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2018年2月19日月曜日

忘れていた感情 前編


 上の画像は大分前にネットで話題になった漫画のワンシーンですが、廻し蹴りで何故か放射能値が下がるという破天荒な場面が描かれています。この漫画を描いたのは平松伸二氏という漫画家で、私もつい最近にネットで話題になっていたことから、「そして僕は外道マンになる」という平松氏の自伝漫画を購入して読んでみました。もっとも自伝とは言いつつも、本宮ひろ志氏が学ラン着ながらダンビラ振り回すなど、多方面で大幅な脚色がなされてますが。

 私は平松伸二氏については世代がやや異なっているということもあってその作品をあまり読んだことはなかったのですが、破天荒な設定と頭身の高いリアルな画風の持ち主として名前は知っていました。そのため今回この漫画で平松氏の経歴について初めて知ることが多かったのですが、一言で言えばとんでもない漫画エリートともいえる人物だったようです。
 というのも若干16歳で少年ジャンプに読み切りデビューを果たし、短期間のアシスタント生活を経て19歳で「ドーベルマン刑事」で連載デビュー。しかも新人の初連載作品としては史上初めてアンケート1位を取り、その後も人気上位を維持し続け看板作家として君臨したそうです。

 それ以上に目を見張ったのが、当時の少年ジャンプで毎年行われていた主要作家陣による読み切り作品企画での話です。当時、ジャンプでは漫画家10人に読み切り作品を1作ずつ描かせ、それを読者に人気投票させて競わせるという企画があったそうですが、手塚治虫、赤塚不二夫、本宮ひろ志氏、永井豪氏、池沢さとし氏、そして平松氏の師匠に当たる「アストロ球団」の中島徳博氏らというレジェンド級の面々に対し、20歳にして初参加の平松氏は投票で第2位となる人気を得たそうです。
 これほどまでに若く、且つデビュー時から高い人気を得たという漫画家ともなると、私の中では「キン肉マン」のゆでたまご氏と、こちらはややデビューがもうすこし遅かったですが「進撃の巨人」の諌山創氏くらいしか浮かばず、「漫画エリート」という意味では平松氏は屈指の存在であったということに間違いはないでしょう。

 そんな平松氏の自伝ということからきらびやかな活躍が書かれているかと思ったらさにあらず、この本の中身は実質、八割方怒りと怨念で描かれてあります。
 先ほどの読み切り作品企画では、上位2名の漫画家はヨーロッパ旅行に行けるということになっていたそうですが、平松氏は2位であったにもかかわらず実績がまだ足りていないとの判断から行かせてもらえませんでした。もっとも連載中の漫画で多忙であったことから「行かずに済んだ」ということでホッとした半面、どれだけ苦労しながら全く報われない状況に平松氏も思うところがあったそうです。

 特に平松氏の場合はデビューが異常に早かったせいもあって雇ったアシスタントは全員年上で、待遇面での諍いから途中で辞めてしまう人も出るなど、マネジメント上での苦労話もよく描かれています。何より当時部数が急上昇中の少年ジャンプ編集部からはむちゃくちゃな要求も度々出され、「人気あるけどいまいち物足りない。来週から、毎週10P追加だ!」と、限界ギリギリの作業をしているのに増ページを命じられることもあれば、高い人気を維持しているのに担当編集者から「原作付きで書いているくせに一人前とは認めねぇ!」と言われたりなど、理不尽に振り回される過程も生々しく描かれています。
 そのせいもあって作中で平松氏は度々悔し涙を流すのですが、そこへ至るまでの壮絶な過程が非常に臨場感高く描かれていることもあって、当時に平松氏がどれだけ悔しい思いをしながら漫画を描いていたのかが変に共感でき、平松氏の作品をしっかり読むのはこれが初めてですがやはりすごい漫画家であると深く納得させられました。

 それだけにと言っては何ですが、Amazonの方のレビューにも書きましたが、この「外道マン」はとにもかくにも涙が美しい漫画だと思います。特に連載1年を経て自身初めての単行本を初めて手にした際、声を挙げずに嬉し涙をボロボロと流すシーンは非常に心が打たれました。

