったその日にプラスチック部が破損するという痛い目を見ましたが、こういった最低限の保証がいるのであれば多少値段が張るのも仕方ないと思うようになって来ました。

 で、結局このユニクロでは「モンスターハンター」のTシャツを買おうかどうか悩んだものの結局買わず、運動時に着るようなTシャツを一枚買ってそのまま近くの今度はGAPの店に行きました。
 こちらは写真がありませんが半額セールのためにユニクロ以上に人で込んでおり、シャツ一枚を購入しようとレジに並んだもののなかなか列が進まずに苦労をしました。その行列に並んでいる最中に近くのレジを見て見ると、なにやら子供服ばかり大量に買い込んでいる親子連れがいて友人としげしげと見ていたのですが、まだ精算の途中であったものの購入金額がすでに3500元(約45,500円)を超えていました。子供服だけでこれだけの金額を購入するのも驚きですが、それ以上に子供へとかける中国の親の情熱を垣間見た気がします。

 こうしてショッピングを終えると、その後友人の案内で「田子坊」という観光地へと行きました。



 この田子坊はレトロな建物を残した一角で、細く複雑な路地が入り組んでいる中で観光客向けにいろいろな店がレストランなりお土産屋をやっている場所ですが、路地自体は悪くないものの友人も言ってましたが売っているみやげ物が中国ではどこにでも売っているようなものばかりでオリジナリティがなく、まだまだ観光地としては中途半端な場所だと私も感じました。
 ただここで唯一面白かったというかなんというか、突然後ろから「すいませんミユキさん」と流暢な日本語が聞こえたので振り返って見たら、欧米人らしき男性が別の日本人女性を呼んでました。私も友人も、「日本ならともかく、何で上海であんな人が日本語を……」とどうにも決まりの悪い印象を覚えました。

 そうこうしてその後また何軒か服飾店を見て周って一緒に夕食を取ってその日は別れたのですが、別れる直前に友人が、「君、夜一人じゃ寂しいでしょ」といって、路上で物売っているおっさんからこれを買うように勧められました。



 値段は25元(300円)だったから別にいいけど、おっさんも変な顔してたなぁ。

2011年1月7日金曜日

中国の新聞メディア

 今日も昨日に引き続き中国の話で、中国の新聞メディアについてざらっと解説します。
 中国の新聞とくれば恐らく大概の日本人は人民日報を思い浮かべるかもしれませんが、実は日本人はこの人民日報に対して大きな誤解を持っています。よく日本のメディアは中国関係のニュースの際に、「人民日報によると~」という書き出しなり前置きなりを置いてよく報じるのでさぞや影響力のある新聞だと感じられるかもしれませんが、これは直接複数の中国人にも確認しましたが実は当の中国人らは人民日報を読むことなんてほとんどなく、講読している人なんてほぼ皆無といっていいくらいいません。そもそも読もうにも人民日報はそこらの売店や本屋では販売されておらず入手する方が難しいくらいで、実際に私も中国滞在中に目にすることはほとんどなく、唯一見かけるとしたら大学内の掲示板や団地内の掲示板に貼り付けられいるのを見るくらいです。日本人のイメージだと人民日報は朝日新聞や読売新聞のように全国津々浦々に配られているようなイメージがあるでしょうが、実際のところは読んでる人がいたら結構珍しいような新聞です。

 では人民日報とはどんな新聞なのかですがこれは単純に中国共産党の機関紙で、昔はほかに新聞がなかったから確かに全国でも読まれて発行部数もそこそこあったのですが、作って発行している所が所なだけに現地中国ですら、「日付と題名しか正しくない」とまで言われる始末で(天気予報はどうなんだろ)、競合メディアがほかにも出来た今では共産党内で読まれるだけの業界紙的な立場に追いやられております。ただ何度も言いますが作って発行している所が所なだけに政府の公式見解や発表を知る上では重要な情報源足りうるので、日本人が誤解するくらいに下手すりゃ本国以上に外国メディアや研究者などと海外で読まれる代物なのかもしれません。

 ならば中国の新聞メディアは一体どんなものが読まれているのかですが、まだまだ文盲者が多くいる環境だけに日本みたいに電車や喫茶店で広げられて読まれる姿はほとんど見かけませんが、中にはよく買って読んでいる人はいるそうです。新聞事情については日本は毎朝配達されるのが当たり前など世界の中でも一番特別で説明がやや面倒なのですが、中国では基本的に新聞は雑誌などともに街頭にある売店で販売されており、値段は新聞によって違いますが大体日本円だと100円以下でまず買えます。

