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2017年9月20日水曜日

日本の住宅資産査定への疑問

 また関係ない話ですが今のフルHDモニタのノートパソコンに変えてから真面目に目が痛いです。解像度が高すぎるのが原因なのかわかりませんが以前のノートパソコンと比べたら真面目に時たま目を刺すような痛みを感じることもあり、次からは敢えて解像度の低いパソコンを買おうかなとも考えています。モニタインチサイズも、映画とか見るから15.5インチにしたけど14の方がよかったかも。

 もう何度目かと思うくらいモニタ色調の変更を済ませてへとへとでブログなんて書いていたくないですが話は本題に移すと、最近また中国人の知り合いと不動産についていろいろ話する機会がこのところ増えていて、中国人に話すと信じられないって顔されるネタの一つに、「日本の土地はともかく上物の住宅は新築時から資産価値が向上することは決してない」というのがあります。
 説明するまでもなく中国の住宅価格は日々上昇しており、このままでは誰も買えなくなるような金額になるなどとかねてからバブルだバブルだと日本側は報じています。なおニュースピックスから「中国崩壊論の崩壊論」という連載を始めるというリリースメールが来ましたが、「始めてからやれよ」と内心思いました。

 そうした中国バブルの是非については置いておきますが、上記の中国における住宅価格の高騰は何も新築の住宅に限らず中古住宅にも当てはまり、それこそ何の手入れもしていない住宅でも、20年以上前に建てられたアパートの一室でも毎年値段は上がり続け、住宅所有者の含み益は絶大なものとなっています。
 ただこうした住宅価格の上昇は程度の差こそあれ、日本以外では本来存在するべき価格変動です。かつて香港で仕事していた時も常にウォッチしていましたが、景気の変動によって中古住宅の価格は下がりもすれば上がりもして、少なくとも日本みたく新築以降は一方的に下がり続け、20年、下手すれば10年もすればほぼ上物はほぼ価値がなくなるような急激な下落の仕方はしません。断言してもいいですが、この住宅価格の値下がり方が日本だと異常で、世界的にもイレギュラーな不動産市場ではないかと見ています。

 一体何故これほどまで日本の住宅価格は下がり続けるのか。欧米では自信が少ないとはいえ新築から数十年経った住宅、下手すりゃ二次大戦前の住宅でもリフォームなど手入れさえすればその価値は保たれ、現在においても市場に流通すると聞きますが、日本で二次大戦前、それどころか昭和期に建てられた住宅ですらもはや市場で流通する価値があるかと言ったら疑問です。もっともそれ以前に、何があっても住宅の資産価値が上がらない市場というのは経済的に見ればかなり異常極まりなく、言ってしまえばその市場の国民が住宅を買えば買うほど市場全体のキャッシュが消えていくという底なし沼のような存在になっている気すらします。

 改めて日本で住宅価格が下がる理由についてですが、そりゃ地震が多い国だから築年数かさむと不安ってのはいくらか理解できるものの、海外だって家事はあるんだし、また国会議事堂じゃ戦前に作られていながらいまだにつぶれてないし、法隆寺に至っては世界最古の木造建築としていまだに残ってるくらいなのですがちゃんとした構造ならよほどの地震でもない限り破損して価値を大きく損なうなんてことはないはずです。それでもなぜそこまで下がるのかと言ったら、こう言っては何ですが日本の資産査定の仕方がおかしいのではないかとしか私には思えません。

 具体的に言えば新築住宅に対しては異常に高い値段で査定し、中古住宅は極端に低く査定する。こうした行為が行われることによって何が起こるかと言えば、一番儲かるのはローン組ませる銀行、次に儲かるのは住宅デベロッパーで、あとは物件を安く買いたたいて高く売る不動産屋でしょう。
 多少ふざけた感じで書いてはいますが、真面目に日本の資産査定はおかしいと思います。日本国内にいたときはそれほど感じはしませんでしたが、いざ海外の不動産市場を見てみると歪にもほどがあり、本当にあの価格はきちんとした市場原理に即しているのかで理解することができません。

