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2012年4月22日日曜日

ベアリング業界のカルテル事件について

 最近あまり取り上げてませんでしたが、またベアリング業界でカルテルが発覚したそうです。

カルテル破り、他社へ謝罪も…ベアリング4社(読売新聞)

 今回のこのベアリングメーカー四社のカルテル事件ですが、驚いたことと不思議に感じなかったことがそれぞれ一点ずつあります。まず驚いたことというのは、今回のカルテルに関わった日本精工とかNTNはそれこそ優良企業の見本とされているところで、高い技術力に裏打ちされた製品を作っていて世界的にも顧客をたくさん抱えているにも関わらずこういう小細工をしていたという事実です。次に不思議に感じなかった点ですが、ちょうどこの前にも住友電工や矢崎といったハーネスメーカーで同じようにカルテルが発覚しましたが、このハーネスといい今回のベアリングも自動車部品メーカーで、案外自動車部品に関連する業界ではどこも似たようなことをしているんじゃないかという疑いを前々から感じていたからです。

 実はこれまで私が関わっていた業界は高圧ガス、ハーネスと、二つともサプライヤーとなる大メーカーでカルテルが発覚した業界でした。もちろん在籍時は下っ端も下っ端で価格交渉に立ち会うことはありませんが、仮にそういう立場にいたとしたら「これまで散々にカルテルで不正に儲けてきたんだから、これからどれだけ負けてくれるんだ」と値下げを要求したと思います。もちろんこれは極端な行動でしょうが、現実問題としてこれらカルテルを行ってきた企業らはそういった卸価格の一律引き下げとかを要求したっていい気がします。
 しかも今回のベアリングメーカーのカルテルでは上記リンク先の記事によると、勝手にカルテルを破って値下げを実行したらほかの3社に担当者が謝りに行ってたり、支店長レベルでカルテル価格の共有化が行われたというのだから怒りを通り越して呆れて来ます。何気に日本精工からもNTNからもベアリングを小ロットだけど買ったことがあるだけに、金返せよと言いたくなってきます。

 話は戻ってカルテルの話ですが、どうも自動車の素材や部材業界では発覚している所以外でもこうしたカルテルが横行しているんじゃないかという気がしてなりません。法学部出身の友人によると、「うちは来月、値上げに踏み切ろうかな」というセリフを同業他社の担当者に洩らすだけでカルテル訴追の条件は満たすらしいですが、疑り深いだけかもしれませんがこれ以上の情報遅漏もなんかごく平然と行われているようになんかあの業界は見えてきます。
 以前にも書きましたが、住友電工の自動車用ハーネスの販売価格はエンドユーザーとなる自動車メーカーごとに初めから決まっており、エンドユーザー名を必ず伝えなければ住友電工は一切見積もりを出してきません。そりゃ大半の商品が国から輸出規制該当品に指定されているポンプメーカーのアルバックが輸出案件の際にエンドユーザーを細かく確認するというのは十分理解できる話ですし、購買側も協力しなければならないとは思いますが、あのハーネス業界の体質は冷静に考えたら価格を完全に統制しているし、そもそもなんでメーカーごとに決まっているんだと考えだしたらそりゃカルテルがあるからだとしか言いようがありません。きわどいことを書いてしまうと、既にハーネスメーカーは一回しょっ引かれていますが懲りずにまだ続けていると私は思います。

 疑いだしたら本当に切りがないですが、自動車業界のサプライチェーンというのは変に横に広い一方、複数の自動車メーカーが一つの部品メーカーに同時に発注を出すとかそういったことが多い業界です。さらに言えば自動車メーカーの号令一下で値下げを強要されることもあり、何か取りまとめしている大メーカーがあってもおかしくないんじゃないかという気がします。
 予言しますが多分、自動車関連の業界で今後もこうしたカルテル事件は摘発されると思います。前に談合をしていた建設業界の連中は、「談合しなければ企業は生き残れない」と言って、必要悪だという主張をする人が公然といましたが、競争に負けた企業が潰れるのは自然なことで、逆に潰れるべき企業が潰れなければ真っ当に経営していて効率性の高い企業が割を食う可能性があります。こんなこと言われなきゃわからない人間とは一言たりとも口を交わしたくありませが、はっきり言えば談合なりカルテルは市場を歪めるだけの行為であって百害あって一利なく、弁護する余地はありません。特に今は不景気で潰せる企業があるなら可能な限り早くに潰れてもらった方がいいという面もあり、公正取引委員会の今後の活動に期待します。