 それではどの新聞が影響力があるのかですが、これについてはどれが強いとは一概に言い切れません。というのも中国の新聞で全国紙と呼べるのはほとんど読まれてないけど人民日報だけで、ほかは地方ごとにそれぞれ発行されている新聞が異なっております。北京なら北京の地方新聞、上海なら上海の地方新聞が発行されて現地の人間に読まれており、地方ごとならともかく中国という国単位でオピニオンリーダーと呼べるような新聞はまだないのが現実です。
 また地方新聞と言ったって日本みたいに一県に一紙とかいうレベルじゃなく、上海などの大都市であればきちんと数えたことはないけど十種類以上はあるんじゃないかと思います。その中でも人気のある新聞とかはあるんでしょうが、どれがどのような新聞かはよく読んでいる人じゃないと多分わからないでしょう。

 これから私もいろいろと研究していこうと考えてはいますが中には専門紙というか誰が読むんだというような新聞もあり、以前に私が手に取ったのだと軍事専門紙なんてものがあり、書いてる内容も人民解放軍内の人事異動とかどこそこにどんな兵器が配備されたなどというあまり生活上役に立たない情報で満載でした。ちなみに新聞に限らずテレビでも軍事専門チャンネルってのがあって、よく訓練中の兵士のインタビューとかが放映されてます。

 最後に中国全土の各新聞社についてですが、基本的に民間メディアというものは存在せず地方新聞に至ってもどれも官営メディアです。人民日報のように中国共産党こと中央が運営しているのもあれば地方政府が発行したり資本関係にあったりなど、なにかしら役所が背後に付きまとってきます。ただ近年は以前よりも新聞メディアの独自の動きというか必ずしも政府の意向に沿うわけでなく、海外メディアに報じられるくらい変わった報道とか行動を起こすことが見えてきました。
 古い例だと六年前に私が贔屓にしている北京の「新京報」がストライキを起こしたり、近い例だと産経新聞で報じられてましたが広東省のある新聞がここでは書きづらい人物を暗に祝福したりなどと。ただ広東省は省政府や地元住人が元から北京こと中央に対して反感を持っていると聞きますので、あれは案外省ぐるみの行動だったのかもしれません。

2011年1月5日水曜日

職歴社会の今後を考える

 本当は一つ前の記事の「公認会計士の就職難について」の記事に続けて書く予定でしたが、ちょっと収まりが悪いので記事を分けました。先の記事において公認会計士資格合格者の就職難に触れましたがリーマンショック以後の近年は90年代における就職氷河期を越えるほど若者の就職状況は悪化しており、その影響は様々な分野において現れております。

 ちょっと前にも就職情報にはいろいろ間違った噂も多いというような記事を書きましたが、私が学生だった頃はボランティア活動をしているといいとか、資格があれば有利とか、履歴書の文字はきれいな方がいいなどあれこれありましたが、公認会計士資格は文句なしに印籠の如く使える資格だと聞いていただけに先の記事での内容はショックを受けたわけです。

 ただ前にも書きましたが、皮肉なことにそれまでの日本の雇用慣行において大きな影響力を示していた学歴というものはこの就職環境の悪化によって幾分薄れた感はあります。昔であれば大学の学歴順にその後の出世も決まっていたとか、学閥がどこの会社にもあったなどと聞いていますが、その手の話題はこのところとんと聞きません。
 もちろん大企業によってはエントリー時の足きりに大学を基準にするなどということは今でも残っていますが、それでもかつて語られていた「学歴社会」というのはもう死語になりつつあるのではないかという気がします。現実に中国や韓国の状況よりはマシですし。

 ただその学歴社会にとって変わってきているのが、この記事の題に据えた職歴社会ではないかと私は考えています。
 この職歴社会という言葉は前の「陽月秘話」でも紹介しましたが、私の造語です。意味は読んで字の如く職業として勤務した経験や履歴によって社会的地位が決まりやすい社会ということで、就職するに当たって学力や資格よりも仕事内容ごとによる勤務経験や前に働いていた企業の規模などが影響する社会を指しております。具体例を挙げると、大学新卒時に正社員職を得られないとその後も正社員職への就職が難しくなることや、公認会計士や弁護士資格を取得したばかりの人よりもある程度その方面の仕事の経験者が優遇されるといったことが挙げられます。

