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2014年1月18日土曜日

ソフトよりハードな日本人

 また日本人論かと自分でもなんだかうんざりしてきますが、そろそろ打ち止めになるのでどうかご容赦を。それに今日は自分のネタというより友人のだし。

 ちょうど先週の土曜日、モーニングの誘いを華麗にスルーした友人がディナーにしないと提案してきたので焼肉屋に行きましたが、どうも客が大挙してきていたのか、はたまたバイトの店員が足りていなかったのかリアルに怒号が飛び交う店内を堪能しました。そんな焼肉屋を出た後、「甘いものが食べたい」と女子高生みたいなねだり方する友人と今度はミスタードーナツに男二人で行ってきたのですが、そこで「最近の日本人は語彙力が乏しい。かつては様々なニックネームが横行したが近年はこれというニックネームがない」と私が主張し、かつて書いた「センスのいいニックネーム集~プロ野球選手編」で挙げたニックネームを紹介していったところ友人が、「あのさ、全然話が違うんだけどそのニックネームを聞いていてつくづく思うのは、日本じってんってハード思想なんだなってことなんだけど」とぽつりと言ってきました。

 その友人が反応したニックネームというのは元広島カープ投手である北別府氏の「精密機械」というニックネームなのですが、これ以外のニックネームも合わせてやたら機械や道具といったハードに即した物が多いと友人は考えたそうです。更には日本人が得意とする擬人化も、最近だと「艦これ」などが典型ですがハードをキャラクター化するのに長けているもののソフトウェアを元に取ることが少なく、ソフトよりハードにこだわる日本人の思想がこういうところにも出ていると指摘してくれました。

 ソフトよりハード、と言えば聞こえはいいのですがこれは裏返すとソフトを軽視しがちな日本人の欠点も出ております。私の目から見て日本人は過分にこの傾向があり、たとえば製品の開発においてもまずハードこと製品の物質そのものから構想を高め、ソフトからスタートして開発を進める例は多くないように思えます。対照的にアメリカ人はソフト思想が強く、たとえばアップル社などはそれ以前から存在していた携帯音楽プレイヤーに直接音楽をダウンロード購入するサービスを付加させることでi-Podを作り、また同様にそれ以前にノキアやRIM社が製造・販売していたスマートフォンに対してシンプルさとデザイン性を追求した自社OSを組み込んで売ってきたのが言わずとしれたi-Phoneです。どちらもハードとしての製品は既に他社で発売されていたにもかかわらずソフトウェアを新たに組み込むことで半端ない売上げを実現しており、彼らがソフトを重視するという姿勢がよく出ている好例でしょう。

 日本人のハード思想は何も開発現場だけでなく、先ほど述べたニックネームなど文化的な側面にも出ていますし、消費者の志向にも現れています。たとえば自動車会社のホームページを見てみると日本ではどのメーカー、車種でも亥の一番に燃費のカタログスペックが出てきます。お国柄もありますが中国の自動車サイトではこのように燃費が表示されることはほとんどなく、また燃費に限らなくても日本人は家電製品とかでやたらとカタログスペックを気にするという声も聞きます。その一方で私から見て思うのは、デザイン性に対して日本人は無関心すぎるというかなんか日本の製品を見ていると性能はいいんだけど置いておくにはちょっと考えさせられるデザインが多い気がします。

 では日本人はソフト思想が弱いのかですが、これについては私はそうではないと考えます。たとえば先ほどの擬人化の例だとボーカロイドの「初音ミク」はそのソフトの性能と共に世界中で高く評価されたキャラクターでありますし、単純にソフトウェアサービスでも「LINE」は海外を相手に健闘してくれています。
 にもかかわらず何故ハード思想が日本で幅を利かすのか、これはそのまま幅を利かすというかソフトウェア思想の強い人材が出てき辛い環境にあるのかなという気がします。私が言うまでもなく発想力の高いクリエイティブな人材はかねてより、そして近年はこれまで以上に社会で評価され辛くなっており、実際にはそこそこ価値を生み出せる人材はいるのに周囲から評価されなかったりして世に出て来れないというのが現状で、そうした環境が循環するかのようにハード思想特化の道をひた進んでいるというのが私の考えです。

