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2010年10月16日土曜日

日本に武士道は存在するのか

 かねてからいろいろ問題や不備の多い日本の年金行政ですが、今年は死んでいたにもかかわらずその死を隠して年金を不正に受給していたという問題が起こり納税者からは大いに顰蹙を買うこととなりました。この年金の不正受給問題が発覚した際、主に年長者の方々から、「日本にはまだ武士道というものがあるのに、こんな問題が起こるとは……」と、かつての日本人と比べてモラルが低下していることを嘆くようなコメントを多く見かけたのですが、こうした声に対して私の知恵袋でおなじみの「文芸春秋」より面白いコラムが寄せられていました。

 そのコラムを書いたのは歴史学者の氏家幹人氏で、氏家氏によるとなんでも江戸時代に書かれた書物に当時の武士階級においても今回の年金の不正受給と同じように役付きの武士が死んだ際、家族はその死んだ武士を病気だとお上に届けることで死後も一定の期間は俸給を受け続け、お上もお上でこれまで頑張ってきてくれたんだしということでこの不正受給をわかっていながら黙認し、ほぼ習慣化されていたそうです。
 そういう意味では先ほどの「日本には武士道が……」というくだりは案外に伝統的なもので、今回の年金の不正受給も今に始まったことではないと氏家氏はまとめております。

 これは私の恩師の言葉ですが、そもそも日本人は何かと都合良く武士道という言葉を多用するが、元来武士道というものは非常に曖昧な概念であってそれほど重厚な価値観を持つ気高いモラルではないと話していました。私自身も武士道という言葉はなにかこう、今回のように悪い行いを批判する際によく使われるように感じ、実態的には江戸時代を含めて実践された概念や行為というよりは理想とされた概念のような気がします。

 この手の話をするとよく「葉隠」という書物に記された、「武士道とは、死ぬことと見つけたり」という言葉が引用されますが、この言葉自体どこか現実離れしている感が否めず、本当に命懸けるのかよと中学生ではないですが聞きたくなるようなフレーズです。また武士道の基本とされる「御恩と奉公」についても上流武士階級は大した仕事もせずに三日に一日だけ働くことで給料もらえる特権階級であって、主君への忠誠のために動くというより自らの権益を守るために藩のため働いていた節があるのではないかと私は考えています。

 ここで結論を申せば私は武士道というものは偶像化された概念であって実践されてきたわけでなく、今も何かしらモラルの向上などに寄与しているわけではないと考えています。だからといって日本人のモラルは低いというつもりはなく世界的にも非常に高くて誇れるモラルだと思っていますが、そのモラルが出来上がった理由はまだ議論の余地はありますが、物質的に豊かであることと高い教育レベルの賜物ではないかと思います。
 ただ近年はモラルの低下があちこちで叫ばれていますが、物質的な豊かさはさすがにバブル期よりは落ち込んでいるもののそれを補うほどインターネットやサービスといったインフラが向上しているので、私は主原因は教育レベルの低下が怪しいんじゃないかと睨んでます。まぁいい大学出てても嫌な奴はどこにでもいますが、何か社会全体で後ろ指をさす行為が減ってきているような気は確かに私もします。

  おまけ
 モラルについてですが、自分に限ればプライドを強く意識することが自分のモラルの維持に一番貢献しています。このプライドというのは言い方を変えれば他人と自分を区別しようとする考え方で、「ブックオフで立ち読みする奴らと俺は違うんだ!」などと一人ごちては度々まとめ買いに走っています。古本買うより新刊買えよと自分でもたまに突っ込みますが。

2010年10月14日木曜日

アクセス障害のお知らせ

 毎度、陽月秘話をご贔屓いただきありがとうございます。
 突然ですが今回、諸般の理由で私のパソコンからBloggerにアクセスできなくなるという状態に陥りました。幸い出張所を置いてあるFC2ブログにはアクセスができますので、今後しばらくはリンク先にある「陽月秘話 出張所」(http://yougetuhiwa.blog39.fc2.com/)にて記事の更新を確認していただくようお願いします。
 ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします。

2010年10月13日水曜日

源頼朝の娘、大姫の話

 鎌倉時代はいろんな意味で面白い時代ですが、いまいち人気がないためにそれぞれのエピソードもどうも埋もれがちです。そこで今日は自分が鎌倉時代で特に気に入っているエピソードの、源頼朝の娘、大姫の話を紹介しようと思います。
 頼朝の子供というと二代目将軍の頼家と三代目将軍の実朝は知られていますが、妻の北条正子との間にはそのほかにも子供がおり、中でも長女のこの大姫はその後の歴史を左右しかねない存在だったと私は考えております。