 この職歴社会の問題点は言うまでもなく、高校や大学卒業時に就職できなかった人たちの不遇です。この新卒問題は公にも認知されており政府も、「卒業後三年以内は新卒扱いにすべし」と企業に通達を出していますがあまり効果は望めることもなく、その後もずっと正社員への門戸が阻まれることを考えると実に根深い問題だといわざるを得ません。運良く新卒時に就職出来た人間は勤務経験も得られてその経験を生かして転職することも出来るのに対し、新卒で就職できなかった方はその後もハンデが付きまとうことを考えるといささか身分制社会のような印象を受けます。
 それだけに私は新卒で就職できなかった人間がそのハンデを克服する手段としては難度の高い資格取得しかないのではとこれまで考えていたのですが、弁護士や公認会計士資格ですらも就職状況が悪いというのであればもはやお手上げではないかとショックを受けたわけです。

 こういった内容を先日に友人と話していたのですが、このまま行くとゆくゆくは職歴を得るために半ば志願する形で企業に無償で働く、もしくは働かされる人間が出てくるのではないかと予期しました。実際に思い当たる節もないわけでなく、私が上海で転職先を探していた頃に人材会社の人から聞いた話では日本で就職先が見つからないために中国語が全く出来ないにも関わらず中国へ来る人が増えてきているそうです。

 以前人気番組のカンブリア宮殿で「餃子の王将」が取り上げられた際に無茶振りもいいとこな新入社員研修のシーンにて、「その仕事、私にやらせてくださいっ!(;Д;)」と、土下座するかのように新人に言わせていた場面があったことから放送後はあれこれ議論となりましたが、職歴社会が今後ますます幅を利かせるようになるとこのような台詞が一般化するのではないかと危惧せずにはいられません。

 そういう風に友人と話していたらふとしたことからジブリ映画の「千と千尋の神隠し」にまで話が及び、主人公の千尋が湯婆婆に、「ここで働かせてください!!」と言うシーンがありますがこの台詞が日本のあちこちで聞こえるようになり、「お前の名前は今日から千だ」というようなフレーズが続くのではないかと妙な想像までしてしまいました。
 ただこの作品自体が一部評論家よりバブル崩壊後の日本を背負わなければならない子供たちを描いているという評価があり、そういう意味では時代を随分と先取りしているのかもしれず、案外ここで私が書いた内容に通じているのかもしれません。

 久々の一日記事二本は疲れました。あとご飯二合を一度に食べたのがよくなかったのか、ちょっとおなか痛くなってきました。

公認会計士の就職難について

 私は一人暮らしをしだすと食事におけるご飯の比率が急激に増える傾向があるのですが、先ほどの夕食も1パックのレトルトカレーに対して二合のご飯を割と短時間で食べられました。最後はほとんど白米をスプーンですくっているだけだったけど。

 そんなどうでもいい近況はよしといて本題に移りますが、年始の休みの間に日本にいる友人とスカイプで話をする機会がありました。話した話題は多岐に渡るのでそれぞれ機会あるごとに紹介していきたいのですが、今日は年末に流れたあるニュースを私が取り上げたことによる話を紹介しようと思います。

会計士“浪人”急増 不況に加え需給合致せず(産経新聞)

 上記のニュースは去年の十二月十九日配信のニュースですが、一見してさすがの私も面食らったのを覚えています。
 記事内容を簡単に説明すると、司法試験と並ぶほど日本最難関の取得資格と言われる公認会計士資格の合格者らが近年、試験には合格したものの就職先がなく記事中の言葉を用いるなら「会計士浪人」が大量発生していることが報じられております。

 公認会計士という資格は簿記や税理士、行政書士などといった財務、会計資格における最高資格で、日本においては企業の監査業務や資産管理などといった業務において大幅な権限が認められております。主な就職先としては監査法人や会計事務所などが多いのですが、近年は日本でも四半期決算が企業に義務付けられたことから一般企業にて会計業務担当として就職する例が増えていると言われていました。
 しかし、なんていうかそれは確かに2008年くらいまでは本当だったかもしれませんが、現実はさにあらず「大学はでたけれども」ならぬ「公認会計士ではあるものの」という就職状況のようです。

 ちょっと公認会計士について自分の体験談というかかつての価値観を話すと、私が高校生だった頃はまさにその四半期決算の義務化などが控えているため公認会計士資格を持っているとどこ行っても引っ張りだこなイメージがあり、周りでも大学入学とともにダブルスクールとばかりに予備校に通う友人がいました。

