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2013年5月23日木曜日

本日の東京株暴落について

 本日午前中に日経平均株価を見たら前日比200なっており昨日もあんな上がったのにまだ上がるのかよ思いましたそんな思いをしたのもつかの間午後にまたちょっと覗いてみると今度は前日比900円安となっており、最終的には1143円安の1万4483円というとんでもない暴落で市場が閉まりました今日の株価の変動ぶりをAA表現すると


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 ほんとこんな感じです。何が言いたいのかというと、まぁびっくり仰天ってわけなんですがそんな私の心境は置いといて、今日の暴落はなんで起こったのか、そして今後はどうなるかという展望について思いつく限り書いてこうと思います。念のため言っておきますが金融に関しては自分は素人なので、あくまで素人としての意見で専門家から見たら鼻で笑われる内容でも大目に見てください。もっともそう言いながら、前職中は金融がわかる人がいなかったらこの方面の記事はもっぱら自分が書いてましたが……。

 それではまず今回の暴落の背景について書いてきますが、また後出しじゃんけんっぽい言い方になって自分でもよくないとは思いますが、やはりこのところの日本の株価の上昇ぶりは異常じゃないかと前から感じておりました。たまたま自分も日本の株を購入していましたが先々週に売り払い、代わりに香港市場で売られていたフォックスコンの株(単元株価が意外と安い)を買って乗り換えていたのですが、なんでそんなことしたのかというと一回くらい日本株は大幅に下がるんじゃないかという予感があったからです。

 日本株は今後長期的、というより7月の参院選で自民党が大勝してねじれ状態を解消することは見えているためまた上昇する予想は固いのですが、こうした予想がある中でも昨日までの株価はやっぱり異常なほど高かったかと思います。私自身が今年の3月くらいに立てていた予想としましては7月にかけて株価は緩やかに上昇し続け、7月の参院選の後になって初めて1万5000円台を突破するだろうと見ていました。そのため5月ごろは1万3000円台くらいをうろついているのではと見ていたら早々に1万5000円を突破してしまい、2万円台も見えてきたと言われるなど早いペースで上昇が進みました。

 これだけの上昇が続いたのはいわゆるアベノミクスと世界的な金融緩和が続いたことによる結果と言えるでしょうが、ならなんで今日になって大幅に下がったのか、この辺の理由については現時点でもなかなか見えてきません。一部のメディアなどはHSBCが今日発表した中国の製造業購買担当者指数(PMI)が50を下回り7か月ぶりに最低を更新するなど、中国経済の先行きに対する悲観的な予想が強まったことがきっかけなどと報じておりますが、全く無関係とは言わないもののそれにしたって1000円以上も下がる原因とはとても思えません。先程のNHKの番組に出てた記者もはっきりとした原因が見つからないと踏まえて「不気味な緊張感」と述べておりましたが、私もこの意見に同意で、無駄に犯人は作らなくてもいいんじゃないかと思います。
 強いて私なりに分析すると、今回の下落はやっぱり複合要因で、上記の中国の製造業PMIのほかにも1万6000円を目前にして利益確定売りが一斉に行われたとか、多くの投資家も内心では今の株価は上昇し過ぎじゃないかと思っていた、こうしたものがまとまった形で出てきたというのが真相じゃないかという気がします。

 では今後の株価はどうなるかですが、先ほどに友人からは早くも「来週買った方がいいかな」と連絡が来ましたが、私としては来週は日によって多少の反発はあっても下げ基調が続くと思え、どうせ買うならもう少し落ち着いた再来週当たりがいいと思います。少なくとも参院選という確変確定みたいなイベントがあるので7月にかけて上昇していく可能性は高いので、落ち着いたら買い直すというのも悪くない気がします。自分はどうするかちょっと悩むけど。
 それで買うタイミングですが、やっぱり先ほども書いたようにこの時期の予想価格こと、1万3000円台に入った当たりが頃合い、もっと絞るなら1万3500円前後がベターかなぁ。

