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2015年8月23日日曜日

北朝鮮の動向と安保関連法案

 ここ数日、日本のニュースを見ていてつくづく感じることですが、何で北朝鮮の動向と安保関連法案を同時に語らないのか、ここまで来ると一種のギャグのつもりなのかと疑ってみています。
 北朝鮮はここ数日、停戦領域内で地雷を仕掛けたり韓国国内へ砲撃を刷るなど過激な挑発行動を繰り返し、これに対し韓国側も海岸部や島しょ部ではなく内陸部への砲撃を受けたことによって態度を厳しくしており、北朝鮮側に対して24時間の宣伝工作を続けこれに対して北朝鮮もやめるよう要求するなど一種のにらみ合いが続いています。

 さすがに北朝鮮事情は専門外なので素人的な意見となりますが、今回の一件でも軍事的衝突に至ることはさすがにないとは思います。そう思う根拠として二つあり、一つはただでさえ食糧事情の悪い北朝鮮が収穫前の8月のこの時期に戦闘行動には出るに出られないということ、もう一つは韓国側は朴大統領の支持率が低下している中で今回の事件は支持率回復の好機にほかならず、実態以上に事態を深刻化させてみせようと動いているように思えるからです。

 ただこの事件、というよりもし北朝鮮有事が起こった場合についてですが、日本はどのように行動するべきなのか。またそのような自体に対して指針なり対策は既にとられているのでしょうか。

 安倍首相を持ち上げるつもりはありませんが、現在参議院入りしている安保関連法案の意義はやはりこういうところにあると思います。この法案について反対している人たちはホルムズ海峡とかイラクとかやたら遠い地域ばかりを想定した批判を繰り返し、最も近くても中国という現実には経済関係的にも交戦できるはずのない国ばかり取り上げられます。これらの国や地域と比べると北朝鮮の方が遥かに実戦が起こりうる可能性が高い国で、またその際には韓国と在日米軍が交戦すると思われることから、安保関連法案が実際に運用される可能性が高い相手だと私は考えています。

 その場合の想定をいくらかここで書くと、まず北朝鮮有事が起こった場合は在日米軍は確実に朝鮮半島へ出兵するでしょうし日本からも爆撃機などが出動するでしょう。これに対して北朝鮮はどう反応するか。多分奇襲でもない限りは一瞬のうちにミサイル発射基地などは潰されて反撃できないと思いますが、もし仮に反撃余力を残していた場合だと日本の米軍基地などへ向けてミサイルを発射してくる可能性があります。その場合、日本はどうするべきでしょうか。そもそも米軍が北朝鮮を攻撃することが決めた際、日本としては米軍への支援を行うべきか否かでしょうか。

 ある評論家の意見に、日本人というのは一番起こってほしくない事態は起こらないという前提で予想を立てる癖があるという指摘がありますが、この北朝鮮有事についても同じことが言えるでしょう。日本から米軍が確実に出動すること考えれば日本の領土が攻撃される可能性を含んでいるということで、それを見越した上でいざとなったらどう対処するべきか、何も起きていない今の段階で考えなければなりません。
 私としては北朝鮮は初めから話が通じる相手ではないと思うので、だったら最初から米軍に協力して可能な限りの支援を行うことでなるべく早いうちに叩き潰すべき相手ではないかと思います。問題はその支援の幅で、物資の提供までか、兵員や物資の輸送までか、自衛隊員の朝鮮半島出兵まで含むか、ここが論点となります。ただ物資の提供や輸送に当たっては現行法では整理されておらずやるとなったら内閣決断の超法規的処置に頼らざるを得ず、だからこそ安保関連法案が必要なのだというのが安倍首相の主張です。

 実際のところ安保関連法案にはこれ以外の内容も含んでいるし私も完全賛成ではありませんが、こと北朝鮮有事に対する必要な準備であるならそれ単独であれば賛成の立場を取ります。少なくとも今の状態で北朝鮮有事が起きれば、日本は何の準備も覚悟もない中で北朝鮮のミサイルの標的となる可能性があるだけに、もうちょっとこの辺の議論を折角のいい機会なんだからやっておくべきではないかとこのブログで主張するわけです。

