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2021年8月11日水曜日

断つことのできない人間関係

 昨夜未明、トルティーヤみたいなしけったスナック菓子を延々と食べさせられる夢を見ていたら、寝ぼけたまま現実世界(リアルワールド)で寝る前に右手に持ってた扇風機のリモコンを口の中に放り込みそうになりました。口空けて中に入れるところまできており、あと一歩遅ければ河村市長みたくリモコンかじってました。
 あとそのリモコンで扇風機の風速変える時、自分が風使いになった気分を一瞬味わえます。

 話は本題ですが西尾維新氏の「化物語シリーズ」と言えば非常に人気の高い作品で有名ですが先日、大暮維人氏の漫画版を大人買いして一気に読み込んでいます。こと、作画に関しては間違いなく現代漫画家において最強と言っていい大暮維人氏のコミカライズなだけあって1コマ1コマの絵柄や表現(あとそのクオリティに比した速度)は群を抜いていて、原作も評判通りに非常によくできた展開であることからなかなかもってハマっています。
 実はこれまで、化物語は人気だとは知りつつも一切触れることはありませんでした。理由は別にあるわけじゃなく、ただ単に縁がなかっただけだと考えていますが、最初このコミカライズ版を読んで気になった点として、孤高を気取る主人公が人間関係を作ろうとしない点を見て思うことがありました。

 主人公曰く、人間関係を作るということは弱点を生むことになるため、自ら作ろうとしないということです。若干中二病めいた価値観ですが、警察やマスコミ関係者にすれば結構笑い事じゃないというか、反社勢力に家族とか知人・友人関係知られると結構脅しの種になったりします。まぁ家族が拉致られても気にしないという人なら弱点にはなりえませんし、マスコミにはその手の仕事のために家族を犠牲にする覚悟のある人はいます。
 そうした業界事情は一旦起きますが、主人公の人間関係を作らないという姿勢を見ていて思ったのは、「それって取捨選択ができること前提だよなぁ」ということでした。どういうことかというと、選択の余地なく作られてしまう人間関係というのがあるからです。

 こうしたものの代表例は言うまでもなく血縁関係です。血縁があるだけで当人がどれだけ嫌がっても交流が発生してしまい、嫌々であろうと人付き合いをせざるを得ません。中には生まれてすぐ生き別れになってしまった人もいるでしょうが、血縁があるとどんなところで人間関係が復活するかもわからず、また相続などに巻き込まれることも十分あり得ます。そういう意味では、こと血縁は若干呪いめいたしつこさがあります。

 もう一つの取捨選択のない人間関係、正確に言えば選択肢はあるけど切ることが難しいものとして、集団構造、枠の中で構成される人間関係があります。具体的にはクラスメートや職場関係で、本人が嫌だと思って距離感を置こうとしても距離的な近さ、また社会的な単位でひとまとめにされるため、クラスや学校、職場が違うといった枠外の人間関係と比べると断つことは難しいでしょう。どうしたってほぼ毎朝顔を合わせることになるんだし。
 それでも断とうとする場合、手段としては不登校や退職・転職などしか実質的な手段がなく、人間関係一つ断つために別の何か、それも多大なものを犠牲にせざるを得なくなります。まぁそれでも断つ手段が実質的に存在しない血縁よりはマシかもしれませんが。

 何が言いたいのかここまで読めば察しが付くでしょうが、いじめ、パワハラ、セクハラ、ネグレクト(なんで横文字多いんだこういうの?)など、人間関係に起因する諸問題は突き詰めれば、「人間関係を断つことができない」ということが前提に存在しています。それこそいつでも人間関係断てるならこれらの問題は一挙に解決できます。まぁストーカーは難しいかもしんないけど(´・ω・)

 その上で少し踏み込むと、広義でパワハラやセクハラを内包するいじめという行為は、人間関係を断つことができないから成立するのであって、加害側はそれを盾に取っているところがあるような気がします。具体的には断つことができないのだから、無理難題を吹っ掛けられるというような。また断つことができないということを試す、それこそ忠誠を試すような感覚で行っている要素もあるでしょう。
 そういう意味では、いつでも人間関係を断つことができる環境だったらこうしたいじめとかは亡くならないにしても、いくらか減るんじゃないかなとも考えています。こうした方面からいろいろ攻めてみると、もっといろいろ有効な案が出てくるんじゃないかと思うのですが。

 話を戻すと、人間関係は大事だとみんな説きますが、それはやはり「嫌だと思えばいつでも断てる環境」においてのみ言えることだと思います。それこそマジな反社勢力のヤクザは最初は優しく接しくれますが、あとから態度を変えていろいろ要求してくる段階にはもう抜けられないという、「断てない人間関係」を盾にしてきます。これもまた一種の人間関係ですが、こんな人間関係も大事だという人はいないでしょう。
 やはり、本人がその関係の継続を望んでいないのに断つことができない重石のような人間関係は、本人、下手すればその相手にとってもマイナスにしかならないと思います。そういう意味では、いつでも断てる人間関係を構築することが、前述のいじめっぽい主従関係に発展させないためのけん制にもなるし、比較的重要なんじゃないかと思います。もっともこれ突き詰めると、「都合のいい時にだけ機能する人間関係」になってしまうのですが、個人的にはそこまで行かなくても「機能(利用価値)に根差した人間関係」こそが健全だと思って真面目に昔から機能重視で人間関係捉えています。

 ただ世の中みんな、機能に合わせてそんな都合よく人間関係を結べるわけでもなく、当たりと思って関係結んだ人が後からはずれだったという風になるパターンも少なくないでしょう。っていうむしろそっちパターンのが多いので、人間関係を広げようっていう意識がない、それどころか化物語の主人公みたく敢えて作ろうとしないで狭く落ち着かせようっていう人の方が日本だと若者を中心に多いと思います。
 それもこれも、人間関係を断つ労力が大きいせいで、もっと気軽にお互い断てるようになったら失敗気にせず人間関係広げられるのではないかというのが結論で、言い換えるともっと日本人は人間関係の断ち方を学び、共有し合うべきじゃないかと思います。何度も唱えていますが率直に言って、血縁関係は仕方ないとしても、断てない人間関係というのはそれはそれでキワモノであるという風に考えるべきだというのが自分の見方です。

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