ページ

2013年2月20日水曜日

HSK問題集にある謎の文章

 HSKと聞いてパッと反応できるのは中国と縁のある人。このHSK、英語で言えばTOEICやTOEFLに当たる、中国語能力試験を指します。中国語で書くと漢語水平考試。

 このHSKは昔、初・中級が1~8級、上級が9~10級で二種類の試験に分かれており、級の数字が高いほどレベルが高くなる仕組みで、留学中に私は7級を取得しております。ただこのテストは数年前に方式が変わり、現在は1~6級の6段階になり、前回は一回当たり2種類のテストでその成績によって級が決まりましたが、日本で実施されている英検同様に各級ごとに6種類のテストが毎回実施されるようになっております。

 ひとつ前の記事に書きましたが、自分の会社が設立されるまでのこの2週間は特にやることがなかったので、今まで受けた事もないのだし来月に実施される新HSKで級資格を取っておこうと勉強をしておりました。受けるのは上海で新聞翻訳の仕事をしていたのだから最上級の6級、と行きたいところですがいきなり落ちたらちょっとカッコ悪いので、今回はひとまず5級を受けることにして既に申請も済ませております。
 そんなわけで今現在、やることもないので問題集をちょくちょくやっているのですが、なんていうかいろいろ気になるというか変な文章が問題に出されてます。一つ具体例を挙げると、

 ”ある所に小鳥がいて、木のてっぺんまで上りたいと思いつつも実際に飛ぶことが出来ませんでした。そんな小鳥を見て牛は、「僕の糞を食べなよ。そうしたら高く飛べるよ」というので実際に一口食べてみたところ一つ目の枝にまで飛ぶことが出来て、二口で二つ目の枝、三口目でてっぺんまで飛ぶことが出来ました。しかし小鳥がてっぺんまで飛ぶや、猟師に鉄砲で撃たれて死んでしまいました。”

 どこから突っ込もう、というのがこの問題文の感想です。いくら何でもフリーダム過ぎる問題文です。
 これ以外にも(;゚Д゚)エエーって思うような問題文がいろいろあるのですが、全体的な特徴として一つ感じたのは、やたら「チャンスを逃すな」というような問題文が多い点です。「その若者は目の前のチャンスを気づかずに通り過ぎた」とか「準備を続けた物がチャンスを得る」というようなテーマの問題文が多く、文化の違いからか日本語の問題文とは異なる印象を受けます。

会社設立完了も……(;一一)

 中国から帰国して2週間+1日の今日、ようやく自分の会社の設立手続きが完了しました。これまで名刺も作れなかったのでこれでやっとおおっぴらに営業できるとワクワクしてまずは法人口座を作りに三菱東京UFJ銀行へ行ったところ、自分の持ってきた登記事項証明書では対応できない(より詳細なものを発行する必要がある)と断られてしまいました。別にこれだけなら法務局行ってくりゃいいだけなので何とも思わないのですが、そうした必要書類を全部提出した上で口座開設にはさらにあと一週間かかると言われました。

 個人名義の口座ならその日中にさっと作れるのになんでだといろいろ言いたいのですが、どうも振り込め詐欺への対策強化のため、どこの銀行でも同じように審査に時間をかけているらしいです。それにしたって一週間、三営業日もあれば審査には充分だろと言いたいのですが末端の人に言っても仕方ないのでそのまま帰ってきましたが、そもそもそういった審査をすることで果たして対策に効果があるのか強く疑問です。それなら法人登記の際に代表者、社員の過去の犯罪経歴などを調べた方が効率がいいような気がします。

 そんなこんだでむかっ腹立ちながら、じゃあ先に携帯電話を契約しようとウィルコムのアンテナショップへ向かいました。実は帰国から大分経っているのに今まで携帯電話を契約してこなかったのですが、そうした理由というのもウィルコムが今法人向けにキャンペーンをしていて、事務手数料をただにするほか基本使用料をずっと半額にしてくれるということだったので、不便を覚悟で今まで我慢してました。ついでに言うと、こっちで再会を約束していた面々とも、携帯電話を契約してからきちっと連絡しようと今まで控えてきております。
 ここまで書けば分かるでしょうが本日、契約できませんでした。理由は法人口座がまだないためです。サービス案内冊子には代表者名義の口座でいいとか書いてあるのにいざ行ったらダメとか言われて、「一体何なんだよこの国の手続きの遅さと制度の温さは」とリアルに門前で怒鳴りながら出てきました。八つ当たりで言っているのはわかりますが、法人登記に二週間も時間かかっているというのに、何故別の手続きでも一様にこんな時間がかかるのか、最初の審査がまるで何の証明作用も持ってないじゃないかと強く言いたいです。

