今日は陽月旦の更新か、自転車をこぐかのどっちかな一日でした。前から考えが煮詰まるとすぐに自転車に飛び乗ってどっか行くの、そろそろやめにしないとなぁ。
それでは本題ですが、最近政治家を見ていてどうもスケールが小さくなったなという思いがまだ二十代のくせにしてきました。具体的にどういうことかというと、今後、それこそ十年や二十年先の日本をどのような社会にしていきたいのか、またどんな手段を用いてそうしたいのかというようなグランドデザインが今の政治家にはほとんど見えてきません。政治家の普段の発言を見ていても今ある問題に対してどんな対策をするのかというようなものばかりで、確かにこっちも非常に重要なのですが今後のグランドデザインについてはほとんどと言っていいほど発言が聞こえてきません。
思えば小泉時代は私にとっては結構楽しい時代でありました。外交面では親米を維持するか、北朝鮮に対してどんな態度を取るか、靖国問題を日中韓でどうするかといったことが常に議論に上り、また内政面でも経済対策としてメガバンクの国有化が実現するかや不良債権処理といった目下の問題に対する対策手段が議論され、今後の日本の国家像として大きな政府か小さな政府かで郵政民営化や道路公団改革などといった議論などと目白押しで、これらがほぼすべて同時平行で為されていたのを思うと今の国会の矮小さには毎回泣かされています。
というのもこのブログを始めて既に一年以上経ちますが、実はここ一ヶ月くらい結構困った事態に陥っています。その事態というのも、国会で全然議論が進展しないもんだから政治系のニュースで解説するようなものがほとんどなく、ブログで政治系の記事が書けずにいるという事態です。
そりゃ書こうと思えば内閣支持率の低迷とか解散はいつ頃になるのかといったような記事はいくらでも書けますが、前みたいに実際に法案が議論されていて、その法案の中身を解説しながら私の意見はどっちの支持なのかというような議論は皆無に等しいです。定額給付金なんて、解説するのも馬鹿馬鹿しいくらいだし。
特に今後の日本としてのあり方を考えるグランドデザインの問題については新自由主義路線が崩壊した今だからこそ非常に求められている議論だと思うのですが、敢えて言うとしたら官僚主導の政策路線を改めるべきか維持するかというくらいの議論しかなく、高福祉高負担か低福祉低負担かの議論も白熱せず、また今後どんな産業を柱にするかというような産業議論も小さいです。
更に言えば、これなんて既に目前まで来ていますが今後の外交姿勢も議論があまりにもなさ過ぎます。米政権が日本寄りの共和党から中国寄りの民主党に変わったことにより、今後は日本の頭越しに米中が接近することも大いに考えられます。その際に日本はアメリカを日本につなぎとめるのか、それともアメリカとはこの際決別して別のパートナーと組むのか、もしくは米中の接近を妨害するような方法を取るのかなどといろいろと考える時期に来ていると思うのですが、麻生首相からは首相になる以前に提唱した外交政策案の「自由と繁栄の弧」も最近はとんと聞こえないままです。蛇足ですが、「自由と繁栄の弧」はすぐに忘れ去られるだろうと思って私はあんまり中身を調べませんでしたが案の定そうなりました。なのにどっかのテストではわざわざ中身を聞いてきて、もっとマシなことを聞けよとカチンと来たことがあります。
なんにしても、今の政治家に強く言いたいのはもっと大きく物を見て意見を言ってもらいたいということです。なんだったら年金問題の抜本的解決のために国民背番号制の導入と合わせて税制体系も直接税から間接税を主流にするなどといったことなど、無謀でもいいからとにかくぶち上げた方がいいと思います。
それにしても、政治の停滞ってのは評論家泣かせなんだなと思わせられる日々です。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年2月15日日曜日
懐かしい曲を聴いて思うこと
最近昔に買ったCDを引っ張り出してはよく聞いているのですが、いろいろと懐かしいこともあって聞いててやっぱりテンションが上がることが多いのですが、この前ふとこんなことを思いました。
「俺はこの曲を聞いてテンションが上がっているのか、それともこの曲を聴いてて昔のよかった時代を思い出してテンションが上がっているのか、どっちだろう?」
ここで私が言うまでもなく、聴覚というのは五感の中でも際立って人間の感情を揺り動かす感覚だといわれ、映画「タイタニック」の監督のジョージ・ルーカスも「観客を感動させる最後の止めは音楽に限る」といって歌付きのエンディングテーマを入れたといいますが、なんとなくその言わんとしていることはわかります。それで私の今回の体験ですが、個人的に一番過去を想起させるのは私は「匂い」だと考えていますが、音楽も使い方や状況によっては匂いに負けず劣らず強く昔を思い出させるものだと考えています。
最近CDの売り上げがよく伸び悩んでいるといわれ、その原因として音楽コピーが容易にできるようになったとか単純に音楽の質が下がっているとかいろいろ言われており、ご多分に漏れず私もここ数年はめっきり音楽CDを買うことが減り、原因としてはやっぱり後者の質の低下ではないかと思っています。なので今回私が昔のCDを引っ張り出してその曲をいい曲だと感じるのは当初、現代にいい曲がないので単純に以前の質のいい曲を聴くから夜中にえらいテンションになってしまったのだと思っていたのですが、本当にそうなのかなとふと疑問に感じたわけです。
大分以前に書いた「日本語の「懐かしい」の価値」の記事でも書いたように、日本人はとにかく後ろ向きに過去を美化する傾向があると私は考えています。そんな私も日本人として同様に、音楽の質というよりはその曲をよく聞いていた時代、具体的には学校が大嫌いではあったものの小説を書くのに多分一番打ち込んでいた中学校くらいの時代を、その懐かしい曲を通して思い出していい気になっていたんじゃないかというわけです。ちょっとこの論を発展させて言うと、いわゆる懐メロの類が売れるというのも、かつての名曲というよりは日本が今みたいにくらい時代ではなく明るかったころを視聴者に思い起こさせるから売れるのかもしれないという説につながってきます。
「俺はこの曲を聞いてテンションが上がっているのか、それともこの曲を聴いてて昔のよかった時代を思い出してテンションが上がっているのか、どっちだろう?」
ここで私が言うまでもなく、聴覚というのは五感の中でも際立って人間の感情を揺り動かす感覚だといわれ、映画「タイタニック」の監督のジョージ・ルーカスも「観客を感動させる最後の止めは音楽に限る」といって歌付きのエンディングテーマを入れたといいますが、なんとなくその言わんとしていることはわかります。それで私の今回の体験ですが、個人的に一番過去を想起させるのは私は「匂い」だと考えていますが、音楽も使い方や状況によっては匂いに負けず劣らず強く昔を思い出させるものだと考えています。
