ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2018年2月19日月曜日
忘れていた感情 前編
上の画像は大分前にネットで話題になった漫画のワンシーンですが、廻し蹴りで何故か放射能値が下がるという破天荒な場面が描かれています。この漫画を描いたのは平松伸二氏という漫画家で、私もつい最近にネットで話題になっていたことから、「そして僕は外道マンになる」という平松氏の自伝漫画を購入して読んでみました。もっとも自伝とは言いつつも、本宮ひろ志氏が学ラン着ながらダンビラ振り回すなど、多方面で大幅な脚色がなされてますが。
私は平松伸二氏については世代がやや異なっているということもあってその作品をあまり読んだことはなかったのですが、破天荒な設定と頭身の高いリアルな画風の持ち主として名前は知っていました。そのため今回この漫画で平松氏の経歴について初めて知ることが多かったのですが、一言で言えばとんでもない漫画エリートともいえる人物だったようです。
というのも若干16歳で少年ジャンプに読み切りデビューを果たし、短期間のアシスタント生活を経て19歳で「ドーベルマン刑事」で連載デビュー。しかも新人の初連載作品としては史上初めてアンケート1位を取り、その後も人気上位を維持し続け看板作家として君臨したそうです。
それ以上に目を見張ったのが、当時の少年ジャンプで毎年行われていた主要作家陣による読み切り作品企画での話です。当時、ジャンプでは漫画家10人に読み切り作品を1作ずつ描かせ、それを読者に人気投票させて競わせるという企画があったそうですが、手塚治虫、赤塚不二夫、本宮ひろ志氏、永井豪氏、池沢さとし氏、そして平松氏の師匠に当たる「アストロ球団」の中島徳博氏らというレジェンド級の面々に対し、20歳にして初参加の平松氏は投票で第2位となる人気を得たそうです。
これほどまでに若く、且つデビュー時から高い人気を得たという漫画家ともなると、私の中では「キン肉マン」のゆでたまご氏と、こちらはややデビューがもうすこし遅かったですが「進撃の巨人」の諌山創氏くらいしか浮かばず、「漫画エリート」という意味では平松氏は屈指の存在であったということに間違いはないでしょう。
そんな平松氏の自伝ということからきらびやかな活躍が書かれているかと思ったらさにあらず、この本の中身は実質、八割方怒りと怨念で描かれてあります。
先ほどの読み切り作品企画では、上位2名の漫画家はヨーロッパ旅行に行けるということになっていたそうですが、平松氏は2位であったにもかかわらず実績がまだ足りていないとの判断から行かせてもらえませんでした。もっとも連載中の漫画で多忙であったことから「行かずに済んだ」ということでホッとした半面、どれだけ苦労しながら全く報われない状況に平松氏も思うところがあったそうです。
特に平松氏の場合はデビューが異常に早かったせいもあって雇ったアシスタントは全員年上で、待遇面での諍いから途中で辞めてしまう人も出るなど、マネジメント上での苦労話もよく描かれています。何より当時部数が急上昇中の少年ジャンプ編集部からはむちゃくちゃな要求も度々出され、「人気あるけどいまいち物足りない。来週から、毎週10P追加だ!」と、限界ギリギリの作業をしているのに増ページを命じられることもあれば、高い人気を維持しているのに担当編集者から「原作付きで書いているくせに一人前とは認めねぇ!」と言われたりなど、理不尽に振り回される過程も生々しく描かれています。
そのせいもあって作中で平松氏は度々悔し涙を流すのですが、そこへ至るまでの壮絶な過程が非常に臨場感高く描かれていることもあって、当時に平松氏がどれだけ悔しい思いをしながら漫画を描いていたのかが変に共感でき、平松氏の作品をしっかり読むのはこれが初めてですがやはりすごい漫画家であると深く納得させられました。
それだけにと言っては何ですが、Amazonの方のレビューにも書きましたが、この「外道マン」はとにもかくにも涙が美しい漫画だと思います。特に連載1年を経て自身初めての単行本を初めて手にした際、声を挙げずに嬉し涙をボロボロと流すシーンは非常に心が打たれました。
以上が「外道マン」の内容に対する感想ですが、実はこの漫画を読んだ後に自分は強いショックを覚えました。それは何故かというと、自分がここ数年、ある感情を完全に忘れ切っていたということに気が付かされたからです。その感情とは何か、後半へ続く……。
2018年2月16日金曜日
自分が聞いたことのある入試ミス
・<大阪大>また入試ミス AO入試合格者、サイトで不合格(毎日新聞)
先日の兄弟の入試ミス騒動以降この手の報道が相次いでいますが、こういった入試ミスは今に始まるわけではなく昔からあったことで、最近になって注目されて報道されるようになっただけでしょう。
現実に私も以前に予備校でそういう話を聞いたことがあるのですが、なんでも願書を出していながらやる気がなくなったとかそんなで結局入試を受けずにそのままスルーしてしまった受験生が痛そうです。そして後日、入試を受けてもないのに合格通知が届いたとかで、ラッキーとばかりに結局そのままその学校へ進学したそうです。確かこのケースは早稲田大学とのことでした。
まず間違いなくこのスルーヤーの代わりに誰か一人が不合格となっているはずですが、もちろんニュースになるわけでもなく歴史の闇に埋もれていきました。もっともそんなこと言ったら自分も一応ちゃんと試験は受けたものの、入試判定は常にE判定だったところに合格して進学したので、もしかしたら何らかのミスがあった可能性は否めません。ただ最終的には170単位くらい取って卒業したので、授業についていけるだけの学力は持っていたのだろうとは思いますが。
先日の兄弟の入試ミス騒動以降この手の報道が相次いでいますが、こういった入試ミスは今に始まるわけではなく昔からあったことで、最近になって注目されて報道されるようになっただけでしょう。
現実に私も以前に予備校でそういう話を聞いたことがあるのですが、なんでも願書を出していながらやる気がなくなったとかそんなで結局入試を受けずにそのままスルーしてしまった受験生が痛そうです。そして後日、入試を受けてもないのに合格通知が届いたとかで、ラッキーとばかりに結局そのままその学校へ進学したそうです。確かこのケースは早稲田大学とのことでした。
まず間違いなくこのスルーヤーの代わりに誰か一人が不合格となっているはずですが、もちろんニュースになるわけでもなく歴史の闇に埋もれていきました。もっともそんなこと言ったら自分も一応ちゃんと試験は受けたものの、入試判定は常にE判定だったところに合格して進学したので、もしかしたら何らかのミスがあった可能性は否めません。ただ最終的には170単位くらい取って卒業したので、授業についていけるだけの学力は持っていたのだろうとは思いますが。
中国の若者の世代間の違い
昨日のブログ記事で質問を受けたので、中国の若者の世代間の違いについて今日は書こうと思います。
まず基礎知識として、日本の「ゆとり」という言葉に相当するように「80後」という言葉があります。意味としては1980年代以降生まれを指し、生まれた時から比較的裕福な環境であったため性格的に軟弱だと2000年代以降、ずっと言われ続けました。しかしそれから年代が経って現在は「90後(1990年代以降生まれ)」、「00後(2000年代以降生まれ)」という言葉も出てきたため、前ほど80後は馬鹿にされなくなってきています。
なお中国では中学卒業後にすぐ就労につく人間も多いため、00後はもう社会の至るところで見られます。
今回のターゲットはまさに上記の年代階層ですが、やはり年代が若くなるにつ入れて「甘ったれ」と言われる度合いは高くなる傾向があります。実際に80後の知人が会社で90後の部下を叱ったところ(女同士)、「あいつすぐ泣きだしやがって( ゚д゚)、ペッ」と話し、やはり軟弱だという印象を持ったそうです。
00後とは私も絡みが少ないため実際はどうなのかわからない点は多いですが、少なくともはっきりと感じる独自な視点を述べると、80後と90後の間では明確な差があります。それは何かというと、起業意識です。
私と同年代ということもあるかもしれませんが80後の人間は以前、会う度に「なにかいいビジネスはないか?」と聞いてきました。昔出ていた「日本人の知らない日本語」という漫画でも中国人留学生が将来の展望を聞かれ、「起業して社長になりたい」と答え、どんなビジネスを考えていますかと続けて尋ねたところ、「先生はどんなビジネスがいいですか?」と答え呆れさせるシーンがありましたが、まさにこんな感じのやり取りを私もかつて何度も経験しています。
具体的にどのようなビジネスを考えているわけではなく、「とにかく会社を興したい」というような起業意識が80後にはありました。さすがに昨今はこの世代の年齢層も上がってきて落ち着いてきたのかこうした質問を受ける機会は減っているものの、10年前くらいであれば見ず知らずの他人にすら「何かいいビジネスはないか?」と聞いてくるレベルでした。
翻って90後ですが、こうした起業意識が80後と比べるとほぼ全くありません。80後の時代に就職先として人気だったのは外資系企業、それも特にITと金融でしたが、90後の時代になると公務員志望が増えだし、「あくせく働くよりのんびりまったり働きたい」と志望理由を述べる若者が増えてきました。最も習近平政権となって公務員の収賄が厳しく取り締まられ始めると、「実入りが悪くなった」と述べ、若干希望者数が減ったそうです。賄賂も収入として計算に入れて就活する辺りは中国らしいのですが。
もう一つ、やや古いデータですが確か2012年に見た調査で、中国でも特に起業家輩出率が高い浙江省温州市でまさにこう言った起業意識に関する調査を行ったところ、90後の世代以降から「あまり考えていない」と答える割合が急激に高まり始めました。起業に関しては最も最先端な温州市でこれなのだから、全国で同じ統計を取ったらもっとはっきり出るだろうと、当時同僚たちと話したのを覚えています。
現実に、最近中国の若者と話していても起業について口にする人間はめっきり減りました。むしろいい就職先への志望を語る若者が多く、単純に独立心は低下傾向を歩んでいると肌感覚で感じます。
こうした変化は何故起きたのか。理由は世代間の違いというよりかは歴史と環境の違いで、80後の成長時代は中国も高度経済成長期の時代であり、起業しても簡単に当てることが出来た時代でした。むしろ起業せず積極的に儲けない方が馬鹿だと思われるかのような空気があり、中国の若者はこぞって起業を目指していたのでしょう。
逆に90後の時代は高度経済成長の弊害やねじれに直面していたのが青春期に当たり、またライフスタイルの面でも90後以降と以前では大きく違い、日本人から見て「まともな人間の生活」に入ってきたのもちょうどこのころである気がします。こうした環境から一攫千金よりも安定志向の方が強くなり、それが起業意識に如実に表れたのではと私は考えます。
もう一つ、80後と90後の違いを述べると、英語能力です。90後以降から中国でも受験戦争が段々やばくなり、特に配点の大きな英語科目を集中的に学ぶ子供が増えたことから、できない奴はほんとに英語できませんが、できるというかやばいと思うくらい英語が上手な若者が90後以降から急激に増えてきました。
一方でこの前どっかのメディアで見ましたが、勉強漬けとなるせいか運動能力方面では低下傾向が続いており、日本の子供と体力測定の結果を比較したところ全方面で中国の子供の方が軟弱だったという報告が出ています。私自身も最近見ていて、中国の若者は背が高くなっている一方で線が細くなってきていると思うところがあり、やはり幾分軟弱そうに見える若者が増えています。
以上はあくまで上海市に住む私個人の目線の意見のため、中国全土の傾向を反映しているかと言ったら自分でも疑問なため、参考程度と受け取ってください。
最後にもう一つだけ付け加えると、中国の若者と言っても外資系に務めてくる人間はやっぱり体力も意識も高い人間が多く、何より英語が半端なく上手です。志望段階で違うのかもしれませんが、やはり一般企業と比べるとマナーもよく、優秀な人材だと思います。
その一方、なんか今年に入ってから下から報告されるレポートの文章の質が極端に落ちてきました。翻訳していて「何が言いてぇんだよこの野郎」と愚痴が出るくらい文法めちゃくちゃな文章が多く、ひどいのになると全く文章を切らず、改行せず、だらだらと長い文章を書き綴って読むものを混乱させるようなレポートすらあり、中国人を含めた関係者一同で、「こいつは何が言いたいんだ」と押し黙ったことがあります。
そんなレポートを必死こいて解読して翻訳しても案の定、和訳文も意味不明なものとなってしまうのですが、それでも上司などから「まだ中国語よりかは言いたいことはわかる」と言われました。最近そんな文章を翻訳していて、「俺は暗号解読班か?」と自問自答する日が増えてきています。
まず基礎知識として、日本の「ゆとり」という言葉に相当するように「80後」という言葉があります。意味としては1980年代以降生まれを指し、生まれた時から比較的裕福な環境であったため性格的に軟弱だと2000年代以降、ずっと言われ続けました。しかしそれから年代が経って現在は「90後(1990年代以降生まれ)」、「00後(2000年代以降生まれ)」という言葉も出てきたため、前ほど80後は馬鹿にされなくなってきています。
なお中国では中学卒業後にすぐ就労につく人間も多いため、00後はもう社会の至るところで見られます。
今回のターゲットはまさに上記の年代階層ですが、やはり年代が若くなるにつ入れて「甘ったれ」と言われる度合いは高くなる傾向があります。実際に80後の知人が会社で90後の部下を叱ったところ(女同士)、「あいつすぐ泣きだしやがって( ゚д゚)、ペッ」と話し、やはり軟弱だという印象を持ったそうです。
00後とは私も絡みが少ないため実際はどうなのかわからない点は多いですが、少なくともはっきりと感じる独自な視点を述べると、80後と90後の間では明確な差があります。それは何かというと、起業意識です。
私と同年代ということもあるかもしれませんが80後の人間は以前、会う度に「なにかいいビジネスはないか?」と聞いてきました。昔出ていた「日本人の知らない日本語」という漫画でも中国人留学生が将来の展望を聞かれ、「起業して社長になりたい」と答え、どんなビジネスを考えていますかと続けて尋ねたところ、「先生はどんなビジネスがいいですか?」と答え呆れさせるシーンがありましたが、まさにこんな感じのやり取りを私もかつて何度も経験しています。
具体的にどのようなビジネスを考えているわけではなく、「とにかく会社を興したい」というような起業意識が80後にはありました。さすがに昨今はこの世代の年齢層も上がってきて落ち着いてきたのかこうした質問を受ける機会は減っているものの、10年前くらいであれば見ず知らずの他人にすら「何かいいビジネスはないか?」と聞いてくるレベルでした。
翻って90後ですが、こうした起業意識が80後と比べるとほぼ全くありません。80後の時代に就職先として人気だったのは外資系企業、それも特にITと金融でしたが、90後の時代になると公務員志望が増えだし、「あくせく働くよりのんびりまったり働きたい」と志望理由を述べる若者が増えてきました。最も習近平政権となって公務員の収賄が厳しく取り締まられ始めると、「実入りが悪くなった」と述べ、若干希望者数が減ったそうです。賄賂も収入として計算に入れて就活する辺りは中国らしいのですが。
もう一つ、やや古いデータですが確か2012年に見た調査で、中国でも特に起業家輩出率が高い浙江省温州市でまさにこう言った起業意識に関する調査を行ったところ、90後の世代以降から「あまり考えていない」と答える割合が急激に高まり始めました。起業に関しては最も最先端な温州市でこれなのだから、全国で同じ統計を取ったらもっとはっきり出るだろうと、当時同僚たちと話したのを覚えています。
現実に、最近中国の若者と話していても起業について口にする人間はめっきり減りました。むしろいい就職先への志望を語る若者が多く、単純に独立心は低下傾向を歩んでいると肌感覚で感じます。
こうした変化は何故起きたのか。理由は世代間の違いというよりかは歴史と環境の違いで、80後の成長時代は中国も高度経済成長期の時代であり、起業しても簡単に当てることが出来た時代でした。むしろ起業せず積極的に儲けない方が馬鹿だと思われるかのような空気があり、中国の若者はこぞって起業を目指していたのでしょう。
逆に90後の時代は高度経済成長の弊害やねじれに直面していたのが青春期に当たり、またライフスタイルの面でも90後以降と以前では大きく違い、日本人から見て「まともな人間の生活」に入ってきたのもちょうどこのころである気がします。こうした環境から一攫千金よりも安定志向の方が強くなり、それが起業意識に如実に表れたのではと私は考えます。
もう一つ、80後と90後の違いを述べると、英語能力です。90後以降から中国でも受験戦争が段々やばくなり、特に配点の大きな英語科目を集中的に学ぶ子供が増えたことから、できない奴はほんとに英語できませんが、できるというかやばいと思うくらい英語が上手な若者が90後以降から急激に増えてきました。
一方でこの前どっかのメディアで見ましたが、勉強漬けとなるせいか運動能力方面では低下傾向が続いており、日本の子供と体力測定の結果を比較したところ全方面で中国の子供の方が軟弱だったという報告が出ています。私自身も最近見ていて、中国の若者は背が高くなっている一方で線が細くなってきていると思うところがあり、やはり幾分軟弱そうに見える若者が増えています。
以上はあくまで上海市に住む私個人の目線の意見のため、中国全土の傾向を反映しているかと言ったら自分でも疑問なため、参考程度と受け取ってください。
最後にもう一つだけ付け加えると、中国の若者と言っても外資系に務めてくる人間はやっぱり体力も意識も高い人間が多く、何より英語が半端なく上手です。志望段階で違うのかもしれませんが、やはり一般企業と比べるとマナーもよく、優秀な人材だと思います。
その一方、なんか今年に入ってから下から報告されるレポートの文章の質が極端に落ちてきました。翻訳していて「何が言いてぇんだよこの野郎」と愚痴が出るくらい文法めちゃくちゃな文章が多く、ひどいのになると全く文章を切らず、改行せず、だらだらと長い文章を書き綴って読むものを混乱させるようなレポートすらあり、中国人を含めた関係者一同で、「こいつは何が言いたいんだ」と押し黙ったことがあります。
そんなレポートを必死こいて解読して翻訳しても案の定、和訳文も意味不明なものとなってしまうのですが、それでも上司などから「まだ中国語よりかは言いたいことはわかる」と言われました。最近そんな文章を翻訳していて、「俺は暗号解読班か?」と自問自答する日が増えてきています。
2018年2月15日木曜日
打たれ弱い現代の若者
今日はお休みとあって6時間ぶっ通しでプラモ作ってたため、未だに指先の震えが止まりません。っていうかこれ(ハセガワのセリカ・GT-Four)、古い商品だったのかデカールが全く剥がれず、台紙ごと剥がれたりしていつもより時間喰いました。
話は本題に入りますが、現代の日本の若者の特徴を挙げるとしたら私はその打たれ弱さこそが最も特徴的だと挙げます。私自身も上の世代と比べたら決して打たれ強い方ではないと自覚していますが、それでも同年代の他の人間と比べるとマシな部類に入ってしまいます。そして私より下の世代を見てみると、私の世代に輪をかけて打たれ弱くなっており、「こんな紙装甲で大丈夫なのだろうか……」とみていていちいち心配になってくるほどです。
先日、就職氷河期世代の戦友とこの件について話したところ、「4歳下の弟を見ていてもそう思うし、花園さんくらいの世代を見ていても確かにそう思う」とすぐ同意してくれました。なおその戦友からは、「打たれ弱いと自分で言ってるけど、毎日怒鳴られたり物投げつけられながら仕事してた辺りはもう少し誇っていいよ」といくらかマシな方だという評価を得ました。
話は戻りますが単純に「打たれ弱い」というだけなら、年少者は年長者と比べてどの世代においても打たれ弱いのが常で、これ自体はなにもおかしいことではありません。では何がおかしいのかというと、少なくとも現在40歳超の就職氷河期世代以降、打たれ弱さの程度が年を経るにつれて大きくなっている、つまり右肩下がりに打たれ弱さがひどくなっているということです。仮にこの傾向が続くのであれば今後も日本人はどんどん打たれ弱くなっていくということが予想され、何が原因で、いつ歯止めをかけられるのかについてそろそろ考えないとまずいのではないかと思えてきました。
打たれ弱くなった原因についてはいくらでも考えられますが、最大の要因としては「失敗が許されない社会」こと減点方式の価値観が日本で渦巻いていることではないかとみています。このほか、刑罰が重くなるなど社会的責任も年々高まってきていることも同様です。
私が下の世代を見ていて特に打たれ弱くなったなぁと思うポイントとして、端的に言えば「殴られても殴り返そうとしない」という個所です。もちろん殴る、殴らないは比喩的表現で実際には叱責や罵声、嫌味ですが、これらを上から投げつけられた際に、「うるせぇ!」の一言もなければ皮肉も返さず、反抗的な目つきを見せることに至ってはほぼあり得ず、ただただ怯えた目つきで「すいませんでした」というだけの若者が多過ぎる気がします。
これは私個人の考え方ですが、やはり殴り返さんとばかりに反抗的な目つきをする奴は叱り辛く、言い方とかをもっと考えたりしなければならなくなるのですが、やはりこの手のタイプの方が基本的にタフで、苦しい状況でも粘り強く対応できる人間が多い気がします。逆に一番ダメなのは反抗的な態度も取らず、かといって反省する態度も取らず、聞き流すように無関心な反応を示す人間です。
ただ反省する態度を示してきちんと次に生かしてくれる人間なんかはそれはそれでいいのですが、こういうタイプはやはりプレッシャーに弱く、ある日突然バタンキューすることもあるだけでなく、ここぞというところで逃げてしまう人間も中には含まれています。何も全員が全員、反抗的な態度を示すタイプであればいいというわけではありませんが(それはそれで本気で困る)、やはりもうちょっと、現代の若者においては打たれ強さで信頼のおける、こうした反抗的タイプの割合が多い方が望ましいのではないでしょうか。
もっともこんなブログで吠えたところで世の中動く訳じゃありませんが、企業の新人採用の人向けにアドバイスをすると、コミュニケーション能力より打たれ強さに着目してこれからは新人を取った方がいいと思います。今後、この方面の能力が非常に重要になってくる気がしてなりません。
2018年2月14日水曜日
カウンセラーに求められる属性
何度かこのブログで過去に紹介していますが、以前世話したことのある中国人元労働者が二年半の在日生活を経て先日、ようやくある関西私学に合格しました。今年四月から入学となりますが、明後日からの春節を前に久々に里帰りしようと中国に今週帰国し、途中上海に寄るとのことだったので会ってきました。なおその日はうちに泊まったのですが、いつもの私らしく真冬に暖房なしの部屋の中、ベッドを元労働者に譲り、私は椅子の上で布団にくるまって寝ました。
それはともかくとしてその元労働者の進学先は心理学部で、「将来はカウンセラーの資格などを取得して日本でクリニックを開きたい( ・∀・)ノ」と目を輝かせて将来の抱負を語ってきました。それに対し私は、「絶対にその夢は叶わない。あきらめろ( ゚ω゚ )」と、はっきり言いました。
その理由について私は、「恐らく、日本人の精神疾患者であればいくら日本語ができて、専門教育を受けているとしても中国人の君に相談したくはないと避けるだろう。また仮にカウンセリングを実際行ったとしても、中国人のお前に何がわかるなどと言って耳を貸さない可能性が高い」と説明しました。
それであればとばかりに続けて私は、「むしろ中国に工場を持つ日系企業などに就職して、現地の中国人従業員の相談やメンタルケアを請け負う仕事の方が得やすいと思う。現実にこの方面の需要は現時点でも高い上に君の大学卒業時にはもっと高まっているかもしれん。日系企業にとっても、日本語で報告のできる中国人カウンセラーとあれば重宝するはずだ」とアドバイスしました。いうなればこれは産業カウンセラーに当たる職業ですが、中国人というバックグラウンドに日本語プラスで行くならば、やはりこの道がベターではないかと考えたわけです。
以上の価値観はそれ以前に考えていたわけではなく知人の将来展望を聞いた直後、直感的に浮かんできた内容ではあったものの、改めてこうしてまとめていても非常に的確な意見だった気がします。元労働者もそう思ったのか真摯に耳を傾けて聞いていました。
この話をした後、また例の上海人と合流して四川料理を食べつつ、「改めて考えるとカウンセラーが外国人だったらその時点でアウトになるのかも」と、ウシガエルの串揚げを食べながらずっと考えていました。私自身に偏見があるのかもしれませんが、鬱病になって相談したところ日本人に「大丈夫、問題ない」と言われるのと、中国人に「大丈夫、問題ない」と言われるのではなんとなく受取り方が変わってくる気がしてなりません。特に中国で下手に勤務経験を持ってしまうと、中国人の言う「問題ない!」ほど安心できない言葉はないだけに、下手したら寒気を覚えるかもしれません。
同様に、タレントのボビー・オロゴン氏みたいなめっちゃ明るいアフリカ圏出身者に、「大丈夫だろおいお前」とか言われても、なんとなくこれじゃない感を覚えてしまう気がします。割と外国人と接する機会の多い私ですらこんな具合なのですから、日本国内から出たことのない人に至ってはもっと拒否感が強いと私は予想します。それこそ先ほど書いたように、どれだけ適切な言葉を投げかけても、「お前に何がわかる!」と言下に否定するかもしれません。
以上から、カウンセラーというのはその技術や経験以上に、精神疾患者とどれだけ属性が共通しているかの方がずっと重要なのではと思うに至りました。国籍はもちろん性別、年齢、経験、趣味など、共通属性が多ければ多いほど精神治療においては有利になるように思え、精神疾患者もこの点を意識して担当者を選んだ方が効率的なのではという気がします。
実際例と言っては何ですが、以前に池田小事件当時、被害こそ受けなかったものの子供が現場にいたという母親と会って話す機会がありましたが、事件発生後しばらくはその時のストレスから記憶が忘れるのではなく完全になくなるという経験が何度もあったと話していました。その上で一番支えになったのは他の同じ体験者、つまり池田小に子供が通っていた母親同士で、なんでもない話題をただ話し合うという行為だったと述懐していました。
実際にこうしたメンタルケアは既に一般化しており、同じ大病を患った者同士の会合などはよく行われており、効果も高いという風に聞きます。では何故それらの会合が高い効果を持つのかというと、同じ悩みを持つというとんでもなく高い共通属性があるからとしか思えず、やはり属性が共通するか否かはメンタルケアにおいて桁違いに重要な要素なのではないかと思えてなりません。
もしかしたらもう実際に行われているのかもしれませんが、精神疾患者とカウンセラーのマッチング、具体的には趣味とか年齢とかどれだけ共通しているかをあらかじめマッチングさせたうえで担当者を選ぶような作業もあっていいのではないかという気がします。この辺、実体はどうなんだろう。
以上まで考えたところ、仮に私が精神疾患を起こして相談するとしたら一体どんな人がいいのだろうかと思って自分の過去の経験を思い起こしたところ、ライターやってて、中国に勤務していて、起業したりして、自転車で空飛んだことがあるカウンセラーがいいのかと考えたところで、そんなのなかなかいないから病気ならないでおこうと決めました。
2018年2月13日火曜日
三浦瑠麗氏の北朝鮮工作員発言について
・三浦瑠麗氏、ワイドナショーでの発言に批判殺到 三浦氏は「うがった見方」と反論(ハフィントンポスト)
・朝鮮半島をめぐるグレートゲーム(山猫日記)
知ってる人には早いですが、国際政治学者らしい三浦瑠麗氏の発言が議論を起こしています。簡単に発言内容を説明すると、日本にはすでに北朝鮮工作員がたくさん潜り込んでおり、金正恩が暗殺されたとしてもその報復として、あるいは先制攻撃として大阪を襲撃する可能性が高いとバラエティ番組で主張したそうです。結論から述べるとこの三浦氏の主張には私も疑問に感じる点が多く、少なくとも言えることとして、リテラシーもなければ危機管理意識もない人だなというのが偽らざる感想です。
ほんとはあまりこの手の議論に与したいとは思わないのですが、例によって反論を述べるメディアを含めあまり論点が整理せずに無駄な議論を繰り返しているように見えるので、論点となる疑問点をまとめる目的でこのまま書きます。
疑問点1、何故組織名が「スリーパー・セル」?
三浦氏によると日本に潜伏している北朝鮮工作員は「スリーパー・セル」という組織名だそうです。三浦氏ブログの「山猫日記」に詳しく書いていますが、特に大阪にいるそうです。
先に述べると、この「スリーパー・セル」という単語一つ見てこの人おかしいなとすぐ思いました。というのも北朝鮮の軍関連組織であるにもかかわらず、韓国語(朝鮮語)でもなく日本語でもなく何故組織名が英語なのか。結論を書いてしまうと「スリーパー・セル」の情報ソースが英国の新聞だけだからです。逆を言えばほかに情報ソースは何もないということが示されています。
第一、これ直訳すると「窃盗団」になりますが、北朝鮮ならもっと仰々しい名前つける気するんですけどねぇ。
疑問点2、情報ソースが英国の新聞だけ
三浦氏によると上記のスリーパー・セルの情報源は英国の新聞だそうで、さらにその新聞では韓国の情報筋がネタ元だと書かれています。では何故このスリーパー・セルの韓国語名はないのかこの時点でおかしいですが、三浦氏は「英国の新聞に書かれてある」としてその存在は確かだと主張しています。
しかし、英国の新聞が必ず真実しか載せないのかと言ったら疑問です。そんなの言ったらネス湖のネッシーもいるってことになりますし、第一何故日本や韓国、中国といった北朝鮮周辺国が一切報じない事実を遠く離れてあまり利害関係のない英国の新聞が報じるのか。そもそも英メディアは上記のネッシーをはじめ妙な報道も多いところだから、信用面でいえばむしろ怪しいところなのではと私は考えています。
せめてその新聞がネタ元としている韓国の組織に直接取材していれば、もっと本当らしく言えたのにね。
疑問点3、何故大阪?
報道などでも指摘されていますが、東京を差し置いて「大阪に特に潜伏している」と三浦氏はやたら主張しています。何故かというと第2の都市の方が意表を突けて狙いやすいからだそうですが、どう考えても東京や原発などの核関連施設を差し置いて大阪が狙われるという主張は無理がある気がします。そもそも、人口基準だったら日本第2位の都市は今や神奈川県です。
また大阪に工作員が多数潜伏しているという根拠について三浦氏は合理的に説明できておらず、挙げられている材料としては先ほどのように日本第2の都市であること、1980年に朝鮮総連関係者が事件を起こしたことしか出せていません。そもそも、40年近く前の事件を引き合いに現在も大阪には工作員が多いと主張する辺り、あんま学者として向いていない気すらします。
はっきり言えば、大阪が危険だと言ったのは発言をした番組に大阪出身者が多く話題になると考え口を滑らせたか、ただ単に大阪に偏見を持っているかのどっちかでしかないでしょう。それくらいこの発言は突飛であり合理性に書いた主張で、実際にその潜伏工作員と接触しているとか、もっときちんとした直接知り合いの軍関係者からのソースがあるならともかく、そうしたものは見ていて情けなるくらい出せていません。
疑問点4、何故バラエティ番組で発言したのか?
