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2012年3月23日金曜日

中国の偽ワイン

 昨日は出張から帰ってきたのでブログ更新はサボりましたが、じゃあ今日は何を書くのかと考え、最近歴史物を書いてないなと思いつつも実に1時間以上も悩んだ挙句、結局書くネタが浮かびませんでした。なんか歴史的な刺激が足りてないのかも。そんなわけでネタ切れということもあり、個人的にツボにはまった中国のワインの話をします。

 まず中国におけるワイン市場ですが、一時期の日本と同じようにブームに沸いております。恐らくこれは食べ物の洋食化とともに自然と突き進む道なのである意味自然な成り行きと言ってもいいと思うのですが、ただ一つ日本のワインブームと異なっているのは中国故の偽物文化です。
 私はワインというと「ロマネ・コンティ」が一番ブランドが高いと考えていたのですが、ここ中国だと「シャトー・ラフィット」が昔の香港映画に出てきたことから一番人気です。一番人気ゆえに価格も高騰し続けているのですが、このラフィットで何が楽しいかっていうと正規輸入量に対する中国国内の流通量は実に40倍で、圧倒的に偽物の方が多いということです。しかも本物の空き瓶にすら詰め替え用として価値がついていて、確か2万5千円くらいで取引されてるというからどこから突っ込めばいいのやら。

 こんな話を友人にしたところ、「思い当たる節がある」と意味深な返事がされました。その友人曰く、中国国内の営業先によってはワインが出されることもあるのですが、酒に強い友人なのにたまに一口で悪酔いするワインがあるそうです。先程の偽ワインの大半は化学原料を見事に調合されて作られていると奉じられており、「多分、そういうのを飲まされてるんだろうな」と疲れた感じで友人は言っておりました。
 かくいう自分も昨日の出張先で昼間からワインを出されたのですが、乾杯用なので本当にごく一口だったものの、何故か飲み終わった後は急激に体調が悪くなりました。戦国時代じゃないんだから、いちいち毒見なんてしてられないというのに……。

2012年3月21日水曜日

震災のがれき運搬処理について

 場合によっては何人かを敵に回すかもしれませんが、それでも今回取り上げる話題は記事として残しておかねばならないと判断したのでこうして書くことにします。正直言って、まだ迷いがありますが。

「みんなの力で、がれき処理 災害廃棄物の広域処理をすすめよう」のウサンくささ(黙爺日録)

 まず今回の記事を書くきっかけになった、さりげなくチェックしている黙爺日録さんの記事を紹介しておきます。リンク先の記事では日刊ゲンダイの記事が引用されており、昨年起きた東日本大震災によってできた被災地のがれきを他の都道府県に運搬処理することについて疑義を呈しております。この日刊ゲンダイの記事を読む以前から私も漠然と考えていたことですが、このがれきの運搬処理については嘘や誇張とかそういったものではなく、全く理解することが出来ないどころか、この運搬するという行為自体に強い不信感を覚えます。また何故大手メディアはこのがれき運搬について反対しないのか、それどころかむしろ煽ろうとするのか、反対運動はもっと起きていないのか、何がどうなっているのか日本の状況がよくわからないだけにある種の怖さを感じてもいます。

 一体何故私ががれき運搬に反対しているのかというと、いくつか理由があります。まず一番大きな理由として、何故被災地で処理、もしくは集積することが出来ないのかという疑問です。日刊ゲンダイの記事でも書かれておりますが、かつての阪神大震災の際にできた瓦礫は2300万トンに対し、今回の東日本大震災は2000万トンと、岩手・宮城・福島の三県にまたがる被災地としてはその量は驚嘆に多くなく、むしろ少ない方です。またこれらの県には比較的土地が有り余っているところも少なくなくない上、地震によって被害を受けた地域などで区画整理をすることで相当の空白地を作ることも予想され、あくまで素人考えですが被災地内でも十分に対応することは可能ではないかという気がします。
 仮に被災地内で対応できるとしたら、一体何故膨大なコストを支払ってでも他の都道府県に運搬する必要があるのでしょうか。震災当初であればごみ処理場が止まっていたということでまだ理解できますが、さすがに一年を経過した今になって同じ理由を出すには無理があるでしょう。