 かといって価格を無理やり是正することは自由主義に反します。一つの解決案として私が提示できるものとしては、地震や災害に強い構造の住宅に対して政府がお墨付きを与えるなどして、しっかりした中古住宅の価値を高めるような活動を取るとか、リフォームによる既存住宅再活用を促すためにリフォーム費用への補助などを通して中古住宅の価値を高める方向へ持ってくというのがあります。効果に関しては保証できませんが、少なくとも今現在の日本の資産査定慣習を吹き飛ばすようなアクションが欲しいところです。

2017年9月18日月曜日

課題を少しずつ、確実に克服し続ける中国


 上の写真は先週天気が良かったので上海市内で撮影した写真です。さすがにこれほどの晴天が毎日続いているというわけではないものの、今年の夏は暑い日が続いたのでこの日に準じるほどきれいな青空が広がる日が多かったです。
 「中国の空」と言えば、恐らく日本人はPM2.5や汚い空、灰色の空を想像するかと思います。もちろん内陸部に行けばまだまだそのような空が広がっていることでしょうが、こと上海に限ればここ1~2年で空気をはじめ空は確実にきれいになっており、それこそ4~5年前であれば上の写真のような空は奇跡だと感じたかもしれませんが、今だとそれほど珍しくもなく特に感動もありません。

 一体何故上海、というより恐らくは中国全体で空気が良くなってきたのでしょうか。ちょっと専門的になりますが理由はいくつかあり、一つは大気汚染の主犯であった鉄鋼業が大不況のためあまり生産活動をしなくなったこと、次に単純に街中を走る車のエンジンやガソリンが良くなり排ガスの汚染度が低下したためです。後者に関しては先日同僚とも、「最近排ガス臭わなくなったよね」と二人して納得するくらい劇的なくらい改善しています。

 しかし、と言っては何ですが、恐らくここで私が書いているような内容は日本では誰も報じていないと思います。また同時に、数年前と比べて「PM2.5がー」といって中国の汚い空を映した報道もほとんどなくなっているのではないかとも思います。聞いてる限りだと、北京も上海ほどではないものの以前と比べれば大分空がきれいになったと聞きます。
 忌憚なく意見を言えば、数年前の報道が刷り込まれているせいで「中国=大気汚染」の構図から抜け出ていない人が多いのではないかと思います。さらに続けば、現在の中国の姿を全く認識できず、ありもしない世界を想像しながら中国について語る人も少なくないでしょう。

 実際にと言っては何ですが、去年から何度か初めて中国を訪れた人を案内していますが皆異口同音に、「上海がこれほど都会だとは思わなかった」という感想を判で押したかのように口にします。上海が現在の姿となったのは何もつい最近ではないことを考えると、やはり日本の報道を通して中国はもっと田舎な風景をイメージしてしまうことが原因でしょう。
 また中国の訪問経験がある人間でも、中国がわずか数年でその光景を一変させているという事実に気が付かず、ついつい昔の光景のまま語ってしまうことによって無意識に誤った認識を広げている可能性もあります。それこそ私が10年前の北京の光景を語ったら、聞く人はどんな国なんだ中国はという印象しか持たないでしょう。

 なお、10年前の北京では壁のないトイレの方が当たり前でしたが、今現在ではそのようなトイレはもはや存在しません。これくらい今と昔で中国は違います。
 逆に私が10年前の東京や大阪を中国人に語ったとしても、恐らく大きな誤解を招くことはないと思います。せいぜい梅田駅前にヨドバシができていろいろ変わったくらいしか浮かびませんが、それくらい日本は変化がないのに対し、中国はリアルに1年ごとに光景が変わっています。1年前にはなかったシェアサイクルサービス「モバイク」は、今現在ない場所はないくらい普及しています。