 そんなイメージがあった公認会計士なだけに、合格者が就職難に遭っていると聞いて正直にショックを受けました。よくよくその理由を追ってみるとどうも司法試験合格者と同じで、国がこれから需要が増えるだろうと合格枠を広げたものの実際にはそれほど需要がなく、さらにリーマンショックのダブルパンチを受けてしまったことが影響しているようです。そういう意味では今就職できない公認会計士や弁護士は国に翻弄された感があります。

 折角なので公認会計士についてちょっとエピソードを話すと、私が高校生だった2000年代前半はやっぱりもてはやされていたこともあり、指定校推薦を受けた友人も面接にて、

「将来は公認会計士になりたいと思っています( ・∀・)ノ」

 と、話したまではよかったのですが。

「公認会計士とは、どんな仕事をするのですか?(・ω・ )」
「わ、わかりません(;゚д゚)」

 というやり取りをしたがために、普通指定校推薦は一回で合格させてもらえるのにその友人だけは二回も面接を受ける羽目になりました。ま、ちゃんと二回目で合格して、卒業後は公認会計士にはならなかったものの金融系に就職しましたけど。

 またこの友人とは別のエピソードですが、実は私の祖父も公認会計士でしたがきちんと資格試験を受けて取ったわけじゃなく、戦後のドサクサ期に金で資格を買ったそうです。会計仕事は一応出来たそうですけど。
 なんかこの前も調べたら本当に戦後の一時期はそんな感じだったらしく、みんなの党の代表者である渡辺善美氏の父親である渡辺美智雄氏もそのドサクサ期に申請して会計士資格を取ったそうですが、一橋大学の商学部を出ていると言ったら簡単にもらえたそうです。

2011年1月4日火曜日

ある種の鋼の意思

 よく日本刀は刃物としては最高技術の傑作品と呼ばれていることは知っているが、それがどうしてか、どういったメカニズムを持っているかについてはあまり知らないという人が多いと思います。私自身も刀剣にそれほど詳しくわけではありませんが、日本刀のどこが特殊なのかという大まかな特徴についてちょっと今日は話そうと思います。

 日本というとよく切れるイメージが強いと思いますが、そんなによく切れるというのであれば相当硬い鉄でできているのであろうという風に思うでしょうが実はそれは間違いで、日本刀の大部分は比較的柔らかい軟鉄をベースにして作られております。
 一体何故軟鉄をと思われるかもしれませんがそれにはわけがあり、日曜大工で金属をねじったり切ったりするなど金属加工をした経験がある人ならわかると思いますが、柔らかい金属ほど切断しにくく硬い金属ほど実際には切断しやすいものです。それこそアルミと鉄、それぞれで出来た一斗缶に穴を空けるとしたらまず間違いなく鉄のが簡単に穴を空けることができるでしょう。

 これは何故かと言うと単純に柔らかい金属だと力を加えても金属自身が曲がったり、衝撃を吸収したりするのに対して硬い金属は衝撃をすべて正面から受け止めてしまい、表現的に比較的割れやすいからです。そのため刀剣に関してもとんでもなく硬い鉄で全部作れば確かによく切れるかもしれませんが、恐らく切ってる最中にすぐにぽきりと折れて使えなくなってしまうのがオチでしょう。実際に西洋で作られた刀剣は硬い鉄で出来ているためよく折れてたそうで、切るというよりも叩き割るように使われていたそうです。

 そこで日本刀の話に戻りますが、恐らく昔の刀匠も硬い鉄にすればよく切れるが寿命が短くなり、やわらかい鉄ならあまり切れないが寿命が長くなるなどとあれこれ考えた末に出した決断が、「じゃあ二つ一緒に使っちゃえばいいじゃん( ゚∀゚)」だったのかもしれません。
 日本刀が日本刀たる大きな特徴というのは実は硬度の異なる数種類の鉄を組み合わせて作る点で、おおまかに説明すると日本刀は心金と呼ばれる刀の芯の部分には軟らかい鉄を用い、その芯に対して硬い鉄をまきつけるかのように組み合わせて作られます。そのため戦闘で使用したとしても日本刀は芯からぽっきり折れるということはありえないわけではありませんが他の刀剣と比べて少なく、使用中に外側の硬い鉄の部分が刃こぼれを起こすことはありますがその点は手入れを施すことで再び使用することが出来ます。無論芯が軟らかい鉄だとしても実際に物を切る外側は硬い鉄なので、切るときにはきちんとよく切れます。その分手入れがかかせないんだけど。

