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2012年2月22日水曜日

追い求めるべき幸福とは 後編

 昨日に引き続き、幸福論の話です。
 まず最初に今回の件で何が一番言いたいのかというと、幸福というものは個々人によって完全にバラバラで、定型というものはまるでないということです。前の記事でも書きましたが私にとってすると一般的な幸福の条件は少なくとも「快」の条件になるというわけではなく、場合によっては「不快」な条件に適合することすらあります。私みたいなのは明らかに例外ではあるものの、断言してもいいですが幸福の条件は個々人によって確実に個人差があり、画一的な条件が決まっているわけではありません。

 これが何を意味するかというと、幸福の定型とされるものを追いかけていざ手にしたところで、本当に満足が得られるのかということです。もちろん全く満足感がないということはないでしょうが、後々に「やっぱりああしとけばよかった」という後悔が出てくる可能性があるんじゃないかと私は考えています。私がこう思う理由として大きいのはやはり「失われた十年」に青春期を過ごして、この間に「こうすれば幸せになる」と盛んに喧伝されたものがわずか数年後に片っ端から消え去っていったのを見ているせいだと思います。今じゃ完全に死語ですが、一時期は「レーゾンデートル」とかいう言葉が流行って、「自分探し」とか「自己実現」の重要性が盛んに主張されましたが、これに乗っかった人たちは今どうしているのか気になります。

 じゃあどんな幸福を追いかければいいのかですが、突き放した言い方をすると自分で考える以外にないと思います。何も十年先の幸せとか長期的な視野に立たなくてもいいから、少なくとも「世間一般で言われているから……」というような理由で安易に選ばず、他人が主張するものでもなんとなく納得できるものを追いかけてれば後悔はないと思います。たとえ周りからそんなの信じても得しないよと言われても、本人が納得することが一番大事です。

 そんなこんだで話は飛びますが、数ある幸福論の中でも私がひときわありがたがって聞いているのはほかでもなく、漫画家である水木しげる氏の幸福論です。なんかちょっと検索かけたらすぐ出てきましたけど、主に主張している七ヶ条というのは下記の通りだそうです。

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。


 いかにも水木氏らしい主張ですが、書かれている内容と実際の半生を見比べると自然と頭が垂れてきます。一例を出すと第六条の「怠け者になりなさい」ですが、これに限らず水木氏は普段からたくさん寝て食べることは大事だとよく主張していますが、その一方で自身は若い頃に戦争で軍隊生活を経験し、復員後もそれこそ寝ずに働いてスズメの涙ほどの収入で暮らしているだけに、ほかの人とこの言葉の重みが段違いに違います。

 これはあくまで私の解釈ですが、水木氏が主張する幸福論とは「自らの中の内なる欲求に従え」というのが大まかな意なのではないかと思っています。要するに、寝たいとか食べたいという人間の根源的な欲求に加え、個々人が持つ嗜好の対象に素直な気持ちで向き合えという風なものだと考えています。その上でさっきの第三条こと「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし」で、それこそ資産の量など他人との比較でしか証明できないものは少し違うのでは、と言っているのだと思います。あくまで私の解釈ですが。

 こういった水木氏の考え方に触れる前から私はかねがね強情で知られていましたが、自分自身の考え方、思い方に素直になることは非常に重要だと考えていました。私も中学生くらいの頃なんかはやっぱり世間体とかを気にして、いくらか心に思っていることと全然違うことを言ったり振る舞ったりしましたが、そうした行動の後は何とも言えない嫌な気持ちでいっぱいになっていました。逆に成人した今、周囲からどんだけ批判されようが自分自身が間違っていないと思うことを言ったりやったり、一例を挙げると「今日は眠いから飲み会には行きません」と言った後はその後の立場が苦しくなるとしても(実際なった)あまり後悔がありませんでした。

 非常に飛び飛びな内容となりましたが、結論としては周囲の雑音というものはしばしば幸福を阻害する可能性があるということです。私自身は何を以ってすれば自分が幸福になるのかを未だ見つけていませんし、恐らく今後も一生追い求めることはないでしょうが、朱に交われば赤くなる様なことだけは避けて生きてこうと思います。

2012年2月20日月曜日

追い求めるべき幸福とは 前編

 私がよく友人から一番注意される内容ときたらかねてから書いてある通りに、「人を見下す癖をやめろ」というもので間違いないのですが、この次によく注意されるものとして、「もっと自分の幸福を考えろ」というものがあります。恐らくこんな変な注意のされ方するのは私以外だと数少ないでしょうが、お前ら示し合わせているんじゃないかと思うくらいにこれまで実に多くの人間からこういうことを言われてきております。
 言わんとする内容はまんま言葉の通りで、もっと自分の身を大切にという内容と共に、周囲に対する気遣いなんかせずにもう少しわがままに生きた方がいいというものです。自分でも全く意識していないわけではありませんが、やはりどうも周りからも自己破滅的な生き方をしているように見えるようで、はっきり言ってくれる友人なんかは、「悪い意味で分け隔てがなく、自分をすり潰そうとしている」と言ってくれます(ノД`)