 その上で、中国には確かに現在においても課題となる社会問題がたくさんあります。しかし少しずつとはいえ、先ほどの大気汚染問題をはじめ徐々にですが確実に改善されてきています。
 一方、日本は年金問題をはじめとして、克服すべき課題が20年前から存在しながら何も解決しておらず、先日の加算分の年金が未支給だった件といい、問題が拡大しているところすらあります。

 課題は少ないが何も解決されない国、課題は多いがちょっとずつ改善へ向かっている国。どちらに未来があるかと聞かれたらどのように思うのか、少なくとも私は中国の方がまだ希望を感じます。まぁそこまで大きなことを口しなくても、中国が変化しているということに気が付かずにいるというのは認識面で大きなマイナスにつながる恐れがあるだけに、私個人としては注意した方がいいというのがアドバイスとしてあります。

2017年9月16日土曜日

上海高島屋のかつ蔵にて……

 本日、取材量が半端ない原稿をようやく仕上げたので、気分的にも打ち上げをしたく上海高島屋に入っているとんかつ屋の「かつ蔵」に行ってきました。結論から言うと、オーダーを忘れられる憂き目に遭いました。

 入店当時、店内は込んでいたためちょうどひとつ前にいた親子と一緒に入って、この親子より先にオーダーしたにもかかわらず向こうの方が先に品物が運ばれてきました(オーダーメニューも一緒)。まぁ忙しいんだろうし待ってりゃ自分の方も来るだろうと、先に配膳されたご飯とみそ汁を前にただひたすら待ちましたが、それから30分経っても物は来ず、隣の親子も食べ終わってしまう有様でした。
 個人的に奇妙だったのは、待ってる私の横をお茶汲みする店員が何度も通っているにもかかわらず、ご飯とみそ汁だけしか置かれていないテーブルを見て誰も不自然に感じないのかなという点が不思議でした。しかも自分の湯飲みのお茶飲みほしてるのに、何故か汲みに来ないし。

 さすがに隣の親子が食べ終えたところで、「メニューまだ?」と店員に声をかけて、ついでに完全に冷め切ったご飯とみそ汁も取り換えるように頼んだら、「おかわりでしょうか?」と日本人の店員が聞いてきましたが、「とんかつが来なくて冷めたから交換頼んだ」と伝えました。それから約2分ぐらいでとんかつが来ましたが今度は交換を頼んだご飯が遅れ、ようやくおひつが来たら「茶碗は?」と聞かなきゃなりませんでした。

 こんなこと書いていますが私自身は自分のことを、飲食店側のトラブルに対してかなり寛容な人間だと思っています。別に今回の一件もこの後の件がなければネタにすることもなければ水に流すつもりだったし、友人と一緒に行ったときに何かこういうトラブルがあってもいつも自分が「まぁまぁ」となだめる立場に回ります。

 それで話を続けると、おひつだけ持ってきて茶碗を忘れてきたのでもっかいとってきてもらった際に、「やっぱ忘れられてました?」と聞いたところ、「すいません」とだけ返事されました。ああ多分絶対に認める発言はしないよう言われてるのかなと思いながら40分くらい待って来た飯を10分以内に食べて出ようとする際、何故か店員らは全員して私に目を合わせようとしませんでした。
 普段ならこの店は退店の際に「ありがとうございましたー」と言ってくるのですがこの日に限ってはそれもなし。店内はピークは終わってやや落ち着きを取り戻してきているのに、みんな目を合わさないどころか自分が正面に立つや視線を下におろし、目をそらして普段はある見送りの声もなく、ひいきにしてきた店なだけにちょっとハートが痛みました。

 レジの方も淡々と「会員カードは?」と聞いて会計するだけで、もうちょっと対応の仕方あるんじゃないかなぁと、あんま気分良くなく退店しました。普通にオーダー忘れたことを認めて謝罪してくれた方がこっちとしては気分いいんですが。
 さすがにこれきりでもう絶対ここにはいかないなんてことはしませんが、しばらくは通うのはやめようと思います。それにしても、しんどい記事仕上げた後でこれ来ると精神的にくるもんで、当初予定していたケーキ類の購入も見送って今コーヒーだけ飲んでます。

太平洋戦争における決戦はどれなのか?