 正直な所、携帯電話の契約が出来ないと名刺すら作れません。会社を作るのに二週間かかるのは納得できるとしても、実際に営業開始するまで一カ月弱かかる今の状況はあまり腑に落ちません。明日は千葉銀へ行って三日くらいで何とかならないものかと聞いてみて、ウィルコムに対しても案内冊子を片手に別のアンテナショップ(今日行ったのより大きい)へ乗り込もうかと思いますが、このところ本当に日本に帰ってきたんだなと悪い意味でよく感じます。審査に慎重になるのはいいとしても、慎重になることでどれだけの効果が得られるのか、一人の犯罪者の行為を防止するために健全な利用者を何人煩わせることになるのかという検証が足りないのではともう言いたいこと言って筆を止めます。

2013年2月19日火曜日

武漢市のタクシー事件

 昔自分が記事に書いた話題が今日続報が出ていたので、一つ四方山話として武漢市のタクシー事件を紹介しようかと思います。
 この武漢市のタクシー事件が発覚したのは去年の12月。確かCCTV(中国中央電子台)が特集で報じたのがきっかけで、武漢市のタクシー車両に使われているプジョーシトロエンの車両に一般車両には搭載されているABSが搭載されていないばかりか、ブレーキパッドも一般車両より小さいという特別仕様車であることが報じられました。しかもそんな仕様でありながら購入価格は一般車両より高く設定されており、しかも武漢市のタクシー業者は当局からこの問題ある車両を強制的に買わされていたというおまけつきでした。そうした当局の仕業もあってこの事件が発覚した当時、武漢市全体のタクシー車両全体に占めるシトロエンの車種比率は99%という冗談みたいな数字を叩きだしてました。
 それにしても、今どきABSがついていない車なんて探す方が難しいのに……。

武汉公布“缩水版出租车”调查进展 两人因涉嫌受贿被立案(毎日経済新聞)

 上記リンク先は中国語のニュース記事ですが、この武漢市の事件に対する続報が書かれてあります。内容を一部翻訳して伝えると、この問題で当局の責任者二人が賄賂を受け取っていた容疑があるとして立件されたようです。ただ立件されたうちの一人は問題の車両が販売されていた時期に統括する役職についていなかったことから事件に関わっていたとは思えず、暗にトカゲのしっぽ切りにされているのではないかと毎日経済新聞は指摘しております。実に中国らしい幕引き策ではあるんだけど。

 なお日本ではタクシーとくれば全国どこでもトヨタ・クラウンが走っておりますが、中国は地域によってはっきり車種が変わります。基本的にはその地域に本社を置いている自動車メーカーの車種が主流となる傾向があり、北京市ではヒュンダイ・ソナタ、上海ではフォルクスワーゲン・サンタナ、合肥市では江淮汽車製の車(車種は忘れた)が走っております。広州市は知らないけど日系車種はあまりタクシー車両では見かけないのですが、香港では逆にトヨタ・クラウンのタクシーしかなくてなんだか奇妙な思いをしたことがあります。

2013年2月18日月曜日

ワコールの注目に値する調査

 メディア職から離れたとはいえ一応義務的に毎日中国のニュースサイトと日系企業のプレスリリースを見ているのですが、今日の企業プレスリリースで見て驚いたものが二件ありました。

PS Vita、2月28日より値下げ ― Wi-Fiモデル&3Gモデル、どちらも1万9980円に(インサイド)

 一つは上記のPS Vitaの値下げです。かつてニンテンドー3DSも一万円の大幅値下げをしましたがここにきてソニーも果断に実行してくるとは夢にも思わず意外性を感じます。ただ発売から間もないのに任天堂は3DSの大幅値下げを断行したことが、昨年末に発売した「Wii U」もまたすぐ値下げするのではと懸念されて販売が伸びないと聞くだけに、今回のPS Vitaの値下げもどれだけ効果があるかとなると未知数です。

