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2012年9月19日水曜日

尖閣諸島の帰属をめぐる歴史と論点

 コメント欄でリクエストを受け取ったので、今日は久々に反日デモの話と切り離して尖閣諸島の帰属をめぐる歴史と日中が主張する論点をまとめようと思います。それにしても記事カテゴリーは「中国のはなし」ではないにしても、「社会のはなし」とするか「歴史のはなし」とするか、「政治のはなし」とするかで迷いました。こんなに候補が出るのは多分初めてだろうな。
 早速本題に入りますが、まず出典というか参考にしたサイト2つを先に紹介することにします。

尖閣諸島の領有権についての基本見解(外務省)
尖閣諸島の領有をめぐる論点―日中両国の見解を中心に―(国立国会図書館外交防衛課)

 両者ともに書かれている内容は完全に一致しておりますが、国会図書館の方が論点などきれいに整理されて詳しいのでそこで書かれている内容をブログ形式にざっくり紹介することとします。

 まず明治自体以前の尖閣諸島の歴史に簡単に触れますが、日本と中国それぞれの古文書に出たり出なかったりしておりますが、少なくとも島の存在自体は両国ともに認識していたようで、沖縄や台湾の漁師たちが上陸し合っていたようです。ただ中国の新聞とか産経新聞が江戸時代くらいの資料を引っ張り出してそれぞれ尖閣諸島が書かれているのを見て、「昔からうちの物だ!」と主張し合ったりしていますが、私の意見を書くとそもそもこの時期は両国ともに現代、敢えて専門的に言えばヨーロッパのウェストファリア条約締結後に生まれた「国家」という概念が出来ておらず、議論するだけ無価値だと考えています。というのも領土線というのは国家と国家、さらに言えば国を代表する政府間で初めて出来上がるもので、当時は国家でもなく領土交渉すらなかった徳川幕府と清の時代のことを言い合うのは不毛でしょう。

 となるといつごろからこの議論を見るべきなのかは、やはり日本が正式に国家となった明治時代以降の取り扱いです。この頃だと中国も阿片戦争にやられて西洋から不平等条約を叩きつけられるなど、体面としては一応西洋式の国家橡を持つようになったと私は判断しています。
 そんな国家となった日中の間で最初に尖閣諸島の論点となるのは日清戦争、それも領土交渉も含まれた下関条約締結前後の取り扱いです。ここから双方の主張が食い違ってくるわけですが、日本の外務省によると日清戦争が行われている最中の1985年1月、尖閣諸島を清が支配していないことを確認した上で日本の沖縄県に編入したと主張しています。一方、中国は尖閣諸島は下関条約以前から清が支配しており、現在の台湾省に含まれていたと主張しています。

 ここが重要なので詳しく二度書きしますが、この時期に日本は尖閣諸島が沖縄県に所属するのに対し中国は台湾省に所属すると主張し合っているわけです。ただこの後の1985年4月、日清間で下関条約が結ばれて台湾は正式に日本の植民地となるわけですが、中国側はこの時に尖閣諸島が台湾と一緒に初めて日本の領土に入れられたと言っているわけです。

 その後、日本の明治政府は1900年に古賀辰四郎という実業家に尖閣諸島を無償貸与し、古賀も開発を進め尖閣諸島には一時期200人を超える島民が居住したそうです。その後、古賀は長男に島の領有権を売却しましたが、戦時中の1940年代前半に開発事業は中止され無人島となりました。ここら辺は全部ウィキペディアからの引用となりますが、その後の島の領有権は古賀の長男からその妻へ、その妻から知人である埼玉県内の人物へと移り、今月に日本政府がこの人物から買収する形で国有化されることとなったわけです。

 ざらっと明治以降の尖閣諸島の歴史を追ってきましたが、日本側はこのような背景から明治の編入以降、尖閣諸島は一貫して日本の領土だったと主張しているわけです。これに対し中国側の主張ですが、

・尖閣諸島は下関条約以前に台湾に所属していた
・日本はサンフランシスコ平和条約で台湾・澎湖諸島の領有を放棄した
・尖閣諸島は元々台湾に所属していたのを日本が勝手に沖縄県所属に変えていた
→だから台湾と一緒に、尖閣諸島の領有権もこの時に放棄されたはずだ!
→台湾に所属するのだから、領有権は中華人民共和国にある!

