そんな気候のためかこのところ著名人の訃報も多かったのですが、昨日の大相撲解説者の北の富士勝昭の逝去報道は自分もショックを受けました。以前より体調が悪いと聞いていたし、元力士にしては長寿で大往生に間違いはないものの、あの痛快な解説がもう聞けないと思うと非常に寂しく感じます。
中国行ってからは大相撲中継を見ることはほとんどなくなったものの、かつて日本でほぼ毎日見ていたころは親類よりもこの人の声を聴いていた気がします。ユーモアがありつつも取り組み内容を分かりやすく的確に解説し、また新人力士への叱咤激励なども非常にしっかり行われており、解説者としてはほかのスポーツを含めてもこの人が一番好きでした。
個人的に覚えている発言としては横綱日馬富士の四股名が安馬だった頃、彼が趣味で描いた油絵が中継で紹介された際に「こりゃ安馬じゃなくてプロだね!」というダジャレを利かせたコメントが記憶に残っています。
やはり子供のころと比べると知っている著名人の数が増えていることもあり、その訃報を聞いて寂しく感じることが多くなりました。今までの訃報の中では水木しげるが一番ショックがでかく、次に政治解説者の三宅久之が来て、三番目に今回の北の富士勝昭が来そうです。
それだけ訃報を見るほど自分も年食ったということですが、正直喧嘩っ早いからもっとずっと早く死ぬと思ってたのに思ってた以上に長生きしてしまって自分もなんか戸惑ってます。
大坂の陣の前に浪人から参戦したものの多くは若く、あれが出世のラストチャンスだと考え、「死んでもいいから活躍させて」みたいな願掛けを近くの神社にたくさん奉納されていると聞きました。実際、あの時代は家柄で人生決まるところが大きかっただけに、二十代とかで一か八か戦で活躍するかに人生かかってたともいえます。その辺深く掘り下げると、早くに金稼いで残りの人生を細々と過ごしたいという若者のFire思想になんか近いように思え、自分もかつてはあっち側だったのかなどとちょっくら思ったりします。
ちなみによくほかの人に「花園さんは残りの人生で何がしたいの?」と聞かれますが、「もうやりたいことある程度やったからほかの人に迷惑をかけず、そこそこのんびりと周りに感謝されることを心掛けながら余生を今過ごしている(´・ω・)」と答えると大抵変な顔されます。なんか年齢観がやっぱほかの人と違うのかもしれない。
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