 大姫は1178年に生まれるのですが、わずか六歳にして許婚が出来ます。その許婚の相手というのも源義仲こと木曽義仲の息子、源義高という大姫より六歳年上のこちらもわずか12歳の少年でした。父親を見てもらえばわかる通りにこれは平氏打倒の途上にあった頼朝と義仲の政略結婚で、義高が頼朝の下へ人質として送られる形で決められました。
 ただ政略結婚とはいえこの二人は子供同士ながら仲が良く、将来の関係についてもそれぞれで理解しあっていたそうなのですが、残念なことに頼朝と義仲は平家物語にも書かれてあるように対立し、最終的には源義経によって義仲は討伐されることとなります。

 義仲の討伐後、父親の死をまだ知らない義高を将来の禍根として殺害を企てるのですが、これをひょんなことで聞いてしまった大姫は義高を女房に扮させて逃亡させようと行ったそうです。ただこう書いておきながらですがこの辺の記述は吾妻鏡に書かれている限りで、まだわずか六歳の大姫が義高の逃亡を積極的に支援するとはちょっと考えられず、義高とその取り巻きが逃亡を図ったのは事実かもしれませんが大姫がそれを支援したというのは脚色ではないかと私は考えています。

 話は戻りますがとりあえず逃亡を図ったものの義高は追っ手に捕まり、敢え無く討ち取られることとなりました。吾妻鏡ではこの義高の殺害は子供にはショックが強すぎるということで大姫には内緒にして行方不明だと説明しようとしていたものの、討伐した藤内光澄が帰ってくるなり大声で、「義高、討ち取ったりー!(゚∀゚)」と言っちゃったもんだからすぐにばれてしまい、あまりのショックに大姫は気絶までしたそうです。これに怒ったのが日本史上でも多分一、二を争う烈女の北条正子で、藤内のことをデリカシーのないやつだと再三頼朝に抗議したために藤内は敢え無くさらし首にされたそうです。

 その後大姫は、元からかもしれませんがめっきり体が弱くなり、何かにつけて義高のことを口にし、頼朝が持ってくる縁談に対しても、「だったら身を投げるっ!(# ゚Д゚)」と言っては強く拒否し続けたそうです。しかしそれでも武士の娘の運命からか頼朝は平氏打倒後の朝廷工作の秘策として、この大姫を後の承久の乱で主役となる後鳥羽天皇に輿入れさせようと工作を始めたのです。ただこの工作が実る前に、大姫は20で病からこの世を去ることとなりました。

 過分に話が出来すぎな気もしますが、大姫は不幸といえば不幸な人生だったと思います。ちなみに日本人は何かと「三大○○」と言うものを作るのが好きですが、敢えて「三大不幸姫」を私が作るのであればこの大姫と、戦国時代の武将である最上義光の娘の駒姫、あとちょっと微妙ですけど徳川秀忠の娘の千姫あたりが無難かと考えます。まぁこの中だと、駒姫がダントツで可哀相なんだけど。

2010年10月10日日曜日

「学校であった怖い話」について

 今年の夏に一回だけホラーゲームの特集をしたことがありましたが、あれは本来なら続編を書いてそこで本当に取り上げたかったゲームの詳しい紹介をと考えていたのですが、いかんせん書いた直後に思っていたより企画自体が面白くなくて中断させてしまいました。昨日も更新をサボりましたがちょっと今日も書こうと思う内容が浮かばないので、しょうがないからホラーゲーム単体での記事ということで「学校であった怖い話」についてちょっと書いてみようと思います。

 この「学校であった怖い話」(通称:学怖)はスーパーファミコンとプレイステーションという二つのハードで出されましたが、一般的には私も遊んだスーパーファミコンのバージョンのがポピュラーです。このゲームはチュンソフトが出した「かまいたちの夜」に代表される選択肢を選びながら物語を読むサウンドノベルというジャンルのゲームなのですが、以前にどこかで見た評論にこんなのがありました。

