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2010年12月31日金曜日

自分の今年を振り返って

 年末最後の記事ということもあって、ちょっと今年を振り返ることでも書こうかと思います。

 中国で正月とくれば二月初旬の旧正月なので西暦での年末年始はあまり大きなイベントではなく、実際に今日も私は客先の日本企業は全部閉まってて暇でしたが会社に出勤してきました。それでも日系企業ということもあって明日から三ヶ日の三日間はお休みですが、土日を挟むのでなんか損をしているような気分がすごくします。
 それにしてもちょうど一年前の去年の12月頃、恐らくこうして中国で一人で年を越すなんて私は想像だにしていなかったでしょう。転職を考え始めたのはまさにその頃ではありましたが、内心ではどうせ今回も計画倒れで実行までは行かないだろうと思っていました。

 私に限って今年一年を振り返れば、やはり最大の事件は中国への転職に尽きます。決断する前から転職したら転職したで後悔するだろうと考えていましたがやらなかったらそれ以上の後悔をするだろうと思って最終的に決断に至りましたが、案の定というかこっちに来てからはほぼ毎日、「日本に残ってさえいれば」という考えが頭をよぎります。ただ人間、基本的に少し辛いと思うくらいの状況が本人にとっていい環境だと私は考えているので、死ぬほど辛い状況ではないので今くらいの環境が一番自分にとっていいのだと納得するようにしてます。
 幸いというか最近はこっちの生活とこっちの南方訛りにも徐々に慣れてきて、またひどく汚れてて電気もほとんどつかなかった自分の部屋もあちこちいじくった甲斐あって住みやすくなり、二週間前と比べると随分と生活に余裕を感じるようになってきました。

 ただこうして次のステージへの第一歩は踏んだものの、今年一年間で見ると自己研鑽が少なかったという反省があります。資格も何も取らなかったし運動も自転車乗り回すだけで必殺技とか何も編み出さなかったし、何かしらテーマを決めた勉強もあまりやってきませんでした。唯一少し勉強したと言えるのはホームページの「陽月旦」をリニューアルする際にスタイルシートとか簡単なHTMLを覚えなおした位ですが、こっちだとFC2にアクセスできないからまた放置することになるかもしれません。アップロードはできるのだろうか。

 執筆活動というかブログの方は他サイトにて取り上げてもらう記事がいくつかあり、またそこそこ固定読者を獲得できたと実感することも増えてきたのでそんなに悪くなかったと思います。ただ大学時代の貯金が減ったと言うか何か知られていない話題や知識を解説することがはっきり自覚するくらいに減って、やはりこのところの勉強不足が徐々に響いてきており再勉強の必要性を感じる一年でした。
 ただそうやって育ててきたブログの「陽月秘話」を中国のアクセス禁止の壁に阻まれてまたこのgooブログで一からやり直す羽目となってしまいましたが、こうして中国で再スタートを切るという意味では心機一転のいい機会だったかもしれません。必然的にこの「陽月秘抄」は前の「陽月秘話」以上に中国関連の記事が増えるでしょうし、ブログの方向性もややか違ってくることになるでしょう。

 逆に来年に対して抱負を述べると、もっと中国国内のニュースをこのブログの中で配信できるようになれるのと、中国人に直接インタビューできるくらい語学を伸ばして人脈も作れればいいかなと思ってます。
 今に始まったわけじゃないですが、このブログを中心に生活上の物事を組み立てることが増えてきました。来年はもっと固定読者が増えるといいな。

2010年12月30日木曜日

日本の司法が変わった年

 自分は見ていないのですが、友人が先日日本で放送されたタレントのビートたけし氏が司会する今年を振り返る番組で死刑制度が取り上げられてなかなか興味深い内容だったそうです。死刑制度については二年前に鳩山邦夫氏が法務大臣だった頃にそれまでなかなか執行されなかった案件を一挙に処理したことから朝日新聞に死神呼ばわりされましたが、この前もインタビューにて鳩山邦夫氏は大量執行したことに後悔はなく、むしろもっと執行命令を出すべきだったと息巻いていました。
 ただこうした死刑の問題以上に、今年はいろんな面で日本の司法が大いに変革を迫られた年だったように思えます。恐らく今後語られる日本の司法史において、このに、三年間は大きな転換の年として取り扱われるのではないかと早くも私は予想しています。

 具体的にどのような点で変革が起きたのかを挙げるとすれば、まず筆頭となるのは裁判員裁判でしょう。開始前でこそ適正に裁判が行われるのか、秘密やプライバシーなどは守れるのか、法律知識のない一般人に何が出来るなどと非難轟々ではありましたが、いざ実際に始まってみると思ってた以上に裁判員に選ばれた方々が真摯に裁判に対応し、また裁判所など司法側も法律知識の少ない裁判員にも理解してもらうためそれまで難解な法律用語を飛び交わせて専門家同士にしか通じない議論だったものを平易な言葉に切りかえ、裁判員のみならず傍聴者、または当事者である被告や原告にも内容が伝わりやすくなったそうです。

 裁判員裁判は去年から始まりましたが今年には早くも大きな節目があり、数件の裁判において死刑判決が議決されました。最初に裁判員裁判で死刑判決が下りた裁判では判決後に裁判長が被告に対し控訴を促すという前代未聞の発言があり各所で批判がありましたが、私は逆にこのときの裁判官のこの発言を高く評価しております。
 普通に考えれば中立を保つべき裁判官がこのように被告に控訴を促すというのは許されないことですが、仮に裁判員裁判の一審にて刑が確定した場合、裁判員らがその被告に直接死刑を議決して死に追いやったと心的負担を抱えることが大いに予想され、結果は同じだとしても裁判員の負担を考えるなら二審、三審で刑が確定させるべきだろうと私も思います。実際に死刑判決に関わる裁判に関わった裁判員らは会見などで強いストレスがあり、死刑に関わる裁判は専門の裁判官のみがやるべきではとも発言しています。

 こうした制度面での変革の一方、司法のあり方というか存在意義についても今年は大いに議論というか事件が起こりました。まずその前兆とも呼べるのは去年に起きた足利事件における菅谷さんの冤罪発覚事件で警察の捜査はもとより裁判において菅谷さんが無罪を主張していたにもかかわらずどうして見抜けなかったのかと、それ以前から一部で批判が起きていた国策操作などとあいまって司法への国民の信頼が大きく揺らいだ事件となりました。

 そんな中で起きたのが今年の郵便不正事件裁判における村木さんの裁判で、言うまでもありませんがこの事件では村木さんが無実だと明らかにわかっていたにもかかわらず検事が証拠を偽造し、無理やり罪に落とそうとしたという前代未聞の不祥事が発覚しました。この事件では証拠偽造を直接行い逮捕された前田容疑者に続き、村木さんの事情聴取を行った国井検事についても検察官適格審査会において罷免すべきかどうかが議論されていますが、前に見た村木さんのインタビューによるとこの国井検事は全く村木さんの話を聞かないばかりか暴言も多く、文面から村木さんが相当に怒りをもっていた人物なのだろうという印象を受けました。
 この証拠偽造事件を受けてか早くも各所で影響が出ていると思える事例があり、どこかの刑事裁判では警察による被告が自白を行ったという主張に対して裁判所側が自白は強要によるものとして退けたり、警察の要請を拒否して検察が立件を見送るなど司法側が捜査に対して慎重になっている節があります。

 私としてはかねがね日本の司法に疑問を持っていたので、ここ最近の事件などによるこのような影響を歓迎して見ています。また市民も司法に対して注目をするようになり、司法の壁というか閉じきった変な世界が徐々に開かれてきているようにも思えます。
 今、立法府においては小沢氏の裏金疑惑が訴状に上っておりますが、行政を含めて三権がきちんと機能するためには司法が独立性と正当性を保たねばなりません。今後も司法改革というか清浄化がいっそう進むことを切に願います。

 スカイプチャットしながら書いたから、えらく時間かかったな。

2010年12月28日火曜日

中国の外交が強硬化した理由

 中国の正月は二月なのと、新しい仕事に未だ慣れないためにいまいち年末気分で盛り上がれずにいますがそれにもめげずに今日もブログを更新します(つД`)

 さて今年も残りわずかとなってきましたが、今年一年を振り返ってみると中国関係では何よりもあの尖閣諸島沖漁船衝突事故が日本にとって一番大きな事件だったでしょう。いろいろ細かい事件はありましたが小泉政権が終わってから日中は割と波風少なく経済交流が進んできていたのですが、あの衝突事件以降はそれ以前からも徐々に輸出枠は減らされてきていましたが報復としか思えないレアアースの輸出差し止め(実際には他の貨物も止められてたけど)を始めとしていろんなところで無理難題を中国は日本に要求するようになって来ました。

 ただこのような中国の態度は日本に限らず先日のノーベル賞授賞式に平和賞を受賞した劉暁波氏の問題から他国に参加しないようにと斡旋したり、スウェーデンとの通商交渉をひっくり返すなど目に見えて近頃は強気な姿勢を出してきています。さらには同じ漁業の問題だとつい少し前にお隣韓国でも同じような漁船事故が起こって、日本の時同様に例の謝罪と賠償を強く請求しているようです。

 正直に言って漁船衝突事故が起きた際も私は最初は強気なことを言うけれども適当な落とし所で中国も引いて、事を余計に荒立てないようにするだろうと考えていました。しかし予想は見事に外れて中国は最初から最後まで強気な姿勢を崩さずにきたわけですが、どうも去年と比べて今年の中国は外交に対して一切の妥協を示さず我が物顔に振舞うように転換してきたように思えます。もちろんこれまでも十分わがまま放題な国ではありましたが今年はそれに輪をかけたというくらいの変貌振りで、何か内部に変動でもあったのかと疑うくらいでした。

 では一体何故中国の外交が強硬化したのかですが、いくつか考えられる理由がありますがまず第一に考えられるのは今年の十月で上海万博が閉幕したからです。中国は08年の北京オリンピックと今年の上海万博と、ごく近い期間に世界の注目が集まる国際イベントを連続して開催しました。無論中国としてもこれらのイベントは何が何でも成功させたいイベントだっただけに、北京五輪開会式での口パク少女、上海万博テーマソングが岡本真夜氏の曲のパクリだったなどいろいろ騒動はあったものの必死で押さえ込みにかかって何とか大過なく終わらせることが出来ました。
 この二年間は中国にとってまさにそんな慎重にならざるを得ない期間であり、事実私の目からも中国は地のわがままな性格を必死で抑えているなぁと感じる場面が少なからずあったのですが、今回上海万博が終わったことでようやく抑えるものがなくなったというかまた元の性格が出てきたのではないかと考えることが出来ます。そ

 こうした国際イベントの開催という理由ともう一つ、中国共産党内部で権力移動が起きているのではないかという疑いがあります。
 中国共産党は事実上中国政府と言ってかまわないのですがこの内部の権力ルールというのは割合にはっきりしていて、現在胡錦濤氏が務めている総書記職の任期はきっかり十年で、任期が切れるのは2012年なので実質胡錦濤氏の任期は残り二年間です。それだけに早くも胡錦濤政権の次についてはいろいろと慌しい動きがあり、元上海市長でこの前日本に来て天皇に謁見をした習近平氏が事実上ポスト胡錦濤に内定しております。

 元々胡錦濤氏が総書記に就任した際もその前の総書記であった江沢民氏の派閥が内部に多くいるためにあまり胡錦濤氏は好き勝手出来ないだろうと言われていましたが、習近平氏も江沢民派の流れを受ける人物であるために早くも胡錦濤氏が残り少ない任期という足元を見られて発言力が弱まっているのではないかと一部で報じられています。
 こういっては何ですが胡錦濤氏はこれまで日本に対し、あくまで損得勘定の上でしょうが割と好意的に対応してくれていたと私は思います。仮に江沢民時代、もしくは現在の状況で小泉元首相のように菅首相が靖国神社に参拝でも行おうものなら中国は官民揃って物凄い反応を示すでしょうが、小泉氏の参拝時はまだ胡錦濤氏らが中国国内を抑えてくれたおかげかその混乱のレベルもまだ知れていました。

 それだけに今回の漁船衝突事故時も適当なところで落とすだろうと私も踏んだのですが、結果はこのざまでした。江沢民派は元々対日強硬派が多いとの事で、2012年以降はこれまでのように日中がやっていけるかとなると少し雲行きが怪しいです。

2010年12月27日月曜日

就職情報の嘘と本当

 今年の大学生の内定率はかつて失われた十年と呼ばれた90年代の氷河期を越すほど悪化したと各所で報じられているのを筆頭に、不況ゆえかあちこちで週所気宇に関するいろいろな情報を目にします。それらの情報の全部とはいいませんが、私の見ている限りでもいくつか怪しいデータというか報道内容に疑問を感じる情報も少なくないので、今日はちょっと気になる就職に関するいくつかの情報について私の意見を述べようと思います。

  検証情報その一、「今年の大学生の内定率は57.6%」
 はっきり言えばこの57.6%という数字は嘘でしょう。
 日本、というより中国や韓国を含むアジア諸国は欧統計数字に感情を込めたがる傾向があり、数字に対して徹底的に冷徹になる米に比べて何かと数値がゆがむ事が多いです。特に日本においてこの就職率の数値ほど当てにならないものはありません。失業率についても同じことが言えますがなるべく数値をいい方向に持っていこうとするところがあって実態を把握する数字とはとても言い切れません。

 それではこの内定率算定のどこが問題かというと結論から言えばこの数字は、

  内定を得られた÷就職を希望する学生

 という計算式で算出されるため、全学生のうちの57.6%が内定を得られたという意味ではないのです。
 詳しく解説すると当初は就職活動を行ったものの内定が得られずにやむなく大学院に進学、もしくはまた別の専門学校に進学という選択を行った学生は母数に数えられず、そのほか就職自体をあきらめてしまった学生も加えられていない可能性もあります。

 なので実際のところ、私の勝手な予想を言わせてもらうと本当は就職したかった学生を含めれば今年の内定率は四割前後というのが関の山ではないかと見ております。


  検証情報その二、大企業はともかく中小企業は人手不足で新人が欲しい
 これも学生の内定率が悪いというニュースとともによく、「中小企業は人材が欲しいのに採用のミスマッチが……」という風に報じられますが、半分正解で半分はずれというのが私の見方です。
 そもそも大企業が採用を絞っているのは新たに新人を雇うだけの財務的余力がないということに尽きます。大企業ですら不況でそんな状態なのに、中小企業が新人を雇えるだけの余力があるかというと普通に疑問を感じずにはいられません。

 実際に私もまだ景気が良かった頃に就職活動をしてましたが、大企業と比べて中小企業は本当にいい人材を探そうとしているのか不思議になるくらいぞんざいでいい加減な募集をしているところが多く、「後で面接日などを連絡する」と言ったきりで何の連絡も来ないというのもざらでした。逆にこっちからまだ日程は決まらないのかと聞いたらもう採用は終わったと返事が来るし……。

 ただ人手不足というのは大企業を含めて当てはまる事実で、これも細かい説明は省きますが人手が足りなくて忙しいのに人員を増やせないという負の連鎖が今の日本社会の問題点の根幹であり、その原因はほかでもなくデフレにあるのが私の考えです。


  検証情報その三、企業は即戦力を欲しがっている
 わざわざ書くまでもないですがこれは事実でしょう。先にも言った通りに企業はどこも余力がなくて雇ってすぐに結果を出す人員しか求めていません。実際にはそんな即戦力な人間はそうそう転がっているわけじゃなくて言うこと信じて拾ったら実際とは違っていたというのが多いような気もしますが、社会経験のない新卒の学生にこんなことを要求する自体が間違いでしょう。
 これは逆に言えば学問に対して通常生活では役に立たないと価値を見出せなくなってきているとも取れ、無形の物を評価することができなくなるほど退廃してしまったとも取れるように思えます。今の学生が必ずしも勉強をしているとは私も言い切れませんが、私の就職活動中に大学でどのようなことをしたのかと聞く面接官はいても、どのような学問を学んだかという質問をした面接官はついぞ一人たりともいなかったという事実が如実に現わしているでしょう。

2010年12月26日日曜日

この週末の過ごし方

 昨日今日は中国に来て二回目の週末でしたが、まだ生活が安定していないのとのんびり過ごしたかったのとであまり家から離れずに過ごしました。

 まず昨日は早朝八時に家を出て先週に買った380元(約4,560円)の自転車でサイクリングに出かけました。走った距離は土地勘もないためにいまいちはっきりしませんが大体15キロ前後で、買った自転車性能を試す意味で走ってみたのですが結果はあまり芳しいものではありませんでした。

 一応中国の自転車メーカー(風鳳自行車)純正だと言われて買ったのですがまずギアがほとんど噛み合っておらず、前輪三段後輪七段であるものの前輪ギアは動かすとカタカタ鳴りだしてなかなか噛まず、後輪は多少は融通が利くもののペダル一回転ではギアが変わらず、三、四回転してから突然ガチャンと比較的強い衝撃とともに変わるので乗ってて非常に怖いです。多分普通の人と比べても私は自転車のギアを変える回数が明らかに多いのですが、この自転車ではそうそう変えてたら絶対にすっ転びます。しかもその後輪七段のギアのうち感覚的には表示は変わってもペダルの重さが変わらないギア段があり、実質三段くらいしか変速できません。
 こうしたギアの不調に加えてハンドルのパイプがきちんとフレームにはまっていないのか、ブレーキの度にハンドルが前のめりに少し動いては「ガッ」って金属がぶつかる音がします。動くといっても本当にミリ以下ではありますが乗ってると結構気になるし、故障の原因になるならなるでかまわないけど乗っている時に折れたらすごく嫌です。

 あと私にとって致命的だったのは、サドルを限界ギリギリまで上げたにもかかわらず私の体幹に合わずペダルを強く漕げない点です。手首足首がリアルに女性並みに細く(骨自体が細い)てお世辞にも体格には恵まれなかった私ですが、こと背筋に関しては子供の頃から群を抜いててこれだけは明らかに恵まれていました。その背筋を自転車を漕ぐ際に使う場合、自転車のサイズ(サドルからペダルの距離)と体が合うか合わないかでその使える範囲が大きく変わってくるのですが、比較的小柄な私にも関わらず今回買った自転車はやや小さ過ぎた気がします。自転車屋を眺めていた際にも思いましたがどうもこちらの自転車は全体的に小さいサイズが多く、その中で大きめのサイズを選んだつもりでしたがこれでもだめだったようです。通常ならそれほど苦労せずに時速30キロ以上の速度を出せるのですが、立ち漕ぎすれば無理じゃないけど全然スピードが出ない……。
 まぁ文句ばかり言ってもしょうがないので三ヶ月くらいは我慢して乗るとして、それ以降はもっと高くていいやつに乗り換えようかなと早くも検討中です。唯一褒める点があれば、ブレーキだけは利きがいいです。ほんとこれだけだけど、こんな自転車にブランドつけるあたりはさすが中国だな。

 と、自転車の話ばかりしてもしょうがないのでここらでやめて、そんな風にしてひとしきり走った後はちょっと優雅にケンタッキーで軽食を取り、そのまま近くのショッピングセンターに行って200元(約2,400円)の三洋製炊飯器を買いました。普段の食事は基本的に外食なのでそれほど必要でもないのですが、一応炊飯器があれば米をたいて小原がすいたときにおにぎりが食べられると考えて思い切って買うことにしました。ちなみにこのほか日本製ではパナソニック製も売ってましたが値段はどれも700元(約8,400円)を下らず、中国国内メーカーで最低価格が100元(1,200円)のと比べるとやはり割高でした。
 で、今度からブランド自体なくなる三洋の炊飯器ですが、敢えて規定されている水の量で炊いたところどうもパサパサした感じに炊き上がりました。米自体が中国米なのでその特性かもしれませんが、どうも日本と比べて水の量が少なめに規定されている気がするので今度はもう少し多めに入れて炊いてみようと計画中です。

 土曜日はその後だらだらとネット見たりPSPしたりして過ごしましたが、今回中国に持ってきたPSPソフトの「ガンダム バトルユニバース」が非常に面白くて助かっています。正直に言ってこんなゲームが存在したのかというくらいに面白くて、この感動は初めてPS2で「真・三国無双」をやった時以来です。

 そうして今日の日曜日。今朝はゆっくり起きて部屋の掃除などを午前中に行い、早めの昼食の後の正午ごろに家を出てまた自転車で近くの市場に向かいました。中国には築地みたいな市場があちこちにあって、屋根つきの広い建物の中で違法DVDやら服やら鞄やらそれぞれ様々なものを売る露天商が集まっています。
 今回私がそんな市場に行って探したのは掛け布団の下に使うような毛布で、近くのショッピングセンターにちょうどいい感じの毛布が売ってないので怪しい所だけどわざわざ探しに来たわけです。結果から言うと意外とちゃんとしたものを売っているおばちゃんがいて、180元のところを170元(2,040円)まで交渉して一枚の毛布を買いました。家で広げてちょっと横になった感じは悪くなく、値段的にも納得の金額ですが土曜の炊飯器といいちょっとお金を使い過ぎているような気がします。

 毛布を買ってきた後はちょっと買い物をしておにぎり用の塩を買い、家でごろごろした後の夕食は粗食で行こうとご飯一合のおにぎりのみを食べました。そうしてブログを書く今に至るわけですが、日記くらいでこんなみっちり書くものかとちょっと思います。

2010年12月25日土曜日

中国人は漢民族なのか?

 このところブログのタイトルを何にするか考える時間が増えておりますが、今回もまた考えるだけあって珍妙なタイトルになったと思います。恐らく大半の方は一見して、「何を当たり前のことを?」という具合に思ったのでは。

 現在の中国は多民族国家ではありますがその中で主要民族として一番力を持っているのは漢民族です。漢民族とは黄河流域に端を発する民族で、古代にて栄えた中国統一王朝の漢という国からその民族名が付き、何度か異民族の侵略を受け支配された歴史もありますが長きに渡ってこの地域に住み続けて現在の中国人口でも90%以上が漢民族とされます。それゆえに一般的にも中国人=漢民族という図式が浸透しており、メディアなどでもそのように扱われます。

 そんな当たり前の事実に何故今回私は疑問符をつけたのかですが、勘違いされないように先に言っておくと血統的には現在の漢民族は地域によって多少の混血がなされているとはいえ間違いなく歴史上の漢民族と同一民族です。今回私が言いたいのはそういった血統上の漢民族ではなく、文化という点で現在と過去の漢民族とで連続性があるかということです。

 漢民族の文化と聞いて一般的にもすぐ浮かんでくるのはこの文章でも数多く使用している漢字でしょう。この漢字は東アジア文化圏にて広く伝播しましたが現在でも使用しているのは日本、中国、台湾だけで、しかも日本は一部、中国は大半の文字を簡略化したために比較的オリジナル性を保っているのはもはや繁体字を使用している台湾位となっております。
 中国は早い時期からこの漢字という文字を持つ優越からかなり初期の時代よりさまざまな思想書、書道、文学といったものを作り、また科学的な研究も火薬や紙の発明や実用を行うなどあらゆる点で強い文化を持っておりました。

 それゆえに私の目からすると歴史上の漢民族は旺盛な好奇心と新奇性、独自性を持っていたように思えるのですが、翻って現在の漢民族こと中国人を見ていると厳しい言い方になりますがそのような性格がほとんど見られません。以前のブログの「陽月秘話」にても書きましたが日本の高度経済成長期と比して中国はすでに世界第二位の経済力を持つに至ったものの未だに中国発で世界に浸透し標準化した規格や発明、ブランドといったものはなく、その圧倒的に大きな市場を持つにもかかわらずついぞグローバルスタンダードへ昇華したチャイナスタンダードはありません。
 それどころか、日本もかつては「猿真似野郎」とアメリカさんから散々言われた時代もありましたが、今に始まるわけじゃありませんが中国は諸外国のブランドや技術を勝手に盗用、コピーをし続け、しかも日本のように「本物を越えるコピー」を作るのではなくあくまで「劣化コピー」を作り続けております。しかもその劣化様がデザインが妙に崩れたりとわざとやってるのかと言いたくなるような劣化ぶりだし。

 かつて東アジア諸国に漢字を広く伝播させたのと比べると現在の中国人は文化発信力というか、創造力などの点で本当に同じ民族かと疑いたくなるくらい差があります。しかも私が今の中国人を見ていて信じられないというか呆れる点として、パクッたものを堂々と自分が作ったなどとオリジナルを主張する点です。
 先日の四川省の遊園地に現れたガンダム騒動といい、パクッたところで本当に商売になるか怪しいもので且つ中国人同士でもはっきりとどこかからのパクリだとわかるものすらオリジナルだと主張する人が後を絶ちません。確かに中国人はいっぱいいるんだから中には変な人も少なからずいるのは仕方のないことでしょうが、妙なところでプライドが高いくせに人の物を盗んで恥ずかしいと思わないというのは歴史上の中国人と比べると隔世の感があります。

 一体どうしてこれほどまでに今と昔の漢民族で違いがあるのかといえば、結論を言うと原因は間違いなく文化大革命です。文化大革命については「陽月秘話」内で私も必死に解説しましたが、文化大革命によってシャレや冗談抜きでそれ以前の中国文化を継承してきた人の大半が根絶されたことからそれまでの中国文化の積み重ねや土台はすべて崩されました。しかも中国は先にも述べた通りに漢字を日本以上に簡略化したことで、日本もあまり言えた義理ではありませんが自国の古典を個人の力で読むことは不可能となって、この点でも文化の継承が出来なくなっています。

 以上のような考察から私は文化大革命以前と以後で、血統的には同じ漢民族でも文化的には全く別の民族として扱うべきだと考えています。しかもまだ文化大革命以前の時代を知る人間がいる今ならともかく、現代の若者のように全くその時代の空気を吸ったことがない世代が大半を占めるようになればますますこの傾向に拍車がかかることでしょう。そういう意味では現代中国人の行動や思考を読むのに昔の文献とかはあまり役に立たず、比較的新しい時代の自分ら社会学士や社会学者の研究や論文のが有用かもしれません。新しい論文は玉石混合だけど。

