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2015年5月24日日曜日

個人への債務責任が極端に重い日本社会

 今日の記事はタイトルどうつけるべきかやや悩みましたが、ちょっと説明臭くなるけどこうせざるを得ないと思ってこういう形になりました。結論から述べますが、日本社会は他国と比較しても極端に個人への債務責任が重いと思え、それが故に本来なくてもいいひずみが社会のあちこちで起こっているのではないかと思います。そしてその原因は現行の民法にあると思え、前からも主張していますが憲法などよりもまずこっちの民法を急ぎ改正するべきがあると考えます。

<連帯保証人制度>
 日本のいびつな債務責任として最も代表的なのは言うまでもないでしょうが連帯保証人制度で、書類一枚で保障相手の債務に対して永久にかつ無限に返済責務を負わせる法律なんて、少なくとも私が知る限りだとほかの国にはないように思えます。実際にこの連帯保証人制度で、真面目に生きてきたにもかかわらず保証相手の不手際からある日突然破産せざるを得なくなる人も少なくないと聞き、言い方は悪いですが不心得者と債権者が不当に得する制度にしか見えません。

<賃貸契約の保証人>
 またこの連帯保証人制度に影響されてなのか、日本では個人で契約を行う際になんでもかんでも保証人を立てなければならない妙な習慣があります。一番代表的なのは住宅の賃貸契約で、基本的には自分以外の親類を保証人として立てなければ部屋一つ借りることもできません。その上で保証人となる人間がいない場合などは保証会社と契約してその分の保証額を家賃に上乗せしなくてはなりません。
 私がこの賃貸補償を疑問に思うようになったのは中国に来てからで、中国の場合は基本的に大家と一対一の契約となり、家賃一ヶ月分の保証金を支払った上で毎月の家賃は前払いが原則です。このやり方であれば支払いが一ヶ月遅延したとしても保証金でカバーできる上、前払いでもあるからとりっぱぐれることもまずありません。そのため日本みたいに保証人を立てる必要もなく、外国人の私でもすんなりと賃貸契約を結ぶことが出来ます。まぁ実際の所、中国人と比べて日本人は部屋をそんなに汚したりしないので大家受けがいいってのもありますが……。

<住宅ローン>
住宅ローンに対する個人的な不満

 以上のような保証人制度と共に日本の制度で腑に落ちないのが住宅ローンの制度です。上記リンク先は以前に私が書いた記事ですが、この記事でも書いてあるように私は日本以外の国に住宅ローンの二重払いが発生するという例は聞いたことがありません。詳しくは元の記事を読んでもらいたいのですが、なんで担保となる住宅を銀行に返したとしても残っているローンは支払い続けなければならないのか、不幸にも天災などで住宅を失った場合も二重ローンに見舞われなければならないのか、不合理もいい所ではないかとつくづく思います。

<有限責任じゃない法人> 
 ある意味今日の本題ですが、日本では自分が作った会社が借金を抱えて倒産した場合、社長である本人が何故か銀行などから借りた会社の借金を返済する義務を負うことになります。もしかしたら、「え、そんなの当たり前じゃない?」と思われるかもしれませんが、そもそも会社こと法人は債務において個人と会社とで責任のラインを切り分けるために存在しており、法人が抱えた借金は法人が抱えるものであって社長個人は本来返済義務を負う必要がないはずです。
 しかし日本では個人の会社が倒産した場合はその会社が抱えていた借金を社長本人が返済するよう迫られ、実際に自宅から何から何まで銀行に差し押さえられるパターンが多いです。それでも返し切れなかった借金は自己破産でもしない限りは延々と付きまとい、再起しようとしても抱えている借金によって身動き取れないなんていうパターンが多いです。