 そして、これは正直に言いたくはないのですが運搬することによって費用のみならず放射能によって汚染されたがれきが全国にばらまかれることとなり、影響を受ける地域が広がることも考えられます。この可能性については既に震災当初から武田邦彦教授が指摘しており、下手に処理を急ぐくらいなら必要のない限りそのまま放っておき、放射能に汚染された塵が散乱しないように動かすべきじゃないと述べており、私も武田教授の意見が合理的に感じられるだけに支持します。これはもうどうしようもない話としか言いようがなく、さらなる放射能の汚染を防ぐためには可能な限りがれきなどは被災地から動かすべきではないはずだと私は考えます。

 にもかかわらず政府はやたらと、しかも熱烈に被災地のがれきを他の都道府県に運搬しようと旗を振り続けています。どっからどうみても運搬する必要性が感じられないばかりか運搬によって生じるリスクも高いのに、何故政府はがれきを運ぼうとするのか。いくつか理由は考えられますが、まず一つ目は「震災の痛みをみんなで分かち合おう」という、採算を度外視したようなメルヘンな思想じゃないかと思います。要するにがれき処理を被災地だけじゃなく全国でやることで心を一つにということですが、そのために無駄なコストと汚染を広げるリスクを負うとしたら私は絶対的に反対です。
 もう一つ、政府ががれき運搬をやろうとする理由として考えられるのは、本当に言いたくないですが利権じゃないかと思います。運ぶ必要のないものをわざわざ運ぶことで儲かる業者はたくさんおりますし、さらに政府はがれきを受け入れる自治体に対して特別な補助金を出すと発表しましたが、深く勘ぐるとこれは一種のばらまきでは、選挙対策なのではないかという気すらします。

 以上の考えは素人である自分の考えです。ただこのがれき運搬についてはどっからどう見てもこうとしか思えず、決してふざけているわけじゃなくもし合理的な理由があるとすれば誰か教えてほしいですし、むしろあってほしいと願っています。何故あってほしいのかと願うのかというと、あまりにもこのがれき運搬に対する報道が作為的過ぎており、例を挙げるときりがないですが去年の京都の大文字の送り火に使われる松にしろ何にしろ、「被災地の物を受け入れないものはすべて悪だ」とするかのような報道が異常と感じるくらいに一方的だからです。
 このがれき受入れだってそうで、「受け入れようとしない自治体が多く、日本の絆はなくなったのか」という文句をこれまでに何度見た事か。受け入れる、受け入れないの問題じゃなく、動かす必要どころか動かしてはならないものを何故動かせと報じるのか、逆意見が全くないのか、初めからどっかと結託してやっているんじゃないのかお前たちメディアはと真剣に感じるからです。

 先日、私の友人からメールを受け取りましたが、彼は去年の漢字一字は「絆」となったが、本質的には「嘘」だったのではと鋭い一言を書いておりました。また日本の政治家や官僚は本気で日本人を殺すつもりなのではと書いておりましたが、私自身もこの友人の言葉が大げさだとは感じられませんでした。
 もしかしたらただ単に私が心配性なだけでは、勘違いしているだけではとも思うのですが、少なくとも私は現時点で被災地のがれき運搬は危険極まりない行為に思えてならず、合理的な理由の説明がない限りは絶対的に反対だということを言いたく、今回こうして記録にとどめることとしました。

2012年3月20日火曜日

地下鉄サリン事件から17年を経て

 テレビなどで報じられておりますが、17年前の今日、地下鉄サリン事件が起こりました。この事件に対して私は同年代のほかの人間と比べ群を抜いて興味が強く、多少おこがましいですが最終的にこの事件をまとめて総括するのは恐らく自分になるのではないかと思っています。既にこの事件に対しては以前の「陽月秘話」時代からも何度も取り上げていて今更取り立てて新しく書くことはないのですが、改めて喚起したいのはこの事件は過去の事件だといって終わらせるべきではないということです。

 まず一番忘れていけないのは、事件の被害者は今も存在し続けていることです。この事件の死者数は13人ではありますが、死者以外にもこの事件によって大きな障害を負い、今も通常の生活が出来ない人間は数多くおられると聞いております。何もこの事件に限るわけじゃないですが、日本の社会は犯罪によって死亡こそ避けれたものの傷害を受けた人たちに対してあまりにも目が当てられていないような気がしてなりません。
 こうした被害者のほかにも未だに逃亡を続けている犯人もおり、また裁判こそほぼすべて終結したものの果たして刑が本当に執行されるかどうか危ういところもあります。

