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2010年8月21日土曜日

中国工場でのストライキ続発について

 これまたちょっと古いニュースですが今年に入って中国の外資系工場でストライキが多発している事が報道されるようになり、中でもホンダの部品工場の例は日本の大メディアなどでも大きく取り上げられていましたが、この中国で起きたストライキに関する報道を見て私が感じたのは他のメディアが言っているような中国人労働者の待遇問題とかそういったものよりも、中国政府が外資に対して対応を変えてきたなという考えが一見して浮かびました。

中国、外資でスト多発 日系が7割、ネット・携帯で連鎖(朝日新聞)

 今月の文芸春秋でもこの中国のストライキ問題が取り上げられており、内容を簡単にまとめるとストライキの主役は20代前半の若者たちばかりで、彼らは上記リンクに貼った記事に書かれているように携帯電話やインターネットなどを駆使して互いに連携を取ってストライキを起こして雇用側に給料や待遇改善を要求した。これらのストライキが起こるようになった背景として中国での一般の若者の教育水準が上がり、労働に対価が見合っていないと感じると以前以上に不満を覚えるようになっている……といった感じです。
 この記事は実際に現地で取材された方が書いていて決して記事の内容が的外れだと言うつもりはありませんが(何故か記事の冒頭に記事を書いた女性記者の笑顔の顔写真があったのが気になったけど)、もう少し掘り下げた見方があってもよかったという気がしました。

 私もあまり偉そうに言える立場ではありませんが、このストライキ事件の報道を見て私がまず最初に気になったのは、ストライキが起きたとされる工場が全部外資系だったということです。
 当初の報道では外資系工場では本国の社員(ホンダだったら日本人社員)に対して中国人労働者の給料は著しく低く、そういった賃金格差からくる不満がストライキに繋がったと一部では言われていました。しかし賃金格差なんて何も外資系に限らず中国では沿岸部と内陸部では本当に同じ国かと思うくらい差があり、中国系工場であっても監督を行う工場長と労働者の間では中国人同士でも大きな差があるとも聞きます。それにもかかわらずどうして外資系だけでストライキが起こったのか、言ってしまえばどこかの外資系工場が発端となったとしても中国系の工場に波及することも十分考えられます。

 結論を言うと、今回のストライキ騒動は中国政府が格差に不満を覚える底辺労働者たちへのガス抜きとばかりに外資系工場でわざと誘発させたのではないかと私は考えました。もしくはストライキ自体は中国系工場を含めかねてから各所で起こっていたものの中国政府はこれまでそれを一切報道させなかったが、今回やはりガス抜きのために外資系工場でのストライキに限って報道を認めたのではないかと思います。

 そもそも中国ではストライキに対してちょっと特殊な事情があります。現在の中国は紛れもない資本主義国家ですが一応は社会主義国という建前のため、労働者主役の国でストライキが起こることはありえないと言い張ってて憲法でもこういう論法でストライキ権が認められてないそうです。そのため断言してもいいですがこれまで中国でストライキが起きたということは公式的にはないとされ、報道も「違反をした雇用者に対して労働者が対抗した」という事例以外は一切ないと思います。

 それが今回どうして報じられるようになったかと言うと、同じ中国国内であまりにも広がった格差とそれに対する不満を少しでも和らげるために、労働者側がスカッとできるようにストライキが一部成功したというニュースが必要だと中国政府が考えたのではないかと思います。ただそれが中国系企業だとやっぱりまずいので敢えて外資系に絞り、「ずるい外国人が中国人から搾取していた」という組み立てで報道を認めた、というのが私の大まかな見立てです。

 私がこう考える根拠はというと、最初にリンクを貼った朝日新聞の記事の内容です。見出しにもある通り今回のストライキはホンダを初め外資は外資でも日系の企業に七割も集中しています。これは何故かと言うと先ほどの考えに則ると、中国政府としては日本は叩きやすい存在で、元々中国国民は一部で反日感情を持っているからガス抜きに使いやすく、またストライキが大きな問題となっても欧米と比べてあまり文句を言って来ない、という風に中国政府が考えたんじゃないかなと。