 最後に今回の逆説として、日本人は日本人なのかという問いについて少し書いておきます。これ一つで記事書いても面白いトピックですが現代日本史で一番大きな転換期は言うまでもなく終戦によるGHQ統治で、当時の議論とか坂口安吾や三島由紀夫の話を聞くに付け日本人は悪い意味で変わってしまったと当時の言論人や学者は考えたようですが、あくまで現代の若者として私の意見を言うと明治から昭和前期までの日本人こそがそれまでの日本の歴史上で異端であったように思います。かえって現代の日本人は明治や大正期よりも、時代は離れていますが江戸時代の日本人の方が近いのではないかと考えています。ま、江戸っ子文化は関東大震災でなくなったそうですけど。

2010年12月23日木曜日

郵政国営化見送りと嵐の前の正月

 2005年の小泉政権時、俗に言う「郵政選挙」にて大勝した自民党は郵政公社を民営化する郵政民営化法案を可決させました。これによって国の機関の一部であった郵政は計画通りならば数年後には株式公開によって完全民営化が果たされることとなったわけですが、小泉政権を引き継いだ安倍、福田、麻生政権はこの民営化に逆行する政策を採り(麻生元首相にいたっては在任中に民営化に反対だったと公言までした)、去年民主党が政権交代を果たすと元々郵政民営化に反対していた国民新党と連立を組んだことにより民営化は完全に見直しを図られることとなりました。

 そもそもの話をすると民主党は2000年代初頭は民営化に肯定的な立場を取っており、郵政選挙の際も小泉政権の計画では完全に民営化できないと逆の意味で批判がされていました。それが政権交代後に立場をひっくり返したのはほかならぬ国民新党との連立以外に理由はないのですが、当時の鳩山前首相はこの郵政民営化見直し、というよりも事実上の郵政再国営化にやけに乗り気で今年の通常国会で法案を可決させようと随分意欲的に活動していたように思えます。

 しかしここで大きなハプニングが起きます。法案提出間近といわれた通常国会終盤で鳩山前首相が突然の辞意を表明し、民主党内で党首選挙が行われることとなったのです。結局その党首選挙は菅首相が勝って今に至るわけですが、菅首相は当初、この郵政民営か見直し法案を選挙前の通常国会前に提出して可決させると国民新党の亀井代表に約束しておりました。しかし結論を言えばその国会内では法案は提出されず、菅首相は参議院選挙を控えて会期がほとんど残されていなかったということを理由に挙げた上で選挙後の臨時国会では必ず可決させると国民新党に約束しました。

 ちょっと前置きが長くなりましたがそのような過程を経て現在に至るものの、結局その臨時国会でも法案は提出されず菅首相は国民新党への約束を事実上ないがしろにしました。この菅首相の郵政国営化に対する姿勢について私の意見を述べると、実によくやってくれたと声を大にして誉めてあげたいです。
 私の郵政に対する意見は前のブログの「陽月秘話」で散々書いたのでここにはもう書きませんが、基本的には電子メールの発達した今の時代で郵便事業は不良債権となるよりほかがなく、早めに民営化などで切り離し、後々の禍根を絶っておくべきだとして民営化に賛成です。

 そんな郵政民営化の現在の状況についてだけなら誰でも解説できるので今日この記事でトピックとして挙げたいのは、一体どうして菅首相は国営化を推進しなかったのかということです。
 いくつか考えられる理由がありますが、まず第一に菅首相自身が初めから民営化に対して賛成でなかったという説です。これは本人でないとなかなか推し量れないのですが、仮にそうだとしたらなかなかに菅首相は寝業師だと評価することができます。何故かというとすでに述べたように菅首相は就任自から国民新党に法案の可決を約束しており、やる気もないくせにこのような秋風を送ったというのは国民新党との連立を維持するための空約束だったということになるからです。日常生活で嘘をつく人間はいろいろと迷惑ですが政治上ではある程度こういった駆け引きが要求されるので、「アホ菅」と言われながらも意外にやる時はやるもんだと評価することができます。

 ただ私としてはこの「初めから反対説」ではなく、「途中でやる気をなくした説」のが可能性が高いと考えています。
 元々郵政民営化見直しは国民新党の案で民主党内の議員もそれほど積極的ではありませんでした。加えて前回参議院選挙の結果から国民新党との連立の必要性も薄れており、ほかの法案の審議時間を削ってでも何が何でも通す必要性は小さくなっていました。また菅首相のほうも参議院選挙後はAPECやら中国漁船衝突事件などがあって余り関りたくなかったのかもしれません。

 ただそうした政権内の問題以上にこの問題に一番影響を与えたと私が見ているのは、夏に起きたお歳暮が遅配事件ではないかと思います。覚えている人には話が早いのですが今年夏のお歳暮シーズンを前に郵政とペリカン便が今後連携を取るにあたって集配システムを統合したのですが、新システムの訓練もままならないままに押し切ってやってしまったようでその時期に大量に流れてきたお歳暮の配達処理がままならず全国各地で遅配、誤配が相次いで起きました。
 ちょうどうちのお袋もこの時期にワインを通販で購入していたのですが、案の定配達が指定日から数日遅れて届きました。ただうちはまだワインだったので遅配してもそれほど影響はありませんでしたが、生ものとか冷凍品の場合は腐ってたり解凍された状態で届けられたらしく被害に遭った人のことを考えると不憫な気がしてなりません。

 ペリカン便との統合は郵政が多角化をせず単独でもやっていくためという目的で実施されたわけですが、かえって郵政の郵便宅配システムの信頼を落とすこととにしかなりませんでした。この事件を見て多分私以外にも、民営化から国営化にまた舵を振り戻したからこうなったのではと考える人もいたのではないかと思います。少なくとも民営化法案が可決してから数年間、このような遅配はなかったのだし。

 こうした混乱を受けて民主党内では郵政に関しては手を触れないでおこうという認識が出来、菅首相の空約束につながったのではないかと考えているわけです。私としても再度国営化なんてされるべきではないと考えているのでこのような民主党の姿勢は歓迎しているわけですが、今度のこの郵政の試金石となるのは日本で一番郵送物が集中する正月だと見ています。別に民営化される以前から年賀状の誤配などがいつも起きるこの時期に果たして今の郵政がどれだけ対応できるのか、少なくとも年末のこのお歳暮シーズンは何とか乗り切っているようですが郵政の今後を考える上で非常に重要な正月となることでしょう。


  おまけ
 私が高校二年生だった頃、たまにはふざけた年賀状を作ろうとゲームで使われたある画像のみをはがき裏に印刷して友人らに出しました。その年賀状に使った画像というのはひげを生やした変な首だけの妖怪が中央にいるのを筆頭に、背景には鬼とか人魂とかが写っているというゴーストチックなインパクトの強い画像でしたが、冬休み明けに学校に行くと各家庭でそこそこ話題になっていたようで、「あの年賀状を出した奴」でしばらく通用したそうです。

2010年12月22日水曜日

伊能忠敬と勉強を始める年齢

 昔テレビ番組にてタレントのタモリが、「一番好きな歴史上の人物は?」という質問に対し伊能忠敬の名前をあげたのを見てやっぱりこの人は通な人なんだなぁと感じたことがあります。

 伊能忠敬については知っている方も多いと思いますが、日本中を歩き回って衛星写真はおろか航空写真すらない当時にして非常に正確な日本地図である「大日本沿海輿地図」を作成した人物です。この地図はかのシーボルトが出国の際に持ち出したことで国外追放処分を受けることとなった因縁の地図でもあるのですが、シーボルトが持ち出したものを(恐らく写本となって)回りまわって日本に開国を求めてきたペリーも持参してきており、Wikipediaの記述によるとペリーはこの地図を大まかな見取り図かと思っていたら海岸線の距離など余りにも精確であったために驚いたそうで、日本は侮るべからずと心胆寒からしめたというほどの出来だったそうです。

 そんなすごい地図を作った伊能忠敬ですが、彼は始めから測量を行う役人はおろか地図作りに関して専門的な教育を受けていた人物ではありませんでした。彼は村の名主の生まれではありますが若い頃は商人として生き、店を息子に譲って隠居してから江戸に出て本格的に勉強を始めたのですがそのときの年齢は実に五十歳で、当時の平均寿命といってももいい年齢でありました。地図作りが始まったのは勉強開始から六年後の五十六歳からですがいい年しながら実に健脚この上なく、最終的に地図は彼の没後に弟子が完成させるのですが地図作成までに彼が歩いた距離は地球を数周するほどだったそうです。

 私がこの伊能忠敬のエピソードで一番よく使うのは、学問を始めるのに年齢は関係ないということを説明する際です。確かに伊能忠敬が相当頭のいい人だったというのは間違いないでしょうが、それにしたって一般的には物忘れが激しくなりだす五十歳から勉強を始めてこれほどの偉業を達成できたということは注目に値し、やり始めるのに年齢は関係ないということを強く示す例でしょう。また伊能忠敬に限らず、ある程度年齢がいってから勉強を始めてすごい記録や偉業を打ち立てた人はほかにもいます。

 ちょっと検索をかけてみたらあっさり見つかって話は早いのですが、あの小中学生が妙に競い合う円周率の暗誦において世界一位の人物はほかならぬ日本人で、下記サイトの運営者です。

円周率πの達人 原口證

 その世界記録である原口氏の暗誦数は101,031桁という途方もないものですが、私は以前にこの原口氏の暗誦記録挑戦のエピソードを読んだことがありました。そのエピソードによると原口氏はある日新聞を読んでいると海外で円周率を五千桁まで暗誦して世界記録を作ったという人のニュースを読み、「向こうが五千桁なら五万桁に挑戦してみよう」と考えたそうです。
 原口氏は確か二十歳か三十歳かの頃に記憶力が落ちてきていると感じてそれから記憶力を高める練習をやり始めたのですが、その五万桁暗誦挑戦時は確か四十歳をとうに過ぎていながらも、居並ぶ記録証明人らの前で一回だけ詰まったものの、見事五万桁を正確に暗証して見せたそうです。知らないうちに十万桁まで達成してたようだけど。

 この原口氏ともう一人、私がよくこの手の話で引用する人物ですが、生憎こちらは名前を失念してしまったのですがある樹木医の方です。その方はかねてから朽ち果てそうな樹木を再生するような仕事をしたいと考えており、定年の60歳まで働いた後から植物について勉強を始め、その後逝去するまでの間に数百本の樹木の再生を行ったそうです。再生した樹木は主に寺社や仏閣などにある大木なのですが、その中には触るとたたりが下るという平家関連の樹木もあったそうですが、さすがに平家の落ち武者もお医者さんには手を出さなかったようでたたりはなかったそうです。

 うちのお袋なんかはよく、「若い頃は何だって覚えられたのに」とパソコンの操作を私に聞く時にぼやいたりするのですがその度に私は、「お袋が若い時ほど物を覚えようという気力がないだけで、年齢のせいにするな」と厳しく言い含めています。
 上記に上げた三者のエピソードといい、また自分の体験談からといい、年齢とともに物覚えが悪くなるというのは肉体の衰え異常に学ぼうという気力の衰えが原因だと私は思います。年をとっても自分の興味のあるものはすぐ覚えられますし、若い頃はなんだって覚えられたというのは学校というある種勉強を強制する機関があるからこそでしょう。

 これは逆に言えば学問を始めるのに年齢は関係ないということです。物を始めるのに遅すぎるという年齢はなく、やる気さえあればこと学問に関しては私は何とかなると思います。
 最近は不況の影響か生涯学習という言葉が余り聴かれなくなりましたが、私は日本において本来大学に行くべき年齢はある程度社会経験を経た三十歳くらいの方々だという気がします。理想は高校卒業から数年間働いてから行くべきだと思いますが、紋切り型新卒一括採用の今の日本では難しいでしょう。

2010年12月19日日曜日

サイト移転のお知らせ

毎度、陽月秘話をご贔屓いただき、誠にありがとうございます。この度管理人
が中国に長期滞在することとなり、中国からではこのサイトにアクセスができず
更新もままならないために今後は下記サイトにて更新を行うことにしました。

移転先サイト:陽月秘抄
http://blog.goo.ne.jp/miyamakikai

陽月秘話をお気に入りに登録されている方は、誠にご面倒ではありますが上記
アドレスに変更を行っていただくようお願いします。今後とも、陽月秘話改め陽
月秘抄をよろしくご閲覧のほどお願いします。

2010年12月11日土曜日

今日漫画喫茶で読んだ漫画

 今日は朝早くから漫画喫茶に行って来ました。目当ては「スティールボールラン」の最新刊と先日最終巻が出た「鋼の錬金術師」で、本当はコーヒーのうまい別の漫画喫茶に行きたかったのですがその店はこのところ店長の体調不良でやってないので、本当にシャレにならないくらいまずいコーヒーを出す所に行きました。それでも飲んだけど。

 それで読んだ感想ですが、「スティールボールラン」もほとんど終わりに近くて前刊から迫真の戦闘シーンが続いていて非常に面白く、この刊に限るわけじゃないですがジョジョシリーズは戦闘の最中にちょこっとエピソードじみた話を入れるのがうまく、今回もそれが強く印象に残っています。

 もう片っ方の「鋼の錬金術師」については説明するまでもない近年、というより2000~2009年代の漫画における最大ヒット作といっていい作品ですが、最終巻はどんな結末になるかとこちらも楽しませて読ませてもらいました。詳しい内容についてはネタバレになってしまうと良くないので言いませんが、この作品についていいたいことというかなんというか、なんでも作者の荒川弘氏はこの漫画の連載中に普通に妊娠、出産を経験しているらしいのですが、他の雑誌でも連載を掛け持ちしているにもかかわらず一切休まずに連載を続けたそうです。

 荒川氏だけならこの人が相当すごい人だで終わるのですが私が贔屓にしていて、荒川氏と同様に他の雑誌の掛け持ち連載をしている楠桂氏も同じスクウェアエニックス発行の雑誌で連載中に妊娠、出産をしており、恐らく本人らも編集部と話はしているでしょうが、この出版社はもう少し作家の体調管理を考えてやれよと言いたいです。

2010年12月10日金曜日

鹿児島夫婦強殺事件での無罪判決について

 今日はいろいろ書かなくちゃいけないのに、つい先ほどに私が愛読している「ノノノノ」という漫画が打ち切られていたという事実を知ってかなりしょげています。何もブログ書く前に知ることになるなんて……。

・<鹿児島夫婦強殺>「疑わしきは被告の利益に」 原則貫き(毎日新聞)

 今日取り上げるニュースは上記リンクの、鹿児島県鹿児島市で夫婦が殺害された事件で犯人として捕まり検察から死刑が求刑された白浜政広被告に対し、裁判員裁判にて無罪判決が下りたという事件についてです。

 事件詳細については他の記事に譲りますがこの事件における警察の捜査、検察の立件の仕方に対しては疑問を感じざるを得ません。警察がどうして白浜氏を犯人として捕まったのかというと犯行現場から白浜氏のDNAが網戸から、指紋がタンスから見つかったからだと主張していますが、網戸のDNAについてはすでに試料を使い切っているので再鑑定できないとしており、タンスについていた指紋というのもよくよく調べてみるとタンスそのものではなく、タンスの中に入ってあった封筒一枚についていたものだったようです。
 また警察は今回の事件を金に困った白浜氏が金銭目的で強盗に入ったと動機を説明していますが、タンス自体は荒らされていたにもかかわらず現金や通帳には一切手がつけられておらず、先ほど述べたように封筒にだけ指紋がついているというなにやら腑に落ちない点も少なくありません。指紋についてはこのほか凶器とされたスコップにもついておらず、夫婦を殺害する際に手袋などをつけて指紋を残さなかったとしたら、その後タンスを開ける際に手袋を脱ぐとは考え難いと裁判員からも指摘されております。

 そして極めつけが犯行現場に数多く残されていたという靴跡で、白浜被告の所持していた靴とは全く違う靴底だったようです。もちろん犯行用に使用して使用後は処分したとも考えられますが、それでもその場合は入手経路などを辿る事も不可能でなく、この点についてなんら言及をしなかった鹿児島県警は一体どんな捜査をしたのかという気がします。さらにはこれだけ曖昧な点、はっきりと証明され切っていない点があるにもかかわらず、いわば取り返しがつかなくなる恐れのある死刑を求刑した検察にも頭を傾げざるを得ません。ついこの前にDNA鑑定の結果のみに頼った挙句冤罪を作ってしまった足利事件が出たにも関わらずどうしてこれほどまで強気で来たのか、時代遅れも甚だしいでしょう。

 過去を穿り返すと鹿児島県警は以前にも志布志事件といって、初めから冤罪だとわかっていた一般市民らに対して暴言や脅迫を行って選挙法違反の自白を強要するという呆れた事件を起こしています。私も鹿児島に生まれた人間の一人であるためにもうこういうことは会って欲しくないと陰ながら願っていましたが、群馬県警、栃木県警、神奈川県警、大阪府警、北海道警らと同じで、不祥事を起こすところは何度でも起こすものです。

 最後に、仮にこの裁判が裁判員裁判でなかったら、以前までの裁判だったらと考えた場合、私は死刑とはならずとも無期懲役刑が判決されていた可能性が高いと考えております。裁判員裁判や足利事件、そしてつい最近の厚生労働省の村木氏の裁判の影響から、日本の刑事裁判はここ一、二年で劇的に変化が起きています。私としてはこの変化を大いに歓迎しており、今回の無罪判決も報道を聞く限りで支持する次第であります。

2010年12月9日木曜日

政倫審を巡る仙谷対小沢の攻防、絡む自民党

 本日の朝日新聞の朝刊でも取り上げられていましたが、政治倫理審査会への小沢一郎氏を招致するかどうかで民主党内が揺れていると各所で報じられています。首相の菅直人氏は来週月曜にも来年の通常国会にて小沢氏を招致することを発表すると言われていますが、これに対してリアルに焦っているのか小沢氏側もここ数日の間に異様に活動的な様子が報じられています。

・きな臭い…小沢氏、舛添氏、鳩山兄弟会食(日刊スポーツ)

 上記リンク先ニュースにある通りに一昨日の晩、小沢氏、桝添要一氏、鳩山由紀夫、邦夫兄弟が四人揃って会談を行いました。そこで話された内容について参加者は明かしてはいませんが評論家に伺うまでもなく反菅政権色の強い四人なだけに、菅政権を崩壊させた上での政界再編を話し合ったのではないかと思われます。
 また同日、自民党の谷垣氏はかねてから自民と民主の大連立を主張している読売新聞の渡辺恒夫と会っており、報道によるとやはり渡辺から大連立を進められたものの谷垣氏は今の民主党とでは組めないとして拒否したと伝えられております。

 この小沢氏と渡辺氏の動きは内容はもとより時間が一致していることからもある程度示し合わせてのものだと思われます。大メディアの報道では政倫審に菅首相もとい仙谷官房長官がどうしても出席を求めるのであれば党を割る、もしくはそのような牽制でもって菅政権を崩壊させ、自民党の面々と合流した上で新たな内閣を小沢氏が作ろうとしているのではと報じられていますが、私としても同じような見方をしています。そしてそんな小沢氏の動きに失地回復を図ろうとしている鳩山由紀夫元首相、中途半端な自分から脱却したい鳩山邦夫氏、勢力を伸ばしたい桝添要一氏が同調し、渡辺恒夫は自民党へ地ならしに行ったというのが12/8の夜だったと思います。

 ただこうした小沢氏の目論見が上手くいくかとなると、私はそうも行かないと思います。小沢氏側は仙谷氏に問責決議案が下りたのだから菅政権より自分達に支持が集まると思っているかもしれませんが前回の民主党代表選といい、今の時点で以っても菅か小沢かといったら菅首相を取る人間の方が多いような気がしますし、私自身もその側です。その上で小沢氏はすでに検察審査会での強制起訴が決まっており、お仲間が爆弾兄弟こと鳩山兄弟に人気が急落している桝添氏だけでは話にならないでしょう。特に桝添氏については以前はあれだけ口汚く小沢氏を批判していたのにという気持ちが私にはあります。

 そして凌ぎ場となるはずの自民党側もその辺のリスクを承知しているのか、谷垣氏も大連立には難色を示しており、また昨日には石破政調会長も、

・自民・石破氏、大連立「脱小沢の民主なら」 可能性に言及(日経新聞)

 と、谷垣氏と全く同じ事を言っているので、福田元首相くらいの年代ならともかく大半の自民党議員は民主党以前に小沢氏と組む事自体に警戒感を持っているように伺われます。

 私としては是非このまま仙谷官房長官に小沢氏を政倫審にかけてもらい、小沢氏にも手下を引き連れて民主党を分裂してもらいたいと考えております。それによって政界再編が起きるのであれば今現在で理想的な分かれ方になり、日本政治全体にも好影響を与えると信じております。
 さらに注文をつけるなら、これを気に小沢氏を完全に政界から放逐できれば何も言う事はないです。小沢氏を支持している方には申し訳ないですが、私はこの十年の間に小沢氏が政策的な発言をしたのを全く見たことがなく、むしろ政策的議論をなんらかの不祥事なり事件なりにかこつけることで政争に祭り上げ、議論をおかしくさせてきたようにしか見えません。私は渡辺恒夫ともども小沢氏は今の時代には不必要な人材であり、早く表舞台から退場、それも過去の清算も果たしていなくなるに越した事がないと考えております。

 今の菅政権は誉められた政権運営だとはとても言えません。ただ小沢一派を放逐することに価値があると私は考えているので、もしそのように動くのであれば私は支持していこうかと思います。

悪法は守るべきかどうか

 昨日は「お上と法律」といって、市民に法を従わせるためにはお上がある程度率先して法を守らねばならないという事を私は主張しましたが、この法律を守るか守らないかの議論において一番重要な議題となるのは、「悪法といえども守らなければならないのか」という事だと私は思います。そしてこの根源的な議論に最初に挑んだというか象徴的に取り上げられるのは、今日取り上げるソクラテスでしょう。

 ソクラテスについては詳しくここでは話しませんが、彼は当時の人間からしても明らかに不当な裁判によって死刑判決を受け、それに同情する人々から逃亡を薦められるもそれを拒否し、「悪法といえども、法は法」といって自ら毒杯を煽って死しています。このソクラテスの言った「法は法」という言葉と彼の行動、ひいては「ソクラテスは生きるべきだったのか死ぬべきだったのか」に対して文系の学生なら一度は議論しておいてもらいたいものなのですが、果たしてどれくらいいることやら。こういうからにはもちろん私も議題に上げて議論をしたことがあるのですが、根源的な内容なだけに画一的にこれが正しいという結論は求めず、確か友人と意見が分かれたままで終えた気がします。

 それで私の意見を紹介すると、結局どっちつかずでした。確かにソクラテスの言うとおりに間違っていると分かりきっていたとしても法を破れば間違った法を運用する人間らと同じになってしまうというのも分かりますが、死んでしまったらその法を改革する事もどうにもする事も出来なくなる事を考えると、恥を忍んででも生きて世の中をよりよくするために活動していくべきだったのではという、どちらかといえば「生きるべき」論の側に至りました。

 ただしこれはソクラテスのように命が懸かった場合に限る話で、それ以外の軽微なものであれば私は悪法といえども従うべきだと考えています。
 今現在においてもやれ法人税を下げろとか規制を減らせという様々な法律改正の意見はありますが、その意見を発信する人間はどんな人間かと辿るとほぼ間違いなくそれらの法律改正によって利益を得る人間ばかりです。法人税の減税主張者は経団連の人間で、規制解除論者も新規参入を図る人ばかりで、こう言ってはなんですが自らが不利になるといえども公益のために法律改正を叫ぶ人間はほとんどいません。

 まぁお互いに利益を追求する事で成り立つ資本主義社会なのだからそれはあながち間違いではないのかもしれませんが、時たまこういった法律改正を叫ぶ人間を長く見ていると、時間の経過によって全く反対の意見を言い始める人間も中にはいます。何故その人間が従来の主張をひっくり返したのかと言うと、これまた言ってしまえば以前の案だと自分の不利益になってしまうように状況が変わったことに他ならないでしょう。

 最近はモンスターペアレンツなど堂々と果たすべき義務も果たさず法律が悪いという人が表にはっきりと出てくるようになりましたが、私は恐らく、彼らが悪いと言っている法律が自らに利益をもたらす立場となれば全く逆の事を言うと思います。そういった事を考えると、最低限法律を変えるべきだと主張するからには悪法といえども従うような、最低限の節度というか公益性を持つ必要があると考えます。
 ただこれも突き詰めてしまうと政府の言論統制に何でも従うべきだという意見にもなってしまい、ノーベル平和賞で揉めてる中国なんかを見ていると法律破ってでも思想や報道の自由は守らなければとも考えてしまいます。

 そういうわけで結局この議論はケースバイケースで、画一的に出せるものじゃないということになってしまいます。ただ日本においては命まで取られる様な事態はそれほど多くないと思うので、変な法律でも私は守りつつ改正を主張するべきだと思います。
 ちなみにこれまで日本の年金について私もいろいろ言ってきましたが、今度から海外で暮らすために支払いを止めたのでこれからは文句言わない事にします。

漫画家レビュー:押切蓮介

 私が押切蓮介氏を知るきっかけとなったのは、一枚の絵からでした。
 ある日いつも通りにネットを見ていると、「ホラー漫画家の押切蓮介氏が綾波レイを描いた」という記事を見つけました。綾波レイというのはいうまでもないでしょうがかつて大ヒットを記録して現在も新劇場版が続々と公開されているアニメ作品、「新世紀エヴァンゲリオン」のヒロインのことで、90年代の日本アニメを代表するヒロインの一人ですが、何でも当時にこのエヴァンゲリオンを製作したガイナックスが定期的に有名な漫画家やイラストレーターにガイナックス作品のキャラクターを書かせてホームページのトップイラストに載せていたそうです。

 このガイナックスの企画を押切氏も受けて綾波のイラストを描いたそうなのですが、今でもそのイラストはネットで「綾波 押切」とでも検索すれば出てくるでしょうが、私は押切氏が書いたそのイラストを見てちょっと不思議な感覚を覚えました。押切氏については何も知らず、ホラー漫画家と紹介されていたのでてっきりホラー漫画に特徴的な猫の目のように見開いた目で綾波が書かれているのかと思ったら、畳が敷かれた和室のような部屋で綾波が座り、ふすまの開いた背後に使徒らしきものが立っているという、やや風変わりな構図の絵でした。