 そんなソニーのプレスリリース以上に私が今日目を見張ったのが、以下のニュースです。

「ブラジャーの捨て時・捨て方」実態アンケート結果について(ワコール)

 一体何故男の自分がこんなニュースにいちいち反応するのか我ながら疑問ですが、たまにワコールはこういう面白い調査してくるから京都市民に「下着屋」と罵られてても大好きな会社です。
 それでこの調査、いくつか結果を抜粋すると「自分は捨てられない女」だと考えている女性の割合は約6割に達するそうで、「ブラジャーを捨てるのをためらう女性・・・約2人に1人」だそうです。だからどうしたと言われればそれまでですが。

 参考までにうちのお袋にもこの調査結果を見せたところ、確かにブラジャーを捨てるタイミングは悩むそうで、金属ワイヤーが入っているだけに燃えるごみにそのまま出していいものかどうかためらうとか言ってました。ワコールも多分この編わかってるんでしょうけど、自分たちでやっているブラジャーのリサイクルプロジェクトの内容も調査結果と一緒に載せております。
 なお男の自分はブラジャーとは全く縁もゆかりもなく、自分の下着はいつも擦り切れるまで捨てていません。そんな生活を送っている自分ですが一回だけ不思議なことがあって、履こうとしたパンツが三日連続で一枚ずつ破れるという事がありました。靴ひもじゃないですけど何かこの時は大きな事故でも起こすんじゃないかとちょっと戦慄したのを覚えております。結局何もありませんでしたが。

2013年2月16日土曜日

平成史考察~パナウェーブ研究所騒動(2003年)

 今朝、日本に帰国して初めてランニングを行いましたが、上海で走った時と比べて息が上がらないというか、走っている最中に咳をすることがありませんでした。ペース的にはそんな差がないと思うのですが、これって大気汚染の差?ぶっちゃけ、中国でランニングすることが体にいいのか悪いのか判断しづらいんだけど。
 話しは本題に入りますが、今回は覚えている人も多いと思われるあの白装束集団ことパナウェーブ研究所の騒動を取り上げます。

パナウェーブ研究所(Wikipedia)

 この騒動が起こったのは2003年の4~5月、パナウェーブ研究所と名乗る全身白づくめの宗教団体の動向がお茶の間のテレビを席巻しました。この団体は千乃裕子を代表とする宗教団体で、方針としては統一教会と同じく反共主義を掲げていたようですがそれ以上に「スカラー波」と呼ぶ電磁波が人体に悪影響を与えるとして、防護策として白装束を着るだけでなく周囲に白布をかけたりするといった行動が注目を集めました。
 ウィキペディアの記事によるとパナウェーブ研究所が注目を集めるきっかけとなったのは当時、多摩川に流れ着いてこちらも注目を集めていたアゴヒゲアザラシのタマちゃんに対して捕獲保護を試みようとする動きがテレビで報じられたことからだったようです。その白装束という見た目のインパクトがあった上、テントでの集団移動生活を続けていたことから他のメディアも追従するようになり、この年のGWは岐阜県あたりにいたこの集団の一挙手一足が生放送で報じられました。当時の私もテレビで見ており、それこそ朝から晩まで、いつどの程度動いたかなども詳細に報じられていたことをよく覚えております。

 この騒動自体はGWの終了とともに視聴者の興味が離れたことから徐々に落ち着いてきたのですが、確かGWの後半あたりに、それまで一度も姿を見せなかった千乃代表がどこかのテレビ局のインタビューに応えて初めて姿を見せてきました。それまで千乃代表の姿は若い頃に取られた写真(そこそこ美人)しか出回ってなかったため、テレビで出てきた姿はお婆ちゃんだっただけになんとなくがっかりみたいな気持ちにさせられました。なおそのインタビューで千乃代表は、「私はもうすぐ(電波攻撃によって)死ぬけど、タマちゃんを早く保護してあげて」と訴えておりましたが、千野代表が死去したのはそれから3年後の2006年でした。調べてみて自分も初めて知ったけど、これ以前から「もうすぐ死ぬから」っていうのがこの人の口癖だったようです。