 あくまでも素人意見で間違っているかもしれませんが、少なくとも私の理解はこんなところです。ポイントとしてはやはり、尖閣諸島が沖縄県に所属していたのか、台湾省に所属していたのかといったところでしょうか。

 ただこの流れは日本側の主張に出てくる中国側の姿勢であって、こんだけ書いておきながらですが少なくとも一般の中国人の尖閣諸島に対する認識はちょっと違うんじゃないかと思います。じゃあ中国人は何を根拠に尖閣諸島の領有権を主張し日本の非道を訴えているのかですが、少なくとも周りの中国人や中国のネットで出ている意見を読む限りだと、二次大戦後に米軍が沖縄を統治し、1972年に日本へ返還される際のどさくさに紛れて編入された、と考えているようです。まだ細かく検証していませんが、少なくとも1945年の終戦までは植民地である台湾と共に尖閣諸島は日本の領土であったが、終戦直後にこれまた台湾と共に尖閣諸島は中国の領土になったと考えているんだと思います。ただ無人島だったのをいいことに、台湾に所属していた尖閣諸島を日本は1972年の沖縄返還時にちゃっかり「沖縄県所属の離島」として編入して実効支配を始めた、と考えているようです。更に言えば、この編入は日米が手を組んで確信犯で行った策略だ、あいつらは汚いなどという主張も見受けられます。
 ややこしいのでちょっと時系列にして下記にまとめます。

  中国が主張する尖閣諸島の帰属
・1895~1945年:台湾と共に日本の植民地
・1945~1972年:台湾所属の離島(この時は日本も何も言ってこなかったと考えてる節あり)
・1972年以降:台湾所属の中国領土だが日本が実効支配

 あまり日本のメディアでは見受けられないのですが、やはり中国人は尖閣諸島問題において1972年の沖縄返還を最大のターニングポイントとして非常に重要視ししているように見えます。まぁネタ明かしをすれば、1970年代後半になってから中国が領有権を主張し始めたことからこういう主張になったのでしょう。更に言えば中国、これは韓国もですがどうもこの二ヶ国は「植民地という制度自体が無効」という価値観を持っているので、尖閣諸島は台湾所属の植民地だったのだから日本人が住んでようが、地権者がいようがそんなの無効だとも思っているのかもしれません。

 お粗末な内容ですが以上が自分なりの尖閣諸島に関するまとめです。はっきり言ってにわか仕込みの知識で書いたので間違っているところとかあれば存分にご指摘ください。

2012年9月18日火曜日

平成史考察~たまごっち(1997年)

 以前にイグノーベル賞について記事を書きましたが、その記事では紹介しなかったものの1997年にバンダイが発売した携帯おもちゃ「たまごっち」が、「数百万人の労働時間を、仮想的なペットの飼育に転換した」という点が評価され受賞しております。

たまごっち(Wikipedia)

 知ってる人に早いですが携帯型ペット育成おもちゃの先駆的作品のこのたまごっち。仕様を簡単に説明するとキーホルダーくらいの大きさに表示画面と3ボタンがついており、画面上でドット絵のペットにエサをあげたりトイレの世話したりするゲームなのですが、発売当初はそれほど話題にならなかったものの徐々に口コミから広がっていき、大ブームとなった1997年にはどの店でも品切れが続き、白色など人気色は高値で取引されるほどの社会現象とまでなりました。
 当時の状況について私の記憶するところをまとめると、それこそ玩具店では入荷するや購入希望者に整理券を渡して抽選を行って販売したり、中古品が1個数万円で取引されてたり、学校とかで持っているのを見せるとそれだけで自慢になったりと、なんていうかゲーム自体を楽しむことよりも持っていることが一種のステータスとなっていた気がします。現に私自身も親父か姉貴がどっかから仕入れてきたのを遊んでみましたがそれほど楽しいとは思えずすぐにやめてしまったものの、「俺んちたまごっちあるんだぜヽ( ・∀・)ノ」などと学校で妙な自慢はやってました。

 このたまごっちが発売された当時のバンダイの経営状況ですが、はっきり言ってしまえば非常に悪かったです。経営状況が思わしくなかったことからゲームメーカーのセガ(現セガサミー)との合併案も実現直前まで進んで両社ともにその内容を発表するほどだったのですが、そんなときに降ってわいたかのようにこのたまごっちが大ブレイクしたことによって、社風が大きく異なっていたことなどもありますが最終的に合併案は破断となったと言われております。

