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2018年5月9日水曜日

書評「宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年」

 先月、もしかしたら途中で販売中止になるかもと思って文藝春秋の五月号を購入しましたが、正直言って失敗しました。文藝春秋は最近あまりにもつまらな過ぎるから見出しを見て買うかどうかをこのところしており、四月号に至ってはめぼしい記事もなかったことから購入していませんでした。今回の五月号は例の森友問題で自殺した職員の遺族手記について、遺族自体が掲載されるとは聞いてもいないし手記も書いていないと主張したことと、「文書改竄で佐川からのメモが……」と宣伝していたから一応買いましたが、後者に至っては何の根拠もない伝聞による憶測という、よくこんなの宣伝文句にしたなと呆れるレベルの内容でした。
 六月号は明日から発売でしょうが、もう見出しを見ることなんてせず、買うこともないでしょう。この雑誌にはもはや何の魅力もありません。

 と、言いながらも、五月号に関して一つだけ収穫がありました。元警視庁捜査第一課刑事の原一雄氏のインタビュー記事が載っており、先日出版された原氏の著書「宿命」について触れられていたからです。この本の概要は何なのかというと、あのオウム事件に追われる最中に起こった國松元警察庁長官狙撃事件の犯人について実名入りで全部書かれています。

 この事件は発生当初からオウムによる捜査攪乱を目的とした犯行とみられ、オウム真理教に帰依していた元警官も犯行を自供してはいたものの、決定的な証拠がなかったことから立件には至らず、最終的に時効を迎え迷宮入りしています。なお時効に至ったその日の会見で捜査を担当した警視庁は、「それでもオウムが犯人と思われる」という異例の発言を行い、後にオウムの継承団体に当たるアレフから名誉棄損で裁判を起こされ100万円の賠償支払判決が下されています。

 通常、一般人ならまだしも警察関係者を狙った事件というのは警察そのものから物凄い恨みを買うこととなり、全力で捜査されてお縄に至ることが非常に多いのですが、この事件に関してはとうとう解決には至りませんでした。もっとも事件発生当初からこの事件は不可解な点が多く、雨天の中で20~30メートル先から日本では入手の難しいコルトパイソンという拳銃で狙撃されるなど、高い狙撃能力を持つ犯人による犯行でありながら、現場には捜査かく乱のための朝鮮人民軍バッジが置かれ、また犯行声明も出されることもありませんでした。
 なおこの事件の余波というか、「高い狙撃能力を持つ」という理由からオウムの逃亡犯であった平田信が早くから嫌疑者として指名されていました。後に2011年の大晦日に出頭してきた平田は出頭理由についていくつか挙げながら、この狙撃事件が「時効を迎え自分が犯人にされてしまうことがなくなったから」と、この事件の濡れ衣を着せられる恐れが逃走を続けた理由でもあることを明かしています。

 そんなこの事件を長年追い続けていたのが、「宿命」の作者の原一雄氏です。読み終えた感想を述べると、犯人はこの本に書かれている生涯で二度も無期懲役を受け現在も収監されている現金輸送車強盗犯の中村泰以外には考えられないというのが偽らざる本音です。
 犯行当日の中村の行動、隠蔽工作、そして動機などについては本の中で詳しく書かれているため敢えてここでは書きませんが、何故中村が犯人だと思うのかというと、本人自身が「私が犯人です」と既に自供している上に銃の入手経路や高い狙撃能力を有し、また秘密の暴露に当たる決定的情報を証言しているからです。

 この東大卒のテロリストである中村の生い立ちや思想に関する記述だけでも十分面白いのですが、それ以上にこの本を読んで衝撃だったのが、公安と捜査一課(刑事部)の関係性というか絡みです。この本を読んだ限りだと率直に言って両者の関係はあまりよくなく、公安の立てた筋道と異なる捜査によって、想定と異なる犯人を原氏ら刑事部が見つけてしまったことから、この狙撃事件は立件なく時効を迎えることとなったのが真実だと考えられます。
 もっとも途中から公安とも共同で捜査することとなった原氏によると、当初は中村犯人説に疑念を持っていたものの、捜査情報を提供するやすぐに公安も中村犯人説に動き、また時効を迎えた際には検察からも直々にそれまでの捜査を労われ、中村立件に至れなかった点を詫びられたと書かれてあります。