 米国の場合、会社が倒産したとしても会社が抱えた借金は銀行也ファンド也のリスク範囲であって企業家自身に責任が求められることはないと聞きます。そのため会社を潰した元企業家はまた新たなビジネスプランを編み出してそれが評価され資金調達に成功できれば再び会社を立ち上げることが出来るし、またファンドなども一度失敗した経験のある企業家であっても、むしろ失敗を経験しているからこそ評価することもあります。
 それに引き替え日本の社会は企業家は一度失敗したら完膚なきまで叩かれるため、事実上再起は不可能という場合が多く、失敗から立ち上がるというケースはほぼ全く有りません。失敗から学べること、特に経営において多いと思うのに、そうした企業家が再チャレンジできないような制度になっているとしか言わざるを得ません。

<個人の債務責任が極端に重いのでは>
 以上までで様々な例を紹介しましたが、総じて言えば日本において債務に関連する責任が極端なくらい個人に偏っているのではと思えます。それによって誰が得しているかというと債権者こと銀行で、特に住宅ローンに関してはほぼノーリスクで貸した分だけ確実に儲けられる構造となっており、リスクを取らない連中が何故暴利をむさぼるのだと強く不満に感じます。
 また最後の法人関連でも、以前に取り上げたバイオ企業の林原の社長一家は自宅内のありとあらゆるものが銀行によって差し押さえられ持って行かれたと話しており、会社を潰したとはいえ個人の生活まで完膚なきまで破壊する権利が何故銀行にある、そもそも金を貸すと決断したのはお前たち銀行たちだろうと腑に落ちませんし、こんな制度だと日本では企業家がなかなか育たないと断言できます。

 このように日本で個人の債務責任が極端に重いのは間違いなく民法が原因です。更に言えばこうした社会制度に影響されたのか日本では何か問題があると個人に責任を問うという考え方が強く、その一方で社会に責任というか問題があると考える人間が他国に比べて少ないのではとも覚えます。
 というのもこれは友人らから聞いた話ですが、日本よりも何倍も若年失業率が高い欧米諸国では職のない若者は昼間からプラプラ外に出て、公園で楽しくランチなどを取ることも多いそうです。なぜなら彼らは自分たちが失業しているのは自分たちに責任があるのではなく、経済をきちんと回せない社会に問題があると考えるため、日本みたいに失業しているからと落ち込んで家に引きこもったりすることがないそうです。

 個人の責任というとイラク人質事件時に言われた「自己責任」という言葉が有名ですが、あの事件に関しては私もいろいろ思うところがありますがそれはこの際置いて話すと、やはり現代日本は本来個人が抱えなくてもいい、社会が受け持つべき責任までも個人が背負わされているように思えてなりません。だからこそ自殺も多いのではないかと思えるし、行政も怠慢こかすし、不心得者が得するし、これのせいで悪い方向に行ってしまっている点が多々あるのではないかと思えます。
 ではどうするべきか。やはり何よりもまずやるべきことは民法を早急に改正し、その上で銀行をはじめとした金融業界で規制緩和をすべきでしょう。少なくとも今の日本の銀行は守るに値せず、外資に負けるくらいならむしろ外資に来てもらった方が日本人の生活や社会にはプラスになるのではないかとすら覚えるというのが、今日の私の意見です。

2015年5月23日土曜日

作品に宿る「負のオーラ」


 上記の画像はまたネットで拾ってきた画像ですが、これ見てグラフィッカーさんも大変なんだなぁとしみじみ感じると同時に、やや不遜ですが「俺と同じだ!」と思いました。結論から述べますが、絵画や文章などといった芸術によって自己表現を行う場合、フラストレーションがたまっている状態であるほどいい作品が生まれやすいです。少なくとも自分の場合には。

 このブログの記事なんかその辺が素直に出ていて、人知れずプライベートで腹立つことがあった直後に書いた記事はあとから自分が読んでもよく書けてると思うし、閲覧数もほかの記事より伸びる傾向があります。そう言った記事は主に社会批判系が多いのですが、法律の問題点などやはり見ていてイライラする内容ほど書いてるこっちもやる気が湧くというかモチベーションも違い、何が問題なのか、誰が被害者なのか、対策はあるのかなどについてこうした記事では我ながらまずまずの形でまとめられているように思えます。
 では何故、フラストレーションが溜まっている状態だといい作品が書けるのか。いくつか理由はありますが自己表現という行為であるだけに、ムカついた思いをぶちまけたいという欲求は表現する上で単純にプラスでしょう。ただそのムカついた思いこと上記画像の中にある「どす黒くてドロドロしたなにか」をそのままの形で出してしまうと仕上がりが悪くなる傾向があり、多分このブログの読者ならわかるでしょうが私もそういう失敗記事を何本も出してしまっています。やはりいったん「悟り」を経ないといい記事には昇華できません。

