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2015年6月25日木曜日

石郷岡病院事件について

 最近何故か以前にこのブログで書いた「宇都宮病院事件について」という記事のアクセスがっ上昇していて訝しんでいたところ、どうも下記の事件が影響しているのではないかという結論へ昨日の昼過ぎに至りました。

「頭踏まれ、2年後死亡」患者遺族、病院を提訴(読売新聞)

 上記リンク先のニュース記事の内容を簡単に説明すると、千葉県千葉市にある精神病院の石郷岡病院に入院していた30代の男性患者が、看護師に下着を取り替えられる際に身体を押さえつけられた上に頭を踏まれたり蹴られたりする行為がなされ、男性はこの時の行為がきっかけで首の骨が折れてしまい二年後に死亡しました。遺族はこの時の看護師の行為は医療行為を逸脱した暴行であるとして病院を提訴し、裁判となったことを報じているのですが、この事件の何が面白いかというと男性へ暴行がなされた際の映像が一部始終公開されているからです。

「男性の頭を2回踏み付ける」精神科看護師暴行映像(15/06/18)(ANNnewsCH、Youtube)

 上のリンク先はテレビニュースで報じられた際の編集版ですが、暴行の開始から終了までを映した映像も遺族らによってアップロードされております。一応自分も見ましたが、確かに看護師によって頭を蹴るように踏みつけられているのが映像で見てとれますが、そこまで激しく凄惨な暴行映像ではないので激しく心臓に悪いほどではありません。
 病院側は提訴されたことについて、結果的に患者が重傷を負ったことについては反省すべき点だとしながらも通常の医療行為の一環であったとして、故意の暴行ではなく問題性はないという見解を示しております。まぁ病院側としてはそういうしかないだろうけど。

 恐らく同じ精神病院での暴行事件であったことから、最初に挙げた宇都宮病院事件が見直される形で私のブログへのアクセスが上がってきたのでしょう。宇都宮病院事件は今回の石郷岡病院と比べるともっとはっきりしているというか露骨で、鉄パイプで患者が殴り殺されたり重傷を負わせられたり、東大の医師が関わってたりと犯罪性が非常に明確な事件でした。
 それにしてもなんで病院に鉄パイプが常備されてたんだろうかと思うと同時に、もうちょい突っこまれ辛い凶器を選ぶ方法はなかったのかと今更ながら思います。

 ただどちらの事件でも、精神病院という閉鎖された空間というべきか一般人からすると非常に見え辛い世界で起こった事件ということで共通しています。実際にこの事件を恐らく最初に取り上げた読売の記事でも、このような明確に暴行されたという映像証拠があるというのに警察は全く動かず、精神病患者には人権がないのかとライターが訴えておりましたが、今のところ警察が暴行致死容疑などで石郷岡病院へ捜査に入ったという情報は出ておりません。
 この辺は警察も相手が精神病院ということで対応が難しいのではないかと推察します。伝聞ですが精神病院の職員はやはり激務らしく、体力勝負で体格のいい看護師ほど重宝されると聞きます。今回の事件では映像を見る限りだと暴行を受けた男性はそれほど激しく抵抗しているようにも見えないので以ての外ですが、実際に暴れたりする患者も少なくなくて職員らもいくらか命がけな所もあるように思えます。

 それだけにこの事件に関しては石郷岡病院側を一方的に批判する気には私はなれません。理由を述べるなら、もし自分が職員だったら同じことを絶対にやらないかという自信がないからです。
 ただだからといって、刑事罰や社会的責任が一切免除されるべきだとは言うつもりはありません。少なくとも今回の事件では紛れもなく必要以上な暴行がくわえられ、それがきっかけでこの男性患者が死亡したことはほぼ疑いようがなく、この点について石郷岡病院は遺族らに対し真摯な対応を取ると共に、必要であれば刑事罰も受けるべきでしょう。

 最後に男性患者について私が最初にこの事件について報じた記事(確か先週に読んだ)内容を思い出しながら書くと、この方は20代の頃は大学にもきちんと通うなど全く問題ない生活をしていたのですが、何かのきっかけで精神医療科を受診した際に向精神薬を処方され、それを服薬してから徐々に精神に変調をきたすようになったそうです。専門的なところまではわかりかねますが、記事中では「一から十まで精神医療にこの男性は殺された」という論調で書かれてあり、まぁちょっと私も思うところが少しありました。

 ちなみに私は大学時代に一回、学内にある無料カウンセリングを週一で一ヶ月程度受受診したことがあります。その時のカウンセラーの方はわかりやすい話し方でいろいろ相談に乗ってくれ、今でも当時の話を思い出すくらいに私にとってはいい体験でした。
 またこの時、カウンセリング室の前にあるパンフレット類が並べられた棚の中に京都大丸での「大・水木しげる展」の無料参観チケットが何故か置かれてあったので、二枚ほど持って帰って友人と一緒に見に行ってから本格的に水木しげるに目覚めました。そういう意味でもあのカウンセリングは私にとって非常に重要なイベントだったと言えるでしょう。

2015年6月24日水曜日

時代劇の大悪役、鳥居耀蔵について

 最初にこのブログのリンク先として新たに追加した、下記のブログを紹介します。

ピンハネ屋と呼ばれて

 ブログタイトルこそ後ろ向きであるものの書かれてる内容は割とエネルギッシュというかやや躁気味な内容に満ちています。このブログはどういったブログかというと、㈱リツアンSTCという静岡県にある人材派遣会社の現役社長が書かれているブログです。
 なんでこんなブログを紹介しようっていうのかというと、今年一月に私が派遣マージン率について書いた記事を読まれたことから連絡があり、ちょいちょいやり取りするうちにこういうブログを始めたと聞いたので、それならば是非と紹介することとしました。正直、あのマージン率の記事は派遣労働者からはいくらかレスポンスが来るだろうと思っていたものの、まさか派遣会社を運営されている方からコンタクトが来るとは夢にも思いませんでした。あともう一つ気になる存在として、スタッフサービスさんはちゃんと私の記事を読んでいるのだろうか……。