 あくまで今日ここで展開した話は私の意見で必ずしも正しいという可能性はありませんが、仮にこの考えの通りであれば中国政府はこれまで割と積極的に受け入れてきた外資に対して対応を変えてきた、ストライキを誘発させてくるようになったとも考えられ、今後の日中貿易を考える上でも見捨てては置けない事件だったのではないかというのがいつもの通り回りくどい今日の私の意見です。

中学校時代の友人の作文

 私が中学生の頃、国語の授業でこれまでに何か感動した内容をテーマに作文を書かされたことがありました。この時に私がどんな作文を書いたのかは覚えていないのですが、当時の私の友人が書いた作文の題と書き出しは未だによく覚えています。その内容というのも、以下の通りです。

  K君の頭
 ある朝、学校に行くとK君の頭がウドカットになっていた。


 この話の内容を簡単に解説すると、作文を書いた友人と私とで共通する友人であるK君が日曜日に床屋に行って髪を切ってもらっている間に寝ていると、なんと起きてみたらお笑いコンビのキャイーンのボケ役であるウド鈴木氏と同じ髪型、俗に言うウドカットにリアルにされていたのです。もちろん当時からキャイーンは人気でしたから学校に来るなりK君の突然のイメチェンはあっと言う間に学年中に知れ渡り、噂を聞いて見に行ってみるとマジでウドカットだったので私も爆笑してました。

 しかもそのK君、かねてから眼鏡をかけている点などでキャイーンのツッコミ役である天野氏によく似ていると言われていたので、この時ウドカットになった際は「頭はウドで顔は天野」だということで、「一人キャイーン」というあだ名が一時期付けられる事となりました。もちろんK君も望んでウドカットになったわけじゃないので髪を元に伸ばしてからは二度とウドカットになる事はありませんでしたが、あの一時期限定のインパクトは今でも強く印象に残っております。

 それはさきほどの作文を書いた友人もそうだったらしくて、事件から一年位後に「お前どうしてあんな内容で作文書いたんだよ」と私が聞いたら、「だって俺、あの髪型に感動したんだもん!」と強く言い返されてしまいました。

2010年8月19日木曜日

韓国、中国とは対話が出来るか

 大分期間が空きましたが、菅首相が村山談話に続く形で菅談話を行って韓国に対して戦前の日本政府が行った行為を謝罪した一件を題材に取って、今日は東アジア外交の話を簡単にしようと思います。菅首相の談話の中身については私自身が詳細に検証していないので敢えてここでは触れずに謝罪をした対象の韓国、ひいてはこの関係でよく一緒に揉める中国が果たして対話が出来る相手なのかどうか、その点について自分の知る範囲で書いていきます。

 まず韓国についてですが、言ってはなんですが対話ができるかどうかとなると私はあまりこの国を信用しておりません。残念なことに韓国政府はこれまで一巻として日本を仮想敵国に仕立て上げ、そんな日本を批判することで政権の支持率維持をどの政権も図ってきている節があります。もちろんこのような政策は韓国に限らずどの国でも行っており、かくいう日本も小泉政権の頃は意図的に中国を相手にやっていた節がありますが、韓国に対して私が最も呆れたのは今も揉めている戦前の個人賠償請求問題についてです。

 内容をざっくばらんに話せば戦前の日本の統治下で強制連行といった非人道的行為(なかったという人もいますが、私はこういう行為はあったと考えております)を受けた方個人に対して日本政府が賠償をするべきだという韓国側の主張なのですが、日本側としては国交回復の際に結んだ日韓基本条約内にて、「日本政府は韓国政府に対して援助を行う変わりに、韓国政府は個人賠償請求を放棄する」という文言があるとして言い合いを続けてきました。
 少なくとも日本は国交回復後に韓国に対して当時の韓国のGDPの三倍にも及ぶ経済援助を行っているのは事実でそれにもかかわらずどうして韓国側は個人賠償請求をかたくなに主張するのかと疑問に思っていたら、なんと韓国側では支持率低下を恐れてこの文言を国民に対してひた隠しにして、つい最近の2005年になってようやく公開したそうです。でもって案の定支持率が落ちたそうだけど。

