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2008年10月8日水曜日

世界同時株安と日経平均一万円割れについて

 昨日、一昨日と文化大革命の連載が終わった反動からくだけた記事が続きましたが、またぞろ固い記事を復活させてこうと思います。

 本日、日本の株価指標とされている日経平均株価の終値が、確か四年ぶりに一万円を割りました。つい二ヶ月前と比べるなら2000円以上も下がっており、資産価値の下落だけでみるならば、確かに大きな景気後退とみるべき事件でしょう。もちろんそんなもんだから、今日はどこのニュースでも日本人のノーベル賞の受賞ニュースより先に報道して、本当に大変なことになったとばかりに大騒ぎしています。

 しかしここで言わせてもらいますが、先月のリーマンブラザーズ社が破綻した時点で日経平均が一万円を割ることは誰がどう見たって確実なことだったと思います。なぜなら今の日本の株式市場の大口取引先はどこもアメリカの投資会社たちで、本体のアメリカの景気が悪化すれば当然日本の株価も下がることは必定です。なのでどうせ年内にはまず確実に一万円を割ることは間違いないとみていたので、私としてはそれほど大騒ぎするような話だと思えないのが正直な感想です。逆にもし経済人や評論家でありながらこうなることがわかっていなかったら、廃業しろとまでは言いませんが未熟な価値観を改めるべきでしょう。

 問題はこの後です。株価の下落とともに進んだ為替価格の変動は確かに日本にとって大きな影響をこれから与えてきます。今日は一時的にとはいえ1ドル価格が100円を割りましたし、この為替価格は輸出産業がメインの企業(主にメーカー)にとって為替価格の1円の変動は100メートル走における一秒の差並みに大きな意味を持ってくる数字です。さっきNHKがやってましたけど、トヨタ自動車では為替が1円円高するごとに400億円、ソニーは40億円の売り上げ低下になるそうです。じゃあイチローの給料はどれくらい変わるんだろう。

 これだけをみるのならば確かにこの世界同時株安は日本にとって大きな損失を与えているかのように見えますが、私がこの一週間のニュースを見ていて非常に残念なのは、世界同時株安と言いながらも日本とアメリカの情報しか発信されていない点です。世界同時株安なんだったら日本とアメリカ以外の国も相当打撃を被っているはずなのに、どの国がどれほど影響を受けているかと言う情報は全く持って皆無です。私自身がこのところペルソナ3とフロントミッションで忙しいのもあってあまり調べていないのもありますが、もっとマスメディアは大事なことなんだから自主的に情報を配信してもらいたいものです。

 個人的に一番気になっているのは欧州、それもイギリスです。何故ならイギリスが世界で最もアメリカに追従して金融市場主義とも取れる新自由主義経済の路線を敷いていたからです。そのため本家のアメリカがこうも崩れたのならイギリスはどれほどダメージを受けたのか、やっぱり破綻しているのかというのが気になります。
 同様にEU諸国もです。EUはEUでアメリカの路線とは対決するように独自の経済体制を模索していましたが、なんだかんだいってどこもこの世界同時株安で大打撃を被っているという情報ばかり聞こえてきます。特にドイツではあまりの影響ぶりに、政府が個人の預金を金融機関が破綻した場合でも全額保障するとまで発表していますし、もっと詳しい情報が知りたいです。

 なお、一昨日にちらっとだけ見たどっかのネットの記事によると、意外と日本はリーマンショック以降の株価の下落率は低い方でした。その記事によると一番下落率が大きいのは、これなんてほかのどこも報道していないけどインドだと紹介していましたが、どうも裏を取ってみると本当っぽいです。新興国ってのはどこも財政的な力に欠けるところが多いので、この事実にも素直にうなずけます。
 あと先ほどのイギリスと同様に、ひたすら株価至上主義で戦ってきたお隣韓国もえらいことになっているようです。これまで国際的に貸しの多い債権国だったのがいつの間にか借金している債務国に転落しているし、雇用問題も置き去りで結構大変そうです。

 で、同じくアジアを見てみると中国の話もこのところあまり聞きません。なのでせっかくだから自分で「新京報」という北京の新聞サイトを除いてみると、今日の記事ではアメリカの大幅な株安を伝え中国でもA株というくくりの証券市場が価格を下げていると言いながらも、まだ大きな影響はなく未だ中国は世界市場の中で「オアシス」のようなもんだと、まるで他人事のように楽観視しています。まぁ、主要銘柄は皆共産党などの特権階級が握っているから、あんまり下がらないってのもわかるけどね。