2015年8月22日土曜日

三国志マニア同士の会話

 このブログのコアな読者なら極端に長いコメントをたまに書く若生わこさんの名前を憶えている方も多いのではないでしょうか。若生さんとはこのブログを通じて知り合ってプライベートでもよく会話をする仲だったりするのですが、彼は大学でも中国古代史を専攻したほどの極端な三国志マニアで、私との会話も大体三国志ネタと野球ネタで大半を占めてたりします。
 知ってる人には有名でしょうが、私もそこそこの三国志マニアということで周囲に認知されています。そこで今日は彼とこれまでに交わした、三国志マニア同士の異次元な会話内容を一部抜粋して紹介します。

1、三国志平話
 若生さんの守備範囲は中国古代史ということもあって春秋戦国、漢楚攻防時代も詳しく、その日は確か韓信についてあれこれ話をしていたのですがふとした拍子にこんなやり取りが出ました。

若生「( ・∀・)<韓信は末路がやや悲惨でしたが、三国志演義が成立する前に作られた講談だと曹操に転生したことになってて、韓信好きの自分からしたらこの展開はアリですね」
花園「( ・ω・)<それって三国志平話でしょ。あれって演義より蜀漢贔屓が激しくて呉の動向について全く触れられないらしいね」

 説明しましょう。「三国志平話」というのは元の時代に成立した三国志の歴史をベースにした小説で、現代において主流である「三国志演義」に先駆けて流布されたものです。この小説の冒頭では死語の世界で天帝が、創業の功臣である韓信、彭越、英布を謀殺した劉邦を弾劾する裁判を開き、後世で処罰を受けさせるという方法で劉邦は後漢最後の皇帝である献帝に、そして韓信は曹操、彭越は劉備、英布は孫権に転生させてそれぞれが漢王朝を分裂させるという運命を託しました。なおこの裁判を裁いたのは司馬仲相という人物で、天帝は裁判を上手く裁いた功績として分裂した漢王朝が彼の元に統一される運命を託して、彼を司馬懿仲達に転生させるというストーリーとなっております。

 断言してもいいですが、こんな三国志平話の存在なんて普通の人はまず知りません。私も若生さんもこの会話した際は互いに驚きつつ、「三国志平話を知ってる人に初めて会った……」と言い合いました。

2、虞翻
 この前書いた三国志で打線を組むという記事について話し合ったところ、呉のメンバーに件の虞翻を入れたことについて、

花園「 ( ´∀`)<虞翻はちょっと贔屓もあって入れた。まぁ知名度低いからみんなはなんでこの人が入ってるんだろうと思っただろうね」
若生「( ´Д`)<虞翻とかめっちゃ優秀でしょう。時勢を読むのに長けてたし、孫権の下でも活躍してますし」
花園「( ・∀・)<だよねぇ。ちなみに横山光輝版『三国志』だと王朗に孫策に抵抗するべきではないと説得して、籠の中の鳥を放ってあげるシーンが何故か周昕と入れ替わってるんだよね」
若生「(´・ω・) <そうそう」

 傍から見ているとさっぱりわけわからない会話していると思いますが、それだけ三国志好きからしたら虞翻は評価される人物だってことです。ちなみに横山光輝版三国志については、1シーンだけ何故か董卓の髭がなくなって描かれていることがあり、これも三国志マニアにとっては常識です。

3、伍子胥
 これは自分と若生さんと冷凍たこ焼き好きの友人の三人で新宿のバーにいた際、突然出てきた会話なんで前説明なしに読んでもらいましょう。

若生「( ゚Д゚)<花園さんは伍子胥なんですよ!」
花園「( ・∀・)<わかる!俺、めっちゃ伍子胥好きやもん。すごい共感する」
冷凍たこ焼き好きの友人「(;゚д゚)<…………」(マジでこんな顔してた)

 説明しましょう。伍子胥というのは春秋時代の人物で故国(楚)の王様に濡れ衣で父と兄を殺されたため、亡命して他国(呉)に渡って将軍となり復讐のため楚へ侵略した人物の事です。なお楚へ侵略して首都まで落としますが復讐対象の王は既に自然死していたため、墓から遺骸を暴いて鞭で百回叩くことで復讐を果たしており、この故事から「屍に鞭打つ思い」という言葉が成立しています。
 この時の会話で若生さんが何を言いたかったのかというと、執念深い私の性格を伍子胥にたとえて言おうとしたわけで、私自身も伍子胥が昔からかなり好きだったので素直に自分も執念深い性格だと認めたというやり取りでした。私と若生さんの間は「伍子胥」というキーワード一つで一瞬のうちに意思を疎通し合いましたが、脇にいる冷凍たこ焼き好きの友人は全く意味が分からなかったそうで、「(;゚д゚)<あ、あのさ、もうちょっとわかりやすく話してくれない?」と解説を求めてきました。

