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2015年11月16日月曜日

上海蟹レポート


 昨日は自分の所属しているサイクリング部のメンバーと共に、上海蟹を食べるため昆山市内にある陽澄湖へ行ってきました。この一文を読んで、「なんで上海蟹なのに昆山に行くの?」と思った方もおられると思いますが、元々上海蟹というのは昆山市内にある陽澄湖という湖から陸揚げされる蟹を指しており、昆山が上海の隣であることからネームバリュー的に「上海蟹」という名称が定着して今に至るわけです。なんとなく、千葉県にあるのに「東京ディズニーランド」的なノリを感じます。

 上海蟹のシーズンは9月の秋口からで、これは質の悪い蟹が先を争って市場に出るのを防ぐために毎年販売解禁日が設けられています。とはいえ9月だとまだ走りであるため味はそれほどよくなく、おいしいとされる旬の時期となるのは11月から12月の初旬くらいで、1月にもなるともうほとんど食べられなくなります。
 ちなみに今年は市場に出回る量が多い、もといぜいたく禁止令で共産党幹部への付け届けが減ったせいなのか値段は例年に比べて安いと言われています。

お土産用に箱詰めするおじさん

 陽澄湖は昆山市内中心部から西へ約20km行った蘇州市との境にあ広い湖でかなり広いです。なお湖のほとりには公園とリゾートホテルがありますが、このリゾートホテルは昆山市内で一番高いと言われ一泊どんだけ安くても1000元は下回りません(約2万円)。逆に安いとこだったら130元(約2600円)くらいで泊まれたりしますが。

 話は戻りますが、今回訪れたのは陽澄湖近くにある上海蟹専門店が軒を連ねるレストラン街の一店です。食事に入る前に蟹を見せてくれと言ったらすぐに案内してくれて上記写真の様に生きた蟹を一匹ずつ縛っては箱に詰め込んでいる様子などが見られました。っていうかこの写真、いい感じに腕がぼやけてるな。


 そんなこんだで出てきた料理がこれです。
 上海蟹は基本的に縛ったまま茹でて、雄蟹と雌蟹の二匹を同時に食べます。上の写真だと上に乗っかっているのが雄蟹で、下が雌蟹です。両者の違いは雄蟹は体がやや大きく蟹肉が多いのに対し、雌蟹は卵を持っているので蟹味噌おいしいというところで異なっており、どちらかと言えば雌蟹の方がおいしいとされるので先に雄蟹から食べるのが一般的だそうです。

 さてここまで話を進めてきてなんですが、知ってる人は知ってるでしょうけど実は私は蟹を始めとした甲殻類、そして貝類といったいわゆるシーフード系の食べ物はあまり好きじゃなかったりします。別に食べられないというわけではなく単に食べるのが七面倒くさい割には食べられる量が少なく、しかも値段がやや高いというのであまり率先して食べたいとは思いません。そんな施行しているもんだから今まで上海蟹をそのまま食べるということは一回もなく、以前に香港でスープなど料理にされた物しか口にしたことがありませんでした。

 なもんだから何気に今回が初めて口にする上海蟹だったので、あまり好きじゃないという素振りはほかのメンバーに対して微塵も見せずに面倒だと思いながら殻割って食べてみました。食べてみた感想として最初に思ったのは、生臭い臭いというかいわゆる蟹臭さがほとんどなく、手づかみにも拘らずそれほど手もかゆくなったりはしませんでした。ここら辺は海水と淡水の差なのかもしれません。
 そして肝心の味については定説通りに雌蟹の方がおいしく、雄蟹もまずくはないですがどっちかっていうとといったところです。こう思うのも上海蟹はそれほど大きな蟹ではないため蟹肉も食べれるところはそれほど多くなく、必然的に蟹味噌の部分を一番多く口にするからです。
 なお蟹肉、特に足部分は上手い人はさっと糸通しみたいに蟹肉だけ抜いて食べてましたが、私はそんなに器用ではないので片っ端から奥歯で殻を噛み砕いてから食べてました。最近固い物かじってないけど、その気になれば多分今でも胡桃の殻くらいなら歯で割れるほど無駄に丈夫です。