 決戦とは一言では言うものの、全戦役やその後のパワーバランスを決定的に決めるようなものとなると実際には限られてきます。
 私は世界史上ではナポレオン戦役におけるワーテルローの戦いこそがまさに決戦と呼ぶにふさわしいと考えており、英仏両軍ともにどちらも一手のミスで勝利がどうなったかわからないくらいの拮抗ぶりはもとより、この戦闘の結果によってその後のヨーロッパ秩序はまず間違いなく大きく変わったでしょう。

 では我らが日本の太平洋戦争というか戦役における決戦とは何になるのか。真っ先に浮かぶのはミッドウェー海戦でこの戦闘によって日米両国の攻守が逆転したと紹介されることが多いですが、攻守逆転どころか、結果論ではありますが実質的にこの戦闘結果によって日本の勝利は事実上なくなったと判断してもいいくらいの敗戦ぶりです。大雑把に見ても工業力的に再生産することが事実上不可能な主力空母(赤木、加賀など)を一度に喪失し、それに付随して戦闘経験の豊かなパイロットもいなくなり、尚且つ活動制海権まで奪われる始末だったのですから、実行することは不可能だったとしてもあの時点で降伏するという判断が最適解だったでしょう。

 一応、その後も太平洋戦争における決戦としては、兵器投入量では史上最大の海戦に当たるレイテ沖海戦などもありますが、影響力といい、またワーテルロー同様に米軍側も一手間違えれば大敗する可能性もはらんでいた博打的要素の面から言っても、ミッドウェーこそが太平洋戦争最大の決戦とするべきが私の見方です。まぁ米軍としては、負けたところで最悪ハワイが陥落したとしても、本土まで攻撃する能力は日本にはなかったのではありますが、米海軍としては負けていたら立つ瀬はなかったでしょうね。

 こうして書いていて思うこととしては、陸上での決戦は事実上、太平洋戦争にはなかったんだなぁということです。太平洋戦争における陸戦は陸軍と海軍のグダグダな絡み合いもあって必要性の低い戦いも多く、インパール作戦といいそもそも何故始めたのかという点で疑問な戦闘も少なくありません。強いて言えばサイパン、硫黄島の戦いは防御上で非常に大きな陸上戦となり、硫黄島における栗林忠道の奮戦ぶりに関しては日本陸軍最高の戦いぶりだったと思えてなりません。

インパール作戦に抗命した将軍(陽月秘話)

 なお余談ですが、上記のインパール作戦について先日NHKでなにやら特集番組が組まれていたそうなのですがこの番組ついて立花隆氏が今月の文芸春秋にて、「蛆のたかる死体など当時の映像をよく取り入れており戦場の生々しさをよく伝えている」としながら、「インパール作戦を語る上で、佐藤幸徳将軍の抗命(命令拒否)事件を取り上げないのはあり得ない」という批判をしていました。
 この意見には私も同様なのですがさすがは立花隆氏というべきか、昨今の北朝鮮問題と絡めて「現地部隊が命令に反する事態にどう対応するのが」ということを考える重要性を訴えるとともに、自衛隊では先の抗命事件について熱心に研究しているということを書かれていました。

 最近また疲労が激しいもんだからなんかやたらと二次大戦絡みの話ばかり書いている気がします。今日も取材で2時間くらい電話かけてましたが、つくづく思いますが広報によって当たりはずれあって、当たり引かないと本当に苦労するって気がします。

