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2011年8月20日土曜日

日本企業の経営陣給与

 時期を分けると面倒くさいので今日は経済ネタ二本投入です。以前に友人らと企業経営人の給与動向について話をした際にある友人がよく、

「日本の大企業における経営陣給与は年数千万円だが、欧米大企業の経営陣だと数億とかも当たり前だ。そういうのと比べると抱えている責任と言い、日本の経営人の給与は低過ぎるよな」

 この話を聞いた際は私もその通りだと考えましたが今となっては逆で、それでも日本の経営陣給与は高過ぎると考えています。特に長く書くほどでもないのでもうぱぱっと書いちゃいますが、こう思うきっかけとなったのは東日本大震災後の東電経営陣を見てからです。さすがに前の社長は散々抵抗したものの辞任することとなりましたが会長はそのままですし、それ以外にも管理職の人間らの発言などを聞いていてこんな連中があれだけの報酬を受け取るのかと思うと虫唾が走りました。また東電に限らなくとも企業が不祥事を起こしても本当にとんでもないくらいの大問題でもなければ役員連中が謝罪することはおろか、末端の現場社員が詰め腹切らされて責任を取らされるというのも数限りない気がします。

 では欧米はどうかと言えばアメリカの金融系企業をはじめとして恐らく似たり寄ったりじゃないかと思いますが、果たして役員に対してこんなに大金を支払うべき価値があるのかと思うとそろそろ真剣に議論してもいいんじゃないかと思います。以前にもこの関連で記事を書きましたが、私の主張としてはもっと賃金報酬の査定を細かくし、長期のプロジェクトにかかわる立場であるのであればむしろ退任後5年間程度の業績を判断して支払うというのも一つのやり方ではないかと思います。

日本的経営とねずみ講

 かなり今更な話だと自分でも自覚しておりますが、どうもよそで見ていても誰も主張する人がいないので記念に書いておくことにします。

日本的経営(Wikipedia)

 日本的経営とくれば現代ではすでに死語ですが、歴史を軽く紐解くと90年代半ばまでは非常に幅を利かせて世界で最も優れた経営方法だと多分日本人たちは疑わなかったと思います。しかし失われた十年の後半に至ってさすがに維持することができなくなり、中高年のリストラ開始によって一度否定されるものの2000年代中盤頃にトヨタやキヤノンといった企業経営者(奥田&御手洗、何気に二人とも経団連会長)が、実際には日本的経営とはかけ離れたことをやっておきながらも、「日本的経営を放棄して成果主義に走った企業は負け、維持した我々が勝ったのだ」と主張したことで、あくまで私の私感ですが一時また持ち上げられていたような気がします。
 しかしそう主張していたのもつかの間、サブプライムローン問題が火を噴いた2008年を過ぎるとそんなこと言ってた連中もさすがにいなくなり、現在では「ああ、そんなのもあったね」といった感じの概念になりつつあるのではないかと思います。

 それでこの日本的経営ですが、ウィキペディアにも書いてある通り具体的な要素としては主要なもので以下の差難点が挙げられます。

1、終身雇用
2、年功序列
3、企業別組合

 結論から言ってしまうと上記の三要素は既に日本企業にはありません。かろうじて残っていると呼べるものとしたら2番目の「年功序列」くらいですが、1番目の「終身雇用」は完全ズタズタになって消え去っておりますし、3番目の「企業別組合」に至っては大企業にはまだ残っているものの、不景気という時代ゆえか解雇阻止や賃上げ要求する方が明らかに間違っていると言われかねず、その機能を完全に失っていると言っても過言ではありません。
 そんな当たり前のこと言うだけなら誰でもできるし以前にも私自身書いていますが、今回ここで改めて主張しようと思うのは、そもそも論として日本的経営は成り立つはずがないという話です。

