かなり昔にこのブログで書きましたが、基本的に私は現代国語の敬語表現を非常に嫌っています。というのも最近はあまり聞きませんが、マクドナルドの「一万円、入ります!」など、本来の用法から大きく外れて心情や感情を遠くに置いた形式ばった表現ばかりが今の敬語の中にはよく見受けられるからです。
実際にこの状況についてはプロの方も問題視しているらしく、この前に読んだ外国人のための日本語学校講師のエッセイによると、敬語表現を母国語の日本人として外人に教えている一方、街中に出てみると誤った用法がさも当然かのように使われているのを見るにつけて果たしてどんなものかと思ったそうです。ちなみにその回のオチでは、最近バイトを始めたという生徒の中国人に宿題の用紙を渡したところ、「ハイ、喜んで!」と返事されて、どこにバイトしているのかが一発でわかったそうです。
そんな敬語ですが、嫌っているとはいえ私も昔のヤンキーみたく何にでも反抗してたらとても社会生活を送れないので、日常生活の中では一応は妥協して目上の人には対して使っています。ただそうして私が敬語を使う際、こういうのもなんですが相手によって同じ敬語でも自然と口から出てくる相手と意識しないと出てこない相手の二つに別れてしまいます。その両者を分けるのは何かというと、こういえば元も子もないですがやっぱり人柄です。
やはり自分が尊敬する、信頼している相手に対しては全く意識しなくとも自然と敬語が口から次から次へと出てくるのに対し、立場上相手が目上だとしても横柄な態度を取ってたり普段の行動があまり信用できない相手だと意識しないと敬語で話すことが出来ません。その一方、そういう相手には、「何やねん、ボケ!」という言葉はよく出掛かるのですが。
別に自分がそういう相手に敬語を使いたくないからというわけではありませんが、私は基本的に敬語というのは相手に強制させて使わせるものではないと思います。もし自分に対してその相手に敬語を使わせたいのであれば、自分が相手の尊敬の対象になるように振舞うべきであって、「言葉遣いが悪い」などと言って相手の揚げ足を取るのは以ての外でしょう。
如何にして敬語が使われる人間になるか、重箱の隅をつつくようなマナーにこだわるくらいならもう少しこの辺を日本人は考えるべきじゃないでしょうか。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年8月27日木曜日
2009年8月26日水曜日
猛将列伝~畠山重忠~
・畠山重忠(ウィキペディア)
今日はそこそこ歴史を勉強していても意外と知られていない、平安末期から鎌倉初期に活躍した日本の武将の畠山重忠を紹介します。
恐らく大学受験で日本史を勉強された方は「畠山重忠の乱」という事件名だけは暗記されているかもしれません。日本史の教科書にはこの事件を、源頼朝が死去するや成立したばかりの鎌倉幕府では次々と御家人の反乱が相次ぎ、その反乱の中一つとして紹介されております。
これだけ聞くと畠山重忠という人物は野心的な人物のように見えますが、いくつか異説はありますが歴史の中の彼はこのイメージとは違う、というよりも程遠いまでに清廉潔白な武将像の人物です。
畠山重忠の名が始めて歴史に現れるのは、源頼朝の挙兵時です。1180年、以仁王の令旨を受けて源頼朝は打倒平氏の旗を掲げて挙兵をするのですが、この時は平氏からすぐに討伐軍がすぐ差し向けられた上に思ってた以上に呼応する武士が少なく、頼朝も一時は数人で雲隠れする羽目になりました。この失敗に終わった挙兵初期、頼朝方についた有力武士団の頭領の三浦氏を平氏の指示で討伐を行い、三浦氏の援助を当てにしていた頼朝を窮地に陥れたのが他でもなくこの畠山重忠でした。
その後頼朝が危機を脱した後、頼朝の元へ徐々に武士団が参集していたところで重忠も馳せ参じてきました。頼朝としては味方であった有力武士団の三浦一族を滅ぼした重忠に複雑な思いがあったでしょうが、それ以上に腰を抜かしたであろうが重忠のこの時の年齢でしょう。なんとこの時の重忠はわずか17歳で、本来の畠山家の当主である彼の父が京都に在任中であったために代理として率いていたに過ぎなかったのです。それにもかかわらず関東において名の知られた三浦一族を打ち倒し、堂々と頼朝の元へと帰参して来たのです。
もちろん頼朝は重忠に三浦一族の件を詰問したのですがそれに対し重忠は、当時は平家方の討伐軍がいた為に帰参が難しく、また本来の当主である彼の父が京都にいた為にやむにやまれず平家方についたと、臆することなく堂々と答え、これを受けて頼朝も重忠の帰参を認めるに至りました。
こうして源氏方についた重忠はその後の源平合戦において、目覚しいばかりの活躍を見せ続けます。基本的には源義経の下で槍働きを行うのですが、木曾義仲との宇治川の合戦では徒歩での一番槍を得ており、圧巻なのは平家との一ノ谷の戦いにおける鵯越(ひよどりごえ)でしょう。この鵯越は崖下の平家軍を急襲するために義経が先陣を切って騎馬に乗ったまま崖を下って攻め勝ったというエピソードですが、重忠の馬はこのときに崖にビビってなかなか降りようとしなかったそうです。それならばと重忠が取った行動というのは、なんとビビる馬を自らが担ぎ上げてそのまま自分で崖を飛び降りて行ったそうです。正直なところ、無理せずに馬を置いていけばいいのにと思わせられたエピソードです。
このエピソードのように剛力な重忠は一見すると武辺者な印象を覚えますが、文化的な素養も優れていたらしく義経の妻の静御前が頼朝の前で舞を疲労させられた際に伴奏を務めており、音楽にも造詣が深かったようです。
その後鎌倉幕府が成立すると創業の功臣として、また幕府内における重鎮として奥州藤原氏との戦いから各地の反乱鎮圧に参加し、公平な人柄と態度から名実ともに「武士の鑑」として周囲から高く評価されたそうです。
そんな重忠の人柄をうかがわせるエピソードに、こんなものがあります。
鎌倉幕府がある反乱を鎮めた際、反乱に参加した武士の首級を重忠の御家人が挙げたということで執権の北条時政らの前でその首級を差し出したところ、鎌倉時代最強のチクリ魔で有名な梶原景時が、
「待て待て、その首級はうちの御家人が挙げたところを横取りされたものだ」
という異議を呈しました。この景時の異議に周りが騒然とする中、重忠だけが落ち着いた様子でこのように言い返しました。
「はて、私はこの首級をその御家人から受け取っただけです」
この言葉の意味とは、重忠の御家人が首級を横取りしたのであれば、何故その本人に異議を申さずこの場で言うのかという意味です。重忠は御家人を預かる立場とはいえ、重忠本人が横取りをしたわけではなくて部下の手柄を報告したに過ぎず、真偽の確認などこの場ではどうしようもないではないかということもこの発言野中に暗に含まれています。この重忠の返答に景時も何も言えなくなり、この話が載せられている吾妻鏡によると周囲も景時を嘲笑って重忠への人気はますます上がったそうです。
こんな具合にいろいろと魅力のある重忠ですがその人気の高さゆえに北条氏の独裁を目論む北条時政に目を付けられることとなり、あらぬ謀反の疑いをかけられて百数十騎で鎌倉へ呼び寄せられて向かう途中、待ち伏せされていた北条一族を初めとする大軍の武士団によって殺害されました。なおこの際、重忠は側近から自分の領地に逃げ戻るべきだと進言されるも、
「もしここで逃げようものなら謀反の疑いが本当だったということになってしまう。それならば武士らしく、一戦交えて華々しく散ろう」
そう言って真正面に突っ込み、見事に討ち死にを果たしたそうです。享年は42歳です。