最近CDの売り上げがよく伸び悩んでいるといわれ、その原因として音楽コピーが容易にできるようになったとか単純に音楽の質が下がっているとかいろいろ言われており、ご多分に漏れず私もここ数年はめっきり音楽CDを買うことが減り、原因としてはやっぱり後者の質の低下ではないかと思っています。なので今回私が昔のCDを引っ張り出してその曲をいい曲だと感じるのは当初、現代にいい曲がないので単純に以前の質のいい曲を聴くから夜中にえらいテンションになってしまったのだと思っていたのですが、本当にそうなのかなとふと疑問に感じたわけです。
大分以前に書いた「日本語の「懐かしい」の価値」の記事でも書いたように、日本人はとにかく後ろ向きに過去を美化する傾向があると私は考えています。そんな私も日本人として同様に、音楽の質というよりはその曲をよく聞いていた時代、具体的には学校が大嫌いではあったものの小説を書くのに多分一番打ち込んでいた中学校くらいの時代を、その懐かしい曲を通して思い出していい気になっていたんじゃないかというわけです。ちょっとこの論を発展させて言うと、いわゆる懐メロの類が売れるというのも、かつての名曲というよりは日本が今みたいにくらい時代ではなく明るかったころを視聴者に思い起こさせるから売れるのかもしれないという説につながってきます。
2009年2月14日土曜日
週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その二
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について
前回に書いた記事の続きです。前回には週刊新潮に載ってある話が胡散臭くなってきたのでもう買わないと書きましたが、それくらいケチるなとお袋に言われたので結局今日買ってしまいました。
さてそれで本題ですが、かつて朝日新聞が脅迫されて二人もの死者を出した赤報隊事件の実行犯人と名乗る者が現在週刊新潮にて実名でその顛末を告白しています。しかしこれは前回にも書きましたが、これだけの重大事件の告白手記であるにもかかわらず核心部をぼかしながらずるずると引き伸ばし、挙句に犯行を指示したのはアメリカ大使館の職員だなどというトンデモ説を主張し、目下私はこの連載記事は告白者である島村氏のでっち上げではないかと疑っていると前回の記事にて書きました。
それでは今週号はどんな風に書いているかですが、まず結論から言うと最後にはまた「以下次号」と、指示犯の犯行目的といった肝心要の部分が書かれておらず引き伸ばされています。いい加減、読んでて頭にくるのですが、前回の記事で紹介した週刊文春などの事実内容に疑いがあるという指摘については大幅な紙幅を割いて「事実無根」だとして、なんだか突然作ったかのような犯行に関わったという物証(島村氏所有の数珠の繊維。これが声明文の封筒に含まれていると主張している)を提示して改めて自分が実行犯だと主張しています。
まぁその辺は本当に新潮側に自信があるのならとっとと警察に持って行って確認すりゃいい話ですが、今回の記事でちょっと私が気になったのは、実行犯の島村氏と元在日アメリカ大使館員と名乗る佐山氏の会話文中の以下の部分です。
佐山「(犯行に絡んだ)鹿島って言っている奴はC、CIA」
島村「鹿島はCIAかい」
佐山「うん……。で、FBIはね、必ず俺にフィードバックしてくる」
なんで突然CIAとFBIが出てくるのか、特にCIAはともかくFBIが海外の事案に関与するのか、元々この両機関は仲が悪いということで有名ですし、素人考えですがちょっとありえないとすぐに思いました。
そういったことを踏まえ、この連載記事の今後の帰結についてちょっと早いですが私なりにいくつか仮説を立てて見せます。
・仮説一 すべて島村氏、週刊新潮の狂言
要するに、記事の内容すべてが部数獲得のためのでたらめということです。これだったら最悪ですね。
・仮説二 実行犯は島村氏、しかし指示犯や動機については狂言
朝日新聞側が行った犯行現場の状況と島村氏の供述は一部食い違っていはいるものの、この連載の一、二回目で島村氏が供述した行動や内容は非常に仔細なもので、見ていてなかなか説得力のあるものでした。なので実行犯は島村氏で間違いないものの、動機や指示犯については脚色が加えられているという一部狂言説。
・仮説三 真犯人の存在
島村氏がこの事件の真犯人に何らかの形で接触、交流があり、その真犯人から聞いた話を島村氏が自分のことのように話し、曖昧な箇所については脚色が加えているという説。そのため犯行現場などについては異様に仔細に富んではいるが、動機については曖昧という記事になった。この場合、真犯人は既に死亡している可能性が高い。
まぁ立てては見たものの、実際にはどんなものかもう少し続報を待たねばなりません。それにしても、段々金払うのが嫌になってきました。この連載が終わったらもう二度と週刊新潮なんて買うものか。
前回に書いた記事の続きです。前回には週刊新潮に載ってある話が胡散臭くなってきたのでもう買わないと書きましたが、それくらいケチるなとお袋に言われたので結局今日買ってしまいました。
さてそれで本題ですが、かつて朝日新聞が脅迫されて二人もの死者を出した赤報隊事件の実行犯人と名乗る者が現在週刊新潮にて実名でその顛末を告白しています。しかしこれは前回にも書きましたが、これだけの重大事件の告白手記であるにもかかわらず核心部をぼかしながらずるずると引き伸ばし、挙句に犯行を指示したのはアメリカ大使館の職員だなどというトンデモ説を主張し、目下私はこの連載記事は告白者である島村氏のでっち上げではないかと疑っていると前回の記事にて書きました。
それでは今週号はどんな風に書いているかですが、まず結論から言うと最後にはまた「以下次号」と、指示犯の犯行目的といった肝心要の部分が書かれておらず引き伸ばされています。いい加減、読んでて頭にくるのですが、前回の記事で紹介した週刊文春などの事実内容に疑いがあるという指摘については大幅な紙幅を割いて「事実無根」だとして、なんだか突然作ったかのような犯行に関わったという物証(島村氏所有の数珠の繊維。これが声明文の封筒に含まれていると主張している)を提示して改めて自分が実行犯だと主張しています。
まぁその辺は本当に新潮側に自信があるのならとっとと警察に持って行って確認すりゃいい話ですが、今回の記事でちょっと私が気になったのは、実行犯の島村氏と元在日アメリカ大使館員と名乗る佐山氏の会話文中の以下の部分です。
佐山「(犯行に絡んだ)鹿島って言っている奴はC、CIA」
島村「鹿島はCIAかい」
佐山「うん……。で、FBIはね、必ず俺にフィードバックしてくる」
なんで突然CIAとFBIが出てくるのか、特にCIAはともかくFBIが海外の事案に関与するのか、元々この両機関は仲が悪いということで有名ですし、素人考えですがちょっとありえないとすぐに思いました。
そういったことを踏まえ、この連載記事の今後の帰結についてちょっと早いですが私なりにいくつか仮説を立てて見せます。
・仮説一 すべて島村氏、週刊新潮の狂言
要するに、記事の内容すべてが部数獲得のためのでたらめということです。これだったら最悪ですね。
・仮説二 実行犯は島村氏、しかし指示犯や動機については狂言