 そんなわけで本題に移りますが、適当な間に合わせのネタとして時代劇マニアなら既におなじみですが普通に日本史勉強していたらまず目にすることのない面白い人物として今日は、江戸後期最大の悪役である鳥居耀蔵について紹介します。

鳥居耀蔵(Wikipedia)

 鳥居耀蔵とは江戸時代後期の人物で、幕府直参の旗本として勤務した武士です。彼が表舞台に出てくるようになったのはあの有名な「天保の改革」の頃で、改革の主導者であった水野忠邦に見いだされて当時の江戸において最高裁判官に当たる南町奉行に抜擢されます。

 一体何故この人物が時代劇で悪役にばかりされるのかというと、一言で言ってしまえば頑固で人の話を全く聞かず、自分の価値観で他人を陥れたり捕縛したりをびっくりするくらい繰り返したからです。南町奉行時代は犯罪者崩れの手下や密偵を使ってはおとり捜査を繰り返し、気に入らない人物を次々とブタ箱(当時からそう言ってたかは知らないが)にぶち込んでいたそうで、そうしてついたあだ名は「蝮の耀蔵」となるほど当時の民衆からも明らかに嫌われていました。
 なおこの時の北町奉行はあの有名な「遠山の金さん」こと遠山景元で、鳥居が大衆娯楽の寄席などを規制しようとしたのに対して遠山は放任しようとするなど寛大な政策を取ったため、「遠山=善玉、鳥井=悪玉」という構図は早くから確立されました。

 話は戻すと、大衆に対しては厳しい態度を取りつづけた鳥居ではありましたが時の老中の水野忠邦に対しては完全なイエスマンで、水野の推し進めるぜいたく禁止令などの社会規制策は自ら率先的に実行していきました。特に顕著だったのは蘭学に対する施策で、天保の改革期に蘭学者を弾圧した「蛮社の獄」では中心人物となって関係者の一斉捕縛にも関わり、また開国はおろか西洋技術の導入に関しても終始反対し続けました。

 極めつけはこうした悪人にはなくてはならない讒言で、前任の南町奉行であった矢部定謙を讒言で追い出してちゃっかりと後任として就任したことを皮切りに次々とライバルを追い落とし、遠山景元に対しても水野と組んで北町奉行から大目付へ転任させることに成功しています。
 ただこうした鳥居の専横は水野という後ろ盾があったからこそというものがありました。しかしその水野による天保の改革がわずか二年で失敗に終わると、鳥居は保身のために水野を裏切り不正の証拠を一気に横流しするというスタイリッシュさを見せつけてくれました。これほど典型的な小悪党ってそうそういないだろって思うくらいの活躍ぶりです。

 いろんなことがあったけども、何はともあれ水野を裏切りこれにて一件落着……かと思いきや、一旦左遷された水野は開国などの外交問題を巡ってわずか半年で老中の座に返り咲くというカムバック賞ものの復帰を果たしました。この時にはさすがの水野も自分を裏切った鳥居の事は忘れておらず、今度は鳥居が同僚に裏切られる形で職務怠慢を理由に解任された上、財産没収となった挙句に丸亀藩(現在の香川県丸亀市)に預けられて蟄居させられます。

 丸亀藩に預けられた鳥居は監視されたまま屋敷に留め置かれ、当時の彼の日記には、「この一年間、誰とも会話しなかったなぁ(´・ω・`)」なんて記述も残されています。その軟禁期間は、江戸時代が終わって恩赦が出るまで実に20年にも及び、勝海舟によると鳥居が食べて投げ捨てたビワの種が出てくるころには立派な気に育っていたそうです。
 ただそんな軟禁生活も途中からは段々と行動の自由が許され、この間には丸亀藩士らとも交流を持ち彼らへ自分の知る知識を惜しみなく教えていたそうで、交流した藩士からは好々爺足るような好印象を持たれていました。

 しかし明治維新によって政権が変わったことにより、鳥井に対しても恩赦が出て晩年には完全な行動の自由を得ることが出来ました。なおこの恩赦が出された時も、「自分は幕府の命でここにいるのだから幕府の命令でなければ出て行かない」と言ってあくまで抵抗したそうです。また解放後も、開国された日本の各地を見て回っては悪態をついて回り、元部下が訪ねて来た際には、「自分の言うことを聞かずに開国したから幕府は滅んだのだ」と自説を曲げずに元部下を呆れさせたというエピソードまで残っています。

 最初にも書きましたが鳥居という人物は呆れるほど頑固でかつ敵対心の強い人物で、悪役として描くに当たってこれ以上の人物はいるか、いやいないと反語で言いたくなるほど典型的なキャラクターをしています。しかし20年間も軟禁されながら自説を一切曲げない頑固ぶりはある意味凄い所で、勝海舟も、「嫌な奴だったけどあの頑固っぷりは大したもんだった」と述べています。
 この鳥居は日本史の教科書にはまず出てくることはない人物ですが、私としてはこれほど面白い人物はそうそういないんだし、出来ることなら天保の改革と合わせてちゃんと教えてあげてほしいなという気がします。まぁ完全な変人の領域ですけど。