この畠山重忠の話のほとんどは鎌倉幕府編纂の歴史書である吾妻鏡に収録されているのですが、吾妻鏡は信用性の高い資料として評価されているものの、この畠山重忠の乱がそれを強行した初代執権北条時政がその後北条政子と義時に追放される名目となっていることから、二代目執権北条義時以降の執権政治の正当性を高めるために敢えて重忠が全般において美化されているのではないかと指摘されております。そういう意味では三国志における趙雲と似た特性がありますが、すくなくとも吾妻鏡においては重忠は一線級に魅力のある武将で、私も彼を知ったことから鎌倉時代に対して強い興味を覚えるようになりました。
今日はそこそこ歴史を勉強していても意外と知られていない、平安末期から鎌倉初期に活躍した日本の武将の畠山重忠を紹介します。
恐らく大学受験で日本史を勉強された方は「畠山重忠の乱」という事件名だけは暗記されているかもしれません。日本史の教科書にはこの事件を、源頼朝が死去するや成立したばかりの鎌倉幕府では次々と御家人の反乱が相次ぎ、その反乱の中一つとして紹介されております。
これだけ聞くと畠山重忠という人物は野心的な人物のように見えますが、いくつか異説はありますが歴史の中の彼はこのイメージとは違う、というよりも程遠いまでに清廉潔白な武将像の人物です。
畠山重忠の名が始めて歴史に現れるのは、源頼朝の挙兵時です。1180年、以仁王の令旨を受けて源頼朝は打倒平氏の旗を掲げて挙兵をするのですが、この時は平氏からすぐに討伐軍がすぐ差し向けられた上に思ってた以上に呼応する武士が少なく、頼朝も一時は数人で雲隠れする羽目になりました。この失敗に終わった挙兵初期、頼朝方についた有力武士団の頭領の三浦氏を平氏の指示で討伐を行い、三浦氏の援助を当てにしていた頼朝を窮地に陥れたのが他でもなくこの畠山重忠でした。
その後頼朝が危機を脱した後、頼朝の元へ徐々に武士団が参集していたところで重忠も馳せ参じてきました。頼朝としては味方であった有力武士団の三浦一族を滅ぼした重忠に複雑な思いがあったでしょうが、それ以上に腰を抜かしたであろうが重忠のこの時の年齢でしょう。なんとこの時の重忠はわずか17歳で、本来の畠山家の当主である彼の父が京都に在任中であったために代理として率いていたに過ぎなかったのです。それにもかかわらず関東において名の知られた三浦一族を打ち倒し、堂々と頼朝の元へと帰参して来たのです。
もちろん頼朝は重忠に三浦一族の件を詰問したのですがそれに対し重忠は、当時は平家方の討伐軍がいた為に帰参が難しく、また本来の当主である彼の父が京都にいた為にやむにやまれず平家方についたと、臆することなく堂々と答え、これを受けて頼朝も重忠の帰参を認めるに至りました。
こうして源氏方についた重忠はその後の源平合戦において、目覚しいばかりの活躍を見せ続けます。基本的には源義経の下で槍働きを行うのですが、木曾義仲との宇治川の合戦では徒歩での一番槍を得ており、圧巻なのは平家との一ノ谷の戦いにおける鵯越(ひよどりごえ)でしょう。この鵯越は崖下の平家軍を急襲するために義経が先陣を切って騎馬に乗ったまま崖を下って攻め勝ったというエピソードですが、重忠の馬はこのときに崖にビビってなかなか降りようとしなかったそうです。それならばと重忠が取った行動というのは、なんとビビる馬を自らが担ぎ上げてそのまま自分で崖を飛び降りて行ったそうです。正直なところ、無理せずに馬を置いていけばいいのにと思わせられたエピソードです。
このエピソードのように剛力な重忠は一見すると武辺者な印象を覚えますが、文化的な素養も優れていたらしく義経の妻の静御前が頼朝の前で舞を疲労させられた際に伴奏を務めており、音楽にも造詣が深かったようです。
その後鎌倉幕府が成立すると創業の功臣として、また幕府内における重鎮として奥州藤原氏との戦いから各地の反乱鎮圧に参加し、公平な人柄と態度から名実ともに「武士の鑑」として周囲から高く評価されたそうです。
そんな重忠の人柄をうかがわせるエピソードに、こんなものがあります。
鎌倉幕府がある反乱を鎮めた際、反乱に参加した武士の首級を重忠の御家人が挙げたということで執権の北条時政らの前でその首級を差し出したところ、鎌倉時代最強のチクリ魔で有名な梶原景時が、
「待て待て、その首級はうちの御家人が挙げたところを横取りされたものだ」
という異議を呈しました。この景時の異議に周りが騒然とする中、重忠だけが落ち着いた様子でこのように言い返しました。
「はて、私はこの首級をその御家人から受け取っただけです」
この言葉の意味とは、重忠の御家人が首級を横取りしたのであれば、何故その本人に異議を申さずこの場で言うのかという意味です。重忠は御家人を預かる立場とはいえ、重忠本人が横取りをしたわけではなくて部下の手柄を報告したに過ぎず、真偽の確認などこの場ではどうしようもないではないかということもこの発言野中に暗に含まれています。この重忠の返答に景時も何も言えなくなり、この話が載せられている吾妻鏡によると周囲も景時を嘲笑って重忠への人気はますます上がったそうです。
こんな具合にいろいろと魅力のある重忠ですがその人気の高さゆえに北条氏の独裁を目論む北条時政に目を付けられることとなり、あらぬ謀反の疑いをかけられて百数十騎で鎌倉へ呼び寄せられて向かう途中、待ち伏せされていた北条一族を初めとする大軍の武士団によって殺害されました。なおこの際、重忠は側近から自分の領地に逃げ戻るべきだと進言されるも、
「もしここで逃げようものなら謀反の疑いが本当だったということになってしまう。それならば武士らしく、一戦交えて華々しく散ろう」
そう言って真正面に突っ込み、見事に討ち死にを果たしたそうです。享年は42歳です。
この畠山重忠の話のほとんどは鎌倉幕府編纂の歴史書である吾妻鏡に収録されているのですが、吾妻鏡は信用性の高い資料として評価されているものの、この畠山重忠の乱がそれを強行した初代執権北条時政がその後北条政子と義時に追放される名目となっていることから、二代目執権北条義時以降の執権政治の正当性を高めるために敢えて重忠が全般において美化されているのではないかと指摘されております。そういう意味では三国志における趙雲と似た特性がありますが、すくなくとも吾妻鏡においては重忠は一線級に魅力のある武将で、私も彼を知ったことから鎌倉時代に対して強い興味を覚えるようになりました。
2009年8月25日火曜日
国民栄誉賞に相応しいの誰だ
最近堅いことばかり書いてきたので、今日は久々にどうでもいい記事を書くことにします。
ちょっと古いニュースですが先月、森光子氏が政府より国民栄誉賞を受賞しました。この森光子氏の前の受賞者は作曲家の遠藤実氏(故人)で今年の一月に受賞していますが、遠藤氏の前の受賞者となるとなんとここから9年も前に戻って2000年に受賞した女子マラソンランナーの高橋尚子氏になります。何故これほどまでに国民栄誉賞の受賞間隔に期間が空いたのかといえば、率直に言って高橋尚子氏の受賞時の騒動が大きく影響していることに間違いないでしょう。
この時の騒動や国民栄誉賞がよく指摘されているその基準のあいまいさについては過去に私も「国民栄誉賞について」の記事にて解説していますが、高橋氏への受賞を決定したのが当時支持率低迷に喘いでいた森政権で、その森政権の次に受賞を決定したのが同じく支持率低迷に喘いでいた麻生政権だったことを考えると、やっぱり一時の人気取りの賞として政治に言いように使われているのではないかと思わされてしまいます。