朝日新聞側が行った犯行現場の状況と島村氏の供述は一部食い違っていはいるものの、この連載の一、二回目で島村氏が供述した行動や内容は非常に仔細なもので、見ていてなかなか説得力のあるものでした。なので実行犯は島村氏で間違いないものの、動機や指示犯については脚色が加えられているという一部狂言説。
・仮説三 真犯人の存在
島村氏がこの事件の真犯人に何らかの形で接触、交流があり、その真犯人から聞いた話を島村氏が自分のことのように話し、曖昧な箇所については脚色が加えているという説。そのため犯行現場などについては異様に仔細に富んではいるが、動機については曖昧という記事になった。この場合、真犯人は既に死亡している可能性が高い。
まぁ立てては見たものの、実際にはどんなものかもう少し続報を待たねばなりません。それにしても、段々金払うのが嫌になってきました。この連載が終わったらもう二度と週刊新潮なんて買うものか。
2009年2月13日金曜日
今後の中国について
また朝日新聞が朝刊一面に、「中国が原子力空母 二隻建造へ 遠洋展開狙う」という記事を載せ、2020年に二隻の原子力空母の保有を目指すという記事を、同じ一面でも昨夜の小泉氏の爆弾発言より大きく載せてきました。最近中国に対して手厳しいな、朝日……。
それはともかくとしてちょっと今日は今後の中国の予想される展開について、特に誰が政治的主導権を握るかについて解説します。
まずこれは別のブログのコメント欄にも書いたのですが、現中国政権、もとい中国共産党の中で本気で共産主義による社会実現を信じているのはもういないと断言してもいいでしょう。では何故共産党の支配が今の中国でも続いているかですが、政策実行者たちも本音では相次ぐ汚職事件(年間二万件だったっけ?)に頭を抱えてて本音では民主主義に移行したいものの、ソ連崩壊の例があるためにやめるにやめられないと考えていると言われています。
これなんかも本来解説すべき内容なのですが、旧ソ連ことソビエト連邦はその末期のゴルバチョフ政権において、それまでのソ連からすると考えられないほど開放的な政策や情報公開が行われ、国民もまた民主主義の実現を強く待望しました。その結果、政権内部で急進派と保守派の争いが激化し、最終的に保守派のクーデターから急進派のエリツィンが台頭したことによってソ連が崩壊して現在のロシアが国家として生まれましたが、急激な社会転換によって経済から行政の隅々に渡って混乱が起き、確か2000年くらいのデータだと自殺率もリトアニアに次いで世界二位(日本は確か八位くらいだったかな)となるほど、社会の全面でロシアは大いに疲弊しました。
このように政体を共産主義や社会主義から民主主義になれば今ある問題が一気に解決できるわけでなく、一つの問題を解決した一方でたくさんの問題を生んでしまったのが現在の東欧諸国の歴史です。中国共産党もこの辺のことをよく研究しており、また同じ中国国内の地方格差によって広東州を始めとした南方の州が中央に対して反感的であるように、一党独裁くらいの強い権力を政権を握っていなければ即分裂する可能性も孕んでいることから、共産主義による弊害を理解していながらも現状で最も有意義な選択として現在の中国の政治指導者は政治の舵取りを行っています。
それで現在の実質的な最高指導者である胡錦濤総書記への私の評価ですが、日本人としては競争相手ということもあってあんまり喜ぶべきではないのですが、十年以上前に生前の鄧小平に指導者として指名を受けるだけあり実力面で非常に優れている指導者で、これほど難しい現状の中国をよく切り盛りしている方だと思えます。
日本は今も年金とかワーキングプアーなど様々な国内問題がありますが、中国における国内問題の数と質はメラミン混入事件から環境問題に至るまでどれも日本とは比べきれないほど大きなものばかりで、また国民の意識もきちんと統一されているとは言いがたく、一歩間違えれば地方から果てには軍部まですぐに反乱を起こしかねない状況で、そんな中で確かにいくつか問題が表面化はしていますがそれでもよく押さえ込んで運営している方だと思います。もし今の中国の指導者が今の日本の政治家だったら、三日で国家が破綻するんじゃないかな。
それだけにこの胡錦濤氏の後、中国共産党は五年ごとに党大会を開いており、総書記は二期十年を務めて次の総書記にバトンタッチをするのですが、胡錦濤2002年に総書記に就任して前回2007年の党大会で権力を不動のものにし、次の2012年で引退することがほぼ決まっています。その2012年の党大会で次は誰が総書記に決まるかですが、私は現状から言って現最高幹部の一人の習近平氏に決まったと見て間違いないと思います。
2007年の党大会ではかつての江沢民元総書記の取り巻きが最高幹部こと中央政治局常務委員から外され、代わりとして若手の習近平氏と李克強氏が入閣し、当時の彼らの年齢からもこの時点から両者のうちのどちらかが次の総書記になると言われていました。
私は当初、胡錦濤氏と同じく中国共産党のエリート養成組織の共産党青年団出身の李克強氏が有力ではないかと思っていましたが、その後国際外交やオリンピックなどの表舞台に関わる仕事は将来に向けた帝王学教育とばかりに習近平氏が担当することが多く、周囲の目も私同様に習近平氏へと注目されるようになって来ました。
それに対して李克強氏は非常に地味な役回りが多く、かつて地方幹部を多く歴任していることから次の中国政権では李克強氏が総理、習近平氏が総書記になると見られており、私もその説を支持します。
ついでに補足すると、中国共産党には意外と学閥というものが強く、日本で言うと東大と京大の関係に当たるのが北京大と精華大で、ちょうど李克強氏が北京大学出身で習近平氏が精華大学出身で、構図的にはなかなか見ていて面白いです。今の胡錦濤氏は精華大学の出身で総理の温家宝氏は中国地質大学の出身なのですが、中国地質大学には私も何度も行ったことがあり、その学内にあるレストランにて誕生会をしてたらウクライナ人とドイツ人がふざけあって誕生ケーキを投げあい、レストランの一室をケーキまみれにしてしまったのはいい思い出です。
それはともかくとしてちょっと今日は今後の中国の予想される展開について、特に誰が政治的主導権を握るかについて解説します。
まずこれは別のブログのコメント欄にも書いたのですが、現中国政権、もとい中国共産党の中で本気で共産主義による社会実現を信じているのはもういないと断言してもいいでしょう。では何故共産党の支配が今の中国でも続いているかですが、政策実行者たちも本音では相次ぐ汚職事件(年間二万件だったっけ?)に頭を抱えてて本音では民主主義に移行したいものの、ソ連崩壊の例があるためにやめるにやめられないと考えていると言われています。
これなんかも本来解説すべき内容なのですが、旧ソ連ことソビエト連邦はその末期のゴルバチョフ政権において、それまでのソ連からすると考えられないほど開放的な政策や情報公開が行われ、国民もまた民主主義の実現を強く待望しました。その結果、政権内部で急進派と保守派の争いが激化し、最終的に保守派のクーデターから急進派のエリツィンが台頭したことによってソ連が崩壊して現在のロシアが国家として生まれましたが、急激な社会転換によって経済から行政の隅々に渡って混乱が起き、確か2000年くらいのデータだと自殺率もリトアニアに次いで世界二位(日本は確か八位くらいだったかな)となるほど、社会の全面でロシアは大いに疲弊しました。