 以上が「外道マン」の内容に対する感想ですが、実はこの漫画を読んだ後に自分は強いショックを覚えました。それは何故かというと、自分がここ数年、ある感情を完全に忘れ切っていたということに気が付かされたからです。その感情とは何か、後半へ続く……。


  

2018年2月16日金曜日

自分が聞いたことのある入試ミス

<大阪大>また入試ミス AO入試合格者、サイトで不合格(毎日新聞)

 先日の兄弟の入試ミス騒動以降この手の報道が相次いでいますが、こういった入試ミスは今に始まるわけではなく昔からあったことで、最近になって注目されて報道されるようになっただけでしょう。

 現実に私も以前に予備校でそういう話を聞いたことがあるのですが、なんでも願書を出していながらやる気がなくなったとかそんなで結局入試を受けずにそのままスルーしてしまった受験生が痛そうです。そして後日、入試を受けてもないのに合格通知が届いたとかで、ラッキーとばかりに結局そのままその学校へ進学したそうです。確かこのケースは早稲田大学とのことでした。

 まず間違いなくこのスルーヤーの代わりに誰か一人が不合格となっているはずですが、もちろんニュースになるわけでもなく歴史の闇に埋もれていきました。もっともそんなこと言ったら自分も一応ちゃんと試験は受けたものの、入試判定は常にE判定だったところに合格して進学したので、もしかしたら何らかのミスがあった可能性は否めません。ただ最終的には170単位くらい取って卒業したので、授業についていけるだけの学力は持っていたのだろうとは思いますが。

中国の若者の世代間の違い

 昨日のブログ記事で質問を受けたので、中国の若者の世代間の違いについて今日は書こうと思います。

 まず基礎知識として、日本の「ゆとり」という言葉に相当するように「80後」という言葉があります。意味としては1980年代以降生まれを指し、生まれた時から比較的裕福な環境であったため性格的に軟弱だと2000年代以降、ずっと言われ続けました。しかしそれから年代が経って現在は「90後(1990年代以降生まれ)」、「00後(2000年代以降生まれ)」という言葉も出てきたため、前ほど80後は馬鹿にされなくなってきています。
 なお中国では中学卒業後にすぐ就労につく人間も多いため、00後はもう社会の至るところで見られます。

 今回のターゲットはまさに上記の年代階層ですが、やはり年代が若くなるにつ入れて「甘ったれ」と言われる度合いは高くなる傾向があります。実際に80後の知人が会社で90後の部下を叱ったところ(女同士)、「あいつすぐ泣きだしやがって( ゚д゚)、ペッ」と話し、やはり軟弱だという印象を持ったそうです。
 00後とは私も絡みが少ないため実際はどうなのかわからない点は多いですが、少なくともはっきりと感じる独自な視点を述べると、80後と90後の間では明確な差があります。それは何かというと、起業意識です。

 私と同年代ということもあるかもしれませんが80後の人間は以前、会う度に「なにかいいビジネスはないか?」と聞いてきました。昔出ていた「日本人の知らない日本語」という漫画でも中国人留学生が将来の展望を聞かれ、「起業して社長になりたい」と答え、どんなビジネスを考えていますかと続けて尋ねたところ、「先生はどんなビジネスがいいですか?」と答え呆れさせるシーンがありましたが、まさにこんな感じのやり取りを私もかつて何度も経験しています。
 具体的にどのようなビジネスを考えているわけではなく、「とにかく会社を興したい」というような起業意識が80後にはありました。さすがに昨今はこの世代の年齢層も上がってきて落ち着いてきたのかこうした質問を受ける機会は減っているものの、10年前くらいであれば見ず知らずの他人にすら「何かいいビジネスはないか?」と聞いてくるレベルでした。