2017年9月13日水曜日

とある陸軍大将と海軍大将

「灘高校1979年卒」の神童は、大人になってどうなったのか?勝谷誠彦、和田秀樹、中田考は新・警視総監と同級生(文春オンライン)

 本題と関係ありませんが面白かったので紹介します。それにしてもすごい濃いメンツが集まってたもんだ。

 話は本題ですが、昔あった「提督の決断」というゲームについてあるふざけた紹介記事では、「海軍を率いて自国の陸軍と必死で戦い、ついでに相手の海軍とも戦うゲーム」と書かれてありましたが、あながち間違ってるわけでもありません。ちなみにこのゲーム、軍艦とか作ろうとしたら会議で悉く陸軍が反対してくるというのはリアルに設定されています。
 太平洋戦争時、日本に限らず米国でも陸軍と海軍の仲は非常に悪く、日米両国で両軍は足を引っ張り合ったというのは有名な話です。この仲の悪さは昭和天皇も苦悩したことを周囲に吐露していたほどで、仲の悪い嫁と姑が一緒に同居している旦那のような立場だったのではないかと推察します。自分で書いといてなんですが、上手い喩えな気がします。

 そんな陸軍と海軍だったもんだから戦後も基本的にお互いが悪口合戦で、「向こうのせいで負けたんだ」というような主張を双方で行い、最終的には「海軍善玉論」に代表されるように海軍側が世論を制しましたが、双方の幹部同士で全く交流がなかったわけでもありません。
 ひとつ例を挙げると、陸軍の今村均と海軍の山本五十六は博打好きという趣味が共通していて普段から仲が良かったそうです。特に山本五十六が戦死する直前、たまたま現地付近に今村も赴任していたため挨拶を交わしており、二人とも今後の戦争の行く末についてやや暗い見通しを語り合ったと言われています。

 この二人とはまた趣が違いますが、陸軍の畑俊六と海軍の米内光正にもあるエピソードがあります。

 畑俊六は陸軍切ってのエリート幹部で、昭和天皇の侍従武官となったことから信任も非常に高かったそうです。そうした信頼関係から、暴走し始める陸軍を抑える目的で米内内閣の組閣時には陸軍大臣に据えるよう、昭和天皇から直接推薦されています。
 しかしそれほどの信頼を集めた畑も、米内内閣が陸軍に抵抗姿勢を見せるや陸軍上層部の意向を受け、自ら単独辞任することで米内内閣を崩壊へと導きました。なおこの米内内閣を崩壊に導いたことが遠因してか、終戦前の内閣組閣時に東条英機は総理大臣に畑を推薦したものの、過去に期待を裏切られた天皇はやや冷淡に拒否し、無事に鈴木貫太郎内閣が誕生したことが伝わっています。

 時代は移って終戦後、極東国際軍事裁判で先の米内内閣を崩壊させた点について畑は追及され、軍事独裁化を招いた張本人の一人として起訴されました。この際に証人に呼ばれたのは内閣を崩壊させられた本人である米内だったわけですが、判事からの質問に対して米内は徹底して知らぬ存ぜぬを貫き通し、畑をかばい続けました。終いには判事からも米内は「なんて愚か者だお前は!」と言われたそうですが、その甲斐あって畑の判決は終身刑に留まりました。
 米内内閣を崩壊に導いたことを考えると死刑であってもおかしくなく、そうしたことから畑は出所後も米内への感謝を度々口にし、1960年に米内の故郷である盛岡に銅像が作られた際にはすでに80歳の高齢に至っていたにもかかわらず、除幕式の傍らで黙々と雑草をむしる姿が目撃されたそうです。

 私個人としては、畑に対しやや同情的な立場を取ります。彼自身の思想よりも陸軍という組織の思想によって行動を強制され、その結果死刑にかけられそうになった点は運命にもてあそばされた結果にしか思えません。ただ運命は彼を見捨てなかったというか、犬猿の仲である海軍の大将である米内によって命脈をつなぎ、また畑もその米内への恩を忘れなかったというのは美談であると言っても過言ではないでしょう。
 何も畑に限らずほんの些細な運命のいたずらで死刑となった戦犯はB、C級を中心にたくさんいます。今日紹介したのはその中でも、運良く助かった例の一つです。

2017年9月12日火曜日

社民党が滅んだから民進党はダメになった?