 こうした「ぶちまけたい思い」に加えもう一つ理由を挙げると、これはフラストレーションというよりかはストレスというべきでしょうが、適度なストレスはかえって心身のバランスを取る上でプラスだとも私は考えています。もちろん過度なストレスは体に悪いですが、多少の緊張感を持たせるようなストレスは生物としての身体能力を高めるという結果が数多くの実験で出ており、自分の知っている実験だと天敵となる魚と捕食される魚をガラスの水槽に入れ、その水槽を隣り合わせでくっつけたまま放ってみると捕食される魚は平均寿命の数倍長く生き続けたというデータがあります。
 これまた上記の画像から引用すると、「締切」、「理不尽な修正」、「アホな営業」、「睡眠不足」、「安月給」という要素はどれもストレスの元で通常の価値観なら存在しないに越したことがない要素でしょうが、こと自己表現するに当たっては作品の質を高める要素になっていると思える節があります。

 こうしたことは私自身も体験があるというか、小説を集中的に書く時間がほしいから高校二年時に入っていた運動部をやめたところ、何故か入っていた高校一年時より原稿の執筆量が減ってしまったということがありました。また新聞記者時代も、「なんで俺、三ヶ国語をフルに駆使して働いてんのに年収200万円切ってるんだ?」という深く考えてはいけないような疑問を感じつつも、この時期は自分の能力の高まりを確実に感じられたし、また体力的にもハードな面であってもそれほど苦には感じませんでした。
 またこれは漫画家の例になりますが、デビュー作は高い評価を受けたにもかかわらず、ある程度収入が入ってアシスタントも満足に揃えて始めてみた二作目は全く評価されずに打ち切られる作家もおり、仕事環境的には以前より確実に改善されているにも関わらず作品の質が落ちるなんていうことがままあるように見えます。でもって打ち切りが決まってから急激に面白くなり始めるパターンもあったりと。

 以上の様にこと自己表現に当たっては、人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」にでてくるジョニィ・ジョースターの言を借りるとすれば「餓えなきゃ勝てない」というのが真実であると私は思います。もちろん天才なり凄い人は何不自由ないストレスフリーな環境でもすごい作品を作り出してきますが、やはりいい作品を生むに当たっては何かしらの不自由なりストレスの種は強い追い風になると考えられます。
 こうしたことを「ハングリー精神」と呼ぶ人もいますが、私はどっちかっていうとこの表現だとしっくりこず、負の感情が昇華され作品に帯びるという意味合いで「負のオーラ」という言葉でもって普段表現しております。そんでもって背水の陣じゃないですけど「逆境は人を強くする」という妙な信条を持ち合わせていることから私の座右の銘は高校時代からずっと「死地に生あり」で、多分これが私の極端に特徴的な自己破滅型の性格を成す要因になっているとも分析しています。

 まとめになりますが自己表現をするに当たっては怨み、つらみ、嫉妬、焦り、嘆きといった負の感情は大きなプラスになることがあり、表現者はいい作品を作るに当たって多少なりとも逆境といえるような環境に身を置くことも一つの手段です。そうすることによって一種悲壮感めいた「負のオーラ」が作品に宿るので、死なない程度に苦しむことも捨てたものではありません。
 と言いつつ、自分の人生の波乱万丈ぶりにはいい加減辟易してきましたが……。