 そんなこんだでいろいろ食べて、ほかの料理と合わせて最後の清算時に支払った一人当たりの金額は160元(約3200円)でした。サイクリング部のメンバーがお土産用に雄雌一対を帰り際に買ってましたがその値段は120元(2400円)で、上海で買うよりずっと安いと話していました。蟹に興味ないから安いか高いかと言われて正直わからないのが本音です。

 あとどうでもいいですがこの日は9時半に昆山市内で合流して自転車乗ってレストラン行きましたが、前日の晩は何故だかこの時期にもかかわらず蚊が室内を飛んでおり、時折耳元で羽音を鳴らすもんだから夜中2時に起こされたりとやや睡眠不足気味でした。翌朝、準備を整えて出発する間際に窓ガラスに蚊が一匹張りついているのを見て速攻ではたき、地面に落ちたところをスリッパの裏でグリグリと踏み潰してから出ていきました。
 最近休日は一切昼寝せず睡眠不足だというのに。

2015年11月14日土曜日

昆山市のアウトレットモール


 今日はこれで四本目の記事ですがそれは置いといて、昼食を馴染みの日本料理屋で食べた後で自転車を走らせ最近出来たばかりという昆山市内のアウトレットモール「首創奥特莱斯」へ行ってきました。

 アウトレットの定義に関しては省略してなんでここへ来ようと思ったのかというと、自分が参加している自転車クラブのメンバーが先日の会合の際、ここでいいGジャンを安くで買えたと教えてくれたからです。その人が言うには品質は悪くないし金額は明らかに安く、それまで日本国内でもあまりアウトレットモールを利用したことなかったが今回行ってみてまた通いたいというほどという大絶賛ぶりで、昆山のローカル情報取り上げる人なんてそうそういないんだし自分も行って取材してくるかと思ったのがきっかけでした。

 また地味に気になった点として、「中国でGジャン買えるの?」とも反応しました。というのもGパンはどこでも売ってますが意外とGジャンは中国だと取り扱っている店が少なく、前も上海で必死こいて捜したものの見つからず泣く泣く日本帰国時に上野で買ったこともありましたが、本当に昆山で買えるのならどんな店かと見てみたいという興味を持ちました。元々、真冬でもGジャン一枚でどこへでも行くことから大学時代は「ダブルデニムの花園」という異名が陰でリアルで付けられていた私ということもあってGジャンにはこだわりがあり、一昨年の年末もマジでGジャン一枚で北京へ乗り込み万里の長城へ行って凍死しかけました。

 話はアウトレットモールに戻りますが、場所は市内中心部から東へやや離れた郊外にあり、歩行者の少ない道路を昨日パンクしてすぐ修理した自転車すっ飛ばして乗り込みました。到着したモール内は駐車場こそそこそこ埋まっていたものの、よく晴れた週末の昼過ぎにもかかわらずちょっと人はまばらだったような気がします。イベントスペースには人がそこそこ集まっていたけど、各店舗内はほぼ無人だったし。
 入っている店舗はほとんど海外ブランドで、ナイキやJeep、Diplomatとかとかとか。施設は新しいだけあってどこもきれいでまだテナントの入っていないスペースもそこそこありましたが、一見すれば日本にあるアウトレットモールと区別がつかないくらい立派な施設でした。飲食店のコーナー(3F)はまだテナントが決まってないのか工事が終わってないのかまだ入ることすらできなかったものの1Fにもいくつか飲食店はあり、私は今日買い物を済ませてから一軒入ってバナナジュース飲んできました。意外とこのバナナジュースも中国だと飲める所少ないからマジでうれしかった。



