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2010年8月22日日曜日

未来を見る視点距離

 人間誰しも、人それぞれに未来を見る視点というか視野に入れている未来があるかと思います。例えば大学受験を控える受験生であればどの大学に入ってどんな生活をしたいか、就職を控える就活生ならばどんな会社でどんな仕事をしていきたいのか。またこうした進路に限らず漠然と何歳くらいで結婚して、何歳くらいで部長になって、何歳くらいで引退するなどの未来でも構いません。
 こうした未来を見る時間軸はそれこそ千差万別で同じ個人にとっても状況によっては違った未来図があるかと思います。ただこの時間軸はいうまでもなく長短があり、ありていに言えば遠い将来を見越して行動している人もいればその日をどうするかだけしか考えずに行動している人もいるでしょう。

 一般的には五年先、十年先など将来を遠く見越せる人の方が偉いような言われ方をしていますが、私に言わせるならば何でもかんでも予想通りに上手くいくことなんてほとんどないんだし、あんまりにも先のことを細々予想し過ぎる人もどうかと考えています。諸葛亮みたいにピタリピタリと当てられるなら話は違うけど。
 特に近年は社会変化がただでさえ早く、そういう意味では現代人は今と言うか近い未来に集中して素早く対応するようになってきて、十年先といった将来に対して強いビジョンを持たない人、特に若者の間で多くなっているような気がします。

 ただこの傾向は若者に止まらず、穿った見方をすれば社会全体、それも政治の世界でこそ強いのではないかと私は考えています。これはどういうことかというと、今の日本の政治は突き詰めていえば「バブル崩壊前のあの栄光の時代を如何に取り戻すか」という議論ばかりで、日本を今後どのような国に変えていくかという意見が全く見当たらないからです。

 バブル崩壊前の栄光の時代というのは言うまでもなく「経済力の強い日本」というイメージで、経済力が国として大事なのは間違いありませんがそれにしても他の国と比べて日本は経済力に対して強い執着がある気がします。これなんか以前に会った人が言っていたことですが、日本の株価や為替が一般的な庶民の生活にはほぼ直結しないにもかかわらず日本人はいちいち大騒ぎしすぎるきらいがあるとして、なんだか言われた自分も少しドキリとしました。

 私も何度かこのブログで書いていますが、人口が減り続けている社会は労働力がそれだけ減るので自然と経済力も低下していきますが、その分社会を支えるために必要とされる労働力も減るので日々の生活が即貧しくなっていくということはありません。ただ年金を始めとした社会保障などは計算方法が変わっていくので制度をいじる必要はありますが、ゼロ成長にはゼロ成長に対応すればいいだけで成長がないからといってすぐ国が破綻するわけではありません。
 それを今の日本の政治家はなんとしても昔のあの良かった時代を取り戻そうとしてあれこれ金をつぎ込み、結果的には借金だけを残してしまったのですが。

 この話が最初の未来を見る視点距離とどう関係しているのかと言うと、私は今の日本の政治家、並びに大半の日本人はもう失って取り戻す事の出来ない過去を無理に取り戻そうとして破滅しかかっている、言うなれば未来を見ずに過去だけしか見ていない状態なのではと言いたいわけです。また個人レベルでも何も考える必要のなかった子供時代、気楽にできた学生時代ばかりを懐かしんでは未来の幸福を追わないという、これは今に始まったわけじゃありませんが過去へのしがみつきがちらほら見られます。

 私は何も遠い将来を見越せとまでは言うつもりはなく、家に火のついたような状態であれば今をどうやって生きるかに集中する事の方がずっと大事です。ただ一番まずいのは過去を省みるのではなくしがみつくということで、これは時間だけを消費して何も残るものはないでしょう。

 ちなみに私は今、とある事情で「今」をどう生きるかに強く集中するようになっております。何もサバイバルな状況にあるというわけじゃありませんが、五年後、十年後をあまり考えず、今年と来年をどうやっていくかだけを考えて行動を取っております。まだまだ冒険したい年頃なのかもしれません。

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