2015年6月22日月曜日

中国製造業の現場の声

 先日、所属しているサークルの懇親会に参加してやってきたほかの参加者と歓談する機会を得ました。ちなみに出席者の中で30代は私一人で、40代もおらんかったなぁ……。
 主に話をしたのは中国法人の駐在員の方で、住んでいる場所がらか自動車関連企業の人が多かったのですが、最初に話題になったのは「次はどこに行くべきだろうか?」でした。

 結論から書くと、こちらの現地駐在員の間ではもはや中国で製造業は成り立たないという認識が強く持たれています。既に繊維業を始めとした軽工業系の日系企業はほぼすべて中国から撤退してベトナムやフィリピンといった東南アジア諸国に移転して、家電を始め斜陽気味の電子関連も現在移転を進めており、そして残った自動車関連も移転へのウォームアップを始めている状態です。

 移転に動く原因は何か。突き詰めれば中国で高騰する人件費が何よりも大きく、次に急激な円安です。円安に関しては特に歓迎する企業よりもこれによって苦しんでいる企業の方が実感としては多いように思え、具体例を挙げると鋼材の価格等は日本材の価格は既に中国材を下回る所まで来ており、だったら質も安定している日本材を使って日本で作った方が物も安くていいじゃないかという運びになるほどです。実際、中国から第三国への出荷を取りやめ、日本からへの出荷にどこも切り替えてます。

 もう一つ、中国からの撤退に動こうという大きな動機としては、中国国内で製造業の技術が過去20年間、何一つ向上しなかったという声もありました。たとえば日産は中国の合弁相手である東風自動車と共同で中国オリジナルの自主ブランドを作りましたが、結局この自主ブランド車に使われている部品はほぼすべて日系企業の手によるもので、ローカル企業の部品はほとんど採用できず実質的に普通の日産車と変わらない内容になってしまったようです。

 もし仮に中国のローカル企業で独自技術なり品質の高い生産が実現できていればまだ中国に残る理由も出てくるものの、そう言ったものはほとんど何もなく、昔と変わらない生産環境でただ人件費だけ上がってきたというのが現状とよく指摘されており、私自身もそう感じます。そのため不良率を換算した生産コストはこの頃だと日本が中国を大きく上回るようになっており、中国国内向けに供給するものを除くと海外に出荷できる価格ではないそうです。

 恐らく、中国政府としては軽工業から重工業への転換を狙っており、雇用の吸収力の高い自動車関連に関しては自国内に大きな市場を抱えるだけに主力産業として育得ていこうという意識を持っていました。しかし現状では他の産業同様に外資なしでは成り立たない産業と化しており、その外資の撤退によっては急速な衰退も有り得なくもありません。中国贔屓の私の目からしても、恐らく部品メーカーなどは第三国に撤退して彼らが抱えていた労働者の吸収先に困る事態が起こる気がします。

 ただ第三国に撤退すれば日系企業は安泰かというとそうとまでは言い切れません。移転した当初はまだよくても、移転先の国でも経済力が高まれば中国同様に人件費は高騰していき、それも人口大国の中国以上に急激なスピードで高まることが予想されます。そのため、移転から数年はよくても10年くらいたったらまた移転しなければと腰の落ち着かない経営になることも考えられます。

 逆を言えば中国は現在でこそ人件費が高騰しているものの、そのスピードは非常にゆっくりだったのではないかと私は考えています。それでいて世界中から製造業が集まって世界に商品を供給していた、言うなればここ10年ちょっとくらいは中国によって世界中がデフレ傾向にあったと思えます。ある意味でこれは消費者にとって黄金時代で、今後は逆に世界中で商品価格が上がるインフレ傾向が起こり、「昔はパソコンが10万円もあれば買えたのに」という時代に逆戻りするかもしれません。もっとも、私としては現在の供給過剰な状態を考えるとそうなった方が良いと思っていますが。

 最後に繰り返しとなりますが、製造業に関しては確かに中国はもう限界になりつつあるというのが私の見方です。こうなったのも状況の変化、また産業育成の失敗にあるというのが私の分析です。

2015年6月21日日曜日

種類が多過ぎる日本語の代名詞

 木曜夜からちょっとした遠征に出ていたためここしばらくはブログの更新を休んでおりました。たまにこんな感じでしばらく更新を休む度に夜することない時間が有り余るのにつけ、自分がどれだけこのブログ二時間を使っているかが毎回痛感します。それこそ仮にのこのブログ更新をやめればVスライダーを習得するくらいの時間が得られるでしょう。実際習得するかしないかは置いといて……。

 そんなわけで本題ですが、結論から言うと日本語の代名詞は種類が多過ぎてめんどっちいです。ここで取り上げる代名詞とは会話の際に直接話しかける相手への代名詞で、専門用語を使うなら「二人称代名詞」というやつですが、私の方から例を出すとこんなにもいっぱいあります。

<日本語の主な二人称代名詞>
・君……同格の人物に対し使用する。
・あなた……同格、または目上の人物に対し使用する。
・お前……同格、または目下の人物に対し使用する。
・あんた……同格、または目下の人物に対し使用する。
・貴様……部下、または敵対する相手へ使用する。尊敬語から侮蔑後に変化した好例。
・てめぇ……侮蔑的意味を持ち、ヤンキーぶった人が主に使用する。
・自分……関西圏を中心に同格の人物などへ使用する。関東人が言われると確実に戸惑う。
・おのれ……関西圏を中心に同格、または目下の人物に対し使用される。
・おどれ……広島県を中心に同格、または目下の人物に対し使用される。
・おどりゃ……クソ森に対し使用される。
・お主……時代劇マニアなどが使用する。
・貴殿……麻呂っぽい人が使用する。
・そなた……麻呂っぽい人と中二病入った人が使用する。
・うぬ……主に拳王が使用する。
・ユー……主にルー大柴とジャニーさんが使用する。

