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2011年10月4日火曜日

家電量販店などのポイントサービスについて

 七月に日本に帰国した際の顛末を書いた記事にて書いていますが、新品のパソコンをオノデンさんで購入した際に海外在住と伝えたところ、「海外にいるのであればポイントが使えないので、ポイントを付けない代わりに今ここで値引きしますね」と対応してもらいました。特別な対応をしてもらったオノデンさんに頭が上がらないのはもちろんのことですが、実は元々私はポイントサービスというのが嫌いで、逆にこうして現金値引きをしてくれる企業をこれまでにも頻繁に利用していました。

ポイントサービス(Wikipedia)

 ポイントサービスというのをここで簡単に説明すると、商品を購入した際にその購入金額の一部をポイントとしてメンバーズカードなどに記録し、次回に同じ店で商品を購入した際にその分だけ値引きするというサービスのことです。私の印象としては十年くらい前に大手小売店などがやりだしたのをきっかけにどんどんと導入する店が増え、現在ではTポイントカードを筆頭に複数企業で提携してポイントを共有するサービスが現れるなど未だに広がりを続けています。
 こうしたポイントサービスを使うことによって得られるメリットですが、消費者側からすれば支払った金額に応じて次回買い物時に割引が得られるというお得感、販売者側からすればいくらかの値引きによって消費者を次回の買い物へ呼び込めるといったところで双方にメリットがあるとされますが、必ずしもメリットだけなのかという疑問をかねてから抱いております。

 まず私がこのポイントサービスを何故嫌っているのかですが、単純に自分の次の行動や思考が束縛されるのが嫌で、この点で聞き分けはいいけど私以上に束縛を嫌う友人と意見を共通しています。たとえばプリンタのインクを買う際にどこの店で買うのか決める時、「あっちのお店にはポイントカードがあるからあっちを優先して買おう」と考え、その店までの距離、実際の販売価格、店員の質、地域経済への影響などといった諸々の要素を考えなくなる恐れがあり、その上で何よりも自分の選択が相手の思惑に載せられているような気分がして不快です。またこれ以外にも常に複数枚のポイントカードを保有し、中身のポイントを管理するというのが手間で嫌というのもありますが。

 とはいえ現在社内から「ケチで有名な花園」、「飲み会に誘っても来るのか?」などと言われるだけあって私も価格は気になります。過度な値引きには相手にも悪いと思って自ら遠慮することもありますが、いくらか値引きしてもらえるのならやっぱり心は動きます。そんなわけで最初に書いたように、こういったポイントカード制ではなくその場で値引き、現金還元などしてくれる店を比較的優先して選ぶようにしており、家電量販店ではケーズデンキを贔屓にしており、またイトーヨーカドーもよく現金返還キャンペーンを実施するので非常に愛用しております。
 逆にポイントサービスを大々的にやってて、社員に愛されていない企業堂々第二位のヤマダ電機については不祥事を何度も引き起こしていることもあって徹底的に買い物は避けております。

 と、ここまではあくまで私の個人的な見解ですが、真面目にポイントカードのデメリットについても合わせて書きます。まず一番のデメリットというのは販売者側におけるデメリットで、ポイントを作って次回に値引くということは次回時の販売額がそれだけ減少することで、きちんと経理して入れとくのであればともかくそうでなければ帳簿上には見えない負債というものがポイント分だけ生まれるということになります。これはこの前のエコポイント制度などにも共通していますがポイントサービスは将来分の消費を先取り、今現在の売り上げを増やす一方で将来の売り上げを減らしている面も少なからずあるように思え、経営上、余計なリスクを抱え込むことになりやしないかという気がしてなりません。
 また具体的な内容は珍しく忘れてしまいましたが、ポイントサービスを実施していたある企業が倒産した際にポイントを消化しきっていなかった消費者からクレームが起きたことがありましたが、この事件については消費者に対して自業自得と感じる一方、倒産が噂されることによって駆け込みでポイント消費が相次ぎ、財務状況が急に悪化することも今後起こるのではという風にも覚えました。

