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2017年5月4日木曜日

日本料理の歴史は何百年?

 先日、仕事帰りの地下鉄に乗っていた所、社内のモニターに醤油の歴史を特集する番組が放映されており、それほど長い時間ではありませんでしたが見入っていました。というのも、実家が野田に近く、キッコーマンの工場も身近にあって休日には工場見学するほど割と醤油には入れ込むバックグラウンドが自分にはあったからです。
 音声もなく短い時間とあってそれほど詳しく見てはいなかったものの、醤油発達の歴史では日本の製法改良なども取り上げられ、その中では件のキッコーマン(中国名:亀甲萬)の名前も登場するなど、あんま詳しく中国の醤油の歴史は知りませんが相応に日本の醤油の影響を受けているようです。

 この番組を見た翌日、また同じように地下鉄に乗りながら内容を思い返しているとまたふと突然に、「醤油の歴史を考えると、日本料理の歴史の長さはどのくらいなのか?」というまた妙な疑問がもたげてきました。一体何故こんなことを思ったのかというと、私個人の意見として日本料理は8割方成立しなくなるほど必須と言える調味料で、「醤油がない=日本料理も存在しない」との判断から、「醤油の成立=日本料理の成立」と言えるのではないかと思ったからです。

 早速資料なしで自分の頭の中だけで考え始め、まず醤油なしで成立する日本料理としては何があるかと考えたところ、パッと浮かんだのは天ぷらでした。後から調べたところ、天ぷらは安土桃山時代に西洋の文化が伝わったことにより生まれたとのことで、大雑把に16世紀頃に成立したと予想されています。これ以外の日本料理となれば餅系、あとは精進料理などで、後者に関しては余りメジャーではないものの日本全国で仏教が盛んとなった鎌倉時代以降は成立していたのではと思われ、ある意味最も長い歴史を持つ日本料理とも言えるかもしれません。

 ではこのほかの代表的な日本料理はとなると、寿司、刺身、そば、すき焼き、カレーとなれば、カレーは別格として他のはやはり醤油なしでは語れません。また味噌を使わない場合は煮物料理にも欠かせず、この辺りから醤油の重要性が高まってきます。
 調べたところ味噌はそこそこ歴史が長く、室町時代には一般にも普及して各地で頻繁に作られていた模様です。その味噌の副産物として醤油も徐々に作られ始め、江戸初期でこそ関西周辺でしか消費されなかったものの、江戸中期には野田などで大量生産が始まり、江戸や大坂などの大都市では比較的一般的に消費されたとのことです。

 実際にそばは江戸時代から、年がら年中ではないものの庶民のファーストフードとして成立しており、めんつゆに醤油が使われることを考慮したらこの時代には醤油が一般的に使われていたと考えて間違いないでしょう。
 このように考えると、現在代表的とされる日本料理の多くはやはり江戸時代を通して成立していったと言えるのかもしれません。寿司などもやはり江戸時代からだそうですし、醤油があって初めて成立するものは江戸時代の普及と相まって出来ていったのでしょう。となると日本料理の歴史は江戸中期くらいと考えて、大体約三百年くらいというのが私の計算です。

 もっとも江戸時代にすべての日本料理が出そろったというわけではなく、牛や豚を食べるようになった明治期にも上記のすき焼きのほか海軍食から発展したカレーや肉じゃがなどが生まれ、昭和期には中国から伝わったラーメンが独自発達を遂げるなどしており、ひとくくりに三百年というべきではないのでしょうが。

 なお「日本料理」というカテゴリーではなく、「和菓子」というカテゴリーで考えれば、恐らく日本料理より歴史は長くなると思います。和菓子は京都を中心に非常に長い間に独自の発達を遂げ、甘味料は当初は砂糖が高価だったため主にでんぷんが使われていましたが、室町時代にはそこそこ現代にも並ぶような代物が作られていたのではないかと思う節があります。
 ちなみにガチな話、京都の和菓子組合に加入するための最低条件は「創業百年以上」で、百年程度では「まだ新参やね」と平気で言われます。ほかの地域は知りませんが、京都の場合はどれだけ歴史が長いかがものすっごいステイタスに化けます。

