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2018年11月18日日曜日

お米で返品

 今日米が切れたので近くのシティスーパーに行ったところ、5㎏のコシヒカリが128元といい値段で売っていたので買ったところ、レシートには218元と表示されていました。支払いの際にも金額がなんかおかしいと思っていたのでそのレシートを持ってもう一回売り場へ行ったところ、やはり表示価格は128元と書かれており、店員を呼んでどないなっとんねんと文句言ったら、「これはこの前までやってたセール時の価格だ。218元で正しい」と言って、128元と表示されていたタグをその場で抜き取ってしまいました

 間違った価格を見て買ってしまったので返品したいと願い出たところ、売り場の店員はレジに行けとしか言わないのでレジに行って会計を済ませた店員に事情を話したところ、「ちょっと待って」と近くの別の店員に相談しました。その相談された店員は確認のためか一旦売り場へ行くとしばらくして戻ってくるや、「こっちなら88元だけどこちらと交換しないか?」と、何故か2kgのコシヒカリの袋を持ってきました。「いやそれ数量違うじゃないか」と突っ込んだ上で改めて返品返金を申し出ると、「代金は明日返す」というまた想定外の答えが返ってきたので改めて何故かと問うと、「財務とかの手続きがあるからだ」と言われました。もうその場でレジの一台でも蹴飛ばしてやりたかったですが、そこはぐっとこらえて了承した上で帰りました。

 なおその後、別の新鮮館というスーパーで同じコシヒカリ5㎏を198元で購入して帰りました。さっき炊いてカレー食べたけど、ぶっちゃけおいしかったです。

 何が何でも128元で売れというつもりは初めからなかったものの、一連の交渉の中で一度も「すいません」という一言もなく終始横柄な態度と2kgの袋持ってくるなどの斜め上の対応されて非常に腹が立ちました。返金に関しても何もそこまで変な取引ではないというのにわざわざ翌日に延ばされるのも納得いかず、そこそこの規模を持つシティスーパー(香港系)だというのにこんな塩な対応されるとは思いませんでした。家の近くにありますが、もう二度と行くつもりはないし他の系列スーパーにも行く気しません。

2018年11月17日土曜日

消費税10%の軽減税率について

 来年に10%への引き上げが予定されている消費税ですが、この引き上げとともに一部の食料品への課税率は現状の8%を維持するという軽減税率制度も導入される予定です。結論から言うと私は引き上げには賛成で軽減税率には反対という立場で、この件に関する世間の報道も生ぬるいとみています。

 そもそもなぜ軽減税率が導入されるのかというと、食料品などは生きてく上で必須であるため所得の低い層がそうした面で困らないためとされています。しかし8%と10%との差はわずか2ポイントしかなく、はっきり言うがこの程度の差だったら同じく現代社会で必携ともいうべき携帯電話料金を引き下げた方が低所得層にとっても実入りは大きいと断言できます。
 一方、この2段階の消費税率は処理場で多大な手間を要求されます。先日勉強がてら読んでみた日本の税制度解説本で、日本の税制度で最も優れているのは消費税が一律課税である点だと指摘しており、税率がこれまで8%で一律であったことから処理方法はどの事業所でも共通しており、社会における認知も非常に浸透していたと書かれていました。逆を言えば、社会認知が非常に高いこともあって消費税は日本で最も課税されている感(≒嫌悪感)の強い税金となっているのですが。

 こちらも断言しますが、恐らくこの2段階の税率を用いることによる事務処理コストは増税収入を大きく浸食し、不正に適用する事例なども出てくるでしょう。一律10%にするのに対し、事務処理コストは下手すりゃ数百億円単位で差が出る気がします。

 なのに何故軽減税率を導入するのかと言ったら、恐らくは公明党の差し金でしょう。内容といいやり方といい、これまで公明党の主導でやらかしてきた地域振興券やポイント制度と酷似しており、低所得者層への配慮とは名ばかりで自分の支持層への成果アピールとして無理やりねじ込んだものと思われます。しかし上記の多大な事務処理コストは社会が負担することとなり、回り回って納税者が負担することとなります。そのように考えると余計な手間を作ることは国全体でマイナスであり、ほんの2%の差であれば無視して一律10%にすることのほうが長い目で見ればお得です。

