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2022年2月8日火曜日

中国女子フィギュア選手が非難される別の理由

「中国語で話したい」転倒非難の中国女子フィギュア選手が流暢でない〝母国語〟で懸命に話す(東スポ)

 今日の友人との食事で、上のニュースについて日本のメディアが報じている内容とは異なる背景を教えてもらったので、備忘録代わりに書いておきます。本当はもう寒いからブログなんて書かずに寝たいのに。

 絶賛開催中の北京冬季五輪ですが、米国育ちながら2018年に中国に帰化して代表となった中国女子フィギュア選手の朱易選手ですが、今中国から大バッシングを受けています。その理由というのもフィギュアのSP、フリーともに転倒し、順位も最下位だったことがきっかけですが、これについて日系メディアは、

・帰化して他の選手から代表の座を奪ったのにこの体たらく
・そもそも実力がないのに代表になったのでは親のコネではないのか疑惑
・中国語も話せないのに代表だなんておかしい(実際は話せるよう)

 このような理由から彼女が叩かれていると報じられています。

 こんな感じで日本でも話題になっているよと中国人の友人に話したところ、「ちょっと違う」と言われました。どういうことかと聞くと、「彼女が叩かれているのは気持ちを立て直さなかったからだ」と教えられました。
 友人によると、SPで転倒して駄目だったのはまだ許せても、そのまま気持ちを引きずったままフリーでも目に見えて覇気のない演技を見せたことが主な非難理由だそうです。これを聞いて私も、ナットなくこっちの方が真実なのではないかという気がしました。というのも、中国はどん底から這い上がる人間に対しては惜しみない称賛をするからです。

 同じ女子フィギュアで、日本の浅田真央氏が現役時代にSPで同じく転倒して振るわない点数を叩き出したものの、続くフリーで会心の演技を見せた際、中国国内でも非常に話題となって彼女を称える声で溢れました。こんな感じで割と中国人は、失敗から立ち直る姿勢を非常に重視する傾向があるのは間違いありません。
 それが今回の朱易選手の例では、SPの失敗を思いっきりフリーにまで引きずったというのが目に見えてわかるほどだったようで、その点が逆に中国人からすれば一番気に入らない要素だったというのが友人の言です。先の浅田氏の例を見ると割とそういう見方になるのではと思う要素があると私も思え、実際はどうだかわからないけど、少なくとも日系メディアでこうした見解は報じてないのでここに書いておくことにしました。

 それにしても春節の休暇中はよく見えた視力が、勤務復帰直後からまた見え辛くて仕方ない状態に戻りました。休暇中はよく寝っ転がりながら長い時間ゲームしてたのに目はぐんぐんよくなったというか見えるようになっていったのに、自分の仕事がどれだけ目に良くないかがこの二日間ではっきりわかりました。

2022年2月7日月曜日

日本が衰退した理由

熟練の「技」覚えたロボットが細胞培養、自動化で研究時間を確保…理研が神戸に拠点(読売新聞)

 上の記事見て、これならスタップ細胞も作ってくれそうじゃんとか妙な期待感持ちました。


 上の記事見て、「会社を三等分できない東芝経営者たち」というタイトルが浮かびました。っていうかこの会社分割化案のメリットは全く見えず、何を目的にこんな提案を始めたのかガチで思考を疑っています。まぁぶっちゃけ、妙な手順で事業売却するつもりなんじゃないかという気がしますが。


 それでようやく本題ですが、最近この手の日本の衰退理由を問うまとめ記事を見ることが増えてきました。なんとなく90年代後半にかけてのバブル崩壊認識期のような空気になってきたなと感じるとともに、衰退理由を尋ねている時点でなんかいろいろと思いやられます。
 結論から書くと衰退理由はあり得ないくらいあるため、いちいち挙げ切ることはできないというのが私の見方です。その上で上記のような問いをする人たちは恐らく、「何か一つの致命的な問題を日本は抱えており、それさえ解決すればまた日本は浮上する」という前提を無意識に持っているのではないかと思ってみています。前からも書いていますが、なんか日本は悪い原因を複数要因として分析することはせず、たった一つの原因がすべてを悪くさせていると思い込み、更なる失敗を重ねる傾向が強い気がします。

