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2018年6月28日木曜日

すっとんきょんな天才なき世の中

 最近歴史ネタを書こうと思っても浮かばないというか、もうこれまででほとんど書き尽くしている感がありなかなか書けなくなっているのですが、今日もなんか書こう、それも文化人にしようといろいろ考えあぐねていたところ、「最近、すっとんきょんな天才ってのを見たことがない」とふと思いました。

 かつて文豪というのはその大きな事績とともに、プライベートでの奇妙な振舞いというか豪快なエピソードを数多く持っているのが普通でした。漫画家も然りで働きづくめでいたずらすることも多かった手塚治虫は言うに及ばず、水木しげるに至っては逆に何もかもがすっとんきょんな行動ばかりで、むしろ常識的な行動の方が少なかったのではと思う節すらあります。
 最近、この手の奇行の多い天才となると将棋の加藤一二三氏が最後なのではないかと思うくらい見当たらなくなりました。作家、漫画家、スポーツ選手にしろ、なんか最近はまともな人が多くなり、ぶっ飛んだエピソードの多い文化人となると正直あまり浮かびません。作家に至っては、発言が物騒な人はおろか小説以外の分野、具体的には政治や言論などに出てくる人は明らかに減っています。

 何が言いたいのかというと、あまりある才能に対してその他のぶっ飛んだ面を許容する寛容さがこのところ失われてきているのではないかということです。もしかしたら私が知らないだけかもしれませんが、アクの強い文化人がこのところほとんど見られず、一方で礼儀正しくまともな人は増えていて、これはこれでいいのかもしれないけど何か面白みに欠けるような気がしてなりません。
 特に文芸においては近年の出版不況もあるでしょうが注目に値する作品はなかなか出てこなくなり、ドラマや映画も漫画を原作にするパターンが増えてきています。ドラマのオリジナル脚本も以前と比べれば大人しいテーマが多く、かつての「人間失格」など世の中にものすごい議題を突きつけるような作品ともなると皆無です。そのあたりが、すっとんきょんな天才がいなくなったことも影響しているのではないかと思うわけです。

 かくいう私も器用貧乏な性格していて、一点突破的なキャラは実はあまり好きじゃなく、野球で言えばユーティリティプレイヤーを好むところがあり、私自身もそんな性格からか金属切断作業から貿易アレンジまで幅広くこなす業務経歴を持っています。もっともそれ以上にライターとして対応できるテーマの幅広さの方がもっと如実にその性格を表しており、客観的に見たとしても、社会的なテーマから歴史、政治、経済、ホビーに至るまでありとあらゆるジャンルを書ける器用さに関してはライターとしても誇れると自負します。

 そんな自分が言うのもおかしいですが、何か一つの才能のために他のすべてを台無しにしてしまったような天才が不足、というよりも世の中から出てこないというのが、今の日本の苦しい現状を一部反映しているような気がします。持論でもありますが、寛容性のある社会の方が基本的に強く、その点で今後の日本について不安を感じる次第です。

2018年6月27日水曜日

Googleの驕り?

 実は二ヶ月ほど前から、このブログで異変が起きていました。どんな異変かというと、コメントが書かれてもメールで通知されないのです。

 これまでブログ設定の箇所でメール通知欄に自分のメールアドレスを登録することで、コメントがあり次第に通知が来ていました。それが二ヶ月ほど前から急に来なくなり、どんなにアドレスを再設定しても全く反応しなくなりました。新しい機能ならいざ知らず、これまでできていたことが出来なくなるという不始末で、おまけに不具合として通知しましたが何の返事すら来ません。
 そもそもGoogle自体がもうこのbloggerのサポートを放棄している節すらあり、ガジェットなど新しい機能はもう何年も追加されていません。まぁそれを言ったら他のブログソフトも似たようなもんでしょうが。

 またこれはついさっき体験しましたが、先日にまたGmailが新たなバージョンに更新されましたが、この新しいバージョンでメールアドレスの登録を行おうとしたところ、アドレス帳を開くことが出来ませんでした
 実際にこれはGmailを使われている方に試してもらいたいのですが、画面内をいくら探してもアドレス帳を開くボタンが全く見つからず、メールソフトでありながらアドレス帳という表示すらないいびつな構造になっていることに気が付きました。