このように政体を共産主義や社会主義から民主主義になれば今ある問題が一気に解決できるわけでなく、一つの問題を解決した一方でたくさんの問題を生んでしまったのが現在の東欧諸国の歴史です。中国共産党もこの辺のことをよく研究しており、また同じ中国国内の地方格差によって広東州を始めとした南方の州が中央に対して反感的であるように、一党独裁くらいの強い権力を政権を握っていなければ即分裂する可能性も孕んでいることから、共産主義による弊害を理解していながらも現状で最も有意義な選択として現在の中国の政治指導者は政治の舵取りを行っています。
それで現在の実質的な最高指導者である胡錦濤総書記への私の評価ですが、日本人としては競争相手ということもあってあんまり喜ぶべきではないのですが、十年以上前に生前の鄧小平に指導者として指名を受けるだけあり実力面で非常に優れている指導者で、これほど難しい現状の中国をよく切り盛りしている方だと思えます。
日本は今も年金とかワーキングプアーなど様々な国内問題がありますが、中国における国内問題の数と質はメラミン混入事件から環境問題に至るまでどれも日本とは比べきれないほど大きなものばかりで、また国民の意識もきちんと統一されているとは言いがたく、一歩間違えれば地方から果てには軍部まですぐに反乱を起こしかねない状況で、そんな中で確かにいくつか問題が表面化はしていますがそれでもよく押さえ込んで運営している方だと思います。もし今の中国の指導者が今の日本の政治家だったら、三日で国家が破綻するんじゃないかな。
それだけにこの胡錦濤氏の後、中国共産党は五年ごとに党大会を開いており、総書記は二期十年を務めて次の総書記にバトンタッチをするのですが、胡錦濤2002年に総書記に就任して前回2007年の党大会で権力を不動のものにし、次の2012年で引退することがほぼ決まっています。その2012年の党大会で次は誰が総書記に決まるかですが、私は現状から言って現最高幹部の一人の習近平氏に決まったと見て間違いないと思います。
2007年の党大会ではかつての江沢民元総書記の取り巻きが最高幹部こと中央政治局常務委員から外され、代わりとして若手の習近平氏と李克強氏が入閣し、当時の彼らの年齢からもこの時点から両者のうちのどちらかが次の総書記になると言われていました。
私は当初、胡錦濤氏と同じく中国共産党のエリート養成組織の共産党青年団出身の李克強氏が有力ではないかと思っていましたが、その後国際外交やオリンピックなどの表舞台に関わる仕事は将来に向けた帝王学教育とばかりに習近平氏が担当することが多く、周囲の目も私同様に習近平氏へと注目されるようになって来ました。
それに対して李克強氏は非常に地味な役回りが多く、かつて地方幹部を多く歴任していることから次の中国政権では李克強氏が総理、習近平氏が総書記になると見られており、私もその説を支持します。
ついでに補足すると、中国共産党には意外と学閥というものが強く、日本で言うと東大と京大の関係に当たるのが北京大と精華大で、ちょうど李克強氏が北京大学出身で習近平氏が精華大学出身で、構図的にはなかなか見ていて面白いです。今の胡錦濤氏は精華大学の出身で総理の温家宝氏は中国地質大学の出身なのですが、中国地質大学には私も何度も行ったことがあり、その学内にあるレストランにて誕生会をしてたらウクライナ人とドイツ人がふざけあって誕生ケーキを投げあい、レストランの一室をケーキまみれにしてしまったのはいい思い出です。
2009年2月12日木曜日
郵政見直し論争と今後の政局
・ 「笑っちゃうくらいあきれた」=郵政見直し発言、首相を批判-自民・小泉氏(YAHOOニュース)
ここ数日の麻生首相の郵政民営化の見直しとも否定とも取れる一連の発言に、とうとう民営化の立役者である小泉元首相が口を開いてその思いを語ったのが、リンクに貼ったニュース記事の内容です。
この小泉元首相の発言について私の感想を述べると、小泉首相はかねてより「首相を引退したものは老害になりやすく、あまり後進に影響力を行使してはならない」と、自らが煮え湯を飲まされ続けた田中角栄元首相へのアンチテーゼを常々語ってきており、記者に聞かれるがままに当たり前のことをぺらぺらしゃべる森本首相とは一線を画して安倍、福田、麻生の三政権で発言を控えてきていました。その小泉元首相がはっきりと、しかもこれほどまでに攻撃的な発言をしたというのは相当腹に据えかねていたというべきか、実際の会見も私もテレビで見ましたがやっぱり表情が明らかにいつもと違っており、相当な覚悟を持って発言したことが伺えます。発言者が発言者なだけに、明日の自民党関係者のコメントが今からとても楽しみです。
さてこの郵政民営化見直しについてですが、事の発端は鳩山邦夫総務大臣の「かんぽの宿」の売却見直し発言から始まりました。この発言が出た当初に私が気になったのは朝日新聞の社説で、隔日ではありましたが二回にもわたって鳩山総務大臣を批判し、もはや不良債権となっているかんぽの宿は値段がいくら安いからといってもとっとと売り払うべきだなどと、どっちかというと朝日新聞は鳩山総務相の肩を持って見直しを支持するかと思っていただけに意外でした。死刑論争が前にあったからでしょうかね。
それはともかく、私も当初は朝日新聞同様に不良債権を早く処理すべしという立場でしたが、最終入札には売却先のオリックスしか参加していなかったという事実や、またある郵政施設が一万円で売られたところ六千万円で転売されたとの報道を受け、現在はもう少し様子を見るべきかと徐々に態度を変えてきています。
しかし、これと郵政民営化の見直しの必要性は全く別問題でしょう。また仮に見直しをやるにしても、今この時期にそんな議論が本当に必要なのか非常に疑問です。
かねがね麻生首相が自分で言っていたように、現在の経済状況は一国の猶予もないような状況です。そんな状況だからこそどんな経済対策が必要なのか、また議論次第にそれをすぐに実行しなくてはいけないにもかかわらず、郵政民営化についてあれこれ議論を蒸し返して無駄に時間を費やすなど愚の骨頂です。かんぽの宿問題は事実究明ということで議論と並行をして調査することも出来、また確かに無視できない一面があるものの、郵政解散時に賛成であったとか賛成でなかったとか、四分社化が本当にいいのかどうかというのは現状で優先度が高い議題とはとても思えません。いろいろと今になって見直すところがあるというのは私もよくわかりますが、やるのならもう少し落ち着いた頃にやるべきではないでしょうか。
ここで私が自民党、民主党に言いたいのは、優先度の高い問題から議論せよということです。民主党もしつこく食い下がらずに経済問題に集中し、自民党もこれ以上の内輪もめはひとまずやめるべきでしょう。そして何より、わけのわからない発言で今回の郵政民営化の是非の議論を蒸し返してしまった麻生首相には相当の反省が必要であるとともに、定額給付金についても使うとか使わないとかころころ発言を変えたりせず、もっと背骨の通った態度を示してもらいたいと思います。