他の人はあまり指摘していませんが私が特に気にしているのはここです。
もし具体的にそのような情報を掴んでいるのなら何故公安とかに伝えず、ああしたバラエティ番組でぶちまけたのか。一応三浦氏本人としては国民(特に大阪人)はもっと備える必要があり、また広くこの問題に議論する必要があるからと言っているようですが、私に言わせればそんなもの全く必要ありません。
例えば雪に閉ざされた山荘で他殺体が出てきて、誰かが「犯人はこの中にいる!」と主張するとします。この主張によって山荘にいる人たちは互いへの疑心暗鬼が生まれますが、彼らは外部から救援を呼ぶこともできない状況であり自分で自分の身をある程度守る必要もあることから、上記のミステリー開始発言は一定の必要性を備えると私は考えます。
翻って今回のケースでは、北朝鮮の工作員が潜伏しているからと言って一般市民がどう対処すればいいのでしょうか。まさか怪しい奴を自分で見つけて捕まえろとでも言うのかと言いたいところですが、その役割はやはり公安が担うものであって市民ではありません。故に警戒を促したところで全く無意味でしかなく、方々でも指摘されている通りに今回の三浦氏の在日朝鮮人らに対する疑念や敵愾心を無駄に煽るだけの結果しか生みません。
で、こう言っては何ですが、三浦氏本人はそういう意図で発言したわけじゃないと否定こそしているものの、そういう風に受け取っちゃう人たちは世の中には実際たくさんいるわけです。古今東西、根も葉もない敵愾心を煽る発言やデマによって迫害や虐殺が起きたケースは枚挙に暇がなく、現代においても中国事情を紹介するだけで反日認定されるほどなのですから(リアル)、こうした敵愾心を煽るような発言は極力控える慎重さがやはり求められてくると私は思います。
仮に今回の発言が自分の著書やブログだけなら影響力も限定されることからまだしもと思いますが、今回のケースは影響力の強いテレビメディアでの発言です。その主張内容が事実であればたとえ一部の人たちの敵愾心を煽ることとなっても、報道することにやむを得ないと私は考えますが、先に書いたように呆れるくらいにあやふやな根拠と完全に思い込みだけの当て推量で、「大阪は危険だ(意味深)」と社会の公器を使って伝えてしまうのは、いくらなんでも無責任もいいところでしょう。
同様に、この発言を編集でカットせずにそのまま放送してしまうテレビ局側にも疑問を覚えます。先ほども言った通りに事実であれば仕方ありませんが、現状の材料を見る限り今回の情報は十中八九思い込みであり、ましてや裏付けも何一つ取っていない情報です。差別や迫害を助長する可能性のある主張でもあるだけに、テレビ局のリテラシーも異常性を感じます。
最終的に結論をまとめると、三浦氏とフジテレビのリテラシーは異常に低い水準だというのが私の感想です。その上で三浦氏のブログの主張を見ると、「こうした議論もできないなんて日本はよくない」みたいに言ってますが、議論しようってんならもっとまともな根拠や合理的な推測を用意しろよと言ってあげたいです。低水準の人間がいつまでも相手してもらえるほど世の中は甘くはないでしょう。
・朝鮮半島をめぐるグレートゲーム(山猫日記)
知ってる人には早いですが、国際政治学者らしい三浦瑠麗氏の発言が議論を起こしています。簡単に発言内容を説明すると、日本にはすでに北朝鮮工作員がたくさん潜り込んでおり、金正恩が暗殺されたとしてもその報復として、あるいは先制攻撃として大阪を襲撃する可能性が高いとバラエティ番組で主張したそうです。結論から述べるとこの三浦氏の主張には私も疑問に感じる点が多く、少なくとも言えることとして、リテラシーもなければ危機管理意識もない人だなというのが偽らざる感想です。
ほんとはあまりこの手の議論に与したいとは思わないのですが、例によって反論を述べるメディアを含めあまり論点が整理せずに無駄な議論を繰り返しているように見えるので、論点となる疑問点をまとめる目的でこのまま書きます。
疑問点1、何故組織名が「スリーパー・セル」?
三浦氏によると日本に潜伏している北朝鮮工作員は「スリーパー・セル」という組織名だそうです。三浦氏ブログの「山猫日記」に詳しく書いていますが、特に大阪にいるそうです。
先に述べると、この「スリーパー・セル」という単語一つ見てこの人おかしいなとすぐ思いました。というのも北朝鮮の軍関連組織であるにもかかわらず、韓国語(朝鮮語)でもなく日本語でもなく何故組織名が英語なのか。結論を書いてしまうと「スリーパー・セル」の情報ソースが英国の新聞だけだからです。逆を言えばほかに情報ソースは何もないということが示されています。
第一、これ直訳すると「窃盗団」になりますが、北朝鮮ならもっと仰々しい名前つける気するんですけどねぇ。
疑問点2、情報ソースが英国の新聞だけ
三浦氏によると上記のスリーパー・セルの情報源は英国の新聞だそうで、さらにその新聞では韓国の情報筋がネタ元だと書かれています。では何故このスリーパー・セルの韓国語名はないのかこの時点でおかしいですが、三浦氏は「英国の新聞に書かれてある」としてその存在は確かだと主張しています。
しかし、英国の新聞が必ず真実しか載せないのかと言ったら疑問です。そんなの言ったらネス湖のネッシーもいるってことになりますし、第一何故日本や韓国、中国といった北朝鮮周辺国が一切報じない事実を遠く離れてあまり利害関係のない英国の新聞が報じるのか。そもそも英メディアは上記のネッシーをはじめ妙な報道も多いところだから、信用面でいえばむしろ怪しいところなのではと私は考えています。
せめてその新聞がネタ元としている韓国の組織に直接取材していれば、もっと本当らしく言えたのにね。
疑問点3、何故大阪?
報道などでも指摘されていますが、東京を差し置いて「大阪に特に潜伏している」と三浦氏はやたら主張しています。何故かというと第2の都市の方が意表を突けて狙いやすいからだそうですが、どう考えても東京や原発などの核関連施設を差し置いて大阪が狙われるという主張は無理がある気がします。そもそも、人口基準だったら日本第2位の都市は今や神奈川県です。
また大阪に工作員が多数潜伏しているという根拠について三浦氏は合理的に説明できておらず、挙げられている材料としては先ほどのように日本第2の都市であること、1980年に朝鮮総連関係者が事件を起こしたことしか出せていません。そもそも、40年近く前の事件を引き合いに現在も大阪には工作員が多いと主張する辺り、あんま学者として向いていない気すらします。
はっきり言えば、大阪が危険だと言ったのは発言をした番組に大阪出身者が多く話題になると考え口を滑らせたか、ただ単に大阪に偏見を持っているかのどっちかでしかないでしょう。それくらいこの発言は突飛であり合理性に書いた主張で、実際にその潜伏工作員と接触しているとか、もっときちんとした直接知り合いの軍関係者からのソースがあるならともかく、そうしたものは見ていて情けなるくらい出せていません。
疑問点4、何故バラエティ番組で発言したのか?
他の人はあまり指摘していませんが私が特に気にしているのはここです。
もし具体的にそのような情報を掴んでいるのなら何故公安とかに伝えず、ああしたバラエティ番組でぶちまけたのか。一応三浦氏本人としては国民(特に大阪人)はもっと備える必要があり、また広くこの問題に議論する必要があるからと言っているようですが、私に言わせればそんなもの全く必要ありません。
例えば雪に閉ざされた山荘で他殺体が出てきて、誰かが「犯人はこの中にいる!」と主張するとします。この主張によって山荘にいる人たちは互いへの疑心暗鬼が生まれますが、彼らは外部から救援を呼ぶこともできない状況であり自分で自分の身をある程度守る必要もあることから、上記のミステリー開始発言は一定の必要性を備えると私は考えます。
翻って今回のケースでは、北朝鮮の工作員が潜伏しているからと言って一般市民がどう対処すればいいのでしょうか。まさか怪しい奴を自分で見つけて捕まえろとでも言うのかと言いたいところですが、その役割はやはり公安が担うものであって市民ではありません。故に警戒を促したところで全く無意味でしかなく、方々でも指摘されている通りに今回の三浦氏の在日朝鮮人らに対する疑念や敵愾心を無駄に煽るだけの結果しか生みません。
で、こう言っては何ですが、三浦氏本人はそういう意図で発言したわけじゃないと否定こそしているものの、そういう風に受け取っちゃう人たちは世の中には実際たくさんいるわけです。古今東西、根も葉もない敵愾心を煽る発言やデマによって迫害や虐殺が起きたケースは枚挙に暇がなく、現代においても中国事情を紹介するだけで反日認定されるほどなのですから(リアル)、こうした敵愾心を煽るような発言は極力控える慎重さがやはり求められてくると私は思います。
仮に今回の発言が自分の著書やブログだけなら影響力も限定されることからまだしもと思いますが、今回のケースは影響力の強いテレビメディアでの発言です。その主張内容が事実であればたとえ一部の人たちの敵愾心を煽ることとなっても、報道することにやむを得ないと私は考えますが、先に書いたように呆れるくらいにあやふやな根拠と完全に思い込みだけの当て推量で、「大阪は危険だ(意味深)」と社会の公器を使って伝えてしまうのは、いくらなんでも無責任もいいところでしょう。
同様に、この発言を編集でカットせずにそのまま放送してしまうテレビ局側にも疑問を覚えます。先ほども言った通りに事実であれば仕方ありませんが、現状の材料を見る限り今回の情報は十中八九思い込みであり、ましてや裏付けも何一つ取っていない情報です。差別や迫害を助長する可能性のある主張でもあるだけに、テレビ局のリテラシーも異常性を感じます。
最終的に結論をまとめると、三浦氏とフジテレビのリテラシーは異常に低い水準だというのが私の感想です。その上で三浦氏のブログの主張を見ると、「こうした議論もできないなんて日本はよくない」みたいに言ってますが、議論しようってんならもっとまともな根拠や合理的な推測を用意しろよと言ってあげたいです。低水準の人間がいつまでも相手してもらえるほど世の中は甘くはないでしょう。
2018年2月10日土曜日
ジャンルを選ばない強さ
先日、自分にとって唯一の戦友とも呼べる知人と一緒に夕食を食べてきましたが、やはりお互い元ライター同士ということもあって現在の主戦場(JBpress)と中国関連コラムを書いている他のライター(安田さんとか莫さんとか)、そして互いの得意分野に関する話題を多く話しました。この際に相手が女性ということもあってか、「やはり男ばっかのライター業界なだけに、もっと女性でしか書けないようなテーマを書くべきだ」と話してきたわけですが、この時にふと自分の立場について少し思うところがありました。
結論から書くと、自分がライターとして優れている点を挙げるとしたら、執筆においてジャンルや分野を選ばないほど幅広いレンジの広さにあると思います。
JBpressでは一応、編集からの要望もあって中国事情を紹介するコラムを中心に書いていますが、こうした中国関連記事においてマクロレベルの経済記事を書いているのは私くらいでしょう。ちなみにさっきの知人からは、「なんであんな毎回グラフ作る時間あんの?」と言われました。
何も中国に限定しなくても日本国内でもこうしたマクロレベルの経済記事はいくらでも書く自信があるし、むしろ日本のメディアはマクロデータをほとんど取り扱わないので、各種世論調査指標を活用して他の日本人ライターではまずかけないような記事や分析だって組み立てる自信があります。この辺は元々経済紙、それも中国経済専門紙で書いてきたバックグラウンドがなせる業でしょう。
こうした経済ネタに限らずとも観光業と絡めた普段の生活ネタでもよく中国紹介記事を書いていますし、また去年夏には歴史記事を書いてきちんとアクセスも稼いだので、この分野でもある程度ものになる記事が書けることを証明しました。なお本音で書くと、もしかしたら自分が一番強い分野はこの歴史系記事かもしれません。
このほかまだ実際に出したわけではないものの、相撲であればそれなりのスポーツ記事書く自信あるし、あとゲームのレビューコラムなら簡単のなら書けるでしょう。このほかこのブログでやっているような日本社会の調査、経済、政治記事、あと古いのでよければ事件系の記事も掘り起こすようなコラムだったら行けるでしょう。文芸評論に関しては日本の文壇が確実におかしいレベルへ突入し始めているので、彼らなんかよりずっともっとマシなものが必ず書けるでしょう。
多少おこがましい言い方になりますが、これほど多分野にわたってあらゆる記事を書けるライターは現在あまりいません。仮にジャンルを経済だけに絞ったとしても、最近は大手紙を中心に社員に業界や業種の専門を持たせる傾向が強く、確かに専門性の高い記事を出せるようにはなるものの、何でもかんでもどの業界についてもある程度対応できる記者は少なくなってきています。
もっともこう言いながらですが、半導体業界についてはさすがに私も記事を書ける自信がありません。あそこは本当に専門性が異常に高く、こちらの湯之上隆氏の記事を見るとプロってすごいなと思うと同時に頭が上がらなくなります。
話は戻りますがそういう意味で自分のようにいつでもどこでもなんでも書けるライターの需要は密かに高まっている気がします。特にウェブ記事が隆盛するにつれて一記事辺りの深さはどんどん浅くなってきており、読者層も薄味な記事を求む傾向がますます強くなってきていることもこうした流れに拍車をかけています。このように考えると、望んで今の実力を身に着けたものではないものの割と時代の追い風を受けているという気はします。
人によっては私のようなタイプを器用貧乏と取る人もいるかもしれませんが、かねてからこのブログで書いているように、かつてソニーで花形だったブラウン管テレビの技術者が液晶への技術転換によって末路は悲惨だったという話を聞いていこう、専門性を深めるリスクに対して明確に懸念をしてきました。このリスクはイノベーションがさらに激しくなった近年に至ってはますます度合いを強めているだけに、あながちこの警戒は間違いではなかったでしょう。
最後に、なんでも書けると言いながら私にも経済記事書く上での苦手分野はもちろんあり、苦手意識はないけどレベルが及ばないのは前述の半導体業界で、明確に苦手意識を持っているのはホテル業界です。一方、最初に言及した知人はエレキ業界が苦手で、この方面の記事は私がよく請け負っていました。
逆にそこそこ得意だと思うのは不動産、人材業界、決して上等ではないけど日本の記者よりはまともなの書けるなと思ってるのは金融業界です。また最近得意分野になりつつあるのは、分野というかテーマですけどコンプライアンス関連です。
結論から書くと、自分がライターとして優れている点を挙げるとしたら、執筆においてジャンルや分野を選ばないほど幅広いレンジの広さにあると思います。
JBpressでは一応、編集からの要望もあって中国事情を紹介するコラムを中心に書いていますが、こうした中国関連記事においてマクロレベルの経済記事を書いているのは私くらいでしょう。ちなみにさっきの知人からは、「なんであんな毎回グラフ作る時間あんの?」と言われました。
何も中国に限定しなくても日本国内でもこうしたマクロレベルの経済記事はいくらでも書く自信があるし、むしろ日本のメディアはマクロデータをほとんど取り扱わないので、各種世論調査指標を活用して他の日本人ライターではまずかけないような記事や分析だって組み立てる自信があります。この辺は元々経済紙、それも中国経済専門紙で書いてきたバックグラウンドがなせる業でしょう。
こうした経済ネタに限らずとも観光業と絡めた普段の生活ネタでもよく中国紹介記事を書いていますし、また去年夏には歴史記事を書いてきちんとアクセスも稼いだので、この分野でもある程度ものになる記事が書けることを証明しました。なお本音で書くと、もしかしたら自分が一番強い分野はこの歴史系記事かもしれません。
このほかまだ実際に出したわけではないものの、相撲であればそれなりのスポーツ記事書く自信あるし、あとゲームのレビューコラムなら簡単のなら書けるでしょう。このほかこのブログでやっているような日本社会の調査、経済、政治記事、あと古いのでよければ事件系の記事も掘り起こすようなコラムだったら行けるでしょう。文芸評論に関しては日本の文壇が確実におかしいレベルへ突入し始めているので、彼らなんかよりずっともっとマシなものが必ず書けるでしょう。
多少おこがましい言い方になりますが、これほど多分野にわたってあらゆる記事を書けるライターは現在あまりいません。仮にジャンルを経済だけに絞ったとしても、最近は大手紙を中心に社員に業界や業種の専門を持たせる傾向が強く、確かに専門性の高い記事を出せるようにはなるものの、何でもかんでもどの業界についてもある程度対応できる記者は少なくなってきています。
もっともこう言いながらですが、半導体業界についてはさすがに私も記事を書ける自信がありません。あそこは本当に専門性が異常に高く、こちらの湯之上隆氏の記事を見るとプロってすごいなと思うと同時に頭が上がらなくなります。
話は戻りますがそういう意味で自分のようにいつでもどこでもなんでも書けるライターの需要は密かに高まっている気がします。特にウェブ記事が隆盛するにつれて一記事辺りの深さはどんどん浅くなってきており、読者層も薄味な記事を求む傾向がますます強くなってきていることもこうした流れに拍車をかけています。このように考えると、望んで今の実力を身に着けたものではないものの割と時代の追い風を受けているという気はします。
人によっては私のようなタイプを器用貧乏と取る人もいるかもしれませんが、かねてからこのブログで書いているように、かつてソニーで花形だったブラウン管テレビの技術者が液晶への技術転換によって末路は悲惨だったという話を聞いていこう、専門性を深めるリスクに対して明確に懸念をしてきました。このリスクはイノベーションがさらに激しくなった近年に至ってはますます度合いを強めているだけに、あながちこの警戒は間違いではなかったでしょう。
最後に、なんでも書けると言いながら私にも経済記事書く上での苦手分野はもちろんあり、苦手意識はないけどレベルが及ばないのは前述の半導体業界で、明確に苦手意識を持っているのはホテル業界です。一方、最初に言及した知人はエレキ業界が苦手で、この方面の記事は私がよく請け負っていました。
逆にそこそこ得意だと思うのは不動産、人材業界、決して上等ではないけど日本の記者よりはまともなの書けるなと思ってるのは金融業界です。また最近得意分野になりつつあるのは、分野というかテーマですけどコンプライアンス関連です。
2018年2月9日金曜日
現代も色濃い松田優作の影響とオマージュ
先日、ふとしたきっかけから「GANTZ」に出てくる岡八郎というキャラクターがのモデルが松田優作であるということを知りました(言動は岡八郎氏そのものですが)。言われてみると確かにそうと取れる面影があるのですが、なにもこのキャラクターに限らず松田優作をモデルにした漫画キャラクターは非常に多くいます。
代表的なものを挙げると、「北斗の拳」のケンシロウ、というよりこの漫画の作者の原哲夫氏が書く主人公キャラはみんな松田優作にしか見えません。また平松伸二氏が書く漫画の主人公も「ドーベルマン刑事」をはじめやはり松田優作をモデルにしているように見られ、あと「シティハンター」の主人公、冴羽遼もそうなんじゃないかという気がします。
一体何故これほど多くの漫画家が松田優作をモデルにキャラクターを書いたのか、やや世代が異なり現実の松田優作の演技をあまり未定な自分からしたらやや想像しづらいのですが、伝え聞く限りではその存在感や迫力は同時代の俳優をもってしても群を抜いており、実際に共演した経験のある俳優も誰もが口を揃えて「別格だった」と話していることから、スターとはまた違った存在感を持つ人物であったのではと推察しています。
一方、こう言っては何ですが近年の俳優らで、この松田優作のように漫画や小説でモデルとされるような人物がいるかとなると、正直あまり浮かびません。強いてあげるとしたら阿部寛氏で、髭面のイケメンキャラクターをみるとどことなく面影を感じさせる辺り多方面へ影響を与えているのではないかと思います。
このほかだとパッと思い浮かぶのは、プロレスラーのグレートムタこと武藤敬司氏で、スキンヘッドで髭はやしたいかついキャラクターともなるとこちらも彼の面影があるどころか、「夜王」をはじめ、「どっからどう見ても武藤じゃねーか」と言いたくなるくらいそっくりそのままに書いてくる漫画家すらいます。まあそれだけあって、武藤氏の存在感はやっぱすごいですが。
このように男優でも他のメディアにモデルで使われる人間はあまり出てこず、女優ともなると私が知る限りでは現在皆無です。石原さとみ氏っぽいキャラ出てくる漫画とかあんのかな。
現実に、今の時代で評価される俳優は松山ケンイチ氏や山田孝之氏など、役柄に合わせてがらりとイメージを変えるカメレオン俳優ばかりで、かつての高倉健など一つのイメージを保って強い存在感を感じさせる俳優は逆に評価されません。唯一例外なのは「クズキャラの帝王」こと藤原竜也氏で、もうなんか犯罪者以外の役は演じられないんじゃないかってくらいクズキャラしか演じず、「クズと言ったら藤原竜也」というくらい変な風に存在感持っています。
以上を踏まえて極論を述べると、なんとなくですが日本社会全体で個性が失われつつあるるのかなという懸念がよぎります。過去に高倉健について書いた記事でも同様の意見を述べていますが、キャラの濃い人間が芸能界はおろか一般社会でも少なくなってきているように思え、それこそ中国人やハリウッド俳優とかと比べると顔が覚えられないということが多いです。現実に、私の世代は個性があればあるほど学校を含め社会では不利になる傾向があり、やはり全体として没個性的な世代だと感じます。
おまけ
松田優作をモデルにしたキャラクターをいくつかあげましたが、一番強烈なものを挙げるとしたらやはり「ゾンビリベンジ」という英文法をどっかしら間違えたとしか思えないタイトルしたゲームに出てくる毒島力也でしょう。具体的には、
詳しくはさっきリンクを付けた解説記事に書かれていますが、舞台がアメリカなだけに登場人物はみんな英語で会話する中、何故かこのキャラだけ平気で日本語をしゃべり続けるし、「この邪気は……」などと脈絡ないことばかり話したり、松田優作そのものな外見もあってモデルとなった人物同様に強烈なインパクトを残しています。しかも必殺技がゾンビ相手にかける「四の字固め」で、このキャラ一人の存在でこのゲームがゾンビゲーであることが分からなくなってしまうくらいでした。
代表的なものを挙げると、「北斗の拳」のケンシロウ、というよりこの漫画の作者の原哲夫氏が書く主人公キャラはみんな松田優作にしか見えません。また平松伸二氏が書く漫画の主人公も「ドーベルマン刑事」をはじめやはり松田優作をモデルにしているように見られ、あと「シティハンター」の主人公、冴羽遼もそうなんじゃないかという気がします。
一体何故これほど多くの漫画家が松田優作をモデルにキャラクターを書いたのか、やや世代が異なり現実の松田優作の演技をあまり未定な自分からしたらやや想像しづらいのですが、伝え聞く限りではその存在感や迫力は同時代の俳優をもってしても群を抜いており、実際に共演した経験のある俳優も誰もが口を揃えて「別格だった」と話していることから、スターとはまた違った存在感を持つ人物であったのではと推察しています。
一方、こう言っては何ですが近年の俳優らで、この松田優作のように漫画や小説でモデルとされるような人物がいるかとなると、正直あまり浮かびません。強いてあげるとしたら阿部寛氏で、髭面のイケメンキャラクターをみるとどことなく面影を感じさせる辺り多方面へ影響を与えているのではないかと思います。
このほかだとパッと思い浮かぶのは、プロレスラーのグレートムタこと武藤敬司氏で、スキンヘッドで髭はやしたいかついキャラクターともなるとこちらも彼の面影があるどころか、「夜王」をはじめ、「どっからどう見ても武藤じゃねーか」と言いたくなるくらいそっくりそのままに書いてくる漫画家すらいます。まあそれだけあって、武藤氏の存在感はやっぱすごいですが。
このように男優でも他のメディアにモデルで使われる人間はあまり出てこず、女優ともなると私が知る限りでは現在皆無です。石原さとみ氏っぽいキャラ出てくる漫画とかあんのかな。
現実に、今の時代で評価される俳優は松山ケンイチ氏や山田孝之氏など、役柄に合わせてがらりとイメージを変えるカメレオン俳優ばかりで、かつての高倉健など一つのイメージを保って強い存在感を感じさせる俳優は逆に評価されません。唯一例外なのは「クズキャラの帝王」こと藤原竜也氏で、もうなんか犯罪者以外の役は演じられないんじゃないかってくらいクズキャラしか演じず、「クズと言ったら藤原竜也」というくらい変な風に存在感持っています。
以上を踏まえて極論を述べると、なんとなくですが日本社会全体で個性が失われつつあるるのかなという懸念がよぎります。過去に高倉健について書いた記事でも同様の意見を述べていますが、キャラの濃い人間が芸能界はおろか一般社会でも少なくなってきているように思え、それこそ中国人やハリウッド俳優とかと比べると顔が覚えられないということが多いです。現実に、私の世代は個性があればあるほど学校を含め社会では不利になる傾向があり、やはり全体として没個性的な世代だと感じます。
おまけ
松田優作をモデルにしたキャラクターをいくつかあげましたが、一番強烈なものを挙げるとしたらやはり「ゾンビリベンジ」という英文法をどっかしら間違えたとしか思えないタイトルしたゲームに出てくる毒島力也でしょう。具体的には、
こんなん
詳しくはさっきリンクを付けた解説記事に書かれていますが、舞台がアメリカなだけに登場人物はみんな英語で会話する中、何故かこのキャラだけ平気で日本語をしゃべり続けるし、「この邪気は……」などと脈絡ないことばかり話したり、松田優作そのものな外見もあってモデルとなった人物同様に強烈なインパクトを残しています。しかも必殺技がゾンビ相手にかける「四の字固め」で、このキャラ一人の存在でこのゲームがゾンビゲーであることが分からなくなってしまうくらいでした。
2018年2月8日木曜日
自動車業界、オヤジギャグコピーの時代
・【百花繚乱!!】日本が生んだ奇跡の時代のクルマたち6選(ベストカー)
上の記事リンクは今日出たものですが、ベストカーなだけに見事な選出だと思います。ただこの記事を読んで思ったのは、古き良き時代の日系スポーツカーよりも、あの時代に何故か流行ったオヤジギャグコピーの嵐でした。
現在でこそ自動車のテレビCMと言ったら海外の風光明媚な場所を颯爽と走る光景を映したようなものが主流で、あとは家族と一緒にウキウキドライブ的なものが放映されるくらいですが、何故か90年代はキャッチコピーによくオヤジギャグが使われており、今思うといろいろあり得ない宣伝方法だったような気がしてなりません。そこで今日は、私が覚えているいくつかのオヤジギャグコピー車を紹介します。
・ホンダ・インテグラ
天皇家御用達でおなじみのこのホンダカーですが、2代目販売時のキャッチコピーはなんと「カッコインテグラ」、「調子インテグラ」、「気持ちインテグラ」、「めっちゃインテグラ」という、恐怖のオヤジギャグ四段活用となっていました。しかもこのコピー、何を考えたのか映画「バックトゥザフューチャー」に主演したマイケル・J・フォックスに言わせており、当時の日本が如何に強大なマネーを使ってハリウッド俳優に変なことやらせてたのかが垣間見えます。
ちなみにハリウッド俳優でいえばトヨタもちょっと前ジャン・レノにドラえもんをやらせていましたが、下請けから吸い取った利益でああいうCMが作られているとか考えるとなんかいろいろやきもきします。確かに面白かったけどさ。
・トヨタ・スプリンタートレノ
「頭文字D」でお馴染みの「ハチロク」をその系譜に持つスプリンタートレノですが、その最終モデルに当たる8代目(AE110)のCMでは武田真治氏に「オレノトレノ」と言わせていました。全くひねりのない、実にストレートなオヤジギャグコピーに思え、例えるなら水泳の飛込競技で真っ逆さまに落ちるかのようなキレのなさを覚えます。
ちなみにこの型、自分は勝手に「エーイーイットオ」と呼んでいましたが、Wikiの記述によると「ヒャクトオ」とか「イチイチマル」と呼ばれてたそうです。ひとつ前の7代目(AE100)は「ヒャク」、「イチイイチマル」だったそうですが、誰も「百式」とか呼ばなかったのかな。
・スズキ・スイフト
現在でこそ「コンパクトスポーツ」なイメージが確立されたスイフトですが、そうなったのは2代目からで、初代スイフトについて言えば完全に「安かろう悪かろう」で如何にもいい加減に作ったような車でした。
コンパクトカーが普及し始めたからうちらもともかく安く作ろうをコンセプトに作ったのか、発売当初から当時の価格帯を大きく引き下げるような安価で売り出され、2年後にはさらに値段を引き下げた上で、「泣く子も黙る79万円」という強烈に加齢臭を感じさせるコピーで売ってました。ちなみにこの値段、当時でも軽自動車より安かったそうです。
一体何故このようなオヤジギャグコピーが流行ったのか、はっきり言ってかなり謎です。考えたのは自社広報部なのか、広告代理店の連中なのかわかりませんが、どっちかっていうとオヤジ臭さ的に各社広報部なんじゃないかなという気がします。
もし敢えて現代でこうしたキャッチコピーを考えるとしたら、「この車、俺にアッテンザね」ってのが真っ先に浮かび、次に出てきたのはセリーヌ・ディオンを呼んできてセレナに乗せて、「セレーナ・ディオン」とか言わせるものでした。
なお自動車業界のキャッチコピー全体でいえば、初代プリウスの「20世紀に間に合いました」が最も価値が高いコピーではないかと私は思っています。当時の時代背景を考えるとプリウスのハイブリッドシステムはオーパーツもいいところで、敢えて例えるなら二次大戦期にアスロックを導入するくらいの先進性だったと考えています。
ちなみにこのアスロック、ゲームで使ったらめっちゃ便利で使いやすく、それまでの爆雷による潜水艦撃破と比べ劇的に効率が上がって重宝しました。たまにふざけて海上の軍艦にもぶつけたりしてやったけど。
上の記事リンクは今日出たものですが、ベストカーなだけに見事な選出だと思います。ただこの記事を読んで思ったのは、古き良き時代の日系スポーツカーよりも、あの時代に何故か流行ったオヤジギャグコピーの嵐でした。
現在でこそ自動車のテレビCMと言ったら海外の風光明媚な場所を颯爽と走る光景を映したようなものが主流で、あとは家族と一緒にウキウキドライブ的なものが放映されるくらいですが、何故か90年代はキャッチコピーによくオヤジギャグが使われており、今思うといろいろあり得ない宣伝方法だったような気がしてなりません。そこで今日は、私が覚えているいくつかのオヤジギャグコピー車を紹介します。
・ホンダ・インテグラ
天皇家御用達でおなじみのこのホンダカーですが、2代目販売時のキャッチコピーはなんと「カッコインテグラ」、「調子インテグラ」、「気持ちインテグラ」、「めっちゃインテグラ」という、恐怖のオヤジギャグ四段活用となっていました。しかもこのコピー、何を考えたのか映画「バックトゥザフューチャー」に主演したマイケル・J・フォックスに言わせており、当時の日本が如何に強大なマネーを使ってハリウッド俳優に変なことやらせてたのかが垣間見えます。
ちなみにハリウッド俳優でいえばトヨタもちょっと前ジャン・レノにドラえもんをやらせていましたが、下請けから吸い取った利益でああいうCMが作られているとか考えるとなんかいろいろやきもきします。確かに面白かったけどさ。
・トヨタ・スプリンタートレノ
「頭文字D」でお馴染みの「ハチロク」をその系譜に持つスプリンタートレノですが、その最終モデルに当たる8代目(AE110)のCMでは武田真治氏に「オレノトレノ」と言わせていました。全くひねりのない、実にストレートなオヤジギャグコピーに思え、例えるなら水泳の飛込競技で真っ逆さまに落ちるかのようなキレのなさを覚えます。
ちなみにこの型、自分は勝手に「エーイーイットオ」と呼んでいましたが、Wikiの記述によると「ヒャクトオ」とか「イチイチマル」と呼ばれてたそうです。ひとつ前の7代目(AE100)は「ヒャク」、「イチイイチマル」だったそうですが、誰も「百式」とか呼ばなかったのかな。
・スズキ・スイフト
現在でこそ「コンパクトスポーツ」なイメージが確立されたスイフトですが、そうなったのは2代目からで、初代スイフトについて言えば完全に「安かろう悪かろう」で如何にもいい加減に作ったような車でした。
コンパクトカーが普及し始めたからうちらもともかく安く作ろうをコンセプトに作ったのか、発売当初から当時の価格帯を大きく引き下げるような安価で売り出され、2年後にはさらに値段を引き下げた上で、「泣く子も黙る79万円」という強烈に加齢臭を感じさせるコピーで売ってました。ちなみにこの値段、当時でも軽自動車より安かったそうです。
一体何故このようなオヤジギャグコピーが流行ったのか、はっきり言ってかなり謎です。考えたのは自社広報部なのか、広告代理店の連中なのかわかりませんが、どっちかっていうとオヤジ臭さ的に各社広報部なんじゃないかなという気がします。
もし敢えて現代でこうしたキャッチコピーを考えるとしたら、「この車、俺にアッテンザね」ってのが真っ先に浮かび、次に出てきたのはセリーヌ・ディオンを呼んできてセレナに乗せて、「セレーナ・ディオン」とか言わせるものでした。
なお自動車業界のキャッチコピー全体でいえば、初代プリウスの「20世紀に間に合いました」が最も価値が高いコピーではないかと私は思っています。当時の時代背景を考えるとプリウスのハイブリッドシステムはオーパーツもいいところで、敢えて例えるなら二次大戦期にアスロックを導入するくらいの先進性だったと考えています。
ちなみにこのアスロック、ゲームで使ったらめっちゃ便利で使いやすく、それまでの爆雷による潜水艦撃破と比べ劇的に効率が上がって重宝しました。たまにふざけて海上の軍艦にもぶつけたりしてやったけど。
2018年2月6日火曜日
花園祐は反日か?
