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2021年4月30日金曜日

自我の強弱

 なんか思想っぽいこと書きたいので自我について少し触れます。

 まず大前提として、完全な意味での自我というのは少なくとも人間の思考には存在しはないと私は考えています。突き詰めれば人間の思考はコンピューター同様に、外部刺激に対する反応に過ぎず、経験(=過去データ)があればそれに乗っ取って反応し、なければ試行錯誤的にとりあえず実行可能な行動をとる、または反応をあきらめて何もしないに大別されます。こうした反応行為が極端に出るのはいわゆるエラー状態で、パニック状態とも言い換えられますが突発的な不測自体に合うと人間はかなり単純な行動に走りがちで、こうした点からも独立した自由な思考という定義になる自我というは案外脆いというか基本は過去データの累積でしかないという結論に自分は至っています。

 その自由独立思考の自我に関してですが、こんなこと言う人は少ないですがやはり強い人、弱い人ははっきり分かれる気がします。何を以って強いか弱いかの判断の仕方はいろいろありますが、私に関しては「他社の言動をどれだけ真に受けるか」がこの強弱を測る上での最大のバロメーターであるという風に考えます。
 ひとつ例を挙げると、思春期の女の子なんか好きになった男性のいうことや趣味に迎合しやすい傾向がはっきりと見られ、突然女の子が自動車に詳しくなったら十中八九男の影響だと思っていいでしょう。ただこの手の迎合は所詮は迎合に過ぎず、それ以前のパーソナリティや経験とは関連性が薄いことからその好きになった男と距離感が生まれるとあっさり放棄されることが多いです。まぁ逆パターンで男も女性の趣味に迎合することもありますが。

 こうしたごく単純な迎合を起こさず、尚且つ複雑な思考パターン及び経過を経て特定の趣味なり行動を持つようになると自我が強まっていると言え、言い換えるなら「他者に影響を受けることなく自らのパーソナリティを深めていく」ということが自我を強める、または強い自我を持つに至る過程だと私は考えています。もっとも、本とか読んで変な宗教にハマって迎合するパターンもあるので一概に自我が強いとも言えないですが。

 やや回りくどいい方をしましたが、もっと単純に言い返すと「他者の影響を受けやすく、尚且つ考えや価値観がコロコロ変わりやすい人」のことを私は自我が弱い人だと考えています。逆に影響を受け辛く過去から持ち続けている信念なり価値観が不動な頑固型の人が自我が強いと考えています。
 この両者を比べて、一体何を以って別れるのかがトピックとなりますが、これについてはいくつか要素があります。まず一番大きいのは成功体験で、過去の成功体験が強い人ほど自分のやり方なり価値観に自信を持つので自我が強まる傾向があります。逆を言えば自我が弱い人というのは自信が弱い人が多いとも言い換えられるかもしれません。

 次に、これはあまり主張する人は多くはないと思いますが、過去に決断に迫られた回数が多い人ほどやはり自我が強くなる気がします。具体的に言うと進路や業務選択などがありますが、もっと大きなものだと死にそうな二人のうちとぢらを助けるかとか、復讐に身をささげるか否かなどの大きなライブセレクションなんかを経験している人は、他人の意見を参考にすることはあっても、自分が何故、どうしてその決断を採るのかについて深く考える人が多い気がします。
 そういう意味では教育で「親の言うことを聞いておけばいい」的に親がほとんどすべて指図して育てられた人なんかは自我が弱くなりやすいかもしれません。自我の萌芽は反抗期だと言われますがそういう意味では間違いないものの、そうした反抗期も徹底的に押さえつけられると自我が全く育たなくなるというのも自然な話です。

2021年4月29日木曜日

ゲームのパラサイトイブの思い出

 本題と関係ないけど警察はGW間際に紀州のドンファン元嫁逮捕という最高のエンターテイメントを提供してくれたなという気がしてなりません。っていうかこの事件のせいで、「ドンファン」という名前が「金持ってて愛人に殺される人」というイメージが自分の中で固まりつつあります。