 そりゃどの政権だって支持率が落ちるようなことをわざわざしたくないという懐具合も分かりますが、これまで援助を行ってきたにも関わらず一方的に本来される必要のない請求で文句を言われ続けてきた日本人の私からするとやっぱり納得がいきません。第一国家同士で結ばれた正式な条約を国民に隠してきたなど言語道断、と言いたい所ですが、沖縄返還時や核持ち込みに関する密約の事を考えると日本もあながち強くは批判できないものです。

 ただ韓国は、これは中国でも同じですが日本が行ってきた経済援助やODAの事実を意図的に隠す政策を取っており、これまでの外交の経緯を考えると政府から政府への謝罪や賠償を行ってもなかった事にされてほとんど効果は望めないと私は見ております。
 これは実際に私が知り合いの中国人から聞いた話ですが、彼が言うには中国人は日本が一言謝ってくれさえすればいいのに日本は日中戦争をまるでなかったことにしようと振舞っているのが我慢できないと考えていたそうで、そんな彼に例の村山談話からこれまで日本が中国に対して行ってきたODAの話をするとこれらの事実を全く知らなかったために非常に驚いていました。ちなみにその中国人は日本に五年以上住んでて、自らを「京橋のキムタク」と自称していましたが。

 さすがに韓国人の知り合いは少ないのでこのような話をしたことはないのですが、どうも韓国人も中国人同様に日本の政府発表による謝罪や経済援助の事実を全く知らないんじゃないかと思います。これだけインターネットが発達した時代ではありますが私自身も日本語での情報しか常日頃は殆んど見ませんし、仮に相手側が正しい情報を主張していたとしてもそうは簡単に信じず母国側の情報に頼ってしまう可能性が高いでしょう。そうなるとここで私が展開する話もぼろぼろと崩れて行ってしまうのですが、国際政治をやるとなるとここら辺をどう料理するかで実力が決まってきます。

 話は戻って果たして対話ができるかどうかですが、やはり現時点でも韓国、中国共々この辺の問題ではあまり期待は出来ません。ただ以前と比べるのであれば、私は両国とも大分やりやすい相手にはなってきたとも考えております。
 韓国の李明白大統領は日本同様に北朝鮮に対して強硬派であり、前盧武鉉政権と比べても感情的というかその場凌ぎのような発言が少なく慎重で、ここしばらくの韓国大統領の中でもまだマシな交渉相手ではないかと見ています。ただ日本に対してはやっぱり厳しい目を持っているようなので、隙を見せずにやっていく必要があるでしょう。

 それに対して中国の胡錦濤総書記ですが、聞けば驚かれるかもしれませんが私はこの人は日本に対して相当我慢してくれているなといつも感心します。確かに靖国問題などで揉めはしましたが、仮にあの問題が江沢民前総書記(日本嫌いの日本語上手)の時代であれば反日デモはあんなもんじゃすまなかったでしょう。またガス田問題、領海侵犯問題などこのところ中国は日本に対し強硬な姿勢を見せていますが、これらの中国の行動は中国からしたら「付け入る隙があるから付け入っているだけ」とでもいうべきか、非常に合理的で利益に則して行動しています。これは逆に言えば日本側に付け入る隙がない、このような行動を取ると利益よりも損の方が大きいと思わせれば控えてくるのではないかと楽観的かもしれませんが私は考えております。
 元来中国の政治家は利に対して非常に貪欲で感情的な行動は少なく、譲歩に対して相応の見返りを用意する事でまだ話し合いが出来る相手ではないかと見ております。しかしこれまた逆に言えば、何もデメリットがなければ中国は国際常識を無視していくらでも日本に圧迫をかけてくる可能性も高いという事ですが。

 結論を言うと、韓国も中国も政府相手となるとあまり信用が出来ない相手で、政府も変な友愛精神とかで譲歩してもなにも日本の利益に結びつかないのではないかと私は考えています。ただ近年は昔と違って政府だけでなく民間レベルの交流がしやすくなり、本当に小さなエピソードとかで国民感情ががらっと変わってきたりするのでそういったところから攻めて行くのも悪くない気がします。
 そんな手段の一つとして以前に私が考えたのは、中国のアイドルは鶏がらのように痩せている女性が多いので、ここは一つグラマーな日本のアイドル陣を大挙して中国に送り込めば一気に見方が変わるのではと提案しましたが、友人らからは相手にされませんでした。
(ノД`)