2017年5月2日火曜日

鯖デ―ナイトフィーバー

 中国は昨日はメーデー(労働節)のためお休みで、土日を加えると三連休でしたが先週も仕事が忙しかったというか神経ガリガリ削られてたのでほぼずっと寝ていました。微妙に気温も高く、自転車こいでどっか行こうっていう気にもならなかったし。
 そしたら日曜になぜか魚を食いたくなり、近くのスーパーで鯖買ってきて家で焼いて食べたりしました。ただその際、包装に使われていたパックを何の気なしに洗うこともせず、そのままゴミ箱に放り投げていたのがそもそも始まりでした。

 翌日、つまり昨日月曜日、その四日くらい前から右側顎関節部が痛かったので何かしらの菌に感染しているとは自覚していましたが、案の定というかこの日になって発熱を催してきました。それでも午前中、またなんか急に火がついて日系企業の海外拠点データ集めに数時間没頭し、一旦昼に外出てカレーチャーハン+エビフライを食べて帰ってきた辺りになると熱でふらふらし始め、ちょっとまずいと思って床に入ることにしました。
 ベッドに寝っころがって呼吸を止めて数秒、何か臭うっていうか魚臭い。現在私が住んでいる部屋は京都の住宅の様に長細い構造をしており、入り口部に厨房があって、その次に食卓部屋、でもってベッドルームと細長く続くのですがその分風通しはよく、厨房のゴミ箱に入れた鯖の包装パックの臭いももれなくベッドルームにまで侵入してきていました。

 直ちにごみを捨てればそれまででしたがこちとら熱であまり動きたくないし早く寝たかったので我慢していましたが、寝ている最中ずっと「魚臭い」と思い続け、既に記憶が飛んでて曖昧ですがなんか鯖関連の夢も見ていた気がします。夕方に起きてようやくゴミを捨てて臭いも遮断できましたが、しばらくは鯖食べるのはよそうと思います。

  おまけ
 さっき自宅に帰った際、部屋の大家のおばちゃんも玄関前にいたので、このまでパソコン用デスクを買っていらなくなったそれまで使っていた机をいるかと聞いたら速攻でいるというのでそのままあげました。本当に中国はリサイクル精神にあふれた国だという気がしてなりません。

2017年4月30日日曜日

最近のカープの好調ぶりについて



 上の画像はYahooから引っ張り出してきた本日午前時点におけるセリーグの順位表です。野球データは順位表しか見慣れていない人からすればやや珍しいかもしれませんが、上記の様に勝率から得失点、そしてチーム打率や防御率なども日々こうしてデータ化され表示されます。
 上記票の通り、現在セリーグは昨年優勝した広島カープが抜きんでて首位を独走しており、一時は勝率が八割近くあった序盤と比べるとややペースを落としているものの、それでもあらゆるデータで他チームを平均的に上回り首位を維持するなど調子の良い状態が続いています。

 それにしてもこうして改めてみると、地味に本塁打と得点、盗塁、チーム打率がトップなんだな。得点に至っては二位以下をぶっちぎっており、記事の趣旨と外れてまうけど面白い。

 さてそんな今年のカープですが、日々の報道を見ていて思うこととしては先発投手陣が実にしっかりしているという印象があります。完投すること自体はほとんどありませんが序盤に最少失点でしっかり試合を作ってからリリーフにバトンを引き渡しており、見ていて大崩れすることがほとんどありません。またこれは私がカープファンでないからかもしれませんが、これまであまり見なかった先発投手の名前をニュースで見ることが多く、昨年から続くエースたちではなく新たに戦力となる投手が続々と登場している印象を覚えます。
 一体どうしてこのような好循環が続いているのか。身も蓋もない言い方をすればカープファンからも「クラッシャー」と呼ばれた大野氏が投手コーチを降りたからということもできないですが、さすがにこの理由は置いといて他の理由を挙げるとすると、一つはカープのスカウトの目が非常に的確であるからでしょう。

 ほかのチームではドラフト一位で獲得した選手が必ずしも芽が出ず埋もれてしまうことが多い中、カープの場合はドラフト上位陣が高い確率でその後チームを支えるスタメンメンバーに入ることが明らかに多いです。きちんと各選手の伸び代を把握した上でドラフトで獲得している印象があり、かねてから外国人スカウトはヤクルトと並んで定評があったものの、国内スカウトにおいても目下、「育成の日ハム」、「地元九州のソフトバンク」と並んで堂々たる実績を作っていると言えるでしょう。

