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2015年5月17日日曜日

ホテルレビュー:上海楽途静安国際青年旅舎

一昨日、日本へ一時帰国する飛行機が上海から出る関係から上海に前泊した際、個人的になかなか楽しめるホテルに泊まったので今日はそのホテルを紹介します。

上海楽途静安国際青年旅舎

  その日私が泊まったホテルは「上海楽途静安国際青年旅舎(Le Tour Hostelling International)」という名前で、名前の見た感じ同様にユースホステルのような形式のホテルでした。
 

 ホテルがあるのは上海市のオフィス街ともいえる「静安時」という地下鉄駅から北に歩いて15分程度のところですが、ちょうどこの辺りは非常に道路が入り組んでいる所でもあるので初めてくる場合にはご注意ください。
 道路が入り組んでいるってだけあって、ホテル前の道も結構不思議な所にあります。上記の写真がそれですが見る人によってはスラム街っぽい印象を覚えるかもしれませんが、このように照明が少ない細い道路は上海であっても珍しくありません。にしてもいい感じにゴミ清掃のおじさんが写ってくれた。


 そんなびっくりどっきりな道(しかもかなり雨降ってた)を経て辿り着いたホテルロビーが上の写真です。道は暗かったけどホテル内は明るく、誰も写っていませんが時間帯によっては欧米系の外国人がロビー前で数多く集まって談笑するなどインターナショナルな雰囲気がいい感じに出ていました。またフロントも英語には堪能で、パスポート(中国のホテルでは宿泊するのに身分証が必要)から自分の国籍が日本だとわかるときれいな発音の英語で対応してくれた。
 ぶっちゃけ中国語の方がこっちは助かるんだけど。
 

 チェックインを終えて3階の部屋が宛がわれたので廊下に出ると、結構シックな雰囲気の廊下が出てきます。壁には一面落書きがされており、また洗濯物を受け付けるコーナーもあったりと無国籍な臭いで満点です。

  
 壁の落書きはこんな感じ。基本英語。


 この落書きにピンときたらまどか☆マギカ。ってか誰描いたんだこれ?



 部屋番号が書かれた張り紙。ほかにも食堂前には朝食メニューと料金が英語、中国語が併記された張り紙もありました。紙質は敢えてこういうのを選んだのかな。
 

 部屋へと至る廊下。見ようによっては収容所っぽい。


 廊下の奥には何故かこのポスター。魔女、好きなのかな。


 上の写真が一人部屋の写真です。このホテルでは一人部屋のほか3人部屋もあり、長期滞在も可能なシステムとなっております。一人部屋は見ての通りにベッドとテレビ、あとテレビの奥に机があるだけで、写真で見切れている左側にはホテルとシャワーがあります。


 これがそのトイレとシャワー。はっきり言えばかなり貧相な設備で、アメニティもシャンプーとボディーソープ、タオルは置いてますが、歯ブラシや櫛は置いて無く、あとティーパックと飲料水のペットボトルもありませんでした。ただ床のタイルは割ときれいだった。



 こちらが部屋の奥にある机。椅子に至ってはパイプ椅子。テーブルの上のサンドイッチは自分が外で買ってきた翌日用の朝食で、12元(約240円)でした。



 最後の写真がこれで、これは一階ロビー奥にある多目的室です。見ての通りに卓球台もあれば自転車置き場もあり、如何にもバックパッカー向けな施設であることがわかります。

 今回泊まったこのホテルの宿泊料は340元(約6800円)で、ビジネスホテルチェーンの宿泊料が通常200元(4000円)強であることを考えるとやや割高です。しかもアメニティを始め施設は決してレベルが高いとは言えないのですが、私個人の感想を述べると雰囲気がたまらなくよかったので比較的満足しました。
 何度も言いますが施設は建物ごとやや古びていて設備も決して優れてはいません。しかしその古びた感じに無国籍でバックパッカー的な雰囲気が非常にフィットしていて、泊まった感じとしては気分は悪くありませんでした。教訓めいた言い方をするならば設備が古いから新しくするのではなくそのシックさに合わせて雰囲気を作ることでこういうホテルも作れるのかとなかなか感心させられました。