 結論から先に言うと、具体的にどこが問題なのかというと2番目の「年功序列」で、だれも言いませんがこれは冷静に見るなら詐欺商法でお馴染みのねずみ講と同じ構図じゃないかと私は考えています。この年功序列というのは勤続年数に従って給与と社内地位が向上していくというシステムで、日本的経営が機能していた頃にはこれがあるおかげで従業員の離職率は低くなり熟練度が高い社員層が構築できると言われ、機能しなくなった頃には無能だろうと昇進して給与コストが無駄に増大すると言われました。
 基本的には機能しなくなった頃に言われていた批判内容で私も間違っていないと思っているのですがこれに付け加える形で敢えて述べると、以下の二点について言えると思います。

1、勤続年数とともに昇進する→昇進させた社員の分だけ部下となる社員数を増やさなければならない
2、勤続年数とともに給与が増える→増やす給与分だけ売り上げ、収益を増やさなければならない

 まず一番目の点についてですが昇進させると言っても名ばかり管理職とするのならともかく、数名の部下とかを付ける役職にするのであれば昇進させた社員数の倍数分だけ新入社員を補充しなければなりません。これはつまり初年度に5人からスタートしたとして、その5人が管理職にさせる頃には5×5=25でほかに25人の社員がいなければならず、さらにその25人が管理職となる頃には25×5=125人と、かなり単純な図式とするならこのような具合でどんどん倍々ゲームで社員を増やさなければ成立しません。
 次に二番目の点ですが、これも一番目同様に一定の所で限界値は設けてたでしょうが、年々給与を増やすのであればその分だけ支払い余力も増えてかなければなりません。これは言い換えるなら毎年売り上げと収益が増えなければ成立しないということで、先ほどの倍々ゲームと組み合わせて考えると、マイナス成長がありえないという前提でなければ絶対に成立しないと言ってもいいでしょう。

 この二つの図式を組み合わせて考えるなら、倍々ゲームで何もかも伸びていくというねずみ講と同じ構図、言い切れば絶対に成立するはずがない構図じゃないかと私は考えています。もちろん実際には何が何でも給与を増やすとかそういったことは毎年行われてたわけじゃなく、時期によっては労使で調整とかされていたそうですが、新卒一括採用制度とも組み合わせて考えると都合のいい考え方してんじゃないかと思います。

2011年8月17日水曜日

サッカー選手に見る日本の希望

 私は国外にいて見ることができませんでしたが、先週行われたサッカーの日韓戦は大いに盛り上がったと友人から聞きました。ちょうど韓国国内のKリーグが八百長で揉めていて韓国チームは本調子ではなかったとはいえ、3対0というハイスコアで見事勝利を収めたという報道を耳にした際は私もやはりうれしく感じました。この試合について先日に友人とも話しましたが、前回のワールドカップの前後で本当にいつの間にと言うべきか日本人選手は世界の強豪とも渡り合えるほど成長しており、冗談抜きで今だったら並みのチームには絶対に負けないのではないかという気がします。

 そんなすっかり様変わりした日本のサッカーですが、強くなったとともにこれでもかと言わんばかりのスター選手も続々と現れています。まずその代表格とも呼べるのはワールドカップで活躍した本田圭祐選手ですが、前にいた会社ではワールドカップ開催中の朝礼の際に部長が、「えー皆さん寝不足かと思われますが、『本田なんかいらねぇよ』と言って本当にすいませんでした」と、いきなり謝ってきたのは非常にいい思い出です。この本田選手について私はワールドカップを通して初めてその名を知ったのですが、調べてみるとそれ以前からもビッグマウスで有名な選手だったようで先ほどの部長のように反発を持っていた人も少なからずいたようです。
 ただワールドカップの活躍以後、私も興味があって本田選手についていろいろ調べたのですが今まで読んだ中で一番印象に残ったのは本田選手のお兄さんによる弟についてのインタビュー記事で、小さいころから負けん気が強かったのはもとより目標意識が非常に高く、海外に出てサッカーをするという目標も早くから立てるとそのための努力を一切怠らず、きちんと実現したという話には思わずため息が漏れました。またワールドカップ以降の本田選手の発言を見ていると確かに不遜な物言いが多いですが、勝利した試合後にもまだまだ問題点が多いと必ず苦言を呈すなど、高い目標意識を常に維持してそれをきちんと実行に移そうとする姿は強い尊敬の気持ちを覚えます。