 もっとも、複数要因があるにしても何か一つ、代表的な問題を絞ってもらいたいという心理はわからなくはないです。まぁエリートがそれで納得しちゃったら終わりなんだけど。
 敢えて経済関連でそうした代表的問題を挙げるとしたら、ダメな中小企業をやたら保護して生かそうとしてきたのがハイランクな問題、エルフ的にはハイエルフ的に致命的な問題だと思います。厳しい言い方になりますが事業拡大がもはや見込めない中小企業に関しては余計な支援などせずガンガン潰してくれた方が全体経済にとっていいし、また無能な経営者の淘汰にもつながります。実際自分も日系企業をいろいろ見てきて、本当に無能な経営者が多いなとこれまでに何度も感じてきました。死人出ても知らんぷりだったし。

 次に社会的な面で言えば、コミュニティの喪失が地味に大きいかとも見ています。先日もまとめ掲示板で、社会人になったら人間関係は社内だけになるとみんな書いてて、「え、そうなん?」とか思った自分は少数派です。
 地域でも趣味でもいいから会社以外の人間関係をもっと持たせる、その上で政治的組織票を形成することによって政治への反映、議論を深めるようにしないと、今の地方議会のように明らかにやばい奴が当選し続ける環境が今後も続くと思います。野党ばかり批判する人が多いですが、野党でなくても、100人単位の組織票となるようなコミュニティがあればそこそこ政治への参画力とか高まると思うのに、なんかそういう投票団体が一切日本では形成されないなと前から思っています。

 このほか中国絡みでもう少しいうなら、日本人は他国をもう見るな、というか比べるなと言いたいです。何かに憑けて「韓国や中国よりマシ」と大合唱しますが、以前にJBpressで書いた記事でも書いたように、他国のリスクを心配している暇があるなら自国のリスクに向き合えよと声を大にしていい対です。むしろ自国のリスクを認識していながら目を背け、放置し続けてきた結果がこれだというのに、この点を誰も改善点に挙げない時点で日本国内の人材不足を痛感します。

 その人材に関しても、私自身が誰にも負けないような超優秀な完璧超人だと言い張るつもりはありませんが、それでも日本の市場見ていると、「なんでこんな奴らにわけわかんない妙な仕事で振り回されたんだろう」とか思うことが多いです。単純にライター業でも、新卒の頃はすべての新聞社に落とされましたが、私よりアクセス稼げる記事を書ける人は半分より多いか少ないかで言えば少ないと断言できます。
 もっとも最近は日本国内のアクセスを稼ぐとともに、中国メディアに翻訳してもらえ、尚且つアクセス稼げる記事を意図的に書こうとしていて、あんま日本のアクセス数にはこだわらなくなってきました。

 内心、私自身がこのような感じでスペックに見合わない無駄な使われ方されてきたという自覚があるだけに、自分以上に優秀な人たちはもっと無駄に費消されているのではというのが私の見方です。器用な人は自分で独立したり外国行ったりするけど、優秀な人が誰しも器用とは限らないだけに、人材の無駄遣いが日本国内ではかなり激しいのではと思ってみています。
 その上で、はっきり言ってしまえば日本では無能な人ほど偉そうにして、優秀な人ほどなんか世間で低くみられる、というか変人扱いされて報われていないように見えます。私自身も日本国内ではガチで気違い扱いされてきましたが、なんであんな目に見えて無能な人をみんなで崇め奉るのか、未だ理解できない日本の神秘です。

2022年2月6日日曜日

ローラースルーゴーゴーの真実

『ちびまる子ちゃん』はまじが明かす“神回”の裏側、家が全焼した「永沢君」の正体は(週刊女性PRIME)

 また凄いインタビュー記事が出たというか、読んでてめちゃ面白かったです。
 上の記事は漫画「ちびまるこちゃん」の登場人物である「はまじ」のモデルとなった当人への、作中内容は本当のところどうだったのかということを尋ねたインタビュー記事です。人気のある作回に絞って尋ねており、そんなこの漫画を読み込んでない自分でも「あ、あれね」と思い出せる話が多いです。