 はっきり書けば自分の思想はテロリストに極端に近く、警察関係者にもいい思い出より悪い思い出の方が多いためあまり警察を信用しておらず、っていうか素直に言うと嫌いです。叔父は神戸の公安所属で、規律に厳しいかと思いきやむしろ一般人よりむちゃくちゃなことばっかやる人でかわいがってもらっていましたが。
 ただ単純に嫌ってるということもあってか、あまり警察の組織や問題性についてはこれまで気にすることなく研究することもなかったのですが、公安と刑事部でこうも仲が悪いということはこれまで知りませんでした。そしてその捜査手法や特徴も異なっており、特に公安について原氏は、中村の協力者探しに当たって公安の人物割出し能力は抜きんでていたと称賛しています。逆を言えば、その高い割出し能力が刑事部には普段使われていないということになり、縦割り行政の弊害を覚えます。

 最後になりますが、単独ソースからの情報にもかかわらず中村が犯人だと信じ切るのはやや危険かと思うものの、この本は非常にお勧めできる内容です。先日後輩に日テレ記者である清水潔氏のノンフィクション本を紹介しましたが、今回もこの本を読んでやはりノンフィクションはやめられないというか面白いと改めて感じさせられた一冊でした。

2018年5月8日火曜日

その辺のぺがさす

 今日ふと何故日本人は自国を過信するようになってきたのかと考えた際、「犯人はプロジェクトXだ」と思い至りました(0.8秒)。せっかちな性格もあって、何かの問いに対しては先に結論出してからそこまでの過程を後から考えることが多いので、決して上の思考過程は誇張ではありません。

 では順を追って何故このような結論に至ったのか説明すると、そもそもまず日本人が自国を過信しているかという点については私の目から見た印象ですが、恐らく間違っていないかと思います。未だに大半の日本人は時刻が技術大国だと思っているようですが、既に工業方面でも技術の衰退はかなり進んできている上、学術分野の論文出願数や特許取得数、そして新規技術への対応の点に至っては世界的にもはや遅れている部類に入りつつあると言わざるを得ません。
 そもそも何故このとっかかりを得たのかというとMRJのテコ入れに開発している三菱航空の増資を三菱重工が行うつもりという報道を見たからです。MRJも発表当初は優れている点が盛んに喧伝されましたが、延期に延期を重ねたせいで設計が古くなり、もはや優位点はあまり見つからないのにいまだ完成もしていないというデススパイラルに入っています。

 話は戻りますがこうした主に技術方面の過信について何が発端なのかと考えた際、民族的なプライドなども浮かんできましたがそれ以上に地味に大きな影響元として、「日本礼賛番組」の存在があるのではと思えてきました。
 ネットなどで見ている限りだと最近は減ってきているようですが(それでも一部で話題になっている辺りはあるのだろうが)、2010年代前半はこの手の番組の多さに私自身辟易しました。ちょうど中国から日本に戻って一時滞在していた時期ということもあるでしょうが、チャンネルをいくら回しても「にほんはスゴイ!」的な番組ばかりで、しかもその異様さを誰も指摘していないという状況が私には不思議に思えて仕方なく、その辺は当時のブログにも書き残しています。

 もっともこうした違和感は徐々にとはいえやはり広がっていったのかそれからしばらくして私だけでなく、「礼賛ぶりがかえっておかしい」と指摘したり、単純に番組がつまらないという声も増えて言ったように思え、そうした流れもあってかどうもこの手の番組はまだ勘違いしているところを除いては大分なくなったようです。なおこの手の番組を私自身は全否定するつもりもなくたまに見る分なら面白いと思いますが、2010年代前半は明らかに異常なくらいにこの手の番組が氾濫していたように思えます。そして何故この手の番組が氾濫したのかというと、想像ですが背景には2010年前後にあった主にフジテレビを中心とする異常な韓流推しの反動があったためではと推測しています。