 よく強固な意志のことを鋼の意志と言ったりしますが私は硬過ぎるだけの鋼というのはちょっとしたことでぽっきり折れてしまうだけに、期待や熱意を持ち過ぎるとかえって挫折しやすくなってしまうなど精神衛生上よくない気がします。実際に学校や会社に気合入れて入る人ほど予想と違ったなどとして五月病になる人が多いですし、それであるならば日本刀のように、外見は一応硬い意志で覆ってるように見せつつも内心ではいくらか浮気心というか下心など、多少軟弱な意志を保つ方が案外物事を長続きさせることが出来るように思います。
 私自身の経験でも自分の納得するくらい勉学に励もうと大学に入ったところ五月病に罹り、その反省から中国に留学した際は帰国用のオープンチケットを見ては、「いざとなったらいつでも逃げれる」などと不届きなことを考えていたら大過なく一年間の留学を終えることが出来ました。

 会社などにおいてもよく「辞めたい辞めたい」などと言っている輩ほど案外長く勤められたりしますし、目下の日本企業はどこも過重労働を社員に課しますが不況ゆえに我慢しなければと思いすぎると鬱になる可能性もあり、それであれば展望はないけどいざとなったらすぐ転職しようなどと思う方が、実際に実行するかどうかは別としていい影響を与えるのではないかと思います。

 こうした人に見せない内部において薄弱な意志を持つことを私は逆説的に「日本刀流鋼の意志」と呼んでるわけですが、中国に転職したばかりの私は目下のところ、契約期間が切れたら日本に帰るか中国の別の企業に転職するかなりしてさっさと今の会社はとんずらしようと早くも後ろ向きなことを考えてたりします。案外こういうところが日本人らしいかなという気もしつつ。

2011年1月3日月曜日

文章表現を鍛えるには

 このブログは他のブログと比して文章量が長め(そのくせ更新も頻繁)のブログですが、ブログに限らず私はプライベートでも以前はよく長い紀行文やら小説などを書いていました。その際によく周囲から、どうすればそれほど長い文章を書けるのかといった質問を多く受けていました。
 結論から言えば、中身を取らないのであれば文章を長く書くにはなんでもいいからひたすら文章を書くに限ります。それこそ人に見せるには恥ずかしいような出来の小説でも日記でもいいから日常的に書く習慣をつけていれば、二千字程度のレポート文などすぐに気軽に書けるようになると思います。

 ただ世の中、そこまで毎日文章を書く気もない人間の方が大半でしょう。そうでなくとも近年は国語教育がいささか疎かになっている雰囲気があり、小中学生では作文なんて真っ平ごめんと思っているのが当たり前です。実際に文章を書き始める前の私もそうでしたが、仮にそういった小中学生らに文章を上手に書かせるためには一体どう教えればいいのだろうかと以前に考えたことがあります。

 指導できる時間は授業時間中に限るとすると、先ほど言ったひたすら書かせるというやりかただと書かせる課題によって個々人に差が出来、あまり効率的ではありません。となると要点をしっかり認識させて短くてもいいから品のいい文章を書ける様にさせる方向がよいと思うのですが、そのためにベストな方法となると真っ先に思い浮かんだのは文章の省略です。
 この指導のやり方は実に簡単で、その日の日記でも評論でも感想文でも何でもいいからとりあえず四百字詰め原稿用紙二枚程度の文章をまず書かせます。書き終わったら今度は同じ内容の文章を原稿用紙一枚にまとめさせます。一枚にまとめ終えたら今度は百文字程度にまとめさせ、という具合に同じ内容でも徐々に書ける文字量を減らして書かせるというやり方です。

 この指導法の妙は同じ内容の文章を文字量を狭めながら何度も書かせる点です。同じ内容の文章なのだから文字量が減らされるとなると元の文章から余計な表現を削ぎ落とさねば書ききれなくなるため書き手には、「何を残して何を削るか」という視点が要求されることになります。残さねばならない箇所は言うまでもなく重要な箇所で、要点を絞ってまとめなおすという作業を行うことになります。
 この元の文章をまとめなおすということ自体は現在の国語教育でも行われていないわけじゃありませんが、その場合に題材に選ばれるのは大抵が教科書に載っている他人の文章で、その際書き手は文章の内容を理解しつつまとめなおすという作業を要求されます。

