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2011年12月21日水曜日

日本の中国国債購入報道に対する香港の反応

 寝ても覚めても疲労が抜けないのでささっと書ける地元ネタを一本書きます。
 昨日、日系メディアなどで日本が中国の国債を購入するのを検討していると報じられましたが、これに対して香港メディアもかなり食いつきよく反応していました。どの新聞、言ってしまえば経済紙のみならず大衆紙までもが比較的大きく取り上げ、「日本が中国国債を購入することで人民元の国際化が進む」と好意的に書かれていました。

 何故このような反応を香港メディアが見せたのかは実に簡単で、人民元の国際流通規模が大きくなればなるほど香港の儲けは大きくなるからです。現在香港の金融機関は市場には流通せず、投資のみに使われるオフショア人民元相場(実際に流通しているのはオンショア人民元相場という)を始め、人民元の決済業務など中国本土から様々な優遇を得ており、これらの業務を独占することでえらい利益を上げております。そんなHSBCをはじめとした香港の金融機関は人民元が国際社会でもっと利用されればされるほどこれら業務によって得られる利益は膨らむことから、常日頃から「人民元の国際化に向けて」という音頭の元であれこれ外に向かって喧伝しています。
 なおこの日本の中国国債購入に対する私の意見はというと、日中で国債を持ち合うことによって互いに牽制となるだけでなく、前のレアアース輸出差し止めみたいな強攻策をとると中国も損するという構図が生まれることから、多少なりとも持ち合うことはお互いの利益に適うと考えています。

 ちょっと文字数が少ないのでもう一つこっちのニュースを紹介すると、この前好きな国、嫌いな国アンケートが香港で実施されたところ、好きな国の1位にはなんと香港のライバル国とされているシンガポールが入ってきました。逆に嫌いな国にはフィリピンが1位で、その次の2位には中国本土が来たのがいろいろと面白いです。

2011年12月19日月曜日

金正日の死去について

 既に各地、というより世界中で報じられていますが、本日北朝鮮が金正日総書記が死去したと報じました。私はこの報道を香港のテレビで知りましたが、江○民の例もあるからちょっと警戒しましたが、北朝鮮本国が発表しているようなので事実に間違いないでしょう。たぶん。

 報道を受けた際にまず私が思ったこととして、なんていうか前兆はあったなというのが真っ先に浮かびました。その前兆というのも、これは日系メディアも報じていましたが例の大声でシャウトしまくる北朝鮮の女子アナがここ数週間、全くテレビに映っていませんでした。私も若い頃(高校生)は彼女のモノマネを得意として、新卒時の就職活動中の面接でも一回演じた(実話)こともあったことから気になってはいたのですが、今になって思うと今回のこの報道に合わせて練習なり下準備をやっていたのかもしれません。

 それで今後予想される展開ですが、あくまで私見ながらそうそう急に何かが起こることはないと思います。ネットや変なメディアのニュースとか見ていると「すわクーデターか」などといろいろ危機感を無用に煽る記事や発言も目立ちますが、北朝鮮の軍部にとって金一族体制が続くことが軍部の利益に最も沿うことを考えると、少なくとも数年は大きな音沙汰もなく今の状態が続くかと思います。アラブの春みたいに住民が蜂起する可能性も、あの国の栄養や経済事情を考えるとありえなさそうですし。

 下世話な話をすると今回の金正日の死去で一番得したのは李明薄韓国大統領でしょう。このところ支持率も落ちていると報じられていましたし、国民からの批判そらしに使う日本への従軍慰安婦カードを切ってきたことからも相当行き詰まり感が見られましたが、今回のこの一件で一連の批判は忘れられますししばらくは支持率も持ち直すでしょう。
 次に日本への影響ですが、まず国全体にはそもそも外交すら結んでないので何の影響もありません。話題となっている朝鮮総連系の学校への授業料無償化問題も一回だけ大きく騒いでまた元の木阿弥に戻るでしょう。ただ民間では2週間程度はワイドショーのネタとして持てはやされ、先ほどの無用に危機感を煽る人間は仕事にありつけられるんじゃないでしょうか。あんなくだらない連中の話を聞くくらいなら、まだ山路徹氏の女性の口説き方講座のが社会上で価値があるような気がします。っていうかこの人は「危機管理意識、記者会見での謝り方」を東電やオリンパスに指南するべきだろう。