 話は戻りますがこうした日本礼賛番組が、すべてとまではいかずとも日本人の過信を助長させたとするならば、さらにその源流はどこかと考えたところ出てきたのが「プロジェクトX」でした。番組内容については著名であるためいちいち説明しませんが、この番組自体はよくできているし評価に値しますが、もし「かつての日本の栄光」に浸ることに対して強めのカタルシスを日本人に与えてしまったとするならば、長期的に見て悪影響を及ぼした可能性もある気がします。
 特にこの番組について、この番組放送以降にもしかしたら起こっていたのかもと思う変化として、過去の日本の技術礼賛によって過去に取りつかれ、未来を見なくなってしまったのではと思う節があります。そう思う根拠として、ここ数年の日本の報道などを見ていると、新技術に関する解説や評論、礼賛や応援がなんか減ってきているように私には感じるからです。具体的に言えばなんで5Gの解説があんま出てないんだとか、自動運転についてもリスク面の話ばかり出るし、そして何よりさっきのMRJの優位性もかなり専門的な記事を追わないと出てきません。まぁ最後のは最初にも書いた通り既に優位性を失っているだけかもしれませんが。

 思い起こすとまだ私が子供だった頃は新技術について、「これからの未来は明るい!」的なノリでもっといろいろ紹介されていたような気がします。特にゲーム関連について言えばプログラムやメモリの発展過渡期だったこともあって機能や画像表現の進歩についていちいち特集されていました。また携帯電話をとってもその通信機能やアプリ機能など、今よりワクワク感に溢れた特集が組まれて紹介されてたように思います。
 ただ単に技術の発展過渡期だったとすることもできますが、ここ中国にいると新しい技術やサービスについてよく取り上げられており、これらと比べるとなんか日本は新技術について及び腰というか、むしろ排他的な姿勢にすら感じるところがあります。一方で日本の技術は世界最先端だと完全に信じ切っており、何故そうした発想に至るのかというとやはりプロジェクトXのせいというか、過去の栄光にすっかりとらわれて現実や未来が見えなくなっているのではと、かなりきつい言い方ですがそんな風に覚えます。

 その上で私個人の提言として、過去の技術なんて現代では全くお金にならないのだし、もっと新技術に目を向け社会全体で研究開発熱を盛り上げて行くべきであり、日本の技術は最先端だとか一旦そういうのは置いといて、今よりもっといい技術をもっと貪欲に追い続ける姿勢こそが大事だと思います。
 それこそ飛行機一つとっても、この際だから脳波で動かすサイコミュ連動型作るとか、ビームライフルの標準搭載を目指すとか、他の国には絶対真似できない三身合体を実現させるとか、あり得ない空想をもっと本気で目指すべきでしょう。もっと夢を語るんなら、ギュネイ・ガスを超える強化人間とかもアリですが。

 なお見出しの「その辺のぺがさす」は「草原のペガサス」の空耳版です。一度これ知ってから猛攻としか聞こえません。

2018年5月7日月曜日

垣根を超える大スター

 先日友人に、「前に君が話してくれたゼミの先生の話を、大谷選手を見ていてこの頃よく思い出す」と話しました。その友人の話というのも、王、長嶋という往年の読売巨人軍の大スターについてかれのゼミ教授が、「自分にとって昭和といえば彼らだと言いたくなるような、時代そのものと言っていいスターだった」と述べ、その影響力は現在では比較にならないほど大きかったというような内容でした。
 もっともこの話について友人は、「俺そんなこと言ったっけ(;゚Д゚)」と言って覚えていませんでしたが、「でも花園君がそういうのなら、きっと言ったのだろう(;・∀・)」と続け、自分のシャレにならない記憶力についてよく理解してくれている友人だなとしみじみ思いました。ちなみにこの話があったのは恐らく2008年か2009年のどちらか、場所はガスト店内です。

 話は戻りますが、私は先ほどの友人のゼミ教授が言っていた、王、長嶋が当時どれだけ偉大であったのかという話について聞いた当初はそれほどピンときませんでした。両選手が偉大な記録を残し、現役当時は超が付くほどの大スターだということはもちろん知っていますが、その時代を生きた人間が当時どのようなインパクトを彼らから受けていたのか、その点についてあまり実感がわかなかったのが本音です。
 しかし、今現在になってなんとなくわかってきたと思えるのが、このところのエンゼルス・大谷選手の活躍ぶりです。今朝も安定した投球内容で無事にメジャー三勝目を上げましたが、特にこれという接点もなく日ハムでもエンゼルスでもファンじゃないのに、彼個人の活躍を聞くだけで非常にうれしくなってきます。なにもメジャーに行ってからこうなったわけじゃなく日ハムにいたころも彼が活躍したと聞けば目を細めていましたが、やはりメジャー進出以降はさらにハイレベルなステージでの活躍ということもあって、以前以上に注目するようになってきました。