2010年8月18日水曜日

記録に残る外国人野球選手 後編

 昨日の前編に引き続き私的外国人野球選手の特集です。今回は現役選手も何人か入れてきます。

6、宣銅烈(中日)
 韓国の至宝とまで呼ばれて鳴り物入りで中日に入団するも一年目は不調でしたが、二年目以降は日本のプロ野球に馴染んで当時横浜にいた大魔神こと佐々木主浩氏とともに38セーブの記録で最多セーブ賞に輝き、その後も中日の優勝を牽引するまでの活躍を見せてくれました。

7、ロバート・ローズ(横浜)
 今回私がこの記事を書こうと思ったきっかけとなった選手で、横浜ファンにとっては未だ忘れられないほどの活躍を残した名選手です。このローズ氏がいたころの横浜はまさに黄金期で、マシンガン打線とまで呼ばれた継ぎ目のない打線の中で鈴木尚典氏と共に中軸を担って98年の優勝に大きく貢献しました。
 ローズ氏を語る上で外せないのはプロ野球史上唯一の三度のサイクル安打という大記録で、その長打力はもとより確実にヒットを打つ打率も半端ではなく、99年には打率.369、打点153、本塁打37という恐ろしい記録を残しております。またこの打点153という記録が示している通りにチャンス時の勝負強さは圧倒的だったらしく、塁に走者を置いた状態でローズ氏を打席に立たせる場合は押し出しとなってでも敬遠する価値があるとまで解説者に言わしめております。

8、ロベルト・ペタジーニ(ヤクルト、巨人、ソフトバンク)
 かねてから外人スカウトの力量に定評のあったヤクルトが引っさげてきたのが、現在ソフトバンクに在籍するこのペタジーニ氏です。
 ペタジーニ氏は二度のホームラン王に輝いた長打力ひとつとっても特筆に価するのですが、それ以上に恐ろしいと言えるのが異常な出塁率です。よく日本にやってくる外人長距離打者は前回にも紹介したラルフ・ブライアント氏が「三振か本塁打か」と言われたようにその長打力に比して三振数が多いといわれがちですが、ペタジーニ氏はそのような外人長距離打者の割には選球眼が非常によくて四球を得て出塁する事が多く99年と01年には最高出塁率タイトルも獲得しております。またそうした選球眼のよさが効いているのか比較的直球を好む傾向が強い外国人打者の中でも変化球に強く、日本にいた時代は毎年安定した成績を残してスランプらしいスランプがないのも立派なものです。
 そんなペタジーニ氏ですが、2004年に巨人を退団してから六年後の今年になってまさかソフトバンクに移籍してくるとは夢にも思いませんでした。しかも移籍後初ホームランがサヨナラだし。

9、タフィ・ローズ(近鉄、巨人、オリックス)
 阪神に在籍したランディ・バース氏と並んで「史上最強の助っ人」との呼び声の高いこちらのローズ氏ですが、バース氏同様にその打撃力は驚異的と言わざるを得ません。01年の本塁打数は最後の試合がまた王監督のいるソフトバンクに当たったために記録更新こそならなかったもののシーズンタイ記録の55本を打ち、その他の年もシーズンを通して出場した年はほぼ毎年ホームラン王争いに絡む活躍をしております。特に近鉄時代は現楽天の中村紀洋氏と共に「いてまえ打線」を作り、持ち前の長打力を生かして見事優勝を勝ち取っています。
 ただローズ氏はこうした打撃面以外の記録と言うか、やや不名誉なものですが退場記録数が通算で14回とこちらは日本歴代最高記録です。悪い人ではないのでしょうが、やや血気盛ん過ぎるための記録と言えるでしょう。

10、ホセ・フェルナンデス
 多分私だけでしょうが、よくフェルナンデス選手のことを「球界渡り鳥」と呼んでおります。
 その打撃力はどの球団も認めるもののそれを失って余りある守備の稚拙さゆえにチーム構想から外れるや次々と球団を渡り歩き、その回数なんと日本球界だけでも五回という陳記録を作っております。ちなみにその移籍の経過はと言うと、