君の四股名は
最近、Googleで自分の名前を検索に書けると検索候補に「花園 祐 反日」と表示されるようになり、自分で見ていていろいろ笑えてきます。こうなったのは間違いなく最近JBpressで出している記事が原因でしょうが、果たしてこのブログの読者ならこの検索候補表示についてどう思うのか、この点については少し気になるところです。8年前にNHKの取材を受けた際には、「口ではいろいろ悪く言ってますが、日本の将来についてブログで熱く語ってるじゃないですか」と言われはしましたが。
そもそも、自分が愛国心を持っているかどうかは自分で決めるようなものではないと私は思うので、自分の日本への帰属意識がどこまであるかについてはわざわざ分析しませんし興味もありません。相撲は愛していると胸を張って言えますが。
同時に、周囲の人間が私に対してどう思うのかについて、「それは違う」と否定するのもまたおかしいと考えています。実際に口に出したり行動に移したりするとなると別ですが、各人それぞれの思想なり意識があるのだからそれに対して間違っているとか否定するのはやはり違うように思え、何をどう考えるかについては完全に自由でなければならないと思います。従って私への評価も、反日だと思う人がいるのなら別にそれで構いませんし、私が否定することはあってはならないはずです。そもそも、かつて何度も「てめぇなんか人じゃねぇ!」と面罵されてきたので、それに比べればまだ人間扱いされてるだけマシかという気すらします。
ただ、現実の立場や身の置き方となるとこれは実態が伴うため話は別です。こうした前提を踏まえた上でいうと、やはりこういう言葉を聞くと「幻想水滸伝2」というゲームの冒頭でのワンシーンを思い出します。具体的にそれはどういうシーンかというと、裏切ったと言われている人間が、先に裏切られただけだというシーンです。
大体2011年から2012年くらいの記事にも書いていると思いますが、自分が好き好んで中国に現地採用しに来たのかというとやはりそれは違うと思います。結論から言えば日本では機会が得られなかったから中国に来ざるを得なかっただけで、日本で完結できていたら今でも毎週ジャンプを買って読んでたはずでしょう。選択したのは私自身であるためその結果についても私自身がそれを負うのも当然ですが、仮に2010年に決断していなかったら、今の十分の一くらいにつまらない日々を送っていたと断言できます。その分、貯金は今の十倍はあったでしょうが。
今こうしてライターとして活動しているのも、日本に居続けていたらまず関わることのなかった組織にいるのも、「若い今じゃなければもう来られない」と考えて2010年に決断していなければあり得なかったことです。
なお少し細かく書くと中国は2013年から外国人の就業を厳しく制限し始めたため、決断が2013年以降まで遅れていたら多分私は中国に来ることはできなかったでしょう。ちょうど就業条件の一つである2年超の正社員経験も得られたばかりでしたし、あの決断タイミングはこれ以上ないくらいベストなタイミングでした。
話を戻すと、自分は機会を求めましたが、むしろ他の人なら拒否するほどなのに、日本では誰もそうした機会を与えてくれることはありませんでした。仕方がないからすこぶる不利な条件で自分一人で乗り込むしかなくなり、実際そうして、そこそこ面白い経験を持ち帰ってきたところ今度はその経験にだれも見向きせず、仕方ないからまた中国来ているというのが今の現状です。
断言しますが、こと中国関連の業務において今の自分ほど効率のいい人間ともなると非常に限られてくると思います。その上私は病的なほどに欲がなく、待遇面での要求も恐ろしく低いままです。それでも日本では誰も機会をくれず、今の私を反日と呼ぶ人も一定数以上いるという今の始末です。
無論、私を批判する方々が私のこれまでの軌跡を知るはずもなく、ただ単に読んだ記事内容だけで批判していると思うため、案外自然な帰結だろうと私も思います。私としては、先にボールを投げたのはそっちなのになとは思いますが。
こうした状態は他の人の目にも同じように映っているようで、先日も読者の方に、「今の君は桜田門外の井伊直弼みたいだ」と直接言われました。なかなかいい得て妙だと私も思え、「むしろ武市かもしれません」と私も返答しました。
以上を踏まえて言うと、「先に裏切ったのはどっちだ?」と私が問うことに意味はないでしょう。強いて言えば、「それは時代が決めることで、人の意思など全く関係ない」というのが最適解として相応しいでしょう。自分も反日かどうか、いちいち意見を述べることすらもはや煩わしいだけですし。
ちなみに今現在で私が最も裏切り者だと思う人物を挙げるとしたら、元千葉ロッテ、現在はヤクルトスワローズにいる成瀬投手です。頼むから2007年の頃みたく復活してくれ(´;ω;`)ブワッ
2018年2月4日日曜日
上海の日本語アニソンライブ
「北斗の拳」主題歌の演奏
JBpressの原稿といいマージン率の調査といいで非常に忙しく記事アップが遅れましたが、二週間前に上海で開かれたアニソンライブに行ってきました。
このバンドはかねてから日本のアニメソングを日本語で歌うバンドとして活動していますが、メンバーは全員中国人です。にもかかわらず日本語の歌詞を極めて上手に熱唱しており、実力に関しては間違いなく高いと私も太鼓判を押します。
そもそも何故音楽に疎い私がこんなライブに参加してきたのかというと、また例によって友人の上海人が「一緒に行こうよ!」と誘ってきたからです。当初は以前にも行ったことのあるライブハウスでの公演を見に行く予定だったのですが、私も行くと返答した後すぐに友人がチケットを予約していたらそれで済んだところを、何故か翌日になってから予約しようとしたところ、既にチケットは完売されていました。仕方ないので日程を変え、別のライブハウスで開かれる公演を予約(こっちの方が価格は高かった)する羽目となりました。
なおその後、私たちが行ったこのライブチケットもすぐに完売し、さらにはまたまた別のライブハウスでの公演も同じく完売していたそうです。控えめに見ても非常に人気の高いバンドであるとともに、日本語での演奏にも拘わらずこれほど中国人ファンが聞きに来るのかという点で驚きでした。
「ペガサス幻想」。最近知ったがこの時の聖矢のクロスはアニメオリジナルらしい。
演奏された演目は北斗の拳の「愛を取り戻せ」や、「ペガサス幻想」、あとタイトルは忘れましたが「サムライトルーパー」の曲などがあり、こんな大昔の曲を中国人ファンは喜ぶのかといろいろな点でびっくりです。ほかにもドラゴンボールの「チャラヘッチャラ」とかもあり、非常に歌も上手ではあったと思うものの、上記にアニソンの原曲を謳っている歌手(影山ヒロノブとかクリスタルキング)がはっきり言って歌唱力が異常な連中ばかりなため、さすがに原曲と比べるとややレベルが落ちる感があります。
逆を言えば、あんま歌が上手でない歌手の歌を歌わせたら、多分このバンドのボーカルの人の方がうまいんじゃないかと思うレベルではありました。差し当たって歌が下手なアニソン歌手と言ってすぐ浮かぶのは、頭文字Dの「m.o.v.e」くらいですけど、あれはあれで下手っぽさが作品とあっててすごくいいのですが。
バンドのボーカルは男性と女性で一人ずついて、私の好みもありますがこちらの女性ボーカルの歌の方が伸びがあってよかったような気がします。歌ったのは新世紀エヴァンゲリオンの「残酷な天使のテーゼ」でしたが、個人的には「魂のルフラン」とかが聴きたかったです。他には「名探偵コナン」の倉木麻衣氏の曲なども歌われました。
あと意外な選曲として、新世紀GPXサイバーフォーミュラーの「I'll Come」という曲も歌われました。さすがにこの曲ともなると日本人でも知ってる人間は限られることもあってか、会場の客も「え、これ何の曲?」と戸惑う感じの人が多くいました。ただ私の後ろにいた二人組の女性客は知ってたらしく、演奏が始まるとめちゃくちゃ興奮してました。
個人的には、「Wild at Heart」の方が聴きたかったです。なおこの歌の歌手は「CaYOCO」という人物がクレジットされており、この人がどういう人か、ほかにどういう歌を歌っているかはこれと言って情報がなく、中国のサイトでも「この人誰なの?」という質問がネット上で出ていますが、声からして大黒摩季氏ではないかと私は推測しています。この人はその作詞の裏側が後年ネタバレされたのをみて「やっぱり……」と内心思いました。
この日、会場が一番盛り上がったのは、その大黒摩季氏も関わる「スラムダンク」の楽曲演奏時でした。大黒氏の「あなただけを見つめてる」だけでなくWANDSの「世界が終わるまでは…」が演奏され、特に後者は最後のアンコールでもう一度演奏されたくらいでした。中国、特に私と同世代ではスラムダンクの人気が桁違いに高いとは知ってはいたものの、こうして日本語の歌詞でこれほどまで興奮する人がたくさんいるというのはなかなか体験してみないと実感できないものです。
なお友人の上海人もスラムダンクを見て一時期バスケットをやっていたそうです。その後日本に渡ってからは「京橋のキムタク」と自称してました。
最後に、写真を見てもらえばわかりますが各演奏中は後ろのディスプレイにその曲のアニメ映像が流されていましたが、これらはきちんと許諾を取った上での演出だったようです。ライブ中、この映像の許諾が得られなかったことから一部の曲目(確かナルト)が演奏できなかったという事実がバンドの方から説明がありました。
また、「進撃の巨人」の曲目についても、「歌詞が過激すぎることから当局から公共での演奏が禁止された」との事実も明かされました。噂には聞いてはいましたが、実際に適用されるケースに出くわしたのは私にとってこれが初めてです。
敢えて応用的な意見を最後に載せると、演奏された曲目は当局に止められた「進撃の巨人」を覗いてどれも二十年以上前の曲ばかりという事実こそが一番注目すべき点でしょう。十年くらい前なら浜崎あゆみ氏やKIROROの曲が中国でも流行していましたが、果たしてここ数年の日本の楽曲で中国でのライブ公演をするとして客が集まるかとなると私としても非常に疑問です。
日本の音楽の質が落ちていると言えば簡単ですが(実際そうだと思う)、それ以上に中国人が日本の歌を聞く機会がかつてと比べて極端に少なくなっている現状にもっと危機感を覚えるべきではないかと思います。やはりアニメを通して知る機会が多いと思うので、その辺をどう今後活用すべきか、真面目に戦略的に考えるべきでしょう。
なお近年、と言ってももうこれも十年以上前ですが、自分が傑作だと思うアニソンは「ぼくらの」の「アンインストール」です。作品の内容とマッチし過ぎて、未だに聞くだけで涙出てきます(ノД`)
2018年2月1日木曜日
私が恐れる中国人ライター
昨夜はマージン率の追加取材でなんかやたら気持ち的に疲れ、そのあと書いたブログ記事もやや荒れている気がします。このところ意識上では比較的体調はいいですが、こうして記事書く際にキーボードのタイプミスが非常に増えていることからも見えないところで疲労を背負ってるのかもしれません。もっともそんな状態でありながら、最高気温4度の今日も普通にコート着ず春用スーツで出勤してますが。
話は本題に入りますが先日、成田空港で起きた中国人旅行客の暴行騒動について私も記事を書きましたが、記事を出した段階では既に事件発生から数日が経過していたものの、なんか今週に入ってからこの件に関する言及というか報道が時間差で増えている気がします。自分としてはコメントに応じて書いただけでそうした流れはまったく気にしていませんでしたが、個人的に読んで(ノ∀`)アチャーと思ったのはこの記事でした。
・中国人観光客「成田空港騒乱」でわかった中国世論の“常識度”(ダイヤモンド)
この記事を書いているのは莫邦富氏という中国人ジャーナリストの方です。
私がこのブログでダイヤモンドの記事を引用する際は大抵そのダメっぷりを批判するときくらいなのですが、この莫氏の記事については別で、毎度その記事のレベルの高さにはため息をつかされています。それ以前に何が凄いかって、莫氏は中国人であるにもかかわらず下手な日本人ライターよりずっと文章表現が上手で、「なんでこんなうまい日本語を外国人が書けてしまうのだろう」と毎度ながら思わされます。
今回、この成田空港の騒動に関する莫氏の記事を見て何故(ノ∀`)アチャーと思ったのかというと、「莫氏と被ってしまった……」と思ったからです。正直に言って相手があの莫氏ともなると私では太刀打ちできないと考えており、実際に私の記事なんかより莫氏の記事の方が簡潔にこの事件についてまとめている上、鋭い視点で総括しています。素直に実力の差を感じさせられる相手なだけに、ほかにも何人かいますが、記事内容が被ってしまったらただただ自分の記事の惨めさをさらすこととなるので、記事内容を被らせてはならない相手だと莫氏についてはかねてから考えていました。
それが今回見事に被ってしまい、あーあと嘆息するとともにやはり莫氏の分析は鋭いなとただただ脱帽することとなってしまいました。
今回の莫氏の記事と私の記事の異なる点挙げるとすれば、在日中国大使館が緊急的に対応した点をきちんと誉めていることだと思います。まぁこれ以外にも細かい点でいろいろ違いますが、やはり文章の運び方に妙を感じさせられ、私のようにだらだらとした文章になっていないあたりは相変わらずだと感心させられます。
文章表現だけであれば時間かけて書けばどうとでもなりますが、やはり莫氏の場合だと視点が非常に鋭く、過去の記事でも「こんな見方があったのか」と思わせらえる記事が非常に多いです。
・成田空港で中国国歌、職員に暴行・逮捕…中国人観光客はなぜ日本で暴れるのか(産経新聞)
一方、対照的にレベルが低いと感じたのはやはり上の産経の記事です。見比べてみれば一目瞭然ですが、視点が「迷惑に感じる日本人」の目しかなく、莫氏のように大陸の中国人の視点、ライターとしての莫氏の視点、騒ぎを増長させようとする中国人の視点など複数の立場から見た記述は全くありません。それどころか、一部事実を敢えて伏せた上で、より中国人旅行者を悪く見せようとするような記述も見えます。
今回、自分としても恥をさらすことになるとわかっていながら莫氏の記事を何故引用したのかというと、読者の方にこの産経のダメ記事と比較して読んでもらいたいと思ったからです。私個人の視点でいえば、非常に実力差がはっきり出る比較になるように思え、いいライターと悪いライターの差はどこにあるのかを示す上でいい好材料だと考えています。
なお産経についてはこのところ堕ちるところまで堕ちたなと強く感じます。リンクを付けませんが昨年末に産経が報じた、沖縄の自動車事故で米軍が救助したという報道は、当の米軍自身が否定しており、現時点でほぼ捏造と断じても十分でしょう。特に当事者である産経新聞自身が捏造だとの報道に対して何もコメントしていないという点も、暗に状況を裏付けています。
わざわざ捏造報道をしてまで米軍の方を持とうとする辺り、「お前はどっちの味方だ?」と某シーマ・ガラハウみたく問いたくなります。沖縄メディアが憎いから米軍を持ち上げるなど、何がしたいのか私には理解できません。せっかくだから産経は自社内を取材してフェイクニュース特集でも組んだらどうか、その際に腕利きのライター、それこそ産経が憎んで止まない中国人である莫氏なんかにお願いして記事でも書いてみたらどうかと提案したいところです。
話は本題に入りますが先日、成田空港で起きた中国人旅行客の暴行騒動について私も記事を書きましたが、記事を出した段階では既に事件発生から数日が経過していたものの、なんか今週に入ってからこの件に関する言及というか報道が時間差で増えている気がします。自分としてはコメントに応じて書いただけでそうした流れはまったく気にしていませんでしたが、個人的に読んで(ノ∀`)アチャーと思ったのはこの記事でした。
・中国人観光客「成田空港騒乱」でわかった中国世論の“常識度”(ダイヤモンド)
この記事を書いているのは莫邦富氏という中国人ジャーナリストの方です。
私がこのブログでダイヤモンドの記事を引用する際は大抵そのダメっぷりを批判するときくらいなのですが、この莫氏の記事については別で、毎度その記事のレベルの高さにはため息をつかされています。それ以前に何が凄いかって、莫氏は中国人であるにもかかわらず下手な日本人ライターよりずっと文章表現が上手で、「なんでこんなうまい日本語を外国人が書けてしまうのだろう」と毎度ながら思わされます。
今回、この成田空港の騒動に関する莫氏の記事を見て何故(ノ∀`)アチャーと思ったのかというと、「莫氏と被ってしまった……」と思ったからです。正直に言って相手があの莫氏ともなると私では太刀打ちできないと考えており、実際に私の記事なんかより莫氏の記事の方が簡潔にこの事件についてまとめている上、鋭い視点で総括しています。素直に実力の差を感じさせられる相手なだけに、ほかにも何人かいますが、記事内容が被ってしまったらただただ自分の記事の惨めさをさらすこととなるので、記事内容を被らせてはならない相手だと莫氏についてはかねてから考えていました。
それが今回見事に被ってしまい、あーあと嘆息するとともにやはり莫氏の分析は鋭いなとただただ脱帽することとなってしまいました。
今回の莫氏の記事と私の記事の異なる点挙げるとすれば、在日中国大使館が緊急的に対応した点をきちんと誉めていることだと思います。まぁこれ以外にも細かい点でいろいろ違いますが、やはり文章の運び方に妙を感じさせられ、私のようにだらだらとした文章になっていないあたりは相変わらずだと感心させられます。
文章表現だけであれば時間かけて書けばどうとでもなりますが、やはり莫氏の場合だと視点が非常に鋭く、過去の記事でも「こんな見方があったのか」と思わせらえる記事が非常に多いです。
・成田空港で中国国歌、職員に暴行・逮捕…中国人観光客はなぜ日本で暴れるのか(産経新聞)
一方、対照的にレベルが低いと感じたのはやはり上の産経の記事です。見比べてみれば一目瞭然ですが、視点が「迷惑に感じる日本人」の目しかなく、莫氏のように大陸の中国人の視点、ライターとしての莫氏の視点、騒ぎを増長させようとする中国人の視点など複数の立場から見た記述は全くありません。それどころか、一部事実を敢えて伏せた上で、より中国人旅行者を悪く見せようとするような記述も見えます。
今回、自分としても恥をさらすことになるとわかっていながら莫氏の記事を何故引用したのかというと、読者の方にこの産経のダメ記事と比較して読んでもらいたいと思ったからです。私個人の視点でいえば、非常に実力差がはっきり出る比較になるように思え、いいライターと悪いライターの差はどこにあるのかを示す上でいい好材料だと考えています。
なお産経についてはこのところ堕ちるところまで堕ちたなと強く感じます。リンクを付けませんが昨年末に産経が報じた、沖縄の自動車事故で米軍が救助したという報道は、当の米軍自身が否定しており、現時点でほぼ捏造と断じても十分でしょう。特に当事者である産経新聞自身が捏造だとの報道に対して何もコメントしていないという点も、暗に状況を裏付けています。
わざわざ捏造報道をしてまで米軍の方を持とうとする辺り、「お前はどっちの味方だ?」と某シーマ・ガラハウみたく問いたくなります。沖縄メディアが憎いから米軍を持ち上げるなど、何がしたいのか私には理解できません。せっかくだから産経は自社内を取材してフェイクニュース特集でも組んだらどうか、その際に腕利きのライター、それこそ産経が憎んで止まない中国人である莫氏なんかにお願いして記事でも書いてみたらどうかと提案したいところです。
2018年1月31日水曜日
上海の洋食事情
・食遊上海461 『新利査餐廳』 - 上海にも独自の「洋食」文化あり。(吃尽天下@上海)
先ほど友人が、「たまにはこういうネタでもどうですか?」と上記ブログのリンクを送ってきました。書かれている内容は上海の洋食事情で、ローカルな目線で私の目から見ても面白く書かれてあるのでお勧めです。
そんな友人のアドバイスを受け今この記事を書いていますが、そもそも中国における洋食とはどんなものかとなると、日本にいる方はほとんど想像がつかないかと思います。また中国に駐在している日本人であっても、意外とこの方面については特集なりが少なく、あまり事情に詳しくない人が多い気がします。
まず中国全体について言えば、洋食の普及度合いは日本と比べ断然に遅れています。内陸部に行けば一度も洋食を食べたこともなければコーヒーを飲んだこともない人も珍しくないですし、いざ食べさせてみても食べ慣れておらず、苦手意識を持たれるのではないかとすら思います。
ただ所得の高い沿岸部に関しては、これは日本でも同じですが、西洋の生活スタイルへの憧憬もあってか洋食を率先して食べようとする層も多く、そうした客を相手に洋食店を開く料理人も集まってきています。ただそんな沿岸部でも、日本の一般レベルと比べれば洋食の普及は遅れており、上海でもローカル系のスーパーとかだとパスタが置かれていないことも珍しくありません。また冷凍食品一つとっても、日本みたくグラタンやドリアなどの冷凍食品はなく、あってもあんまおいしくなさそうなステーキや、冷凍パスタくらいなもんです。
一方、外食店について言えばピザ屋は比較的多いです。ピザハットなど大手チェーンが進出してきており、値段はやや高めですがやはり西洋贔屓もあって訪れる客は多く、休日の昼間なんかは混雑するなど繁盛してます。それ以外となると最近ステーキ屋は増えてきていますがそもそもの牛肉がオージービーフなので私はあんま行かず、むしろ果たして洋食と言えるのかやや疑問ですが、前にもこのブログで紹介した日本のサイゼリヤが近年、中国で物凄い拡大しており、案外彼らの味が中国における洋食のスタンダードになるかもなとやや期待しています。
話は上海に戻しますが、最初のブログ記事に書かれている通りに割とローカルな洋食屋も確かに存在します。こうした洋食屋ですが、 断言こそできないものの多分その起源は旧租界時代にあるのではないかと推測しています。
上海は戦前、列強各国が租界という独立自治権をもったエリアが上海市内に存在し、例えばフランス租界だったらフランス政府が好きかってやったりすることもできました。なお日本の租界は現在の虹口付近で、建物とか見ると日本っぽい瓦屋根とか残ってます。
上海は現代も外国人が多いですが戦前も外国人が多く、特にフランス租界が大きかった分、フランスの影響を多方面に受けている都市です。恐らくこの時代に洋食が上海に伝わり、一部のローカルな洋食店が現代にも残る要因になっているのではないかという気がします。
あと上のブログ記事ではボルシチが紹介されていますが、地味にボルシチを出すお店は上海にそこそこ多い気がします。何故そうなのかというとこれまた私個人の推察で述べると、20世紀初頭のロシア革命の際に実は多くのロシア人貴族が上海に逃げてきていたそうで、彼らが居付いた上海市内のエリアは現在でもロシア料理店などが多いと聞きます。その名残が、現代上海で食べられるボルシチなのではと勝手に考えています。
これもいつか取材してちゃんと記事にしようかと考えていますが、こうした外国人の影響は上海市内には数多く残っており、実に多文化な背景を持つ都市です。日本も立命館アジア太平洋大学じゃないですが、かつての長崎の出島みたく、外国人がノービザでいつまでも滞在できる限定エリアとか作ってみた方がいいんじゃないかなとかたまに思えてきます。
……90年代は歌舞伎町がそういう場所だったと言われてましたが、最近はそういう歌舞伎町で外国人勢力同士が大暴れする話は聞かなくなったなぁ(´Д`)ハァ…
先ほど友人が、「たまにはこういうネタでもどうですか?」と上記ブログのリンクを送ってきました。書かれている内容は上海の洋食事情で、ローカルな目線で私の目から見ても面白く書かれてあるのでお勧めです。
そんな友人のアドバイスを受け今この記事を書いていますが、そもそも中国における洋食とはどんなものかとなると、日本にいる方はほとんど想像がつかないかと思います。また中国に駐在している日本人であっても、意外とこの方面については特集なりが少なく、あまり事情に詳しくない人が多い気がします。
まず中国全体について言えば、洋食の普及度合いは日本と比べ断然に遅れています。内陸部に行けば一度も洋食を食べたこともなければコーヒーを飲んだこともない人も珍しくないですし、いざ食べさせてみても食べ慣れておらず、苦手意識を持たれるのではないかとすら思います。
ただ所得の高い沿岸部に関しては、これは日本でも同じですが、西洋の生活スタイルへの憧憬もあってか洋食を率先して食べようとする層も多く、そうした客を相手に洋食店を開く料理人も集まってきています。ただそんな沿岸部でも、日本の一般レベルと比べれば洋食の普及は遅れており、上海でもローカル系のスーパーとかだとパスタが置かれていないことも珍しくありません。また冷凍食品一つとっても、日本みたくグラタンやドリアなどの冷凍食品はなく、あってもあんまおいしくなさそうなステーキや、冷凍パスタくらいなもんです。
一方、外食店について言えばピザ屋は比較的多いです。ピザハットなど大手チェーンが進出してきており、値段はやや高めですがやはり西洋贔屓もあって訪れる客は多く、休日の昼間なんかは混雑するなど繁盛してます。それ以外となると最近ステーキ屋は増えてきていますがそもそもの牛肉がオージービーフなので私はあんま行かず、むしろ果たして洋食と言えるのかやや疑問ですが、前にもこのブログで紹介した日本のサイゼリヤが近年、中国で物凄い拡大しており、案外彼らの味が中国における洋食のスタンダードになるかもなとやや期待しています。
話は上海に戻しますが、最初のブログ記事に書かれている通りに割とローカルな洋食屋も確かに存在します。こうした洋食屋ですが、 断言こそできないものの多分その起源は旧租界時代にあるのではないかと推測しています。
上海は戦前、列強各国が租界という独立自治権をもったエリアが上海市内に存在し、例えばフランス租界だったらフランス政府が好きかってやったりすることもできました。なお日本の租界は現在の虹口付近で、建物とか見ると日本っぽい瓦屋根とか残ってます。
上海は現代も外国人が多いですが戦前も外国人が多く、特にフランス租界が大きかった分、フランスの影響を多方面に受けている都市です。恐らくこの時代に洋食が上海に伝わり、一部のローカルな洋食店が現代にも残る要因になっているのではないかという気がします。
あと上のブログ記事ではボルシチが紹介されていますが、地味にボルシチを出すお店は上海にそこそこ多い気がします。何故そうなのかというとこれまた私個人の推察で述べると、20世紀初頭のロシア革命の際に実は多くのロシア人貴族が上海に逃げてきていたそうで、彼らが居付いた上海市内のエリアは現在でもロシア料理店などが多いと聞きます。その名残が、現代上海で食べられるボルシチなのではと勝手に考えています。
これもいつか取材してちゃんと記事にしようかと考えていますが、こうした外国人の影響は上海市内には数多く残っており、実に多文化な背景を持つ都市です。日本も立命館アジア太平洋大学じゃないですが、かつての長崎の出島みたく、外国人がノービザでいつまでも滞在できる限定エリアとか作ってみた方がいいんじゃないかなとかたまに思えてきます。
……90年代は歌舞伎町がそういう場所だったと言われてましたが、最近はそういう歌舞伎町で外国人勢力同士が大暴れする話は聞かなくなったなぁ(´Д`)ハァ…
2018年1月29日月曜日
人材派遣業界のマージン率とそのデータ 2018年版ザ・ファイナル
もはや恒例となりましたが、また今年2018年も派遣業界のマージン率を調べたので余計な前置き抜きにして調査結果の方を報告していきます。
1、マージン率とは?