 以上を見てもらえばわかるでしょうが、改めて眺めるとどれも同じ意味でありながら相手や場面によって使い分けられていることを考えるとあまりにも種類が多すぎるように思えてなりません。ネイティブの日本人ならともかく、外国人が日本語を学ぶ際には使い分けにおいて面倒なことの方が多いでしょう。
 はっきり言ってしまうと私はこの二人称代名詞の使い分けは言語的にも何も美しさを感じないし、場面によって使い分けなければならない煩雑さと、自分が他人から「おい、お前」と言われた時にカチンとストレスに感じる事を考えると、不必要な使い分けにしかなっていないのではないかと思えてなりません。

 なんで私がこう思うのかというと、外国語ではこんなにも煩雑な使い分けがないからです。ほかの国の二人称代名詞は至ってシンプルそのもので、恐らくこれほど種類の多さだったら日本語が一番多いのではないかとすら思います。
 外国語の二人称駄目意思の具体例として、下記に中国語と英語の例を記します。

<中国語の二人称代名詞>
你(ニイ)……目下、同格、目上に対して幅広く使用される。
您(ニン)……目上に対して使用される。つっても取引先に対しても你で結構通ってしまうが。

<英語での二人称代名詞>
You……目下、同格、目上に対して幅広く使用される。
Oh my load……主にホビット庄のサムワイズ・ギャムジーが使用する。

 以上を見てもらえばわかるでしょうが、日本語は無数と言っていいほどあるのに対して中国語も英語も主なものだと二種類しか二人称代名詞がありません。説明するまでもないでしょうが日本語があれだけ多種類に分かれているのは話者同士の地位を言語によって厳しく区別しようとしているからで、そのせいで相手の地位に対し間違った代名詞を使うと怒らせてしまうし、逆に言われると不快に感じてしまうわけです。
 そんな日本語に対して中国語も英語もフラットな使い方をしています。もちろん中華圏でも英語圏でも地位の違いはありますが日本語ほどそれが強調されることはなく、だからこそ向こうでは比較的関係がフラットで大抜擢や下剋上も有り得るのかなと思えてきます。

 そもそもなんでこんな記事を書こうと思ったのかというと、なんか「ロードオブザリング」のサムについて書きたいなぁ……なんて思って、「Oh my load」から発展させて記事内容を作りました。ぶっちゃけ、サムの名前さえ出せればいいやって感じで書いてたし。

2015年6月17日水曜日

国民栄誉賞に相応しいと思う人物

 国民栄誉賞と言ったら日本人なら誰もが知るポピュラーな賞で、恐らく紫綬褒章なんかよりも知名度は高いと思われます。そんなこの賞ですが受賞が発表されるたびに受賞基準や、時の政権の人気取りではないかなどと議論になります。
 無論その議論はもっともなもので、何をしたら受賞となるのかという明確な基準がなく、かつその対象もはっきりしないところがあります。最近だとスポーツ、文化面で大きな功績のあった人物が対象として固定されつつありますが、比率的にはスポーツが多いため、この際だからもうスポーツ選手に限定して俳優など文化方面の人には別の賞を設けた方が良いんじゃないかと密かに思います。それこそ文化国民栄誉賞、スポーツ国民栄誉賞みたいにさ。

 そんな国民栄誉賞ですが、かつて大リーグのイチロー選手は受賞を辞退したことがありました。まだ現役とはいえ当時から大リーグで活躍して日本全体を明るくしたということは疑いようなく私個人としては受賞する資格は他の受賞者と比較しても見劣りせずに十分だと思いましたが、そのへんはさすがはイチローというかよくわきまえた行動を取ったなと覚えます。
 なお同じ野球選手としては世界最高の盗塁記録を持っている福本豊氏も打診を辞退していますが、その際の辞退理由は、「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」でした。

 話は変わって今日の本題でもある誰が国民栄誉賞に相応しいかですが、上記のイチロー選手のエピソードを考えるにつけ「日本を明るくさせた」ということがやはり大きなポイントのように思えます。なでしこJAPANにしろ吉田沙保里選手にしろこの点では両者ともに十分当てはまり受賞も適当と思いますが、私個人の意見としては「明るくさせた」に加え「あきらめない」という強い精神性も評価に入れるべきではないかと思います。
 吉田選手などいい例ですが、驚異的な記録は一年や二年で作られるわけではなく、長年にわたって延々と鍛錬をし続けることによって初めて達成されます。ホームラン記録の王貞治氏にしろ大相撲の大鵬にしろ、そうした点がやはり評価されたからこそ受賞に至ったのでしょう。

 その「あきらめない」というかネバーギブアップな精神性でもって測るなら、密かに大リーグのブルージェイズで活躍する川崎宗則選手なんか案外受賞してもいいんじゃないかと本気で考えています。詳しく語るのも野暮なくらいですが川崎選手は外国人ながらチームの地元に異常なくらいに溶け込んでおり、シーズンオフにはチームメートのみならず地元ファン、果てには球団オーナーからも「ぜひ残ってほしい」と言われるほどそのキャラクターが評価されています。
 また選手としての実力は日本のリーグであれば間違いなく一流選手に数えられるほどであるものの現地大リーグの壁は分厚いためここ数年は一軍と二軍を何度も往復するようなことが多いですが、そうした環境に対して何一つ不平を洩らさずチームのためにと活動する姿は地味にかっこいいです。