 恐らく、今回の株安で一番危険なのは日本を除くアジア市場だと思います。タイでは今でも政治的混乱が続いており、インド、韓国は上記のように大きなダメージを受け、でもって欧州みたいに複数ヶ国で連携して何か対応するということがありえない点から、かつての「アジア通貨危機」みたいなことになってくるのではないかと心配しております。杞憂で済めばいいのですが。
 世間では株価が下がっていることから、その分現物市場がこれから値上がりするなどと言っては金塊を買っとけなどあれこれ意見が出ていますが、現状ではまだ不透明なので私はお勧めできません。実際に原油価格は下落の一途を辿っており、そもそも回す資金自体が世界市場から突然いなくなったのだから、掘った土が横に盛られるわけでもないので上がらないのが普通なんじゃないでしょうか。

 と、素人ながらあれこれ意見を書いてみました。結論を言うと、日本は損害を受けつつも他国よりはまだいくらかマシな状況にあるのではというのが私の意見です。しかし唯一の懸念は、前にちょこっと匂わせた銀行の貸し渋り問題です。こっちは結構表面化しており情報も集まってくるので、また明日にでも解説します。

2008年10月7日火曜日

パワプロのサクセスで私が作った選手

 今日もなんかおなかの調子がよくないので、簡単に流せるゲームの話です。今日は今でもやっているパワプロです。

 さてこのパワプロときたらサクセスというほど、このゲームはスポーツゲームなのに育成ゲームのように多方面でプレイされています。やっぱりいい選手を作ろうとしたらなかなかうまくいかず、かといって能力だけ優秀なだけだと個性がなくてつまらない選手が出来てしまいます。
 私もかれこれ長い間このゲームをやってきていますが、やっぱり馬鹿な子ほどかわいいと言いますか、欠点のある選手は贔屓して使うようになってきます。そこで今日は、過去に私が作った選手の能力の組み合わせを紹介しようと思います。

1、肩力E+レーザービーム
 この組み合わせに意味があるのか、しかもポジション内野だし。友人に使えないと一蹴されました。

2、短気+ポーカーフェイス+ムラッ気
 普通に、こんな奴が近くにいたらすごい嫌な気がします。怒りっぽいのにポーカーフェイスで、なんというか長州小力みたいに「きれてないっすよ」って言うのかな。

3、最速155km+アンダースローの投手
 私以外でも作られていると思いますが、友人にも言われましたがまず肩がいかれるでしょう。

4、持ち球が「カーブ」と「Dカーブ」の投手「洗濯機」
 最初作っていた時は「洗濯機」という名前で「スクリュー」が決め球の投手にしようと思ってたのですが、途中でオリジナル変化球作成イベントが起こったので、「スクリュー」を無駄に「カーブ」に変えて、左右にカーブを投げる中途半端な投手になりました。

5、「威圧感」を持つ投手「ハンニバル」
 別にねらってたわけじゃなかったけど、「ハンニバル」という名前で投手を作ってたら自然と「威圧感」を取得しました。名は体を現すのだと実感しました。

6、「タタ木寸」
 みてもらえばわかると思いますが、ソフトバンクの多村選手の名前を横に拡大したように見える、読みが「たたきすん」という選手です。ほんと、これだけのために作るのもなぁ。

7、「**」(友人の名前)
 友人の名前を使って昔はよく選手を作ってたのですが、よく学校の授業をサボる奴だっただけにスタート時に「サボり癖」がつくことが非常に多かったです。こちらも名が体を現していました。

 といったようなところです。逆に成功した例だと「大笠原」といって、巨人の小笠原選手にあやかった選手を作ったら「アベレージヒッター」と「パワーヒッター」の二つを取得でき、非常に強い選手になりました。その一方で「下原」や「上柳」といった選手は、あやかる選手のようにならず全然駄目でしたね。

2008年10月6日月曜日

スーパーロボット大戦シリーズについて

 ぶっちゃけ今疲労中なのと、長い文化大革命の連載が終わったので気晴らしに軽い記事で今日は乗り切ろうと思います。まぁそんなら何も書かなければいいだけなのですが。

 そんな今日お話しするのはバンプレストから出ているスーパーロボット大戦シリーズというゲームについてです。このシリーズは昔からやっていますが、なんと言うか中途半端にぽつぽとやっています。私がプレイしたシリーズを挙げていくと、

・~EX ・第四次~ ・新~ ・~F ・~F完結編 ・~α ・~α外伝 ・第二次~α ・第三次~α

 といったところでしょうか。時期的には90年代後半から2000年代前半くらいです。
 このシリーズはまぁそこそこはまったのですが、最初にやったのが第四次でこれはなかなか面白かったです。全体的なゲームバランスもよく、きちんと戦略に則って戦え、でもっておまけユニットがそこそこ通にはたまらないもの(サーバインとかSガンダム)でした。ただ私の場合、最終面より難しいといわれる後半の「オルドナ・ポセイダル」という面の難しいバージョンに迷い込んでしまい、ここで一時ゲームが詰んでしまいました。最終的には一回の行動のたびにセーブするという、まるで詰め将棋のような戦いで越しましたが、あれは今でも夢に出てきます。