 そんなパナウェーブ研究所の現状ですが、先にも書いたとおりに千野代表が2006年に死去したことから自然消滅していったようです。これだけ見るなら言い方は悪いですが寿命の短い一種のカルト集団だったとして片づけられるのですが、自分が少し気になるのは「スカラー波」こと電磁波という概念です。
 パナウェーブ研究所に限らず日本では「米国が電磁波で日本人を攻撃してくる」とか「メタトロン星の電波によると~」などといった主張を行う人がそこそこ多く、ちょっと変わった精神をしている、神憑りしやすい人を表すスラングとして「電波系」という言葉まであります。この電波系ですが、ネットでの情報だけで二次確認を行ってはいないのですが、その始まりは深川通り魔殺人事件の犯人にあるという説を聞きます。

 この深川通り魔殺人事件の詳細はリンク先のウィキペディアの記事に書かれていますが簡単に私の方から説明すると、覚せい剤中毒者だった元寿司職人の男が路上で児童や主婦を次々と殺傷した事件です。この犯人は勤め先で毎回といっていいほど騒動を起こしており本当に救いようのない男なのですが、逮捕された後の供述で、恐らく薬中の影響もあるでしょうが度々「電波が引っ付いて」などと「電波」という言葉を多用しわけのわからない主張を繰り返しております。
 それ以前から電波系と呼ばれる人々が存在したのかどうかはわからないのですが、仮にこの深川通り魔殺人事件の犯人から現在の様な電波系の概念が生まれ、パナウェーブ研究所をはじめとする団体などにも影響を与えたとすると世の中、実に不思議なものだと感じます。あとこの電波でもう一つ気になる点として、この概念ってもしかして日本にしか存在しないのではないかという疑念を持っております。欧米はどうだか知らないですが中国においては「電波が精神を惑わせる」という概念は少なくとも私が見る限りほとんど存在せず、改めて考えると独特な概念のように思えてきたりします。最後に一応断りというか、私はこのような電波が精神を惑わすという概念は全くと言っていいほど信じておりませんが、社会学で言うと無機論というか、人間はその環境や条件によってロボットみたいに大半の行動や思考を決めるという立場を取っております。

2013年2月15日金曜日

猛将列伝~藤堂高虎

 歴史好きの人間なら誰しも自分を重ねる歴史上の人物の一人や二人はいるかと思いますが、私の場合は一番重なるのはほかでもなく、新撰組局長の近藤勇です。理由はいくつかありますが学生時代に私は実家のある関東から大学のある京都へ学期ごとに往復しており、このルートが近藤勇の辿った足跡とほぼ完全に重なるからです。あと彼は水木しげる氏をして「星をつかみ損ねた男」と評されており、私もそうした生き方に変に共感するところがあります。
 ではこのほかに自分を重ねる人物はいるのか、戦国時代の人物で挙げるとしたら本日紹介する藤堂高虎が入ってきます。

藤堂高虎(Wikipedia)

 戦国史が好きな人物なら藤堂高虎のことは誰もが知っているでしょうし、その能力の高さから歴史ゲームではいわゆる「かわいがられる」キャラクターであります。私もこの前に「太閤立志伝5」というゲームでこの人を使用しましたが、そのあまりの能力値の高さによってゲームが簡単になってしまい、かえって面白くないという妙な状態に陥りました。

 ではそれほどまでにKOEIさんからも能力値が高く評される藤堂高虎はどんな人物なのかですが、簡単に言ってしまうと現在の三重県に当たる伊勢国津藩の藩祖です。彼の出身地は近江(滋賀県)で初めは地元の浅井長政に仕えており、織田家と浅井家が激突したあの姉川の戦いでは一兵士として奮戦しており浅井長政から感謝状も受け取っております。ただ主家の浅井氏が織田家によって滅ぼされるとその後は主を転々とし、豊臣(羽柴)秀吉の弟である羽柴秀長の家臣となったところで一気に世に出ます。
 羽柴秀長の家臣となってからはその才能を戦に、施政に存分に発揮し、秀吉からも高く評価され秀長の死後も順調に出世していきます。この時(安土桃山時代後期)の藤堂高虎の事績として注目に値するのは数多くの名城を築城している点で、和歌山城をはじめ宇和島城、今治城、篠山城、津城、伊賀上野城、膳所城などと、森ビルや大林組も真っ青なくらいに全国各地で築城工事を指揮しております。「その時、歴史が動いた」の松平定知氏も藤堂高虎の高い築城技術を指摘した上で、コアコンピタンスを発揮して出世した好例だと以前に著書で評価しておりました。