ただこのように国民栄誉賞自体には首をかしげるような点は少なくないのですが、先月に受賞した森光子氏については私は文句なしに表彰されるのに相応しい人物であると考えております。受賞理由となった森氏主演の「放浪記」は上演2000回に加え、89歳の現在においてもなお健康にご活躍される姿は真に評価されてしかるべきだと思います。
しかし、これはあくまで私の主観ですが、もしこれで森氏が国民栄誉賞を受賞するのであれば、もう一人のある女優も受賞されてしかるべきではないかと思う方がおります。その人物とは何を隠そう、「かげろうお銀」の役で有名な由美かおる氏であります。
何故私が由美氏を推すのかというと、なんとこの由美氏も森氏同様にテレビドラマの「水戸黄門」に長らく出演しており、なんとその出演にて200回以上も入浴シーンを撮影したとのことで現在ギネスブックへの登録を申請しているそうです。森氏の2000回と比べて200回では桁が一つ小さくなりますが由美氏が演じたのは入浴シーンで、その日本らしい妙で偉大な功績ぶりを考えると称えずにはいられません。またどうでもいいですが、ウィキペディアによるとノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏と「政界の黄門様」との呼び声の高い民主党の渡辺恒三氏は由美氏の大ファンとのことで、どうも高年齢層にはたまらない女優のようです。ちなみにこの由美氏、今年で御年59歳です。
おまけ
過去記事の「国民栄誉賞について」の記事の中で言及していますが、私は個人的にかつて「ニイヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋広之進氏に国民栄誉賞を是非受賞してほしいとかねてより願っていました。しかしすでに報道されているように、今月の始めに古橋氏は亡くなられてしまいました。古橋氏の偉大な功績に敬意を表するとともに、改めてこの場で哀悼の意を表したいと思います。
ちょっと古いニュースですが先月、森光子氏が政府より国民栄誉賞を受賞しました。この森光子氏の前の受賞者は作曲家の遠藤実氏(故人)で今年の一月に受賞していますが、遠藤氏の前の受賞者となるとなんとここから9年も前に戻って2000年に受賞した女子マラソンランナーの高橋尚子氏になります。何故これほどまでに国民栄誉賞の受賞間隔に期間が空いたのかといえば、率直に言って高橋尚子氏の受賞時の騒動が大きく影響していることに間違いないでしょう。
この時の騒動や国民栄誉賞がよく指摘されているその基準のあいまいさについては過去に私も「国民栄誉賞について」の記事にて解説していますが、高橋氏への受賞を決定したのが当時支持率低迷に喘いでいた森政権で、その森政権の次に受賞を決定したのが同じく支持率低迷に喘いでいた麻生政権だったことを考えると、やっぱり一時の人気取りの賞として政治に言いように使われているのではないかと思わされてしまいます。
ただこのように国民栄誉賞自体には首をかしげるような点は少なくないのですが、先月に受賞した森光子氏については私は文句なしに表彰されるのに相応しい人物であると考えております。受賞理由となった森氏主演の「放浪記」は上演2000回に加え、89歳の現在においてもなお健康にご活躍される姿は真に評価されてしかるべきだと思います。
しかし、これはあくまで私の主観ですが、もしこれで森氏が国民栄誉賞を受賞するのであれば、もう一人のある女優も受賞されてしかるべきではないかと思う方がおります。その人物とは何を隠そう、「かげろうお銀」の役で有名な由美かおる氏であります。
何故私が由美氏を推すのかというと、なんとこの由美氏も森氏同様にテレビドラマの「水戸黄門」に長らく出演しており、なんとその出演にて200回以上も入浴シーンを撮影したとのことで現在ギネスブックへの登録を申請しているそうです。森氏の2000回と比べて200回では桁が一つ小さくなりますが由美氏が演じたのは入浴シーンで、その日本らしい妙で偉大な功績ぶりを考えると称えずにはいられません。またどうでもいいですが、ウィキペディアによるとノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏と「政界の黄門様」との呼び声の高い民主党の渡辺恒三氏は由美氏の大ファンとのことで、どうも高年齢層にはたまらない女優のようです。ちなみにこの由美氏、今年で御年59歳です。
おまけ
過去記事の「国民栄誉賞について」の記事の中で言及していますが、私は個人的にかつて「ニイヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋広之進氏に国民栄誉賞を是非受賞してほしいとかねてより願っていました。しかしすでに報道されているように、今月の始めに古橋氏は亡くなられてしまいました。古橋氏の偉大な功績に敬意を表するとともに、改めてこの場で哀悼の意を表したいと思います。
2009年8月24日月曜日
目指すべき国家モデルの類型~最終回、私の考え編
・目指すべき国家モデルの類型~その一、軍事、外交編
・目指すべき国家モデルの類型~その二、権力体制編
・目指すべき国家モデルの類型~その三、国家信条編
・目指すべき国家モデルの類型~その四、福祉税率編
過去四回に渡って連載してきたこの国家モデルについての連載も、今日が最後となります。最後の今日はこれまれで紹介してきたモデルの中で、今後の日本の政策方針として私が支持するモデルをそれぞれ紹介します。
まず最初の軍事と外交についての方針ですが、これは現在の方針でもある「軽武装重商主義国家」を維持すべきだと私は考えております。というのも日本は中国とアメリカという、どっちも意地を張出したら言うことを全く聞かないちょっと変わった国同士に挟まれている関係で必然的に騒動に巻き込まれやすい国であります。かといってこの両国とも相手にしないで孤高のような独立を保とうにも島国という地理上、本土防衛が非常にやりづらい国家であるために、もし本気で自国ですべての防衛政策を行おうとしたら相当額の軍事費が必要になってきます。
となるとアメリカと中国のどっちかに外交上コミットすることが防衛政策上で非常に重要になるのですが、現状でアメリカのわがままをなんでも聞くのは確かに大変ではありますが、中国よりはまだ信用が置けるということにほとんどの国民も納得すると思います。今後革新的な兵器や外交転換が行われない限りは、この路線が日本にとって最も有益だとこのように考えるわけです。
次に権力体制についてですが、多少悩むものの地方分権型を現在では推します。必ずしも地方分権が権力体制として優れたものだとは思わないものの、少なくとも日本の現状の霞ヶ関官僚体制には明らかに限界が見えており、消毒と心機一転を行うためには一時的にでもかまいませんから地方分権へと一旦舵を切る必要があると思います。
ちなみに何故地方分権に私がこのように不安を感じているかというと、まず三年位前に主に関西の各地方自治体で明らかになった闇専従や昼抜けといった地方公務員の連続した汚職事件があったことと、中国における地方政府の圧政を耳にしているからです。恐らく地方自治体の汚職やモラルから逸脱した行為はまだまだあることが予想され、いくら霞ヶ関が腐敗していようともまた別の腐敗した団体が権力を持つのではないかと、ちょっとこうした不安を抱えております。
そして三番目の国家信条ですが、これは他の国家モデルと違ってやや特殊な材料でして今後どのような方向に国民の目を向かせて国家として強化していくかという方向性で一つに限らなくてもいいのですが、優先順位的に言うと私は文化主義国家を日本人は真剣に盛り立てるべきだと考えております。