 以上が主だった私と若生さんの会話ですが、三国志マニアが集うとそうじゃない人にはさっぱり訳が分からない会話が始まってしまうということを理解いただけたらと思います。ちなみに今まで自分が会った人物の中では若生さんが間違いなく三国志マニアとしてはナンバー1です。

2015年8月21日金曜日

佐野氏のデザイン盗用疑惑について

 昨夜友人に、プロレス界屈指の人気を誇るゲイレスラーである男色ディーノ氏がかいた「すべてのジャンルはマニアが潰す」について書かれた記事を薦めてみたところ、何故かやたらと絶賛して非常にわかりやすいと連呼されました。ちなみにこの記事は元々はゲーム批評の記事ですが、文章中でさりげなく「ゲーム→ゲイム」、「結論→ケツ論」と単語を弄ってる辺りはゲイが細かいです。

 話は本題に入りますが、今一番ニュースな男といったら間違いなく東京五輪のロゴをデザインした佐野研二郎氏であると私は考えております。佐野氏の騒動の発端から現在に至る過程は今日なんかテンション低いので省略しますが、東京五輪のロゴデザインが発表された直後に外国からデザインをパクられたと指摘されたことについて私は当初、それほど問題にするほどではないのではという感想を覚えました。
 というのも東京五輪のロゴもベルギーの美術館のロゴもアルファベットの形を崩したようなデザインで、言ってしまえばありていなデザインだと思えたからです。なもんだからパクリだとも思わないし、たとえ実際にパクったデザインであってもわざわざ撤回するほどでもないだろうと考えたのですが、逆に言えば何のオリジナリティも感じられないくだらないデザインだとも同時に覚えました。

 デザインに関して素人である私が言うのもおこがましいですが、はっきり言ってあの東京五輪のロゴデザインは何がいいのかさっぱり理解できないほどくだらないデザインだと感じます。先程も述べたように何のこだわりというかオリジナリティも感じられず、また一見して五輪らしさ、日本らしさを感じる要素というものが全くなく、デザインをした人以上にあれをわざわざ選んだ連中の方が問題あるのではないかと密かに見ております。折角の日本開催の五輪なのだから日本だっていうことがわかる何かしらのワンポイントがあるべきだと思うのに全く皆無で、同じアジアでもまだ北京五輪のロゴはしっかりしてたなぁなんて今更になって感心させられます。

 こうした感覚は多かれ少なかれ他の人間にも共有されていたとみられ、ロゴデザインが発表されるや「ダサい」などと賛否が相次いでおりましたが、そこへきてパクリ疑惑が生まれ、さらには佐野氏のデザイン事務所発の他のデザインに関しても他の作品を悉くパクっているとの疑惑が追及されだし、現在に至ってはパクったかどうかの真偽以前にどこからどうパクったのかを捜す方が盛り上がっている感すらあります。実際、ネットからの指摘を受けて配布が撤回されたサントリーのトートバッグに関してはどっからどう見ても他人の作品を流用したとしか思えないデザインが使われており、ああいうデザインを平気で出しておきながら「これまで盗用はしたことはない」と言われてもはいそうですかとはなかなか言えるものではないでしょう。
 それにしても、トートバッグの配布が「オールフリー」という名前の飲料のキャンペーンだというのが地味に面白いものです。

 一個人としての感想を述べるなら、やっぱり佐野氏は以前から他人の作品を盗用し続けてきたとしか思えず、この五輪ロゴも同じように盗用した上で小っちゃくアレンジして出して来たものとしか思えないです。国際的に恥ずかしいことこの上ありませんが、恥を忍んで一旦このデザインは撤回した上でもうちょっとまともなロゴデザインをよそから探してくることが対応として筋ではないでしょうか。
 その上で佐野氏個人について言わせもらうと、何故これほどオリジナリティに欠けるデザインをしてそこそこ有名になれたのか、ここが一番わかりません。どのデザインを見てもこのデザイナーならではの味なり工夫なりが全く見られず、小手先の絵柄だけうまい同人作家を見ているような感じすらします。まぁオリジナリティを出そうってんなら、叩かれるのが日本っていうのはわかってはいますが。