 最後に今回の突然の暴落で、登山家の三浦雄一郎氏がかなり割り食ってしまったんじゃないかと個人的に思います。三浦氏は本日、齢80歳にしてエベレストを登頂するという大偉業を達成したのですがテレビのトップニュースはどこも株暴落を取り上げ、なんていうか扱いが小さくされてしまった気がしてなりません。恐らく今日何もなければ三浦氏がトップニュースで間違いなく、明日の新聞も一面とかで準備されていたと思うのですが、明日のトップ紙面も夕方に全部差し替えられただろうなぁ。

2013年5月21日火曜日

共通体験の少ない現代

 ちょっと前に以前はテレビに集中していた娯楽がネットやゲーム、携帯電話などに現代は分散していると書きましたが、娯楽を構成するコンテンツに関しても現代は依然と比べて激しく分散する傾向があり、そのため共通体験というものが極端に減少してきていると言われます。

 この話をしてくれたのはデータ整理を手伝ったことからおねだりすれば何でも本を買ってくれる友人(「あんぽん」に関しては「佐野先生を助けてやれよ」と言って自分で買うようにと諭された)なのですが、その友人によると「最近の子供はドラゴンボールに対する反応が俺たちと違う」そうです。私の世代にとってドラゴンボールは男の子で知らない人間はいないと言ってもいい作品でしたが、今の20代前半の世代になると単行本とかを読んだり伝聞で聞いてて知ってはいるものの、リアルタイムでのアニメ放送を見ていなかったことから、「そんなにすごい作品だったの?」と言う人が多く、同時に「あれ以上の興奮はなかなか得られない」と誰もが思うような作品があまりないそうです。

 これは漫画やアニメに限らずゲームでも似たような傾向があり、私が子供だった頃は「ドラゴンクエスト」とか「ファイナルファンタジー」はほとんどの男の子は一度は遊んだことがありましたが、こういうような誰もが一度は遊んでいるというゲームもこのところは減ってきているように思えます。漫画であればまだ「ワンピース」とか「ナルト」は今の子供たちはみんな接しているようですが、それでも私たちの世代と比べるとみんなが楽しんだことがある、やったことがある共通体験というものが確実に少なくなってきている印象を友人同様に私も感じます。
 子供の世界に限らず大人の世界でも、ブームとなって誰もが買ったり、体験するような活動はこのところだとアップル製品以外ではあまり思い浮かびませんし、先にも言った通りに娯楽が分散化しているので自然と言えば自然ですが、この状況をどう見るかはちょっと難しいものがあります。

 共通体験が少なくなることによって何が起こるかというと、「あれ知ってる?」、「もちろん知っている!」というような会話が成り立ちづらいというか、特に初対面でのコミュニケーション時は今までよりとっかかり辛くなります。言ってしまえば互いに未知の領域が広がるわけで、こちらが当たり前と思うことが通用し辛くなる可能性もあります。
 ただそう考える一方で、私なんか昔から趣味とかやることが常にマイノリティだったため、社会全体の多様性は広がるんじゃないか、そうなったら自分も目立たなくなるんじゃないかと期待する心もあります。それでも一個や二個くらいはその世代は共通に体験したというものがあると結びつきは強くなるのだし、もうちょっとくらいは共通体験が現代はあってもいいというのが私の意見です。

2013年5月20日月曜日

今日の中国ニュース色々

 友人の上海人が昨日にわざわざ電話で、「最近中国ネタ少ないよ」と言ってきたのと、そこそこ面白いニュースが報じられているので今日は中国ニュースをいくつか紹介します。


中国、最悪の就職難でも面接すっぽかす新卒者増加
今年の大卒生、過去最多 内定ラッシュは6月か(人民日報日本語版)

 中国では近年大学進学率が大幅に上昇したことから大学生の数が急増し日本同様に就職難にあえぐ学生が増加しております上記のニュースはそんな中国の大学は卒業したけれどもという状況を解説しつつ手当たり次第に採用面接予約を入れる学生がダブルブッキングなどからすっぽかす例が増えていると報じております
 なお下のニュースの見出しに内定ラッシュは月か書かれておりますがこれについて私の方から補足すると中国の大学日本とは違って入学時期は月ごろで学期初めがあり卒業時期は大体頃とります。なので日本みたいに卒業より大分前に内定を得るというわけではありません。もう一つ付け加えると、学期シーズンで言えば中国の方がグローバルスタンダードに準じており、4月入学なのは私が知る限りだと日本と韓国だけです。