 それで本題ですが、もしスクウェアのエニックスとの合併前で一番好きなゲームを挙げるとしたら、自分は恐らく上記動画の「パラサイトイブ」を挙げると思います。このゲームは1998年に発売されたRPGゲームで単刀直入に何が良かったのかというと、ともかく雰囲気が格別に良かったです。

 ゲーム内容は同名の日本の小説である「パラサイトイブ」から原案だけを引用し、ミトコンドリア絡みのエイリアン的なものと戦うという、ひねりのほとんどない非常に単純な勧善懲悪的なストーリーです。ただひねりは全くないものの、舞台は現代米国のニューヨークで、主人公も金髪スレンダーな女刑事という、当時の他のゲームにはない独特の要素が溢れていました。

 特に現代の米国を舞台にしたRPGゲームというのはかなり面白い試みだった気がします。というのも90年代後期とはいえRPGの舞台といったら中世ファンタジーが未だメインで、FFシリーズで徐々にスチームパンクな世界、そして中途半端なSF世界が徐々に広げられていましたが、現代を舞台にしたRPGゲームはまだほとんどありませんでした。唯一、女神転生シリーズ、そして今もなお売れ続けているペルソナシリーズが現代ジュブナイル世界を舞台にしたRPGとありましたがやはり日本枠で、海外、それも米国を舞台にしたRPGは自分の中ではこのパラサイトイブが最初でした。

 話を戻すと、そうした米国を舞台にやたらセクシーな金髪女性刑事を動かして遊ぶのが面白かったのと、出てくる銃器が現実にあるのを模していて、射程内で敵の攻撃をよけつつ戦うというのがなんか楽しかったです。もっともゲーム性に関しては明らかに同時期にヒットした「バイオハザード」の影響を受けているのが見て取れます。それでも1はまだマシでしたが2になると完全にバイオハザードのゲームシステムを模倣するようになり、敢えて言えば「戦闘中に魔法が使えるバイオハザード」に成り下がってて、熱狂的なファンはいるようですが私は2は好きになれませんでした。ストーリーも後半やたら駆け足だったし。
 また2が好きになれない理由として、これも単純に好みの問題でしょうが、音楽の曲調が大きく変わってしまったということも理由にあります。逆を言えば、1を気に入っているのは音楽が非常に良かったという点もあります。

 パラサイトイブ1の音楽は当時スクウェアにいた下村陽子氏で、未だに自分の中ではイトケンに並ぶ偉大なコンポーザーの一人として認知しています。どういう曲調かというと上の動画でも見てわかる通りかなりハリウッド映画っぽい音楽で、尚且つホラー風味で女性上位なこの作品のイメージにかちりとハマっています。こうした要素が積み重なったのと、当時としては実質最高峰なムービーの質から非常にハマって大好きな作品だったのですが、2は正直期待外れで、その続編の3rd Birth Dayに至っては評価が低いことから遊んでいません。

 なお指摘する人は少ないですが、実質このシリーズの看板娘こと主人公のアヤ・ブレアの顔パーツをよく見ると、FF7の主人公のクラウドと同じであるように見えます。髪の色も同じ金髪で、毛先もツンツン気味だし。デザイナーはノムリッシュことスクウェアの野村氏で共通していますが、クラウドが女装したらきっとアヤのようになるんだろうと自分は考えています。

2021年4月27日火曜日

ゲームの「天地創造」の思い出


 また急ですがかつてスーパーファミコンで発売された「天地創造」というゲームについて語ります。

 このゲームですが発売されたのは1995年ともはや太古の時代なのですが未だにファンは多いようで、上記動画のようにファンアートが未だに制作されているそうです。なおこの動画は、この「天地創造」でBGMのコンポーザーをしていた小林美代子氏のサイト経由で知り、上記動画のアレンジ曲も小林氏が制作、提供しているとのことです。