 中でも自分が記事を開いた瞬間から、「あれはないのか?」と考えていた「ローラースルーゴーゴー」の話についても、このインタビューでしっかり触れられています。「友蔵のローラースルーゴーゴー」と言えば話が早いこの神回について上記インタビューでは、実際に当時流行っていたものの、作中ではまじはまるこに料金を取って貸し出していますが、モデルの浜崎氏は当時、実際にはローラースルーゴーゴーを持っておらず、自分も友達に貸してもらって遊んでいただけだったそうです。
 まぁさすがにあの展開(貸し出して、山田に乗り壊されて、弁償してもらったところ金取っていたことがばれて怒られる)は、子供心にもフィクションだろうとは思ってましたが。

 このほかインタビューでは、浜崎氏が若い頃にビートたけし氏や西川のりお氏に弟子入りを志願していたという事実も明かされているのが印象に残ります。この点で言えば作者の故さくらももこが将来芸人になりそうと言っていたのも、あながち間違ってはいなかったのでしょう。

 それにしても「友蔵のローラースルーゴーゴー」は、「迂闊な発言や決断で多大な出費に迫られる」といった意味で、故事成語にしてもいいんじゃないかとすら思います。

2022年2月5日土曜日

中国の女性の社会進出具合


 今日は上海郊外にある余山というところに往復50㎞を自転車で走って行ってきました。改めて思うのは先月まで本当に運動不足だったということで、しっかり自転車で走る度に体が以前に比べ動くようになってくるのを感じます。
 去年秋は夏場の激務からあんま動けず、1月は扁桃腺が腫れたせいでさらに動かなくなり、運動不足をはっきり自覚するとともに、ガチで疲れやすくなっているのを感じてました。そのためこの春節休暇の間はしっかり運動しようと思っており、昨日に油差したこともあって自転車がめちゃ早く動き、そこそこ楽しく走れてきました。


 それで本題ですが昨日上の記事見てブックマークしておいたので、少しこの話題に触れます。記事にも書かれている通り、中国は結婚した夫婦はどの苗字も名乗れる、つまり相手側の名字でも、元からの名字でも男女それぞれが自由に選ぶことができ、一般的に男女ともに旧姓を名乗り続けることが大半です。なお子供は父親側の姓を名乗ります。
 以前に馬鹿な日本の政治家が夫婦別姓になると家族の紐帯が途切れるなどとほざいていましたが、日本などよりもずっと家族関係が密な中国が夫婦別姓であることを考えると、あまりに妄想に満ちた発言に思えてなりません。その上で私自身は、やはり女性が結婚を機に苗字を変えるとなると、昔ながらいざ知らず現代においては携帯やクレジットカード番号を始め、あらゆる契約で修正が必要となることから、日本も早く選択的夫婦別姓を採用すべき立場を取ります。

 そんな夫婦別姓もさることながら、女性の社会進出という点でも中国は日本より進んでいると感じます。出産などのイベントもあるとはいえ、日本と比べるとベビーシッターの雇用が一般的であり、またシッター代を払ってでも職場に復帰してキャリアを継続することが、企業側にもよしとされる文化があります。
 やや偏見かもしれませんが、日系企業の場合は出産を機に単純労働力の女性を解雇し、もっと若く給与も安くで済む若者を入れようとする傾向があるのではと見ています。職種別採用じゃないことが大きな原因であるとともに、ハナから女性のキャリアアップを考慮していないのではないかとも見ています。

 話を戻すと、実際に大手企業でも女性のマネージャー職は珍しくなく、夫婦においても嫁の側の方が収入がでかいというのもさほど珍しくありません。そのため上の記事でも書かれている通り、農村では未だに男尊女卑の意識が強いものの、大都市部においては女性の方が家庭内でパワーがでかいというのがあんま珍しくないです。そもそも中国の女性は気が強い人のが多いので、なんとなくですがDVも女性が加害者というパターンが多い気すらします。

