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2020年10月31日土曜日

日本の歴史観~その3、皇国史観 後編

 これまで持っていたバスマジックリン、トイレマジックリンに続いて今日ガラスマジックリンを購入し、三種のマジックリンを手にした暁には何か起こるかもわくわくしましたが何も起こりませんでした。

 それで前回の前編に続いてまた皇国史観についてですが、前回でも触れた通りこの皇国史観はほとんどすべて神皇正統記の主張に立った歴史評価がなされており、そのおかげもあって南朝方の武将の株が爆上げされました。従って皇統についても南朝が正統とされたのですが、現実には現在に伝わる天皇家の皇統は北朝系だったりします。というと現代の天皇家は正統ではない系譜になるのではと、こんな風に考えたのは私だけじゃないと思います。

 実際、この点については様々な解釈、というか言い訳がなされています。そもそも南朝が正統とされたのは三種のマジックリン、じゃなくて三種の神器の有無で以って判断され、当時三種の神器を以って継承儀式をやっていたから南朝を正統としていました。
 その後、南北合一の際に南朝が北朝へ神器を譲渡したことから、「それ以降は北朝が正統」みたいな解釈というのが主な主張となっています。但しこれもいろいろツッコミどころがあるというか、それ以前に後鳥羽天皇は三種の神器なしに継承しており、また壇ノ浦の戦いで草薙剣は喪失したともされており、神器基準とするとむしろ余計にややこしい問題を広げます。

 私個人としてはその後の天皇家、並びにその藩屏の公家たちの構成は北朝がベースとなっていること、南北朝の騒乱は最終的に北朝勝利で終わっていること歴史的事実から見て、やはり北朝の方が歴史的に正当王朝と判断すべきと考えてはいるものの、南朝にも従う勢力があったことからも考慮し、現代なされている評価の通りに「南北朝並立」とすることが最も正しいと考えます。

 上記の南北朝並立論は明治時代にも既にあり、当初はこちらの主張がスタンダードとされていました。しかし明治期に入って南朝方武将や天皇の株が上がると、「彼らに対する評価が不遜だ」などと急に言われるようになり、あとから叙勲とかいろいろなされるようになって、徐々に世論も南朝贔屓へと傾いていきます。
 そこへ降ってわいたのが1910年における歴史教科書問題です。当時の歴史学会は南北朝並立論が優勢で教科書にも「南北朝時代」として紹介していたのですが、これに対し読売新聞とかが「歴史改編だ」などと騒ぎだします。一方、時の首相であった桂太郎は「学会の判断に政府は干渉しない」という立場をとり、対抗馬である立憲政友会の原敬もこの考えに同意していたそうです。

 しかしこれに噛みついたのが立憲国民党の犬養毅でした。余談ですが「憲政の神様」と言われて五・一五事件で暗殺される犬養ですが、鳩山一郎とともに「統帥権」という言葉を使って政府批判を始めるなど、要所要所で日本を極めて悪い方向に引っ張っているように思えて私は嫌いです。

 話を戻すと犬養らはこの歴史議論を「政府が誤った歴史を誘導している」などと政府批判に利用し、政治問題に発展させてしまいます。政府内にも元老の山縣有朋などが野党の主張を後押しする動きがあり、こうした批判を受けて政府も野党の言い分を飲んで教科書執筆責任者の解任、並びに記述の改訂を行うこととなり、これ以降に南北朝時代は「吉野時代」と呼ばれるようになります。

 前回でも少し触れましたが皇国史観というのは歴史解釈議論とかで生まれたというよりも、上記の様に神皇正統記に偏った思想的主張、並びに政府批判への利用からスタンダード化された背景があり、現実の歴史評価とは関係なしに定着することとなった歴史観です。上述の通り「南朝が正統なのに今の天皇は北朝系」などその主張の仕方には矛盾点も少なくない上、歴史上の人物をほとんどすべて天皇家との距離感によって評価し、前史時代はなかったことにするなど歴史学的には余計なことしかしなかったという風にしか見えません。

 また知っての通り大正から昭和期にかけては国威高揚などにも利用されるようになり、そのあたりの時代に至っては実際の歴史的事実を無視した神風をはじめとするオカルトすら言い出すようになり、若干宗教染みてたと思います。その辺も含めて歴史学においては亡ぶべきして亡んだ歴史観であり、学問的主張の風上にも置けないというのが私の評価です。

