ちょっと前に以前はテレビに集中していた娯楽がネットやゲーム、携帯電話などに現代は分散していると書きましたが、娯楽を構成するコンテンツに関しても現代は依然と比べて激しく分散する傾向があり、そのため共通体験というものが極端に減少してきていると言われます。
この話をしてくれたのはデータ整理を手伝ったことからおねだりすれば何でも本を買ってくれる友人(「あんぽん」に関しては「佐野先生を助けてやれよ」と言って自分で買うようにと諭された)なのですが、その友人によると「最近の子供はドラゴンボールに対する反応が俺たちと違う」そうです。私の世代にとってドラゴンボールは男の子で知らない人間はいないと言ってもいい作品でしたが、今の20代前半の世代になると単行本とかを読んだり伝聞で聞いてて知ってはいるものの、リアルタイムでのアニメ放送を見ていなかったことから、「そんなにすごい作品だったの?」と言う人が多く、同時に「あれ以上の興奮はなかなか得られない」と誰もが思うような作品があまりないそうです。
これは漫画やアニメに限らずゲームでも似たような傾向があり、私が子供だった頃は「ドラゴンクエスト」とか「ファイナルファンタジー」はほとんどの男の子は一度は遊んだことがありましたが、こういうような誰もが一度は遊んでいるというゲームもこのところは減ってきているように思えます。漫画であればまだ「ワンピース」とか「ナルト」は今の子供たちはみんな接しているようですが、それでも私たちの世代と比べるとみんなが楽しんだことがある、やったことがある共通体験というものが確実に少なくなってきている印象を友人同様に私も感じます。
子供の世界に限らず大人の世界でも、ブームとなって誰もが買ったり、体験するような活動はこのところだとアップル製品以外ではあまり思い浮かびませんし、先にも言った通りに娯楽が分散化しているので自然と言えば自然ですが、この状況をどう見るかはちょっと難しいものがあります。
共通体験が少なくなることによって何が起こるかというと、「あれ知ってる?」、「もちろん知っている!」というような会話が成り立ちづらいというか、特に初対面でのコミュニケーション時は今までよりとっかかり辛くなります。言ってしまえば互いに未知の領域が広がるわけで、こちらが当たり前と思うことが通用し辛くなる可能性もあります。
ただそう考える一方で、私なんか昔から趣味とかやることが常にマイノリティだったため、社会全体の多様性は広がるんじゃないか、そうなったら自分も目立たなくなるんじゃないかと期待する心もあります。それでも一個や二個くらいはその世代は共通に体験したというものがあると結びつきは強くなるのだし、もうちょっとくらいは共通体験が現代はあってもいいというのが私の意見です。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2013年5月21日火曜日
2013年5月20日月曜日
今日の中国ニュース色々
友人の上海人が昨日にわざわざ電話で、「最近中国ネタ少ないよ」と言ってきたのと、そこそこ面白いニュースが報じられているので今日は中国ニュースをいくつか紹介します。
・中国、最悪の就職難でも面接すっぽかす新卒者増加
・今年の大卒生、過去最多 内定ラッシュは6月か(人民日報日本語版)
中国では近年、大学進学率が大幅に上昇したことから大学生の数が急増し、日本同様に就職難にあえぐ学生が増加しております。上記のニュースはそんな中国の「大学は卒業したけれども」という状況を解説しつつ、手当たり次第に採用面接に予約を入れる学生がダブルブッキングなどからすっぽかす例が増えていると報じております。
なお下のニュースの見出しに「内定ラッシュは6月か」と書かれておりますがこれについて私の方から補足すると、中国の大学は日本とは違って入学時期は9月ごろで(学期初めも)があり、卒業時期は大体5~6月頃となります。なので日本みたいに卒業より大分前に内定を得るというわけではありません。もう一つ付け加えると、学期シーズンで言えば中国の方がグローバルスタンダードに準じており、4月入学なのは私が知る限りだと日本と韓国だけです。
・日本少年恶搞热门动漫 “吃人”照走红网络(東方早報)
中国語で何書いているかわからないと思いますが、見出しの訳は「漫画における”人食いシーン”、ネットでの写真投稿相次ぐ」といったところです。これは今アニメも放送されている「進撃の巨人」に触発された日本のネットユーザーが、漫画に出てくる巨人が人を食べるシーンを遠近法を利用して疑似再現し、写真を撮ってネットにアップすることが流行っていると報じるものです。これらの投稿写真が出回っていることは前から知っておりましたが、中国でも報じられるとはなんていうか意外です。ちなみに「進撃の巨人」の中国語訳はそのまんま「進撃的巨人」です。
・冷蔵庫が爆発 食品保存に注意(人民日報日本語版)
中国の爆発ネタと言ったらサーチナの記事が有名ですが、なんか人民日報でも対抗意識持ったのか似たような記事を出してきました。ちなみに人民日報の日本語版記事ですが、書いているのは日本人記者が多いし、経験者に実際会ったことがあります。
で、このニュースに書かれている内容ですが、誕生日ケーキを買ってきた際に付けられていたドライアイスを何を思ったのかペットボトルの中に蓋をして冷蔵庫に置き、爆発させたとのことです。幸い怪我人はいなかったとのことですが、爆発させた本人は注意書きがなかったとしてケーキを売った店に賠償を要求しているそうで、私にとって中国のあの喧騒が懐かしくなってくる記事です。
・中国、最悪の就職難でも面接すっぽかす新卒者増加
・今年の大卒生、過去最多 内定ラッシュは6月か(人民日報日本語版)
中国では近年、大学進学率が大幅に上昇したことから大学生の数が急増し、日本同様に就職難にあえぐ学生が増加しております。上記のニュースはそんな中国の「大学は卒業したけれども」という状況を解説しつつ、手当たり次第に採用面接に予約を入れる学生がダブルブッキングなどからすっぽかす例が増えていると報じております。