 消費者側のデメリットについては既に述べていますが、ポイントを運営する企業が倒産することによってポイントが使えなくなる可能性があるということです。もっともそういうことはなかなかないでしょうし、まさか数百万単位でポイントを抱え込む人もいないでしょうから影響は軽微でしょうが。ただ中には企業でパソコンなどといった業務用OA機器を取りそろえる際に、購買担当者がこうしたポイントのあるお店でまとめて発注して経費を会社側に負担させポイントは自分が着服する例もあると聞くのでひょっとしたらえらいポイントを抱えてるのもいるかもしれませんが。

 自分でもややロートルな印象を覚えますが、どうもこういう電子マネーには慣れず現金にこだわるところがあります。性格が元からせっかちで物事が常に完結した状態でなければイライラするということもありますが、できる限り早くこのポイントサービスの流行が終わってくれないものかとたまに真剣に考えます。

2011年10月3日月曜日

資格乱発の現状について

 以前に友人から、通関士の資格を持っていると話を聞き、それならばインコタームズなど貿易事務についてわかるのと聞いたらその友人は素直に、「わからない」と答えました。恐らくこういったことは何もこの友人に限らず、資格を持ってこそすれども実際に業務に携わってない人間に共通することだと私は考えています。
 ご多分に漏れず私もその一人で、貿易に関しては「貿易実務検定C級」というかなりどうでもいい自己満足な資格を持っていてこれについてはクーリエ手配など一通りの業務を行う自信があるものの、同じく取得している「高圧ガス販売責任者一種」という資格についてははっきり言って全然活用できる自信がありません。黒いボンベには酸素、緑のボンベには二酸化炭素が入っていることくらいはわかりますが、そもそも瓶転がし自体をやったことがほとんどないし……。

 こうした現状を思うにつけ、そもそも資格というものは何のために存在するのか疑問に感じます。確かに高圧ガスなどといった危険物を取り扱う上では最低限の知識が必要でおいそれと誰にでも取り扱わせるべきではなく、ある程度の試験によって知識確認の必要性は感じるものの、結局は実務をやってるかやってないかの方が判断基準としてはずっと大きい気がします。また近年は資格乱発とも言っていい状況で、ちょっと今日はこの辺について一言書いておこうかと思います。

 そもそも何故一般業務における資格というものが存在するかですが、理由は大きく二つあって一つは業務遂行者の知識や技術を一定水準保障、確認するためで、もう一つは業務遂行者の職業を保護するためです。ある業務を行う上で資格が必要と義務付けることによって無資格者を締め出すことができ、有資格者の仕事口を保護できます。こう書くと聞こえは悪いですがたとえば市場が非常に狭い業界や仕事の場合ですと従事者の人数をコントロールしなければ全滅することとなってしまうので、それであれば成績順に仕事を確保するという考え方は個人的にありだと思います。ちなみに明治時代には社会上、必要性が高いものの採算がなかなか取れないもんだからジャーナリストの仕事を資格制にしようとする動きがあったそうですが、なんか凄い真面目に大きな勘違いしているようにしか思えない案です。

 今回ここで槍玉にあげたいのは最初の方の、知識や技術に関する理由です。確かに自動車や医師免許など、人の命や公益に大きく関わるものの場合は知識や技術が足りないものを振り落すという過程が必ず必要ですが、それ以外の大半の業務については八割方はいらないのでは、資格とせずとも届け出制にするだけでも事が足りるのではと私は考えています。先ほども言いましたが実際に各仕事を行えるかどうかは実務経験、言うなれば先輩の指導などを受けて関わったことがあるかどうかが重要で、テストを受けたかどうかではありません。
 そうはいっても高圧ガス関係の資格の中には毒ガスの取り扱い免許などもあって事はそう簡単じゃないということは重々承知ですが、こうして敢えて批判する形をとっているのは、資格制にすることで誰が一番得をするのかというとほかならぬ、資格試験を管理、運営する連中だからです。あまり表には出てきませんがこうした団体には独立行政法人など官僚の天下り団体が多く、しかも一つの試験で受験料、試験対策講座費、教材費、資格登録費などと多方面にわたって受験者から料金を徴収し、どう見たって必要以上に儲けているんじゃないかという気がしてなりません。払う方も払う方で、大抵会社が費用出してくれるのでためらいなく払うし。