 最後に今後の世界情勢と掛け合わせて話すと、ハード思想特化への道は不利であるよりほかない気がします。かつての高度経済成長期のように物資の少ない時代であればハード思想は大いに威力を発揮して世界で戦っていく上で有利さを持っておりましたが、現代は物が溢れそれら数多くある競争相手から如何にして目に見える差をつけるかが大きなカギとなっており、その差をつける材料こそサービスやデザイン性だと思えます。ソフト思想に転向しろとまでは言いませんが、日本人の強すぎるハード思想を少し緩めてソフト思想をちょっとでもいいから身に付けた方がいいよというのが今日の私の意見です。

2014年1月16日木曜日

自販機業界の便乗値上げについて(#゚Д゚) プンスコ!

 昨年末に書いた「自動販売機の設置台数規制の提案」の記事の中で私はキリンビバレッジ、もとい自販機業界関連企業を批判しましたが、これ以前からもこの業界には不信感を強く持っておりつい最近でも如何なものかと思う行動をとってきたので、賛同者よこのブログに集まれとばかりに私の思うことを書いていくことにします。

コカ・コーラグループが4月に自販機価格を一部値上げ 消費増税3%分の転嫁を調整(産経新聞)

 上記リンク先の記事は数日前に出されたもので読んでいる方もいるかもしれませんが、読んだ方の中にはいくらかの疑問を感じられたのではないでしょうか。記事の内容は見出し通りで今年4月に消費税を現行の5%から8%に引き上げることによって原価コストが上がるって言うで、コカ・コーラグループが自動販売機での飲料価格を引き上げるという内容です。どれくらい上げるかははっきり書かれていないものの、これ以前の記事などではスタンダードとされている120円から130円に引き上げるのではないかとみられています。

 何が納得いかないかっていうと、なんで3%の増税に対して約8%(120円→130円)くらい値段を引き上げるんだよって点です。そもそも消費税が導入される以前の自販機価格は1本100円で、それが消費税が3%で導入された際に110円となりました。この110円という価格は103円にするくらいならと理解できるのですが、何故か飲料業界は消費税が5%に引き上げられた際は120円(+9%)に一律して引き上げてきました。っていうか、3%から5%へ引き上げられた際は100円→103円→105円>110円なんだからそのまま110円でよかったんじゃないのと日本中の誰もが思ったことでしょう。

 私個人としてはメーカーや小売店は自由に価格を設定するべきだし、デフレの世の中だからこそ各社売れる商品についてはどんどん値上げを実施するべきだという立場を基本にしています。しかしこの自販機業界に関しては消費税増税にかこつけた値上げの仕方があざとく、価格に全く合理性が感じられないことから強い不信感を感じずにはいられません。

 なおかつこの業界で腹立たしいのは、これは先月の話ですが業界各社が揃って公開カルテルと称し、スーパーマーケットなど流通業界に対して消費税増税に伴う価格転嫁分をメーカーに負担させないように申し合わせている点です。確かにこのところの小売店はPBブランドなどいやらしいことしているなと私も思いますし、そうした動きに対して個別ではなく業界全体で抗議して要求をするというのは至極もっともな行動です。しかし片一方でほぼカルテル的に便乗値上げをしておきながら流通業界には価格転嫁を認めないと公開カルテルに出るなんて、自分たちに都合のいい主張ばかり唱えていて見ていて癇に障ります。はっきり言えば馬鹿抜かせアホってとこです。

 そもそも自販機関連では最初にリンクを載せた記事でも書いてあるように、キリンビバレッジ社は自社の社員をゾッとするような勤務体系で働かせて過労自殺に追い込んでおり、数メートル間隔で自販機を設置するもんだからその電気使用量など社会コストも決して低くありません。改めて主張しますがこのような他者を省みない連中は社会から排除されるべきで、それこそ私が前回主張したように自販機の設置台数を制限するなどして規制をかけるべきだと思います。
 基本、飲料なんて原価が本当にたかが知れており、どんだけ電気代払っても自販機を設置すればするほど利益が伸びるような商品です。しかしそうして使用される電気消費のコストは社会全体が一部負担することにもなり、またやたらあちこち自販機が立っていう日本の景観も決して美しくなく、多少の不便を確保しても消費者は自販機を減らすよう努力するべきではないでしょうか。私もこのような考えを実行に移すべく、飲料はなるべくコンビニなど小売店でこのところ買うようにして密かな抵抗を続けるつもりです。