突然の依頼

 今週木曜の夜、久々に昆山の潜伏地に戻った夜、ブログの更新もサボっていたので軽いネタを仕上げてこの前買ってきた「シュタインズゲート」というゲームで遊んでいようと思っていたところ、私の携帯が突然鳴り出しました。表示を見ると中国版LINEこと微信に着信が入っており、以前に日本のヤクザ記事を取り挙げた際に日本のヤクザ事情について教えてほしいと連絡を取ってきた中国の記者からでした。連絡の内容はというと彼の知り合いが私に日本社会について聞きたいことがあるとのことなので、「おう、なんでも聞いてくれや( ゚д゚)ウム」と返信した所、グループチャットでその依頼者から下記のような申し出を受けました。

「日本社会のあるテーマについて記事を書いてもらいたい。要点を送るから900字程度、中国語で

 向こうは私が以前に記者をしていたことを知っているのでそれでこういう申し出をしてきたのだと思いますが、いくら記者をしていると言っても中国語で記事を書いたことは今までありませんでした。しかしその辺は私というべきか、「面白いきっかけだ」と思い、これを二つ返事でなんと引き受けてしまいました。でもって締め切りを確認した所、

「じゃあ原稿は今度の土日辺りに出せばいいかな?」
「いや、出稿が土曜の朝だから金曜の夜までにお願い」

 金曜の夜って、実質1日だけじゃんΣ(゚д゚;)
 ちょっとこの辺で一瞬断ろうかとも思いました。というのも、金曜の夜は飲み会の予定が入っていてとても記事なんか書ける日程じゃなかったからです。しかし、その辺はやっぱ私というべきか、

「金曜の夜は予定があって書けない。なら、今日(木曜)の夜にこれから書いてすぐ送る」

 というわけで依頼を受けてから即、私にとって人生初めての中国語記事の執筆に入りました。最も今回の依頼のテーマは運転マナーで、日中両社会の違いを私の視点で自由に書いてもいいというコラム的な記事なので余計な取材とかは必要なく、まだ書きやすいテーマでした。
 なもんだからまず記事に盛り込む内容というかトピックを列記し、その後で記事の構成をさらさらと立て、最初に日本語で記事全文を書き上げました。書き上げた日本語文は1350字程度でしたが、中国語にすると同じ内容でも文字数は少なくなる傾向があるので、900字くらいに納めるとしたらこんなもんだろうと考えてこの文字数に仕上げています。

 準備万端整えて中国語の記事執筆に入りましたが、中国語でメールを打つのなんかはもうほとんど苦もないのですが、やはりこういう文章は経験が浅くてそこそこ苦労しました。その結果、日本語文章が出来るまでは1時間かかったのに対し、中国語で記事を書き上げるのには2時間、計3時間をかけて依頼の記事を完成させました。もっとも書き上げた翌日に見直すと、「需要」って単語の所は「必須」にすべきだったとか、もっと禁止を表す「別」って単語を有効に使えばよかったなどと反省の残る内容でしたが。
 文字数は900字をややオーバーした1000字強でしたが、書き上げた原稿を依頼人に送った所、「こんなに早く仕上げてくれてありがとう」とお礼を言われ、添削を受けた後に使ってもらえるようです。報酬は最初拒否しましたが、自分の労働に対する正当な対価だとして説得されたので受け取ることにしました。

 今回の経験は自分にとってなかなか興味深く、中国語で記事を書いてみて気が付くところも非常に多かったです。やはり言語は話す、聞く、読む、書くの四要素だと思え、ややリーディングに特化している私からすればこうした経験は必要とされるものかもしれません。
 それともう一つ、今回は依頼から依頼完了までわずか4時間程度で終わりましたが、こういうところを見るにつけやっぱ中国はスピーディーだなぁとつくづく思います。多分日本だったら原稿料をどうするかとかで下手したら一週間くらいかかるだろうけど、私が自己の収益拡大に異常なくらい無頓着な所もありますが話しが早くてやりやすいと感じます。依頼人からは「また今度もよろしく(^ω^)」と言われたけど、第二弾もあるのかな?