 もともと川崎選手は日本にいた頃からもチームメイト思いな選手で、彼がベンチにいるだけで明るくなり、WBCに参加した際も「川崎を連れてきてよかった」と監督などからコメントされるなど盛り上げ役としてこちらも異常なくらいに高く評価されています。こうした献身的な姿勢、そしてイチロー選手に対するストーカーじみた行為(甲子園でイチローにホームラン打たれた投手の名前も言えるらしい)、過酷な環境においても試合に出るため努力し続ける姿勢はまさに日本人の鑑だと思え、もうこの際だから国民栄誉賞をあげてしまった方が良いのではないかと思います。
 もっともムネリンの事だから、「イチロー選手が辞退したものを僕が受けるわけにはいきません」と言いかねないだけに、多分喜ぶだろうからイチロー選手との同時受賞にさせてあげるのが一番ベストかなという気がします。こうすればイチロー選手も苦笑いしながら受けてくれそうだし。

2015年6月16日火曜日

派遣雇用の3年ルール改正案について

 先週末に友人二人とスカイプでグループチャットをした際、なんかの拍子に、「アマテラスって絶対ブラコンだよな」と発言し、そのあとカマキリの雄が交尾後にメスに食われることについて、「彼らだって、本音じゃ死にたくなんかないよ」などと妙なことを口走ってました。しかもその後はオニヤンマがどれだけ強いかという議論になったし。

法改正騒動で分かった、各党の「派遣」への眼差し(ジェイキャスト)

 そういうわけで話は本題に入りますが、現在国会では派遣法の改正議論でそこそこ盛り上がっています。本音を言えばマージン率公開義務が全く機能していないことを誰か口にしてくれれば私としてはありがたいのですが生憎そうではなく、主題となっているのは上記リンク先で雇用問題に関しては信頼のおけるコメントをいつも出す城繁幸氏が語っているように、派遣開始から3年後に直接雇用を義務付ける3年ルールについてです。

 そもそも3年ルールって何ってところから始まりますが、結構この法律の解釈は話す人によって変わるのであくまで私による一つの解釈として説明すると大まかな骨子は下記の通りです。

<派遣雇用の3年ルール>
1、同じ業務作業に対する派遣雇用は最長3年まで。それ以降雇うならば直接雇用に切り替えなければならない。
2、直接雇用にするのが嫌だからと、同じ業務で別の派遣社員に切り替えることは禁止。
3、専門26業務に関しては、上記の規定に従わず無期限に派遣社員を使い続けてよい。

 これが現在出ている改正案は、城氏の記事から引用するとこうなるそうです。

<改正案>
1、専門26業務と呼ばれる派遣労働者にも「受け入れ後3年で直接雇用に切り替えさせる」という3年ルールが適用される。
2、一定の条件を満たせば、3年ごとに派遣労働者を替えることで、企業はずっと同じ職場で派遣労働者の受け入れが可能である。

 この改正案が認められないとして先日、民主党は委員会で採決しようとした議長を締めだしたりなど一悶着を起こしたわけですが、城氏によると民主党自身も政権時に3年ルールの規制強化によって逆に派遣労働者を追い詰めた所があり、いまいち強気で攻めきれないという読みがあるとのことで、私もこの見方に同感です。
 実際に派遣の現場でこの3年ルールがどれほどまで遵守されているのか非常に疑問だし、またルール2に書いた「同じ業務なら3年越えの派遣社員を別の人に切り帰るのも駄目」という内容も、言い方次第で案外どうとでもなってしまうのではないかと私は考えています。たとえば、「パソコンへのデータ入力業務」を「データの分析業務」と言い換えたりして、実質同じ業務を別の業務に切り替えたと言い張ったりするなどして。

 またこの3年ルールの弊害として、特に問題なく働いているのにこのルールのせいで雇用側も被雇用側も3年経ったら契約を打ち切らなくてはならないというケースもある、というかそれが今一番問題となってるわけです。これが改正案2に関わる所ですが、直接雇用に切り替えろったって雇用側がはいそうですかと同意するわけなんてほとんどないだろうし、となるとそこそこ派遣社員といい関係を築けていたって契約を切るしかないでしょう。確か今年の10月でこの3年ルールが適用開始になるそうで、このまま民主党が手を加えた状態のまま放っておいたらどうなるのかいろいろ楽しみです。

 ここまで読めばわかるでしょうが、私個人としては現在出ている自民党の改正案に実は賛成だったりします。派遣がいいか悪いかではなくこの3年ルールは現場に無駄な混乱しか生み出さないようにしか思え、やはり廃止するのが早いでしょう。正社員化を促すのであればこういう規則ではなく、税制面で正社員化によって企業負担をもっと軽くさせるなどの方がもっと効果が見込めるでしょう。

 以前にも書いていますが私は派遣社員を減らすのではなく正社員を減らすことが日本社会全体、それは企業にとってだけではなく労働者にとってもプラスになると私は考えています。そういう意味で派遣社員が増えて雇用の流動性が増すことは歓迎すべきだと思うものの、それはあくまで定められた効果的なルールが確実に実行されることが前提であって、マージン率の公開義務が果たされていない現状は望ましくありません。
 現状、派遣法に関しては二転三転しているところがあり、これらはすべてどういう方向に派遣雇用を持っていくのかという終着点を誰も持っていないせいだと思います。派遣は一時的な代替雇用手段で日本人全員正社員化を変に目指そうとするからこうなってるのであって、そういう無駄な幻想は早く捨てるべきだというのが私個人の主張です。

2015年6月14日日曜日

日本研究者187人の「日本の歴史家を支持する声明」の検証

日本研究者:欧米の187人が安倍首相に送付した「日本の歴史家を支持する声明」全文(毎日新聞)