 こうした不当な儲け方、言い方を強くすれば不必要なまでに資格取得熱を煽って利益誘導をしている団体例としては2009年に一挙に問題が発覚した漢検協会をよく代表例として使っていますが、実態的には漢検だけでなくもっとたくさんの団体で試験に関わる徴収料金を本来の目的用途の試験運営以外に現在も流用していると思います。さらにうがった見方をすれば、2000年代前半の就職氷河期時代に盛んに「資格があると就職に有利」と言われてきましたが、この背景にはマスコミへの資金の流れがあったのではと今思います。
 繰り返しになりますが資格があろうとなかろうと、仕事に必要な知識が必ずしも伴われているというわけじゃありません。下手に中間業者をのさばらせるくらいなら、いくつかの資格は届け出制にしてこの際つぶした方が世の中も回しやすいのではないかというのが今日の意見です。

2011年10月2日日曜日

内需拡大によるメリット、デメリット

 昨年に日本を追い抜いて中国のGDPが世界二位になった際、「これほどまでの経済大国となったからには、中国はこれまでのように大量生産による輸出中心の経済モデルでは経済を維持できなくなる」などといった評論をする経済家がたくさんいましたが、どうしてそうなるのかきちんと説明していた人は皆無と言っていいいくらいにいなかったので、当たり前と言ってしまえば当たり前の話ですが今日はどうしてそうなるのかを簡単に解説します。

 まず現在の中国がどうしてこれほどまでに経済力を成長させることができたのかですが、その原動力となったのは保有する世界最大の人口とその人口に裏打ちされた豊富で安価な労働力です。言うまでもなく労働力が安ければ同じ材料で同じ製品を作ったとしても値段が安くても利益が出るので、繊維商品を筆頭とした軽工業品は中国国内はもとより、「メイドインチャイナ」が世界で当たり前になるくらいに他国にもバンバン輸出されていきました。そのためこれまでを含め現在の中国経済は、輸出販売をメインとすることで成り立っております。

 今現在の日本では輸出が多いということはとにかくいいことだというような言われ方をしておりますが、確かに輸出量が多いということは一面ではいいものの、必ずしもいいことづくめではないと私は考えております。具体的な例が卑近で助かるのですが、一国の経済消費における輸出割合が高いということは、自国の都合と関係なしに他国の都合で突然大きな影響を受けやすくなるというデメリットが存在します。具体例を挙げるとまさに今起きているリーマンショック以降の不況で、それまで好調に売れていた商品が他国で急に売れなくなると輸出産業にかかわる業種では売上が突然に減少します。また不況に限らずとも相手国との関係悪化に伴いセーフガードなどといった貿易対抗策や輸出規制が敷かれても同様で、毎月1000万円あった売り上げが突然に10万円に減少することだってありうるわけです。無論こうなったら従業員も雇い続けることが出来なくなり、下手すりゃ一発で廃業です。

 またこれ以外にも、輸出依存の経済体制にありがちなのは貧富の拡大です。これも単純な話で輸出産業にかかわる業種では自国の経済(=値段)に関係なく価格を決定することができるため、国内向け産業の人たちと比べて大金が得やすいです。現実に今の中国では昼食や散髪が100~200円で済む一方、大型トラックや建設機械は海外に数百万円で輸出されております。
 無論このような状態を維持し続けながら経済成長を保つということは理論上は可能ですが、行き着く先は言い方が悪いですが韓国社会のようなものだと私は考えています。韓国は輸出産業を極大化させることで経済を維持していますが、その弊害というかサムスンやヒュンダイといった財閥企業に属していなければまともに生活できないほど一般庶民の所得は低く、貧富の差は日本とは比べ物になりません。おまけに今現在起こっているようにウォン高になるだけでそれらの財閥企業も途端に経営が苦しくなることもあり、底堅い経済とは言い切れません。