 いきなり結論からですが、私は今民進党がどんどん弱っている原因を辿れば社民党が滅んだことも大きいのではないかと思っています。

 説明するまでもなく、かつて日本の野党第一党として55年体制(これも死語になってきたな)の一角に位置してきた社会党の系譜を継ぐ社民党はこの10数年、主に党首の指導力不足と元々の思想的問題からどんどんと衰退していき、現在は衆参合わせても5人に達さず単独では党派すら組めない状態で、事実上もうないものとして扱ってもいいくらいな存在です。ではかつて社民党を支持してきた支持層は現在どうしているのかというと、恐らく自民嫌いの支持層も多いことから、旧社会党を含め社民党からの移籍組が多くいる民進党へ支持を変えていると思われ、その民進党自体もこちらは確実にこうした支持層の取り込みに力を入れています。

 しかし、結果的には旧社民党支持層を取り込もうとしたことから民進党も衰退してきているのではというのが私の見方です。

 そもそも今回なぜこう考えたのかというと、かつての民主党と現在の民進党を比較したときにその思想や主張がだいぶ変わってきているように思えたからです。それこそ00年代前半は与党自民党に次ぐ野党第一党が民主党だったという状況について私の中国語の恩師が、「民主も結局右派だから、右派対右派の構図でしかない」と話していました。
 今でこそ民進党はリベラルなことしか言わず主張も理想論ばかりしかありませんが、確かにまだ00年代は、相変わらず自民党議員のどうでもいいスキャンダルや対案を出さないところは今と変わりがないものの、まだ憲法改正や国防について意見が出たり、政府歳出の無駄遣いに切り込んだりと今ほどのリベラルさはなく、右か左かでいえばやはり右でした。

 政府歳出については民主党が与党時代にたくさん無駄遣いをした負い目もあるのかここ数年は全く指摘する声すら耳にしなくなりましたが、まだ00年代は年金問題をはじめ傾聴に値する意見を発したり調査していたりで、評価できる点も少なくありませんでした。しかしここ数年、特に民進党に改組して以降は目も当てられず、主張も極端なリベラルに特化して先ほど挙げた憲法快晴や国防に関しては旧社会党の如く「発言すること自体がタブー」な雰囲気すら感じます。

 何故このように変化を遂げたのかその理由を推測すると、いろいろ複数あるでしょうがその中の大きなものの一つに、社民党の支持層を取り込もうとした、もしくは取り込んだことで思想が極端にリベラルに触れて、本人らも知らず知らずのうちに左旋回してしまったからではないかというのが私の考えです。現在の前原党首で、「言うだけ番長」なのは昔からですがそれでも以前と比べると発言内容が毒も外連味も味もないものに変わっており、政党全体を見回しても10年前とは大きく変わっているような印象を覚えます。まぁ自民党も、「抵抗勢力」が存在しなくなったという点で以前とは変わっていますが民進ほどではありません。

 そうして出た結論というのが見出しに掲げた、社民党が滅んだから民進党はダメになったで、極端なことを言えば支持層を取り込むためウイングを広げた、リベラルに走ったから民進党はダメになったというのが結論です。実際、党是なんてあって無きが如しですし、このままいけば社民党の後を追うことになるでしょう。
 受け皿となるのは維新か国ファーか。仮に石破氏が自民を出てどちらかの政党に移籍するとなったら面白いのですが。

2017年9月11日月曜日

中国の対日工作デマ文章について

ギルバート氏も騙された?中国の日本侵略計画ヨタ話
小池都知事も騙された?中国の日本解放工作ヨタ話(JBpress)