 最終的にネットで検索して、「こんなんわかるかよ」と思う個所にボタンがあることが分かって編集できましたが、この編集画面も使いづらいし見づらいしで、他のソフトともども、昔に比べてGoogleが使いづらくなってきたという印象を覚えます。なんとなくですが、ソニーに特に顕著ですがユーザビリティよりも自己満足なシステムを押し付けられているような印象を覚えます。
 そういったこともあり、希望的観測でもあるのですが案外シンプルにこざっぱりまとまった、それこそ中国系のアプリが得意とするようなソフトやサービスが出始めたら案外あっさりとGoogleも天下取られるんじゃないかとふと思いました。そもそもIT業界自体がトップの入れ替わりの激しい業界ですし、システムが複雑で何でもできることよりも、意外と機能を限定してシンプルなアプリの方が、以前に比べても今の方が俄然需要が高いように思えるからです。

 なお先ほど挙げたソニーについてですが、やはりゲーム機のUIに関してはPS3とPSP時代のUIの方がよかったという声をネットで見ますが、私も同感です。非常にセンスに溢れ尚且つ操作しやすく最初にPS3で触った時は軽く感動したくらいだったのですが、PSVitaはスマホ以下のUIに成り下がり、ガッカリ大賞を自分の中でもらいました。まぁVitaはそれ以上に、プレイ中に誤爆にしかならない背面タッチパッドというインターフェースを取り付けたという設計上の瑕疵の方が大きいですが。

 最後にあまり関係ないですが、先週発売された「Newガンダムブレイカー」というゲームがAmazonで、日一日ごとに数%ずつ値段が下がり続け、まだ発売から約1週間なのにとうとう値引き率が50%を超えたのが笑えます。ある意味凄い記録ですが、多分今年一番のガッカリゲーとなるでしょう。
 実際、ゲームシステムについてみていると、「これ作った奴ヤク(ルト)でも決めてるんじゃないのか?」と思うくらい歪です。どうしてこんな半端なくゲーム作りに向いていない人間がゲーム作っているのかわからないというレベルですごいです。

2018年6月26日火曜日

情報過多の時代において

年々右傾化する若者、原因は情報過多にあり(JBpress)

 恐らくJBpressで一番アクセスを稼いでいる伊東乾氏の記事ですが、種々のデータを使って日本人が保守化している現状を相変わらずうまく説明しています。この保守化の原因として伊東氏はインターネット普及による情報過多を指摘していますが、私も基本同感です。

 私自身は少年期からインターネットが存在する世代ですが、そんな私にとっても情報は「求めなければ得られないもの」でかつてありました。特に大学進学で京都へ移った際は関東、東京周辺の情報が周りから全く入らなくなり、直近の流行や関心事、新規インフラなどの情報を得るために関東の友人らにあることをメールなどで教えてくれと頼みましたが、どうも勘の鈍い奴らだったためか私の言っている意味を理解せず、もとい関西においては東京の情報が入ってき辛いという状況がわからなかったのかついぞ一つも連絡は来ませんでした。

 それが現在において、私は上海にいながら日本のかなり細かい話題などもこうしてブログで取り上げています。何故こうなれたのかというと、インターネットがあるからというよりも、どんな細かい情報もネットに上がるようになったからという影響の方が大きいと思います。例えばノートパソコンの情報も価格コムやAmazonなどを活用すれば手に取るようにわかるし、何が売れ筋なのかも簡単に分析できます。また日本のテレビ番組についても、ネット掲示板……よりも最近はテレビの視聴率を取り合えるネットニュースを見ればどの番組が受けていて、どの芸能人が人気が出てきたのかもわかってしまいます。

 一方で、これは私自身が実際にこのブログで強く実感したことですが、ネットに挙げられない情報に関しては驚くほど共有、認知されない傾向が以前よりも強くなってきています。具体例を挙げるとかつて宮崎県で口蹄疫が流行した際に最初に感染認定された牛が出てきた牧場についてネット上では、韓国人研修生を以前受けれていたことから彼らが口蹄疫を持ってきたという主張が支配的なまでに流行しましたが、実はこの牧場は他の牧場から口蹄疫感染牛が見つかった後で何故か「感染第一号」認定されるという、不可解な経緯がありました。また文芸春秋の取材によると、そもそもこの牧場は外国からの研修生を受け入れた事実などはなく、ネット上で支配的なまでに流行した情報は完全なデマでした。
 しかしこの文藝春秋の記事が出た後も、以前と韓国人研修生犯人説が強く唱えられ続け、誰もその事実の検証はせず、そもそも文春の取材も既に存在していたというのに、同じ主張をその後も取り上げられ続けました。

