2018年1月6日土曜日

ダウンタウンの黒人メイク騒動についての見解

 昨日後輩と夕食食べておごったところ、「すいません、ありがとうございます。おいしかったです」とか言われましたが、「いやそれ作った人にゆえや。俺にゆうてもしゃあないで」とクールな切り返ししました。

 話は本題に入りますが、説明するまでもなく年末の「ガキの使いやあらへんで」冒頭でダウンタウンの浜田氏がやってみせたエディ・マーフィーの物まね、もとい黒人メイクは差別なのかどうかでやたら盛り上がっています。本来、こういう議論にはあまり関わりたくないと思って無視しているのですが、先ほどコメント欄にも書いたように日本の論壇の議論が非常に物足りない、具体的には「差別とは思わない」、「米国では差別になる」などと印象論や他国の事情しか引き合いに出さないような低レベルさに物足りなさを感じるので、私の考える論点をいくつか出そうと思います。
 なお先に結論を述べると、今回の浜田氏の物まねは差別には当たらないし、ここまで大騒ぎすること自体むなしいくらい低レベルな議論だという見方を持っています。

1、ロバート・ダウニー・Jrなら許されるのか?
 ロバート・ダウニー(めんどいのでJrは以下省略)と言ったら、映画「アイアンマン」でお馴染みの今現在最も評価の高いハリウッド俳優の一人です。一体なんでこの議論で彼の名前を出すのかというと、かつて出演した「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」で、「役作りのために整形手術で黒人になってしまうオーストラリア人のメソッド俳優」を演じているからです。
 実際にこの映画の中でロバート・ダウニーは黒塗りメイクで登場し、仲間が「奴ら」というセリフを言うや、「奴ら?奴ら(黒人)とは何だ!」と黒人になりきったキャラを演じています。聞いててわかんないですが、話す英語も黒人訛りを完璧にコピーしてたそうです。

 この映画は「アイアンマン」の公開前に撮影されたこともあって、今だと絶対無理だと思えるほどロバート・ダウニーがコメディな演技を見せています。今回のダウンタウンの騒動が起きた時が私が真っ先に思い出したのはこのロバート・ダウニーの演技で、「え、あれに比べたら……」という気持ちを覚えました。
 そうはいっても映画だし、また「黒人になりきっている俳優」なのだからと言う人もいるかもしれませんが、この映画は完全なコメディ映画、それもかなり下品なもので、作中劇について「ただの知的障害者を演じるだけでは誰も評価しない。『フォレスト・ガンプ』はただの知的障害者ではなかったから売れた」などというメタな発言も飛び出てきます。ロバート・ダウニーの役もなんかいろいろ問題抱えたキャラで、何より白人が肌を黒く塗ってます。なのにダウンタウンの浜田氏は非難されて、ロバート・ダウニーには何もないってのはそれはちょっと違うのでは言いたくなってくるわけです。

 もっとも、仮に今ロバート・ダウニーを批判しようものなら、米国のエンタメ界ではまず生きてはいけないでしょう。そういう意味では、彼なら許されちゃうでしょうね。
 なお「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」に興味を持ったのならば、ぜひ前情報なしでスタッフロールの最後まで見ることをお勧めします。最後の最後でとんでもない大どんでん返しがあるし。

2、保毛尾田保毛男との違いは?
 次に私がなんで今回の議論で触れられないのかと思う点として、昨年に「とんねるずのみなさんのおかげでした」で騒動となった保毛尾田保毛男の件との違いです。この時の騒動の詳細については省略しますが、私は騒動の一方を見た直後に「ああ、これは差別だしアウトだ」と思いました。

 このように判断した基準は、このキャラが自身が同性愛者であることについては否定もしくは曖昧な態度を取っているにもかかわらず、一般的な男性と比べて女性っぽい、普通ではない仕草や振舞い方をして笑いを取っているからです。私の解釈では、これは同性愛者が蔑視される対象であることを認識した上で敢えてそうした振舞い方やふざけた見かけをしているとしか見えず、根底には見ている人を含め馬鹿にしたような意識が存在するように感じました。
 そして現実問題でも、このキャラが放映されていた時期には、このキャラの名前を使ったからかいが学校現場などでも起きていたともいい、これらを考慮するとこのキャラは差別を助長する可能性が高く、差別抑止の観点から言えばアウトだと私は考えました。

 この保毛尾田保毛男と今回のエディ・マーフィーの物まねの違いは、その属性に対し肯定か否定かです。浜田氏は当時の格好について黒人のエディ・マーフィーであることを否定していないのに対し、保毛尾田保毛男は前述の通り否定もしくは曖昧な態度を取りました。また浜田氏が「黒人らしい行動」、それこそ先ほどのロバート・ダウニーのように黒人訛りの英語を話したり(話せたらそれはそれですごい気がするが)はしていない一方、保毛尾田保毛男は同性愛者らしいと思われる行動(現実かどうかは問わず)を敢えて強調して行って見ている人間を笑わせようとしています。
 この差こそ差別の有無ではないかと私には思います。またこれは一部でも言われていますがエディ・マーフィーの格好をしたら黒人差別となるのであれば、エディ・マーフィー自体が黒人差別の象徴みたいになるようにも見え、逆にエディ・マーフィーに対してものすごく失礼ではないかとも思えてきます。