ここ数日の麻生首相の郵政民営化の見直しとも否定とも取れる一連の発言に、とうとう民営化の立役者である小泉元首相が口を開いてその思いを語ったのが、リンクに貼ったニュース記事の内容です。
この小泉元首相の発言について私の感想を述べると、小泉首相はかねてより「首相を引退したものは老害になりやすく、あまり後進に影響力を行使してはならない」と、自らが煮え湯を飲まされ続けた田中角栄元首相へのアンチテーゼを常々語ってきており、記者に聞かれるがままに当たり前のことをぺらぺらしゃべる森本首相とは一線を画して安倍、福田、麻生の三政権で発言を控えてきていました。その小泉元首相がはっきりと、しかもこれほどまでに攻撃的な発言をしたというのは相当腹に据えかねていたというべきか、実際の会見も私もテレビで見ましたがやっぱり表情が明らかにいつもと違っており、相当な覚悟を持って発言したことが伺えます。発言者が発言者なだけに、明日の自民党関係者のコメントが今からとても楽しみです。
さてこの郵政民営化見直しについてですが、事の発端は鳩山邦夫総務大臣の「かんぽの宿」の売却見直し発言から始まりました。この発言が出た当初に私が気になったのは朝日新聞の社説で、隔日ではありましたが二回にもわたって鳩山総務大臣を批判し、もはや不良債権となっているかんぽの宿は値段がいくら安いからといってもとっとと売り払うべきだなどと、どっちかというと朝日新聞は鳩山総務相の肩を持って見直しを支持するかと思っていただけに意外でした。死刑論争が前にあったからでしょうかね。
それはともかく、私も当初は朝日新聞同様に不良債権を早く処理すべしという立場でしたが、最終入札には売却先のオリックスしか参加していなかったという事実や、またある郵政施設が一万円で売られたところ六千万円で転売されたとの報道を受け、現在はもう少し様子を見るべきかと徐々に態度を変えてきています。
しかし、これと郵政民営化の見直しの必要性は全く別問題でしょう。また仮に見直しをやるにしても、今この時期にそんな議論が本当に必要なのか非常に疑問です。
かねがね麻生首相が自分で言っていたように、現在の経済状況は一国の猶予もないような状況です。そんな状況だからこそどんな経済対策が必要なのか、また議論次第にそれをすぐに実行しなくてはいけないにもかかわらず、郵政民営化についてあれこれ議論を蒸し返して無駄に時間を費やすなど愚の骨頂です。かんぽの宿問題は事実究明ということで議論と並行をして調査することも出来、また確かに無視できない一面があるものの、郵政解散時に賛成であったとか賛成でなかったとか、四分社化が本当にいいのかどうかというのは現状で優先度が高い議題とはとても思えません。いろいろと今になって見直すところがあるというのは私もよくわかりますが、やるのならもう少し落ち着いた頃にやるべきではないでしょうか。
ここで私が自民党、民主党に言いたいのは、優先度の高い問題から議論せよということです。民主党もしつこく食い下がらずに経済問題に集中し、自民党もこれ以上の内輪もめはひとまずやめるべきでしょう。そして何より、わけのわからない発言で今回の郵政民営化の是非の議論を蒸し返してしまった麻生首相には相当の反省が必要であるとともに、定額給付金についても使うとか使わないとかころころ発言を変えたりせず、もっと背骨の通った態度を示してもらいたいと思います。
2009年2月11日水曜日
書評「就活のバカヤロー」
ちょっとリンクを結ばせてもらっているSophieさんを見習って、私も書評をやってみようと思います。今回題材に取り上げるのは、光文社新書の「就活のバカヤロー」(石渡嶺司、大沢仁)です。
結論から言うと、威勢のいいタイトルの割には中身はやや貧弱気味であまり人には薦められない本です。内容は学生、大学、採用企業、就職情報会社の四つの主体の視点から昨今の大学生の就職活動について、それぞれが抱える問題や足を引っ張り合っている現状について解説が為されています。
作者が前書きで言っているように、確かにこの手の就職本というのはどれか一つの主体の視点からしか書かれることが多く、この本のように就活に関わる主体全体を総合的に取り扱う本はあまりなく、また各主体が抱える問題や学生から見る企業、企業から見る学生といったような相対する別の主体に対する本音などがよく取材されていると思えますが、残念ながら結論が、
「みんながみんなで気持ち悪いことをやりあっている」
ということで終わっています。こんなことくらいなら誰でも言えるだろう、というのが率直な感想です。
この本を読むに当たって私が個人的に期待していたのは、一体どんな形が大学生の就職活動として学生と企業、ひいては教育機関の大学にも具合がいいのか、そういったモデルの提示があれば文句はなかったのですが生憎現状の就活が抱える問題性ばかりがことさら強調されるだけで、そういったことにはほとんど触れられていませんでした。
この就活の問題性については前に私も何度かこのブログで取り上げており、また内定取消しについても一回記事を書いたことがありましたが、結論から言うと私は内定という制度自体が最も問題性があるのではないかと考えています。内定取消しの問題についても、実際に入社する一年近く前に学生に採用内定を出すもんだからその後の経営悪化に対応できなくなって内定を取り消すことになるのだし、また本来学業に打ち込む期間にある学生から無用に就活の時間を奪うことで学力低下につながるなど、こういったことすべて入社の遥か以前に採用を決めるこの内定制度が諸悪の根源にしか思えません。
じゃあどういう風な採用モデルがいいのかというと、私の私案を言うのならそれはやはり内定制度の廃止事、卒業前の学生へ企業が採用活動を行うことを厳禁するということに尽きます。
こうすることによって学生は卒業までの四年間をみっちり大学での学業に費やせますし、また卒業後から就職活動が皆一斉に始まるので、大学での授業や行事に煩わされることなく就職活動に集中することが出来ます。そして企業の側も、既に卒業している学生を対象に採用活動を行うので双方の合意が取れ次第すぐさま入社させることが出来、直近の状況に合わせて採用人数も増減させることが出来ます。
今の就活の制度(=慣習)に問題があるのは明々白々なので、私は今すぐにでも今の状態をどうにかするべく、それこそ国とかがはっきりと規制するなりして一定の方向性に絞るべきだと考えています。その方向性が私の提唱するモデルでもいいですし、なんだったらかつての就活制度よろしく、四回生の十月以降から就活一斉スタートというように昔に戻すだけでもいいです。今みたいに四回生の四月から、場合によっては三回生の夏休みからインターンシップやら説明会の開催などとバカなチキンゲームを皆でやるくらいなら、それこそ内定取消しを行った企業だけじゃなく、必要以上に就活を早めようとする企業名も国は公表するべきではないでしょうか。
結論から言うと、威勢のいいタイトルの割には中身はやや貧弱気味であまり人には薦められない本です。内容は学生、大学、採用企業、就職情報会社の四つの主体の視点から昨今の大学生の就職活動について、それぞれが抱える問題や足を引っ張り合っている現状について解説が為されています。