 それはさておき、あくまで自分が見て来た中で述べると、管理職となる女性は全体として単純に優秀な人が多いです。優秀だからこそ管理職になれると言えば聞こえは早いですが、日本においてはむしろそういうケースはあまり見てこず、社長や役員などとの距離感で管理職になる女性の方が多かったとすら思います。
 では中国は何が違うのかというと、単純に競争原理が強く働いているからだと思います。具体的に仕事でどんな業務ができるのか、どれだけ売上上げているのかがシンプルに評価されるのと、よけにな足の引っ張り合いをしていたら第三者にあっという間に追い抜かれるという空気すらあるだけに、日本と比べると妙な妨害とかせず、自身の給与アップにつながるのであれば貪欲に仕事をするエリート女性が多い気がします。また会社側も、その辺で男性に対する妙なえこひいきとかせず、割と公平な目で見ます。

 そういう意味で上の記事に書いている通り、日本でキャリアアップが閉ざされた女性が中国に来ると、かえって中国の方が働きやすいと感じるというのも道理です。実際に何人かの日本人女性がまさにそのようなことを話しており、女性に限るわけじゃないですが、こと仕事面においては中国の方が日本よりずっと環境がいいと私も思っています。何が環境を良くさせているのかというと、先にも書いた通り競争原理がシンプルに働いているからでしょう。

 逆を言えば、日本は女性の社会進出を応援だとかどうこう言っていますが、ただ単に競争原理を最優先にするだけでこの手の問題はほぼすべて解決されると私は思います。しかしそうした競争原理の導入へ日本企業が踏み込まないのは、やはり一部の身内びいきを温存させたい一心じゃないかとも思います。
 以前にも書きましたが、日本企業の経営者は利益に対して驚くほど貪欲さがないです。増益につながる手段が目の前にあっても、何故か見て見ぬふりするのが本当に自分は不思議です。

2022年2月4日金曜日

ガチですごかった木製爆撃機


 昨日から今日にかけて、デ・ハビランド社がかつて作った二次大戦期の「モスキート」という飛行機のプラモを作っていました。知ってる人には早いですがこの飛行機、当時としても開発時点では「あり得ない」と言われた木製飛行機で、且つある意味で史上初のステルス機です。


 この飛行機の開発経緯についてはウィキペディアなどで詳しいですが、金属などの材料が不足することを念頭に、「じゃあ全部木製で作っちゃえばいいじゃん!」という、如何にもその場のノリを本気で実行に移す英国人的なチャレンジ精神(=無謀)から、デ・ハビランド社で開発がスタートします。ただ企画を持ち込まれた英軍では、当時としても時代遅れと見られていた木製飛行機という構想に興味を示さず、具体的な発注も行わないと拒否しますが、「じゃあ俺たちが勝手にやってやんよ」と、受注の目途すらないのにデ・ハビランド社で開発が続けられます。


 こうして試作機を作り上げたところ、飛行テストで最高速度600㎞/h超という、このサイズ(爆撃機サイズ)の飛行機で当時としてはあり得ない数値を叩き出します。ちなみに最高速度で言えばB29は576㎞/h、零戦は518㎞/hで、単純計算でゼロ戦に対し1.2倍の速度を持っていたことになります。なお最終的にモスキートの最高速度は高高度にて664km/hにも達したそうです。


 一体何故モスキートはこれほど早かったのかというと、木製なため機体重量が極度に軽かったためです。また機体強度に関しても、優れた設計から金属製の飛行機に劣ることはなく、むしろ木製ゆえに敵機から機銃で撃たれて翼に穴が開いても深刻な損傷とならず、そのまま問題なく飛行できたというメリットすらあります。
 もっとも木製ゆえの弱点が全くなかったわけではなく、対日本のアジア戦線では高温多湿の環境から木材が腐食することが多く、ヨーロッパ戦線ほどには活躍できなかったそうです。ひどいのになると、キノコが生えて来たとも言われています。


 こうして戦線に投入されたモスキートでしたが、機体に違わず圧倒的な速度を武器に、爆撃や偵察、果てには夜間戦闘機としてマルチな用途に応用され、各方面で優れた実績を叩き出してきました。また前述の通り耐久性も案外よく、損傷率も他の飛行機に比べて悪くなかったようです。


 またこれは開発者も想定外でしたが、機体が全木製ということもあり、レーダーに映らないという特徴までも備えていました。この特徴は夜間爆撃などで特に力を発揮したとされ、「史上初のステルス機」という見方を持つ人もいます。