 そういうわけでホラー漫画家というだけあって奇妙さを感じる絵を描く人だなとは思いはしたもののその時はそれっきりでしたが、それからしばらくしてこれまたどこかのサイトにて、「ミスミソウ」という漫画のレビューを読む機会がありました。この「ミスミソウ」のあらすじを簡単に書くと、田舎の学校に転校したところ転校先のクラス総出でいじめを受け、家族まで焼殺されるという聞いててぞっとするような内容で、一体どんな漫画家がこんな漫画を描いているのだと調べたところ、まさにその漫画家が押切氏だったわけです。

 最初の綾波のイラストを見た時期から時間がしばらく経っていたせいで当初は気づかなかったものの、Amazonで「ミスミソウ」の表紙を見ていてなんか引っかかる絵だなとじろじろ眺めて同じ漫画家だと気がついたのですが、それから興味を持つようになってまずは試しにと代表作の「でろでろ」という漫画から買ってみました。ただこの「でろでろ」はホラーはホラーであるものの、霊感体質の強い主人公の日野耳雄がそこらのオバケにしょっちゅう因縁つけては殴り倒すというホラーギャグ漫画で、「ミスミソウ」の暗いあらすじからすると程遠い漫画でした。とはいえこの「でろでろ」もつまらないわけじゃなく、むしろ今時の漫画としては珍しく一話完結のストーリーなので何度も読め、話の構成も妙なところで凝っていてすぐに気に入りました。

 そうした前段階を踏んでとうとう「ミスミソウ」にも手を出したわけですが、前評判の通りに本当に救いのない話でした。こちらはホラーはホラーでも「でろでろ」と違って幽霊の類は一切出ないのですが、現実の人間が怖いというサイコホラーに属し、猟奇的描写を含め非常に陰惨な内容に終始していました。先に「でろでろ」を読んでいたせいもあって、「本当に同じ作者が書いているのか?」と疑うくらいだったし。

 ただ押切氏の作品を読んでて、やはりほかの漫画家の作品と比べて読者を引っ張りこむ引力が格段に強いように感じました。押切氏自身もホームページの絵日記にて、「なぜ俺には美少女が描けないのだ」と悩む場面が出てきますが、確かにお世辞にも押切氏は今風でなくややレトロな画風ではありますがその分個性が強く、逆に美少女が出てきて当然な今の漫画業界の中では異様な存在感を覚えます。そんな押切氏の画風に対してこれまでどうも自分の中でも表現し切れなかったのですが、「でろでろ」の単行本巻末に寄せられた漫画評論家の話を読んで一気にそれも氷解しました。

 その評論家は以前に70~80年代に出た、作者は真面目に書いているつもりなんだろうけど読んでてギャグに見えてしまうとんでもホラー漫画を集めて出版したりした人らしいのですが、その人の出した昔のホラー漫画集を押切氏も読んでいてそれが漫画を描くきっかけとなったそうなのです。実はそのとんでもホラー漫画集ですが私も小学生くらいの頃に手に取っていて、知っている人にはわかるでしょうが「呪われた巨人ファン」とか、なんともいえないくらいに不条理極まりなく、何が怖いのかわからないのが怖いようなホラー漫画だったと今でも強く印象に残っています。
 その評論家も言っていましたが押切氏はそのような漫画に影響を受けただけあって過去と現代を繋いでると評しましたが、私も言われてみてすごく納得したというか、押切氏の漫画の妙な存在感というか空気の源泉について合点がいきました。

 そんな感じですっかりファンの一員となった私ですが、本日とうとう押切氏の最新作の「サユリ」という漫画の一巻を買ってきました。この漫画のテーマは「いわれなき怨み」だそうで、折角だからWikipediaで書かれているあらすじを引用すると、

高校受験を来年に控えた則雄は、父が購入した郊外の家に家族とともに引っ越した。駅や学校から遠い不便な場所だが、今まで住んでいたアパートよりも広く、家族は喜んでいた。別居していた祖父母と共に暮らす新しい生活が始まった矢先、父が急死する。さらに一家を襲う様々な怪異。何かに怯える祖父。様子のおかしい姉。

この家には何か恐ろしいものが存在する
やがて祖父が死に、弟が、姉が、母が、相次いで姿を消していく。恐怖に打ちひしがれる則雄の耳に、女の狂ったような哄笑が聞こえた…
そんな時、ボケていた祖母が正気に戻った。かつての気丈さを取り戻した祖母は、この家にいる“恐ろしいもの”との戦いを宣言した。

 ここで書くのもなんですが、私が考える日本ホラーの真髄というのはこのような不条理とか無慈悲さにあると思います。海外のスプラッター映画とかだと殺される人間には墓を壊したり、誰かをいじめたりといった何かしら"殺される理由"が付与されるのに対して、日本ホラーは割と本当に無関係な人間や力のない女性や子供から祟り殺されたりするところがあるように思え、先ほどの「いわれなき怨み」というものが重要なファクターな気がします。先の「ミスミソウ」でもそうでしたがこの「サユリ」でも遺憾なくその要素が発揮されており、なかなか見ごたえのある漫画でした。

 レビューといいながら好き勝手に書きましたが、押切氏自身の特異性、また美少女なしでは通用しづらくなっている今の漫画界への警鐘を含めて書いてみました。個人的にもお勧めの作者なので、興味のある方はぜひ手にとってください。つっても、漫画喫茶にはあまりおいてないんだけど…・・・。


2010年12月8日水曜日

お上と法律

 昨日はきちんとブログを書こうと思っていたのですが、思っていた以上に風邪がひどくて(38度中盤までいった)パソコンに向かう事すら出来ませんでした。今はようやく平熱に戻ったけど、もう海外に行くから国民健康保険も11月に切っているので、リアルに病院にいけない事態だったことに途中で気がついてちょっと焦りました。

 私は以前に「呉起と商鞅」という記事を書いていますが、この記事に出てくる商鞅は中国における法家の始祖とも言われており(荀子を始祖とする説もある)、日本の史記関連の書籍では必ず出てくるほどポピュラーな人物であります。現在でこそ国の統治体系として法治国家は当たり前ですが商鞅以前は時の権力者が割合に好き勝手でき、揉め事の裁判に関しても恣意的な判断がまかり通っているのが当たり前でした。

 そんな世の中を画一された判断基準こと法律で統制する事で国はもっと強くなると考えた商鞅ですが、そもそも法律という概念の薄い当時の人間にどうやれば法概念を浸透させられるかを当初は考えたようです。そこである日商鞅は役人に命じ、門の前に丸太を一本立てて横の看板に、「この丸太を指定された場所に移せば懸賞金を与える」と書かせました。そんなただでお金をくれるようなことをするわけないと街の人間は最初は相手にしなかったのですが、しばらくすると懸賞金の額が上げられ、では試しにとある男が丸太を指定地へ運ぶと商鞅は約束通りの金額を男に与えたそうです。
 これには与えられた男も半信半疑で本当に受け取っていいかどうか迷ったそうですが商鞅は、お上の言う事に嘘偽りはないと言ってきちんと渡しました。

 一体商鞅は何をしたかったのかというと、お上が出す布令に対してはお上も必ず守るということを示した上で、布告された法律を一般市民もきちんと守るようにということを伝えたかったのかと私は考えています。事実その後、商鞅のいた秦は法律が隅々まで行き届いて地面に落ちている物を誰も拾わなくなるほどだったそうです。

 さてこの法律ですが、考えてみれば一体どうして我々は守っているのでしょうか。社会学とかでも何が行動を規範しているのかを取り扱う事もありますが、冷静に考えれば法律というのは刑罰という強制力こそあれども我々は刑罰にかけられない事案に関しても実に幅広く守っております。結論を言えばそれは基礎教育で育まれる遵法意識があってこそで、この辺の意識が国家から国民に至るまで薄い中国人なんかは日本人からすれば横暴に見えてしまうのでしょう。
 その中国人の遵法意識を取り上げても面白いのですが今日取り上げたいのはそれではなく、どうすれば遵法意識は高まるかです。これも結論を言えばいくつか影響させる要素があれども特に重要と思えるのは「お上への信頼」だと私は考えています。

 法律というのは身分や年齢に関係なく誰にでも平等に適用されるからこそ法律なのであって、必然的に地位が上の人間にもきちんと適用されるかどうかが一般市民からしたらその平等性のバロメーターになります。逆を言えばそういった人間らが法律を守っていないのを見ると私達からしたら、「なんだこのやろう!!(#゚Д゚)」と思うわけです。

 この遵法意識に対するお上の振る舞いについては、同列で並べるべきじゃないかもしれませんが孔子の論語でも言及されています。孔子の論語は言ってしまえばエリートに対する教本で施政者の心構えなどを説いていますが、全体を通して、「一般市民は親が子を見るように、お上の振る舞いを見て自らの振る舞いを決める。その為施政者が自らの行動を慎めば市民も慎み、道を外せば非道が横行する」と説いてます。

 翻ってみて今の日本の状況はどんなものか。平成以降ではほぼ間違いなく最大額の脱税をした鳩山由紀夫元首相は一部時効となったため本来の納税分を納めないばかりか処罰を受けず、小沢氏に至っては真っ黒なのにまだ起訴されないばかりか政治倫理審査会も拒否し、そうした不正を取り締まる検察は不正な捜査を行っている始末です。
 これまでに何度か、政治家には図抜けた胆力や決断力といった能力が求められるのであって金に対して清廉潔白な徳までいちいち求めるべきでないという評論家の意見を見たことがありますが、私は法治国家である以上は政治家には徳というものが求められるべきだと考えていますし、今の時代だからこそそういった人材が要求されていると思います。

2010年12月6日月曜日

自民と民主、どっちの政党ショー

 ようやく中国の就労ビザ申請するための書類届いたけど、風邪引いてちょっと辛い。そういわけで明日は辛いけど六本木の中国大使館に出向く予定ですが、ついでに海老蔵の血痕ビルも見に行こうかな( ゚д゚)/

 さて目下の所支持率が25%になって福田、麻生政権とあまりかわらなくなってきた民主党菅政権ですが、なんだかんだ言って二大政党制が着実に根付いてきているのか対抗馬の自民党は徐々に支持率が上がってきているそうです。民主がダメなら自民へ、私自身が選挙というのはどっちがマシなクズ共か、そういった消去法で選ぶべきだと考えているのでこのような考えも決して悪いというつもりはないのですが、私は現時点ではまだ自民よりは民主の方がマシだと考えていてもう少し政権を維持し続けてもらいたいと考えています。

 くれぐれも言っておきますが現時点の民主党を決して支持しているわけではなく、諸々の対応を見ている限りではちょっと情けない政権運営で問題視はしています。それにも関わらず何故民主をこうも擁護するのかというと、単純に今自民党が与党になった所で今以上にひどい政権になる可能性が高いと見ているからです。その根拠というのも単純で、割と暇な時間が多くて今国会はよく見てはいましたが、結局一度たりとも自民党側から「なるほど」と思わせられるような政策的提言や主張を見ることがなく、結局やっている事は民主党の閣僚が失言なり写真撮影などポカした際に野次を言っているだけでした。

 数え上げれば切りがありません蓮舫氏の国会内写真撮影に始まり仙谷氏の尖閣事件の対応、柳田法相の失言、最後に中井氏の「早く座れ」発言などに対して文句だけしか言ってなかったように見え、何かしら政府案に対して適切な批判や質問をしたかとなると何も浮かびません。そもそも蓮舫氏の写真撮影といい最後の中井氏の事件といい、自民党議員も似たような事やってるし。
 民主党が野党だった頃も大体似たようなもので当時の私も激しく非難していましたが、それでも年金問題を始めとした公務員改革関係の提言などがあり、今の自民党よりはまだ建設的な政党だったという気がします。

 身内の自民党議員も谷垣総裁に敵失を待っているだけじゃダメだと言っていましたがまさにその通りで、何かしら政策提言が行えるようになるまでは二度目の政権交代は起きてもらいたくないのが私の意見です。

2010年12月4日土曜日

西南戦争における日露戦争のキーマンたち

 以前に征韓論について取り上げましたが、今日は西南戦争についてちょこっと書きます。
 西南戦争というと日本最後の内戦、士族による最後の武力反抗として位置づけられ、この後士族らは自由民権運動など言論による反抗を行っていくようになると中学レベルでは教えられます。この説明に問題がないわけじゃありませんが、私としてはこの西南戦争はもっと後世に強い影響を与えているのではないかと睨んでおり、できればもう少し研究とか進まないものかと考えています。

 それはさておき、実はこの西南戦争に関わった人間のうち後年の日露戦争においてキーマンとなる人物が数人おります。
 まずその中でも有名なのは203高地で有名な乃木将軍こと乃木稀典で、らしいといえばらしいですが鎮圧のための官軍を率いて九州に乗り込むも西郷軍に散々にやられて軍隊としては絶対になくしてはならない連隊旗を失くすという大失態を犯してます。本人も後年に至るまでこのことをえらく気にしていたそうですが、それにもかかわらず日露で前線指揮官になるというのはやっぱりミスキャストな気がしてなりません。

 そうやって鎮圧軍に乃木がいた一方、西郷軍の当初の攻撃目標で初期から中期にかけてずっと攻撃を受けていた熊本鎮台こと熊本城に篭城していた中には、こちらも日露戦争にて陸軍を率いた児玉源太郎がいたそうです。当時から児玉は将来が渇望されていた人材だったらしく、西郷軍の撤退の後にはわざわざ無事かどうかが政府から確かめられたそうです。

 そしてこちらは西南戦争には参加していませんが、「もし自分も鹿児島にいたら西郷さんとともに戦った」と語ったのが日本海海戦で海軍を指揮した東郷平八郎です。東郷は当時イギリスに官費留学に出ていましたがそもそもその留学を叶えてくれたのはほかならぬ東郷と同じく薩摩出身の西郷で、非常に恩に感じ入っていたそうです。

 乃木はともかくとして、仮に西南戦争で児玉、東郷の両名が戦死していたらと思うとその後の歴史には思わず寒気を感じます。こういったところから西南戦争を見てみると、もっと議論の価値がある気がするのですが……。

瞬間湯沸かし器について

 実はついさっきまでブログを書いててもうほぼ完成直前だったのですが、うちのお袋が瞬間湯沸かし器を使ったところ停電が起き、折角書いた内容が全部消えてしまいました。以前まで使っていたGoogleのBloggerならどんな風に中断してもきちんと途中保存してくれていてこういうことはなかったのですが、FC2だとそうも行かないようです。

 そういうわけなのでまた一から書くとちょっと精神的にも辛いので、今回停電を引き起こした瞬間湯沸かし器について書こうと思います。
 私が瞬間湯沸かし器を初めて使ったのは中国に留学中のことでした。中国は生水が飲めないためにみんな家で喉を乾いたらお湯を沸かしてお茶などにして飲むのが普通で、ホテルや学生寮にはそのような湯沸し用にどこでも瞬間湯沸かし器が置いてあるのが普通です。

 私が入った寮でもそうだったのですが、元からお茶やコーヒーといった嗜好品が好きな私(煙草は吸わない)としたら使わないわけにも行かず試しにいろいろと使ってみたのですが、これがまた意外なくらいに便利で驚きました。もともと一人暮らししている時は湯沸しポットを使っていたのですがこれだと保温時に電気使うし、かといって一回一回ヤカンで沸かしていても面倒。なおかつ一人で何か飲むときなんてコップ一杯の水を沸かす程度なので、ちょうど湯沸かし器を使う程度でいい感じでした。

 そんなわけで日本に帰国して就職後、電気屋に行ってとっても取れるティファールの湯沸かし器をすぐに購入しました。使い心地は非常によく、大体一分程度で沸かしてくれますし、ポットと違ってドリップ式のインスタントコーヒーの場合だと湯をヤカンみたいに注げるので入れ易いです。
 ただ残念なことに私の家族は私以外には誰一人としてこの湯沸かし器を使う人間はおらず、こんなに便利なのにと力の限り叫んでも効果がありません。

 ちなみにこの前に中国で就職を決めてもう部屋も決めて一週間程度住みましたけど、早速近くで100元くらいで湯沸かし器を買いました。上海人の友人からは高いと言われました。向こうでは炊飯器も100元くらいで買えるので、確かに高かったかもしれません。
 あとまだ向こうでは買ってなくて、今度就労ビザ取って向こうに住みついたらすぐさま買おうと思っているのは自転車です。普通に1000元(12,000円)くらい積んでもいいから必ずいいのを買って、盗まれないようにしないと。

2010年12月2日木曜日

足利事件の真犯人について

 今日も私の知恵袋こと文芸春秋の記事の紹介です。中国行ったら読めなくなるけど、影響とか出ないかな。

 文芸春秋を毎月買っている人なら話は早いのですが実はここ三号三ヶ月連続である特集が組まれており、その衝撃的な内容に一部で大きな議論がなされています。その特集記事というのは日本テレビ社会部記者の清水潔記者による記事で、その内容はというと昨年犯人とされて逮捕、実刑判決を受けたものの冤罪として釈放された菅谷さんが巻き込まれたあの足利事件の真犯人についての記事です。真犯人と言ってもどんな人物か皆目見当がついていないのだろうと皆さん思うかもしれませんが、清水記者はここ数ヶ月に渡る特集記事においてはっきりと”真犯人らしき人物”を特定し、その氏名から住所まで探り当てた上で捜査機関に報告まで行っていると書いております。

 実は私はこれまで今回の取材を行っている清水記者について全く知らなかったのですが、その経歴を調べてみるとこんなすごい記者が日本にいたのかとため息をつかされるような人物だったと分かりました。清水記者が初めて脚光を浴びたのは1999年に埼玉県で起きた桶川ストーカー殺人事件で、この事件において警察より先に犯人の特定を行っただけでなく、埼玉県警が被害者や家族から被害届けを受け取っていたにもかかわらず全く捜査を行っていなかったという不正も暴き、その後の警察捜査に対して大きな一石を投じております。今思うとこの時の埼玉県警の不祥事発覚はその後に起きた北海道警裏金事件など、一連の警察不祥事発覚の嚆矢だったような気がします。

 それだけに業界でも清水記者の評価は高いようで、先月号にて別の記者からも、「あの清水氏が取材しているのだから」と太鼓判まで押されていました。私自身もここ数ヶ月の清水記者の特集記事を読む限りでは実に精緻で細かく事実関係を追っており、なおかつ取材対象との信頼関係も非常に強く醸成されているようで、こういってはなんですが文章上からも只者ではないと窺える人物です。

 その清水記者ですがなんと2007年より足利事件を取材し続けており、この事件を含む群馬、栃木で79年から96年にかけて起きた複数の女児殺人事件は手法の同一性などから一人の犯人によって起こされているのではないかと考え、足利事件の犯人とされた菅谷さんは無実ではないのかと推理して取材を行っていたそうです。その過程では足利事件にて被害者となった女児の母親とも接触し、当初母親は取材を拒否していたものの清水氏の対応に信頼を覚え、実名でテレビ出演まで行っております。
 私がこの清水記者がすごいと感じるのは、警察から犯人も捕まってもう一件落着ですと言われた事件の親類とこうして信頼関係を築いている点です。仮に自分がこの母親の立場であれば今更何をと思うだろうし、むしろ嫌な記憶を蒸し返しやがってと反感を覚えたと思います(事実母親も、当初そのような感情を清水記者に持ったと証言している)。そんな母親に何度も接触を試みて会うなり清水記者は、「菅谷さんは真犯人ではない」と言い放ち、その後も取材を重ねていったそうです。

 そうした清水記者らの活動も貢献してか足利事件ではDNAの再鑑定が行われ、ついに菅谷さんの無実が証明されて冤罪が晴れることとなったのですが、では肝心の真犯人は一体誰だったのかという疑問がこの事件では残りました。この真犯人について栃木県警はすでに時効という事で捜査は未だに行っていないのですが、清水記者によると同一犯人の疑いの強い96年に起きた群馬県太田市女児連れ去り事件については時効を迎えておらず、関連が疑われる事件ながらもおざなりにされてしまっているようなのです。

 ここで一連の北関東連続幼女誘拐殺人事件について簡単に説明すると、79年から96年の間に群馬、栃木の県境付近で起きた足利事件を含む五つの事件のことで、どの事件も年端も行かない女児が誘拐され遺体で発見されるという痛ましい結果ながらも犯人は未だに捕まっておりません。清水記者の取材によると90年の足利事件と96年の太田市の事件のどちらもパチンコ店から女児が誘拐されているという大きな共通点があり、太田市の事件当日のパチンコ店にて、まさに被害者らしき女児とともに店内を出る怪しい男が店内の防犯カメラに映っているそうです。また足利事件当時、被害女児らしき子供と遺体発見現場近くを歩く不審な男を複数の人間が目撃しており、清水記者が件の防犯カメラに映った怪しい男を見せたところ似ているとその目撃者らは答えたそうです。
 ここまで言えば分かるでしょうが、清水記者が真犯人と疑っているのはまさにこの男のことで(風貌から、特集記事では「ルパン」と呼ばれている)、すでに清水記者はこの人物の情報を調べ上げて警察に提供しているそうです。

 しかし今のところ警察が足利事件、並びに太田市の事件について捜査を再開したという動きはありません。この警察の対応について清水記者は、警察、検察といった捜査機関が組織としての体裁を守るために敢えてこれらの事件を闇に葬ろうとしているためだと記事中で指摘しており、私自身もそのように考えております。

 足利事件で菅谷さんの逮捕の決め手となったのはDNA鑑定で、彼の冤罪を証明したのもDNA鑑定でした。というのも最初の鑑定では鑑定方法が古く、正確でなかった為だと警察は発表しましたがこれは実のところ嘘で、実際は犯人とされたDNAの型も菅谷さんの型も、再鑑定では当初割り出した型とは違っており、そもそもの鑑定結果を間違えて出していたというのが真実でした。当時のDNA鑑定は顕微鏡を目視してその型を調べるというやり方だったので、いわば鑑定人が型を見間違えたというごくごく単純なヒューマンエラーだったそうです。

 もちろんそれで長い間獄につながれた菅谷さんのことを考えると決して許されないミスではあるのですが、これが本当に取り返しがつかないのは、同じ鑑定方法で事件が立証され、死刑判決が下りた上にすでに執行されてしまった飯塚事件の存在です。
 この飯塚事件について詳しくはリンク先のWikipediaを読んでもらいたいのですが、犯人とされて死刑がすでに執行された方は逮捕当初から死刑直前まで一貫して無実を訴え続けていたのですが、足利事件と同じ手法のDNA鑑定が決め手となり裁判では有罪死刑を受け、2008年に刑は執行されております。

 仮に足利事件を再捜査すればこの当時のDNA鑑定方法の不備が槍玉に挙がることは目に見えており、場合によっては当時のDNA鑑定すべてが再鑑定にならざるを得なくなります。それによってこの飯塚事件が再調査となり、もしも鑑定が間違っていた場合、冤罪ながらも死刑を執行してしまったということになってしまいます。

 上記のような指摘は足利事件で菅谷さんの弁護士をしていた佐藤博史弁護士がかねてから主張しており私自身も知ってはいたのですが、今回の清水記者の取材からますます警察が事実を隠したがっているという確信を得ました。
 警察はすでに何度も書いているように足利事件について再捜査は行わないと発表しています。にもかかわらず、被害女児の母親が事件の証拠となりDNA鑑定に使われた被害女児の遺品であるシャツの返却を求めた所、栃木県警はあれこれ理由をつけては頑なに、未だに返却を拒み続けています。

 捜査がまだ行われているのならともかく、捜査が打ち切られた証拠品は通常であれば遺族らに返却されます。しかしこの真犯人のものと思われるDNAが付着しているシャツは先ほどの鑑定が根本から間違っていた事を証明しかねないがゆえか、はっきり言って異常な理由をつけて警察は返却を拒み続けているそうです。それだけに私は先ほどの飯塚事件との関連性がより疑えるのではないかと思うに至りました。
 すでにこの問題は国会の法務委員会でも取り上げられているようで、私としても北関東で明らかに異常なほど頻発している女児の誘拐、殺人事件を解明する上で再捜査が行われる事を心から祈ります。

 最後に残酷な一つの事実。清水記者によると、足利事件と飯塚事件のDNA鑑定は同一の鑑定人が行ったそうです。

2010年11月28日日曜日

日本人の感情表現と文章

 ネットを当てもなく見ているとよく、「外国人を見て和む話」というものがまとめられております。実際に読んでみると確かに和む話ばかりで見ていてほのぼのとしてくるのですが、ふと考えてみるとなんで外国人の行動にこうも和まされるのかと疑問を覚え、ちょこっと考えて出した私の結論はというと、やっぱり日本人と比べて外国人は割合に感情をストレートに表現する事が多く、うれしいやがっかりといった感情を比較的押さえ込む日本人からするとそれが素直にさらけ出されるのを見て和みを感じるのではないかと思いました。
 なお言うまでもないことかもしれませんが、ここで言う外国人ってのは基本的に西欧人で中国人とか韓国人は入っていません。中国語でも西欧人は「外国人」もしくは「老外」というけど、日本人と韓国人はこれに入らない辺りにシンパシーを感じる。

 話は戻って素直に感情を出す外国人についてですが、日本人というか日本の世の中は基本的に感情を押し殺す事がすべての場において美徳とされ、小学校くらいからもそのように教育されます。私自身も日本人であるので感情を押し殺して黙々と行動する人間をかっこいいと思う傾向がありますが、その一方でなんでもかんでも感情を束縛される事に窮屈さを感じることもままあります。先ほどの外国人を見て和む話といい、私は今の日本人は一応は感情を押さえることが美徳だと認識しつつも、内心では感情をストレートに表現したいという欲求が強いのではと、考えた次第です。近頃流行りのうつ病も、やっぱりそういった感情表現と関係ある気がするし。