 ゲームの内容についてですが、単純にアクションゲームとしてもそこそこ楽しく、また一部謎解きがあるものの子供でもとける範囲の難しさで、バランスのいい作品でした。このひとつ前の「ガイア幻想紀」はやや謎解きが難しいところがあるのと、シナリオが恐らく開発期間が足りなかったのか後半で物凄い省略されるなど完成度が低かった点を考慮すると、天地創造も後半のストーリーがやたら駆け足ではあったものの、完成度では比較にならないほど高かったです。
 ちなみにガイア幻想紀については、中盤の空中庭園というステージで本当はギミックを動かして障害を取り除かないとダッシュで坂を登れない箇所があるのですが、実はここ、ジャンプボタンと攻撃ボタンを連打すると坂を乗り越えてしまえるバグがあります。っていうか攻略法わからないから試行錯誤を続けてそのバグで攻略してのけてしまったのですが。

 話を戻すと、この天地創造を私は1996年の1月、それも3日に確か買ってもらっています。何故かこの日にソ連人民の敵であるうちの親父と姉貴と一緒に秋葉原行って、なんかゲーム買っていいと言われて雑誌のガンガンで紹介されていたから天地創造を選びました。対抗馬は、桃太郎電鉄DXでした。
 ゲーム自体は前述の通りしっかりできてて楽しめましたが、それ以上に自分がはまったのはまさに上記動画で流れるBGMでした。あまりにも気に入ったことから姉貴と半額ずつ出してサウンドトラックまで購入しました。それまで音楽には全く興味なかった私でしたが、この天地創造のサウンドトラックは何度も聞き続け、大学進学で京都に行くときもわざわざ手に携えて持って行ったほどでした。

 先ほどこのゲームについて友人とも話しましたが、制作会社のクインテットは2000年代中盤くらいにどうも解散した模様で、権利関係も曖昧なままなことからこのゲームの再販、再配信はほぼ絶望的だと思います。この手の倒産したゲーム会社の名作が権利関係の問題で再版されない問題はかねてから頻発しているだけに、発売後20年経って権利関係が不明若しくは後進の届け出がないゲーム作品に関しては、一定の保証額(権利保有者が現れた際に支払う)を預け入れる代わりに、自由にリメイクできるような時効法などを整備してもらいたいものです。

 というわけで、次回は「パラサイトイブ」について語ります。

2021年4月26日月曜日

宏光ミニの内装


 ハイというわけでヤンマガ的な自分の記事紹介ですが、今回は四半期ごとに出している中国自動車統計記事であまり解説する内容も多くありません。しいて言えば、記事中にも書いている通りに去年の1~3月はコロナ流行に伴う都市封鎖が行われていた時期で、比較対象機関とするにはあまりに特別な期間であるため前年同期比での増減比較はあまり意味がありません。
 そのため全体販売台数に関しては2年前の2019年1~3月データとの比較も入れましたが、個別車種の販売台数ともなるとさすがにいちいち2年前のデータと比較することができず、傾向が掴みづらく記事も書きづらかったです。そのため、今季明らかに大幅な伸びを示している新エネルギー車に関する話題を大目に取り扱うことにしました。


 そこで取り上げたのは前にも取り上げた上汽通用五菱の宏光ミニで、記事中には全体写真を乗せましたがこうして内装も写真を撮ってきてあります。1月に書いた記事ではディーラーの前に置いてある車体を撮影しましたが今回はディーラーの中に入ってじっくり間近で眺めており、近くで見ると改めていい車だとさらに感じ入りました。
 それで上の写真ですが、見ての通りかなりシンプルな内装になっています。個人的に興味深いのは助手席側にエアコンの調節スイッチなどが配置されている点です。実車で見てみるとほんと小さな車なのでこのような配置にしましたが、コンパクト感あふれてて自分にとってはかなりたまらなかったりします。