 ただ個人で泊まるならともかく、家族で泊まるとなると部屋も狭そうだしはっきり言ってお勧めできません。 やっぱりバックパッカー的な出会いを求めてくるか、もしくは複数人で泊まるかとして使うべきで、興味のある方は一回行ってみることをお勧めします。

2015年5月16日土曜日

特殊清掃業の耳を傾きたい仕事内容

 何人かにはアナウンスしてますが明日免許の更新のため日本に一時帰国するので、今日は明日のフライトに備えて上海のホテルに宿泊してます。なんか展示会でもあるのか今日はどのホテルも満杯だったため空港からやや離れたホテルを予約することになりましたが、なかなか面白いホテルで当たりだったので近く紹介しようと思います。

パワハラとか殴る蹴るは当たり前ですとか書いてる会社見つけたのだがwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww(アルファルファモザイク)

 そういうわけで本題に入りますが、ホテルの回線でネットを閲覧していたら上記の掲示板まとめ記事が目に入りました。「またブラック企業のブラック自慢かよ」とやや呆れ気味にページを開いてみたのですが、この記事で紹介されている会社は「メモリーズ」という会社で、どんな会社かというと特殊清掃業と呼ばれる通常の清掃とは異なる、具体的に言えば死体をどかした後の清掃などを請け負う仕事です。

 実際にどういう仕事をされているのかは是非リンク先の会社ホームページをご自身で閲覧してもらいたいのですが、一言で言って壮絶極まりありません。まとめ記事に引用された「仕事中に殴るけるは当たり前」という文言が書かれたページはまだ見つけられませんが、これほどまでに壮絶な仕事現場であれば本当に殴る蹴るくらいの気迫を持って仕事しないと絶対無理だろうと思うし、実際にこの会社自身も「いい加減な気持ちでやると人が死ぬため」と、パワハラがある理由を説明しております。変な言い方ですがその主張はもっともだと思えるし、事前にこういうことがあることを明確にしている点では良心的な会社ではないかとすら思います。

 この会社のホームページ内には実際の特殊清掃業の現場内容として清掃員の仕事体験談が数多く載せられているのですが、読んでいるだけで背筋が凍るというか心身全てが震わされるような話ばかりです。紹介されている現場は孤独死を迎え長期間死体が放置されていた部屋の清掃が多いのですが、中には死体が長期間浴槽につかっていた現場とか、期間が夏場だったためいろんなものが湧き出ていた現場など想像を遥かに超えた、日常からは考えられない世界が広がっております。
 断言しますが、下手な小説なんかより読んでてずっと面白いです。ただかなりショッキングな内容が多いので、閲覧する際は自己責任でお願いします。というより、心臓の弱い方は絶対に見ない方がいいです。

 そうしたショッキングな内容とともに、孤独死の悲惨な現状についても丁寧に記述されておりこれもなかなか考えさせられます。遺体が腐敗するまで誰にも気づかれなかったり、一日に二件の自殺現場で仕事が入ったりなど、現代社会のひずみというか問題性について下手な政府広報よりもずっと胸を打ちます。非常に大変な仕事でしょうが、この会社の人たちにはぜひ頑張って活動を続けてほしいと心の底から応援したいです。

 最後にいくつかの現場体験談を読んでみて思ったこととして、「山下君」と呼ばれる作業員の方がどの記事でも、「本当によく頑張ってくれた」と褒められているのが印象に残ります。出てくる現場も異常に壮絶なものが多いだけに、この人はきっとすごい人なんだろうなと文脈からでも十分に感じ取れます。

2015年5月14日木曜日

日本国憲法はド素人が作ったのか

 自衛隊の関連法案が審議に上ってきた(ほんとはこっちより派遣法を話題にしてほしいが)ことからこのところ憲法に関する、それも起草当時について触れる記事を見る機会が増えてきました。そう言った記事の中でちょっと気になったのが、「占領軍の素人が数日間でつくり、押しつけた憲法」という主張で、これは今年3月に安倍首相が議会でこれと同じ内容の発言をしたことからやや独り歩きしている節があるのですが、これにはやや異論があるというかちょっと黙ってられないので個人的な意見を書いていくことにします。