 では日本人は元からそうした感情表現を押し殺すのか、もしくは感情表現自体が苦手なのかと言うと、これは間違いなく後天的に植え付けられた特徴だと考えています。なんだかんだ言って日本の子供達を見ていると実に感情表現が多彩なのに対し、年齢が上がるにつれてそのような傾向はなくなってしまいます。となると日本の教育自体が感情表現を抑えるように教え込んでいる事になるのですが、そう考えた時に真っ先に思い浮かんだのが日本の作文教育です。

 日本の作文教育については過去にも「読書感想文は必要なのか」の記事の中で、日本の読書感想文は執筆者が本を読んで実際に感じた感想以上に教師が納得するような本を誉めるような内容が暗黙のうちに要求される点を指摘しましたが、よくよく考えてみると読書感想文に限らず日本の作文教育は個人的な意見はまだ書けるにしても、文章に感情を盛り込む事については徹底的に排除されているきらいがあります。

 ここで私がいちいち書かなくとも中学高校にて、「文章は客観的に書きなさい」と教えられたことは日本人なら誰にでもあるでしょう。この客観的にというのは響きはいいですが、実際には感情をすべて排除してマシーンのように文章をつづれと言っているも同然で、確かに客観的な視点は文章には不可欠であるものの主観的な視点を徹底的に排除するのはそれも問題だと私は思います。
 元々人間は感情を束縛される事に対して嫌悪感を抱くようで、私の感覚ですけど感情を捨てて文章を書けと言われてもあまり乗り気にはなれません。逆に、「お前の今持っている感情をすべてこの紙の上で表現せよっ!!(#゚Д゚)」などと言われ、自分の好きな歴史人物についてそれが何故いいのかだったり、嫌いな人間について呪詛の言葉をつづれってんなら物凄い乗り気で今からでもいくらでも書く気が起きます。

 くれぐれも言っておきますが、今も書いているこの文章を含め基本的には文章には客観性というか落ち着いた表現が求められると考えています。しかし主観的な表現も全く価値がないわけではなく、感情を文字にて表現するという意味ではむしろ格好の材料となることがあります。
 私が何を言いたいのかと言うと、日本の作文教育は一から十まで感情を殺すように書かせるために作文に対して苦手意識を作っている気がして、せめて小学生の間、出来れば中学校くらいまでは好きな事や感情をそのまま文字にて書かせた方がまだやる気もでていいんじゃないかという事です。

 これこそ先ほどの外国人の和む話で見かけた話ですが、イタリア人の男性は女性を見ると誰彼かまわず歯の浮くような文句で口説くそうですが、彼らは小学生の頃からラブレターの書き方を勉強するなどその方面で徹底した教育受けているそうです。ラブレターまでとは言いませんが、感情をさらけ出す材料をもうすこし作文の題材に選んで欲しいものです。

2010年11月27日土曜日

大学時代の遠慮のない後輩について

 またぞろ堅い内容の記事が続いているので、軟らかいネタでも書こうかと思います。

 先日、大学時代に住んでいた関西に行ってお世話になった方々へ挨拶回りに行きましたが、控えめに言っても私の大学時代は実り多いものだった気がします。今も交流があるほどいい恩師に恵まれた事はもとより、関東育ちの私が敢えて箱根の関を越えて関西の大学に行ったことで関西、関東両方の文化や地理を得られたことは今でも非常に大きな武器となっております。近年は東京一極集中のために関西の学生も地元に未練があるものの関東で働く事になることが多く、関東の学生はもとから住んでいるのもあってずっと関東に居続けると言うことが増えており、事実私の高校時代の友人らもほとんどが関東から出ずにいます。

 ただ大学時代で何が一番大きかったかというと、意外なことに下宿生活が一番だった気がします。ただ下宿するだけならそうでもないのですが、やや都市部から離れたキャンパスに通っていたために私が入った下宿はその大学の男子学生しか入居していない下宿で、周囲からも「○○男子寮」と揶揄されるアパートでした。大家の人も昔から学生を世話しているだけあって入学式の夜には一回生を集めて顔合わせ会などを催してくれるなど、壁が薄くて隣室のテレビの音が3Dサウンドで聞けましたが楽しい下宿でした。

 そんな下宿でしたが何の因果か私と大家夫妻は仲が良くなり、テスト中とかに遊びに行っては蜜柑とかお菓子を一緒に食べたり、下宿を出た後も遊びに行っては話をしたりしてえらく贔屓にしてもらいました。そんなもんだから二回生以降は前述の一回生らの顔合わせ会のまとめ役を毎年して、学年の違う後輩らとも知り合う機会も得られて今時ではない下宿生活をしてたように思えます。

 そうして知り合った後輩の中で、やっぱり特徴が強かったのは四国勢です。私の気のせいかもしれませんが四国出身の人間はみんな県民性を見事に反映していて、なおかつずうずうしいというか妙な遠慮がないために付き合ってて面白い人が多かったです。その中でも特にインパクトが強かったのは香川県から来た後輩で、何故かは知らないですが私がいつも夕食を作っている最中に、

「先輩、ゴミってどう出すんですか?」
「先輩、洗濯機って夜に使ってもだいじょうなんすか?」
「先輩、夏休みに部屋空ける時ってなにかしないといけないんすか?」

 こんな具合に、いっつもメシ作っている最中に来るので私も仕方なく、

「まぁ立ち話もなんだから、上がってメシでも食べてって」
「えっ、マジッすか!? じゃオジャマします!!ヽ(・∀・ )ノ 」

 他の学生ならまだ、「いやいや、そんなの悪いですよ」って遠慮してくるのに、彼だけは二つ返事でいつも食べてきました。まぁその方がこっちも気持ちいいけど。

 その後一旦私は中国に留学しましたが、日本に帰って元の大学に復学した際はキャンパスも変わっていたので別の下宿を借り、その後久々に元の下宿を訪れた際にその香川の後輩を訪ねるとうれしいことに私のことを覚えていて、たまたま一緒にいた自分は半分岡山県人だと言って譲らない神戸市西区出身の後輩ととともに私のことを、

「ちょうど今、俺達花園さんのことを話してたんですよ。井上和香が好きなスケベな先輩がいたよなぁって」
「('A`)」

 この時に新しい下宿の住所を教え、もしよければまた晩御飯を食べにおいでと誘ったら神戸の後輩と共にすぐに来て、その日は確かカレーを作りましたけどあらかじめご飯を四合炊いといたら「足りないっすねぇ( ゚Д゚)」と言ってきたので、追加で三合を炊いたら三人で全部平らげてしまいました。
 私は学生時代にいろんな人間を招いては食事を用意してきましたが、あれほど遠慮がない学生は他にいなく、今でも強烈な印象に残っております。日本の世の中だと遠慮深い事が美徳として扱われますが、私はこの後輩と会ってからは遠慮が強すぎるとかえって相手の気分を害させ、むしろ二つ返事で素直に喜んだ方が人間関係的にもいいと思うようになりました。

 ちなみに下宿にはもう一人、高知出身の後輩がいましたが、香川の後輩ほどではありませんでしたが彼もあまり遠慮はせずにいい意味で感情をストレートに出してました。ただ一回だけ彼の部屋に遊びにいったところ、結構散らかっていたのでそれからは私の部屋に呼ぶようにしました。

2010年11月25日木曜日

オリジナルなき中国経済

 前回の記事では日中の若者の現状を私なりに比較しました。概略を簡単に説明すると日中共に若者は苦しい立場に追いやられているが、日本の若者は中国の若者と比べれば将来性はともかく現状では金銭的にも社会的にも恵まれているにもかかわらず非常に後ろ向きなところがあるという主張をしました。
 そんな次の回の今日は、今回私が中国で滞在した際に感じた中国経済の違和感こと今後の中国の不安定要素と、それを逆の位置から見た日本の優位について一考を紹介します。

 以前に書いた「中国の自動改札と券売機」の記事にて私は中国での自動改札機と券売機を紹介しましたが、どちらも日本の駅に置かれているものと比べると性能的には低いものでした。元々両方とも日本企業の京都三大ブラック企業で有名なオムロンが開発した物なので原産国である日本の機械の方が優位を持ってて当たり前でしょうが、ふと考えるとこうして現在中国国内で普及が進んでいるものは、作っている現場は中国でも元々はすべて外国製なのではという考えがもたげました。自動車然り、携帯電話然り、マクドナルド然り、新幹線という高速鉄道は名前もそのままなのに「自分達で頑張って作りました」と言ってますが実際には日本の技術の流用だそうです。

 中国は今年、GDPで日本を追い抜きアメリカに次いで世界二位になることがほぼ確実視されていますが、世界二位の経済大国にも関わらず中国が独自に世界に発信した文化、サービス、規格となるとほぼ皆無なのが現状です。この傾向については私が記憶している限り五年前から中国国内の学者は今の中国の経済成長と日本の高度経済成長期を比較し、「当時の日本にはすでにトヨタやソニーといった世界に通用するブランドがあったにもかかわらず、中国には未だにそのようなブランドが存在しない」と問題視していましたが、それから五年経った今においてもこの点には一向に改善が見られません。
 企業ブランドで言えば一昨年のリーマンショック以降は吉利自動車がボルボを買収するなど、中国企業は主に海外の自動車系ブランドの買収は手広く行いましたが少なくとも現時点においてはまだそれら買収したブランドが有効に機能しているとは思えません。IBMのパソコン部門を買収したレノボは知名度アップに見事成功したとは思うけど。

 元々中国の企業はかねてから品質トラブルを抱える事が多いので、私みたいに中国と深く関わっている人間でなければあまり企業名までは覚えてもらえないのが常です。そうした企業ブランドの低さに加え、私がもう一つ問題視しているのは中国独自の技術や規格こと、「チャイナスタンダード」の欠如です。

 いきなりチャイナスタンダードといっても、恐らく大半の人は見慣れない言葉に戸惑うかと思います。この言葉の意味は文字通りに「中国規格」で、細かい所までとなると話は別ですが、今現在で中国で流通している商品やサービスにおいて中国独自の規格があるかといえばほぼ皆無なのが実情です。
 考えてもみてください。今現在で中国発の独自な文化やサービス、技術を挙げろと言われてすぐに挙げられる日本人はほとんどいないと思います。実際に他の人より中国に関わる事の多い私ですらこの質問は難問で、強いてあげるならば有人宇宙開発だけは結構頑張っていると思いますがそれ以外となると結局は他国の下請け製造のみで、むしろこの点では半導体製造や韓流ドラマなどを持つ韓国の方が上手です。

 結局の所、中国は以前から問題視されながらも世界に通用されるような独自規格を全く作れず、他国の完成した製品、もしくはサービスを受け入れているだけで、世界の工場といわれながらも製造している製品は他国のコピー止まりなのが現状です。
 断言してもいいですが、今後十年の間はチャイナスタンダードがグローバルスタンダードになることはありえないでしょう。中国は人口も多くて市場も大きいだけに、携帯電話の電波方式など自国でその商品なりサービスの形態を普及させる事で他国の企業を従わせやすいように思えるのですが、不思議な事に今もってそのようなグローバルスタンダードと呼べるような規格を作る事が出来ずにおり、その原因はほかならぬ中国人自身にあると思います。

 それにひきかえ日本はというと、よく携帯電話機の規格などでガラパゴス化しているなどと言われていますが、陰に隠れてちゃっかりと国際規格をいろいろ作っているとこのところ感じます。その一番の代表例はソニー連合のブルーレイディスクで、最初はあーだこーだいいながらも今じゃすっかり世界各国の映像記録媒体として定着していますし、それに合わせて再生機の規格も物にしてます。そのほか鉄道においては言わずもがなの新幹線、特に今度はありえない長距離をリニアモーターカーで結ぶというのですからその技術の高さは素人ながら恐れ深く感じるほどです。

 以上のような考察から私は、中国はまだしばらくは内需喚起で経済成長を確実に続けるものの世界第二位の経済大国と呼ぶにはあまりにも発信力、技術力が低いため、ある日突然に成長を止めることになると予想します。しかもそのブレーキの反動は恐らく日本のバブル崩壊時以上で、かつてヨーロッパ、日本が歩んだ通りかそれ以上の冬が来ると思います。

 かつて日本はアメリカなどから「人まねザル」などと言われた時代がありましたが、その時代にあってもカシオの計算機やマツダのロータリーエンジン、テレビアニメーションなどといった技術や文化を独自に生み出していました。しかし中国には、私の不勉強によるものかもしれませんが未だにそのような技術や文化はなく、むしろ独自性の強かった香港映画がハリウッド映画に成り下がった始末です。
 よく中国関係の仕事をしている人から聞く話に、日本はたくさん独自の技術や文化を持っているにもかかわらずそれを全く活用しようとせずに自国の経済を卑下する、という話がありますが、中国からの視点で見ると私も同じように感じます。日本の将来がダメだと悲観する事は簡単ですが、時と場合によってはまだ余裕がある人間の自己卑下にしか見えない時もあります。

2010年11月24日水曜日

中国から見た日本の若者の状況

 今現在、今後の日本の景気について聞けばサラリーマンはもとより評論家らも異口同音に不況で先行きは暗いという見通しを話します。私自身もつい先日までそのように考えていたのですが、先日に中国にしばらく滞在して新ためて日本を外から見るのと、中国を中から見て以前とはやや違った考え方を持つようにこのところなってきています。結論を先に述べると私は日本人が将来を悲嘆しているのは甘えもいいところで、まだ随分余裕を持て余しているようにしか現在は考えていません。

 上海に滞在中、街中を歩いているとそれまであまり気にしていませんでしたがふとあるレストランの入り口に掲げられていた看板に目を留めてみたところ、ちょっと気になる数字が書いてありました。

「ホールスタッフ募集 月給2,000元」

 もちろんオリジナルは中国語で、「招聘洗碗工 RMB2,000」と書かれていましたが、改めてこの数字を見てみると日中での為替格差と生活の差をまざまざと見せ付けられました。この2000元という数字、現在の日本円は円高の影響もあって1元=12円ですがそれで計算すると、その上海にあるレストランではホールスタッフの給与は24,000円という事が分かります。

 日本円で月給24,000円だととてもじゃないですが暮らしていくには厳しい額ですが、中国ならば物価も安くてそれ程でもないのではと皆さん思われるでしょう。確かに中国の物価は日本と比べて非常に安く、コーラなどは1缶2元(24円)、食事も10元(120円)も払えばチャーハンなりラーメンなりそこそこ食べることが出来ます。ただこうした費用が安いからといって他のも何でもかんでも安いわけではなく、これは中国人の友人にも確認しましたが上海市内で部屋を借りる場合はどんなに狭くとも2000元以上は必ず取られるそうで、その他の細かい生活費用も上海では日本並みに取られる事も少なくありません。
 となると家賃が2000元では先ほどのホールスタッフは月収を丸ごと大家に取られる事になり普通では生活できません。ではそんなホールスタッフの募集に応じる、主に田舎から出稼ぎにやってきた若者らはどうやって生活するのかと言うと、大抵は一つの狭い部屋を数人で一緒に借りて共同生活をして働き続けるのです。

 念のため言っておきますが、上海は中国で最も物価が高い地域である一方で最も給料の高い地域です。確かに地方によって細かい事情は変わってくると思いますが大抵の都市部では多かれ少なかれこのような状況で、元からその土地に住んで定住している人間ならともかく、出稼ぎに来た若者らは数人で共同生活をしながらわずかに残った給料を貯めて地方に送る事でぎりぎりの生活を続けています。
 こうした中国の苦しい状況は田舎出身の若者に限らず、大卒の若者ですらも当てはまるのではないかと現在私は睨んでいます。細かくまだ確認が済んでいなく企業ごとにも違うでしょうが、私の予想だと中国のホワイトカラー職の大卒初任給は約5,000元前後で、しかも最近は日本同様に大卒の就職状況が悪いために卒業したにもかかわらず職にあぶれる若者が後を絶ちません。

 翻って日本の状況ですが、就職氷河期を越えるほどの低い率で戦後最低を更新するほど昨年度の大卒内定率は悪かった物の、地方ならばともかく東京や大阪といった都市部であれば20代ならばまだアルバイトで働く事は可能だと思います。仮にアルバイトの身分で正社員同様にフルタイムで働けば月収20万円を稼ぐ事も難しくなく、この収入であれば部屋を借りて一人で生活することも不可能ではないでしょう。
 もちろん日本の雇用慣行上、新卒で就職できなければその後もずっと就職の機会がない、アルバイトでは雇用経験として認められない上にスキルが身につかない、三十代になればアルバイトもし辛くなるため、この低い内定率の状況を私も問題視しており早く対策を打つべきだと考えてはいますが、それでも中国の若者(大卒高卒を含めて)の状況と比べるならばまだまだ日本の若者は恵まれた環境にあると思います。厳しいことを言えば、たとえ就職にあぶれたとしても日本の若者ならばアルバイトをしながらお金を貯め、ある程度溜まった所で資格の勉強をしてスキルアップに繋げてその状況から抜け出す可能性もありますが、中国の若者にはそんな可能性すらありません。

 よく中国は上り調子、景気がいいとあちこちで言われていますが、そこで生活する人間達のミクロな生活を比較すれば今の日本人はまだ遥かに恵まれており、これで「日本の将来は暗い」、「一度チャンスを逃したらもう立ち直れない」などと言うのはどこか浮世離れした感が私にあります。

 もちろん言うは安しで行なうは難しの如く、実際に厳しい状況に置かれた事のない私がこんな事を言うべきではないのかもしれませんが、それでも敢えてこのように文章にして主張したのは自分を含む今の日本の若者に必要以上に世間の暗い雰囲気を真に受けるなと言いたいからです。
 たとえ正社員になれなくともまだ生きていける、生活できる、おまけに今はデフレで安い金額でそこそこ娯楽も楽しめる。将来が厳しいと予想されるとしても必要以上に暗くなる必要はありません。これは多分、近年中国に行ったことのある人なら皆わかると思いますが、日本の若者と比べて中国の若者は実に明るい表情を皆でしています(北方の人はあまり笑わないけど)。将来性はともかく現行の生活状況は中国の若者の方が明らかに苦しいにもかかわらず、彼らはまだ若者らしいと言ってはなんですが明るい表情で楽しそうに暮らしています。

 将来を懸念する事、対策を作る事は非常に大事ですが、そのために今現在を無駄に台無しにしては意味がありません。日々のニュースや年配の世代が暗い事ばかり言っているからといって真に受けず、まだ日本は頑張れば先進国の生活を送れるのだと考えてもっと前向きになってくれればと、一人の若者として切に願います。

 次回はもうちょっとマクロな日中経済比較を行います。そこそこ自信のある内容を用意してます。

プレステVSサターンの次世代機争い

 先日、中国人の友人と日本のゲームの話をした際、日本でもあったプレイステーションとセガサターンの次世代機争いが中国でもあったという話を聞いたので、あの時代をリアルに生きていた一人として後世に歴史を語り継ぐために今日はこの次世代機争いについて書こうと思います。

ソニープレイステーション
セガサターン

 上記二機種のゲームハードはほぼ時を同じく1994年の年末に発売し、当時スーパーファミコン全盛だった時代に次世代の主要ゲームハードの座を賭して激しく争いました。発売当時の私は小学生でしたがゲーム屋、電気屋に置かれた試遊台にて両者のゲーム画面を見てそのグラフィックの良さに驚いたのをよく覚えています。

 まず簡単に発売当時の状況を説明すると、当時は持たないものは小学生男子にあらずと言われるまでに普及していたスーパーファミコンでしたが発売から大分年数が経っていたこともあってゲームハードとしての機能に限界が徐々に見えていました。そんな次世代機が徐々にほしいなぁと思われていた矢先、日本ではともかく海外市場ではメガドライブというハードで成功を収めていたゲーム会社のセガが日本市場の奪還のためにセガサターンを開発して市場に投入したのですが、その一方で家電会社のイメージの強かったソニーが任天堂との共同開発を行っていたものの途中で破綻したCDドライブ型ゲームハードを独自に開発しており、そうして完成したプレイステーションを揃って投入しました。両者はどちらもクリスマスの年末商戦に合わせて発売したのですが発売当初の両者の値段はプレイステーションが39,800円、サターンが44,800円で、物の分からない小学生とはいえ親にねだるには高すぎるなぁと私は感じました(スーパーファミコンは最初、25,000円だった)

 そんな感じだったので発売当初は遊んでみたいと思うめぼしいソフトもなく、値段の高さと相まってどちらかといえば子供ではなく大人が遊ぶゲームハードなんだろうと思ってあまり欲しいと感じませんでした。ただ市場では物凄い綱引きがあった様で、どちらも赤字覚悟で再三の値下げ合戦を繰り広げてはスーパーファミコンから離脱するサードパーティことソフト開発メーカーの抱きかかえ合戦が行われていたそうです。

 ちなみに確証は持てない情報ですが当時の業界関係者によると、当時ほぼゲーム市場を独占していたスーパーファミコンでゲームを発売するに当たって任天堂がソフトメーカーに任天堂に支払うよう課していたロイヤリティことマージン率は異常に高かったらしく、メーカーらも任天堂と対抗する他社の新ハードの登場を待望していたそうです。実際にスーパーファミコンの後期発売ソフトは定価が9,000円台後半で当たり前、中には10,000円を越すのまであったので現在のソフトと比べても異常に高いものだとわかります。一説によると、定価の約半分が任天堂へのロイヤリティ分だったという噂まであるし。
 逆をいえばこうした殿様商売をやっていた隙を突かれたこともあってこの次世代機争いの途中に任天堂が発売した「Nintendo64」は普及が進まず、現在に至るまで据え置き機で任天堂は王座に帰り着くことが出来ずにいます。消費者としてはソフト価格が安くなって助かったんだけど。

 話は戻ってプレステとサターンの話です。そんなこんだで94年の年末に発売して95年からがっぷり四つになって販売争いが行われるようになったのですが、当初はサターンの方が優勢でプレステ側が「目指せ100万台」と言っている最中に先にサターンの方が100万台を達成したくらいでした。この要因を私なりに分析するとサターンは販売元がゲーム会社のセガなだけにゲームセンターに置いて認知度の高かった「バーチャファイター」など人気ゲームを早くに移植したが故だと考えています。また私見ながら初期プレステのソフトはサターンと比べるとやや子供っぽいというか、対象年齢の低いゲームが多いように思えてハード本体の値段が子供には手の出し辛い価格だった事を考えるとそうしたソフトの差がモロにでたとおもいます。
 ちなみに95年、うちの親父が取引先から騙したのか脅したのかは分かりませんが、日立製のHiサターンというサターンのちょっと変わった機種をもらってきたので、私はこの次世代機争いではサターン派に属しました。

 明けて96年、すでにサターンを持っていたことからバリバリのサタニストだった私ですが、この年の初期に初めてプレステユーザーがうらやましくなる事件がありました。それは何かと言うと、今もシリーズが続く「バイオハザード」の一作目がプレイステーションから三月に発売されたのです。元々ホラーゲームが好きだった私なだけにこのゲームは発売前から興味があり、どうしてサターンじゃできないんだと歯噛みするような思いで店頭に置かれたデモプレイを眺めていたのを覚えています。

 そしてこの頃から両者ゲームハードにおいて性能差が徐々にはっきりでるようになり、聞くところによると当初はサターンの方が高性能だったものの元の設計が当時主流になりつつあった3Dゲームにあまり向いておらず、逆にこの分野に強かったプレステがソフトメーカーに頼られるようになっていったそうです。さらに発売当初は気にならなかったものの、ゲームの途中経過を記憶するのにプレステでは別売りの「メモリーカード」といって外付けの端子媒体を使うのですが、サターンの場合は内蔵のメモリが初めからついていました。サターンはメモリが最初からついてあるからなにかと便利だと思ったら運の尽きでこのメモリは定期的に電池を交換しないと機能しなくなり、しかも電池を交換した際はそれまでのデータがすべてすっ飛ぶという優れもの、さらには電池交換のタイミングは全く確認できないという三拍子ものでした。この次のドリームキャストといい、セガは記憶媒体についてなにか考え方がイカれているとしか思えない。
 一応サターンにも外付けの大容量記憶媒体こと「パワーメモリー」があったのですが、これも最初はいいけど使い出して大体二年くらい経つとびっくりするくらいにハードが認識してくれなくなり、私もサターン本体を殴り壊さんばかりにこのパワーメモリーを外しては挿入してを繰り返した事が何度もあります。

 そういった元もとの性能の差に加え、両者とも徐々に描画機能や開発機能などに改造を行っていましたがこれもプレステの方が進んでいました。唯一プレステで問題だったと私が感じたのは、サターンと違ってテレビなどとの接続端子がすぐに痛むところがありました。サターンは各部品ごとにメーカーがちがったもののプレステの場合はすべてソニー内の部品を使っていたためこうした細かい所ではサターンに軍配が上がります。とはいえ、プレステ2ではこういった接続不良はきれいさっぱりなくなったけど。

 そうして徐々にプレステが勢いづく中で最後の決定打となったのは96年の後半に発表された「ファイナルファンタジー7」がプレステから発売されるという一撃でした。まさに関ヶ原における小早川秀秋の裏切りのように、当時ブランドイメージとしてはゲーム会社中最強であったスクウェアのプレステへの参陣はサタニストの私も、「もはやこれまでか」と思わせられたほどでした。事実それからはどちらも持っていない子供はプレステを、サターンを持っている子供もプレステを買い漁る始末で、97年以降になるとサターンで発売されたゲームはセガ製以外はほぼすべてプレステに移植されるという、悲しい結果になりました。そんな下り坂まっさかさまの時代にあってサターンの最後を輝かせたゲームソフトをいくつか挙げると、

・街(チュンソフト)
・スーパーロボット大戦F(バンプレスト)
・ブラックマトリクス(NEC)

 私の記憶が確かなら、最後の「ブラックマトリクス」が他のゲームハードのソフトも入った週間売上げランキングにてサターンソフトでありながら一位になった最後のゲームだったと思います。まぁ三つとも、後にプレステに移植されているけど。

 このサターンとプレステの争いからもう十年以上経ちますが、その後も「プレイステーション2 VS X-box」や「プレイステーション2 VS ゲームキューブ」、「プレイステーション3 VS X-box360」、「Nintendo DS VS PSP」などと一応ハード争いを見ることはありますが、この時のハード争いほど熾烈なものは私は未だ見たことはありません。96年まではカプコンを筆頭に片っ方でゲーム出してもしばらくすればすぐもう片っ方に移植されて当たり前でしたし、他メディアとのタイアップも全然勢いが違いました。