日本少年恶搞热门动漫 “吃人”照走红网络(東方早報)

 中国語で何書いているかわからないと思いますが、見出しの訳は「漫画における”人食いシーン”、ネットでの写真投稿相次ぐ」といったところです。これは今アニメも放送されている「進撃の巨人」に触発された日本のネットユーザーが、漫画に出てくる巨人が人を食べるシーンを遠近法を利用して疑似再現し、写真を撮ってネットにアップすることが流行っていると報じるものです。これらの投稿写真が出回っていることは前から知っておりましたが、中国でも報じられるとはなんていうか意外です。ちなみに「進撃の巨人」の中国語訳はそのまんま「進撃的巨人」です。


冷蔵庫が爆発 食品保存に注意(人民日報日本語版)

 中国の爆発ネタと言ったらサーチナの記事が有名ですが、なんか人民日報でも対抗意識持ったのか似たような記事を出してきました。ちなみに人民日報の日本語版記事ですが、書いているのは日本人記者が多いし、経験者に実際会ったことがあります。

 で、このニュースに書かれている内容ですが、誕生日ケーキを買ってきた際に付けられていたドライアイスを何を思ったのかペットボトルの中に蓋をして冷蔵庫に置き、爆発させたとのことです。幸い怪我人はいなかったとのことですが、爆発させた本人は注意書きがなかったとしてケーキを売った店に賠償を要求しているそうで、私にとって中国のあの喧騒が懐かしくなってくる記事です。

2013年5月19日日曜日

子供よりペットが多い日本

 かなり前に中国の新聞で見かけたので今日はこの話を書いてみようかなとか思っていたら、検索してみたら中国網の日本語版の下記記事がヒットしました。

日本のペットの数が子どもより多いのはなぜ?(中国網日本語版)

 書かれている内容は見出しの通りで、どうやらイギリスの「ガーディアン」が元記事のようです。日本は少子化が問題となっていて対策も打っているのに15歳以下の子供の数は減少し続ける一方、ペット数は増加し続けておりペット用品など関連市場も伸びているのは一体何故という風に書かれてありますが、自国の人間ならいざ知らず外国メディアにこう指摘されるとなかなか考えさせられます。
 記事中では女性の育休制度や託児所などが充実していないことや、生活費が高い一方で給料が伸びないといったことが背景にあるなどと書いており、私もこれらの意見に同意します。さらに私の方から付け加えるなら、未だに改善の見られない年金など社会福祉政策が不安定でコロコロ変わる中、子供を運で育児費を負担することは大きなリスクと考える傾向もあると思います。

 ただこれらの理由は「少子化が進んでいる要因」であって「ペットが増えている要因」ではありません。そのペットが増えている要因を私なりに推理すると、なんだかんだ言って「かわいがる対象」への需要は時代を超え、万国共通にあるんじゃないかと思います。そのかわいがる対象は普通なら子供が挙がってくるのでしょうが日本だと上記のような背景から持ちたがる人は減少し続けており、代わりの愛玩対象として手軽に持つことが出来るペットの需要が高まっていると私には思います。

 だとすると今の日本の状況はあまり笑えないかもしれません。誰かは忘れましたが偉人の名言に「動物はいい。人と違って裏切らない」というのがありますが、愛玩対象として子供より手軽なペットを選ぶようになってきたというのは日本人全体で精神的な余裕がなくなってきているようにも思えます。もちろんペットを愛することは悪いことじゃないし私がこれまで会ってきた動物好きの人はみんないい人ばかりでしたが、なんていうかその優しさをもっと次世代へ振り向けないと国家全体で建設的な方向に向かわないし、さらに言えば振り向ける愛情度数があるとして仮にペットが50、子供が100だとすると、昔の日本人は100以上あったのに対し現代日本人は50~90くらいしか精神的な余裕がないという風にも考えられます。