なお下のニュースの見出しに「内定ラッシュは6月か」と書かれておりますがこれについて私の方から補足すると、中国の大学は日本とは違って入学時期は9月ごろで(学期初めも)があり、卒業時期は大体5~6月頃となります。なので日本みたいに卒業より大分前に内定を得るというわけではありません。もう一つ付け加えると、学期シーズンで言えば中国の方がグローバルスタンダードに準じており、4月入学なのは私が知る限りだと日本と韓国だけです。
・日本少年恶搞热门动漫 “吃人”照走红网络(東方早報)
中国語で何書いているかわからないと思いますが、見出しの訳は「漫画における”人食いシーン”、ネットでの写真投稿相次ぐ」といったところです。これは今アニメも放送されている「進撃の巨人」に触発された日本のネットユーザーが、漫画に出てくる巨人が人を食べるシーンを遠近法を利用して疑似再現し、写真を撮ってネットにアップすることが流行っていると報じるものです。これらの投稿写真が出回っていることは前から知っておりましたが、中国でも報じられるとはなんていうか意外です。ちなみに「進撃の巨人」の中国語訳はそのまんま「進撃的巨人」です。
・冷蔵庫が爆発 食品保存に注意(人民日報日本語版)
中国の爆発ネタと言ったらサーチナの記事が有名ですが、なんか人民日報でも対抗意識持ったのか似たような記事を出してきました。ちなみに人民日報の日本語版記事ですが、書いているのは日本人記者が多いし、経験者に実際会ったことがあります。
で、このニュースに書かれている内容ですが、誕生日ケーキを買ってきた際に付けられていたドライアイスを何を思ったのかペットボトルの中に蓋をして冷蔵庫に置き、爆発させたとのことです。幸い怪我人はいなかったとのことですが、爆発させた本人は注意書きがなかったとしてケーキを売った店に賠償を要求しているそうで、私にとって中国のあの喧騒が懐かしくなってくる記事です。
2013年5月19日日曜日
子供よりペットが多い日本
かなり前に中国の新聞で見かけたので今日はこの話を書いてみようかなとか思っていたら、検索してみたら中国網の日本語版の下記記事がヒットしました。
・日本のペットの数が子どもより多いのはなぜ?(中国網日本語版)
書かれている内容は見出しの通りで、どうやらイギリスの「ガーディアン」が元記事のようです。日本は少子化が問題となっていて対策も打っているのに15歳以下の子供の数は減少し続ける一方、ペット数は増加し続けておりペット用品など関連市場も伸びているのは一体何故という風に書かれてありますが、自国の人間ならいざ知らず外国メディアにこう指摘されるとなかなか考えさせられます。
記事中では女性の育休制度や託児所などが充実していないことや、生活費が高い一方で給料が伸びないといったことが背景にあるなどと書いており、私もこれらの意見に同意します。さらに私の方から付け加えるなら、未だに改善の見られない年金など社会福祉政策が不安定でコロコロ変わる中、子供を運で育児費を負担することは大きなリスクと考える傾向もあると思います。
ただこれらの理由は「少子化が進んでいる要因」であって「ペットが増えている要因」ではありません。そのペットが増えている要因を私なりに推理すると、なんだかんだ言って「かわいがる対象」への需要は時代を超え、万国共通にあるんじゃないかと思います。そのかわいがる対象は普通なら子供が挙がってくるのでしょうが日本だと上記のような背景から持ちたがる人は減少し続けており、代わりの愛玩対象として手軽に持つことが出来るペットの需要が高まっていると私には思います。
だとすると今の日本の状況はあまり笑えないかもしれません。誰かは忘れましたが偉人の名言に「動物はいい。人と違って裏切らない」というのがありますが、愛玩対象として子供より手軽なペットを選ぶようになってきたというのは日本人全体で精神的な余裕がなくなってきているようにも思えます。もちろんペットを愛することは悪いことじゃないし私がこれまで会ってきた動物好きの人はみんないい人ばかりでしたが、なんていうかその優しさをもっと次世代へ振り向けないと国家全体で建設的な方向に向かわないし、さらに言えば振り向ける愛情度数があるとして仮にペットが50、子供が100だとすると、昔の日本人は100以上あったのに対し現代日本人は50~90くらいしか精神的な余裕がないという風にも考えられます。
後出し的な言い方になりますが、家計がどうこう言うのはちょっと苦しい言い訳なんじゃないかとも思います。というのも中国をはじめとして発展途上国は日本よりもっと可処分所得が低い中で日本人より子供を生んでいるのだし、そう考えるとやはり精神的な余裕がないというのが大きいのではと私は思います。
未だ独身の自分がこの手のことであれこれえらそうに口を出すのもどうかとは思いますが、現在の状況は子供の数が少ないということよりも子供を産む精神的な余裕がないということに着目するべきな気がします。だからといって具体的に何をどうすればいいのか、そういった提案は出しづらいのですが。
最後にはみ出し話として、国別の猫の飼育数についてすこしお話しします。Wikipediaのネコのページを見てみるとこの統計数字があるのですが、それらを引用すると下記の通りになります。
<猫の国別飼育頭数>
・日本:350万頭
・ドイツ:500万頭
・フランス:840万頭
・イギリス:690万頭
・米国:6000万頭
というような感じで、なんで米国こんな多いのっ!?(;゚Д゚)エエー
自分で調べておきながらですが最初見た時は本当にびっくりして、っていうか6000万頭もいれば確実に子供の数よりも猫の数が上回っているだろ米国も。そう考えると日本の少子化云々ペットの数云々とかいう議論がなんかくだらなく感じてきちゃうなぁ。
・日本のペットの数が子どもより多いのはなぜ?(中国網日本語版)