 日本に限らず米国にとっても近代プロ野球としては例外と言っていい投打の二刀流で、しかもその両方で大谷選手は高い成績をキープしており、今間違いなく野球の歴史が変わる瞬間に立ち会えていると感じうれしく思います。また日本のファンはもとより米国でも最大級の注目ぶりで、所属チームのエンゼルスファンだけでなく相手チームなどからも垣根を越えてそのパフォーマンスが称賛される様は、「これがスターなのか」と覚えさせられ、きっと王、長嶋も今の大谷選手の如く、チームを超え、また熱烈なプロ野球ファンでない一般層からも高い注目と人気を集めていたのではないかと思え、ここに至って友人のゼミ教授の言っていた感覚が初めて理解できるようになりました。

 要するに大スターというのは、あらゆる垣根を越えてその活躍が支持されるからスターなのでしょう。近年の日本プロ野球でもスター選手と呼ばれる存在はたくさんいますが、やはりその支持は各チームのファンやプロ野球ファンに限定され、普段野球を見ない一般層ともなると名前も知られていない可能性も高いです。それと比べると大谷選手はこのところ毎日スポーツ記事でトップ級に取り扱われるだけでなく、彼に関する特集も日を追うごとに増えており、敢えて比較するならそれこそ王、長嶋、そしてイチロー以来の大スターと呼べる逸材でしょう。
 その上で、やはりこうした大スターが存在することは歓迎すべき事態というか、一体感を覚える上では非常に大事だと思います。同じ野球ファン同士だけでなく大谷選手については野球を全く見ない女性とも話題に上がり、やはりお互いに楽しく会話できます。最近だと山口メンバーについても楽しく会話できましたが。

 逆を言えば、こうした性別や世代、国籍と言った垣根を越えて話題に上がる大スターが大谷選手以前はやや少なかったのかもとも思えてきます。俳優にしろ歌手にしろアイドルにしろ芸人にしろ、誰もが応援して誰もが知っていて、誰でも話題に挙げられる存在が、私にとってすれば近年になればなるほど減っていったように思え、芸能界からスポーツ界まで比較的話題のレンジが広いと自負する自分ですら話題を共有できない相手と話すことが増えてきているように思います。
 この辺については最初の友人が割と得意としていることですが、今の時代は趣味が個性化分裂化したことで、単純に共有体験というものが減ってきている時代です。そうした時代だからこそ誰もが共感できる大谷選手の存在は大事だと思え、ともかく怪我無く無事にシーズンを通して戦ってもらいたいものです。

2018年5月6日日曜日

電子書籍に関する現況 後編

「所有できない電子書籍」問題 サービス閉鎖後、購入者はどうなる?(ねとらぼ)

 ちょうどこの記事を準備していたら上のニュースが出ましたが、電子書籍を購入する上での最大のハードルと言ったらやはりこれこと、サービス停止後への不安でしょう。使い始めた人間についてはもはやこの先一蓮托生みたいな諦観が生まれますが、まだ始めていない人間からしたら運営会社が倒産したりしたらどうなるのか、購入した本が読めなくなるのではという不安を持つのも無理ないでしょう。
 実際、この問題については既にサービスを停止した業者が出ておりその顛末についても上の記事には書かれてありますが、サービス受益者からして一番望ましいのはサービスの引継ぎ、つまりサービスを停止するA社からそのサービスを引き継ぐB社が配信などを継続する形だと思います。実際やるとなったらそこそこ大変ですが。

 ただこうした対策よりも、もっと抜本的な対策となるのがプラットフォームや、データの規格化です。要するに配信する電子書籍データの規格を日本国内で統一することで、サービス停止にあっても規格に対応したビューアーを使えばその後も閲覧を継続できるという形に持っていくことです。この場合、配信する書籍データはすべて共通で、サービス運営主というか配信業者は実質完全な小売業者となり、競争上の観点からもこうした形態の方が望ましいと思います。
 少し懸念となるのは、書籍データが共通化するため違法配信などが起こりかねないという問題がありますが、現在行われている配信サービスのように各データの閲覧権限を購入アカウント等でビューアーと連動させ、アカウントが一致しない消費者には閲覧できないような処理を施すような対策で大体クリアできるのではないかと思います。この方法だったら不特定多数に閲覧させる人間もアカウントから追え、バンすることで犯罪行為も止められますし。