 そんなわけで、今回購入したのが上のスニーカーです。なんでGジャンじゃないのかと肩すかしくらったかと思いますが、実は先週急に寒くなったので近くのスーパーで薄手のデニムジャケットを買ってしまい、Gジャンは日本の潜伏拠点にもあるし今回はいっかと見送ったわけです。一応はLevisの店で売っていることを確認しており、気が変わったら買いに行こうかと思います。
 なお先週買ったそのデニムジャケットは室内で着ており、外出する際には必ず脱いでいます。意味わかんないだろうけど私は動くとすぐ発熱するから外いる時は着てて熱く、逆にあんま動かない室内にいる時のが寒さを感じる妙な体質してるからです。

 それで今回どうしてスニーカーを買ったのかというと、単純に靴がなかったからです。今年の2月に一足スニーカーを買いましたが、今年はやたら大雨降ることが多くその靴履いて何度もザブザブ水に浸かったもんだから先月に靴底がべろっとめくれるわ側面に割と大きな穴が開くわで、ガチで破損させてしてしまいました。中国製だからやわとかそういうもんじゃなく、過酷な扱いをしてしまってその靴には本当に申し訳なかったです。
 ひとまず今日までは前に履いていた別のスニーカーを履いてました、このスニーカー、デザインは悪くないものの靴底がやたら薄く、歩いていると地味に足裏がジンジン来るので出来ればほかの靴底厚いスニーカーが前から欲しかったりしました。
 なおその靴は普通に履く分には全く問題ありませんが、私の場合だと知ってる人には早いですが歩く速度と距離が尋常じゃありません。友人曰く、まるで軍人のように走るように歩く上、その距離も絶対おかしいというくらい数キロ単位で移動します。だから今回は山靴みたいに靴底厚くて丈夫そうなのを選びましたが、お値段はアウトレット価格323元(約6400円)でケチな自分にしてはよく払ったなという気がします。

駐車場近くから撮影した写真。手前は自分の自転車

気高き医師たち

 ひとつ前の記事でちょこっとだけ出てきますが、人気作でドラマ化された「Dr.コトー診療所」という漫画を連載中は購読していました。最初に読んだのは高校二年生の時でそれから最新刊が出る度に買ってはクラスメートの間で回し読みさせるくらい熱中し、現在においても文句なしに素晴らしい漫画だったという評価に変わりありません。やや残念な点としては、本人もブログで書いていますが作者の体調不良によって2010年以降は連載が中断しており、このまま未完の作品として終わりそうであるということです。
 なんでまた急にこの漫画の話をするのかというと、主人公のモデルとなった鹿児島県の下甑島で長年離島医をされていた瀬戸上研二郎医師がこのほど退任されるというニュースを見たからです。

「Dr.コトー」のモデルが退任へ…離島医療37年(読売新聞)

 上記リンク先の記事によると瀬戸上医師は74後歳となる今年まで37年間も下甑島で離島医をされていたとのことで、離島医療の現状を伝える活動など様々な方面で活躍されてきたとのことです。漫画の中でもまともな医療設備もなければ輸血用の血液にすら事欠く有様が描かれていましたが、都市部で暮らす人間からは想像もつかないような苦労が数多くあったと思われるだけに瀬戸上医師の長年の勤務については本当に頭が下がります。

 このニュースについて友人と話したところ、「そうは言っても地方の医師は漫画ほどうまく地域に受け入れられないんじゃないのか?」と切り返してきました。私はこの返答でぱっと思いついたのですが、以前に限界集落ともいうようなとある村に外部から医師が赴任してきたところ、なんと村八分にあってせっかく来てもらったのに辞めざるを得なくなったというニュースがありました。村名を出すのはなんか忍びないので、興味ある方は自分で検索して調べてみてください。