・派遣労働者・労働者の皆様|厚生労働省
派遣業界のマージン率とは、派遣会社が派遣先企業から派遣スタッフを派遣したことで受けるサービス料から、派遣スタッフの賃金を差し引いて残った金額の割合です。いわゆるピンハネ率にあたりますが、このピンハネした分がすべて派遣会社の取り分となるわけではなく、実際にはここから会社運営費、派遣スタッフの保険料や福利なども支払うため、マージン率が30%だからといって派遣スタッフの給与を3割もピンハネしているということにはなりません。
またこうした数字であることから、マージン率は必ずしも低ければいいというものではなく、会社の業態や規模、派遣業種など諸々を勘案して考えるべきものです。こうした観点から私は予備調査を含めると2014年から派遣企業各社のマージン率データを、実質一人NPOみたく収集、分析、公開しています。
2、マージン率の公開義務とは
派遣企業各社は2012年の改正労働派遣法によってマージン率を公に、誰もが見える形で公開するよう義務付けられています。ただ公開方法については「インターネットなどで」という文言を逆手にとって「事務所に来たら公開してやる」などと言い訳を作っては公開しないところが多く、また公開義務を果たさなくても罰則などないので、上記法令の公布からすでに数年経つものの依然と多くの派遣会社はネット上でマージン率を公開していません。
ただ、厚生労働省はマージン率の公開について2016年にガイドラインを更新し、下記文言を追記しました。
「特に、マージン率の情報提供に当たっては、常時インターネットの利用により広く関係者とりわけ派遣労働者に必要な情報を提供することを原則とすること。」(派遣元事業主が講ずべき措置に関する指針)
この文言から、ホームページなどで情報公開をしていない場合は文句なしにコンプライアンス違反になることが確定します。こうした方針もあってこれまで公開してこなかった大手派遣会社は2016年以降から一斉に公開へ転じるようになり、マージン率の公開率は依然と低い水準にあるものの、2016年から2017年にかけてはいくらか上昇しました。まぁそれでも公開していないところの方がめちゃ多いですが。
3、調査概要
※以下、括弧内の数字は昨年の調査結果数値
・調査期間:2018年1月2日~1月28日
・調査対象企業:一般社団法人日本人材派遣協会(JASSA)の登録企業+派遣大手企業数社
・調査サンプル企業数:695社(643社)
・リストアップ事業所数:2,180拠点(1,793拠点)
・調査方法:インターネットを使い該当情報の有無を各社ホームページ上で確認。
4、調査結果
・マージン率の公開率:27.5%(24.6%)
・全平均マージン率:30.7%(30.6%)
※前期比マージン増減率:昨年もデータを公開していた事業所の今年と昨年のマージン率差平均
2、「マージン率」が「0%」以下の事業所は統計目的上、各種計算では除外。
3、「マージン率」数値は各社が発表している直近年度のデータを引用。
4、2016年11月末以前のデータしか公開していない企業は原則、「非更新」として除外。
5、公開データの対象期間が明らかでない企業は原則除外。
5、データ解説
以上の通り、今年のマージン率の公開率は前年比2.9ポイント増の27.5%、平均マージン率は0.1ポイント増の30.9%でした。
公開率は6.6ポイント増加した2017年時に対し今回の2018年は2.9ポイント増と微増にとどまりましたが、これは恐らく2016年にガイドラインで公開義務が強調されたことで、2017年までに公開するところはある程度、ほとんど出尽くしたということが大きいとみています。大手派遣会社が一昨年から公開に転じたことで中小も一気に公開へ動くかなと思っていましたが、実際はそれほど動かず、今年の状況から考えても恐らく今くらいの水準で頭打ちすることになると思われます。
一方、平均マージン率の方はというと0.1ポイント増の微増でしたが、念のため昨年にもデータ公開していた拠点でマージン率の増減比で平均を取ったところそちらも同じく0.1ポイント増で、さらに外れ値を排除する中間平均を取ったところこちらでも同じ0.1ポイント増だったことから、実質的にマージン率は去年と今年で業界全体ではほとんど変動なしと言っていいでしょう。
このほかデータ面について一言ずつ付け加えると、相変わらず歪な会社は介護派遣大手のニチイ学館で、全体的に派遣料金に比して極端にマージン率が高く、全体でも同社津支店が全国ナンバーワンとなる63.5%のマージン率を叩き出しました。
一方、その逆については、日鉄住金総研株式会社が14.2%でマージン率が最低でした。実際にはこれよりも低い数値の拠点もあったものの、系列他拠点との比較から行政などから支援を受けている可能性が高い数値だったため除外しました。ただそれ以上にこの日鉄住金総研、何がすごいかというと派遣料金、派遣労働者賃金でもトップであるということです。名称からしてコンサルタントの派遣をしているかと思いますが、去年まで公開してなかったのに今年から公開し始めたらあっさりトップを取ったあたり、「覆面パトカーかよこの会社」などとみていて思いました。
普通、派遣料金とマージン率は比例関係にあるのですが、ここだけ妙な反比例数値出してきて全体の統計をかなり歪なものに変えてしまっています。散布図も作ったけど、なんか言葉の出ない表になったので今年は公開しません。
6、大手派遣会社の公開状況
大手派遣会社は既に昨年調査時の段階でほぼすべてが公開に転じており、公開してなかったのは子会社のマイナビワークスに事業移管していたマイナビと、私の電話取材にクソなめた態度を取って取材拒否してきたライクスタッフィングくらいでした。マイナビは昨年取材時の回答通りに昨年中にマイナビワークスで情報公開しており、今年のデータにも収録しています。
ライクスタッフィングも、広報を出せと言ったら毎回「いない」と答え、いつ帰ってくると聞いても「わかりません」、マージン率公開は義務だと言っても「それが?」で、取材拒否ですかと聞いたら「はいそうです」などとほざいてたくせに、私が記事出した数ヶ月後にはこっそりデータを公開しだしてきました。真面目にこの会社はその姿勢的に、派遣労働者の方に私はお勧めできません。
それ以外の大手については今回特に取材もしてませんし改めて言うことありません。強いて言えば、テンプスタッフがグループ再編で社名を「パーソルテンプスタッフ」に変え、その他の会社もいくらか名称やら事業が変わって、調査するこっちとしてはややこしかったくらいです。まぁでも、大手で最初からデータ公開していたのはここだけで、何気に筆者の中国進出でお世話になった会社でもあるのでいろいろと思い入れが深い会社です。
あの時の担当者、今の俺見たらどんな顔するだろうな……。
7、調査中に目についた会社
基本的にこの調査では過去1年以内にデータを公開している会社が対象で、1年超もデータを更新していない会社は情報公開に不熱心だとして除外しています。ただ、会計期間が1~12月の会社は12月終了直後の1月にデータを取りまとめるのは大変だと思え、こうした会社については公開しているデータが「2016年1~12月」であっても収集しています。逆を言えば、2016年11月までのデータしか公開していなかったらその時点で「非公開企業」の烙印を押すわけです。
そんな風な作業中、株式会社ゆーらむという如何にも緩そうな名前の会社のマージン率を見て非常に驚愕しました。というのもそのデータの対象期間が2017年1~12月で、公開日は2018年1月19日だったためです。実質2週間でデータを統計整理したということですが、自分がこれまで見てきた中で段違いに早い対応であったことから目を見張りました。恐らく普段からきちんとデータを整理していると思え、その点では信頼がおけそうな会社です。
8、調査を終えて
上のグラフを見てもらえばわかりますが、2015年の調査時のデータサンプル数はわずか390件だったのに対し、今年は1688件と約5倍にまで膨れ上がりました。データを公開していない企業もサンプルとして加えると2000件も突破していますが、調査開始前の段階で恐らくこれくらいにはなると見越して進捗管理していたこともあり、今年はそんなに作業で苦労した覚えはありませんでした。
ただ、昨年はこちらの調査を優先するとしてJBpressへの記事執筆は毎月2本のところを1本に減らしていましたが、今年は普通に2本書きながらこちらの調査も完遂してのけて見せました。自分でも思いますがいろいろと頭おかしい気がします。
このようにして5年にも渡りこの派遣業界のマージン率を定点観測してきましたが、調査は今年までとし、来年以降はもうやめるつもりです。本当は今年もやるべきか悩んでいたのですが、去年に一つネタを仕込んだので、その義務感から無理やり続けました。
では一体何故調査を打ち切るのかというと、一つはデータ公開企業が当初の5社中1社から4社中1社になるなどある程度増えて、一定の役割は果たしたかなと思えたこと。もう一つの理由は当初からあったもので、そもそもこの調査は派遣労働者に一度もなったことがない自分がやるものかと疑問で、然るべき団体なり関係者がやるべきだとずっと思っていましたが、この5年間で私以外にこうした調査をする人はとうとう誰も現れませんでした。なんやねんもう……。
それ以上に、折角会社側と交渉する格好のデータ作ってやったのに、当事者の派遣労働者自体があまり私のデータに注目するそぶりすら見せず、なんとなく応援する対象として如何なものかと疑問を感じたことも大きいです。もちろん中にはコメントくれたりした人などしっかり評価してくれる人もいますが、それにしたってもっとやる気とか見せてもらいたいものでした。
最後に、これまで名指しは避けてきましたがどうせ最後なのと、最近になって忘れていた感情を取り戻したので思い切ってぶちまけると、以下のブログ管理人だけは私は許すことができません。
・ニャート
何故許せないのかというと、過去にこのブログの管理人は私のデータを引用して記事を書いていますが、その際に調査中最も高かったマージン率(50%)の数値だけを引用して、さも派遣会社は給与の半分をピンハネしているかのように印象付ける記事を仕立てているからです。
実際にはマージン率は25~30%くらいが平均で50%というのは例外もいいところです。そんなごく一部の数字だけ切り取って悪く見せるというのは卑怯この上なく、またそんな引用の仕方で私のブログ名もそのまま引用されるとあっては腹立たしいことこの上ありませんでした。いわば派遣会社を批判するためだけに、都合のいいデータだけ毟り取られたようなものです。
昨日の記事でも書いていますが、事実や現実に対して平等かつ公平に、ありのままの視線でとらえることがライターとして肝要で、都合のいい部分だけ切り取って報じるというのはまさに最近流行のフェイクニュースそのものでしょう。
私の記事の引用は適切なものであればもちろん何も言いませんしむしろ光栄ですが、上記ブログの引用は不適切を通り越して失礼もいいところで、捻じ曲げた事実を私のブログ名を書く当たりまともな神経とは思えず、そんな人間の書いた記事載せるBLOGOSも何考えているんだと不信感持ちまくりです。っつうか、BLOGOS経由で正式に抗議したろかな。
こんなこと言えるのもこれが最後のマージン率調査だからでしょう。といってもまた来月には別角度でこのマージン率公開にかかわる問題をまたJBpressに書く予定です。マージン率とはそこそこ長い縁となりましたが、来年以降に私のような定点観測する人間がいないとなれば、今以上に公開率とか下がるかもなという一抹の懸念を抱えた上で、筆をおかせてもらいます。
1、マージン率とは?
・派遣労働者・労働者の皆様|厚生労働省
派遣業界のマージン率とは、派遣会社が派遣先企業から派遣スタッフを派遣したことで受けるサービス料から、派遣スタッフの賃金を差し引いて残った金額の割合です。いわゆるピンハネ率にあたりますが、このピンハネした分がすべて派遣会社の取り分となるわけではなく、実際にはここから会社運営費、派遣スタッフの保険料や福利なども支払うため、マージン率が30%だからといって派遣スタッフの給与を3割もピンハネしているということにはなりません。
またこうした数字であることから、マージン率は必ずしも低ければいいというものではなく、会社の業態や規模、派遣業種など諸々を勘案して考えるべきものです。こうした観点から私は予備調査を含めると2014年から派遣企業各社のマージン率データを、実質一人NPOみたく収集、分析、公開しています。
2、マージン率の公開義務とは
派遣企業各社は2012年の改正労働派遣法によってマージン率を公に、誰もが見える形で公開するよう義務付けられています。ただ公開方法については「インターネットなどで」という文言を逆手にとって「事務所に来たら公開してやる」などと言い訳を作っては公開しないところが多く、また公開義務を果たさなくても罰則などないので、上記法令の公布からすでに数年経つものの依然と多くの派遣会社はネット上でマージン率を公開していません。
ただ、厚生労働省はマージン率の公開について2016年にガイドラインを更新し、下記文言を追記しました。
「特に、マージン率の情報提供に当たっては、常時インターネットの利用により広く関係者とりわけ派遣労働者に必要な情報を提供することを原則とすること。」(派遣元事業主が講ずべき措置に関する指針)
この文言から、ホームページなどで情報公開をしていない場合は文句なしにコンプライアンス違反になることが確定します。こうした方針もあってこれまで公開してこなかった大手派遣会社は2016年以降から一斉に公開へ転じるようになり、マージン率の公開率は依然と低い水準にあるものの、2016年から2017年にかけてはいくらか上昇しました。まぁそれでも公開していないところの方がめちゃ多いですが。
3、調査概要
※以下、括弧内の数字は昨年の調査結果数値
・調査対象企業:一般社団法人日本人材派遣協会(JASSA)の登録企業+派遣大手企業数社
・調査サンプル企業数:695社(643社)
・リストアップ事業所数:2,180拠点(1,793拠点)
・調査方法:インターネットを使い該当情報の有無を各社ホームページ上で確認。
4、調査結果
・マージン率の公開率:27.5%(24.6%)
・全平均マージン率:30.7%(30.6%)
2017年
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2018年
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説明
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情報公開事業所数
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1,230件
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1,688件
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マージン率を公開している事業所数。
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情報公開企業数
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158社
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191社
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マージン率を公開している企業数。
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サンプル企業数
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643社
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695社
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調査対象企業数。
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2018年マージン率調査結果前年比較表
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2017年
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2018年
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2018年該当事業所
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人数
(1日平均)
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平均
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320人
|
314人
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―
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最大
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23,870人
|
26,809人
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株式会社リクルートスタッフィング本社事業所
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派遣先数
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平均
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200件
|
180件
|
―
|
最大
|
10,627件
|
10,324件
|
株式会社リクルートスタッフィング本社事業所
|
|
労働者派遣に関する料金の平均額(8時間)
|
平均
|
15,049円
|
15,382円
|
―
|
最大
|
46,792円
|
53,856円
|
日鉄住金総研株式会社
|
|
最低
|
9,362円
|
7,040円
|
アクティオ株式会社 名古屋営業所
|
|
派遣労働者の賃金の平均額(8時間)
|
平均
|
10,449円
|
10,615円
|
―
|
最大
|
30,389円
|
46,196円
|
日鉄住金総研株式会社
|
|
最低
|
6,463円
|
5,806円
|
株式会社ソラスト 青森支社森岡出張所
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|
マージン率
|
平均
|
30.6%
|
30.7%
|
―
|
最大
|
63.5%
|
60.6%
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株式会社ニチイ学館 津支店
|
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最低
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16.1%
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14.2%
|
日鉄住金総研株式会社
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前期比マージン増減率
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+0.9P
|
+0.1P
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―
|
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情報公開率
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24.6%
|
27.5%
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―
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統計処理上の注意事項
1、「マージン率」では少数点第二位以下の数値は四捨五入で処理。2、「マージン率」が「0%」以下の事業所は統計目的上、各種計算では除外。
3、「マージン率」数値は各社が発表している直近年度のデータを引用。
4、2016年11月末以前のデータしか公開していない企業は原則、「非更新」として除外。
5、公開データの対象期間が明らかでない企業は原則除外。
・統計結果データPDFのダウンロード
・全調査データPDFのダウンロード(期間経過につき2019年4月公開終了)
以上の通り、今年のマージン率の公開率は前年比2.9ポイント増の27.5%、平均マージン率は0.1ポイント増の30.9%でした。
公開率は6.6ポイント増加した2017年時に対し今回の2018年は2.9ポイント増と微増にとどまりましたが、これは恐らく2016年にガイドラインで公開義務が強調されたことで、2017年までに公開するところはある程度、ほとんど出尽くしたということが大きいとみています。大手派遣会社が一昨年から公開に転じたことで中小も一気に公開へ動くかなと思っていましたが、実際はそれほど動かず、今年の状況から考えても恐らく今くらいの水準で頭打ちすることになると思われます。
一方、平均マージン率の方はというと0.1ポイント増の微増でしたが、念のため昨年にもデータ公開していた拠点でマージン率の増減比で平均を取ったところそちらも同じく0.1ポイント増で、さらに外れ値を排除する中間平均を取ったところこちらでも同じ0.1ポイント増だったことから、実質的にマージン率は去年と今年で業界全体ではほとんど変動なしと言っていいでしょう。
このほかデータ面について一言ずつ付け加えると、相変わらず歪な会社は介護派遣大手のニチイ学館で、全体的に派遣料金に比して極端にマージン率が高く、全体でも同社津支店が全国ナンバーワンとなる63.5%のマージン率を叩き出しました。
一方、その逆については、日鉄住金総研株式会社が14.2%でマージン率が最低でした。実際にはこれよりも低い数値の拠点もあったものの、系列他拠点との比較から行政などから支援を受けている可能性が高い数値だったため除外しました。ただそれ以上にこの日鉄住金総研、何がすごいかというと派遣料金、派遣労働者賃金でもトップであるということです。名称からしてコンサルタントの派遣をしているかと思いますが、去年まで公開してなかったのに今年から公開し始めたらあっさりトップを取ったあたり、「覆面パトカーかよこの会社」などとみていて思いました。
普通、派遣料金とマージン率は比例関係にあるのですが、ここだけ妙な反比例数値出してきて全体の統計をかなり歪なものに変えてしまっています。散布図も作ったけど、なんか言葉の出ない表になったので今年は公開しません。
6、大手派遣会社の公開状況
大手派遣会社は既に昨年調査時の段階でほぼすべてが公開に転じており、公開してなかったのは子会社のマイナビワークスに事業移管していたマイナビと、私の電話取材にクソなめた態度を取って取材拒否してきたライクスタッフィングくらいでした。マイナビは昨年取材時の回答通りに昨年中にマイナビワークスで情報公開しており、今年のデータにも収録しています。
ライクスタッフィングも、広報を出せと言ったら毎回「いない」と答え、いつ帰ってくると聞いても「わかりません」、マージン率公開は義務だと言っても「それが?」で、取材拒否ですかと聞いたら「はいそうです」などとほざいてたくせに、私が記事出した数ヶ月後にはこっそりデータを公開しだしてきました。真面目にこの会社はその姿勢的に、派遣労働者の方に私はお勧めできません。
それ以外の大手については今回特に取材もしてませんし改めて言うことありません。強いて言えば、テンプスタッフがグループ再編で社名を「パーソルテンプスタッフ」に変え、その他の会社もいくらか名称やら事業が変わって、調査するこっちとしてはややこしかったくらいです。まぁでも、大手で最初からデータ公開していたのはここだけで、何気に筆者の中国進出でお世話になった会社でもあるのでいろいろと思い入れが深い会社です。
あの時の担当者、今の俺見たらどんな顔するだろうな……。
7、調査中に目についた会社
基本的にこの調査では過去1年以内にデータを公開している会社が対象で、1年超もデータを更新していない会社は情報公開に不熱心だとして除外しています。ただ、会計期間が1~12月の会社は12月終了直後の1月にデータを取りまとめるのは大変だと思え、こうした会社については公開しているデータが「2016年1~12月」であっても収集しています。逆を言えば、2016年11月までのデータしか公開していなかったらその時点で「非公開企業」の烙印を押すわけです。
そんな風な作業中、株式会社ゆーらむという如何にも緩そうな名前の会社のマージン率を見て非常に驚愕しました。というのもそのデータの対象期間が2017年1~12月で、公開日は2018年1月19日だったためです。実質2週間でデータを統計整理したということですが、自分がこれまで見てきた中で段違いに早い対応であったことから目を見張りました。恐らく普段からきちんとデータを整理していると思え、その点では信頼がおけそうな会社です。
8、調査を終えて
上のグラフを見てもらえばわかりますが、2015年の調査時のデータサンプル数はわずか390件だったのに対し、今年は1688件と約5倍にまで膨れ上がりました。データを公開していない企業もサンプルとして加えると2000件も突破していますが、調査開始前の段階で恐らくこれくらいにはなると見越して進捗管理していたこともあり、今年はそんなに作業で苦労した覚えはありませんでした。
ただ、昨年はこちらの調査を優先するとしてJBpressへの記事執筆は毎月2本のところを1本に減らしていましたが、今年は普通に2本書きながらこちらの調査も完遂してのけて見せました。自分でも思いますがいろいろと頭おかしい気がします。
このようにして5年にも渡りこの派遣業界のマージン率を定点観測してきましたが、調査は今年までとし、来年以降はもうやめるつもりです。本当は今年もやるべきか悩んでいたのですが、去年に一つネタを仕込んだので、その義務感から無理やり続けました。
では一体何故調査を打ち切るのかというと、一つはデータ公開企業が当初の5社中1社から4社中1社になるなどある程度増えて、一定の役割は果たしたかなと思えたこと。もう一つの理由は当初からあったもので、そもそもこの調査は派遣労働者に一度もなったことがない自分がやるものかと疑問で、然るべき団体なり関係者がやるべきだとずっと思っていましたが、この5年間で私以外にこうした調査をする人はとうとう誰も現れませんでした。なんやねんもう……。
それ以上に、折角会社側と交渉する格好のデータ作ってやったのに、当事者の派遣労働者自体があまり私のデータに注目するそぶりすら見せず、なんとなく応援する対象として如何なものかと疑問を感じたことも大きいです。もちろん中にはコメントくれたりした人などしっかり評価してくれる人もいますが、それにしたってもっとやる気とか見せてもらいたいものでした。
最後に、これまで名指しは避けてきましたがどうせ最後なのと、最近になって忘れていた感情を取り戻したので思い切ってぶちまけると、以下のブログ管理人だけは私は許すことができません。
・ニャート
何故許せないのかというと、過去にこのブログの管理人は私のデータを引用して記事を書いていますが、その際に調査中最も高かったマージン率(50%)の数値だけを引用して、さも派遣会社は給与の半分をピンハネしているかのように印象付ける記事を仕立てているからです。
実際にはマージン率は25~30%くらいが平均で50%というのは例外もいいところです。そんなごく一部の数字だけ切り取って悪く見せるというのは卑怯この上なく、またそんな引用の仕方で私のブログ名もそのまま引用されるとあっては腹立たしいことこの上ありませんでした。いわば派遣会社を批判するためだけに、都合のいいデータだけ毟り取られたようなものです。
昨日の記事でも書いていますが、事実や現実に対して平等かつ公平に、ありのままの視線でとらえることがライターとして肝要で、都合のいい部分だけ切り取って報じるというのはまさに最近流行のフェイクニュースそのものでしょう。
私の記事の引用は適切なものであればもちろん何も言いませんしむしろ光栄ですが、上記ブログの引用は不適切を通り越して失礼もいいところで、捻じ曲げた事実を私のブログ名を書く当たりまともな神経とは思えず、そんな人間の書いた記事載せるBLOGOSも何考えているんだと不信感持ちまくりです。っつうか、BLOGOS経由で正式に抗議したろかな。
こんなこと言えるのもこれが最後のマージン率調査だからでしょう。といってもまた来月には別角度でこのマージン率公開にかかわる問題をまたJBpressに書く予定です。マージン率とはそこそこ長い縁となりましたが、来年以降に私のような定点観測する人間がいないとなれば、今以上に公開率とか下がるかもなという一抹の懸念を抱えた上で、筆をおかせてもらいます。
2018年1月28日日曜日
成田空港での中国人暴行事件報道について
例年と同じく今年も自宅では一度たりとも空調暖房を使っていませんが、さすがに室温が11℃を切ると辛く、作業も心なしかものすごくペースダウンします。データができたので本当は今日中にも厄介な記事をアップしようと考えていましたが、一人お祝いパーティと称して寿司食ってきてから作業を再開したものの、九時過ぎた時点でなんかやる気なくなったので明日に回します。
代わりにと言っては何ですが、早めに書いといた方がいいと思うのでこちらの話題に触れます。
・成田空港で航空会社職員に暴行・傷害の中国人逮捕(産経新聞)
先の記事へのコメントで上記ニュース記事のリンクが貼られました。もしかしたら見る人によっては驚かれたかもしれませんがそのコメントへの返信として私は、「何の意図があってこんなニュースを見せたのだ」とかなりきつい口調で問い詰めています。このような態度となったのは先週にJBpressで出した記事への反発から妙なコメントを書く人間が増えていたため変な意図があるのかと勘繰ったのと、このリンクが付けられた産経の記事自体に対して強い嫌悪感を感じたためでした。
その後の私の返信への返信で特段の意図はなかったとのことだったので、私の考え過ぎに過ぎず、コメント主の方には失礼な態度を取って申し訳ありませんでした。ただ、この記事自体への反感と、その報道姿勢についてはやはり納得いかない点が多く、その点について少し解説します。
私はこの成田空港で中国人男性が暴行を働いた事件についてはリンクが貼られる前の段階で、中国語で記事を読んでいました。その記事の中では見間違えだったかもしれませんが、「当事者となった中国人団体は当初は羽田空港にいたが、大雪で便が欠航となり代替便に乗るため数十キロ離れた成田空港へ移動させられた。そしてそこでも欠航に遭い、空港で一晩明かした」と書かれていたと覚えていますが、現段階で中国語の記事を読んでもこの「羽田空港」の下りはなく、この点に関しては事実ではなかったようです。
・航空便欠航の成田空港で中国人客が逮捕騒ぎ、中国大使館「LCC利用で過剰な権利要求は避けよ」(レコード・チャイナ)
では実際に現場ではどんな事が起きていたのですが、産経と違ってちゃんと報じているのは上のレコチャイの記事です。基本的にこの記事内容は中国語の報道内容を訳したものですが、産経よりかはきちんと当時の現場詳細が書かれています。
私の方から簡単に説明すると、ジェットスターの成田→上海便を予約していた180人(うち日本人は5人)は搭乗手続きを終えて待っていたものの大雪で欠航となったわけですが、この際にジェットスターからは中国語で欠航を説明することはなかったそうです。また「規約に書いてある」と主張して、ジェットスター側は乗客らに対してホテルの手配や食料配布等は一切行わず、半ば放置していたそうです。事情が分かる日本人5人は自主的に空港から離れたものの、中国人乗客は状況をきちんと把握できず、また把握していたとしても大半が旅行からの帰途ということもあって対応策が取れなかったのか搭乗エリアに残っていたものの、11時に同エリアが閉鎖されることから出ていくように職員らに促されたようです。
ここに至って事態を把握した在日中国大使館の方から職員が派遣され、ジェットスターらと手分けしながら一部乗客をホテルへ収容したものの、依然と100人近くが、恐らく取るべき手段が限られていたため空港に残って夜を明かしていました。そんな中、1人の乗客が食べ物を自販機で買おうと区切られたエリアへ移動しようとしたところ言い合いとなり、ジェットスター職員を突き飛ばして警察に捕まったというのが今回の事件のあらましです。なおこの騒動の際、ほかの乗客らは抗議の意味を込めて中国の国歌をみんなで合唱したことで騒ぎが大きくなりました。
コメント欄にも書きましたが、何がどうであれ暴行自体は事実であり捕まった中国人男性を弁護するつもりはさらさらありませんが、少なくとも事件が起きた状況は平常なものではなく、中国語によるきちんとした説明もほとんどなかったとのことで、こうした暴行事件が起こるのもありうるといえばありる状況だったのだろうというのが私の感想です。現実に、大雪で列車が止まるたびに車掌が怒鳴られたり殴られたりするのは日本では日常茶飯事で、珍しい光景かと言われたらそうでもないでしょう。でもこっちは事件としてはあまり報じられませんし、日常的過ぎるだけに産経も多分報じてないでしょう。
中国メディア、並びに大使館は揃ってこの事件について、「LCCはリソースが弱いことから緊急時の対応が不十分となることが多く、あらかじめ気を付ける必要がある」と踏まえた上で、騒動の際に国歌を大合唱する行為はいたずらに現地の人たちの敵愾心を煽るだけで、誉められた行為ではないと抑制するようにと比較的冷静に報じています。また中国人男性を逮捕した日本の警察らへの非難も少なくとも私には見られず、「大使館から弁護士などを派遣して収集に取り組んでいる」とだけ報じられています。
繰り返しになりますが暴行自体はもちろん許されないものの、ジェットスターのやや不適切な対応や、きちんとした説明なく極寒の真冬の空に空港から出ていくようにと言われたりした状況を考えると、「中国人が空港で大暴れ」と詳しい状況説明なしに大雑把に報じる産経の報じ方の方こそ私は疑問に感じます。むしろ日本人ですら列車が止まったり遅延したりするたびに殴り合ってるんだから、「大雪時にはよくあること」としていちいち報じなくてもよかったのではとも思います。
ただその一方、「日本人」が殴ってもニュースにはなりませんが「中国人」が殴ったらニュースにはなってしまうのは紛れもない現実です。外国人というのはどうしてもその不作法に対して現地メディアに注目されてしまうのは宿命でもあるため、今回の報道についてもいくらか仕方がないと思う自分もいます。
ただこれは自分自身の意見ですが、外国人について敵対心を不要に煽る記事はやはりある程度メディアの側でも注意するべきではないかと思います。今回の件も、暴行に至るまでの過程が書かれているのと書かれていないのとでは印象が大きく変わるきらいがあり、2016年12月の新千歳空港出の騒動の際もそうでしたが、きちんと双方の立場に立った中立的な報道を心がけるべきだと外国人絡みの事件に関しては思います。そういう意味で今回の産経の報道は、自分には強い悪意を感じる報じ方です。
仮にこの状況が日本人だったら、現地メディアはどのように報じるのか。こうした場合に日系メディアは今回の中国メディアのように比較的冷静に報じれるのか。結局はこうした議論に行き着くでしょう。
あー、明日記事書くの嫌だなぁ。
代わりにと言っては何ですが、早めに書いといた方がいいと思うのでこちらの話題に触れます。
・成田空港で航空会社職員に暴行・傷害の中国人逮捕(産経新聞)
