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ロッキンオン、古塔つみ描き下ろしグッズを一時販売停止と返品対応に すべての作品を調査を行うため(ガハろぐ)
本題と関係ないけど今も検証が続けられているトレースレーターの報道とか見ていると、逆にオリジナル作品を見つけ出すことの方がハードなのではないかという気がしてきました。っていうか最後に書かれている「引用派の巨匠」という言葉が強すぎる。
話は本題ですが先日も取り上げた「とはずがたり」では、後の南北朝の争乱のきっかけとなった後深草天皇と亀山天皇の兄弟二人が登場します。この二人は実の兄弟ながらどちらも天皇になっているものの、互いに頂点を極めた若貴兄弟と同様というか、その後継天皇をどちらの皇子にするかで対立が深まったと言われ、一般的には仲が悪い天皇兄弟のように認識されています。
実際に私も長い間そんな風に見ていたのですが、両者の姿については「とはずがたり」でも描かれていて、それを読むと若干印象が変わってきます。
具体的にはどう描かれているのかというと、ちょうど後深草天皇が自らの側近でもあり朝廷と鎌倉幕府のパイプ役である西園寺実兼を使った運動が効を奏し、自分の皇子(伏見天皇)を皇太子に立てたあたり、後深草天皇と亀山天皇が不仲であるという噂が出回っていたようです。
これに対し両者は「そんなことないよ(・∀・)人(・∀・)ブラーザ」ということを世に示すため、一時期互いの屋敷を訪問し合ったりしました。訪問理由はいろいろ理由をつけていたのですが、途中からチームで弓の腕や和歌を競い合ったりして、勝った方をお祝いし合うみたいなイベントをやるようになりました。
そんな交流戦が繰り広げられたある日、後深草天皇が逗留先の屋敷で横になって「とはずがたり」の作者である二条にマッサージしてもらっていたところ、亀山天皇が単身で部屋に入ってきて、こんなやりとりがあったそうです。
亀山天皇「今夜は御供がいなくて夜寂しいの。兄ちゃんの二条貸してよ(´・ω・`)」
二条(何言ってんだこいつ……(;´・ω・)モミモミ)
後深草天皇「二条は今、身重(妊娠中)だからまた今度ね(´-ω-`)マッサージキモチイイ」
亀山天皇「ずるいや兄ちゃん!うちの女房の中で気に入った娘がいたらいつでも言ってねと僕は言ってるのに、兄ちゃんは自分とこの娘を独占すんの?( ˘•ω•˘ )」
二条(ちょっ、待てよこの兄弟。なに勝手に交換条約結んでんだ(;゚Д゚)モミモミ)
後深草天皇「( ˘ω˘)スヤァ」
亀山天皇「兄ちゃん酔っぱらって寝ちゃったね。じゃ、君はこっちへ(´・ω・`)グイッ」
二条(ってオイィ、寝てんじゃねーよこのタイミングで:(;゙゚''ω゚''):)
っていう感じで、亀山天皇に手籠めにされたといういきさつが描かれています。会話文はもちろん脚色していますが、ガチでこんな内容です。
これ見て当時の宮中の乱れ方とかそういう以前に、「案外仲いいじゃんこの兄弟(;´・ω・)」というのが私が感じた印象です。もちろん仲良くシェアとかしてたのはこの時期だけでその後は険悪だったのかもしれませんが、政治的にはともかく、プライベートでは上記の通り交流があったようです。どちらかというとこれ以降、皇統が分かれたまま時代が下るにつれて派閥間の抗争が激しくなっていったというのが実態かもしれません。
なおこんな感じの話がガチで「とはずがたり」は多く、戦前とか発禁にならなかったのかなと前から思っていました。ただ先日のJBpressの記事を書いた際に調べたところ、実はこの「とはずがたり」は二次大戦中に古典資料館で初めて再発見され、皇室への社会の意識が強かったこともあり当時は公表されず、1950年くらいになって初めて世間に出されたそうです。
それで合点がいったというか、他の古典と比べると「とはずがたり」はややマイナーな方に入りますが、それは恐らく古典マニアな明治、大正の文豪が一切触れていないこともあると思います。森鴎外や芥川龍之介を始め、この時期の文豪で古典マニアな人は少なくなく、彼らが小説に取り上げたことでメジャーとなった古典も多いです。しかし「とはずがたり」は彼ら文豪のいた時代には表に出ておらず、昭和になって初めてその存在が再確認されたこともあり、いわゆる源氏物語や更級日記などと比べるとやや知名度が低いのではないかと思います。この前亡くなった瀬戸内寂聴を始め、現代語訳している人はそこそこいますが。
それにしても「とはずがたり」のエピソードはほんとに顔文字入れやすい。