 なお上の写真のような車も上汽通用五菱は出していますが、自分が見ていないうちに随分と見た目の良い車出すようになったと感じます。

 それはそうと、また夏場は遺書を用意しなきゃいけないほど忙しくなるから今のうちにため記事作っとかないと本当に死にます。幸い今日、プリズンブレイクネタを一本思い浮かんだので、あと3本くらい用意した上で、夏の歴史特集記事も準備しなきゃいけません。歴史特集はネタは決まったけどまだ資料渉猟が済んでおらずスタートが切れてませんが、そこそこ得意分野の時代だから何とかなるでしょう。

2021年4月25日日曜日

五日はクラウン


 ということでこの週末はクラウンのプラモ作ってました。型式はGRS182型こと12代目で、徳川将軍で言えば家慶的なポジションの車です。


 なんでこんなの急に作り出したのかというと、よく行くプラモ屋に何故かこの型式のクラウンのキットが大量に置かれてあり、こんな古いクラウンのキットを中国で誰が買うんだよとか思ってよく見たら、うちのソ連人民の敵である親父が今まさに乗ってるクラウンだということに気が付き、誰が買うのかと思ってたら俺だよ的に自分が買うこととなりました。

 メーカーはアオシマでパーツの整合性とかが懸念でしたが、比較的良好で、割と楽しめて作れるキットでした。構造も非常によくできており、足回りことタイヤ軸はばねとねじを組み合わせて止めるという仕組みで、ねじの締め具合を調節することでタイヤの高さも変えることが出来るほか、正面から見て八の字になるよう、タイヤの偏角すらも変えられるという仕組みになってました。
 ただその分、足回りの組立はかなり複雑で難しく、自分は何とか組み上げられましたがプラモ組立てに慣れてない人だったらかなり難しいのではと感じるところもあります。私なんか組み上げられたらそれでいい方だから、余計な事せずシンプルで組みやすい構造にしてほしいというのが本音です。

前作ったフィットとの比較

 組立て中に感じた点としては、「やっぱクラウンってでかいな」知負うことでした。参考までに前に作ったホンダのフィット(初期型)と上の写真で比較していますが、全長に明らかな差があります。普段作る車のプラモはスポーツカーばかりなので、そうしたキットと比べても今回のクラウンはでかくて迫力を感じます。

リア部分のデカール

リア全景、先の写真は左箇所で右の省エネ優遇シールは拡大してみてみたら上下逆だった

 唯一不満だったのはリア部分のパーツで、出荷以降の経年劣化もあるでしょうが接合部が左右に広がり、接着剤使ってもきちんと接合できませんでした。おまけに白のプラスチックでやたらと接着剤に溶けやすく、やや不格好な感じにならざるを得ませんでした。
 この辺は構造をもう少し工夫すればカチッとつながりやすくできるはずだと思う箇所なだけに、設計の詰めの甘さを感じます。


 あとこのキットは「ロイヤルサルーン」と「アスリート」の二つのグレードを選んで作れるのですが、当初は「ロイヤルサルーン」にしようと組んでいたところ、何故かフェイスグリルに「アスリート」の方を貼りつけてしまっており、完成後にその事実に気が付きました。終盤だったから集中力切れてたのかもしれません。
 フェイスグリル以外は「ロイヤルサルーン」なため「シルエイティ」みたくあいのこみたくなってしまっており、敢えて言うなら「ロイヤリート」ともいうべき形に仕上がっています。言われなきゃわからないからあまり気にしてませんが(ヾノ・∀・`)ナイナイ

2021年4月24日土曜日

引きこもりの親殺害の逆パターン

 お茶の間に流れるテレビの報道で一番気まずくさせるのは、引きこもりの子供が親を殺害するというニュースじゃないかと思います。別に引きこもりじゃなかった頃の私ですら一瞬の気まずさを感じてましたし、報道自体に何か問題があるわけじゃないけど、何か沈黙を作らせたらある意味一品なニュース報道じゃないかと思います。
 そうしたニュースを中国に行ってからは一切見ないというかテレビ自体見なくなりましたが、ふと今日自宅でラーメン作っている時に、逆パターンはないのかなという疑問を覚えました。どんな逆パターン化というと、親が引きこもりの子供を殺害するというパターンです。

