連休三日目ですが先週あたりからやけに寒く、今日にいたっては雨も降り、震えながら過ごしています。室内気温も10度台で動かないし、さすがにこれだと自分もきつい。
でもって雨で外いけないから自宅でプラモ作ろうとしたところ、中国メーカー(小号手)の古いキットのせいかパーツの整合性が悪く、また組立が異常に面倒くさくて「やってられるか(# ゚Д゚)」と言って投げだしました。ただ自分が創るの下手なだけですが、無駄にストレス溜めるくらいならと思ってもう作るのやめて、別の買い置きしているプラモをまた今度作ろうと思います。
さて話は本題ですがそんなかんだでプラモ作りを投げ出し、買い置きしていたあるRPGのゲームを遊んでました。このゲーム、非常に救いのない話で、マルチエンドですが基本主人公は一切救われず、ルートによっては物語序盤から一緒についてきたヒロインとも戦う羽目となり、殺害にも至るというショッキングな内容で、徹頭徹尾プレイヤーの心を折りに来ています。
ただ、そんな内容ながら遊んだ人からの評価は高く、自分も実際にそうした評判を聞いてこのゲームを遊んでみようと思いました。一体何故こんな救いがない内容、鬱度満載な内容ながらそれほど評価が高いのかと言いたいところですが、むしろ話は逆で、救いがなく心を深くえぐるからこそ評価が高いというべきでしょう。
このゲームに限らず、古来より鬱度の高いシナリオというかストーリーは「悲劇」というジャンルとして成立してきました。シェイクスピアは言うまでもなく、日本国内でも夏目漱石の「こころ」を筆頭に、読後に読者を暗い気分にさせたり落ち込ませたりするような内容であっても名作に数えられる作品は少なくありません。
映画、ゲームにおいてもこれは同じで、前者であればやはり今でも語り継がれるのブラッド・ピットの出世作の「セブン」で、後者のゲームにおいては、自分は生憎プレイしなかったのですがPS2の「ドラッグ・オン・ドラグーン」に至っては「史上最高の電波ゲー」とまで評されています。詳しくは他のサイトの紹介を見てもらえばいいですが、個人的にビビったのは子供を亡くしたことがきっかけで胎児を食べるようになった女性キャラクターがいるのですが、このキャラを声優として演じていたのは林原めぐみ氏で、当時妊娠中だったと聞いて、「何考えてんだこのゲームのスタッフども(;´・ω・)」と心底思いました。
実際に私が遊んだ中で有名な鬱ゲーとしてはスーファミの「ライブ・ア・ライブ」なんか有名ですが、このほか
こっちのサイトにあるゲームで実際遊んだのになると以下の通りです。
・サイレン
・コープスパーティ
・零~深紅の蝶
・かまいたちの夜2
・ゆめにっき
・勇者30(言及されているステージはクリア方法を変えると感動の嵐になる)
・滅やばたにえん
・夕闇通り探検隊
・ファイナルファンタジーVII
・フロントミッション
・ファイナルファンタジー零式
・青鬼
・サガフロンティア
・serial experiments lain
・ペルソナ2 罪
・ブレスオブファイア4
・ガイア幻想紀
・Linda³
・ドラゴンクエストII 悪霊の神々
・ダブルキャスト
・零
・ダンガンロンパ
・弟切草
まぁぶっちゃけこれらの作品は有名どころが挙げられているだけで、なんとなくホラーが鬱に分類されているだけと感じる作品が多いです。この中でガチで鬱作品と自分が思えるのは「ブレスオブファイア4」と「Linda³」、「ファイナルファンタジー零式」くらいじゃないかと思います。「コープスパーティ」に至ってはギャグホラーです。
また「ガイア幻想紀」が挙げられていますが、これより同じ会社の次の作品である「天地創造」の方が結末の鬱度で言えば高い気がします。
という感じでまた話が脱線してきたので戻すと、端的に言って、こうした救いがない作品というのが何故評価されるのかというと、結局人間というのはどれだけ心が動かされたか、つまりそれまでの既存概念や価値観がひっくり返されたり、疑うきっかけを作らされたりなど、感情がどれだけ揺り動かされたというのがそのまま「面白さ」と感じるのだと思います。文字にするとそのまま「感動」となりますが、感動はストーリーを素晴らしく思うプラス方向だろうと、ストーリーにショックを受けるマイナス方向だろうと、振り幅が大きければ大きいほどその本人の心理に影響を及ぼし、気分的に楽しくなるかどうかは別として「面白さ」として感じられるのだと思います。
ではその振り幅は何によって決まるのか。やはりその作品に触れた人間の想定を破る、既存の知識や概念にない展開をどれだけ見せるかによって決まると思います。あり得ない逆転劇、想像もしてなかった結末、かつて考えたことすらない悲惨な描写、これらがそのまま作品の面白さに直結するとかねてから考えています。
その上で、世の中やはりハッピーな方がいいってことで基本的に普通の作品はハッピーエンドで終わることが多いのですが、だからこそ少数派のアンハッピーエンドこそ悲劇が少数派の強みを生かしてかえってその作品に触れたものの心に残りやすくなるという特徴がある気がします。いわば心を充足させる作品が多いだけに、心をえぐる作品がえぐる分量が大きくなっているような感じです。
私自身、世にハッピーエンド作品が溢れているからこそ、悲劇的な作品に惹かれている自覚があります。まぁそれ以前に、本来の世の中不幸に満ちているからハッピーエンド作品はどことなく嘘くさく感じてしまうというのもありますが。
ただこの手のアンハッピーエンドを狙った作品においては方向性を勘違いし、ただグロテスクな猟奇的描写を載せるだけの作品も少なくないです。先にも書いた通り、ホラーと鬱はジャンルがやはり別れると私は考えていますが、鬱な作品を狙ってホラーになってしまうパターンがかなり多い気がします。でもってそういう作品はホラーとしては評価できても、「悲劇」としては全く評価できなくなるわけです。
じゃあ「悲劇」ってなんやねんという風になりますが、ぶっちゃけこれに関しては自分の中でも答えが出ていません。有体に言えば、「裏切り」はホラーでなく確実に悲劇に分類されると考えており、こうした裏切りがテーマな作品はまず悲劇と呼べるのではないかと思います。さっき挙げたゲームの中では「ブレスオフファイア4」なんかまさにそうですし。
もう一つ確実に悲劇と呼べるテーマとしては、「無意味、無価値」も悲劇だと思います。これも「ブレスオブファイア4」が当てはまり、「天地創造」も若干入るというか、これまで頑張ってきた過程がすべて無価値とされる結末はやはりいろんな人の心を一発で折ってくれる気がします。
そういう意味では冒頭に上げた「救いのない物語」というのは、後者の「無意味、無価値」がバックボーンとなるからこそ人を惹きつける悲劇となっているのかもしれません。ただキャラクターが死んでいくだけではなく、それまでやってきた努力が否定され、むざむざ死んでいく、消えていくからこそ人の心を揺り動かし、作品としての面白さに繋がってくるのではないかというのが、この記事書きながら考えた結論です。
普段、こういう記事書くときは自転車乗りながら思考を巡らせますが、この記事はそういう自分にしては珍しく書きながら一から最後まで話を組み立てました。やはりしっかり休養を取った上で、何らかの作品に触れた直後にすぐ書きだすというのは執筆においてはプラスです。