今朝は水に氷が張るくらい上海も冷え込みました。ただ数年前と比べると部屋の防寒対策を色々高じているためそれほどきつくないのですが、今年は色々試してみようと膝下温めヒーターとか電気毛布とかも試しています。個人的感想としては膝下温めヒーターは毛布かけて使うとかなり良いのに対し、電気毛布は膝裏がやはり冷え冷えなままで且つコードが結構椅子に引っかかるため、膝下ヒーターの方に軍配が上がります。
それで本題ですが上のニュースに関して賛否両論の意見が出ているそうなのですが、自分としては完全に賛で、灘中はさすがやるなぁとか思いました。というのも入試問題の国語とかに出てくる文章って、普段生活していたらまず読むことのない縁もゆかりもない文章と触れ合える貴重な機会だと思うからです。この手の文章って問題文だから読むのであって、もし単体の記事とかコラム、随筆として出されても恐らく興味を持たずに基本読まずじまいとなるものばかりです。やはり人間、興味のあるものから手に取っていくため、興味と程遠いものほど接触は小さくなるものでしょう。
その上で興味の範疇外で縁もゆかりもない文章というものは、人間性や知識の幅を広げるうえで非常に価値があると思います。「こんな見方があるんだ」的に今まで全く見なかったものに光を当てることができ、実際この灘中の問題もパレスチナの現状について受験生らに考えるきっかけを与えることを目的とされたようで、その後もパレスチナに興味を持たない子もいるでしょうが、持つ子もきっといると思われ、なんにせよ考えるきっかけを与えるうえでは良問なのではという気がします。
書くいう私も受験時代の問題文や学校での国語や道徳の時間に読んだ文章の抜粋から興味を持ち、その後全文を読むようになった体験がいくつかあります。思えているものだと「あの頃はフリードリヒがいた」と「塩狩峠」で、授業で取り扱われなければ読むことがなかったと思います。
また全文読まなくてもその後の価値観に影響を与えた問題文も結構あります。特に印象深いものとして何かのコラムの抜粋だと思うのですが、仮定のストーリーとしてこんな話を書いていました。雪山で遭難していたところたまたま見つかった山小屋に助けを求めたら二人の姉妹が迎えてくれた。小屋の中では妹の方は明るい性格で、「大変だったでしょう」などと色々声をかけて励ましてくれました。一方、無愛想な姉は何一つ言葉を発さないものの、黙ってスープを作ってその男に出してくれたそうです。
この二人の姉妹を比較してその作者は、「姉はえらい(・∀・)」と言って姉に軍配を上げてました。理由はというと、妹の行動は一見すると優しそうだがこの男が本当に必要とするのは栄養と体温で、言葉をいくらかけても実は意味がないのに対し、無愛想でも本当に男が必要としているものを提供してくれた姉の方こそ親切だと言えるという風に評していました。
このコラムは小学生の頃に読みましたが今でも強く覚えており、表面的な援助よりも本質的な援助の方が大事だという価値観にすごくつながりました。同時に、口を動かす奴よりも黙って手を動かす奴の方がずっと偉いという価値観にもなり、自分の現在の性格にも影響した気がします。
このほかだと同じく小学生の頃に読んだ、雪山の食堂で豚汁食べてたらその食堂で飼われている犬に全部食われたという話もやたら覚えている。なんだろう、雪山好きなんだろうか?
こんな具合に、国語とかの問題文はまさに出会いを提供する貴重な機会だと思うだけに、今回の灘中の入試問題はスパロボ風に言うなら射程距離外の攻撃なくらいクリティカルでいいものじゃないかと思います。同時にそうした縁もゆかりもない文物に触れる機会こそ、もっとみんな求めた方がいい気がします。
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