 翻って90後ですが、こうした起業意識が80後と比べるとほぼ全くありません。80後の時代に就職先として人気だったのは外資系企業、それも特にITと金融でしたが、90後の時代になると公務員志望が増えだし、「あくせく働くよりのんびりまったり働きたい」と志望理由を述べる若者が増えてきました。最も習近平政権となって公務員の収賄が厳しく取り締まられ始めると、「実入りが悪くなった」と述べ、若干希望者数が減ったそうです。賄賂も収入として計算に入れて就活する辺りは中国らしいのですが。
 もう一つ、やや古いデータですが確か2012年に見た調査で、中国でも特に起業家輩出率が高い浙江省温州市でまさにこう言った起業意識に関する調査を行ったところ、90後の世代以降から「あまり考えていない」と答える割合が急激に高まり始めました。起業に関しては最も最先端な温州市でこれなのだから、全国で同じ統計を取ったらもっとはっきり出るだろうと、当時同僚たちと話したのを覚えています。

 現実に、最近中国の若者と話していても起業について口にする人間はめっきり減りました。むしろいい就職先への志望を語る若者が多く、単純に独立心は低下傾向を歩んでいると肌感覚で感じます。

 こうした変化は何故起きたのか。理由は世代間の違いというよりかは歴史と環境の違いで、80後の成長時代は中国も高度経済成長期の時代であり、起業しても簡単に当てることが出来た時代でした。むしろ起業せず積極的に儲けない方が馬鹿だと思われるかのような空気があり、中国の若者はこぞって起業を目指していたのでしょう。
 逆に90後の時代は高度経済成長の弊害やねじれに直面していたのが青春期に当たり、またライフスタイルの面でも90後以降と以前では大きく違い、日本人から見て「まともな人間の生活」に入ってきたのもちょうどこのころである気がします。こうした環境から一攫千金よりも安定志向の方が強くなり、それが起業意識に如実に表れたのではと私は考えます。

 もう一つ、80後と90後の違いを述べると、英語能力です。90後以降から中国でも受験戦争が段々やばくなり、特に配点の大きな英語科目を集中的に学ぶ子供が増えたことから、できない奴はほんとに英語できませんが、できるというかやばいと思うくらい英語が上手な若者が90後以降から急激に増えてきました。
 一方でこの前どっかのメディアで見ましたが、勉強漬けとなるせいか運動能力方面では低下傾向が続いており、日本の子供と体力測定の結果を比較したところ全方面で中国の子供の方が軟弱だったという報告が出ています。私自身も最近見ていて、中国の若者は背が高くなっている一方で線が細くなってきていると思うところがあり、やはり幾分軟弱そうに見える若者が増えています。

 以上はあくまで上海市に住む私個人の目線の意見のため、中国全土の傾向を反映しているかと言ったら自分でも疑問なため、参考程度と受け取ってください。
 最後にもう一つだけ付け加えると、中国の若者と言っても外資系に務めてくる人間はやっぱり体力も意識も高い人間が多く、何より英語が半端なく上手です。志望段階で違うのかもしれませんが、やはり一般企業と比べるとマナーもよく、優秀な人材だと思います。

 その一方、なんか今年に入ってから下から報告されるレポートの文章の質が極端に落ちてきました。翻訳していて「何が言いてぇんだよこの野郎」と愚痴が出るくらい文法めちゃくちゃな文章が多く、ひどいのになると全く文章を切らず、改行せず、だらだらと長い文章を書き綴って読むものを混乱させるようなレポートすらあり、中国人を含めた関係者一同で、「こいつは何が言いたいんだ」と押し黙ったことがあります。
 そんなレポートを必死こいて解読して翻訳しても案の定、和訳文も意味不明なものとなってしまうのですが、それでも上司などから「まだ中国語よりかは言いたいことはわかる」と言われました。最近そんな文章を翻訳していて、「俺は暗号解読班か?」と自問自答する日が増えてきています。

2018年2月15日木曜日

打たれ弱い現代の若者



 今日はお休みとあって6時間ぶっ通しでプラモ作ってたため、未だに指先の震えが止まりません。っていうかこれ(ハセガワのセリカ・GT-Four)、古い商品だったのかデカールが全く剥がれず、台紙ごと剥がれたりしていつもより時間喰いました。