2015年5月19日火曜日

維新の党の今後

 今日はやることなかったのとちょいちょい疲労がたまってたのでマッドシティの潜伏地内で相撲見ていましたが、グルジア人の臥牙丸が日馬富士を倒した後の殊勲インタビューで物凄くうれしそうに、インタビューアーの質問を受けることなくその喜びを流暢な日本語でしゃべり続けてたのですが、見ていてこっちもうれしくなってきそうな位の話しぶりでした。

 そういうわけで本題に入りますが、このところ意識的に時事ネタを増やしている関係から今日は維新の党の今後についてです。先日の大阪都構想を問う住民投票の結果を受けて橋下大阪市長は次回の任期切れを以って政界を引退する旨を発表し、また江田憲司氏(名前で検索かけたら「江田憲司 かつら」って検索候補が出てきた)も党代表職を辞任すると併せて発表しました。
 維新の党の二枚看板が同時にその職を退くという発表を受け、同党では緊急に対応する形で松野頼久幹事長が江田氏に代わって党代表に就任することを発表しています。ただ名実ともに維新の党の顔ともいえるこの二人が去るとなると影響力の低下は必至で、私の予想を述べるならそう遠くないうちにほかの政党と合併するなどして維新の党は消滅することになるでしょう。

 そもそも維新の党自体が橋下市長のワンマン政党といってもよく、橋下市長がいなくなるならその存在意義から何から何まですべて喪失してしまうことになります。というのもこの政党は橋下市長以外に政策を作る人間がおらず、また現時点においても掲げている政策分野は地方再生と憲法改正だけしかなく、外交から経済対策、労働問題などにおいては門外漢もいい所で、柱の一つである地方再生においては今回の住民投票を受けて交替するとなると事実上憲法改正しか主張が出来なくなってしまうわけです。もっともそっちの方も聞いててピンとくるような主張は何もないけど。

 となるとこの後はひたすらフェードアウトしていくよりほかなく、同じくフェードアウト気味の他の政党と合併して消えてなくなるのが関の山でしょう。いつくらいにそうなるかという時期に関しては橋下市長が完全に政界引退した後、といいたいですが、本人が早くにやる気なくしてたら下手すりゃ来年くらいにはもうなくなっているかもしれません。
 ただなくなると言ってもほかの野党も現在フェードアウトが進行中で、場合によっては自民党と反自民党勢力だけの妙な形の二大政党制が実現するかもしれません。そうなったとしても今後10年くらいは自民党優位の状況は揺るがないかもしれませんが。

 何故そう思うのかというと、どの野党もまともな政策が作れる人材が泣きたいくらいにいないからです。自民党の議員が優秀だとは言うつもりはありませんがほかの野党の議員は一体何なんだよといいたいくらいにひどい人材ばかりで、特に維新の党に至っては橋下市長の勝ち馬に乗ろうってだけの問題ある人物が多く、上西議員を始めとして「絶対政治家にしちゃいけない人間」をわざと選んでいるのかといいたくなるほどのひどい状態です。

 そう考えると案外、従来とは異なる組織や団体から新たな野党勢力が今後生まれてくる方がマシかとも思えてきます。もっともそんなのなかなか生まれないだろうし、自分もなんかいろいろこうやって書くことにも限界を感じてきてますが。

2015年5月18日月曜日

これからのシャープはどうなるのか

「資本金がシャープでしょ」

 上記の言葉は資本金額を一億円にまで減資するとシャープが発表した直後にネットで書かれた一言ですが、個人的にツボにはまったのと同時に今は何をしてもシャープは皮肉られるものかと当時思いました。
 この資本金を減資して負債返済に回す案など、シャープは先日支援を行う銀行団と共に中期再建計画を発表しました。しかしこの再建計画に対する市場の反応はというと 芳しいものではなく、計画発表直後は不正経理が発覚した東芝(何気にこっちの方が闇が深い)と仲良くダブルストップ安を決め、シャープに至ってはここ数日も株価が下落し続けるなどなかなか底が見えない状況となっております。