2012年4月21日土曜日

真に国会から追い出すべき政治家

【2閣僚問責】前田国交相と田中防衛相が続投を表明「責任を果たしたい」(産経新聞)

 本日、公選法違反の疑いある行為を行った前田国交相と北朝鮮のミサイル対応を含めてどうもパッとしない田中防衛相に対し、野党から問責決議版画提出されて可決されました。この問責に対する私の評価というのは、シャレや冗談とか一切抜きでこんな問責決議案を出した野党はギャグでやっているんじゃないかという気が起きます。一体何故このタイミングで提出するのか、何故こんな小物に提出するのかが全く理解できませんし、可決したとはいえ問題の二閣僚は評価こそしていませんが辞める必要はないと思います。何故こう考えるのかというと去年12月に「本当に問責を出すべき相手」の記事で書いたように、鳩山由紀夫元首相を野党がスルーしているという一点に尽きます。

 言いたいことは基本的に以前の記事と同じですが、私は今回問責が提出された二閣僚は確かに大臣を務められる人材かと問われるならば物足りなさを感じるし、可能ならば取り替えたいというのが本音です。ただ今の民主党にそれだけの人材がいるか、っていうか自民党時代の国務大臣ですら「ほかにまともな人間はないのか?」と思うくらいひどかったのを考えると、今ある政治家の中で何とかやりくりするしかないかというあきらめがつき、致命的な損害を国に与えていないというのならばしょっちゅう変えるべきではないという消極的な理由で続投を支持します。
 それよりも真に日本の国政、外交に大きな損害を与えているのは間違いなく鳩山元首相で、この前も勝手にイランに行って世界に間違ったメッセージを発信したばかりか予想されたとおりにイランに利用されており、それ以上に救えないのが本人に全く反省の色がなく「また行きたい」などと言ってのける始末です。

 私は今回の問責案が出てきたに当たって、なるべくなら同じことは言いたくないと思っていました。しかし前回同様に「この二閣僚より鳩山元首相の方こそ排除すべき」という言論はついには出なかったため、結局は自己満足にすぎませんがこうして改めて書くことにしました。
 見方によっては批判を受けるかもしれませんが、私は問責が可決されたとはいえ問題の二閣僚は先に上げた理由から辞めるべきではないと思います。そもそも今回問責決議を提出した自民党はかつて、実体のない水道代や事務所家賃を計上して公費から出される議員報酬を受け取っていた松岡利勝氏や赤城徳彦氏を問題発覚当時に罷免しなかった(赤木氏については参院選大敗後に「選挙責任」として辞職させてはいますが)という過去があります。また実際に問責決議案が可決された大臣でも、女性を「産む機械」と表現するなど人格を疑わせる柳沢伯夫氏も当時留任させており、これらの人物に比べれば今回の二閣僚は辞職に追い込まれるほどのことをしたのか非常に疑問です。っていうか自民も、自分たちのことは棚に上げて何故こんな国会を空転させるような決議を提出したのか強い不満を感じます。

 結びになりますが、頼むから誰か、鳩山元首相に対して一刻でも早く議員辞職勧告決議案を出してほしいです。これだけ問題のある人物をどうして放っているのか、何か喜劇でもやってるつもりなのか不思議でしょうがないです。