 それにしても、こういう意見を言うのが自分だけっていうのはさびしいなぁ。でもってコンビニで買おうとする自分の行動もまたみみっちぃなぁ。買うのは決まって1.5リットルのコーラで、なんで中国みたいに2.5リットル売ってないんだよと文句ばっか言ってますが。

2014年1月15日水曜日

家族のつながり、遺伝子のつながり

 突然ですが高校時代の友人に「火星人」というあだ名の友人がおりました。名付け親は自分ですがそこそこ定着して普段から「火星人テスト何点だった?」という具合で読んでたので携帯電話のアドレス名もそのまま「火星」と登録しておいたら、大学のサークルの先輩が自分の着信履歴を盗み見て、「なんやお前、火星と交信しとったんか!?」とあらぬ疑いをかけられる羽目となりました。

 話は本題に入りますが今一番ヒートアップしている芸能界の話題ときたらAKB48の大島氏のいきなり卒業宣言よりも、元・光GENJIの大沢樹生氏の長男の血統を巡る騒動でしょう。詳細については説明するまでもないでしょうが、前妻との間の長男のDNAを鑑定した所親子関係がないという結果が出て、まぁその後はごたごたというか未だに何が本当なのかよくわからない状況が続いています。私個人の印象としては会見に出た大沢氏の嗚咽ぶりを見ると嘘をついているようには見えず、またスクープは大沢氏自らが公表した物ではなく週刊女性の報道に端を発する騒動であることを考えると嘘をつく必要もないんだしななどと考えています。

 先日に私は日本人の家族関係は非常に希薄だなどという記事を執筆しましたが、今回の大沢氏の騒動などのように仮に血を分けたと思っていた家族が実は違ったなどと言うのはやはり計り知れないショックを受ける出来事のように思えます。昨年にも生まれた直後に取り違えられて別々の家庭で育っていたという事件がありましたが、ショッキングとしか言いようがなくそれこそ本人でなければ分からない苦悩があったのではないかと推察します。
 そもそも論で話すと、リチャード・ドーキンス先生が言っているように人間を含む生物の本能は自己の遺伝子を最大限増殖することにあり、血を分けた肉親や子供を大事に思うのは普通の感情です。逆を言えばそういう対象である子供を虐待するのは種として終わってるということですがそれは置いといて、肉親だと思っていた存在が実はそうでなかったというのは種として非常に大きなストレスを覚える要因においてほかなりません。それだけに上記の二事件の関係者の方々にはココアらから深く同情の念を覚えます。

 ただこの二事件とも誕生から相当程度の時間をおいて発覚したという点で共通しますが、これはこれで辛いものの誕生した瞬間にわかるというのも結構心が痛むような気がします。ネタにして悪いような気もするので実名をぼかしますが過去にあるスポーツ選手が奥さんの出産に立ち会ったところ、生まれてきた子供の肌が黒かったというお話のような事件があったそうです。もちろんその選手はその後、その奥さんとは離婚したそうですが。

 遺伝子がなんでもかんでも家族を規定するわけでなく、三国志における義兄弟みたいに魂のつながりによって出来る家族も存在しますが、このところは遺伝子の解析が進んできたことによってやはり遺伝子の一致性が絶対という風潮が前より強くなっている気がします。ここで少し話を変えますが私はこうした遺伝子絶対論ともいうべき風潮に対して文学部出身の人文主義者らしく「納得できないヽ(`Д´#)ノ 」などと言っては反論を展開してました。その一方で自分の記憶力と集中力は先天的なものがあると主張しているのですが……。
 しかし単に感情論だけで主張していたわけでなく、たとえばヒトとチンパンジーの遺伝子はなんと98%以上も同じだというのにどうして骨格や見かけ、果てには行動や思考力が異なるのか、遺伝子が絶対だというのなら絶対値で2ポイント弱の差がここまで分けるのかという疑問もちゃんと持っていました。そんな風に考えてネットを駆け巡っていたところ、どうもこのところ新説が出ているというか遺伝子だけがその生物のありようを決めるわけじゃないという意見が出ているそうです。では何がそのありようを決めるのかというと、細胞に含まれるウイルスが与える影響が大きいのではないかと出ているようです。