 後出し的な言い方になりますが、家計がどうこう言うのはちょっと苦しい言い訳なんじゃないかとも思います。というのも中国をはじめとして発展途上国は日本よりもっと可処分所得が低い中で日本人より子供を生んでいるのだし、そう考えるとやはり精神的な余裕がないというのが大きいのではと私は思います。

 未だ独身の自分がこの手のことであれこれえらそうに口を出すのもどうかとは思いますが、現在の状況は子供の数が少ないということよりも子供を産む精神的な余裕がないということに着目するべきな気がします。だからといって具体的に何をどうすればいいのか、そういった提案は出しづらいのですが。

 最後にはみ出し話として、国別の猫の飼育数についてすこしお話しします。Wikipediaのネコのページを見てみるとこの統計数字があるのですが、それらを引用すると下記の通りになります。

<猫の国別飼育頭数>
・日本:350万頭
・ドイツ:500万頭
・フランス:840万頭
・イギリス:690万頭
米国:6000万頭

 というような感じで、なんで米国こんな多いのっ!?(;゚Д゚)エエー
 自分で調べておきながらですが最初見た時は本当にびっくりして、っていうか6000万頭もいれば確実に子供の数よりも猫の数が上回っているだろ米国も。そう考えると日本の少子化云々ペットの数云々とかいう議論がなんかくだらなく感じてきちゃうなぁ。

娯楽時間の割り振り

 友人に何度も書くと言いながらずっと書いていないので、そろそろ腹をくくってこのテーマで書くことにします。

 その友人によると、なんでもテレビ局やゲーム会社などといった娯楽業界では消費者の「時間」という単位を如何に取るかという概念があるそうです。く人間が一日に与えられた時間というのは言うまでもなくみんな24時間で共通しており、その24時間内に食事から仕事、そして今回掲げている娯楽へとそれぞれ時間を割り振るわけなのですが、生活リズムは人それぞれによって異なるものの、娯楽においては多くの時間を獲得すればそれだけ売上げなり市場が広がるとされております。

 たとえば高校生の平日を例にとってみると、学校の通学から授業に使う時間が8時間、睡眠に使う時間を7時間とすると、可処分所得ならぬ本人が一日のうちで自由に使える時間は残り9時間となります。さらに部活に2時間、宿題に1時間、朝夕の食事時間を1時間かけると仮定すると残りは5時間という計算となり、この5時間が娯楽に使える正味時間となるわけです。
 娯楽業界からするとこの5時間を如何に自分たちのサービスに使ってもらうかが肝心となり、テレビ番組であれば平均視聴時間が2時間よりも5時間ある方が広告料が高まり、ゲーム業界にとってもゲームに充てられる時間が多ければ多いほど自分たちの商品が売れる裾野が広がるという感じです。

 この概念で以って歴史を振り返ると、それこそ昭和から平成初期の時代であればテレビに最も娯楽時間が費やされており、それ故にテレビ業界は栄華を極めることができました。しかし2000年前後からパソコンが普及したことによって今までテレビ視聴に使われていた時間の一部がインターネットに置き換わり、さらに時間が経つと携帯電話にも時間が割り引かれるようにもなり、ここ数年だとスマホによるネット利用時間も新たに出てきたと言えます。
 以上のように考えると新たな娯楽の出現によってテレビの視聴時間は激減したと言ってもよく、近年の視聴率、広告料の低下は自明と言えるでしょう。無論、テレビ業界もそんなことは百も承知で、対策として「如何にテレビ視聴に時間を割いてもらうか」と意識する方もいると聞きます。とはいっても、念力とかでどうにかなるようなものではないが。

 この娯楽時間と同じようなものだと食品・外食業界があり、ここなんかも人間の食事回数というか胃袋、言ってしまえば人口によって消費量が決まる所があり、自分もよく取材時にこの業界の人から、「人口減の日本では市場が縮小するのは目に見えており、膨大な人口を抱える中国への進出は誰もが考えている」という言葉を何度も聞きました。