「サウンドノベルは一見簡単に作れそうなジャンルだが実際にはプレイヤーに満足感を引き出させるためには膨大な量の選択肢とテキスト量が要求され、結局スーパーファミコン時代でこの二つの条件に見合う作品はチュンソフト製の「弟切草」と「かまいたちの夜」、そしてパンドラボックスの「学校であった怖い話」、「晦-つきこもり」の四作だけだった」

 私としてもこの評論に同意する部分が多く、「かまいたちの夜」のヒット以降にいくつか他社からもサウンドノベルのゲームがいくつか出たもののそのどれもが分量が少ない上に選択肢の分岐展開も低く、お世辞にも満足できる代物はありませんでした。ちなみに一番頭に来たのはミステリー作家である赤川次郎原作の「魔女達の眠り」で、ゲーム自体はそこまでひどいものではなかったものの光栄が出していた攻略本に、「全EDを見るとおまけシナリオが見られる」と書いてあったものの、実際にはこれが全くのデマであり、うちの姉貴と何で見れないんだろうと子供の時分に深く頭を抱える事になりました。これが私に対する光栄の初めての裏切りでした。

 それはさておき今日の本題の「学校であった怖い話」ですが、これは文句なしに私は名作だと考えています。まず文章量についてですが先発の「かまいたちの夜」をはるかに凌駕する分量で、なおかつ分岐による展開も一体いくつあるんだと呆れるくらいに幅広いものでした。その上でテキストもただ冗長なだけでなくどれも波乱に富んでいる上に登場人物のキャラクター性の高さと相まって技術が光り、このゲームの製作指揮をしたクリエイターはその後、史上最悪のクソゲーと呼ばれる「四八(仮)」を作るまではファンの間で一目置かれていました。

 その上でこの「学校であった怖い話」の特徴を挙げるとすれば、豊富な文章量に加えて実によく出来た恐怖の演出に尽きると思います。ゲームの画質はスーパーファミコンなので今見るとちょっと荒いような印象を受けるかもしれませんが、かえってその荒い画質が恐怖をわきあがらせるにはちょうどよかったところがあります。そんな画質で出てくる登場人物は主に実写の高校生(に扮した人たち)なのですが、学校の怪談でおなじみの花子さんや逆さ女、宇宙人やら変なみの虫お化けなど恐怖系キャラも多岐に渡り、特に花子さんは登場の仕方があまりにもあれなのでリアルにゾクッとしますし今でも思い出すと夜トイレに行くのをためらうほどの印象を残しています。

 現在このゲームはプレイステーション版の「学校であった怖い話S」がPSP、PS3のアーカイブスで600円でダウンロードできるので割りと入手しやすくなっております。私はプレイステーション版はやった事がないのでこの際入手するべきか悩んでいますが、どちらもやった事がなくてサウンドノベルが好きな方であればきっと満足するであろう作品なのでお手にとられることを強く勧めます。
 ちなみにこのゲームの中で私が気に入っているシナリオをいくつか紹介すると、下記の通りになります。

・トイレの花子さん
 学校の怪談における不動のエースなだけあってこのゲームでも特殊なシナリオ扱いとなっております。よく花子さんは小学生の女の子でかかれることが多いですが、高校生ともなるとその恐怖と猟奇性は格段に違うのだなと見せ付けられたシナリオでした。

・人形のいけにえ
 単純に恐怖の度合いで言えばこのシナリオがダントツに怖い話でした。「徐々に追い詰められる→打開できるかも→そうはいくか(゚∀゚)」という恐怖演出の三段活用が実にうまく決まっており、底なしに震えさせられる内容です。ちなみにこのシナリオの話者は私の後輩の話し方によく似ているので友達との間では人気でした。

・美術室の自画像
 よくあるシナリオといえばそれだけなのですが、それだけに単純に怖かった覚えがあります。画像が妙にグロい。

 昔このゲームを友人に貸した所、主人公の名前が「歌 ウタオ」で帰って来ました。何か意図したい物があったのかもしれません。

2010年10月8日金曜日

三国志における各軍師の役割

 現在テレビ東京では「最強武将伝 三国演義」というアニメが毎週日曜日に放映されており、自他共に認める三国志マニアの私としては絶対に外せないと毎週見ています。このアニメを見ていてつくづく感じるのは、キャストを見るとただ単に私が無知なだけかもしれませんがほとんど名前の知らない方が声優をしており、恐らくでしょうが主役の劉備役をやっている船越英一郎氏を初め専業役者の方が声優をしているのかと思います。でもって放映を見ると皆さん実にいい声の演技をしており、最近では専業で声優をやられる方も少なくないのですが、やっぱり餅は餅屋なんだなぁと思ってしまいます。