2015年8月19日水曜日

マージン率の上限規制

 先ほどGoogleアナリティクスでこのブログの検索ワードをかけたら、「マージン率 中国在住」というワードで検索してきた人がいたということがわかりました。「誰だこんな恐ろしく狭い条件で検索かけた人は」、という具合でちょっと考えさせられました。
 ただこのところマージン率に関して以前書いた記事への検索は増えており、アクセス数も未だに上がり続けています。複数の友人に言わせれば、「もっと注目されていい記事」だそうですが私個人としてはこんだけデータも揃えてやっているのに大手マスコミは何故引用しようとしないのかが逆に気になりますがそれは置いといて、先日少し気になるコメントが来ました。

 具体的にどういうコメントかまでは書きませんがそのコメント内にて、「マージン率は欧米の様に10%台にすべき」という記述があったのですが、率直に言ってこの「10%」という数字がどこから来たのかが疑問に感じました。マージン率というのは、厳密には異なりますが大まかな表現で言い表せば一般企業の粗利に当たるもので、粗利が10%なんて普通どの企業も経営が成り立たないほど小さい数字です。いくら人材派遣業はコストが小さいとはいえ本当に欧米の人材派遣企業のマージン率は10%なのか、はっきり言えば疑いました。
 なおマージン率の計算方法についてはリツアンSTCの野中社長がタイミングを合わせてくれたかのように下記記事で具体的な金額と共に紹介してくれているので、興味のある方は参考ください。なお野中社長によると、企業負担の社会保険料はマージン率には含まれないため企業が得られる利益額は一般の人間が考えているよりは低いとのことで、自分もその通りだと思います。

派遣のマージン率について少し掘り下げてご説明します。(『ピンハネ屋』と呼ばれて)

 話は戻りますが先程の欧米の派遣業界はマージン率が10%台ということについてネットで調べてみたところ、確かにいくつかのサイトでそのようであるという記述が見られたのですが、その数字的根拠をはっきりと示している人は誰もいませんでした。具体的に言えば英国の平均マージン率は〇%、米国は△%みたいな国際比較が出ていれば信用できますがそういったものは皆無でありながら何故か、「欧米のマージン率は10%台」という風に書かれてあり、中には「マージン率の上限規制によって10%台となっている」というような記述も見かけました。

 結論を書くと、欧米では派遣のマージン率が10%台というのは根拠のない情報であって、もしかしたらマージン率の定義が異なっていてそういう数字も一部出ているのかもしれませんが実態としてはやはり有り得ない数字でしょう。更に踏み込んで言えば、欧米にはマージン率の上限規制があるというのも一種のデマじゃないかと私は疑っています。

 まず前者の欧米ではマージン率が10%台という意見について、欧米のマージン率は具体的にどの程度なのか英語で検索かけまくってあちこちのサイトを駆けずり回った所、ようやく下記サイトにたどり着くことが出来ました。

What Your Supplier’s Gross Margin Can Tell You(Staffing Industry Analysts)

 上記サイト内に「大規模かつ公共人材派遣法人8社の中間マージン率」というグラフがあり、その中間マージンの数字はどれも20%台です。このマージン率のデータがどのような定義でどの地域、どのような会社を対象としているかは書かれていないため安易に信用できないところがあるものの、少なくともマージン率10%台は有り得ないとする根拠にはなり得るのではと思います。ってか欧米のマージン率のデータがわかるサイトがあれば誰か教えてください。

 次にマージン率の上限規制についてですが、これも散々「Staffing service」に「Upper limit」とか「Resistration」などの単語をつけて検索をかけ続けましたが、それらしい情報を載せてあるサイトにはとうとう辿り着くことが出来ませんでした。また日本語のサイトにおいても、比較的多くの人間が「欧米ではマージン率に上限があるのが当たり前」という風に書いていますが、その根拠となる数字、具体的には上限値を誰一人として挙げていません。このような点を踏まえると、この上限規制に関する意見というのは初めから眉唾だったのかもしれません。