極秘で起草、徹夜の議論=敗戦が生んだ「革命」憲法【戦後70年】(時事通信)

 現在の日本国憲法はどのようにして誰によってつくられたのか、結論から言えば日本政府が出してきた草案に満足しなかったマッカーサー率いるGHQの職員チーム25人で作成されたということは紛れもない事実です。また戦争放棄をうたった憲法九条については日本政府から提案されたとかねては伝えられていたものの、現代ではマッカーサーが九条を追加したが敢えて日本政府からの提案を受けたふりをしていたという意見が強いです。半藤一利氏によると、「マッカーサーは嘘つきだからなぁ」だそうです。

 話しは戻って憲法起草のメンバーについてですが、参加メンバーで最も有名なのは当時22歳だったベアテ・シロタ・ゴードンで間違いなく、法学部における憲法学の授業でまず出てくる名前でしょう。彼女、というより彼女の父親のレオ・シロタについては以前に評伝を書いておりますが、よく彼女の存在を取り上げては、「まだ22歳で、憲法についてド素人である小娘に作らせた」などという揶揄を見たりしますが、正直に言ってこれらの意見は私にとって不快です。
 実際には彼女は英語、日本語に堪能であるだけでなくロシア語にも精通していたため、憲法の起草に当たっては国会図書館に通ってドイツやロシア、フィンランドの憲法条文を参考にしてきては日本語の独特なニュアンスをほかのメンバーに伝えるという才女ぶりを見せています。憲法学のバックグランドこそなかったものの、それを持って「ド素人」などと批判するのはやや筋が違う気がします。

 ほかの起草メンバーに関しても同様で、確かに憲法を専門に学んだことのあるメンバーはいなかったものの何人かはアイビーリーグの大学で法学を専攻しており、三人ほど弁護士資格保有者もいたそうです。 実際に起草された日本国憲法は少なくとも日本政府が最初に出してきた前時代的でほとんど何も変化のなかった草案よりもずっと内容が充実しており、特に女性の権利保護については、女性の普通選挙参政権がほとんど認められなかった時代でありながら本国アメリカ以上に先進的な内容を取りこんでおりました。そのほかの内容に関しても、戦後70年以上何の変更も加えられないながらも機能している点を鑑みると大した憲法だと私は考えています。
 確か田原総一郎氏だったと思いますが、「少なくとも戦後、日本は一度も戦争に巻き込まれることがなかったのは間違いない」という評価を下しており、この一言に尽きるでしょう。

 私自身は憲法自体はそろそろ変えるべき点も出てきたし、硬性憲法だと弊害が大きいとも考えるため改憲派でありますが、起草メンバーを「ド素人」とするこの意見に関しては生理的に怒り、言い方を考えると聞いてるだけでなんか腹立ってくるのでここで強く異を唱えます。第一、法律に対する価値観でアジア人が欧米人に文句言うってのもちょっとなと思えるし。
 真面目な話、日本の法整備は憲法以上に喫緊の課題です。民法の保証人制度なんて気違い極まりない法律だと思えるし、住宅ローンに関しても日本では時と場合によっては二重ローンがあるというと外国人みんなに驚かれます。はっきり言いますが日本には本当に法律の専門家がいるのか、それこそド素人ばかりなんじゃないかと密かに考えてます。

2015年5月13日水曜日

近距離間国家連合の先行き

 もうずっと専門とする国際政治の話を書いてない、っていうかただ単に勉強してないだけですが、久々に好き勝手な推論でもいいから何か書こうと思います。まぁ勉強しなくなった言い訳をすると、日系メディアだと国際報道がちょっと少ないんだよなぁ特に最近。