作者が前書きで言っているように、確かにこの手の就職本というのはどれか一つの主体の視点からしか書かれることが多く、この本のように就活に関わる主体全体を総合的に取り扱う本はあまりなく、また各主体が抱える問題や学生から見る企業、企業から見る学生といったような相対する別の主体に対する本音などがよく取材されていると思えますが、残念ながら結論が、
「みんながみんなで気持ち悪いことをやりあっている」
ということで終わっています。こんなことくらいなら誰でも言えるだろう、というのが率直な感想です。
この本を読むに当たって私が個人的に期待していたのは、一体どんな形が大学生の就職活動として学生と企業、ひいては教育機関の大学にも具合がいいのか、そういったモデルの提示があれば文句はなかったのですが生憎現状の就活が抱える問題性ばかりがことさら強調されるだけで、そういったことにはほとんど触れられていませんでした。
この就活の問題性については前に私も何度かこのブログで取り上げており、また内定取消しについても一回記事を書いたことがありましたが、結論から言うと私は内定という制度自体が最も問題性があるのではないかと考えています。内定取消しの問題についても、実際に入社する一年近く前に学生に採用内定を出すもんだからその後の経営悪化に対応できなくなって内定を取り消すことになるのだし、また本来学業に打ち込む期間にある学生から無用に就活の時間を奪うことで学力低下につながるなど、こういったことすべて入社の遥か以前に採用を決めるこの内定制度が諸悪の根源にしか思えません。
じゃあどういう風な採用モデルがいいのかというと、私の私案を言うのならそれはやはり内定制度の廃止事、卒業前の学生へ企業が採用活動を行うことを厳禁するということに尽きます。
こうすることによって学生は卒業までの四年間をみっちり大学での学業に費やせますし、また卒業後から就職活動が皆一斉に始まるので、大学での授業や行事に煩わされることなく就職活動に集中することが出来ます。そして企業の側も、既に卒業している学生を対象に採用活動を行うので双方の合意が取れ次第すぐさま入社させることが出来、直近の状況に合わせて採用人数も増減させることが出来ます。
今の就活の制度(=慣習)に問題があるのは明々白々なので、私は今すぐにでも今の状態をどうにかするべく、それこそ国とかがはっきりと規制するなりして一定の方向性に絞るべきだと考えています。その方向性が私の提唱するモデルでもいいですし、なんだったらかつての就活制度よろしく、四回生の十月以降から就活一斉スタートというように昔に戻すだけでもいいです。今みたいに四回生の四月から、場合によっては三回生の夏休みからインターンシップやら説明会の開催などとバカなチキンゲームを皆でやるくらいなら、それこそ内定取消しを行った企業だけじゃなく、必要以上に就活を早めようとする企業名も国は公表するべきではないでしょうか。
2009年2月10日火曜日
湾岸戦争直前における人質事件
いきなりですが、現在めちゃくちゃブルーな気分です。例えるならビデオに録っていた番組を家族に勝手に上書きされてしまったような喪失感のようなもので、ちょっと元気がないのですが気を取り直して頑張って書こうと思います。
さて皆さん、いきなりですが「イラク、人質」と聞いて何を連想するでしょうか。恐らく九割以上の方が2004年に起きた三人の日本人がテロリストにより拘束された人質事件を連想するでしょうが、実はこの二つのキーワード上にはもう一つの、私が思うに日本人は絶対に忘れるべきでなく、また現代において再考する必要が大いにある大きな事件があるのです。その事件というのも1990年、イラクのフセイン政権下で起きた国家的人質事件です。
まずおさらいですが、私がこのブログを始めた初期に書いた「今更ながらフセインさん」の記事でもすこし触れていますが、1990年にフセイン政権下のイラクは隣国のクウェートに侵攻したことにより、翌年にはアメリカを中心とした国連軍による攻撃を受ける形で湾岸戦争が勃発しました。このクウェート侵攻を何故フセインが強行したかについて補足しておくと、なんでも在イラクのアメリカ大使に前もってフセインはクウェートに侵攻する意図を伝えたところそれに対してアメリカは何の干渉もしないような答えをして、それを真に受けたフセインがいざ侵攻を実行をしたらアメリカは大使の返答とは裏腹に猛烈な抗議を行うとともに武力攻撃も辞さないという強硬な態度を取りました。
このアメリカの態度の急変に、フセインは大きく慌てたそうです。というのもそれまでのイラン・イラク戦争などでアメリカは一貫してイラクを応援し続けており、当時は中東でも随一の親米国家であったほど両国の関係は良好だったからです。もちろんそんな具合だったのでアメリカが強硬な態度を取るとは全く予想しておらず、国内の防衛計画も何もなかった上に国際世界で急に孤立するなど、この時期にフセインは一挙に窮地に追い込まれました。
そこでフセインが窮余の策として取ったのは、今でこそいい響きのする言葉のように扱われていますが「人間の盾」こと、当時クウェートとイラクに在留していた外国人の国外脱出を禁止することによって人質を取るという卑劣な手段でした。
この人質には在イラクのアメリカ人はもとより、アメリカ寄りの日本やイギリスといった国の人間が特にターゲットにされ、合計すると約400人強もの日本人がこの年の8月からイラク政府によって人質にされてその後イラク政府が人質の全員解放を行う12月までの四ヶ月間も不安な状態に留め置かれていました。
あんまり詳しく調査していない私が言うのもなんですが、この時期の各部署の対応の詳細はあまり明らかにされていないような気がします。明らかになっていない理由として、この事件自体がちょうどエアポケットみたいな大きな歴史と歴史の間にあることと、中途半端に新しい歴史ということもあってまだあまり検証が為されていないというのが原因だと思いますが、この事件について私が知りえる情報といったら当時のニュースを見ていたうちの両親やわずかな伝聞ぐらいしかありません。そのせいか、ここ一ヶ月であちこちに「この事件を知ってる?」と尋ねまわったものの、私と同世代のほとんどの方は全く知っていませんでした。
そんなわずかな情報の中から当時の動きを私なりに組み立てていくと、まず目に付くのが日本外務省の不作為です。
その辺の詳しい内容は当時の外交白書に大まかに書かれていますが、まずイラクのクウェート侵攻を受けて在クウェート日本大使館はクウェート内の日本人を大使館に保護しましたが、その後何を思ったのか保護した日本人を在イラク大使館へと移動させています。この辺の意図や実行に至る過程が未だに曖昧でよくわからないのですが、結果的にはこれが致命的になり、その後にフセインによってイラク国内の外国人の渡航が禁止されたことによってイラクにいた日本人と合わせて人質状態に置かれる事になりました。
そしてその後も先ほどの外交白書で外務省は必死に交渉したと自己弁護しているのですが、当時のニュースを見ていたうちのお袋によると、その後に開放されて帰国した方が成田空港にて、「外務省は何もしなかった!」と凄い剣幕で怒っていたのを覚えているあたり、先ほどの外務省の言い分はどうも怪しいのではないかと思います。