 自分の記憶を紐解くと、派遣難民が社会問題となったリーマンショック明けの2009年に「欧米では当たり前」という言葉と共にマージン率の公開やこのマージン率の上限規制が主張されていたように思います。恥ずかしながら自分もこうした意見を当時疑うなく信じ込み、多分このブログでも古記事探れば、「欧米では上限値があるらしいぞ」みたいな内容を書いてると思います。
 しかし現状から察するとこの上限値に関しては根拠が明らかに不確かで、派遣の待遇改善を求めるあまりに広まったデマだったんじゃないかというのが私の見解で、昔に信じ込んでしまった自分への反省を込めて今回改めて調べてみました。

 最後に、なら今後日本でマージン率の上限規制を設けるべきかについて意見を述べると、はっきり言って私は反対です。理由としてはマージン率の公開が進めば市場の競争原理が働き、法外に搾取する派遣企業は自然に淘汰されることが期待できることと、一口で派遣といっても単純労働者、エンジニア、特殊技能者など様々なタイプの派遣があり、それらに対し一括で上限値を作って規制してしまうとかえって競争の自由がなくなります。一番重要なのはマージン率の公開であって、不必要な規制は作るべきではないというのが派遣労働者でもない私個人の立場です。

2015年8月17日月曜日

実録、左遷者列伝~後編

 昨日に引き続き左遷された有名人を片っ端から紹介するこの企画。前置きはいいので早速いってみましょう。

4、南雲忠一(海軍提督)
 戦史マニアなら誰もが知るであろう有名人である南雲忠一とはミッドウェー海戦を指揮した海軍の将軍です。ミッドウェーが惨敗に終わった原因を南雲の指揮時の逡巡にあるとの声はかねてから多く、この敗戦をきっかけに太平洋戦争は攻守が逆転していることもあって批判されることの多い人物です。
 しかし彼の敗戦は有名でも彼の最後はあまり知られていないように思われ、というのも彼は最後サイパン島にて玉砕命令を出して彼自身もそこで戦死しております。彼がサイパン島の指揮官に任命されたのは周囲の人事もありますが、見方によれば勝ち目のない戦いに無理やり放り出されたとも見え、左遷とは意味合いが異なるかもしれませんがここで紹介しておきたかった人物です。
 なおミッドウェー敗戦の原因を彼に求める声は多いものの、彼だけでなく作戦司令部の曖昧な目標決定や戦術指導にも問題があったとされ擁護する声もあります。私自身もあの敗戦の責任がこの人一人に押しつけられているように感じられ、擁護派の一人であります。

5、生方恵一(NHKアナウンサー)
 一定の年齢層にはまだ強く記憶に残っているのではないかと思われますが、この人物がどういう人かというとあの「ミソラ事件」の当事者であったNHKのアナウンサーです。
 ミソラ事件とは1984年の紅白歌合戦で、司会をしていた生方恵一が都はるみ氏の名前を呼ぶ際に間違って「ミソラ……」とばかりに、昭和の大スターである美空ひばりの名前を間違って口にしてしまった事件です、もちろん生放送で。
 年が明けた翌1985年の正月からこのハプニングが他のマスコミから大いに取り上げられはじめ、その最中に生方の東京本社から大阪局への異動人事が行われ、しかもその年にNHKを退職してフリーへと転身したためこの事件の余波を受けてのことだろうと大いに騒がれました。

 ただ実際のところは懲罰的な左遷ではなく、生方の大阪局への移動は紅白前からすでに内示されていた人事で、また呼び間違えられた当事者の都はるみ氏と美空ひばりはともに、「あらあら、間違われちゃったわ」という具合で全然怒ってなかったそうです。もっとも後年の生方はこの事件を自らネタにして使うことがあり、昔にたまたま見たテレビ番組では、

「あの事件が無ければアナウンサーとして天下を取っていた」
「(番組終了が予定されていた)ニュースステーションの久米宏の後釜といったら僕しかいない!」

 などと怪気炎を上げていました。
 なおこの記事を書くに当たって調べ直したら昨年末に亡くなられていたようで、この場を借りてご冥福をお祈りします。

6、二岡智宏(元巨人軍)
 この人は新しい人物なのであまり説明は必要ないでしょうが、生え抜きの巨人軍の中で抜群の成績を残していたことから将来のフロント入りもほぼ確実視されていたものの、2008年に芸能人の山本モナ氏と一緒にホテルから出てくるところを激写されるというスキャンダル事件が起こり、同年中に日本ハムファイターズへトレードで放出されました。
 この事件の何が面白いかってそれ以前からも路上でチューしてる所などをしょっちゅう報道されていた山本モナ氏が謹慎明けからすぐにまたスキャンダルを起こした点で、しかもシーズン中の野球選手であったことから、「なんかわざとやってるのでは」と思ったのは私だけではないと思います。あとこのスキャンダル事件の直後、ネットでは「山本マサと山本モナの違いを教えて(暇人速報)」という掲示板が立ち、「マサ関係ないやん」とツッコみつつ見事な比較が出そろってて大笑いしたのを今でも覚えています。あと、五反田という地名を見る度にこの事件思い出す。