 災害は忘れた頃にやってくるとは言いますが、この事件も起こった当初はみんな地下鉄に乗る際はハンカチを持つようになったり警戒していたものの、記憶が薄れた今となっては誰もこの時に周知された対策を覚えている人たちはほとんどいないでしょう。もっともそう何度もこんなバイオテロが起こるなんてまっぴらごめんですが、私はやはり、この事件に関しては忘れてはならないし、事件が起きた頃にまだ生まれていなかった世代もどうか事実内容だけは確認してもらいたいという願いがあり、こうして今日取り上げることとしました。

2012年3月19日月曜日

メール語尾のマイブーム

 まず本題と関係ありませんが朝日新聞がまたいい記事を載っけてきたので紹介しておきます。

企業誘致、実らぬ高額補助 10年内の撤退・縮小23件(朝日新聞)

 真面目に朝日新聞はここ数年間で劇的に紙面内容が良くなっている気がします。今大騒ぎとなっている巨人の内部文書流出についてもよくぞ取り上げたと思うのですが、それに対して読売は見ていて呆れるというか、自分らだって普段から似たようなことしてるくせに「勝手に内部情報を明かした」といって警察に泣きつくのを見ていると、お前らもうやめちまえよと言いたくなります。第一、事実を事実と報じて何が悪い。

 話は本題に入りますが、今日もまた帰宅が遅かったのでどうでもいい話題です。知ってる人には早いですが毎日こんな駄々長いブログを書くだけあって普段の私は手紙交換においても相当な筆まめだと自負しております。メールを定期的に交換している相手は限られますが送られてくるとすぐに返信しますし、最近はやりませんが以前はわざわざはがきで出すダイレクトメールにも凝っていた頃もあり、自分の方から交換をとだえさせたことはありません。まぁそのかわり向こうから返事来なくなるのは多いんだけどね。

 そんなメールですが、昔からやたらと語尾に意味の分からない言葉を付けて送ることが多かったです。大学生の頃もその時期ごとにいろいろ変えてくっつけたりしてましたが、中でも印象的だったのはマクドナルドのキャッチコピー、「I'm loving it!」を、内容とは全く関係なしにつけていた頃がありました。ただあまり反応が良くなかったのと、やってるうちになんだか自分でも意味が分からなくなってすぐにやめてしまいましたが……。
 その後、就職してからはあまり語尾につけるのをやめていたのですが、最近になって何故か「フォースと共に」というスターウォーズの言葉を付けるのがマイブームとなってきて、こちらも誰彼構わずつけるどころかスカイプで話し終えた友人に対してすら口頭でこう言って回線を切るようになってます。別にスターウォーズが好きというわけじゃないですが、誰もが知っている言葉で言われた相手はほぼ確実にドキリとするので使い勝手が非常にいいです。

 またこれはメールの語尾につけませんが、ちょっと前に同僚との間で、「あなた疲れているのよモルダー」という、某Xファイルのこちらもまた有名なセリフを言い合うのが流行りました。改めて考えてみるとこういうハリウッドとかアメリカ映画のセリフというのは認知度が高いので、普段何気ないところで使ったりすると意外と受ける確率が高いです。もっとも、SAWという映画の「I wanna play game」というセリフはほぼ確実に誰もわからないし、元ネタ逝っても通用しないことが多かったですが。

2012年3月17日土曜日

二次大戦前後における日ソの外交、および戦略

 先日、「太平洋戦争の前後、ソ連のコミンテルンが日米開戦、日中戦争の長期化を図って陰謀をめぐらしていたのではないか」というテーマについてリクエストを受けたので、当時の日ソの外交と戦略についてまとめようと思います。どうでもいいですが、プロ野球で日本ハム対ソフトバンクの試合だと得点ボードに「日ソ」と縦書きで表示されるので、なんか別の戦いを連想してしまいます。

 まず単刀直入に先ほどの陰謀論についてですが、実際にどのような工作をしたのかどうかは別として、希望として持っていたという点についてはもうはっきり「YES」と答えていいでしょう。何故コミンテルン、というかソ連が日米開戦と日中戦争の長期化を期待してたのかというというと実に単純で、バルバロッサこと独ソ戦が開戦したからです。
 この後いろいろと時系列に語るので、先に年表を準備しておきます。それにしてもこの年表、そのまま順番入れ替え問題に使ってもいいくらいよくまとまっている気がします。