 恐らくこの友人のいう通りに、どの医者も村の人間たちとの関係も築けて上手くやってけるというわけではないでしょう。しかし現実問題として日本の各地では無医療無医村ともいうべき限界集落は増えており、該当する自治体では赴任してもらう医師の確保に苦しんでいるとも聞きます。村八分の恐ろしさはもとより、都会と比べて不便な地方での生活、給与面での問題など様々な障害はあり、普通に考えればなんでもってそんなところへ働きに行かなきゃならないんだと傍観者的な価値観からすると思えてしまいます。

 しかし、以前というかかなり昔に読んだコラムで、ある人(名前や団体は失念)こうした無医村に医師を斡旋する活動を始めたところ本人が思っていた以上に多くの医師が応募してきたと書いてありました。応募してきたどの医師も自分が地方の医療を支えるんだという強い意志を持っており、また都会の大病院では大量の患者を診るため文字通り「患者を捌く」ように診療しなければならないため、もっと患者とじっくり向き合って診療をしたいという希望を持つ方もいたそうです。
 仮にこの話が本当であるならばなかなか世の中も捨てたもんじゃないと思えると同時に、気高い医師というのは存外に多いのではとも思えてきます。実際、医療現場の方々は看護師にしろ医者にしろ全体的に高いモラルを保っているとされ、彼らの献身あって予算も人員も減らされるなかギリギリのラインで医療現場は水準が保たれているという話をよく聞きます。

 しかし、残念ながらというか彼ら気高い医師たちよりもメディアはどちらかというと不祥事を起こした医者の方をより多く取り上げようとします。かなり昔ですが「ポケット解説 崩壊する日本の医療」鈴木厚医師の講演を聞いたことがありますが、彼曰くテレビに出てくるようなゴッドハンドとか呼ばれ名医とされる医師たちはテレビに出る時間だけ診療をサボっている医師で、もっと毎日現場を底辺で支えている「ゴッドハート」のような医師たちこそ取り上げるべきだと強く主張されていました。もっともそのすぐ後、「ならお前もこんなところ講演してる場合かと言われるのですが」と、自分でツッコミを入れていましたが本当に漫才師かっていうくらい話のうまい医者でした。

 しかし鈴木医師の言わんとしていること、現場を支えている日の当たらない医師たちこそもっと注目すべきであるというのは同感です。離島医をされていた瀬戸上医師もそうですがこういった医療の最前線ともいうべき場所にいる医師というのはなかなか知る機会がなく、彼らが日々どれほど診療し、どんな勉強をして、どんな治療を行っているのか、普通は目に入ることはありません。
 これは前にテレビで見たある獣医師の例ですが、朝から夕方まで診療し、一時帰宅して食事を取ると夜間の急患対応に出て、夜寝る前に外国の医療論文を睡眠時間を削ってまで読むなどして勉強をするという、本当に頭の下がる生活をされていました。このような生活リズムはこの獣医師に限らないことでしょう。

 少子高齢化が進み医療問題が紛糾する中、ついつい医療費の制度とかばかりに目が行きがちですが医療の根本ともいうべき医療従事者にももっと目を向けるべきではないか、その上で現場を支える気高い医師たちをもっと知るべきだと友人と会話していて思ったわけです。

漫画レビュー「健康で文化的な最低限度の生活」

 あんまりやっちゃいけないと思いつつもこのところ紹介はしておきたい漫画が多いので続いている漫画レビューですが、今日は柏木ハルコ氏の「健康で文化的な最低限度の生活」という漫画を紹介します。書いてて思ったけど「今日は」っていうより「今日も」だな。

健康で文化的な最低限度の生活(Wikipedia)

 タイトルがなかなか凝ってありますが、この漫画は生活保護をテーマにした作品です。主人公は東京都の区役所に入った新人ケースワーカーの女性で、彼女と彼女の同期を中心に生活保護を受給している人たちとその支援の姿を追った作品であります。テーマがテーマなだけに連載開始当初から各方面から注目されて朝日新聞などにも取り上げられたそうなのですが、確かにこの「生活保護」というのは嫌が応にも普段生活していて気になるというか目に入るキーワードでもあり、また某売れっ子お笑い芸人の家族が受給していた事件が取り沙汰された時も大きな話題となっただけに、「年金」と並んで日本国民の関心事でトップ3には入るんじゃないかと思います。もう一つは今だったら「くい打ち」かな。