 その後EX、新を経てからFをセガサターンでプレイしたのですが、個人的な感想を述べるとこのFとF完結編は非常に出来の悪い作品でした。まず一回一回の戦闘でBGMが変わるためにロード時間が膨大になり、その上味方ユニットは中途半端に弱いまんまなのに後半にはHPが一万を越えるドーベンウルフがザコキャラのようにうじゃうじゃ出てきて、普通に敵と戦う際にスーパーロボットとリアルロボットの区別が意味ありませんでした。
 でもってなかなか勝てないもんだから結局ビルバイン一人に負担がのしかかってきちゃうか、イデオンで反則な勝ち方をするかしか選択肢がなくなるという無節操さ。これでゲームと呼べるのか。

 更に言うと、これまた私の特技炸裂ですが今のウィキペディアの「スーパーロボット大戦F」のページにはすでに消されていますが、以前のこのページでは本来一つの作品となるはずが「F」と「F完結編」に分かれたことについて、

「製作側のバンプレストによると脚本の担当者が急病になったためと、容量が一枚のゲームに収まらなくなったことを分割の理由に挙げていたが、ネット上の有志の調査によると、FとF完結編のデータを合わせてもギリギリ一枚のディスクに収まることが指摘されている」

 私的な意見ですが、恐らくデータは一枚でも十分に入ったと思います。何故ならゲームの大部分のデータはBGMやロボットユニットのアニメーションデータで、これはFとF完結編のどちらにもその大体が共通しており、分けるデータといったらシナリオと一部のボイスデータくらいだからです。それにもし一枚に収まりきらなかったとしても、それならそれで単純にゲームを二枚組にして出せば良かっただけの話です。

 私なんかこのゲームが出た当時は中学生くらいだったから、なけなしの小遣い使ってわざわざ新品を買ったのに製作サイドのくだらない理由で二本も買わされた(合計金額13,600円)上に、ゲーム自体がシミュレーションとして戦術性もなにもなく、シナリオも前作にいなかったライディーンがなかったことにされるわ、一話だけ出てきたランバ・ラルがその後一度も出てこないまま空気とされるわ、ガンダムWのキャラクターたちが途中でパーティからいなくなった後、ポセイダルルートを行かずにDCルートを通るとそのまま一切出てこなくなるなど憤懣やるかたない代物でした。にしても、我ながらよく憶えているな。

 このあまりの体たらくにもう二度とスパロボは新品で買わないと新月に誓った15の夜、別に15歳じゃなかったけど。そんな過程もあり次のαは中古で買いましたが、これは逆に非常に面白かったです。シナリオもテンポ良くさくさく進むし、何よりこれまでのシリーズよりオリジナルキャラの主人公がきちんとシナリオに絡んでくるというのが好感を持てました。何気に最初に選んだのは今もレギュラーのクスハでしたが。

 またシナリオだけでなく戦闘アニメーションもようやくGジェネレーションのようにONとOFFが切り替えられるようになり、また少ないカットでロボットの挙動をきちんと再現していたのには感動しました。この次の次にやった第二次αからは戦闘アニメーションが3Dになったのですが、かえって元の原作アニメのセル画カットの動きから離れてしまい、むしろ悪くなった印象があります。戦闘アニメだけで言うなら、このαと次のα外伝が最もすばらしい出来でしょう。

 それで次のα外伝ですが、シリーズ中、実はこれが一番好きです。確かに難易度は結構高めなのですがシナリオの進め方で難易度は調整されますし、また使用アイテムや今作から入った支援コマンドを活用することでFとは違って戦術次第でどうとでも挽回できます。また前作α同様に戦闘アニメーションもカットインを使うことで臨場感が出ており、個人的にはガンダムXのサテライトキャノンとターンエーガンダムの月光蝶が一番気に入っています。

 さぁそれで最後の第二次α。まぁつまらなくはないのですが、明らかに前作のが面白かったのが致命的です。今作から導入された小隊システムには賛否両論ありますが、私はいろんなユニットがつかえるという意味では良かったと思っています。で、一応は上に挙げた第三次ですが、これは途中でやめました。私以外の人も同じようなことを言っていますが、本来なら第二次で地球圏の戦闘は終わって第三次で宇宙人と最終決戦して完結……という流れだったらしいのですが、人気だったということで無理やり「ガンダムSEED」をシナリオに挟み込んだせいでまた地球圏の戦闘が始まり、やっててシナリオに疲れました。こんなの長い間ゲームしてて初めてですよ、別にガンダムSEEDは嫌いでもないのに。

 というわけで、息抜きのつもりだったのにえらく力の入った記事になりました。水野晴夫の笑顔も三度までと言いますが、本当、文章書くのっていいですね。

2008年10月5日日曜日

文化大革命とは~結び、文革は何故起きたか~

 ちょっと試しに前回までのこの連載の文字数を数えてみたら、三万字弱ほどありました。原稿用紙に換算すると七十五枚で、よくもまぁこんなに書いたもんだと我ながら呆れました。
 そんなもんでこの連載も今回が最終回です。もう書くことは大体書いており、最後の今回では文化大革命の総論的なことをちゃちゃっと書いて行きます。