1939年5月 ノモンハン事件
1939年8月 独ソ不可侵条約締結
1939年9月 ドイツがポーランド侵攻(二次大戦開戦)
1941年4月 日ソ中立条約締結
1941年6月 独ソ戦開戦
1941年9月 ゾルゲ事件で初めての逮捕者が出る
1941年12月 太平洋戦争開戦

 まず見てもらえばわかる通りに、1941年6月にドイツとソ連の間で開戦しましたが、この時のソ連の一番の懸念というのはちょうどドイツと反対側の国境を接する日本の動向でした。というのも仮に日本側が攻撃してくるのであれば東側にも防衛兵力を割かねばならず、逆にその気がないのであれば全兵力をドイツのいる西側に傾けることが出来ます。
 そのためこの時のソ連は、っていっても別にこの時に限らず崩壊するまでいつもそうでしたが、世界各国にスパイを送って日本側がどのような戦略なのかを必死で探っており、その諜報員として活躍したのが上記にある「ゾルゲ事件」の名の元となったリヒャルト・ゾルゲです。このゾルゲはスパイ教本にも引用されるくらいに多大な成果を上げた諜報員で、日本側がソ連と開戦するつもりがないことはおろか独ソ戦の正確な開戦日まで調べ上げて本国に報告しております。ただその報告をスターリンが信じずに対応が後手後手になったというオチが付きましたが。

 このゾルゲ事件で注目すべきは、諜報活動に関わってゾルゲと共に死刑となった尾崎秀実の存在です。彼は近衛文麿のブレーンにも入っており、近衛に助言をすることで政策に大きな影響を与えていたとされているのですが、雑誌に寄稿した論文では日中戦争の拡大方針を唱え、長期化もやむなしという主張を展開していました。
 恐らくこの意図は、日中戦争を長期化させることで日本をソ連に向かわせないようにするのと、さらに言えば日本と国民党を戦わせて中国共産党に再起の機会を与えるという目的からだと思われます。この尾崎はゾルゲと共にコミンテルンの指導で動いており、彼らの行動からコミンテルンが日本をソ連に攻め込ませないように中国やアメリカといった別方面に目を向かわせないよう動いていたといって十分でしょう。

 ここで筆を止めても別に問題はないのですが、敢えてもう一つ問題提起をすると、では一体何故日本はこの時期にソ連に攻め込まなかったのでしょうか。はっきり言って分析すればするほどいろいろ情けなくなるのですが、ちょっとこの辺で持論を展開することとします。
 まず当時の国際状況ですが、私に言わせれば日本がアメリカと戦う方が不自然で、ソ連と戦う方がある意味で自然な姿だったように思えます。確かに当時の日本はアメリカから経済制裁を食らうなどしておりましたが、普通に考えれば戦って負けることははっきりしているし、またよくハル・ノートがアメリカ側の最後通牒で開戦に至ったという解釈が強いですが、私は和訳文面を読む限りだと最後通牒と呼べるのか、また日本側が主張しているように「返還すべき中国領土に満州も含まれていた」という説には疑問があります。はっきり言って、これでアメリカと開戦することを決断したと言われても、「えっ、なんで?」と思ってしまいます。

 逆に、ソ連についてはどうして1941年に日本は攻撃しなかったのか、非常に不自然に感じます。当時の日本とソ連は日ソ中立条約を結んで一応はお互いに攻め込まないという約束をしておりますが、その一方で日独伊三国軍事同盟も結んでおり、事実ヒトラーは対ソ戦を考慮して日本と同盟を結んだようです。
 しかしヒトラーもがっかり100点満点なくらいに日本はソ連に攻め込みませんでした。あまり仮定の話は好きではないのですが、独ソ戦の戦況を見返すにつけてもし日本が日ソ中立条約を破棄してソ連に攻め込んでいれば、また攻め込むと言わずとも攻撃する素振りを見せるだけでもしていれば、最低でもドイツはモスクワは落としていたでしょう。さすがにモスクワが落ちたらアメリカもやばいと思って参戦して最終的には連合国が勝ったでしょうが、二次大戦の終戦時期は確実に伸びただろうと断言できるくらいに日本がソ連に攻め込むかどうかは全戦局を左右するターニングポイントでした。