先の記事へのコメントで上記ニュース記事のリンクが貼られました。もしかしたら見る人によっては驚かれたかもしれませんがそのコメントへの返信として私は、「何の意図があってこんなニュースを見せたのだ」とかなりきつい口調で問い詰めています。このような態度となったのは先週にJBpressで出した記事への反発から妙なコメントを書く人間が増えていたため変な意図があるのかと勘繰ったのと、このリンクが付けられた産経の記事自体に対して強い嫌悪感を感じたためでした。
その後の私の返信への返信で特段の意図はなかったとのことだったので、私の考え過ぎに過ぎず、コメント主の方には失礼な態度を取って申し訳ありませんでした。ただ、この記事自体への反感と、その報道姿勢についてはやはり納得いかない点が多く、その点について少し解説します。
私はこの成田空港で中国人男性が暴行を働いた事件についてはリンクが貼られる前の段階で、中国語で記事を読んでいました。その記事の中では見間違えだったかもしれませんが、「当事者となった中国人団体は当初は羽田空港にいたが、大雪で便が欠航となり代替便に乗るため数十キロ離れた成田空港へ移動させられた。そしてそこでも欠航に遭い、空港で一晩明かした」と書かれていたと覚えていますが、現段階で中国語の記事を読んでもこの「羽田空港」の下りはなく、この点に関しては事実ではなかったようです。
・航空便欠航の成田空港で中国人客が逮捕騒ぎ、中国大使館「LCC利用で過剰な権利要求は避けよ」(レコード・チャイナ)
私の方から簡単に説明すると、ジェットスターの成田→上海便を予約していた180人(うち日本人は5人)は搭乗手続きを終えて待っていたものの大雪で欠航となったわけですが、この際にジェットスターからは中国語で欠航を説明することはなかったそうです。また「規約に書いてある」と主張して、ジェットスター側は乗客らに対してホテルの手配や食料配布等は一切行わず、半ば放置していたそうです。事情が分かる日本人5人は自主的に空港から離れたものの、中国人乗客は状況をきちんと把握できず、また把握していたとしても大半が旅行からの帰途ということもあって対応策が取れなかったのか搭乗エリアに残っていたものの、11時に同エリアが閉鎖されることから出ていくように職員らに促されたようです。
ここに至って事態を把握した在日中国大使館の方から職員が派遣され、ジェットスターらと手分けしながら一部乗客をホテルへ収容したものの、依然と100人近くが、恐らく取るべき手段が限られていたため空港に残って夜を明かしていました。そんな中、1人の乗客が食べ物を自販機で買おうと区切られたエリアへ移動しようとしたところ言い合いとなり、ジェットスター職員を突き飛ばして警察に捕まったというのが今回の事件のあらましです。なおこの騒動の際、ほかの乗客らは抗議の意味を込めて中国の国歌をみんなで合唱したことで騒ぎが大きくなりました。
コメント欄にも書きましたが、何がどうであれ暴行自体は事実であり捕まった中国人男性を弁護するつもりはさらさらありませんが、少なくとも事件が起きた状況は平常なものではなく、中国語によるきちんとした説明もほとんどなかったとのことで、こうした暴行事件が起こるのもありうるといえばありる状況だったのだろうというのが私の感想です。現実に、大雪で列車が止まるたびに車掌が怒鳴られたり殴られたりするのは日本では日常茶飯事で、珍しい光景かと言われたらそうでもないでしょう。でもこっちは事件としてはあまり報じられませんし、日常的過ぎるだけに産経も多分報じてないでしょう。
中国メディア、並びに大使館は揃ってこの事件について、「LCCはリソースが弱いことから緊急時の対応が不十分となることが多く、あらかじめ気を付ける必要がある」と踏まえた上で、騒動の際に国歌を大合唱する行為はいたずらに現地の人たちの敵愾心を煽るだけで、誉められた行為ではないと抑制するようにと比較的冷静に報じています。また中国人男性を逮捕した日本の警察らへの非難も少なくとも私には見られず、「大使館から弁護士などを派遣して収集に取り組んでいる」とだけ報じられています。
繰り返しになりますが暴行自体はもちろん許されないものの、ジェットスターのやや不適切な対応や、きちんとした説明なく極寒の真冬の空に空港から出ていくようにと言われたりした状況を考えると、「中国人が空港で大暴れ」と詳しい状況説明なしに大雑把に報じる産経の報じ方の方こそ私は疑問に感じます。むしろ日本人ですら列車が止まったり遅延したりするたびに殴り合ってるんだから、「大雪時にはよくあること」としていちいち報じなくてもよかったのではとも思います。
ただその一方、「日本人」が殴ってもニュースにはなりませんが「中国人」が殴ったらニュースにはなってしまうのは紛れもない現実です。外国人というのはどうしてもその不作法に対して現地メディアに注目されてしまうのは宿命でもあるため、今回の報道についてもいくらか仕方がないと思う自分もいます。
ただこれは自分自身の意見ですが、外国人について敵対心を不要に煽る記事はやはりある程度メディアの側でも注意するべきではないかと思います。今回の件も、暴行に至るまでの過程が書かれているのと書かれていないのとでは印象が大きく変わるきらいがあり、2016年12月の新千歳空港出の騒動の際もそうでしたが、きちんと双方の立場に立った中立的な報道を心がけるべきだと外国人絡みの事件に関しては思います。そういう意味で今回の産経の報道は、自分には強い悪意を感じる報じ方です。
仮にこの状況が日本人だったら、現地メディアはどのように報じるのか。こうした場合に日系メディアは今回の中国メディアのように比較的冷静に報じれるのか。結局はこうした議論に行き着くでしょう。
あー、明日記事書くの嫌だなぁ。
2018年1月26日金曜日
上海雪景色
日本はなんか最近大雪だワッショイ的な報道をよく見かけますが、ここ上海でも昨日は雪が降り、今朝も積もっていました。でもって自分はいつも通りにスーツ(春用)にコートも着ず、手袋だけ装備して出勤しました。なんだろうかこの、「ひのきのぼう」だけ持って冒険に出かけるかのような姿は。
上の写真は今日の東方網の記事から引用したものですが、上海雪景色ともいうべき写真がたくさん載せられています。ただ注目すべきは写真の「白い」箇所ではなく、「黒い」方の道路です。
見てわかる通りに、建物の上には雪が積もっているにもかかわらず道路にはほぼ全く雪が積もっていません。実際に私が今朝出勤(春用スーツ)した際に道路に雪が余り積もっておらず、「荒れだけ降っていたのだからもっと積もるかと思っていたのに」という考えがよぎりました。一方で、植え込みや塀の上などにはそこそこ雪が積もっていて、「もしかして既に雪かき済み?」とそこで気が付いたわけです。
私の予想通りというか、まだ雪が降り続けていたにもかかわらず上海市内の環境関連公務員、警察、果てには武装警察まで動員して夜を徹して雪かきを行っていたようです。
階段には滑らないように敷物を設置
昼頃には自転車乗る人も
実際に今日、あれだけ雪が降ったというのに事故などのニュースはほとんど聞かれず、朝のラッシュ時もほとんど混乱は起きていませんでした。ただ寒かったからか、半フレックス制な自分の職場では従業員の出勤はいつもより遅かったですけど。
個人的に感銘したのはこちらのメディアがちゃんと雪かきしている公務員らを取材して、その活動をきちんと称賛しているということです。私の周りでもこれらの報道を見て警官らはよくやったと述べる人が多く、ちゃんと見るべきところを中国人はきちんと見ていると思えました。
・お隣さんの雪かき時間、仕方がないのでしょうか。(発言小町)
一方、と言ってはなんですが、日本では最近上のように「近所の雪かきがうるさい」というクレーム話をよく目にします。前にも行政の人間が早朝に雪かきしていたら時間をずらせないのかなどと身勝手な意見を主張されたなどという報道があり、なんだかなという気持ちにさせられました。
もちろんこういうクレームはごく一部の人間、だとは思いたいのですが、幼稚園の騒音で裁判が起きたり、実際に公園で子供が遊ぶのをほとんど禁止したりする例などを見ていると、先ほどの「ごく一部」は依然と比べると確実に増えているという印象があります。
最近よく同僚とも話していますが、日本全体で心も貧しくなっているように見え、何でもかんでも中国を贔屓にするつもりは私もありませんが、裁判中であっても「あ、ごめん、今裁判中なう」みたいに裁判官が普通に携帯電話を取ったりするくらい社会全体がおおらかな中国が心の豊かさでも勝ってきているのではと思うような節があります。まぁもちろんそれは、生活が豊かなごく一部に限るということには間違いありませんが。
2018年1月24日水曜日
エイリアンよりも恐ろしい事
英国の雑誌が2009年に行った「最高の続編映画ランキング」で、SFホラーシリーズの金字塔である「エイリアン2」がトップに選ばれていたそうです。
・エイリアン2(Wikipedia)
エイリアンシリーズは私も一通り見ていますが、確かにこのシリーズは2が最高傑作だと思います。ストーリーはもとより映像表現や演出が見事で、娯楽作品ではあるもののテーマ性などでも劣っておらず今見ても十分見ごたえある作品だと考えています。
そんなエイリアン2で登場人物の中でひときわ目を引いたのは、エイリアンが跋扈する植民地で多々一人生き残っていた少女、ニュート(上記画像)だと思います。そのストーリー上の立ち位置はもとより演じた子役がかわいい上に演技も上手で、特にいっちょ前にヘルメットを被って並み居る屈強な海兵隊員たちの前で、「この子だって一人で生き残ってきたのよ」とシガニー・ウィーバーに言われて無言で敬礼してのけるシーンなど、覚えている方も多いのではないかと思います。実際この子役の演技は高く評価され、この作品で演技賞も受賞しています。
ただこの子役、キャリー・ヘン氏はその後は演技を続けずに芸能界から引退してしまったため、その他の作品に出演することはありませんでした。しかしエイリアン2の愛らしい姿を覚えている人も多いためか、「あの子役はどうなっているの?」とネット上で尋ねる人は現在も少なからずいるようです。
・エイリアン2で惑星LV-426の生き残りの女の子……(Yahoo知恵袋)
上記リンクの知恵袋はまさにこのキャリー・ヘン氏のその後を尋ねたものですが、回答者が書いているように現在は小学校教師をしているようです。また上にリンクを付けた本人のWikipediaページには比較的現在の彼女の写真も載せられているのですが、先の知恵袋で質問した方はこの現在の姿について、「歳をとる方がエイリアンよりも恐ろしい事が分かりました(笑)」という感想を洩らしています。
よく「ハリウッド映画に出演した子役の成人後の姿(悪い意味での)」と名の付く特集が各所で組まれており、「ターミネーター2」のエドワード・ファーロング氏とか「ホーム・アローン」のマコーレ・カルキン氏なんかはもはや常連ですが、自分にとっては上記の二人よりもさっきのキャリー・ヘン氏の方がインパクトがありました。人って、こんなに変われるんだな。
それにしても先ほどの知恵袋の、「歳をとる方がエイリアンよりも恐ろしい事が分かりました(笑)」は本当に名言だと思います。少し言い方を変えて、「時の流れはエイリアンよりも恐ろしい」というセリフを私もどっかで言ってみたいと思って機会を探って入るのですが、なかなかこんなことを言う機会はなく、今に至ってもこのセリフを口に出すことが出来ずにいます。
あと応用として「○○はプレデターよりも恐ろしい」という言い回しも作れないかと考えましたが、あまり具体的な内容が浮かばず○○に入れる語句を作ることが出来ずにいます。国語の問題とかに使えないだろうかこれ。
・『エイリアン2』ナイフシーンはガチだった!キャメロン&キャストが30周年で同窓会(シネマトゥデイ)
上の記事はエイリアン2の30周年同窓会を報じたもので、時の流れがエイリアンよりも恐ろしいことを証明したキャリー・ヘンも出席してます。それ以上に驚きなのは、アンドロイドのビショップがテーブルに広げた海兵隊員の指と指の間にナイフを高速で突くシーンは特撮ではなく、一切の編集無しで撮影したものだったという事実です。怖がる海兵隊員のあの顔は演技じゃなかったんだな。
おまけ
他ではあまり言及されていませんが、こちらはホラーゲームの金字塔である「バイオハザード2」は改めてみると、「エイリアン2」を相当参考にして作られたのではないかと思う節があります。どちらも第1作目は「恐怖からの脱出」に重きが置かれていたのに対し第2作目では「恐怖への打倒」こと、戦闘をメインとして置くようになりました。そしてバイオハザード2のクレア編では、エイリアン2のニュートのように、ゾンビがうろつく街を逃げ回って生き残っていた少女を保護して一緒に脱出する展開となっており、偶然ではないよなぁと思う場面が多いです。まぁ特に何か問題あるわけじゃないですが。
むしろ注目すべきは最初に挙げた「脱出」から「打倒」へのテーマ変更で、両シリーズともにその後も続く大ヒットを遂げたことからも、ホラー物で第2作目を出すならこうしたテーマ変更の仕方がヒットの要因かもしれません。
おまけ2
エイリアンシリーズは4で一旦途切れた後、最近になって第1作目の監督をしたリドリー・スコット氏が「プロメテウス」、そしてその後の「エイリアン・コヴェナント」という続編作品を作られましたが、結果から言えばこけてしまい、計画されていたこの次の作品は打ち切りになったそうです。
私も「プロメテウス」は見ましたが、見た理由というのもマーゴット・ロビー氏に並んで贔屓にしている女優のシャーリーズ・セロン氏が出ているからでした。見た感想としては、エイリアンは出てこないし、寝ていた所を無理やり起こしたムキムキの青い色したオッサンが大暴れする映画でしかない気がして、あかんなこりゃって感じでした。そのため、シャーリーズ・セロンも出てないので「エイリアン・コヴェナント」は見ていません。
・エイリアン2(Wikipedia)
エイリアンシリーズは私も一通り見ていますが、確かにこのシリーズは2が最高傑作だと思います。ストーリーはもとより映像表現や演出が見事で、娯楽作品ではあるもののテーマ性などでも劣っておらず今見ても十分見ごたえある作品だと考えています。
そんなエイリアン2で登場人物の中でひときわ目を引いたのは、エイリアンが跋扈する植民地で多々一人生き残っていた少女、ニュート(上記画像)だと思います。そのストーリー上の立ち位置はもとより演じた子役がかわいい上に演技も上手で、特にいっちょ前にヘルメットを被って並み居る屈強な海兵隊員たちの前で、「この子だって一人で生き残ってきたのよ」とシガニー・ウィーバーに言われて無言で敬礼してのけるシーンなど、覚えている方も多いのではないかと思います。実際この子役の演技は高く評価され、この作品で演技賞も受賞しています。
ただこの子役、キャリー・ヘン氏はその後は演技を続けずに芸能界から引退してしまったため、その他の作品に出演することはありませんでした。しかしエイリアン2の愛らしい姿を覚えている人も多いためか、「あの子役はどうなっているの?」とネット上で尋ねる人は現在も少なからずいるようです。
・エイリアン2で惑星LV-426の生き残りの女の子……(Yahoo知恵袋)
上記リンクの知恵袋はまさにこのキャリー・ヘン氏のその後を尋ねたものですが、回答者が書いているように現在は小学校教師をしているようです。また上にリンクを付けた本人のWikipediaページには比較的現在の彼女の写真も載せられているのですが、先の知恵袋で質問した方はこの現在の姿について、「歳をとる方がエイリアンよりも恐ろしい事が分かりました(笑)」という感想を洩らしています。
よく「ハリウッド映画に出演した子役の成人後の姿(悪い意味での)」と名の付く特集が各所で組まれており、「ターミネーター2」のエドワード・ファーロング氏とか「ホーム・アローン」のマコーレ・カルキン氏なんかはもはや常連ですが、自分にとっては上記の二人よりもさっきのキャリー・ヘン氏の方がインパクトがありました。人って、こんなに変われるんだな。
それにしても先ほどの知恵袋の、「歳をとる方がエイリアンよりも恐ろしい事が分かりました(笑)」は本当に名言だと思います。少し言い方を変えて、「時の流れはエイリアンよりも恐ろしい」というセリフを私もどっかで言ってみたいと思って機会を探って入るのですが、なかなかこんなことを言う機会はなく、今に至ってもこのセリフを口に出すことが出来ずにいます。
あと応用として「○○はプレデターよりも恐ろしい」という言い回しも作れないかと考えましたが、あまり具体的な内容が浮かばず○○に入れる語句を作ることが出来ずにいます。国語の問題とかに使えないだろうかこれ。
・『エイリアン2』ナイフシーンはガチだった!キャメロン&キャストが30周年で同窓会(シネマトゥデイ)
上の記事はエイリアン2の30周年同窓会を報じたもので、時の流れがエイリアンよりも恐ろしいことを証明したキャリー・ヘンも出席してます。それ以上に驚きなのは、アンドロイドのビショップがテーブルに広げた海兵隊員の指と指の間にナイフを高速で突くシーンは特撮ではなく、一切の編集無しで撮影したものだったという事実です。怖がる海兵隊員のあの顔は演技じゃなかったんだな。
おまけ
他ではあまり言及されていませんが、こちらはホラーゲームの金字塔である「バイオハザード2」は改めてみると、「エイリアン2」を相当参考にして作られたのではないかと思う節があります。どちらも第1作目は「恐怖からの脱出」に重きが置かれていたのに対し第2作目では「恐怖への打倒」こと、戦闘をメインとして置くようになりました。そしてバイオハザード2のクレア編では、エイリアン2のニュートのように、ゾンビがうろつく街を逃げ回って生き残っていた少女を保護して一緒に脱出する展開となっており、偶然ではないよなぁと思う場面が多いです。まぁ特に何か問題あるわけじゃないですが。
むしろ注目すべきは最初に挙げた「脱出」から「打倒」へのテーマ変更で、両シリーズともにその後も続く大ヒットを遂げたことからも、ホラー物で第2作目を出すならこうしたテーマ変更の仕方がヒットの要因かもしれません。
おまけ2
エイリアンシリーズは4で一旦途切れた後、最近になって第1作目の監督をしたリドリー・スコット氏が「プロメテウス」、そしてその後の「エイリアン・コヴェナント」という続編作品を作られましたが、結果から言えばこけてしまい、計画されていたこの次の作品は打ち切りになったそうです。
私も「プロメテウス」は見ましたが、見た理由というのもマーゴット・ロビー氏に並んで贔屓にしている女優のシャーリーズ・セロン氏が出ているからでした。見た感想としては、エイリアンは出てこないし、寝ていた所を無理やり起こしたムキムキの青い色したオッサンが大暴れする映画でしかない気がして、あかんなこりゃって感じでした。そのため、シャーリーズ・セロンも出てないので「エイリアン・コヴェナント」は見ていません。
2018年1月22日月曜日
我は求め訴えたり……
コメント欄で猫娘がかわいくなった第6期「ゲゲゲの鬼太郎」に言及するコメントが来ましたが、この新しい鬼太郎については時代的に、かわいい女性キャラ出さないとどうにもならないから仕方ないかなと私は見ています。その一方、どうせリバイバル作るなら平成も終わりを迎えようとしている時代なだけに、「悪魔くん」の方がいいんじゃないかなという妙な感想も覚えました。
悪魔くんの詳細についてはWikipediaなどで見ればわかるので省略しますが、私は1989年に放映されたアニメ版の悪魔くんを見ていました。こちらの悪魔くんは社会風刺的意味合いの強かった初代原作とは違って勧善懲悪な如何にもな少年ヒーローものでしたが、悪魔くんとそれに付き従う十二使徒が妖怪だったり西洋の悪魔だったり南米っぽい妖精だったりと和洋折衷バラバラであったのが印象的で、キャラ的にもみんな立っていたと思えて何故かこのところ再評価しています。
ちょうどこのアニメが放映されたほぼ同時期に当たると思いますが、現在では「ペルソナシリーズ」に系譜がつながる「女神転生」というゲームとその原作となった小説もこの時期に出ていたと思います。この女神転生の特徴はグールやベヒモスと言った悪魔も、エンジェルやスサノオといった神々もすべてひっくるめて「悪魔」と総称しているのが特徴的なのですが、この概念は悪魔くんでも共通しており、世界で有名な悪魔のメフィスト・フェレスも、妖怪の百目も、ぶっちゃけUMAなこうもり男に鳥乙女もまとめて「悪魔」と総称しています。
作者の水木しげるがそこまで意識していたのかまではわかりかねますがある意味これは、味方となれば「神」であり、敵対すれば「悪魔」だが、本質的にこの両者はどちらも同じような神霊的存在であることを暗喩しているようにも見えます。さっきの女神転生なんかはまさにこれがテーマです。
現実に「悪魔学」という神話を辿ることで民族の盛衰や歴史の変化を追う民族学では、神霊がどのようにその言い伝えが変わっていくかという変化を捉える学問です。一例を挙げると、バビロニアの豊穣をもたらす神の「バアル」は、バビロニアと対立していたイスラエル地方のキリスト教やユダヤ教では邪心と扱われ、名前も「ベルゼブブ(バアルゼブブ)」に変えられ、「蠅の王」という立場に変えられています。元は同じ存在ですが、味方であるか敵であるかで姿を変えており、そう考えると神と悪魔は相反するものというより同じ存在を言い分けてるだけで、本質的にはやはり「悪魔」と総称する方が適切な気がします。
こうした価値観から私はよく「神は信じないが悪魔と妖怪はいると信じている」と公言しています。また年齢が下の者に対しても、「この世に自分を助けてくれる神様はいないが、不幸へ引き込もうとする悪魔はたくさんいる」などと教訓めいた説法も繰り返したりしています。もっとも、そんな悪魔を従えるような悪魔くんなら別かもしれませんが。ああ、もっかいみてみたいな悪魔くん。
最後に本題から外れますが、友人の嫁がやっている「陰陽師」というゲームで茨木童子という鬼が出てくるのですがこれについて、「最近は女性として描かれることの多い鬼」だと説明しました。実際に今昔物語で女性に化けて源頼光四天王の渡辺綱に復讐を仕掛ける話はあるのですが、これに限らなくても私は日本の鬼の性別はすべて女性なのではないかと思う時があります。大江山の酒呑童子もこの例にもれず、こちらは元はプレイボーイの男性であったと書かれていますがむしろ逆で、プレイボーイに恋文送っていた女性の怨念、もしくは送っていた女性そのものではないかと疑っています。
こう思うのも楠圭氏の「鬼切丸」(続編がクソ過ぎる)の影響かもしれませんが、なんとなく日本の伝承に出てくる鬼の話を見ていて、鬼は女性性が強い存在のように感じられます。
おまけ
「太鼓の達人」の「おに」は難しすぎる。
悪魔くんの詳細についてはWikipediaなどで見ればわかるので省略しますが、私は1989年に放映されたアニメ版の悪魔くんを見ていました。こちらの悪魔くんは社会風刺的意味合いの強かった初代原作とは違って勧善懲悪な如何にもな少年ヒーローものでしたが、悪魔くんとそれに付き従う十二使徒が妖怪だったり西洋の悪魔だったり南米っぽい妖精だったりと和洋折衷バラバラであったのが印象的で、キャラ的にもみんな立っていたと思えて何故かこのところ再評価しています。
ちょうどこのアニメが放映されたほぼ同時期に当たると思いますが、現在では「ペルソナシリーズ」に系譜がつながる「女神転生」というゲームとその原作となった小説もこの時期に出ていたと思います。この女神転生の特徴はグールやベヒモスと言った悪魔も、エンジェルやスサノオといった神々もすべてひっくるめて「悪魔」と総称しているのが特徴的なのですが、この概念は悪魔くんでも共通しており、世界で有名な悪魔のメフィスト・フェレスも、妖怪の百目も、ぶっちゃけUMAなこうもり男に鳥乙女もまとめて「悪魔」と総称しています。
作者の水木しげるがそこまで意識していたのかまではわかりかねますがある意味これは、味方となれば「神」であり、敵対すれば「悪魔」だが、本質的にこの両者はどちらも同じような神霊的存在であることを暗喩しているようにも見えます。さっきの女神転生なんかはまさにこれがテーマです。
現実に「悪魔学」という神話を辿ることで民族の盛衰や歴史の変化を追う民族学では、神霊がどのようにその言い伝えが変わっていくかという変化を捉える学問です。一例を挙げると、バビロニアの豊穣をもたらす神の「バアル」は、バビロニアと対立していたイスラエル地方のキリスト教やユダヤ教では邪心と扱われ、名前も「ベルゼブブ(バアルゼブブ)」に変えられ、「蠅の王」という立場に変えられています。元は同じ存在ですが、味方であるか敵であるかで姿を変えており、そう考えると神と悪魔は相反するものというより同じ存在を言い分けてるだけで、本質的にはやはり「悪魔」と総称する方が適切な気がします。
こうした価値観から私はよく「神は信じないが悪魔と妖怪はいると信じている」と公言しています。また年齢が下の者に対しても、「この世に自分を助けてくれる神様はいないが、不幸へ引き込もうとする悪魔はたくさんいる」などと教訓めいた説法も繰り返したりしています。もっとも、そんな悪魔を従えるような悪魔くんなら別かもしれませんが。ああ、もっかいみてみたいな悪魔くん。
最後に本題から外れますが、友人の嫁がやっている「陰陽師」というゲームで茨木童子という鬼が出てくるのですがこれについて、「最近は女性として描かれることの多い鬼」だと説明しました。実際に今昔物語で女性に化けて源頼光四天王の渡辺綱に復讐を仕掛ける話はあるのですが、これに限らなくても私は日本の鬼の性別はすべて女性なのではないかと思う時があります。大江山の酒呑童子もこの例にもれず、こちらは元はプレイボーイの男性であったと書かれていますがむしろ逆で、プレイボーイに恋文送っていた女性の怨念、もしくは送っていた女性そのものではないかと疑っています。
こう思うのも楠圭氏の「鬼切丸」(続編がクソ過ぎる)の影響かもしれませんが、なんとなく日本の伝承に出てくる鬼の話を見ていて、鬼は女性性が強い存在のように感じられます。
おまけ
「太鼓の達人」の「おに」は難しすぎる。
2018年1月21日日曜日
気の長い猫
特に書くことないのでこの前見た動画を貼っておきます。
見てみればわかりますが、この画面の鳥は実にいやらしく寝ている猫の耳元で鳴き続け、それに対して猫はいくらかひっぱたくものの手加減をしています。もし自分が同じ立場なら全力で殴り倒しかねず、そう考えると自分よりこの猫の方が気が長そうです。
2018年1月18日木曜日
煽り見出しの裏テーマ
最近思うけどどうして自分はこうも無駄に働き続けるのか不思議です。わかる人にはわかるでしょうがこのところこのブログは2日刻みで更新をしており、もちろんこれには理由があります。っていうか今週週末は友人と音楽ライブにも行くし、調査も進めなきゃいけないし、何より次のJBpress記事書かないといけないしで気が狂いそうです。
・どこがおもてなしだ!中国に完敗の日本のサービス(JBpress)
ハイそんなわけで昨日配信したのが上の記事です。当初は中国の自動車メーカー紹介記事でも書こうと実際に前取材も進めていたのですが、実際に執筆へ移る直前のある夜、もしかしたら夢だったかもしれませんが寝る直前に、「せや、中国のサービス事情を日本以上と書いたら反発する人多くてアクセス稼げそうやー。前にブログでも同じネタ書いとるし、取材なしでぱっぱと書けるわこんなもん」と思いつき、予定変更でこっちの記事が仕上がったわけです。やっぱこういうのは締め切りギリギリになるほど閃くものです。
今回のこの記事はその内容から大きく反発されるだろうということは初めから想定してはいましたが、配信当初からヤフコメはどんどん伸びていって500件超えたあたりからちょっとビビりました。その後も伸び続けて現時点で1300件を超えていますが、ここまでの反応があるとは全く想定してはいませんでした。どうせどう書いても反発されるんだからアクセス数を稼ぐために煽り系にしましたが、やっぱWeb記事は見出しが何より大事です。
それにしても毎回そうですが、頑張って取材した記事より全く何も取材せずにその場の勢いで書いた記事の方が注目されてしまうのは非常に複雑です。まぁ業界関係者の間では、取材した記事の方が良く褒めてもらえるのですが……。
記事内容については読んでもらえばいいので割愛しますが、ヤフコメを見る限り最も批判がなされている見出し、特に「見出しと内容が一致しない」という指摘について少し解説しようと思います。結論から言うとこれは意図的なもので、反発されたらOK、何か意図を疑われたら二重丸、「もしかして」という想定までされていたらパーフェクトで、逆に何も感じさせられなかったら大失敗という評価区分で臨みました。
当初この記事の見出しは、「中国の方がマシ?日本の劣悪なサービス分野」でした。こちらも煽るような見出しですが最終版に比べればまだ抑えてあり、尚且つ「おもてなし」という言葉も入っていません。最終版の見出しは編集部から提案されたもので、「おもてなし」という単語を入れるべきかで少し悩んだものの、記事自体の内容と「おもてなし」は直接関係しないものの、裏テーマにはむしろ直結する言葉となるため、これで行くことにしました。
ちなみにこれはブログの方で顕著ですが、私が挑発的な言葉を用いる際はほぼ確実に相手に特定のキーワードなりを言わせて言質を取ることを目的としています。そういう意味では今回は目論み通りの結果に至ったと考えています。
もったいぶらずに書くとこの記事の裏テーマとは、「日本語における『サービス』という言葉の定義と範囲」でした。この裏テーマは見出しと、記事内容を見た後の反応で確かめ、これから書く記事の根拠とする目的でこの見出しにしました。
今回の記事へのコメントで最も多かった内容として、「書かれているのはサービスというより営業形態、商習慣だ」、「おもてなしとは意味が違う」、「中国人店員の態度の話かと思ったら全く違った」等ですが、こうした反応を敢えて持たせるために今回このような見出しに私はしたわけです。そもそも何故見出しと内容に齟齬を感じる人が多かったのかというと、それもこれも日本語における「サービス」の定義範囲が極端に狭いからです。
あまり体力が残されていないためちゃっちゃと書くと、日本人が「サービス」という単語を聞いて思い浮かべるのは十中八九「接客態度」で間違いないでしょう。店員、従業員、営業担当の態度や言葉遣い、礼儀、お辞儀の仕方で、今回の記事で取り上げたような契約サービスや保守・アフターサービス、カスタムオーダーを思い浮かべる人はまずおらず、そもそもこれらが「サービス」という言葉に含まれるとは考えない、それどころか否定する人もいるのではないかと思います。その上で、サービスの単価は無料であるという意識も強く、お金を取ったらもはやそれはサービスではないと考えるケースも少なくない気がします。
そのため「サービスが悪い」というとこれも意味は「従業員の態度や応対が悪い」と取ってよく、実際これ以外の使われ方をするのは極稀でしょう。同時に「サービス競争」というのもどっちかっていうと従業員をどこまでへりくださせるかの競争になることが多い気がします。
今回、私がサービスが劣悪だと考える日本の業種として銀行、不動産、携帯電話を挙げましたが、唯一不動産に関してはサービスというよりかは指摘の通りに商習慣の差という方が適切だと考えますが、他二つに関してはやはり「サービス」というくくりで語るべきだと考えます。そう考えるのも、サービスというのは対人接客だけでなく、今回の記事で槍玉に挙げた契約関連サービスや先ほど挙げた例、そして業務システムも含まれると私は考え、少なくとも英語や中国語の「サービス」にはこうした意味が含まれています。というよりむしろ、英語や中国語のサービスにおける「対人接客」の割合はむしろ低く、業務全体の効率性や合理性、バランスを言い表すことの方が多い気がします。
いくつか例を出すと、「価格は安いがアフターサポートが少ない」は「価格は高いが並のサービス」を上回るとか、飛行機のチケットのように追加料金でキャンセル権利が得られるなどの複数の選択肢が設けられているとか、こうした値段と内容の一致性、そして各ニーズに応えられる選択肢の量などがサービスの評価基準であると私は考えます。
いったんまとめると、日本人の「サービス」という言葉が示す内容は「接客態度」に異常に集約されており、その定義と範囲が極端に狭すぎる傾向があると言いたいわけです。これがどんな弊害をもたらすのかというと、本来サービスというくくりで見たり評価したりする各業者の業務、特に効率性についてあまり目がいかず、「あそこの店員の態度は……」などと接客態度しか評価基準とせず、明らかに消費者にとって不合理な対応や業務形態については誰も批判せず、野放しとなっているのではと、私には日本社会がこのように見えます。
それこそPCデポの解約騒動のように大きな事件になれば批判されますが、普段の生活で業務形態をとって「サービスが悪い」と対応改善を求める声が上がることは日本ではほとんどないし、メディアも「サービスの劣悪な業界ランキング」みたいにして取り上げることはありません(中国はよくやっている)。
特に強く言いたいのは、今回私が取り上げた3つの業界についてこうして正面からそのサービス形態を批判するメディアはこれまでほとんどいなかったことです。何故あまり批判されてこなかったかというと比較対象がなかったからで、同じ業界の企業同士ならばともかく、業界全体ともなるとその良し悪しを図ろうにも比較対象がないからそのサービスの悪さが認知できない上、「同業他社もそうなのだから」で片づけられていたからです。だからこそ比較対象として私は中国の事情を持ってきたわけです。
仮に日本語の「サービス」の定義がもっと広く、「接客態度」だけでなく先ほど挙げた経済合理性、ニーズへの柔軟な対応、手続きの簡便さも含まれていれば、「サービス競争」というのはもっと多角的に分析されていたような気がします。しかし何度も言う通り、サービスの定義があまりにも狭すぎるため、業務全般の良し悪しを多角的に評価、認知することが日本では極端に少ない気がします。言ってしまえば、「日本人はサービスの視野が狭い」と私は言いたいのです。
実際、ヤフコメを見る限り私が今回の記事で挙げた3つの業界の「悪いサービス例」を多くの日本人は「慣習」や「営業形態」と受け取ったわけですが、サービスというのは価格、人員、システム、効率性、合理性、一致性、即応性、柔軟性などの多くの要素を総合的に考慮して評価すべきだと私には思え、少なくとも「接客態度」だけで評価を決めるべきものではありません。さらに言えば、中国を含め世界はこうした価値観でサービス競争を繰り広げて研鑽を深めており、接客態度だけに注力したまま他の面がおざなりとなっている日本のサービスはどんどん置いていかれ始めているのが現状なんじゃないかと、誇張ではなく私はそう考えています。
その上で、「接客態度だけよくて他はゴミみたいなサービス」にお金を払う人間はいるのか、国際競争力の観点から見てどうなのと言いたかったわけです。だからこそああいう見出しにして、私が認識する「サービス」と日本人の抱く「サービス」には大きな距離があることを端的に示し、証明するため、日本がその「手厚い」と自称するサービスの代表的キーワードとしている「おもてなし」をそのまま残したというわけです。
なお私の中では、本当に「おもてなし」するというのであれば顧客に不利なアドバイスや説明なんかすることはなく、またカスタムオーダーにも柔軟に対応するだろうと考えるため、今回の記事の見出しに据えても特に問題はないとも考えています。もっとも読んだ人を最初に「おもてなし=接客態度&サービス」というイメージへ誘導させるというのが主眼でしたが。
こうした今回の裏テーマ、意図については自分でいうのもなんですが非常に高いハードルを掲げていると自覚しており、それとなく無意識でもいいから、「なんかこの書いてる人とサービスの定義が違うな」とだけでも意識してくれればいいかと当初考えていました。ただコメント欄を見ていると、極数人ではありましたが私の意図していた内容をきちんと受け取っているかのような、具体的には「日本のサービスは接客態度に非常に偏っている」というようなコメントを書いている人がおり、これは想定外で且つ素直にうれしく感じました。
結論を書くと、日本人のサービスの定義は接客態度に偏り過ぎており、そしてそれは、今日の記事では省略しますが多方面で競争力を落とす要因となっており、日本の生産効率を下げる原因の一つにもなっています。この日本人のサービス観を証明する上では、まぁうまくいったなというのが今回の記事の収穫です。
おまけ
NewsPicksのコメントを見ていると記事末尾に書いた、「これら業種のサービス改善には外資参入が必要」という記述に賛同する人がそこそこいて、見る人は見るなぁと感じるとともに、「中途半端に文字数余ったから適当に書いて埋めた記述なんだけどなぁ(;・∀・)」ということを言うべきか悩みました。
おまけ2
