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2023年8月17日木曜日

大体「太閤記」が悪い

 先週、というより6月から続く激務ゆえか、なんか最近左手がキーボード叩いているときに固まるような感覚を覚えるようになりました。試しに手を広げたりしてみたら左腕全体痛くなったりして、多分、酷使し過ぎて神経痛んできたんだと思います。
 なお自分だけかもしれませんが、手、特に指の神経は視神経と物凄い関連が深いように思えます。指を伸ばしたり手のひらを広げる運動をすると、途端に目がしばしばするようになりそのまま涙があふれてくることもあります。でもってその後、やたら視界がよくなるというか見えやすくもなってきます。若干思い当たる人なんかは、胸の前で合掌して、そのまま合掌した手を合わせたまま腹のあたりまで下げてみるのを試してみるといいです。

 あとストレスたまっているせいか、今日会社でスマホ弄ってまた戦車注文しました。なんか午後の紅茶を午前に飲むかのような悪いことをやっちまった気がします。

 話は本題ですが、時期にして2000年代前半に入ったあたりからこれまで定説というか常識扱いされてきた戦国時代のエピソードが、否定されるケースが増えてきました。その代表格は信長関連のエピソードで、「桶狭間の戦いは奇襲ではなかった」、「長篠の鉄砲三段撃ちはなかった」など、これまでこうしたエピソードをもとに作られた小説とかドラマをどうしてくれんだよ的なくらいにひっくり変わる新説がどんどん出てきました。
 でもってこうした新説は徐々に勢いを持って行ったというか、従来の説は信憑性が低いという見解が広まり、2020年を越した現在においてはもはやほぼ否定されつつあります。

 ではそもそも何故、三段撃ちをはじめとしたエピソードは信憑性が低いにもかかわらず、日本人の常識と化すまで普及していったのか。結論から言えば、小瀬甫庵が書いた「太閤記」が大体の原因です。

太閤記(Wikipedia)

 太閤記という本はいくつかありますが、もっとも代表的なのは江戸時代に儒学者であった小瀬甫庵が本とされています。この太閤記が、戦国時代をある意味で講談のパラダイスと化させ、フィクションまみれにした張本人、っていうか張本本と言っていいでしょう。

 作者の小瀬甫庵は1564年生まれの元医者で、秀吉の甥である豊臣秀次らに仕えたとされます。その後、紆余曲折合って晩年は加賀前田藩に仕え、大坂の陣も過ぎた江戸時代に初期に太閤記を執筆したとされていますが、この本の中に前述の桶狭間や長篠のいかにも小説っぽいエピソードが入っている、っていうか、この本以前にそうしたエピソードは誰も書物に記録していませんでした。それどころか書かれてある事件の日時もいい加減で、話の都合で発生の前後すらも入れ替えたりするほどのファンタジスタぶりを見せています。

 以上のような怪しさプンプンな点は明治や大正期の歴史家も認識していたそうですが、それでもこの本に書かれた如何にも小説っぽいエピソードは否定されることなくそのまま浸透し続けました。これは何故かというと、この太閤記は発刊当時に活版印刷によって世の中に大いに流通したというのが原因として何よりも大きいです。
 ほかのまっとうな歴史書と比べると、講談本としてながら大衆の目に触れる歴史本であり、尚且つ演劇などにも取り入れられたもんだから嘘から出た誠とばかりに、そのままフィクションの内容が史実であると思い込まれた模様です。

 確かに、発刊当時においても「嘘くせー( ゚д゚)、ペッ」と批判する人もいたし、近現代においても信憑性に異議を呈す学者もいましたが、やはり大衆にエピソードなどが浸透してしまうとなかなか「ヾ(*´∀`)ノ゙ うそです」なんて言いづらい雰囲気もあり、最終的にきちんと否定されるまで約300年かかったということとなります。
 ただ歴史に対する実証的な研究がこの20年の間でも強まっており、そうした現場の奮闘もあってか内容が否定され始めた20年くらい前以降、この「太閤記」という書名を世の中で見ることはほぼ全くなくなりました。逆に信長の事績に関する評論などでは「信長記」の引用が増え、もはやこちらが太閤記のお株を奪位のスタンダートと化しています。

 以上のように大衆に普及し過ぎたフィクションがリアルになるという過程は、現代においてもままあります。代表格は言うまでもないでしょうが幕末の坂本龍馬で、彼に関しても近年、数多くあるエピソードが年々否定され、どっかの教科書会社に至っては彼の名前を教科書から外したとも聞きます。薩長同盟も坂本龍馬の仲立ち以前に既に密約として成立していたとか、船中八策も龍馬が考えたものじゃないなど、いろいろと新説が出てきています。

 このほかだと東条英機や山本五十六に関しても虚実織り交ぜた見方が一時広がっていましたが、近年、特に山本五十六に関しては一発屋であったなど評価が急落しつつあります。あとネットで見ると壊血病の一件だけでやたら森鴎外を貶める記述をこのところよく見るようになり、なんか評価が落ちつつあるような気がします。

 こういうのを見ると、ふとしたことをきっかけに歴史というのは誤った見方が広がるものだなという気がします。逆に地上の星じゃないですが地味ながら立派なことを成した人がなかなかスポット当たらなかったりもするので、歴史を生かすも殺すもやはり講談次第であると思わせられます。先の太閤記といい坂本龍馬といい、司馬遼太郎の影響がともに強く、司馬史観が弱まってきたことが龍馬の評価急落にも大きくつながっているでしょう。

 そういうのを踏まえてもっと世の中に知られてほしいと自分が思うのは、最近評価が上がりつつあるけど樋口季一郎、戦国時代だと甲斐宗運、現代作家なら三浦綾子あたりです。

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