 ウイルスの定義は非常に難しく、問題のない言い方をするとタンパク質の一種としか言いようがありません。その原理や成り立ちなどもまだ研究が進んでいないのですが、一般的にはインフルエンザなどの病気の元のように悪い存在だと考えられがちですが、そうした人間に悪影響を与えるものもあれば普段は無害で細胞にずっとくっついているウイルスもたくさんあると聞きます。これらウイルスはその働きなどもまだよくわかっていませんが、これらの組成によって生物は種を跨いでいたり同じ人間という種においても個体差を分ける要因になっているのでは、というのが私が聞いた仮説です。
 私にとっては夢があるというか面白い話で、遺伝子だけが人間を規定しないという説に魅力を感じます。それと同時にタンパク質が与える影響と聞いて真っ先に狂牛病が浮かび、将来この方面の研究の需要が高まってくるのかなと思う次第です。

2014年1月14日火曜日

東京都知事選に対する予想(ー_ー)!!

 年末年始にテレビ付けている際にいくつかお笑い番組を見ましたが一時期のお笑いブームの頃と比べてどれも面白く感じられませんでした。その中で唯一面白かったのが、名前は知りませんが有るコンビがやっていたネタで、

「お会計は5000万円になります」
「猪瀬じゃねぇんだから払えねぇよ!」

 っていうネタがツボにはまりました。本来ジョークというのは政治を風刺するところから生まれたのだし、もっとこういうネタが世の中はやってもいい気がします。そんな猪瀬前都知事の後継を争う次回都知事選ですが、ようやく役者が出揃ったこともあるのでそろそろ私の予想と見方を書こうかと思います。

 まず現在までに出ている著名な候補者を挙げると、元厚生大臣の舛添要一氏、元航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄氏、元日弁連会長の宇都宮健児氏の三人に加え、本日になり細川護煕元首相も立候補を表明しました。結論から述べると現時点では舛添氏がリードしているように見え、対抗馬が細川氏、残りの二氏とドクター中松氏は順位予想の賭けの対象にしかならないでしょう。

 当初、というか先週時点で私は次の選挙では舛添氏がほぼ確実と見て、誰が当選するかよりも1~4位までの順位を競馬の連勝枠みたいに予想する選挙だと見ていたのですが、今日になって細川氏が立候補してきたことを受けやや見え辛くなりました。仮に細川氏一人が出てくるというのなら名前は失念しましたがある自民党議員が行ったように「殿、ご乱心」で終わったことでしょうが、同じ脱原発を掲げている小泉元首相がセコンドについたこともあり、何かの拍子にひっくり返されるかもという懸念を覚えざるを得ません。

 それでも現状においてはまだ、舛添氏の方が情勢的に有利ではないかと私は見ています。その根拠としては厚生大臣時代の施政経験と与党自民党との太いパイプ、圧倒的な知名度を持っていることに加え、細川氏が脱原発を掲げて都知事選に出ることに違和感を覚える有権者が多いのではないかと考えているからです。仮に国政選挙であれば脱原発はテーマとして通用するものの、都知事になって原発問題にタッチするかと言ったらやや疑問です。
 その上で個人的な意見を述べると、実現性を無視したむちゃくちゃな理想論ばかり掲げて引っ掻き回すだけ引っ掻き回した鳩山由紀夫元首相となんとなく姿がダブります。また自分と同じ20代ならまだしも40代以降の世代であれば突然政権を投げ出したことを忘れていないでしょうし、こういう変節振りは未だ修正利いているとはとても思えません。