ロッテ→西武→楽天→オリックス→西武

 と、ある意味便利と言えば便利な存在ですけど、近年の日本球団はどこぞの馬の骨を連れてくる位なら日本で実績を残した外国人選手を招聘するようになっていることがこのフェルナンデス氏の移籍数に影響しているでしょう。

11、アレックス・ラミレス(ヤクルト、巨人)
 野球をあまり知らない人にとってもすでにおなじみのラミレス氏ですが、十年にも渡って日本球界で長くに安定して活躍するその実力はさすがいう他ないでしょう。ホームランは毎年30本前後打ち、また安打についても右打者としては史上初めてシーズン200本安打を打つだけあって抜群の成績ですが、その一方で外国人選手にありがちな三振数の多さも半端でないために出塁率が低いという欠点もあります。
 ただラミレス氏はそうした試合での活躍のほかに自ら率先して行うファンサービスやパフォーマンスの面での球団への功績は計り知れず、もはやお馴染みとなった「ゲッツ」がダンディ坂野氏の持ちネタとは思えないほど定着しております。それにしてもダンディ坂野氏もまさかプロ野球選手に持ちネタを奪われることになるとは思わなかったろうな。

2010年8月17日火曜日

記録に残る外国人野球選手 前編

 以前に「記憶に残る外国人野球選手」という記事にてこれまでに日本プロ野球にやってきた印象的な外国人野球選手を紹介しましたが、今回は「記憶」ではなく「記録」にこだわり、これまたインパクトの強い外国人選手をここで何人か紹介しようと思います。

1、チャーリー・マニエル(ヤクルト、近鉄)
 1973年、当時のヤクルトは補強として大リーグからジョー・ペピトーンという選手を獲得したものの、この人物は一癖ある人物でシーズン中にも関わらずしょっちゅう勝手に試合を休み、果てには来日してから二ヶ月で勝手に帰国してしまう問題人物でした。このペピトーン氏の行動に当時の日本球界も怒り、補強とはいえ今後は大リーグの選手を迂闊に呼んでいいものかという大騒動になったのをアメリカにも伝わり、ペピトーン氏の行動に対するお詫びを込めてドジャースが人物、能力ともに安心して任せられる人物としてヤクルトに送り込んできたのがこのチャーリー・マニエル氏です。
 その期待通りにマニエル氏の参加を受けてヤクルトは急成長し、マニエル氏は来日二年目には打率.316、42本塁打、97打点という成績を残してヤクルト悲願の初優勝に大きく貢献しました。しかしその年のオフに当時の広岡監督のチーム構想から外れて近鉄にトレードとして放出される事となりましたが、移った先の近鉄ではかねてから不安のあった守備でなくてもいい指名打者で大活躍して見事近鉄は優勝しています。
 因みにヤクルト、近鉄共にマニエル氏が退団した翌年は最下位に転落しており、如何にその実力が抜きん出ていたかが分かるエピソードです。

2、レロン・リーレオン・リー
 この二人は実の兄弟にして日本球界に大変長く貢献してくれた二選手です。
 兄のレロン・リー氏は実働11シーズンで、4000打数以上の打率は.320でこれは日本人選手を含めた歴代最高の記録で、外国人としての通団打数1579本はタフィ・ローズ氏に抜かれるまでずっと一位でした。
 対する弟のレオン・リー氏は兄のように本塁打王といったタイトルこそ縁がなかったものの実働十年間は終始安定した成績でロッテ、大洋、ヤクルトといった三球団を渡り歩き、それぞれの球団でシーズン30本塁打以上を打ったという特殊な記録を残しております。

3、ランディ・バース(阪神)
 未だ「史上最強の外国人助っ人」との呼び声も高く、阪神ファンにとっては神にも等しいこのランディ・バース氏ですがその在籍中の記録もその異名に違わず桁外れの記録を持っております。
 阪神が優勝した1985年はいわゆる「バース、掛布、岡田」のバックスクリーン三連発が語り草ですがこの年は打率、打点、本塁打、出塁率、勝利打点となんと打撃五部門で最高成績を残して実に五冠王となっております。本塁打については最終カードがあの曰くつきの巨人戦であったために王貞治氏の持つシーズン55本塁打に一本届かなかったものの、日本シリーズでもシーズン同様の活躍でMVPを取っております。
 翌1986年も打率.389、47本塁打、109打点という記録で前年に引き続き打撃主要三部門で三冠王となり、特に打率については未だ破られていない日本記録として君臨し続けております。