 ただこうは言われるものの、一体何をすれば自分は幸福だと感じるのか皆目見当が付きません。実際に真面目な話、今までの自分の人生で決断してきた選択には「苦」より「楽」を求めるものは一部入っておりますが、単純に幸福を目指して選んだ選択は断言してもいいですが一つもありませんし、相対的に見れば自分からいばらの道へ頭から突っ込んでいくものの方が圧倒的に多いです。なんでそんな選択をいつまでも選び続けているのかというと、育った環境にもよるでしょうが私個人の資質としか言いようがないでしょう。

 逆に私の目からすると、一体なんでみんなしてそんな幸福になろうとするのだろうと思うことがありますし、そもそも何を以って幸福を感じるのかが全く分かりません。そりゃ確かにお金がたくさんあればないよりは楽でしょうが、それで満足感を得られるかというと私はきっと得られることはできないでしょう。今現在でも私は特に買いたい物もありませんし、もう少し給料は増えてほしいとは思うもののまとまった金があってもむしろ使い道に困ると思います。
 じゃあ家族や恋人がいる状態がいいのかとなると、これもまた何か違和感を感じます。こちらもいるに越したことはありませんが、いなかったらいなかったらで楽なんじゃないかと思うこともあり、結局は環境の違いでしかない気がします。あと最後に仕事もせずに毎日好き勝手にダラダラ生きれるとしたらというのも幸福の一例として挙がってきますが、これなんか自分が一番嫌なパターンで、仕事が忙しすぎるのはもちろん嫌ですがやっぱり何かしら動き回ってないと落ち着きません。

 上記のような考え方をする人間ははっきり言って自分以外だと見たことがありませんし、自分自身でレアケースだと自認しております。ただこうして条件をすり潰していくにつれ、一体何を以って幸福なんだと言えるのか実に深く感じます。新興宗教やってる友人などは、「生きていること、ただそれ自体がありがたい」と何度も自分に聞かせてきますが、そりゃ安全安心保障付きの日本だから言えることであってアフガンとかでも同じこと言えるのかよと思うので全く意に介しません。また生きててよかったと思うことより、私は絶対的に辛いことの方が多いと考えているので、ある意味自殺者が多い今の日本の現状というものは理に適っているとさえ思います。

 では安定というのは幸福の条件になるのでしょうか。確かに仕事や生活が安定しているというのははっきり言ってありがたいと、去年に職場を3つ、国2つを跨いだ私が保証してもいいですが、それで幸福なのかとなるとやっぱ腑に落ちません。同年代の中でも非常に山っ気が強い性格というのもあるでしょうが、同じ日々が続くといずれ飽きが来るのではという気がします。また一程度のストレスは体にいいと言われておりますが、やはりスリルというものが生活中に感じなければどんどん自分が弱っていくようで自分としては好ましくありません。かといって安定がなさすぎるのもハードですが。

 このほか儒教の価値観で「中庸」というものがあって、どれもほどほどの状態を保つことが一番という考え方がありますが、これなんか私はしっくりくるのでほどほどの安定とスリル、給料などなどを一応は掲げていますが、やっぱり破滅的というかある所まで来たら突然それを自ら崩そうとするところがあり、今の環境なんかまさにそんな状態です。
 なんか妙な独白が続きますが、どうも自分には一貫して幸せになろうという意思がなく、折々で不幸を目指し走り出すところがある気がしますし、普段からも必要以上の責任や負担を抱え込もうとしてます。破綻していると言えばそれまでですが、なんかそれとは違うんじゃないかなという気もしないでもありません。

 ただ私の場合は間違いなく極端な例でしょうが、ほかの人ももっと幸福とはなんなのかを意識して考えた方がいいんじゃないかと思います。単純な幸福を求めようとしていざ実際に手に入れてみると実は違ったというケースほど不幸なものはなく、立ち止まらなくてもいいから常日頃からあーだこーだ考えることも必要なんじゃないでしょうか。
 そういった観点から、次回は私が面白いと感じる幸福論、というか水木しげる氏の話を読んでて感じたことを紹介します。

詐欺事件の実名報道について

富士重、クリーンロボット事業撤退も…不正発覚で(レスポンス)