 話は本題に入りますが、現代の日本の若者の特徴を挙げるとしたら私はその打たれ弱さこそが最も特徴的だと挙げます。私自身も上の世代と比べたら決して打たれ強い方ではないと自覚していますが、それでも同年代の他の人間と比べるとマシな部類に入ってしまいます。そして私より下の世代を見てみると、私の世代に輪をかけて打たれ弱くなっており、「こんな紙装甲で大丈夫なのだろうか……」とみていていちいち心配になってくるほどです。

 先日、就職氷河期世代の戦友とこの件について話したところ、「4歳下の弟を見ていてもそう思うし、花園さんくらいの世代を見ていても確かにそう思う」とすぐ同意してくれました。なおその戦友からは、「打たれ弱いと自分で言ってるけど、毎日怒鳴られたり物投げつけられながら仕事してた辺りはもう少し誇っていいよ」といくらかマシな方だという評価を得ました。

 話は戻りますが単純に「打たれ弱い」というだけなら、年少者は年長者と比べてどの世代においても打たれ弱いのが常で、これ自体はなにもおかしいことではありません。では何がおかしいのかというと、少なくとも現在40歳超の就職氷河期世代以降、打たれ弱さの程度が年を経るにつれて大きくなっている、つまり右肩下がりに打たれ弱さがひどくなっているということです。仮にこの傾向が続くのであれば今後も日本人はどんどん打たれ弱くなっていくということが予想され、何が原因で、いつ歯止めをかけられるのかについてそろそろ考えないとまずいのではないかと思えてきました。

 打たれ弱くなった原因についてはいくらでも考えられますが、最大の要因としては「失敗が許されない社会」こと減点方式の価値観が日本で渦巻いていることではないかとみています。このほか、刑罰が重くなるなど社会的責任も年々高まってきていることも同様です。

 私が下の世代を見ていて特に打たれ弱くなったなぁと思うポイントとして、端的に言えば「殴られても殴り返そうとしない」という個所です。もちろん殴る、殴らないは比喩的表現で実際には叱責や罵声、嫌味ですが、これらを上から投げつけられた際に、「うるせぇ!」の一言もなければ皮肉も返さず、反抗的な目つきを見せることに至ってはほぼあり得ず、ただただ怯えた目つきで「すいませんでした」というだけの若者が多過ぎる気がします。
 これは私個人の考え方ですが、やはり殴り返さんとばかりに反抗的な目つきをする奴は叱り辛く、言い方とかをもっと考えたりしなければならなくなるのですが、やはりこの手のタイプの方が基本的にタフで、苦しい状況でも粘り強く対応できる人間が多い気がします。逆に一番ダメなのは反抗的な態度も取らず、かといって反省する態度も取らず、聞き流すように無関心な反応を示す人間です。

 ただ反省する態度を示してきちんと次に生かしてくれる人間なんかはそれはそれでいいのですが、こういうタイプはやはりプレッシャーに弱く、ある日突然バタンキューすることもあるだけでなく、ここぞというところで逃げてしまう人間も中には含まれています。何も全員が全員、反抗的な態度を示すタイプであればいいというわけではありませんが(それはそれで本気で困る)、やはりもうちょっと、現代の若者においては打たれ強さで信頼のおける、こうした反抗的タイプの割合が多い方が望ましいのではないでしょうか。
 もっともこんなブログで吠えたところで世の中動く訳じゃありませんが、企業の新人採用の人向けにアドバイスをすると、コミュニケーション能力より打たれ強さに着目してこれからは新人を取った方がいいと思います。今後、この方面の能力が非常に重要になってくる気がしてなりません。

2018年2月14日水曜日

カウンセラーに求められる属性

 何度かこのブログで過去に紹介していますが、以前世話したことのある中国人元労働者が二年半の在日生活を経て先日、ようやくある関西私学に合格しました。今年四月から入学となりますが、明後日からの春節を前に久々に里帰りしようと中国に今週帰国し、途中上海に寄るとのことだったので会ってきました。なおその日はうちに泊まったのですが、いつもの私らしく真冬に暖房なしの部屋の中、ベッドを元労働者に譲り、私は椅子の上で布団にくるまって寝ました。