 これが実際に起きた例としては元農水次官長男殺害事件で、恐らくこの事件は今後20年間くらいは歴代重要事件として語り継がれるかと思います。この事件では家庭内暴力を繰り返し、将来は外部で大きな事件を起こすと考えたため殺害したと父親は述べていますが、実はこういう事件は案外報じられないだけ、というより一切認知されないだけで実際にもっとたくさん起きているのではとふと思いました。何故こんな風に思うのかというと、隠蔽が行いやすいからです。

 多戸部数年間引きこもっていて近所にもその存在が全く認知されない人がいたとしたら、殺害しても家族以外は探す人はまずいません。そしてその家族が下手人だった場合、死体をどうにかうまく処理出来たら適当に「外出してから一切帰ってこなくなった」、「以前から数日外泊することがよくあった」などと話し、行方不明届を一応出しておけばよほどのことがない限りはそのまま行方不明として処理されるのではないかと思います。
 なんでこんなことを急に思いついたのかというと、年金を受給し続けるため年金受給者の高齢者が死亡したとしてても一切届け出ず、自宅内に死体を置いたままでもずっと気づかれないという例が以前から数多くあるためです。同様に、将来を悲観して引きこもりの子供を殺したとして、前述の通りに外部との人間関係が希薄であれば文字通り闇に葬ることはそれほど困難であるとは思えず、認知や報道がされないだけでこういう例が世の中たくさんあるのではと思ったためです。

 無論、こうした親の子殺しが頻発することは望ましいわけではなく、そうした引きこもりが長年続く世帯においては可能ならば自治体などの相談所と相談して対策を採ってもらいたいところですが、上記のような「認知されない親により引きこもり子供の殺害」が怪談っぽくうわさ話になれば、少しはプラスになる面もあるかなという気がします。何故かというと引きこもりの方にとって単純にプレッシャーとなるわけで、自立意識が芽生えるとこまで行かないにしても、家庭内暴力をやると逆襲されるという懸念が芽生え、こうした行為の抑止につながるんじゃないかと都合よく考えてます。
 そういう意味では、こうした事件が本当にあるんだとしたら一定の水準で報じる価値はあるんじゃないかと思います。まぁこうした報道もお茶の間を気まずくさせるでしょうが。

 そもそも論で言うと、私は人間というのはそこまで複雑ではなく、基本的な行動原理は欲求に直結すると考えています。インセンティブがもらえるとわかれば頑張って働くし、殺されるとわかっていたら無茶な要求にだって大抵聞きます。そんな具合で、引きこもりに関しても「殺される」という生存欲求への刺激があれば動くものが少しはあるんじゃないかと見ています。
 ただこの論理を発展させていくと、それこそもうどうしようもない人に関しては国立自殺施設みたいな話に発展していきかねません。そういう意味でも尊厳死としての安楽死議論ももうちょっと社会で深めてほしいですが、この10年くらいはこのテーマもさしたる議論を見たことないなぁ。

2021年4月23日金曜日

まとめ買いした漫画の内容について


 上の動画は最近ハマってみているものですが、ピアノの練習というか猫乗り曲芸弾きの練習にしかもはや見えない。
 話は本題ですがGW間近となったので買い控えていた発売日の近い漫画を一気に購入して今読んでおり、それらをいくつか紹介します。