 そのほか機体が木製なため、家具工場などでも生産でき、また生産資源的にも木材で行けるという生産効率面においても他の飛行機を凌駕するメリットがありました。一見すると冗談で作られたように見えるものの、大戦期における実績や貢献は半端なく、傑作飛行機としてファンも少なくない機体です。
 そうした背景から自分も前から興味があり、通いのプラモ屋に置いてあったので購入して今回作りましたが、組立は楽しかったもののかなり大変でした。昨日に5時間ぶっとおしで組み立てたものの、室温が10度を切る中で作業したため最後の方は指が震えて組み立て辛かったです。


 また一般の戦闘機とは違い爆撃機に分類される機体であることから、そのサイズのでかさには結構ビビるものがありました。上の写真は同じ縮尺(1/48)で前に作ったコルセアのプラモとの比較ですが、羽の大きさからして全然違うのがよくわかると思います。

コックピットに入るラダーを付けたバージョン

 組立に関してはタミヤ製とあって基本的によくできているものの、主翼と本体は付け根部分に設けられた二つ穴に釘を通すような感じでパーツを入れるとパチッとはまるように設計されているものの、本体と主翼に少しでも狂いがあるとこの穴にパーツが通らなくなっています。私もまさにその通らなかった口で、最終的にはパーツを通すのをあきらめ、主翼と本体は接着剤でくっつけました。

 爆撃機系の機体は一応前にも「Su-34フルバック」を作っているものの、あっちは戦闘機ベースの攻撃機であり、ガチな爆撃機はある意味これが初めてです。はっきり言って置き場所に困るという点があるものの、やっぱそのサイズゆえの迫力というか見栄えは非常に優れており、知り合いからはもう「次はB-52行け」と早速言われました。

2022年2月2日水曜日

救いのない物語は何故面白いのか

 連休三日目ですが先週あたりからやけに寒く、今日にいたっては雨も降り、震えながら過ごしています。室内気温も10度台で動かないし、さすがにこれだと自分もきつい。
 でもって雨で外いけないから自宅でプラモ作ろうとしたところ、中国メーカー(小号手)の古いキットのせいかパーツの整合性が悪く、また組立が異常に面倒くさくて「やってられるか(# ゚Д゚)」と言って投げだしました。ただ自分が創るの下手なだけですが、無駄にストレス溜めるくらいならと思ってもう作るのやめて、別の買い置きしているプラモをまた今度作ろうと思います。

 さて話は本題ですがそんなかんだでプラモ作りを投げ出し、買い置きしていたあるRPGのゲームを遊んでました。このゲーム、非常に救いのない話で、マルチエンドですが基本主人公は一切救われず、ルートによっては物語序盤から一緒についてきたヒロインとも戦う羽目となり、殺害にも至るというショッキングな内容で、徹頭徹尾プレイヤーの心を折りに来ています。
 ただ、そんな内容ながら遊んだ人からの評価は高く、自分も実際にそうした評判を聞いてこのゲームを遊んでみようと思いました。一体何故こんな救いがない内容、鬱度満載な内容ながらそれほど評価が高いのかと言いたいところですが、むしろ話は逆で、救いがなく心を深くえぐるからこそ評価が高いというべきでしょう。

 このゲームに限らず、古来より鬱度の高いシナリオというかストーリーは「悲劇」というジャンルとして成立してきました。シェイクスピアは言うまでもなく、日本国内でも夏目漱石の「こころ」を筆頭に、読後に読者を暗い気分にさせたり落ち込ませたりするような内容であっても名作に数えられる作品は少なくありません。
 映画、ゲームにおいてもこれは同じで、前者であればやはり今でも語り継がれるのブラッド・ピットの出世作の「セブン」で、後者のゲームにおいては、自分は生憎プレイしなかったのですがPS2の「ドラッグ・オン・ドラグーン」に至っては「史上最高の電波ゲー」とまで評されています。詳しくは他のサイトの紹介を見てもらえばいいですが、個人的にビビったのは子供を亡くしたことがきっかけで胎児を食べるようになった女性キャラクターがいるのですが、このキャラを声優として演じていたのは林原めぐみ氏で、当時妊娠中だったと聞いて、「何考えてんだこのゲームのスタッフども(;´・ω・)」と心底思いました。