 それはともかくとしてその元労働者の進学先は心理学部で、「将来はカウンセラーの資格などを取得して日本でクリニックを開きたい( ・∀・)ノ」と目を輝かせて将来の抱負を語ってきました。それに対し私は、「絶対にその夢は叶わない。あきらめろ( ゚ω゚ )」と、はっきり言いました。
 その理由について私は、「恐らく、日本人の精神疾患者であればいくら日本語ができて、専門教育を受けているとしても中国人の君に相談したくはないと避けるだろう。また仮にカウンセリングを実際行ったとしても、中国人のお前に何がわかるなどと言って耳を貸さない可能性が高い」と説明しました。

 それであればとばかりに続けて私は、「むしろ中国に工場を持つ日系企業などに就職して、現地の中国人従業員の相談やメンタルケアを請け負う仕事の方が得やすいと思う。現実にこの方面の需要は現時点でも高い上に君の大学卒業時にはもっと高まっているかもしれん。日系企業にとっても、日本語で報告のできる中国人カウンセラーとあれば重宝するはずだ」とアドバイスしました。いうなればこれは産業カウンセラーに当たる職業ですが、中国人というバックグラウンドに日本語プラスで行くならば、やはりこの道がベターではないかと考えたわけです。
 以上の価値観はそれ以前に考えていたわけではなく知人の将来展望を聞いた直後、直感的に浮かんできた内容ではあったものの、改めてこうしてまとめていても非常に的確な意見だった気がします。元労働者もそう思ったのか真摯に耳を傾けて聞いていました。

 この話をした後、また例の上海人と合流して四川料理を食べつつ、「改めて考えるとカウンセラーが外国人だったらその時点でアウトになるのかも」と、ウシガエルの串揚げを食べながらずっと考えていました。私自身に偏見があるのかもしれませんが、鬱病になって相談したところ日本人に「大丈夫、問題ない」と言われるのと、中国人に「大丈夫、問題ない」と言われるのではなんとなく受取り方が変わってくる気がしてなりません。特に中国で下手に勤務経験を持ってしまうと、中国人の言う「問題ない!」ほど安心できない言葉はないだけに、下手したら寒気を覚えるかもしれません。
 同様に、タレントのボビー・オロゴン氏みたいなめっちゃ明るいアフリカ圏出身者に、「大丈夫だろおいお前」とか言われても、なんとなくこれじゃない感を覚えてしまう気がします。割と外国人と接する機会の多い私ですらこんな具合なのですから、日本国内から出たことのない人に至ってはもっと拒否感が強いと私は予想します。それこそ先ほど書いたように、どれだけ適切な言葉を投げかけても、「お前に何がわかる!」と言下に否定するかもしれません。

 以上から、カウンセラーというのはその技術や経験以上に、精神疾患者とどれだけ属性が共通しているかの方がずっと重要なのではと思うに至りました。国籍はもちろん性別、年齢、経験、趣味など、共通属性が多ければ多いほど精神治療においては有利になるように思え、精神疾患者もこの点を意識して担当者を選んだ方が効率的なのではという気がします。
 実際例と言っては何ですが、以前に池田小事件当時、被害こそ受けなかったものの子供が現場にいたという母親と会って話す機会がありましたが、事件発生後しばらくはその時のストレスから記憶が忘れるのではなく完全になくなるという経験が何度もあったと話していました。その上で一番支えになったのは他の同じ体験者、つまり池田小に子供が通っていた母親同士で、なんでもない話題をただ話し合うという行為だったと述懐していました。

 実際にこうしたメンタルケアは既に一般化しており、同じ大病を患った者同士の会合などはよく行われており、効果も高いという風に聞きます。では何故それらの会合が高い効果を持つのかというと、同じ悩みを持つというとんでもなく高い共通属性があるからとしか思えず、やはり属性が共通するか否かはメンタルケアにおいて桁違いに重要な要素なのではないかと思えてなりません。
 もしかしたらもう実際に行われているのかもしれませんが、精神疾患者とカウンセラーのマッチング、具体的には趣味とか年齢とかどれだけ共通しているかをあらかじめマッチングさせたうえで担当者を選ぶような作業もあっていいのではないかという気がします。この辺、実体はどうなんだろう。