7、うちの親父
 このブログの読者に会うとほぼ確実に話題に上がるうちの親父ですが、枕詞は決まって「名古屋に左遷された」で一貫しています。なんでこんな枕詞を付けたのかというとただ普通に「うちのおとんが」と書いても捻りないなと思って、読者に印象づかせるためにも読んでてドキッとするような枕詞がいるだろうと思って適当につけたら何故だか自分の想定以上に人気な代名詞になりました。ちなみに本人もこのブログ見てて、「読んでて胸が痛む」と言ってます。
 そんな親父は現役バリバリ(これも死語だな)の頃、東京本社から名古屋支社への転勤を言い渡されます。転勤当初は慣れない単身赴任生活もあって本当にしんどかったようで、この時期は会う度に、「名古屋人は汚い(#゚Д゚)y-~~イライラ」などと、やたら愛知の人の悪口を口にしてました。ただそんな生活でも数年を経て安定してくると悪口も言わなくなっていったのですが、ある年に仕事でしくじり、今度は広島へさらに左(=西)へ遷されることとなりました。広島に移った後も最初は大変だったそうですがこちらは比較的短い期間で済み、現在はまた名古屋に戻って今も働いております。

 なお最初の名古屋への転勤の際に親父は、「愛知の美人は豊臣秀吉が大阪へ、徳川家康が江戸へそれぞれ根こそぎ持っていったから不細工しか残らなかったのでは」という自説を展開した所、社内の女性社員からセクハラで訴えるぞと脅されたそうです。
 ただ親父の言うことも一理あるというか日本史中でも屈指といえるほど女好きである天下取り2人なだけに、話の種として私もある日この親父の説を当たり障りのない同僚に話したところ、その同僚が愛知出身の同僚(♀)にばらしやがって、「花園君は私にひどいことを言いましたね(*^^)」と、直接詰問される羽目となりました。もうその時は、「すいません、ほんっとにすいません(;゚Д゚)」、とばかりに平身低頭で謝り続けましたが、その後もその同僚にはずっと頭が上がりませんでした。


 以上が主だった左遷された人々ですが、昨日の記事で片倉(焼くとタイプ)さんがコメントしてくれたようにこの「左遷」という言葉の元になった劉邦はその後見事に再起して、中国の皇帝にまでなっています。何が言いたいかっていうと人生万事塞翁が馬っていうことで、左遷されたからってめげずにいれば天下も取れるかもよと言いたかったわけです。
 ついでにかくと地方への左遷を嘆く人がよくネット上にいますが、日本国内なだけいいじゃんと、国境ぶち破って就職転職異動を繰り返している自分は思います。

2015年8月16日日曜日

実録、左遷者列伝~前編

 勤務者、特にサラリーマン男性に対して聞かせて割と好反応が得られやすい私の持ちネタの一つに、「左遷」という言葉の由来があります。この言葉は中国で項羽と劉邦が争っていた時代に成立した言葉で、諸侯が連合して初代統一王朝の秦を打倒した際、主導権を握った項羽は功績のあった武将に領土の分配を行いました。この際に項羽の軍師の范増は劉邦の野心と求心力を警戒し、本来なら首都咸陽(現在の長安)に一番乗りした劉邦には咸陽周辺の領土を与える約束でしたが、下手に反抗できないよう彼を僻地へと送り込むべきだと進言します。最終的には咸陽からさらに西にある、当時としてはかなりの僻地である漢中に封じるのですがこの際に范増が項羽に言った言葉というのが、「劉邦は左(=西)に遷(うつ)すべし」で、転じて僻地へと追いやることを「左遷」と言い表すようになりました。