これはこのところ私の友人が口をすっぱくしていっていることなのですが、
「昔の外人から見た日本人のイメージは侍だったが、今ではオタクになっている」
これは言うまでもなくアニメや漫画といったサブカルチャーが影響を及ぼしているのですが、あながちこの業界の海外への販売力は強く、二年くらい前に見たニュースで貿易額で言うとこのようなサブカルチャー業界の売り上げが鉄鋼の輸出額を上回ったとまで報じられていました。そのため日本に来る外人も昔とは違ってこのようなサブカルチャーが目当てでやってくるのも増えてきており、事実私の友人の中国人留学生はガンダムが好きで日本に留学に来たほどでした。
このようなサブカルチャーの何が強みなのかというと、一度作ってしまえば維持コストや製造コストが一切かからない点です。言ってしまえば一度普及した漫画はその後には何の手を加えなくとも、そこそこに漫画もアニメのDVDも売れ、安い費用で作ったグッズも値段が高くとも売れます。
こうしたものをもっと日本は世界に対して売り、元の記事でも書いてあるように私は日本人は真剣に観光立国をそろそろ考えるべきだと思います。何もサブカルチャーに限らなくとも明治の頃から外国人を魅了した豊かな自然風景や京都の古寺名勝も備えていることですし、また韓国人ジャーナリストの金慶珠氏が以前にテレビで、「日本人の文化はおもてなしの文化だと思う」と発言しており、言われてみて確かに客人をもてなすのは今の日本人の精神性からしても無理な要求ではないように思えました。
恐らくそういった日本人の精神性、国民性というものを現時点で意識するのであればやはり技術主義が最もフィットして未来があるであろうことはわかるのですが、私が文系出身ということもあってどうも素直にこれを認めることに抵抗があります。もっとも、現状の日本の文学部に早急な改革が必要なことは十分承知しているのですが。
最後の福祉と税率については、あまり解説してもしょうがないのですが敢えて言えば一日でも早く国民の税負担率を上げることが最も未来ある選択だと思います。この辺はまた別に記事を書いて細かく解説してもいいのですが、このように一年や二年先の経済政策や状況を訴えるくらいなら、こうした議論を何故してくれないのかが私は不満だとこの連載で言いたかったわけです。
・目指すべき国家モデルの類型~その二、権力体制編
・目指すべき国家モデルの類型~その三、国家信条編
・目指すべき国家モデルの類型~その四、福祉税率編
過去四回に渡って連載してきたこの国家モデルについての連載も、今日が最後となります。最後の今日はこれまれで紹介してきたモデルの中で、今後の日本の政策方針として私が支持するモデルをそれぞれ紹介します。
まず最初の軍事と外交についての方針ですが、これは現在の方針でもある「軽武装重商主義国家」を維持すべきだと私は考えております。というのも日本は中国とアメリカという、どっちも意地を張出したら言うことを全く聞かないちょっと変わった国同士に挟まれている関係で必然的に騒動に巻き込まれやすい国であります。かといってこの両国とも相手にしないで孤高のような独立を保とうにも島国という地理上、本土防衛が非常にやりづらい国家であるために、もし本気で自国ですべての防衛政策を行おうとしたら相当額の軍事費が必要になってきます。
となるとアメリカと中国のどっちかに外交上コミットすることが防衛政策上で非常に重要になるのですが、現状でアメリカのわがままをなんでも聞くのは確かに大変ではありますが、中国よりはまだ信用が置けるということにほとんどの国民も納得すると思います。今後革新的な兵器や外交転換が行われない限りは、この路線が日本にとって最も有益だとこのように考えるわけです。
次に権力体制についてですが、多少悩むものの地方分権型を現在では推します。必ずしも地方分権が権力体制として優れたものだとは思わないものの、少なくとも日本の現状の霞ヶ関官僚体制には明らかに限界が見えており、消毒と心機一転を行うためには一時的にでもかまいませんから地方分権へと一旦舵を切る必要があると思います。
ちなみに何故地方分権に私がこのように不安を感じているかというと、まず三年位前に主に関西の各地方自治体で明らかになった闇専従や昼抜けといった地方公務員の連続した汚職事件があったことと、中国における地方政府の圧政を耳にしているからです。恐らく地方自治体の汚職やモラルから逸脱した行為はまだまだあることが予想され、いくら霞ヶ関が腐敗していようともまた別の腐敗した団体が権力を持つのではないかと、ちょっとこうした不安を抱えております。
そして三番目の国家信条ですが、これは他の国家モデルと違ってやや特殊な材料でして今後どのような方向に国民の目を向かせて国家として強化していくかという方向性で一つに限らなくてもいいのですが、優先順位的に言うと私は文化主義国家を日本人は真剣に盛り立てるべきだと考えております。
これはこのところ私の友人が口をすっぱくしていっていることなのですが、
「昔の外人から見た日本人のイメージは侍だったが、今ではオタクになっている」
これは言うまでもなくアニメや漫画といったサブカルチャーが影響を及ぼしているのですが、あながちこの業界の海外への販売力は強く、二年くらい前に見たニュースで貿易額で言うとこのようなサブカルチャー業界の売り上げが鉄鋼の輸出額を上回ったとまで報じられていました。そのため日本に来る外人も昔とは違ってこのようなサブカルチャーが目当てでやってくるのも増えてきており、事実私の友人の中国人留学生はガンダムが好きで日本に留学に来たほどでした。
このようなサブカルチャーの何が強みなのかというと、一度作ってしまえば維持コストや製造コストが一切かからない点です。言ってしまえば一度普及した漫画はその後には何の手を加えなくとも、そこそこに漫画もアニメのDVDも売れ、安い費用で作ったグッズも値段が高くとも売れます。
こうしたものをもっと日本は世界に対して売り、元の記事でも書いてあるように私は日本人は真剣に観光立国をそろそろ考えるべきだと思います。何もサブカルチャーに限らなくとも明治の頃から外国人を魅了した豊かな自然風景や京都の古寺名勝も備えていることですし、また韓国人ジャーナリストの金慶珠氏が以前にテレビで、「日本人の文化はおもてなしの文化だと思う」と発言しており、言われてみて確かに客人をもてなすのは今の日本人の精神性からしても無理な要求ではないように思えました。
恐らくそういった日本人の精神性、国民性というものを現時点で意識するのであればやはり技術主義が最もフィットして未来があるであろうことはわかるのですが、私が文系出身ということもあってどうも素直にこれを認めることに抵抗があります。もっとも、現状の日本の文学部に早急な改革が必要なことは十分承知しているのですが。
最後の福祉と税率については、あまり解説してもしょうがないのですが敢えて言えば一日でも早く国民の税負担率を上げることが最も未来ある選択だと思います。この辺はまた別に記事を書いて細かく解説してもいいのですが、このように一年や二年先の経済政策や状況を訴えるくらいなら、こうした議論を何故してくれないのかが私は不満だとこの連載で言いたかったわけです。
2009年8月23日日曜日
目指すべき国家モデルの類型~その四、福祉税率編
今日紹介する国家モデルも現在の日本において議論が必要な話題で、本来なら政治家が争点にしなければならないのですがいくつかここで私が分類を出しておくことにします。今回の国家モデルの分類に当たって着目する点は福祉と税率で、そんなに難しくないので早速分類を紹介します。