ヤフコメの中で、「比較対象を中国とせず、欧米にしておけば病的な人たちの反発を買わなかったのにね」というコメントがあり、「やさしいこと言ってくれるじゃん(・∀・ )」とか思いました。まぁ事実その通りでしょうがその一方、比較対象が中国じゃなければここまで反発を買えない、もといアクセスを稼げないという事情もあるのでなかなか難しいところです。
追記
改めてヤフコメ見てると「だったら中国に移住しろよ」とか「住めよ」って書く人多いけど、「いや、ずっと中国住んどるからこんなん書いとるんやろ」と返信したくなります。っていうか日本に年間半月も帰らんし。
自分の記事のヤフコメには自画自賛にならないよう一切コメントも、「そう思う」ボタンも押していませんが、一回全部に返信したろかな。
・どこがおもてなしだ!中国に完敗の日本のサービス(JBpress)
ハイそんなわけで昨日配信したのが上の記事です。当初は中国の自動車メーカー紹介記事でも書こうと実際に前取材も進めていたのですが、実際に執筆へ移る直前のある夜、もしかしたら夢だったかもしれませんが寝る直前に、「せや、中国のサービス事情を日本以上と書いたら反発する人多くてアクセス稼げそうやー。前にブログでも同じネタ書いとるし、取材なしでぱっぱと書けるわこんなもん」と思いつき、予定変更でこっちの記事が仕上がったわけです。やっぱこういうのは締め切りギリギリになるほど閃くものです。
今回のこの記事はその内容から大きく反発されるだろうということは初めから想定してはいましたが、配信当初からヤフコメはどんどん伸びていって500件超えたあたりからちょっとビビりました。その後も伸び続けて現時点で1300件を超えていますが、ここまでの反応があるとは全く想定してはいませんでした。どうせどう書いても反発されるんだからアクセス数を稼ぐために煽り系にしましたが、やっぱWeb記事は見出しが何より大事です。
それにしても毎回そうですが、頑張って取材した記事より全く何も取材せずにその場の勢いで書いた記事の方が注目されてしまうのは非常に複雑です。まぁ業界関係者の間では、取材した記事の方が良く褒めてもらえるのですが……。
記事内容については読んでもらえばいいので割愛しますが、ヤフコメを見る限り最も批判がなされている見出し、特に「見出しと内容が一致しない」という指摘について少し解説しようと思います。結論から言うとこれは意図的なもので、反発されたらOK、何か意図を疑われたら二重丸、「もしかして」という想定までされていたらパーフェクトで、逆に何も感じさせられなかったら大失敗という評価区分で臨みました。
当初この記事の見出しは、「中国の方がマシ?日本の劣悪なサービス分野」でした。こちらも煽るような見出しですが最終版に比べればまだ抑えてあり、尚且つ「おもてなし」という言葉も入っていません。最終版の見出しは編集部から提案されたもので、「おもてなし」という単語を入れるべきかで少し悩んだものの、記事自体の内容と「おもてなし」は直接関係しないものの、裏テーマにはむしろ直結する言葉となるため、これで行くことにしました。
ちなみにこれはブログの方で顕著ですが、私が挑発的な言葉を用いる際はほぼ確実に相手に特定のキーワードなりを言わせて言質を取ることを目的としています。そういう意味では今回は目論み通りの結果に至ったと考えています。
もったいぶらずに書くとこの記事の裏テーマとは、「日本語における『サービス』という言葉の定義と範囲」でした。この裏テーマは見出しと、記事内容を見た後の反応で確かめ、これから書く記事の根拠とする目的でこの見出しにしました。
今回の記事へのコメントで最も多かった内容として、「書かれているのはサービスというより営業形態、商習慣だ」、「おもてなしとは意味が違う」、「中国人店員の態度の話かと思ったら全く違った」等ですが、こうした反応を敢えて持たせるために今回このような見出しに私はしたわけです。そもそも何故見出しと内容に齟齬を感じる人が多かったのかというと、それもこれも日本語における「サービス」の定義範囲が極端に狭いからです。
そのため「サービスが悪い」というとこれも意味は「従業員の態度や応対が悪い」と取ってよく、実際これ以外の使われ方をするのは極稀でしょう。同時に「サービス競争」というのもどっちかっていうと従業員をどこまでへりくださせるかの競争になることが多い気がします。
今回、私がサービスが劣悪だと考える日本の業種として銀行、不動産、携帯電話を挙げましたが、唯一不動産に関してはサービスというよりかは指摘の通りに商習慣の差という方が適切だと考えますが、他二つに関してはやはり「サービス」というくくりで語るべきだと考えます。そう考えるのも、サービスというのは対人接客だけでなく、今回の記事で槍玉に挙げた契約関連サービスや先ほど挙げた例、そして業務システムも含まれると私は考え、少なくとも英語や中国語の「サービス」にはこうした意味が含まれています。というよりむしろ、英語や中国語のサービスにおける「対人接客」の割合はむしろ低く、業務全体の効率性や合理性、バランスを言い表すことの方が多い気がします。
いくつか例を出すと、「価格は安いがアフターサポートが少ない」は「価格は高いが並のサービス」を上回るとか、飛行機のチケットのように追加料金でキャンセル権利が得られるなどの複数の選択肢が設けられているとか、こうした値段と内容の一致性、そして各ニーズに応えられる選択肢の量などがサービスの評価基準であると私は考えます。
いったんまとめると、日本人の「サービス」という言葉が示す内容は「接客態度」に異常に集約されており、その定義と範囲が極端に狭すぎる傾向があると言いたいわけです。これがどんな弊害をもたらすのかというと、本来サービスというくくりで見たり評価したりする各業者の業務、特に効率性についてあまり目がいかず、「あそこの店員の態度は……」などと接客態度しか評価基準とせず、明らかに消費者にとって不合理な対応や業務形態については誰も批判せず、野放しとなっているのではと、私には日本社会がこのように見えます。
それこそPCデポの解約騒動のように大きな事件になれば批判されますが、普段の生活で業務形態をとって「サービスが悪い」と対応改善を求める声が上がることは日本ではほとんどないし、メディアも「サービスの劣悪な業界ランキング」みたいにして取り上げることはありません(中国はよくやっている)。
特に強く言いたいのは、今回私が取り上げた3つの業界についてこうして正面からそのサービス形態を批判するメディアはこれまでほとんどいなかったことです。何故あまり批判されてこなかったかというと比較対象がなかったからで、同じ業界の企業同士ならばともかく、業界全体ともなるとその良し悪しを図ろうにも比較対象がないからそのサービスの悪さが認知できない上、「同業他社もそうなのだから」で片づけられていたからです。だからこそ比較対象として私は中国の事情を持ってきたわけです。
仮に日本語の「サービス」の定義がもっと広く、「接客態度」だけでなく先ほど挙げた経済合理性、ニーズへの柔軟な対応、手続きの簡便さも含まれていれば、「サービス競争」というのはもっと多角的に分析されていたような気がします。しかし何度も言う通り、サービスの定義があまりにも狭すぎるため、業務全般の良し悪しを多角的に評価、認知することが日本では極端に少ない気がします。言ってしまえば、「日本人はサービスの視野が狭い」と私は言いたいのです。
実際、ヤフコメを見る限り私が今回の記事で挙げた3つの業界の「悪いサービス例」を多くの日本人は「慣習」や「営業形態」と受け取ったわけですが、サービスというのは価格、人員、システム、効率性、合理性、一致性、即応性、柔軟性などの多くの要素を総合的に考慮して評価すべきだと私には思え、少なくとも「接客態度」だけで評価を決めるべきものではありません。さらに言えば、中国を含め世界はこうした価値観でサービス競争を繰り広げて研鑽を深めており、接客態度だけに注力したまま他の面がおざなりとなっている日本のサービスはどんどん置いていかれ始めているのが現状なんじゃないかと、誇張ではなく私はそう考えています。
その上で、「接客態度だけよくて他はゴミみたいなサービス」にお金を払う人間はいるのか、国際競争力の観点から見てどうなのと言いたかったわけです。だからこそああいう見出しにして、私が認識する「サービス」と日本人の抱く「サービス」には大きな距離があることを端的に示し、証明するため、日本がその「手厚い」と自称するサービスの代表的キーワードとしている「おもてなし」をそのまま残したというわけです。
なお私の中では、本当に「おもてなし」するというのであれば顧客に不利なアドバイスや説明なんかすることはなく、またカスタムオーダーにも柔軟に対応するだろうと考えるため、今回の記事の見出しに据えても特に問題はないとも考えています。もっとも読んだ人を最初に「おもてなし=接客態度&サービス」というイメージへ誘導させるというのが主眼でしたが。
こうした今回の裏テーマ、意図については自分でいうのもなんですが非常に高いハードルを掲げていると自覚しており、それとなく無意識でもいいから、「なんかこの書いてる人とサービスの定義が違うな」とだけでも意識してくれればいいかと当初考えていました。ただコメント欄を見ていると、極数人ではありましたが私の意図していた内容をきちんと受け取っているかのような、具体的には「日本のサービスは接客態度に非常に偏っている」というようなコメントを書いている人がおり、これは想定外で且つ素直にうれしく感じました。
結論を書くと、日本人のサービスの定義は接客態度に偏り過ぎており、そしてそれは、今日の記事では省略しますが多方面で競争力を落とす要因となっており、日本の生産効率を下げる原因の一つにもなっています。この日本人のサービス観を証明する上では、まぁうまくいったなというのが今回の記事の収穫です。
おまけ
NewsPicksのコメントを見ていると記事末尾に書いた、「これら業種のサービス改善には外資参入が必要」という記述に賛同する人がそこそこいて、見る人は見るなぁと感じるとともに、「中途半端に文字数余ったから適当に書いて埋めた記述なんだけどなぁ(;・∀・)」ということを言うべきか悩みました。
おまけ2
ヤフコメの中で、「比較対象を中国とせず、欧米にしておけば病的な人たちの反発を買わなかったのにね」というコメントがあり、「やさしいこと言ってくれるじゃん(・∀・ )」とか思いました。まぁ事実その通りでしょうがその一方、比較対象が中国じゃなければここまで反発を買えない、もといアクセスを稼げないという事情もあるのでなかなか難しいところです。
追記
改めてヤフコメ見てると「だったら中国に移住しろよ」とか「住めよ」って書く人多いけど、「いや、ずっと中国住んどるからこんなん書いとるんやろ」と返信したくなります。っていうか日本に年間半月も帰らんし。
自分の記事のヤフコメには自画自賛にならないよう一切コメントも、「そう思う」ボタンも押していませんが、一回全部に返信したろかな。
2018年1月16日火曜日
GANTZと狩りゲー
先月書いた「漫画業界のデジタル化」という記事で漫画業界でもIT化(これももう死語?)が進み切っててデジタル作画はもはや一般化しているという現況を紹介するとともに、デジタル作画のパイオニアでありながら、恐らく現時点においてもこの分野で最高級の技術とクオリティを有し、一漫画作品としてみても稀にみる傑作として奥浩哉氏の「GANTZ」を称賛しました。
この「GANTZ」ですが、先週にAmazonのKindleでまとめ買い20%オフセールやっていることに気が付き、37巻もあるから非常に悩んだけど、「いつも頑張っている自分へのご褒美オィース(笑)」として思い切って買っちゃいました。なおこのセールは私が買った直後に終了したので、マルクス主義的に社会主義革命が成就したくらいのレベルでうれしくなるというおまけもついていました。
私は「GANTZ」を漫画喫茶で読んでおり、通し読みは複数回しているものの全巻揃えてじっくり読むのはこれが初めてになりますが、改めてその作画のクオリティの高さと、戦闘シーンの迫力が桁違いな作品だと読んでて思います。この感動を伝えるために買ってから毎日友人にチャットで「GANTZめちゃ面白い」と書いているのですが、うざいと思われているのかこのツィート(笑)に対して友人は何も返事してくれません(´;ω;`)ウッ…
今回改めて読み返して感じたこととしては、やはり中盤の新宿編、大阪編が盛り上がりとしては最高潮であるように思えます。新宿編ではオニ星人が出てきますが、ラスボスを目の前にして登場キャラクタが涙を流しながらガタガタ震えるシーンがありますが、読んでるこっちも震えそうなくらい絶望的な状況で、その後に続く激しい展開と相まって激しくテンション上がります。
そんなオニ星人編を読み終わった後、特に意図せず普段から遊んでいる「討鬼伝2」というゲームをある日プレイしたのですが、その際にふと、「あれ、このゲームの世界もGANTZと一緒じゃね?」という考えが頭をよぎりました。
「GANTZ」を知らない人向けに説明すると、この漫画では一度事故死した主人公らが何の説明もなく甦らせられ、見知らぬ場所に転送されてそこで正体不明の化物たちと戦わせられるというのが大まかなあらすじです。そこで化物に殺されてしまうと今度は本当に死にますが、見事化物を撃退すると集合場所の部屋へと戻され、倒した化物の数に応じて得点がもらえ、100点になると解放されるというシステムが骨子になっています。
この戦闘のシステムは後半で明らかにされますがゲームを模したもので、化物との戦いは賭けの対象にもなっています。そしてこのシステムは、「モンスターハンターシリーズ」や先ほど挙げた「討鬼伝シリーズ」といったいわゆる「狩りゲー」と呼ばれるゲームジャンルに酷似している、というかまんまそのままです。
狩りゲーでは通常、プレイヤーは挑戦するミッションを選び、そのミッション内でターゲットとなる敵キャラを倒せばミッションクリアとなって報酬がもらえます。この報酬はゲーム内の通貨だけでなく化物から剥ぎ取った部位こと素材も含まれ、こうして集めたお金と素材を使ってキャラクターのより強力な装備を作っていくことでより難しいミッションにチャレンジできるようになります。
なお漫画の「GANTZ」でも、100点を取れば解放を選ぶこともできる一方、「より強い武器」を要求して手に入れることが出来ます。
私が今遊んでいる「討鬼伝2」なんかまさにこういったシステムのゲームで、何気に敵キャラもオニ星人、ではなく「鬼」で、相手の腕とか足とか切断して(スパーンと切れる)素材をガリガリ剥ぎ取っていく典型的な狩りゲーです。だからこそ今回気が付いたのだと思いますが、ある意味このゲーム内でやっていることは「GANTZ」における戦闘とほぼ同じで、負けるとキャラクターが死亡ならぬロストすることすらないものの、流れや報酬やシステムは酷似しています。
元々「GANTZ」自体が先ほどにも述べたようにその戦闘はゲーム性を付けて作られたものなので当然と言えば当然なのですが、今回この点に気が付いた際、狩りゲーのシステムは「GANTZ」と同じだというのであれば、ゲーム内のキャラクターも「GANTZ」と同じなのかな、という妙な考えが浮かんできました。具体的に言うと、ゲーム内のキャラクターは本人らの意思に反して無理やり殺し合いをさせられているのでは、と思ったわけです。
「GANTZ」の中で各キャラクターは例外こそいるものの、大半が早く化物との殺し合いから解放されたいと願っており、自分が死ぬかもしれない戦闘から逃れたいと願っていながらも意思に反して戦闘に参加させられています(拒否すると殺される)。これと同じように、狩りゲーでキャラクターを操るプレイヤーは何とも思っていませんが、ゲーム内で操られるキャラクターたちはもしかしたら、自分より遥かに巨大な化物たちとの戦いをそもそも望んでいない、というより戦いたくないと思っているかもしれません。
実際にゲーム内では馬鹿でかい鬼たちに殴られたり蹴られたり、燃やされたり凍らされたりして、喰われたり切断されたりってのはありませんが、それでもプレイヤーの意思に従って戦わせられます。もし自分が同じ立場だったら、はっきり言ってまっぴらごめんで、自分がされたら嫌なことをゲームの中では呵責なくキャラクターにはさせられるものだなという風に思えてきました。
また狩りゲーでは体力が尽きてミッションに失敗したとしても「GANTZ」みたいにキャラクターが死ぬということはありませんが、失敗したミッションには「再チャレンジ」することができ、敵を打ち倒してミッションを成功させるまで何度でも戦わせられます。また欲しい素材が手に入らなければ手に入るまで何度でも戦わせられ、「アフリカの密猟者ってこんな感じなのかな」って気分にも浸らせられます。
そもそもこのミッション失敗ですが、これもどこか「GANTZ」と被るというか、死んだ人間を何度も甦らせてプレイヤーが飽きるまで戦わせ続けるとも見えるこの行為は、改めて考えるとすごい残酷なことやらせているような気がします。もっともゲームのキャラクターがプレイヤーの意思に反し、「俺はもう戦わない!戦いたくない!」なんていうことはなく好戦的にプレイヤーの操作に従ってくれますが、そういう風に考えるのはもしかしたらプレイヤーだけだったりとかという想像も膨らみます。
果たしてここで使うのは適切かというとそうではないと思いますが、シミュレーテッドリアリティな世界がもしこういう狩りゲーの世界の中にもあるならば、狩りゲーのキャラクターたちは「GANTZ」のキャラクター達同様に非常に過酷な運命を背負わされていると言えるでしょう。
まぁそんなの気にせず今日もこの後で鬼を狩るつもりですが、ゲームの中にも現実の世界が広がっていると考えたら、狩りゲーのプレイヤーは多くのキャラの運命を弄ぶ実に残酷な神として君臨することになるでしょう。そしてこれはある意味で漫画の「GANTZ」のラストシーンにも通じると思え、だからこそ作者の奥氏は終盤で主人公らに何度も、「それでも人間の運命には、感情には価値がある!」と叫ばせたのかもしれません。
この「GANTZ」ですが、先週にAmazonのKindleでまとめ買い20%オフセールやっていることに気が付き、37巻もあるから非常に悩んだけど、「いつも頑張っている自分へのご褒美オィース(笑)」として思い切って買っちゃいました。なおこのセールは私が買った直後に終了したので、マルクス主義的に社会主義革命が成就したくらいのレベルでうれしくなるというおまけもついていました。
私は「GANTZ」を漫画喫茶で読んでおり、通し読みは複数回しているものの全巻揃えてじっくり読むのはこれが初めてになりますが、改めてその作画のクオリティの高さと、戦闘シーンの迫力が桁違いな作品だと読んでて思います。この感動を伝えるために買ってから毎日友人にチャットで「GANTZめちゃ面白い」と書いているのですが、うざいと思われているのかこのツィート(笑)に対して友人は何も返事してくれません(´;ω;`)ウッ…
今回改めて読み返して感じたこととしては、やはり中盤の新宿編、大阪編が盛り上がりとしては最高潮であるように思えます。新宿編ではオニ星人が出てきますが、ラスボスを目の前にして登場キャラクタが涙を流しながらガタガタ震えるシーンがありますが、読んでるこっちも震えそうなくらい絶望的な状況で、その後に続く激しい展開と相まって激しくテンション上がります。
そんなオニ星人編を読み終わった後、特に意図せず普段から遊んでいる「討鬼伝2」というゲームをある日プレイしたのですが、その際にふと、「あれ、このゲームの世界もGANTZと一緒じゃね?」という考えが頭をよぎりました。
「GANTZ」を知らない人向けに説明すると、この漫画では一度事故死した主人公らが何の説明もなく甦らせられ、見知らぬ場所に転送されてそこで正体不明の化物たちと戦わせられるというのが大まかなあらすじです。そこで化物に殺されてしまうと今度は本当に死にますが、見事化物を撃退すると集合場所の部屋へと戻され、倒した化物の数に応じて得点がもらえ、100点になると解放されるというシステムが骨子になっています。
この戦闘のシステムは後半で明らかにされますがゲームを模したもので、化物との戦いは賭けの対象にもなっています。そしてこのシステムは、「モンスターハンターシリーズ」や先ほど挙げた「討鬼伝シリーズ」といったいわゆる「狩りゲー」と呼ばれるゲームジャンルに酷似している、というかまんまそのままです。
狩りゲーでは通常、プレイヤーは挑戦するミッションを選び、そのミッション内でターゲットとなる敵キャラを倒せばミッションクリアとなって報酬がもらえます。この報酬はゲーム内の通貨だけでなく化物から剥ぎ取った部位こと素材も含まれ、こうして集めたお金と素材を使ってキャラクターのより強力な装備を作っていくことでより難しいミッションにチャレンジできるようになります。
なお漫画の「GANTZ」でも、100点を取れば解放を選ぶこともできる一方、「より強い武器」を要求して手に入れることが出来ます。
私が今遊んでいる「討鬼伝2」なんかまさにこういったシステムのゲームで、何気に敵キャラもオニ星人、ではなく「鬼」で、相手の腕とか足とか切断して(スパーンと切れる)素材をガリガリ剥ぎ取っていく典型的な狩りゲーです。だからこそ今回気が付いたのだと思いますが、ある意味このゲーム内でやっていることは「GANTZ」における戦闘とほぼ同じで、負けるとキャラクターが死亡ならぬロストすることすらないものの、流れや報酬やシステムは酷似しています。
元々「GANTZ」自体が先ほどにも述べたようにその戦闘はゲーム性を付けて作られたものなので当然と言えば当然なのですが、今回この点に気が付いた際、狩りゲーのシステムは「GANTZ」と同じだというのであれば、ゲーム内のキャラクターも「GANTZ」と同じなのかな、という妙な考えが浮かんできました。具体的に言うと、ゲーム内のキャラクターは本人らの意思に反して無理やり殺し合いをさせられているのでは、と思ったわけです。
「GANTZ」の中で各キャラクターは例外こそいるものの、大半が早く化物との殺し合いから解放されたいと願っており、自分が死ぬかもしれない戦闘から逃れたいと願っていながらも意思に反して戦闘に参加させられています(拒否すると殺される)。これと同じように、狩りゲーでキャラクターを操るプレイヤーは何とも思っていませんが、ゲーム内で操られるキャラクターたちはもしかしたら、自分より遥かに巨大な化物たちとの戦いをそもそも望んでいない、というより戦いたくないと思っているかもしれません。
実際にゲーム内では馬鹿でかい鬼たちに殴られたり蹴られたり、燃やされたり凍らされたりして、喰われたり切断されたりってのはありませんが、それでもプレイヤーの意思に従って戦わせられます。もし自分が同じ立場だったら、はっきり言ってまっぴらごめんで、自分がされたら嫌なことをゲームの中では呵責なくキャラクターにはさせられるものだなという風に思えてきました。
また狩りゲーでは体力が尽きてミッションに失敗したとしても「GANTZ」みたいにキャラクターが死ぬということはありませんが、失敗したミッションには「再チャレンジ」することができ、敵を打ち倒してミッションを成功させるまで何度でも戦わせられます。また欲しい素材が手に入らなければ手に入るまで何度でも戦わせられ、「アフリカの密猟者ってこんな感じなのかな」って気分にも浸らせられます。
そもそもこのミッション失敗ですが、これもどこか「GANTZ」と被るというか、死んだ人間を何度も甦らせてプレイヤーが飽きるまで戦わせ続けるとも見えるこの行為は、改めて考えるとすごい残酷なことやらせているような気がします。もっともゲームのキャラクターがプレイヤーの意思に反し、「俺はもう戦わない!戦いたくない!」なんていうことはなく好戦的にプレイヤーの操作に従ってくれますが、そういう風に考えるのはもしかしたらプレイヤーだけだったりとかという想像も膨らみます。
果たしてここで使うのは適切かというとそうではないと思いますが、シミュレーテッドリアリティな世界がもしこういう狩りゲーの世界の中にもあるならば、狩りゲーのキャラクターたちは「GANTZ」のキャラクター達同様に非常に過酷な運命を背負わされていると言えるでしょう。
まぁそんなの気にせず今日もこの後で鬼を狩るつもりですが、ゲームの中にも現実の世界が広がっていると考えたら、狩りゲーのプレイヤーは多くのキャラの運命を弄ぶ実に残酷な神として君臨することになるでしょう。そしてこれはある意味で漫画の「GANTZ」のラストシーンにも通じると思え、だからこそ作者の奥氏は終盤で主人公らに何度も、「それでも人間の運命には、感情には価値がある!」と叫ばせたのかもしれません。
2018年1月14日日曜日
中日新聞主筆の失言とその過去について
・中日新聞主筆、大村知事の政治姿勢を「性同一性障害」(朝日新聞)
既に各所で報じられているのですでにニュースを見ている人もいるかもしれませんが、中日新聞の小出宣昭主筆が愛知県の大村知事について、保守なのかリベラルなのかどっちとも取れそうな政治思想の持ち主であるという表現として「性同一性障害のようだ」という発言をしたそうです。先のダウンタウンの黒塗り問題についてあれは差別とは思わないと主張した私ですが、こっちの発言に関しては明確な差別だと考えます。
・大村知事の政治姿勢、性同一性障害と表現 シンポで本社主筆、撤回(中日新聞)
一応、身内の中日新聞も事実関係をきちんと報じており、この点についてはダンマリこくるのに比べて評価できます。ただ、私は今回のこの報道を見て、一目でピンときたものがあります。
・中日新聞編集担当常務小出宜昭への公開質問状(日本禁煙学会)
今から遡ること11年前、今回問題を起こした小出主筆は社説にて、昨今(当時)の禁煙ファシズムで行き場をなくした喫煙者のことを、米国のネイティブアメリカンの一部族である「スー族(吸う族)」と表現して少数民族として弾圧されているともいうような主張を展開しました。主張や思想自体は個人の勝手だし禁煙学会のように喫煙による影響とかについては何も言うつもりはありませんが、喫煙者をスー族とする比喩表現についてはやはり今回の件といい、社説で書くには不謹慎だなという印象を覚えます。そして何よりも、先ほどの性同一性障害ともどもこの比喩表現は見ていてパッとしないというか単純につまらなく見え、こうした表現を多用するレベルなのに主筆ってどうよと、実力面に感じる疑問の方が多いです。
その程度のレベルのライターを主筆に据える中日新聞の人事評価自体がいろいろとアレだと思うのですが、この小出主筆については恐らく探せば他にも大して面白くもなく、無理して使う必要もないのにきわどい比喩表現した文章や発言が見えてくるかもしれません。
私はこのブログならば個人意見の発信箇所としてややきわどい表現、それこそ「あの人は須らく死ぬべきだ。生きてても害を撒くことしかない」などとはっきり言うこともありますが、それこそJBpressのような公の媒体でこうした表現を使うことはありません。理由は無駄な議論を抑えるとともに、多くの人間が読む媒体においては過激な表現は控え、差し障りなく安全な発信を重視するからです。表現方法がどうとか言われ、内容を顧みられなくなるというのは無駄以外の何物でもありません。
今回、そして過去の発言を見る限り小出主筆にはこうしたリスク管理意識が確実に欠けているとしか思えません。そんな危なっかしい人間を主筆に据える辺り中日新聞のリスク意識もどうかと思いますが、そもそもここは意図的に誤報を流した記者を解雇もせず、停職程度の処分にとどめるような新聞社ですし、期待するだけ無駄かもしれません。それこそ先ほどの表現、早く会社丸ごと死ねばいいのにとすら私は思います。
おまけ
前の会社で「この『すらく』ってのは書き間違えだろ?」と、「須らく」について言われ、ああ早くこの会社辞めなきゃと思いました。なおその会社の先輩によると過去に営業資料配ったら、「この『そり』ってなんだ?」と「粗利」という単語の意味について聞かれたそうです。
既に各所で報じられているのですでにニュースを見ている人もいるかもしれませんが、中日新聞の小出宣昭主筆が愛知県の大村知事について、保守なのかリベラルなのかどっちとも取れそうな政治思想の持ち主であるという表現として「性同一性障害のようだ」という発言をしたそうです。先のダウンタウンの黒塗り問題についてあれは差別とは思わないと主張した私ですが、こっちの発言に関しては明確な差別だと考えます。
・大村知事の政治姿勢、性同一性障害と表現 シンポで本社主筆、撤回(中日新聞)
一応、身内の中日新聞も事実関係をきちんと報じており、この点についてはダンマリこくるのに比べて評価できます。ただ、私は今回のこの報道を見て、一目でピンときたものがあります。
・中日新聞編集担当常務小出宜昭への公開質問状(日本禁煙学会)
今から遡ること11年前、今回問題を起こした小出主筆は社説にて、昨今(当時)の禁煙ファシズムで行き場をなくした喫煙者のことを、米国のネイティブアメリカンの一部族である「スー族(吸う族)」と表現して少数民族として弾圧されているともいうような主張を展開しました。主張や思想自体は個人の勝手だし禁煙学会のように喫煙による影響とかについては何も言うつもりはありませんが、喫煙者をスー族とする比喩表現についてはやはり今回の件といい、社説で書くには不謹慎だなという印象を覚えます。そして何よりも、先ほどの性同一性障害ともどもこの比喩表現は見ていてパッとしないというか単純につまらなく見え、こうした表現を多用するレベルなのに主筆ってどうよと、実力面に感じる疑問の方が多いです。
その程度のレベルのライターを主筆に据える中日新聞の人事評価自体がいろいろとアレだと思うのですが、この小出主筆については恐らく探せば他にも大して面白くもなく、無理して使う必要もないのにきわどい比喩表現した文章や発言が見えてくるかもしれません。
私はこのブログならば個人意見の発信箇所としてややきわどい表現、それこそ「あの人は須らく死ぬべきだ。生きてても害を撒くことしかない」などとはっきり言うこともありますが、それこそJBpressのような公の媒体でこうした表現を使うことはありません。理由は無駄な議論を抑えるとともに、多くの人間が読む媒体においては過激な表現は控え、差し障りなく安全な発信を重視するからです。表現方法がどうとか言われ、内容を顧みられなくなるというのは無駄以外の何物でもありません。
今回、そして過去の発言を見る限り小出主筆にはこうしたリスク管理意識が確実に欠けているとしか思えません。そんな危なっかしい人間を主筆に据える辺り中日新聞のリスク意識もどうかと思いますが、そもそもここは意図的に誤報を流した記者を解雇もせず、停職程度の処分にとどめるような新聞社ですし、期待するだけ無駄かもしれません。それこそ先ほどの表現、早く会社丸ごと死ねばいいのにとすら私は思います。
おまけ
前の会社で「この『すらく』ってのは書き間違えだろ?」と、「須らく」について言われ、ああ早くこの会社辞めなきゃと思いました。なおその会社の先輩によると過去に営業資料配ったら、「この『そり』ってなんだ?」と「粗利」という単語の意味について聞かれたそうです。
2018年1月13日土曜日
日本のビジネスホテルのベッドサイズについて
日本の報道を見ていると寒波でセンター試験日にもかかわらず交通遅延が相次いだと報じられていますが、ここ上海も多分今年一番なくらいに寒く、寒さに対して圧倒的な強さを誇る自分ですら参っているほどです。電気カーペット入りの布団に入ったらリアルに出れなくなったし、先ほど晩飯を食べるために出た際もユニクロのフリースの上にパーカーを着込むなど、一体どれくらいぶりだろうと思うくらいの厚着を久しぶりにやりました。
なお先日友人の上海人とお好み焼きを食べに行ったら、「これからユニクロ行こう。もう僕が君のコート買ってあげるから」とガチで説得されました。
そんなわけで本題に入りますが、去年に日本へ一時帰国した際にマッドシティ(松戸)のビジネスホテルを利用したのですが、部屋に入るなり、「え、こんな子供用ベッドに寝かせられるの?」と強く不満を感じました。そしてしばらくしてから、「あ、日本ではこれが標準のサイズなのか」と思い直しました。
一体どういうことかというと、シングルサイズのベッドが自分にはとてつもなく小さく見えたからでした。何故そんな風に見えたのかというと、中国ではシングルサイズのベッドは比較的レアで、ダブルサイズのベッドが一般的だからです。これは一般住宅に限らず、ビジネスホテルにおいても同様です。
実際に私が借りている部屋もベッドはダブルで、敷布団とシーツはダブるようなのに掛け布団はシングルサイズを使う妙なハイブリッド仕様のためシーツのセットはダブル用をまとめて買えないのですが、通常泊まるビジネスホテルも基本ダブルです。二人用の部屋であってもダブルが基本で、むしろ一人用の部屋では割増料金を払うとキングサイズのベッドがある部屋が宛がわれます。
日本では恐らく一般住宅はおろか、ビジネスホテルにダブルのベッドが置かれていることなんてほぼないのではないかと思います。しかし中国の生活に慣れた自分からしたらシングルベッドはとんでもなく小さいサイズに見え、決して誇張ではなく子供用ベッドかと最初本気で勘違いしました。
中国人ではない自分ですらこんなこと思うくらいなのだから、恐らくモノホン(死語)の中国人も同じように感じるのではないかと思います。実際にその時に寝た感触としては割と窮屈感を感じただけに、訪日旅行中国人も同じ思いを抱いているかもしれません。
何が言いたいのかというと、日本が中国人客をもっと誘致しようというのであれば、こうしたベッド方面においても対策が必要なのではないかと言いたいわけです。欧米からの観光客についてははっきりとは言えませんが、恐らく感覚としては中国人に近いのではないかと思えるだけに、一般外国人客はシングルだときついのかもしれません。
なにも全部屋のベッドをダブルに変えろというのは負担も大きく現実的ではありませんが、中国人客を見据えてダブルの部屋の割合をもう少し増やしてみるのはどうかと提案したいです。もっともそれ言ったら日本のビジネスホテルの部屋の狭さへの対策の方がもっと先になるかもしれませんが、一意見として中国人はベッドサイズに違和感を持つのではと言いたいのがこの記事です。
おまけ
冒頭の上海人の友人との会話の後で一緒にお好み焼きを食べに行きましたが、「あれ、青のり出てきいひん……」と不思議そうに自分の皿へ小瓶を振っていた友人が私の皿にも試しに小瓶を振ってみたところ、小瓶からはつまようじが出てきました。今まで生きてて、お好み焼きにつまようじ振りかけられたのは初めての夜でした。
なお先日友人の上海人とお好み焼きを食べに行ったら、「これからユニクロ行こう。もう僕が君のコート買ってあげるから」とガチで説得されました。
そんなわけで本題に入りますが、去年に日本へ一時帰国した際にマッドシティ(松戸)のビジネスホテルを利用したのですが、部屋に入るなり、「え、こんな子供用ベッドに寝かせられるの?」と強く不満を感じました。そしてしばらくしてから、「あ、日本ではこれが標準のサイズなのか」と思い直しました。
一体どういうことかというと、シングルサイズのベッドが自分にはとてつもなく小さく見えたからでした。何故そんな風に見えたのかというと、中国ではシングルサイズのベッドは比較的レアで、ダブルサイズのベッドが一般的だからです。これは一般住宅に限らず、ビジネスホテルにおいても同様です。
実際に私が借りている部屋もベッドはダブルで、敷布団とシーツはダブるようなのに掛け布団はシングルサイズを使う妙なハイブリッド仕様のためシーツのセットはダブル用をまとめて買えないのですが、通常泊まるビジネスホテルも基本ダブルです。二人用の部屋であってもダブルが基本で、むしろ一人用の部屋では割増料金を払うとキングサイズのベッドがある部屋が宛がわれます。
日本では恐らく一般住宅はおろか、ビジネスホテルにダブルのベッドが置かれていることなんてほぼないのではないかと思います。しかし中国の生活に慣れた自分からしたらシングルベッドはとんでもなく小さいサイズに見え、決して誇張ではなく子供用ベッドかと最初本気で勘違いしました。
中国人ではない自分ですらこんなこと思うくらいなのだから、恐らくモノホン(死語)の中国人も同じように感じるのではないかと思います。実際にその時に寝た感触としては割と窮屈感を感じただけに、訪日旅行中国人も同じ思いを抱いているかもしれません。
何が言いたいのかというと、日本が中国人客をもっと誘致しようというのであれば、こうしたベッド方面においても対策が必要なのではないかと言いたいわけです。欧米からの観光客についてははっきりとは言えませんが、恐らく感覚としては中国人に近いのではないかと思えるだけに、一般外国人客はシングルだときついのかもしれません。
なにも全部屋のベッドをダブルに変えろというのは負担も大きく現実的ではありませんが、中国人客を見据えてダブルの部屋の割合をもう少し増やしてみるのはどうかと提案したいです。もっともそれ言ったら日本のビジネスホテルの部屋の狭さへの対策の方がもっと先になるかもしれませんが、一意見として中国人はベッドサイズに違和感を持つのではと言いたいのがこの記事です。