 先日英国で総選挙が行われ、選挙前の予想報道とは大きく結果が異なり与党保守党が大勝する結果になったそうです。一方で野党の労働党は議席を減らすこととなり、この選挙結果について東洋経済の記事では英国は今後ますますEUとの距離を置くだろうとの見方を示しており、私も基本的に同感です。
 もともと英国は大陸嫌いというかフランスやドイツといったヨーロッパ諸国とは距離を置きたがる傾向があり、特にその傾向が激しい保守党が買ったことが何よりも大きいです。ただそれ以上にEU自身が目下、結束を保てるかどうか怪しい状態が続いていて果たしてこの距離的に近い国同士の国家連合はどうなってゆくのか今試されているでしょう。

 EUの結束が何故ゆるんでいるのか一言で言えば欧州の問題事故とギリシャの負債問題からです。この負債をどう処理するか、言ってしまえば国家破産か他国からの資金援助の二つに一つしかないのはわかりきっているものの、前者ならEUは身内を助けないと結束にひびが入り、後者なら資金を負担する国民が納得いかないということになるため、EU賛成派にとってはなかなか頭が痛い所でしょう。また資金を融通する国にとっても、ドイツなんかはまだ金があるらしいですがイタリアやスペインも案外ギリシャを笑えない財政状況だと聞きますし、地味にフランスも日本じゃ報道されてないだけでかなり問題を抱えているといううわさを聞きます。

 何故EU諸国でこのような状態が続いているのかというと単純に不況だからという理由のほかに、EUは域内通貨をユーロに統合しているため、国別に財政は異なっているのに為替が変動しないため市場での為替価格の自動調整、言うなれば「神の見えざる手」が機能し辛いことが指摘されています。簡単に説明すると、市場競争力のない国は普通なら自然と為替価格が下がって人件費が落ち、輸出競争力が増していくのですが、ユーロの場合は通貨が共通するためそうしたことが起こらず国別で弱者と強者の差がどんどん広がりやすいそうです。この辺はマネタリストがもうちょっとわかりやすく説明してくれたら助かるのですが。

 元々EUはヨーロッパ大陸で市場を統一化して大きな経済力を持とうという目的で発足しましたが、皮肉なことに同じ市場の中で強者が弱者を食うような事態が今起こっています。EU参加国はヨーロッパの文明を共通していることはもとより、距離的に近距離にある国同士がくっついたという背景がありますが、こうした地政学的価値観に基づく連合国家はやっぱりうまくいかないのではと現時点で私は思えます。

 仮に日中韓の東アジア三カ国でEUのような組織が出来たら、共通通貨がもたれたらどうなるかですが、政治的な衝突が起こらないという前提であってもやっぱりうまくいかないのではないかと思います。何故うまくいかないのかというとやっぱりギリシャみたいにサボった方が得だと考え動き出す国が出てきそうだからです。

 このように考えると世界はまだしばらくは国民国家制度を維持するのが無難ではないかとも思えてきます。EUの思想は一種、経済を媒介とした連合ですがこれだとやっぱり金の切れ目が縁の切れ目で、ちょっとしたことで分裂なりが起こりかねません。じゃあ世界政府ならどうなのか、よっぽど喧嘩と悪の強い皇帝みたいなのが出てくるなら話は別ですが、世界政府となると民主主義はまず成立しないでしょう。

 本当にまとまりのない内容ですが、「国家を越えた枠組み」の1バリエーションとして実現したEUの行く末は非常に大きな試金石です。ただ私自身もあまり期待はしておらず、今後どのようになっていく過程にだけ注目する必要があるというのが今日の私の意見です。

2015年5月11日月曜日

創業家列伝~井植歳男(三洋電機)

 昨日は三洋電機破綻後の三洋電機元社員を追った「会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから」の書評記事を書いたので、折角だから今日はその三洋電機を創業した井植歳男の評伝を書くことにします。別に計算していたわけではなく、なんとなく今日は記事執筆に当たって余裕あるから創業家列伝と思ってネタ捜してたらこうなりました。

井植歳男(Wikipedia)