 以上まで考えたところ、仮に私が精神疾患を起こして相談するとしたら一体どんな人がいいのだろうかと思って自分の過去の経験を思い起こしたところ、ライターやってて、中国に勤務していて、起業したりして、自転車で空飛んだことがあるカウンセラーがいいのかと考えたところで、そんなのなかなかいないから病気ならないでおこうと決めました。

2018年2月13日火曜日

三浦瑠麗氏の北朝鮮工作員発言について

三浦瑠麗氏、ワイドナショーでの発言に批判殺到 三浦氏は「うがった見方」と反論(ハフィントンポスト)
朝鮮半島をめぐるグレートゲーム(山猫日記)

 知ってる人には早いですが、国際政治学者らしい三浦瑠麗氏の発言が議論を起こしています。簡単に発言内容を説明すると、日本にはすでに北朝鮮工作員がたくさん潜り込んでおり、金正恩が暗殺されたとしてもその報復として、あるいは先制攻撃として大阪を襲撃する可能性が高いとバラエティ番組で主張したそうです。結論から述べるとこの三浦氏の主張には私も疑問に感じる点が多く、少なくとも言えることとして、リテラシーもなければ危機管理意識もない人だなというのが偽らざる感想です。
 ほんとはあまりこの手の議論に与したいとは思わないのですが、例によって反論を述べるメディアを含めあまり論点が整理せずに無駄な議論を繰り返しているように見えるので、論点となる疑問点をまとめる目的でこのまま書きます。

疑問点1、何故組織名が「スリーパー・セル」?
 三浦氏によると日本に潜伏している北朝鮮工作員は「スリーパー・セル」という組織名だそうです。三浦氏ブログの「山猫日記」に詳しく書いていますが、特に大阪にいるそうです。
 先に述べると、この「スリーパー・セル」という単語一つ見てこの人おかしいなとすぐ思いました。というのも北朝鮮の軍関連組織であるにもかかわらず、韓国語(朝鮮語)でもなく日本語でもなく何故組織名が英語なのか。結論を書いてしまうと「スリーパー・セル」の情報ソースが英国の新聞だけだからです。逆を言えばほかに情報ソースは何もないということが示されています。
 第一、これ直訳すると「窃盗団」になりますが、北朝鮮ならもっと仰々しい名前つける気するんですけどねぇ。

疑問点2、情報ソースが英国の新聞だけ
 三浦氏によると上記のスリーパー・セルの情報源は英国の新聞だそうで、さらにその新聞では韓国の情報筋がネタ元だと書かれています。では何故このスリーパー・セルの韓国語名はないのかこの時点でおかしいですが、三浦氏は「英国の新聞に書かれてある」としてその存在は確かだと主張しています。
 しかし、英国の新聞が必ず真実しか載せないのかと言ったら疑問です。そんなの言ったらネス湖のネッシーもいるってことになりますし、第一何故日本や韓国、中国といった北朝鮮周辺国が一切報じない事実を遠く離れてあまり利害関係のない英国の新聞が報じるのか。そもそも英メディアは上記のネッシーをはじめ妙な報道も多いところだから、信用面でいえばむしろ怪しいところなのではと私は考えています。
 せめてその新聞がネタ元としている韓国の組織に直接取材していれば、もっと本当らしく言えたのにね。

疑問点3、何故大阪?
 報道などでも指摘されていますが、東京を差し置いて「大阪に特に潜伏している」と三浦氏はやたら主張しています。何故かというと第2の都市の方が意表を突けて狙いやすいからだそうですが、どう考えても東京や原発などの核関連施設を差し置いて大阪が狙われるという主張は無理がある気がします。そもそも、人口基準だったら日本第2位の都市は今や神奈川県です
 また大阪に工作員が多数潜伏しているという根拠について三浦氏は合理的に説明できておらず、挙げられている材料としては先ほどのように日本第2の都市であること、1980年に朝鮮総連関係者が事件を起こしたことしか出せていません。そもそも、40年近く前の事件を引き合いに現在も大阪には工作員が多いと主張する辺り、あんま学者として向いていない気すらします。