 あと今後の北朝鮮の出方について朝鮮事情は素人ながら一言申し上げると、やはり融和路線に傾くような気がします。ちょうど先週あたりからアメリカと交渉していてアメリカも食糧支援に合意したとか報じられていましたし、場合によっては6ヶ国協議にも復帰してくる可能性もあると見ています。根拠としては金正日時代ほどまだ支配権力が確立していないのと、中国から経済官僚を呼び寄せて改革開放政策についてレクチャーを受けているという報道からです。
 日本として最も望ましいのはやはり6ヶ国協議が再開し、多少お金を払ったっていいから拉致被害者の帰還を実現させることです。もっともこちらからどうこうするような話ではないので、まずはしばらく様子見に徹するほかありませんが。

 最後に、今日のこの報道を受けて日経から読売、サーチナってかほぼすべての報道機関で「影響を受け株価が大幅下落」という見出しで日経平均株価を報じてましたが、今日の下落幅は105円で、私だけかもしれませんが「大幅下落」という表現を使うほど落ちているようには思いません。さすがに200円落ちたらえらいこっちゃと思いますがこの程度の変動でいちいち大騒ぎするほどだとは思いませんし、先ほども書いたように無用に危機感を煽るような書き方で個人的にはなはだ気に入りません。

2011年12月18日日曜日

運の尽きの一週間

・12月11日
 昼間は仕事だったが適当にはっちゃけて家に帰る。散々ゲームして楽しく過ごして満足感とともに眠ろうとしたら急に悪寒が来る。

・12月12日
 前夜の悪寒のせいでほとんど眠れないまま会社に出勤。体調も非常に悪く、昨晩に食べた物が未だに胃の中であらん限りの存在感を発揮して吐き気も覚える。さすがにまずいと思ったので上司に話して素直に早退するが、家帰って布団くるまっても全然体温が作れないから寒くてしょうがない。会社からがめてきた貼るカイロだけが、唯一感じられる温かみだった。

・12月13日
 さすがに一日中寝たのでどうにか体が動けるまでに回復。とはいってもまだけだるさは残っていたが、さすがにそうそう休んでいられない。昼休みに昼食のパンを買いに出かけたところ、左腕の時計のベルトが切れ、同僚と「下駄の鼻緒じゃないけど縁起悪いね」と話すが見事に的中する。
 夕方、突然次の日に取材予定が入り、当初は別の人間が行くことも考えられたが英語だけの説明会ということで急遽自分が行くことに。病み上がりなのに。おまけにその日に遅番を終えて帰宅途中に飲食店で晩飯食べてると電話が入り、「悪い、原稿差し替え」と他部署からの連絡を受け急遽事務所にUターン。振り回される一日だった。

・12月14日
 12日にあまり食べられなかったから前夜にラーメン半チャーハンと大量に食べたところ、消化器官の調子が悪いままでまたも胃の中で際立つ存在感。吐きそうな気分のまま朝8時から取材先へ。来年香港で開かれる金融会議の朝食を兼ねたブリーフィングだったが、参加者みんな英語が上手くて何言ってるかほとんどわからなかったが、唯一記憶に残ったのは香港の大手銀行CEOがメシ食うのがやけに早かったということだけだった。それでもきちんと原稿に仕上げられたからまだ救いだ。
 やはり胃の調子が悪いので昼食は抜き、夜も食事量を抑えた。

・12月15日
 日~木出勤だからこの週はこの日が最後。今日が終われば思い切り寝られると思って頑張る。昼には職場のみんなで飲茶を食べに行くが、胃の調子が悪いのにまたそこそこ量を食べてすこし気分を悪くする。