 まず文化大革命は中国にその後どんな影響を与えたかですが、結論から言って中国はこの文化大革命によって発展が三十年は遅れたとまで言われております。中でも最大の損失ともいえるのが知識人で、この連載の最初の記事でも書きましたが、ちょうど日本での団塊の世代に当たる年齢に、中国の大学では教授などの人間がすっぽり抜けてほとんど存在しません。これはこの世代ががまさに文革で排斥される対象となった世代で、文革期に殺されるか、社会的に抹殺されたかのどちらかで存在していません。

 前回のカンボジアの大虐殺でも触れましたが、文革期には中国でも知識人が文字通り根絶される勢いで摘み取られていきました。ここでちょっと想像してほしいのですが、たとえば今、当たり前のようにいる設計士、技術者、熟練工といった人たちがこの社会から突然いなくなってしまうとしたら。もちろんそうなればあらゆる工事から工場の作業、開発製造といった行為がすべてストップしてしまいます。しかも、いざそういった人材をまた育てようと思っても、技術や知識を一から教えてくれる教員すらいない状況であればなおさら悲惨です。

 70年代の中国はまさにこうでした。一度は育てたあらゆる人材がいなくなり、技術や知識の継承をまた一からやり直す羽目となったのです。ただ中国はこれを奇貨として文革後に優秀な学生を選抜して、一気に東大など海外の大学へ留学させて建て直しをはかったりしています。今、中国の経済界ではそのような留学帰りの人たちが大きな力を持っているらしいです。

 中国が文革から受けた損失はなにもこの人材だけではありません。連載中にも書いていますけど何の計画もない土地開発のために自然環境は徹底的に破壊され、また歴史的遺物も「過去の残滓」として数多く破壊されています。
 そして元紅衛兵だったたくさんの若者たちも地方に下放されたまま、故郷へ戻ることすら叶わなくなりました。

 こうしてみると、何故これほどの悲劇が繰り広げられたのか、誰も止めることが出来なかったのかと疑問に思えてきます。敢えて私の分析を披露すると、この文化大革命は毛沢東の手によって引き起こされたものの、中期以降は一般民衆もむしろ率先してこの混乱を加速させ、いうなれば集団パニック、もしくは集団ヒステリーのような現象だったと思います。日本も戦前は教育上は軍部が国民を扇動させたことになっていますが、実際にはかなりの部分で国民も戦争へ突入するのを応援していました。何でも、朝日新聞が当時に反戦の記事を書いたら部数が一気に5%にまで落ちて、慌てて戦争賛美へと論調を変えたほど民衆も戦争一色だったらしいです。

 よく集団ヒステリーというと、大体二、三十人くらいの小集団で起こるもの、大きさにすると学校のクラス単位くらいなものと思いがちですが、歴史的に見ると日本を始めとした国家単位でも起こっていますが、さすがに中国という巨大人口国でも起こるというのはなかなかに驚きです。まぁ実際、集団ヒステリーに人数は関係ないのかもしれませんけど。

 では何故、そこまで混乱が発展したのでしょうか。いくつか理由があり、恐らくは複合原因によるものだと思いますが、その中で挙げられる原因を出すとしたらやはり、文革発生以前に中国人の愛国心が異常に高かったせいだと思います。戦前の日本、そして今の韓国もそうですが、なんだかんだいって愛国心というのは非常に扱いの難しい感情だと思います。低すぎても駄目ですし、高すぎても駄目です。では高すぎると何故駄目なのかですが、ちょっと前に書いた記事の被害者意識のように、国のためになることだったら何をしてもいいんだという風に思う輩が出てくるからです。

 今の中国でも「愛国無罪」という言葉が出るくらいに、国のための行為なら犯罪行為すら許されると主張する人間がおり、日本への批判、外交施設への投石も認めるべきだと過激なことをやる人がいます。恐らく、文革以前は今以上にこういった愛国心が強かったと予想されます。というのも当時の中国はまだできた手の国家で、政府も「皆で国を支えよう」と強く檄を飛ばしていました。そうして高められたまま毛沢東の扇動がおき、国のためならばと紅衛兵が立ち上がって法律を無視し、私的なリンチや密告合戦が起こっていったのだと思います。

 被害者意識の「被害者なら加害者に対してどんな抵抗をしても許される」とか、愛国心の「国のための行為なら何をしても許される」という意識の背景で最も大きいのは、個人の責任というのが乖離されることです。両方とも行為の責任主体を自らに置かず社会に対して置き、この行為は相手に迷惑(被害)をかけるが、自分は本当はやりたくはないのだけれど社会がそう要求する、というような具合で、心の一部で確かに悪いことをやっている気はするものの、なんとはなしにそれを許容するように自己弁護をやってしまうということです。