書かれている内容は見出しの通りで、どうやらイギリスの「ガーディアン」が元記事のようです。日本は少子化が問題となっていて対策も打っているのに15歳以下の子供の数は減少し続ける一方、ペット数は増加し続けておりペット用品など関連市場も伸びているのは一体何故という風に書かれてありますが、自国の人間ならいざ知らず外国メディアにこう指摘されるとなかなか考えさせられます。
記事中では女性の育休制度や託児所などが充実していないことや、生活費が高い一方で給料が伸びないといったことが背景にあるなどと書いており、私もこれらの意見に同意します。さらに私の方から付け加えるなら、未だに改善の見られない年金など社会福祉政策が不安定でコロコロ変わる中、子供を運で育児費を負担することは大きなリスクと考える傾向もあると思います。
ただこれらの理由は「少子化が進んでいる要因」であって「ペットが増えている要因」ではありません。そのペットが増えている要因を私なりに推理すると、なんだかんだ言って「かわいがる対象」への需要は時代を超え、万国共通にあるんじゃないかと思います。そのかわいがる対象は普通なら子供が挙がってくるのでしょうが日本だと上記のような背景から持ちたがる人は減少し続けており、代わりの愛玩対象として手軽に持つことが出来るペットの需要が高まっていると私には思います。
だとすると今の日本の状況はあまり笑えないかもしれません。誰かは忘れましたが偉人の名言に「動物はいい。人と違って裏切らない」というのがありますが、愛玩対象として子供より手軽なペットを選ぶようになってきたというのは日本人全体で精神的な余裕がなくなってきているようにも思えます。もちろんペットを愛することは悪いことじゃないし私がこれまで会ってきた動物好きの人はみんないい人ばかりでしたが、なんていうかその優しさをもっと次世代へ振り向けないと国家全体で建設的な方向に向かわないし、さらに言えば振り向ける愛情度数があるとして仮にペットが50、子供が100だとすると、昔の日本人は100以上あったのに対し現代日本人は50~90くらいしか精神的な余裕がないという風にも考えられます。
後出し的な言い方になりますが、家計がどうこう言うのはちょっと苦しい言い訳なんじゃないかとも思います。というのも中国をはじめとして発展途上国は日本よりもっと可処分所得が低い中で日本人より子供を生んでいるのだし、そう考えるとやはり精神的な余裕がないというのが大きいのではと私は思います。
未だ独身の自分がこの手のことであれこれえらそうに口を出すのもどうかとは思いますが、現在の状況は子供の数が少ないということよりも子供を産む精神的な余裕がないということに着目するべきな気がします。だからといって具体的に何をどうすればいいのか、そういった提案は出しづらいのですが。
最後にはみ出し話として、国別の猫の飼育数についてすこしお話しします。Wikipediaのネコのページを見てみるとこの統計数字があるのですが、それらを引用すると下記の通りになります。
<猫の国別飼育頭数>
・日本:350万頭
・ドイツ:500万頭
・フランス:840万頭
・イギリス:690万頭
・米国:6000万頭
というような感じで、なんで米国こんな多いのっ!?(;゚Д゚)エエー
自分で調べておきながらですが最初見た時は本当にびっくりして、っていうか6000万頭もいれば確実に子供の数よりも猫の数が上回っているだろ米国も。そう考えると日本の少子化云々ペットの数云々とかいう議論がなんかくだらなく感じてきちゃうなぁ。
娯楽時間の割り振り
友人に何度も書くと言いながらずっと書いていないので、そろそろ腹をくくってこのテーマで書くことにします。
その友人によると、なんでもテレビ局やゲーム会社などといった娯楽業界では消費者の「時間」という単位を如何に取るかという概念があるそうです。く人間が一日に与えられた時間というのは言うまでもなくみんな24時間で共通しており、その24時間内に食事から仕事、そして今回掲げている娯楽へとそれぞれ時間を割り振るわけなのですが、生活リズムは人それぞれによって異なるものの、娯楽においては多くの時間を獲得すればそれだけ売上げなり市場が広がるとされております。
たとえば高校生の平日を例にとってみると、学校の通学から授業に使う時間が8時間、睡眠に使う時間を7時間とすると、可処分所得ならぬ本人が一日のうちで自由に使える時間は残り9時間となります。さらに部活に2時間、宿題に1時間、朝夕の食事時間を1時間かけると仮定すると残りは5時間という計算となり、この5時間が娯楽に使える正味時間となるわけです。
娯楽業界からするとこの5時間を如何に自分たちのサービスに使ってもらうかが肝心となり、テレビ番組であれば平均視聴時間が2時間よりも5時間ある方が広告料が高まり、ゲーム業界にとってもゲームに充てられる時間が多ければ多いほど自分たちの商品が売れる裾野が広がるという感じです。
この概念で以って歴史を振り返ると、それこそ昭和から平成初期の時代であればテレビに最も娯楽時間が費やされており、それ故にテレビ業界は栄華を極めることができました。しかし2000年前後からパソコンが普及したことによって今までテレビ視聴に使われていた時間の一部がインターネットに置き換わり、さらに時間が経つと携帯電話にも時間が割り引かれるようにもなり、ここ数年だとスマホによるネット利用時間も新たに出てきたと言えます。
以上のように考えると新たな娯楽の出現によってテレビの視聴時間は激減したと言ってもよく、近年の視聴率、広告料の低下は自明と言えるでしょう。無論、テレビ業界もそんなことは百も承知で、対策として「如何にテレビ視聴に時間を割いてもらうか」と意識する方もいると聞きます。とはいっても、念力とかでどうにかなるようなものではないが。
この娯楽時間と同じようなものだと食品・外食業界があり、ここなんかも人間の食事回数というか胃袋、言ってしまえば人口によって消費量が決まる所があり、自分もよく取材時にこの業界の人から、「人口減の日本では市場が縮小するのは目に見えており、膨大な人口を抱える中国への進出は誰もが考えている」という言葉を何度も聞きました。