 はっきり言えば、大阪が危険だと言ったのは発言をした番組に大阪出身者が多く話題になると考え口を滑らせたか、ただ単に大阪に偏見を持っているかのどっちかでしかないでしょう。それくらいこの発言は突飛であり合理性に書いた主張で、実際にその潜伏工作員と接触しているとか、もっときちんとした直接知り合いの軍関係者からのソースがあるならともかく、そうしたものは見ていて情けなるくらい出せていません。

疑問点4、何故バラエティ番組で発言したのか?
 他の人はあまり指摘していませんが私が特に気にしているのはここです。
 もし具体的にそのような情報を掴んでいるのなら何故公安とかに伝えず、ああしたバラエティ番組でぶちまけたのか。一応三浦氏本人としては国民(特に大阪人)はもっと備える必要があり、また広くこの問題に議論する必要があるからと言っているようですが、私に言わせればそんなもの全く必要ありません

 例えば雪に閉ざされた山荘で他殺体が出てきて、誰かが「犯人はこの中にいる!」と主張するとします。この主張によって山荘にいる人たちは互いへの疑心暗鬼が生まれますが、彼らは外部から救援を呼ぶこともできない状況であり自分で自分の身をある程度守る必要もあることから、上記のミステリー開始発言は一定の必要性を備えると私は考えます。
 翻って今回のケースでは、北朝鮮の工作員が潜伏しているからと言って一般市民がどう対処すればいいのでしょうか。まさか怪しい奴を自分で見つけて捕まえろとでも言うのかと言いたいところですが、その役割はやはり公安が担うものであって市民ではありません。故に警戒を促したところで全く無意味でしかなく、方々でも指摘されている通りに今回の三浦氏の在日朝鮮人らに対する疑念や敵愾心を無駄に煽るだけの結果しか生みません。

 で、こう言っては何ですが、三浦氏本人はそういう意図で発言したわけじゃないと否定こそしているものの、そういう風に受け取っちゃう人たちは世の中には実際たくさんいるわけです。古今東西、根も葉もない敵愾心を煽る発言やデマによって迫害や虐殺が起きたケースは枚挙に暇がなく、現代においても中国事情を紹介するだけで反日認定されるほどなのですから(リアル)、こうした敵愾心を煽るような発言は極力控える慎重さがやはり求められてくると私は思います。
 仮に今回の発言が自分の著書やブログだけなら影響力も限定されることからまだしもと思いますが、今回のケースは影響力の強いテレビメディアでの発言です。その主張内容が事実であればたとえ一部の人たちの敵愾心を煽ることとなっても、報道することにやむを得ないと私は考えますが、先に書いたように呆れるくらいにあやふやな根拠と完全に思い込みだけの当て推量で、「大阪は危険だ(意味深)」と社会の公器を使って伝えてしまうのは、いくらなんでも無責任もいいところでしょう。
 同様に、この発言を編集でカットせずにそのまま放送してしまうテレビ局側にも疑問を覚えます。先ほども言った通りに事実であれば仕方ありませんが、現状の材料を見る限り今回の情報は十中八九思い込みであり、ましてや裏付けも何一つ取っていない情報です。差別や迫害を助長する可能性のある主張でもあるだけに、テレビ局のリテラシーも異常性を感じます。

 最終的に結論をまとめると、三浦氏とフジテレビのリテラシーは異常に低い水準だというのが私の感想です。その上で三浦氏のブログの主張を見ると、「こうした議論もできないなんて日本はよくない」みたいに言ってますが、議論しようってんならもっとまともな根拠や合理的な推測を用意しろよと言ってあげたいです。低水準の人間がいつまでも相手してもらえるほど世の中は甘くはないでしょう。

2018年2月10日土曜日

ジャンルを選ばない強さ

 先日、自分にとって唯一の戦友とも呼べる知人と一緒に夕食を食べてきましたが、やはりお互い元ライター同士ということもあって現在の主戦場(JBpress)と中国関連コラムを書いている他のライター(安田さんとか莫さんとか)、そして互いの得意分野に関する話題を多く話しました。この際に相手が女性ということもあってか、「やはり男ばっかのライター業界なだけに、もっと女性でしか書けないようなテーマを書くべきだ」と話してきたわけですが、この時にふと自分の立場について少し思うところがありました。