 戦前の日本でも軍隊内などで、「天皇の意思に背く」という理由でリンチや略奪行為などが許容されたことがありましたが、そもそも天皇がいちいち軍隊内でのビンタなどに意思を持つかどうか、しかもそれが各部隊長が判断できるのかというのは疑問です。一部の評論家たちも言っていますが、当時の軍隊は天皇という言葉を私的に利用しては自分たちの行為に正当性を無理やり持たせていたのでしょう。こんな感じで、「国のため」という言葉が自己を正当化するに至るまで愛国心が中国全体で高かったのが、この文革が起きた大きな理由だと私は感じます。

 最後にこの文化大革命について個人的な感想を述べると、他山の石のように思えないということに尽きます。ドイツでもそうですが、ユダヤ人虐殺などの戦争犯罪はナチスという狂った集団が行ったのだと自分たちと切り分け、我々日本人でも、太平洋戦争という無謀な戦争に至ったのは軍部(主に陸軍の)が国民を欺いたためと、こちらでも一般民衆は加害者ではなく被害者として切り分けています。
 しかし、私はいつもこう思います。

「虐殺もなにもかも、行ったのは自分と同じ人間だ。ちょっと間違えれば、今の自分もこういったことに加担するかもしれない」

 文化大革命も同様で、自分には関係ない、自分なら絶対こういう馬鹿なことはしないと切り分けることが出来ません。もちろんこんな悲劇は起こしてはならないので、常に注意しつつ、可能な限り周囲にこの事実を周りへと広げ歴史への反省を促していきたいと思います。

2008年10月4日土曜日

文化大革命とは~その十三、毛沢東思想の伝播~

 これから書くことは内容が内容だけに、すこし手が震えます。書くことの重大さもさることながら、そのあまりの内容からだと思います。

 さてこの連載の中の「その五、毛沢東思想」の中で、通称マオイズムと呼ばれる毛沢東の思想について、非常にお粗末ながら解説させていただきました。この毛沢東思想ですが、よく勘違いされがちですが伝播した範囲というのは中国国内に限定されておらず、なんだかんだいって欧米でも研究者が出るなど世界的に大きく広がりを見せ、現在でも大まかな範囲で否定されつつも、共産主義と農民主義を合体させたことなど限定的な面で評価されています。
 ここで更に注意してもらいたいのは、この毛沢東思想は決して過去の遺物ではなく、現在もなお影響を持ち続けている思想であるということです。その影響が未だに続いている場所というのは他でもなく、東南アジアに位置するカンボジアです。

 注意してみている人だけかもしれませんが、よく海外政治ニュースなどでカンボジアの情勢が伝えられる際、「毛派」という言葉が出てきます。この毛派というのは文字通り、毛沢東主義を第一に掲げている政治集団のことを指しており、その勢力が大きく衰えたとはいえ現在もなお活動している団体です。もちろん、その活動は非合法なテロなどが多いのですが。

 話は毛沢東が生きていた時代、そしてベトナム戦争が行われていた時代です。当時のカンボジアはシアヌーク国王による王政国家だったのですが、国王が外国に出ている隙に親米派のロン・ノルがクーデターを起こして政権をとりました。当時はベトナム戦争真っ只中ということもあり、ロン・ノルは国内にいるベトナム人や共産主義勢力に弾圧を加えた(カンボジアとベトナムは国境を接している)のですが、それに対して反動が大きくなり、最終的にはポル・ポト率いる共産主義勢力であるクメール・ルージュがゲリラ戦を展開して内戦を起こし、逆にロン・ノルを国外へ追い出すことに成功しました。

 まぁなんていうか、ここで話が終わればそれなりによかったのですが、皮肉なことにこの結果が後にカンボジア、ひいては20世紀の一つの悲劇を生むことになります。
 この時政権を奪取したクメール・ルージュですが、これはフランス語で「カンボジアの真紅」という意味で、カンボジア共産党ともいう意味です。この時の指導者はフランスへの留学帰りが多く、それから名づけられた名前です。
 ついでに余談ですが、中国で私と相部屋であったルーマニア人はフランスのことを、「あそこは共産主義国だから」と評していました。まぁそれとなくそんな感じはするけど。

 それでこのクメール・ルージュですが、内戦時に主に支援を受けていたのは中国からでした。中国としては共産圏を広がることでこの地域への発言力を強めようという意図があったのだと思いますが、この時に中国に影響を受けたことからクメール・ルージュの掲げる思想というのは毛沢東思想に準拠したものになりました。そしてそんな集団がカンボジア首都、プノンペンを占領すると、早速その思想を実行に移します。