 このように、電子書籍業界で今何が求められているかと言ったらやはりこのプラットフォームや規格の統一化だと思います。しかしこの方面の議論は全く起こらず、かつて日本は業界を跨ぐ規格化が強かったと言われましたが、そんなの嘘ちゃうかと疑いたくなるくらい電子書籍配信業者は統一化に消極的です。そしてその結果生まれる問題というのが、不便な電子書籍ビューアーというソフトウェアの問題でしょう。
 このブログでも散々愚痴っていますがAmazonのKindleビューアーはお世辞にも使いやすいとは言えず、むしろなんでこの問題に気が付かないと思うくらい問題が多いです。しかも改善が施されるのも遅く、あと突然停止するバグもよくあります。さらに細かいところを挙げるとビューアーのスキン変更すらできないって90年代かよって言いたくなります。

 これらは殿様商売のAmazonだからなのかな、だからと言って先ほどの配信サービス停止が怖いので寄らば大樹の陰とKindleを使ってきましたが、つい最近に「Kindleなんてだっせーよ、他の業者の方が絶対いい」という話をネットで目にし、先月からDMMのDMMブックスを使い始めました。
 まず何に驚いたのかというと販売割引が非常に広範かつ多く、またAmazonに負けず新刊書籍の配信が早いことから、費用対効果の面で今後はこちらをメインにして使っていこうと考えています。そして何より私にとってメリットが大きいのは、中国でのデータダウンロードの速度や効率がAmazonよりDMMの方が安定しており、この一点をとってもこちらを取る理由になります。

 しかし、ことビューアーに関してはDMMもひどいレベルです。コミックスは基本作品ごとにまとめられるのはいいですが、各巻の表示がタブレット版だと昇順か降順を選べるというのにPC版だと降順一択。また各画面切り替えボタンの反応や更新が悪く、必然的に何度も同じボタンを押したりすることとなる上、所有書籍一覧画面一つとってもあんま意味ないのに「購入済み」、「ダウンロード済み」に分かれててこのビューアー設計した奴は馬鹿じゃないかと本気で思うレベルでクソです。
 そのほか書影ダウンロード中に何らかの要因で中断した場合、データがあってもバグが起こって開けなくなる再現度100%のバグもすでに発見しています。あと細かいところを挙げるとビューアーのスキン変更すらできないって90年代かよって言いたくなります。大事なことなので二度言いました。

 サービスやってる連中からしたら何も気にならないかもしれませんが、これらビューアーのレベルの低さは確実に消費者離れにつながるレベルでひどいものです。仮にデータ規格の統一化が図られればビューアーも各業者ごとに紐づけられなくなり消費者は自由に好きなビューアーを選べるようになり、サービスの質も上がるのではないかと思います。もっともこうしたデータ規格の統一は恐らく今の日本の出版社には期待できる余地もないため、各業者に改善を促していくほかないでしょう。
 つくづくこういう様を見ていて思いますが、日本人は本当にお金を稼ぐ気があるのか、商売しようという気はあるのかと疑問に感じます。他のサービスや製品についてもそうですが、驚くくらい消費者目線に立たず、全業種にわたって殿様商売を演じている節があります。

2018年5月4日金曜日

電子書籍に関する現況 前編


 上記画像は先日ネットの海をさまよっている最中に見つけたものですが、もし意地悪く相手の力量を試そうとするなら、「この表はあまり参考にはならないが、参考にならないと言える点を画像内から指摘せよ」と聞いたりするでしょう。もったいぶらずに言えばそのポイントというのも一番上の冒頭にある「初版発行部数」という言葉で、要するにこのランキングは実体書籍の流通数しかカウントされず、電子書籍の配信数はカウントされていないため、実際の総合売上げというか人気を正確に反映したデータとはならないということです。

電子コミックスの売り上げ、紙コミックスを初めて上回る(IT media)