 こうして成立した左遷ですが、歴史を顧みるとなかなか持って様々な人間が権力争いやら自らの不始末などによって左遷されており、その過程もなかなかドラマチックだったりします。そこで今日は日本で左遷された人物の中でも有名な人物をいくつか紹介kしようと思います。

1、菅原道真
 最早説明不要。日本において左遷といったらまずこの人、「ミスター左遷」と呼んでもいいくらい有名でみんなにとってもお馴染みなのがこの菅原道真です。なんせ彼は左遷されたという事実が日本史の教科書に載せられている上、小中高の授業でほぼ必ず教えられるほど左遷人事がPRされており、その結果というか福岡県の「大宰府市」という地域名を見るにつけ私の中では即「左遷」という言葉が浮かんでくるほど刷り込まれています。多分これは私以外でも同じなんじゃないかな。
 それにしても天神様に対してこういう内容を平気で書く当たり、私の怖いもの知らずもいい所です。もし雷に当たって死ぬことがあれば確実にこの記事が原因でしょうが、天神様の雷波って中国にも届くのかな?

2、森林太郎(通称、モリリン)
 この人物は明治時代に東大を史上最年少で卒業(現在においても)した上に当時としては非常に珍しかったドイツへの留学に派遣され、帰国してからは軍医の幹部として辣腕を振るうという日本史上でも屈指のエリートでした。ただ彼自身の著作においても若い頃から周囲といくらか軋轢があったと思われる節がありますが、1899年に東京から福岡県の小倉市へ左遷人事を受けています。
 わかる人にはもうわかっておられるでしょうが森林太郎というのは文豪、森鴎外の実名です。ただ彼の場合は小倉に左遷されてから三年後に軍医トップの地位に昇進して東京へと舞い戻りましたが、小倉時代を経てからは性格も以前と比べ大分丸くなり、執筆する小説の性格も大きく変わったと言われているだけに本人にとっても大きな転機だったのではないかと思われます。

3、指原莉乃
 AKB48の指原氏といったら既にみんなにとってもお馴染みの人物で、デビュー当初は人気も低く鼻でゴム手袋を膨らまして割るなど地味な活動が続きましたがその後、人気は次第に上昇していき、AKB総選挙でトップを取るなど下剋上を果たしたことでも有名です。そんな彼女ですが2012年、総選挙で当時としては過去最高の4位に輝いた直後に週刊誌発のスキャンダルが明るみとなり、プロデューサーの秋元康氏からAKB48からHKT48にグループ移籍を言い渡されます。ってか、三日天下な当たり書いててなんか明智光秀みたいだ。
 この際に東京から福岡県博多市へと活動拠点が移ることとなったためか、上述の菅原道真と重ね合わされ、ネット上では「指腹左遷」、「太宰権師(だざいのごんのそち)」などと揶揄されることとなりました。現在は活動拠点を再び東京に遷している模様で、最初の下剋上といい、叩いてもなかなか死なない妙なタフさに溢れた人のように思えます。

 以上が今日紹介する三人ですが、見てわかる通りに三人とも左遷地が何故か福岡県に集中しています。確かに福岡県は日本でほぼ西端の土地であり「左に遷す」という意味ではこれ以上ない位置にありますが、左遷された人物の中でもトップクラスに有名な人物三人が揃っているというのもなかなかオツなもんです。天皇の流刑地といったら隠岐の島が有名ですが、多少不謹慎ですが福岡県もなんかこの方面でアピールしてもいいんじゃないかと思えてきました。
 それにしても、菅原道真と森鴎外に指腹氏並べて記事書くなんて恐らく世界で私だけでしょう。なんかこう書くと、指原氏がすごい大物に見えてきた……。

 ってことで、次回は続きとばかりに他に数人の左遷人物を取り上げます。

2015年8月15日土曜日

鎮魂の日

 二次大戦の終戦日は日本では8月15日ですが世界的には9月2日とすることが一般的です。何故異なるのかというと戦争というのは降伏を宣言した瞬間に即終了するのではなく交戦国同士がしっかりと終戦を行うと文書で調印した瞬間に終了するもので、二次大戦の場合は9月2日に米軍艦ミズーリ上で重光葵が調印したことによって完全なる終戦を迎えました。ただこれらは法的な定義によるもので、実際の終戦日を一とするかはやはり各国がそれぞれで決めるべきものであり、日本では8月15日とするのであればそれはそれで間違いありません。