 出来れば先にリンクにあげた過去の記事を読み返してもらいたいのですが、毛沢東思想の最も代表的な特徴というのは、「知識人は搾取階級であり悪である」ということです。そのため、この思想を掲げるクメール・ルージュが真っ先に行ったのは知識人の一方的な殺戮でした。聞くところによると、英語をほんのすこし話すだけでも、仏教を修行していただけでも知識人とみなされ一方的に殺戮されたそうです。またそうでなくとも、途方もなく極端な政策が無理やり実行されて強制労働が各所で行われ、文字通り死ぬまで人を酷使した上で逃げ出そうものなら容赦なく射殺していったようです。

 そうして知識人を社会からはじくかわりに持ち上げられたのが、まだ年端もいかない子供たちでした。毛沢東思想の反復になりますが、まだ何の教育にも染まっていない子供たちこそ新たな時代が切り開けるという考えの下でクメール・ルージュは子供に銃を持たせ、政策への不満を漏らしていないかスパイ活動を行わせ、挙句に大人たちの処刑を行わせたのです。このあたりは中国の文化大革命時の紅衛兵を想像してもらえばいいでしょう。まぁさすがに毛沢東も紅衛兵に銃は持たせませんでしたが。

 その結果、このクメール・ルージュ政権時に虐殺された人数は200万人から300万人とも言われ、当時のカンボジア全体の人口の実に四分の一もの人間が殺害されたと言われています。これは一つの政権による虐殺としては過去最大で、あのナチスドイツのユダヤ人虐殺の人数をも越えます。
 にもかかわらず、こちらは日本でユダヤ人虐殺ほどあまり取り上げられません。その理由は恐らく、ユダヤ人には政治家や金持ちが多くいるために世界的に発言力が大きく、それに対してカンボジア人はそれほど発言力がないからと、同じ共産主義国といってもソ連の支援を受けていたベトナムに対する防波堤としてこのクメール・ルージュを中国同様に間接的にアメリカが支援したということが影響していると思います。

 最終的にこのクメール・ルージュは対立していたベトナムと戦争状態になり、実力に優れるベトナム軍にコテンパンにやられ国外から追放され、この虐殺の責任を追及されないことを条件にベトナムに従うという政府関係者によって新たに政権が作られることにより虐殺が終わりました。このことが後々に問題となってくるのですが、こちらはちょっと範囲外なので取り扱いません。

 このカンボジアの虐殺については「不思議館~ポル・ポトの大虐殺~」に非常に詳しく書かれているので、勝手ながらリンクを貼らせていただきます。このページでも冒頭に書かれていますが、この虐殺について詳しく知りたいのなら最もよいのは「キリング・フィールド」という、実話を基に作られた映画を見ることをお勧めします。これはアメリカ人記者とそのカンボジア人通訳の人の話で、作中後者の通訳の方が英語を使える事を悟られまいと必死で隠す姿と、その彼に対して12~3歳くらいの少年が無機質な顔で銃を向ける映像が印象に深く残っています。

 結論を言うと、文化大革命は中国だけでなくカンボジアでも行われたということです。そして両国ともおびただしい犠牲者を生み出し、毛沢東思想というのは事実的にも悲劇の歴史を複数も生んでしまったということです。思想という言葉について最近あまり私が本を買わなくなった佐藤優氏によると、「普段何気なく、当たり前だとみんなが思っていること」と言い、日本人が意識しなくとも仏壇で手を合わせるような事が思想だと説明していますが、この毛沢東思想の例を考えるにつけ、集団を方向付ける非常に大きな要素なのだと思うようになりました。よく教育議論などで思想思想とあれこれ議論になりますが、そんな簡単に扱っていいものか、そんなあいまいな議論でいいものかなどと、軽々しくそれを口にするものに対して強く不快に私は思います。

暗記のススメ その二

 本店の方のコメント欄で何か私特別の暗記法があるのかという質問を受けたので、いい機会なのでいくつかお勧めの記憶術を紹介させてもらいます。

1、自己との連関化
 これは「バカの壁」の中で作者の養老猛氏が紹介している話なのですが、女性の出産のビデオを学生に見せたところ男子からは感想が拙い物ばかりだったものの、女子からはいろいろと面白い返事が返ってきたそうです。養老氏によると、男子はともかく女子は将来自分も経験するであろう対象であるために、興味が多い分対象に対しての集中、観察が強化されたのだろうと述べ、人間の脳への入力は以下のような数式になると書いています。

  記憶量=情報×係数 ※係数=対象への興味

 私も基本的にこの養老氏の意見に同感で、やはり自分の興味が強い対象であればあるほど物事は頭に入りやすいと思います。たとえばテストにでる科学反応式なんかはなかなか覚えないくせにゲームの攻略情報や呪文の名称なんかは大抵一発覚えられます。まぁ誰でもそうでしょうが。
 そこで私がこの人間の脳の特性ともいえる部分を利用している点ですが、基本的にどんな情報でも自分と関連付けるようにしてます。普段はどんなにくだらない情報でも将来それとどんな風に関わるかわからない、今のうちに覚えておかねばという具合で覚える動機づけを毎回やっております。
 私の実体験だと中学時代にミリタリーマニアの友人がいたのでそういったものにそれまで全く興味はなかったものの、「こういうことを憶えれば、軍事関係の話とか理解しやすくなる」と自ら動機づけを行い、彼の話す銃器の種類から部品名などをよく聞いて今じゃある程度ミリタリー情報は暗記している自信があります。余談ですが、形状的に一番好きな銃は「グロック17」です。