2020年10月29日木曜日

ガンタンク+ドダイ

 どうでもいい記事を書きたくなったので書きますが、これまでバンダイから発売されたガンダムゲーはたくさんありますが、私の中で最高傑作を挙げるとしたらPSPの「ガンダムバトルユニバース」が間違いなく来ます。このゲームは紹介動画とか見てもらえばわかりやすいですが、使用可能機体数がとにかく半端なく、シャア、ガトー、ジョニー、マツナガ各専用ゲルググはもちろんのこと、ククルス・ドアン専用ザクまでそろえており、そのラインナップは文字通りほぼ全機体を網羅しています。
 なおククルス・ドアン専用ザクは主武装が岩です。しかも強いし。

 またこの機体は弱い機体でも使っていくうちにステイタスを引き上げることができ、量産型機体でも使っていくうちに愛着が高まってきたりして、めちゃ良かったです。個人的にはジェガンがやたら弱く、逆にメタスがめちゃ強くてよく使っていました。
 そのほか各機体の攻撃方法もぶっ飛んだものが多く、ゾックに至っては超必殺技がウイングゼロのローリングバスターライフルと同じだったり、サイコガンダムがドロップキックかましてきたり、あとシャアの乗った機体はもれなく回し蹴りが入るなど凝っていました。

 そんなこのゲームで一番印象が強かった機体は、意外にもガンタンクでした。ガンタンクというと足がキャタピラなせいでほとんどのガンダムゲーで最弱機体として扱われ、このゲームでも実際初期能力だと接近されたら実質終わり的な弱い機体となっています。
 ただある日ネットで、「ガンタンクをドダイなどのSFSに乗せると強い」と書かれてあり、ほんまかいなと思って試してみたら、やばかったです

 SFS、ようはサブフライトシステムですが、これにガンタンクを乗せたところその弱点であった機動力のなさは一気に解消され、ジェット機の如く空中を飛び回り続けられるようになります。そこへきてガンタンクが元より持つ肩部キャノン砲を撃つと、文字通り重爆撃機のように一方的に空から地上の敵へ強烈な攻撃をし続けられました。
 しかもこのキャノン砲の何が凄いかって、乗っかっているドダイの真下であろうと容赦なく打ち込めるって点でした。初めて見た時、「こんなのアリかよ(;゚Д゚)」と本気で思いました。

 無論、限定条件を解除したあとなら宇宙空間でもガンタンクをSFSに乗せて出撃できるようになり、そこでも無双の如く宇宙を飛び回って敵機を悉く葬りさることができます。SFSというとグフとかジムなどいかにもな格闘系機体ばかりが乗るイメージですが、運用面での真の正解はこのガンタンクの様に支援機を乗せて飛ばすことにあったのでしょう。弾道がどうなるかは気にしないことにして。

 このシリーズは次回作の「ガンダムアサルトサヴァイブ」から路線が切り替えられ、私はこちらを遊んだことはないですが評判が非常に悪く、これ以降一部の応用作を除けばシリーズの続編は出なくなってしまいました。この点は非常に残念この上なく、このバトルユニバースだけでもスイッチとかでリメイクされたら自分買うのになぁ。

 なお蛇足ですが、自分がこのゲームを遊んだのは初めて中国に勤務する直前にPSP本体とともに購入し、その後中国で最初に入ったブラック企業で毎日泣かされて、家に帰った後や休日はずっとこれで遊んでました。苦しい時代を共にしたという意味でも記憶に深いゲームです。

2020年10月28日水曜日

日本の歴史観~その2、皇国史観 前編

漫画みたく葉っぱにビビる猫

 そういうわけで歴史観連載の二発目で、今回は皇国史観について取り扱います。
 まず皇国史観とは何かですが、具体的には明治後期から戦前の昭和にかけて日本でスタンダードとなった歴史観です。その中身はというと、名前の通りに天皇を中心に何でもかんでも判断する内容となっています。

 具体的には天皇に味方したら「ヨシ!」、逆に逆らったり何かしら干渉していたら「ダメ!」という風に評価する傾向があり、後者において最も顕著なのは承久の乱で後鳥羽上皇を敗北せしめた北条義時と北条政子です。どちらも「天に歯向かった愚か者」代表のように激しく否定されており、鎌倉武家政権の成り立ちにおける役割や功績などはあまり評価されなかったようです。
 また評価自体はされながらも天皇家と関わる部分以外にあまり着目されなかった者として、意外にも織田信長がいます。