 上記の記事の通り既にコミックスの販売部数は電子書籍版が実体書籍版を上回っており、電子書籍の部数というか配信数を無視した売上げ統計なぞ無意味に等しいです。敢えて例えるなら東日本だけの調査統計を日本全国の統計とは言えないといったところでしょうか。

 ここで話は変わりますが、他の人は何故か誰も指摘してませんが去年の年末あたりから集英社も新刊コミックスの電子書籍版発売日が実体書籍と同じ日になりました。他の出版社はとっくのとうに発売日を共通にしていましたが集英社だけが何故か電子版の発売日を遅らせており、三年くらい前は三ヶ月遅れ、二年くらい前から一ヶ月遅れと徐々に縮小していましたが、ようやくやっと他の出版社に追いつくというか合わせてくるようになりました。
 集英社が何故電子版の発売日を遅らせて来たのかというと、それはやはり印刷会社への配慮であると思われます。業界の話を聞いていると出版社はどこも印刷会社に頭が上がらなかったとのことですがそれももう過去の話で、今回の集英社の動きを見ているとリコーともども電子化の発達によって苦境に追いやられている印刷会社が増す松発言力を失ってきたのではと伺えます。

 以上を踏まえた上で予言すると、多分来年あたりから電子書籍版を実体書籍版に先駆けて先行配信する出版社も出てくるのではないかと思います。こう思う根拠としては単純に、こうした方がより高い売上げが見込めるからです。

 通常、新刊コミックスはゲームほどではありませんが発売したてが一番売れます。しかし発売したてのコミックスほど中古価値も高いというか、購入して読んですぐ古本屋に売り、古本で買って読むという消費者も少なくありません。
 しかし仮にコミックスを最も早く読む手段が電子書籍版しかないとしたら、今話題の漫画村などの海賊版サイトがないことを前提にすると、読者は電子書籍版しかすぐ手に入れる手段がなくなりこの形式での購入を選ばざるを得ません。言うまでもなく電子書籍だと古本市場には流通しないため、発売日直後の古本も出回らなくなるため、きちんと購入して読む層は増えるのではないかと考えられます。

 何もかつての集英社みたく一ヶ月とかずらす必要はなく、一週間、なんなら三日くらい早く電子書籍版を売るだけで、上記効果が得られるのではと私は思います。もっともこれやったら苦しむのは古本屋だけでなく、印刷会社と小売店こと通常の本屋もですけど。それでも利益の増大につながる手段というのであれば、迷わず選択するのが経営者だと私には思るのですがね。

 ただこう語る一方、電子書籍での配信にも欠点というか問題が山積みなのも否定できません。具体的にはフォーマットの共通化に関する内容ですが、この辺最近になっていろいろ気づくきっかけが得られたこともあるので続きは次回に解説します。

2018年5月3日木曜日

日本の華族史👪

 近代日本市でエアポケットのようになっている時代とくれば言わずもがなの大正時代ですが、この時代を含めてほとんど解説とか紹介されてないなと思うものとして、近代日本の貴族階級に当たる華族についてです。ウルトラマンのカラータイマーがやばいくらい鳴り出すくらい体力的に厳しいので華族それ自体についての成り立ちやら説明は省きますが、正直に言って私自身も華族がどういう生活をしたり、貴族院議員がどういうことをやっていたとかについて全く知識がありません。傲慢な言い方となりますが、私が知らないということは他の人もほぼ大半が知らないと思え、一体何故これほどまでに華族に関する分野が開拓されてないのか不思議で仕方ありません。

 そもそも華族が文物で出てくると言ったら決まって推理物のお話で、暇を持て余した華族の御曹司かそこの女中某が探偵役になるものばっかです。あとはお転婆な華族の娘がドタバタをおこすとかで、フォースに目覚める華族が出てくるような激しいアクションものは多分ないでしょう。
 唯一というか、私が華族の生活様式についてなるほどと読んでて感じたのは武者小路実篤の「友情」という小説です。一部で「劣化版こころ」と言われる話ですが、実篤自身が華族出身なだけあり華族の若者が当時どういう生活して、どういう交流をしていたのかを見る上では内心これが一番わかりやすいんじゃないかという気すらします。ただこうした小説もさることながら、きちんとした歴史本とかでももっと華族について紹介とかしてもらいたいものです。