 上のリンク先記事はJBpressで投稿ライターとしては同僚(?)となる安田峰俊氏の記事ですが、こういうデマ文章が出回っていたとは知らなかっただけになかなか興味深く読ませてもらいました。
 簡単に記事内容を紹介すると、日中国交回復直後の1972年に得体のしれない雑誌に掲載された中国の「日本侵略計画書」とされるものが何故か現代になってネットを中心に出回っており、小池都知事もリツイートしてしまったとのことです。

 実際には中国が何らかの対日工作計画を練ってはいると考えられはするものの、出回っている「日本解放第二期工作要綱」については眉唾物の偽文書であることを安田氏は多角的に分析した上で結論を出しています。私もこの安田氏の分析を支持しており、特に中国語の表記に関する矛盾は非常に理路整然としていて説得力があります。
 具体的にその個所を引用すると、

『また、訳文に不自然な表現が多すぎる点も怪しい。中国語を直訳したとは思えない文章構造が多々見られる点はもちろんだが、ここではより分かりやすい例を端的に示そう。たとえば前出の田中内閣について記載した一文も、よく読むとヘンな部分がある。

“田中内閣成立以降の日本解放(第二期)工作組の任務は、右の第二項、すなわち『民主連合政府の形勢』の準備工作を完成することにある”(前出)

 お気付きだろうか? 実は中国本土の中国語はほぼ「横書き」なので、「右の第二項」という表現は通常ありえないのである(「上の」「下の如く」といった書き方にしかならない)。』

 安田氏も指摘している通り、現代中国語に「右記」という表現は絶対に存在しません。というのも中国語は日本語と違って現在は横書きしかなく、前文を引用する際には「上述(=上記)」か「前述」が使われます。いくら日本語に翻訳されたからと言って「右の~」とか「右記の~」という表現は出てくるはずがありません。
 他にも安田氏が指摘しているように「中共」、「シナ大陸」という表現も中国政府が使うことは決してあり得ず、使った時点で当時であれば執筆者は逮捕されてもおかしくないレベルでのきわどい表現です。安田氏も書いていますが、このデマ文を書いた人間はそもそも中国語に習熟していないのが私から見てもわかります。

 しかし何故そんなデマ文章が現代になって再流行したのか。理由をいくつか挙げると一応の出典というか掲載誌が実在していることと、メディアの検証能力が落ちていること、そもそも真偽なんてどうでもいい風潮が強くなってきていることなどがあるのではと思います。

 最後の審議なんてどうでもいいという風潮についてもう少し下記加えると、私のブログでも「いかりや長介から志村けんへ最後の手紙、というデマ」の記事でネットで流行っていた文章がデマであると検証したことがありますが、未だにこの記事がコンスタントにアクセスを得ていることを考えるとまだデマだということが浸透しきっていない節があります。こうした風潮は単純にネットが普及したためと言い切るのは簡単ですがもう少し私の推測を述べると、既存メディアへの信用が落ちていることも側面としては大きいような気がします。
 例えば私が子供の頃は「テレビで言ってた」と言えば誰も反論できない説得力がありましたが、現代においてこのような主張したら鼻で笑われて終わりでしょう。同様に新聞や雑誌についても世間の信用は明らかに昔と比べ落ちており、「誰(どこ)が言っていたから」というのは真実性を証明する根拠としては今や非常に脆いです。だからこそネットの情報も決して信用度が高いとは言えないものの、相対的なレベルで見たら「他に信用するものもない」という背景からかあまり検証もされなければ疑いも持たれなくなってきているのではないかと思います。

 とはいえ、あからさまにデマだと思われる情報を真に受ける方も方でしょう。巧妙な工作をした文章とかならまだ同情の余地がありますが、今回のこの対日工作計画についてはあまり擁護できないレベルではないかというのが私の感想です。