3、黒塗りがダメなら白塗りはいいのか?
 今回の騒動で差別だと主張する人間は、「元々違う色の肌をした人が肌を黒く塗るのが問題」だと主張していますが、じゃあ逆ならどうなのかということです。黒人が白人の物まねで肌を白く塗るのも差別なのか、それを言ったら「イエローモンキー」と言われる我々東洋人はどうなのか、そもそもイエローちゃうわ肌色やと私は個人的には言いたいです。
 先ほどの保毛尾田保毛男のように、蔑視対象であることを自認しながらそれを隠そうとする態度を取るならばともかく、物まね程度であれば最初のロバート・ダウニーのように「成りきる」ためにはとことん追求して姿形を似せようとするのが当然でしょう。

 なお、「肌を白く塗った物まね」というところまで考えた時、真っ先に下の動画を思い出しました。



 もし元々の肌の色が違う人間が、白い肌の悪魔の物まねをしたら差別に当たるのでしょうか?っていうか悪魔相手に差別とかどうこうというのも自分でもどうかという気がしますが……。
 それにしても上の動画、久々に見たけど相変わらず面白い。ぐっさんも歌めちゃうまいし、歌い出し間違えるし。

4 件のコメント:

  1. 片倉(焼くとタイプ)2018年1月7日 14:44

    この話題が出たら「日本人は、400年以上前から黒人の人奴隷ではなくを侍、武士として
    あつかっている。それこそ白人が顔を黒塗りにして嘲笑の対象にしていた時代よりも
    ずっと前からな。差別意識があるなら自分たちと同じ武士には取り立てないはずだ」
    といって反論するつもりです。  私の周りではまだこの話題はでていませんが。

    400年以上前の黒人の武士とは織田信長に仕えた弥助です。 大河ドラマ『軍師官兵衛』
    では 元お笑い芸人のベルナール・アッカ氏が演じていました。彼が相方と結成して
    いたコンビ「塩コショー」は個人的には面白かったです

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    1.  弥助(「やすけ」で一発変換できた!)は実在が確認されながら詳細が語られていない人物と会って、歴史ドラマのファンタジー部分で大活躍な人物ですよね。「軍師官兵衛」は見ていないのですが、演じた役者さんが良かったというあたり、脚本家にとっても使いやすい人物なのでしょう。
       元芸人でも演技の上手い人は役者にも幅を広げますが、この動画につけてるぐっさんも芸達者で、「新選組!」での並み居る演技巧者に負けない活躍ぶりでした。もっとも、その中でも堺雅人氏がぶっちぎりだったのがすごすぎたけど。

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  2. もう先月の事ですが、とあるゲームのチャットで外国人がスターウォーズの配役の不満からポリティカル・コレクトネスについての議論に発展していたので、この手の議論は今後も尽きないだろうと感じました。

    ポリティカル・コレクトネスは差別や偏見を避けるために正しい言葉遣いをしましょうという価値観の事ですが、この価値観がこの騒動を巻き起こしているのは間違いないと思います。本来これは差別や偏見に基づく言葉や表現によって全ての人々が不快な感情を抱かないように政治的な配慮をしたものであったのが、一部の人々が規範としてそれを求めるようになったため様々な議論を呼んでいるのだと思います。

    ポリティカル・コレクトネスには明確な基準が存在しないために、規範として求める事に無理があると思うのです。ロバート・ダウニー・Jrなら許されるのか?作品の質を支える表現すら許されないのか?差別される対象からの逆差別は?こうした疑問が残るのはポリコレ的正しさの欠陥にあります。

    ポリティカル・コレクトネスは突き詰めると表現の自由と衝突します。シャルリー・エブド事件では、イスラム文化をかなり攻撃的に表現したジャーナリストがテロリストに殺害されていますが、表現の自由とテロリズムへの反抗の観点から"私はシャルリー"と主張する者と、侮蔑的とも取れる表現に嫌悪を示す"私はシャルリーではない"と主張する者がそれぞれいました。私はポリティカル・コレクトネスは表現の自由の良心として扱われるのが理想だと考えます。

    浜田の黒人メイクを差別と訴える人々へは私の表現の自由による価値観から反感を覚えますが、それが本当に多くの黒人を不快にしたのならそれは差別でしょう。ですが諧謔の対象とされた人でなければ本来こうした議論をする資格すらないと思います。

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    1.  川戸さん、コメントありがとうございます。
       ポリティカル・コネクトレスに関する記述を読み、今回の問題がかつての「言葉狩り」と同じ構造だったのではないかと思い出しました。

      http://imogayu.blogspot.jp/2008/12/blog-post_5140.html

       上の記事は大分昔に私が書いたものですが、当時も蔑視対象の当事者ではなく、なぜか関係ない人間や団体が「これは差別だ」と称して様々な表現を阻害していきました。実際に今回の問題も本来は表現の自由としっかり絡めて議論すべきだったのですが、あまりこの方面には言及せず不謹慎であるか否か、欧米のスタンダードはという点でしか議論されていなかった気がします。
       なお私は表現者としては表現の自由をどちらかというと優先する立場で、シャルリー・エブドの事件についてもどちらかと言えば新聞社の肩を当時持っていました。まぁあれには「フランス・スタンダード」が背景にあると知ってからは距離置きましたが。
       最後どうでもいいですが、先のリンクの記事の中でかいた「ちび黒コマンドサンボ」という言葉は今でもお気に入りです。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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