 またこの本田選手とともに現在最も注目を浴びていると言っていいのは、クラブ世界一ともなったインテルで活躍する長友佑都選手です。この長友選手についてもアジアカップの異常な活躍(ほかの選手の二倍近く走っている)を聞いてから興味を持ったのですが、ちょうど日本に帰った際に読んだ長友選手の記事を読んで改めてとんでもない選手だと思わせられました。
 長友選手については知っている方も多いでしょうが、彼のこれまでのサッカー人生はエリートとはとても呼べない来歴で大学時代は椎間板ヘルニアを患い試合にも練習にも出られなかったそうです。しかしそんな不遇な時代にもかかわらず長友選手は、

「神様は乗り越えられる困難しか与えない。これを乗り越えたら、でっかい自分が待っている」

 と考え、長期のリハビリを経てついにはヘルニアを克服したそうです。またこの時の経験から徹底的にフィジカルを鍛えるようになり、まさに長友選手の言ったようにそれが外人選手に対して当たり負けしない現在の体を形作っているとのことです。

 実はこの長友選手のインテル移籍というニュースを初めて知った際は失礼ながら誤報かと思ったのですが、確実な報道と聞いた後も本当にインテルで活躍し続けられるのかという心配をしていました。ただこの時の私の心配はその後の長友選手のインテルでの活躍を見るにつけ杞憂だったとわかり、現在も活躍のニュースを聞く度に余計な心配をしてしまったのだと申し訳ない気持ちにさせられます。

 その長友選手ですが、今年三月の日本での震災直後は欧州チャンピオンズリーグの試合に出場していました。そこで長友選手はアウェーの地ながらも試合後に日の丸を掲げ、世界に対して改めて日本をアピールしてくれましたが、当時の日本の状況を思うにつけこの長友選手の行動には本当に頭が下がる思いです。
 私は以前にも見上げた若者としてプロ野球の田中将大選手やゴルフの石川遼選手を挙げましたが、この二人に限らず今日ここで挙げた本田選手や長友選手など、一人の人間として深く尊敬できる若者がたくさん現れているのを見るにつけ日本の将来は凄く明るいのではと元気づけられます。

 ただこれは逆を言えば、現代の大人たちは一体何をやっているんだという反感ゆえでもあります。政府にしろ東電にしろいい年した大人たちがどうしてこんな非常識的ともいえる行動や発言を繰り返すばかりか、責任から逃れようとする姿を見るにつけもっとまともな人間はほかにいなかったのか、どうしてこんな人間が上に上がってこれるんだと深く考えさせられます。これも前にも書きましたが私は「社会人」というのは無責任な人間のことを指すと考えており、社会人じゃなければいっぱしじゃないという余計な概念は早いうちに取っ払わなけれなならないと思っています。
 若者の分際でと私も常日頃から何度も言われていますが、若者だから年上の人間になんでもかんでも劣るという理由にはなりません。むしろ若者だからこそ、こんな無責任な世の中を少しでも良くするようにしなければと、本田選手や長友選手にはまだ程遠いですが立派な若者になろうと感じる次第であります。

2011年8月16日火曜日

人を試そうとする癖について

 どうでもいい話から始めますが、最近自分で検索して置きながらなんで検索したのだろうというので下記の2ワードがあります。

「高見盛 スクリーンセーバー」、「甘利神拳」

 そういう話は置いといて今日の本題ですが、記事書く前に思いっきりガンダムの歌を歌っているので今日はかなりテンションが高く、普段は書かないというかそこまでやる気の起きない思想面の話を一本書こうかと思います。