 しかし最初に挙げた私のやり方では元々自分自身が書いた文章であるため文章の内容を改めて理解しなおすという作業は必要なく、自分の考えなり思考をまとめるという作業に集中することが出来ます。これは文章のみならず自分の考えをまとめなおすことにつながり、思考の訓練にもつながるかと思います。

 よく以前のブログでも書いていましたが、これだけまわりくどくて長ったらしい文章を毎日書いておきながら、自動車の重心が低ければ低いほどいいのと同様に文章というのは短ければ短いほど良いのです。ただし短すぎて内容の理解が出来なかったり周辺の情報を伝え切れなければ意味がありませんが、同じ内容であるのなら短い文章の方が間違いなく格上です。

 文字量を狭めながら文章を何度も書き直させる指導の目的はずばりこの点にあり、要点を絞って書かせるということにあります。しかし要点を絞れといってもいきなり言われても自分の文章であっても急激に絞りきれないのが普通で、そのため徐々に狭めるという段階を経る事で自然にそれを認識させるのがこのやり方の目的です。

 理想を言えば最終的には日本語のリズムの元となっている五・七・五までまとめられればベストかななどと考えていたのですが、去年の十一月、また発表された国際学力テストの結果の報道の際に都内のある小学校における授業の取組みが紹介され、そのとき紹介された取組みというのがまさにここで私が紹介した徐々に文字量を狭めるという指導でした。
 その学校では毎朝児童に本を読ませて原稿用紙一枚程度の感想文を書かせると、徐々に文字量を減らしながら書き直させ続けて最終的には本当に五・七・五までまとめさせているそうです。その指導法だけによるものかどうかはわかりませんが、その学校は他の学校と比較しても平均学力が頭抜けて高い結果を出しているということも合わせて報じられてました。

 正直なところすでに自分が考えた指導を行っているところがあったという事実にまず驚きましたが、きちっと因果関係は図れないもののそれなりの結果を出しているという報道を見てやっぱりそうなのかという気を覚えました。文章というのは小手先の技術である以上に書き手の思考力も如実に現れたりするので、近年は英語教育の導入や増加、また理系離れ対策などが教育界で叫ばれていますが、文系出身文学部卒(専攻が社会学なのは文学部社会学科だから)の私としては作文教育の徹底こそが今の日本の教育に必要だと強く主張したいです。
 その一つの方法として、すでに実施している学校とともにこの指導法を紹介したかったわけです。

2011年1月2日日曜日

メキシコ麻薬戦争について

 決してこの方面に知識があるとは言い切れませんが、日本であまり大きく報道されていないことを考慮して紹介をしておこうと思います。

 日本で麻薬事件というとここ数年で起きている著名な芸能人への取り締まり事件が真っ先に思い浮かぶかと思いますが、現実問題として日本はそういった一部の人間が使用こそしているものの麻薬全体の流通量は少なく、取り締まり状況においても他国と比較しても悪くはない環境です。しかしその目を国外に向けると、マリファナなどに限り使用を合法化しているオランダやイギリスを除くとその弊害は凄まじく、現在私が在住している中国でも南部を中心に汚染が広がっている状態です。それゆえに中国では麻薬の使用のみならず所持だけでも死刑になるというほど厳罰で臨んでいますが、その広がりに歯止めをかけるには未だ到れておりません。

 そんな麻薬の取り締まりにおいて、現在最も大きな抗争とともに悲劇が繰り広げられているのがメキシコです。メキシコと聞くと私くらいの世代ならポンチョ来たおっさんが陽気にギターを弾きながら「ドンタコス」って言うシーンをイメージするかもしれませんが、以前ならいざ知らず現在のメキシコは治安が大いに悪化し、そのような牧歌的なイメージは薄れてきていると言われております。

 一体何故それほどまでに治安が悪化したのかというと原因はすべて麻薬にあります。2006年に就任したフェリペ・カルデロン現職メキシコ大統領は就任するや麻薬を取り扱うマフィアとの全面抗争を宣言し、この方面への取締りを全国で強化しました。日本で麻薬の取締りというと吸引者や密売人の摘発、もしくは空港での手荷物チェックや暴力団へのがさ入れなどが主に行われるのでしょうが、メキシコの場合はマフィア映画さながらに本来取り締まるべき警察官などもマフィアと利益供与していることが多く、またマフィア自体が多くの構成員を擁するとともに多くの非合法な武器を所持しているために軍隊に近く、それゆえにカルデロン大統領による取り締まりは「麻薬戦争」と呼ばれることになりました。