 そういったことはさておき、三国志では伝説の人物と言ってもいい諸葛亮を始めとした様々な軍師と呼ばれる人物が登場します。軍師とはどんな人たちかといえば主君に対してあれこれ助言する人を誰もが想像するでしょうが、一言で助言をするといってもその助言内容は多岐に渡り個々の軍師たちによって違い、これは意識しないと中々気がつかないのですが三国志における軍師たちはそれぞれ軍師という職の中で役割分担というか適性を持っており、大別すると「参謀型」と「戦略型」の二種類に分かれます。
 「参謀型」というのは文字通りに戦争における戦術の立案や戦闘指揮を行う軍師の事で、「戦略型」は外交や人材登用、国内行政といったその勢力の行動方針や内政を担当する軍師になります。三国志は戦争の物語なので自然と参謀型の軍師の方が目立ってしまいますが、私の視点で三国志に登場する軍師を分別してリストアップすると以下の通りになります。

<参謀型>
龐統
法正
徐庶
賈詡
程昱
荀攸
陸遜
陳宮

<戦略型>
諸葛亮
荀彧
郭嘉
鍾繇
陸遜
魯粛
張昭

 最近こういうリストを書く記事が異常に増えた気がします。
 それはともかくとしてこのリストを見た方は恐らく、「何で諸葛亮が戦略型なんだ」という疑問を持つかと思います。諸葛亮は三国志演義の中では次々と奇抜な作戦を編み出しては敵軍を何度も打ち破っており、確かに赤壁の合戦の前には外交で呉を戦闘に引きずり込むなど戦略型らしい働きをしているけれどもどちらかといえば参謀型なのでは、と思われたのではないでしょうか。

 しかし実際の歴史では意外に諸葛亮は地味な役割の方が多いのです。諸葛亮は確かに何度も北伐を行うなど戦争指揮も数多くしておりますが、それ以前の彼は天下三分の計でもって劉備にグランドデザインを作ったり、呉との外交を行ったり、占領後の蜀での行政整理などどちらかというと裏方のような仕事が多く、三国志の著者である陳寿も「内政については文句なしだが、何度も北伐に失敗しなかったのは彼自身の戦争指揮の悪さも原因ではないだろうか」とまとめています。

 この諸葛亮の評価の仕方は実は私オリジナルではなく昔に光栄が出していた「三国志Ⅳ武将ファイル」のコラムが初出で、そのコラムでは裏方の諸葛亮に対して外征で本来参謀となるべき人物は龐統であり、劉備が天下を取るためにはこの車の両輪とも言うべき二人が揃わなければいけなかったと述べています。しかし龐統は蜀の遠征中に若くして亡くなり、唯一この龐統の後任の参謀となり得る人物だった法正も早くに亡くなってしまった為、諸葛亮は自分の本来の戦略役に加えて参謀役もこなさねばならなくなった事が不幸であったとまとめております。
 私もこのコラムを書いた人と同意見で、国力の低い蜀という国で外征と内政の二つを背負わなければならなかった事が諸葛亮の最大の不幸であって限界でもあったと考えています。

 このように参謀型、軍師型に一応はリスト分けこそしていますが上記の諸葛亮のように両方の役割を兼任するということも、先ほどのリストの中だと陸遜と郭嘉がその例かと考えています。
 ちなみに上記リストには敢えて司馬懿、周瑜、呂蒙の三人は加えていないのですが、この三人はゲームとかだと軍師扱いされていますが実際には将軍としての役割(戦争の指揮、実行)が強く、どちらかといえば「参謀も出来る将軍」だったのではないかと私は考えています。

 あと参謀型の軍師についてもう一言加えると、このリストの中で私が最強だと思うのは他でもなく賈詡です。この人は董卓、李傕、張繍、曹操と主君を度々変えていますがどの主君の下でも活躍し、その主君らは賈詡の助言に従えば必ず大勝し従わなければ必ず大敗することになっています。本当に空恐ろしい人物とはこういう人物な気がします。