 その上でサターンの敗因を私なりに言わせてもらうと、やっぱりセガの販売戦略が根本からおかしかったと言わざるを得ません。前ハードのメガドライブで人気だったソニックシリーズをなかなか出そうとしなかったり、小中学生には敷居の高い「大戦略」などといった戦略シミュレーションばかりだしたり、挙句にキラーソフトである「バーチャファイター」が3D格闘ゲームなのにハード性能を2D描画に偏らせるなど、言い方は悪いですが本気で売るつもりがあるのか疑問に感じるほど穴が多かったです。
 しかも残念なことにセガはこの次の「ドリームキャスト」でも大ポカを連続し、前述の記憶媒体では「ビジュアルメモリ」という、発売する前に誰か止めなかったのかと思うくらいの不良品を出してくる始末でした。この時期のセガはあの悪名高き「パソナルーム」を使って社員を退職に追い込むなど常軌の逸した行為をしており、末期だったんだろうなぁと個人的に思います。私もサタニストだっただけにセガを応援してたけど、「パソナルーム」のこと聞いてからはこの会社が大嫌いになりました。

  おまけ
 ちなみに私の中国人の友人は、「鉄拳(プレステ)かバーチャファイター(サターン)かで悩んだけど、僕は鉄拳を取ったよ」と言ってました。鉄拳も面白いしね……。

2010年11月23日火曜日

新聞を読まなくなったのはネットニュースのせいか

 別に隠すほどの事ではないのでもう書いてしまいますが、先週の金曜から日曜まで関西に赴き、お世話になったかたがたに中国へ行く前の挨拶回りに行っていました。夜行バスで行ったけど、自分が学生だった頃より本数が多くなったと思う。

 それはさておき今回の挨拶回りの最中に以前の恩師から誘いがあり、京都某所で行われた研究報告会にも参加してきました。報告会のテーマは今時の大学生ということで各専門の先生がそれぞれのまとめた内容を報告し合っていろいろと面白く、取り上げられたデータの中から面白かったのをいくつか抜粋すると、

・下宿生の支出は食費や娯楽費などほぼすべて下がっている中、家賃代だけは上がっている
・仕送りが減る一方、アルバイト収入も減少傾向
・一日一時間以上授業以外の自主勉強、読書を行えば統計上勉強している方になってしまう
・就職活動に苦しむのに男女ではあまり差がなく、どちらも真面目なタイプが苦労している

 ざっとこんなものなのですが、敢えて大きく取り上げようと思うのにこの記事の題となっている新聞とネットニュースの関連の研究報告でした。結果を先に言うとよく、「インターネットでニュースを見る習慣ができたので、新聞は読まれなくなった」と言われつつも実際に学生を調査してみたらインターネットでニュースを良く見る人ほど新聞も読む人が多くなったという内容で、私の感想を述べるとまぁそうだろうなと気がしたわけです。

 私自身も他の人間より人一倍ネットでニュースを見ますが新聞もほぼ毎日読んでて、購読ということになると学生時代はお金が惜しくて取りませんでしたがそのかわりに図書館や喫茶店でこれまたほぼ毎日チェックしていました。よく広告業の企業に勤めている人から最近はネットのせいで誰も新聞を読まなくなったという愚痴を聞きますが、確かにネットの影響は少なくないまでも今回のデータ報告といい、私は日本で新聞が読まれなくなっている本質はネットというより基礎学力の低下が原因ではないかと今回感じたわけです。

 日本にいるとあまり気がつきませんが、他国と比べると日本は相当な活字大国です。日本人全員が難しい漢字交じりの文章を読める識字率の高さはもとより多種多様な本が毎日出版され、そこそこの世帯では毎日新聞が配達されるなどということは他の国ではまず考えられません。他国で滞在した経験がある方なら分かるでしょうが他の国では本の紙質も悪ければ日本みたいに娯楽関係の書籍は異常に少なく(中国はビジネス書ばかり)、本を読むのは知識人くらいで本屋という店の形態もどことなく日本とは違っています。言ってしまえばこうしたブログが成立するのも日本人が活字を読むことに抵抗がなく、ユーザーが多いが故に草の根でも通用するからだと言えるでしょう。

 そんな日本はこのところ出版不況だと各所で騒がれていますが、それを推しても未だに日本は読書大国だと私は言い切れます。ただ以前の水準からは落ちているのは事実でそれがこのところの新聞購読者の低下にもつながっており、その主原因はネットだと言われているもののそれについてはかねてから反論もあり、私自身もネットでニュースは見るが新聞も見るのでなかなか腑に落ちていませんでした。
 そんなところへ上記の報告があったわけですが、結論を述べると私はネットでニュースを見るようになったのも全く影響がないわけじゃないもののそもそも新聞を読む人間が減った、言い換えるならば新聞を読むほど知識や好奇心を持つ人間が減ったのが原因じゃないかと思うわけです。

 日本の基礎教育力の低下はあちこちでも言われており、私も先日二年下の大卒の女の子から「チェルノブイリってなんですか?(´・д・`)」と言われてリアルに焦った経験がありますが、やはり私の目から見て勉強している人はネットだろうが新聞だろうがとにもかくにもニュースに対して貪欲であるのに対し興味のない人はネットニュースも新聞も読んでない気がします。荘考えるとネットニュースの配信が新聞の購読者を減らしたというより、日本の人口減もありますがそれまでの日本の基礎知識レベルの低下が主原因ではないかと感じるようになりました。

 基礎教育というとあまりイメージがしにくいですが、私なんか先日中国へ行ってこういったものが非常に大事なんだと思うようになりました。前にも書いた自動改札、券売機が使えない中国人といい、基礎教育レベルが高ければ当たり前に使える技術もレベルが下がって使えないということも十分に考えられ、今後日本も本というものは勉強する人しか読まないものになってしまうかもしれません。読書離れをどう防ぐかではなく基礎教育をどうするかという点に新聞社は着目すべきというのが、今日のまとめです。

2010年11月22日月曜日

中国で転職するには

 またしばらく家を空けていたので久々の更新となってしまいました。やる気はあるからまたばりばり書くぞ。
 あと今日からカテゴリーに新たに「中国のはなし( `ハ´)」を追加しました。今日の記事といい、これから中国の事もいろいろ書くので独立したカテゴリーを設けて臨もうと思います。

 すでに過去の記事でも書いていますが、先日私は日本で勤めていた会社を辞めて中国の企業に就職しました。現在私は中国での就労ビザの発行を待っている段階ですが今後中国での転職を考える方に対してなにかしら参考になるかもしれない、もとい検索に引っかかってアクセスが増えるように、今日はどうすれば中国の企業に転職できるのか私の経験を簡単に説明しようと思います。

 海外転職というと難しいのではと構えてしまう方が多いかも知れませんが、少なくとも今現在の中国に私のように日系企業への転職であれば不況真っ只中の日本よりは転職がし易いかと思います。ほかにも方法はあるでしょうが私は今回の転職にはオーソドックスな人材会社を通して探すというやり方を行いましたが、人材会社への登録はともかく本格的に企業を捜して大体二週間で無事就職先を決めております。

 具体的な流れはというと、まずはなんといっても人材会社への登録です。人材会社はいろいろありますがそれぞれ得意とする業種や分野があり、あらかじめ自分の目的に合った人材会社を選ぶ事をお勧めします。私の場合は中国で勤務する事が最大条件だったので海外転職を専門とする「パソナグローバル」と「テンプスタッフ上海」に登録して活動を行いましたが、両社とも担当者は中国での就労経験を持つ方だったので相談を含め非常に懇切丁寧に対応してもらえました。

 人材会社に登録すると登録時に作った条件に照らして担当者の方から募集企業の紹介があり、求職者はその紹介される企業の中から面接を受けたい企業を連絡し、担当者に面接の可否を企業側に尋ねてOKが出れば面接日時を設定してもらいます。
 私の場合は中国の滞在予定を作った上で担当者に相談し、その滞在日程の中で条件に合う募集企業の面接日程を作ってもらいました。こうした海外転職(現地採用)の場合は当然ですが面接は現地で行われるため該当する国に直接足を運ぶ必要があり、私のように会社を辞めて一ヶ月くらいの滞在をしながら捜す人もいますが元の企業に止まったまま、有休などを使用して現地での面接日にだけ渡航して面接を受けるという、働きながら転職先を捜す人もいるそうです。

 そうやって中国での面接日程を決めると、後は指定された日時に会社を訪問して面接を受けるだけです。私が受けたのは主に日系企業だったので面接担当者は皆日本語が上手な人で特に中国語で志望動機などを語る必要もなく、ざっくばらんな面接で控えめに言っても楽しかったです。
 面接後は日本での転職同様に人材会社から結果を聞くのですが、この結果の連絡は日本企業と比べて中国の企業は日系でも非常に早いです。私が受けた会社はどこもその当日中、もしくは次の日にすぐ合否の連絡があり、わざわざビザまで取って一ヶ月の滞在予定を立てましたが結果から言えば訪中から一週間で就職先が決まったほどです。そういう意味では無理して会社を辞めてから捜さなくても良かったような気がします。これはこれで手続き上は楽でいいんだけど

 ではそうした就職先の捜し方は置いといて、具体的に中国で仕事を捜すには何をしておけばいいかということを私の経験から話します。
 まず必要なのは中国語の技術で、日系企業で日本人を相手にするにしても生活する場が中国なだけに中国語はできるに越した事はありません。ただ本当に日本人ネイティブであれば誰でもいいという募集企業もあるので中国語が出来なくとも捜せない事はありませんが、中国語のハンデは給料にも反映されますし、中国に語学留学するのはそれ程難しくもなくお金もかからないため、中国語ができないなら現地で学校に入って勉強しながら捜す方がいいと私は思います。

 そうした語学以外に必要となってくるのはちょこっと意外かもしれませんが大学の卒業証書、あとすでに退職しているのであれば離職票です。というのも最近の中国は職にあぶれた日本人が私以外にも結構やってきているそうで、中国当局も以前と違ってこの頃は就労ビザの発行審査が厳しくなっているようです。実際に私が人材会社から受けた説明によると、以下の様な書類や履歴の有無を確認してくるそうです。

・中国語の成績書(HSKや中国語検定の証明書、留学中の成績書など)
・四年制大学の卒業証書
・無職である事の証明書(離職票)
・日本での勤務実績(約二年以上)

 私は全く意識してなかったのですが、中国でも最近は大卒の就職事情が悪いために勤務経験のない外国人には就労ビザがなかなか下りなくなってきているそうで、私のように日本で働いた経験があるとないとで結構扱いが変わるそうです。余談ですが日本食、それも寿司職人の場合だとどこも人材が不足しているため、どの国でもほぼ無条件でビザがもらえるらしいです。
 就労ビザは現地の当局に採用する企業が必要な書類(病院での健康診断書を含む)を提出し、地方にもよりますが提出から約一ヶ月ほど登録に必要な書類が採用先に届けられ、求職者はその書類を持って日本の中国大使館、領事館へ赴き、就労ビザの発行を受けるそうです。

 オチらしいオチがありませんが、中国への転職ですと人材会社に相談すれば結構スムーズに出来るという事が私の言いたい内容です。私自身が質問に答えてもいいですが、もしなにか中国での転職で聞きたいことがあれば人材会社に聞くのが一番かと思います。
 最後に昨今の日本人の中国転職状況を人に聞いた範囲で説明すると、上海万博が終わった事で以前より男性性社員の募集が減っていて、事務などの女性社員の募集が増えているそうです。先日の尖閣諸島沖の衝突事故の影響で日系企業は中国のカントリーリスクを持つようになった、撤退が相次いでいるという報道が日本でよくなされていますが、カントリーリスクはともかく撤退はそれほど行われているようには思えません。ですが以前ほどの水準となるとやや目減りしているのは事実です。その一方で依然と工程管理や技術開発などの経験者の募集は広く行われており、理系技術者については中国語が出来なくとも高い給料の仕事は保証されているように見えます。

2010年11月18日木曜日

昨今の与党と野党について

 いろいろ用意しているネタがあるものの書き始めるとしばらくはまた連載みたいな形になるので中々書き出せず、それ以外のねたとなるとちょっと浮かばなくて最近また更新が遅れ気味です。なもんだから無理して特定の記事を書くよりも曖昧な雑感を書こうと開き直り、今日は最近の日本政治の状況について思うところがあります。

 まず与党民主党についてですが、あちこちでも取り上げられているように尖閣ビデオ流出問題を筆頭に危機管理の面でいろいろとボロを出しております。最近でも柳田法相が今時まだこういう勘違いしているのが生き残ってたんだなぁと思う失言で早晩辞職もやむをえない状況にまで追い込まれていますが、こうした危機管理について民主党は以前から問題視されていながらもとうとう克服は出来なかったのだと感じています。
 ただこうした民主党の状況からすぐにでも政権から引き摺り下ろされてまた野党に転落するだろうという意見をいくつかのブログで見ますが私の見方は少し違い、自民党も似たり寄ったりなんだからまだ民主党政権は続くと考えています。

 自民党も一から上げていっては長くなりますが、ナントカ還元水発言で物議をかもした松岡元農水相をなかなか罷免できず、外交においても福田元首相のパンダレンタル契約(私は支持するけど)中国詣でを繰り返していただけで決して上手いやり方が出来ていたとは思えません。恐らく今の政権が自民党政権だったとしても、尖閣諸島沖の漁船衝突事件では民主党同様に情けない対応になっていた気がします。
 その上で今の自民党が最も情けないのはいちいち民主党を批判する問題が蓮舫議員の国会内撮影など矮小でどうでもいいものばかりで核心を突いておらず、傍目にもミスってばかりの民主党を攻撃しきれずにいる点です。今月の文芸春秋で安藤優子氏に、「自民党の谷垣総裁は見た目からしてサラリーマンにしか見えず、とても野党の党首の風格がない」とまで言われる始末で、他の人は違うかもしれませんが今の自民党を与党にするくらいならまだ民主党政権が続いていた方が政権も変わらなくていいのではないかと私は思います。

 話が急展開しますがよく民主党政権を批判する人は数多いものの、私は結局は民主党、自民党のあまりにも情けない議員らを国会に送り込んだ有権者自身が最も反省するべきだと思います。民主党を与党にさせた以前に、対抗馬となるべき自民党議員にも一般人としてどうかと思う人が多く、そんな人を議員にしてしまったがゆえに安倍政権以降から続く政治的混乱が収まらないのではないかと考えています。まぁそれを言ったら復活当選のある比例代表制がガンになりつつあるということになるのですけど。

 この点について私と考え方が同じとは言いませんが、共感する意見として意外に人気が出てきた小泉進次郎氏の意見があります。小泉氏は先日行われた時事通信の取材に対していろいろと答えており、いくつか抜粋すると、

(民主党の支持率が下がりながらも自民党の支持率が中々上がらない事について)
「自民党は野党である今のうちに劇的に変わらなくてはいけないのにすぐに支持率が上がってしまってはこれくらいの変化でいいと勘違いしてしまう。そういう観点から僕は以前から支持率が上がらなくてよかったと言っている」

(政権奪回のタイミングは?)
「自民党が将来の日本の役に立つ提言や政策を作る事が出来れば必ずしも与党になる必要はない。自民党=与党でなくて、日本のためになるのであれば自民党は今後も野党であってもかまわないと思っている」
注:上記の小泉氏の発言はインタビュー記事を私なりに整理したものなので全文抜粋にあらず

 私が今現在で日本の政治に一番期待するのは、換骨奪胎の如く野党に転落した自民党が旧来の使えない議員を放逐した上でいい意味で変わってくれることです。そういう意味では上記の小泉氏も入りますが親の地盤を受け継いだだけで実力も何もない谷垣氏を始めとした二世議員が一番自民党にいてはならないのですが、比例制の今だとなかなかそれも期待できないかもしれません。
 与党民主党にはしばらく変化が期待できないだけに、自民党の今後の変化に私は期待を持ちます。

2010年11月16日火曜日

中国の自動改札と券売機

 今回中国に滞在していて一番面食らったというか中国らしさを感じたのは、地下鉄や列車の駅にある自動改札と自動券売機です。上海市地下鉄は結構前から自動改札と自動券売機が普及して入るのですが首都北京を含むそれ以外の都市となるとほとんどこういった機会は導入されておらず、実際に私が留学していた頃の北京は切符は窓口で手売りで、改札も買った切符を駅員がせっせせっせと一枚一枚ちぎって通る仕組みでした。

 これが都市内の地下鉄程度であればまだ笑って許せるのですが、都市と都市を結ぶ長距離列車となると如何な中国通と言えども苛立ちを押さえきれない物があります。何が辛いかというと駅の外にあるチケット売り場で買うのであればともかく駅構内のチケット売り場で買おう物ならさすがは人口大国というべきか、いつも窓口は長蛇の列が出来ていて一枚のチケットを買うのにも非常に多くの手間と時間がかかります。
 窓口では基本的に駅員がプラスチックの窓越しにわざわざマイクとイヤホンを使って客から行き先などを聞いて発券するのですが、この駅員というのも大抵女性ですが誰もが高慢な態度で、私は知りませんが旧国鉄は駅員の態度が悪かったといいますがこんな感じだったのかと思うくらいひどいです。

 そんな駅員の態度などもあってか、どうにもこうにも列はサクサクと進む事はありません。それだから以前から上海の地下鉄同様に自動券売機が都市間列車にもないものかと以前から感じていたのですが、今回上海虹橋駅という駅に行ってみたらなんとこれがありました。早速使ってみると外国人の自分でも簡単に操作が出来て窓口なら30分はかかるまい発券がわずか2分で済んでほっとしたのですが、なにやら気配を感じて後ろを振り向くと数人の中国人が私の操作をじっと眺めていました。
 見ると便利で簡単な自動券売機があるにもかかわらず他の乗客は依然として駅員のいる窓口に並んでおり、自動券売機には一応は見てみるものの手をつける人はほとんどいません。また自動券売機にも操作を教える駅員がついているのですが、空いている自動券売機があるにもかかわらずほとんどの中国人はその駅員のついている券売機に集中して操作を教えてもらっていました。

 上海の駅には前から導入されていると聞いているのであの時の中国人はきっと地方から上海に来たいわゆるお上りさんだったのだと思いますが、それにしたって大した操作でもないのにという感情を覚えずにはいませんでした。また万博中の期間ということもあって地下鉄の自動改札機においても、いまいち上手く通れないという人を数多く見ました。
 まぁ地方には全くないんだし、見慣れない代物だから戸惑うのはしょうがないと思いつつもついつい日本と比べてしまいます。日本は歴史を調べてみると1980年位には自動改札と券売機が大都市ではほぼ普及しており、漫画の「バキ」に出てくる烈海王じゃないですが、「ここ数年で中国が経済成長したのは認める。だが君らのいる場所(自動改札と券売機)は我々はすでに三十年以上前に通過しているッ!」というセリフが何故だか浮かんできました。

 結局の所、中国の最大のアキレス腱というか日本の経済成長期と違うのはここだと思います。日本はなんだかんだ言っても全国である程度情報や技術を共用し、地方民と都市民で中国ほど極端な差異がありません。また基礎教育のレベルも段違いで、こうした新奇の技術に対してもそれほどの時間を費やさずともすぐに操作に慣れて普及させる事ができます。携帯電話一つとっても、自分はほとんど使いませんがインターネットコンテンツなどを日本の高校生がすぐに使い慣れるのを見てどこが教育レベルの低下だなどと思いますし。

 中国は沿岸部ならまだしも内陸部は日本ではほとんど報道される事もなく、情報を入手するのも難しいほどです。私の上海人の友人などは露骨に地方出身者のことを「土人」と呼びますし、基礎教育レベルにおいても大きな差があります。今後この差が何かのてこに働くかも知れず、注視する必要があるでしょう。

征韓論とはなんだったのか

 帰国してからまだ歴史系の記事を一本も書いてないので、恐らく中国系記事と並ぶこのブログのメインコンテンツの歴史系記事を上げとこうと思います。

征韓論
明治六年の政変(Wikipedia)

 征韓論といえば中学校の歴史でも学ぶくらいポピュラーな日本の事件史ですがこの征韓論の中身とその後の展開については高校の日本史選択者くらいしか学ばず、またそうやって高校で学んだとしても他の事件との関連を教師から教えられなくていまいち理解せずに終わっている方も少なくないと思うので、ちょっと今日は気合を入れてこの事件の発端から帰結までを解説いたします。

 まずそもそもの「征韓論」の中身ですが、呼んで字の如く当時の朝鮮王国に対する外交をどうするかという論争でした。当時の明治政府内部は大きく二分しており、欧米を視察した岩倉市切断のメンバーとその視察中に政務を取り仕切った留守政府メンバーでこの征韓論の論争は行われました。なお、それぞれのグループにおける中心メンバーは下記の通りです。

  岩倉使節団
大久保利通、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文、黒田清隆

  留守政府
西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣、桐野利秋

 当時の明治政府は朝鮮王国に対し、かねてから開国を促していました。何故日本が朝鮮へ開国を促していたのかというとまず単純に大陸マーケットの足がかりを作るのと、朝鮮を開国して自衛力を付けさせる事で欧米のアジアからの干渉を排除するという目的があったとされています。ただ後者については私はやや疑問視している所があり、一応教科書では日本は当時の清(中国)が領土を割譲させられたように朝鮮が欧米列強の植民地となると距離的にも欧米の日本に対する干渉や危険性が高まるとして、それを未然に防ぐために日本が朝鮮を援助するという目的だったとしています。この方針が引っくり返ったのは福澤諭吉の「脱亜論」発表からと言われていますが、私としては初めから清と対抗して欧米列強の如く朝鮮を日本の支配化に入れるという目的が強かった気がします。

 話は戻って征韓論についてですが、朝鮮を開国するために留守政府は西郷隆盛を特使として派遣して改めて開国を迫り、もしこれを朝鮮が拒否しようものならそれを口実に出兵してでも開国させようというのが征韓論です。
 留守政府は明治六年(1873年)に西郷の派遣を決めたものの、もうすぐ帰ってくるという事だったので岩倉ら使節団の帰還と彼らの承認を受けてから実施しようとしたところ、使節団のメンバーらは日本はまだ内政に従事するべき時期で外征を考えるべきでないと強く反対したのです。

 これによって政府は上記の使節団メンバーと留守政府メンバーに二分されて激しく対立し、最終的には使節団メンバーが天皇を動かして西郷の派遣を取りやめさせた事で決着がつきました。ただこの裁可に不満を覚えた上に記した留守政府メンバーは皆下野し、事実上その後の政府は使節団のメンバーが中心となっていきます。

 この辺までが学校でも習う征韓論のお話なのですが、実はこの後切って離してはならない事件が続々と起こります。その第一発目に当たるのがこの翌年に起きた台湾出兵です。
 この事件は1871年に数十名の沖縄の漁師が台湾に漂流した際に現地住民に殺害されたことに対して清政府に賠償を求めた所対応がなく(管轄外として拒否)、1874年に日本が兵士を台湾へ派遣した事件です。この事件を経て清側から撤兵の為の賠償金支払いがあり日本の沖縄の領有権を確定したのですが、内政を優先すると言いながら露骨な外征を真っ先に政府が行ったことに木戸は筋が通らぬと政府を下野しています。

 木戸が下野した後の明治政府は同じ使節団メンバーの大久保利通が取り仕切っていたのですが士族らによる政府への反乱が続々と起きるなど政情は不安定化さ増したことで、伊藤博文や井上馨らの仲介で行われたのが翌年(1875年)の大坂会議です。この大坂会議ではその後の政治体制をどのようにするかについて大久保、木戸、板垣の三者で話し合われ、下野した木戸と板垣はこの会議を経て政府に復帰する事となりました。

 ところがその同じ年(1875年)に日本政府はまたも、今度は朝鮮に対して江華島事件というまさに征韓論をそのまま実行したかのような外征を実行しました。まだ事件の詳細については議論がされていますが、現在伝えられている内容では日本側が朝鮮王国の砲台付近で測量をするなど挑発的行為を行い、それに朝鮮側が乗って砲撃するやあっという間に日本軍は砲台を占領したそうです。この事件の後に日本は朝鮮に賠償として日朝修好条規という、かつて日本が江戸時代に欧米と結ばされた不平等条約を結ばせます。

 この江華島事件を受けて復帰したばかりの板垣は、それ以前からも自由民権運動をしながらすぐに政府に寝返ったという批判を受けていたのもあってまたまた下野してます。また木戸もこの頃から体調を悪くして主だった政治行動を取らなくなり、大坂会議体制は早くも滅んで再び大久保独裁体制というような時代に舞い戻ります。

 このように征韓論こと明治六年の政変後の歴史を見ると、征韓論に反対した大久保や伊藤といった使節団メンバーに主導される形で日本は外征を行っていた事がよくわかり、あの論争は一体なんだったのかと言いたくなるような結果です。西郷らが征韓論を強く主張していたのは出兵する事で秩禄処分によって生活が困窮していた士族らを救う、もとい始末する目的があったためだとされますが、台湾出兵時の目的もやはり士族への対応が大きかったそうなので使節団メンバーは留守政府メンバーと価値観を共有していたように思えます。

 となると征韓論は何故あれほどの論争になったのか。
 結論を述べると私は征韓論論争とは、使節団メンバーと留守政府メンバーの単純な派閥抗争、主導権争いだったというのが実情だったように思えます。それだけに各派閥の頭領こと大久保利通と西郷隆盛の対立には運命に皮肉を感じざるを得ません。
 その後の西郷は西南戦争にて政府が処理にあぐねていた多くの士族らとともに戦死し、大久保はその施政に不満を持った石川県士族によって暗殺されます。

2010年11月14日日曜日

社会人という言葉に思うこと

 いきなり結論ですが、私は「社会人」という言葉をあまり好んではいません。理由は単純で一般的に社会人と呼ばれるカテゴリーの人間らがその社会人という言葉が意図する内容から程遠い人間が多く、人を貶めるために使われている事が多いように感じるからです。