 どうして日本は後ろが完全がら空きで、また同盟国であるドイツへの支援を放棄してまでソ連に攻め込まなかったのか。最も妥当な理由は当時の日本の戦略は資源獲得を狙って南方に向いていたためでありますが、私が思うにそうした戦略以前にノモンハン事件の惨敗が影響しているのではないかとにらんでいます。
 このノモンハン事件について簡単に説明すると、当時の満州とソ連の間で起きた国境紛争ですが、わずか5ヶ月間で日本側の戦死・戦傷者数が1万6千人を超えるなど実態的には戦争です。近年になってこれまで考えられてきた以上にソ連側の被害も大きかったことがわかりますが、ソ連側が本格的に反撃に出てきた後半戦は完敗と言っていいくらいの大敗北を喫しております。なおこの時に日本側では以前の「陽月秘話」時代に自分も取り上げた宮崎繁三郎が善戦しており、またソ連の指揮官は後の独ソ戦におけるスターリングラード戦で勝利に導いたゲオルギー・ジューコフでした。結果論ですが、ジューコフ相手に勝てるわけないだろという気がします。

 これが日本の対ソ戦略にどう影響したのかですか、はっきり言ってトラウマになったと言っていいくらいにソ連を怖がるようになったように見え、事実ノモンハン事件以降の日本は何が何でもソ連との衝突を避けようとしています。根拠としてはこれ以降、首尾一貫してソ連との戦争を忌避するかのような行動が目立つ上、戦争末期には講和交渉の仲介を依頼するなど、終戦に至るまでもはや盲信と言っていいくらいに「ソ連は攻め込まない」と日本が信じ切っているからです。
 この辺について何度も引用して悪いような気がしますが半藤一利氏は、「最悪だと思えるケース(ソ連が攻め込んでくる)が起こる可能性を頭から否定しようとする、もしくは現実を直視しようとしない」と評してましたが、自分もそうとしか思えません。それくらいソ連を怖がっていたのではないでしょうか。

 さらに言うと、仮にそうだったら日本が日独伊三国軍事同盟を結んだ理由はなんだったのかということにもなります。この同盟はドイツとイタリアの間ならともかく、日本と両国の間では「共同してソ連に攻め込む」からこそ価値がある同盟で、初めからソ連と戦う気がなかったのなら一体なんで結んだのか理解に苦しむどころじゃありません。しかもこの同盟締結を機にアメリカの経済制裁が強まっていますし。
 何度愚痴ったってしょうがないですが、この時期の日本の外交戦略はすべてを裏目に出させるという、芸術的と言っていいくらいの無能ぶりを発揮しております。やろうったってこれだけの失敗は狙ったってできないでしょう。この記事に限らずかねがね私は主張していますが、日本は追い込まれて第二次大戦に参戦したわけではなく、頓珍漢な行動を繰り返した挙句に自ら突入していったというのが真相に思えてなりません。

2012年3月15日木曜日

重慶市トップの更迭について

 今日は帰宅が遅くなるから、家に帰ったらブログを書かずにシャワー浴びて、歌でも歌いながら眠りに落ちようと考えていたのですが、さすがに自分が取り上げないでどうするんだという中国ニュースが今日出たので書かざるを得ません。それにしてもさっき食べたマクドナルドのチキンバーガーはあまりおいしくなかったなぁ。

<中国共産党>重慶市トップの薄熙来氏を解任(毎日新聞)

 上記リンク先の記事にある通り、市単位としては中国で最も人口が多い重慶市のトップである薄熙来(はくきらい)が更迭されました。更迭理由については2月に薄熙来の部下だった王立軍副市長が何故か突然に米領事館に駆け込んで亡命を希望したことが影響しているのではと取り沙汰されていますが、はっきり言って原因はこれ以外考えられません。

 本題の話をする前に一つ昔話しますが、ちょうど一年前の今の会社に入った直後に私は上司から、「重慶の統計には気をつけろ」という注意を受けました。というのも今回槍玉に挙がっている薄熙来は常務委員(共産党最高幹部集団)入りを狙っており、実態以上に重慶市が発展しているように数字を盛っている可能性が高いということからでした。重慶市がこのところ目覚ましい勢いで発展しているのは事実なのですが確かに数字を見ると怪しいところは少なくなく、たとえば去年のGDP成長率は16.4%で都市別では全国で一番高かったのですが、本当にこれだけ成長したのか正直に言って怪しく、また重慶地元紙を中心に政府の成果をやたら強調するような記事も異常なくらい目立ちました。
 ちなみに去年の4月あたりに重慶市がパソコン組み立てメーカーを誘致する記事で、「世界のノートパソコンの半分が重慶製となるだろう」と市の偉い方が言っていたのですが、この内容を私は「~と、途方もない予想をしてみせた」と記事に書いたら上司から、「注意しろとは言ったが、途方もないというのは言い過ぎだ(;゚Д゚)」とされ、「強気の予想を打ち出した」と修正されました(´・ω・`)