 実際に私が遊んだ中で有名な鬱ゲーとしてはスーファミの「ライブ・ア・ライブ」なんか有名ですが、このほかこっちのサイトにあるゲームで実際遊んだのになると以下の通りです。

・サイレン
・コープスパーティ
・零~深紅の蝶
・かまいたちの夜2
・ゆめにっき
・勇者30(言及されているステージはクリア方法を変えると感動の嵐になる)
・滅やばたにえん
・夕闇通り探検隊
・ファイナルファンタジーVII
・フロントミッション
・ファイナルファンタジー零式
・青鬼
・サガフロンティア
・serial experiments lain
・ペルソナ2 罪
・ブレスオブファイア4
・ガイア幻想紀
・Linda³
・ドラゴンクエストII 悪霊の神々
・ダブルキャスト
・零
・ダンガンロンパ
・弟切草

 まぁぶっちゃけこれらの作品は有名どころが挙げられているだけで、なんとなくホラーが鬱に分類されているだけと感じる作品が多いです。この中でガチで鬱作品と自分が思えるのは「ブレスオブファイア4」と「Linda³」、「ファイナルファンタジー零式」くらいじゃないかと思います。「コープスパーティ」に至ってはギャグホラーです。
 また「ガイア幻想紀」が挙げられていますが、これより同じ会社の次の作品である「天地創造」の方が結末の鬱度で言えば高い気がします。

 という感じでまた話が脱線してきたので戻すと、端的に言って、こうした救いがない作品というのが何故評価されるのかというと、結局人間というのはどれだけ心が動かされたか、つまりそれまでの既存概念や価値観がひっくり返されたり、疑うきっかけを作らされたりなど、感情がどれだけ揺り動かされたというのがそのまま「面白さ」と感じるのだと思います。文字にするとそのまま「感動」となりますが、感動はストーリーを素晴らしく思うプラス方向だろうと、ストーリーにショックを受けるマイナス方向だろうと、振り幅が大きければ大きいほどその本人の心理に影響を及ぼし、気分的に楽しくなるかどうかは別として「面白さ」として感じられるのだと思います。
 ではその振り幅は何によって決まるのか。やはりその作品に触れた人間の想定を破る、既存の知識や概念にない展開をどれだけ見せるかによって決まると思います。あり得ない逆転劇、想像もしてなかった結末、かつて考えたことすらない悲惨な描写、これらがそのまま作品の面白さに直結するとかねてから考えています。

 その上で、世の中やはりハッピーな方がいいってことで基本的に普通の作品はハッピーエンドで終わることが多いのですが、だからこそ少数派のアンハッピーエンドこそ悲劇が少数派の強みを生かしてかえってその作品に触れたものの心に残りやすくなるという特徴がある気がします。いわば心を充足させる作品が多いだけに、心をえぐる作品がえぐる分量が大きくなっているような感じです。

 私自身、世にハッピーエンド作品が溢れているからこそ、悲劇的な作品に惹かれている自覚があります。まぁそれ以前に、本来の世の中不幸に満ちているからハッピーエンド作品はどことなく嘘くさく感じてしまうというのもありますが。
 ただこの手のアンハッピーエンドを狙った作品においては方向性を勘違いし、ただグロテスクな猟奇的描写を載せるだけの作品も少なくないです。先にも書いた通り、ホラーと鬱はジャンルがやはり別れると私は考えていますが、鬱な作品を狙ってホラーになってしまうパターンがかなり多い気がします。でもってそういう作品はホラーとしては評価できても、「悲劇」としては全く評価できなくなるわけです。

 じゃあ「悲劇」ってなんやねんという風になりますが、ぶっちゃけこれに関しては自分の中でも答えが出ていません。有体に言えば、「裏切り」はホラーでなく確実に悲劇に分類されると考えており、こうした裏切りがテーマな作品はまず悲劇と呼べるのではないかと思います。さっき挙げたゲームの中では「ブレスオフファイア4」なんかまさにそうですし。
 もう一つ確実に悲劇と呼べるテーマとしては、「無意味、無価値」も悲劇だと思います。これも「ブレスオブファイア4」が当てはまり、「天地創造」も若干入るというか、これまで頑張ってきた過程がすべて無価値とされる結末はやはりいろんな人の心を一発で折ってくれる気がします。