 作品の展開は基本的に主人公たちが担当する生活保護受給者とその家族が中心で、彼らへの就業支援や生活状況確認を通してトラブルを発見し、解決への道筋を探っていくような流れになっています。巻末には取材協力者、団体の一覧が載せてありますが、確かにこの作者は作品を読んでて生活保護というかケースワーカーについてよく取材しており、その仕事描写などは非常によく描けている印象があります。生活保護と言ってもそのシステムや受給に至るまでの過程、受給後の支援などはどうなのかは案外知る機会が少ないのですが、そうした部分へのとっかかりの様に生活保護とはどんなシステムなのかを知る上ではよく出来た構成になっていると太鼓判を押せます。
 あとこれは私の主観ですが、よく取材しているなぁと感じた点として主人公たちの着ている服に注目しました。一体どんな服かというと男性キャラは基本Yシャツにネクタイ姿ですが女性陣はブラウスにスカートやズボンが多く、しかもその組み合わせが程よくダサいというかババ臭かったりします。偏見かもしれませんがなんか役所の人たちってこういう服着ている人多いなぁというかパシッとした格好の人が少ないと前から思ってただけに、よくそういう情景見ていると変な所ですが共感しました。

 と、ここまで解説しておきながらですが現在この作品は連載が中断しております。公式発表では作者の体調不良だそうで、現在単行本は2巻まで出ておりますが連載は現在も再開されておらずその目途も経ってない状態なので続刊がでるかとなるとやや微妙な状態になっております。
 しかし、敢えて言わせてもらうとこのまま続きは出さない方がいいのではないかと私は考えています。あくまで私の評価ですが、今後連載が続いたとしてもこの作品は面白い展開が広がっていくとは思えないからです。

 先程にも書いたようにこの漫画は決して面白くないわけではなく人に全く薦められない作品ではありません。にもかかわらず何故このような評価をするのかというと、読んでていくつか気になった点があって連載を続けていくにはちょっと厳しいのではないかと感じたからです。

 気になった一つ目のポイントは、展開される話が取材で聞きかじった内容そのままなのではないかと思えた点です。各話で個別の生活保護受給者の状況と彼らへの支援の姿が描かれてはいるのですが、そのどれもがどこかで「生活保護者の実態」などのような特集で見たり聞いたりしたかのような内容で、「えっ、こういうケースとかあったんだ」と思うような意外性がほとんど感じられませんでした。
 私の想像ですが、取材で聞いた内容をほんの少し弄ってストーリーが作られているのではと思う節があり、取材内容を元に換骨奪胎させて自分の作品として仕上げるために付け加えるオリジナリティが余りにも欠けているような気がします。生活保護の実態をありのままに描くという目的で書かれているのかもしれませんが、結局それでは制度紹介漫画に終始してしまうこととなりかねず、「漫画家の作品」としてみるならばこれは大きなマイナス点になるのではと私は見ます。実際、回を重ねるごとに面白味が薄れていったし。
 なお、この取材内容にオリジナリティを付け加えるという点では「Dr.コトー診療所」が非常に優れていたと考えています。離島医という普段の生活ではなかなかお目にかかれない存在をテーマにしつつ、普通じゃあり得ない難手術を次々と成功させるというあのストーリー展開は今読み返しても見事だったと思える作品でした。