 そうしたスカウト面での成功に加え、やはりここ数年で大きかったのは昨年、「減俸100%だったよ」と冗談を言いながら惜しまれつつ引退した黒田博樹投手の存在ではないかと思います。というのも現在活躍しているどの選手も「黒田さんの影響」という言葉を述べており、降板せずに最後まで投げ切ろうとする姿勢だけでなく、ピッチングや緩急のつけ方などでマウンド上で影響を受けたと話す人が多いからです。
 実際に私も上記証言の通り、黒田氏一人による影響がカープ投手陣を大きく変えたのではないかと思います。カープはここ数年で前田健太投手、黒田氏という大エース二人がチームを離れましたがそれを補うかのようにニューヒーローが続々と登場しており、むしろ年々チームとしての実力が高まっている節すらあります。彼らカープ選手自身が元々それだけの潜在力を持っていたとも言えるかもしれませんが、やはり私の目からすれば大エースの影響を各選手が受け、それを昇華してきたという風に見えます。

 このように考えると、エースという存在は組織において大事であるということがつくづく感じます。実際、ほかのチームを見ているとエースと四番の格の違いがチーム全体に敷衍するように思え、特に日ハムなんか実質エースで四番の大谷選手を欠いたことにより精彩にも欠く状態が続いています。
 個人的にケチをつけると、日ハムの中田選手は高い人気とともにその実力が評価されていますが、私個人は彼をそれほど評価していません。というのも打球は確かに飛びますが、見ていてどうもここぞというチャンスで明らかに弱いように思え、ホームランも大抵試合を左右しないどうでもいい時に飛ばすことが多いように感じるからです。逆に今、四番としてみていて凄みを感じるのは今シーズンは不調が続いていますが横浜の筒香選手で、彼が打席に立った際は試合を一振りでひっくり返しかねないような恐ろしさめいたものを感じます。

 広島の四番については、普段弄られまくってるせいで全然凄みを感じることはありませんが、それでもきちっと仕事を果たす辺りはさすがプロだという気がします。なんていうか今やもう立派なベテランなのに、なんとなくルーキーっぽい雰囲気が絶えないというのが逆にすごい。

2017年4月29日土曜日

車はパクられるうちが華

車もコンパニオンも?肩透かしの上海モーターショー(JBpress)

 また例によって上海モーターショーを取材してきた内容を上記リンク先の記事にまとめ出しました。記事にも書いてある通りに今年の上海モーターショーは目玉が少なく、またEV関連の新技術に関する出展もあまり見られず、中国のEVベンチャーのコンセプトカーくらいしか見ていて面白くありませんでした。まぁ敢えて言えばトヨタが新たに打ち出したキャッチコピーが「Toyota New Global Architecture」を略して「TNGA」と称し、壁やパンフレットなどあちこちで打ち出していましたが、何度見ても「T○NGA」にしか見えず、日本国内限定とはいえ一体どうしてこれ採用したのかと屋y疑問でした。

 さてまた例によってYahoo記事のコメントも読みましたが経済記事な上に連休中とあってそれほどコメントされていないのですが、中国なだけに「パクリモーターショー」と揶揄するコメントがいくつか見受けられました。私の目から見てもこれは確かに間違ってはおらず、やはり中国民族ブランドメーカー車は多かれ少なかれ何かをパクっており、特にトヨタの中国ベストセラー車「カムリ」の影響を受けていると感じる車が多数見受けられました。こうしてパクられることに嫌悪感を覚える日本人は多いと思いますが、私に言わせればデザインをパクられるうちが華で、パクられなくなったらそれはそれで問題です。
 何故かというと、売れていたり人気の車ほどパクられる傾向が高く、逆を言えばパクられないということは市場で人気がないとみなされているも同然です。ここ二年くらいは日本車が絶好調なために本社をパクるメーカーが増えているものの、2013年くらいは日本車が不人気で、この時のパクられ対象はドイツ車がメインでした。やはりパクられなくなるとそれはそれで寂しく、日本車がこうして中国メーカーにパクられるということはもっと前向きに見た方がいいでしょう。