 こうした経緯も相まってかこのところ誰かと会うと「これからシャープはどうなるんだろうね」という話題を話す機会が多く、先日もリアルマッドシティ市民の友人、そして左遷先の名古屋での生活がオーバー10年の親父とともに「レッドロブスター新松戸店」でタラバガニを食ってた際もこの話題が盛り上がりました。なおこの時の食事代は全部親父の負担です。
 そこで今日はこの時に話したシャープの今後の予想について書こうと思うのですが、結論から述べると、あくまで私の目から見た予想ですが現時点で既に身売りこと会社ごと売却されることを前提にして物事を進めているのではないかという疑念があります。それを主導しているのは誰か、どこがシャープを買うのか、これが真に大きな論点でしょう。

 私が何故このように思うのかというと、シャープと銀行団が発表した再建計画の中身に実効性があるとは全く感じられないからです。最初に断っておくと別に私は経済アナリストでもなければ電機産業に詳しい専門家でもないただの元経済ライターでしかありませんが、そんな拙い私の目から見て再建計画におけるシャープの太陽電池事業の扱いはやや目を疑いました。
 再建計画の中では太陽電池事業を将来の成長部門として今後も強化していく方針が謳われていましたが、太陽電池は現在世界中で大不況もいいところで、中国最大手だったサンテックパワーが破綻したことといい今後も需要が伸びるかどうかといったら正直言って非常に怪しい分野です。私はシャープが経営再建を手掛けると聞いて真っ先にこの太陽電池部門が切り離されるだろうと予想していたのですが実際はむしろ逆で、再建の柱とするなどと聞いてなんだそれはと正直思いました。

 太陽電池部門と同じく再建の柱として強化が掲げられたのはシャープの顔とも言うべき液晶部門です。はっきり言えばこの液晶も再建どころかとっとと切り離した方が良いとは思うものの、シャープのお家芸ともいうべき部門であることからここはまだ太陽電池と比べれば多少はしょうがないかという気はします。
 しかし以前にも記事を書きましたが既に競合先となるジャパンディスプレイが従来型と比べて極端に消費電力を減らした液晶パネルの量産を準備していると発表しているだけに、シャープの液晶部門が今後収益構造を改善できるかといったら果たして疑問です。あまり書いているメディアはありませんが、既に中国の家電量販店へ行くとシャープ製のテレビと、スカイワースなど中国ローカルメーカー製のテレビには価格に差が全くなく、サイズ別による価格差しかありません。

 ではどうすればシャープは再建できるのか。もはや再建とは呼べないかもしれませんが私は太陽電池や液晶といった部門は丸ごと他社に売却して、まだ収益を稼いでいる複合機部門などを残してシャープの看板を守るしかないと考えていました。ただ再建計画ではリストラ策は盛り込まれたもののこうした不採算部門の切り離しは明言されず、むしろやる価値あるのかと疑問に思う資本金を1億円とする減資が大々的に発表されましたがこっちは政府から突っ込まれると5億円に金額を変更するなど一貫した態度もみられません。

 こうした点を見るにつけ、もしかしたら銀行団はシャープを別の企業に売却することを前提でこういったわけのわからない再建策を作ってきているのでは、そのような疑いが私の中でもたげてきました。特に減資とそれに伴う負債の償却などは売り飛ばす前の露払いにしか見えず、太陽電池部門を切り離さないのも何らかの思惑があっての様に見えます。
 ただ売却すると言っても、有名なコピペが作られている程シャープは国内の同業他社とは明らかに関係が悪く、三洋電機の様にパナソニックなど国内企業が買収に名乗り出る可能性は少ないでしょう。買収するほど魅力的な技術や部門もあるか怪しいし。
 となると可能性があるとすれば外資系企業で、最有力候補はやはりフォックスコンことホンハイ精密です。彼らは既にシャープの堺工場で業務提携しており、シャープのブランドも彼らからすればまだ利用価値があるでしょう。ホンハイ以外となると同じく中国系企業が候補で、携帯電話の小米精密はないと思うけど美的、ギャランツ、ファーウェイ辺りは資金力に物言わせて買いそうな気がします。