 もう一つの気になったポイントは、これは作者に対して過剰な要求であるということを承知した上で述べると、生活保護を選ぶというテーマ設定は抜群に良かったものの、そのテーマで漫画の舞台を東京都の区役所にしてしまったのは最大の失敗だったと思います。わかる人にはもう私が何を言いたいのかを想像していると思いますが、生活保護制度の問題というのは東京都内とそれ以外の自治体とでは本質が大きく変わってくるからです。具体的に言えば金というか予算の問題で、東京都は比較的予算が潤沢であるのに対してそれ以外の自治体はどこもカツカツの状態の上で税収は右肩下がり、なのに受給世帯は増えていて膨れ上がる支給費に対して限られた予算をどう使うのか、下手すれば生活保護申請をどこまで受け入れるのかというのが深刻な問題として横たわっております。
 実際にこの漫画の中ではそうした予算の話はほとんど出て来ず、生活保護者に対しても支援するのが当たり前のように描かれていて予算の面で切羽詰った場面は出てきません。ひどく汚い話ですが読者としてはそうした金にまつわるドロドロしたグロテスクな部分こそ一番見たがっているように思え、そうした場面を描けない、描き辛い東京都の区役所を舞台(恐らく取材先でもある)にしてしまったのはテーマはいいだけにとても勿体なかったという気がしてなりません。いい子向けの漫画じゃないんだからさ。
 理想を言えば最も多くの生活保護世帯を抱える大阪府、または人口減で限界集落すらも抱える自治体がこのテーマの舞台としてはうってつけだったでしょう。さすがに「闇金ウシジマくん」ほど激しい描写はいりませんが、やっぱり私も「一体どういう人が生活保護を受給するのか、できるのか」が一番見たかったです。

 以上のような評価から、決してつまらなくはないけど連載再開したとしても劇的に面白くなっていく可能性が低いというのが私の見方です。我ながら厳しい評価の仕方だと思いますが、生活保護ってどんなもんなんだろうと知りたい方にはまだ薦められる作品であることだけは述べておきます。


 

パリ同時多発テロについて

 各種の報道で皆さんも知っておられるかと思いますが、このほどパリ市内の複数の公共施設でテロと思われる事件が同時に発生しました。特に市内劇場では銃の乱射も行われ死傷者が百人を超すほどの大惨事となり、仏オランド大統領が国内で非常事態宣言を発したほか各国のフランス関連施設では警備が増すなどその影響は計り知れないほど広がっております。

 この事件を私は今朝のネットニュースで知りましたが、恐らくほかの人もそうでしょうが真っ先に思い浮かんだのは2001年のNY同時多発テロで、影響で言えばこの事件に次ぐ規模と見て間違いないでしょう。そして今後についても同様で、これ以前からもフランスではテロ事件への警戒は強かったですがこれからはますます強まり、具体的に言えば移民や難民、そして国内のイスラム教徒に対する審査や監視が強まることが予想されます。
 その上でまだ犯人グループの正体についてははっきりしていないものの、各種報道や事件現場にいた方たちの話からフランスによるシリア空爆への参加を快く思わない連中が引き起こしたものなどと見られ、仮にそうだとすればフランスやヨーロッパ各国はシリアへの更に強めるのではないかと思います。この過程は言うまでもなく、9.11以後の過程と同じです。

 では今後日本はどうするべきか。私としてはかつてから主張してきたように日本が欧米に肩入れしようがしまいがただ「貿易をしている」という一点でもってテロリストは日本も標的に入れると思われることから、目立たない形でもいいからISISを始めとしたイスラムテログループの撲滅活動を支援すべきだと考えます。今度の事件を受けてフランス政府は犯人らを、「人類の敵」と呼んだそうですが、無関係の人間を標的にして自分たちに都合のいい主張をする様を見るだに私もまさにその通りだと思え、日本は無関係だからと無視していいものかと言ったらやはり違うような気がします。既に述べている通り、日本がどのような態度を取ろうが彼らは日本人も狙ってくるだろうと思うからです。