 娯楽業界はこの食品・外食業界ほどはっきりしてるわけではないものの、それでも娯楽時間の母数が変動すれば影響を受けることとなります。ちょっと言葉足らずな気もしますがスパッと一言で言うと、社会人の労働時間が増えれば増えるほど娯楽業界は縮小していく可能性が高いということです。
 帰宅が夕方6時の人と夜10時の人では娯楽に使える時間は単純に4時間も変わり、下手すれば後者は疲労回復のために睡眠時間が増えることもあるのでもっと差が広がるかもしれません。スマホであれば通勤時間などにも使えるのでまだ影響は小さいですが、テレビ視聴時間、ゲーム時間、読書時間、勉強時間、デート時間、旅行時間、ブログ執筆時間などは社会人が働けば働くほど需要が落ちるのです。そのためこれらに関連するテレビ局、ゲーム会社、出版社、飲食・カラオケ・アミューズメント企業、旅行会社、観光地、ネットサービス企業は余裕のある人が減ると割を食うわけです。

 報道、といっても私もたまに行くので実際に見てますが、最近のゲームセンターは若者よりも年寄りが多く集まる傾向があるそうですが、年寄りはお金に余裕があるというよりは時間に余裕があるためにそうなってきたのでしょう。ここまで言えば私が何を言わんとするかはわかると思いますが、第三次産業を盛り上げるという意味でもう少し労働時間を日本は考えた方がいいのではというのが今日の私の意見です。

2013年5月16日木曜日

昭和の再建請負人、河島博

 先日の記事で「あんぽん」という佐野眞一氏による孫正義氏の票田を読み始めたと書きましたが、ふと佐野氏の著書で取り上げられていた河島博という人物を思い出し、未だに記事化していなかったのでこれを機に書こうと思います。

 河島博は昭和期おける経営者で、1977年にヤマハ(当時は日本楽器製造)の社長に46歳にもかかわらず就任しております。就任してからは過去最高益を叩きだすなど順調な経営を続けていましたが、息子に跡を継がせたいと考えていたワンマン経営者の川上源一郎によって就任から3年後の1980年に社長職を解任されてしまいました。
 なおヤマハはその後、川上源一郎の息子の川上浩が41歳で社長に就きましたが業績は低迷し、労働組合から直接的に社長退任が申し入れるという異常事態にまで発展し、川上浩は1991年に引退に追い込まれております。

 話は河島博に戻りますが、ヤマハの社長退任から2年後、ダイエーの会長であった中内功に請われる形でダイエーの副社長に就任します。ダイエーは2000年代に天文学的な負債額を抱えて経営破綻しておりますが、実はこの河島博が社長に就任した1982年に65億円の赤字を出すなど非常に苦しい経営が続いておりました。かつて日本の小売形態を変えた中内功もその神通力が通じなくなり、むしろそのワンマン経営の弊害が出始めていたようなのですが、このような状況を打開するためヤマハを再建した河島を三顧の礼で迎えました。

 河島が副社長就任後のダイエーの業績は1981年が119億円、1982年も88億円の赤字を出しますが、1983年には黒字となり見事にV字回復を成功させます。ただV字回復をするや用済みとばかりに河島は解任され、中内功は長男の中内潤を副社長に抜擢します。その後、ダイエーはプロ野球チームの南海ホークスを買収するなど再び拡大路線へと転換しますが、90年前半のバブル景気が終わるや再び業績が悪化し、経営破綻への道を歩くだけとなります。

 佐野氏は毎日新聞の連載記事をまとめた「新忘れられた日本人」という著書の中で「二人のワンマン経営者に仕えた男」として河島を紹介しており、その不運と共に晩年までヤマハの川上、ダイエーの中内に対して何一つ不平を洩らさなかったというか口を閉ざしていたことを称賛しております。その上で山本周五郎の「樅ノ木は残った」を引用して伊達騒動の原田甲斐にもなぞらえております。ちなみにこの「樅ノ木は残った」はたまたまですが自分も読んでおります。