 突然ですが私が友人らから最も注意されることとして、「他人を試そうとするような質問はよせ」というのがあります。これは会話の最中に私がしょっちゅう、「~はわかるよね?」とか「君はどう思う?」などと唐突に質問をぶつける癖があり、友人らの言う通りに実際に相手の反応や思考力を常に注意して測ろうとしています。もちろん信頼している友人らに対してはどんな回答をしたところで評価を変えることはありませんが、自分が指導している後輩らやあまり親しくない知り合いに対しては明確にランク付けを行っては会話のテンポや内容などを相手の力量に合わせるなど意識的に態度を変化させています。
 私の実感だと通常の人と話をする際は本気の会話速度に対して大体5割程度のテンポに落としつつ、会話をしながら次の相手の返答を予測してその予測に対して次にどんなことを口にするかを常に想定しながら話しています。逆に手ごわい相手だったら一切そんな予測はしないでノーガードで打ち合うわけですが、意識的に上げられる会話速度は8割程度で、全力レベルともなるとその時のテンションや相手など条件が揃わないと実感ができませんが、全力を実感できた際は文字通り短い時間内にとんでもない情報量を交換したという確実な感覚があります。

 そんな相手のレベルを測るという悪い癖ですが、自分でもよくないと思うし相手に失礼だと思いつつもどうしてもやめることができずにいます。別に楽しんでやっているというわけではないですが、自分でも女々しく思うもののこれまでの過去の経験による悔しさからかやらずにはおれないというような心境です。
 これまでも何度か書いておりますが、小学生時代はともかくとして中学、高校時代の私は周囲でもかなり浮いていた上に実際に卒業後、当時のクラスメートから頭のおかしい人間と言われていたと話を聞きました。当時の私はプライベートで結構問題を抱えていた時期で常にあれこれ考えていた時期で、人間の生存目的やら社会的価値、果てには今ブログで書いているような国政政治問題などを考えていたわけですが、今現在の自分でも実際にそんなことばっかり考えている中学生がいたら面倒そうな奴だと思います。ただ当時の私は妙なところでストレートさというか素直さがあり、間違っていると思うことに対して、考え方は浅いもののはっきり間違っていると主張するようなところがあり、そういうところが先のクラスメートらの評価につながったと思います。

 周囲の評価なんて気にしなかった、と言えれば確かにいいのですがやはり耳に入ってくるものは色々気になるものです。そのためこれはかなり昔の記事にも書いていますが当時の私は自分が考える最も正しい路線を守るべきか、それとも周囲に迎合した路線をとるかで非常に悩んでいました。最終的には何も考えずに周りに合わせて失敗したらただの馬鹿だが、自分の理性で判断して失敗したらまだ救いはあるはずだ、戦前の日本人はそこで間違えたんだと思って結局周りに一切妥協することなく独自路線を貫いたわけですが、大学に入学後はそうした独自路線を歩んで得た知識なり考え方が友人らに評価してもらえようやく安息のようなものを得ることができ、現在の自分、ひいてはこのブログの盛況につながっているように思えます。

 それが何で人を試そうとする癖につながるかですが、非常に情けない話ですがこうした過程を経た自分はやはり自分に正当性があるということを主張したければ証明したい、強く言ってしまえば認めさせたいという妙な名誉欲を持っています。今まで散々人のことを馬鹿のような言い方をしてきた人間に対し自分が培ってきたものの、具象化は出来ない思考や知識、論理というものが如何に優れているのかを見せつけたいという気持ちで満杯です。
 もちろんそんなくだらない名誉欲は足かせになるだけで何の役にも立たないというのはよく理解しているつもりですが、仮に自分が「過去のことはもういいよ(´∀`*)」なんて考えてしまったら、誰も理解者がいなかった当時に文字通り血の涙を流してまで節を曲げなかった子供の頃の自分はどうなるんだということになるように思え、自分が自分を裏切ってはならないとこれまた妙な価値観を持ってしまっています。ただ敢えて公益的な立場で言うと、自分がこのような立場をすることで昔の自分のような人間が存在できる幅は広がるのではという甘い期待も持っています。

