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2024年11月18日月曜日

Vガンダムのゴッドワルドの最後のシーン解釈

 中国で相次ぐ通り魔事件について書こうと思ったけどなんか暗くなる内容で今は避けたいと思ったので、ひとつ前の記事に続いてまたVガンダムについて書きます。ってか前の記事ではルロイさんがコメント書いてくれたけど、F91とVガンダムは明らかにマーケティングの失敗で旧来ファンにも新規ファンにもどっちつかずな対応してしまって商業的にもファン層拡大的にも失敗してます。作品は決して悪くないのに、あのマーケティングの失敗でいまだに微妙な立ち位置となっているこの二作が不憫でなりません(´;ω;`)ウッ…
 ちなみにいとこの旦那はF91がマジ好きでした。でも子供からは「うちのおとんはグフ(カスタム)が好きなんやで」と言われてました。

 話は本題ですが、Vガンダムの中盤で一番議論が起こるシーンと言えば、武人肌の敵キャラクターであるゴッドワルド・ハインの最後のシーンでしょう。主人公ウッソとの戦闘に敗れ乗機が動かなくなるや、このゴッドワルドはコックピットから飛び出してウッソのVガンダムに飛びつき、コックピットを無理やり開けようとしてきます。
 これに対しウッソは自らコックピットの扉を開けるやワイヤーガンでゴッドワルドを撃ち、その衝撃で破損した乗機の方へ吹き飛ばされたゴッドワルドはその爆発に巻き込まれて死ぬのですが、ワイヤーガンで撃たれた際にウッソに対し「やったなー小僧っ!」と憎らし気に吐き捨てるのが最後のセリフとなります。

 こうした跡形もなく吹き飛んだゴッドワルドをウッソは見送ったあと、何かに気づいたかのようなそぶり見せながら「ゴッドワルドさんが、誉めてくれた……」という言葉を洩らします。先ほどのゴッドワルドのセリフは負け惜しみというか悔しさをにじませたようなセリフでとてもウッソを誉めている様には聞こえず、「ウッソはニュータイプだから、死んで霊魂となったゴッドワルドの声を聴いたのでは?」という風な解釈がなされることが多いです。実際、私もそういう風に解釈してました。

 しかしかなり昔ですが、あるサイトでこのシーンについて異なる解釈をしている人がいました。それはどんな解釈かというと、この「誉めてくれた」というのはウッソの完全な妄想であり、ゴッドワルドは死後を含めてそんなことは言っていないというものでした。

 この解釈の根拠はというと、まず前述の通りゴッドワルドが死の間際に言ったセリフはウッソを誉めるような内容では決してないこと、そしてゴッドワルド自身が武人肌でやや戦闘狂な人間なため敵を誉めるようなタイプでないということ。そして何よりの根拠として、これ以降のウッソの行動がどんどん狂気じみてくるという理由を挙げていました。
 具体的にどうなるのかというと、敵から奪取した宇宙砲台のビッグキャノンを周りに操作できる人間がいないという理由から、ウッソ自身が引き金を引いて敵艦隊に放つようになります。この結果として数百人、下手すりゃ数千人単位が一撃で死んでおり、ウッソ自身も「これで戦争が終わるんだ」と自分に言い聞かせながらやってはいるものの、こうした大量虐殺的な行為をどんどん行うようになっていきます。

 Vガンダムのテーマ自体が「みんな狂ってるから何がおかしい行動なのか誰もわからなくなる」にあるのですが、確かに中盤以降、主人公のウッソはタガが外れたかのように敵兵を殺すことに躊躇がなくなります。まだZガンダムのカミーユの方が「ニュータイプなんで人殺しの道具でしかないもんな」と自嘲する辺り、理性を保っていたと感じるくらいです。まぁその後、カミーユは精神崩壊するのですが。

 こうしたウッソの中盤以降の行動の狂気化もあるだけに、先ほどのゴッドワルドが誉めてくれたというのは彼を手にかけたウッソが半ば自己弁護というか開き直る言い訳として無自覚に聞いた空耳だったのではというのが、自分が見た解釈に書かれてありました。今でもこの解釈は頭から離れず、実際のところはどうか議論の余地はあるものの、一考の価値があるものとして覚え続けていました。
 仮にそうだとすると、戦争は人をおかしくさせるというか、比較的まともそうな表情見せながらおかしくなっていくというのをうまく表現しているように見えます。おかしい人というと割と見た目からして北斗の拳に出てきそうなモヒカンの風貌がイメージされますが、実際は普通そうな見た目のままおかしくなっていることの方が多いでしょう。そういう意味ではこのシーンは、少年が本格的に殺人マシーンへと変わっていく過程を描いた秀逸なものとして評価できるように思えます。

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