 昨日に引き続きまた実名報道についてです。上記のニュースは富士重が今日発表した、同社のクリーンロボット事業に関わっていた元従業員が国の機関に過大な請求をしていたことから告訴されたというニュースですが、何気に朝一番にプレスリリースをチェックしてたらいきなりこれが出てきて朝っぱらからこれかよとか思いました。
 ただ今回の富士重の事件については、多分似た系列で出てきたんでしょうが先日に発覚した三菱電機の同じような過大請求と違い、ちゃんと社内調査をした上で会社として該当する元従業員を告訴しているので、組織ぐるみだった前者よりかはまだ良心的な感じがします。それにしても、確か先週末には「スバル、好調の要因は」という記事が出た翌週にこんなニュースが出るのも残念ですが。

 話はそろそろ本題に移りますが、今回の事件で不正請求を行い、告訴された従業員の名前は出てきませんでした。まぁ会社として処分をしているのだから私としてもわざわざ出す必要はないと思うのですが、基本的に詐欺事件で実名報道がされるのは少ないような気がします。それこそ闇金とかの話だったらもちろん出てきますが、こうした企業絡みとかだとどれだけ悪質でも出ることはなく、昨日に取り上げた避けようがない交通事故の報道と比べると明らかな温度差を感じます。さらに言うと、違法な行為やサービスを行っていたという風俗店摘発のニュースはほぼ確実に店長とか責任者の名前が出るのもなんだかなという気がします。

 あと最後に一つだけ付け加えると、現代だと名前をネット検索にかけると一発で履歴とかがばれることが多く、実名報道によって起こる社会的制裁の度合いは確実に高まっていると言い切れます。自分なんか仕事で社会記事を書くことはほぼなく(むしろブログのが多い)あまり気にする必要ありませんが、報道機関はもっとそういうことに神経使うべきだと考えています。
 ちなみに私の本名は比較的ありきたりな名前のせいか、検索を書けても私本人に直接たどりつくことはありません。むしろハンドルネームの方がそこそこ長期間ブログしているのもあって、引っかかりやすいです。

2012年2月19日日曜日

交通事故の実名報道について

路面凍結で自転車転倒…高校生はねられ死亡 千葉・柏(産経新聞)

 前から疑問に感じていたので、交通事故報道について一筆書いておきます。上記リンク先の記事は千葉県で起きた死亡交通事故のニュースですが、この事故の展開をみるにつけ実名で報じる、というかそもそもニュースとして報じるべき価値があるのかと強い疑問を覚えます。
 この事故は凍結した路面を自転車で走行していた高校生が車道側に倒れ、そこをたまたま通った自動車がはねてしまい死亡させてしまったというのがあらましです。この内容を見る限りですと、目の前を走っている高校生が突然点灯するなんて予測できるはずもなく、乗用車の運転手に対しては実に不幸というか、その行為を責めることはできないのではないかと強く感じます。

 にもかかわらず、今回産経新聞は運転手の名前を実名にて報じております。以前、というかかなり前に書いたことがありますが、日本の刑法というものは前科という社会的制裁を受けることを前提として量刑を定めております。それだけに社会的制裁の大半を担う報道というものは当人にとって非常に大きなものなのですが、この事件についてはそもそも社会的制裁が必要なのかどうかです。そもそも事件自体報じるべき価値があるかと言ったらもっと他のに紙面を割けよと言いたい内容である上に、報じるにしても実名を入れる必要性があるかといえば皆無でしょう。

 この記事に限らず、このところこういった事故記事が目立ちます。自分は報道にはモラルとかそういったものはそもそも存在しないと思うし、そういうものを主張すること自体が空々しく感じます。しかし必要のないことをわざわざやるということは報道以前に人間としても如何なものなので、こういったことをやる記者が一人でもいなくなればと陰ながら願っております。

2012年2月17日金曜日

週刊文春の橋下大阪市長批判記事について

 この前に日本から本を取り寄せる機会がありましたが、これまでずっと買ってきた文芸春秋は今回入れませんでした。何故文芸春秋を取り寄せなかったのかというと、同じ文芸春秋社が発行している週刊誌、週刊文春の橋下大阪市長に対する報道に対して強い反感を覚えたためでした。市長に対する報道に対して強い反感を覚えたためでした。
 詳しい内容はここでは語りませんが去る大阪市長選挙前、週刊文集は橋下市長の政策論とは全く関わりのない彼の出生について批判的な記事を載せました。仮に国籍条項を偽るなど市長選出馬に当たって不正を行っているのならばともかく、完全にお門違いもいいようなどうでもいい内容をことさらに取り上げてさも「市長として不適格」とするようなあの記事については到底看過することが出来ませんでした。