・12月16日
 休みということで朝、昼、晩を限りなく眠り続ける。真面目に測ったら14時間くらい寝ていた。

・12月17日
 昨日に寝過ぎたからちょこっと外出。歩いている最中に時計の修理屋を見つけたから13日に切れたベルトの交換を依頼するが、何故か頼んでもないのに勝手に電池まで交換された。自分の使っている時計はシチズンの「エコドライブ」という太陽光で駆動する時計のため、通常の電池とは異なる電池が使用されている。そのため焦って戻すように頼むが、「こういうのは2年で取り替えるんだ。ほら、ちゃんと動いてるだろ」と言われて、確かに動いているのを確認する。が、やはり家に帰った頃にはまた止まっていた。ネットでも確認したが、やはり普通の電池はダメらしい。この辺でいろんな糸が切れて泣き崩れる。

・12月18日
 出勤。昼休みにシチズンの香港サービスセンターへ行こうとするが、あらかじめ電話をかけたら誰もでんわ。土日はやっていないようだ。仕方ないので仕事を終えた後の夕方にシチズンの専門店に行ってみるが、やはりサービスセンターじゃないと対応できないと追い帰される。
 帰路、ここ1週間で急激にメガネが合わなくなって焦点がずれ、吐きそうになりながらも自宅に戻り今に至る。自衛隊のイラク派遣を振り返るものとか、来年の香港行政長官選挙についてでも書こうと思ってたがとてもそんな精神状態じゃなく、頭痛と闘いながらこの記事を書いている。
 それにしてもここまでやる行動すべてが裏目に出るのも随分久しぶりな気がする。人間、何やってもダメな時はたまにあるとは肝に念じているが、先週に後輩に、「俺は逆境の中でこそ真価を発揮するタイプだ( ゚∀゚)」と言った矢先でもあるので、くじけちゃダメだと何度も自分に言い聞かせている。

2011年12月16日金曜日

ネパール王族殺害事件について

 先日にブータン国王が来日した際は日本中で大フィーバーとなったそうですが、こういう外交を見るにつけやはり王室というものは大事だと実感させられます。私は中学生くらいまでは天皇制を批判していましたが、アメリカやフランスなど王室のない国とイギリスや日本の外交を比べた際にやはりこういったロイヤルファミリーがいるといないと全然戦術の幅が違っており、また日本の歴史的流れから言ってもやはり皇室は大事だと現在は思うように至っています。また世界を見回してもタイではこのところ何度も政変が起きましたが、そのたびに王室が極めて重要な役割をして混乱を最小限に食いとどめております。仮にいなかったら、本当にどうなってるんだろうな。
 そんな世界の王室たちですが、最近になって十年前のネパールで大きな事件が起きていたことを知りました。

ネパール王族殺害事件(ウィキペディア)

 この事件の概要を簡単に話すと、2001年6月のある日、王族内の夕食会中にディペンドラ王太子が銃を乱射し、ビレンドラ国王を含む王族9人が一度に亡くなったという事件です。事件自体は現場にいた国王の孫婿であるシャヒ大佐によって明らかにされましたが、犯人のディベンドラ王太子はその場で自殺を図って事件3日後に死亡しています。
 王族が一度にこれほどなくなるという非常にショッキングな事件内容はもとより、この事件は当初より陰謀論が強く疑われています。主だったものをあげるとまず犯人のディベンドラ王太子の銃創は後ろから撃たれたもので、自殺を図ったとするには不自然な姿勢で発砲している点と、事件後に国王に即位した王弟のギャネンドラの一家だけは全員無事だったことがあります。

 こうした背景からこの事件は宮中クーデターという見方が未だに強いそうですが、今となっては真相はもうどうでもいいことになりつつあります。というのもネパール王室はギャネンドラ国王時代に専制を強めようとする国王に対して大きな民主化運動が起こり、2008年に王制は廃止されて共和制に移行しました。
 結果的に言えばこの事件がきっかけでネパール王室は潰れることとなったわけです。皮肉と言えば皮肉ですが、当然の帰結と言えば当然かもしれません。

日本に影響を残した外国人~レオ・シロタ

レオ・シロタ(Wikipidia)