 ではこうした輸出依存のデメリットに対しどのような対策が必要なのかですが、一つはよく言われるように内需を拡大させることです。内需はあくまで国内のみの消費ですので不況時にも国家である程度コントロールすることができます。日本の場合はコントロールするために借金に借金を重ねた挙句が今の状況ですので、一概にとは言えませんが。
 ただ内需を高めるために何が必要かというと、なによりもまず一般庶民の所得の向上です。それまで毎月10万円もらってた人が20万円に上がればそれだけ使えるお金が増えて内需は増えるわけですが、こうなると何が起こるかというと労働力コストが上昇し、これまでのように輸出で大儲けすることが出来なくなるどころか大量生産、輸出モデルが崩れることになります。見方によっては貧富の差が縮まるとも言えますが。

 話は戻って今の中国経済ですが、順番的には以下のような形で内需拡大策を現在取っております。

・安価な労働力を武器に輸出産業を中心として経済成長達成
  ↓↓↓
・経済成長こと達成したものの、貧富の差が拡大し不満が増加
  ↓↓↓
・不満解消のために全体の所得を底上げする必要がある
  ↓↓↓
・所得が底上げされると、これまでのように安価な労働力だけじゃやってけなくなる
  ↓↓↓
・減少するであろう輸出消費の埋め合わせとして、内需を拡大させる必要がある


 もちろんこれだけが理由じゃなく世界経済がリーマンショック以後に不況となったのもあって内需化拡大にかじを切ったのもあるのでしょうけど、「中国がこれまでのようにはいかない」という理由というのはざっとこんなもんだと私は考えています。
 現実に先週、私も会社で記事を書きましたが、労働コストの上昇などによってこれまで軽工業品の輸出産業中心地であった浙江省温州市で、今年に入ってから経営者の夜逃げが相次いでます。経営者が夜逃げした企業の業種を見てみると、ライター、メガネ、靴といったメーカーで、これは日本も歩んだ道ですがもうこれらの大量生産は中国でもやっていくことはできないでしょう。

2011年9月29日木曜日

山岡議員へのマルチ商法団体からの献金疑惑について

 当初は放っておくつもりでしたが、与党ではなく野党への批判として一筆書いておくことにしました。

山岡消費者相、マルチから献金=05~08年に250万円超(時事通信)

 ちょっと旬が過ぎたニュースですが、民主党の山岡賢次議員に詐欺商法の定番とも言っていいマルチ商法関連の企業団体からの献金が発覚し、野党などから現在批判が起こっています。ただ今回の野党の批判については私は内心如何なものかと思っております。というのものたった今私は「発覚した」とは書きましたが、発覚以前にこんなの大分前からわかりきっていたことだからです。

 山岡議員がマルチ商法団体と深い仲にあることは数年前から大きく報じられており、私自身も二年前くらいにわざわざ「陽月秘話」で記事にしたのをはっきり覚えてます。おまけに山岡氏の楽しいところはそのマルチ商法団体の会合に堂々と出席し、まぶしいくらいの満面の笑顔で、若い皆さんには是非頑張っていただきたいなどと発言するのがしっかりと動画に残っているという点で、私もYoutubeで実際に鑑賞しましたがどうしてまだ刑務所に入んないんだろうと当時に感じました。