 はっきり言ってここで書いていることは自分でも妄想に近い内容だと思います。ただ昔の自分を思うにつけ「まだまだ青いな」と考え方の未熟さを感じるとともに、問題に対するストレートな感情の持ち方(「○○をぶっ殺せ」と平気で広言してた)は今ではすっかりできなくなってしまい、「あれが、若さか……」などと振り返ることが増えてきました。ついでに書くとこのところ鏡で自分の顔を見る度に目つきが明らかに丸くなっているのも、トータルバランスは良くはなっているんだけどと複雑な気持ちにさせられます。

2011年8月14日日曜日

神様の実証性

 先日、友人とともにかなり久々に宗教関連の話題をして盛り上がりました。ここでいうのもなんですが私は一時期はキリスト教にはまってて真剣に受洗も考えたほどでしたが最近はめっきり信仰心が薄れ、一般的な日本人と同じくらいに距離を置くようになりました。一緒に話をした友人は私と違って徹頭徹尾宗教を批判する人間で、森元首相同様に「宗教は心の阿片」と言ってはばからない友人ではありますが、そこはさすがに私の友人だけあって宗教的価値観や思考法、論理の立て方に対しては単なる宗教批判者にとどまらずじっくりと話し合うことができます。

 そんな友人と昨日話した内容はかなり多岐に渡るのですが、一つの大きなトピックスとして神様の実証性がありました。ここでいう神様とはキリスト教やイスラム教における唯一絶対神を指していますが、私は基本的に信者の方とはいえ無条件で神の存在を肯定する方はあまり信用しません。この辺について猫好きを広言している作家の佐藤優氏の言葉を借りると、キリスト教というのは投資対象としては非常に利回りや確実性の低い宗教であるそうで、このまま現世で生きていくとしても苦難しかないと言い切った上、しかも信仰を保ち続けその苦難に耐え抜き天寿を全うしたとしても天国に上れるかどうかは全くの未知数で、それにもかかわらずただ信じよという宗教だそうで確約というか保証は全くないそうです。それは神様の存在性についても同じで、存在する理由からしている根拠も全くと言っていいほどないのですが、その点についてもただ「信じよ」というだけです。

 もっともこれを言ったら日本で強い仏教においても同じで、仏様からトイレの神様に至るまでそこに存在する理由は皆無に近いです。にもかかわらずどうして人間というのはなにかと神様という霊的存在をどこかしらで信じようとするのか、この辺について解説しようものならとんでもない分量になるので触れませんが非常にもろい基盤の上にあるからこそ存在していると私は考えています。ただこうした議論は何も今に始まるわけじゃなく原始以来繰り返されており、特に近代で実存主義が勃興した時代においては当時のアナーキーな思想とともにいろいろ語られましたが、その実存主義の旗手たるニーチェは下記の有名な言葉を当時に書き残しております。

「神は死んだ ニーチェ」

 これは以前に私が知り合いから聞いた話ですが、上記の言葉がある日どこかの欧州の大学で落書きされていたようです。この事実自体はよくありそうな話で特別おかしなことはないのですが、その落書きがなされた翌日、書かれたニーチェの言葉の横にはこう付け足されていたそうです。

「ニーチェは死んだ 神」

 少なくとも神が死んだかどうかは実証できませんがニーチェが死んだのは明確な歴史的事実ですから、上記の落書きだけにおいては神様のが存在感が溢れてる気がします。

2011年8月12日金曜日

私の好きなゲームBGM

 私はあまり音楽は聞かない生活をしていますが、ゲームはよくする方なのでゲーム中に使われるBGMなんかだと気に入ったものはサントラを買ってたりします。先日も日本に帰った際には昔懐かしいのもあって「女神異聞録ペルソナ(PS版)」のサントラを持って帰ってきましたが、音源で言えば明らかに現代のゲームに劣るものの、やはりメロディのいいものはいつ聞いても悪くないものだという気がします。
 そこで今日は、敢えて古いのに絞って私がひいきにするゲームBGMを紹介しようと思います。最近こういう趣味関係の記事もほとんど書かなくなった、もといネタ切れしているのですが、たまにはこういうの書かないと本当にやってられません。