 その上でテロが起きる度に攻撃をするという、米国がアルカイダに対して行った行動を再び繰り返せばいいのかという点についてはやや疑問があります。それについてはちょうどこの前に「中心無きイスラム世界」の記事で述べた通り、如何にしてイスラム教圏でまとめさせるかについてもっと具体的で効果のある施策を取る必要がある気がします。こう言っては何ですが、思想無き連中を片っ端から叩き続けても結局はいたちごっこに陥りかねないからです。彼らテロリストグループはイスラム教の教義を唱えてはいますがそれを真に受ける人間ははっきりいって馬鹿でしかないし、その馬鹿どもを如何に別方向へ誘導させればいいのか、汚い言葉で言いましたが結局はこの点こそが真剣に議論すべき個所だというのが私の意見です。

  追記
 なお中国でこの事件はどう報じられているのか少し調べてみたところ、基本的には日本と同じくトップニュース扱いで被害情報といった現地の事実報道を報じております。また習近平総書記がオランド大統領に見舞い電を出し、テロリズムには断固として反対の立場を取ると言う声明を出したことを新華社が報じています。
 ついでに見つけた記事で、何故か日刊ゲンダイのどうでもいい記事を引用して「安倍首相の次は女性首相就任か?」というくだらない記事ものっけてました。


2015年11月12日木曜日

今年の流行語大賞の候補

 本題と関係ありませんがAmazonでの段ボール箱に関するレビューが本来の用途と全く違った用途で話されてて面白いです。

 それで本題ですが今年の流行語大賞の候補が各メディアで発表されたものの、正直言ってどれを見てもピンとこないものばかりで、もう今年は該当なしでいいんじゃないかと思う低調ぶりでした。まだ流行したなと感じられるのは「爆買い」で、それ以外だとそもそも聞いたことない単語ばかりです、「刀剣女子」ってなんやねん。

 逆に自分の中で今年熱いと持った単語をあげるとすれば、やっぱ「佐野デザイン」と「トートバッグ」の二つです。去年は小保方氏、佐村河内氏、野々村元議員を始めとして大物が多数で田中今年はなかなかニュースな人物が現れなかったところ、佐野研二郎氏が彗星の如く現れて話題をかっさらってきたことからやっぱこの人に関連したキーワードを候補に入れるべきだったんじゃないかと思います。一応、「エンブレム」って単語は入ってるけどこれじゃないような。

 なお今年の自分にあったマイブームを述べると、漫画なら近々レビュー書こうと思っている「ちおちゃんの通学路」、ゲームならPSPの「メタルギアソリッド ピースウォーカー」です。

 ちなみに関連するかやや微妙ですが、先週から左側頭部から左首にかけてやけに鋭い痛みが頻繁に走るようになり、9月に中国人からスチール棒で殴られた箇所とちょうど重なっていたことから後から悪いの来たのかな、治療できるのかななんて思いながら痛みに耐えていました。しかし首を回しても痛みはなく、その一方でことある毎に痛みが走り、左耳の奥もジンジンと痛むので筋肉ではなく神経的な痛みではないかと推測して、何か左半身の神経を痛めるようなことはなかったかと反芻してみたところ、「もしかして、パズドラが原因では?」という結論に至りました。

 というのもパズドラを私は左手でタブレットPCを持ちながら遊んでいますが、この際に左手首を自分に向けて返したままタブレットを支える形になり、なおかつ同じ姿勢を長時間維持することから腕から首にかけて左側の神経に負担を抱え、その結果悼むようになったのではと分析しました。以前にもデータ収録作業でCtrl+CとVを交互に押す作業を続けた際も同じ症状があり、ひとまず対策として机に置いてパズドラをやり始めたらあら不思議、痛みがどんどん緩和していきほぼなくなってきました。
 最近になってパズドラは中国でも遊べるようになり、私もこっちで毎日楽しく遊んでいるわけですが、ちょっとはまりすぎだぞ俺と反省しきりです。でも4日前、覚醒イシス取れてマジ嬉しかった。

2015年11月11日水曜日

ヘイトスピーチは規制すべきか

 結論から言えば「Exactly(その通りでございます)」で、何だったら規制法なんかも用意して逮捕も辞さないくらいの態度を取るべきだと私は考えています。

日本のヘイトスピーチ(Wikipedia)