 何もこの軽減税率に限らずとも、今審議されている入管法なども合わせて、一体誰がこんな杜撰な法案を出してきたのか、そこら辺があまり報じられないのが最近不思議です。やはり法案を推すというにはそれなりの責任が伴うわけで、前提となるデータ自体が間違っているのに法案を起草した官僚政治家の責任者はきちんと名乗り出て、自分が無能であることを世に晒すべきでしょう。こういう過程がないから政治家の選別淘汰が起こらないわけで、その辺の背景を報じない政治記者についてもいろいろと不満を覚えます。

2018年11月15日木曜日

堕ちた天才

 日本最高の軍指揮官となればほぼ上杉謙信が不動の地位を占めますが、世界レベルとなるとハンニバル、アレクサンダー大王、エドワード黒太子、孫子、韓信などいくつか私も挙げられますが、おそらくもっともこの評価を受けているのはナポレオンだと思います。ただこの場合は彼の若年期にのみ適用されるというか、後年のナポレオンに関しては同時代においてナポレオンを破ったウェリントンに劣るでしょう。それほどまでにナポレオンの軍事的才能は前半期と後半期で落差があります。

 ちょうど、現在連載が続けられている長谷川哲也氏の漫画「ナポレオン 覇道進撃」では彼自身、というより世界戦史史上でもこの上ない敗北とまで言われるロシア遠征、それも撤退期に入っています。このロシア遠征でナポレオンはかつてなら考えられないくらいの判断ミスを繰り返しており、それこそ初期のイタリア遠征の頃と見比べると本当に同一人物かと思うくらいの落差を覚えます。
 現実にこの頃のナポレオンは確実にピークを過ぎており、本人も薄々それを勘づいていながらも認めたくない一心なのか、部下の進言を敢えて無視して真逆の決断を下してしまっている面が見られます。三国志の曹操においてもそうした面が見られ、かえって実績を残した指揮官はそのメンツを守ろうとするために「智者はかえって智に溺れる」決断を取ってしまいがちです。

 ナポレオンのロシア遠征におけるミスで最も甚大なものは、私から見てやはり決断の遅さです。特にモスクワの占領から進軍も撤退もせず無為に一ヶ月間を過ごしており、この一ヶ月の時間が後の撤退で致命的なタイムロスにつながっています。
 逆にと言っては何ですが、若年期のナポレオンはほんの一日たりとも無為に過ごすことはなかったというか、たとえ敵がいなくても部隊を動かし続けて敵軍を翻弄し続けています。こうした戦略は現代でも生きているというか、むしろ「機先」という概念となって非常に重視されています。

 米軍戦闘機のF-16やF-18が開発されるきっかけとなったLWF計画の発案者がまさにこの機先概念を前面に打ち出したパイロットだったらしく、「戦闘機同士の空中戦においてはたとえ無駄な動きだとしても相手より早く仕掛け、相手がこちらの動きに追随、対応しなければならない状況を作るべき」という戦闘法を編み出し、実際にどんな模擬戦でも負けなしだったそうです。この概念は空中戦のみならず戦略レベルの戦争においても重要視されるようになり、現在の戦闘においてスタンダードともいえる概念となっていますが、かつてのナポレオンにはそれがありました。

 将棋などでは相手の出方に応じた動きで戦うという攻略法もありますが、やはり戦闘でもビジネスでも機先を取った方が有利である私には思えます。この機先概念を使わなくなった、というか時間を無為に消費するようになった時点でナポレオンの軍事的才能はかつてと比べ激減しており、現実にロシア遠征より後のワーテルローでも無意味なタイムロスが大きな敗北要因になっています。
 ではナポレオンは何をすればよかったのか。かつての若い頃のように機先を重要視すればよかったのかですが、私の結論としては自らのピークアウトを自覚し、軍事から手を引いて部下に任せるべきだったと考えます。これは自分に対する戒めとしてもよく言い聞かせており、自分の能力のピークアウトは自分自身がしっかり自覚して、もはや自分の能力が及ばなくなったら過去の実績とか経験などかなぐり捨ててでも引退すべきだと戒めています。

2018年11月14日水曜日

ゴミ問題への関心アップ=景気がいい?