1、ドラゴンクエストシリーズ
 日本人なら誰もが知る有名なRPG作品ですが、未だにブランド力が圧倒的というだけあってBGMも毎回作りこまれております。各作品のメインテーマは言うに及ばずですが、敢えて一つの作品を上げるとしたら3が最も好きで、フィールド上の音楽とラスボスであるゾーマ戦の曲は傑作もいいところです。

2、ファイナルファンタジーシリーズ
 この作品も有名でみんな知っているでしょうが、個人的な感想としては音源がよくなっていくにつれてどんどん曲は悪くなっていったシリーズのように思えます。単体作品で好きなのは6と7で、7では汎用ボス戦の曲がお気に入りで無駄に文化祭とかで流してました。

3、ロマンシングサガシリーズ
 これは知っている人は多少限られてくるでしょうが、イトケンこと伊藤賢治氏によるBGM群は一度聴いたら二度と耳から離れないほどのインパクトがあり、今でもサントラ買おうかいろいろ迷ってます。個別の曲は挙げだしたら切りがないのですが、初代ロマンシングサガでは「下水道のテーマ」が場面にそぐわずかっこ良すぎると評判でした。またロマンシングサガ3ではやったことがある人ならみんながわかるでしょうが、「四魔貴族バトル2」という曲が異常というか圧巻過ぎて、未だにこれほどテンションの上がる戦闘曲は聞いたことがありません。極め絵付けは「ロマンシングサガ ミンストレルソング」で流れた「熱情の律動(通称:ヘェーラロロォー)」という曲で、これなんかはネット上でも一時取り上げられましたが最初に聞いた時は本当に(;゚Д゚)エエーって顔になり、イトケンは未だここにありというのをはっきりと見せつけられました。

4、ゼルダの伝説
 恐らく総合的なBGM評価だとこの作品が白眉です。長いシリーズ名だけあってメインテーマなんかは定番化していますがいつ聞いても飽きがないというか、むしろ久々に聞くといろんなことが一挙に思いだせて震えてくるような曲です。以前にYoutubeでこのメインテーマのオーケストラバージョンを聞いた際なんか感動して涙が出てきたほどでした。

5、クロノトリガー
 これまた古い作品ではありますが、当時のスクウェアの技術力を結集させた作品だけあって名場面も多く、その場面ごとに流れる曲も秀逸なものばかりでした。個人的に好きなのは「カエルのテーマ」と「時の最果てのテーマ」です。

6、俺の屍を超えてゆけ
 通称オレシカ。今度リメイク版が出るらしいですがすっとんきょんなタイトルの割に世界観は和風のRPGゲームです。和風なだけあってBGMも基本的には和楽器がメインで使われているのですが、地味で渋い曲ながらなかなか耳に残る音が多く、個人的には武術大会での戦闘で使われる太鼓の曲が一番好きでした。

7、ドラゴンボールZ~スーパーサイヤ伝説
 これまた古いゲームを出してきましたが、初期のスーパーファミコンゲームながらBGMは非常に秀逸で、特にラスボスのフリーザ戦の曲は名曲と言っていいと思います。ただBGMがいいゲームはクソゲーが多いというだけあって、ゲームバランスがあまりにもひどいゲームでしたが。

8、アクトレイザー
 いろんな意味でゲームBGMを変えたゲームBGM。なんでもこのゲームの曲を聞いたスクウェアのスタッフは既に作曲済みのFF4の曲を廃棄して全部作り直したほどのショックを受けたそうですが、事実現在に至ってもこのゲームのサントラは高値で取引されていると聞きます。私自身もこのゲームは何度もクリアしたほどで、戦闘シーンから町のシーンまで寸分の隙がないほど名曲の塊でした。ゲームも面白かったのですが、いかんせん続編は悪すぎた。

  