 あくまで伝聞で聞いた話で自分がきちんと検証したわけではないのですが、戦前において信長は「天皇家によく寄進したえらい武将」という評価がされており、天下統一の基礎を作ったことや、革新的な兵農分離や鉄砲の運用などはほとんど語られなかったそうです。それどころか、「後に天下を取る豊臣秀吉の旧主」みたいな扱いだったとも聞きます。
 実際にというか、明治大正の小説や当時の文献、歴史資料とか見ても、豊臣秀吉や徳川家康に比べると織田信長の影は現代と比べると異常に薄い印象があります。現代でこそ戦国時代を最も代表する人物ですが、戦前の評価は明らかに現代と比べると低い、というか薄すぎます。

 一方、反対に皇国史観によって評価が爆上げとなったのは言うまでもなく楠公こと楠木正成をはじめとする南朝方武将です。この評価は皇国史観のルーツをたどっていくことで段々見えてきます。
 皇国史観のオリジンは江戸時代における本居宣長の国学にあります。この国学は前回取り上げた徳川史観の思想的対抗馬として明治維新が起こされる大義ともなりました。この国学のうち、水戸で起こった水戸学では南北朝時代に南朝側についた北畠親房が書いた「神皇正統記」を経典の如く大事にしていたそうで、これが明治にできた皇国史観においても最高経典として奉られました。

 神皇正統記をベースに皇国史観が組み立てられたこともあって、南朝方武将はいずれも「天皇家に殉じた忠将」扱いされ、逆に北朝方はいずれも悪魔の手先のようなくらい徹底的に批判されました。
 特にその最大の矛先となったのは、後醍醐天皇が吉野に走るきっかけを作った足利尊氏をはじめとする、足利家一門でした。足利家への憎悪は幕末の頃からも高く、尊氏や義満の木像の首が切られるという事件も起こっており、皇国史観の煽りを当時から受けていました。

 ちなみに、徳川家はどうかというと自分が見る限りだと北条家、足利家と比べると批判が少ない気がします。それは何故かというと明治、大正時代の政府には旧幕臣や徳川家一族も参画しており、そうした大人の事情から批判が抑えられたのだと思います。
 その代わりスケープゴートとばかり、ラストジェネラルこと徳川慶喜に対する批判はなんかやたら激しかった気がします。もっとも慶喜に対する評価は現代でも二転三転しており、徳川家というよりも彼自身に起因するのかもしれませんが。

 話を戻すと、総じてこの皇国史観は天皇の権威を高めるという思想が背景にあることもあって、実証的な研究よりも天皇家との距離感によって歴史的評価が左右されました。また実証性よりも観念性が優先されたこともあり、明治当初に一時花開いた考古学など前史時代の研究も皇国史観が普及してからは端に追いやられるなど憂き目を見ています。
 このように皇国史観の科学性は極端に低く、極端な言い方をすれば神話のようなものであり、学問としてはおけないという風にすら私は考えています。実際、その起訴としている主張や論理には矛盾も少なくなく、いくら国威や権威高揚目的とは言えこんなもの使ってたなとすら思います。

 またこの皇国史観では前述の通り極端な南朝贔屓がなされていたことから、戦後になって皇国史観が否定されたことにより、この辺の時代に対する研究が若干タブー視されるようになったきらいがあります。というのも南北朝時代は、人気が低いというのもありますが、他の時代に比べると研究している人や話題に上がってくることが極端に少ないと前から思っています。
 一応、楠木正成などは「贔屓目なしでも間違いなく名将。だが新田義貞、てめーはダメだ」などと実証的な評価や検証は行われるようにはなっていますが、それでも南北朝時代を扱う書籍は依然少なく、その解説は現代も少ないままです。

 多少しつこいですが私個人としては上記点、現代の歴史学研究にもタブー視させる雰囲気を作ったという点でもってこの皇国史観をよく思っていません。またこの皇国史観自体、歴史学の議論から生まれたというよりも、政争の具として使われるために巨大化していったという背景もあり、非常に気に入りません。
 学問の中立性とかどうとかいうつもりはありませんが、皇国史観に関しては学問というより政府攻撃目的で議論が盛り上がり、その後戦前の国威発揚に用いられるようになったという経歴は、歴史学としてはあってはならない経歴だと考えています。その辺についてはまた次回に自分の見解をまとめます。