 現実に、事態は犯罪を通り越して内戦のような状態に到りました。
 取締りが始まってすでに四年が経ちますが、この間に政府側、マフィア側双方の取り締まりに関わる死者は三万人を超えており、マフィアの首領や自治体首長など要人の暗殺も頻繁に起こっています。またカルデロン大統領自身にも暗殺計画が企図されていたことが発覚するなど、どちらかが完全にくたばるまで終結の見通しが立たないほど事態は泥沼の様相をなしています。

 私は在学中、大学の講師に戦争というものは鳥瞰的にではなく匍匐的に見よと何度も教えられました。このメキシコ麻薬戦争についても字面では犠牲者を三万人と書かれていますが、その一人一人の犠牲者についてつぶさに見てみると目を覆いたくなるような事実に溢れております。

 マフィアとの抗争の激しい地域では警察官はおろか知事などもマフィアに協力しているところも多く、なまじっか中央から取り締まりのために新たな捜査官が派遣されたり取締り推進派の人物が新たな知事が就任するや暗殺されることも多いそうです。特に警察官の犠牲については数限りなく、先日も22人いた同僚が皆すべて殺されたにもかかわらずただ一人で活動していた女性警官が誘拐される事件が起こりました。誘拐と文字で書けばただ二文字ですが、その後の運命は他の犠牲者の末路を見るにつけ推して知るべしです。マフィアという組織だけに大抵はその後任への脅迫が伴うため、遺体には凄惨な拷問の痕が残され、切断された状態で各所へ送りつけられていると聞きます。
 犠牲者は本当に女性や子供を問わず、また加害者も女性や子供を問わないとされ、14才にも関わらずマフィアの指示の元に殺人、遺体処理を行っていた少年が逮捕される事件もこの前に起こっています。

 麻薬吸引は犯罪だが、周りに迷惑さえかけなければ逮捕される可能性を含めて自己責任で吸いたい奴が勝手に吸えばいいという言葉をたまに聞きます。吸わないし興味のない人間からすれば確かにそのような感想を持つのも不思議ではありませんが、その誰かが吸っている麻薬の入手経路でどこかのマフィアが利殖を稼ぎ、このような非道を行う源泉となっていることを考えると果たしてそれでいいのかという疑問がもたげます。そういう意味で私は麻薬を吸わない人も興味を持たない人もこの麻薬問題に対して無関心でいるのではなく、特別に何かをする必要まではありませんが麻薬とその常習者を憎み、社会的な防圧を作る一石となるべきではないかと考えるわけです。
 麻薬を悪だというのは簡単です。本当に憎悪するには国内にとどまらず国外の事実に目を向ける必要があるでしょう。

 最後にメキシコの麻薬事情についてもう少し述べると、麻薬以外にほかに生産手段の乏しい南米諸国が一大消費地であるアメリカへ輸出する過程でマフィアが発達していったと言われています。それゆえに今のメキシコの麻薬問題の主犯はアメリカだ、むしろアメリカがマフィアを応援しているなどという話も聞きますが、その一方で近年はカルデロン大統領を支援するアメリカ要人もおり、クリントン国務長官などはメキシコを訪問するなど取締りを応援しているそうです。

2011年1月1日土曜日

フランスの人口の歴史

 普段はケチな癖して、今日お茶の専門店にてやや高価な急須を150元(約2250円)で購入しました。内心どんなものかとはらはらしていましたが、お茶を入れてみるとしっかり注げてなおかつ質感もかなりよく、こっちきてから一番満足する買い物になったとほくほくしてますが、先週買った毛布(170元)と同じくらい急須にお金をかけるあたりが自分らしい気がします。

 ちょっと別の内容のことについて思索に耽ってた際に思い出したので、今日はフランスの人口について話をしようと思います。

 現在、日本は少子化の一途を辿っている事から早くに少子化対策を行って成功を収めたフランスの政策を見習うべきだと各種評論家から政治家まであちこちで発言しております。ではそんなフランスの出生率は実際どんなものかというと、ネットで簡単に検索をかけて見たところ2008年時点でぴったり2人で、去年はさらにこの数字から上昇していると報告されております。対する日本の出生率は同じ2008年だと1・3人で、確かにあちこちで言われる通りにフランスと比較すると歴然たる差があります。
 その一方でそもそもの話、それぞれの国の人口はどれくらい差があるのでしょうか。こちらもお手軽簡単のGoogle publicdateでちょちょいと調べて見ると、なんと日本が約1億2700万人に対してフランスはその約半分の約6200万人しかありません。