1、高福祉高税率(北欧諸国)
2、低福祉低税率(アメリカ)
3、中福祉低税率(現在の日本)
見てわかるとおりに福祉政策と税率を上中下に分けてはいるのですが、何故だかそれぞれが対応しない妙な組み合わせを三つだけ載せています。何故こんな組み合わせを三つだけ紹介しているのかというと、ちょっと今の日本の状況と今後の行く末を合わせて解説するために敢えてこの三つに分類いたしました。
まず一番目の高福祉高税率モデルについてですが、これはスウェーデンを初めとする北欧諸国で現実に実施されている政策モデルです。これらの国は国民の税負担率が日本などの先進国と比べると極端に高いものの生活費から教育費まで何から何まで国が出してくれるので、日本人のひきこもりが生活費などを親に依存するのに対して、スウェーデンのひきこもりはそれを国家に依存して生きているそうです。
こうした北欧諸国に対して日本の福祉税率モデルは私の見るところ巷では二番目の低福祉低税率モデルだと思われている方が多いように思えるのですが、私は日本の現況は実際には三番目の中福祉低税率モデルだと考えております。
これは何も私自身が編み出した考え方ではなくどこかの評論で見たのですが、医療費が完全自己負担のアメリカに対して日本は国民皆保険制度や失業保険があり、現実的には今でも立派な中福祉国家であってそれをアメリカに次ぐ世界的にも低い国民税負担率で実現しているという指摘がありました。この指摘については私も同意見で、何故日本が低税率でありながら中福祉を実現しているのかといえばひとえにこれまで高い経済力があったことに尽きると思います。
しかし現在の日本では社会的セーフティネットが崩壊していると各所で言われるだけでなく、年金問題でも未だ収拾の目処がつきません。この様に日本の福祉政策に綻びが見えるようになったのは何故かというと、これまでの日本の政策決定者が日本経済が高成長を維持し続けることを前提に福祉政策を作ってきたためだと断言できます。言ってしまえば仮に20年前、大目に見ても15前の段階で低成長を見越した政策路線に変更していれば福祉政策はおろか、財政状況も今の日本とは段違いに見栄えがいいものになっていたと思います。
では今から、たとえ経済一等国の名を捨てることになってでも、そのような低成長路線で国を維持させられる方向に舵を切るべきなのかですが、残念ながらすでにこれは手遅れだと先ほどの中福祉低税率の指摘をした評論家の方が述べていました。日本がそのような低成長路線に舵を切るにはすでに財政は火の車で、なおかつ少子高齢化の進行のためこれからの日本の老人を養うためには高成長を維持しなければならないそうです。無論、維持できなければそれまでということです。
ついでに書いておけば、一番最初の高福祉高税率モデルも日本で実現するのは不可能だと言われております。何故かというと日本は北欧諸国と比べて段違いに人口が多いため(日本:約1億2700万人、スウェーデン:約1000万人)、これで高福祉を実現するとなると財政が回らなくなるのは目に見えております。
じゃあどうすればいいかですが、敢えて私の意見をここで述べると内容が内容なのでぼかして言いますが、誰か一人が大久保利通のよう殺される必要があるのではないかと考えているわけです。
1、高福祉高税率(北欧諸国)
2、低福祉低税率(アメリカ)
3、中福祉低税率(現在の日本)
見てわかるとおりに福祉政策と税率を上中下に分けてはいるのですが、何故だかそれぞれが対応しない妙な組み合わせを三つだけ載せています。何故こんな組み合わせを三つだけ紹介しているのかというと、ちょっと今の日本の状況と今後の行く末を合わせて解説するために敢えてこの三つに分類いたしました。
まず一番目の高福祉高税率モデルについてですが、これはスウェーデンを初めとする北欧諸国で現実に実施されている政策モデルです。これらの国は国民の税負担率が日本などの先進国と比べると極端に高いものの生活費から教育費まで何から何まで国が出してくれるので、日本人のひきこもりが生活費などを親に依存するのに対して、スウェーデンのひきこもりはそれを国家に依存して生きているそうです。
こうした北欧諸国に対して日本の福祉税率モデルは私の見るところ巷では二番目の低福祉低税率モデルだと思われている方が多いように思えるのですが、私は日本の現況は実際には三番目の中福祉低税率モデルだと考えております。
これは何も私自身が編み出した考え方ではなくどこかの評論で見たのですが、医療費が完全自己負担のアメリカに対して日本は国民皆保険制度や失業保険があり、現実的には今でも立派な中福祉国家であってそれをアメリカに次ぐ世界的にも低い国民税負担率で実現しているという指摘がありました。この指摘については私も同意見で、何故日本が低税率でありながら中福祉を実現しているのかといえばひとえにこれまで高い経済力があったことに尽きると思います。
しかし現在の日本では社会的セーフティネットが崩壊していると各所で言われるだけでなく、年金問題でも未だ収拾の目処がつきません。この様に日本の福祉政策に綻びが見えるようになったのは何故かというと、これまでの日本の政策決定者が日本経済が高成長を維持し続けることを前提に福祉政策を作ってきたためだと断言できます。言ってしまえば仮に20年前、大目に見ても15前の段階で低成長を見越した政策路線に変更していれば福祉政策はおろか、財政状況も今の日本とは段違いに見栄えがいいものになっていたと思います。
では今から、たとえ経済一等国の名を捨てることになってでも、そのような低成長路線で国を維持させられる方向に舵を切るべきなのかですが、残念ながらすでにこれは手遅れだと先ほどの中福祉低税率の指摘をした評論家の方が述べていました。日本がそのような低成長路線に舵を切るにはすでに財政は火の車で、なおかつ少子高齢化の進行のためこれからの日本の老人を養うためには高成長を維持しなければならないそうです。無論、維持できなければそれまでということです。
ついでに書いておけば、一番最初の高福祉高税率モデルも日本で実現するのは不可能だと言われております。何故かというと日本は北欧諸国と比べて段違いに人口が多いため(日本:約1億2700万人、スウェーデン:約1000万人)、これで高福祉を実現するとなると財政が回らなくなるのは目に見えております。
じゃあどうすればいいかですが、敢えて私の意見をここで述べると内容が内容なのでぼかして言いますが、誰か一人が大久保利通のよう殺される必要があるのではないかと考えているわけです。
2009年8月21日金曜日
目指すべき国家モデルの類型~その三、国家信条編
この連載も今回が山場です。また続きはありますが、今日の記事が重要度で言えば最も高い箇所です。前回、前々回は割合に政策方針に直接的に関わる内容でしたが、本日取り上げる国家信条はその国の国民、ひいては国家全体の性格に影響を及ぼす内容です。
ではその国家信条とは一体何なのかと言うと、一言で言えばその国や国民ががどんなものに対して価値を見出すのかということです。同じ国にずっと住んでいると案外こういうことに気がつきづらいですが、他国に行ったり外国人と話してみるとやはり端々のこの国家信条による影響と言うか、自分たちと根本的に何かが違うと感じてしまいます。