 ここまで読んでもらえればわかると思いますが、私個人としては次の都知事選では舛添氏を推します。理由は単純に無難であることとで、年齢がやや高いのが気になるので仮に40代くらいの若くてビジョンのある方が立候補するならそっちを推しますが、現状では舛添氏がやはり一番な気がします。
 私が次の都知事に期待することとしては第一に2020年の東京五輪を見据えた再開発、都市設計で、具体的には自動販売機設置台数の規制や汚い広告を広告主ごと闇に葬り去る景観規制などで、このほかとしては複雑すぎる東京都の地下鉄再編計画、ブラック企業の見せしめを兼ねた残虐な排除などもやってくれたら文句ないです。そういう意味で、脱原発というのはやっぱ二の次なんですよね。

 しかし相手はあの小泉元首相。セコンド役とは言えやる気は満々のようですし、既に一部で予想する意見が出ていますが、先程の五輪対策など数多くある論点をすべて無視して「原発にイエスかノーか」と言って、原発問題だけを争点にしようと動いてくると思います。もちろん私も原発については廃止論者でありますが、そういう事は国政選挙でやってくれというのが本音です。
 しかし仮に、都知事になってこれが出来るというのなら自分の意見は変わります。それはどんなことかというと東電の徹底的な締め付けです。

 東京都は東電の大株主であり意見なども一応行使できる立場にあります。このストックパワーを用いて大々的なリストラに加え原発作業員の直接雇用などを都知事として確実に踏み切るというのであれば、もしくはそういうビジョンを見せるというのであれば、まだ行っていることにも信憑性というものが湧いてくるでしょう。
 それにしてもこれだけやる気あるならと、小泉元首相が自分で出馬していたら確実に圧勝していたことでしょう。何故小泉元首相は立候補せず細川元首相を推薦したのか、最大の理由は元首相が表舞台に出るべきでないという自身の矜持と、並外れた政局の読みでしょうかね。危ない橋は他人に渡らせとけってとこですか。

2014年1月13日月曜日

家族関係が異常に希薄な日本民族

 このところ日本人論ばかり書いていていい加減食あたり気味ですが、何故か知らないけどこのところこういうネタばかり思い浮かぶので片っ端から書いていきます。これらの日本人論は基本的に日本人を持ち上げる物ではなくむしろ批判的な内容に染まっていますが昨日に友人から、「好きと嫌いは背中合わせだよ」というようなことを言われ、こういう内容でも参考にしてくれればという思いがもしかしたら自分にあるのかもしれません。
 なお私はプロフィールで専門は国際政治と社会学と書きましたが、大学在学中に在籍した学部は社会学で、その中でも人類学のゼミを受講していました。そういう意味ではこれら日本人論は秦に自分の専門にマッチした内容であるのかもしれません。

 それではそろそろ本題に入りますが最終的な結論から述べると、あくまで私個人の実感ではありますが誇張ではなく、私は日本人ほど家族を大事にしない民族を知りません。もちろん戦争中や宗教上の戒律などがある場合は別ですが、一般的な先進国における家族の中隊を見比べるにつけて日本人が最も家族をないがしろにしているように見えます。

 私が比較対象として考えているのは米国と中国ですが、米国に至っては児童虐待事件なども少なくないものの、普通の家庭では子供が成人した後もハグし合ったりしたり、お互いの誕生パーティを派手に開いたりしていて全く屈託がありません。そして中国に至っては儒教的概念からか明らかに一族意識が強く、旧正月には一族で集まったり、記念日などに親へ贈り物を送ったりする習慣がありその中退は非常に強いです。なお以前に日本で夫婦別姓が議論された際にある議員が、夫婦別姓にしたら日本の家族における紐帯が切れるなどと言って反対しましたが、中国は夫婦別姓にもかかわらず家族仲が日本よりよさそうに見えるのは私くらいなものなのでしょうかね。

 話は戻しますがこうした他国に比べ、残念ながらというべきか日本の家族関係はそれほど濃いようには見えません。子供が幼児であればまだアットホームな光景が浮かびやすいですが、一度成人にもなろうものなら非常に関係が希薄になり、私の周囲でもそれほど顔を合わせたくないという人が少なくありません。
 また仕事との関係でもこうした傾向は顕著で、日本では未だに仕事のために家族を犠牲にすることが美徳というか推奨されます。たとえば野球などでは米国から来た外国人選手が家族が病気などになるとシーズン中でも帰国しますがこれなんか批判の的になるし、このほか家族を優先して残業せずに帰ろうとしたら「やる気あるのか?」とすごまれる職場なんて星の数ほどあるでしょう。多分というか中国人なら家族を優先して仕事をさぼる、もとい頼んだって残業をしないほど自分の気持ちに素直に従うと思います。