 こうして比べて見ると確かにフランスは出生率において日本を遥かに凌駕しておりながらも、母体の人口となると約半分というちょっと心もとない数字をしていることがわかります。参考までにほかの欧州先進国のデータと合わせて出すと、

日本:約1億2700万人
フランス:約6200万人
イギリス:約6100万人
ドイツ:約8100万人
イタリア:約6000万人 (出典:www.google.com/publicdata)

 私自身も高校生くらいのころは日本は労働力が足りないとよく言われるから人口が少ないと勘違いしていましたが、実際には日本は欧州先進国と比較すると非常に人口の多い国で世界中で比べても第十位に入る国です。どうでもいいけど今Wikipediaで国別人口の順位調べようとしたら、一瞬開いて急に閉じました。恐らく中国政府がまたアクセス禁止をしているんだろうけど、国別人口順位の何が中国にとってまずい情報なのだろう?

 話は戻ってフランスの人口の話ですが、まぁ確かに出生率が高いからといって人口も多いとは限らないので決しておかしな話ではありませんが、歴史を紐解くとフランスはかねてより人口が低く、その対策に苦慮してきたという経緯があります。

 中世までフランスは早くに絶対王政を確立させたことからヨーロッパの中でイギリス、オーストリアと争う一等国で当時は他国と比較しても国力も人口も多い国でしたが、18世紀にフランス革命が起こり、その中で台頭してきたナポレオン・ボナパルトがヨーロッパ全土を舞台にした俗に言うナポレオン戦争を引き起こしたことからこれが暗転することとなります。一説によるとナポレオン戦争全体の犠牲者は200万人を超えるとされ、現在においてもこの数字は膨大ではありますが当時の人口は現在より数段階低かったことを考慮すると、もはや致命的といっていいほどの喪失といっていいでしょう。特にナポレオンが君臨したフランス本国での人口減少は著しく、それまで勝っていたイギリス、ドイツに追い抜かれることとなり、確か20世紀を通して一度もフランスはこの二国に人口が上回ることがなかったと思います。

 現在は社会保障負担などがあるので一概に言い切れませんが、当時の国家にとって人口が多いか少ないかは国力を左右する上で重要な要素の一つでした。労働力はもとより戦争の兵隊要員など、これらの点において人口は多ければ多いほど有利となるわけですがフランスはその人口でナポレオン戦争後はライバル二カ国に水を空けられる形となったわけです。

 そこでフランスが取った政策が、1831年に創設されたLégionことフランス外人部隊です。これは現在でも存在し続ける文字通りフランス国籍でない外国人によって編成される部隊のことで、最近は厳しくなっていますが適格さえあれば少し前までは多少の犯罪歴なら黙認されて誰でも入隊でき、一定の契約期間を兵役で過ごすことによってその隊員にはフランス国籍が与えられる制度です。

 フランスは自国の不足する兵員を補うためにこのような外人部隊を創設したわけですが、これ以外にも二次大戦後は復興のために旧植民地の国々から移民を受け入れたりなどと人口に関する政策を比較的早い時期からあれこれと取り組んでいます。現下の出生率対策もこの移民政策と連動しており、いうなればそのルーツは昨日今日始まったものではなく相当な期間を経て形作られたのではないかと私は考えています。

 ここで私が何を言いたいのかですが、また随分と回りくどくなってしまいましたが日本は少子化対策をどうするかと現在あれこれ議論をしていますが、参考対象として挙げられているフランスは人口問題に対してこのように長い期間かけて作られた問題に対するベースがあります。また現時点においてもフランスは日本と比べて人口が大いに少なく、その人口に対する意識というか危機感というか、その価値観は日本とは比べ物にならないくらいに強いのではないのではないかと個人的に思います。

 これは逆を言えば今の日本人がフランス人のように人口問題を意識しているか怪しいということで、一部の人は真剣かもしれませんが日本人全体となるとこの少子化問題にそこまで真剣に考えることは難しいんじゃないかという気がします。
 もちろんフランス人がどれだけ人口について考えているか私には推し量る余地もないですし本当かどうかは全くわかりませんが、少なくとも歴史的背景を考えると概念に違いがあるのではないかと思います。

 よく歴史は何の役にも立たないといわれますが、現実の問題を考える際にその根本を探る上で重要なツールになると考えています。今回のフランスの人口問題はその好例だと考えており、こうして紹介してみることにしました。