 実際にその時にいろいろ検索して調べましたが、文春の記事について言及する人間はほぼおらず、この時に私はネットに挙げられていない情報、この場合は雑誌情報は、ネット上では驚くほど共有されないと感じました。

 話は戻りますが、今回の伊東氏の記事でも外国語の情報はネットを通して手に入れられるようになっているにもかかわらず、誰も原典には当たらず、むしろいい加減な解釈や予測の記事を読んで海外事情を誤認する人間は前より増えていると私も日々感じています。私の場合は中国語と英語しか読めませんが、これらの言語のメディアを見ていると日本国内の海外報道の少なさに驚くとともに、「いい加減な報道しているな……」と感じる日系メディアもよく見られます。
 それこそ、東スポとか週刊実話のような中国メディア(大紀元とか)の記事を翻訳して報じるようなのです。中国人も信じないメディアの記事が、日本では中国事情として報じられるわけです。

 今自分がJBpressでやっていることについてよく周りに、「日本人に現実を見せる仕事だ」と説明していますが、それにはこういった背景があります。情報量がネットの隆盛によってあからさまに増えた一方、明かなデマ情報も増え、またそれに対してなんの警戒もなく受け入れる、情報の取捨選択ができない人間は増えているでしょう。
 何も自分だけが真実を報じられるだなんて自惚れちゃいませんが、なんとなくこの方面に危機感を持って仕事しているのはウソではないです。

2018年6月25日月曜日

生きる力を育てる教育とは?

 今日ニュースを見ていたら2020年から小学校で必修となるプログラミング教育について、学校側はどこも全く準備を進めていないというものがありました。私自身もこの方針については疑問に思うところがありさもありなんとか思ったのですが、これ見て昔言われた「生きる力を育てる教育」を思い出したので少し話します。
 っていうか一昨日に「地球防衛軍ポータブル3」買って死ぬほど遊んで今疲労がやばいです。よくできたゲームだし、やっぱこういう単純化された面白味が他のゲームは物足りないです。

 さて生きる力を育てる教育ですが、私の記憶が確かなら1990年代半ばに中学生の自殺が大きなニュースになり、当時の公立校で一時期叫ばれた教育論です。私自身も小学生の頃に生きる力云々とか言われたのを覚えていますが、はっきり言って掛け声倒れもいいところで、どんな教育を指すのか、どう指導するのか学校現場も何もわかってなかった気がします。案の定というか結局数ヶ月くらい叫ばれた後はすぐにフェードアウトして、そもそもの発端となった中学生の自殺事件についても触れられなくなり、それから数年してまた別の自殺事件が起きてから「自殺良くない」という同じような運動の展開が延々と繰り返されるわけです。

 一応というか私の記憶の範囲で言えば、生きる力を育てる教育としてまず挙げられていたのは「命を大事にする」というようなフレーズが飛び交っていました。狙いとしては自分の命も相手の命も大事にすることでいじめはなくなるし、生きる大切さに気付くだろうという腹積もりだったと思いますが、齢30を越した自分に言わせるとこんなの逆効果です。
 生きる力とは命を大事に思うとか、遭難時に役立つサバイバル能力とかではなく(後者はまぁ生きる力の一種だとは思いますが)、突き詰めて言えば「奪う力」だと思います。自分が欲しいもの、具体的な物質でもいいですし、立派な地位や安定した立場とか名誉など無形のものでもいいですが、そうした欲する対象を手段を選ばずに奪おう、得ようとする心構えと価値観、真剣さというのがこの奪う力の定義です。