2012年4月19日木曜日

街と街の間も市街地が続く日本の街

 日本を含めて世界的にそうですが、中国の自動車市場で今一番伸びている車種はSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)です。車に詳しくない方のために説明しておくと、SUVとはでっかくてオフロードを走るような車で、現行車種だとスバルのフォレスターとか三菱のパジェロ、あと日産のジュークみたいな車を指しております。
 中国ではとにもかくにもこのSUVが売れており、ポルシェが出したカイエンという車は全国各地でバカ売れし続けててどこでも見ることが出来ます。何故SUVばかりが売れるのかいくつか理由はありますが、私がにらんでいる一番大きな要因は、中国は上海市内ならまだしもまだ地方では道路がきちんと整備されていないところが多く、普通の乗用車で走るには乗り心地が非常に悪い土地ばかりではないからではないためだと思います。そのため悪路、下手すりゃオフロードでも比較的走行することが出来て、あと見かけもでかい分だけかっこよく見えるから売れてるんじゃないかというのが私の意見です。

 ここで少し話は飛びますが、何気に世界的に見て日本の街の作りはちょっと特殊になっていると常々感じます。一体どこが特殊なのかというと街と街の間も市街地が延々と続く、なんかわけのわからないことを言っているようですがこれは世界的に非常に特殊なので今日はちょっとこの辺を説明します。それにしてもなんだか読んでて舌噛みそうな文章だ。

 話はさかのぼること数年前、私が大学でロシア語の授業を受けていた時に講師が、アルバイトでロシア人のツアーを案内した時のことを話したことがありました。その講師によると、ちょうど大阪から京都の境のトンネルをバスに乗ったまま通り抜けるところで「これから京都に入る」と言って、トンネルを抜けたところで「はい、こっから京都です」と説明したそうです。すると乗っていたロシア人が、「さっきから同じ市街地がずっと続いているじゃないか。まだ街を移っていないのでは?」と質問が飛んだそうです。言われて初めてその講師は、ロシアは街と街の間は本当に道だけで何もな野原や荒れ地が続いているだけで、日本みたいに一部を除いて住宅や店舗が続く場所は見たことがないと気が付いたそうです。

 日本、それも関東や関西では駅と駅の間も市街地が隙間なく開発されているのが割と当たり前で、地方の国道沿いとかでもショッピングモールや住宅があるのはそれほど珍しくはありません。しかしロシアに限らず中国やほかの国ではそれこそ街と街の間は本当に何もなく道だけがずっと続くところも珍しくなく、現に上海ですら近くの蘇州市などに行く途中、列車から眺める限りでは建物とかほとんど見ません。
 じゃあ何故日本は、といっても地方はロシアや中国と同じでしょうがそれはこの際置いといて、これほどまでに隙間なく開発されていったのでしょうか。一つの理由としてはやはり、平地の国土が少なく居住地が限られている中で人口が多かったことが挙がってきます。次にかつて土建国家と言われたくらいに、開発できる場所はとことん開発してしまおうと開発されていったこと。とどめに、鉄道路線の整備が早かった上にどんな場所でも正確に運航できることから通勤圏、居住圏が果てしなく広がっていったということもあるかもしれません。

 とにもかくにも日本にいたら気づきづらいですが、間違いなく日本における市街地の構成は世界的にも珍しいです。今後、日本の人口は縮小していくのは間違いないためにこうした市街地というものは徐々に中心へ向かって狭まる、ドーナツ化現象とは逆の動きが起こることが予想されますが、こうした特殊性を認識しといても損にはならないのでこうして書き残しておきます。

2012年4月18日水曜日

ルール変更に対する概念 後編

 前回に引き続き、社会ルールの変更に関する概念について思ったことを書いてきます。それにしても前回記事は調子が悪かったこともあってわかりづらいな。

 まず簡単におさらいすると、社会にははっきりと明示されているわけではないもののたくさんルールというものがあり、みんな無意識にそのルールに従って生活したり仕事をしたりしております。ただそれらのルールは時間と共に意外と変わることが多く、うっかりしていると置いてかれるということもありうるということが前回に言いたかったことです。
 ただ置いてかれると言っても、社会ルールというのは紙に書いて張り出されているものではなく、やたら新ルールを追いかけていたら元のルールに慣れた人間たちから総スカンを食らって袋叩きになることもあり、状況にもよりますがルールを追いかける上で加減というものは非常に大事になってきます。