4、ウォーレン・クロマティ(巨人)
 巨人の黒くて強い人といったら未だに印象の強いこのクロマティ氏ですが、彼の特筆すべき記録はシーズン規定打席数を終えた時点で夢の打率四割を達成していたものの、その後の試合でこの四割を保てず.378でシーズンを終えたという事実でしょう。仮に規定打席数を達成した後の試合に出場しなければクロマティ氏は打率四割というシーズン記録を残していたということで、その長打率と相まって当時のピッチャーからは恐れられていたのだろうというすごい記録に思えます。

5、ラルフ・ブライアント(近鉄)
 ホームランか三振か、これほどまでに極端なバッターは恐らくブライアント氏以外には今後も出てこないかと思います。近鉄に在籍してチームの顔から優勝の立役者となり大いに球団に貢献したブライアント氏ですが、その記録を見ると実にとんでもない珍記録を連発しております。
 まずホームラン数についてはやはり異常な量で三度の本塁打王獲得はもとより、ここぞという打席でホームランを打ってくるその圧倒的な勝負強さには目を見張ります。まずその第一例目はプロ野球史に残る1988年の伝説の「10.19ダブルヘッダー」の第二試合でのホームランで、これはもはや試合自体が伝説なので今後も語り継がれていくでしょう。
 そして近鉄が優勝した翌1989年、この年もシーズン終盤まで優勝争いがもつれてまさに天王山となった西武とのダブルヘッダーの第一試合では郭泰源氏から二打席連続ホームランを放ち、変わってスクランブル登板した渡辺久信氏からは更にホームランを放ちこれがこの試合の決勝点となっております。しかもブライアント氏はこの年にすでに五度も一試合三本塁打を打っていたため、王貞治氏の記録を抜いてこのシーズンは合計六回という大記録を樹立しています。続く第二試合目は一打席目は四球で歩かされるも二打席目ではまたもホームランを放ち、なんと四打席連続ホームランを一日で達成しています。たださすがに四度のホームランは体への負担も大きかったらしく、その晩はブライアント氏の肩が上がらなくなったそうです。
 そうした華々しいホームランの記録の外で三振の数もまた異常な量で、なんと現在に至っても歴代シーズン三振記録では一位から四位までブライアント氏の記録です。見ているファンの側としては非常に楽しみな選手ですが、使っている監督からしたら扱いづらい選手この上ないでしょう。それにもかかわらず優勝に導いた故仰木彬氏はさすがと言うか。

 まだリストアップしている選手が何人かいますが、続きはまた明日にでも書きます。

2010年8月16日月曜日

「真相報道 バンキシャ」が続いている理由

「真相報道 バンキシャ」が何で続くの?

 上記リンクは去年に書いた記事ですが、何故だが今でも時々拍手を受けたりして読まれている不思議な記事です。まぁ書いた内容についてはどうにもならない日本の放送倫理についても触れているので満更でもないのですが、この記事で私が疑問に挙げた内容についてその後続報を受けているので折角なので紹介しておこうかと思います。

 この記事で私が疑問に挙げた内容というのは、この番組が大々的にも報じたにもかかわらず結局は根も葉もないデマだった岐阜県の裏金疑惑について、誤報道の責任を取って当時の日テレの社長が引責辞任をしたのですが問題のある放送を行ったこの番組事態は何故か続けられ、一年経った現在も報道が続けられております。普通に考えるなら社長が引責辞任するくらいの放送をしたのであれば番組自体が潰れて当然なのですが、どうしたわけかこの「バンキシャ」は続けられて結果的にはこの番組の打ち切りよりも日テレ社長の首のが軽かったわけですが、この奇妙な日テレの責任の取り方はちょっと裏があったようです。