2、心構え
 先ほどの興味や連関と被る話ですが、やっぱり覚えようようという志しが一番大事だと思います。私の場合はそれがちょっと極端で、先ほどにも書いたように今は全く関係ないけど将来その情報が必要になってくるかもしれないので、予防線を張るような動機で情報を暗記しようとします。
 ただそれ以上に、自分で書くのもなんですが、私は基本的に他人が自分の知らないことを知っているのを非常に悔しいと思ってしまう性格をしています。なんというか自分が負けているような気がして、他の分野で勝ってても一つでもある分野の情報量に負けていると何とかせねばと考えてしまいます。こんなんだから無闇に範囲だけ広くて、器用貧乏なタイプになってったんだろうな。このブログの記事も統一感ないし。

3、情報の出力能力の強化
 これは以前に書いた、「情報の入出力に必要な能力」という記事でほんの少しだけ触れていますが、私の聞くところ他の人が一切言っていない私スペシャルの記憶術がこれです。一般的な記憶術や暗記法は情報の入力、つまり暗記する部分にばかり解説されており、肝心の運用方法には触れられていません。私はこの情報の運用、つまり出力に着目しています。

 まず、一般に暗記した情報というのはどういう時に使うかを考えました。まぁ研究論文などを書く場合などは普通は資料と対峙するので、恐らく暗記情報を一番使うのは会話時、それも討論の場合であったらなおさらです。その場合、手元に資料を持たずにどのように人と議論を重ねるのか。議論を重ねる情報材料はどこから出すのか、それは最初から頭の中に用意されているのか。

 自分でもちょっとわけのわからないことを言い始めましたが、簡単に言うと、会話全体で使う話題というのは会話を始めた当初から頭の中に「相手にはこういうことを言おう」と用意してあるわけでなく、その大体が相手の言う言葉に反応して、会話中に記憶から取り出されているということです。会話で使う暗記情報というのはメモ書きのように頭の中に常に張り出されているわけじゃなく、普通は相手からの返答、反応といった刺激に対して、「あっ、そういえばこの情報にはこういう話もあったな」っていう具合で引き出されるものが大半です。だから「空が青いね」と相手がいえば、天気の話題→気候→秋→秋空→「天高く馬肥ゆる秋だね」というような返答のプロセスが築かれます。くどいようですが、返答の内容は相手の発言があるまで頭の中に入っていません。

 私は人間というのは、思われている以上に何でもかんでも憶えられるものだと思っています。ですが記憶した情報というのは外部からの刺激がくるまでは大抵頭の中で眠りについたままです。その外部からの刺激も、強弱によって引き出せるかどうかが変わります。たとえば、歴史のテストなどの人物名を問う問題で直接答えさせる記述問題に対し、あらかじめテスト用紙に書かれた人名から四択で選ばせる選択問題とでは解答率が大幅に変わってきます。これは記述より選択問題のほうが正解の人名が書かれている分、外部からの刺激が強いために記憶が想起しやすいということです。

 これがどう記憶術に関わってくるかというと、私の場合は普段から会話などで情報に触れる際、なるべく多くの関連情報を想起するようにしており、その上何か新たな情報を取り込む際に、「この情報はこれとあれとに関連する。これとあれの情報が出てきたら必ずこの情報を思い出すように」と、見る人が見たらばかばかしいでしょうが、常にこうして情報同士の関連付けを整理しながら憶えています。こうした普段からのなんともいえない訓練の成果で、なにか一つの情報に対して記憶から引き出す関連情報の量は他人を遙かに凌駕しており、出力速度にも自信があります。結論を言うと、情報を引き出すために必要な刺激量を可能な限り少なくさせているのです。

 こういう風に考えたのは、記憶量を増やすよりも記憶情報の運用法を考えることのほうが思考にはずっとプラスではないかと考えたのがきっかけです。結果的に言うと情報同士の関連付けが以前よりずっと強化され、またしょっちゅう思い出すので情報の記憶への定着も良くなりました。ただ弊害として、一人での思考が際限なく続くことが増え、前なんかパソコンの中で新規フォルダを作って名前を入れる際に、フォルダ→情報(データ)を入れる→データの収集→伝承が収集されたのがギリシャ神話→オデュッセイア→作者はホメロス→「ほめろ」と書いたところでどうでもいいと思って結局フォルダ名は「誉めろ」になったことがあります。この間約一秒。