 昨日は久々に電池切れたのか帰宅から元気なくてブログの更新をサボりましたが、私は一昨日の記事でスポーツ界における過激・差別表現に対する取り組みについて最近話題になった事件を取り上げながら比較的どのチームも真摯に対応しているのではと評しました。その一方で日本社会全体ではどうかというとやや対応が遅れているのではないかと思え、その最たる例と思われるヘイトスピーチに対する法的規制などもこう言ってはなんだが緩すぎる気がすると最後に書きました。

ヘイトスピーチに対する私の所感

 上記リンク先は去年私が書いたヘイトしピーチに対する所見ですが、こうして改めて振り返ってみると、最近「ヘイトスピーチ」という単語を全く聞かなくなったような気がして、なんていうか時代が過ぎるの早すぎじゃねって呟きたくなります。個人的な実感としては「ヘイトスピーチ」に対して「シールズ」が取って代わったような感じじゃないかと思いますが、なんでこういうの毎回横文字なんだろう、三国志っぽく「罵詈雑言」じゃダメなのなどなど考えてしまいます。

 話は本題に戻りますが、ヘイトスピーチに代表される過激・差別表現に対して日本社会はちょっと規制が緩すぎるのではないかという気がしてなりません。以前にフランス帰りの知人から聞いた話だと、特定の民族や団体をターゲットにしたヘイトスピーチなどはフランスでやろうものならすぐ逮捕されるとのことで、フランスに限らずああした発言に対して大概の国は厳しい処置で臨んでいるでしょう。
 日本の場合は一応はマスコミなどでヘイトスピーチ団体への批判は起こってましたが逮捕にまで至ったことは私の知る限りなく、一部が名誉棄損の民事裁判で訴えられた末に賠償判決が下りたくらいです。また現在に至ってもこうした発言を法などによって規制するような議論は出ておらず、恐らく今後も出ないままでしょう。

 こうしたヘイトスピーチに対する法規制の話が出るとヘイトスピーチ団体からは、法規制を行えば表現や政治活動の自由を侵害するなどといった反論が毎回出てきます。しかしこうした反論は私に言わせれば論外であって、自由というのは他者の自由を侵害しない範囲で認められる概念であって、そうした前提を無視した反論は一顧だにする必要はないでしょう。
 このほかヘイトスピーチとそうでない発言を区別する基準が曖昧だから法規制はすべきではないという意見もありました。特に政治絡みだとわかり辛いなどという人が当時結構いましたが、これに関してもそれほど悩む必要はなく、明確な基準はあるのだからそれに従えばいいだけです。その基準というのも前回の記事でも書きましたが、発言目的が社会の改善を目指すのか、特定の団体や人物への憎悪を煽るものなのかという基準です。

 言うまでもなくヘイトスピーチは制度の改革や改善を目的としたものではなく特定の団体や人物への憎悪を煽ることが主目的であって、本人らがいくら政治目的だと主張したとしてもそんなの嘘っぱちだということは明白です。逆にどれだけ強い言葉の主張であっても、政治改革を目的とした発言は政治発言だとしてとらえて規制すべきではないというのが私の立場です。
 ちょっと方向性違うかもしれませんが、そういう意味では2011年に起こったフジテレビ抗議デモはアリだったと考えています。このデモは韓流偏向を批判するもので一部で韓国に対する民族差別的要素があって問題だという声もありましたが、主旨としては偏向報道の是正が第一であるように感じられたし、実際に当時のフジテレビがそう思われても仕方ない報道をしていたとも思います。

 繰り返しになりますが日本社会は未だにこういった差別発言への規制なりが緩いように感じられ、また議論のレベルも低いように感じられます。2020年に東京五輪を控えているだけにもっとこの辺というか政治発言と差別発言の区別が社会全体で明確になるよう対策を取っておくべきではないかと、この前の記事を書きながら思った次第です。