 今日紹介するレオ・シロタはその「シロタ」という名字から一見して日本人ハーフかと思われるかもしれませんが、この人はれっきとしたユダヤ系ウクライナ人で親類に日系人関係者はおりません。幕末にイギリス人外交官としてもっと名前が知れ渡ってもいいくらいに活躍したアーネスト・サトウも出生自体は日本と全く関わりがありませんが、世界は広いもので日本語の発音に近い苗字を持った外人は意外に多いようです。

 早速解説に入りますがシロタの職業はピアニストで、5歳からピアノを弾き始めると幼少時から神童とも呼ばれ、19歳になってウクライナからウィーンに留学してからはめきめきと腕を上げていき「リストの再来」とまで呼ばれトップクラスのピアニストとして名を馳せました。
 そんな世界的ピアニストがどうしてまた日本と関わるようになったのかというと、こちらもまた日本が誇る偉大な音楽家の山田耕筰がシロタのハルビン公演の際に日本への招聘を行ったことがきっかけでした。シロタはこの誘いを快諾して1929年に妻と既に生まれていた娘を伴い日本へ訪れ、当初は半年間の講演旅行で終えるつもりだったところを、山田耕筰の依頼を受けそのまま東京音楽学校ピアノ科教授に就任して日本に留まり続けました。

 勘のいい人なら既にお判りでしょうがこの時期には既にドイツ、オーストリアでユダヤ人迫害が始まりつつあり、オーストリアに本拠を持つシロタもそうした背景があって日本滞在を選んだのかと思われます。かくして日本は世界トップレベルのピアニストを指導者として招くことに成功したわけですが、当時はシロタ以外にも東京音楽学校には世界有数の外国人教授が集まっていたようで、日本の音楽史において大きな発展に貢献したと言われております。

 その後、日本を含め世界は徐々に戦争期に突入していくわけですが、シロタは延々と日本に滞在し教鞭を取り続けました。ただ1939年に16歳となった娘だけが進学のためにアメリカの女子大へ留学したことになるのですが、太平洋戦争開戦直前の1941年に娘に会うため渡米したシロタは娘から「戦争が始まっては別れ離れになる。このままアメリカに留まろう」と説得を受けることとなります。
 たまにゾルゲ事件を取り上げては開戦直前まで日米の一般民衆は戦争が起こるとは考えていなかったと書く奴がいますがこれは明らかな間違いで、むしろ日本側は世論に押されて政府が開戦を決めた節があります。現に情けなさすぎてあまり書きたくありませんが、何故開戦となったのか半藤一利氏の取材で当時の陸軍幹部は「いや、なんとなくそういう空気だったから」と証言してます。

 話はシロタに戻りますが、この時の情勢はまさに娘の言う通りと言ってもいい状況であったにもかかわらずシロタは、「東京音楽学校で私を待っている生徒たちがいるのだから戻らないといけない」と言い残し、その年の11月に日本へ帰国しました。なおこの時にシロタが乗った船は、アメリカから日本行きの船としては最後の便となりました。そしてこの1ヶ月後、日米は開戦して親子の間の通信は途絶えます。

 アメリカに残された娘はシロタからの仕送りがなくなったことを受け、数ヶ国語を操るほどの才能を持っていたことから通信社でアルバイトを開始したのを皮切りに、最終的には戦争情報局で対日プロパガンダ放送を担当する仕事を受け持つようになります。これらの仕事の中で得られる日本側の放送から両親の安否情報を捜していたそうです。
 その後、日本が1945年に降伏し、当時働いていたタイム誌の日本特派員から両親は無事で軽井沢にいるという情報を得た娘は何とかして日本に渡ろうと手を尽くし、1945年の12月24日、GHQの民間人用員として厚木に降り立つこととなります。