<皇国史観において株が上下した対象>
株上げ:南朝方武将、天照大神
株下げ:北条家、足利家

2020年10月26日月曜日

Q3自動車記事の裏側

コロナ終了? 中国自動車市場が大復活を遂げていた(JBpress)

 歴史観の記事の続きを書こうと思ってましたが、今日も残業でついさっき帰ってきたので自分の配信記事の宣伝やります。ぶっちゃけ定期的に書いている自動車統計記事なので、何も解説するものがありません。

 強いて言えば、中国自動車市場のコロナショックからのこれだけの回復は誰も想定していませんでした。下手すりゃ通年での前年比プラスも見えてきているくらいですが、どの自動車会社もバンバン売れているというわけじゃなく日系とドイツ系がやたら売れる一方、中国系メーカーの落ち込みはどんどん広がっており、二極化が進んでいます。
 ただ記事にも書いている通り、何で日系がこんだけ好調なのかは当事者である中国の日系自動車関係者たちもわかっていません。なんとなくハイブリッド車が好調なのかとか、日系車のメンテナンス性、壊れにくさが浸透してきたのかとかいろいろ挙げますが、それにしたってこれほどの支持を得るとは思えないと当事者たちも感じています。

 その点で今回自分がこの記事で指摘している通り、自動車の購入単価がここにきて高く上昇してきていることから、消費のアップグレードこと高い車を購入する層が増えてきており、その上昇先のボリュームゾーンに日系車が上手く入ったのではという分析を今回展開しました。この分析は恐らく、現時点で自分しか主張していないと断言できるものであり、今回の記事では自分の主張を強く前面に出すという構成になっています。なんでそうなったのかというと、Q3は時期的になんか中途半端な時期でデータ分析だけだとあまり面白くないと考えたからです。

 これ以外は特に取り立てて書くことはないのですが、自分の自動車免許は現在キレています、じゃなくて切れています。例によってコロナ期間中に更新時期を迎えてしまい、帰国して更新することもできずどんどん月日が経っています。まぁ中国で使うことないから気にしなくていいけれども、来年いっぱいも帰国は無理だろうから、再来年くらいに行って更新しなきゃいけないと考えるとなんかやぼったく感じます。
 菅内閣では全国どこでも免許更新可能にすることをこの前提起していましたが、この際だから外国の領事館とかでも更新できるようにしてくれるとハッピーになる駐在員はたくさんいる気がします。申請費用は高くついてもいいから、そういうことも検討してくれたらいいなとか思います。

2020年10月25日日曜日

日本の歴史観~その1、徳川史観

 またいろいろ思うところがあるため、日本における歴史観をいくつかピックアップしてまとめてみます。なんでこんなことをやろうするのかというと、「歴史は中立」という考えは嘘だと内心考えているからです。
 歴史というものは得てして勝者によって語られることが多く、また勝者でなくても、その時々の価値観や発見されている資料によって見方は変わります。時にはリアルタイムの評価の方が中立的となってしまうことすらあり、歴史観というのは一種の意思を持ったものであるというの自分の中の定義です。

 そういうわけで一発目の今日は、江戸時代における歴史観こと徳川史観について書きます。

 まず徳川史観というのは何かというと江戸時代の徳川家による支配の中で、当時政権側が指導して、定着していた歴史観を指します。基本的には徳川家が支配する正当性を裏付けることを目的としているため、徳川家にとってとにかく都合のいい解釈がよりどりみどりです。具体的には、

1、徳川家が支配するようになって日本は平和になった
2、家康はめちゃ努力家で勤勉家でえらかった
3、豊臣政権はカスだった
4、武田家はめちゃつよだった
5、天皇家?いたっけそんなの?