 結論から書くと、自分がライターとして優れている点を挙げるとしたら、執筆においてジャンルや分野を選ばないほど幅広いレンジの広さにあると思います。
 JBpressでは一応、編集からの要望もあって中国事情を紹介するコラムを中心に書いていますが、こうした中国関連記事においてマクロレベルの経済記事を書いているのは私くらいでしょう。ちなみにさっきの知人からは、「なんであんな毎回グラフ作る時間あんの?」と言われました。

 何も中国に限定しなくても日本国内でもこうしたマクロレベルの経済記事はいくらでも書く自信があるし、むしろ日本のメディアはマクロデータをほとんど取り扱わないので、各種世論調査指標を活用して他の日本人ライターではまずかけないような記事や分析だって組み立てる自信があります。この辺は元々経済紙、それも中国経済専門紙で書いてきたバックグラウンドがなせる業でしょう。
 こうした経済ネタに限らずとも観光業と絡めた普段の生活ネタでもよく中国紹介記事を書いていますし、また去年夏には歴史記事を書いてきちんとアクセスも稼いだので、この分野でもある程度ものになる記事が書けることを証明しました。なお本音で書くと、もしかしたら自分が一番強い分野はこの歴史系記事かもしれません。

 このほかまだ実際に出したわけではないものの、相撲であればそれなりのスポーツ記事書く自信あるし、あとゲームのレビューコラムなら簡単のなら書けるでしょう。このほかこのブログでやっているような日本社会の調査、経済、政治記事、あと古いのでよければ事件系の記事も掘り起こすようなコラムだったら行けるでしょう。文芸評論に関しては日本の文壇が確実におかしいレベルへ突入し始めているので、彼らなんかよりずっともっとマシなものが必ず書けるでしょう。
 多少おこがましい言い方になりますが、これほど多分野にわたってあらゆる記事を書けるライターは現在あまりいません。仮にジャンルを経済だけに絞ったとしても、最近は大手紙を中心に社員に業界や業種の専門を持たせる傾向が強く、確かに専門性の高い記事を出せるようにはなるものの、何でもかんでもどの業界についてもある程度対応できる記者は少なくなってきています。
 もっともこう言いながらですが、半導体業界についてはさすがに私も記事を書ける自信がありません。あそこは本当に専門性が異常に高く、こちらの湯之上隆氏の記事を見るとプロってすごいなと思うと同時に頭が上がらなくなります。

 話は戻りますがそういう意味で自分のようにいつでもどこでもなんでも書けるライターの需要は密かに高まっている気がします。特にウェブ記事が隆盛するにつれて一記事辺りの深さはどんどん浅くなってきており、読者層も薄味な記事を求む傾向がますます強くなってきていることもこうした流れに拍車をかけています。このように考えると、望んで今の実力を身に着けたものではないものの割と時代の追い風を受けているという気はします。
 人によっては私のようなタイプを器用貧乏と取る人もいるかもしれませんが、かねてからこのブログで書いているように、かつてソニーで花形だったブラウン管テレビの技術者が液晶への技術転換によって末路は悲惨だったという話を聞いていこう、専門性を深めるリスクに対して明確に懸念をしてきました。このリスクはイノベーションがさらに激しくなった近年に至ってはますます度合いを強めているだけに、あながちこの警戒は間違いではなかったでしょう。

 最後に、なんでも書けると言いながら私にも経済記事書く上での苦手分野はもちろんあり、苦手意識はないけどレベルが及ばないのは前述の半導体業界で、明確に苦手意識を持っているのはホテル業界です。一方、最初に言及した知人はエレキ業界が苦手で、この方面の記事は私がよく請け負っていました。
 逆にそこそこ得意だと思うのは不動産、人材業界、決して上等ではないけど日本の記者よりはまともなの書けるなと思ってるのは金融業界です。また最近得意分野になりつつあるのは、分野というかテーマですけどコンプライアンス関連です。