  最後に、もし日系企業でシャープを買うとしたらと考えた際に唯一出てきた候補を挙げると、ズバリ日本電産です。元々意欲的に買収を繰り返す会社ですしシャープと同じく関西圏にあるので、もし日系の中でシャープを買収するとなるとこの会社はやりかねないのではと思います。もっとも、仮にそうなったらシャープの社員はきついだろうなって気がするけど。

大阪都構想の住民投票結果について

 本日はどのニュースも一色といっていいほど大阪府で行われた大阪都構想の賛否を問う住民投票の結果をどこも報じており、相も変わらず日系メディアは同じ内容を各社で垂れ流すんだとやや呆れながら見ています。

 そんな長く書く話題でもないのでちゃっちゃと内容をまとめると、まず今回の結果は反対派が賛成派を僅差で上回る結果に落ち着きましたがこの点に関しては各メディアの事前予測とほぼ一致しており、きちんと予測を的中させたメディア各社はもっと褒められてもよいでしょう。ただ予測と結果が一致したということは言い換えるなら選挙戦中盤から後半にかけて有権者の意思にほとんど変化が起きなかったとともいえます。

 次にこの大阪都構想を主導した橋下大阪市長についてですが、かねてからの宣言通りに次回の任期満了に伴って政界を引退する旨を明らかにしています。私としては今回の投票では反対派が上回ると見ており橋下市長の動向だけがどうなのかと気になっていたのですが、この辺は筋を通したというか、このまま政界に居残ってもあまり益がないというのも見えているだけに悪うない選択じゃないのかと個人的に考えています。

 最後に世の中のこの投票結果に対する報道を含めた受け止め方ですが、はっきり言って強い違和感を覚えます。たまたま自分が見たニュースやネットの掲示板がそうだっただけかもしれませんが、どこも有権者のどの層、どの地域で賛成・反対が多かったのか、高年齢層で反対が多かったのかなど世代間闘争を煽るようなしょうもない内容ばかりで、肝心の大阪都構想の中身については全く触れていないというか議論が起こってないからです。
  大阪都構想については以前に私も記事にまとめていますが、結論から言えば実行した所で大阪市の財政は改善するどころかむしろ支出が増える可能性が高いだろうと見ています。本来ならばこの点、大阪都構想のメリットデメリット、予想が正しいのかどうか政策の中身が議論されなければならないのに、選挙中はもとより選挙後に至ってもその内容の検証が全く行われないというのはなんやねんと違和感を覚える限りです。イメージだけでこの投票は争われたのか、誰もこの点を突いていないのがおかしいでしょう。

 確かにこの投票ではイメージ先行で具体的な政策中身については各政党もあまり話題にしてこなかったというのは間違いありません。特に旗振り役の維新の党でこれが顕著で、なんでかっていうと細かく検証するとあまり目に見えたメリットが出てこないということが有権者にわかってしまうと本人らも自覚していたのではと思える節があります。
 ただイメージ先行とはいえ、ちゃんと中身を比較しながら投票に行った有権者も少なくなかったのではないかとも思えます。何故かというと逆説的ですが投票の理由について、大阪都構想の中身がよく理解できなかったと話しており、自分なりに比較した私もそう答えるのが自然だと思えるほど中身のない構想だからです。

 では中身がないのに何故維新の党は大阪都構想を推し進めたのか?誰も言わない意見ですが私個人の推論で述べると、大阪市を大阪都に変えたという実績を作った上で橋下市長は国政選挙に出て、政界でのし上がるという野心を描いていたのではないかと思います。本人も多少なりともこの政策実現によってメリットが得られると考えていたことは間違いないでしょうが、それ以上に野心による動機がこの政策を推し進める理由の中心だったのではないかと見ていて感じます。
 それだけに、そうした野心が案外透けてみていたからこんな結果になった、そう私に思わせる結果でした。

2015年5月17日日曜日

ホテルレビュー:上海楽途静安国際青年旅舎

一昨日、日本へ一時帰国する飛行機が上海から出る関係から上海に前泊した際、個人的になかなか楽しめるホテルに泊まったので今日はそのホテルを紹介します。

上海楽途静安国際青年旅舎

  その日私が泊まったホテルは「上海楽途静安国際青年旅舎(Le Tour Hostelling International)」という名前で、名前の見た感じ同様にユースホステルのような形式のホテルでした。
 