娯楽業界はこの食品・外食業界ほどはっきりしてるわけではないものの、それでも娯楽時間の母数が変動すれば影響を受けることとなります。ちょっと言葉足らずな気もしますがスパッと一言で言うと、社会人の労働時間が増えれば増えるほど娯楽業界は縮小していく可能性が高いということです。
帰宅が夕方6時の人と夜10時の人では娯楽に使える時間は単純に4時間も変わり、下手すれば後者は疲労回復のために睡眠時間が増えることもあるのでもっと差が広がるかもしれません。スマホであれば通勤時間などにも使えるのでまだ影響は小さいですが、テレビ視聴時間、ゲーム時間、読書時間、勉強時間、デート時間、旅行時間、ブログ執筆時間などは社会人が働けば働くほど需要が落ちるのです。そのためこれらに関連するテレビ局、ゲーム会社、出版社、飲食・カラオケ・アミューズメント企業、旅行会社、観光地、ネットサービス企業は余裕のある人が減ると割を食うわけです。
報道、といっても私もたまに行くので実際に見てますが、最近のゲームセンターは若者よりも年寄りが多く集まる傾向があるそうですが、年寄りはお金に余裕があるというよりは時間に余裕があるためにそうなってきたのでしょう。ここまで言えば私が何を言わんとするかはわかると思いますが、第三次産業を盛り上げるという意味でもう少し労働時間を日本は考えた方がいいのではというのが今日の私の意見です。
その友人によると、なんでもテレビ局やゲーム会社などといった娯楽業界では消費者の「時間」という単位を如何に取るかという概念があるそうです。く人間が一日に与えられた時間というのは言うまでもなくみんな24時間で共通しており、その24時間内に食事から仕事、そして今回掲げている娯楽へとそれぞれ時間を割り振るわけなのですが、生活リズムは人それぞれによって異なるものの、娯楽においては多くの時間を獲得すればそれだけ売上げなり市場が広がるとされております。
たとえば高校生の平日を例にとってみると、学校の通学から授業に使う時間が8時間、睡眠に使う時間を7時間とすると、可処分所得ならぬ本人が一日のうちで自由に使える時間は残り9時間となります。さらに部活に2時間、宿題に1時間、朝夕の食事時間を1時間かけると仮定すると残りは5時間という計算となり、この5時間が娯楽に使える正味時間となるわけです。
娯楽業界からするとこの5時間を如何に自分たちのサービスに使ってもらうかが肝心となり、テレビ番組であれば平均視聴時間が2時間よりも5時間ある方が広告料が高まり、ゲーム業界にとってもゲームに充てられる時間が多ければ多いほど自分たちの商品が売れる裾野が広がるという感じです。
この概念で以って歴史を振り返ると、それこそ昭和から平成初期の時代であればテレビに最も娯楽時間が費やされており、それ故にテレビ業界は栄華を極めることができました。しかし2000年前後からパソコンが普及したことによって今までテレビ視聴に使われていた時間の一部がインターネットに置き換わり、さらに時間が経つと携帯電話にも時間が割り引かれるようにもなり、ここ数年だとスマホによるネット利用時間も新たに出てきたと言えます。
以上のように考えると新たな娯楽の出現によってテレビの視聴時間は激減したと言ってもよく、近年の視聴率、広告料の低下は自明と言えるでしょう。無論、テレビ業界もそんなことは百も承知で、対策として「如何にテレビ視聴に時間を割いてもらうか」と意識する方もいると聞きます。とはいっても、念力とかでどうにかなるようなものではないが。
この娯楽時間と同じようなものだと食品・外食業界があり、ここなんかも人間の食事回数というか胃袋、言ってしまえば人口によって消費量が決まる所があり、自分もよく取材時にこの業界の人から、「人口減の日本では市場が縮小するのは目に見えており、膨大な人口を抱える中国への進出は誰もが考えている」という言葉を何度も聞きました。
娯楽業界はこの食品・外食業界ほどはっきりしてるわけではないものの、それでも娯楽時間の母数が変動すれば影響を受けることとなります。ちょっと言葉足らずな気もしますがスパッと一言で言うと、社会人の労働時間が増えれば増えるほど娯楽業界は縮小していく可能性が高いということです。
帰宅が夕方6時の人と夜10時の人では娯楽に使える時間は単純に4時間も変わり、下手すれば後者は疲労回復のために睡眠時間が増えることもあるのでもっと差が広がるかもしれません。スマホであれば通勤時間などにも使えるのでまだ影響は小さいですが、テレビ視聴時間、ゲーム時間、読書時間、勉強時間、デート時間、旅行時間、ブログ執筆時間などは社会人が働けば働くほど需要が落ちるのです。そのためこれらに関連するテレビ局、ゲーム会社、出版社、飲食・カラオケ・アミューズメント企業、旅行会社、観光地、ネットサービス企業は余裕のある人が減ると割を食うわけです。
報道、といっても私もたまに行くので実際に見てますが、最近のゲームセンターは若者よりも年寄りが多く集まる傾向があるそうですが、年寄りはお金に余裕があるというよりは時間に余裕があるためにそうなってきたのでしょう。ここまで言えば私が何を言わんとするかはわかると思いますが、第三次産業を盛り上げるという意味でもう少し労働時間を日本は考えた方がいいのではというのが今日の私の意見です。
2013年5月16日木曜日
昭和の再建請負人、河島博
先日の記事で「あんぽん」という佐野眞一氏による孫正義氏の票田を読み始めたと書きましたが、ふと佐野氏の著書で取り上げられていた河島博という人物を思い出し、未だに記事化していなかったのでこれを機に書こうと思います。
河島博は昭和期おける経営者で、1977年にヤマハ(当時は日本楽器製造)の社長に46歳にもかかわらず就任しております。就任してからは過去最高益を叩きだすなど順調な経営を続けていましたが、息子に跡を継がせたいと考えていたワンマン経営者の川上源一郎によって就任から3年後の1980年に社長職を解任されてしまいました。