 それが何故今になってこれほど大ごとになるのか、もちろん悪いことは悪いことだけどちょっと腑に落ちない点が数多くあります。恐らく今回の野田内閣成立とともに山岡議員が消費者相になったことが原因かもしれません。最初これを見た時は私も野田首相の一種のギャグかと思いましたが、それにしたって野党だって知ってたくせに今更急に糾弾するというのもなんだかという気がします。ただでさえ今は震災復興の対応などで忙しい時期なんだし、こんなしょうもない小物のスキャンダルで大騒ぎするくらいなら法案の審議に時間をかけるべきです。無論、山岡議員には相応の処分は必要で、受け取った献金は全額返金するようですがこの際だし消費者相も辞任してもらい、なおかつ受け取った献金額の二倍以上を震災地域へ寄付するくらいで放免にしたっていいんじゃないかと思います。それにしても自民党など野党も野党で、こんな小物相手にむざむざ時間をかけて、やるんだったら一撃で潰せよなと言いたいもんです。

 ついでに書くと、先日小沢一郎の秘書らに対して政治資金収支報告書虚偽記載の罪で有罪判決が下り、野党側は小沢本人の証人喚問を求めていますが、これについては適切な対応だと思います。というのも小沢本人が前に呼ばれるなら行くと言ってそのあとは何かと理由を付けて逃げ回っており、明らかに行きたくない理由があるというのが見え見えだからです。第一、この小沢問題でどれだけ国会が空転してきたのか、空転した時間を政策審議に充てればどれだけ有効に使えたのかと思うともったいない限りで、ここで見逃してもまた後から再燃するのは目に見えているのですからここらで決着を付けるべきでしょう。
 ただ小沢への疑惑についてもうひとつ、山岡議員同様にいざ追い込まれたところでまたあの件が大ごとになったりするんじゃないかという懸念があります。その件とは既に過去の記事で書いているので敢えてここでは書きませんが、個人的には西松建設問題以上に悪どいというか許せない所業ではありますが、小沢の政治生命が死んでからでも落とし前をつけさせればいいので今の段階で取り上げるべきかと言えば、もう少し寝かした方がいいような気がします。

2011年9月28日水曜日

諸葛亮の軍才の評価

 このところネットの掲示板にて、「諸葛亮孔明は軍才があったのかどうなのか」という議論をよく見かけるので、三国志好きが昂じてこうして中国で働くところまで来てしまった私としても一家言あるので、今日はこの話題について取り上げようかと思います。

 諸葛亮とは三国志マニアには言うまでもない、劉備と並ぶこの壮大な物語の主人公で現代においても軍師とくれば彼の名が第一に上がってきます。それでこの諸葛亮の軍才があるかないかという議論ですが、この議論における諸葛亮とは史実における諸葛亮で、多少の脚色が含まれる「三国志演義」における諸葛亮ではありません。演義における諸葛亮は文字通り神変万機の才能でありえないほど戦争に勝ちまくりますが、史実の諸葛亮は兵を率いたことは実は少なく、実質的には南蛮平定と北伐の時しか実績はありません。またその実績も南蛮平定には成功しているものの北伐は五回繰り返したにもかかわらず結局は司馬懿に阻まれ失敗しており、そのことを指して歴史書の「三国志」を書いた陳寿は、

「毎年のように軍隊を動かしたのに(魏への北伐が)あまり成功しなかったのは、応変の将略(臨機応変な軍略)が得意ではなかったからだろうか」

 という具合に諸葛亮の評価を残しております。それで肝心の軍才への議論についてですが、実はこの陳寿が書いた、「臨機応変な軍略が得意でなかった」という一言を巡る解釈議論と言っても差し支えありません。この陳寿の言葉に対し、「諸葛亮は政治家としては優秀でも、奇策が全く使えない、軍人としての才能がない人物だった」と言う人もいれば、「政治、軍事ともに優秀でも、敢えて一点足らないところを挙げれば臨機応変な軍略なだけだったのではないか」という人もおり意見が分かれております。どちらの意見が優勢かと問われるならば、私見ではやはり諸葛亮は軍事的才能には乏しかったと主張する人の方が多い気がします。

 そんなこの議論に対する私の意見ですが、結論を言えば私は諸葛亮は軍事的才能にも非常に恵まれた人物だったと評価しています。根拠は実に単純で、陳寿の評価なんて関係なくあの司馬懿と渡り合ったというこの一点に尽きます。