 ただ合併案を吹き飛ばすほどの強烈なブームを起こしたたまごっちですが、ブームが過ぎ去るのも異常に早かったです。売れていることから大増産を行った矢先にピタリとブームが止んでしまい空前絶後と言っていいほどの在庫をバンダイは抱えることになり、1999年に45億円の赤字を計上するに至り倒産の危機へと追い込まれることとなりました。それにしても赤字45億円でピンチっていうんだから、今のシャープ、ソニー、パナソニックの赤字額がどれだけ巨額かというのが良くわかる。
 その後、たまごっちはブームの顛末を見極めきれなかった商品として歴史に名を残すはずだったのですが、2004年頃からたまごっちを知らない子供たちの間で再びブームに火が付き、なんと奇跡の再販売が行われることとなりました。もちろん中身などは一新されていますが、大きく仕様を変えずに再ブームに成功した商品として見るならば稀有な一例と考えてもいいと思います。

 このたまごっちがどうしてブームとなったのか私なりに分析すると、やはり手間がかからずそれなりに愛情を注げる対象だったからじゃないかと思います。というのも中国の新聞にまで書かれていてちょっと悔しい思いをしたのですが、現在の日本では子供の数よりペットの数が多くなっており、勝手な憶測ですがそれほど手間がかからずかわいがれる存在への需要が1997年の第一次ブームの頃に潜在的にあったような気がします。
 それと現在でこそ「育成ゲーム」というのは一つのジャンルとして定着しておりますが1997年にはまだ少なく、それ以前にあるものでパッと今挙げられるものだとスーパーファミコンの「ワンダープロジェクトJ」くらいしか浮かびません。ほかにも挙げるとしたら、同じ1997年にはプレイステーションで「がんばれ森川君2号」という全国の森川君へのからかいネタとなった異色作があることはありますが。

 ただやっぱり、育成ゲームというジャンルと携帯ゲームというのは相性がよかったのでしょう。その後も「ポストペット」や「デジモン」など似たようなものも出てきましたし、上に挙げた据え置き型育成ゲームとは一線を画すものがある気がします。

反日デモによる日本人社会への影響

 三日連続で反日デモネタです。今日はいわゆるXデーとして昨日からまたえらく騒がれていましたが、上海に限れば領事館周辺で相当数が集まるデモが起こったものの、あくまで平和的な行進に留まり石投げたりとかそういうことはなかったそうです。ただ地方はこういうわけにもいかず、先週末同様に領事館とかにあれこれ物が投げられたそうで、物騒な状態が続いています。

 さて昨日は進出している日系企業に関するネタを書きましたが、また今日も取材予定だった日系企業の開業式典がキャンセルとなり、今週はオフィスでずっとデスクワークとなることが確定しました。上海市に限れば別に開業式典などを開いても影響はないと断言してもいいのですが、話を聞いているとやはり東京本社から何か騒動があったら大変だというブレーキがかかって中止にしているようです。確かに現場(上海)にいる人間ならともかく、日本だと繰り返し放送されるあの映像を見ていたらこういう判断を取るのも仕方ないでしょう。

 話は変わって今日はちょっと中国にいる日本人社会の状況について少し話しますが、実は昨日、会社の同僚と子供の登校について話をしました。子供と言っても自分のではなく同僚のですが、なんでも先週から通っている幼稚園で日本人の男の子がずっと休んで来なくなったそうです。もちろんこの反日ムードを警戒してのことですが、今週に入ってからはほかの家でも同じように休ませるところが出ており、ある日本人学校なんか今日は完全休校となっています。こうしたことからその同僚の家でも子供を今日幼稚園に通わせるか議論となったそうですが、さすがに過度に気にし過ぎだとして結局通わせたそうです。なお当の子供は、なんで友達がずっと休んでいるのか理由がわからないという様子だそうです。

 さすがに幼稚園とか小学校では、「やーいお前の親、にほんじーん!」なんていじめられることは有り得ないでしょうが、有り得ないとわかりつつも在中日本人社会の間では不安が広がっています。既に家族に対して帰国命令を出す日本企業も出ているそうですし、私個人的にも早くこういうムードがなくなってほしいと願っています。
 その上で敢えて日本に向かって言わせてもらうと、無意味に中国を煽るような行動は頼むからやめてほしいです。今日も福岡にある中国領事館に発煙筒を投げ込んだ人が現れましたが、発煙筒を投げ込んだところで尖閣諸島が完全に日本の物になるわけでもなく、ただ無意味に中国人の感情を逆撫でするだけです。この事件は中国でもバッチリ報じられておりますが、こうしたことが続けば中国にいる日本人の危険性が高まる可能性があるだけに余計なことは本当に慎んでもらいたいです。