 大まかにまとめましたが、割と的確に特徴を突いている気がします。

 まず1番目ですが、「戦国時代を終わらせたのときたら徳川家」的に関ヶ原と大坂の陣を大々的にピックアップしています。これは両大戦が徳川家の大勝利で終わったという背景もありますが、日本は平和になったという主張に関してはあながち間違っておらず、実際に長い間平和だったので実際に真実だと思います。

 次に2番目ですが、これは東照宮をはじめとする徳川家康の神格化などから見て取れます。案外天皇家もこんな感じで、支配の正当性を裏付けるために後からいろいろ神格化していったのかもしれません。

 次に3番目ですが、これが徳川史観の最も代表的特徴でしょう。何も徳川家に限るわけじゃないですが、前政権を打倒した新政権はその支配の正当性を主張するために、前政権が悪だったということにして自らが打ち倒す正義を語ります。豊臣家もこの例にもれず、徳川家に反抗しようとした、平和をかき乱そうとしたという風に描かれていますが、如何せん障害となったのはほかならぬ、最後の豊臣家当主である豊臣秀頼でした。
 というのも秀頼は家康の孫でもあり、また若年であったことから実際に政務を切り盛りしておらず、秀頼が何か悪さをしていたと主張するには徳川家的にも無理があると考えたのだと思います。そのためスケープゴートになったのは主に生前の豊臣秀吉と淀君で、特に淀君に至ってはやはりこれでもかというくらいに悪者扱いされ、豊臣家を滅ぼした中心人物としています。

 実際にというか、現代で検証されている範囲では豊臣家を大きく動かしていた責任者は淀君であると思われ、こうした批判も間違ったものではないと思います。そう思う一方、どことなく淀君がやや過剰に悪者にされ過ぎていないか、大阪方の意思決定者は他にもいたのではないかと思う節もあります。この辺については現代においても徳川史観の影響が残っているのかもしれず、今後更なる検証を待ってみたいのが本音です。

 次の4番目ですが、これも徳川史観ならではです。武田家は三方ヶ原の戦いで完膚なきまで徳川軍を叩いた歴史があり、この事実だけは隠蔽しようにもどうしようもなかったのでしょう。なので、「徳川家の武士は強かった、武田家はさらにその上を行く強さだったから仕方ない」的に、負けたのも仕方ないくらいの強敵認定することで徳川家の権威を守ることになったのでしょう。
 そうした影響もあってか江戸時代においては武田家の活躍を描いた軍記物が多数出されており、ぶっちゃけ徳川家関連よりも多かったんじゃないかと思いいます。またその延長で、大坂夏の陣で家康本陣まで迫った真田家、というより真田幸村に対しても称えるべき強敵認定されたこともあって、真田十勇士をはじめとする軍記物作品が多数生まれたのでしょう。

 逆にというか、これは恐らく私以外誰も主張したことのない説でしょうが、フェードアウトの対象となったのは織田家であるような気がします。というのも江戸時代に流行ったとされる小説や講談を見て織田家の影というものがほとんど一切見られず、その日本史への影響に比して異常なまでに影が薄いです。
 敢えて推論を述べると、徳川家にとって織田家との同盟は半従属的な同盟であり、当事者たちからすれば屈辱的に感じるものだったのかもしれません。それ故に事実自体をねじ曲げたりはしないものの、敢えて黙して語らず、織田家の影をとことん希薄化させるという意図があったのではと推測しています。

 そして5番目についてこれは徳川に限るわけじゃなく室町時代からずっとそうですが、天皇家に関しても影が薄いです。ただ天皇家に関する研究などを弾圧していたわけではなく、実際に江戸中期から国学が発達していき、皮肉なことにそれが明治維新の思想的根拠となっています。
 逆に江戸時代に弾圧された学問の代表格は蘭学こと西洋思想です。これはキリスト教、特にカトリックの侵略に対する警戒感が脈々と受け継がれていった結果でしょうが、江戸中期ごろからは蘭学の実用学的な部分に関しては一時認めるようになったものの、その後も蛮社の獄、安政の大獄など折に触れて弾圧しており、西洋思想に関しては終始厳しい態度を徳川政権は取り続けています。

 総括的に述べると、徳川史観は徳川家というよりも、武士らしい歴史観であるというのが自分の見立てです。強いものが勝って支配するのが当然的な価値観であり、「徳のあるものの支配」というイメージにはなんか程遠いです。実際それだけ徳川家は江戸時代において圧倒的な権力と実力を持っていたわけで、そうした構造的な面からこのような価値観になったのでしょう。