4、確認の実行
 予想以上に3が長くなってしまいましたが、最後に紹介するのは確認の実行です。たとえばちょっと気になったものとか、思い出せそうで思い出せないものがあったらすぐに調べるということです。今なんかウィキペディアもあるのですぐに確認が取れますが、やはり頭に出かかっているものを最後まで取り出さなければ、最終的にその情報は失われてしまうと思います。なので、「あの歴史上の人物は誰だったっけ」と思ったらすぐに関連情報から調べ、確認を取っております。こういう地道な積み重ねによる記憶の定着作業が、最終的に記憶量につながっていくと思います。

2008年10月3日金曜日

暗記のススメ

 昔私が中学生だった頃、十字軍を舞台にした小説を書こうと思い立って学校の図書館から中世世界史の本を数冊借りてきて、うちにある歴史資料集と合わせて大体四冊くらいの本を並べてあれこれ事実関係の確認などを行いました。さすがに四冊もあると各資料の中で足りない部分が相互に補われて大体の内容を掴むことができたのですが、ふとこの時に思うことがありました。

 たとえば「十字軍」という調べものに対してはこうして資料を並び立てることができるけど、毎回資料や記事がこう並びたてられる保障はないし、下手をしたら一回テレビかなんかで報道されてそれっきりという情報もある。そんな場合、今みたいに調査、研究するときにはどうすればいいのだろうか。

 こうして考えた末に出た結論と言うのが、どんな情報でも一回触れた時点で暗記するしかないという境地でした。
 基本的に情報を分析、研究するには、一つの情報を鵜呑みにせずに関連する情報同士を比較することが絶対条件です。しかし関連する情報というのは必ずしも先ほどの十字軍のようにそのテーマごとに本にまとめられていたり、ネット上でデータベース化されているわけでもありません。そのため比較する際には基本的に収集という作業が必要になるのですが、これも時間がとられるし、そもそも収集できる資料すらないということもあります。また資料があるとしても、大まかな目星なしに見つけるというのも難しいというものです。

 ではどうすればいいか。その解決方法として唯一浮かんだのが、私の場合暗記でした。どんな情報、たとえどれだけ些細なものといえども一回見聞きして暗記すればいざ分析が必要になったり、後で関連する事件が起きて重要度が増した際に一発で脳内で引き出すことができます。また研究対象に関する大量の資料が実際にあるとしても、数学みたいに数式を作って比較検討(データ化しての比較はあるけど)できるわけでなく、一旦自分の頭に入れて租借しないと、新しい理論や考え方などは浮かぶはずがありません。

 こういう風に考えるに至り、それ以降私は本当にどんなことでも暗記しようと心がけてきました。もちろん全部が全部暗記できるというわけではありませんが、それでも知人らからよく私の記憶力(知識力)が評価されるのは、こうした日頃の心がけの賜物だと思います。
 こう改めて説明した上で私の他の記事を読み返してもらえばわかると思いますが、基本的に私の得意とする解説は一つの情報に対して別の関連する情報をさらに紹介し、両者を複合させて私の考え(新たな情報)を紹介するという形式が非常に多いです。私なんて変なプライド持っているもんですから、一つの事実をただ単に紹介するだけなら伝書鳩でもできると思って、最低限関連する情報を紹介するようにしております。ちなみに、こういった作業を私は私的に「情報を加工する」と呼んでいます。

 なのでこれは他の人に言いたいことですが、よく丸暗記は官僚的で応用の利かない思考になってしまうなどと批判する人もいますが、私は最低限の知識を暗記して土台を作らねばそもそも人間は思考することができないと考えています。その土台は大きければ大きいほどもちろんよく、むしろ官僚的と呼ばれる方々のほうこそ暗記している知識が少ないのではないかと疑っています。
 私の友人の中でも自分に興味のない話題となると一応会話はするもののあまり深く聞かずに相槌だけ打つ人間もいますが、どれだけ自分に関係なさそうな情報でも、私は暗記するに越したことはないと思います。人間の記憶力はパソコンみたいに容量が決まっているわけじゃなく、鍛えようと思えば鍛えられるものなのですから、一語一句暗記する勢いくらいが思考にとっても返ってよいのです。

  おまけ
 昔読んだ話で、ある日本人が外人が円周率を小数点第千位まで暗記して見せたというニュースを聞き、じゃあ私は一万位までやろうと思い立って本当に実行してしまいました。この人は二十歳を過ぎた頃に記憶力の減退を感じ、それ以降ずっと鍛えていたそうで、確かその暗記をやってのけた頃には四十歳を過ぎていたと思います。
 よく年齢が重なると身体的に記憶力が落ちるといいますが、私はそれは嘘で、それまでより記憶する量が減るために起こることだと思います。なお、先ほどの円周率暗記の世界チャンピオンは確か去年か一昨年に事故の世界記録を塗り替えるために五万位までの暗記をやろうとしましたが、たしかこっちは途中で棄権していたと思います。