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2021年3月28日日曜日

90年代ホラーゲームの背景

 この土日も数時間ずつとはいえ残業して目が回りそうな状態です。晩飯も喉を通らず、土日の夕食でご飯1合も食べられなかったのはかなり久々な気がします。ちなみに学生時代は毎日の夕食で2合食ってたような。でもってその時、「何故世の中の茶碗はこんなにも小さいのだろう?」といいながら、どんぶりをデフォルトにしてごはんよそってました。

 話は本題ですがこの前ブログに書いた「慟哭 そして…」というアドベンチャーゲームをノーヒントで1回クリアしました。エンディングは何故かツインテールの女の子の黄金エンドのみたどり着きましたが、個人的にはあまりツインテールは上方としては好きじゃないだけに「どうしてこうなった(´・ω・`)」という感情も覚えるものの、横田守の書いたキャラ見るの久々なのでそこそこ満足してます。
 なお関係ないけど高校の図書館に「魔法戦士リウイ」だけはありました。

 まだ1回、それも単独エンドだけなので未だにこのゲームで主人公らを廃奥に監禁して殺しまくる犯人についてはその動機はおろか正体すらつかめていませんが、1回通しで遊んでみた感じとしてはゲームとしてそこそこ楽しく、また雰囲気もよく出ている気がします。逆を言えば近年、この手の不気味なホラーが減ったというかあまり遊んでいない気がして、元々このゲームはセガサターンで90年代に発売されていることを考えると、やはりあの時代の方がこの手のホラーが充実していた気がします。

 その90年代ホラーというのはどういうものかと言うと、「なんで襲われるのかがわかんない?」といった感じの正体不明ホラーじゃないかと考えています。貞子でお馴染みの「リング」なんかまさにその典型で、わけわからん貞子になんでして襲われなければならないのか、どうしたら襲うのやめてくれるのか的に迫ってくる内容がそこそこ受けたんだと思います。
 どうでもいいですが京極夏彦氏は昔、「土俵(リング)・でぶせん」などの作品を収めた「どすこい」という短編小説を出しています。

 話を戻すと、よくわからないのに謎の怪人なり正体不明者に襲われ、しかも人里離れた屋敷なり孤島なりに閉じ込められるという系の作品が90年代には多かった気がします。何故この手のホラーが最近減ったかと言うと、一つは携帯電話などの小型通信機器が発達して情報の取得や外部との連絡が容易になり、クローズドサークル自体が現代だとほとんど成立しなくなったことがあると思います。真面目にその手の空間作ろうとしたら外海上か山中しかもはやないです。
 次に、ゾンビが大量発生するなどのパニックホラーがやはり今強いことも大きいでしょう。特にゲーム業界に関しては昔と違って表現力が増し、三国無双並みにゾンビを大量に描画せしめることも余裕なため、海外でも売りやすいパニックホラーゲームがよく作られているように見えます。

 どうでもいいけど、無双が今度コラボするなら「バイオハザード無双」でもいいような気がする。

 またまた話を戻すと、さっきのパニックホラーの隆盛はある意味、90年代ホラーゲームの特徴というかその成り立ちを暗に示しています。どういうことかと言うと、昔はゲームを作ろうとしても表現能力などの制限があり、プレイヤーの操作や画面演出が非常に限定されていました。その限定された範囲でホラーゲームを作ろうとしたら、移動範囲、登場人物を制限できるクローズドサークルにするしかなく、必然的にああいうゲーム形態にならざるを得なかったのでしょう。
 またテキスト量なども制限があって、その辺も含めて犯人役が一見してよくわからない動機というか行動で襲い掛かってくるというパターンも作られていったのだと推察します。逆を言えば、最近のこの手のホラーやミステリー、サスペンス系作品はやたらと犯人の動機や殺人の背景を長々語ろうとする癖があり、犯人を追う主人公以上に犯人の人物造詣が掘り下げられ、どっちが主人公だと言いたくなるほど主客逆転した作品もみられます。

 私としては90年代に少年時代を過ごしていることもあってやはり上記のような「正体不明な恐怖」が個人的に好むのですが、今この手の恐怖を作ることのできるクリエイターはどれだけいるのか。そもそも襲い掛かってくるゾンビやクリーチャーを倒すばかりのホラーゲー全盛の時代で、そのような正体不明な恐怖が復権するのかとなるともはや疑問です。実際ゲームとしても、恐怖をあおる演出よりもアクション要素の方が重視されてしまってるし、昔のゲームみたいにヒロイン格の美少女キャラもそう簡単には殺せなくなってるし。

 まぁこう言いながら、自分が一番恐怖したホラーゲームは「SIREN」ですが。最近またYoutubeで関連動画を見まくってます。

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