なおヤマハはその後、川上源一郎の息子の川上浩が41歳で社長に就きましたが業績は低迷し、労働組合から直接的に社長退任が申し入れるという異常事態にまで発展し、川上浩は1991年に引退に追い込まれております。
話は河島博に戻りますが、ヤマハの社長退任から2年後、ダイエーの会長であった中内功に請われる形でダイエーの副社長に就任します。ダイエーは2000年代に天文学的な負債額を抱えて経営破綻しておりますが、実はこの河島博が社長に就任した1982年に65億円の赤字を出すなど非常に苦しい経営が続いておりました。かつて日本の小売形態を変えた中内功もその神通力が通じなくなり、むしろそのワンマン経営の弊害が出始めていたようなのですが、このような状況を打開するためヤマハを再建した河島を三顧の礼で迎えました。
河島が副社長就任後のダイエーの業績は1981年が119億円、1982年も88億円の赤字を出しますが、1983年には黒字となり見事にV字回復を成功させます。ただV字回復をするや用済みとばかりに河島は解任され、中内功は長男の中内潤を副社長に抜擢します。その後、ダイエーはプロ野球チームの南海ホークスを買収するなど再び拡大路線へと転換しますが、90年前半のバブル景気が終わるや再び業績が悪化し、経営破綻への道を歩くだけとなります。
佐野氏は毎日新聞の連載記事をまとめた「新忘れられた日本人」という著書の中で「二人のワンマン経営者に仕えた男」として河島を紹介しており、その不運と共に晩年までヤマハの川上、ダイエーの中内に対して何一つ不平を洩らさなかったというか口を閉ざしていたことを称賛しております。その上で山本周五郎の「樅ノ木は残った」を引用して伊達騒動の原田甲斐にもなぞらえております。ちなみにこの「樅ノ木は残った」はたまたまですが自分も読んでおります。
私の方から付け加えると、ヤマハとダイエーの二社を立て直し、しかも引退後は二社とも業績が悪化していることから河島は圧倒的ともいえる経営手腕だったのだろうと推察します。それだけに二回も、それも世襲に巻き込まれる形で経営を退くこととなったのは不運以外の何物でもなく深い同情を禁じ得ません。それとともに、企業経営においてナンバー2というのはどうも地味であまり取り上げられることがないのですが、この河島の話を見るについてそういった人物にスポットを当てるべきではないかともというのが、今日の私の意見です。
河島博は昭和期おける経営者で、1977年にヤマハ(当時は日本楽器製造)の社長に46歳にもかかわらず就任しております。就任してからは過去最高益を叩きだすなど順調な経営を続けていましたが、息子に跡を継がせたいと考えていたワンマン経営者の川上源一郎によって就任から3年後の1980年に社長職を解任されてしまいました。
なおヤマハはその後、川上源一郎の息子の川上浩が41歳で社長に就きましたが業績は低迷し、労働組合から直接的に社長退任が申し入れるという異常事態にまで発展し、川上浩は1991年に引退に追い込まれております。
話は河島博に戻りますが、ヤマハの社長退任から2年後、ダイエーの会長であった中内功に請われる形でダイエーの副社長に就任します。ダイエーは2000年代に天文学的な負債額を抱えて経営破綻しておりますが、実はこの河島博が社長に就任した1982年に65億円の赤字を出すなど非常に苦しい経営が続いておりました。かつて日本の小売形態を変えた中内功もその神通力が通じなくなり、むしろそのワンマン経営の弊害が出始めていたようなのですが、このような状況を打開するためヤマハを再建した河島を三顧の礼で迎えました。
河島が副社長就任後のダイエーの業績は1981年が119億円、1982年も88億円の赤字を出しますが、1983年には黒字となり見事にV字回復を成功させます。ただV字回復をするや用済みとばかりに河島は解任され、中内功は長男の中内潤を副社長に抜擢します。その後、ダイエーはプロ野球チームの南海ホークスを買収するなど再び拡大路線へと転換しますが、90年前半のバブル景気が終わるや再び業績が悪化し、経営破綻への道を歩くだけとなります。
佐野氏は毎日新聞の連載記事をまとめた「新忘れられた日本人」という著書の中で「二人のワンマン経営者に仕えた男」として河島を紹介しており、その不運と共に晩年までヤマハの川上、ダイエーの中内に対して何一つ不平を洩らさなかったというか口を閉ざしていたことを称賛しております。その上で山本周五郎の「樅ノ木は残った」を引用して伊達騒動の原田甲斐にもなぞらえております。ちなみにこの「樅ノ木は残った」はたまたまですが自分も読んでおります。
私の方から付け加えると、ヤマハとダイエーの二社を立て直し、しかも引退後は二社とも業績が悪化していることから河島は圧倒的ともいえる経営手腕だったのだろうと推察します。それだけに二回も、それも世襲に巻き込まれる形で経営を退くこととなったのは不運以外の何物でもなく深い同情を禁じ得ません。それとともに、企業経営においてナンバー2というのはどうも地味であまり取り上げられることがないのですが、この河島の話を見るについてそういった人物にスポットを当てるべきではないかともというのが、今日の私の意見です。
2013年5月14日火曜日
橋下市長の従軍慰安婦発言について
各界を騒がせているので政治ブログを標榜するこのブログでも取り上げざるを得ないと思うので、本日は橋下大阪市長の従軍慰安婦に関する発言について私の意見を紹介します。ちなみにあまり本題とは関係ありませんが、今日から佐野眞一氏の「あんぽん 孫正義伝」を読み始めました。
問題となっている橋下市長の発言を私の理解で大まかにまとめると、戦時中にいたとされる従軍慰安婦の存在を軍の規律を守る上では必要だったと容認するもので、その上で現在どの国の軍隊も多かれ少なかれこのような性風俗サービスを受けている、沖縄の米海軍もそうだ、もっと米軍も性風俗を正規のサービスで受けて沖縄の経済振興を果たしてほしい……といったところです。政界からも批判が出る中で橋下市長はいつも通りですが撤回するつもりは全くないと述べており、私が見る限りだと今のところ応援しているのは同じ維新の会の石原慎太郎氏くらいなものです。