 何故このように考えるのかというと結局は奪おうとすればガツガツ動かざるを得なくなり、自然とアクティブになるからです。逆にこの奪おうという意気込みが弱くなると、現状から何も手が出せなくなりどんどんと縮こまり、世界が小さくなっていくとともにどんどん消極化して自殺する可能性も生じてきます。
 具体例を挙げると、奪うという行為に対して「奪う対象に申し訳ない」という呵責を覚えることこそが、奪う力を萎えさせます。こんなことを言うとさも私が強盗めいた行為を奨励しているように見えるでしょうが言い訳しておくと、「奪われる覚悟がある者にのみ奪う行為は許される」という前提があります。

 社会において最小の労力と投資で最大の効果とリターンを得ようとするのは当たり前で、この際に相手のことを過度に慮り低い利益率で取引をすることは、まわりまわって社会全体の効率を落としてしまうことの方が多いです。ある意味、競争関係が維持されることで世の中は一番効率的に回り、そうした意味で「緊張感漂う奪い合う社会」こそが正常な社会状態だと私は考えます。
 こうした社会、というよりも普通の資本主義社会ではこれこそが一般的な世界観であり、奪うことに呵責を持つこと自体がこの社会において不利にしかなりません。特に、「奪うのではなく与えてもられるようにする」という価値観は私に言わせれば危険で、奪う側にとっては実質カモだし、他人に依存する価値観は精神を脆くさせるだけです。

 そういう意味で私は、小学生にはまだ早いかもしれませんが中学生くらいには、「暴力や詐欺といった非合法な手段は良くないが、世間的に合法とされる範囲であれば迷うことな効率的な手段を選び、仮借なく相手から奪え!」と教えてあげたいです。その一方で、「長期的な関係を見越して相手に奪わせるのも一つの手」だとして、「まず与え、そして奪う」という史記の管仲伝に出てくる政治概念を解説するでしょう。
 その上で、「一方的に奪い続けるのは、恨みを買うので良くない」ということも教えた上で、「いらないものを奪わせ、いる物は何としてでも奪え。どうやっても奪えないと諦めたその時点で、君の生きる力はマイナス1ポイントだ!」とまくし立てるでしょう。

 真面目にまとめると、奪う覚悟と奪われる覚悟のどっちもない人間は非常に脆いのですが、日本の教育はこうした人間を今量産している気がします。欲しいものを得るためには努力して、リスクを冒さなければならないという大事なことを教えず、「言われた通りにやっておけば与えられる」という間違った価値観を教えているように思えてなりません。だから生きる力が育たないんだと思うし、中国にいてその辺のリアルさを日本は社会全体でいまいち理解してない気がします。まぁ学校の教師ならそれこそ「言われた通りに……」でさもありなんなのですが。

2018年6月24日日曜日

個人情報開示の疑問点

「最後の声が聞きたい」御嶽山噴火で不明男性の通報音声、公開を阻んだ「個人情報」の壁(中京テレビ)

 上の記事は御岳山の噴火に巻き込まれたと考えられるものの、その後遺体等が見つからず行方不明となった方の親族が、救急センターに残された本人の音声開示を求めたトラブルを取り上げたものです。その音声は本人が直接199番して噴石が直撃し動けないことなどを述べた内容だそうですが、その最後と思しき音声を聞きたいと親族が申請したものの、行政側は当初拒否したそうです。
 理由は個人情報の開示は本人の同意なくしては行わないという規定があるからだそうですが、結論から言えばこの判断には疑問で、この件に限らず日本の個人情報を巡る考えや取り扱い方はおかしい気がします。

 私がこのように判断する理由は以下の通りです。

・(被害者)本人は災害死していることがほぼ確実視されている。
・申請者は親族
・公開される情報内容は本人の不利益につながらない(というより無害)

 仮に上記条件のどれか一つ欠けるなら議論が必要ですが、上のような条件が揃っているなら考えるまでもなく一発で公開すべきだったでしょう。遺族の心情的にも最後の音声を聞きたいという気持ちはよくわかりますし、いたずらに時間をかけたのは、本人を傷つけない配慮への逡巡からかもしれませんが遺族に対しては十分痛めつけるものだったでしょう。