 しかしこの点で本当に考えるべき点は、一体何故日本では世界の潮流に逆らって未だに8月15日を終戦日としているのかです。その理由は大きく分けて二つあると私は考えており、一つは降伏の決断が昭和天皇の玉音放送という象徴的な手段によって伝えられたため印象が一際強く残ったためで、もう一つは日本独特の「お盆」の風習と結びついたためと推測します。

 あまり取り上げられることはありませんが8月15日前後に祖先の霊を祀るという行為は日本独特の風習です。中国では4月の「清明節」という日が日本の「お盆」に当たりお墓参りなどを行うのですが、同じ東アジアの仏教文化圏同士でもこのように日程が大きく異なっている点を考慮すると8月に祖先の霊を祀ることに明確な根拠はなく、これまでの日本の歴史からたまたまこのようなスケジュールに落ち着いて風習化したと思われます。
 この8月に祖先の霊を祀るという風習が先の玉音放送、というより戦争の犠牲者に対する慰霊と結びついたことによって終戦日は8月15日とする意識が日本人の中で強まったのではないかと思え、実際にお盆と合わせて戦争犠牲者に対する慰霊行為やイベントが行われているのが現状です。そのような成立の経緯を踏まえると日本における8月15日の終戦日は心安らかに戦争犠牲者に対し慰霊の祈りを捧げる鎮魂の日であるように思え、またそうであるべきだと私は考えています。

 しかし今年の終戦日はそのような鎮魂の日と言うには程遠く、非常にくだらない議論で実に騒々しく不快なことこの上ありません。過日、安倍首相は終戦70周年に合わせて政府の談話を発表しましたが、この談話内容について産経を除くほぼすべてのメディアは一言一句を細かくあげつらっては中国や韓国に対する配慮に欠けるなどと言って批判する論調を取りました。
 はっきり言って私は終戦についての談話というのでであれば、戦争犠牲者を悼み二度と過ちを起こさないというような文言さえ入っていればそれでもう十分であると思います。確かに国外に向けても発信される以上は侵略を正当化したり、日本は運が悪くて米国に負けただけだというような負け惜しみのような言葉が入っていたらさすがに問題ですが、真に優先して伝えなければならない内容というのは犠牲者に対する悼みであって、外交的配慮ではないでしょう

 ならば侵略した国には何の謝罪も補償もする気がないのかという方もおられるかもしれませんが、それらは何もこの「鎮魂の日」に議論しなければならない話題なのかといえば私はそれは違うと思います。それらは普段の外交において伝えていくなり、内容について議論すべき話題であり、この「鎮魂の日」に当たっての談話であれば戦争犠牲者に対してただ静かに悼むことを何よりも優先すべきでしょう。
 そんな「鎮魂の日」において揚げ足取りかのように言葉の端々をあげつらってしようもない批判を繰り返すという行為は、この日を政治利用して政権批判に使っているとしか見えず、本来静かに祈りを捧げるべき日とは程遠い行為を行う大手マスコミに対して内心強い憤りを私は覚えます。

 そもそも日本は二次大戦で韓国とは交戦しておらず、終戦を記念した談話であれこれケチ付けてくるというのは正直納得がいきません。従軍慰安婦問題だって、この祈りの日にわざわざ議論しなくてはならない話題なはずないでしょう。

 繰り返しとなりますが日本における8月15日は終戦の日であって鎮魂の日でもあり、死者に対し静かに悼みと祈りを捧げるべき日であるべきです。そんな日にかこつけて政権批判を、しかも言いがかりに近い主張で繰り返すなどナンセンスもいい所で、強い言葉で言えばくだらない政権批判を行っているマスコミこそあの戦争の犠牲者を冒涜しているとしか思えません。

 最後に、今年は終戦から70周年だとみんな言いますが、日清戦争終戦から120周年、日露戦争終戦から110周年、普通選挙法成立から90周年、足利尊氏の挙兵から780周年、大坂夏の陣から400周年でもあったりします。何が言いたいのかというと、これらの周年記念はほっといていいのと思いつつ、何周年だからってあれこれ騒ぐのは実はあんまり好きじゃなかったりします。
 もっとも、2012年は菅原道真の大宰府左遷(901年)から1111周年だったことから、一人でテンション上げながら何故か雷に対して念仏唱えていましたが。しかも中国で。