 一般的な社会人という言葉の定義を簡単にまとめると、まず誰かの保護を受けずに自らの給料でもって独立して生活しながら一般社会で勤労する人間というのが無難かと思います。そのため日本で一番適用されるカテゴリーとしてはサラリーマンで、「社会人とはかくあるべし」としてサラリーマンとして心得なり訓示なりでよく使われています。
 ただこうした一方で、「社会人なんだから」などや「学生じゃないんだから」などと、よく上司が若手社員を叱る際によく聞こえ、聞いててよく「社会人って随分万能人間なんだな」と皮肉っぽく感じてました。

 恐らく叱る側の意図としては「もっと責任感を持て」という具合で叱っているんでしょうが、私は聞いててつくづく、そもそも日本のサラリーマンは皆が皆で責任から忌避していて如何にも「後は俺が責任を取る」っていう人が全くいないのに誰の事を指してんだ、って思ってました。また責任以外の面でも社会人以前に人間としてどうかと思う行動や発言をする人もサラリーマンには多く(そういうのに限って社会人という言葉を使って人をよく批判する)、なんとなくこの言葉に空々しさを感じます。
 さらにはこの「社会人」と言う言葉と対比して使われる「学生」と言う言葉についても、昔はどうだか知りませんが少なくとも私の周りではサラリーマン以上に責任感というか人間的にもしっかりした人間が多く、如何にもサラリーマンこと社会人に劣るような使われ方をするというのはどんなものかと思います。

 繰り返し結論を述べると、社会人であろうと学生であろうと、無責任な奴は無責任だし立派な奴は立派だと思うので、何も働いているからって何でもかんでも偉そうにするなとこの社会人という言葉を多用する人間には言いたいです。私はサラリーマン以上に無責任で卑屈な人間が多い集団は知らず(主婦の方がしっかりしてると思う)、むしろこれからは「社会人風情が」、「社会人の分際で」などと、下に見る言葉として使う方が適切なんじゃないかな。

  おまけ
 何でも先週、ロンドンにおいて学費値上げに反対する学生が与党本部にデモで押しかけたというニュースがありました。日本もこの数十年はスライド式に学費が値上げされてて私立大だと1990年時の平均が611,500円に対し、2009年時の平均は848,200円(「旺文社 教育情報センター)より:http://passnavi.evidus.com/teachers/viewpoint/pdf/20100303.pdf)と、約1.4倍にまで跳ね上がってます。暴動を起こせとまでは言いませんが、私大の経営が苦しいのは知っていますし、日本は先進国中でも国の教育予算が少ないことで有名ですからもう少し行動を起こしてもいいかとおもいます。

  おまけ2
 東京の大学で金持学生の学校とくれば慶応、貧乏学生の学校と来れば早稲田。これが京都だと同志社と立命館だと言われてましたが、最近は必ずしもそうではないと言うのでちょこっと学費を調べてみました。その結果は以下の通りです。

  各大学学費(初年度納入金から入学金のみを差し引いた金額)
慶応 :1,049,350円(経済学部)、1,513,350円(理工学部)
早稲田:1,054,500円(政経学部)、1,496,000円(基幹理工学部)

同志社:838,500円(経済学部)、1,301,000円(理工学部)
立命館:904,000円(経済学部)、1,358,000円(理工学部)

 ちょっと関西は安くしすぎじゃないか? でも関西の学生の方が学費に関する文句が多いような……。
 結果は慶応と早稲田はほとんど差がなく学部によって上だったり下だったり、同志社と立命館について言えばもう同志社の方が安かったりします。未だに昔の価値観で大学を見る人がいますが、もっと現実を見たほうがいいでしょう。実際金持ちの学生は同志社にも立命館にも多いんだし。

 あと入学金について言えば慶応と早稲田はどちらも200,000円で、同志社は280,000円に対して立命館は300,000円でした。私が受験生だった頃はどこも一律300,000円だったと思うのですが、最近はそれぞれでちょっと色をつけてるようです。

2010年11月12日金曜日

前原誠二への中国の関心

 昨日の晩に友人からリクエストというか質問を受けたので、自分としても書く気満々の内容であったので早速記事にしようと思います。
 確か先々週辺りだったと思いますが、日本のネットニュースにて中国の環球時報という新聞が一面を使って日本の前原誠二外相を激しく批判する内容を載せたという情報が載っていました。昨晩の友人の質問はこれが本当だったのかという質問だったのですが実はたまたま私もこのネットニュースを見ていたこともあり、当時直接環球時報のサイトへ行って確認をしていました。

 結果から言うと、この情報は本当でした。環球時報時報の社説欄にて前原氏一人を取り上げて、私の見た印象だと日本のネットニュースの表現(外交ではタカ派で要注意人物と書かれていた)以上に強い調子で以って、批判を通り越して非難を行っていたように思えます。覚えている内容を抜粋すると、

「(前原外相は)尖閣諸島問題について日本に領土問題はないと否定した」
「かねてから中国の軍事拡大を批判している」
「彼一人の行動と発言によって日中は会談や関係発展が阻害されている」

 といった所でした。個人的には三番目の点についてこの前の東アジアサミットの日中首脳会談を中国がドタキャンした際に、「日本側が雰囲気を壊した」などと、夢見る女子高生みたいな理由を話したのはどっちだよとちょっと思いましたが。

 ただこの環球時報に限らず、中国の政府側が前原外相に対して良くも悪くも注目しているのは確かなようです。実は中国滞在中のある日の朝、たまたまテレビをつけていたら世界事情を取り上げるニュース番組にて前原外相を単独で取り上げる特集が組まれていました。内容は前原氏のこれまでの経歴から外交姿勢までを解説したのですが見ていて驚いたのは実に細かい情報まで逐一取り上げている事で、特に経歴については京都大学卒で松下政経塾を出ており、さらには鉄道オタクであることまで鉄道博物館訪問時の映像つきで紹介していました。その上で一時は民主党の代表を務めるなど要職を歴任し、これまでに何度も中国脅威論を唱えてきた人物であるといった具合でまとめられていました。

 ここから私の情報ですが前原外相は確かにかなり昔から中国脅威論を唱えており、今の日本の政治家の中でも中国に対して厳しい発言をする第一人者であることは間違いありません。特に軍事費の拡大については度々言及しており、中国を牽制する上でも自衛隊の拡充や運用について法整備すべしと主張するなど、外相としては中国にとって最も厄介な人物であるのは間違いありません。
 ただ個人的に一つ気になる発言として、小泉時代に前原氏が民主党の代表をしていた際に代表者質問でこんな発言がありました。

「米側に日中の接近を妨害するような、わざと関係を悪化させるような動きがあるのでは」

 さすがに外相となった今にこんな発言をしたらとんでもないでしょうが、なかなかに太平洋地域外交を考える上で重要な発言なので五年も前の発言ですがここで書いとこうと思います。
 米国側からしたら確かに日中が仲良くなるのは思わしくなく、露骨な事はしてませんが日中関係が悪化して欲しいと内心では願っていると私も思います。だからといって日本は中国と組んだ方がいいかとなるとそれも難しく、現時点では私はやはり日本は米国と共同して生きてくべきだとは思いますが、日中関係を考える際に米国を抜くことはありえないという意味ではこの前原氏の発言は含蓄深いものがあります。

 とにもかくにもこんな感じで中国は前原氏に良くも悪くもかなり注目しています。私としては外交というものは無関心であるよりは憎み合っている方がまだ関心が持てていいのではないかと思っており、小泉時代も散々日中で言い合いをしましたがあの過程を経てお互いの勘なりツボなりをそれなりに知り合えたのではないかと考えてるため、かえって前原氏が外相でいる方がこうして互いに特集組めるので日中関係的にはいいんじゃないかと思います。

 ただ前原氏は中国脅威論の第一人者であるものの、感情的な批判をしないからまだ安心して見てられます(その分脇が甘いけど)。中国が嫌いな日本人を挙げると石原慎太郎都知事などがいますが、この人なんか理屈とかそういうの抜きで感情的な発言を全然関係ないところで突然ぶちかますから、もう影響力なんて全然ないけど出来ればこのまま表舞台から去ってもらいたいのが私の本音です。逆に非常に理論立って批判するけどその批判振りが激しいのになると櫻井よしこ氏がいますが、中国は櫻井氏の特集は組まないのかな。

2010年11月11日木曜日

続、尖閣ビデオ流出事件について

 昨日就労ビザを取るために日本に一時帰国しました。日本は上海とかと違って空にもやがなく、視界が広いのが何故だか新鮮。

 昨日は前にも取り上げた尖閣諸島沖漁船衝突事故のビデオをYoutubeに流出させた海保職員が名乗り出たニュース一色でしたが、放りっぱなしもあれなので続きを書こうかと思います。

 まずそもそもの今回流出した映像について前の記事で書きそびれたことを書くと、そもそもこの映像を非公開にする必要があったのかどうかということに疑問を感じます。流出した映像はすべてではなく数分間に編集されているとはいえ、少なくとも映っている内容を見る限りでは漁船側から故意に衝突を行ってきたことを明確に映しており、船長を逮捕する根拠を示す上では日本が川からするとなんら恥ずかしい映像ではありません。民主党は中国側への配慮から映像をこれまで公開しなかったと行っていますが、今回の問題がなんでここまでこじれたのかというと、衝突が海保側からか漁船側からかどっちに責任があるのかはっきりせず、また日本政府が衝突時の映像を出し渋ったことでなおさら中国側に、「やっぱり日本は自分に非があるのを隠そうとしている」として付け入る隙を与えたことに尽きます。それであれば、事件発覚後に今回の編集された状態でもいいから衝突時の映像を日本、中国それぞれにはっきりと公開するべきだったでしょう。

 それで今回映像を流出させた海保職員の件ですが、他の評論家らも述べていますがこの職員一人を罰するというのは確かにお門違いもいいところでしょう。高級幹部が流出させたならいざ知らず、一職員が秘匿すべきとしていた映像を入手できたというこの事実一つとっても危機管理、情報管理の不徹底ぶりが窺え、幸いというか今回流出した映像は秘密兵器の隠し場所を書いてるような超重要な代物ではありませんでしたけど、今回のような情報管理の不徹底ぶりを考えるならば責任持つべき役職の人間が相応の責任を取るべきでしょう。

 また流出した映像の中身についても、先にも書きましたが非公開にする理由があるとは私にはとても思いません。むしろこの問題を日中ではっきり白黒つける意味では公開するべき映像で、先年に公開された米軍の核兵器持込みを容認する密約ならばいざ知らずいくら政府が公開するべきでない機密だと言っても私自身は納得できません。私は民主主義国だからと行って何でもかんでも情報公開するべきとまでは言うつもりはありませんが、言ってはなんですがこんな機密レベルが低いと思える情報まで非公開にしようとする現政府の意向は如何なものかと思います。中国じゃないんだから。

 日本に戻ってきてまだ本調子じゃなくやや凝り固まった文章になりましたが、私はそもそも今回公開された映像を非公開に扱う理由が見当たらず、今回流出させた海保職員の処分は形式程度に止めるべきでそれよりは情報の管理がなっていなかった責任をしっかりと問うべきだというのが私の意見です。
 あとあまりニュースとか見ていないですが、かつての西山事件と比較する人とかいるのかが少し気になります。西山事件も今回の事件も政府が隠したがっていた情報を公開したことで公開者が政府にプレッシャーをかけられることになった点では一致していますが、前者は国民がその密約の事実を全く知らなかった、後者はある程度と言うか伝聞で内容は知っていたという点ではっきり違います。これは逆に言えば、この程度でなに大騒ぎしてんだってことにもつながるんですが。

ブログ更新の停止について

 毎度、陽月秘話をご贔屓していただきありがとうございます。

 前回の記事でアクセスが出来ないと書きましたが、これは「陽月秘話 出張所」の方では書きましたが当時私が中国に滞在していたため、中国国内ではこのBroggerへのアクセスでが禁止されているが故でした。また今度私は中国に長期で滞在する予定となってこちらのBroggerの更新は難しく、私自身が残念に思いながらも今後の更新は「陽月秘話 出張所」(http://yougetuhiwa.blog39.fc2.com/)に移行する予定です。

 誠にお手数ですが、ブックマーク、RSS登録をされている方は上記の出張所のアドレスへの以降をお願いします。なおこのサイト自体はバックアップ、または今後の活用の可能性を考えて残していこうと考えています。
 今後とも、陽月秘話をよろしくお願いします。

2010年11月9日火曜日

北方領土問題に対する中国の反応

 留学中もそうでしたが中国の街中を歩いてて何が一番気になるこというと、やけに中国人が自分に道を聞いてくることです。周りにも人はたくさんいるにもかかわらず何故か外国人の自分に道を聞いてきて、「あの、中国人じゃないんで……」といつも断っていますが、友人いわく顔が中国人そっくりでやさしそうに見えるからみんな声かけてくるんだそうです。

 話は本題に移りますが、先週の金曜日に私が中国に滞在中住む予定の部屋にインターネットを引きました。それほどヘビーユーザーというわけじゃないですが一応高速回線に越したことはないのでADSLを引きましたが、中国のADSLは日本のADSLと比べて回線速度はちょっと低いのが難点ですが工事も無事終わり、これでブログも安心してかけるぞとほっとしていたらこんな会話がありました。

「最近、日本はロシアと揉めてるよね」

 工事に来た中国電信の作業員の方が、不意に中国語でこんな風に話しかけてきました。
 恐らく先のメドベーチェフロシア大統領が北方領土に足を下ろしたことに日本側が抗議した事件についてですが、尖閣諸島の問題ならいざ知らず、いきなり北方領土について話しかけたことにやや驚きを感じました。
 しかもその次の日にテレビでニュースを見ているとまさにこの問題について特集が組まれており、日本側、ロシア側のそれぞれの対応を逐一報道していました。

 今回のこの北方領土問題に対する中国の反応ですが、私の感想は驚き半分納得半分、あとおまけが安心ちょっとといったところでした。
 驚き半分は先に書いた通りに思ってた以上に中国側が関心を寄せていたという事実ですが、納得半分というのは中国側が関心を寄せるのも決して土台違いな話じゃないと判断したからです。その理由はいくつかありまず一つ目は先の尖閣諸島沖での漁船衝突事故から起きた日中の領土問題で、日本の他の領土問題についてもこの事件の影響から気になるようになったという理由です。ただこれは自分で書いておきながら無理やりにでっち上げたもので、中国側がなんでこの問題に関心を寄せたかという本命の理由は相手がロシアだったからだと私は睨んでいます。

 ちょっとこの辺を説明するに当たって、中国とロシアの関係史を軽く紐解く必要があります。中国は蒋介石率いる国民党を台湾に追い出した後、同じ共産主義国の旧ソ連とは深い親交で結ばれてしばらくは蜜月関係が続きました。何気に私が留学のため初めて北京で住んだ学生寮はこの旧ソ連との蜜月時代にソ連の設計士や技術者が作った建物でしたが、この蜜月時代はそれほど長くなく、スターリンの死とともに終わりを迎えます。

 スターリンの死後のソ連はフルシチョフが書記長となっていわゆる雪解けことデタントが始まり、アメリカとの冷戦も一時和らぎます。ただこれに反発したというかフルシチョフの路線に反を唱えたのは何を隠そう毛沢東で、共産主義の路線対立から中国とソ連の外交関係は一気に冷えました。
 その後ソ連が共産圏から離脱しようとする東欧諸国に対してプラハの春など武力を以ってしてでも強行に従わせようとする行動を見て、中国こと毛沢東は非常に焦りを感じるようになります。というのも当時の中国の人民解放軍はお粗末なくらいに弱く、ソ連軍が攻めてこようものならあっという間に制圧される可能性が強かったからです。

 そのために毛沢東が取った選択はというと、「敵の敵は味方」ことソ連と対抗するアメリカと手を結ぶことでした。俗に言うパンダ外交を展開して日本とも田中角栄政権時に国交を開くなど世界外交に劇的な変化が起こったわけですが、この外交転換のそもそもの原因は中国が抱いたソ連への脅威においてほかなりません。こうして形だけでも米国と手を結んだ中国ですがその後もソ連への恐怖は拭えず、国境も直に接していることもあって事実上2000年に入るまでは最大の仮想敵国はソ連ことロシアであったでしょう。これに限るわけじゃないですが、行くところまで行った同属嫌悪というのは始末が悪いです。
 ちなみに大友克弘氏の「気分はもう戦争」という漫画は、ソ連がアメリカの許諾を得て中国(ウイグル自治区のあたりへ)に侵攻するという仮想のお話です。

 中国は日本に限らず韓国、ベトナム、インドネシアなどたくさんの国々と国境問題を抱えていますが、その中でもこれまで一番中国が深刻視してきたのはロシアとの国境問題でした。ただこれは種明かしをするとすでに解決済みの問題で、確か去年か一昨年くらいに中国とロシアはきちんと国境線を定めてようやくこの領土問題はケリがつきました。私はこの中露の領土問題が終わったと報道された際に内心、中国とロシアがお互いの問題が片付いたのを機に揃って日本へ尖閣諸島、北方領土の問題で圧力をかけてくるのではないかと懸念してまずいことになったと思ったのですが、幸いというか今の今までそんなことは起こりませんでした。

 今回、九月に尖閣諸島の問題であれだけ揺れたのに続いて今度はまたロシアが突然北方領土に対して強気の姿勢を見せてきました。尖閣諸島の問題についてはまだともかくとして今回のメドベーチェフ大統領の北方領土訪問は、確実とは言い切れませんが尖閣諸島の日本側の対応が影響してとの可能性も考えられます。それだけに漁船衝突事故の政府の対応がやや悔やまれるのですが、幸いというか私の見立てだとこのロシアの行動に対して中国側は関心を持ったものの、ロシアの行動をあまり支持していないのではないかと思います。

 元々中国はソ連と対立していたという歴史上、これまでの世界地図でも北方領土については「日本領(ロシア占領中)」と書くなど、うれしいことしてくれるじゃないのと言いたくなるような態度を取っていました。現時点でもそれは変わらず、私が見たテレビ番組中でも同じような説明で、まだ両者の立場を説明するような中立的な報道でしたが端々に日本、ロシアそれぞれへの警戒感を感じる内容でした。

 中国としても大連港を始めとする東北地域はロシアの国境とも近く、軍事的な観点から言えば北方領土までロシアが出張って来るのはあまりうれしくはないでしょう。ただそれは日本にとって都合のいい考え方で、状況が変われば先ほど私が言ったようにそれぞれの抱える日本との領土問題に対して中露が共同歩調を取ってくる可能性もまだあります。そういう意味ではこれらの領土問題を相手を一国と考えず、別の相手も意識しつつ毅然とした態度を取ることが今後必要となってくるかもしれません。

2010年11月8日月曜日

尖閣ビデオ流出事件について

 多分期待されている方も多いでしょうから、ちょっと日は経ってしまっていますが一応触れとくことにします。

 九月に発生して日中関係を冷めるところまで冷めさせた尖閣諸島沖中国漁船衝突事故について、つい先日にその少し前に国会の委員会にて公開された衝突時の映像がインターネット上のYoutubeにアップされました。この映像の公開者は未だにわかってはいませんが与党民主党としてはこれまで野党に何度も催促されてきたにもかかわらず公開を拒んでいたこともあって今回の流出は痛手となり、早くも流出者に対しては国家公務員法に照らして厳しく対処すると息巻いております。

 実はこの流出したとされる映像についてですが、中国ではYoutubeにアクセスできないために(前は出来たのに……)私はまだ視聴しておりません。ただネット上で視聴した方の意見や友人から話を聞く限りだと、

・中国漁船の方から明らかにぶつかってきた
・実際に公開されている海保の船の傷と衝突箇所が一致する
・衝突時の船の揺れなども確認できる

 といった風に私は伺っています。
 個人的に気になっていたのは、「乗り込んできた海保職員を中国漁船船員が銛で突いてきた」とされる噂なのですが、少なくとも今回流出した映像にはそれは入っていないようです。今回流出したのは国会議員に公開された、民主党の編集を受けての映像で全体からするとごく一部だそうですが、私個人としてはさすがに銛で突いてきたというのはネット上で過熱して出てきた噂に過ぎないんじゃないかと現時点では考えております。

 それで今回の流出について私の感想を述べると、一番気になるというかなんでと思う点は、民主党はどうしてこれまでこの映像を国民に公開しなかったということです。
 少なくとも今回流出した映像で海保の船と漁船が衝突した、それも漁船側からの故意の衝突が伺えるはっきりとした映像で、漁船船員や船長の逮捕の根拠をはっきりと示すものです。私個人としては不当逮捕だと主張していた中国、ならびに日本が正しいのだと思っていた日本の国民に対して公開して然るべき映像だったと思うのですが、民主党はこれまで公開要求を頑なに拒否し続けてきました。

 恐らくこの民主党の姿勢は中国側を刺激しないようにとの配慮からの態度だったと思いますが、今回の流出で後味の悪い結果(民主党にとって)になってしまったのは非常に皮肉です。私は自他共に認める親中派ですが、真に信頼の置ける関係を築くためには譲るところは譲り、譲れないところはたとえ衝突することとなってでも強く主張をすることが一番大事だと考えております。特に中国については、市井においても自分の都合のいいように勝手に話を進める中国人が多いだけに、拒否するところははっきりと強い態度で拒否する必要があります。

 今回の衝突事件についても、船長を起訴せず帰して、ビデオも非公開にしていたにもかかわらず中国は一切日本に対して追撃の手を緩めることはありませんでした。基本的に中国という国は「一歩引けば相手も一歩引いてくれる」という価値観は通用せず、相手に一歩引いてもらいたい時は敢えてこちらが無理やりにでも一歩進もうという素振りを見せるなど牽制で以ってしか引くことはありません。
 そのため今回流出した映像については私は事件が起きた直後にでもすぐに、「こういう理由で日本は船長を逮捕をしたのだ」とはっきり公開するべきだったと考えます。恐らく公開したところで中国の態度は軟化することはなかったでしょうが、極端に硬化することもなかったのではないかと思います。どっちにしろ中国はレアアースの輸出阻止や逆人質など露骨な手段は取ったのだし。

 ただ事件直後に公開していたことで明らかに今の情勢とは変わったこととして、国民の政府への信頼感があります。今回政府は中国側に配慮し、国民の要望を遮ってでも映像の公開を拒否してきました。機微な外交を取り扱う上でこのような態度を起きには取らざるを得ないというのは理解できないでもありませんが、伝え聞く映像の内容を考えるとそこまでして秘匿するほどの映像なのかという気がしてなりません。それであれば船長を帰すやまた謝罪と賠償を中国が請求したすぐ後にでも情報公開の原則に照らして公開しておけば、まだ国民は納得したんじゃないかなぁと思います。今に始まったわけじゃありませんが、一体民主党はどっち向いて政治しているんだと今回の件では強く言いたいです。

 最後にこの映像について中国現地はというと、ちょっとごたごたしていた時期であるので生憎ニュースとか見ていないのであまりわかりません。ただ今日新聞買ってきて読んだ限りだとこの件についての記事は何もないので、恐らく政府側が何らかの規制をかけているんだと思います。

 これから俺、毎日中国のニュース番組とか新聞見ることになるんだろうな……。

2010年11月7日日曜日

私が中国に来た理由

 また大分日が空いてしまいましたが、前回の記事にてこのところブログの更新が休みがちなのは所用で中国に来ているためと書きましたが今日はその理由をちょこっと書きます。実は先々月九月いっぱいでそれまで勤めていた日本の会社を退社し、先月十月から転職活動のために中国に来ておりました。結果はというと訪中するや案外あっさりと日系企業に内定をもらえて、先週は勤務先となる場所に赴いて就労ビザの発行手続きやら借りるアパートの部屋探しなどをやってたためにブログの更新を行うことが出来ませんでした。
 それにしてもこんなに早く決まるのであれば、なにも一ヶ月も滞在日程を作る必要はなかったな。

 話は戻り、そもそもなんで私が今回中国へ転職しようと思ったかについて簡単に話します。プロフィールやらにも書いてある通りに私はかつて北京に一年間語学留学をした経験がありますが、中国語というのは入りづらく極めづらい言語で、一年いたからといって何でもかんでもぺらぺらしゃべれるほどのレベルには到底至れませんでした。日常会話であれば何とかなるものの、今後中国語を武器に生きていくのであれば中国現地にて実際に働くよりほかがないだろうとかねてから考えていました。
 そのため在学中の就職活動も中国に駐在する可能性の高いメーカーなどを受けてはいましたが結果はどれも惨敗で(景気よかったころなのに100社以上落ちた)、なんとか以前勤めていた会社に拾ってもらったものの機会があれば中国に行きたいという考えはずっと持っていました。

 別段、前の会社に特別不満などを持っていたわけでもないですが、日本の企業である以上は明らかにこちらに理があるとしても立場によっては頭を下げざるを得ません。全く我慢が出来ないというわけじゃありませんでしたが、一回本当にしょうもないことで周りから自分に頭を下げてくれと言われて下げた際に、こんなしょうもないことでいちいち頭下げてたら今後もずっと卑屈に生きてかないといけないんじゃないのかとふと感じ、それであればもっと卑屈にならざるを得ないかもしれないけど自分が納得するような場所、将来の自分に可能性を残せるところに行ったほうがいいと考え、割とすぐに転職を決意しました。

 また海外に転職するに当たって、今回強く意識したのは自分の年齢です。現在自分はまだ二十代ですが、これが三十代だと多少中国語が使えるからといって恐らく雇ってくれる企業はずっと狭くなるように思え、また体力的にも持つかどうか怪しく、行くんだったら若い時分に越したことはないと判断しました。

 ひとまず今週中に就労ビザの手続きなどをするために一旦日本に帰りますが、今後自分がずっと中国で働くのか、またいつか日本に帰ってくるつもりなのかは現時点では全く予想がつきません。少し前の記事で近年はあまりにも社会変化が激しすぎるために十年先、五年先は全く読めず、下手に先を読もうとするとドツボにはまるのではという記事を書きましたが今の自分がまさにそうです。現在自分は一年先までしか見ておらず、一年後にどれだけ自分を鍛えるかという視点で以って今回の中国への転職を決意しました。