 そういう意味では冒頭に上げた「救いのない物語」というのは、後者の「無意味、無価値」がバックボーンとなるからこそ人を惹きつける悲劇となっているのかもしれません。ただキャラクターが死んでいくだけではなく、それまでやってきた努力が否定され、むざむざ死んでいく、消えていくからこそ人の心を揺り動かし、作品としての面白さに繋がってくるのではないかというのが、この記事書きながら考えた結論です。

 普段、こういう記事書くときは自転車乗りながら思考を巡らせますが、この記事はそういう自分にしては珍しく書きながら一から最後まで話を組み立てました。やはりしっかり休養を取った上で、何らかの作品に触れた直後にすぐ書きだすというのは執筆においてはプラスです。

2022年2月1日火曜日

石原慎太郎逝去に対する中国の反応

 今日は運動不足解消のため自転車で50km走ってきましたがその最中、春節の上海の風景観ながら「上海→蒼天の拳→阿弖流為II世」という感じで原哲夫氏の漫画を連想ゲームしていて、阿弖流為II世に出てきた石原慎太郎モデルのキャラはよく似てた、っていうか似せ過ぎだったなどと思いながら休憩に寄ったコンビニでニュース見たら逝去報道出ててあら偶然みたいに思いました。
 ちなみにこの漫画の石原慎太郎モデルのキャラはWikipediaだと、

「東京都知事。独自の情報ルートで田村麻呂が異星人である事実を掴み、未納分の税金を取り立てるべく自ら装甲車に乗り込み、銀座の町に出動するが、毛利総理の放った刺客によって銃弾を撃ち込まれ死亡した。」

 と紹介されています。

 わざわざ書かなくてもいいかなとは思いますが折角なので日記風に残すため、この報道に対する中国の反応を少し見てみました。っていうか中国の記者も、初一(=元旦)からこんな風に速報書く羽目になってちょっと同情する。

 まず反応としては明らかに多く、速報ベースで日本側の報道を紹介する記事がすでに大量に出ています。記事コメントもそこそこついているものもみられますが、恐らく若い世代なのか「誰?」というコメントもみられ、この辺は時代経ってるしなという気がします。
 速報の内容としては経歴紹介とともに「尖閣諸島問題で日中関係を悪化させた」、「右翼論客」などと書かれていることが多く、中国絡みの報道としてはなくてはならない部分でしょう。

 見方を変えると、逆にこれほど速報が出るほど中国人にとっても著名な日本人であったということの証左と言えるでしょう。実際、日本人としては蒼井空に並ぶくらいの知名度を石原慎太郎は持っていたと自分は思います。比較対象がなんですが。
 ただ表舞台から引いてもはや何年も経っていることもあり、かつては蛇蝎の如く嫌っていた中国人の間でも、今回の報道を見てその存在を思い出した人が多いのではないかと思います。その上で、彼に代わる「右翼論客」的な著名な人物が日本人からその後現れてもいないようにも思います。これは親中派が増えたというよりも、排他的な外交思想、というより反米思想の持主がかつてと比べ全くでなくなったことが影響していると推察します。

 いろいろ言われますが、私個人は石原慎太郎は反中思想というより反米思想が先立っており、その延長線で中国を批判していただけだとみています。彼にとっては中国どうこう以上に日本の米国からの完全独立が優先すべき目標であり、その方針に基づく価値観から中国も嫌いになっていっただけだと思います。
 やはりこの辺の反米か親米かは戦前生まれと戦後生まれで全く価値観の変わる部分であり、時代が下るにつれて戦前生まれの反米思想の持主も漸減傾向にあるでしょう。というよりここ数年、明確な反米思想に基づく政治的発言を私自身全く聞かず、「反米」という単語自体が死語になってきた感すらあります。

 そういう意味では実際に政治的影響力を有した反米思想の持主としては、石原慎太郎がほぼ最後の人物となる可能性があります。かつて日本の外交議論は反米か親米かの二種類しかないと言われましたが、現代においてはこれが反中か親中に置き換わってきており、昭和の価値観じゃもはややってけないというのが書いてて思ったことです。