 また日本だとあまりこうした話題が報じられませんが、実際には日系メーカーも散々に他社の車をパクっています。特に激しいのが軽自動車業界で、スズキの「スペーシア」なんて露骨にダイハツの「タント」をパクっており、負けじとダイハツも「キャスト」でスズキの「ハスラー」をモロパクリしています。またリアデザインだけなら異常に個性的なトヨタ「プリウス」をホンダがHV車の「インサイト」でパクリました。
 日系同士のみならず海外メーカーからも地味にパクっており、代表的なのはダイハツの「ミラジーノ」で、独ミニ「クーパー」をサイズだけ変えてパクっており、わかる人からしたら「やばいんじゃないの?」と思うくらいのパクリ具合でした。また世界のトヨタももう十年くらい前になりますが、ミッドシップスポーツカーの「MR-S」で同じくミッドシップのポルシェ「ボクスター」をパクっていました。ポルシェもよくあれで訴えなかったな。

 世の中なんてこんなもんで、私が知らないだけで現行の日系メーカー車種も実は海外メーカー車をもっとパクっているかもしれません。そう考えるなら、パクられるほど注目浴びる車を多く持っている方が華だというのが私の意見です。

2017年4月28日金曜日

アドベンチャーゲームにおけるキャラクター表現の変遷~没個性について

 パソコンデスクを変えてからキーボードの位置が素晴らしくいい位置に来たため、タイピング速度が桁違いに上がると共にミスタイプ率が極度に減りました。案外、見えないところでこうしたタイピング位置のズレが社会の効率を大きく下げているのかもしれません。うちの名古屋に左遷された親父は「HPのパソコンやとめっさ打ち辛い」と言ってましたが、私に言わせればそもそも安いだけのHPを買う時点で問題でしょう。まだLenovoの方がマシじゃないかな。

 話は本題に入りますが最近、昔流行ったとあるアドベンチャーゲームの開発者インタビューを読む機会があり、懐かしさを覚えると共に最近のゲームとの比較で考えさせられる点が多々ありました。その考えさせられた点というのは具体的に挙げると、「最近のアドベンチャーゲームはキャラクターを前面に出しており、作品全体のテーマ性やストーリーが軽んじられている傾向がある」というような指摘でした。
 多少ネタバレさせると、そのレビューで取り上げられたゲームは一見するとSFファンタジーですが裏テーマとしてはカニバリズムや近親相姦といった社会でタブーとされる概念が出てくる場面も盛り込まれてあり、私の言葉で言わせれば文学的な要素というか考えさせられる内容が多分に含まれていました。ただ、そのゲームについてはやや懐古による過大評価な面も多いのではないかという気もしますが。

 必ずしも全部の作品がそうだったわけではありませんが、確かに今現在と比べると90年代くらいのアドベンチャーゲームは作品全体を通したテーマ性が非常に強く重視されていたというのは間違いありません。一方、現代のアドベンチャーを含むゲームのストーリーではそうしたタブーに触れる様なテーマ性よりも圧倒的と言っていいほどキャラクターの造形が重視されているでしょう。キャラデザインという見た目はもとより性格やバックグラウンドなど、ライトノベルの指南本などでも「全体のストーリーはどうでもいいから読者に気に入られる魅力的なキャラを作ることが大事」という風に書かれており、現実に主人公やヒロインのキャラクター性でその手の売上げは全部決まりかねない勢いです。

 具体的に一例を挙げると、90年代におけるアドベンチャーやRPGのゲームでは主人公は「はい」か「いいえ」しかしゃべらないのが当たり前なほど没個性的でした。これはプレイヤーが主人公へより感情移入させるための措置で、何かしらの人格は与えてはならないというような不文律が少なからず当時にはありました。主人公が喋る必要のあるアドベンチャーゲームでも然りで、たとえばサウンドノベルの傑作である「かまいたちの夜」では主人公を含め登場人物はシャドウで表現され、見た目のバイアスがかからない様な処置が施されていました。
 しかし現代のゲームでは主人公がペラペラしゃべるのは当たり前で、見た目ももちろんのことその性格がどうかなどがプレイヤーに吟味されます。ヒロインキャラも同様で、悪かった例で挙げると「テイルズオブベステリア」と「俺の屍を越えてゆけ2」はそれぞれヒロインのロゼと夜鳥子の行動や性格がプレイヤーから大顰蹙を買い、ほぼこの一点でもってクソゲー扱いされる程でした。