もうひとつ外務省の言い分を私が怪しむ理由として、当時のアントニオ猪木氏の行動があります。
今の若い世代なんか想像しづらいでしょうが、当時アントニオ猪木氏は参議院議員をしており、折も折でこの中東方面の委員会にも出ていたそうです。その猪木氏がこの時の人質事件発生の際、かねてよりイラクでプロレス興行を行っていた関係もあり直接イラクに出向いて人質解放の交渉を行おうと外務省にかけあったのですが、外務省は危険だとか交渉が面倒になるなどの理由をつけては猪木氏の申し出を拒否し、果てには個人として交渉に行こうとする猪木氏に対して日本の各航空会社に働きかけるなど様々な方法で渡航を妨害していたそうです。
最終的に猪木氏はトルコ航空(イラン・イラク戦争の折も日本人はお世話になっている)のチャーター便を猪木氏が自腹で費用を出すことで渡航が決まり、また人質となっていた方らの家族も外務省からいろいろ言われたそうですが、イラクにいる家族と会うために猪木氏に賭けてこのチャーター便に同乗してバグダッドを訪問しました。
表向きこの訪問はスポーツ交流の一環ということで行われ、猪木氏が連れてきたレスラーの試合や日本の伝統文化などがイベントとして数日間演じられ、その間に猪木氏とともに訪れた家族らは再開を果たし、猪木氏はイラク政府と人質解放の交渉を行ったそうです。
しかし交渉ははかどらず、帰国日になっても人質解放は達成されずあきらめかけて帰国の飛行機が飛ぼうとする直前、突然イラク政府から猪木氏に会談の申し込みがあり、その後イラク政府より日本人の人質解放が発表され、その二日後にはすべての外国人人質が解放されることが発表される運びとなりました。
このくだりについてはいろいろと疑問の声も挙げられており、猪木氏の売名行為に近いただのパフォーマンスだったり人質解放はすでに決まっていたなどという意見もあってこの時の猪木氏の功績については未だ評価がはっきりしていませんが、少なくとも自腹でチャーター便を取って家族らを再会させたという事実については私は高く評価してもいいと考えています。
その後は教科書に載っている歴史どおりに、アメリカ軍の攻撃によって湾岸戦争が勃発し、その後もフセインは行き続け、つい最近のイラク戦争へと物事は運んでいくのですが、私はこの時の人質事件はぜひとも今の日本は再考をして議論をしなければいけない歴史だと考えています。
というのも、日本という国家はいざという時に本気で国民を守るのか、この点について白黒をはっきりさせるわけじゃありませんが、緊急時の対応として何が政府に求められ何をどう実行するのかをはっきりさせておく必要があると思います。
詳細がはっきりしていないということでこの時の事件については私もあまり強く言う気はありませんが、やはり歴史的に見ても日本の政府、ひいては外務省は国民を守る意識が低いとしか私は思えません。古くは太平洋戦争中の沖縄戦にて、現地の沖縄の人を戦闘でまるで盾のように使ったり、米軍に解放された人をスパイだと疑って殺害するなど、本来国民を守るべき軍隊が国民を逆に害す行為があったり、どうも守るべき矛先が国民というより実態のはっきりしない国とか国体の方に向いてばかりいた気がします。
またそれほど昔じゃなくて先の2004年のイラク人質事件でも、毎日新聞が当時に流行した自己責任論について反論する形で書いた社説にて、
「国民が平時において税金を国家に納めているのは、いざという時に国家に国民を守らせるためである。確かに渡航の危険性が伝えられている中でイラクに入った三人の人質経験者は軽率だったかもしれないが、命の危機に瀕した際に政府が彼ら国民を守るのは当然の行為で、それについて自己責任とか帰国に使用した航空機の費用を彼らに負担させるべきだなどという議論は全くもって必要ない」
さすがに五年も前なのでちょっと曖昧ではありますが、大まかにこんな内容の社説が毎日新聞に載ってあるのを書いているのをみてなるほどと私は思いました。またそれと同時に、本当に日本政府は国民を守る気があるのか、北朝鮮の拉致事件でもそうでしたが外務省はどっちを向いているのか、改めて当時にいろいろ考えました。
今回取り上げた湾岸戦争勃発直前のこの人質事件でも、私が知りえた情報の範囲内では外務省は本気で国民を守ろうとしたのか、何度もいいますが詳細が曖昧ではあるもののやはり疑問を感じずにはいられません。
そこでこの事件の詳細を得ようと、ちょっと細い伝手を頼ってこの時にイラクで人質に遭われた方へ手紙で直接インタビューを申し込んだのですが、本日その方からインタビューを辞退する返信を受けたので冒頭に書いたようにブルーな気分となった次第であります。まぁこんな事件に巻き込まれて、その際の顛末を赤の他人の私に話そうとするなんて普通じゃ考えられないことですし、恐らくあまり思い出されたくない過去であることも考えれば無理もないことです。
そういうわけで、もしこの事件について何かしら当時のニュースを見て覚えていることがある方や、情報を持っている方がおられれば是非コメント欄に一筆お願いいたします。
さて皆さん、いきなりですが「イラク、人質」と聞いて何を連想するでしょうか。恐らく九割以上の方が2004年に起きた三人の日本人がテロリストにより拘束された人質事件を連想するでしょうが、実はこの二つのキーワード上にはもう一つの、私が思うに日本人は絶対に忘れるべきでなく、また現代において再考する必要が大いにある大きな事件があるのです。その事件というのも1990年、イラクのフセイン政権下で起きた国家的人質事件です。
まずおさらいですが、私がこのブログを始めた初期に書いた「今更ながらフセインさん」の記事でもすこし触れていますが、1990年にフセイン政権下のイラクは隣国のクウェートに侵攻したことにより、翌年にはアメリカを中心とした国連軍による攻撃を受ける形で湾岸戦争が勃発しました。このクウェート侵攻を何故フセインが強行したかについて補足しておくと、なんでも在イラクのアメリカ大使に前もってフセインはクウェートに侵攻する意図を伝えたところそれに対してアメリカは何の干渉もしないような答えをして、それを真に受けたフセインがいざ侵攻を実行をしたらアメリカは大使の返答とは裏腹に猛烈な抗議を行うとともに武力攻撃も辞さないという強硬な態度を取りました。
このアメリカの態度の急変に、フセインは大きく慌てたそうです。というのもそれまでのイラン・イラク戦争などでアメリカは一貫してイラクを応援し続けており、当時は中東でも随一の親米国家であったほど両国の関係は良好だったからです。もちろんそんな具合だったのでアメリカが強硬な態度を取るとは全く予想しておらず、国内の防衛計画も何もなかった上に国際世界で急に孤立するなど、この時期にフセインは一挙に窮地に追い込まれました。
そこでフセインが窮余の策として取ったのは、今でこそいい響きのする言葉のように扱われていますが「人間の盾」こと、当時クウェートとイラクに在留していた外国人の国外脱出を禁止することによって人質を取るという卑劣な手段でした。