 上記リンク先は先月初め、欧米の日本研究者187人が署名して発した「日本の歴史家を支持する声明」という文章全文(日本語)を載せた毎日新聞のページです。たった一ヶ月とはいえなんか随分前のような気もしますが、この声明文についてほとんどの日系メディアは、「欧米の研究者たちが揃って安倍首相の歴史認識を非難する声明を出した」と当時報じておりました。しかしその一方、下記のように報じるメディアもありました。

「187人声明」は、"反日"でも"反韓"でもない(東洋経済)

 上記リンク先の東洋経済の記事ではこの声明文の中心的執筆者二人にインタビューを行っており、両者はメディアが報じているように日本、ひいては安倍首相を非難する目的ではなくあくまで公平な視点で歴史を探求すべきだと日本の研究家に向けて発信しただけだと主張しています。となると「安倍首相を非難する」と報じたメディアが間違っていたのか、この辺りが疑問というか一体どっちやねんというもやもやした気持ちがこのニュースについてありました。


<間違っているのはどっちだ?>
 向こうが出した声明文は一番上の毎日のリンク先に日本語版全文が載せられていますが、少なくとも私が見る限りだと、従軍慰安婦問題を引き合いに出してはいるものの特段日本を批判するような文言はなく、安倍首相の名前も終わりから三段落目の下記文章に一度だけしか出てきません。

「四月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。」

 これだけ見るならば「正しい歴史認識に基づいた行動を」という具合で釘を刺している印象はあるものの、非難というレベルの書き方ではないように見えます。となると日系メディアが安倍批判に利用するため過剰に報じたのか、そういう疑問がもたげてきます。しかし報道では日系だけでなく海外のメディアもこの声明文を引用して同じように安倍首相を非難するものだと報じているとされ、またも一体どっちやねんと思えてきたわけです。

 最終的に私が出した結論としては、「なら英語の原文を見よう。もしかしたら出回っている翻訳が間違っているかもしれない」というもので、英語の声明文をこの際だから自分で訳して検証してみました。というわけで、以下がその翻訳文です。


<私の手による英語声明文の和訳>
題:日本の歴史家を支援する公開文書

 下記に署名した日本研究者は、日本にいる多くの勇気ある歴史家がアジアにおける第二次世界大戦の正確な歴史を探ろうとすることについて結束することをここに表明します。日本は我々研究者の大半にとって第二の故郷であり、日本と東アジアの歴史を研究し、記憶していくことは共有すべき関心事であるため我々はこの声明を発します。

 記念すべき重要な今年、我々は日本とその隣国の間における70年間に及ぶ平和をお祝いいたします。戦後日本はその民主主義の歴史において軍隊の文民統制と警察の抑制、政治的寛容、科学の発展、他国に対する総合的な支援はどれも賞賛されるべきものです。

 しかし歴史解釈の姿勢に関する問題がこれらの賞賛を妨げております。最も関係を悪化させている歴史問題はいわゆる「従軍慰安婦制度」です。この問題は日本や韓国、中国の口汚い民族主義者によって大きく歪められており、研究者だけでなくジャーナリストや政治家においてすらも、人間のありようを理解させ改善を求めようとする歴史探求における原則的な終着点を失わせています。

 かつての「慰安婦」の犠牲者の苦痛を……(注:この箇所は非常に面倒くさい言い回しをしているため翻訳を拒否。書いた奴には死んでほしい)。しかし、慰安婦に何が起こっていたのかという事実を否定、もしくは矮小化することは同様に受け入れることが出来ないことです。数多くある20世紀の戦時中の性暴力、または軍による売春例の中、「慰安婦制度」はその広範な運用と軍による管理された点と、日本の植民地、または占領地の若くて貧しく、無力であった女性に対する搾取であった点で他の例とは異なっております

 「正しい歴史」へと簡単に至る道などありません。日本帝国軍の多くの記録は廃棄済みです。女性を軍へと斡旋していた業者の行動は記録されていなかったかもしれません。しかし歴史家によって軍隊が女性の輸送や売春宿の管理に関わっていたとする数多くの文書が明るみに出されています。犠牲者の証言もまた重要な証拠です。彼女らの話は多様でかつ矛盾が生まれやすい記憶の影響を受けつつも、彼女らによって提供され集まった情報は心を動かされるもので、なおかつ兵士やその他の証言同様に公文書によって(正しい情報であると)補填されています。

 「慰安婦」の正確な数について歴史家の意見は分かれていますが、「¥恐らく確実な数は永久に知ることはできないでしょう。犠牲者の推計数を打ち立てることは確かに重要です。しかし究極的には、その数はその犠牲者数が正確に1万人だったのか10万人だったのかに関わらず、日本の支配地域と戦地においてこうした行為が行われてきたということは紛れもない事実です。

 いくつかの歴史家は日本軍がどれほど従軍慰安婦制度に関わったのか、また女性はどれほど強要されて「慰安婦」になったのかという程度について議論しています。しかし多くの女性が意思に反して恐ろしく野蛮な行為にさらされたということは既に証拠が明らかにしております。特定の団体、または犠牲者の暴力的な被害をなかったこととしたり無視したりするような反論に焦点を当てた法律主義的な討議を採用することは……(注:この箇所の動詞の扱い方がおかしいのでここも翻訳拒否。なんで「and ignores」と続くんだよ)。

 日本における我らの同僚のように、我々は注意深く天秤にかけつつあらゆる過去の資料の文脈を精査することによってのみ、正確な歴史を作ることが出来ると信じております。そのような作業では民族主義や性別への偏見を排除しなければならず、また政府の情報操作や検閲、脅しから影響を受けてはなりません。我々は歴史探求の自由を守り、すべての政府にそれらを守ることを求めます。