今の日本に足りない「諦め」

 私は八月に「未来を見る視点距離」という記事を書きましたが、この記事は多分コメントとかもらえるだろうなと勝手に期待してて、コメントが来たらもう少し詳しくこの内容を掘り下げようと考えていました。生憎コメントは何一つ来ず終いで取らぬタヌキの皮算用となってしまったわけですが、改めて読み返すとあまり内容を整理していなかったのが手伝ってかまとまりを欠いているように見えるので、トピックスを日本社会に絞ってもう一回解説しようと思います。

 まずおさらいですが前回の記事で私は人それぞれ未来を見る視点距離があって、一年後や十年後などその視点距離はバラバラであるものの今の時代は変化が激しいのだから物凄く短いスパン、それこそ三ヵ月後まで資格取得の勉強をここまですすめておくなど「今」に集中して生きる方が案外正しいのではないかと訴えたわけです。
 とはいえそれは個人レベルの話であって国家レベルともなるとある程度長期スパンで未来を持ってもらわねばさすがに困る話なのですが、私の見立てだと今の政治家、ひいては大半の日本人は未だに過去のバブル時代を引きずっており、その政策方向や目標を見ているとどうも、「あのバブルの時代をどうやって取り戻すか」に終着するように思え、未来を見るどころかよかった時代の過去に未だにしがみつこうとしているのではないかという気がします。

 ここで断言しますが、私はどれだけ日本一国が努力したとしてもあのバブル時代にはもう戻れないと考えています。これはどういうことかというと、みんな正社員で働けて、所帯持って、ちょっと頑張れば子供を大学に行かせられて、老後は年金で暮らせて、こういう当たり前と考えられていた価値観、世の中はどれだけ頑張ってももう取り戻せないだろうということです。
 一体何故取り戻せないのかというと単純に、日本があの1990年前後みたいに栄える可能性が非常に低いからです。というのも経済学部の学生なら間違いなく知っているはずでしょうがあの時代はまだ冷戦が続いており、他の先進国が軍事費に大幅に予算を割く中で日本だけが経済政策に集中して金をつぎ込むことができました。これだけでも日本は有利な立場であった上、冷戦という世界が閉じられた構造であったために現在のように市場はグローバル化せず競争が激化する事も資本が国境を跨ぐ事も今ほど盛んではありませんでした。ついでに言えば、人材や労働力の国外流出も、工場の海外移転も少なかったです。

 私はあのバブル時代と高度経済成長というのは日本人の努力もあったでしょうが、それ以上に日本が置かれた幸運な状況があったからこそのものだったと考えています。それゆえに状況が一変した現在では仮に日本一国が努力したとして、さすがにまた大きな戦争やら国際情勢が変わるならば話は別ですが、あれほど右肩上がりの好景気はもうどうやったって来ないものだという諦めを持っています。

 そのため、私は当時に当たり前とされた条件のいくつかはもう取り戻せないと割り切ってある程度切り捨てねば日本は発展はおろか生き残る事も出来なくなると考えています。先ほども条件を挙げましたがもう一度ここでリストアップすると、

・全員が正社員
・高い大学進学率
・マイホーム
・高度な医療
・年金

 実際にはもっとあるでしょうけどここまでにしておいて、この中のいくつか、下手すりゃ全部をある程度切り捨てる覚悟というか諦めが今の日本社会に足りないと私は思います。特に誰もが望めば正社員になれるという価値観は現実でもすでに破綻しており、しかも新卒時に正社員になれた人間となれなかった人間でその後の人生に明確な分岐が生じる事は疑いもない事実です。

 敢えてダーティな友人の振りして話をすると、私自身(花園祐)は新卒時に正社員として就職することが出来たのでこの新卒問題について気にしなければ気にする必要のない立場です。私個人で生き残りを考えるのならばこの問題は何も関係がありません。
 ただもし将来の日本という国、日本の子供達のことを考えるのであれば考える必要があるでしょうが、私が今後どちらの立場に立つかは今もって測り難いです。

2010年10月7日木曜日

私が考える稀有な能力、重要な能力

 友人らからもう何年間にも渡り、こんな注意を私は受けています。

「いい加減に、人を常に値踏みしようとするのはよくないよ」

 何年間も言われながらも、ついぞ一度たりともやめることが出来ずにいます。
 人を値踏みするとは文字通り話している相手の力量、癖、能力を分析しようとかぎまわる事なのですが、自分でも意地汚い行為だと分かっていながらもどうしてもやめることが出来ません。