 ホテルがあるのは上海市のオフィス街ともいえる「静安時」という地下鉄駅から北に歩いて15分程度のところですが、ちょうどこの辺りは非常に道路が入り組んでいる所でもあるので初めてくる場合にはご注意ください。
 道路が入り組んでいるってだけあって、ホテル前の道も結構不思議な所にあります。上記の写真がそれですが見る人によってはスラム街っぽい印象を覚えるかもしれませんが、このように照明が少ない細い道路は上海であっても珍しくありません。にしてもいい感じにゴミ清掃のおじさんが写ってくれた。


 そんなびっくりどっきりな道(しかもかなり雨降ってた)を経て辿り着いたホテルロビーが上の写真です。道は暗かったけどホテル内は明るく、誰も写っていませんが時間帯によっては欧米系の外国人がロビー前で数多く集まって談笑するなどインターナショナルな雰囲気がいい感じに出ていました。またフロントも英語には堪能で、パスポート(中国のホテルでは宿泊するのに身分証が必要)から自分の国籍が日本だとわかるときれいな発音の英語で対応してくれた。
 ぶっちゃけ中国語の方がこっちは助かるんだけど。
 

 チェックインを終えて3階の部屋が宛がわれたので廊下に出ると、結構シックな雰囲気の廊下が出てきます。壁には一面落書きがされており、また洗濯物を受け付けるコーナーもあったりと無国籍な臭いで満点です。

  
 壁の落書きはこんな感じ。基本英語。


 この落書きにピンときたらまどか☆マギカ。ってか誰描いたんだこれ?



 部屋番号が書かれた張り紙。ほかにも食堂前には朝食メニューと料金が英語、中国語が併記された張り紙もありました。紙質は敢えてこういうのを選んだのかな。
 

 部屋へと至る廊下。見ようによっては収容所っぽい。


 廊下の奥には何故かこのポスター。魔女、好きなのかな。


 上の写真が一人部屋の写真です。このホテルでは一人部屋のほか3人部屋もあり、長期滞在も可能なシステムとなっております。一人部屋は見ての通りにベッドとテレビ、あとテレビの奥に机があるだけで、写真で見切れている左側にはホテルとシャワーがあります。


 これがそのトイレとシャワー。はっきり言えばかなり貧相な設備で、アメニティもシャンプーとボディーソープ、タオルは置いてますが、歯ブラシや櫛は置いて無く、あとティーパックと飲料水のペットボトルもありませんでした。ただ床のタイルは割ときれいだった。



 こちらが部屋の奥にある机。椅子に至ってはパイプ椅子。テーブルの上のサンドイッチは自分が外で買ってきた翌日用の朝食で、12元(約240円)でした。



 最後の写真がこれで、これは一階ロビー奥にある多目的室です。見ての通りに卓球台もあれば自転車置き場もあり、如何にもバックパッカー向けな施設であることがわかります。

 今回泊まったこのホテルの宿泊料は340元(約6800円)で、ビジネスホテルチェーンの宿泊料が通常200元(4000円)強であることを考えるとやや割高です。しかもアメニティを始め施設は決してレベルが高いとは言えないのですが、私個人の感想を述べると雰囲気がたまらなくよかったので比較的満足しました。
 何度も言いますが施設は建物ごとやや古びていて設備も決して優れてはいません。しかしその古びた感じに無国籍でバックパッカー的な雰囲気が非常にフィットしていて、泊まった感じとしては気分は悪くありませんでした。教訓めいた言い方をするならば設備が古いから新しくするのではなくそのシックさに合わせて雰囲気を作ることでこういうホテルも作れるのかとなかなか感心させられました。

 ただ個人で泊まるならともかく、家族で泊まるとなると部屋も狭そうだしはっきり言ってお勧めできません。 やっぱりバックパッカー的な出会いを求めてくるか、もしくは複数人で泊まるかとして使うべきで、興味のある方は一回行ってみることをお勧めします。