 三洋電機を創業することとなる井植歳男は1902年に淡路島で生まれます。生家は自作農で比較的裕福だったのですが、歳男の父は船乗りを目指し、田畑を売って船を購入すると回船業を営み始めました。ただその父は歳男が13歳の時に急死し、後を継いだ歳男は乗組員が四人だけの船を回すこととなったのですが、船乗りの仕事は今も大変ですが昔はもっと大変だったらしく、歳男自身も当時を過酷な時代として後年に振り返っております。
 しかしそうして家族を養っていた歳男に災難が降り掛かります。港近くで火事になった倉庫の火が燃え移り、仕事で使っていた船があっさりと燃えてしまったのです。生業の手段を失ってしまった歳男ですが、ここで思わぬところから大きな転機が生まれます。

 この辺の話は有名なので皆さんも知っているかと思いますが、歳男の姉は松下電器創業者の松下幸之助に嫁いでおり、1917年に大阪で独立した幸之助は親類縁者ということもあって歳男を従業員に誘い、これに歳男も応じます。当初でこそ工場作業を手伝うなどしておりましたが次第に営業方面の仕事が多くなり、まだ十代であった歳男のセールストークは営業先でも、「この人の話方はとてもうまいからみんな見習いなさい」と他の従業員の前でわざわざ披露させられたというエピソードまであります。ただこの時の営業先は何も買ってくれなかったそうですが。
 その後も歳男は文字通り幸之助の片腕となって八面六臂の活躍で創業時の松下電器を支え続けます。歳男が松下電器に在籍した期間は30年にもおよび、実は三洋電機の在籍期間の22年よりも長かったほどで、32歳時には松下電器の専務職に就任しています。

 時代が戦時色を深めるようになった1930年代にもなると歳男は軍需産業への進出を目指しグループ会社の松下造船を設立すると、木造船を八段階の工程に分けて同じレールの上で作業するという、いわば造船の流れ作業を考案して戦時中には100隻を越える船を造船したと言われます。元々船乗りだったこともあり船には造詣が深く、また本人も単純に好きだったためか後年にも淡路島と本州をつなぐフェリー会社も設立してたりします。

 このように幸之助の元で商売の才能を発揮し続けた歳男でしたが、戦後になると松下電器はGHQから財閥指定を受け、旧役員は一人を残して全員追放されることとなり、義理の兄である幸之助だけが残る形で歳男らほかの役員が去ることとなりました。歳男はこの時、戦前に軍需系企業の株(戦後はもちろん無価値に)の購入費用として借りた350万円の借金を抱えていたため文字通り途方にくれていましたが、住友銀行で後に頭取となる鈴木剛という人物は歳男の人物を買って、新たに50万円の融資を自ら持ちかけてきました。これに応じる形で歳男が設立したのが、三洋電機でした。

 独立に当たって義兄の幸之助からは自転車用発電ランプの製造特許を譲渡され、このランプを作るためまずは兵庫県加西市の北条工場で生産に乗り出します。続けて生産拡大を図り今度は大阪府の守口市に工場を設立しますが、ちょうどこの時に製品に欠陥がでて回収・修理(リコール)をする事となった上、設立したばかりの守口工場も漏電が原因の火災で完全に焼失してしまいます。
 このように順風満帆のスタートではなかったものの立ち直り方は早く、火災から一ヶ月後には工場再建を果たし、創業二年目で三洋電機は発電ランプの国内シェア6割を獲得するにまで至ります。その後も生産品目を増やし、後に三洋の代名詞ともなる「噴流式洗濯機」を国内で始めて製造するなどして会社は拡大を続けました。
 なお三洋電器は洗濯機にはやっぱりこだわりがあったらしく、ドラム式洗濯機も国内で初めて作ってます。

 歳男は66歳でこの世を去りますが、三洋電機自体は歳男の創業時の精神を強く持っていたようで、破綻に至るするまで「主婦のための家電」を合言葉に新機能を追加した洗濯機や冷蔵庫、また末期のヒット商品であった「ゴパン」など新奇性に富んだ家電を生み続けました。