 そういうわけで今後はより中国関係の記事が多くなるでしょうが、今後ともご贔屓の程よろしくお願いします。

  おまけ
 ちなみに、転職に当たって最後の一押しというかとどめの一言をくれたのはリンクを結んでいる「フランスの日々」のSophieさんの、「行くんだったら若い方がいいよね」の一言でした。中国だとBroggerとTwitterがアクセス禁止を食らって開けないので最新記事は読めてませんが、いろいろお世話になりました。

2010年10月27日水曜日

今後の上海の予想

 このところブログの更新を休むことが多いですが、実はちょっと前から所用で中国の上海に来ております。あちこち出かけたりするもんだから暇な時もあれば全くブログが書けない日もありですが、今回何が一番辛かったというと日本のプロ野球クライマックスシリーズを全く見ることができなかったことです。

 そうしたことはさておいて久々にやれる現地からの生の中国レポートですが、すでに今年の二月に上海には旅行に来ているものの、今回改めて上海にしばらく滞在していろいろとこの街の行く末について思うところがありました。結論から申せば上海は数年のスパンで言うと今くらいがピークで、あるところまで発展したらちょうど天井に頭をぶつける感じで途端に経済成長が止まるのではないかと感じました。

 一体何故こんな風に思ったのかというと、ふと上海には何があるのかと考えたことがきっかけでした。恐らく大半の日本人の方は中国は首都は北京、経済は上海というように考えるかと思いますがそれに間違いはなく、今現在でも上海は中国で一番の経済都市で多くのオフィスがここに集まっております。
 しかしそれ以外には何があるのかと考えてみると、強いてあげるとしたら中国の都市としては進んだインフラくらいしかないのが現状です。現在の中国は世界の工場といわれるほどに工場での大量生産によって景気を支えていますが、それらの工場は全くないわけじゃないですが上海にはなくむしろ江南の浙江省や北方の河北省の方に集中しているのが現状で、今後も上海郊外にいわゆるものづくりの現場が増えていくとは私はあまり思えません。

 北京は首都であるために今後も国が保護する形で発展を続けていくでしょうが、それに比すると万博が終わった後の上海はどうなるのかというと少し心もとないところがあります。では上海が発展し続けていくためには何が必要なのかというと、私が思うに金融が必要不可欠になってくる気がします。
 現在でこそ上海には上海証券取引所があってここは東証にも劣らない取引量ではありますが、それは経済成長が著しい今だからであって今後もずっと続いていくとは思えません。まして中国国内だけの金融を回すのならともかく、かつてアジアの金融を束ねていた英国領時代の香港のようになるには人民元が国際通貨にならなければなりません。

 ここが今回の話のネックですが、要は人民元が国際的に信用される通貨となれるか否かが今後の上海、ひいては中国全土の発展を大きく占うのではないかというのが私の考えです。かつて日本はプラザ合意でアメリカに無理やり円の自由相場制に移行されたとなっておりますが、確かに当時の日本にとってはダメージではあったかもしれませんがその後なんだかんだ言ってドルとポンド、ユーロと伍すだけの国際通貨となったのも事実です。まぁそのせいで今の円高を引き寄せてんだけど。

 中国政府は今もなおアメリカの嫌がらせに近い人民元の切り上げを突っぱね続けて自由相場制など夢のまた夢のような状況ですが、為替以外にも株式市場に中国は露骨に政府介入することもあり、長期スパンで考えるなら市場に国際的な信用を得るにはまだまだ時間がかかりそうです。そういう目で見たら、皮肉かもしれませんが日銀が為替介入してもどってこともなかった日本の取引市場は胸を張っていいくらいの透明度と言えるかもしれません。

 現在、外国企業の中国現地法人は大体北京か上海にあり、それらのオフィスから中国全土へ営業社員が直接出張に行って商談を行うのが常です。日本みたいに全国各地に営業所がこれから出来るということはインフラの関係上ほぼないとは思いますが、そのうち上海には無理にいなくとも、製造現場に近い浙江省とか河北省に徐々にオフィスが移行していくのではないかというのが私の考えです。
 今回私がこういう風に考えたのは、恐らく日本の大阪を見ているからだと思います。別に大阪を悪く言うつもりはありませんが、経済の中心地というのはオフィスの中心地だけでなくなにか別の裏打ちする要素が必要だと感じているせいかもしれません。

  おまけ
 今回中国に来て困ったのは、恐らくGoogleとの衝突問題のせいでしょうかYoutubeとBroggerが開けないことです。Broggerでやってる本店なんてそのせいで更新できないし。たださすがにこれを切ったらまずいと中国政府も思ったか、同じGoogleでもGmailは今のところ問題なく使えています。

  おまけ2
 上海万博にも行って来ましたが人が多くて並ぶのが嫌ですぐ帰りました。日本館なんて月の石なんか置いてないのに午前中から5時間待ちでしたが、北朝鮮館はガラガラだったので入ってすぐ出て行きました。例の朝鮮労働党のバッジとか売ってて、「Paradise of people」とでっかく壁に書いてましたが、「Hell of people」の間違いじゃないかなと思いながらデジカメで一応写真撮りました。ちなみに別の展示館とかで「撮影禁止」って書いてるのに、中国の人たちは気にせずあちこちでバシバシ撮ってました。

 明日からまたしばらく出かけるので、更新をまた一時休みます。11月の前半には復帰する予定です

2010年10月24日日曜日

文物の暴力描写について

 こういうのもなんですが、暴力描写の多い漫画やゲーム、小説が私は大好きです。最近だと「ブラックラグーン」という漫画を読み始めましたがこれも久々に暴力を前面に出している漫画なので一気にはまり、現在単行本を徐々に買い集めていますが内容といい絵柄といい、これほどの漫画家がどうしてそれまで売れなかったのだろうかなどと思うくらい評価しております。
 暴力描写の多いゲームの場合ですと以前は「バイオハザード」が代表的でしたが最近では箱庭世界の中で何でも出来る「グランドセフトオート」が一番槍玉に挙がってくるでしょう。最後に小説だと、今はすっかり読まなくなりましたが以前はよく菊池秀行氏の小説を読んでました。どうでもいいですが菊池秀行氏原作の漫画、「退魔針」という漫画も連載当時に買って読んでましたが、最近になって絵を描いていた斉藤岬氏の別の漫画をよく買い集めています。斉藤岬氏の漫画とも、ずいぶん長い付き合いになる。

 そんな私の趣味の話はまたぞろ置いといて、今に限らず昔からこういった文物における暴力描写について批判する声は後を立ちません。やれ子供に悪影響が出るとか真似する人が出るとか、それに対して近年は主にインターネット上を中心に逆批判もあり、そんなの根拠のない話だとか都合よく規制をしようとしているなどという声を見ることが出来ます。

 今日ここで私が何を言いたいのかというと、そろそろこういう暴力描写の影響について中身のない議論はやめてお互いにきちんとデータを取ってみたらどうかと思っています。データを取るというのは簡単なことで、暴力描写の影響によって起こるとされる犯罪を実際に犯した人間から聞き取り調査を行い、具体的にそれまでに関わった漫画やゲームを挙げてもらい、そうやって挙げられた対象の文物に何かしら規則性があるのかどうかを調べるだけです。
 恐らくそうやってデータを取れば先ほど挙げた猟奇的といわれる文物を携わった人間の一人や二人は出てくるでしょうが、それがなんらかの規則性があると判別できるには最低でも母数比率からして10%以上、よくて30%以上が必要です。まぁやろうと思えばこういったデータはいくらでも都合よく操作することは可能で、たとえば視聴率の高い「サザエさん」を見たことがあるかといえば九割がたの犯罪者は見たことがあると答えるでしょうし。

 ただ私としては厳密にデータを分析することで何かしらの犯罪の傾向を読むことは出来るように思われ、実際にアメリカではさまざまなデータを比較分析することによって精度の高い報告をしていたりします。特に私がなるほどと思わせられたのは動物虐待を行う人間は後に猟奇事件を行う可能性が高いという報告で、この報告を元に向こうでは動物虐待に対して刑罰をかけるようになり、日本も同じように刑法を作るようになりました。
 この動物の虐待と猟奇事件については私もきちんとデータを見たわけではありませんが実感的にはやはり因果関係があるように思われ、あの神戸の連続児童殺傷事件の犯人も地元の野良猫を事件前によく殺していたらしいですし、それ以外の猟奇事件犯人についても人の飼い犬に石を投げるなどといった行為が見受けられます。逆に私の周りだと動物好きな人は優しい人が多いようにも思え、相手を見る上で動物への接し方を私は重視しています。犬派か猫派かだけでも割と性格分かれるし。

 そういう意味で暴力描写と犯罪がどのような因果関係があるのかをきちんと比較することは無駄ではない気がします。こういった比較研究が全くないわけではないですが先ほどにも言った通りにデータが意図的に操作されている例も少なくなく、まだ真剣に研究されているとは言い難い状況です。ただ一つ言えることとしてはゲームにおける暴力描写はゲーム製作の技術進化に伴い圧倒的に増えていますが、近年の若者による暴力事件の件数はファミコンが発売される以前の70年代より圧倒的に少ないです。まぁ母数となる若者の人数も激減しているので犯罪発生率で見ないといけないんだけど、誰かまとめてないかな。

 あと最後に私自身で言うと、最初にも書いた通りに暴力描写に対して人一倍接している量が多い自信がありますが今の今まで暴力事件で警察のご厄介にはなったことはありません。ただ読み取りが遅いことに頭にきて、PS2を殴り壊したことがあるほど短気なのは認めるけど。

2010年10月23日土曜日

犯罪は何から生まれるのか

 私の専門とする社会学には犯罪社会学という分野もあり(○○社会学と言ったらなんでも社会学になってしまうけど)、私はあまり手をつけませんでしたがなかなか面白いことをやっている分野です。具体的にどんなことを研究するのかというと、「何がその社会で犯罪となるのか」とか「犯罪者はどうして犯罪者になるのか」などと、まるで禅問答のような問いに対して如何に科学的に分析するかを取り扱います。聞くところによると成立した当初、イタリアにて犯罪者には何かしら犯罪者となるべき特徴などはないものかなどと真剣に比較研究が行われたらしく、なんと犯罪者と一般市民の頭蓋骨まで比較し合って特徴を探そうとしたことも合ったそうです。

 それでこの犯罪社会学ですが先にも言った通りに私はあまり手をつけなかったもののひとつ面白いと感じた一説に、「犯罪は何から生まれるのか」というくだりがあります。非常に適当に勉強してたものですから誰だったか名前も忘れましたけど、確かハーバードの研究者で実際にマフィアと交渉し、一時その構成員となって参与観察を行った人が居り、その人が発表した論文にこんな記載があったそうです。

「犯罪とは、自分の欲求を正当に適える手段がない時に行われる逸脱行動である」

 もちろん犯罪社会学には何がその社会で正当な行為か、逸脱行動なのかを議論する分野もありますがそれは今回置いといて、そのアメリカの社会学者は上記のように犯罪が発生する要因をまとめております。

 具体的にどういうことかというと、たとえばある男が高級な腕時計を欲しいと思ったものの購入するお金がなかったとします。多分現代では日本の大多数の人はお金を貯めてからその腕時計を購入するのが正当な手段だと考えると思いますが、その男はお金を貯める間もなく欲しいと思ったとしてほかの人からお金を強奪して買う、もしくは店から直接腕時計を盗んだりするとなると犯罪となります。

 この話で重要なのは、男が犯罪に走る以前に「腕時計が欲しい」と欲求を持ったことです。そもそも男が腕時計を欲しいと思わなければ盗みなどする必要もなく、このように大半の犯罪が生まれる背景には何かしらの欲求、もしくは不満が存在するのです。それは逆に言えば社会全体で構成員の欲求や不満を減らすことが犯罪の抑止効果があるという考え方につながるわけで、過剰に消費意欲を煽ることは犯罪増加に繋がるのではという話になっていくわけです。

 ただもうひとつその社会学者は重要なことを指摘していて欲求を正当な手段で叶えられないからといってすぐに犯罪に走るわけじゃなく、その欲求を叶える脇道的な手段こと犯罪の手法も必要だとしてその犯罪手法を教える犯罪学校の重要性も指摘しております。犯罪学校とは言いますがこれに該当するのは要するにマフィアや暴力団で、一つ例にとるとまだ件数の多いオレオレ詐欺も皮肉なことに警戒するようにと警察やマスコミが手法を公開したことによって続々と模倣犯が生まれていった傾向があり、また日本で発生するようになってからしばらくすると韓国や中国でも同じ手法が使われるようになったとも言われています。

 そういう意味で被害に遭わないよう警告するために犯罪手法を公開するのは諸刃の剣のような効果があり、公開するべきかどうかの判断は難しいといえば難しいでしょう。ただオレオレ詐欺の場合は手段が簡単なためにほっといても広がっていく可能性があり、私は公開し警告を促して正解だったと考えております。

 まとめになりますが犯罪が生まれるには大きく分けて、「正当な手段で欲求をかなえられない人がいる」、「その欲求を脇道から叶える犯罪手法が教えられる」という二つの要素があり、これらが組み合わさった時に犯罪が発生することになります。ただ基本的に世の中でお金が欲しくないと思う人間はいるはずもなく労せずして稼げる手法がわかればみんな手を出すのが当たり前です。そういう意味でそういった犯罪手法を世に出回らせないことが大きな犯罪対策となりうるのでしょうが、こうもネットが発達した時代、爆弾の製法までわかってしまうのでは難しいでしょう。

2010年10月22日金曜日

本当に強い剣客は誰なのか?

 この前街中を歩いているとふと、日本で個人としての武力で一番強い人間は誰になるのかと気になりました。それこそ時代劇小説ではさまざまな剣客が登場しますが、多かれ少なかれ脚色がされた姿が浸透していて中には実態からかなりかけ離れてしまっている人間も少なくありません。そこで今日は私の独断と偏見と持ちうる知識で、主だった剣客は実際のところどれほど強かったのかを評価しようと思います。

1、宮本武蔵
 はっきり言って私は宮本武蔵は実際のところそれほど強くなく、ただ売込みが上手かった剣客なだけだと評価しております。もともと吉川英治が小説の「宮本武蔵」を書いたのも雑誌での、「武蔵は本当に強かったのか?」という対談がきっかけだったくらいだし。
 いくつかそんな評価理由となるエピソードを紹介するとまず有名な巌流島の佐々木小次郎との決闘ですが、この決闘は武蔵が木刀で小次郎を一回叩くや周囲からわっと武蔵の弟子が出てきて小次郎を一斉に切り倒したと言われており、決闘というよりかは騙まし討ちに近かったそうです。またこれ以外にもある有名な剣客が武蔵に決闘を挑んだものの、武蔵はあいまいに返事して次の日には逃げていなくなったそうで、勝てそうな相手としか戦わなかったそうです。それはそれで相手を見る目はあるんだけど。
 そもそも上記のエピソードらも一体本当なのかどうかも怪しく、まず確実に言えることは武蔵自身が語っているエピソードは事実に基づいていない虚飾が以上に多いことです。いつの時代もうそつきは世にはばかる。

2、上泉信綱
 上泉信綱の詳細についてははっきりしないところが多いものの、彼の弟子があちこちで活躍するのを見る限りだと上泉自身も相当強かったのではないかと思います。弟子の柳生宗厳は徳川家の指南役になったことはもとより、直接教えた足利幕府十三代将軍足利義輝は松永久秀の謀反を受けた際、自ら刀を取って敵兵をばったばったと切り倒したと伝えられています。そうしたことから察するに、この人の強さは本物だと思います。

3、前田慶次、柳生十兵衛
 両者ともに取り上げた本が売れまくったせいで実態からかなりかけ離れた像が一人歩きしていますが、彼らの経歴はあまり明らかになっておらず、強かったかどうかは事実上判別の使用がありません。まぁお話の中くらいは強くあってほしいけど。

4、岡田以蔵
 文句なしにこの人は強かったでしょう。「人斬り以蔵」と呼ばれただけあって関わったとされる暗殺事件は数多く、それ以外にも注目すべきは勝海舟、中浜万次郎の護衛時のエピソードで、どちらも複数人の刺客相手に一歩も引かず、逆に何人かを斬り殺して撃退しています。

5、沖田総司
 私が考える中では、多分この沖田総司が確認できる中では最強じゃないかと考えています。元々沖田が所属していた新撰組自体がかなりの化け物揃いの集団で、局長の近藤勇に至っては池田や事件にて奇襲とはいえ永倉新八とともに十数人を二時間近く相手にしていたとされます。
 そんな猛者揃いの新撰組の中にあって最強は永倉か斉藤一か沖田かとまで言われ、攘夷派からも非常に警戒されていたという書類までも残っています。特に圧巻なのは生前の沖田を目撃したとされる方の証言で、夜に三人の追っ手から追われていた沖田は立ち止まって振り返るやあっという間に三人を斬り殺したとされています。本当かどうか、すこし怪しいけど。
 ただ新撰組が幕末当時において非常に腕の立つ剣客集団だったことは間違いなく、近藤亡き後も各地にて転戦を続けた際も白兵戦では恐ろしいほどの活躍を見せたとされており、その中で最強と評された一言を持っても評価に値するかと思います。

 このほかにも本田忠勝なども挙げるべきかとも考えましたが、この辺になるといくらか怪しくてはっきりしない部分もあるので今回はやめにします。ただ個人の武力は匹夫の勇であって真に世に求められるのは大軍を率いる指揮力だと昔から言われますが、小説とか書く上ではこういう人たちがいないと困るので必ずしもそうではない気がします。

2010年10月21日木曜日

逆境下の日本人

 今日は昨日の記事の続きです。昨日は「自動車の燃費について」というタイトルで純ガソリンエンジンとしてはかつてなら考えられない燃費性能を達成したマツダを取り上げましたが、この記事で私が言いたかった内容は割りと日本人は追い詰められた際に真価を発揮するということで、これが長所でもあり短所でもあるのではと私は考えています。

 追い詰められる、というより無茶な要求にも意外にも応えてしまうという方が適当かもしれません。昨日取り上げたマツダの例ではハイブリッドエンジンの開発が遅れていたことからガソリンエンジンで燃費を追求した結果、ハイブリッドエンジンにも大きく引けをとらない性能のエンジンを作ってしまったことを紹介しました。こういうことは何も日本以外でもあるとは思いますが、日本に限って言えばかつての太平洋戦争初期に無類の強さを発揮して米英軍から「見つかったら逃げろ」と、敵前逃亡しろなどというとんでもない命令を出させたゼロ戦も、

「このくらいの高度と、このくらいの速度が出せる飛行機をこの予算で作って」

 という、軍上層部からのかなり無茶な要求を当時の技術者が本当に実現してしまったがゆえに出来たと言われています。まぁその分、機体装甲が果てしなく薄くなってパイロットの死亡率も非常に高かったそうですが。

 技術に限らなくとも日本人は納期や製造などといった各方面でも割合に上からの要求に応えてしまうところが多いように思えます。私なんか無茶な要求に期待させるようなことを言っちゃ駄目だと考えているもんだから無理だと思ったらすぐに無理ですと言って、「もっと言い方ってものがあるだろ!」と相手によく怒られた経験がありますが、こうした言い分が通るあたり日本人はたとえどんな無茶な要求や要請にも一応は対応し、応えねばならないという考えが強く浸透しております。

 もちろん常識では無茶だと思われるものに取り組んで実現していこうという精神は立派でもあるし非常に大切だと思いますが、その一方で無茶だとわかっていながら引き受け、結果やっぱり駄目だったせいで各方面で足を引っ張ることになるという話も日常茶飯事のように聞きます。特にこういったものでよく聞くのはIT業界での納期や対応で、受注段階で労力やシステム内容から言って明らかに相手の希望に応えられないにもかかわらず安請け合いして、残業に次ぐ残業をしながら納期に間に合わず結局発注元に怒られ、発注元もスケジュールが遅延してあれやこれやと。

 またIT業界に限らず、一部の業界ではかなりきつきつの納期設定を行っていてほんの少し予定がずれただけで全方面に玉突き事故のように出荷に支障が出るということも聞きます。かくいう私も一回そんなのに巻き込まれて、物は届いているので早めに出荷指示を出してくれれば海外への輸出手配を行えたのに何故だかなかなか指示が来ず、やっときたかと思ったら急いで出してくれと……。二時間ごとに荷物が今どこにあるのかと電話鳴らされた際はいろんな意味でいい迷惑でした。

 恐らく普通の社会ならば、こちらの希望通りにそうそう事は運ばないと考えて納期や日程にある程度余裕を持たせることでしょう。ただ日本の場合は案外希望通りに事が運んでしまう、運ぶように相手が努力してくれるがゆえか、何事に関してもタイトに物事を考えてしまうところがある気がします。私もあまり人のことを言えませんが、電車がわずか五分程度遅れただけで激怒する人とか見ているともはや精神病じゃないかとつい思ってしまいます。
 私に限らずこのようなタイト過ぎる日本社会を批判する声はあり、一部の経済学者からは日本全国で納期を一日ずつ余裕を持ち合えばGDPは減るどころか増加するという意見もあり、私もこの意見に賛成です。

 ホッブズの「リヴァイアサン」に書かれた有名な一説に、「万人の万人に対する闘争」というものがあります。この記事の内容だけじゃないですが、このところこの一説がしょっちゅう頭にもたげ、今自分を含めた周囲の人間らは何と戦っているのだという疑問をよく持ちます。ライバル会社以上に同じ会社の人間に憎悪を持つ人とか見てると。

2010年10月19日火曜日

自動車の燃費について

・マツダ、HV並み低燃費ガソリン車を来年発売(産経新聞)

 久々にニュースのリンクから始めましたが、なかなかに驚きのニュースなだけに初見で私もびっくりしました。上記のニュースは自動車会社のマツダがつい最近に出した自動アイドリングストップシステムことアイストップを小型自動車のデミオに搭載し、なんと低燃費が売りのハイブリッド自動車に匹敵するリッター30キロという燃費の車を来年以降に販売するというニュースです。

 私は事故率の低いことで一部有名な鳥取の日本海自動車学校を卒業しておりますが決して人に誉められるほど車の運転はお世辞にも上手くなく、それほど乗る時間も多くないものの車を見るのは好きで、最近はあまり読まなくなったけどたまにベストカーという雑誌も買って読んでます。そんな私の個人的な感想ですが近頃の車はというとやはり家族向けに売り出す車が多くてデザインがどことなく落ち着いており、若者向けのちょっと突っ張った漢字のデザインの車はほとんどない気がします。それに対してバブル期の車は時代が時代なだけにデザインも多彩で、年数も経っていることから中古車価格も低くなっているのでこの際なにか運転の練習を兼ねて三菱の古い車でも買おうかと一時期私も考えたことがありましたが、結果はというと結局買わなかったわけです。

 一体何故買わなかったのかというと、新旧の車で燃費性能にとてつもない差があったからです。十年一日とは言いますが現在新車で並んでいる車と十年前の2000年前後に発売された車では燃費に雲泥の差があり、いくら中古車本体の価格が安くとも燃料代を含むランニングコストを考えると新車買った方が明らかにお得で、いくらデザインが肌に合ってもこれほどの差は埋め切れないとあきらめました。

 自動車の燃費は「20世紀に間に合いました」のキャッチコピーとともに97年に発売された世界初の量産ハイブリッドカーであるトヨタのプリウスが発売されてから開発競争が始まり、2000年代中盤からはどこの自動車会社も主力車をそれまでのワゴン車からコンパクトカーに変えてよりこの方面に注力していきましたが、ホンダがプリウスのデザイン丸パクリのインサイトを出してからはまるで、「ハイブリッドカーにあらずば車にあらず」と言わんばかりに去年、今年はハイブリッドカーが売れてきました。

 それに対して今回ニュースで取り上げたマツダはハイブリッドエンジンの開発がそれまであまりなされていなかったのもあってあくまでも通常のガソリンエンジンでより燃費を高める方向で研究を進めていたようですが、その研究が実って去年アクセラに搭載されたのがアイストップという自動でアイドリングストップを行うシステムで、これにより従来の燃費を大幅に向上することに成功したわけです。
 当初は自動でアイドリングストップすることにちょっと不安感を私も覚えたのですが聞いている限りだと乗っている方には好評で、特にこれが原因での事故も聞かないので大したシステムだと評価しております。

 それが今回待望のデミオに搭載されることでありえない燃費を実現したことになるわけですが、本当に十年前ならガソリン車でこの燃費は考えられなかったことでしょう。特にこのアイストップシステムはハイブリッドエンジンと違ってそれほどコストがかからないらしく、またレアアースもそれほど必要としないので中国対策としても抜群です。

 マツダの関係者のインタビューを見てたりすると、やはりハイブリッドエンジンにどう対抗するかということでいろいろと努力をしてきたという発言がよく見えます。まぁそういいながらも広島の人から話を聞くと不況を言い訳に下請けいじめがこのところ増えているそうですが、なんだかんだで追い込まれると日本人は本当になんでもやってしまうんだなと思わせられる話です。

 本当はそのまま書こうかと思ってましたが長くなったので、「追い込まれた日本人はとんでもない」という話はまた明日書きます。それにしてもほかの自動車会社はいろいろとニュースがあるのに対して、私が贔屓にしている三菱自動車に関してはこのところ何も取り上げられません。わかっちゃいるんだけど、こうもなぁ……。

インドから見た日本

 日本人からするとカレーとダルシム(ヨガ)のイメージが強いインドですが、近年にわかに日中関係から日本における存在感が高まっているのではないかと勝手に思っています。一体インドが何故日中関係に影響するのかというと単純に中国とめちゃくちゃインドは仲が悪く、地理の授業でもカシミール地方で中国とインドとの間で領土問題が起こっていると教えられるくらい仲が悪い国だからです。

 そんなインドに対して中国はこの前の尖閣諸島で見せたいつも通りに強引な主張をこのカシミール問題でもやっていることでしょうが、その裏ではしたたかな外交戦術というべきか、「敵の敵は味方だ」と言わんばかりに最近はだいぶマシになったけどこれまたインドと仲の悪いパキスタンとの外交関係を強化しております。
 これはいわば中国伝統の遠交近攻策で、オセロゲームのように敵を自国と味方で囲い込むことで攻めていくやり方なのですが、このオセロの範囲を広げるとちょうどインドと日本の間に中国を当て込むことも可能で、今後中国の領土拡張政策を抑えるためにも中国を囲む周辺国で一致して行動し、そのためにもインドは日本の重要なパートナーになるであろうという意見を主張する人も少なくありません。