 話は本題に戻りますが、こうした経緯があるなど薄熙来は中国国内でも曰くつきの人物であったことは間違いありません。それこそなにか不正を隠しているのではともメディア業界の中では言われていましたし、いくら功績を上げたからと言って常務委員入りは難しいのではと我々は話していました。
 そういう風に言っていた矢先に、先ほど述べた2月の副市長の亡命事件です。この事件は中国国内では「米領事館に駆け込んだ」という事実以外はほとんど報じられず、私の上海人の友人も凄い気になってて、「第二の林彪事件だ」などとも言っておりました。王立軍が何故領事館に駆け込んだのか、巷では重慶市の人事が変わることによっていろいろまず情報を出るのを恐れたとか言われておりますが、少なくとも現段階では何が正しいのか本当の理由を判別する手段はなく、もうしばらく時間が経たないとまずわからないでしょう。

 ただこれほどの重役が亡命を希望したとなると上司はタダではまず済むわけでなく、今回こうして薄熙来は更迭されることとなったのでしょう。一応政府報道では「重慶市書記には再任されない」とされていますが、早くも降格となり、幹部としての地位すら危ういのではないかと噂されております。
 なおこれは今日耳にした話ですがなんでも日本政府関係者は昨日まで、薄熙来は責任を追及されずに常務委員入りし、最低でも副首相になると予想していたそうです。これが事実だとすると日本の情報力は一体どうなるんだと、今日社内でちょっとした議論となりました。

 最後に王立軍の亡命についてですが、友人の言う通りに中国政府重役が亡命を求めるなんて林彪事件以来でしょう。林彪事件の詳細についてはリンク先のウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、現時点ではすでに価値を失っているものの一時期においては確かに中国共産党を揺るがす大事件でありました。
 なので以前に一度、中国版ツイッターこと微簿で怪情報を流してみないかと友人と話し、「林彪、実は生きてた」というストーリーで、「長生きの秘訣は毎朝の体操と話しており……」などとプロットを練ったことがありますが、真面目に国外追放されたらシャレにならないので実行には移しませんでした。なおこの友人は、私が「日本帰りたいなぁ」と話すと、「あそこにいる警官を殴ればすぐ帰れるよ」と教えてくれるいい奴です。

2012年3月14日水曜日

イグノーベル賞について

 本題と全く関係ありませんが、この前Yahooの質問コーナーに載っていた話で爆笑したものがありました。その質問というのは「今までに恥ずかしかったことでどんなことがあるか」だったのですが、この質問に対して寄せられた回答というのも、

「ある日同時に、「学校で着るあの黒い水着ってなんだっけ?」、「文化祭でやる喫茶店の衣装は何にする?」というメールを受信したので、「スクール水着?」と片方に返信したところ、「スクール水着で喫茶店するの!?」というメールが返っててきた」
 回答者は女性だそうです。

 話は本題に移りますが、前から気になっていたものの真剣に調べることがなかったイグノーベル賞について、今日の会社の昼休み中にとうとうウィキペディアの記事を読んでしまいました。なんで今日になって読む気になったかというと、なんか面倒くさい記事を書き終えた後でしばらく次の記事に取り掛かりたくなかったというのが本音です。

イグノーベル賞(Wikipedia)

 このイグノーベル賞はというのは知ってる人には早いですが、名前からしてノーベル賞を茶化すために作られた賞です。主に風変わりな研究とか、誰も着目しなかったけど聞いててすごいと思う発見をした人とかに与えられるもので、選定基準には全般的に皮肉や風刺が強く込められております。
 なおこのイグノーベル賞は毎年10月にハーバード大学で行われる授賞式からして徹底的に風刺が強く、「ノーベル賞では、式の初めにスウェーデン王室に敬意を払うのに対して、イグノーベル賞では、スウェーデン風ミートボールに敬意を払う」、「受賞者の旅費、滞在費は自己負担で、式のスピーチでは聴衆から笑いをとることが要求される」、「制限時間が近づくとぬいぐるみを抱えた少女が受賞者の裾を引っ張り壇上から下ろそうとするが、この少女を買収することによってスピーチを続けることが許される」など、読んでるだけで実に楽しい気分にさせられます。