 もちろん時代によって流行り廃りはあるのは当たり前ですが、確かによくよく考えてみると「キャラゲー」という言葉があるくらい、現代のゲームはキャラクターへの依存が強くなっている気がして、作品全体のストーリーやテーマで語られることが少なくなっている気がします。もう一つ例を挙げると、「氷点」という小説は知られていても主人公やヒロインの名前まで覚えている人は多くないでしょう。私もその口(ヒロインは「陽子」と覚えている)ですが、この作品における「汝、汝の敵を愛せよ」というテーマはしっかり覚えて今でも強く影響を受けています。

 この評論自体が懐古調なだけかもしれませんが、やはり私から見ても最近のゲームや小説はキャラクターが前面に出過ぎていて、作品全体で深みがやや足りないストーリーが多い気がします。やはりこの二つの要素は相互干渉し合い、キャラクターを追い求めると全体テーマは薄れ、その逆も然りとなります。
 特にアドベンチャーゲームでは遊んでいるというよりは遊ばされているというべきか、主体的というより受動的な印象を覚えるゲームがやはり多いです。そういった意味で敢えてこの時代に没個性的なキャラで挑むゲームがあったら遊んでみたいと少し感じたわけです。まぁドラクエはその姿勢をずっと貫いているけど。

2017年4月27日木曜日

クレジットカード情報流出したぴあという会社について

ぴあ社がプラットフォームを提供するB.LEAGUE チケットサイト、及びファンクラブ受付サイトへの不正アクセスによる、個人情報流出に関するお詫びとご報告(ぴあ)

先日、不正アクセスによる情報流出が報じられていたチケット予約会社のぴあですが、プレスリリースを読んでみたところクレジットカード情報も流出し、不正な取引も確認されていたそうです。結構影響でかいと思うのですが、ほかの大手ほどは大きく報じられていないのはまぁ運がいいでしょう。

 実はこのぴあという会社ですが、私が中国から一時日本に帰ってきて文字通り浪人していた際、中途採用で関わったことのある会社です。なんでも観光関連媒体をやるというのでライターを募集しており、中国観光関連だったらいくらでも記事書けるので応募してみましたが、結果から言うと「ヤバイ会社だな」という印象を覚えました。
 具体的に何がやばかったのかというと面接です。わざわざ夕方に来たくもない渋谷くんだりまで来て三対一で面接を受けましたが、聞かれた内容はほとんど提出済みの履歴書に書かれた内容とお決まりの「休日は何を?」という仕事とは全く関係ない趣味の話でで、また2012年に反日デモが盛んだったころに上海にいたことから「現場はどうだったのか」と聞かれ当時の状況を説明し始めたところ突然、「もういい」と、大体話し始めて2分くらいで遮られました。未だに連中は何が効きたかったのか理解できません。

 もうその時点でこの会社はないなと思っていましたが最後に質問はと聞かれ、「今回ライターを募集している観光媒体というのは冊子媒体ですか?そうであれば発刊頻度はどうなのでしょうか?」と聞いたところ真ん中の一番偉そうな野郎が、「月刊だっけ?季刊だっけ?」と、左右の二人にいきなり聞き始めました。私が知る限り、自社発行媒体、しかもそれに記事を書くライターの面接をしているにもかかわらず発刊頻度を把握していない人物がいる会社はここ以外知りません。

 このほか非常に強く疑問を感じた点としては、ライターを募集しているにもかかわらず記事を書く技術や経歴について何も聞かれなかったのは正直イカれているなと覚えました。はっきり言えばライターというのは短時間にどれだけの数量の記事を書けるかですべての価値が決まると言っても過言ではなく、きれいな文章を書けるとかスクープ物にできるのかというのは二の次です。具体的に1日で何文字の記事を何本出せるかというのが必須と思えるにもかかわらず、この方面についてこの時の面接では一切聞かれませんでした。採用した後で、記事書けないとわかったらどうするつもりだったのだろうか。