おまけ
冒頭の上海人の友人との会話の後で一緒にお好み焼きを食べに行きましたが、「あれ、青のり出てきいひん……」と不思議そうに自分の皿へ小瓶を振っていた友人が私の皿にも試しに小瓶を振ってみたところ、小瓶からはつまようじが出てきました。今まで生きてて、お好み焼きにつまようじ振りかけられたのは初めての夜でした。
2018年1月11日木曜日
日東電工の中国蘇州工場に関する騒動について
結論から書くと、日系メディアはほとんど報じていませんが今中国では日東電工の蘇州工場が何やら騒がしくなっています。最初に書いとくと、取材もしてないので報道以上の内容は私もわかりません。
・中国江蘇省の日東電工工場で従業員デモ(時事通信)
今週初めから突然従業員に対し工場を閉鎖するため雇止め(解雇)を申し渡したとして、これに反発した従業員がデモを起こしたとこっちでは報じられています。しかしこの件について日東電工本社は、これまでのところ何の発表もしていません。
奇妙なのは日東電工は黙して語らないのに、何故か中国商務部(経済産業省のような省庁)がこの件に関して言及していることです。報道官によると、日東電工は一部部門の事業譲渡を行うだけで蘇州工場は存続するとのことですが、具体的にどこへ譲渡するのか、日東電工の他の系列会社なのか無関係な会社なのか、日系なのか中国系なのかについては何も語っていません。
また一番よく取材できてると思う澎湃新聞の記事では、直接現地の工場に行っていろいろ書いています。この記事によると同工場ではプリント基板と液晶用偏光板を生産しているとのことで、今回槍玉に挙がっているのは偏光板部門だそうです。この分野で日東電工は世界トップシェアを持っており、記事ではそれだけに一体何故このまま生産を続けないのかと疑問を投げかけています。私自身も、液晶の世界最大の消費市場である中国の工場なのだから、事業譲渡や事業再編のどちらであるとしても実行する必要性について何故なのかという疑問がもたげます。
現場の状況としては偏光板部門らしき工場棟こそ閉まっていたものの、プリント基板部門の従業員は普通に勤務しており、出入りも自由な感じだったそうです。今週初めに出た記事では「恥知らずの小日本、従業員をだますな!」的なでかい横断幕とともに入り口付近に多くの従業員がたむろする写真が出ていたのですが、こうしたデモは最初の時事通信の報道通りに既に終息済みだと思われます。
事業部門の譲渡に伴い解雇される従業員についてもこの記事では書かれてあり、当日に退職手続きを行った従業員にも話を聞いています。対象となる従業員には通常以上の退職金が提示されており、納得した人間は既にサインしているものの、リストを見る限りではまだ多くの従業員は応じていないそうです。
あと気になることとしては労働保障局関係者が、持分譲渡交渉がまだ完了していない、と話していることが報じられています。この持分というのはこの工場、つまり日東電工(蘇州)有限公司の持分だと思われ、その譲渡を巡って交渉が行われているとのことになります。しかも上の関係者の話が事実であれば、交渉が完了していないにもかかわらず従業員の整理手続きが始まっているということにもなり、やはりこの動きには奇妙さを感じます。仮に系列会社同士の事業再編であれば、果たしてこうなるのかなと不思議に思えてなりません。
まぁ澎湃新聞によるとさ、偏光板の生産設備は日東電工の新しい深圳工場に移して、残ったプリント基板部門は同業大手の日本メクトロンの、同じ蘇州の工業園区にある生産会社へ売る方針だと従業員らが話しているそうです。よく調べてるよなぁここの記者。
報道が真実となるかどうかは今後のお楽しみですが、現状としては確かに怪しさ満点の動きをしていることは間違いありません。そして旧正月を目前に控えていきなり解雇通知っていうのも、もう少し考えてあげてほしいなと一個人としては思います。
・中国江蘇省の日東電工工場で従業員デモ(時事通信)
今週初めから突然従業員に対し工場を閉鎖するため雇止め(解雇)を申し渡したとして、これに反発した従業員がデモを起こしたとこっちでは報じられています。しかしこの件について日東電工本社は、これまでのところ何の発表もしていません。
奇妙なのは日東電工は黙して語らないのに、何故か中国商務部(経済産業省のような省庁)がこの件に関して言及していることです。報道官によると、日東電工は一部部門の事業譲渡を行うだけで蘇州工場は存続するとのことですが、具体的にどこへ譲渡するのか、日東電工の他の系列会社なのか無関係な会社なのか、日系なのか中国系なのかについては何も語っていません。
また一番よく取材できてると思う澎湃新聞の記事では、直接現地の工場に行っていろいろ書いています。この記事によると同工場ではプリント基板と液晶用偏光板を生産しているとのことで、今回槍玉に挙がっているのは偏光板部門だそうです。この分野で日東電工は世界トップシェアを持っており、記事ではそれだけに一体何故このまま生産を続けないのかと疑問を投げかけています。私自身も、液晶の世界最大の消費市場である中国の工場なのだから、事業譲渡や事業再編のどちらであるとしても実行する必要性について何故なのかという疑問がもたげます。
現場の状況としては偏光板部門らしき工場棟こそ閉まっていたものの、プリント基板部門の従業員は普通に勤務しており、出入りも自由な感じだったそうです。今週初めに出た記事では「恥知らずの小日本、従業員をだますな!」的なでかい横断幕とともに入り口付近に多くの従業員がたむろする写真が出ていたのですが、こうしたデモは最初の時事通信の報道通りに既に終息済みだと思われます。
事業部門の譲渡に伴い解雇される従業員についてもこの記事では書かれてあり、当日に退職手続きを行った従業員にも話を聞いています。対象となる従業員には通常以上の退職金が提示されており、納得した人間は既にサインしているものの、リストを見る限りではまだ多くの従業員は応じていないそうです。
あと気になることとしては労働保障局関係者が、持分譲渡交渉がまだ完了していない、と話していることが報じられています。この持分というのはこの工場、つまり日東電工(蘇州)有限公司の持分だと思われ、その譲渡を巡って交渉が行われているとのことになります。しかも上の関係者の話が事実であれば、交渉が完了していないにもかかわらず従業員の整理手続きが始まっているということにもなり、やはりこの動きには奇妙さを感じます。仮に系列会社同士の事業再編であれば、果たしてこうなるのかなと不思議に思えてなりません。
まぁ澎湃新聞によるとさ、偏光板の生産設備は日東電工の新しい深圳工場に移して、残ったプリント基板部門は同業大手の日本メクトロンの、同じ蘇州の工業園区にある生産会社へ売る方針だと従業員らが話しているそうです。よく調べてるよなぁここの記者。
報道が真実となるかどうかは今後のお楽しみですが、現状としては確かに怪しさ満点の動きをしていることは間違いありません。そして旧正月を目前に控えていきなり解雇通知っていうのも、もう少し考えてあげてほしいなと一個人としては思います。
2018年1月10日水曜日
上杉謙信は何故大勢力にならなかったのか
先週末に今年の新大河ドラマ「西郷どん」(最初の変換は「最後うどん」でした)が放送されたようですが、生憎私は見ていないのでこちらの評価はしませんが、大河ドラマで個人的に強く印象に残っているのは「風林火山」のオープニングです。実際にこちらは評価が高いようで、BGMだけで見れば歴代大河最高傑作と言われるのも納得できます。
この「風林火山」の主人公は武田信玄の軍師だった山本勘助で、ドラマ自体は武田家の視点がメインに置かれたものの、ドラマ中で脚光を浴びたのはその宿敵ともいうべき上杉謙信でした。この上杉謙信訳はミュージシャンのGackt氏が演じており、Gackt氏自身がその役作りについて監督らに自ら意見を述べるなど積極的に関わったこともあり、非常に異彩な風貌はもとよりどこからいっちゃってるようなやや狂信めいた演技は各方面からも高く評価されました。私自身も、ほかのどの上杉謙信よりも伝承や資料などから伺う像としてはこの時のGackt氏が一番近いように感じます。
そんな上杉謙信ですが、世界的に見れば非常に珍しい人間だなと私は考えています。機関銃が登場する以前の時代で誰が最も戦争指揮がうまいのかという議論はどの国でも白熱するものですが、こと日本に関しては「戦国最強」はもとより「日本史上最強」の軍指揮官の呼び声が上杉謙信にあることを疑う声はほとんど聞かれません。実際に彼が指揮した戦いは実質百戦百勝で、敵城を攻め落とし切れずに撤退することこそ多かったもの戦場で会敵しさえすればほぼ確実に敵軍を粉砕し、また私が知る限り窮地に追い込まれたという状況に至っては一度としてありません。
強いて彼に次ぐ人物を挙げるとしたら治承・寿永期の源義経くらいが浮かびますが、それでも私の中では上杉謙信に軍配が上がります。
しかしそれほど戦に強かったにもかかわらず、上杉謙信が拡大した領土は実質的には越後・上越の統一くらいなもので、同時代の織田信長と比べると非常に狭いもので終わっています。一体何故この程度に留まったのか、ありそうであまりない議論なのでいくつか私の仮説をここで述べます。
1、本拠地を移さなかったから
上杉謙信の主戦場は川中島と思われがちですが実際には北関東で、その生涯で計七回も関東への遠征を行っています。これらの遠征は北関東各地の豪族の要請を受けたり、争乱鎮圧という謙信自身の目的などが主な要因ですが、出陣の度に関東の雄こと北条家の領土を奥深く浸食しながら、止めを刺し切れずいつも撤退する羽目となります。
撤退に至った背景としては雪によって道が閉ざされるなどといった天候的な理由や、兵糧などの補給の問題、北条家の同盟相手である武田家の背後を突く牽制などがあり、毎回これらの理由で本拠地である越後・春日山城へ帰っています。そしてそのたびに一旦は服属させた北関東の豪族らはまた離反し、出撃しさえすれば平らげられるもののその勢力を北関東で維持することはほとんどありませんでした。
実質的には後述の理由により不可能であるものの、仮に織田信長のように前線に近い場所へ本拠地を移していたら北条家を排除し、関東の制覇自体は望めたかもしれません。もっともその場合、確実に越後は失っていたと思いますが。
2、雪深い北国
上記でも少し触れましたが、謙信の本拠地の越後は非常に雪深い地域で、最近では世界でも屈指の降雪量を誇ると報じられています。こうした地域では言うまでもなく冬季における軍の移動や補給となり、まさにこれが原因となって撤退に至った関東遠征も少なくありません。
もし仮にもっと雪のない地域が本拠地であれば、勢力拡大は確実に容易となっていたことでしょう。武田信玄も山深い甲斐、信濃という地勢に足を引っ張られましたが、それでも越後の謙信よりはマシだったと私には思えるほどこの地的条件は不利なものだったと思います。
3、火種燻ぶる家中
上杉家、もとい長尾家はいくつもの分家に分かれていたことから一族間の争いも非常に激しいものでした。謙信自身も、周囲からの要請もあったとはいえ兄を追放するような形で家督を継いでおり、家督継承後も上田長尾家、古志長尾家の分家同士の争いには悩まされ、実際にこの両家は謙信亡き後の上杉家相続をめぐって御館の乱を興しています。
また長尾家内の争いだけでなく越後や上越国内の豪族らも不穏な人間が多く、北条高広に至っては謙信を二度も裏切っています(そして二度も許されている)。領土支配としては越後統一こそ果たしたものの、その地盤は盤客とは言えず現実に謙信亡き後は一気に分裂しました。そのため謙信自身もおちおち越後を留守にすることもできず、本拠地移転はもとより長期の遠征もそうそう行えなかったのではと想像されます。
4、加賀・越中の一向宗
謙信から見て東側には北条家、南には武田家、北には日本海が存在しましたが、西には何がいたかというと泣く子も黙る驚異の鉄砲軍団こと加賀・越中の一向宗でした。同時代の加賀・越中はフランス革命に先立つこと数百年も前に支配していた領主を追い出し、一向宗門徒らにより自治政権が成立しており、この地を狙う朝倉家などの侵攻も悉く跳ね返していました。後の時代でも織田家の柴田勝家もこの地の平定で非常に苦戦し、最終的には勝家傘下だった前田利家がどうにか支配に成功して加賀百万石(ミリオネア)が成立することとなります。
この時代、実際に謙信は「西進」を図り越中には計八度も侵攻しています。しかし最後の侵攻で越中平定こそ達成するものの、それまでの七回は北条家や武田家の干渉、また家臣の裏切りによって毎回戦闘に勝ちながら撤退する羽目となっており、その度に越中の大名であった神保氏や椎名氏と結びついた一向宗勢力に奪った領地を奪い返されています。八度目の侵攻で成功したのも、織田家の対決を優先した一向宗が謙信との和睦に応じたことが最大の要因でした。
織田家信長にとってもそうですが、謙信にとっても一向宗は最大の敵勢力の一つだったと言えるでしょう。なまじっかこんな強敵をすぐ隣に抱えていたことも、勢力拡大がその実力に比して狭い範囲にとどまった要因と言えるでしょう。
久々にまともな歴史記事書いた気がします。それにしても謙信の戦ぶりを見ていると、なんとなく英仏百年戦争のジャンヌ・ダルクを彷彿させられます。戦争においては半狂信的な指揮官の方がなんとなく強そうです。
この「風林火山」の主人公は武田信玄の軍師だった山本勘助で、ドラマ自体は武田家の視点がメインに置かれたものの、ドラマ中で脚光を浴びたのはその宿敵ともいうべき上杉謙信でした。この上杉謙信訳はミュージシャンのGackt氏が演じており、Gackt氏自身がその役作りについて監督らに自ら意見を述べるなど積極的に関わったこともあり、非常に異彩な風貌はもとよりどこからいっちゃってるようなやや狂信めいた演技は各方面からも高く評価されました。私自身も、ほかのどの上杉謙信よりも伝承や資料などから伺う像としてはこの時のGackt氏が一番近いように感じます。
そんな上杉謙信ですが、世界的に見れば非常に珍しい人間だなと私は考えています。機関銃が登場する以前の時代で誰が最も戦争指揮がうまいのかという議論はどの国でも白熱するものですが、こと日本に関しては「戦国最強」はもとより「日本史上最強」の軍指揮官の呼び声が上杉謙信にあることを疑う声はほとんど聞かれません。実際に彼が指揮した戦いは実質百戦百勝で、敵城を攻め落とし切れずに撤退することこそ多かったもの戦場で会敵しさえすればほぼ確実に敵軍を粉砕し、また私が知る限り窮地に追い込まれたという状況に至っては一度としてありません。
強いて彼に次ぐ人物を挙げるとしたら治承・寿永期の源義経くらいが浮かびますが、それでも私の中では上杉謙信に軍配が上がります。
しかしそれほど戦に強かったにもかかわらず、上杉謙信が拡大した領土は実質的には越後・上越の統一くらいなもので、同時代の織田信長と比べると非常に狭いもので終わっています。一体何故この程度に留まったのか、ありそうであまりない議論なのでいくつか私の仮説をここで述べます。
1、本拠地を移さなかったから
上杉謙信の主戦場は川中島と思われがちですが実際には北関東で、その生涯で計七回も関東への遠征を行っています。これらの遠征は北関東各地の豪族の要請を受けたり、争乱鎮圧という謙信自身の目的などが主な要因ですが、出陣の度に関東の雄こと北条家の領土を奥深く浸食しながら、止めを刺し切れずいつも撤退する羽目となります。
撤退に至った背景としては雪によって道が閉ざされるなどといった天候的な理由や、兵糧などの補給の問題、北条家の同盟相手である武田家の背後を突く牽制などがあり、毎回これらの理由で本拠地である越後・春日山城へ帰っています。そしてそのたびに一旦は服属させた北関東の豪族らはまた離反し、出撃しさえすれば平らげられるもののその勢力を北関東で維持することはほとんどありませんでした。
実質的には後述の理由により不可能であるものの、仮に織田信長のように前線に近い場所へ本拠地を移していたら北条家を排除し、関東の制覇自体は望めたかもしれません。もっともその場合、確実に越後は失っていたと思いますが。
2、雪深い北国
上記でも少し触れましたが、謙信の本拠地の越後は非常に雪深い地域で、最近では世界でも屈指の降雪量を誇ると報じられています。こうした地域では言うまでもなく冬季における軍の移動や補給となり、まさにこれが原因となって撤退に至った関東遠征も少なくありません。
もし仮にもっと雪のない地域が本拠地であれば、勢力拡大は確実に容易となっていたことでしょう。武田信玄も山深い甲斐、信濃という地勢に足を引っ張られましたが、それでも越後の謙信よりはマシだったと私には思えるほどこの地的条件は不利なものだったと思います。
3、火種燻ぶる家中
上杉家、もとい長尾家はいくつもの分家に分かれていたことから一族間の争いも非常に激しいものでした。謙信自身も、周囲からの要請もあったとはいえ兄を追放するような形で家督を継いでおり、家督継承後も上田長尾家、古志長尾家の分家同士の争いには悩まされ、実際にこの両家は謙信亡き後の上杉家相続をめぐって御館の乱を興しています。
また長尾家内の争いだけでなく越後や上越国内の豪族らも不穏な人間が多く、北条高広に至っては謙信を二度も裏切っています(そして二度も許されている)。領土支配としては越後統一こそ果たしたものの、その地盤は盤客とは言えず現実に謙信亡き後は一気に分裂しました。そのため謙信自身もおちおち越後を留守にすることもできず、本拠地移転はもとより長期の遠征もそうそう行えなかったのではと想像されます。
4、加賀・越中の一向宗
謙信から見て東側には北条家、南には武田家、北には日本海が存在しましたが、西には何がいたかというと泣く子も黙る驚異の鉄砲軍団こと加賀・越中の一向宗でした。同時代の加賀・越中はフランス革命に先立つこと数百年も前に支配していた領主を追い出し、一向宗門徒らにより自治政権が成立しており、この地を狙う朝倉家などの侵攻も悉く跳ね返していました。後の時代でも織田家の柴田勝家もこの地の平定で非常に苦戦し、最終的には勝家傘下だった前田利家がどうにか支配に成功して加賀百万石(ミリオネア)が成立することとなります。
この時代、実際に謙信は「西進」を図り越中には計八度も侵攻しています。しかし最後の侵攻で越中平定こそ達成するものの、それまでの七回は北条家や武田家の干渉、また家臣の裏切りによって毎回戦闘に勝ちながら撤退する羽目となっており、その度に越中の大名であった神保氏や椎名氏と結びついた一向宗勢力に奪った領地を奪い返されています。八度目の侵攻で成功したのも、織田家の対決を優先した一向宗が謙信との和睦に応じたことが最大の要因でした。
織田家信長にとってもそうですが、謙信にとっても一向宗は最大の敵勢力の一つだったと言えるでしょう。なまじっかこんな強敵をすぐ隣に抱えていたことも、勢力拡大がその実力に比して狭い範囲にとどまった要因と言えるでしょう。
久々にまともな歴史記事書いた気がします。それにしても謙信の戦ぶりを見ていると、なんとなく英仏百年戦争のジャンヌ・ダルクを彷彿させられます。戦争においては半狂信的な指揮官の方がなんとなく強そうです。
2018年1月8日月曜日
米海軍の戦力分析記事に関する疑問
iPhoneXと聞くと「富士通テン」が頭に浮かんでくるのですが、今日同僚がこれを持ってきていて顔認証などについて話していましたが、「デーモン小暮はどっちの顔で認識させてるのだろうか?」と空気の読まない発言をしていました。
さて話は本題に入りますが、ネットでいろいろ記事を見ていて媒体ごとに思うこととしては、
・毎日新聞:記事内容から文章技術を含め総じてクソ。
・産経新聞:ノリが週刊誌っぽくなってきた。
・ダイヤモンド:極たまにいい記事もあるが、基本的にどの記事も信用してはならないレベル。
・東洋経済:参考になるものばかり。記事構成にもいつも工夫を感じる。
・Yahoo編集部:伝えようとすることを何も考えずに書いている。結果、読む価値のないレベル。
・サイゾー系列:すべてクズ。どれも誤報を疑うべき。
・サーチナ:ダメというわけではないものの、爆発ネタで鳴らしたかつてほどの勢いは感じない。
・BuzzFeed Japan:読んでてのけぞるくらいいい記事や取材ばかり。
・JBpress:最近いいライター増えてきて、前みたいにアクセストップが取れなくなった(´;ω;`)
私の中の評価としては大体こんなものなのですが、時期としては去年くらいから文春オンラインの記事もYahooやMSNなどのポータルサイトに配信されるのを見るようになってきました。ただ、この文春オンラインの記事はどれもつまらなく、特に野球関連の記事をよく見かけるのですがどれも非常につまらなく、なぜわざわざこんなひどい記事を配信するのかと疑問に思うことが多いです。
そんな風に見ていたところ、今日ちょっと気になる記事を見かけました。
・繰り返される「アメリカは北朝鮮を攻撃する」論の嘘(文春オンライン)
内容は見てもらえばわかりますが、私が気になったのは2ページ目の以下の記述です。
「もう一つの理由は、空母艦載機が果たして6隻分あるのか、という点である。軍事専門紙「ディフェンスニュース」が昨年2月に報じたところによれば、全海軍の航空機の53%が予算不足による整備及び部品不足により稼働不能に追い込まれている。とりわけ空母艦載機の主力を担うF/A-18戦闘機は62%が稼働不能になっており、パイロットの技量保持も難しくなっている。」
この記述と「62%」という数字を見て、「前のあれじゃないか?」と思うところがありました。
・厚木のFA18、6割飛べず? 在日米軍、東京新聞の「憶測」記事に遺憾表明(日本報道検証機構)
上の記事は昨年2月に出されたもので、その少し前に出された私が蛇蝎の如く嫌って止まない中日東京新聞が掲載した「厚木の米軍機FA18 6割飛べず? 部品なし修理不能 米専門紙惨状掲載」が誤報であることを検証した記事です。検証内容については是非リンク先の記事を読んでもらいたいのですが、検証内容とその後の中日東京新聞の反応を見る限り、やはりこれは中日東京新聞の誤報としか言いようがなく、またまともな取材すらせず、それどころか基本的な軍事知識も持たずに記事を書いていたとしか判断できません。第一、厚木基地に取材せずに厚木基地のこと書くってどうよ。
この検証でポイントとなっているのは「米軍機FA18の6割が稼働状態にない」の根拠となるデータソースです。大本の記事はこちらのDefence Newsの記事なのですが、私から見てこの記事自体が何らかの意図を持って書かれた記事、はっきり言えば、米海軍に予算が不足していることをアピールして議会に予算を増やすよう促そうとする記事に見えます。何故そう思うのかというと米軍機のFA18について、わざと2機種を曖昧にごっちゃにして62%が稼働状態にないと書いているからです。
・F/A-18 (航空機)
・F/A-18E/F (航空機)(どちらもWikipedia)
一般に、「FA18」と呼ばれる機体は2種類あり、一つは上の「F/A-18」こと通称「ホーネット」、もう一つは下の「F/A-18E/F」こと通称「スーパーホーネット」です。スーパーホーネットはその名からもわかる通りにホーネットの設計をベースに開発された機体ですが、この2機種は実質別種の機体で、部品の共通割合もわずか1割程度、サイズもスーパーホーネットの方が一回りでかいです。
敢えて例えるなら二次大戦中の「F4Fワイルドキャット」と「F6Fヘルキャット」くらいこの2機種は異なっています。ちなみにF6FもF4Fより一回りでかいという点でも共通していますが、零戦にやられっぱなしだったF4Fに対し、零戦を悉く駆逐して終戦後はまるでその役目を果たしたかのようにすぐ退役となったF6Fの生涯は、まさに零戦を打ち倒すためだけに世に出てきたような戦闘機で大好きです。
話は戻りますが、ホーネットの方は1970年代に開発された機体で既にかなりガタが来ており、飛行時間の長いものから現在順次退役させられています。一方、スーパーホーネットの方は1990年代に開発されたもので、現在の米海軍の主力機と言ったらこっちとなります。
上記のような経緯からこの2機種をごっちゃにしようものなら、スーパーホーネットの単独での稼働率に比べ、ごっちゃでの稼働率は著しく低くなるのは当然の帰結です。本来ならこの2機種は分けて考えなければならない機体にもかかわらず、ごっちゃにした上で「低い稼働率」と書くのは果たして現実的かと言えば私には疑問です。
第一、あんま知識ないのに適当なこと言うと、スーパーホーネットなくても「F-22ラプター」を10機くらい持ってくれば十分では、スーパーホーネットの100機分以上の戦闘力が確保できるのではと密かに考えてます。スペック見るだけでもラプターの性能は反則過ぎる。
話は最初に戻ります。中日東京新聞の記事は「62%」の数字だけを取って厚木基地の戦闘機は3分の2が飛ばないと書きましたが、厚木にあるのは基本スーパーホーネットで、「んなこたーない」と厚木基地から公式に否定されています。
続いて文春オンラインの記事についてです。データ自体は間違いでないとしても、やはりこの「62%」という稼働率に関する数字を引用することは、米海軍の現況を見る上で適切かと言えば疑問です。勝手に厚木基地の稼働率を計算した中日東京新聞のように誤報ではないかもしれませんが、変なバイアスをかけかねないという点ではミスリードを起こさせる可能性があるように思います。
またこれまた適当なことを述べると、北朝鮮有事の際に対応するのは米海軍だけではないでしょう。それこそ「殴り込み部隊」の海兵隊が沖縄にいることもありますし、主力はむしろこちらになってくる気がします。まぁそもそも北朝鮮相手なら空戦もそれほど多くないだろうし、空爆と対地ミサイルによる攻撃がメインとなるだろうから空母いるのかなって気がしますけど。
それにしても中日東京新聞はホーネットとスーパーホーネットの区別すらつかずによくあんな記事書いたなと思います。まぁ私も、J-20とJ-31の性能差とかあんまわかんないけど(わかってたらむしろすごいかもしれない)。
さて話は本題に入りますが、ネットでいろいろ記事を見ていて媒体ごとに思うこととしては、
・毎日新聞:記事内容から文章技術を含め総じてクソ。
・産経新聞:ノリが週刊誌っぽくなってきた。
・ダイヤモンド:極たまにいい記事もあるが、基本的にどの記事も信用してはならないレベル。
・東洋経済:参考になるものばかり。記事構成にもいつも工夫を感じる。
・Yahoo編集部:伝えようとすることを何も考えずに書いている。結果、読む価値のないレベル。
・サイゾー系列:すべてクズ。どれも誤報を疑うべき。
・サーチナ:ダメというわけではないものの、爆発ネタで鳴らしたかつてほどの勢いは感じない。
・BuzzFeed Japan:読んでてのけぞるくらいいい記事や取材ばかり。
・JBpress:最近いいライター増えてきて、前みたいにアクセストップが取れなくなった(´;ω;`)
私の中の評価としては大体こんなものなのですが、時期としては去年くらいから文春オンラインの記事もYahooやMSNなどのポータルサイトに配信されるのを見るようになってきました。ただ、この文春オンラインの記事はどれもつまらなく、特に野球関連の記事をよく見かけるのですがどれも非常につまらなく、なぜわざわざこんなひどい記事を配信するのかと疑問に思うことが多いです。
そんな風に見ていたところ、今日ちょっと気になる記事を見かけました。
・繰り返される「アメリカは北朝鮮を攻撃する」論の嘘(文春オンライン)
内容は見てもらえばわかりますが、私が気になったのは2ページ目の以下の記述です。
「もう一つの理由は、空母艦載機が果たして6隻分あるのか、という点である。軍事専門紙「ディフェンスニュース」が昨年2月に報じたところによれば、全海軍の航空機の53%が予算不足による整備及び部品不足により稼働不能に追い込まれている。とりわけ空母艦載機の主力を担うF/A-18戦闘機は62%が稼働不能になっており、パイロットの技量保持も難しくなっている。」
この記述と「62%」という数字を見て、「前のあれじゃないか?」と思うところがありました。
・厚木のFA18、6割飛べず? 在日米軍、東京新聞の「憶測」記事に遺憾表明(日本報道検証機構)
上の記事は昨年2月に出されたもので、その少し前に出された私が蛇蝎の如く嫌って止まない中日東京新聞が掲載した「厚木の米軍機FA18 6割飛べず? 部品なし修理不能 米専門紙惨状掲載」が誤報であることを検証した記事です。検証内容については是非リンク先の記事を読んでもらいたいのですが、検証内容とその後の中日東京新聞の反応を見る限り、やはりこれは中日東京新聞の誤報としか言いようがなく、またまともな取材すらせず、それどころか基本的な軍事知識も持たずに記事を書いていたとしか判断できません。第一、厚木基地に取材せずに厚木基地のこと書くってどうよ。
この検証でポイントとなっているのは「米軍機FA18の6割が稼働状態にない」の根拠となるデータソースです。大本の記事はこちらのDefence Newsの記事なのですが、私から見てこの記事自体が何らかの意図を持って書かれた記事、はっきり言えば、米海軍に予算が不足していることをアピールして議会に予算を増やすよう促そうとする記事に見えます。何故そう思うのかというと米軍機のFA18について、わざと2機種を曖昧にごっちゃにして62%が稼働状態にないと書いているからです。
・F/A-18 (航空機)
・F/A-18E/F (航空機)(どちらもWikipedia)
一般に、「FA18」と呼ばれる機体は2種類あり、一つは上の「F/A-18」こと通称「ホーネット」、もう一つは下の「F/A-18E/F」こと通称「スーパーホーネット」です。スーパーホーネットはその名からもわかる通りにホーネットの設計をベースに開発された機体ですが、この2機種は実質別種の機体で、部品の共通割合もわずか1割程度、サイズもスーパーホーネットの方が一回りでかいです。
敢えて例えるなら二次大戦中の「F4Fワイルドキャット」と「F6Fヘルキャット」くらいこの2機種は異なっています。ちなみにF6FもF4Fより一回りでかいという点でも共通していますが、零戦にやられっぱなしだったF4Fに対し、零戦を悉く駆逐して終戦後はまるでその役目を果たしたかのようにすぐ退役となったF6Fの生涯は、まさに零戦を打ち倒すためだけに世に出てきたような戦闘機で大好きです。
話は戻りますが、ホーネットの方は1970年代に開発された機体で既にかなりガタが来ており、飛行時間の長いものから現在順次退役させられています。一方、スーパーホーネットの方は1990年代に開発されたもので、現在の米海軍の主力機と言ったらこっちとなります。
上記のような経緯からこの2機種をごっちゃにしようものなら、スーパーホーネットの単独での稼働率に比べ、ごっちゃでの稼働率は著しく低くなるのは当然の帰結です。本来ならこの2機種は分けて考えなければならない機体にもかかわらず、ごっちゃにした上で「低い稼働率」と書くのは果たして現実的かと言えば私には疑問です。
第一、あんま知識ないのに適当なこと言うと、スーパーホーネットなくても「F-22ラプター」を10機くらい持ってくれば十分では、スーパーホーネットの100機分以上の戦闘力が確保できるのではと密かに考えてます。スペック見るだけでもラプターの性能は反則過ぎる。
話は最初に戻ります。中日東京新聞の記事は「62%」の数字だけを取って厚木基地の戦闘機は3分の2が飛ばないと書きましたが、厚木にあるのは基本スーパーホーネットで、「んなこたーない」と厚木基地から公式に否定されています。
続いて文春オンラインの記事についてです。データ自体は間違いでないとしても、やはりこの「62%」という稼働率に関する数字を引用することは、米海軍の現況を見る上で適切かと言えば疑問です。勝手に厚木基地の稼働率を計算した中日東京新聞のように誤報ではないかもしれませんが、変なバイアスをかけかねないという点ではミスリードを起こさせる可能性があるように思います。
またこれまた適当なことを述べると、北朝鮮有事の際に対応するのは米海軍だけではないでしょう。それこそ「殴り込み部隊」の海兵隊が沖縄にいることもありますし、主力はむしろこちらになってくる気がします。まぁそもそも北朝鮮相手なら空戦もそれほど多くないだろうし、空爆と対地ミサイルによる攻撃がメインとなるだろうから空母いるのかなって気がしますけど。
それにしても中日東京新聞はホーネットとスーパーホーネットの区別すらつかずによくあんな記事書いたなと思います。まぁ私も、J-20とJ-31の性能差とかあんまわかんないけど(わかってたらむしろすごいかもしれない)。
2018年1月6日土曜日
タイキックより……
・人権派ジャーナリスト 「ガキ使のベッキーへのタイキックは国連への反逆!憲法違反!醜悪で不謹慎!」(痛いニュース)
ひとつ前の記事をアップロードしたばかりですが、こちらの件についても言及しておきます。
上のベッキーへのタイキックについてですが、正直言えば見ていて私が一番面白かったところで、ネタ的には最高な場面でした。もちろんベッキーには大変だなと思いましたし、よく頑張ったとも思いました。
このベッキーへのタイキックが差別だとか不謹慎だとかという点についてですが、結論から言えば「こいつちゃんと番組見てないだろ」というのが私の意見です。なんでかっていうと同じ番組内でで男性芸人同士が、帯電した状態で手押し相撲をやらされるミニゲームがあり、これは帯電するだけなら何ともないですが手押し相撲で体が触れあうとバチっと静電気が走るという内容で、これ普通にCIAとかが拷問に使える何かだろうと私は見ていて思いました。
正直これに比べると、ベッキーへのタイキックなんかいくら女性だからと言っても、電気ショックと比べたらずっと生温い気がします。しかもこの手押し相撲、誰だったかは忘れましたが実際のゲーム開始前にスタッフが持つ機器が芸人に当たって電気ショック浴びたり、痛いことわかっているから、「おい触るな、触るな!」とお互い手押し相撲をせずに上体をそらし合ったら、ふとした偶然から股間が触れ合いそこに電気ショックが走るという場面もありました。芸人が大変だってのは見ていてよくわかりますが、面白かったです。でもってあの番組の暴力を批判するなら、むしろこっちやろうというのが私の意見です。
ひとつ前の記事をアップロードしたばかりですが、こちらの件についても言及しておきます。
上のベッキーへのタイキックについてですが、正直言えば見ていて私が一番面白かったところで、ネタ的には最高な場面でした。もちろんベッキーには大変だなと思いましたし、よく頑張ったとも思いました。
このベッキーへのタイキックが差別だとか不謹慎だとかという点についてですが、結論から言えば「こいつちゃんと番組見てないだろ」というのが私の意見です。なんでかっていうと同じ番組内でで男性芸人同士が、帯電した状態で手押し相撲をやらされるミニゲームがあり、これは帯電するだけなら何ともないですが手押し相撲で体が触れあうとバチっと静電気が走るという内容で、これ普通にCIAとかが拷問に使える何かだろうと私は見ていて思いました。
正直これに比べると、ベッキーへのタイキックなんかいくら女性だからと言っても、電気ショックと比べたらずっと生温い気がします。しかもこの手押し相撲、誰だったかは忘れましたが実際のゲーム開始前にスタッフが持つ機器が芸人に当たって電気ショック浴びたり、痛いことわかっているから、「おい触るな、触るな!」とお互い手押し相撲をせずに上体をそらし合ったら、ふとした偶然から股間が触れ合いそこに電気ショックが走るという場面もありました。芸人が大変だってのは見ていてよくわかりますが、面白かったです。でもってあの番組の暴力を批判するなら、むしろこっちやろうというのが私の意見です。
ダウンタウンの黒人メイク騒動についての見解
昨日後輩と夕食食べておごったところ、「すいません、ありがとうございます。おいしかったです」とか言われましたが、「いやそれ作った人にゆえや。俺にゆうてもしゃあないで」とクールな切り返ししました。
話は本題に入りますが、説明するまでもなく年末の「ガキの使いやあらへんで」冒頭でダウンタウンの浜田氏がやってみせたエディ・マーフィーの物まね、もとい黒人メイクは差別なのかどうかでやたら盛り上がっています。本来、こういう議論にはあまり関わりたくないと思って無視しているのですが、先ほどコメント欄にも書いたように日本の論壇の議論が非常に物足りない、具体的には「差別とは思わない」、「米国では差別になる」などと印象論や他国の事情しか引き合いに出さないような低レベルさに物足りなさを感じるので、私の考える論点をいくつか出そうと思います。
なお先に結論を述べると、今回の浜田氏の物まねは差別には当たらないし、ここまで大騒ぎすること自体むなしいくらい低レベルな議論だという見方を持っています。
1、ロバート・ダウニー・Jrなら許されるのか?