 具体的にどのような方法で値踏みするかというと本当に油断も隙もない話になるのでわざわざやりませんが、一つ今日はそうして培った経験を元に私が個人的に「レアだなぁ」と思う能力をちょっとここで紹介しようかなと思います。最初に断りを入れておきますがここでの話はあくまで私の主観での話しで、客観性もへったくれもないのでその点だけはご承知ください。

1、記憶の並列整理
 多分普通の人にとっては記憶というのは新しいものほどよくはっきりしていて、古いものほど曖昧だと思います。さすがに子供時代と大人時代の記憶を比べあうなら印象の強い子供時代の方がはっきりしている可能性が高いでしょうが、去年と一昨年の記憶を比べあうならまず以って前者の方がはっきりしているでしょう。
 私はこのような一般の記憶構造を表現するのに、「本の積み重ね」という言葉をよく用います。記憶を本にたとえて新しい情報を次から次へと縦に本を重ねて山にしていくように貯めていくのが記憶で、そのため新しい情報こと表面にある記憶は思い出しやすいものの山にうずもれた古い記憶は段々と思い出し辛くなるといった具合に。

 ここで紹介する「記憶の並列整理」というのはちょうど本棚にきれいに本を並べていくように情報を記憶する能力のことです。縦に本を重ねていくのに対して横並びにすることでどの本がどんな内容かを一目で背表紙で判断できるように、失われていない限り古い記憶も新しい記憶も区別なく処理し、思い出せる能力の事を指しております。
 この能力にはもちろん個人差があって完全に記憶を整理しきっている人は私もまだ見ませんが、ごくごく稀に、今までで二人だけしか私も見ていませんが、三年前の何月に何々ついて話した後、二年前の何月に関係する話題を口にしたなどという具合に時系列を無視するようにひょいっと細かな記憶をまるで昨日の記憶のように一瞬で出してくる人間がいます。どうやったらこんな人間できるのか、現在研究中です。

2、マルチ処理
 複雑な話題を議論する際に、どれだけ分かりやすく話をかいつまんでもどうしても複数のトピックを方程式のように同時に考えて話さなければなりません。最近の話題から例を取ると中国漁船衝突事件の場合、

・国内法
・領土問題
・地下資源争奪
・レアアースの輸入、調達
・国内の支持率
・中国に人質に取られたフジタ社員
・アメリカの出方
・中国政界の政治闘争
・国際会議の日程
・過去の対応の仕方
・こちらの対応に対する相手側の予想される反応

 と、ざっと挙げるだけでも菅首相に考えてもらうにはこれだけトピックがありました。恐らく大半の方はこの中から三つか四つを選んでそのトピックの中で意見を決めてたかと思いますが、理想を言うならば考えるべきトピックは多いに越した事はありません。ただ人間は基本的に物事を単純に処理したがるため、ひどい場合には一番重要だと思うトピック一つだけを選んでその中だけで意見を決めてしまうことも少なくありません。

 ここで挙げたマルチ処理とはその名の通りに複数の情報を同時に処理した上、それぞれの情報を重要度ごとに順位付けした上で自らの意見や結論をまとめる能力のことです。言う事は簡単そうに見えても意外と日常でもこれが出来る人間となると少なくて、私が見る限りだと先天的な要素も入っているんじゃないかと思います。私自身、後輩に対してこのマルチ処理を意識的に鍛えられるかどうか試してみましたが、一定の効果は見られたものの初めから出来る人と比べると大きな差がどうしても残ってしまっていました。

 因みに先に挙げた中国漁船衝突事件のトピックの中に敢えて「外国メディアの反応」と「中国の世論」は入れませんでした。これも順位付けの一つですが考えるべきでないトピックを敢えて無視するのも一つの処理だと私は考えており、何故私がこの二者を外したのかが分かる方とはゆっくり話をしてみたいものです。

3、文章力

 これは私が書くべきかどうかわかりませんが、読んで相手に意図を伝えられるだけの文章を書ける人が現在だと極端に少ない気がします。実際私も日常で他人の報告書を読んでたりすると思うことが多々あり、昔の祐筆じゃないですが文章作成の専門スタッフとかいてもいいと思います。
 特にこれを強く言いたいのは文学部の学生で、もっと文章というものに目を向けて世に需要を訴えてもいいと思います。ただそういいながらも、大学で書かされる論文の構成というものが私にはあれほど分かり辛くて書きにくいものはないと考えており、そういった文章の指導がなされている限りは何も望むべくものはないかもしれません。