 ちなみに昨日の記事で書きそびれていましたが、今回のこの騒動では中国当局は比較的取るべき対応は取ってくれたなと私は評価しております。デモ自体は禁止にせず容認しましたが、大使館や領事館周辺にはそれこそ千人規模の警察を動員して警護に当たってくれて、この点に関しては素直に感謝したい気持ちを持ちます。もっともだからと言って気を許せるほど甘い国ではないんですが。
 あと最後に蛇足ですが、今月から来月にかけては日本製品のボイコットが続き、関連企業では販売量が大幅に落ちることが予想されます。特に自動車ではドイツ系メーカーに比べて日系はこのところ中国市場で伸び悩んでおり、結構深刻な打撃を被ることになるでしょう。ただここだけの話、毎月何%販売台数が伸びたとかいう記事は書く方からするとやりづらく、むしろ「○○の影響で大幅に減少した」っていう理由付けがあると非常に書きやすくなるので、自分の仕事的にはやりやすくなるなぁと漠然と考えています。と言っても今月から担当分野変わっているから自分が書くわけじゃないんだけど。

2012年9月17日月曜日

反日デモに対する日系企業の対応

 昨日に引き続いて中国の反日デモネタです。日本のメディアでもあれこれ報じておりますが、こちらでは週を開けて工場や店舗の閉鎖を発表する企業が続出しております。自分の周り、というより仕事にも既に影響が出ており、今週に取材に行く予定だった日系企業の開業式典が次々と延期しており、展示会に出展する企業に至っては、「展示会には出ますが取材は受けられません」という何のために来るんだと言いたくなるような発表をする企業まであります。それも一社だけじゃなく複数社も。

 このほか伝え聞く情報によると、既に駐在員の家族、または駐在員を含めて帰国命令を出している企業もいるとされ、再来週から国慶節の長期休暇が始まりますがそいつと合わせて丸々休みにしてしまう会社も出ているそうです。あと明日が満州事変の勃発日であることからいわゆるXデー、今まで以上に大きなデモや暴動が起こる可能性があるとして大使館なども注意喚起を行っています。
 ただ今日うちの編集部内で出た意見をまとめると、確かに明日は記念日的な日ではあるものの平日であることから先週末ほどの大規模なデモにはならないんじゃないかというところに落ち着きました。一応うちの会社でも営業は外出禁止、編集も自宅作業可(自分は出社するが)と通達して備えてはいますが、場所が上海なだけによっぽど挑発的な行為をデモ隊の前で行わない限りは心配するようなことはないと考えています。

 それにしても今回のこの騒動、昨日の記事にも書きましたが勤務地が上海だからこうしてお気楽にしていられますけど、これが地方、それも内陸の都市だったら自分もあれこれ焦ったことでしょう。割と日中の経済関係についてこれまで楽観視した意見を発信してきましたし、2010年の中国人船長による尖閣諸島接近、拿捕事件の際も中国投資は減らないと断言してましたが、今回ばかりはちょっと自信がないです。一気に投資が引き上げられることはないでしょうが、投資計画の延期とか駐在員数の削減などは行う企業は出てくるかもしれません。折悪く今年から外国人駐在員に対しても中国は社会保険料を徴収を開始し駐在コストが高まっていることから、ある程度減る恐れがあります。煽りを食うのは日系の飲食店等ですが、あくまで個人的な感想ですが、既に今日一日だけでも街中で見る日本人は急速に減った気がしてその影響は計り知れないかと思います。

2012年9月16日日曜日

上海の反日デモの状況

 当初は儲けている業種と儲けてない業種の話を書こうとしましたが、期待しているというか聞きたい人も多いと思うので、昨日に上海に戻ったので反日デモ関係の話を書きます。
 まず簡単に今の私の状況を書きますが、昨夜飛行機で上海に帰り現在はこっちの自宅でくつろぎながらブログを書いてます。昨日は空港から地下鉄で自宅最寄駅まで帰りましたが、地下鉄車内で敢えて電話をかけて割と大声で日本語で話をしましたが、特段周囲からにらまれたりするようなことはありませんでした。夜遅い時間帯だったからかもしれませんが、少なくとも日本語で話をするだけで、日本人だとわかるだけでいきなり殴られたりすることは上海ではありません。