 こうした新ルールを早くに追い過ぎた例として敢えてここで挙げると、鹿内宏明氏なんかそうだったんじゃないかとこの頃思います。知ってる人には早いですが鹿内氏というのはフジテレビや産経新聞をはじめとしたフジサンケイグループの元会長でしたが、1992年に社内クーデターに遭って経営職から解任された人です。何故鹿内氏が解任されたのかという理由についてはいろいろ説はありますが、一般的にはグループ内の企業を束ねる持ち株会社を作り統一した経営体制を作ろうとしたことに対して反発を受けたことが原因とされています。
 しかしその後のフジサンケイグループはまさにこの時の鹿内氏の構想通りに持ち株会社、フジ・メディア・ホールディングスを中心とするメディアグループが出来上がるわけなのですが、これを推進したのが鹿内氏を追い出した張本人である日枝久会長で、持ち株化を進める過程でかねてからの懸念通りにライブドアによるニッポン放送株の買い付け事件が起きたというのは皮肉以外の何物でもないでしょう。こう言ってはなんですが、初めから鹿内氏に任せておけばライブドアによる混乱も起きなかったんじゃないのというのが私の感想です。

 話は少し横道にそれましたが、基本的に新ルールには適応していかなくてはいかないものの、あまりに先を行き過ぎると失敗してしまうこともあります。ではどんな風にルールを追えばいいかが、まさにこれが重要となってきます。
 結論を述べると、ルールを追うも何もルールを作る側に回ることが一番強いです。これをは国際的に行っているのは言わずもがなのアメリカで、自分ところで新兵器を作っては危険性が高いと言ってほかの国には研究開発を禁止したり、貿易とか金融ルールを、「これがニューヨークのトレンドなんだよ(・∀・)ニヤニヤ」という具合で、偏見入っているかもしれないけど自分たちの都合のいい内容にして押し付けたりするのが異様にうまいです。ただくれぐれも言っておきますが私はこんなアメリカが好きですし、ほかの先進国も多かれ少なかれ、「自分のルールに相手を巻き込む」戦略というものを持っていると思えて、これが本来あるべき姿でしょう。

 それに対して日本、というか日本人はこうしたルール作りが非常に下手で、思考のスタートからして「どうやってルールに追いつこう」と、自らを大きく限定してしまいがちなところがあります。それこそさっきのライブドアのニッポン放送株買い付け事件も、合法だったにもかかわらず前例がないという理由だけであれほどまで総叩きくらって、日興コーディアルとかオリンパスがあの程度で済んだのに逮捕されて実刑くらうまでに制裁を受けるというのはちょっとやりすぎでしょう。
 概して、日本ではやはり保守派が異常に強すぎると言わざるを得ません。社会ルールも競争力があるとか合理性があるとかじゃなく、保守派にとって都合がいいかどうかで決まりがちだと思えますし、新分野を開拓して新ルールを作るなんて以ての外として扱われるでしょう。

 もちろん、重ねて言いますが新ルールを作ったり追従したりすることがなんでもかんでも正しいわけではありません。アメリカなんて自らが作った金融ルールによってリーマンショックを引き起こして自滅したわけですし、保守的な姿勢も伝統芸能とかそういったものを守る上ではいい面もあると思います。またなんでもかんでもルール破りを奨励するというのも、紅衛兵じゃないですけどそれはそれで破滅しか招きません。

 ではこんなことを言う自分はどんな態度を取っているのかというと、非常に傲慢ですが自分が納得するかどうかでそのルールを守るか無視するかをはっきりと決めております。その為、人によってはどうも異常に従順で安定を求めた生き方をしているようにみられることもあれば、山っ気が強く非常に反抗的な人物と両極端な評価を受けることが多々あります。こうなったのも日本における既存ルール下では不利になる立場であったため、かなり早い時期からルールを作る、もしくは改正する、果てには及ばないところに避難しなければならないという価値観を持ったような気がします。そもそも社会学自体が他の学問では自明とする因果関係をよく疑う学問なあたり、相性が良かったのかもしれません。