 前回の記事を書いた直後にある放送関係者にこの問題を振ってみた所、なんでも当時の日テレの社長をナベツネこと渡辺恒夫読売新聞会長が気に入っておらず、あの岐阜県の裏金疑惑の誤報にかこつけて社長職から飛ばしたというのが実情だったそうです。
 日本のテレビ局と新聞会社は資本関係から他国と比べて別メディアながら密接な関係にありますが、日テレ読売グループに至ってはかねてよりその意見方針などの点で他局と比べても強い関係にあると言われておりました。しかしそれにしたって、かつてのプロ野球巨人軍の原監督の左遷を含めてこんなめちゃくちゃな人事がまかり通って問題ある番組が存続してしまうというのはもはや看過出来るレベルじゃないでしょう。まぁ誰かさんが老衰でくたばれば丸く収まる話かもしれないけど。

 ついでに書いとくと「バンキシャ」のメイン司会者の福澤朗氏ですが、この人は「バンキシャ」で自分のキャリアを潰してしまったんじゃないかなとこのところ思います。一応日テレからフリーに転進してからは「ピンポン!」など報道番組を持っていたけどこれも去年で終わっちゃったし、その後も何か特別番組などで司会を任されることもなければ他の番組でゲストとして出てくる姿もほとんど見ません。っていうか、「バンキシャ」でしか見ないし。

 ちなみにアナウンサーと言うかテレビ司会者業界はこれから結構荒れてくるような気がします。大分年いっているけど読売新聞の本来は解説員だけど司会を任せれば一流の辛坊治郎氏がとうとうフリーに転身したし、これまで全く主流にいなかった池上彰氏が各番組に引っ張りだこになっている点といい、これら新人材へのキャスター入れ替えを狙って各局で報道番組の再編が行われるかもしれません。
 ちなみ最後の大物とされているのは言わずと知れたTBSの安住紳一郎氏で、彼がフリーに転身する時が現状で予想しうる最大のビックバンになると私は見ています。

2010年8月14日土曜日

自分のクローンを作りたいと一緒に思った友人

 私が高校生だった頃、ある日の生物の授業で遺伝が取り上げられておりました。教師は遺伝の概要を説明するとともにすでにクローン羊を生み出す事に成功している事に触れ、理論上はもう人間もクローンを作れる状態にあると説明し、仮に作れるなら自分のクローンを作ってみたい人はこの中にいるのかと尋ねたところ、手を上げたのは私と私の友人の二人だけでした。

 この時何故私が自分のクローンを作ってみたいと思ったのかというと、仮に自分のクローンを自分で育てた場合、自分と同じ性質の人間に成長するのかどうかを試してみたいと思ったからでした。要は人間の性質は先天的な要素か後天的な要素、どちらの方が影響度が高いのかを試してみたいと率直に考えたからです。まぁ自分で育てたらあまり意味ないかもしれませんが、その辺も含めて比較しようと。

 ところがこんな風に考えるのはやっぱり少数派だったようで、案の定と言うか授業の後には見事に友人らから気味悪がられました。

「お前なんでクローンなんか作りたいと思うんだよ?」
「面白そうでいいじゃん。別にこんなの人それぞれじゃないか、気味悪がる事ないだろ」
「いや、お前がクローンを作りたいと思った事よりも、お前とあいつ(私と一緒に手を挙げた友人)の二人だけがクローンを作りたいと思った事が気持ち悪いんだよ」

 こういうのもなんですが、この時に私と一緒にクローンを作ってみたいと手を挙げたその私の友人は控えめに言ってもかなり変わった友人でした。性格ははっきり言ってわがままそのもので、よく授業が終わった後は資料集を持って延々と教師に対して質問を通り越して個人指導を申し込み、あんまりにもしつこくやるもんだから終いには教師に怒られる事もあった生徒でした。
 そんなこの友人ですが、何故だか私と馬が合って高校時代はよく一緒になって行動を起こしていました。確かセンター試験会場を下見に行く時も一緒に行った覚えがあります。

 現在、この友人は社会人経験を経て国立大学の医学部を目指して勉強をし続けております。この経歴自体が特筆に価するほどその友人は面白い人生を歩んでいるのですが、今思うとあの時私と一緒にクローンを作りたいと考えただけあって好奇心が人一倍強い性格は未だに変わりがないようです。対する私は理系ではなく文系に進みましたが、好奇心はともかくクローンを作ってしまえという無鉄砲さは未だに持ち続けているような気がします。