 多くの国にとって過去の不正義な事実は受け入れがたいものです。米国政府が二次大戦中に二次大戦において隔離した日系米国人への補償を行うまでに40年以上かかりました。米国法で奴隷制が廃止され平等が約差即されたものの、アフリカ系米国人は約一世紀の間それを実感することができず、アメリカ社会には差別意識が根深く残っていることは真実です。19~20世紀における欧米や日本を含む帝国主義勢力の中で過去の差別や植民主義、戦争、そして世界中で無数の市民を犠牲にした歴史をきちんと清算したと主張できる国はありません。

 日本は今日、最も弱い人を含め個人の生活や人権を認めています。日本政府は現在、「慰安婦制度」のような制度上での女性への搾取を国内だけでなく海外でも認めていません。当時においてさえ、いくらかの役人は倫理的な立場に立ったでしょうが、戦時中の管理体制では個人を犠牲にして国家に奉仕せざるを得ず、ほかのアジア人同様に日本人自身も多大な犠牲を起こすこととなりました(注:日本人からも多くの女性が慰安婦になったと言いたいのだと推察する)。そのような悲劇は二度と繰り返してはなりません。

 今年は日本政府が過去の植民地政策と戦時中の侵攻について発言と行動することによって、そのリーダシップを示すのに一つのよい機会です(注:「よい機会」だなんて勝手に決めるなと読んでて思う)。4月の米国議会において安倍首相は人権の国際的価値観、人間の安全保障について言及し、日本が他国に与えた苦しみにも直視しました。我々はこうした(安倍首相の)心情を賞賛し、これらすべてを具体的な行動に移すことを強く促します。

 過去の過ちを認める行動は民主社会を強化し、周辺国との関係も発展させます。「慰安婦問題」は平等な権利と女性の尊厳が核となっており、この問題の解決は日本、ひいては東アジアや世界の男女同権の歴史的な前進となり得ます。

 我々の教室では日本や韓国、中国など世界各国から来た生徒が十分な敬意を払いつつ誠実にこの難しい問題を議論しています。彼らの世代は、我々が彼らへと託す過去の記録とともに生きていくこととなります。性暴力と人身売買のなき世界を彼らが作るのを支援するため、またアジアにおける平和的な友好を促進するため、我々は出来うる限り完全かつ偏見のない過去の過ちの清算を残さなければなりません。
(和訳文終わり)


<翻訳を行ってみた印象>
 日系メディアなどで出回っている声明文の日本語版はこの声明を発した団体自らが用意したものですので、共通したものが使われています。その向こうの和訳と比べて私の和訳とはどのような違いがあるかですが、基本的な内容は一緒で、何かの語句を省いたり意味が大きく異なっているような箇所はありませんでした。ただ全体的に原文では英語版と比べて日本語版だと表現が全体的に緩められており、語の感じが軟らかく受け止められるように変えられている印象を覚えました。

「過去の過ち清算」せよと叱責する「日本研究者」の正体(産経新聞)

 この日本語版では表現を緩めている点については上記の産経新聞の記事も指摘しており、産経はきちんと英語版と日本語版を見比べていたことがわかります。ほかのメディアはきちんとやったかは知りませんが、何故日本語版では緩めたのか、その意図がやや気になります。

 そしてもう一つ気になった点として、私はこの声明文の英語版原文をこのサイトから取ってきたのですが、声明文自体は今年の5/5に発信されていますが、5/7に署名者を追加した上でアップデートされ、その際に声明文の概要を書いた前文が追加されております。こちらは日系メディアでは多分どこも翻訳していないので、こっちも私の方で下記の通り翻訳してみました。


<追加された前文の和訳>
 オンライン人権、社会科学ポータルサイト「H-Asia/H-Net」は2015年5月7日、日本の安倍晋三首相に対し、先の4月29日に日本の首相として初めて米国の両院合同議会で行った歴史に関するスピーチで持ち上げた問題について、「具体的な実行」を呼び掛ける、日本研究者187人による公開声明をここに発信します。

 この声明では安倍首相に対し、彼自身が現在の日本について語ったスピーチで話した内容を確実実行するよう特に強く促したい。そのスピーチ内容というのも国家はなによりも「人権」と「安全保障」に重きに置くというもので、この目標の達成に当たって、(署名した)学者たちは安倍首相に対し、70年前(に終結した)の占領と戦争の時代に日本が他国に与えた苦痛を含む真実の歴史を直に知るよう求めます。最も大事なこととして、こうした真実の歴史を知ることは日本と過去に占領統治されたアジアの周辺国家との間で、公正な歴史事実に基づいた和解を促すこととなります。これらを実行するという方針は今日の日本とは大きく異なっていることを明確に示します。

 南京大虐殺、靖国神社(戦犯を含む戦没者に対する東京のモニュメント)と並び、(アジア)地域の歴史問題において緊張を招く重要な要素の一つである、いわゆる日本軍の「従軍慰安婦」の歴史は特別注目に値するものです。(この声明に署名した)学者は安倍首相に対し、従軍慰安婦制度は軍隊によって大規模かつ規則的に、また植民地や占領地の若くて貧しく、そして無力であった女性に対する搾取によって運営された著名な制度であったということを公に認めるよう求めます。

 1993年以降、日本政府の歴代首相は2006~2007年の安倍政権を除き、この卑しむべき歴史に対し謝罪談話を発し続け、その言葉と実行において程度の差こそあれ日本の方針として堅持し続けてきました。