2012年4月16日月曜日

ルール変更に対する概念 前編

 大分昔ですが田原総一郎氏の講演会に出た時、田原氏が昔と今の政治の違いについてこう言っていました。

「高度経済成長期の日本は儲かって仕方がなく、当時の政治に求められたのは有り余るお金を如何に平等に分配するかだった。それが失われた十年に入った後は一転し、現代は労働や社会保障などといった負担を如何に分配するかが政治に求められている。無論比べるなら、お金を配る方が簡単に決まっている」

 現代政治の問題点から政治家の資質に渡るまで実に日本政治の要点を突いた一言だったので大変印象に残り、よく知り合いなどにも引用して話しております。ただこの発言内容はもとより私が真に注目したのは、時代に伴って政治のルールというか役割というのは容易に変化が起こり得るということで、今日はちょっとこの「ルール変更」について解説します。
 ルール変更というのは読んで字の如く、それまでのやり方や基準が改まるということです。それこそ何を以って社会ルールが変更したと考えるかは議論の余地がありますが、経年によるルール変更というのは概して徐々に行われることが多く、ルールが変わっている最中には全く気が付かず10年くらい経って初めて気が付く、というより分析されるものだと私は思います。

 ひとつ例にとると、現在真っ盛りの就職活動ではバブル期までいわゆる体育会系こと、上意下達の組織に慣れた運動経験者がとかく持てはやされました。それが失われた十年に入りますと就職氷河期に入って即戦力が求められるようになり、当時に実際に就職活動したわけじゃないので本当かどうかはわかりませんが、「資格を持っていると有利だ」という言葉をあちこちで聞きましたし、またボランティア活動をしていると奉仕意欲が高いと判断され受かりやすいなどいう噂も流れていました。
 それからさらに時代が下った現代に入りますと、まず資格については専門分野で何か持っていて当たり前、専門外においても何かしらあるのが常識化されているような気がします。その上でしょうもない資格については見向きもされなくなり上位資格かどうかが審議され、さらに「コミュニケーション能力」という定義の曖昧なものをどの会社も重要視するようになり、バブル期などと比べると隔世の感があります。

 これはあくまで一例ですが、これ以外にもこの10年間で当たり前だったものが見向きもされなくなり、逆に全く省みられなかったものが急激に評価が高まるという事例はたくさんあります。また評価基準だけでなく方法こと手段も改まることも数知れず、また就活を例にとるなら履歴書の書き方一つとっても数年度単位でかなり変わってきているかと思います。
 この社会ルールが変更されるということを通して私が何が言いたいのかというと、一言でまとめるのなら「昔成功したやり方が現在でも通用するわけがない」という一点に尽きます。それこそ過去の成功体験を持ってきても、、目に見えないところでたくさんのルールが変わっている今でも同じことをすれば成功するわけでなく、むしろ失敗する確率の方が高いかもしれません。

 こういった観点から私は、保守的か変革的かで比べれば後者の方がやはり強いと考えております。もちろんなんでもかんでも新しいものを追っかけて行って失敗することもあれば、かたくなに伝統を守ることで真価を発揮する分野もあるため絶対ではありませんが、一般論としてはやはり徐々に変化していくという組織や人間、果てには考え方の方がうまいこと渡っていけるんじゃないかと思います。
 言ってしまえばここで書いた内容は本当にごくごく当たり前の話で自分でもわざわざ解説するほどのことかと感じるのですが、それでも何でかこうかと思ったのかというと、政治家や実業家を初めとした責任ある立場にある人間に、ルールが既に変わっているにもかかわらずまだ気が付いていない連中が多いように感じるからです。具体的に言うのなら小泉劇場を批判していた政治家らで、あの時代を経て今の日本は自分が持つ政策論、方向性をきちんと説明しなければならなくなったにもかかわらず未だにサボっている人が数多いです。もっとも、政策論自体を果たして持っているのか、金さえ配っとけば本気で何とかなると思っているのではという人もまだ残っていますが。