 それで今回、過去にどんな人がどんな功績で受賞したのかをざらっと眺めたのですが、中にはアンドレ・ガイムというイグノーベル賞を受賞したのちに本物のノーベル賞を受賞した人がいるなど、ある意味評価はしっかりしているという印象を受けます。そんな過去の受賞の中で私がすごい、もしくはツボにはまったものをいくつか挙げると下記の通りとなります。

・1993年 数学賞 ロバート・フェイド
 受賞理由:ミハイル・ゴルバチョフが反キリストである正確な確率(710,609,175,188,282,000分の1)を計算したことから

・1994年 医学賞 患者X、リチャード・C・ダート、リチャード・A・グスタファソン
 受賞理由:猛毒を持つガラガラヘビに噛まれた患者Xが毒を取り除こうと、車のエンジンを3000rpmで5分回転させるパワーを持つ自動車の点火プラグを唇に装着して失敗した事例をダートとグスタファソンが論文で取り上げた。

・2003年 化学賞 廣瀬幸雄(金沢大学)
 授賞理由:兼六園にある日本武尊の銅像にハトが全く近寄らず糞害がなかった原因が、この像が多量のヒ素と鉛を含んで鋳造されたことにあることを突き止め、人間に害の及ばない程度のヒ素を含ませハトを近寄らせないタイルを作ったことから。

・2007年 医学賞 ブライアン・ウィットコーム、ダン・メイヤー
 授賞理由:論文「剣を飲み込む芸とその副作用」に対して贈られた。

・2007年 平和賞 アメリカ空軍ライト研究所
 授賞理由:敵兵が互いに性的魅力を感じて同性愛行為を始めるという催淫性非殺傷兵器、通称「ゲイ・ボム」に対する研究開発(実現は果たせず)。

・2009年 公衆衛生賞 エレナ・N・ボドナー、ラファエル・C・リー、サンドラ・マリヤン
 授賞理由:一対のガスマスクに素早く変形させることのできるブラジャーを発明。

・2011年 平和賞アルテュラス・ズオカス(リトアニア・ビリニュス市長)
 授賞理由:違法駐車している高級車を装甲車で踏みつぶして問題解決できることを示した。(市内で一向に減らない違法駐車に業を煮やした市長はこの年、わざわざ免許を取得し、自ら戦車を操縦して違法駐車している車を踏みつぶしている)

 なお、この賞は日本人も過去16回受賞しており、それぞれの研究成果はこちらのページにて紹介されております。また中国人による研究では、2010年に広東昆虫学研究所の研究員らによって、「フルーツコウモリのフェラチオを科学的に記録した」ことによって生物学賞を受賞しています。やるな、中国め。

 よく日本政府は科学立国だなどと言ってノーベル賞受賞者をどんどん増やそうと音頭を取っておりますが、私は真面目にノーベル賞よりもイグノーベル賞の受賞者を増やすことに努力した方がいいのではないかと思っています。というのもこれからの日本は科学技術は確かに大事ですが、それ以上に発想力というか文化力というものが重要になってくると思っており、こういった方面を伸ばす努力の方が重要度は高いのではないかと考えているわけです。

 ついでに前々から書きたかったものの中々独立して書くことができなかったものとして、以前に村上隆氏が「クールジャパンなんて世界で全然流行っていない」という内容のことを発言して話題となりましたが、私自身も常日頃からこの「クールジャパン」という言葉に酔っているのはほかならぬ日本人自身だと思っていました。これ以前からも日本人は本当に価値があるものを目の前にして、手元にありながら何故だか無視して、「いつかきっとどこかに誰もが認める素晴らしいものがあるんだ」と考え本当にあるのかどうかわからないものを追いかけるような青い鳥症候群が強いと見ており、早くにこれから脱却する必要があると感じております。なもんだからそういった何かわからないものを追いかけるような「クールジャパン」なんてとっととやめて、これからは「シュールジャパン」をキャッチフレーズに日本はやっていこうと、何故か上海で一人で音頭を取っております。