 既に上述しておりますが、諸葛亮は魏打倒を目指して生涯に5回も北伐という遠征を行っています。この北伐で諸葛亮に立ち塞がったのは後の新王朝となる晋の礎を築いた司馬懿仲達でしたが、諸葛亮の北伐に対して司馬懿は徹底的とも言うくらいに消極的に戦闘を避け、長期戦に持ち込むことで国力に乏しく補給路に難のある蜀の弱点を突き、結果的には見事撃退に成功しております。こうした戦い方を取ったことからよく司馬懿はビビりだ臆病だなどと講談で語られることが多いですが、実際の司馬懿はこんなもんじゃなく非常にえげつないほど戦争が上手です。

 諸葛亮が没して間もなく魏では北方の遼東で公孫淵が大規模な反乱を起こしますが、討伐に赴く前に司馬懿は明帝に対し、「往路に100日、復路に100日、戦闘に100日、その他休養などに60日を当てるとして、1年もあれば充分でしょう」と言って、事実この通りに戦闘を運んであっという間に討伐を達成しております。しかもこの討伐で司馬懿はかつての諸葛亮相手の時は一体なんだったんだというくらいに積極的に攻撃をかけ、あまりの苛烈さに音を上げた公孫淵が降伏の使者を送ったところ、

「戦には五つの要点がある。戦意があるときに闘い、戦えなければ守り、守れなければ逃げる。あとは降るか死ぬかだ。貴様らは降伏しようともしなかったな。ならば残るは死あるのみよ」

 というダーティなこと言って使者を追い帰し、この言葉の通りに公孫淵を含め敵軍を皆殺しにしています。
 またこれ以外にも明帝死後に実権を握るため起こしたクーデターでも電光石火としか言いようのない果断さで、思うに司馬懿は持久戦も速攻も自在にこなせるほど用兵に長けた人物だったと私は考えており、戦争指揮だけを見るならば三国志中で最強の人物かもしれないと思っています。

 それほどまでに用兵に長けた司馬懿でしたが、こと諸葛亮が相手だった時だけは徹底的に戦闘を避けております。これにはもちろん先程に挙げた補給路が弱いなどといった蜀の弱点を突くという戦略に依る面が大きいでしょうが、もし相手が並みの将であれば司馬懿の実績を考えると速攻で完膚なきまで撃破していたのではないかと思います。逆に言えば、消極策を取らざるを得なかったほど諸葛亮が司馬懿にとって手ごわい相手だったということではないでしょうか。
 以上のような観点から、私は諸葛亮はやはり軍才にも非常に恵まれた人物であり、陳寿のあの評価は「唯一ダメだしつけちゃうと」ってな意見だったと思います。もちろんこの陳寿の評価は的外れなものではなく、いい点を突いていると思いますが。

 最後に司馬懿の諸葛亮に対する評価ですが、諸葛亮が没し退却した後の蜀軍の陣営を見て司馬懿は、「まさに、天下の奇才」と諸葛亮について述べたと言われております。私と三国志のファーストインプレッションはご多分に漏れず横山光輝作の漫画版「三国志」でしたが、この作品の中で最も好きなシーンを挙げるとしたらまさにこの司馬懿がつぶやくシーンが挙がってきます。英雄、英雄を知るというべきか、作中で諸葛亮が死んでかなり呆然とする中でのこの司馬懿のセリフは改めて諸葛亮の凄まじさを強く認識させるもので、コマ割をやらせれば横山光輝は日本一と言われただけにその描き方は秀逸でした。

 なお、これ以外で横山光輝版「三国志」で印象に残ったシーンを挙げると、一瞬だけ董卓のヒゲがなくなっているシーンがあります。なんでヒゲだけといろいろ考えさせられるのですが、人物を書いた後でいつもヒゲだけ付け足していたのだろうか……。