 昨日の記事でいくらか書きそびれたことをここで書くと、パナソニックは三洋電機を買収してからすぐ、「SANYO」ブランドの使用をやめると発表し、それを実行に移しました。しかし私見ながら申すとこの決断は実にもったいなかったと思え、というのも「SANYO」ブランドは日本国内では「ナショナル」や「SONY」と比べるとブランドイメージがやや弱かったものの、東南アジアなど新興国市場ででは早くから進出していたこともあってその認知度や評価は高かったと聞きます。現在の世界市場は新興国市場が中心といっても過言ではなく、国内の使用をやめるだけならともかく、新興国では引き続き利用しておけばよかったのではないかとつくづく思えてきます。
 もっともそれ言ったら、ソニーの「Aiwa」ブランドも全く同じこと言えますが……。

  おまけ
 ちょっと記憶があやふやな所もありますが、確かうちの実家の洗濯機も90年代後半は三洋製だったような気がします。それ以外だと三洋製の家電はあんま使ったことはなく、テープレコーダーにAiwa製、MDウォークマンにパイオニア製を私は使っていました。当時はソニー全盛期だったから、「ソニー製じゃねぇ、だっせぇ」と言われながらもテレコで磁気テープで音楽聞いてました。

  参考文献
「実録創業者列伝Ⅱ」 学習研究社 2005年発行

2015年5月10日日曜日

千葉のマッドシティ~東葛飾旅券事務所


 千葉県松戸市ことマッドシティネタでリアル松戸市民の友人に材料となる写真を要求した所、今回紹介する東葛飾旅券事務所の写真を意気揚々と送られてきました。
 この東葛飾旅券事務所とは読んでその名の如く、パスポートの申請、交付手続きを受け付ける事務所です。この事務所が申請手続きを受け付ける住民のエリアは比較的広く、隣の市に住んでた私も自転車で近くの伊勢丹に着けて、ここの事務所で手続きを行って交付してもらいました。

 と、正直なところこれくらいしかこの事務所について書くこと出来ないのでちょっとどうでもいいネタを明かすと現在私が持っているパスポートは2008年に発行してもらったのですが、その発行日はなんと2月29日、そううるう日だったりします。
 別に狙ってこの日に申請して取ったわけではなかったのですがたまたまこの日の発行となってしまったため、十年後の更新日は2018年2月28日という風に発行日の日付とずれてしまっております。そりゃうるう年じゃないんだから当たり前ですが、我ながら奇妙なパスポートを持ってしまったとやや反省しています。

書評「会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから」

 以前に書いた林原の倒産記事が読者からそこそこ好評だったと友人に伝えたところ、「次は三洋だ!」と言って、紹介されたのがこの「会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから」という本でした。

 この本はかねてから家電メーカー大手、三洋電機を長期間取材してきた日経記者の大西康之氏による、三洋電機がパナソニックに買収されてからの各関係者の状況を取材してまとめた本です。出版された直後から好調な売り上げだったようで私の周りでも既に読んでいる人間が多かったのですが、私も読んでみた感想としては確かに面白く、文章のリズム感の良さはもとより丹念に取材して書かれているということが読んでてよくわかります。
 中身はどういったことが書かれているのかというと、冒頭では三洋の創業者である井植歳男の息子であり三洋電機の社長、会長職も務めた井植敏氏へのインタビューに始まり、パナソニックによる買収前後の社内状況についての説明を経て、直接取材した元三洋社員たちの現況を紹介しております。

 この点は友人と意見が分かれたのですが、この本で一番面白かったのは冒頭の井植敏氏への取材でした。アポなし取材だったらしくインターホン越しに最初は「話すことなんてない」と断っておきながら家に上げると聞いてもないのに、「最近淡路の玉ねぎ栽培事業に関わってんねん」などと言ったり、部屋にホリエモンの書いた本が転がっていたり(はまって読んでたらしい)と饒舌に話し続けたそうで、読んでていかにもな関西人の姿が目に浮かびました。ただ三洋電機が買収されることとなった経緯に対する質問については一貫して口が重く、著者が何度も質問を繰り返すものの、自らを含めた経営陣の責任だとしか頑として述べずに沈黙を守り続けていました。
 この井植敏氏の態度はどうやら現在も続いているようで、さきほど軽く検索を書けて出てきたインタビュー記事でも、「銀行にだまされたって言わせたいんやろ。だまされていないし、だまされたとしても、だまされた方が悪い」と述べ、やはり自らに経営責任があるという主張を続けています。