たとえば日本人を例に取ると、なんだかんだ言って自国の経済力に対して強い自負とともに誇りを持っているように私は思います。今年の統計では中国にGDPが抜かれるとか、一人当たりGDPがどの国より上なのかとか、選挙中に経済成長がなによりも大事だなどと候補者が主張したりと、ほかのことには興味がないのかというくらいに年がら年中経済の話をしているような気がします。ちなみに言っておくと、たとえ全体の経済力が増したところでそれが必ずしも自分に帰ってくるわけではなく、株取引をしているわけでもないのにいちいち株価に一喜一憂するのはよした方がいいと思います。
そういうわけでまた一覧をずらっと並べます。今回はそのモデルに近い国とともにその要素を持つ国がどのような政策方針になるのかも合わせて紹介しております。
1、重商主義国家(金融貿易立国、高度経済成長下の日本とアメリカ)
2、文化主義国家(観光立国、イタリアとフランス)
3、技能主義国家(技術立国、ドイツとイタリア)
4、頭脳主義国家(教育立国、スウェーデンなどの北欧諸国)
5、宗教主義国家(政教一致、イランやバチカン)
6、農業主義国家(食糧立国、アメリカとフランス)
7、平和主義国家(日本)
8、環境主義国家(EU)
9、封建主義国家(江戸時代の日本)
こうして並べてみるとたくさんあって、解説するこっちが嫌になってきます。まず先に断っておくと、例の中にはアメリカやフランスなど複数入っている国がありますが、これらのモデルは確かに単独で持つことも出来ますが実態的には複数の信条を兼ね備えていることが多いです。例えば戦後の日本は重商主義と平和主義の二本柱で、アメリカは今も農業主義と重商主義の合いの子です。
それではまた一つ一つ説明していきますが、まず一番目の重商主義国家についてです。これは多かれ少なかれどの国も持っている信条ですが、やはりその中でも際立っているのは日本とかアメリカでしょう。この辺は「フランスの日々」のSophieさんの記事に詳しいですが、ヨーロッパ人は「お金があっても、それを使う余暇がないと意味ないじゃん」といって労働規制に積極的なのに対して、日本人やアメリカ人は「お金をたくさん稼ぐこと、それ自体に意味があるんだ」と、それこそ自分の時間を削ってでも売上や利益を追求しようとします。極論を言えば、以前ほどでないにしろやっぱり日本人はお金をたくさん稼ぐ人が偉い人なのだと国全体で考えている気がします。
次に二番目の文化主義国家ですが、これは文化や自然風景といったものに対して価値を見出すという信条です。そのためその国内の文化人や芸術家を高く評価する風潮となってそのような人材を育てる一方、自然と他国に対して文化を売る観光立国が政策の中心となっていきます。
これの典型は例にも挙げているイタリアやフランスで、特にイタリアについては私の友人は、「彼らはライフスタイルを世界に売っているんだ」とまで言っております。
そんでもって三番目の技能主義国家ですが、これの典型はドイツ人です。最近私の友人も学生時代にドイツ語を勉強していた甲斐あってドイツ人に被れて来たのか、環境問題は技術の進歩できっと解決できるはずだと主張し出してきました。実際に人伝手に聞くとドイツ人の技術信仰というものは相当なものらしく、機械がなんでもどんな問題でもいつかは解決してくれると多少なりとも信じているそうです。有名な冗談話でも、ナビの指示通りにドイツ人はとんでもない所を車で走るというのもありますが。
この技能主義国家では言うまでもなく技術者、それも理系がステイタスを得ることとなり、この国家モデルの国では工業分野の成長が見込め、政策的にも技術立国となっていくわけです。
そして四番目の頭脳主義国家ですが、これは文化主義と技能主義とかぶる面も少なくないのですが、敢えて独立して分類に加えました。このモデルの代表的国家はスウェーデンを初めとした北欧諸国で、大学の学費を無料にするなど教育を国家の重要方針として掲げるため、実際はどうだか分かりませんが学位の高い人間が社会からは高く評価されているのではないかと思います。少なくとも私の知識で言えるのはスウェーデンの学術アカデミーは昔から高い権威を持っており、ノーベル賞受賞者の選定を行うなどやはり他国以上に学問に強い傾倒があるように思えます。
五番目の宗教主義国家は特殊といえば非常に特殊なモデルですが、言うまでもなく宗教やその指導者の価値を重要視する国家を指します。このモデルの代表的なイランほど政教一致が強くなくともどの国も多少なりは要素としてはこの信条は抱えられており、日本でもいちおうお坊さんはステイタスがあってアメリカでもキリスト教の影響は無視できません。
過程を一気にすっ飛ばしてこのモデルの特徴を述べると、強くて幅広い統合性をもつ信条なので過渡期的な国家や民族が複数混在している国家においてよく見られるモデルではないかと見ております。近代に急成長したある国もそうでしたし。
六番目の農業主義国家についてしいて言えば現物主義というか、食糧を生産を絶対の武器として他国へ輸出をかけ、必然的にその国に食糧を依存しなければならない状態へ追い込んでますます売りつけるというのが政策の重要方針になっていきます。もっともこれら農業主義国家において農家がステイタスを持つかといえばやや疑問ですが、アメリカにおいては牧歌的な生活として一応は夢見られているそうです。
残りの七、八、九番目は補足的に付け加えたので、解説はご勘弁をお願いします。
これらの信条は組み合わせ次第でその国の全体像が見えるだけでなく、国民性の把握などに必ず役立つと思います。その上で現状の国家状態と照らし合わせて国民に対してどの信条を共通に持たせられるかが真に政治家の仕事であって、近年の日本でこれを大きく成功させたのは池田勇人首相の「所得倍増計画」だと考えております。そういう意味で政治家というのはある種、夢を見させる仕事だということになるのですが、同じく夢を見させる職業だと私が考えているのは小説家で、子供の頃にそう考えた私は政治家より小説家たらんと努力しておりました。
ではその国家信条とは一体何なのかと言うと、一言で言えばその国や国民ががどんなものに対して価値を見出すのかということです。同じ国にずっと住んでいると案外こういうことに気がつきづらいですが、他国に行ったり外国人と話してみるとやはり端々のこの国家信条による影響と言うか、自分たちと根本的に何かが違うと感じてしまいます。
たとえば日本人を例に取ると、なんだかんだ言って自国の経済力に対して強い自負とともに誇りを持っているように私は思います。今年の統計では中国にGDPが抜かれるとか、一人当たりGDPがどの国より上なのかとか、選挙中に経済成長がなによりも大事だなどと候補者が主張したりと、ほかのことには興味がないのかというくらいに年がら年中経済の話をしているような気がします。ちなみに言っておくと、たとえ全体の経済力が増したところでそれが必ずしも自分に帰ってくるわけではなく、株取引をしているわけでもないのにいちいち株価に一喜一憂するのはよした方がいいと思います。
そういうわけでまた一覧をずらっと並べます。今回はそのモデルに近い国とともにその要素を持つ国がどのような政策方針になるのかも合わせて紹介しております。
1、重商主義国家(金融貿易立国、高度経済成長下の日本とアメリカ)
2、文化主義国家(観光立国、イタリアとフランス)
3、技能主義国家(技術立国、ドイツとイタリア)
4、頭脳主義国家(教育立国、スウェーデンなどの北欧諸国)
5、宗教主義国家(政教一致、イランやバチカン)
6、農業主義国家(食糧立国、アメリカとフランス)
7、平和主義国家(日本)
8、環境主義国家(EU)
9、封建主義国家(江戸時代の日本)