2011年9月27日火曜日

上海市地下鉄10号線の衝突事故について

列車追突、260人負傷=設備故障で減速運転中―邦人2人が軽傷・上海地下鉄(時事通信)

 日本でも速報が流れたと聞くので既に知っておられるかと思いますが、本日午後3時頃に上海市地下鉄10号線にて列車衝突事故が起こりました。事故の詳しい詳細については上記リンク先の記事を確認してもらえばいいですが、さすがにこの前に起きた高速鉄道の衝突事故ほど大参事ではなく、複数人のけが人が出たものの死傷者は出ていないと現在のところ発表されております。もっとも新華社のホームページでは事故現場の写真が公開されておりますが、昼間見た時には床を血まみれにして人が倒れている結構どぎつい写真があったのにいつの間にかなくなっております。

 さてこの衝突事故ですが、具体的な原因についてはまた管制やら信号トラブルだと言われておりますが、前回のあの高速鉄道の余韻冷めやらぬ中の衝突事故なだけに中国鉄道部(実際の運営は上海市営地下鉄だけど)としては汚名に汚名を重ねている状態と言っていいでしょう。もっともこんなことを言えば黒塗りの事故報告書をしれっと平気で出す我らが東電もあまり人のことを言えないのですが、今後はますます世間の目も厳しくなって政府としても解体作業に入りやすくなるんじゃないかと思います。

 なお今回事故が起こった地下鉄10号線ですが、日本の報道でもいろいろ書かれている通りに去年の万博の時期に開業しただけあって上海市の地下鉄としてはかなり新しい路線です。日本でいえば山手線、京浜東北線にあたる3、4号線と比べると車両や駅舎のきれいさには目を見張るばかりで、普段乗っててもあまり悪い印象は覚えません。ただこの10号線は今回の事故が起こる以前にもトラブルが相次いでおり、確か7月の高速鉄道の事故が起きてすぐには原因不明で車両が動かなくなったことがあり、また衝突事故でもやらかすんじゃないのと当時は冗談で周りと言い合っていました。
 別に隠すことでもないのでもう言ってしまいますが、実は私の住んでる部屋はこの10号線沿いにあり、通勤は徒歩で行っているものの市内で地下鉄を利用する際には必ず乗り込む路線です。私の部屋の最寄り駅は今日事故の起きた豫園駅と老西門駅からは離れていますが、さすがに普段から使っている路線なだけに少し嫌な気分にさせられます。

 そんなもんだから今日会社帰りに近くの10号線の駅を見に行ったところ、当然と言えばそうですがシャッターが下りたままで入ることすらできませんでした。あと道路を見た限り、あくまで私の印象ですが地下鉄を忌避する人が出たのかいつもより混雑した感じを覚えました。
 ついでに書くとこのところ中国ではエレベーター、エスカレーターでも事故が相次いでおり、こちらは基本的に製造メーカーは海外企業ながらもいろいろと品質が不安視されております。そんなエレベーターの事故の中でひときわ目を引いたのはあるオフィスビルのエレベーター事故で、なんでも13階から急に落下し始め一旦は9階で停止したものの、またすぐ落下をはじめ1階まで落ちてきたそうです。幸いというかこの事故でも死者は出ませんでしたが、一回停止してまた落ちるって、中にいた人はとんでもなく怖かったはずでしょう。今度上海にもディズニーランドが出来ますが、下手なアトラクションを作るよりかはこういったエレベーターを置いとくだけでもスリルは味わえるのではと噂になりました。

2011年9月26日月曜日

中国政府と人民解放軍の思惑の違い

 ちょっと古い話ですが、今年に防衛相が出した最新の防衛白書で、「尖閣諸島や南沙諸島などでの近年の中国軍の動きには警戒する必要がある」との記述を盛り込んだところ、こちら中国現地の新聞でもその内容が大きく取り上げられました。ただ断言してもいいですがこうした中国軍こと人民解放軍を警戒する記述が出たことで一番喜んだのは、ほかでもなく人民解放軍自身です。