 開けて翌日の今日、会社の同僚が今朝に上海にある日本領事館前に行ってきたので話を聞きました、まず早くから民間のバスをチャーターしてまで武装警察が次々と集結し、領事館を守るべく陣営を築いたそうです。その後、午前中にデモ隊がやってきたそうですが領事館前の通りを通過することは一回、しかも立ち止まらないように指示されており、特に石投げたり殴り合ったりというような派手な行動はなく平和的なデモだったそうです。自分もちょっと行こうかなとか思いましたが、会社からも不用意に近付かないように言われていたので今日は仕事終えた後はまっすぐ帰りました。もっとも、こんなこといったら同僚はどうなのかって話ですけど。

 あくまで私個人の印象ですが、少なくとも上海市内であれば日本で報じられているような揉め事はないんじゃないかと思います。上海の人は比較的所得も高ければ文化度も高く、商売と政治をきちんと分けられるため多少の嫌がらせはあるでしょうが暴動に押し入られるようなことは恐らくないでしょう。
 ただこれはあくまで上海、または警備の厳重な北京限定の話であって、日本でも報じられているでしょうが南部や内陸の都市では話は変わってきます。湖南省長沙市にある平和堂(アルプラザ)とかしこたまやられたそうですが、仮に自分の赴任地がこういった都市であればさすがに危機感を覚えた事でしょう。そういう意味では今の中国は日本人にとって危険かどうかというなら、やっぱり危険と言わざるを得ません。

 しかも今後の展開を考えても、あまりいい状況ではありません。既に報じられている通りに丹羽大使に代わって来月から中国大使に就任する予定だった西宮大使が急死し、恐らく日中双方で後任人事を巡ってかなりドタバタしていると思います。さらに上に書いてある通りに中国政府は今回の反日デモに対して武装警察を大集合させるなど相当に手を回してくれていますが、穿った目で見るなら来月に開かれる中国共産党中央党大会の前にドタバタが起きてほしくない時期であるからこうするのであって、党大会が終わった後はどうなるか、それこそ「こんな大事な時期に余計な騒動起こしやがって」というノリで報復措置を取ってくる可能性もあります。それだけ今の中国は、この前に習近平が姿を表さなくなって大騒ぎしたように非常にピリピリした状況にあります。

 最後に個人的な感想として、日本人が気を払わなければならないのは長沙市など内陸などの都市で暴動のようなことをしでかす中国人よりも、上海で平和的にデモを行った中国人だと思います。暴動みたいに暴れる中国人はこう言ってはなんですが反日とかそういった政治思想はあまり関係なく、ただ単に社会に不満があって暴れているようにしか見えず、また所得水準もそれほど高くないでしょう。翻って上海の平和でも集団ですが、こちらこそがまさに日本製品を購入しているメインの層で、彼らが日本製品をボイコットしたり冷静に日本を批判したりすることが一番の痛手です。もっとも対処法ったって、ほとぼり冷めるまで待つしかないというのが今の状況ですが。

2012年9月15日土曜日

不況下の空気の違い

 先日に友人がスペインに旅行に行ったのですが感想を聞いてみたところ、「明るかった」というのが第一声でした。知ってる人には早いですがスペインは現在、若者の半数が失業中で景気的にも日本と比べて絶不調真っ盛りです。まぁそれをいったら私なんかいつも、日本の景気は世界的に見れば好景気もいいところだと常々言っておりますが。

 どのタイトルの記事か忘れましたが私は以前にいくら景気が悪いといっても気分まで暗く落ち込む必要はないのに、何故か日本人は毎日生活できるだけの収入があるにもかかわらず「人生が充実していない」などと言っては自分を卑下したりするところがあると指摘しました。仮に明日食べるパンがないならさすがに自分も焦りますが、そこそこの贅沢、そこそこの生活であれば日本だとそれほど難しくないにもかかわらず、この一週間テレビを見ていてもやたらと苦しさをアピールするというか、これも前に書きましたが、苦しんでいる(と自称する)自分に酔っているように私は感じます。