それでこの橋下市長の発言に対する私の意見ですが、まず真っ先に浮かんだのは政府からお金でももらったのかなということでした。最近寒暖差が激しくて疲れがひどいからこんなことも考えるのでしょうが、ちょうど今、日本と韓国は歴史認識問題でまた関係が悪化しており、特に安倍首相の発言に対しては韓国側がややナイーブになっております。そうした中で安倍首相の発言よりずっと過激な橋下市長のこの発言が出ることによって恐らく、安倍首相のこれまでの発言は目立たなくなって韓国側からすればトーンダウン、こんな具合で安倍政権にとってはややプラスになるわけです。もっともさすがにこんな筋書きは書いておきながらだけどないだろうな。
ではなんで橋下市長はこんな発言を突然したのかですが、こういってはなんですが兆候はあった気がします。どうも安倍政権が誕生してからというか前回の衆議院選挙後、維新の会は人気もじりじりと落ちてきて、橋下市長もなにやら焦りとも取れる態度が今年に入ってからちらちら見えてきました。
恐らく今回発言した内容は橋下市長にとって今さっきに思い付いたものではなく前からも考えていた持論でしょう。それが何故出てきたのかというとやっぱり焦りというか、以前みたいに「言いたくても支持を失う恐れがあるため」として言えなかった内容ですらも黙っている余裕がなくなったというか、思ったことをそのまま口にしたくなったんじゃないかと勝手に考えています。
はっきり言って、私は正直な人が好きですし私自身も全球真向勝負で本気で投げ続けるタイプであります。ただ政治家というか大人というのは、嘘は言ってはいけませんが言わなくてもいい本当のことは言ってはならないものだと私は思います。橋下市長は政治家に転向した直後、須つに失言をするだろうと私は思っていましたが致命的なものはこれまでになくかなり成長したとは思っていたのですが、やっぱり地が出てきたというか、これまでは相当に我慢してきたんだと思います。
上記の内容をまとめると私自身は今回の橋下市長の発言を評価しません。評価しない点はその内容よりも、機微な点が数多くある問題について何の準備もなく発言したという、政治家としてやや迂闊な点です。
最後に従軍慰安婦問題についてですが、これはそもそも政治家が議論するような内容ではなく、歴史家にまかせるべき話だと考えています。そういう意味で日本、韓国ともに政治家はあまり口出しするべき話題じゃないと考えており、国内対策として事ある毎に持ち出してくる韓国の政治家はこういってはなんですが未熟に思えます。
問題となっている橋下市長の発言を私の理解で大まかにまとめると、戦時中にいたとされる従軍慰安婦の存在を軍の規律を守る上では必要だったと容認するもので、その上で現在どの国の軍隊も多かれ少なかれこのような性風俗サービスを受けている、沖縄の米海軍もそうだ、もっと米軍も性風俗を正規のサービスで受けて沖縄の経済振興を果たしてほしい……といったところです。政界からも批判が出る中で橋下市長はいつも通りですが撤回するつもりは全くないと述べており、私が見る限りだと今のところ応援しているのは同じ維新の会の石原慎太郎氏くらいなものです。
それでこの橋下市長の発言に対する私の意見ですが、まず真っ先に浮かんだのは政府からお金でももらったのかなということでした。最近寒暖差が激しくて疲れがひどいからこんなことも考えるのでしょうが、ちょうど今、日本と韓国は歴史認識問題でまた関係が悪化しており、特に安倍首相の発言に対しては韓国側がややナイーブになっております。そうした中で安倍首相の発言よりずっと過激な橋下市長のこの発言が出ることによって恐らく、安倍首相のこれまでの発言は目立たなくなって韓国側からすればトーンダウン、こんな具合で安倍政権にとってはややプラスになるわけです。もっともさすがにこんな筋書きは書いておきながらだけどないだろうな。
ではなんで橋下市長はこんな発言を突然したのかですが、こういってはなんですが兆候はあった気がします。どうも安倍政権が誕生してからというか前回の衆議院選挙後、維新の会は人気もじりじりと落ちてきて、橋下市長もなにやら焦りとも取れる態度が今年に入ってからちらちら見えてきました。
恐らく今回発言した内容は橋下市長にとって今さっきに思い付いたものではなく前からも考えていた持論でしょう。それが何故出てきたのかというとやっぱり焦りというか、以前みたいに「言いたくても支持を失う恐れがあるため」として言えなかった内容ですらも黙っている余裕がなくなったというか、思ったことをそのまま口にしたくなったんじゃないかと勝手に考えています。
はっきり言って、私は正直な人が好きですし私自身も全球真向勝負で本気で投げ続けるタイプであります。ただ政治家というか大人というのは、嘘は言ってはいけませんが言わなくてもいい本当のことは言ってはならないものだと私は思います。橋下市長は政治家に転向した直後、須つに失言をするだろうと私は思っていましたが致命的なものはこれまでになくかなり成長したとは思っていたのですが、やっぱり地が出てきたというか、これまでは相当に我慢してきたんだと思います。
上記の内容をまとめると私自身は今回の橋下市長の発言を評価しません。評価しない点はその内容よりも、機微な点が数多くある問題について何の準備もなく発言したという、政治家としてやや迂闊な点です。
最後に従軍慰安婦問題についてですが、これはそもそも政治家が議論するような内容ではなく、歴史家にまかせるべき話だと考えています。そういう意味で日本、韓国ともに政治家はあまり口出しするべき話題じゃないと考えており、国内対策として事ある毎に持ち出してくる韓国の政治家はこういってはなんですが未熟に思えます。