 「直接的にせよ間接的にせよ、当時の日本軍は慰安所を設立、運営し、慰安婦を送り続けました。慰安婦の斡旋は主に軍から要請を受けた民間の斡旋業者が行っていました。政府(注:どこの政府なのか本文中に明示していない)の研究によって明らかになったこととして、慰安婦らは多くの場合、口車に乗せられたり無理強いされたりなどして本人の意思に反して斡旋されており、時には軍の管理関連の人間も斡旋行為に直接参加していました。強制的な環境下における慰安所での彼女らの生活は悲惨でした。日本を除くと、そのような戦地に送られた慰安婦の大半は朝鮮半島から送られていました。当時の朝鮮半島は日本の統治下にあり、彼女らの斡旋や管理などはほとんど彼女らの意思に反し、口車に乗せられたり無理強いされたりなどによって実行されていました。(注:なんで同じこと二度言うねん)」

 1993年以降、この慰安婦制度が大半の犠牲者が生まれた韓国と中国でどのように運用されていたのかについて研究が深まっていったことに加え、我々は日本軍がその占領範囲を広げたフィリピン、インドネシア、シンガポール、サイパン、グアムなどでもどれほどこの制度が援用されたのかを深く知りました。

 しかしながら2014年春、当時発信した官房長官の名前が付けられた「河野談話」として知られる教書を安倍首相が「見直す」と発表したことにより、理解と共感を深めようとするあらゆる作業は、特に日本と韓国の間で破滅的なまでに頓挫してしまいました。今年は70周年(注:何の70周年なのかくらい書けバカ)という重要な節目となる年であるのに、東京、ソウル間の関係は「過去最低」とまで評され、2015年6月22日にソウルと東京は国交正常化50周年を祝うはずであることからその関係はなお一層注目されています。

 我々はこの声明文全文を下記に英語、日本語それぞれで配信致します。この声明文はアジア研究者を対象として毎年シカゴで開かれるオープンフォーラムの2015年5月の会で、日本国外の日本研究者の間で協議して作られ、当初は英語版のみで公開されたものです。この声明文の主眼は、署名者は過去長い間証明されてきた歴史を民族主義的な価値観で捻じ曲げようとする行為に対し最大限の努力でもって拒否するということを明示するということです。

 この声明文の結論には、我々が後世に残そうとする過去の記録を学ぶ今日における世界中の生徒に対し、署名した我々全員は「可能な限り完全かつ偏見のない過去の過ちの清算」を残すことについて責任を分かち合うという、視点でもってまとめてあります。
(和訳終わり)


<安倍首相に対する明確な悪意アリ>
 最初の翻訳同様に荒い訳なのでところどころ間違っているような箇所もあるかと思いますが、全体的な概要位なら私の翻訳でもカバーできてるかと思います。

 それでこの前文ですが、声明文本文はマイルドにまとめられていたもののこちらは安倍首相に対し明確に非難する内容となっており、執筆者は安倍首相に対し明確な悪意を持っていることが伺えます。声明文本文では一度しか出てこない安倍首相の名前が前文では何度も出てきており、特に具体的に非難めいて書いている箇所としては、以下の三段落目の末文です。

「(この声明に署名した)学者は安倍首相に対し、従軍慰安婦制度は軍隊によって大規模かつ規則的に、また植民地や占領地の若くて貧しく、そして無力であった女性に対する搾取によって運営された著名な制度であったということを公に認めるよう求めます。」

 ここではっきりと従軍慰安婦は日本政府の関与のあった制度だと認めろと書かれてあります。まぁこれ自体はそもそも議論にならない箇所だと私は思うのですが。
 またここだけでなく終わりから三段落目も河野談話関連で安倍首相を名指しで強い口調で非難し、「過去長い間証明されてきた歴史を民族主義的な価値観で捻じ曲げようとする行為」と書くなど悪意というか敵意満々です。


<結論>
 結論としてはあの声明文は前文とセットで読むとすれば、安倍首相を非難する文章だと言って間違いなく、東洋経済の記事は読者をミスリードする内容と言われても仕方ない気がします。そもそもあの記事、記者の質問と声明文執筆者の回答がほとんど噛み合ってないひどい内容だし。
 それにしてもなんで日系メディアはこの前文を翻訳してくれなかったのか、余計な手間かけさせやがってと思うにつけこの点が私にとってむしろ疑問です。

 また声明文本体がマイルドな表現に抑えられていたことについては、執筆者が何かしらの意図をもってそうしたのではないかと思えます。というのもあの声明文はタイトルからして「日本の歴史家を支持する声明」とよく意味の分からないもので、本文も具体的に何が言いたいのか全体を通して曖昧な表現が貫かれていて読んでて激しくイライラさせられます。どうしてこういう書き方をしたのかというと、署名者を増やすためだったりとか、集めた署名を別目的で利用するつもりだったのか、そういうような意図があったのではないかと勝手ながら私は推測しています。

 最後にこの声明文に対して私の意見を述べると、やっぱり偏見の強い主張であるかのように感じられ、産経新聞同様に相手にする必要のない声明だと思うしここに署名した学者連中はあんま宛にならない連中だとも思います。少なくとも日本は歴史研究において周辺国の様に何かを主張することに対して弾圧はしていないし、従軍慰安婦問題に関してはこの団体が引用している解説文書をみると明らかに事実と違う内容が書かれています。
 あとこれは愚痴になりますが、日本でもそうですがどうしてアカデミック関連の文書はああも読み辛くてわけのわからな言い回しが多いのか、全く以って理解できません。単純に自分の技量不足かもしれませんが今回訳した文章は非常に手間がかかり、昨晩から今日の夕方まで「ファックファック」とずっと呟きながら、非常に不機嫌な状態で翻訳し続けました。なるべく自分で翻訳したくなくてどこかのメディアなりブロガーが翻訳してくるのを一ヶ月も待ったというのに、なんで誰もやってくれなかったんだろう。