 ついでに書くと没落華族についてももはや現代の文物で触れられることはほぼありません。また農村の元地主とか名主の家で遺産相続をめぐる殺人事件が起きて、下半身だけ浮かんでくるとかそういう話ももう野生の馬みたく絶滅したと言えるでしょう。地味に「スケキヨ流死体発見方」はパロディとして現代も生き残っており、多分死に方としては日本で一番有名な死に方なんじゃないかとも考えており、広辞苑とかにも「スケキヨ:下半身を天に向けた死に方、又はそのような死体発見状況」と書いておいてもいいと思います。

2018年5月1日火曜日

文書改竄者への処罰はどうなったのか

 なんか最近はTOKIOの山口メンバーの報道ばかりで、森友学園の決裁文書改竄問題に絡んだ関係者の調査並びに処罰が完全に忘れられているような気がします。先日のセクハラ騒動といい財務省自体が自浄能力というかこの件について調査する気は全く感じられず、官邸に至ってはむしろ調査を妨害しかねない有様ですが、この件に関しては真面目になぁなぁにしてはならず、たとえ魔女狩りのようだと言われても疑わしい人間を全部ひっくるめて追放するくらいの厳しく断固たる措置を取らねば絶対に将来の禍根になると断言します。

 どう思われようが勝手ですが、この決裁文書の改竄に携わった、具体的には事実を知っていたのに報告しなかった、改竄を実行した、改竄を実行した人間については理由の如何を問わず直ちに財務省から退職、追放させる処置が必要だと私は考えます。それだけ文書、それも国家文書というものの重要性は高く、組織の金に手を付けたとかそういうレベルの犯罪ではありません。
 然るにこの件について、「文書全体の内容は改変していない」という官邸のごまかしによってみる限り処分がなぁなぁになっているところがあり、恐らく特捜が動かない限りはこの件で誰も処分されずに終わってしまうでしょう。そもそも、文書全体の内容は変わってないと言いますが、最重要人物の名前とその交渉過程がごっそりなくなっているのだから、変わってないという人間の見識をむしろ私は疑います。

 中には改竄実行者について、「上司の指示でやむを得なかったのでは」という人がいるかもしれませんが、じゃあ上司がやれと言ったら人殺すのかといったところです。どんなカスでも決裁文書の記述を後から変えてはならないなんて言うことは誰でもわかるレベルの話であり、上司が指示したとからといってそれを実行に移すというのはいくら何でも無防備すぎる愚挙としか言いようがありません。やむを得ず指示に従わざるを得なかったとしても、本心での行動ではないという証拠として内外部への通報や、立件調査資料の提出など逃げ道を用意していなかったというのであれば、いくらか厳しいかとも思いますがやはりその内容の重大さから考えて追放されるのもまた「仕方のないこと」だと私は考えます。
 まぁ上司の指示でやむなくっていう人に関しては、関連団体への就職斡旋くらいはしてあげるべきだとは思います。ですが何度も言う通り、改竄に関わった時点でその組織には絶対に居残り続けてはならず、周りもそれを認めてはならないでしょう。

 なお現在の私の仕事も「疑われた」時点で終わってしまうというか下手すりゃ犯罪として立件される可能性もあるので、自分の身をそういった災いから避けるために業務中に何に携わったのか一時間単位で全部記録しています。私から見て日本人は全体としてこういう向こうの方から降りかかってくるリスクへの警戒が弱いように思え、自分さえ何もしていなければ災いは来ないと勘違いしている節がある気がします。だが言わせてもらうと、こちらが挑発とか不審な行動を一切何もしなくても、時として災いは降りかかってくるのが現実です。

 繰り返しになりますが国家記録文書というのは絶対神聖不可侵のものであり、それに改変を加えるような行為は言語道断且つ厳罰も仕方のない行為だと私は考えます。もし仮にこのまま上記の「全体の~」とかいうごまかしによって処分が果たされなければ、将来的に悪しき前例となって便乗する人間も出てきかねません。財務省に限らず一部自治体でもこうした改竄行為が既に発覚していますが、やはりそれらにかかわった人間も全員追放すべきで、こうした行為が絶対悪であるということをはっきりと示さないと将来恐ろしいことにつながっていくと、今この場で予言しておきます。