 自分はこれまで実に十年近くも文芸春秋を購読してきましたが、雑誌媒体が違うとはいえあんな内容の記事をよくもまぁ載せるというか、出版社としても強い疑問に感じる事件でした。まぁそれを言ったら、本来ならばほかのメディアも激しく糾弾すべき内容だったにもかかわらずスルーしていたということも不満なのですが、ちょっともう読む気は起きてきません。どのみちあんな記事を出せる神経してるなら、ほかの記事もあまり当てにならないでしょうし。
 さらに言うと、このところの文芸春秋は明らかにつまらなくなっておりました。読者層が自分のように若い世代ではなく年長世代が多いこともあってか、何かとガンの放射線治療とか病気関連の記事が異常に増えており、特集記事も「田中角栄のラブレター」とかそんな大きく取り上げる必要あるかいなと思う記事ばかりで、真面目に半分しか読まなかった月も珍しくありません。

 別に雑誌に限るわけじゃないですけど、部数減少を「若者が雑誌を読まなくなったせいだ」と他人のせいにする主張をよく見ますが、そもそも若者を購読者、消費者として見据えた記事をあんたらは書いているのかと深く問いたいです。まぁこれを言ったら90年代のスポーツカーばかり紹介する「ベストカー」はどうなるんだということになりますが、こっちについてはスポーツカーを出さなくなった自動車メーカーにも一部責任あるけど……。

オリンパス旧経営陣らの逮捕について

オリンパス菊川前社長ら逮捕 証券OB含む7人 虚偽記載の疑い(日経新聞)

 このブログでも何度も取り上げているオリンパス事件ですが、今日になりようやく逮捕者がでました。この件に対する私の意見は、一体今まで何をやってきたのだと、東京地検に対して呆れるような感情を持つといったところです。

 既に何度も書いているので端折って書きますが、私はこの事件はかねがね、不正経理が明らかになった段階で早くに関係者一同を逮捕し、とっとと真相解明に取り組むべきだと考えていました。仮に疑いの段階であればこのところ冤罪事件も多発していることもあって逮捕するべきではないですが、今回のこの事件は明らかに不自然な資金処理がなされており、しかも退任したウッドフォード元社長を筆頭として隠し損失がはっきりとあると言っていたことを考えると、手心を加える必要は全くないと言っていいでしょう。
 その上でさらにいうと、オリンパスの上場維持を決めた東証に対しても疑問がたくさんあります。はっきりいってこれほど巨額の損失隠しをしておきながら上場が維持されるようでは、一体何をすれば上場廃止になるのかわかりません。公開して株式の取引がなされる取引上では企業情報の完全公開が原則であってちょっとでも不正があるようであればほかの国(中国は除いてもいいけど)なら即刻廃止され、相応の処罰がなされているはずです。恐らく今回の事件で海外メディアなんかは、「やはり日本は身内に甘い」と書いているかと思います。

 あと同じ企業犯罪だと、この前にハーネスメーカーの矢崎総業の人間がカルテルの疑いでいきなりアメリカで逮捕されていました。そりゃ人を殺したんじゃないんだしとも言うことはできますが、それにしたって私は日本の司法は経済犯罪に甘いというか、やる気あるのかと言いたくなります。あとこれも何度も自分で言っているから段々嫌になってきてもいるのですけど、一体何故ライブドア事件の際はあれほど厳罰を課したのにほかの事件にはこんなにも甘いんだと、ダブルスタンダードぶりにはほとほと嫌になってきます。堀江元社長の方を持つ気はなく、むしろこの人は個人的にそりの合う人じゃないですが、懲役を受けていることに関しては強く同情いたします。

2012年2月14日火曜日

中国のバレンタインデーについて

 なんかこの前親父に話をしたら受けたので、時期も時期なので中国のバレンタインデーについて話をします。よくバレンタインデーにチョコを贈るのは日本くらいだという人をたまに見かけますが、どうもこのチョコを贈るという習慣を作ったマーケティングはお菓子業界が仕組んだもので、韓国財界とも縁のあるロッテの影響なのか韓国でも非常にお盛んだそうです。
 これに対し中国はどうかというと、もちろん女性がチョコを贈る習慣も全くないわけでもありませんが、どちらかというと男性側から女性に花束を贈るという手法の方が主流です。今日も取材帰りの電車の中で、でかい花束持った女性を何人も見たし。

 ただマーケティングについてはこっちでもかなり力が入っており、ホテルなどでは特別ディナーコースを用意したりするなどして対応しています。その中でも一風変わったものには、「店内で60秒間キスし続けたら一食タダ」という、一体誰が得するんだといろいろわけのわからないものまで出てきております。
 あとこのところの報道を見ていて気になったものの中には、「バレンタインのプレゼントの代わりに、最近の女の子は旅行の地図を送り、彼氏に旅行に連れてくよう要求する」というものもあり、本当に中国の女性はいろんな意味でたくましいなと思った次第です。