 もちろん個別の家庭によってこうした家族意識は千差万別でしょうが、社会全体でみるなら家族という単位が日本では非常に弱く、それが組織への概念意識の低さにもつながっているように見えます。蛇足かもしれませんがやっぱり普段ユースを見ていて、児童虐待を行った親に対する報道というか社会の批判が緩すぎる気がします。今日日一人の殺人でも死刑が判決されるのだし、自分の血を分け、さらには何も抵抗できない子供を殺害する人間に対しては例外なく死刑でもいいと思うし、殺害まで行かずとも暴行を行う親に対してももっと社会が厳しい目を持ってヒートアップした報道がされてもいいような気がします。なんていうか、今の状況は淡白すぎるというか。

 また話は戻しますが、じゃあなんで日本人はこんなに家族意識が低いのか、「団塊が悪い」と団塊の世代のせいにしたら楽っちゃ楽ですしあながち間違っていない気もしますがもう少し考察すると、歴史的には日露戦争が一つの区切りだったかなぁという風に考えてます。
 日露戦争ときたら与謝野晶子で、出征する彼女の弟を心配する短歌が新聞に載ったら与謝野晶子が市民から批判されたという事件がありました。何が言いたいのかというと国家意識を高める教育をしていくうちに外見だけ「お国のために」なんて言っていたらいつの間にか本音と建前が入れ替わってしまい家族意識が微塵もなくなった、というには自分で書いておきながらですがやや強引ですね。

 まぁこの際原因は何だったかは置いといて今後日本人はもっと家族関係を濃くするべきなのか、このままを維持するべきなのかを少し考えます。私自身リアルに親戚と絶縁に踏み切るほど家族関係が希薄な人間の一人ですがそれでも敢えて述べると、本気で少子化対策を進める気があるというのであれば「家族を大事にするべきだ」というような標語を国家レベルで普及させるべきでしょう。
 昨日の記事にも続きますが突き詰めると日本の少子化は家族関係の希薄さが大きな原因のように思え、家族というものを大事にする日本人が増えることによってこの方面の問題が少し改善するような気がしないでありません。なのでそれこそさっきみたいに家族を優先したいのに残業を強制する様な企業に対して目立つところを二、三社くらい業務停止させ、大々的に発表しさえすればみんな一斉に黙るんだし、こういうところに着眼点を置いて政策立てたらどうかなって思います。

 最後に面倒な説法は嫌いな人は読まないことをお勧めしますが、自分の思想の原点は良くも悪くもキリスト教の概念が非常に強いです。そのキリスト教における重要な協議の一つに「隣人愛」という概念があり、これはどの人間に対しても隣人の様に愛せよという説明がよくなされていますがそれ以外の解釈として、ただ隣人を何よりも愛せよという説明のされ方もあります。これはどういう事かというと私の解釈で言えば、距離が近い身内の人間を大事にできない人間がどうして多くの人を大事にできるのか、身近な人から大切に思うことが博愛の精神につながるという風に見ております。

2014年1月12日日曜日

中国の報道から見る日本の課題

高齢化が進行する日本 専門家「中国も警戒すべき」(人民日報日本語版)

 遅くまで友人と話をしていたことから今日も執筆する時間少ないので以前に撮りためていた記事を今日は紹介します上記のリンク先は人民日報日本語版に掲載されていたものですが、日本の少子高齢化の現状を紹介しつつ、中国でも今後直面することが予想される少子高齢化に対してどのような対策が必要なのか専門に尋ねたインタビュー記事です。

 内容としては中国で今後求められる対策に重きを置かれていますが、日本の現状について過去何年にも関わらす少子化対策が実施されているにもかかわらず効果が出ていないどころか、減少傾向に拍車がかかっていると耳に痛いことを書いてくれています。あとこの記事で地味に初めて知ったのですが、「また、日本人の離婚率は2013年に34%にも達した。3組が結婚すれば、1組が離婚する計算だ。」も書かれてあり、そりゃ子供も減る、もとい独身者も多いわけだよと納得しました。ちなみに近々詳しく書く予定ですが、私は日本人ほど家族関係が希薄な民族は知りません。