ロバート・ダウニー(めんどいのでJrは以下省略)と言ったら、映画「アイアンマン」でお馴染みの今現在最も評価の高いハリウッド俳優の一人です。一体なんでこの議論で彼の名前を出すのかというと、かつて出演した「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」で、「役作りのために整形手術で黒人になってしまうオーストラリア人のメソッド俳優」を演じているからです。
実際にこの映画の中でロバート・ダウニーは黒塗りメイクで登場し、仲間が「奴ら」というセリフを言うや、「奴ら?奴ら(黒人)とは何だ!」と黒人になりきったキャラを演じています。聞いててわかんないですが、話す英語も黒人訛りを完璧にコピーしてたそうです。
この映画は「アイアンマン」の公開前に撮影されたこともあって、今だと絶対無理だと思えるほどロバート・ダウニーがコメディな演技を見せています。今回のダウンタウンの騒動が起きた時が私が真っ先に思い出したのはこのロバート・ダウニーの演技で、「え、あれに比べたら……」という気持ちを覚えました。
そうはいっても映画だし、また「黒人になりきっている俳優」なのだからと言う人もいるかもしれませんが、この映画は完全なコメディ映画、それもかなり下品なもので、作中劇について「ただの知的障害者を演じるだけでは誰も評価しない。『フォレスト・ガンプ』はただの知的障害者ではなかったから売れた」などというメタな発言も飛び出てきます。ロバート・ダウニーの役もなんかいろいろ問題抱えたキャラで、何より白人が肌を黒く塗ってます。なのにダウンタウンの浜田氏は非難されて、ロバート・ダウニーには何もないってのはそれはちょっと違うのでは言いたくなってくるわけです。
もっとも、仮に今ロバート・ダウニーを批判しようものなら、米国のエンタメ界ではまず生きてはいけないでしょう。そういう意味では、彼なら許されちゃうでしょうね。
なお「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」に興味を持ったのならば、ぜひ前情報なしでスタッフロールの最後まで見ることをお勧めします。最後の最後でとんでもない大どんでん返しがあるし。
2、保毛尾田保毛男との違いは?
次に私がなんで今回の議論で触れられないのかと思う点として、昨年に「とんねるずのみなさんのおかげでした」で騒動となった保毛尾田保毛男の件との違いです。この時の騒動の詳細については省略しますが、私は騒動の一方を見た直後に「ああ、これは差別だしアウトだ」と思いました。
このように判断した基準は、このキャラが自身が同性愛者であることについては否定もしくは曖昧な態度を取っているにもかかわらず、一般的な男性と比べて女性っぽい、普通ではない仕草や振舞い方をして笑いを取っているからです。私の解釈では、これは同性愛者が蔑視される対象であることを認識した上で敢えてそうした振舞い方やふざけた見かけをしているとしか見えず、根底には見ている人を含め馬鹿にしたような意識が存在するように感じました。
そして現実問題でも、このキャラが放映されていた時期には、このキャラの名前を使ったからかいが学校現場などでも起きていたともいい、これらを考慮するとこのキャラは差別を助長する可能性が高く、差別抑止の観点から言えばアウトだと私は考えました。
この保毛尾田保毛男と今回のエディ・マーフィーの物まねの違いは、その属性に対し肯定か否定かです。浜田氏は当時の格好について黒人のエディ・マーフィーであることを否定していないのに対し、保毛尾田保毛男は前述の通り否定もしくは曖昧な態度を取りました。また浜田氏が「黒人らしい行動」、それこそ先ほどのロバート・ダウニーのように黒人訛りの英語を話したり(話せたらそれはそれですごい気がするが)はしていない一方、保毛尾田保毛男は同性愛者らしいと思われる行動(現実かどうかは問わず)を敢えて強調して行って見ている人間を笑わせようとしています。
この差こそ差別の有無ではないかと私には思います。またこれは一部でも言われていますがエディ・マーフィーの格好をしたら黒人差別となるのであれば、エディ・マーフィー自体が黒人差別の象徴みたいになるようにも見え、逆にエディ・マーフィーに対してものすごく失礼ではないかとも思えてきます。
3、黒塗りがダメなら白塗りはいいのか?
今回の騒動で差別だと主張する人間は、「元々違う色の肌をした人が肌を黒く塗るのが問題」だと主張していますが、じゃあ逆ならどうなのかということです。黒人が白人の物まねで肌を白く塗るのも差別なのか、それを言ったら「イエローモンキー」と言われる我々東洋人はどうなのか、そもそもイエローちゃうわ肌色やと私は個人的には言いたいです。
先ほどの保毛尾田保毛男のように、蔑視対象であることを自認しながらそれを隠そうとする態度を取るならばともかく、物まね程度であれば最初のロバート・ダウニーのように「成りきる」ためにはとことん追求して姿形を似せようとするのが当然でしょう。
なお、「肌を白く塗った物まね」というところまで考えた時、真っ先に下の動画を思い出しました。
もし元々の肌の色が違う人間が、白い肌の悪魔の物まねをしたら差別に当たるのでしょうか?っていうか悪魔相手に差別とかどうこうというのも自分でもどうかという気がしますが……。
それにしても上の動画、久々に見たけど相変わらず面白い。ぐっさんも歌めちゃうまいし、歌い出し間違えるし。
話は本題に入りますが、説明するまでもなく年末の「ガキの使いやあらへんで」冒頭でダウンタウンの浜田氏がやってみせたエディ・マーフィーの物まね、もとい黒人メイクは差別なのかどうかでやたら盛り上がっています。本来、こういう議論にはあまり関わりたくないと思って無視しているのですが、先ほどコメント欄にも書いたように日本の論壇の議論が非常に物足りない、具体的には「差別とは思わない」、「米国では差別になる」などと印象論や他国の事情しか引き合いに出さないような低レベルさに物足りなさを感じるので、私の考える論点をいくつか出そうと思います。
なお先に結論を述べると、今回の浜田氏の物まねは差別には当たらないし、ここまで大騒ぎすること自体むなしいくらい低レベルな議論だという見方を持っています。
1、ロバート・ダウニー・Jrなら許されるのか?
ロバート・ダウニー(めんどいのでJrは以下省略)と言ったら、映画「アイアンマン」でお馴染みの今現在最も評価の高いハリウッド俳優の一人です。一体なんでこの議論で彼の名前を出すのかというと、かつて出演した「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」で、「役作りのために整形手術で黒人になってしまうオーストラリア人のメソッド俳優」を演じているからです。
実際にこの映画の中でロバート・ダウニーは黒塗りメイクで登場し、仲間が「奴ら」というセリフを言うや、「奴ら?奴ら(黒人)とは何だ!」と黒人になりきったキャラを演じています。聞いててわかんないですが、話す英語も黒人訛りを完璧にコピーしてたそうです。
この映画は「アイアンマン」の公開前に撮影されたこともあって、今だと絶対無理だと思えるほどロバート・ダウニーがコメディな演技を見せています。今回のダウンタウンの騒動が起きた時が私が真っ先に思い出したのはこのロバート・ダウニーの演技で、「え、あれに比べたら……」という気持ちを覚えました。
そうはいっても映画だし、また「黒人になりきっている俳優」なのだからと言う人もいるかもしれませんが、この映画は完全なコメディ映画、それもかなり下品なもので、作中劇について「ただの知的障害者を演じるだけでは誰も評価しない。『フォレスト・ガンプ』はただの知的障害者ではなかったから売れた」などというメタな発言も飛び出てきます。ロバート・ダウニーの役もなんかいろいろ問題抱えたキャラで、何より白人が肌を黒く塗ってます。なのにダウンタウンの浜田氏は非難されて、ロバート・ダウニーには何もないってのはそれはちょっと違うのでは言いたくなってくるわけです。
もっとも、仮に今ロバート・ダウニーを批判しようものなら、米国のエンタメ界ではまず生きてはいけないでしょう。そういう意味では、彼なら許されちゃうでしょうね。
なお「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」に興味を持ったのならば、ぜひ前情報なしでスタッフロールの最後まで見ることをお勧めします。最後の最後でとんでもない大どんでん返しがあるし。
2、保毛尾田保毛男との違いは?
次に私がなんで今回の議論で触れられないのかと思う点として、昨年に「とんねるずのみなさんのおかげでした」で騒動となった保毛尾田保毛男の件との違いです。この時の騒動の詳細については省略しますが、私は騒動の一方を見た直後に「ああ、これは差別だしアウトだ」と思いました。
このように判断した基準は、このキャラが自身が同性愛者であることについては否定もしくは曖昧な態度を取っているにもかかわらず、一般的な男性と比べて女性っぽい、普通ではない仕草や振舞い方をして笑いを取っているからです。私の解釈では、これは同性愛者が蔑視される対象であることを認識した上で敢えてそうした振舞い方やふざけた見かけをしているとしか見えず、根底には見ている人を含め馬鹿にしたような意識が存在するように感じました。
そして現実問題でも、このキャラが放映されていた時期には、このキャラの名前を使ったからかいが学校現場などでも起きていたともいい、これらを考慮するとこのキャラは差別を助長する可能性が高く、差別抑止の観点から言えばアウトだと私は考えました。
この保毛尾田保毛男と今回のエディ・マーフィーの物まねの違いは、その属性に対し肯定か否定かです。浜田氏は当時の格好について黒人のエディ・マーフィーであることを否定していないのに対し、保毛尾田保毛男は前述の通り否定もしくは曖昧な態度を取りました。また浜田氏が「黒人らしい行動」、それこそ先ほどのロバート・ダウニーのように黒人訛りの英語を話したり(話せたらそれはそれですごい気がするが)はしていない一方、保毛尾田保毛男は同性愛者らしいと思われる行動(現実かどうかは問わず)を敢えて強調して行って見ている人間を笑わせようとしています。
この差こそ差別の有無ではないかと私には思います。またこれは一部でも言われていますがエディ・マーフィーの格好をしたら黒人差別となるのであれば、エディ・マーフィー自体が黒人差別の象徴みたいになるようにも見え、逆にエディ・マーフィーに対してものすごく失礼ではないかとも思えてきます。
3、黒塗りがダメなら白塗りはいいのか?
今回の騒動で差別だと主張する人間は、「元々違う色の肌をした人が肌を黒く塗るのが問題」だと主張していますが、じゃあ逆ならどうなのかということです。黒人が白人の物まねで肌を白く塗るのも差別なのか、それを言ったら「イエローモンキー」と言われる我々東洋人はどうなのか、そもそもイエローちゃうわ肌色やと私は個人的には言いたいです。
先ほどの保毛尾田保毛男のように、蔑視対象であることを自認しながらそれを隠そうとする態度を取るならばともかく、物まね程度であれば最初のロバート・ダウニーのように「成りきる」ためにはとことん追求して姿形を似せようとするのが当然でしょう。
なお、「肌を白く塗った物まね」というところまで考えた時、真っ先に下の動画を思い出しました。
もし元々の肌の色が違う人間が、白い肌の悪魔の物まねをしたら差別に当たるのでしょうか?っていうか悪魔相手に差別とかどうこうというのも自分でもどうかという気がしますが……。
それにしても上の動画、久々に見たけど相変わらず面白い。ぐっさんも歌めちゃうまいし、歌い出し間違えるし。
2018年1月3日水曜日
紅白に対する評価の分かれる記事
日本にいる人は今日まで休みでしょうが、中国では元旦だけがお休みで、既に昨日今日と出勤しています。といっても、まだ今年は12月30、31日が土日だった分マシでしたが。
・NHK、紅白大成功の裏で今年のしかかる重圧
・紅白視聴率、2年ぶり40%割れ 安室&桑田出ても歴代ワースト3位 民放1位は「ガキ使」(どっちもスポーツ報知)
さて出勤しながら見ていた日本のニュースで気になったのがこちら。どちらもスポーツ報知ですが上の1月1日に出た記事の見出しを読んで、「えっ、あんな紅白で大成功だったの?」と疑問符を持っていたところ、翌々日に出た下の記事では視聴率はワーストすれすれで大物効果もなくと書かれてあり、なんやねんと正直思いました。視聴率がこんだけわんさか悪いというのに、「これだけ盛り上がってしまうと次回へのプレッシャーになる」なんてセリフがよく出てくるな。
恐らくですが、上の記事はあらかじめしたためていた準備稿をほとんどそのまま出した記事だったんじゃないかと思いまうs。紅白が大成功したという前提で準備稿を書いていたため、後半になって視聴率はワースト近かったと見出しと真逆の内容を書くという、かなりおかしな構成になっています。まぁだったら書き直せよな。
なお私は31日に友人と上海にある居酒屋で最初の方だけ紅白を見ていましたが、はっきり言って非常につまらなく感じました。一部だけ見ておいて言うのもなんですが、出場予定の歌手がほぼみんな「誰それ?」という感じで、楽曲に至っては一度も聞いたこともないようなものばかりでした。ずっと中国にいるということも大きいでしょうが、単純にスターや大物が不在過ぎる構成に思え、だからこそ最初の記事で「大成功」と書かれていたことに違和感を覚えたのでしょう。
一緒にいた友人も、「これなら過去の大物とか、流行歌を出した方がいいのに」と言っていましたが、全く以って同感です。逆を言えば、誰もが知るような流行歌が近年はほとんど生まれず、この紅白の低迷する視聴率はNHKの番組編集というより、ヒットソングの生まれない日本の音楽界不況が主犯であるように思えます。この点について、ネットで見る記事では誰も指摘していないのがやや不思議です。
なお居酒屋ではあとからやってきた親子によってチャンネルを「ガキの使いやあらへんで」に変えられてしまいました。個人的には、ベッキーがタイキックされたところが一番面白かったです。
・NHK、紅白大成功の裏で今年のしかかる重圧
・紅白視聴率、2年ぶり40%割れ 安室&桑田出ても歴代ワースト3位 民放1位は「ガキ使」(どっちもスポーツ報知)
さて出勤しながら見ていた日本のニュースで気になったのがこちら。どちらもスポーツ報知ですが上の1月1日に出た記事の見出しを読んで、「えっ、あんな紅白で大成功だったの?」と疑問符を持っていたところ、翌々日に出た下の記事では視聴率はワーストすれすれで大物効果もなくと書かれてあり、なんやねんと正直思いました。視聴率がこんだけわんさか悪いというのに、「これだけ盛り上がってしまうと次回へのプレッシャーになる」なんてセリフがよく出てくるな。
恐らくですが、上の記事はあらかじめしたためていた準備稿をほとんどそのまま出した記事だったんじゃないかと思いまうs。紅白が大成功したという前提で準備稿を書いていたため、後半になって視聴率はワースト近かったと見出しと真逆の内容を書くという、かなりおかしな構成になっています。まぁだったら書き直せよな。
なお私は31日に友人と上海にある居酒屋で最初の方だけ紅白を見ていましたが、はっきり言って非常につまらなく感じました。一部だけ見ておいて言うのもなんですが、出場予定の歌手がほぼみんな「誰それ?」という感じで、楽曲に至っては一度も聞いたこともないようなものばかりでした。ずっと中国にいるということも大きいでしょうが、単純にスターや大物が不在過ぎる構成に思え、だからこそ最初の記事で「大成功」と書かれていたことに違和感を覚えたのでしょう。
一緒にいた友人も、「これなら過去の大物とか、流行歌を出した方がいいのに」と言っていましたが、全く以って同感です。逆を言えば、誰もが知るような流行歌が近年はほとんど生まれず、この紅白の低迷する視聴率はNHKの番組編集というより、ヒットソングの生まれない日本の音楽界不況が主犯であるように思えます。この点について、ネットで見る記事では誰も指摘していないのがやや不思議です。
なお居酒屋ではあとからやってきた親子によってチャンネルを「ガキの使いやあらへんで」に変えられてしまいました。個人的には、ベッキーがタイキックされたところが一番面白かったです。
2018年1月1日月曜日
アイドル会計論 その二、償却
今朝目を覚ますと、中二病患者のように「ぐっ……静まれ、この右手!」と言いたくなるほど右手首が痛かったです。原因は昨日に「THE IDOLM@STER MUST SONGS 青盤」遊び過ぎたせいだと思われます。知らない人ように説明すると、このゲームはいわゆる「太鼓の達人」のアイマス版で、PSVitaで遊ぶとどうしても手首を変に曲げながらLRボタンを連打するため手の健を痛めやすいです。
なお「中二病」という単語は中国でも深く認知、浸透されており、そろそろ思春期の男子特有の精神疾患として国際学会とかで正式に病名として入れるべきだと思います。さらに言えば、自らの中二病体験をきちんと語れるようになって初めて男は一人前で、未だに過去を隠そうとするような奴は未熟者だとも思います。私の友人は中二病の際、「クーロンズゲート」というゲームの影響で風水師になろうと一時考えたそうです。
話は本題に入りますが、何故年末年始にかけてアイドルを資産扱いしたらどうなるのかというわけのわからない会計論を展開しているのか私にもわかりませんが、前回は「アイドルは資産なのか?」という命題について書きましたが、今回はある意味本題の「償却」の概念と方法について思いのたけを書いていきます。
そもそも償却とは何かですが、会計に関わった人間ならみんな分かってて当然であるもののいまいちよく知らない人に向けて説明すると、発生した費用を複数期間に分割して計上するという概念を指します。これによってどうなるのかというと、費用発生以降に得られる収益と時期を合わせることによって税効果(課税額の減少)が得られることになります。
なお不要かもしれませんが書いておくと、有形資産に対する費用分割を「減価償却」、無形資産に対する費用分割を「償却」と呼びます。英語だと減価償却は「depreciation」、償却は「amortization」なのですが、日本語だと言い方が似てるからややこしいです。
実際の運用についてモデルケースを一つ出すと、例えば取得時に一括で費用(100万円)を支払わなければならない無形資産によって、取得から5年間にかけて毎年20万円の収益(売上げ)が得られるとします。仮にこの無形資産の取得費用を取得した年度(第1年目)に一括計上するとこうなります。
取得費用を一括計上した場合
<第1年目>
・計上費用(経費):100万円
・収益(売上げ):20万円
・差し引き(純損益):-80万円
・法人税費用:0円
純損益が-80万円という赤字のため、この場合この会社は第1年目には法人税が課税されることはありません。しかし、第2年目になると、
<第2年目>
・収益(売上げ):20万円
・差し引き(純損益):20万円
以上のように純損益が20万円となってこれが課税額となることから、日本の現行一般実行法人税率(地方法人税を含む)33.8%を適用すると、6.76万円の法人税が課されることとなります。
一方、費用を取得時に一括で計上するのではなく、そのリターンに合わせて5年間にわたり償却するとしたらどうなるのかが以下の表です。
取得費用を5年にわたり償却した場合
<第1年目>
・計上費用(償却費用):20万円
・収益(売上げ):20万円
・差し引き(純損益):0円
・法人税費用:0円
<第2年目>
・計上費用(償却費用):20万円
・収益(売上げ):20万円
・差し引き(純損益):0円
・法人税費用:0円
なお「中二病」という単語は中国でも深く認知、浸透されており、そろそろ思春期の男子特有の精神疾患として国際学会とかで正式に病名として入れるべきだと思います。さらに言えば、自らの中二病体験をきちんと語れるようになって初めて男は一人前で、未だに過去を隠そうとするような奴は未熟者だとも思います。私の友人は中二病の際、「クーロンズゲート」というゲームの影響で風水師になろうと一時考えたそうです。
話は本題に入りますが、何故年末年始にかけてアイドルを資産扱いしたらどうなるのかというわけのわからない会計論を展開しているのか私にもわかりませんが、前回は「アイドルは資産なのか?」という命題について書きましたが、今回はある意味本題の「償却」の概念と方法について思いのたけを書いていきます。
そもそも償却とは何かですが、会計に関わった人間ならみんな分かってて当然であるもののいまいちよく知らない人に向けて説明すると、発生した費用を複数期間に分割して計上するという概念を指します。これによってどうなるのかというと、費用発生以降に得られる収益と時期を合わせることによって税効果(課税額の減少)が得られることになります。
なお不要かもしれませんが書いておくと、有形資産に対する費用分割を「減価償却」、無形資産に対する費用分割を「償却」と呼びます。英語だと減価償却は「depreciation」、償却は「amortization」なのですが、日本語だと言い方が似てるからややこしいです。
実際の運用についてモデルケースを一つ出すと、例えば取得時に一括で費用(100万円)を支払わなければならない無形資産によって、取得から5年間にかけて毎年20万円の収益(売上げ)が得られるとします。仮にこの無形資産の取得費用を取得した年度(第1年目)に一括計上するとこうなります。
取得費用を一括計上した場合
<第1年目>
・計上費用(経費):100万円
・収益(売上げ):20万円
・差し引き(純損益):-80万円
・法人税費用:0円
純損益が-80万円という赤字のため、この場合この会社は第1年目には法人税が課税されることはありません。しかし、第2年目になると、
<第2年目>
・収益(売上げ):20万円
・差し引き(純損益):20万円
・法人税費用:6.76万円
一方、費用を取得時に一括で計上するのではなく、そのリターンに合わせて5年間にわたり償却するとしたらどうなるのかが以下の表です。
取得費用を5年にわたり償却した場合
<第1年目>
・計上費用(償却費用):20万円
・収益(売上げ):20万円
・差し引き(純損益):0円
・法人税費用:0円
・計上費用(償却費用):20万円
・収益(売上げ):20万円
・差し引き(純損益):0円
・法人税費用:0円
このように毎年の売上げに相当する金額の償却費用(税控除額)を計上できるため、一括で計上する場合と違って2年目に6.76万円の法人税を支払わなくて済みます。これは実質、6.76万円の収入を得るも同然で、こうした帳簿上の節税メリットのことを税効果と呼びます。
前置きが長くなりましたが、アイドルとは前回にも書いた通りにいざ実際にデビューするまでには歌唱やダンスのレッスンや、プロモーションや売り込み活動を長きにわたり受け続けなければなりません。そうしたいわゆる初期投資費用を費用が発生するそばからいちいち計上していては、デビュー後に入ってくる収益と期間がどんどんずれていき、収益費用対応一致の原則から外れるだけでなく投資という観点から言っても不利です。
ならばどうするかということで、無形資産の研究開発プロジェクトのようにアイドルも償却したらこの辺のバランスが取れて、経営上も税制上も割かしすっとするのではないのかなと考えたのがそもそものきっかけでした。なお研究開発プロジェクトのこの辺の会計処理の違いでは、日本会計基準は中国や欧米と比べて非常に不利で、現状では日本国外で研究開発した方がメリットが高くなっています。後々、この差は大きくなってくるでしょう。
話はアイドルに戻しますが具体的にはスカウト後、アイドルを一つの資産と見なして大まかに育成プロジェクト予算を立て、それを実際の発生費用に合わせて徐々に償却していく形にしてはどうかなと考えています。これによってバラエティ系かドラマ系かなどと売り出し方や方針に合わせて育成方針も固めやすく、その経営見通しもしやすくなるのではないかと期待しています。
ひとつ例を出すと、15歳のアイドルの卵を発掘後、ドラマ系アイドルとして売り出す方針を決め、演技レッスンや改造手術(整形、豊胸)を最初の5年で行い、次の5年間でそれを回収するという計画を立てます。この場合、償却期間はアイドルの卵が15歳から25歳になるまでの10年ということとなり、最初の5年間に発生すると見込まれる予算を10分割して毎年償却費用として計上することで、発生のそばから費用を計上していくケースと比べれば売り出し成功後に得た収益に対しても税額控除が可能となるため、プロダクション側は後半5年間にも税効果が得られるということになります。
ここで一つ問題となるのが、償却期間の設定です。償却期間の設定自体は恣意性がある程度認められているものの、15歳のレッスン生と25歳のレッスン生に同じ償却期間を設定するのは誰がどう見ても無理があるでしょう。一つの目安としては「この年までにデビューできなかったら目がない」とする年齢で、15歳のレッスン生なら25歳まで(10年)、25歳のレッスン生なら28歳まで(3年)にデビューできなかったら事務所を辞めてもらうといった計画方針ならありかなとか勝手に考えています。
もっともこれを言ったら、子役とかどうすんだろう。
先にも述べましたが、仮にこうした会計処理ができるのであればプロダクションとしては税効果が得られるとともに、「いついつまでにアイドルを訓練し、デビューさせる」という計画が立てやすくなり、グループ単位でもそれ一つでプロジェクトを組めば、こうした処理法が行けるのではないかと思います。さらに言えば、こうした会計処理を行うことでアイドル単体に投資を募集しやすくなるのではないかと思え、それこそクラウドファウンディングみたいにデビューさせたい子にファンがみんなでお金を投資し、デビューの暁にはリターンを公正に分配することも可能になるのではないかと考えています。まぁ机上の空論ではありますが。
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