 と、つらつらと書き並べてみましたが、ここから敢えて話を発展させてみたいとこの前考えてみました。具体的にどういう風にしたいのかというとずばり、「新ルールをどのように追えばいいのか」、または「新ルールをどのように作るのか」で、この点についてはまた次回に解説します。久々の前後編だ。

円安に対する解説が少ない件について

 今日も帰りが遅かったのでさくっと片づけられる内容です。その内容というのも3月から続く円安についてです。
 為替を毎日チェックしている人なら話は早いですが、1ドル70円台中盤にまで高騰していた日本円が今年3月に入ってからは急激に円安に振れ、現在においても80円台を回復したままとなっております。一時期は77円を越えていたことを考えると急激な変動ぶりと言わざるを得ないのですが、何故だかどこの経済紙もこの円安の動きについてその原因、果てには展望について解説する記事はとんとありませんでした。それこそ78円や77円を突破するごとにあれだけ大騒ぎしていたことを考えると、おかしなことこの上ありません。

 一体何故円安、80円台回復について誰も解説しようとしないのかですが、理由は簡単でこの為替の動きが日本政府による市場介入の結果だとみんな知ってて知らない振りしているからというのが、私と私の周りの意見です。っていうか、これ以外の理由を挙げる人がいるのならぜひ見てみたいしその理由も聞いてみたいくらいです。以前にも日本政府は為替介入をしておりますがここまで露骨にはしてきませんでした。それが何故今回は80円台を突破するまで、ここまで執拗に為替介入をしているのかというと、ひとえに時期が3月、決算月ということ以外にないでしょう。
 決算月には上場している企業はこの1年間の業績から総資産をすべて公開し、発表しなければなりません。また業績発表に合わせてそれまでの支払いなりの取引処理も行わねばならず、未収金なども可能な限り回収する必要があるのですが、これらの面で円高が続いたままだと輸出を多く行っている企業にとっては非常に不利になります。そのため3月に限り可能な限り日本政府は介入し、メーカーなどといった企業を陰ながら支援する必然性がありました。

 もちろんこんなの証拠なんてないし、日本政府も「やってるよー!」って正直に言ってるわけありません。ただみんな今の円安が自然な市場の動きではない上に、円安となっている根拠というか背景は全くなきに等しいです。それゆえこ政府介入は織り込み済みであることと、メディアもいちいち指摘して足を引っ張る、もとい輸出企業ににらまれたくないのもあって敢えて今の為替の動きを何も解説しないんだと思います。また今の動きはあくまで一時的だと思われますし、下手な予想をして下手こいたらかっこ悪いし。

 ただこうした露骨な政府介入について、誰一人として指摘をしないのもまた奇妙な感覚があります。世界史を選択してたくせにやけに古い日本文化に詳しい友人は以前に、「歌舞伎で舞台装置を動かしたりする黒子というのを、日本人はそこにいないものとして見えているけど見えないものとして扱う」という例を引用し、日本人は明らかに現実にあるものを時たま、全く存在しないものとして直視しない、反応しないところがあると指摘してました。なんていうか、いまの円安についても同じような印象を私は持ちます。

2012年4月13日金曜日

中国の雇用慣行

 昨日にあんなこと書いておきながら、北朝鮮のミサイルは今日飛んでしまいました。かっこ悪いことこの上ありませんが、解雇た事には公開してませんしまぁ仕方のないことです。それにしたって北朝鮮は間が悪い。