 話は戻しますが耳にの痛いこと一杯書かれている一方、外国からの支店だけあって冷静に日本の現状が書かれている気がします。あとこの記事中で果たして日本の少子化対策がどれほどの効果を上げているのかという質問も挙げられていますが、それについてはもし対策が何も成されていなかったらもっと減少していたかもしれないと優しくフォローしてくれています。しかしこの問題について私はやはりもっと日本人は真剣に考えるべきで、たとえばゆとり教育などでもほとんど期待した効果が出ていなかったにもかかわらず導入に関係した責任者は誰も処罰されていません。

 同様にこの少子化対策においても、少なくとも目に見える効果が出ていないにもかかわらず予算だけは毎年山ほど使われ、わけのわからないポスター代とかに消えていることを考えると果たして今何が求められているのか、何が不必要なのがもっと真剣に議論すべきでしょう。その上で、これまで何も効果を挙げられなかった責任者に対しては相応の処分を取り二度と政策や立案に関われなくするべきです。

 なおたまに中国崩壊論の根拠として一人っ子政策から来る人口比の歪みが社会を崩壊させるなどと述べ、上海市の60歳以上人口の比率が四分の一まで来ていると主張するお馬鹿さんがいますが、日本は65歳以上で四分の一まで来ています。しかもさっきの中国の数字は中国で最も高齢化が激しい上海という一地域に限定されている一方、さっきの日本の高齢化率は全国での統計で、今後団塊の世代が65歳以上に入って来ることを考えるとここからさらに急激に数字が跳ね上がってくる計算となるわけです。よく上海時代に同僚と、日本終わってるなぁ等と話したもんです。

  おまけ
 先ほどの上海の高齢化率の数字ですが、介護市場関連の記事ではよく引用していました。その際に日本のデータとの比較をしてしまうと、「なんだ、中国の高齢化はまだまだ進んでいないじゃないか」ってことになっちゃうので、編集部内で絶対に出さないという方針で一致しました。実際に自分は一回計算したけど、日本は二年前の時点で60歳以上の人口比が30%まで行ってたような。

2014年1月10日金曜日

漫画レビュー「実は私は」

 火曜日に突然上海から友人が電話をかけてきたので受け取ったのですが、「バイオハザード4が2本もうちの中に転がっているんだけど(;Д;)」といきなり言ってきました。
 種明かしをすると、先月に日本にやってきた際に面白いPS2のゲームソフトはないかと尋ねるので「バイオ4がお勧めだよ」と自分が勧めたので友人は買って帰ったのですが、この前部屋を掃除していたら全く同じソフトが家の中に既に存在していたとのことです。友人によるとそのソフトは友達から受け取ったものですっかりその存在を忘れていたために必要もないのに2本目のバイオ4を買ってしまったとのことです。まぁその友人にバイオ4を譲ったのは私なんですけどね、すっかり忘れとったわ自分も。

 話は本題に入りますが、久々に自分の中でスマッシュヒットというか面白いと思えるマンガを読み始めたので紹介しようと思います。そのタイトルというのも見出しに掲げた、現在少年チャンピオンで連載している「実は私は」です。

実は私は(Wikipedia)

 この漫画のあらすじを簡単に書くと、主人公は思っていることや考えていることがすぐに顔に出るほど嘘が苦手な男子高校生なのですが、ふとしたことをきっかけに片思いの相手である同級生の女子生徒が実は吸血鬼だったことを知り、この事実がばれれば退学となる女子生徒を慮って周囲にばれないように協力しつつト様々なラブルに巻き込まれるというよくある学園ラブコメです。そんなよくあるラブコメの何が面白いんだって自分で書いてて思いますが、特筆すべき点は掲載誌がチャンピオンなだけに登場するキャラクターがどれも濃いというか、個性が強くてキャラが非常によく立っている点だと私は思います。