この人質には在イラクのアメリカ人はもとより、アメリカ寄りの日本やイギリスといった国の人間が特にターゲットにされ、合計すると約400人強もの日本人がこの年の8月からイラク政府によって人質にされてその後イラク政府が人質の全員解放を行う12月までの四ヶ月間も不安な状態に留め置かれていました。
あんまり詳しく調査していない私が言うのもなんですが、この時期の各部署の対応の詳細はあまり明らかにされていないような気がします。明らかになっていない理由として、この事件自体がちょうどエアポケットみたいな大きな歴史と歴史の間にあることと、中途半端に新しい歴史ということもあってまだあまり検証が為されていないというのが原因だと思いますが、この事件について私が知りえる情報といったら当時のニュースを見ていたうちの両親やわずかな伝聞ぐらいしかありません。そのせいか、ここ一ヶ月であちこちに「この事件を知ってる?」と尋ねまわったものの、私と同世代のほとんどの方は全く知っていませんでした。
そんなわずかな情報の中から当時の動きを私なりに組み立てていくと、まず目に付くのが日本外務省の不作為です。
その辺の詳しい内容は当時の外交白書に大まかに書かれていますが、まずイラクのクウェート侵攻を受けて在クウェート日本大使館はクウェート内の日本人を大使館に保護しましたが、その後何を思ったのか保護した日本人を在イラク大使館へと移動させています。この辺の意図や実行に至る過程が未だに曖昧でよくわからないのですが、結果的にはこれが致命的になり、その後にフセインによってイラク国内の外国人の渡航が禁止されたことによってイラクにいた日本人と合わせて人質状態に置かれる事になりました。
そしてその後も先ほどの外交白書で外務省は必死に交渉したと自己弁護しているのですが、当時のニュースを見ていたうちのお袋によると、その後に開放されて帰国した方が成田空港にて、「外務省は何もしなかった!」と凄い剣幕で怒っていたのを覚えているあたり、先ほどの外務省の言い分はどうも怪しいのではないかと思います。
もうひとつ外務省の言い分を私が怪しむ理由として、当時のアントニオ猪木氏の行動があります。
今の若い世代なんか想像しづらいでしょうが、当時アントニオ猪木氏は参議院議員をしており、折も折でこの中東方面の委員会にも出ていたそうです。その猪木氏がこの時の人質事件発生の際、かねてよりイラクでプロレス興行を行っていた関係もあり直接イラクに出向いて人質解放の交渉を行おうと外務省にかけあったのですが、外務省は危険だとか交渉が面倒になるなどの理由をつけては猪木氏の申し出を拒否し、果てには個人として交渉に行こうとする猪木氏に対して日本の各航空会社に働きかけるなど様々な方法で渡航を妨害していたそうです。
最終的に猪木氏はトルコ航空(イラン・イラク戦争の折も日本人はお世話になっている)のチャーター便を猪木氏が自腹で費用を出すことで渡航が決まり、また人質となっていた方らの家族も外務省からいろいろ言われたそうですが、イラクにいる家族と会うために猪木氏に賭けてこのチャーター便に同乗してバグダッドを訪問しました。
表向きこの訪問はスポーツ交流の一環ということで行われ、猪木氏が連れてきたレスラーの試合や日本の伝統文化などがイベントとして数日間演じられ、その間に猪木氏とともに訪れた家族らは再開を果たし、猪木氏はイラク政府と人質解放の交渉を行ったそうです。
しかし交渉ははかどらず、帰国日になっても人質解放は達成されずあきらめかけて帰国の飛行機が飛ぼうとする直前、突然イラク政府から猪木氏に会談の申し込みがあり、その後イラク政府より日本人の人質解放が発表され、その二日後にはすべての外国人人質が解放されることが発表される運びとなりました。
このくだりについてはいろいろと疑問の声も挙げられており、猪木氏の売名行為に近いただのパフォーマンスだったり人質解放はすでに決まっていたなどという意見もあってこの時の猪木氏の功績については未だ評価がはっきりしていませんが、少なくとも自腹でチャーター便を取って家族らを再会させたという事実については私は高く評価してもいいと考えています。
その後は教科書に載っている歴史どおりに、アメリカ軍の攻撃によって湾岸戦争が勃発し、その後もフセインは行き続け、つい最近のイラク戦争へと物事は運んでいくのですが、私はこの時の人質事件はぜひとも今の日本は再考をして議論をしなければいけない歴史だと考えています。
というのも、日本という国家はいざという時に本気で国民を守るのか、この点について白黒をはっきりさせるわけじゃありませんが、緊急時の対応として何が政府に求められ何をどう実行するのかをはっきりさせておく必要があると思います。
詳細がはっきりしていないということでこの時の事件については私もあまり強く言う気はありませんが、やはり歴史的に見ても日本の政府、ひいては外務省は国民を守る意識が低いとしか私は思えません。古くは太平洋戦争中の沖縄戦にて、現地の沖縄の人を戦闘でまるで盾のように使ったり、米軍に解放された人をスパイだと疑って殺害するなど、本来国民を守るべき軍隊が国民を逆に害す行為があったり、どうも守るべき矛先が国民というより実態のはっきりしない国とか国体の方に向いてばかりいた気がします。
またそれほど昔じゃなくて先の2004年のイラク人質事件でも、毎日新聞が当時に流行した自己責任論について反論する形で書いた社説にて、
「国民が平時において税金を国家に納めているのは、いざという時に国家に国民を守らせるためである。確かに渡航の危険性が伝えられている中でイラクに入った三人の人質経験者は軽率だったかもしれないが、命の危機に瀕した際に政府が彼ら国民を守るのは当然の行為で、それについて自己責任とか帰国に使用した航空機の費用を彼らに負担させるべきだなどという議論は全くもって必要ない」
さすがに五年も前なのでちょっと曖昧ではありますが、大まかにこんな内容の社説が毎日新聞に載ってあるのを書いているのをみてなるほどと私は思いました。またそれと同時に、本当に日本政府は国民を守る気があるのか、北朝鮮の拉致事件でもそうでしたが外務省はどっちを向いているのか、改めて当時にいろいろ考えました。
今回取り上げた湾岸戦争勃発直前のこの人質事件でも、私が知りえた情報の範囲内では外務省は本気で国民を守ろうとしたのか、何度もいいますが詳細が曖昧ではあるもののやはり疑問を感じずにはいられません。
そこでこの事件の詳細を得ようと、ちょっと細い伝手を頼ってこの時にイラクで人質に遭われた方へ手紙で直接インタビューを申し込んだのですが、本日その方からインタビューを辞退する返信を受けたので冒頭に書いたようにブルーな気分となった次第であります。まぁこんな事件に巻き込まれて、その際の顛末を赤の他人の私に話そうとするなんて普通じゃ考えられないことですし、恐らくあまり思い出されたくない過去であることも考えれば無理もないことです。
そういうわけで、もしこの事件について何かしら当時のニュースを見て覚えていることがある方や、情報を持っている方がおられれば是非コメント欄に一筆お願いいたします。
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