ページ

2010年8月17日火曜日

記録に残る外国人野球選手 前編

 以前に「記憶に残る外国人野球選手」という記事にてこれまでに日本プロ野球にやってきた印象的な外国人野球選手を紹介しましたが、今回は「記憶」ではなく「記録」にこだわり、これまたインパクトの強い外国人選手をここで何人か紹介しようと思います。

1、チャーリー・マニエル(ヤクルト、近鉄)
 1973年、当時のヤクルトは補強として大リーグからジョー・ペピトーンという選手を獲得したものの、この人物は一癖ある人物でシーズン中にも関わらずしょっちゅう勝手に試合を休み、果てには来日してから二ヶ月で勝手に帰国してしまう問題人物でした。このペピトーン氏の行動に当時の日本球界も怒り、補強とはいえ今後は大リーグの選手を迂闊に呼んでいいものかという大騒動になったのをアメリカにも伝わり、ペピトーン氏の行動に対するお詫びを込めてドジャースが人物、能力ともに安心して任せられる人物としてヤクルトに送り込んできたのがこのチャーリー・マニエル氏です。
 その期待通りにマニエル氏の参加を受けてヤクルトは急成長し、マニエル氏は来日二年目には打率.316、42本塁打、97打点という成績を残してヤクルト悲願の初優勝に大きく貢献しました。しかしその年のオフに当時の広岡監督のチーム構想から外れて近鉄にトレードとして放出される事となりましたが、移った先の近鉄ではかねてから不安のあった守備でなくてもいい指名打者で大活躍して見事近鉄は優勝しています。
 因みにヤクルト、近鉄共にマニエル氏が退団した翌年は最下位に転落しており、如何にその実力が抜きん出ていたかが分かるエピソードです。

2、レロン・リーレオン・リー
 この二人は実の兄弟にして日本球界に大変長く貢献してくれた二選手です。
 兄のレロン・リー氏は実働11シーズンで、4000打数以上の打率は.320でこれは日本人選手を含めた歴代最高の記録で、外国人としての通団打数1579本はタフィ・ローズ氏に抜かれるまでずっと一位でした。
 対する弟のレオン・リー氏は兄のように本塁打王といったタイトルこそ縁がなかったものの実働十年間は終始安定した成績でロッテ、大洋、ヤクルトといった三球団を渡り歩き、それぞれの球団でシーズン30本塁打以上を打ったという特殊な記録を残しております。

3、ランディ・バース(阪神)
 未だ「史上最強の外国人助っ人」との呼び声も高く、阪神ファンにとっては神にも等しいこのランディ・バース氏ですがその在籍中の記録もその異名に違わず桁外れの記録を持っております。
 阪神が優勝した1985年はいわゆる「バース、掛布、岡田」のバックスクリーン三連発が語り草ですがこの年は打率、打点、本塁打、出塁率、勝利打点となんと打撃五部門で最高成績を残して実に五冠王となっております。本塁打については最終カードがあの曰くつきの巨人戦であったために王貞治氏の持つシーズン55本塁打に一本届かなかったものの、日本シリーズでもシーズン同様の活躍でMVPを取っております。
 翌1986年も打率.389、47本塁打、109打点という記録で前年に引き続き打撃主要三部門で三冠王となり、特に打率については未だ破られていない日本記録として君臨し続けております。

4、ウォーレン・クロマティ(巨人)
 巨人の黒くて強い人といったら未だに印象の強いこのクロマティ氏ですが、彼の特筆すべき記録はシーズン規定打席数を終えた時点で夢の打率四割を達成していたものの、その後の試合でこの四割を保てず.378でシーズンを終えたという事実でしょう。仮に規定打席数を達成した後の試合に出場しなければクロマティ氏は打率四割というシーズン記録を残していたということで、その長打率と相まって当時のピッチャーからは恐れられていたのだろうというすごい記録に思えます。

5、ラルフ・ブライアント(近鉄)
 ホームランか三振か、これほどまでに極端なバッターは恐らくブライアント氏以外には今後も出てこないかと思います。近鉄に在籍してチームの顔から優勝の立役者となり大いに球団に貢献したブライアント氏ですが、その記録を見ると実にとんでもない珍記録を連発しております。
 まずホームラン数についてはやはり異常な量で三度の本塁打王獲得はもとより、ここぞという打席でホームランを打ってくるその圧倒的な勝負強さには目を見張ります。まずその第一例目はプロ野球史に残る1988年の伝説の「10.19ダブルヘッダー」の第二試合でのホームランで、これはもはや試合自体が伝説なので今後も語り継がれていくでしょう。
 そして近鉄が優勝した翌1989年、この年もシーズン終盤まで優勝争いがもつれてまさに天王山となった西武とのダブルヘッダーの第一試合では郭泰源氏から二打席連続ホームランを放ち、変わってスクランブル登板した渡辺久信氏からは更にホームランを放ちこれがこの試合の決勝点となっております。しかもブライアント氏はこの年にすでに五度も一試合三本塁打を打っていたため、王貞治氏の記録を抜いてこのシーズンは合計六回という大記録を樹立しています。続く第二試合目は一打席目は四球で歩かされるも二打席目ではまたもホームランを放ち、なんと四打席連続ホームランを一日で達成しています。たださすがに四度のホームランは体への負担も大きかったらしく、その晩はブライアント氏の肩が上がらなくなったそうです。
 そうした華々しいホームランの記録の外で三振の数もまた異常な量で、なんと現在に至っても歴代シーズン三振記録では一位から四位までブライアント氏の記録です。見ているファンの側としては非常に楽しみな選手ですが、使っている監督からしたら扱いづらい選手この上ないでしょう。それにもかかわらず優勝に導いた故仰木彬氏はさすがと言うか。

 まだリストアップしている選手が何人かいますが、続きはまた明日にでも書きます。

0 件のコメント: