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2014年5月19日月曜日

誰もが読むベストセラー無き時代

 先日に小説家の渡辺淳一氏が亡くなられたことは読者の方々にとっても記憶に新しいと思います。渡辺氏の代表作でもある失楽園は中国でも大ヒットしていただけになんか中国でも騒がれたようですが、以前に渡辺氏は中国の書籍市場について、

「失楽園が大ヒットしたらすぐ海賊版が出回ってきたので版元を追って行ったら、正規に契約を結んで出版している会社の子会社に行きついた」

 という、中国らしいオチを付けてコメントしてくれていました。それにしてもその出版社、一体何がしたいのかよくわからん。

 話は戻りますが私は渡辺氏の作品だと「鈍感力」を出版後すぐに読み、その内容の面白さには素直に感銘を受けました。なもんだから当時は「ねえねえ鈍感力読んだ?」なんて話を振っては、読んだ人間とは書かれている内容で盛り上がり、読んでない人間には本を貸して読ませた後で盛り上がったりしていたのですが、ふと思い返すとこういう行為をしなくなってどれくらい経つんだとつい先日に覚えました。

 「鈍感力」に限らずとも、2000年代の前半であれば「相手が既に読んでいることを期待できる、または読んでなくてもタイトルは知っているであろう書籍」というのがいくらかあったと思います。具体名を挙げれば「国家の品格」とか「バカの壁」、「ハリーポッターシリーズ」などですが、ここ数年はこれらのタイトルの様に世の中で影響力の高いベストセラーがあったかとなるとついぞ浮かんできません。
 ではいったいどんな本がベストセラーになっているのか調べてみたところ、日本出版販売株式会社が以下のような統計をまとめてくれておりました。

順位 書名 著者
1 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹
2 医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法 近藤 誠
3 聞く力 心をひらく35のヒント 阿川佐和子
4 海賊とよばれた男(上・下) 百田尚樹
5 とびだせどうぶつの森 かんぺきガイドブック 週刊ファミ通編集部
6 ロスジェネの逆襲 池井戸 潤
7 できる大人のモノの言い方大全 話題の達人倶楽部
8 新・人間革命(25) 池田大作
9 人間にとって成熟とは何か 曽野綾子
10 置かれた場所で咲きなさい 渡辺和子
11 世界のなめこ図鑑 金谷 泉
12 スタンフォードの自分を変える教室 ケリー・マクゴニガル
13 謎解きはディナーのあとで(3) 東川篤哉
14 とびだせどうぶつの森 ザ・コンプリートガイド  電撃攻略本編集部
15 ホテルローヤル 桜木紫乃
16 未来の法 新たなる地球世紀へ 大川隆法
17 とびだせどうぶつの森 超完全カタログ Nintendo DREAM編集部
18 伝え方が9割 佐々木圭一
19 野心のすすめ 林 真理子
20 雑談力が上がる話し方 30秒でうちとける会話のルール 齋藤 孝

 1位は村上春樹作品ということで、村上春木氏の作品があまり好きでない自分だからピンとこなかったのも理解できます。どうでもいいですが「村上春樹的桃太郎」は読んでて面白いです。ほかの作品について所見を述べると、さりげなく池田大作氏の本が入ってたりゲームの攻略本(全部「どうぶつの森」だし)が入ってたりしてそこそこ面白いのですが、先ほど私が述べたように「相手が読んでいることを期待できる書籍」というか話題にできそうな本となると全くないように見えます。

 このような現状はどうして生まれたのか。第一に挙がってくる仮説としては日本人が本を読まなくなったからというのが挙がってきそうですが、私個人の仮説としては単純に誰もが手に取るような面白い本が出ていないということに尽きる気がします。あくまで仮説ですが、2012年のランキングを見てもこんな本あったのかよと思えてくるし……。

 こうした現状について口やかましいことを述べると、共有体験というものが減ってよないんじゃないかと個人的に思います。共有体験というのはコミュニケーションを円滑する上で欠かせないし、また書籍に関しては意識や世論をまとめていく上でも大事ですし、率直に言って悪い方向に向かっている気がします。それだけに、渡辺淳一氏の死去はやはり残念極まりなく、非常に悔やむべき事件だったというのが今日の私の意見です。

2014年5月18日日曜日

創業家列伝~蟹江一太郎(カゴメ)

 この連載について友人が「メジャーどころの創業家はどこもやっているからマイナーなの、食品系とかを書いたら」と言ってきたので、今日はカゴメの創業者である蟹江一太郎を取り上げようと思います。参考にしようかなとウィキペディアを検索しましたが、この人のページはまだなかったのでアリかななんて思います。

 後にトマトを中心とした食品メーカーとして日本屈指となるカゴメを作った蟹江一太郎は愛知県東海市にで、佐野という名字の農家に1875年に生まれます。出身家は貧しかった上に幼くして母を失ったこともあり一太郎は小学校を卒業するとすぐに働きだすのですが、鉄道敷設工事で勤勉に働いていた姿が近隣にあった蟹江家の目に留まり、婿養子として迎え入れられます。
 蟹江家も農家であったのですが当時からミカン栽培などに手を出すなど割とやる気のある農家だったようです。そんな家に婿として入った佐野一太郎改め蟹江一太郎は青年になった1895年に徴兵され軍隊に入るのですが、着任した部隊の教官であった西山中尉より、「西洋野菜は軍隊でも使われるようになって今後は民間でも出回ると思うから、トマトとか植えたらいいよ」なんてアドバイスを受け、これをある意味で真に受けたことから除隊後に蟹江は農業試験場からトマトほかキャベツや玉ねぎの種をもらい受け、トマトの栽培を始めます。

 こうして始めたトマト栽培事業でしたが、栽培はうまくいき初年度から実をつけることに成功したものの、家族で試食した際の感想は「酸っぱくて青臭い」というもので、芳しいものではなかったようです。案の定というか蟹江が行商で売りに出てもトマトだけがいつも売れ残り、試食した主婦からは「生きているのが嫌になる味だ」とまで評されます。これらの浮氷は恐らく、作ったトマトの味がまずかったというよりも当時の日本人はトマトの味に慣れていなかったのが原因でしょう。どうでもいいですが私の友人も生のトマトが食べられないという輩がいますが、トマトは嫌いなくせに湯豆腐は大好きで彼と一緒に居酒屋に行くとリアルに湯豆腐だけ延々と注文する羽目となります。

  話は戻りますがこうした不評にもかかわらず蟹江はトマト栽培をあきらめず、生で食べられないというのであれば加工すればと考え、アメリカ人はトマトをソースにして食べると聞いたことからソースへの加工事業を思い立ちます。早速調理法を調べますが当時の日本にトマトソースの加工法を熟知したものはおらず、名古屋ホテルから輸入されたトマトソースを仕入れるとその現品を参考にしながら試行錯誤で作り始めます。
 この試行錯誤の過程がなかなか面白く、煮詰めて裏漉しすればいいんじゃねとやってみましたが、出来上がったソースは真っ黒ドロドロになってました。これはきっと鉄鍋で煮込んだのが悪かったんだと思って今度は銅鍋でやってみましたが同じく真っ黒ドロドロ。最後にホーロー鍋でやってみたらホテルにもらったソース同様に真紅色となり、見事成功したそうです。

 こうしてできたトマトソースは青臭さが抜けたことから消費者にも受け入れられ、評判とともに売り上げも伸びていきます。どうでもいいですがさっきのトマトが食えない友人もトマトソースはOKだと言ってました。
 こうして売れ始めたトマトソースでしたが市場が広がるとともに同じくトマトを栽培する新規参入者も増えていき、ある年にトマトが豊作となったことから市場で在庫がだぶつき、すでに契約農家を雇って大々的に栽培事業を広げていた蟹江も一時破産寸前に追い込まれる事態に追い込まれました。

 このような事態に直面した蟹江は周辺のトマト栽培農家、加工業者に自ら共同事業にしようと呼びかけ、カゴメの前身にあたる愛知トマト製造合資会社を1914年に設立し、蟹江が資本金の半分を負担したことからそのまま社長に就任し、会社設立に当たってロゴマークを作ることにしました。このロゴマークを決めるに当たって蟹江は自分がトマト栽培に踏み出すきっかけとなった西山中尉を思い出し、日本陸軍のマークだった五芒星を使おうとしたら政府に止められ、なら六芒星でいいやと○のマークに六芒星をあしらったロゴを作った所、「トマトを入れる籠の目みたいですね」と社員から言われ、そのまま「カゴメ印」という愛称が定着し1963年には会社名も「カゴメ」に変わることとなります。

 その後、カゴメは戦争などの期間を経ながらも順調に成長していき、蟹江一太郎自身は1963年に社長を引退し、1971年に96歳で没します。生前に蟹江は漸進主義といって急拡大を狙うのではなく確実な事業経営を訴えていたとのことで、富士山を登るカタツムリの絵を描いて「でんでんむし そろそろ登れ 富士の山」と社内で説いて回っていたそうです。

 明治期に生まれた食品会社はカゴメのほかにもたくさんありますが、そのうちやりますが確かカルピスの創業者も徴兵されていた時に訪れたモンゴルで乳酸飲料と出会い帰国後に事業化しており、なにかと軍隊とのかかわりで生まれていることが多い気がします。冷凍食品も軍隊食から生まれたというし、案外そういうものなのかもしれません。
 ややふざけた感じで上には書いていますが、蟹江一郎について述べると上官の言うことを「真に受けて」トマト栽培を始め、後の事業化につなげています。新規事業なんて大体どれも打算的に考えたらうまくいくはずもなさそうなものが多く、こういう無茶な考えを真に受けて実行する人間こそが創業家として向いているように思える次第です。

  参考文献
「実録創業者列伝Ⅱ」 学習研究社 2005年発行

2014年5月17日土曜日

マスコミの暴走を止めるのは誰か

 今日、CHAGE&ASKAのASKAが大麻所持疑惑、でもって検査でも陽性が出て逮捕されたというニュースが出たことは皆さんも知ってるかと思いますが、なかなかに大きな話なだけに自分も驚きつつやっぱ当たりだったんだなぁなんて思って記事を読んでました。何が当たりだったのかというと去年に週刊文集が既に大麻を使用していると報じて、これに対してASKAは使っていたのは合法の薬物だと反論してましたが、あんな報道をされてたのにまだ使ってたというのはちょっと呆れます。
 それにしてもこのところの文春のスクープ連発には目を見張ります。このASKAの大麻疑惑はもとより今年初めには佐村河内のゴーストライターを真っ先にすっぱ抜いて謝罪会見に引っ張り込むなど、直近二年で言えば間違いなくナンバーワンと言っていいでしょう。強いて苦言を呈すなら、橋下大阪市長への批判はもう少し粘ってからやっとけば風向きも違ったのにねっていうくらいです。

 話はその佐村河内の件についてですが、カミングアウトというか佐村河内がゴーストライターの存在を認めた後、彼を盲目の作曲家として特集番組を組んで放送していたNHKなどは激しい批判にさらされました。まぁこの辺に関しては佐村河内の方が役者が上だったと思って、NHKは批判されるのはしょうがないにしろ私個人としてはやや同情する気も覚えたのですが、その以上にもっと批判されるべきメディアがいるのではないかと当時思っていました。具体名は挙げませんが詐称が発覚した後、「俺たちは初めから怪しいと思ってたんだ」、「彼が詐称していたことは見抜いていた」などとまんま後出しじゃんけんにもかかわらずしたり顔で主張するメディアがいくつか現れました。
 結論から述べると、後からこのようなことを言いだしたメディアは間違いなくクズでしょう。というのも、それなら何故その詐称疑惑を始めから糾弾しなかったのかということです。

 仮に詐称を立証する証拠や証言が集められず証拠集目に奔走していたというのであればまだ理解できますが、詐称していることをわかっていたにもかかわらず何もせず、ただほかのメディアが持ち上げるのを見ていたというのなら意気地のないことこの上なく、それでありながら文春が詐称疑惑を取り上げてものにした後でわかってたように「自分たちは知っていた」なんていうこと自体が恥知らずな行為に見えます。なお言えば、このような恥ずかしい行為を恥とも思わないその根性自体が腐りきっていると言ってもいいかもしれません。

 ここで少し話を発展させますが、よくメディアは自分たちのことを「国家権力に対する抑止力」だなどと自称し、権力が暴走しかねない際にはその批判精神で以って世論を動かし暴走を食い止める、それこそがマスコミの役割だなんていう主張を述べます。言わんとしていることは理解できますし間違っていないとは思いますが一つの疑問として、ではマスコミが暴走した際には誰が止めるのかという命題があり、この命題に対してどのメディアも明確な回答を出したことは少なくとも私が見る限りだとありません。
 明確でないにしろいくつか出ている回答としては、マスコミが暴走した際には別のマスコミ、例えて言うならテレビメディアが暴走したら新聞メディアとかだったり、もしくはある新聞メディアが暴走した場合には別の新聞メディアがその暴走を批判して食い止める、いわばメディア同士で監視し合うという意見があります。しかし私が見る限りだとメディアというのは意外に世論や倫理などよりも他社のメディアがいうことを信用する傾向があり、こうした相互監視というのは言うほど機能しないのではと内心考えています。

 一つ例を出すと、IPS細胞の臨床実験を行ったと主張した森口の事件です。この森口に関しては最初に共同通信が「世紀の快挙」として取り上げると読売新聞が大して裏を取らずに追随して大きく報じ、ほかのメディアもこの二社が報じてるのだからと雪崩を打つように報じてデマが広がっていきました。この事件で一歩引いた距離にあったのは朝日新聞で、最終的に詐称がばれた後で、「共同通信や読売新聞が大きく報じていたけど、うちは裏が取れなかったら報じませんでした」とややしたり顔で自慢してました。さきほどは佐村河内の詐称事件で「怪しいと思ったというのなら何でツッコまなかったんだ!」と批判しましたが、この森口の詐称事件は報道過熱からばれるまでの期間が本当に短かったので、これに関しては朝日が自慢するのも認めていいかなと考えてます。もっとも、自慢しないに越したことはないのですが。

 もう一つ例を出すと、これは私個人の体験です。私が上海で記者をやっていた際、いすゞ自動車が中国の江鈴自動車と合弁契約を更新するというプレスリリースがあったので電話取材を経た上で記事を書いたのですが、記事を提出するや編集長から、「共同通信は新しく合弁契約を結んで合弁会社を作ると書いてるぞ!」といきなり怒鳴られました。自分が何度も共同が書いている合弁会社は既に存在しているし、いすゞは90年代からその合弁会社でトラックを作っていると主張しても信じてもらえずやたら怒られ書きなおすように言われ、書き直せったって書きなおしようがないと思ってどうしようかと思ってたらその編集長から再び電話が来て、「読売の記事だと合弁契約を更新って書いてるね」なんて言い出し、ようやくその時点で自分の主張というか取材が正しいと信じてもらえました。
 この時は、マスコミ関係者は自分の取材内容やいすゞが出したプレスリリース文より共同通信の記事の方を信じるのかと思うと同時に、よそが書いていればその内容は事実だとメディア関係者は無条件に信じるのだなと皮肉っぽく覚えました。

 話は戻りますが、佐村河内の詐称事件で「マスコミの相互監視」を忠実に果たしたのは週刊文春だけで、いくつかのメディアはわかっていながらその役割を確信犯で無視しておきながらしたり顔をしていました。こんな有様ではとてもマスコミの暴走を食い止めるなんて夢物語ではないかと私は思い、やはり何かしらメディアというかマスコミを監視する存在が必要なのではないかと考えています。
 この点について友人に話を振った所、それはネットじゃないかと言われました。私の意見は、ネットも確かにそうだが、ネットの意見はマスコミに対して批判的である一方で、大手メディアの報じる内容を意外と信じ込む傾向があり、一部の抑止力となり得てもやはりカウンターメディアとはなり得ないと思います。なら何がカウンターメディアとなり得るか、強いて挙げればNPOではないかと思いますが、リーマンショック以降は不景気なもんだからNPOもあまり聞かなくなったので先はまだまだ長いと思う次第です。

  おまけ
 高校時代、「HAGE&ASKA」というあだ名の友人がいました。いい友人でした。

2014年5月15日木曜日

甘粕事件を教える不必要性

 甘粕事件ときたら、大学受験で日本史を選択した方ならまず知ってる事件名でしょう。この事件はどんな事件かというと、大正時代に起こった関東大震災の最中に無政府主義者の大杉栄とその妻である伊藤野枝と大杉の甥っ子である当時六歳だった橘宗一の三人が、憲兵隊員だった甘粕正彦によって殺害されたという事件です。

甘粕事件(Wikipedia)


 この事件は関東大震災直後に起こった朝鮮人虐殺と並んで震災のドタバタに紛れて実行された虐殺例として語られ、特に主役である甘粕正彦が後に中国と満州で裏工作に関わり満州の闇の帝王となる下りと、闇の帝王となった甘粕を映画「ラストエンペラー」で坂本龍一が演じたことから印象に残りやすい事件ではないかと思います。実際、私の周りでもこの事件名を覚えている人間の割合は非常に高かったです。
  そんな甘粕事件について何を言いたいのかというと、結論から述べると高校レベルでは教えるべきではないと言いたいのです。何故そんなことを言うのかというと、明らかに事実が異なるからです。

 事件の流れについて簡単に述べると、甘粕は震災後の混乱に乗じて無政府主義者が暴動を起こすと考え、警察署に連行した大杉ら三人を殺害した、という風に高校レベルで教えられるはずです。確かにこの流れは甘粕自身が述べて当時の調書にも書かれていますが、現代においてこの事件自体が甘粕の冤罪であり彼自身は三人を殺害していないことがほぼ確実だというようにみられています。

 甘粕は取り調べに対して殺害は個人の考えでやったと述べ、具体的な殺害方法は椅子に座っている大杉の後ろから柔道の締め手、恐らく腕を首に回して絞殺したと述べているのですが、大杉は当時としては大柄な人間で甘粕よりもかなり身長が高く、仮にそのように締められても立ち上がればほどけてしまうためにこのやり方での殺害は不可能だったと当時から言われていました。このほかの点でも、震災後の混乱の最中とは言え指揮系統の異なる(部下ではない)憲兵隊員に甘粕が命令を出していたり、見つかった死体の状況が甘粕の供述と異なったりしていたため、当時のメディアも甘粕の犯行を疑う声が多く出ていたそうです。

 そうした背景もあって開かれた裁判で甘粕の弁護人は、甘粕が由緒正しい武家の出身でありこれまで謹厳実直に生きてきたと述べた上で、「そんなあなたが年端もいかぬ男の子もその手で本当に殺めたのですか?」と問うたところ、なんと裁判中に甘粕は涙を流しながら、「大杉と伊東は私がやりました。しかし子供だけは本当に手をかけておらず、死体を見て初めて(殺害されたことを)知りました」と尋問での供述をひっくり返す始末で、後から橘宗一を殺した別の憲兵が出てくるなど非常にグダグダな裁判となりました。でもってグダグダなもんだから、やっぱり甘粕が主導したという結論で終わるわけです。

 裁判後、甘粕は刑務所に収容されますが何故かすぐに恩赦が出て出所し、何故か陸軍がお金を出してくれたのでフランスへ留学に行きます。まぁ国内にいるとなんだから厄介払いとして遠ざけられたんでしょうがね。
 その後の甘粕の流転ぶりは佐野眞一氏の「甘粕正彦 乱心の曠野」 に詳しいですが、満州に渡って裏交錯して、上海の麻薬利権を中国人マフィアから奪い取ったり、北京で溥儀を拉致ったりと、果たしてこれらが同じ人物であるのかと疑いたくなる活躍ぶりを見せます。イメージとしてはこうした裏工作の面が強いためダーティさが濃い人物ですが、彼と直接接した満州の映画人物たちはほぼ全員が好意的に評価しており、故森重久彌や李香蘭こと山口淑子氏も厳格であった一方で非常温情のある優しい人物だったと述べています。実際、枕営業の要求に対して「女優は娼婦ではない!」などと言い返して拒否したというエピソードも残っています。

 ちょっとというかいつもながら長々と書いてしまいましたが、少なくとも一般の高校教師レベルでここまでの内容を把握している人は少なく、普通に甘粕事件は甘粕がやった、社会主義者を殺害する位だから満州でも裏工作していたと教えると思いますし、それも無理ないことだと私は思います。しかし現実には甘粕事件では甘粕が犯人だとは思えず、いろいろ説がありますがヤクザの鉄砲玉よろしく上司なり上役の罪をおっ被せられたのが真実でしょう。然るに学校では甘粕が実行犯として教え続けられるため、誤った事実が伝えられかねない状態です。そう思うだけに、もうこの際だから高校ではこの事件は扱うなといいたいのが今日の意見です。

  おまけ
 甘粕事件の背景というか真犯人説は色々出ていますが、中には甘粕=フリーメーソン説なんてのもあるそうです。ちょうど先日に友人と話をした時に、「フリーメーソンのせいにすればなんでもかんでも丸く収まらね?」なんて話し、いくつか例として挙がってきたのは、

・近鉄とオリックスが合併したのはフリーメーソンの陰謀
・佐村河内はフリーメーソン
・STAP細胞問題も理研を特定法人にさせないフリーメーソンの陰謀
・ ソニーが赤字出すのもフリーメーソンのせい

 どれもそれらしく見えてしまうのが不思議です。

2014年5月14日水曜日

平成史考察~JR西日本福知山線脱線事故(2005年)

福知山線脱線事故(失敗知識データベース)

 このところ事件とか事故ばっか取り上げている気もしますが割とやる気のあったこの平成史考察の連載記事が滞っていたのもあるし、まぁありかなという気もします。ちょっと余談となりますが、私は以前に失われた十年について連載記事を書いており、微妙にこの時の連載に書いた記事とネタが被って困ったりします。まあこっちの連載では事件や事故を単発的に描く目的だから書き方によっては改善できるとは思うけど。

 それでは本題に入りますが、今日は2005年に起きた福知山線脱線事故について書きます。この事故が起きた当時、私は京都にある大学に通っていたため事故発生直後は友人などからまさか事故に遭っていないかなどと心配するメールが何通か届きました。幸いにして私は福知山線を利用していなかったので何の被害も受けませんでしたが、私の通っていた大学の学生がこの事故車両に多数乗っていたため死者が出ただけでなく、一部四肢の切断などという痛ましい体験をされる方も出ました。この事故の死者数は107人ですが、死者数だけでなく負傷者数の562人という数字にその後の生活を一変された人のことを少しでも考えてもらいたいというのが私の願いです。

 事件の話に戻ります。この事故が起きたのは午前中の通勤時間帯で、事故車両には通勤通学のため多くの乗客が乗っておりました。ラッシュの時間帯だったというのもあるのですが、事故車両は事故を起こす前に停車した伊丹駅で70メートルのオーバーランをしております。この車両の運転士は以前にもオーバーランを起こして日勤教育と呼ばれる社内研修を受けておりましたが、この日勤教育についてはあまりいい思い出がなかったと見られていて、そのようにうかがわせる要因として伊丹駅でのオーバーラン後、車掌に対して指令所への報告時にオーバーランした距離(70メートル)を短く伝えてくれるように依頼しております。

 この時の指令所との通信のやり取りは残っていて最初のリンク先のページに詳しく載せられておりますが、やはりこの車掌と指令所とのやり取りに運転士が気を取られ、ブレーキをかけるべき地点を見過ごし制限速度を大幅に超過したままカーブに差し掛かって脱線を引き起こしたと見られます。なお脱線したカーブの制限速度は時速70キロメートルでしたが、脱線時の突入速度は時速116キロメートルで、いろいろ意見はあるでしょうが最大の事故原因はやはり運転士にあるのではないかと私は思います。もっともこの福知山線では私鉄各社とのスピード競争のため一部の区間で制限速度を超過することが日常だったということもあり、彼一人を責めるつもりはもちろんありません。

 ここからがこの事件に対する自分の印象を述べていきますが、まず言いたいことは事故後の検証ははっきり言ってひどいものでした。というのもJR西の労組を中心にこの事故の最大の原因は先ほど述べた日勤教育という、オーバーランなどをした運転士に対する懲罰的な研修にあると盛んに主張したことです。この時に報じられた日勤教育の中身は室内に監禁されて延々と反省文を書かせるとか、草むしりを延々と強制されたりと非常に懲罰的要素が強いものだったのですが、果たしてこの時報じられていた内容は真実だったのか私は強く疑っております。
 疑う根拠として当時、この日勤教育を悪者とする説を主張していたのはJR西に複数ある労働組合の一つだけで、こういってはなんですがなんか政治的な意思があるような気がしてなりません。次に文芸春秋が事故を起こした運転士が実際に受けた日勤教育の日誌を手に入れその内容を公開しておりましたが、その内容は草むしりなどではなく、むしろ回復運転を徹底して戒める教育でした。

 事故を起こした運転士は学研都市線内を運転中にオーバーランをして日勤教育を受けたのですが、その研修では「列車の到着が遅れても、運転速度を引き上げて次の駅までの到着時刻を短縮して帳尻を合わせる回復運転をやろうとしてはならない」という、まさにこの教訓が生きていたら福知山線の脱線事故は起きなかったのではと思う文言が日誌に繰り返し何度も出てきていました。多分このくだりは今時自分くらいしか覚えていないと思いますが、この辺はやっぱり雑誌メディアとテレビメディアの違いかなと皮肉っぽく覚えます。

 事故原因についてはざっとこんなもんですが、ここで書いておきたいのは事故直後の救助活動などについてです。この辺は有名なので覚えている人も多いのではと思いますが、現場近くに工場を構えていた日本スピンドルは事故直後、業務を中断して従業員らで賢明な救助活動を行って後に紅綬褒章を受章しております。
 この日本スピンドルの活躍は間違いなく賞賛に値するのですが、実はこの活躍の陰に隠れて事故後の対応でMVPといってもいい行為を行った人物が一人いました。その人物とはたまたま現場近くにいた通りすがりの主婦なのですが、彼女が何をしたのかというと事故後すぐに近くの踏切に行って非常ボタンを押したのです。

 この辺りのくだりも最初のリンク先の失敗知識データベースに解説されておりますが、事故車両に乗り合わせていた車掌は事故後に防御無線機と言って他の車両に緊急事態を伝える無線機の電源を入れたのですが、この無線機は「常用」と「緊急」でスイッチ位置が異なり、電源が入った際は「常用」になっていたため何の信号も発していなかったそうです。
 仮にこの主婦が踏切の非常ボタンを押していなかったら指令所は事故の発生にすぐ気付かず、事故現場に向かって走っていた別車両を停止させることもなかったかもしれません。特に事故車両は線路をはみ出して脱線していたため、上り下りを問わず二重三重の衝突となることも十分に考えられるだけに、この主婦の行動が無ければと考えると本気でゾッとします。

 福知山線の脱線事故については誰もが知っていますが、この主婦の行動については私の身の回りでは誰一人として知っている人間はおりませんでした。地上の星じゃないけどもっと知ってもらいたいと思うと同時に、やるべきだと思ったことを正しくすぐやったことによって多くの被害を避けられるという事例の一つとして紹介したいと思え、今日はこんな記事を書いた次第です。普通この事故の話となるとJR西の不手際ばかりが取り上げられるだけに、ちょっと毛並みの変わった記事になった気がします。

2014年5月13日火曜日

韓国で起きた海難事故のトンデモ判決

 先週後半くらいからようやく韓国のセウォル号沈没事故がニュースで取り上げられなくなりましたが、何を思ったか急に世界の海難事故を調べ始めてちょっと興味深い事件を見つけました。

Hebei Spirit号原油流出事故(Wikipedia)

 今日紹介するこの事件は韓国で2007年に起きたタンカー衝突、そして原油流出事故です。衝突したタンカーの名前は上記リンク先だとアルファベットですがぶっちゃけ書きにくいので、中国語読みの「河北精神号」でこのまま書きます。

 事件が起きたのは2007年12月。サムスン重工所有のクレーン船とそれを引っ張るタグボート3隻の船団が仁川港を出港するも風に流されてしまったので、潮流を利用して航行するため通貨禁止航路を航行し始めた上に海洋警察からの呼び出しに応じなくなります。この時点で、なにやってんだこいつらと書いてて深く思います。
 この時、黄海海域で投錨していた原油タンカーの河北精神号は近づいてくる船団を確認して管制センターに連絡し、管制センター側も船団に対して注意するよう伝えたものの時すでに遅し。既に船団は風に流される状態でフラフラ航行をしていた挙句にクレーン船のワイヤーも破断していた状態で、案の定というかそのまま河北精神号に衝突。いくつかの原油タンクに穴が開いて重油が大量に流出するという大きな事故となりました。流れをチャートにすると下記の通りです。

強風吹き荒れる中でサムスン重工の船団が出港
  ↓↓↓
風で流されるので航行禁止航路に侵入
  ↓↓↓
風でコントロールを失っていた船団が停泊していた河北精神号に衝突

 重油流出というと日本ではナホトカ号事件があってこの前友人にその事件の話されたので今日の記事も書くことにしたのですが、この河北精神号の事件もナホトカ号の事件と同様に、沿岸に流れ着いた重油を多くのボランティアたちが必死ですくい上げてたそうです。

 問題なのは事件後に責任を問われた裁判なのですが、一審ではサムスン重工側の船団が禁止されている航路に勝手に入ってきたこともあり河北精神号側の責任は一切問われなかったのですが、二審では何故か河北精神号側に過失があるとみなされ、河北精神号のインド人船長に懲役18ヶ月と千ドルの罰金、一等航海士に懲役8ヶ月というミラクルな判決が下りました。
 さすがにこの判決は無理があったのかあらゆる航海、運輸団体から批判が巻き起こり、特に船長の出身地であるインドではサムスン製品の不買運動にまで発展したそうです。こうした批判を受けて韓国司法も慌てて対応し、三審では河北精神号の関係者は全員無罪で、船団側の船長などに懲役刑を科す逆転判決出て、河北精神号の船長らは出国禁止措置の開始から540日ぶりに出国できてめでたしめでたしとなったそうです。

 ウィキペディアにも書かれていますが二審ではどうも韓国当局とサムスン重工側が裏でネゴしたような噂が出ている、というかそうとしか考えられない判決です。にしても、停泊している船にぶつかっておきながら停泊戦に過失があると判断して、通ると思うその根性がある意味すごい。あと対馬の仏像を返さないことといい、韓国の司法はちょっと信用できないなとこの事件を見ていて思います。日本も刑事事件は自白偏重で冤罪が多いので同じ穴のムジナかもしれませんが。

2014年5月11日日曜日

平成史考察~秋葉原連続通り魔事件(2008年)

「あの、もしかして秋葉原で被害に遭われた方のお友達ですか」
「え?」
「いえあの、年齢が近いように思えて」

 以上の会話は2008年6月、私が世話になっていた理髪店の店主が亡くなったのでその奥さんへ線香を持っていこうと仏具屋を訪れた際に店員から掛けられた会話です。というのもあの2008年に起きた秋葉原連続通り魔事件で殺害された男子大学生の自宅が当時住んでいた住所の近くにあり、私の年恰好を見た店員はその友人が線香を買いに来たのではないか思ったそうです。
 もう事件発生から約6年も経っており、そろそろ見直す機会かなと思うので今日はこの事件を取り上げてみます。

秋葉原通り魔事件(Wikipedia)

 事件の概要について先に簡単に説明すると2008年の6月5日、休日で歩行者天国となっていた秋葉原駅前にトラックが突入して歩行者5人をはねると、トラックを運転していた犯人の加藤智大はトラックから降りて持っていたダガーナイフで次々と通りにいた市民を刺していき、警察に拳銃を向けられて投降するまでに14人を殺傷しました。

 事実関係は以上なのですが、この事件で特徴的だったのは事件後の報道にあると言っていいでしょう。 類を見ない規模の通り魔事件であったことはもとより犯行現場が白昼の秋葉原、そして事件の様子を撮影していた目撃者も多かったことで発生直後の報道は非常に加熱して当時のテレビニュースには現場にいた人がインタビューに答える姿が何度も映りました。
 そうした発生直後の報道が終わると今度は犯人に関する報道が過熱します。当時はリーマンショックの直前で最も格差議論が高まっていたこともあるでしょうが犯人が事件発生直前まで派遣社員だったことからこの事件の起きた背景には格差問題があるとか、事件発生地が秋葉原であることから何かとオタク趣味にこだわりがあったとか、まぁ根拠もないのにくだらない議論を延々とやっていたもんだなと今更ながら思います。ただそう言いつつも、犯人のパーソナリティに関しては私も当時注目しており、今日はこの点について詳しく書いていくつもりです。

 犯人の加藤智大は事件発生当時は26歳で、高校卒業後は自動車整備技術を教える短大に進学するも卒業直前に退学し、その後は職をいくらか転々とします。職を転々とすることについては私も人のこと言えないけど。
 先程、犯人は派遣社員だったと触れましたがそれは事件発生直前の話で、犯人は一時期正社員として勤務していた時期もあり、収入も年齢から考えると決して少なくない報酬を得ていました。この点については犯人自身も職業などの格差などが動機になってないと直接言及しており、メディアの明らかなミスリードがあったと私は見ます。

 話は戻りますが班員のパーソナリティとしてよく語られるのは幼少期の生活で、どこでも書かれているから私も書いちゃいますけど母親が非常に教育に対して厳しい人物だったようで、ゲームを禁止することはもとよりテレビの視聴もほとんど許さず、また夏休みの宿題に出る読書感想文でも誤字が一字でもあったら全文書き直させていたと報じられており、残虐な事件の犯人といえどその子供時代の体験については私も同情の気持ちを覚えました。
 そうした母親の強烈な教育の結果もあり犯人は高校で県下でも有数の進学校に進学できましたが、なんとなくわかるんですがどうもそこで燃え尽きてしまったようで成績は一気に下降し、卒業後は先にも伝えた通りに四大ではなく短大へ行きます。母親もこの時期にはどうも負い目があったのか、短大進学後は犯人に自動車を買い与えたりしていたようです。

 一部の報道ではこうしたドロップアウトの体験や母親からの仕打ちが事件発生の原因と分析する声も出ましたが、本人でもない限りそれは断定できないのではというのが私の考えです。では当の犯人は動機をどのように話したのかというと、事件直後にはこのように話しておりました。

「よく使用していたネット掲示板に、自分のハンドルネームを使って成りすます人間が現れて不快な思いをしたので、その成りすました人間に対して大きな事件を起こして嫌がらせをしようと思った」

 細かい文言は私の方で多少脚色しておりますが、大まかな内容はこれで間違いないと思います。私の実感だと大手メディアは「そんなバカなことでこんな事件を起こすか?」みたいに受け取ったように思え、むしろ先程の格差とかオタク趣味とかに原因があると勝手に思い込んで報じてた気がします。あくまで、個人的な意見ですが。
 では私の見方は何なのかというと、結局のところとどのつまり、上記の犯人自身が語った理由こそが真の動機ではないかと思います。

 このように考える根拠を挙げると、どうも犯人の経歴を見ていると以下のような行動が事件以前から繰り返しているように思えるからです。

1、不快な思いをすると詳しい検証をせずすぐに「自分が必要とされてない」と考える
2、恨みを抱く標的に対して直接報復せず、よそで大事件を起こして困らせてやろうと考える

 1に関して説明すると、犯人は事件前に勤めていた勤務先で作業着が見つからず、「自分は要らないってことだろ!」という捨て台詞と共に翌日から無断欠勤しています。この作業着事件自体は動機ではないと犯人は述べており私もそう思いますが、作業着一つ無くなった位で職場放棄するっていうのはちょっとなぁと思いますし、やはりストレス耐性が弱い気がします。それ以前の職場でも休暇申請を断られるや「抗議」として途端に無断欠勤を始めてそのまま退職しており、ちょっとしたことですぐ傷つきやたら極端な行動に出る性格に見えます。

  そして二番目ですがこれが一番の肝で、言い換えた表現にすると「報復が当事者に直接向かわない」という大きな特徴を犯人は持っています。
  先ほどの1番の説明でも犯人はちょっとしたことで会社を「抗議」として無断欠勤していますが、それが抗議になるとは私には思えませんし、問題の解決に何もつながっていないように内心思います。そして事件前の話ですが、犯人は何度か自殺を企図しているもののそのやり方が特徴的というべきか、トラックで反対車線に飛び込んで多くの車を巻き添えにして死のうとしています。なんでそんなやり方しようとしたのかというと、これで元勤務先とか両親は困る、なんていう理由を挙げたとされ、要するに「お前らのせいで大事件を起こした」なんて風評付けて困らせたかったのかもしれません。

 私としたらそんなに恨んでるなら元勤務先にダイナマイト積んだトラック突っ込ませればいいじゃんとか思うのですが犯人はそうしてません。さらに秋葉原の事件でも、通り魔事件を起こしたことで怨みの対象として挙げた掲示板で成り済ました人間がなにか心を痛めることがあるのかというととてもそんな風になると私は思えません。自暴自棄といえばそれまでですが、犯人の大きな特徴として、怒りやわだかまりが直接対象に向かわず、なんかやたら大きな事件を起こせば相手は困るはずだろうという何の問題解決に結びつかない結論へといつも持っていくように見えます。これこそが犯人の特徴的なパーソナリティで事件の動機なんじゃないかと個人的に思う理由です。
 その上で結論を述べると、結局は自分の鬱憤晴らしのために無関係の人間を多数殺傷していることはカスの所業としか言いようがなく、一審と二審の死刑判決を私も支持します。もう一言だけ書くと、程度の差こそあれ問題の根本的原因へ直接働きかけないなど感情の矛先を直接対象に向けない人間は確かに増えて来たかもと内心思い、逆にやたら核心に直接切り込もうとする自分はこの点でもマイノリティなのかもしれません。まぁ自分は最短距離で問題解決を強引に図ろうとするので仕込みとか根回しが苦手という弱点がありますが。

  補足
 なんでこの事件を今更取り上げようと思ったのかというと、事件から6年たって時期も頃合いという考えたのもありますが、犯人の弟が自殺したという報道も見受けたからです。