1、金田一37歳の事件簿(9巻)
 非常に期待していたもののやや拍子抜け。前巻から続くポルターガイスト屋敷のトリックと犯人は大体読めていたので動機に注目していたけど、如何にもミステリーでありがちな「実は家族だった」エンドでがっかり。
 それ以上にがっかりだったのは次の話、っていうかキャラで、旧シリーズでも準レギュラーだった金田一二三が大人になって再登場したものの、なんかイメージが固まっていないのか作画がページによってややブレがある印象を受けました。そもそもこのキャラ、旧シリーズでも自分からして存在するだけで不快なキャラだったため、今シリーズで出てきたという事実それ自体でなんかテンション落ちます。一応、新編の犯罪展開はまだ読みごたえがあるので続き買いますが。

2、GANTZ:E(2巻)
 昔のある批評の言葉を引用すると、「漫画を馬鹿にしている」という印象を受けました。一応ガンツシリーズなので買って読んではみたものの、もう続きを買うことはないでしょう。
 一体何がクソなのかというと戦闘描写で、これがあまりにもだるすぎです。作画に関してはCG取り込みの背景でさすがというところですが、話があまりにも面白くありません。特徴を持ったキャラクターはいないし、敵キャラもでかくて刀振り回すのしかおらず、攻略方法もこっちも同じく刀振るうか羽交い絞めにするかの2択です。2択のくせして、同じような敵が3度も仕切り直して出てきた時には唖然とされられ、戦闘の展開もほぼ全く一緒で読んでてストレスすら感じました。

 あとどう見ても女性キャラなのに男の振りしてるキャラがいて、周りの人間も全く気が付かないというのも見ていて萎えます。男装させるならもっと徹底的に男に見せるようにすればいいのにそうした配慮もなく、明らかに女なのに誰も気が付かないというのはもはや逆でしかありません。

 逆を言えば、本家ガンツは戦闘描写が凄まじくよかったと改めて思います。「頭文字D」でも同様ですが、「こりゃどうあがいても勝てない……」と思わせる描写からの逆転劇の見せ方が素晴らしく、多くの人間が絶賛しているように大阪編の道頓堀におけるラストバトルは全漫画史上でも読者の想像をすべて裏切る屈指の逆転劇だったと自分は思ってます。

3、よふかしのうた(7巻)
 上二つが期待外れだったのに対し、こちらは期待を大きく超えるほどめちゃ面白かったです。ちょうど盛り上がる過去究明編みたいな話というのもありますが、とにもかくにも人物の表情などの描写が秀逸でした。
 この作者のコトヤマ氏は他の作家とは一線を画すキャラ描写をしていて、前作「だがしかし」が流行ってからというもの、作中でヒロインに使われた瞳を集中円で描くという手法を真似する漫画家が増えた気がします。そうした例を筆頭に割と他の作家にない人物描写をするのですが、それがこの巻の裏切られたり半ば絶望したりしたり、複雑な感情を織り交ぜたりするキャラの表情で抜群に生きてて、表情を見るため一コマだけでもずっと眺めてられる妙な深みを感じました。あと単純にコマ割もきれいで、手早く読む箇所とじっくり読む箇所をまるでコントロールされてるかのように同じ話でも読むテンポが変わってくるのを感じます。まぁそのコマ割の妙を一番感じたのは、中二病的な体験がばれるというページでしたが。

4、ゴルゴ13(119巻)
 言わずと知れたこち亀越え確実な長寿漫画ですが、何故か113巻と119巻のみ今回購入しました。なんでかっていうと、113巻は間違えて購入したためで、119巻は読みたい話があったからです。その話というのも、「間違われた男」が収録されているからです。
 詳細はリンク先のページに解説されていますが、この回ではただの一般人がゴルゴ13に間違われるという、ゴルゴ史上屈指のギャグ回だと言われています。

 なお偶然ですが119巻にはチベット絡みの話も収録されています。この話とか中国政府なんかマジギレしそうな内容なんですが、果たして中国政府の役人はゴルゴ13もきちんと内容チェックしているのかが気になります。にしても時代が時代だから、113巻も119巻も90年代中盤の事件にかたどった話が多かった。