2011年8月11日木曜日

豊臣秀吉の本能寺黒幕説について

 たまにネットで見るので今日は本能寺の変の黒幕が実は豊臣秀吉だったという説を解説するとともに、私の見解を紹介します。
 まず本能寺の変とくれば説明するまでもないですが、ほぼ天下を手中にしつつあった織田信長が京都で明智光秀の謀反によって打たれるという、ある意味戦国最大の逆転劇ともいうべき事件です。この事件に関して謀反を行ったのは一般的に明智光秀単独犯という説が強いですが、これに対し実は豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)も荷担、つまり共謀していたというのが今回の黒幕説ですが、こうした説が唱えられる論拠を書きに挙げていきます。

<豊臣秀吉の狙い>
 明智光秀に織田信長を殺害させ、さらに明智光秀を謀反人として罪を被せて打ち倒すことで織田家の実権を握り天下を掌握する。

<豊臣秀吉黒幕説に挙げられる根拠>
・中国大返しの手際が良すぎる(初めから信長が殺されるのがわかっていて事前準備があった)
・毛利氏に先駆けて乱の事実を知った
・そもそも信長が京都に来たのは秀吉の援軍要請を受けての行動
・明智光秀が反乱を起こした動機がやや不明瞭
・さらに反乱後に光秀の所に味方が思ったより集まってこないなど、計画にずさんさがある
・これら計画のずさんさは秀吉がうまくそそのかしたためでは
・こういうことを計画しそうな奴が秀吉のそばにいる(黒田官兵衛)
・その黒田官兵衛は本能寺の乱を知った直後、「やったじゃん秀吉ぃ(*´∀`)」って声をかけた
・撤退する秀吉軍を毛利が追わなかった(既に話がついていた)

 ざっとまとめるとこんなところです。なんか見てみたら私が地味に話し方の真似をしようとして断念した、「その時、歴史が動いた」の松平定知氏もこの説をよく主張しているそうです。
 それでこの説に対する私の見解ですが、やっぱりいくら何でもこの説には無理があると思え、フィクションのネタとして小説に使うならともかく実際にこうだったと主張するには無理ではないかと思います。というのもかなり昔、具体的には2005年の夏にわざわざカレー作って待っていたのに、「昼にすき屋のハンバーグランチ食べて調子悪くて」と拒否した友人に対して物凄い不機嫌になりながら議論して、この時にある程度結論が出ています。ちなみにその友人曰く、ハンバーグランチはほどなくしてメニューから消えたそうです。

 秀吉黒幕説が無理だと考えられる理由ですが、こちらも箇条書きで書くと以下の通りとなります。

<秀吉黒幕説が無理だと思う根拠>
・秀吉軍は毛利方の追撃を受ければ完全壊滅となるため危険が高すぎる
・毛利は追撃しないという密約があったとするが、高松城戦での和議条件に清水宗治の切腹を出すのはやや不自然
・しかも毛利家は和議後に本能寺の変を知り、実際に追撃を検討している
・本能寺の変の直後に明智光秀は各地に書状を何枚も出しているが、共謀者として秀吉の名前を出していない
・さらに言えば山崎の合戦前後、「一緒に約束したじゃん(つд;)」とは光秀は一言も言っていない
・山崎の合戦後、織田家を始め他家でも誰もこの件の陰謀論を主張していない

 最後に書きましたがこの秀吉黒幕説はやはり陰謀論の域を出ないかと思います。とはいえ「東日本大震災はアメリカ軍の兵器実験だったんだよ!」というようなトンデモ論・陰謀論は人間社会が成り立っていく上で欠かせないエッセンスだと考えているので、この秀吉黒幕説も全否定せずに交換に流布する程度なら「だったら面白いね」という具合で見ていようかなと思っています。
 ついでにトンデモ論だとこの前はマヤ文明の暦か何かで今年の前半に世界が滅亡する予定だったらしいですが、以前どこかのサイトで「世界は既に何度も滅亡していた」という題でこれまでの滅亡論とその年代をまとめてありました。ノストラダムスの1999年を過ぎてからというものこういうトンデモ論が減ってきてさびしい限りですが、「中国バブル崩壊論」もこの十年でいろんな人があの手この手で主張してきているので、なんかこの手の議論に近くなってきている気がします。今度これまでに崩壊論を主張した人をまとめてみようかな。