 ではそんなインドは日本に対してどんなイメージを持っているかですが、まず前情報として企業進出の話をします。インドに出ている日本企業の中でも代表的なのは自動車、バイクのメーカーであるスズキで、ここは早くからインドに進出して現地での生産、販売を幅広く手掛けてきた甲斐あって現地の人間なら知らないものはまずいないというほどの認知度を獲得しております。ただ進出した際はやっぱり大変だったそうで、日本の「同じ釜の飯を食う」という発想の社員食堂を作ったところ、「下のカーストの連中と一緒には食べれない」という文句が来たりしたそうです。

 スズキ以外の日系企業となると、私自身があまり詳しくはないのもありますがやはり自動車関連のメーカーがいくつか出ているのを除くとまだそれほど多くないような気がします。90年代にIT化を進めようと日本が言い出した際、インド人技術者には率先して就労ビザを出そうといいながらもほとんど出さなかったくらいなので民間交流はそれほど多くないと言えるでしょう。

 では単純にイメージではどうかですが、実は私がインドに旅行中に直接インド人ガイドに尋ねたことがありました。そのガイドは私の質問に対し、

「インド人は日本人に対してそれほど悪い感情を持ってはいませんが、核のことについてとやかく言われたくないと思っています」

 そうだった。インドは核保有国だった。
 このガイドの話を聞いた直後の私の感想はまさにこれでした。インドは隣国パキスタンとの軍拡競争の中で核爆弾の製造と実験を行い、NPTから脱退した上で核保有国となりました。そして世界唯一の被爆国である日本は当時に強くインドとパキスタンを非難しました。

 もっともインドの核実験が行われてもう大分経つので向こうも気にしてないかもしれませんし、これまでも日本はアメリカの核の傘に効果があったないかは別として守られてきたのは事実なのであまり気にせずに中国を封じ込めるために共同歩調を取ることに問題はないかと思います。私としても先日の何も食べずとも行き続けられるおじいちゃんを始めとするビックリ人間が大量にいるインドは子供のころから大好きな国なので、日印で仲良くしてくれたらなぁという勝手な願いがあります。たとえそれが中国との関係を悪化させるとしても。

  おまけ
 今日の中国の報道で、この前日本に来て天皇会見問題に関係した中国の習近平氏が軍事責任者第二位に就任することが発表され、事実上胡錦濤氏の後継となることになりました。私はなんだかんだいって胡錦濤氏は日中関係に努力してくれて、今回の尖閣諸島問題でも何故かテレビでこの問題に言及することがなかったので名残惜しい気持ちがして、次の習近平氏はなんか冷たい感じがするのでまたやりづらくなるような気がします。

2010年10月17日日曜日

横浜ベイスターズ売却に見るテレビ局の経営不振

 先日に大きく取り上げられましたが、プロ野球チームの横浜ベイスターズを保有するテレビ局のTBSが球団売却を現在水面下で進めているようです。プロ野球チームの身売りは何もこれに始まったわけじゃなくつい六年前にも近鉄バッファローズの売却で楽天とライブドアで争奪戦になったことは記憶にも新しいですが、ここ数年チーム成績も非常に悪いベイスターズなだけにこの際、別のオーナーがついたほうが球団にとってもいいんじゃないかと私も考えています。
 ただそうしたベイスターズの売却騒動以前に、こうして球団身売りが現実化してきたTBSの不振ぶりのほうがこのニュースにとっては重要でしょう。

 近年、日本のテレビ局はテレビCMの広告料不振が続いて非常に経営が苦しいとあちこちで言われております。その中でも特にTBSは度々不祥事を起こし、視聴者もそれを感じ取ってか目に見えて視聴率競争でも悪化の一途をたどっております。
 日本のテレビ界では長年、年間平均視聴率では娯楽番組の多いフジテレビが一位の座を長く守り、そのフジテレビの調子が悪いときに巨人戦を中継する日本テレビが時たま一位を奪うという構図が続いていました。それに対してTBSはというと地味に不動の三位の座にあり続けたというのがこれまでだったのですが、去年はどうだったかまでは忘れましたが確か数年前にとうとうその三位の座を万年四位のテレビ朝日に奪い取られ、看板番組もない中で「潰れるとしたらまず真っ先にTBSだろう」と言われていました。

 先にも言ったとおりに近年のテレビ局は広告単価の低下に伴い収益が悪化し、現時点ではどこもテレビの広告収入よりテレビ局が保有するビルのテナント料などといった不動産収入が上回るようになっており、テレビ局というよりは不動産屋のような様態をなしております。不動産収入が広告収入を上回ってるのは新聞社も同じことですが、逆に言えば不動産の保有量が少ないテレビ局ほど苦しいということになり、その条件から言ってもTBSがまた当てはまってしまうわけです。

 はっきり言いますが日本の放映権は完全に独占事業であって行政によって非常に守られた市場であり、それにもかかわらず経営不振になるというのは明らかにテレビ局の経営陣が無能な人間であるが故でしょう。ただ中央局のTBSですらこの有様ですから、地方局はきっとこれ以上にひどい状態であるのは想像に難くありません。

 では仮にTBSが経営破綻をしたらどうなるかですが、私はおそらくフジサンケイグループことフジテレビと合併するのが一番可能性が高いと思います。そもそもこの二社のバックにある新聞社は産経新聞と毎日新聞のいわゆる全国紙負け組の二紙で、新聞社同士でも苦しい間柄ゆえに以前から合併するのではと言われていました。ただこの二紙で決定的に違うのはテレビ局の内実で、フジテレビは現在も視聴率では高い数字を取っているもののTBSは先にも言ったとおりにボロボロで、毎日新聞もTBSからの送金がなければ万年赤字体質なだけに両者で赤字となっては未来も何もあったもんじゃありません。

 両社が合併して経営が改善するかといったらそれもまた微妙ではありますが、割とこの業界は政治勢力の干渉が強い業界なだけに救済というかたちでフジテレビが買収する線が高いのではないかというのが私の見方です。TBSが潰れるとしたら私が個人的に気になることとしてアナウンサーの安住紳一郎氏がどこへ行くかで、逆を言えばこの人がフリーに転進する時期がデッドタイムなんじゃないかと勝手に勘繰ってます。

育つ政治家、育たない政治家

 最近また政治ネタから遠ざかってきているのでちょこっと加工のいる情報を流すことにします。
 民主党政権になって早くも一年が過ぎましたが、前首相の鳩山由紀夫氏があまりにもあれだったのもあって現在の菅首相はまだマシに見えますが、それでも早くも尖閣諸島の対応について批判を受けて支持率の低下を招いております。ただそれでもまだ決定的な菅下ろしにまで発展しないのはなぜかと言うと、菅直人氏以外に首相を張れるようなまともな政治家がほかにいないというのが最大の理由でしょう。

 かつての小泉政権時にある評論家が、小泉元首相は不良債権の処理や郵政民営化など目に見える施策は確かに行ったがその一方で首相として果たさなければならない後進の政治家の育成だけはついぞ行わなかったと評していました。それでも敢えて当時の自民党内に将来首相足りえる人材として候補を挙げると、安倍、福田、谷垣、麻生、竹中といった当時の小泉政権のメンバーをその評論家は挙げていましたが、皮肉というか上記の候補らはその後すぐに議員辞職をした竹中氏を除くとものの見事にみんな自民党総裁になり、現在の谷垣氏を含めていずれも評価の低い、というよりどうしてこんな奴が……と資質を疑うような政治家だったということが露見する事態となりました。
 ちなみに私の評価は、「福田>>安倍>谷垣>麻生」、といったところです。

 それにしても国会議員が何百人もいながら与野党問わず首相を張れそうな人物がこれほどまでに少ないというのは異常事態です。かつての55年体制であれば実力があって期待もされながらも時に恵まれず首相となれなかった渡辺美智雄や金丸信などといった惜しまれる人物がたくさんいたことを考えると、べジータじゃなくとも現代は首相のバーゲンセールもいいところで、待ってりゃそのうちお鉢が回ってきそうな状況ですらあります。

 久々に前置きが長くなりましがたが、どうしてこれほどまで現代は政治家が育たないのかというのが今日のお題です。政治家が育つか以前にまともな人間が選挙を経て政治家になれるかという問題もありますがそれは今回置いといて、一度議員となった人間が議員生活を通して成長するか否かにスポットを当てます。

 この手の話をするとなると避けては通れないのが、55年体制時の自民党の派閥政治です。この派閥時代はどの政治家も何がしかの勢力に加入することでその派閥内で先輩から教育を受けて勉強したと言われますが、派閥がなくなった今とを比べると確かにその教育は存在して効果があったと言わざるを得ません。ではこの時代に戻れとなるとそれはまた別の話で、確かに今の状況よりは派閥時代のほうがマシかもしれませんがいまさら元に戻ろうとしてもまた違った形での派閥政治になってしまう可能性もあり、私はあまり賛成ではありません。
 では自民党ではなく現与党の民主党ではどうか。政権党ではなかったというハンデこそありますがあれだけ政策論議してきてこの結果かよと、やや擁護的な立場をとっている私ですらちょっと思ってしまう状態です。

 逆にこの十年くらいで成長したなと感じさせられる政治家はというと、挙げるとしたら小池百合子氏になってしまうのかな。打たれ強さなら定評があるけど。

2010年10月16日土曜日

日本に武士道は存在するのか

 かねてからいろいろ問題や不備の多い日本の年金行政ですが、今年は死んでいたにもかかわらずその死を隠して年金を不正に受給していたという問題が起こり納税者からは大いに顰蹙を買うこととなりました。この年金の不正受給問題が発覚した際、主に年長者の方々から、「日本にはまだ武士道というものがあるのに、こんな問題が起こるとは……」と、かつての日本人と比べてモラルが低下していることを嘆くようなコメントを多く見かけたのですが、こうした声に対して私の知恵袋でおなじみの「文芸春秋」より面白いコラムが寄せられていました。

 そのコラムを書いたのは歴史学者の氏家幹人氏で、氏家氏によるとなんでも江戸時代に書かれた書物に当時の武士階級においても今回の年金の不正受給と同じように役付きの武士が死んだ際、家族はその死んだ武士を病気だとお上に届けることで死後も一定の期間は俸給を受け続け、お上もお上でこれまで頑張ってきてくれたんだしということでこの不正受給をわかっていながら黙認し、ほぼ習慣化されていたそうです。
 そういう意味では先ほどの「日本には武士道が……」というくだりは案外に伝統的なもので、今回の年金の不正受給も今に始まったことではないと氏家氏はまとめております。

 これは私の恩師の言葉ですが、そもそも日本人は何かと都合良く武士道という言葉を多用するが、元来武士道というものは非常に曖昧な概念であってそれほど重厚な価値観を持つ気高いモラルではないと話していました。私自身も武士道という言葉はなにかこう、今回のように悪い行いを批判する際によく使われるように感じ、実態的には江戸時代を含めて実践された概念や行為というよりは理想とされた概念のような気がします。

 この手の話をするとよく「葉隠」という書物に記された、「武士道とは、死ぬことと見つけたり」という言葉が引用されますが、この言葉自体どこか現実離れしている感が否めず、本当に命懸けるのかよと中学生ではないですが聞きたくなるようなフレーズです。また武士道の基本とされる「御恩と奉公」についても上流武士階級は大した仕事もせずに三日に一日だけ働くことで給料もらえる特権階級であって、主君への忠誠のために動くというより自らの権益を守るために藩のため働いていた節があるのではないかと私は考えています。

 ここで結論を申せば私は武士道というものは偶像化された概念であって実践されてきたわけでなく、今も何かしらモラルの向上などに寄与しているわけではないと考えています。だからといって日本人のモラルは低いというつもりはなく世界的にも非常に高くて誇れるモラルだと思っていますが、そのモラルが出来上がった理由はまだ議論の余地はありますが、物質的に豊かであることと高い教育レベルの賜物ではないかと思います。
 ただ近年はモラルの低下があちこちで叫ばれていますが、物質的な豊かさはさすがにバブル期よりは落ち込んでいるもののそれを補うほどインターネットやサービスといったインフラが向上しているので、私は主原因は教育レベルの低下が怪しいんじゃないかと睨んでます。まぁいい大学出てても嫌な奴はどこにでもいますが、何か社会全体で後ろ指をさす行為が減ってきているような気は確かに私もします。

  おまけ
 モラルについてですが、自分に限ればプライドを強く意識することが自分のモラルの維持に一番貢献しています。このプライドというのは言い方を変えれば他人と自分を区別しようとする考え方で、「ブックオフで立ち読みする奴らと俺は違うんだ!」などと一人ごちては度々まとめ買いに走っています。古本買うより新刊買えよと自分でもたまに突っ込みますが。

2010年10月14日木曜日

アクセス障害のお知らせ

 毎度、陽月秘話をご贔屓いただきありがとうございます。
 突然ですが今回、諸般の理由で私のパソコンからBloggerにアクセスできなくなるという状態に陥りました。幸い出張所を置いてあるFC2ブログにはアクセスができますので、今後しばらくはリンク先にある「陽月秘話 出張所」(http://yougetuhiwa.blog39.fc2.com/)にて記事の更新を確認していただくようお願いします。
 ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします。

2010年10月13日水曜日

源頼朝の娘、大姫の話

 鎌倉時代はいろんな意味で面白い時代ですが、いまいち人気がないためにそれぞれのエピソードもどうも埋もれがちです。そこで今日は自分が鎌倉時代で特に気に入っているエピソードの、源頼朝の娘、大姫の話を紹介しようと思います。
 頼朝の子供というと二代目将軍の頼家と三代目将軍の実朝は知られていますが、妻の北条正子との間にはそのほかにも子供がおり、中でも長女のこの大姫はその後の歴史を左右しかねない存在だったと私は考えております。

 大姫は1178年に生まれるのですが、わずか六歳にして許婚が出来ます。その許婚の相手というのも源義仲こと木曽義仲の息子、源義高という大姫より六歳年上のこちらもわずか12歳の少年でした。父親を見てもらえばわかる通りにこれは平氏打倒の途上にあった頼朝と義仲の政略結婚で、義高が頼朝の下へ人質として送られる形で決められました。
 ただ政略結婚とはいえこの二人は子供同士ながら仲が良く、将来の関係についてもそれぞれで理解しあっていたそうなのですが、残念なことに頼朝と義仲は平家物語にも書かれてあるように対立し、最終的には源義経によって義仲は討伐されることとなります。

 義仲の討伐後、父親の死をまだ知らない義高を将来の禍根として殺害を企てるのですが、これをひょんなことで聞いてしまった大姫は義高を女房に扮させて逃亡させようと行ったそうです。ただこう書いておきながらですがこの辺の記述は吾妻鏡に書かれている限りで、まだわずか六歳の大姫が義高の逃亡を積極的に支援するとはちょっと考えられず、義高とその取り巻きが逃亡を図ったのは事実かもしれませんが大姫がそれを支援したというのは脚色ではないかと私は考えています。

 話は戻りますがとりあえず逃亡を図ったものの義高は追っ手に捕まり、敢え無く討ち取られることとなりました。吾妻鏡ではこの義高の殺害は子供にはショックが強すぎるということで大姫には内緒にして行方不明だと説明しようとしていたものの、討伐した藤内光澄が帰ってくるなり大声で、「義高、討ち取ったりー!(゚∀゚)」と言っちゃったもんだからすぐにばれてしまい、あまりのショックに大姫は気絶までしたそうです。これに怒ったのが日本史上でも多分一、二を争う烈女の北条正子で、藤内のことをデリカシーのないやつだと再三頼朝に抗議したために藤内は敢え無くさらし首にされたそうです。

 その後大姫は、元からかもしれませんがめっきり体が弱くなり、何かにつけて義高のことを口にし、頼朝が持ってくる縁談に対しても、「だったら身を投げるっ!(# ゚Д゚)」と言っては強く拒否し続けたそうです。しかしそれでも武士の娘の運命からか頼朝は平氏打倒後の朝廷工作の秘策として、この大姫を後の承久の乱で主役となる後鳥羽天皇に輿入れさせようと工作を始めたのです。ただこの工作が実る前に、大姫は20で病からこの世を去ることとなりました。

 過分に話が出来すぎな気もしますが、大姫は不幸といえば不幸な人生だったと思います。ちなみに日本人は何かと「三大○○」と言うものを作るのが好きですが、敢えて「三大不幸姫」を私が作るのであればこの大姫と、戦国時代の武将である最上義光の娘の駒姫、あとちょっと微妙ですけど徳川秀忠の娘の千姫あたりが無難かと考えます。まぁこの中だと、駒姫がダントツで可哀相なんだけど。

2010年10月10日日曜日

「学校であった怖い話」について

 今年の夏に一回だけホラーゲームの特集をしたことがありましたが、あれは本来なら続編を書いてそこで本当に取り上げたかったゲームの詳しい紹介をと考えていたのですが、いかんせん書いた直後に思っていたより企画自体が面白くなくて中断させてしまいました。昨日も更新をサボりましたがちょっと今日も書こうと思う内容が浮かばないので、しょうがないからホラーゲーム単体での記事ということで「学校であった怖い話」についてちょっと書いてみようと思います。

 この「学校であった怖い話」(通称:学怖)はスーパーファミコンとプレイステーションという二つのハードで出されましたが、一般的には私も遊んだスーパーファミコンのバージョンのがポピュラーです。このゲームはチュンソフトが出した「かまいたちの夜」に代表される選択肢を選びながら物語を読むサウンドノベルというジャンルのゲームなのですが、以前にどこかで見た評論にこんなのがありました。

「サウンドノベルは一見簡単に作れそうなジャンルだが実際にはプレイヤーに満足感を引き出させるためには膨大な量の選択肢とテキスト量が要求され、結局スーパーファミコン時代でこの二つの条件に見合う作品はチュンソフト製の「弟切草」と「かまいたちの夜」、そしてパンドラボックスの「学校であった怖い話」、「晦-つきこもり」の四作だけだった」

 私としてもこの評論に同意する部分が多く、「かまいたちの夜」のヒット以降にいくつか他社からもサウンドノベルのゲームがいくつか出たもののそのどれもが分量が少ない上に選択肢の分岐展開も低く、お世辞にも満足できる代物はありませんでした。ちなみに一番頭に来たのはミステリー作家である赤川次郎原作の「魔女達の眠り」で、ゲーム自体はそこまでひどいものではなかったものの光栄が出していた攻略本に、「全EDを見るとおまけシナリオが見られる」と書いてあったものの、実際にはこれが全くのデマであり、うちの姉貴と何で見れないんだろうと子供の時分に深く頭を抱える事になりました。これが私に対する光栄の初めての裏切りでした。

 それはさておき今日の本題の「学校であった怖い話」ですが、これは文句なしに私は名作だと考えています。まず文章量についてですが先発の「かまいたちの夜」をはるかに凌駕する分量で、なおかつ分岐による展開も一体いくつあるんだと呆れるくらいに幅広いものでした。その上でテキストもただ冗長なだけでなくどれも波乱に富んでいる上に登場人物のキャラクター性の高さと相まって技術が光り、このゲームの製作指揮をしたクリエイターはその後、史上最悪のクソゲーと呼ばれる「四八(仮)」を作るまではファンの間で一目置かれていました。

 その上でこの「学校であった怖い話」の特徴を挙げるとすれば、豊富な文章量に加えて実によく出来た恐怖の演出に尽きると思います。ゲームの画質はスーパーファミコンなので今見るとちょっと荒いような印象を受けるかもしれませんが、かえってその荒い画質が恐怖をわきあがらせるにはちょうどよかったところがあります。そんな画質で出てくる登場人物は主に実写の高校生(に扮した人たち)なのですが、学校の怪談でおなじみの花子さんや逆さ女、宇宙人やら変なみの虫お化けなど恐怖系キャラも多岐に渡り、特に花子さんは登場の仕方があまりにもあれなのでリアルにゾクッとしますし今でも思い出すと夜トイレに行くのをためらうほどの印象を残しています。

 現在このゲームはプレイステーション版の「学校であった怖い話S」がPSP、PS3のアーカイブスで600円でダウンロードできるので割りと入手しやすくなっております。私はプレイステーション版はやった事がないのでこの際入手するべきか悩んでいますが、どちらもやった事がなくてサウンドノベルが好きな方であればきっと満足するであろう作品なのでお手にとられることを強く勧めます。
 ちなみにこのゲームの中で私が気に入っているシナリオをいくつか紹介すると、下記の通りになります。

・トイレの花子さん
 学校の怪談における不動のエースなだけあってこのゲームでも特殊なシナリオ扱いとなっております。よく花子さんは小学生の女の子でかかれることが多いですが、高校生ともなるとその恐怖と猟奇性は格段に違うのだなと見せ付けられたシナリオでした。

・人形のいけにえ
 単純に恐怖の度合いで言えばこのシナリオがダントツに怖い話でした。「徐々に追い詰められる→打開できるかも→そうはいくか(゚∀゚)」という恐怖演出の三段活用が実にうまく決まっており、底なしに震えさせられる内容です。ちなみにこのシナリオの話者は私の後輩の話し方によく似ているので友達との間では人気でした。

・美術室の自画像
 よくあるシナリオといえばそれだけなのですが、それだけに単純に怖かった覚えがあります。画像が妙にグロい。

 昔このゲームを友人に貸した所、主人公の名前が「歌 ウタオ」で帰って来ました。何か意図したい物があったのかもしれません。

2010年10月8日金曜日

三国志における各軍師の役割

 現在テレビ東京では「最強武将伝 三国演義」というアニメが毎週日曜日に放映されており、自他共に認める三国志マニアの私としては絶対に外せないと毎週見ています。このアニメを見ていてつくづく感じるのは、キャストを見るとただ単に私が無知なだけかもしれませんがほとんど名前の知らない方が声優をしており、恐らくでしょうが主役の劉備役をやっている船越英一郎氏を初め専業役者の方が声優をしているのかと思います。でもって放映を見ると皆さん実にいい声の演技をしており、最近では専業で声優をやられる方も少なくないのですが、やっぱり餅は餅屋なんだなぁと思ってしまいます。

 そういったことはさておき、三国志では伝説の人物と言ってもいい諸葛亮を始めとした様々な軍師と呼ばれる人物が登場します。軍師とはどんな人たちかといえば主君に対してあれこれ助言する人を誰もが想像するでしょうが、一言で助言をするといってもその助言内容は多岐に渡り個々の軍師たちによって違い、これは意識しないと中々気がつかないのですが三国志における軍師たちはそれぞれ軍師という職の中で役割分担というか適性を持っており、大別すると「参謀型」と「戦略型」の二種類に分かれます。
 「参謀型」というのは文字通りに戦争における戦術の立案や戦闘指揮を行う軍師の事で、「戦略型」は外交や人材登用、国内行政といったその勢力の行動方針や内政を担当する軍師になります。三国志は戦争の物語なので自然と参謀型の軍師の方が目立ってしまいますが、私の視点で三国志に登場する軍師を分別してリストアップすると以下の通りになります。

<参謀型>
龐統
法正
徐庶
賈詡
程昱
荀攸
陸遜
陳宮

<戦略型>
諸葛亮
荀彧
郭嘉
鍾繇
陸遜
魯粛
張昭

 最近こういうリストを書く記事が異常に増えた気がします。
 それはともかくとしてこのリストを見た方は恐らく、「何で諸葛亮が戦略型なんだ」という疑問を持つかと思います。諸葛亮は三国志演義の中では次々と奇抜な作戦を編み出しては敵軍を何度も打ち破っており、確かに赤壁の合戦の前には外交で呉を戦闘に引きずり込むなど戦略型らしい働きをしているけれどもどちらかといえば参謀型なのでは、と思われたのではないでしょうか。

 しかし実際の歴史では意外に諸葛亮は地味な役割の方が多いのです。諸葛亮は確かに何度も北伐を行うなど戦争指揮も数多くしておりますが、それ以前の彼は天下三分の計でもって劉備にグランドデザインを作ったり、呉との外交を行ったり、占領後の蜀での行政整理などどちらかというと裏方のような仕事が多く、三国志の著者である陳寿も「内政については文句なしだが、何度も北伐に失敗しなかったのは彼自身の戦争指揮の悪さも原因ではないだろうか」とまとめています。

 この諸葛亮の評価の仕方は実は私オリジナルではなく昔に光栄が出していた「三国志Ⅳ武将ファイル」のコラムが初出で、そのコラムでは裏方の諸葛亮に対して外征で本来参謀となるべき人物は龐統であり、劉備が天下を取るためにはこの車の両輪とも言うべき二人が揃わなければいけなかったと述べています。しかし龐統は蜀の遠征中に若くして亡くなり、唯一この龐統の後任の参謀となり得る人物だった法正も早くに亡くなってしまった為、諸葛亮は自分の本来の戦略役に加えて参謀役もこなさねばならなくなった事が不幸であったとまとめております。
 私もこのコラムを書いた人と同意見で、国力の低い蜀という国で外征と内政の二つを背負わなければならなかった事が諸葛亮の最大の不幸であって限界でもあったと考えています。

 このように参謀型、軍師型に一応はリスト分けこそしていますが上記の諸葛亮のように両方の役割を兼任するということも、先ほどのリストの中だと陸遜と郭嘉がその例かと考えています。
 ちなみに上記リストには敢えて司馬懿、周瑜、呂蒙の三人は加えていないのですが、この三人はゲームとかだと軍師扱いされていますが実際には将軍としての役割(戦争の指揮、実行)が強く、どちらかといえば「参謀も出来る将軍」だったのではないかと私は考えています。

 あと参謀型の軍師についてもう一言加えると、このリストの中で私が最強だと思うのは他でもなく賈詡です。この人は董卓、李傕、張繍、曹操と主君を度々変えていますがどの主君の下でも活躍し、その主君らは賈詡の助言に従えば必ず大勝し従わなければ必ず大敗することになっています。本当に空恐ろしい人物とはこういう人物な気がします。