 まぁこんな具合だったので案の定お祈りされましたが、今ここの会社に私以上の書き手がいるというのなら出してみろよと一回聞いてみたいものです。

  おまけ
 同じ面接でも、お世話になった上海の新聞社では履歴書に書かれた内容については特に質問されず、「キツイしボーナスも出ないから逃げ出したくなるだろうけど逃げられないけどいいのか?」と、何度もヤクザみたいに脅されました。ただこの新聞社では、面接時の質問に一切嘘がなく、またあらかじめどういう業務内容で、どれだけハードなのかをきちんと説明してくれていたこともあって、その扱いが不当だと感じたことは一切ありませんでした。
 こうした経験から、日系企業は面接で平気で嘘をつくので全く当てにならないと割り切るようになりました。

2017年4月26日水曜日

もはや忘れられてしまった問題


 上の写真は上海モーターショーのとあるブースにあったダミー人形ですが、裸のままシートベルトに縛り付けられ俯く姿に対し妙な憐憫を感じ、気がついたら撮影していました。

 話は本題に入りますが、先日TBSがホームレスを「犬男爵」とあげつらってエンタメ性を重視した、言い変えればやや馬鹿にした放送をしたことで世間から顰蹙を買っていましたが、ホームレスらに対する世間の見方というか問題意識は昔と比べると随分低くなったなとこのニュースを見て思いました。というのも私が小学生くらいの頃は夕方のニュースで頻繁にホームレス特集が組まれ、自立への支援や行政の取り組み、あとやっぱりこの時代も変わったホームレス(国立大卒のエリートホームレスなど)を取り上げてはいたものの、ホームレスを減らさなければという問題意識は今よりかは高かったのではないかという気がします。
 もっとも、2000年代前半に天王寺公園を不法占拠して路上カラオケ店などを開いていたホームレスを行政が追放した際、関西のメディアがホームレス側が可哀相だと報じていたのは肩入れがひどすぎましたが。

 このホームレス問題と共に近年、すっかり「何とかしなければ」的な関心が薄れたというかもはや存在することに誰も疑問を挟まず、そこにあることが当たり前となりつつあるのがニート問題でしょう。ニート、当初は「引きこもり」という表現で2005年くらいまでは総称されていましたが、就職氷河期となった1990年代後半辺りから徐々にその存在が認知され始めた頃はまだ社会復帰させようというような報道が多く、また小中学校の登校拒否者もこのころ辺りから取り上げられていました。
 古い記憶をさかのぼれば90年代後半は「アダルトチルドレン」というみょうちきりんな言葉も流行ってはいたものの、更生施設めいたものや行政の訪問などがよく取り上げられていたものの、結果から言えばその後もニートの総数は増加し続け、現在ではあまり対策面についてニュースを見ること自体が珍しくなってきています。

 ホームレス、ニートともに、単純に言えば世間が関心を失ってしまったからでしょう。まだいじめ問題なんかは時たま自殺した生徒が大きく取り上げられて定期的に社会の注目を集める(そして何も対策されないまま忘れられる)ことがありますが、先の二つは今後は以前ほど省みられることはもうないような気がします。感覚的にはホームレスはまだともかく、ニートはいくら対策を施しても対策にかかる費用ほどの効果が全く見られないため、これもやや古い言葉で言えば自己責任として社会が片付けようとしているのかもしれません。

 さてそういった目で現代を見つめるとしたら、今はどんな問題が世間の注目を集めていると言えるのでしょうか。大体4秒くらいで私が思いついたのは「過労自殺」でしたが、これも賞味期限は来年位じゃないかなと予想します。ただ今後の日本は労働力不足が飲食や小売の現場などで顕在化してくるとも見られ、そうなれば案外継続して関心が持たれるかもしれません。

 最後に一言だけ述べると、別に時間と共に関心が薄れることは問題だと私は思いませんが、せめて何かしら具体的な対策を施してから忘れるべきじゃないかと思います。いじめ問題も、あれだけ大騒ぎしておきながらまた大津市でいじめの訴えを学校側が無視していたという事件が起こる辺り、何も変わっていないとしか評価するよりほかありません。