 この前「リバイバルレズ営業」という言葉があることを知って、日本語にはまだ未知の可能性があると感じました。

 話は本題に移りますが、今日同僚とたまたまごみ問題について話題になり、中国でもこのところ分別回収をするようになって自分の住んでいる小区も生ゴミ、普通ゴミ、資源ゴミ、有害ゴミの四区分で分けるようになったということを話しました。その際、プラスチックゴミの処理が世界的に問題化してきたなどと話が発展し、この前もストローゴミを巡って一部店舗が使用を停止するなどということがニュースになったということを思い出したのですが、この時に、「もしかして、今って世界景気が絶好調なのでは?」と急に訳の分からないことを口にしました。

 前に書いた記事で私は割と日本は景気がよさそうだという見解を示しましたが、案外今は世界的に景気が絶好調名のではないかという気がします。何故かというと、ゴミ問題への関心が急に高まってきているからです。ゴミ問題と景気が何故関係するのかですが、断言してもいいですが両者の相関性は非常に高く、景気が良ければよいほどゴミ問題は過熱化します。

 理由は表向きだと好景気によって物や人が動いて消費量の増加とともにゴミの量が増え、単純にゴミそのものの存在が目につくからです。ただこれは表向きの理由で私はあまり信じていません。
 では本当は何なのかというと、景気がいいとグローバルレベルで共通する話題が乏しくなり、当たり障りのないゴミ問題というか環境問題が急浮上してくるからです。冗談の様に聞こえますがこれはマジで、国際会議とかそういうものを開くネタに困った際はゴミ問題に焦点が集まり、みんな本気にしているわけじゃないけど世界の発展のためにゴミ問題をどうにかしなきゃと口を揃えて言います。

 直近でそれが最も顕著だったのは2006~2007年で、見ればわかりますが2008年のリーマンショック直前記です。この時期は本当に世界が平和で安定していたこともあって環境問題が大きな問題となり、それを追い風としてトヨタのプリウスは一挙に世界市場を制すようになりました。しかしこの流れが止まったのは言うまでもなく2008年のリーマンショックで、これ以降は経済がやばくてみんな環境問題どころではなく、あっという間にゴミ問題とかフェードアウトしました。
 このほかだと日本では90年代初頭のバブル期の本とか読むと環境問題への言及が明らかに大きくなり、95年辺りからなんかもうどうでもよくなったのかフェードアウトしていくのが見て取れます。

 実際問題として、ごみ問題は余裕があるときじゃないとまず問題視されません。逆を言えば余裕があるほど景気がいい時期になると環境問題は取りざたされるようになり、昨今のプラスチックごみ問題への関心が高まっている背景を見ると、世界的に今は好景気にあると認識すべきかもしれません。
 そしてそれは同時に、ある意味今が一つのピークを迎えているという兆候でもあります。バブル崩壊然りリーマンショック然り、案外あと数年で世界景気は一挙に冷え込むこととなるかもしれません。まぁ日本は時期的にはっきりわかっている、野球で例えれば3球目にカットボールが来るのが予告されているようなもんなので、タイミング的にはその辺に世界も被るかもしれません。

2018年11月12日月曜日

上海の電気街リターンズ


 一昨日、自分にとってはかなり久しぶりに宝山路という上海の電気街へ行ってきました。何しに来たのかというとこの前の記事で書いたようにWIFIルーター用のアダプタから高いパルス音がするようになったので、ルーターごと買い替えるくらいならアダプタを単体で手に入らないかと思ってきてみました。
 この宝山路近くにある一角は昔から電気街で、中古ノートパソコンを取り扱う店が集まるビルもあり、電機関連の修理業者もよく集まっています。


 結論から書けば目当てのアダプタはすぐ見つかり30元で買えましたが、家に帰って繋いでみたら通電せず、近くの雑貨屋行ったら35元で同じアダプタ有ったのでそっちも買いました。こっちはきちんと通電するし、音も小さくなり満足しています。
 このほか、日本帰国時に使うかもしれないと中国仕様のコンセントを日本のコンセントに挿せるプラグ(15元)と、何故か気になったのでジャスミンティーの茶葉を100g(20元)で購入しました。あと会社のマウスも壊れてたので、30元で大き目の有線マウスを買っています。