 前もって言葉の説明だけしておきますが、建前上は中国という国に軍隊はありません。一般に中国軍と呼ばれているのは人民解放軍のことですが、これは中国共産党が保有する軍のことで中国という国家の軍隊ではないという風に解釈されております。ただ実態的には中国軍と言っても変わらないことに中国、そして共産党自身もわかっており、近年は徐々に「中国という国家の軍隊」との解釈の仕方を本人らで広げております。

 それで本題に戻りますが、一体何故人民解放軍は自衛隊が自分たちを警戒すると喜ぶのかですが、理由は単純明快で予算が得られるからです。その理屈というのも、

 自衛隊が警戒している→彼らに対抗せねば→もっと予算が必要アル→政府は拡大予算を組むアル!

 という解釈につながっていくからです。
 こういってはなんですが、自衛隊はそういう存在ではないとはっきり言えるものの、軍隊というのは戦争があってなんぼです。戦争がなければどんどん予算は削減される一方、有事や危機感が高まれば逆に予算はどんどん増え、好き放題に使うことができます。戦前の日本も戦争に突入した一つのきっかけとつしてロンドン海軍軍縮条約に身の程知らずの旧帝国海軍が異を唱えたことが大きな要因となっておりますが、こういったことは多かれ少なかれどこの国にも共通しています。何気に最近のアメリカでも中国脅威論が言われるようになったのは、アメリカ軍が予算獲得のための一つの方便として使うようになったからで、本音では中国の軍隊なんて屁とも思っていないという話も聞きます。

 さてこのような中国軍が予算を獲得したいという仮説ですが、これに対する中国政府の本音はというと、どうも私が見ている限りですと逆に軍隊を削減し軍事予算を減らしたいという思惑が見え隠れします。共産圏の軍隊というと北朝鮮の軍隊がある意味最も身近ですが、同じ共産圏でも中国と北朝鮮での軍隊への見方というのは大きく異なっており、中国では政府はおろか一般国民でさえも軍人を低く見ております。ひどい中国人なんか軍隊なんてクズの行くところだと広言してはばかりませんし、現実に退役した軍人には世間の蔑視があるため再就職もままならないそうです。
 そんな風に見られている人民解放軍ですが、兵員数は北朝鮮と同じく100万人を超えており、世界的にもかなり大規模な軍隊です。た現代の戦争は兵隊の数が戦局に与える影響は少なく、中国もどちらかというと雇用を維持するためにこんな大規模な兵員数を維持しているのが本音で、可能ならば縮減して余ったお金を経済投資に使いたがっているという話を聞きますし、私もこの説を支持します。

 そのため現在の政府と人民解放軍の思惑は、予算を減らしたいのと増やしたいので真っ向からぶつかっており、決して仲のいい関係ではありません。それ故に起こったのが昨年の尖閣諸島沖の漁船衝突事故とも言われ、あの事件で事態を大きく見せることが人民解放軍にとって有利に働くことから裏でいろいろ画策していたのではないかと、あくまで噂の範囲ですが言われております。

 ではこうした中国に対し、日本はどのような態度を取るべきなのか。はっきり言ってバランスの取り具合で非常に難しく、中国を警戒する発言をすればするほど中国で軍事予算が拡大する可能性があり、かといって無警戒だと好き放題にやられた上に国内世論もヒートアップします。一番無難なのははっきりとしたライン、たとえば領海内に艦船などが侵入することがあれば中国限定の輸出規制対象品リストを作るとか、こっちまで来たら徹底的に対抗するという線を作りそれをはっきり見せることじゃないかと思います。どちらにしろ、あやふやな態度が一番問題です。
 もう一つは、中国政府の人間と強固なパイプを作り、縮軍のお膳立てを支援するのもありかもしれません。中国の国民世論ですら人民解放軍への批判が高いのですから、「中国は軍にたくさん予算をかけて経済投資が遅れているので日本は助かっている」などと、誉め殺すような意見を公で発表してみたら、どんなことになるのか想像するだに面白いです。