 話は本題に入りますが割と中国関連の話だと、自分の中では当たり前だと思っている内容でも知り合いの日本人に聞かせてみたら珍しがられる話が多いです。そのためどんな話が求められているのか内心よくわからないところがあるのですが、雇用慣行についてはどの人に話しても受けがいいのでちょっと解説しようかと思います。
 まずいきなり数字から出すと、去年の中国の離職率はある所の調査によると18.9%です。これは言うなれば約5人に一人が退職、もしくは転職をしたということを表しており、多分日本人からしたら相当高い印象を受けるのではないかと思います。もっとも計算方法は一部異なるものの日本の離職率も16.4%(2009年)なので実際にはそれほど差がないのですが、日本だと離職する人間というのは見え辛いというか隠すところがあるからかな。

 話は戻しますが、率はともかくとして中国では転職は頻繁に行われており全く珍しいものではありません。それこそ20代で5社くらい経験している人もいれば一年ごとに会社を変える人もいますし、日本とは違って社会全体で会社を辞めるということにためらいがありません。一体何故これほど転職が多いのかというとまずキャリアアップを目指す人が多い上、男性と比べればそりゃハンデはありますが女性でも出来る人は昇進できることもあり、現状より高い給料を用意してくれるというのであれば明日からでもと言わんばかりに転職に打って出てきます。日本でも最近になってキャリアアップを目指した転職が増えては来ておりますが、それでも中国と比べれば受け皿の面といい、まだまだ未発達と言わざるを得ないでしょう。

 その上で中国、というより日本独特の雇用習慣による違いも大きく影響しております。断言してもいいですが日本の雇用習慣の方こそ世界から見れば珍しく、無期採用が基本となっております。これに対して中国を初めとする世界各国は基本的に有期採用ことあらかじめ雇用期間を労使双方で定めて雇用契約を結ぶのが基本となっており、自分も現在の会社とは去年に1年契約で入社し、今年また更新をして現在も残って働いております。イメージ的にわかりやすいのはプロ野球選手の契約で、毎年のシーズンオフに年棒や契約期間を球団と交渉して決めるように、中国では会社と従業員が雇用契約について個々で話を持ち合います。
 もちろん1年契約を結んだからと言って被雇用者はプロ野球選手みたいに他球団へ自分の意志で移籍できないようにプロテクトされるわけではなく、また雇用主側となる企業側も何が何でも1年間は雇い続けなくてはならないというわけではなく、それぞれの都合によって期間中に転職することもあればリストラすることもあり得ます。私の感覚だとこれら有期契約は、「これから1年間はこの給与額で固定する」というような意味合いの契約で使われているような気がします。そのため契約が終了する時期というのは双方にとって給与額を変更するチャンスでもあり、プロ野球選手同様に「残ってやるからには給与を上げろ」とか、「ミスが多いから来年の基本給は10%減」などという熱い議論が交わされたりします。

 日中双方の雇用契約を体験した自分に言わせると、やはり中国、というより国際式の雇用契約の方が自分には馴染みます。日本にいた頃はそれこそ何をやっても給与額が変わるわけでもないですし、自分なんか仕事の少ない部署にいたものの同期は忙しい部署で働いてて、これで同じ給料をもらうというのはなんだか気が引けるように感じていました。もっとも今いる会社も日系なので、新たに担当する仕事が増えたからと言ってすぐその場で給与額が上がるわけじゃありませんが、契約更新の際に給与額を見直すチャンスがある分、アピールの仕方とかそういうものを常に考えられるので気持ち的にはなんか前向きになれます。
 ただ今年の自分の雇用契約について言うと、去年は新人ながらそこそこ頑張ったし多少胸の張れる功績も挙げられたという自負があったので、ジャイアンツの杉内選手みたいに契約更新時にはちょっと強気に出て、なるべく多くの昇給を勝ち取ろうと意気込んでいたのですが、契約更新月の前に上司に突然呼ばれ、「契約更新前だがお前の給与は上げておいたからな。また頑張ってくれよ」と言われてしまいました。自分も自分で「はい、ありがとうございます(;´∀`)」としか言えず、結局給与交渉に望むことなく自動的に契約更新となってしまいました。昇給額は極端に低かったわけではありませんが目標額は下回っており、感謝はしてますがなんていうか先手を打たれた気持ちでいっぱいです。向こうの方が一枚上手でした。