2013年5月12日日曜日
韓国の近現代史~その十三、朴正煕暗殺事件
・朴正煕暗殺事件(Wikipedia)
だいぶ長い間書いてきた朴正煕ともこれでおさらばです。そういうわけで久々の連載再開記事は、朴正煕大統領の暗殺事件を取り上げます。
事件が起こったのは1979年10月。朴正煕は1963年から韓国の最高権力者の座に就いてから16年間もの月日が経ち、この間には暗殺未遂事件も何度か起きておりますが国内の選挙干渉や学生デモを弾圧し続けることによってこの座を維持してきました。また暗殺される直前には憲法を改正して自身が終身制の大統領に就くことを明記しており、当時は朴正煕自身が辞任するか暗殺されるか、はたまた革命が起こるかでしか彼を大統領から引き摺り下ろすことが出来ない状態でありました。
それで実際に暗殺されることとなったわけですが、朴正煕を暗殺した人物は彼の腹心でもありKCIAの金載圭でした。金載圭は暗殺を実行する前に学生デモなどへの弾圧が手ぬるいとして朴正煕から叱責を受けていたことに不満を持っていたそうですが、これが直接の動機だったかについては後に詳しく書きますがちょっと微妙なところがあります。
暗殺の状況について詳しく書くと、当日はソウル市内にあるKCIAの秘密宴会場で朴正煕、金載圭、車智澈・大統領府警護室長、そして何故かこの宴会にお呼ばれされていた女性歌手の沈守峰と女子大生モデルの申才順の五人で晩餐会が行われておりました。この晩餐会の最中にも朴正煕から叱責を受けると金載圭は一旦中座し、部下にいくらかの指示を与えた後に拳銃を持って会場に戻り、そのまま朴正煕と車智澈の二人へ発砲。二発発射した後に拳銃が故障したことからまた部屋を出て、部下から拳銃を借りて戻るとまた朴正煕と車智澈に一発ずつ発砲して止めを刺しました。残った歌手と女子大生に金載圭は「慌てないで。安心するように」と言い、近くにある別の宴会場にいた陸軍参謀総長の鄭昇和を訪ねて、自分が射殺犯であることを隠した上で朴正煕の死を伝えた後、非常戒厳令を布告するよう迫ったそうです。
恐らく金載圭は暗殺を北朝鮮とか別の人物によるものに仕立て上げた上で自分の犯行をうやむやにしたかったのか、ほかに何らかの思惑がったのかもしれませんが、密室でこれだけ露骨な暗殺をしておいてばれないはずがありません。戒厳令の布告を渋っていた鄭昇和は「暗殺犯は金載圭だ」という報告を受けるや金載圭を逮捕し、その上で戒厳令を出して自らが戒厳司令官に就任しました。その後、国内にはしばらく大統領が死亡した事実は伏せられておりましたが日本を含む国外ではすぐに報じられ、外国に親戚や知人がいる人たちから国内にも情報が伝わっていきました。
逮捕された金載圭は動機について当初、終身独裁制を築いた朴正煕を大統領の座から下ろすにはこれしか方法がなかった、民主主義を守るためだったという、KCIA長官らしからぬ理由を話したとされますが、現代では単純に自らの地位が危うく保全を図ったものという説が強いです。もっとも未だにその理由についてははっきりしておらず、翌年には死刑判決を受けてすぐ執行されていることから、なんというか口封じされたような気もしないでもありません。
ざっと上記までが一連の流れですが、太字にしちゃいますが一体どこから突っ込んでいいのかちょっと悩みます。しょうがないのでひとまず疑問点を箇条書きにします。
1、なんで秘密の宴会場なんて言うものがあるのか?
2、しかもなんで女性歌手と女子大生モデルが同席していたのか?
3、しかもなんでなんで二人とも暗殺現場に居合わせたのに射殺されなかったのか?
4、金載圭もどうして陸軍参謀総長に掛け合ったのか?
1番に関しては妻が暗殺されて以降、朴正煕は若い女性と一緒に夕食を取ることが多かったためにそれほど不自然ではないという説明を見かけますが、はっきり書いてしまえば性接待があったのかと勘ぐってしまいます。そしてスルー出来ない2番と3番についてですが、普通の感覚してるなら射殺する現場を見た人間を生かしておくはずないのに金載圭は何故か見逃しております。ちなみにこの二人、確かまだ存命中です。
でもって4番目ですが、仮に金載圭は怨恨目的で暗殺したというのなら普通は海外逃亡するか、偽の犯人を仕立てあげた上で、「大統領は暗殺されたが犯人は我々が逮捕(または射殺)してやったぞ!」というシナリオを組むんじゃないかという気がしてなりません。なのにわざわざ陸軍参謀総長に出向いて戒厳令を求める、やはり腑に落ちませんというか行動が明らかに奇妙です。
それこそ、金載圭が叱責を受けたことによって何の準備もなしに発作的に暗殺を実行してしまうような底の浅い人物だったというのであればそれまでですが、なんていうか逃げ道を約束されていたから同席した二人の女性には手を掛けなかったんじゃないかとも考えてしまいます。じゃあその逃げ道とは何か、こちらもやや安直ですがアメリカです。
ウィキペディアにも書かれていますが当時、朴正煕とアメリカ政府(カーター政権)は韓国の核開発計画を巡って冷え込んでいたとされており、それが原因ではないかという声も出ています。でもってアメリカも前科があるというかベトナムでは実際にCIAによって南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領を暗殺してるんで、朴正煕もやっぱやられたんじゃないかなぁって気がしないでもないです。
となるとシナリオというのはCIAがやや不満を持っていた金載圭を唆して、「朴正煕を暗殺してきたら後の面倒は全部こっちで見るよ、鄭昇和も仲間だから終わったら彼に報告してね」的なことを伝えて、韓国人同士で処理完結させたような感じでしょうかね。あまりこういう陰謀論というかなんでもかんでも悪いことをアメリカのせいにするのも良くないとは思いますが、一つの仮説としてはもっておいた方がいいので書いておくことにしましたが、真実の検証が済むのはあと50年くらい先で、同席した女性二人が回顧録とか出す頃かなと思います。