 法学部出身者限定となってしまいますが、勘のいい人なら既にお分かりの通りにこのレオ・シロタの娘こそ日本国憲法草案作成の過程において非常に重要な役割を果たし、現在も存命されているベアテ・シロタその人です。
 今回この記事を書くに当たり、非常に情けないのですがほとんどウィキペディアのページから引用しております。本当ならもっといろいろ調べたり、毎日新聞社が「日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ」という本を出しているからこれを読んだ上で書くべきなのですが、非常に興味深い内容の上に可能な限り早くこのブログでも紹介したいと思ったことから見切り発車でもう書くことにしました。私自身、ベアテ・シロタ氏については法学の授業で習い、子供の頃に日本にいたという事実自体は知ってはいたものの、どうして親子が日本に来たのか、そして別れ離れになったのかについては全く知らなかっただけに強い衝撃を受けたとともに、その父親のレオ・シロタのその功績と人となりについても感動を覚えました。

 最後にこの親子の戦後の帰結ですが、当時レオ・シロタ夫妻は軽井沢に強制疎開されており、八方手を尽くした娘からの連絡を受け1945年内に無事再会を果たすことが出来ました。それにしても父親は音楽界、娘は憲法において日本に多大な功績を残してくれたとのことで、真面目にこの親子には感謝で頭が上がりません。憲法に関して一言付け加えておくと、当時において日本国憲法はアメリカの憲法以上に人権、平等思想が強く反映されており、間違いなく世界屈指の憲法に仕上がり、現在にまで機能するというとんでもない代物なだけに、こんなええ娘さんをよう生んでくれたとレオ・シロタに対してしみじみ思います。

2011年12月14日水曜日

問責決議案の乱発について

 当初は今度ホンダが発売するエヌボックスという軽自動車にケチつける記事を書いてましたが、途中で書いててつまらなくなったのでまた時事ニュースを取り上げます。たた一言だけ書いておくと、最新型のシビックといい、最近のホンダ車のデザインは真面目に「よくこんなのが審査に通ったなぁ」と思うほど頭をかしげるものが多いです。ついでに言えばトヨタはカムリのデザインは凄くいいが、なんで今度出す予定の軽量FRスポーツの86のコンセプトカーを白黒パンダカラーで作らないのか理解できません。まぁ実際これも「ヤマハ2000GT」同様に「スバル86」なんだろうけど。

仙谷氏 問責可決連発は「統帥権干犯」 野党対応を批判(産経新聞)

 そんな車のニュースを放って取り上げるのは上記の仙石氏の発言ですが、この発言内容に対して私も基本的に同意です。
 先日も山岡、一川の二閣僚に対して野党が問責を出したことについて私も記事を書いて自民党など野党に対して「死ね( ゚Д゚)ヴォケ!!」と主張しましたが、そもそも論として出したところであまり意味の見いだせない問責決議案を出して無駄に審議時間を減らすということにあまりいい感情を持ちません。第一、与党時代に出された問責決議案をことごとく無視して実質的に価値をなくしたのは自民党本人ですし。

 その一方で民主党の仙石氏についても野党時代は何かあるたびにすぐに問責を出して、しかも後半に至っては会期末に「出すのがいつも恒例だから」と可決しないとわかっていながらも一時期出していたこともあるので、今更になって統帥権の干犯などというのはさすがに言ってはならないでしょう。まぁこれで与野党を一緒に体験したんだし、今後は反省して野党に転落しても同じことをしないようにしてもらいたいものです。
 ただ真面目な話、そろそろこういった無意味な行動は与野党には慎んでもらいたいです。仮に閣僚が問題のある発言や行動をしたというのであればそれこ通常の国会内で批判するか、もしくは野田首相の若いころのように街頭に立って市民に訴えかければいいだけの話で、こんな無駄としか思えないデモンストレーションに時間をかけるのは効率がいいとは思えません。私は政治は一種のショーだ、パフォーマンスだと考えてはいますが、こういう三文芝居を見せられるのではたまったもんじゃありません。

 最後に豆知識ですが、最近になって大分知られるようにはなってきたものの、今回仙石氏が引き合いに出した「統帥権の干犯」という言葉は戦時中に軍部が暴走した際に多用した便利なツールとして活躍しましたが、実はこの言葉を最初に使ったのはほかならぬ政党勢力であった鳩山一郎で、彼が使ったのを見て軍部も「いい言葉があるじゃないヽ(*´∀`)八(´∀`*)ノイエーイ」と一緒になって使うようになったそうです。どうもこの一族は要所要所で余計なことをしでかしてくれるものです。