 中京テレビはこの件に絡め各自治体や消防組織にアンケートを取ったところ、4割は「公開できる」と回答したそうですが、逆を言えば残り6割がそのように答えなかったという事実の方が私には驚きでした。それこそ「フロントミッション5」のリン隊長に言わせれば、「クソの役にも立たないクソムシどもだな」といったところでしょう。
 中京テレビの取材で一部自治体は、「基準となるガイドラインや法律を作り指針を出してほしい」といったそうですが、正直呆れます。一挙手一足までいちいちお上に決めてもらわなければ何もできないのか、こんな細かいレベルの内容までいちいちガイドラインなど作っていては、かえって例外事態に対応できなくなるし、そもそもそんな難しいレベルの話ではないはずです。むしろ基準などいらないくらいの、良識の範囲で十分判断できる内容でしょう。

 この件に限らず日本の個人情報保護、開示の価値観なり考え方はややおかしいです。流出した個人情報を流出させた人間が罰されるのはまだわかるにしろ、それを不正に流出したものだとわかっていながら悪用する人間は一切罰されません。具体的に挙げると、ベネッセから流出した個人情報を、恐らくわかっていながら購入、使用したジャストシステムとかです。
 何故この方面の価値観がおかしくなったのかははっきりしており、普通に判断すればいいものすら判断できないレベルの人間が多すぎるからに尽きます。これに限らず公開されてしかるべきの情報をきちんと公開せずにあとで大事になるケースも散見されますが、前述の通りこの方面は法・条令化なんていちいちせず、社会の良識の範囲でルールを自然と作るべき、市場解釈主義的な立場を私は取ります。

 っていうか日本人は遵法意識が低い癖にやたら法律を頼ろうとするのが割と不思議です。

2018年6月22日金曜日

陰陽師とポケモン

 どうでもいいですが先週末、自宅で窓開けて原稿書いていたら外から割とでかい虫が入ってきたかと思ったら、その虫を追って割とでかい鳥が家の中に突入してきてのけぞるくらいビビりました。多分鳥の方も私の姿にビビったんだと思いますが窓から入ってくるや空中で一旦ホバリングした後、すぐさままた外へ出ていこうと窓ガラスにゴツンとかなりでかい鈍い音をしてぶつかったものの、仕切り直しの二回目ですぐ外へ飛び立っていきました。
 一方、割とでかい虫はしばらく室内を飛んでから窓の外へと出ていきましたが、そしたらさっきの鳥がまたその虫を追っかけて飛んできました。意外と執念深い鳥でした。

 本題に移りますが、昨日書いた記事で「漣泉大江戸」というスーパー銭湯がスマホゲームの「陰陽師」とコラボした内装を組んでいたことを紹介しましたが、このゲーム自体はやったことはないものの、友人の嫁が遊んでいたので見知っていました。なお友人はこの前家族とともに日本へ旅行するというので、それなら京都寄る際に奥さんを晴明神社に連れて言ったらどうかと提案したところ、割と楽しんできたそうです。

 さてその陰陽師ですが、実はポケモンと深い関係にあるのではないかという説があるというか別の友人が主張しています。曰く、「ポケモンの発想の元は陰陽師の式神」だそうです。
 式神というのは知っている人なら早いですが、形代となる紙に念を送ることで動物などに変え、陰陽師はそれを使役して小間使いにしたり、場合によっては鬼と戦ったりします。先ほどの「陰陽師」というスマホゲーはまさにこのコンセプトで、式神を増やして戦闘をしていくという内容になっています。

 友人によるとこのコンセプトこそがポケモンと同じだそうで、ポケモンを増やして育てて戦わせる、本人は戦わずに魔物を使役して戦うというのが日本人のスタイルで、他の文化圏にはない特徴だそうです。まぁ細かいところを挙げたら欧米の魔法使いにも使い魔とかいますが、ポケモンレベルにまで発展させたのは確かに日本人くらいでしょう。
 たまたまですがポケモンを生んだ任天堂は京都の企業で地縁的にも関係はあります。そのように考えるとポケモンの祖は安倍晴明だったのかということになりますが、ポケモンマスターと呼ばれても多分彼もあまりうれしくないんじゃないかという気がします。

 最後に一つ気になる点として、友人の嫁といい何故か安倍晴明のような陰陽師は女性の方が人気が高い気がします。映画や漫画もそうでしたし、安倍晴明神社も女性の参拝客の方が圧倒的に多く、「是は如何に?」と古語で言いたくなるほど不思議です。私なりに分析すると、陰陽師というキャラには占い要素がくっつくことが多く、その点が女性を引き付けてるんじゃないかと思います。