こうして並べてみるとたくさんあって、解説するこっちが嫌になってきます。まず先に断っておくと、例の中にはアメリカやフランスなど複数入っている国がありますが、これらのモデルは確かに単独で持つことも出来ますが実態的には複数の信条を兼ね備えていることが多いです。例えば戦後の日本は重商主義と平和主義の二本柱で、アメリカは今も農業主義と重商主義の合いの子です。
それではまた一つ一つ説明していきますが、まず一番目の重商主義国家についてです。これは多かれ少なかれどの国も持っている信条ですが、やはりその中でも際立っているのは日本とかアメリカでしょう。この辺は「フランスの日々」のSophieさんの記事に詳しいですが、ヨーロッパ人は「お金があっても、それを使う余暇がないと意味ないじゃん」といって労働規制に積極的なのに対して、日本人やアメリカ人は「お金をたくさん稼ぐこと、それ自体に意味があるんだ」と、それこそ自分の時間を削ってでも売上や利益を追求しようとします。極論を言えば、以前ほどでないにしろやっぱり日本人はお金をたくさん稼ぐ人が偉い人なのだと国全体で考えている気がします。
次に二番目の文化主義国家ですが、これは文化や自然風景といったものに対して価値を見出すという信条です。そのためその国内の文化人や芸術家を高く評価する風潮となってそのような人材を育てる一方、自然と他国に対して文化を売る観光立国が政策の中心となっていきます。
これの典型は例にも挙げているイタリアやフランスで、特にイタリアについては私の友人は、「彼らはライフスタイルを世界に売っているんだ」とまで言っております。
そんでもって三番目の技能主義国家ですが、これの典型はドイツ人です。最近私の友人も学生時代にドイツ語を勉強していた甲斐あってドイツ人に被れて来たのか、環境問題は技術の進歩できっと解決できるはずだと主張し出してきました。実際に人伝手に聞くとドイツ人の技術信仰というものは相当なものらしく、機械がなんでもどんな問題でもいつかは解決してくれると多少なりとも信じているそうです。有名な冗談話でも、ナビの指示通りにドイツ人はとんでもない所を車で走るというのもありますが。
この技能主義国家では言うまでもなく技術者、それも理系がステイタスを得ることとなり、この国家モデルの国では工業分野の成長が見込め、政策的にも技術立国となっていくわけです。
そして四番目の頭脳主義国家ですが、これは文化主義と技能主義とかぶる面も少なくないのですが、敢えて独立して分類に加えました。このモデルの代表的国家はスウェーデンを初めとした北欧諸国で、大学の学費を無料にするなど教育を国家の重要方針として掲げるため、実際はどうだか分かりませんが学位の高い人間が社会からは高く評価されているのではないかと思います。少なくとも私の知識で言えるのはスウェーデンの学術アカデミーは昔から高い権威を持っており、ノーベル賞受賞者の選定を行うなどやはり他国以上に学問に強い傾倒があるように思えます。
五番目の宗教主義国家は特殊といえば非常に特殊なモデルですが、言うまでもなく宗教やその指導者の価値を重要視する国家を指します。このモデルの代表的なイランほど政教一致が強くなくともどの国も多少なりは要素としてはこの信条は抱えられており、日本でもいちおうお坊さんはステイタスがあってアメリカでもキリスト教の影響は無視できません。
過程を一気にすっ飛ばしてこのモデルの特徴を述べると、強くて幅広い統合性をもつ信条なので過渡期的な国家や民族が複数混在している国家においてよく見られるモデルではないかと見ております。近代に急成長したある国もそうでしたし。
六番目の農業主義国家についてしいて言えば現物主義というか、食糧を生産を絶対の武器として他国へ輸出をかけ、必然的にその国に食糧を依存しなければならない状態へ追い込んでますます売りつけるというのが政策の重要方針になっていきます。もっともこれら農業主義国家において農家がステイタスを持つかといえばやや疑問ですが、アメリカにおいては牧歌的な生活として一応は夢見られているそうです。
残りの七、八、九番目は補足的に付け加えたので、解説はご勘弁をお願いします。
これらの信条は組み合わせ次第でその国の全体像が見えるだけでなく、国民性の把握などに必ず役立つと思います。その上で現状の国家状態と照らし合わせて国民に対してどの信条を共通に持たせられるかが真に政治家の仕事であって、近年の日本でこれを大きく成功させたのは池田勇人首相の「所得倍増計画」だと考えております。そういう意味で政治家というのはある種、夢を見させる仕事だということになるのですが、同じく夢を見させる職業だと私が考えているのは小説家で、子供の頃にそう考えた私は政治家より小説家たらんと努力しておりました。
2009年8月20日木曜日
目指すべき国家モデルの類型~その二、権力体制編
前回に引き続き、国家モデルの類型について今日は解説します。前回は国家の立ち位置を決める上で非常に重要な要素となる軍事、外交に着目して分類を行いましたが、今日は国家の権力体制に着目して分類を行います。そういうわけで早速、今回は量が少ないですがモデルを一挙に並べるとします。
1、中央集権国家(旧ソ連、現中国)
2、地方分権国家(アメリカ)
3、NGO混在国家(欧州諸国)
この三つの分類は厳密にどの線で分けるのかが非常に難しく、一応中央集権国家の代表例として旧ソ連と中国を挙げてはいますが、この両国は見方によっては今の日本以上に地方分権国家的な性格を持っており、あくまでどのような体制かをイメージする程度に見てください。
それでは各モデルを細かく解説していきますが、まず一番目の中央集権国家からです。恐らくこのモデルが今の日本に最も近く、今の選挙での一つの争点となっている地方分権議論はこのモデルから脱却するか維持するかという議論といってほぼ差し支えはないでしょう。
この中央集権国家モデルというのは文字通り、国家を運営する上で中央官庁、日本であれば霞ヶ関の官庁に権力を集中させて領域内の全国において画一的な政策を取るべきという考え方で運営される国家体制を指します。そのためこの国家モデルに属する国家はどこも白いものを黒としてしまうほど中央官僚が強い権力を持つ傾向がありますが、経済や国家運営が円滑に動いている際には物事を運ばせやすいために概して攻めに強い体制だと言えるでしょう。
しかしその一方、やはり中央が強い権力をいつまでも保持し続けてしまうために権力の自浄能力が低く、今の日本の官僚同様に権力が腐敗しやすいという弱点も抱えております。事実旧ソ連などはチェルノブイリ原発事故で一気に明るみに出ましたが当時の管理体制は非常にガタガタだったそうで、官僚機構もどこもかしこも穴だらけでみんながみんなでいい加減に国家を運営していたそうです。現中国においてもその傾向は強く、腐敗官僚の汚職や贈賄事件などは日本の例がかわいく思えるほど桁外れなものが近年表出しております。もっとも中国はエリート教育が割合にしっかりしており、また経済も絶好調なので大きく国内が混乱するにまでは至っておりませんが。
こうした中央集権国家に対してアメリカに代表される地方分権国家、というよりも表現的には連邦制国家というのは向こうが攻めならこっちは守りが強い国家体制ではないか私は考えます。知っている人には当然ですがアメリカでは各州の自治裁量権が大幅に認められており、州ごとに軍隊もあれば教育制度も自由に決めることもできます。確かニューメキシコ州だったと思いますが、親が希望するなら児童を小学校に通わせなくても良いという条例があった気がします。