 このように豊臣政権下で大活躍し出世を続けた藤堂高虎ですが秀吉の死後は真っ先に徳川家康の側につき、関ヶ原の戦いでも西軍大名の切り崩し工作を担当したほか大谷吉継隊とも死闘を行っており、家康から戦後は20万石に至る加増を受けております。その後の大坂の陣でも真正面で戦って奮戦したことから家康にも「有事の際には高虎を先鋒とせよ」と評されるなど絶大な信頼を勝ち取り、死の直前に枕元に侍ることを許された数少ない人物となっております。これらの業績から藤堂高虎の国津藩は江戸時代にあって「別格譜代」という扱いを受けており、外様大名でありながら譜代大名と同様の扱いを受けていたと言われます。

 以上が藤堂高虎の事績ですがよく言われる彼への評価としては、「能力は高いが主君を変え過ぎ」というものが大半です。本人も「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と居直っており、特に豊臣家から徳川家への転身ぶりには批判も少なくありません。ただ自分がそういうキャラだからかもしれませんが家臣が暇乞いした際には快く送り出し、他家で思うようにいかなくて戻ってきた際にはこれまた快く迎え入れて元の役職に就かせていたといいます。こうしたことから現代で言えば「風見鶏」と呼ばれた中曽根康弘元首相同様に、実力のある主君を見極め転身を図るのも一つの必要な才能と割り切っていた節があります。

 ただそのように仕官というか就職に関してはドライな感覚であったものの、数寄というか風流が全く分からない人物でもなかったようです。そう窺わせるエピソードがいくつかあるのですが一つは関ヶ原の合戦直後の石田三成との話で、捕縛された三成に「此度の戦、ご苦労でござった。ところで我が隊はどのように見えた」と尋ね、「鉄砲隊が良くないように見えた。指揮官を変えるべきでは」との答えに「まさにそのように思っていたところです。ご助言、ありがとうございます」と交わしたと伝えられております。
 また宇和島藩主だった時期に隣国の今治藩を修める加藤嘉明とは境界争いで不仲であったものの、蒲生騒動で会津藩を治めていた蒲生家が取り潰された際に後釜を誰にするか徳川秀忠に問われ、「要衝である会津を治めるに当たっては加藤嘉明が適任」と答え、遺恨なく実力の足る人物として推挙しております。

 このような藤堂高虎に対して何故自分がやたらと親近感を覚えるのかというと、良くも悪くもマイペースな人だからだと思います。周囲から「不忠者」と罵られながらもそれが処世術とばかりに次々と主君を変え、それでいて奉公人でいる間はこれと決めた主君のために手抜きせず存分に力を発揮する姿勢がビジネスライクで強い好感を覚えます。
 昔というほどでもありませんが二年前に同僚から、「花園さんが最初に勤めた会社は花園さんを持て余したのでしょうね」とやけに突然言われたことがありましたが、はっきり言って同じことを自分も考えて退社しました。忠誠といえば聞こえはいいですが、自身の才能を使い切れない会社というか環境に留まるのは自分以外にとっても損だと思え、たとえ後ろ指を指されてもより自身の成長を期待できる環境へ身を置こうと決断し、私は中国へ行きました。そうして実行した決断に価値があったのかどうかはこれからの自分にかかっているわけではありますが。

 それにしても「七度主君を変えねば武士とは言えぬ」という藤堂高虎のセリフ。自分はもう三回変わっているからあと四回しないと武士にはなれないのかなとか不遜なことを思っちゃったりします。

  おまけ
 藤堂高虎が起ち上げた津藩ですが、幕末の戊辰戦争の頃は幕府軍として出陣したにもかかわらず真っ先に官軍へ裏切っており、藩祖が藩祖だけに「さすが藩祖の薫陶著しいことじゃ」と罵られたそうです。