 もっとも、なんで日本人はこんななのかというのは単純明快で原因ははっきりしており、ずばり言えば比較基準が高すぎるからということにつきます。平均的な収入、平均的なライフラインというものを日本人は明らかに他国より気にして、平均以下は上から下まで全部一緒で劣等、平均以上でなければ人に非ずみたいな心情がやけに強く、他人は他人、よそはよそと割り切れないところがあります。
 その点でスペインなどはわけが違います。友人によると、もう向こうでは若者が自立して生きていくことなんか不可能だと割り切っているらしく、結婚後も親と同居してすねかじりながらも生きてるそうです。日本もそう遠くない未来にこういう割り切りができるようになるかもしれませんが、そう考えるとまだ追い込まれ足りてないのではないかと思えます。

 最後に繰り返しになりますが、いくら全体景気が悪いからと個人が気分を落ち込ませる必要性はまったくもってありません。しかも景気が悪いといっても儲からない企業もあれば儲けている企業もあり、不景気な業種ばかりに目を向けるというのも不健全です。
 っというわけで、次回あたりに今も受けている業種をいくつか紹介しようと思います。

2012年9月14日金曜日

日本に帰って思うこと

悠々自適 マレーシア在住記☆

 いつもコメントをくれているれすりーちょうさんがブログを新規開設しましたので、このブログとも相互リンクを結びました。一方、フリーダムさでは右に出るものがない友人のブログ(二件)はここ一年更新が全くないので、思い切ってもうリンク切っちゃいました。前からもういいとも言われてましたし。またフリーダムさに磨きをかけていつかきっと帰ってくることでしょう。

 昨日はそのフリーダムな友人とは別の友人と幕張で合流し、千葉ロッテと日本ハムの試合を見に行った関係でブログを更新することができませんでした。友人が面食いなためか斉藤選手贔屓だったので二人とも千葉県民でありながら日ハム側外野スタンドで観戦しましたが、五回までゼロ行進という行き詰まる投手戦だったのが後半は毎回点数を入れあう猛烈な猛打戦と化し、最終的に六対六のドローという結果になりました。見ている側としてはホームランも飛び交って白熱したことから非常に楽しかったですが、途中まではレフト守備の中田翔選手の尻ばっか見ていて、無駄にデジカメで撮影してたりしました。

 話は変わって日本に帰国して一週間経ちリアルに明日また上海に戻りますが、変な意味で中国になれたというべきか、日本で生活していていくつか違和感を感じるところがありました。
 まず一番感じたのは建物の高さ。中国は日本と比べて地震とか気にしなくていいためか、商業ビルはもとより住宅用マンションでも高さが半端なく高く、なんか日本の建物がどれも小さすぎるような気がして気分的に自分がでっかくなった気がしてなりません。特に個人的に衝撃だったのは、昨日行った幕張は中学高校と合計六年間も嫌々通った場所で、自分の中では高層ビルが比較的多い場所だというイメージだったのですが、今の自分からしたらホテルにしろ担保にかけられるシャープ本社ビルも、「こんなちっちゃくて容積率とか大丈夫?」と本気で感じました。

 建物同様、日本人の体格に関してもなんだか小さいような印象を受けました。かつていた北京市内と比べれば日本人の方が男女ともに体格は上でしたが、上海と比べると男はほぼ同じ程度であるものの、女性に関しては明らかに上海女性の方が上であるという印象を受けます。
 また体格は同じくらいでも、あくまで私の印象ですが日本人は全体的に猫背であるのに対し、中国人は割かし背筋が伸びていることもあって上背というか目線が高いような気がします。なお知ってる人には早いですが私は高校時代にわけのわからない実験、ぶっちゃけていうと背中に雑誌挟んで背筋を伸ばす妙な訓練をやったせいか冗談抜きで猫背ができないくなり、傍から見ても異常なくらいに背筋が伸びているのですが、なんか電車に乗っていると同じくらいの身長の人に対して見降ろすような視点になっているのではとはたと気が付きました。上海じゃこんなこと感じないのに。

 あと非常に細かい点を挙げると、テレビのCMに番組宣伝が異常に増えているように思え、逆に半年前に多かった外国車のCMが減ってる気がします。単純にスポンサーがつかないんでしょうが、これは以前家電メーカーの知り合いにも言いましたが、今テレビが売れない原因の一つは単純にテレビ番組がつまらない、いいテレビを買ってでも見ようと思う番組がないというのも大きい気がします。そういう意味では家電メーカーも、もっと内容を吟味してスポンサーになればいいのではと思わずにはいられません。