2011年12月11日日曜日

失われた十年を歩む欧州

 前にも似たような記事を書いている気がしますが、ちょっと香港の新聞でも書かれていたのでまた取り上げようと思います。
 昨日の香港の経済紙にて「日本の失われた十年を警戒する欧州」という見出しの記事が載ってあり、内容は見たまんまで日本のバブル崩壊後にのたうった失われた十年のようにこの不況が続くのではというものでしたが、はっきり言って私はそのように考えており、これから欧州各国はよほどの改革や事件が起きない限りは少なくとも2015年までは不況が続くと思います。

 日本は失われた十年と言われる1990年代、国内外から散々に「日本の金融は遅れている」と言われてきましたが、現代において改めて振り返ってみると私は日本の金融はあの時代にある意味で世界最先端を突っ走っており、それが故に真っ先に破綻して真っ先に復活したのではないかと見ております。住宅ローンの膨張から破綻、消費者金融を中心とする闇金の跋扈、メガバンク形成による資本増強など、一つ一つの過去に起きた事実が今他国で実際に起こっており、見ていても私には真新しさを感じません。
 それ故に今の欧州をはじめとした世界の金融界に対する処方箋こと、具体的にどうすればいいのかという対策もはっきりわかっていますが、その効果的な対策を各国政府が踏み切ることは出来ないだろうこともわかっています。もったいぶった言い方をせずに何すればいいのかというと、不良債権となっている資産を可能な限り早く処分した上に収益の上げない企業への融資を直ちに止め、中小を中心に企業をどんどん潰せばいいだけです。ついでに小さな銀行なんかも統廃合を進めればなおよいでしょう。

 これはやることだけ言えば実に単純明快ではあるものの、やるとしたらそれなりに覚悟が要ります。まず収益を上げずに銀行の融資で生き残っているゾンビのような企業を潰すということは失業者を増やす行為で、これにより社会不安が増大することは間違いありません。日本は小泉政権時にこれをやりましたが、今思うとあの時は中国の高度経済成長が始まった頃であったために失業者の増加がまだ最小限に食いとどまったような気がします。仮に今同じことをしたら社会不安はあの時の比じゃないでしょう。

 話は欧州に戻しますが、現在の債務危機は2008年のリーマンショックに端を発していることは間違いありません。ただこのリーマンショック後において、アメリカはまだ金融機関へのストレステストをしっかりやって現在のようにやや平静を取り戻した一方、欧州では金融機関はおろかギリシャのように国家財政まで粉飾決算しており、まだまだ調べたらいろいろ出てくると考えてもいいんじゃないかと思います。しかも日本の例を見ている癖に、こういってはなんですがまだ危機感がどうも足りていないような気がしてなりません。

 恐らく日本のメディアではまず報じられていないかと思いますが、こちら香港の現地紙では今の日本の金融機関は資本力も高く他国と比して有利な状況下にあると書かれてあり、私もこの説を信じます。なおかつ現在は円高が続いており、企業買収するにしても何するにしても、日本円が世界においてもうちょっと猛威を振るったっていいんじゃないかとも考えています。

 あとこれは蛇足かもしれませんが、こちら香港で毎日毎日金融関係の記事を見ていて、金融というのは複雑になればなるほど破綻リスクが高まると同時に、社会に対する貢献価値が減少するのではなのではとこの頃良く思います。一時期はMBA取得者がさも知った風な顔して複雑な金融工学がどれだけ素晴らしいかなどを喧伝していましたが、それらを使うことによって社会はどれだけ豊かになるのかと言えば現在においても非常に疑問です。私自身がマネタリズムが苦手ということもありますが、もっと単純明快なルールに縛る方が安定さを保てるのではというのが今日言いたかったことです。
 ……人民元のオンショア、オフショア相場の話でも今度解説しようかな。