2013年2月14日木曜日

短期集中的な報道をする日本のニュース番組

 先週に日本に帰国後、出会う人みんなに十中八九聞かれたのは「中国の大気汚染はどう?」という質問でした。あまりにも質問が多いもんだから前にも記事化しましたが、一体何故これほどまでに日本人が中国の大気汚染を気にするのかというとその原因は間違いなく日本のテレビ局による報道によるものでしょう。
 私の帰国直後も中国の大気汚染はどこも朝、昼、夕方、夜のどの時間帯でもトップニュース扱いで報じており、あんな報じ方されれば中国に関心のない人ですら嫌が応にも気にするようになるでしょう。ところがそれほどまでに報道が集中していた頃から一週間も経たない今日の報道は、中国の大気汚染はほとんど報じられずにグァムで起きた無差別殺傷事件で一色といっていいほどに報道が集中しました。

 独立するとは言ってもまだ会社の設立登記が済んでないこともあって(来週完了予定)ニートと変わらない生活を送っておりニュース番組ばかり見ていますが、NHKはまだ違いますが、民放のニュース番組はほとんどどれも同じ時間帯に放送されるにもかかわらず報じる内容、報じ方、果てにはフリップに書かれている内容までほとんど瓜二つであるような印象を受けます。特に今回のグァム島の無差別殺傷事件に関する報道では、生放送のある番組で現地日本人向けメディアの記者がインタビューに応じており、一通り話し終えたので別のチャンネルに回すとさっきまで別番組に出ていた同じ記者がまた同じようなインタビューに応じるという一幕もありました。もちろん、話す内容は一緒です。

 どのチャンネルを回しても同じような語り口、同じ内容のニュース番組が報じられており、はっきり言ってしまってなんか自分、洗脳されいるんじゃないかなという印象を日本のニュース番組に持ちます。確かに一番注目度の高いホットな話題を大きく取り扱うのはメディアとして当たり前の姿勢ではありますが、日本の民放におけるニュース番組関してはその集中度合いがあまりにも高すぎる気がしてなりません。
 たとえばNHKなどはトップニュースに長く時間を割くとしてもせいぜい開始10分程度で、残りの時間はその他のニュースを淡々と報じます。一方、民放のニュースでは放送局にもよりますが長いところだと30分以上も長々と報じ、その他のニュースに関しては非常に短くさらりと流してしまいます。さっきも言いましたがこれでは視聴者を洗脳したいのかといいたくなるような報道で、延々と同じ話題を取り上げ続け、コメンテーターも同じようなことを言い続け、さらにはほかの番組でも同じような内容が続くときたらその報じられている内容通りにしか物事が考えられなくなるのではという懸念すら持ちます。

 またトップで報じる内容にも少し疑問を覚えます。先週まではほかに注目するニュースがなかったためかほぼ毎日中国の大気汚染について長々報じていましたが、今週に入って北朝鮮が核実験をしたと発表するや大気汚染は忘れて核実験一色、そのすぐ次の日にオリンピックでレスリングが除外されそうだとなるや核実験の報道時間は一気に急減し、グァム島の無差別殺傷事件が起こるやレスリングもほとんど扱われなくなりました。なにも無差別殺傷事件より核実験を大きく取り扱えと言うつもりは毛頭ありませんが、内容が大きなものであるだけに放送時間の配分などはもう少し考慮する余地があるのではと強く疑問に感じます。そしてレスリング問題、無差別殺傷事件が起きなければ、今も核実験について延々と報じていたのかもと考えるといろいろ複雑な気分にさせられます。

 私は常々、何事も過小にも過大にも評価してはならないと自分に言い聞かせております。たとえばあるニュースの話題性が百分率で言って50程度だったとすると、70とか80のような価値があるように報じてはならないと、くだらないニュースを実態以上に大きく報じてはならないと考えております。そういう目で見て今の民放ニュース番組は、やはり一つのニュースに対して過剰に大きく報じ過ぎているように見えます。
 もちろん、それならば民放のテレビニュースを見なければいいのではないのかという意見もあるでしょう。実際に自分もこれからNHKだけ見てればいいかなと考えてますが、それでも民放にはもっと工夫してもらいたいという一心があり、今回こうして記事にしたためました。