<徳川史観において株が上下した対象>
株上げ:武田家
株下げ:豊臣家、織田家

2020年10月24日土曜日

ハリアーⅡできた(∩´∀`)∩

 何かとは言わないけど戦犯は岩下。


 そういうわけで今日、ハセガワのハリアーⅡのプラモを作りました。


 知ってる人には早いですが「ハリアー」はトヨタのSUVではなく、英国が開発した世界初のVTOL機、即ち垂直離発着ジェット機です。端的に言えば、ヘリコプターの様に長い滑走路なしに真上への離陸、真下への着陸が可能で、尚且つヘリコプターより速い速度で飛ぶことができるジェット機です。


 もちろん垂直離発着+ジェット機を実現するに当たっていろいろな構造的課題が多いことから、「ジェット機としては最高速度はそれほど速くない」、「搭載重量が少なくあまり爆弾とか詰めない」などの弱点を持っています。


 ジェット機としての弱点は多いものの、垂直離発着という他のジェット機にない機能は戦術応用の面で高く評価され、「搭載重量少ないならエンジン強くすればいいじゃない」的に、米国によって中身を魔改造されたのがこのハリアーⅡです。


 そういうわけでこのハリアーⅡは英国生まれ米国育ちみたいな機体ですが、魔改造が聞いたことから英国も逆輸入して採用しています。外見こそ初代ハリアーとほとんど差はないものの、中身はかなり大きく異なった仕様になっているそうです。
 そうした逸話から前から構造に興味があって作ってみたいなと思っており、たまたまプラモ屋覗いたら何故か置いてあったので、その日は何も買うつもりなかったのに衝動買いしてしまいました。ちなみにソ連人民の敵であるうちの親父も昔からこのハリアーに、何故か強い興味を持っていました。

ノズル後ろ向き

ノズル下向き

 その垂直離発着を可能とする最大の機能を実現する特殊なエンジン配置とノズルはきちんとこのキットでも再現されています。見ての通り、ノズルは組み立てた後でも向きを変えることができます。
 なおこのキットですが、パーツ数が少ないにもかかわらずこうしたノズル可変機構も再現されており、かなりおすすめです。組立だけなら2時間程度あれば十分可能で、プラモ組立てに慣れていない初心者にも向いています。

正面図、どことなく「命」っぽい

左からハリアーⅡ、F-14トムキャット、J-20(殲-20)

 例によって大きさ比較のために前回作ったトムキャットと、久々にJ-20を引っ張ってきて並べました。比較対象二つがとんでもなくでかい機体ということもありますが、ハリアーⅡ自体は戦闘機としてはかなり小型です。やはり小型なだけあって、大型のトムキャットと比べてもデカール(シール)貼りはやりやすかったです。
 さっきにも書いた通り、非常に組み立てやすく、尚且つプロポーションも悪くなくて、作ってて非常に楽しいキットでした。ハセガワはタミヤと比べるとディテールにこだわるところがあってこれまで難しいという印象が強かったですが、このハリアーⅡに関しては全くそんなことなく、単純で且つ楽しく組めるキットでした。値段も安かったし。

2020年10月22日木曜日

三菱製ジェット機の開発凍結について

三菱国産ジェット、事実上凍結へ 開発費巨額に、コロナで需要消滅(共同通信)

 やっぱりという結果でした。

 そもそも、「三菱」の名を冠した「MRJ(ミツビシリージョナルジェット)」から「スペースジェット」に名前を変えた時点で、三菱の名を汚すまいという最後の意地だろうと感じたため、この報道に関してもそんな驚きはありません。一部コメントでも指摘されている通り、「コロナがきっかけ」と報じられているものの、実際には「コロナを言い訳」にしただけで、凍結は基本路線だったのだと思います。

 もちろんこの結果自体は私自身も残念ですしどっかで再起とかかけてほしいですが、現実面として既に激しくスケジュールが遅延し、設計自体がもはや陳腐化する中で、リリースにこぎつけても損益分岐を超えることはまずないだろうから、計画が再開されることもまずないと思います。

 それにしても三菱グループもこのところ多方面でミソつけてて、いろいろと大変な気がします。応援したい気持ちはあるものの、三菱自動車の惨状とか見ていて、「俺の方があいつらより三菱車愛してんだよ!(# ゚Д゚)」と叫びたくなります。
 その上で、前から言っていますが次期国産戦闘機のF-3の開発は三菱重工で本当にいいのか。ここはやはり川崎重工にもあたってみて、「飛燕マーク2カスタムリファインZアサルトバスター」とか作らせる方がいいのではと、心の中でずっと祈っています( ˘ω˘)スヤァ