この制度の強みは何かと言うと、実際に政治を切り盛りしている政治家や官僚たちを選挙民は割と間近に見ることが出来、アホな奴なら片っ端から選挙で引き摺り下ろせれば画期的な提案を行う人材もどんどんと議場に送り込むことが出来ます。また中央集権国家のように領域全土に画一的な制度を敷く必要がないため、やれるものならどんどんと自分たちの領域に政策を繰り出せることから悪い状態から一気に抜け出すことも出来ます。
この例で有名なのを挙げると、90年代におけるニューヨーク州の例が最も適例でしょう。以前のニューヨーク州は犯罪率も高くお世辞にもあまり住みよい町ではなかったそうですが、9.11テロ時に市長をしていたことで有名なジュリアーニ氏が街の美化運動や市警改革を行ったことにより劇的に治安を回復させることに成功しました。まぁこういう風に劇的に良くなる一方で、劇的に悪くなる可能性もあるということですが。
ちょっと今の日本の政治状況と重ね合わせて説明すると、現在の日本の税金は全国各地から集められてその用途をほぼすべて中央の官庁が決めております。そのため大阪の橋本府知事が吠えているように、中にはありえない無駄遣いに税金が使われるのをこれまで地方は黙ってみることしか出来ませんでした。そうした状況を打開するために、地方が自分で集めて自分で使える税金の割合を広げ、地方という現場においてその用途も決めるべきだと言うのが知事会の主張でして、私としてもこれ事態が徴収コストの圧縮につながることからこの主張に賛同しております。
このように権力体制で見れば恐らく日本人からすればほぼこの二者択一なのですが、私もあまり勉強していないものの欧州ではこれに対抗する第三の国家モデルこと、NGO混在型国家があるのではないかと私は考えております。
聞くところによると欧州では貧民援助や国際貢献活動を政府とは直接的に関係のないNGOが大部分においてカバーしており、国家としても自分たちでそうした活動団体を組織するよりはずっと安上がりということで、彼らNGOに税金から活動資金を与えることでそうした社会的役割を代替してもらっているそうなのです。これをもう少し分かりやすく言い換えると、社会上必要とされる活動や組織を国がお金を出すことで民間にやってもらうという形で、なんでもかんでも国がやったり経済原理で動かすのではなく国家とはまた別の組織と協力し合って行っていくというモデルです。
あまりこのモデルについては私自身が不勉強と言うこともあってうまく説明できませんが、まさに第三の道と呼ぶにふさわしいモデルでしょう。今後このモデルがどうなっていくのかはなかなか興味があります。
1、中央集権国家(旧ソ連、現中国)
2、地方分権国家(アメリカ)
3、NGO混在国家(欧州諸国)
この三つの分類は厳密にどの線で分けるのかが非常に難しく、一応中央集権国家の代表例として旧ソ連と中国を挙げてはいますが、この両国は見方によっては今の日本以上に地方分権国家的な性格を持っており、あくまでどのような体制かをイメージする程度に見てください。
それでは各モデルを細かく解説していきますが、まず一番目の中央集権国家からです。恐らくこのモデルが今の日本に最も近く、今の選挙での一つの争点となっている地方分権議論はこのモデルから脱却するか維持するかという議論といってほぼ差し支えはないでしょう。
この中央集権国家モデルというのは文字通り、国家を運営する上で中央官庁、日本であれば霞ヶ関の官庁に権力を集中させて領域内の全国において画一的な政策を取るべきという考え方で運営される国家体制を指します。そのためこの国家モデルに属する国家はどこも白いものを黒としてしまうほど中央官僚が強い権力を持つ傾向がありますが、経済や国家運営が円滑に動いている際には物事を運ばせやすいために概して攻めに強い体制だと言えるでしょう。
しかしその一方、やはり中央が強い権力をいつまでも保持し続けてしまうために権力の自浄能力が低く、今の日本の官僚同様に権力が腐敗しやすいという弱点も抱えております。事実旧ソ連などはチェルノブイリ原発事故で一気に明るみに出ましたが当時の管理体制は非常にガタガタだったそうで、官僚機構もどこもかしこも穴だらけでみんながみんなでいい加減に国家を運営していたそうです。現中国においてもその傾向は強く、腐敗官僚の汚職や贈賄事件などは日本の例がかわいく思えるほど桁外れなものが近年表出しております。もっとも中国はエリート教育が割合にしっかりしており、また経済も絶好調なので大きく国内が混乱するにまでは至っておりませんが。
こうした中央集権国家に対してアメリカに代表される地方分権国家、というよりも表現的には連邦制国家というのは向こうが攻めならこっちは守りが強い国家体制ではないか私は考えます。知っている人には当然ですがアメリカでは各州の自治裁量権が大幅に認められており、州ごとに軍隊もあれば教育制度も自由に決めることもできます。確かニューメキシコ州だったと思いますが、親が希望するなら児童を小学校に通わせなくても良いという条例があった気がします。
この制度の強みは何かと言うと、実際に政治を切り盛りしている政治家や官僚たちを選挙民は割と間近に見ることが出来、アホな奴なら片っ端から選挙で引き摺り下ろせれば画期的な提案を行う人材もどんどんと議場に送り込むことが出来ます。また中央集権国家のように領域全土に画一的な制度を敷く必要がないため、やれるものならどんどんと自分たちの領域に政策を繰り出せることから悪い状態から一気に抜け出すことも出来ます。
この例で有名なのを挙げると、90年代におけるニューヨーク州の例が最も適例でしょう。以前のニューヨーク州は犯罪率も高くお世辞にもあまり住みよい町ではなかったそうですが、9.11テロ時に市長をしていたことで有名なジュリアーニ氏が街の美化運動や市警改革を行ったことにより劇的に治安を回復させることに成功しました。まぁこういう風に劇的に良くなる一方で、劇的に悪くなる可能性もあるということですが。
ちょっと今の日本の政治状況と重ね合わせて説明すると、現在の日本の税金は全国各地から集められてその用途をほぼすべて中央の官庁が決めております。そのため大阪の橋本府知事が吠えているように、中にはありえない無駄遣いに税金が使われるのをこれまで地方は黙ってみることしか出来ませんでした。そうした状況を打開するために、地方が自分で集めて自分で使える税金の割合を広げ、地方という現場においてその用途も決めるべきだと言うのが知事会の主張でして、私としてもこれ事態が徴収コストの圧縮につながることからこの主張に賛同しております。
このように権力体制で見れば恐らく日本人からすればほぼこの二者択一なのですが、私もあまり勉強していないものの欧州ではこれに対抗する第三の国家モデルこと、NGO混在型国家があるのではないかと私は考えております。
聞くところによると欧州では貧民援助や国際貢献活動を政府とは直接的に関係のないNGOが大部分においてカバーしており、国家としても自分たちでそうした活動団体を組織するよりはずっと安上がりということで、彼らNGOに税金から活動資金を与えることでそうした社会的役割を代替してもらっているそうなのです。これをもう少し分かりやすく言い換えると、社会上必要とされる活動や組織を国がお金を出すことで民間にやってもらうという形で、なんでもかんでも国がやったり経済原理で動かすのではなく国家とはまた別の組織と協力し合って行っていくというモデルです。
あまりこのモデルについては私自身が不勉強と言うこともあってうまく説明できませんが、まさに第三の道と呼ぶにふさわしいモデルでしょう。今後このモデルがどうなっていくのかはなかなか興味があります。
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