だいぶ長い間書いてきた朴正煕ともこれでおさらばです。そういうわけで久々の連載再開記事は、朴正煕大統領の暗殺事件を取り上げます。
事件が起こったのは1979年10月。朴正煕は1963年から韓国の最高権力者の座に就いてから16年間もの月日が経ち、この間には暗殺未遂事件も何度か起きておりますが国内の選挙干渉や学生デモを弾圧し続けることによってこの座を維持してきました。また暗殺される直前には憲法を改正して自身が終身制の大統領に就くことを明記しており、当時は朴正煕自身が辞任するか暗殺されるか、はたまた革命が起こるかでしか彼を大統領から引き摺り下ろすことが出来ない状態でありました。
それで実際に暗殺されることとなったわけですが、朴正煕を暗殺した人物は彼の腹心でもありKCIAの金載圭でした。金載圭は暗殺を実行する前に学生デモなどへの弾圧が手ぬるいとして朴正煕から叱責を受けていたことに不満を持っていたそうですが、これが直接の動機だったかについては後に詳しく書きますがちょっと微妙なところがあります。
暗殺の状況について詳しく書くと、当日はソウル市内にあるKCIAの秘密宴会場で朴正煕、金載圭、車智澈・大統領府警護室長、そして何故かこの宴会にお呼ばれされていた女性歌手の沈守峰と女子大生モデルの申才順の五人で晩餐会が行われておりました。この晩餐会の最中にも朴正煕から叱責を受けると金載圭は一旦中座し、部下にいくらかの指示を与えた後に拳銃を持って会場に戻り、そのまま朴正煕と車智澈の二人へ発砲。二発発射した後に拳銃が故障したことからまた部屋を出て、部下から拳銃を借りて戻るとまた朴正煕と車智澈に一発ずつ発砲して止めを刺しました。残った歌手と女子大生に金載圭は「慌てないで。安心するように」と言い、近くにある別の宴会場にいた陸軍参謀総長の鄭昇和を訪ねて、自分が射殺犯であることを隠した上で朴正煕の死を伝えた後、非常戒厳令を布告するよう迫ったそうです。
恐らく金載圭は暗殺を北朝鮮とか別の人物によるものに仕立て上げた上で自分の犯行をうやむやにしたかったのか、ほかに何らかの思惑がったのかもしれませんが、密室でこれだけ露骨な暗殺をしておいてばれないはずがありません。戒厳令の布告を渋っていた鄭昇和は「暗殺犯は金載圭だ」という報告を受けるや金載圭を逮捕し、その上で戒厳令を出して自らが戒厳司令官に就任しました。その後、国内にはしばらく大統領が死亡した事実は伏せられておりましたが日本を含む国外ではすぐに報じられ、外国に親戚や知人がいる人たちから国内にも情報が伝わっていきました。
逮捕された金載圭は動機について当初、終身独裁制を築いた朴正煕を大統領の座から下ろすにはこれしか方法がなかった、民主主義を守るためだったという、KCIA長官らしからぬ理由を話したとされますが、現代では単純に自らの地位が危うく保全を図ったものという説が強いです。もっとも未だにその理由についてははっきりしておらず、翌年には死刑判決を受けてすぐ執行されていることから、なんというか口封じされたような気もしないでもありません。
ざっと上記までが一連の流れですが、太字にしちゃいますが一体どこから突っ込んでいいのかちょっと悩みます。しょうがないのでひとまず疑問点を箇条書きにします。
1、なんで秘密の宴会場なんて言うものがあるのか?
2、しかもなんで女性歌手と女子大生モデルが同席していたのか?
3、しかもなんでなんで二人とも暗殺現場に居合わせたのに射殺されなかったのか?
4、金載圭もどうして陸軍参謀総長に掛け合ったのか?
1番に関しては妻が暗殺されて以降、朴正煕は若い女性と一緒に夕食を取ることが多かったためにそれほど不自然ではないという説明を見かけますが、はっきり書いてしまえば性接待があったのかと勘ぐってしまいます。そしてスルー出来ない2番と3番についてですが、普通の感覚してるなら射殺する現場を見た人間を生かしておくはずないのに金載圭は何故か見逃しております。ちなみにこの二人、確かまだ存命中です。
でもって4番目ですが、仮に金載圭は怨恨目的で暗殺したというのなら普通は海外逃亡するか、偽の犯人を仕立てあげた上で、「大統領は暗殺されたが犯人は我々が逮捕(または射殺)してやったぞ!」というシナリオを組むんじゃないかという気がしてなりません。なのにわざわざ陸軍参謀総長に出向いて戒厳令を求める、やはり腑に落ちませんというか行動が明らかに奇妙です。
それこそ、金載圭が叱責を受けたことによって何の準備もなしに発作的に暗殺を実行してしまうような底の浅い人物だったというのであればそれまでですが、なんていうか逃げ道を約束されていたから同席した二人の女性には手を掛けなかったんじゃないかとも考えてしまいます。じゃあその逃げ道とは何か、こちらもやや安直ですがアメリカです。
ウィキペディアにも書かれていますが当時、朴正煕とアメリカ政府(カーター政権)は韓国の核開発計画を巡って冷え込んでいたとされており、それが原因ではないかという声も出ています。でもってアメリカも前科があるというかベトナムでは実際にCIAによって南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領を暗殺してるんで、朴正煕もやっぱやられたんじゃないかなぁって気がしないでもないです。
となるとシナリオというのはCIAがやや不満を持っていた金載圭を唆して、「朴正煕を暗殺してきたら後の面倒は全部こっちで見るよ、鄭昇和も仲間だから終わったら彼に報告してね」的なことを伝えて、韓国人同士で処理完結させたような感じでしょうかね。あまりこういう陰謀論というかなんでもかんでも悪いことをアメリカのせいにするのも良くないとは思いますが、一つの仮説としてはもっておいた方がいいので書いておくことにしましたが、真実の検証が済むのはあと50年くらい先で、同席した女性二人が回顧録とか出す頃かなと思います。
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