この日は晴れてたが翌日から曇天のち雨

 割とサプライパーツが好きなので以前はよくこの宝山路を訪れていたのですが、今回ここへ来るのは2年ぶりくらいだと思います。久しぶりに来て見て思ったこととしては、以前と違ってPSPやDSなどのゲーム機を売る店がほぼ全く見なくなったことと、3枚目の写真だとそれが顕著ですが、客層が老人に偏っていると感じました。
 以前はもっと若い人も見た気がするものの、この日は巣鴨かと思うくらい周りは老人ばかりで、そのせいか売られている中古携帯電話も老人用にボタンや画面の大きいものが多かった気がします。

 ただそれもそのはずというか、昔と違って今現在、オーディオや映像製品はスマートフォンに集約されたおかげでこの手の分野では若い人はわざわざはまらないだろうし、またパソコンについてももはや自作する方がハイコストなくらいセットアップ製品が安くなっており、うちの名古屋に左遷された親父のような自作マニアというのはもはや絶滅危惧種を通り越して絶滅種でしょう。
 ちょうど私が高校生くらいの頃がその手の自作ブームでしたが、知ったかぶりこいた奴が自分に向かって自作にチャレンジしないのは意気地がないとか抜かしてましたが、自作にかまけず当時から文章技術を磨いていた私は今現在この技術で飯を食べています。あの知ったかぶりは自作で飯を食えているのならまぁ立派なものでしょうが。

 ガチな話をすると中学生くらいの頃はほぼ毎日2時間は文章を手書きで書いていました。原稿用紙1000枚分くらいまではセンスとか技術以前に、単純に書いた分だけうまくなるとこの経験から思います。

2018年11月11日日曜日

日中の価格変更の違い

 最近自分のことばかり書いているのでたまには真面目な記事を書くことにします。

 さて先月日本に帰った際、割と楽しみにしているコンビニの巡回にてちょっと「おや?」と感じることがありました。それは何かというと紙パックの100%ジュースで、価格こそ確か税引100円と私が学生だった頃から変わりのない金額だったのですが、容量は500mlから450mlに減っていました。ずっと日本にいる人からすれば「そんなの結構前からじゃん」と思われるかもしれませんが、久々に帰ってきた私からすれば印象に残るものがありました。

 なにもこうした100%ジュースに限らなくても、食品類では同じように価格据え置きで容量を減らすという価格変更が円安に転じて原価が高騰するようになってからよく行われるようになったと聞いています。記憶にある中だとソーセージとかヨーグルトなど、恐らくほかの食品でも多かれ少なかれ同じことが行われていると思いますが、中国住まいの私からしたらやはり違和感を覚える価格変更の仕方です。

 一つ昔話をすると、中国でのコカ・コーラの値段はお店や場所によって異なりますが、ペットボトルサイズなら大体3元(約49円)です。ただ昔は2元だったのですが、そのかわり容量は500mlしかなく、3元への引き上げ時に現在の600mlに引き上げられました。そのため日本の感覚でガーっと飲むと思ってた以上に量が多くて途中でえらいことになります。

 説明するまでもなく、価格引き上げの方法が日中で真逆だったりします。日本は価格を据え置く代わりに容量を減らす、中国は価格を引き上げる代わりに容量を増やすというやり方を取っており、コカ・コーラ以外でもそうした価格変更の仕方が多い気がします。で、結論から言うと私は中国の方が本来あるべき価格変更の仕方で、日本のやり方は長期的に見て企業にも社会全体にもマイナスだと感じます。

 なぜ日本が価格を据え置くのかというと単純に、単価が上がると客離れが起こることを懸念しているからでしょう。しかし原価が高騰しているのであれば経営的に価格引き上げは行わなければならず、またそのようにして価格が高騰しなければ経済というものは成長せず、デフレからの脱却も見込めません。いくら容量を減らして単位当たり単価は向上させたとしても、「値上げは悪だ」という感覚がはびこる社会は経済成長的には絶対的にマイナスです。
 また単価に含まれるコスト、具体的には運送費の面を考えると、やはり容量据え置きで単価を引き上げた方が利幅的には拡大が見込め、経済効率も上昇するのではないかという気がします。それでも客離れが嫌だというのなら、中国のように容量増やして単価を上げる方がまだ規模効果的にもいい気がします。とにもかくにも「値上げは悪」という空気自体が経済的には最も邪悪でしょう。