2018年6月21日木曜日

上海第2の大江戸温泉


 先週末に上海市内にある航空博物館に友人と行ったことをこの前記事にしましたが、この日はこの博物館を見た後、そこから地下鉄で数駅先にある上海第2の大江戸温泉こと「漣泉大江戸」に行ってきました。


 場所は地下鉄1号線の莘庄駅から歩いて20分くらいのところで、航空博物館のある蓮華路駅からは数駅です。駅から遠いため一緒に来た友人が、「歩きたくない(´・ω・`)」とか言い出したので結局タクシーで向かいましたが、この施設は去年12月のオープン前に私は既に取材しています。

第2の「大江戸」温泉施設が上海に出現!(JBpress)

 取材には行ったものの、まだオープン前だったということから実際に湯船につかることはなく、その後も機会がなかったので一度も足を運んでいませんでしたが、最初の目的地から近いこともあったのでこの機に行ってみました。


 さすがに風呂の中を写真を取ることはできませんのでこのまま文字で伝えると、施設内同様にめちゃくちゃ広く、露天風呂も意匠の凝った陽光をうまく取り込む壁と屋根が配置されており、見事な設計でした。なお水風呂に入ろうとしたところ友人は私の背中に水をかけてきたので、後で体洗う際に冷水のシャワーを浴びせ返しました。
 施設内に関しては取材時も感じていましたが、非常に広い上に贅を極めた設計がされており、これほどの銭湯施設となると日本でもなかなかお目にかかれないと断言できます。各所に畳が敷かれた一角が設けられており、抱き枕とともに寝る客が多くみられました。

 真面目に、上海市内に在住であれば一回足を運んでみることを薦めるくらいの立派な施設です。料金もネットのクーポンを使えば136元(約2300円)からガンガン値引きされ、実際この日も私と友人で二人セットのクーポンを使うことで69元(約1000円)で済みました。

スマホゲームの「陰陽師」とのコラボ

入口ロビー 

 相変わらずのくまモン推し

私が食べたすき焼き定食(60元=約1300円)

 唯一惜しいと思ったのは食事です。取材時に聞いていますが和民グループがフードコートを運営しているそうなのですが、定食メニューのお店だけやたらと客が来ていて、他のメニューのお店はガラガラで偏っていました。それもそのはずというかラーメンやお好み焼きが50元(約1700円)くらいとやや割高なのに対し、定食はそれとほぼ同じくらいの値段でした。
 また提供しているメニューも日本食ばかりで、ローカルの中華料理ともなるとほぼ皆無という有様です。中国人客が多いということを考慮すると、これでいいのかとやや疑問に感じる布陣でした。

 客入りに関しては昼過ぎ時点では割とガラガラでやはり交通アクセスが悪いせいからかと思っていましたが、時間が経つにつれてどんどん客は増えていき、最後に出る際は入口ロビー周辺も賑わっていました。ネットの掲示板ではマイカー客からは駐車場が無料で入りやすいなどと好評であり、ロケーションを考えるとやはりこういったファミリー層がメインターゲットなのだと思えます。

 私と友人は3時くらいにここを出て、「アウトレットで靴みたい(´・ω・`)」という友人のためにまたタクシーで今度は上海南駅地下にあるアウトレットモールへ行きましたが、自分が見たいとか言ってたくせに着いたら全く見向きもせず、「君はどれ買うの?(´・ω・`)」と、ずっと私に売り込みをかけ続けてきました。
 最終的に、歩き回ることから山鞋しか持っていなかったこともありミズノの軽量スニーカーを300元(4200円)で私が買うことになりましたが、今まで山鞋をずっと履き続けたこともあってか、めっちゃこの靴だと軽く感じます。っていうか買ってる最中に友人は店員らと、

「あいつこんな重たい靴ずっと履いてたんだよ(´・ω・`)」
「うわ、こりゃ重たい(;´・ω・)」

 などと中国語で話していました。
 ただ今回ミズノのスニーカー履いて思いましたが、やはり日本人だからか私は偏平足をしており、ミズノの靴は日本人向けにやはりその辺合わせているのか幅の広い靴になってて、こっちの靴だと小指が締め付けられなくて楽になりました。日本の靴メーカーを使う意義あるんだなと、ちょっとミズノを見直しました。