 そのインタビュー記事に出ている、「銀行に騙された」という下りですが、これはこの本の主題ともいうべき内容で、著者は三洋電機が買収されるに至る経緯で最も核心的な役割、言い換えるなら経営破綻へと至らせる引き金を引いたのは、2006年の経営改革時にスポンサーとなった大和証券SMBC、ゴールドマン・サックス証券、三井住友銀行の金融三社であるという主張をはっきりと名指しで展開しております。著者がそのように述べる詳しい論拠は是非この本を手に取って確かめてもらいたいのですが、大まかに述べるとパナソニックが不振が続く家電部門に変わる新たな成長部門として目をつけたのが三洋電機のお家芸だった電池部門で、この部門を獲得するために一旦金融三社が入って下ごしらえした上で三洋電機を買収し、ほかの余計な部門は一切切り捨てたという推理がされています。言ってしまえば、パナソニックが三洋電機の電池部門を買収するため仕組まれた破綻劇だったというような話しです。

 この著者の主張に対する私の意見を述べると、さすがにはっきりとした証拠はないので断定こそできませんが、有り得なくはない話だしそのように考えると確かに筋が通るなという風に思います。ただ一つ苦言というかこの本読んで感じたこととして、著者はこの本全体を通して徹頭徹尾にパナソニックを悪者として描いており、ちょっとその書き方が中立を外れてやや感情的に書かれているのではと思う部分もありました。実を言うと私も昔からパナソニックは誉められるような会社ではないと思っててあんまり評価してないのですが、その私の目からしてもちょっと書き過ぎではと思うくらいにパナソニックへの批判が続いており、その後の元三洋電機社員らの現況についても、「パナソニックから出ていって良かった」という話しか載っていません。

 もちろん買収後に三洋電機を出て行った後、元社員らは何をやっているのかという話はどれも面白いのですが、三洋電機を出ていって幸せな感じの人ばかりで、逆にパナからリストラされて非常に苦しいって立場の人が一人も出てこないのは「あれぇ?」って具合で、期待してただけに少し残念でした。ちょっと穿った見方をすると、パナソニックを悪役にするためわざとそのような人ばかり選んだんじゃないかなという気もしないでもありません。
 ただその出て行った社員の話はどれも起伏に富んでおり、異業種の西松屋チェーンに転職して幼児用バギーを設計するようになった下りとか、リストラを手掛けた人事部社員が「人を切るノウハウ」を買われてあちこちからオファーがきたりとか、どれも読んでて引き込まれる話が多いです。

 最後にこの本の中で特に面白いと感じた部分を紹介すると、冒頭の井植敏氏が語る内容の中に日本の一族経営の問題点がなるほどと思わせられました。井植敏氏曰く、日本は相続税率が高いために会社を興して成功した創業一家は自己の財産を所有し続けるため経営能力が無くても会社を経営し続けなければならなくなるとのことで、米国の様にオーナーが会社を所有し、プロの経営者を雇って会社を経営させるという方法が採れないと指摘しています。言うなれば所有と経営が分離せず、そのため非常にいい要素を持つ会社でも無能な創業一家の経営によってむざむざ破綻してしまうこともあると、自戒を込めたような言い方でしんみり語っているところが一番私の胸に刺さりました。

 ちょうど最近、大塚家具の騒動といい一族経営による企業が話題に上がることが増えている気がします。既に記事を書いている林原もそうでしたが、これを日本式経営ととるべきかどうとるべきか、その上で今後どうやっていくべきなのかは案外今考えるべき時期なのかもしれません。