 なお先ほど私も、価格引き上げを実施してきました。大家がうちに来てこの1年間の水道・電気・ガス料金(600元=約9800円)とともに2ヶ月分の家賃を支払ったのですがこの際、「中国の物価はどれも上がっているから、来月から家賃をこれまでの月4300元から4500元に引き上げないか」と自分から提案しました。
 なぜ自らそんな真似をと思われるかもしれませんが、これまでの2年間は4300元で維持してきましたが、もし相場通りに引き上げるとしたら5000元になっていてもおかしくないくらい上海の物価は上昇しています。実際に先日も同僚から、引っ越しを検討しているがどこも月8000元以上しかないという愚痴を聞きました。

 こうした相場状況を鑑みた上で、敢えてこちらから引き上げを提案して恩を売っておいた方がいいという判断から今回自ら提案しました。それにしても、日本だと家賃は下がる一方だからこんな感覚を味わうこともないんだろうな。

2018年11月9日金曜日

What's my Katagaki?

 本題と関係ありませんが「’」の記号が何故日本語キーボードだと「Shift+7」の位置にあるのかわかりません。中国語キーボードだとEnterのすぐ近くで、なおかつShift入力なしで打ち込めるというのに。

貿易戦争の波紋、中国で米系自動車メーカーが涙目に(JBpress)

 上の記事は昨日出した私の記事のYahoo配信版ですが、このひとつ前の記事から本文テキストの頭に「(花園 佑:中国在住ジャーナリスト)」という肩書が付けられるようになっています。これはJBpressの本サイト上では記事ヘッダー部分に著者名が書かれているものの、Yahooなどの配信先サイトではそれが表示されず、末尾には書いてあるものの著者名が浸透しにくいとの配慮から、先月辺りから行われるようになりました。
 私としても著者名が出るか出ないかで言えば出た方がマシで、また他のライターの書く記事についても最初にだれが書いているかでどんな記事内容を期待できるかが読めるため、率直に言ってプラスに取っています。

 ただ、問題なのはここで使われる肩書です。編集部の出してきた案の通りに「中国在住ジャーナリスト」という肩書にしていますが、以前ならともかく今の本業は記者ではなく、この仕事もアルバイトというかボランティアみたいな感覚でやってるところがあります。確かにジャーナリストという職業はライセンスが必要なく、自分で名乗ればその通り名乗れてしまうところがありますが、毎朝普通に会社勤めしながら書いている自分の場合はそれでいいのかという懸念が少しありました。

 ではどんな肩書が私にふさわしいのか。率直に浮かんできたのは「相撲愛好家」でしたが、奈良なんで相撲記事書いてねーんだよというツッコミが来そうなのでやはり不適当です。次に浮かんだのは良くゲームとかのニックネームに使う「名ばかり~」という肩書で、以前使っていたものだと「名ばかり松戸市民(住民票は移していなかったから)」というのがあります。なお「名ばかり工場長」は実際に数ヶ月間経験しました。
 ただこの名ばかりシリーズも上記のはここでの肩書には不適当だと思え、奈良なんだといろいろ考えた末に浮かんできたのは「名ばかり過激派」でしたが、自分で出してて意味が分からず、そろそろこの名ばかりから出ようと決意するに至りました。

 このほかだと真面目な案だと普通に「ブロガー」ですが、このブロガーという言葉自体が死語になっていますし、「アルファブロガー」と名乗る時点で加齢臭がします。かといってまさか本業の職業を書くわけにもいかないし、「チャイナウォッチャー」と名乗るのもあながち間違えではないですけどなんとなく面白みがないです。他には「親愛なる隣人」だとスパイダーマンになるしで、結局のところ最初の「中国在住ジャーナリスト」というのが無難だという気がします。

 最後に真面目にいくつか案を出すとしたら、やはり出身の「社会学士」と名乗るのが一番合っている気がするのと、このほか経歴に即すなら「元経済ジャーナリスト」、「仮面ライター」辺りがベターかもしれません。ちなみにたまにマジで「仮面ライター元居た会社はブラックRX」と名乗ることがたまにあります。