 私の方から付け加えると、ヤマハとダイエーの二社を立て直し、しかも引退後は二社とも業績が悪化していることから河島は圧倒的ともいえる経営手腕だったのだろうと推察します。それだけに二回も、それも世襲に巻き込まれる形で経営を退くこととなったのは不運以外の何物でもなく深い同情を禁じ得ません。それとともに、企業経営においてナンバー2というのはどうも地味であまり取り上げられることがないのですが、この河島の話を見るについてそういった人物にスポットを当てるべきではないかともというのが、今日の私の意見です。

2013年5月14日火曜日

橋下市長の従軍慰安婦発言について

 各界を騒がせているので政治ブログを標榜するこのブログでも取り上げざるを得ないと思うので、本日は橋下大阪市長の従軍慰安婦に関する発言について私の意見を紹介します。ちなみにあまり本題とは関係ありませんが、今日から佐野眞一氏の「あんぽん 孫正義伝」を読み始めました。

 問題となっている橋下市長の発言を私の理解で大まかにまとめると、戦時中にいたとされる従軍慰安婦の存在を軍の規律を守る上では必要だったと容認するもので、その上で現在どの国の軍隊も多かれ少なかれこのような性風俗サービスを受けている、沖縄の米海軍もそうだ、もっと米軍も性風俗を正規のサービスで受けて沖縄の経済振興を果たしてほしい……といったところです。政界からも批判が出る中で橋下市長はいつも通りですが撤回するつもりは全くないと述べており、私が見る限りだと今のところ応援しているのは同じ維新の会の石原慎太郎氏くらいなものです。

 それでこの橋下市長の発言に対する私の意見ですが、まず真っ先に浮かんだのは政府からお金でももらったのかなということでした。最近寒暖差が激しくて疲れがひどいからこんなことも考えるのでしょうが、ちょうど今、日本と韓国は歴史認識問題でまた関係が悪化しており、特に安倍首相の発言に対しては韓国側がややナイーブになっております。そうした中で安倍首相の発言よりずっと過激な橋下市長のこの発言が出ることによって恐らく、安倍首相のこれまでの発言は目立たなくなって韓国側からすればトーンダウン、こんな具合で安倍政権にとってはややプラスになるわけです。もっともさすがにこんな筋書きは書いておきながらだけどないだろうな。

 ではなんで橋下市長はこんな発言を突然したのかですが、こういってはなんですが兆候はあった気がします。どうも安倍政権が誕生してからというか前回の衆議院選挙後、維新の会は人気もじりじりと落ちてきて、橋下市長もなにやら焦りとも取れる態度が今年に入ってからちらちら見えてきました。
 恐らく今回発言した内容は橋下市長にとって今さっきに思い付いたものではなく前からも考えていた持論でしょう。それが何故出てきたのかというとやっぱり焦りというか、以前みたいに「言いたくても支持を失う恐れがあるため」として言えなかった内容ですらも黙っている余裕がなくなったというか、思ったことをそのまま口にしたくなったんじゃないかと勝手に考えています。

 はっきり言って、私は正直な人が好きですし私自身も全球真向勝負で本気で投げ続けるタイプであります。ただ政治家というか大人というのは、嘘は言ってはいけませんが言わなくてもいい本当のことは言ってはならないものだと私は思います。橋下市長は政治家に転向した直後、須つに失言をするだろうと私は思っていましたが致命的なものはこれまでになくかなり成長したとは思っていたのですが、やっぱり地が出てきたというか、これまでは相当に我慢してきたんだと思います。

 上記の内容をまとめると私自身は今回の橋下市長の発言を評価しません。評価しない点はその内容よりも、機微な点が数多くある問題について何の準備もなく発言したという、政治家としてやや迂闊な点です。
 最後に従軍慰安婦問題についてですが、これはそもそも政治家が議論するような内容ではなく、歴史家にまかせるべき話だと考えています。そういう意味で日本、韓国ともに政治家はあまり口出しするべき話題じゃないと考えており、国内対策として事ある毎に持ち出してくる韓国の政治家はこういってはなんですが未熟に思えます。