 私がこの漫画に興味を持ったのは「実は私は」という変わったタイトルと、単行本1巻の表紙絵がちょっととらえどころがないというかどういう漫画なのかわからなかったことがきっかけです。なもんで早速レビューを探してみると、「ヒロインの口が極端にでかい漫画」と書かれあり、なんやそれと逆に興味を募らせていったことから先日に電子書籍で購入するに至りました。読んでみてやっぱりヒロインの口がでかいと思ったが、こんな形容されるヒロインって今までいたのかな。

 仮にヒロインが実は吸血鬼ってだけの漫画だったらこれまでにいくらでもあったでしょうが、この漫画はヒロインに限らず、っていうかほぼ主人公以外が「実は……」って感じで何かしら秘密なりを持っているキャラクターで占められてます。代表的なのはサブヒロインの委員長で、多分この漫画で一番人気あるキャラクターだと思いますが、思ってることが顔に出やすい主人公に対して告白される前に振るというお決まりな役割で第一話に登場したかと思えばその後、なんとその正体は手の平サイズの宇宙人で普段は本体と全く同じ外見の外部ユニット(アンドロイド)に乗って行動していたということがわかります。委員長らしく真面目な性格であるもののすぐに冷静さを失うという性格も見ていて飽きません。
 このほか後からやってきた狼男が月(写真でも可)を見ると普通の人間に戻るかと思いきや痴女に変わるとか、学校の校長先生が悪魔だったりとかで、むしろメインヒロインが吸血鬼なだけでキャラ薄くないかと思えるくらい濃い面々が次々と登場します。

 こんな具合で面白いから一気に現在まで発売されている4巻までまとめ買いしちゃったわけなのですが、連載開始当初はともかくとして2巻以降からは絵の質も安定しており、どこに出しても恥ずかしくない漫画に仕上がっていると思えます。あとこれは私の主観ですが、ストーリー展開もテンポがいいことはもとより、コマ割り、特殊効果、背景、人物の表情など漫画に必要な要素が実に過不足なく整っており、作者の増田英二氏はある長所が極端に高くない一方で短所がほとんど見当たらない漫画家の様に見えます。長所が極端に高くないとは言いましたが人物の描き分けとあとキャラクタの表情に関しては一般的な水準を確実に超えており、それらが内容にマッチしているから自分は面白いと感じるのでしょう。

 あとこっからまた持論ですが、普通ラブコメと言ったらその人気を左右するのはヒロインを始めとする女性キャラクターをいかにきれいにかわいく描けるかに尽きると言われます。ただ私は以前から「それは違うんじゃないか」と考えており、むしろ主人公の男性キャラクターの人物像がラブコメで最も重要な要素だと考えてなりません。
 一例を出すとこれはゲーム(ギャルゲー)ですが昔セガが出してた「サクラ大戦シリーズ」では当時全盛期(今はもう……)だった藤島康介氏がデザインした女性キャラクターが人気の要因となった一方で、主人公の男性キャラクター(大神一郎)が真面目で決断力があり、それでいて公平な性格で優しい人物像であったことから女性を中心に高い人気を得たと言われます。実際に私も1と2はプレイしましたが、男の自分から見ても応援したくなるような主人公で、ゲーム中はほぼハーレム状態であるにもかかわらずどこからも悪く言われることがない稀有なキャラクターでした。

 この「実は私は」に出てくるヒロインらは決してかわいくないデザインというわけじゃありませんが、勢いのある萌えマンガと比べるならやや古いデザインで、極端に優れている程ではありません。その一方で各キャラは個性というかキャラ付けが際立っている上、男性である主人公はやや気弱でキャラが薄いですがメインヒロインに対しては一途な感情を持ち続けている上に基本的にやさしく、読んでて好感が持てる人物像になっています。こういう要素が上手く絡まっているというかキャラクターをしっかり使いこなしているのは見事というしかなく、ちょっと気が早い気もしますが多分アニメ化まで行くんじゃないかと現時点ですら思えるマンガです。
 なおネタバレになるので断片的に言いますが、現在最新刊の第4巻で先ほど言った宇宙人な委員長がタイトルの言葉である「実は私は」を冒頭にして始める独白シーンは読んでて何度も見返すほど感情移入できるシーンに仕上がっており、チャンピオンも「イカ娘」の作者をはじめ、たまに面白い作家拾ってくるなと感心させられます。